セレビィ編・中編 〜帰るべき場所〜 翌日。 目覚めは意外と爽快だった。 さすがに、目が覚めて元の時代にカムバックってことはなかったけど、心には凪が訪れていた。 眠っている間に、気持ちの整理がついたのかもしれない。 それはそれとして、オレにとってはありがたいことだった。 朝食を摂った後、オレはラッシーをジムの敷地に放した。 モンスターボールの中は確かに居心地がいいだろうけど、むしろそれは居心地のいい場所で一人ぼっちになったのと同じことなんだ。 当たり前なことに気がついたのが、朝食を摂ってる最中だった。 オレはラッシーを気遣ってた。 その気持ちに偽りはない。 でも、気遣いすぎてたのかもしれない。 敷地に出たラッシーは、機嫌が良かった。 のっそのっそと敷地内を歩き回り、蔓の鞭を伸ばしては、飛んできたチョウチョと戯れてた。 後片付けやジムの経理など、アカツキはサトシのことを手伝っていたけれど、小一時間が経ったところで、敷地に出てきた。 「アカツキ、元気そうだな。良かったよ」 「ああ……おかげさまで」 歩み寄ってきたアカツキに、オレは笑顔を向けた。 昨日ほど深刻に考えなくなっただけ、まだマシになったかもしれない。 「やっぱり……最初は信じられなかった」 オレはジムの壁にもたれかかり、青々とした芝生に腰を下ろした。 同じように、アカツキも隣に腰を下ろす。 青い空を見上げ、たなびく白い雲を見ながら、 「ここが五十五年後の未来で……サトシと同じカッコしたヤツが、サトシの孫でオレと同じ名前のヤツだなんて……」 「そりゃ、そうだよな。オレもアカツキと同じ立場だったら……たぶん、同じこと考えてたと思うよ」 オレの言葉に、アカツキは大きく頷いてくれた。 そうやって理解を示してくれることほど、オレの心を強く支えてくれることはなかった。 ささやかな気遣いが、とてもうれしかったんだ。 うれしさを噛みしめていると、アカツキがオレの顔を覗きこんできた。 「……な、なんだよ」 いきなり顔を覗きこまれて、オレはちょっと驚いた。 今のオレ、マヌケな顔してるんだろうな……そう思うと、醜態を見られたようで気恥ずかしくなる。 アカツキはニコッと笑った。 「だから、思うんだ。 アカツキは強いんだなって……オレより三つも年下なのに、そうやって目の前の現実を受け入れてる。 じいちゃんの友達だって言うのも、頷けるんだ」 「そんな、オオゲサな……悟っちまっただけさ」 オレは手を振って否定した。 別に強くもなんともない。 セレビィがいつかオレの前に現れて、オレを元の時代に帰してくれる……そう信じなくちゃ、オレは先に進めない。 そう考えたら、知らない間に心の扉が開いていたんだ。 ただそれだけのこと。 セレビィのこと、オレ自身のことを信じるのに時間がかかっただけ。 そんなオレが強いはずなんてない。 弱くても、弱いなりにできることがあるんだって、そう思ったら、自然と心の重荷が減っていったんだ。 「やらなきゃいけないことはたくさんあるって思う。 セレビィのことを調べるのが一番だって思うけど……それはネットでいくらでも調べられる」 「そうだな……」 オレはセレビィのこと、少しなら知ってる。 名前と、どんな格好をしてるのか、どんなポケモンなのか。 でも、それ以上のことは知らない。 ネットで調べたり、サトシに訊ねたりして、もっと手元に情報を集めておく必要がある。 セレビィがオレの前に現れるのがいつになるのか分からない以上、ただ指をくわえて待ってるだけなんて、そんなのは嫌だ。 一時間後かもしれないし、下手をすれば一ヵ月後かもしれない。 長引くようなら、こっちからセレビィを捜しに行くという方法も視野に入れておかなければならない。 「アカツキはセレビィのこと、知ってるのか?」 「ううん、知らない」 「そっか……」 サトシからいろいろと聞いてるんじゃないかと思ったんだけど、そうでもなかったみたいだ。 オレの役に立てなかったことを気にしているのか、アカツキはちょっと落ち込んだような表情を見せた。 今、サトシは用事があるとかでジムを出ている。 あいつはどういう経緯があってか、今はトキワジムのジムリーダーとして、このジムを切り盛りしているんだそうだ。 それを聞いた時にはマジで脱帽したけど、すぐに頷けた。 やっぱり大人になってたんだって、改めてそう思ったよ。 で……アカツキの方は、各地を旅して回ってたらしいけど、いろいろあったらしくて、今はこの町に落ち着いてる。 そのせいか、アカツキもジムにいる時はポケモンを敷地に放しるんだそうだ。。 門番代わりになるし、ポケモンたちも動き回れるから、ストレスも溜まらない。 まさに一石二鳥だけど、カイリューとリザードンは意気揚々と空を飛びまわり、メガニウムは木陰でのんびりしてる。 ピカチュウはアカツキにつきっきりだ。 「ピカ?」 気まずい雰囲気を感じ取ってか、ピカチュウがアカツキの肩から降りて、オレとアカツキの顔を交互に見やる。 ピカチュウはピカチュウなりに、どうにかできないかと考えてくれているらしかった。 結構目ざといっていうか、気を遣ってくれてるんだな。 とはいえ……何を話せばいいものか。 セレビィの話はできない。 かといって、サトシがどんな人生を歩んできたかということも訊けない。 何を話せばいいのか分からずにずっと口ごもっていると、 「ぶーっ……」 「……?」 ブースターがゆっくりとした足取りでやってきた。 「ん、どうしたんだ?」 「ぶーっ……」 声をかけると、ブースターはオレにじゃれ付いてきた。 一体どうしたっていうんだか…… 昨日からそうだけど、ブースターはオレのことをとても気にかけてる。 過去からやってきた旅人を気遣う宿の女将さんとはまた違う。 何度も言うようだけど、オレに特別な感情を抱いているような感じだった。 「おまえ、人懐っこいな……」 オレはブースターの頭をそっと撫でた。 円らな目をぱちくりさせながら、じっとオレの顔を見上げてくる。 ブースターの目に映ったオレは、ニコニコしてた。 ポケモンにじゃれ付かれてうれしくないはずがない。オレはポケモンのことが大好きなんだから。 でも……なにかが違う。 違和感が首をもたげる。 「なあ……」 オレはブースターの頭を撫でながら、切り出した。 「君のブースター、なんでオレに懐いてるんだ? 昨日会ったばかりのヤツだろ。 元々人懐っこいようにも見えないし……それにしても警戒心が全然ない」 「ああ……」 アカツキは頷くだけで、歯切れの悪い返事だった。 言いにくい事情でもあるんだろうか……? だとしたら、これ以上訊ねるわけにもいかないんだけど……やっぱり、気になる。 どうにかして、当たり障りのないように聞き出せないものかと考えていると…… ごぉぉぉぉ…… 遠くから戦車がやってくるような音が聞こえてきた。 「なんだ……?」 音のした方に目を向けると、真ん前から、土煙が恐ろしい勢いで迫ってきた。 ……って。 「ヲイ、危険じゃないのか、あれ!!」 オレはマジで悲鳴あげながら土煙を指差した。 危険な雰囲気を感じ取ってか、ラッシーが身を起こして、蔓の鞭を伸ばす。いつでも攻撃できるようにと、臨戦態勢だ。 だけど、アカツキのポケモンは全然気にしてない。 カイリューもリザードンも悠々自適といった様子で空を飛び回っているし、メガニウムも目を覚まさない。 鈍いっていうより、気にしてないだけって感じだ。 そんなに危険じゃないシロモノなのか、あれは……? 逃げようか、逃げまいかと頭の中で綱引き合戦なんて繰り広げながら視線を戻す。 土煙を上げながら何かが猛烈な勢いでやってくるのが見えた。 「……ウインディ?」 「ああ、そうだよ」 近づいてくるに連れて、輪郭がハッキリしてきた。 ニコニコ笑顔でやってきたのはウインディだ。 ウインディは一日に千キロを走破することができるという、凄まじく足の速いポケモンだ。 バトルでは自慢の俊足で『神速』で、相手が対応できない間に攻撃を仕掛けることができる。 そういう意味では、攻撃的なポケモンなんだけど…… でもまたなんでウインディがこんなところに? アカツキのポケモンっていう風には見えない。 「おーい、エンディ〜」 アカツキはおもむろに立ち上がると、ウインディに向かって声を上げ、手を振った。 エンディって、あのウインディの名前……? 「バウッ!!」 あ、やっぱりそうなんだ。 ウインディは大きな声で返すと、あっという間にジムの敷地に入ってきて、オレたちの目の前で急ブレーキ!! 「うわっ……!!」 マジでぶつかるんじゃないかと思ったけど、五十センチほど手前でちゃんと止まった。 あー…… マジで心臓に悪いぞ、これは。 立ち止まったウインディは、アカツキにニコニコ笑顔を振り撒いていた。 ブースターと同じくらい人懐っこいようだ。 一体誰のポケモンだろう? 目の前のウインディは、平均的な体格よりも一回り……いや、二回り近く大きくて、堂々とした体躯の持ち主だ。 ただ、首からポーチみたいなのを提げてるのを見ると、その迫力が半減する。 縞のように走る黒い模様は鮮やかで、フサフサの白い毛も艶を帯びて、陽光に煌いてはキラキラ輝いているようにも見える。 よく育てられていると、傍目にも分かるほどだ。 「エンディ、久しぶりだなあ。元気してたか?」 「バウっ!!」 アカツキが声をかけると、ウインディ――エンディは大きく嘶いた。 どうも、友達のポケモンらしい。 オレがエンディに向けた視線に気づいて、アカツキが紹介してくれた。 「アカツキ、このウインディはオレの友達のポケモンで、名前はエンディって言うんだ。カッコイイだろ?」 「まあ……並のウインディじゃないよな。身体も大きいし、毛も艶やかだ」 オレは頷き、エンディの身体に触れてみた。 初対面のヤツに触られて怒るんじゃないかと一瞬思ったんだけど、そうでもなかった。 エンディはオレに興味津々といった視線を向けて、じっとしている。 カツラさんのウインディと勝負したら、どっちが勝つんだろうか……? 本気でそんなことを考えてしまうほど、エンディは立派だった。 これほどに育て上げたトレーナーって、一体どんなヤツなんだろ……? アカツキの友達って言うからには、結構腕の立つトレーナーなんだろうけど……うーん、気になる。 そこんとこも勢いで話してくれるんじゃないかと思ったけど、そこまで気を利かせてはくれなかった。 さすがに、そこまで求めるのは筋違いなんだろうけど。 オレはエンディの身体から手を離した。 肌触りが良くて、草原で一緒に寝そべってると、本当にウットリしてしまうんだろうけど…… 勝って知ったる何とかって具合には、できそうもない。 「エンディ、オレに新しくできた友達なんだ。過去からやってきたなんて、信じられるか?」 何を思ってか、アカツキはエンディにオレのことを紹介している。 でも、エンディはあんまり聞いてなかった。 というのも、オレのことをじっと見つめたまま、目を反らさなかったんだ。 かくいうオレも、いきなり見つめられて、目のやり場に困ってしまったんだけど…… 「エンディ、もしかして……ブースター?」 エンディと同じように、ブースターもオレの方をじっと見ている。 心なしか、エンディの瞳にも、ブースターと同じような感情が浮かんでいるように思えてきた。 いや、いくらなんでも状況が状況だけに、気のせいだとは思うんだけど…… 「やっぱり、そうなんだ……」 アカツキが肩をすくめる。 何か、あきらめにも似た雰囲気を漂わせて。 そういえば……昨日も同じような態度を見せてたな。 何を感じたんだろうかと思ったんだけど…… 「どういうことなんだ? ブースターがオレのことを気にかけてるのと、何か関係があるのか?」 オレは思い切って訊ねてみた。 疑問は疑問のままにしておきたくなかったというのもあるし、ブースターがオレをどんな風に思ってるのか…… やっぱり気になったから。 「…………」 アカツキは口をつぐんだ。 言いにくいことだってのは、さっきの様子を見れば分かる。 でも、ブースターとエンディが同じようにオレのことをじっと見てるのは、何らかの理由があるからじゃないだろうか。 そして、アカツキはそれを知っている。 答えたくないのなら、答えなくてもいい。 自分から訊ねた手前、そんなことを言い出すワケにもいかず、オレはアカツキの返事をじっと待った。 その間、ブースターとエンディの頭を撫でていた。 やがて、アカツキが意を決したように顔を上げた。 「たぶん、前のトレーナーと似てるからだと思う」 「前のトレーナー……?」 その一言に、オレの頭にまたしても疑問が浮かぶ。 ブースターは元々アカツキのポケモンじゃなかったってことか? 同様に、エンディも…… でも、それだったらどうして……オレに似てるって、どういうことなんだろう。 考えたって分かるはずはないんだけど、それでも考えるのを止められない。 ヘンなクセだなって、自分でもそう思うんだけど。 サラサラと、草が風になびく音だけが聞こえる中、おもむろに、ブースターとエンディが近づいてきて、頬を寄せてきた。 「…………」 正直言って照れくさかった。 でも、オレが前のトレーナーに似てるってことの意味は、少なくとも明るく言えるようなものじゃないだろう。 これ以上踏み込んでいいものかどうか迷った。 無理に知らなくてもいいことだから、ここで止めておくべきだ、とも考えたけれど、遅かった。 「オレのライバルだったんだ。シゲルさんの孫でさ……」 「うえっ……」 アカツキが自分で話すと決めたことなら、オレが止めるわけにもいかない。 ただ、黙って耳を傾けようと思ったんだけど、さすがにこればかりはマジで驚いたよ。 サトシとシゲルがライバル関係だったのはもちろんだけど、まさかそれが孫の世代まで同じなんて。 ただならぬ因縁があるんだなあ、って思う。 驚いている間に、アカツキが続ける。 「あいつ、病気で三年前に死んじまったんだ。 で……あいつが一番大事に育ててたブースターをオレが引き取って……エンディはオレの友達が引き取った。 ……つまんない話だろ」 「…………」 つまんないって…… オレはアカツキが浮かべた笑顔に、何も言い返すことができなかった。 軽い調子で「そうだよな」なんて言い返すことなんて……死んでもできない。 だって……死という形でライバルを失って、悲しくないはずがない。 いつまでも心にトゲが突き刺さった状態のはずだ。 増してや、ポケモンを通して、在りし日のライバルの姿がありありと脳裏に浮かぶんだろう。 もし、オレが同じ立場になったら……結構引きずってしまうんだろうな。 エンディもブースターも、トレーナーを失ったなんて悲しみは表情に出さない。 そりゃ、出すはずがない。 でも、心の中じゃ、今でも悲しいんだろう。 そう思うと、なんだか寂しいし、悲しい。 アカツキの口振りからすると、シゲルの孫は同じくらいの年代だったはずだ。 「…………」 オレはエンディとブースターに頬をつけて、身体を撫でた。 オレとアカツキのライバル……シゲルの孫が似てるって言うのは、分からないことじゃないんだ。 同じ家の血が流れてるわけだし、多少なりとも似てる部分があって当然だ。 「……でも、オレはそいつと違うんだ」 そう言って、オレはブースターとエンディから手を離した。 「似てるっていうのは分かるけど……でも、だからってオレにそいつの姿を重ねさせちゃいけないよ」 それじゃあ、いつまで経ってもそいつの影から逃れられなくなると、オレはしっかりと主張した。 アカツキは寂しいような辛いような顔を見せたけど、すぐに口を真一文字にギュッと結んで、 「そうだよな。いつまでもあいつのことを引きずっちゃいけないよな」 「それもあるけど…… でも、そいつのことを忘れないってのは大事だと思う。 大切なトレーナーだったわけだし……想い出は大切に取っとくべきさ。 ただ、『今まで』と『これから』は別なんだよ」 ケジメをつけることが大切なんだって、オレは言った。 想い出は想い出として大切に取っておくべきだけど、それをいつまでも引きずって、これからの人生を曇らせちゃいけないんだ。 エンディやブースターにとっては辛い言葉かもしれないけど、オレはそう思ってる。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 沈黙が訪れる。 エンディもブースターも、オレの言葉を噛みしめているようだった。 アカツキは…… ライバルを失った当人が一番傷付いてるはずだ。 だけど、 「分かってたことなんだけどなあ……ちょっと、思い出しちまっただけさ」 ニコッと笑った。 本当はもっと前に吹っ切ってたみたいだ。 ただ、エンディやブースターがオレを見つめた時の表情で、心の奥底に眠ってた悲しみが少しだけ滲んだんだって言った。 「それだけ、そいつのことをライバルだって思ってたんだよな」 「ああ……」 シゲルの孫か…… サトシの孫がサトシにそっくりなんだ、シゲルの孫もシゲルにそっくりだったりして。 ちょっと興味が湧いたけれど、これ以上は止めておこう。 こんなところで踏ん切りがつくなんて、遅すぎたような気がしないわけでもない。 ただ…… 「バウッ」 「ぶーっ……」 エンディとブースターも吹っ切ったような表情を見せてくれたから、それだけでも良かったって思うよ。 未来にやってきてまでこういう経験をするとは思わなかったけど…… それはそれで、話のタネにはなるんだろう。 「それより……」 オレはエンディが首から提げたポーチを指差した。 「なにか用があって来たんじゃないのか?」 「お、そうだった!!」 アカツキは今さらのように声を上げた。 まさか、エンディがただ友達の顔を見るためだけにここに来たわけじゃないだろう。 普通、ポーチを提げたウインディなんて見かけないぞ。 アカツキはポーチを開くと、中から折りたたまれた紙を取り出した。 便箋だろうか。 なんて思っている間に、便箋を開いて、ニコニコ笑顔を浮かべて、なにやら楽しそうな様子だ。 字が分かるとも思えないんだけど、エンディも一緒になって便箋を眺めている。 「……吉報なのかな?」 大方、近況報告ってところだろうか。 わざわざ『何が書かれてるんだ?』なんて訊ねる気にはならなかったんだけど…… オレが向けた視線を興味と捉えてか、便箋から顔を上げたアカツキが、ニコニコ笑顔で話してくれた。 「そいつ……エンディの今のトレーナーだけど、新人ジムリーダーの研修を受けてるんだってさ」 「へえ、すごいじゃないか」 友達がジムリーダーなんだ…… そんなに驚くことじゃないんだけど、エンディを見れば、ジムリーダーだって簡単に務めちゃうくらいの人物だって分かる。 新人ジムリーダーは、ジムの経営やらポケモンリーグの理念やら、座学からポケモンバトルの特訓まで、 幅広いカリキュラムが設けられた研修を受けることになる。 いつだったか、カスミが話してくれたっけ。 結構大変だったらしいけど、カスミは持ち前のやる気であっさりクリアしたらしい。 ポケモンバトルの特訓があるから、ジムで得意としているタイプのポケモンを連れて行かなきゃいけない。 こうやってエンディを遣いに出したところを見ると、炎タイプではないんだろうけど…… やっぱり、自分のポケモンには傍にいてもらった方が精神的に楽だろう。 「大変だけど、やりがいを感じてるんだって」 「そっか……上手くクリアできるといいな」 「ああ」 言葉をかけると、アカツキは本当に自分のことのように、うれしそうな顔で頷いた。 友達が頑張ってるところを見ると、負けてられないって思うものなんだろう、瞳なんてギラギラ輝いてたよ。 「……うらやましいな……」 オレはアカツキを横目に、ため息をついあ。 元の時代に戻ったら、いつだってアカツキのように友達と連絡を取ることができる。 でも、この時代じゃ、それもできない。 一刻も早く戻らないとな…… 「さて、と……」 気を紛らわしたくて、オレはジムに戻った。 アカツキはしばらく手紙を読んでいて、オレがジムに戻ったことには気づいていないようだった。 ジムに戻ったオレは、好きに使っていいからとサトシに言われたパソコンを借りて、セレビィのことを調べ始めた。 「ぶーっ……?」 「ん、どうしたんだ、ブースター? アカツキのところに行かなくていいのか?」 嘶きながら膝に飛び乗ってきたブースター。 オレはマウスを動かす手を止めて、視線を落とした。 「ぶーっ……」 ブースターは円らな瞳でオレをじっと見上げてきた。 今はアカツキがトレーナーなんだから、何もオレについてこなくても……と思ったけど、それを口に出すことはできなかった。 ブースターはオレと一緒にいたいらしい。 ラッシーがいたら、修羅場になりかねないけど、幸いラッシーはメガニウムとノンビリくつろいでるから、大丈夫。 前のトレーナーとの想い出の方が深く胸に刻み込まれているからこそ、そいつに似たオレと一緒にいたいと思ったのかもしれない。 ブースターがそうしたいのなら、オレは止めないけどさ…… オレが元の時代に戻った時に、ちゃんとやっていけるのかどうか、なんとなく心配になる。 人のポケモンよりも、自分のことを心配するべきなんだよな、ホントは。 「……まあ、ほどほどにしとけよ。アカツキがヤキモチ焼いたって、知らないぞ」 「ぶーっ!!」 暗に「気の済むまでオレの傍にいてもいい」と言われたことに気をよくして、ブースターがこれ幸いとじゃれ付いてくる。 本当にかわいいなあ…… でも、今はセレビィのことを調べなきゃ。 ネットに接続して、セレビィについて調べる。 サイトを検索するページで、キーワード検索のモードに切り替えてから、セレビィという単語を打ち込む。 検索をかけてから十秒後。 セレビィに関するサイト(ホームページ)のリストがずらりと表示された。 いかにも眉唾物(ニセモノ)なサイトもあれば、名の通った研究者のサイトもあった。 その他には研究機関のサイトとか……本格的にセレビィのことを研究しているサイトが多くて、オレは片っ端からサイトを閲覧した。 だけど…… 「…………研究してるって言っても、こんなもんなのか……分かってないに等しいじゃないか」 リストアップされたサイトを全部覗いてみたけど、得られたものは決して多くなかった。 今までに出現した時の見地から、草タイプとエスパータイプを併せ持つポケモンで、時を越える能力があるということ。 草タイプのポケモンらしく、自然が豊かな場所を好むとのこと。 ざっとこんなところだけど、本気で研究してる割には、ほとんどセレビィのことを分かってない。 オレだって分かってないから、大きな口は叩けないんだけど……それだけ、セレビィの目撃談が少ないってことなんだろう。 でも、オレがトキワの森で五十五年もタイムトリップしたのも頷けるんだ。 トキワの森で助けてもらい、五十五年後の同じ場所に放り出されたのも、セレビィが森の自然を好んでいるという証拠になる。 明日あたりから、本格的にトキワの森の調査でも行おうか。 森をぶらついてれば、運が良ければセレビィと出くわすかもしれないし…… そうなったら、すぐに元の時代に帰してもらおう。 脳裏に浮かんだ希望的観測に、気づかないうちに表情が緩んでいたらしく、 「ぶーっ、ぶーっ……」 ブースターが声を上げた。 なんで、こんなにうれしそうにしてるんだろう。 まるで、ラズリーと一緒にいるような気持ちになる。 「…………」 後になって考えれば、気の迷いなのかもしれないけど…… 一瞬、この時代で暮らしてもいいんじゃないかって思った。 オレのことを知ってるヤツはほとんどいないけど、この時代でもオレは生きていけそうな気がする。 つまらない考えが浮かんだと気がついて、オレは慌てて頭を振った。 そんなこと、微塵も考えちゃいけないんだ。 オレはオレの時代に帰る。 別に、この時代が嫌なわけじゃない。 ただ、オレの帰りを待っててくれてるナミや、じいちゃんや、母さんや親父や……そのほかにもたくさんの人がいる。 その人たちのことを思うと、この時代で暮らしてもいいかな……なんて、考えちゃいけないんだ。 「ぶーっ……?」 オレの様子が変だと感じてか、ブースターが首を傾げてきた。 「大丈夫……大丈夫さ」 ブースターに投げかけた言葉は、自分に投げかけたものでもあった。意地でも言い聞かせなきゃいけない。 そうじゃなきゃいけないって、揺らぐ心に強く刻み付けるように、焼きつけるように思った。 三日目。 オレが目を覚ます三分くらい前。 トキワジムを激震が襲った。 ただ、激震って言っても地震の揺れとか大爆発とかじゃなくて、音も衝撃もない激震…… それは、アカツキがポストから持ってかえった手紙が原因だった。 「じいちゃん、こんな手紙が入ってたんだけど……」 「うん?」 執務室に入るなり、アカツキはサトシに手紙を渡した。 奥歯にモノの挟まったような言い回しに、サトシは首を傾げながらも、受け取った手紙を見やった。 真っ白な封筒には宛て先と宛名だけが記されていて、裏を見ても、差出人の名前はない。 「ま、確かに妙だけど……何も、こういう類のは、今に始まったことじゃないからな……」 サトシはしかし、慌てることなく、冷静に対処した。 むしろ、手紙を持ち帰ったアカツキの方が動転しているようだった。 昨今話題になった、封筒の中に白い粉が入っていて、その粉が原因で体調不良になったとかいう事件。 その事件の模倣犯ではないかとヒヤヒヤしていたのだが、 「でも、今回のはそういうのとは違うかもしれないな……」 「どうしてそう思うんだ?」 「直感だよ」 サトシは口元に笑みなど浮かべつつ、慎重に封を切った。 白い粉が入っていないことは見た目にも明らかだし、カッターの刃が入っているわけでもない。少なくとも、身に迫るような危険はないと言っていい。 それより、気になるのは…… 「なんか、花の香りがするよな……何の花かは分からんが……」 アカツキもサトシも、封筒からかすかに漂う花の香りに堪能しつつも、気がかりに思っていた。 「……普通の手紙……」 サトシは折りたたまれた便箋を取りだした。 一枚だけだった。 空になった封筒を見てみたが、白い粉もカッターの刃も入っていなかった。 差出人の名前がない割には、普通の手紙のようだが…… サトシは便箋を広げ―― 「じゃないし……」 絶句した。 「え、どうしたの? じいちゃん……!!」 アカツキは愕然としたサトシに驚いて、横から手紙を覗き込んだ。 そこには…… 「えーっ!! それって、まずいんじゃないのか!?」 アカツキまで絶句する内容が認められていた。 「おい、驚いてる間にあいつを呼んでこい。すぐに仕度して、出かけるぞ!!」 「う、うん!!」 サトシは間髪入れず、絶句する孫を叱咤した。 弾かれたように身体を震わせながらもアカツキは頷いて、一目散に駆け出していった。 「……冗談じゃないぞ、おい……」 一人きりになったサトシは、手紙と睨めっこしながら、呻くように漏らした。 「おい、アカツキ!! 起きろ!! ゆっくり寝てる場合じゃないぜ!!」 「う〜ん……」 大声と共に身体を揺さぶられ、心地良い眠りから覚めてしまった。 「なんだよぉ……いい気持ちだったのに……」 オレは身を起こし、文句を垂らした。 微妙にピントの合わない視線を左右にめぐらせる。 何かに驚いているような、それでいて慌てているようなアカツキの顔が飛び込んできた。 親切にも、オレを叩き起こしてくれたのはアカツキのようだ。 とはいえ、そのことをくどくどと言う気にもなれず、ぼーっとしていると…… 「早く目ぇ覚ませ!!」 アカツキはオレの腑抜けた顔(後で聞いたらそんな顔をしてたらしい……)をぺしぺしと叩いてきた。 「おわっ!!」 頬を叩かれ、嫌でも目が覚める。 ピントがハッキリして、ただならぬ様子のアカツキに気づく。 「な、なんだよ、いきなり……」 「いいから、さっさと着替えてラッシー連れて、じいちゃんのトコに行くんだ!! ほら、早く!!」 なんでそんなに慌ててるんだろう。 なんて、思ってたら……有無を言わさぬ口調で追い立ててきた。 「わ、分かったよ……」 下手に言葉を返そうものなら、一言二言、余分に返ってくるだろうと思い、オレは言われるまま、ベッドから降りて着替え始めた。 なんで、そんなに慌ててるんだか…… アカツキらしくないって言うか。 でも、ただならない様子に、鬼気迫るような表情で、何かがあったのは間違いなさそうだ。 寝ぼけた感覚が先鋭さを取り戻していくにつれ、思考もいつもどおりの冷静さを取り戻す。 さっさと着替えて、仕度を整えて、ラッシーのモンスターボールを腰に差したところで、アカツキがオレの手を取って、走り出した。 「って、おい……!!」 いきなりのことだったので、さすがに驚いた。 いくらシゲルでも、そこまで強引なことはしなかったぞ。 まあ、あいつが慌てるなんてことは滅多にないことなんだけど…… ベッドを整える間もなく、オレは部屋から連れ出されて、廊下を走らされるハメになった。 文句の一つもぶつけてやりたいところだけど、アカツキのただならぬ様子に、言葉をグッと飲み下す。 でも、一体何が……? 『じいちゃんのトコに行くんだ!!』って言ってたからには、執務室に着けば、何があったのか、教えてくれるんだろうけど。 執務室へ向かって廊下を走りながら、オレは頭の片隅で考えをめぐらせていた。 サトシがオレを呼んでるってことだけは間違いない。 それも、何らかの理由で状況が変わった……あるいは、火急の用事ができたか。 ともかく、それはサトシに訊ねれば分かる。 オレはアカツキの手を振り払い、自分の力で走った。 アカツキはチラリと振り返ってきたけど、安心したような笑みを見せた。 ナンダカンダあったけど、あっという間に執務室にたどり着いた。 オレを出迎えたのは、当然サトシだったんだけど、どういうわけか険しい表情をしている。 ポケモンバトルで追い詰められた時に見せるような、鋭く険しい表情だ。 一瞬、ホウエンリーグで戦った時の表情と重なり、オレは思わず驚いてしまったんだけど…… 「事情が変わった。アカツキ、すぐにセレビィを捜しに行くぞ」 「あ、ああ……」 これまた有無を言わさぬ口調に、オレはただ頷くばかりだった。 事情が変わった……セレビィを捜しに行く。 ってことは、セレビィが見つかったのか……? やっと、元の時代に戻れる……? 長いような短いような未来での生活も、これでピリオド。 元の時代に戻れるんだ……そう思うと、本当にただならぬ喜びで胸が満たされそうだ。 「外でオレのポケモンが待ってる。乗って、トキワの森に行くぞ!!」 「ああ……!!」 サトシは表情をそのままに、叩きつけるように言うと、オレの脇をすり抜けて、執務室を飛び出した。 ……セレビィの居場所が分かったってことか……? だから、セレビィが別の場所に行かないうちに、オレを元の時代に帰そうとしてくれてるのか……? だとしたら、サトシの意気込みを無駄にするわけにはいかない。 オレはグッと拳を握りしめ、サトシの後を追って駆け出した。 ジムを出ると、そこには確かにポケモンが待っていた。 「カイリュー……? アカツキのカイリューとは違う……って、あっちがアカツキのカイリューか……」 カイリューが二体、寄り添いあうようにオレたちの到着を待っていた。 片方はアカツキのカイリューだって分かるけど、オレが思わず指差したのはもう片方のカイリュー。 アカツキのカイリューよりも立派な体格をしてるけど、今にもとろけそうな穏やかな眼差しとファンシーな雰囲気は相変わらず。 サトシは自分のカイリューの背にまたがると、オレを手招きした。 乗れってことだろう。 オレもカイリューの背に乗る。 思いのほか広いその背中に、オレは親父のカイリューに乗って、シロガネ山へ向かった日のことを思い出した。 親父とのバトルに負けて、何もかも終わりだって、この世の終わりみたいに落ち込んでたんだけど、 まあいろいろとあって、屈強な野生ポケモンが棲息するシロガネ山に向かうことになったんだ。 でもまさか、サトシのカイリューに乗ることになるなんて、思わなかった。 意外と言えば意外なことなんだけど、それはそれで結構楽しめるのかも。 オレがちゃんと乗ったことを確認するためか、カイリューがチラリとこちらを振り返ってきた。 顔を正面に戻すと、翼を広げて飛び上がる!! 続いてアカツキを乗せた、アカツキのカイリューも飛び立って、オレたちの横に並んだ。 空を併走するカイリュー。 なんか、ロマンすら漂ってる気がするんだけど、気のせいだろうか? 見た目がファンシーなカイリューだけに、並んで空を飛んでいる光景というのは、本当におとぎ話にも出てきそうだ。 眼下にトキワシティの街並みを臨みながら、ため息を漏らすオレに、サトシが懐から取り出した便箋を渡してきた。 「これは……?」 「見れば分かる」 何かと思って訊いてみたのに、返ってきたのはつれない言葉。 まあ、確かに見れば分かるんだけど…… ポツリ浮かびかけた文句を踏み消して、オレは三つに折りたたまれた便箋を開いた。 そこに書かれてあったのは…… 「げ……」 道理で、アカツキがオレを叩き起こしにやってきて、有無を言わさずサトシの元に連れていかれた理由も分かる。 ……なるほど、着いたその場でセレビィを捜しに行くぞと言われたわけだ。 朝食を摂らず、結構空腹を感じてるんだけど、便箋に書かれてたのは、それすら忘れてしまいそうな内容だった。 ――拝啓、お初にお目にかかります。   不躾であることは重々承知しておりますが、 貴殿と私、どちらがセレビィを先に見つけ、願いを叶えられるか……   畏れ多くも競いたくなり、ここに一筆認めさせていただきました。   つきましては、セレビィが現れるトキワの森にて、お待ちしております。 「って……」 便箋を持つ手が小刻みに震える。 「これ、一体なんなんだ!?」 オレはマジで絶叫した。 なんなんだ、この意味不明な挑戦状は!! 紛らわしい言い回ししてるけど、要はオレたちと差出人のどちらが先にセレビィを見つけられるかってことじゃないか!! こっちは元の時代に戻るのに必死だってのに、なんだって挑戦状まで叩きつけてきたんだか…… 本気で意味分かんない!! 火山群がまとめて噴火しそうな勢いで、胸中で怒り心頭になっていると、サトシがオレの手から便箋を取り上げた。 「こういうことなんだ。だから、急いでセレビィを見つけなきゃならん」 「こういうことって、どういうことだ!?」 妙に冷静なサトシの口調に、オレは猛然と反発した。 一体何がなんだか、オレには全然分かんないんだ!! アカツキが非難めいた眼差しを送ってきたけれど、何も言ってこない。 オレの言いたいことを察してくれているようだ。 「差出人の名前も書いてない!! セレビィのことが書いてあるってことは、オレが過去からやってきたってことも、そいつは知ってるってことだろ!! おまえが教えたなんてこれっぽっちも思っちゃいないけど、一体どうなってんだ!! しかも、罠だったりするんじゃ……」 本気で八つ当たりしてるようだった。 自分でも、醜いところ見せてるなって自覚はあるけれど……一度口を突いて出た言葉は止められなかった。 いや……止めなかっただけだ。言い訳はやめよう。 惨めになるだけだし……オレは自分自身の心に嘘はつきたくない。こうやって混乱してる自分をごまかしたくないんだ。 サトシは振り返ると、噛みつくような勢いで捲くし立てるオレを、氷のように冷たく鋭い視線で射抜いた。 「……っ」 心まで凍りつくかと思うような視線に、オレは熱くなった頭が冷えていくのを感じずにはいられなかった。 「おまえの言いたいことは分かる。混乱するのも、だ。 オレは、昔からおまえは頭のいいヤツで、うらやましいって思ってた」 「…………?」 「だが、今のおまえはただのバカだ」 「なっ……!!」 澄ました顔で侮辱され、再び火山が爆発するように、頭に熱を帯びた。 それって一体どういうことだ……? 反論しようとした矢先、サトシが機先を制するように、オレの肩をグッとつかんで、言葉をかけてきた。 「いいか。おまえなら、この手紙を読んだ時点で事態を把握してるはずだ。 実際、そうだから、そういう風に言葉をかけてきたわけだしな……オレに噛みつくのは構わない。 だが、それをする前に、セレビィを捜したらどうだ」 「…………」 オレは不意に気づいた。 いつの間にか、カイリューはトキワシティの上空に差し掛かっていたんだ。 つまらないことを言うヒマがあるならセレビィを捜せと、サトシは喝を入れてきたんだ。 「…………」 確かに……オレはバカだな。 つまらない手紙で心を乱されて、世話になってるサトシに食ってかかるなんて……それも、八つ当たりも同然で。 とんでもなく惨めで情けないって思ったよ。 親父にコテンパンにやられた時よりも、よっぽど惨めさ。 あの時は、オレなりに全力で戦った結果だったから、まだ同情の余地もあるんだろうけど…… 単なる八つ当たりじゃ、余地なんて一分もない。 一時の感情に駆られて、やるべきことを見失ってはいけない。 厳しい口調だったけど、それはサトシなりの、オレに対するエールだったんだ。 頭が冷めていく。 「…………ごめん、オレ、バカだよな……」 申し訳なくて、大きな声で謝れなかった。 オレはサトシから顔を背けて、眼下に広がるトキワの森を見下ろした。 このどこかのセレビィがいるかもしれない…… 今オレがやるべきなのは、セレビィを捜すことだ。 オレの知らないヤツが、セレビィを捜してる。 何をするつもりなのかは知らないけど、そいつよりも先にセレビィを見つけられなければ、元の時代に戻れないかもしれない。 焦りながらセレビィを捜すオレに、サトシが言った。 「差出人は、恐らくホワイトリリー……白百合と呼ばれる怪盗だ」 「怪盗……?」 怪盗なんて、この時代でも存在してたのか。 オレは顔を上げ、サトシを見つめた。 言いたいことを分かってくれたと、安心したような表情で、優しい眼差しを向けてきた。 「最近、世間を騒がせてるヤツでね。 悪人じゃないんだが、金持ちや悪徳企業の社長や役員の家から金銀財宝を盗み出す怪盗として、注目を浴びてるんだ」 「昔にも、そんなヤツがいたっけ……ネズミ小僧とか、なんとか……」 「まあ、そういう類のヤツだ。 どこから嗅ぎつけたか、おまえが過去からセレビィの力でやってきたことを知って、こうして手紙を送りつけてきたんだろう」 「そうじゃなきゃ、説明つかないからな……」 白百合とかいう怪盗は、オレが過去からやってきたことと、 サトシの許に身を寄せていることを何らかの方法で知ったからこそ、手紙を送りつけてきたんだ。 少なくとも、サトシはそんなことを他人に言いふらさないだろうし、それはアカツキも同じだ。 オレだって外には出てなかったから、バレる理由がない。 つまり、そいつが自分で調べて、オレたちに挑戦状を叩きつけてきたってことだ。 それくらい手際のいいヤツが相手となると、ノンビリしてられないってのも頷ける。 でも、疑問は残るんだよな。 「どうやってセレビィがここにいるって突き止めたんだ?」 「……さあな。だが、白百合は嘘をつかない怪盗なんだよ。 今回だけガセネタばらまいたなんて考えるよりは、何らかの方法で突き止めたと考えるべきだな。 ……方法はどうでもいいと思うけどな。 カイリュー、ギリギリまで降りてくれ」 「ぐりゅぅ……」 サトシの言葉に、カイリューはカワイイ返事を上げると、ゆっくりと高度を下げた。 そびえる木々を掠めるんじゃないかと思うくらいまで、降下する。 白百合はどうやって、セレビィがこの森にいるって突き止めたんだ? この時代の科学がどんだけ進んだのかは分かんないけど、それでもポケモンについては分からないことの方が多いはずだ。 増してや、時間を飛び越えることのできるポケモンとなれば、調べるのも困難なはずだ。 ネット上でセレビィを調べた時、ほとんど分からなかったのがその証拠。 ……でも、何らかの方法で調べたんだろうから、相当な技術の持ち主なんだろう、その白百合とかいうヤツは。 一体どんなヤツなのか、戦う前に知っときたいな。 オレは改めてセレビィを捜そうと視線を森の木々の合間に向けながら、サトシに訊ねた。 「白百合って言ったっけ……? そいつ、どんなヤツなんだ? 怪盗って言ってたけど、ポケモンだって使うんだろ。そうじゃなきゃ、セレビィを捕まえることなんてできっこない」 「ああ……ポケモンを駆使して盗みを働くヤツなんだけど、俺もそいつがどれだけ腕の立つヤツなのかっていうのは分からない。 ただ、俺に挑戦状を叩きつけてくるくらいだ。 おまえが俺のところにいると調べた手際から察するに、決して侮れる相手じゃないってことだ」 「うん、分かってる……でも、これが罠ってことは……」 「いや、あいつは罠なんか用いず、正々堂々と勝負することを信条としてるらしい。 理由は分からないが、セレビィが現れるってのは、本当のことだろう」 「…………」 なんか釈然としないところはあるんだけど……相手が誰だろうと関係ない。 オレはグッと拳を握りしめた。 そいつより先にセレビィを見つければ、オレはオレたちの時代に帰ることができるんだ。 何があっても帰りたい一心で、オレは首を右に左に向けては、セレビィの姿を捜した。 さっきよりも地面に近い分、細かいところも見られるようになったけど、それでも簡単には見つからない。 カイリューは移動してくれてるけど、この広い森の中で、そんなに大きくないセレビィを見つけるのは大変だ。 砂漠に一粒の砂を捜すような感じだけど、だからといってあきらめるわけにはいかない。 「じいちゃん、もしそいつがポケモン勝負挑んできたら……どうするんだ?」 アカツキがサトシに言葉を投げかける。 ポケモンを駆使して盗みを働くと聞いて、それをポケモンバトルと結び付けたんだろう。 オレも、そのことについては考えてみたんだ。 正直、どうすればいいのかはよく分からない。 ただ…… 「俺が受けて立つ。 元の時代に帰ろうと頑張ってる親友の邪魔をするヤツは、誰であろうと許さない。 それだけだ……」 サトシのその言葉に、オレは胸が熱くなった。 込み上げてくる何かがあったけれど、オレはグッと堪えたよ。 「ああ、やっぱりオレが暮らすのは五十五年前の……ナミやじいちゃんがいる時代なんだ……」 改めて、そう思ったよ。 それから一時間くらい上空からセレビィを捜したけれど、それらしい影も形も見当たらなかった。 よく考えてみれば、森は障害物が多いから、小型のポケモンなら身を隠せる場所が無数に存在する。 空から捜すのは効率が悪いかもしれない。 かといって、地上で捜しても、視界の広さをカバーしきれず、同じだろう。 五十歩百歩だけど、どうせなら近くで捜した方が、分かりやすいと思うんだ。 提案しようと顔を上げた時だった。 「……あれ、なんだ?」 「うん?」 オレは前方に鳥ポケモンを見つけた。 いや、単なる鳥ポケモンなら、別に「あれ、なんだ?」なんて口走ったりしない。 サトシも顔を上げて、オレの指差した方向に目をやる。 「…………」 この辺に棲息する鳥ポケモンなら、ポッポ、ピジョン、ピジョット、オニスズメ、オニドリルの五種類なんだけど…… オレが見つけた鳥ポケモンらしき影は、いずれのポケモンよりも大きく見えた。 ピジョットよりも、オニドリルよりも大きなポケモンなんて、そうはいない。 「まさか……!!」 思わず声を上げてしまう。 白百合とかいうヤツのポケモンか……? オレたちと同じように、セレビィのことを捜してるのなら、包囲網を空に張り巡らせても不思議じゃない。 相手が一人なら、手持ちのポケモンを総動員してでも捜そうとするだろう。 そうじゃなきゃ、いくらなんでも分が悪すぎる。 オレが過去からやってきたことと、サトシの許に身を寄せてることを嗅ぎつけたヤツだ、それが分からないほどバカとは思えない。 セレビィ捜索に本腰を入れてるとしたら…… 一秒でも、一瞬でも、そいつより早く見つけ出さないと…… 前方に見えた影は、ちょっと大型のポケモンかもしれない。 それでも一度芽生えた動揺は、簡単にかき消せない。タバコの火を揉み消すレベルとは違うんだ。 「まずいな……ありゃ野生のポケモンじゃない」 「え……?」 サトシの言葉に、オレは眉をひそめた。 意味が分からない。 それってどういうことだ……? 問いを投げかけようとした矢先、鳥ポケモンらしき影が急降下し、木々の合間に消えて見えなくなってしまった。 「先を越されたかもしれない。カイリュー、あそこへ急げ」 「ぐりゅぅ!!」 サトシの指示に、カイリューがぐんとスピードを上げる。 一瞬、振り落とされそうになるけれど、オレはサトシの肩にしっかりとつかまって、襲ってくる風圧を凌いだ。 野生ポケモンじゃないとしたら、やっぱり、白百合とかいうヤツのポケモンか? 先を越されたのか……? ここで焦っちゃダメだ…… オレは鼓動の早まった胸に手を当てて、大きく息を吸い込んだ。 焦れば、それこそ相手の思う壺。 相手が何を考えていようと、オレのペースを崩さないことが重要なんだ。自分のペースを保ち続けられた方が、勝負に勝つ。 カイリューは滑るように滑らかな動きで飛行すると、あっという間にさっきのポケモンが消えたところに到着した。 巨体に似合わぬマッハ2のスピードで飛行し、16時間で地球を一周してしまうほどのポケモンなら、 たかだか一キロや二キロの距離なんて、庭先とほとんど変わらない。 「さっきのポケモンはこの辺りにいたよな……」 木々の合間からうっすらと覗く地面。 当然、さっきのポケモンがウロウロしてるはずもない。 さっさと別のところに移動してるとしか…… 「なあ……」 「どうした?」 肩越しに振り向いてくるサトシの表情に余裕はなかった。 「陽動なんてことはないよな?」 「……ないとは言い切れない」 「どういうことなんだ?」 オレの疑問にサトシは肯定も否定もせず、アカツキが割って入ってきた。 「頭のいいヤツなら、わざわざ相手の前に姿を現したりはしない。 問答無用で攻撃されるかもしれないし、それなら相手の目を引きつけるために囮を用意した方がよっぽど効率的だ」 「確かに……」 「とりあえず、降りてみるぞ」 「分かった」 陽動という可能性は棄てきれない。 でも、逆に言えば、陽動と見せかけて、本人がそこにいるかもしれないんだ。 裏を掻くか掻かれるか……勝負っていうのはそのどっちかなんだ。 だったら、さっきのが本人だって方に賭けよう。 カイリューが木々の合間に舞い降りる。 虫の音も鳥の声も聴こえない森。 本当にセレビィがいるんだろうか……? 風に葉が擦れ合う音だけが響く。 オレはカイリューの背から降り、周囲を見渡した。 茂みがあり、巨木があり、相手が身を隠す場所なら、それこそいくらでもある。 でも、ポケモンの感覚をそうそう欺ける人間なんていない。 たとえ怪盗と呼ばれていようと、人間は人間なんだ。 ポケモンの感覚にはとても敵わない。 カイリューも頻りに周囲を見渡しているけれど、何も感じ取ってはいないようだった。 「やっぱり、さっきのは囮だったんじゃ……」 何も見当たらず、何も感じられない苛立ちか、焦りか、アカツキが声を潜めて言った。 オレより弱気になってるらしい。 まあ、それも分からないことじゃないから、責めることなんてできなかったけど。 でも…… 「いや……違う。あれに本人が乗っていた」 「え……?」 サトシは断言した。 当然、アカツキは理解できるはずもなく、首を傾げるばかり。 「いいか、よく考えてみろ」 口を開き、サトシは歩き出した。 どこへ向かうのかなんて分からない。でも、何もしないよりはずっとマシだ。 オレもアカツキもついていく。 「あれはピジョットよりも大型の鳥ポケモンだ。 そんなのが舞い降りて、身を隠すような場所なんてあるか? 茂みや木陰ならギリギリ隠れられるかもしれないが……カイリューが気づくだろ」 「あ……」 そう……そういうことなんだよ。 あれだけ大きなポケモンだ。 カイリューでも気配すら感じ取れなかったのは、感じ取れないような場所にいたからだ。 そう、モンスターボールの中。 だから、あれは囮じゃない。 囮に見せかけて、本人が乗ってた。 十中八九、間違いない。 闇雲に舞い降りたわけじゃないだろうから、恐らくはセレビィの居所の目星をつけたってことだろう。 ノンビリしちゃいられない。 知らぬ間に早足になり、走っていた。 併走するカイリューは窮屈そうで、翼を完全には広げられなかったけど、苦にする様子はなかった。 狭いところでの活動に慣れているようだ。 「俺たちが思っていたより、相手の方が上手なんだよ。悔しいが、出し抜かれてる」 「…………」 サトシは心底悔しそうだった。 奥歯をグッと噛みしめている。 オレのことなのに……自分のことのように考えてくれてるんだ…… だったらなおさら、これ以上出し抜かれるわけにはいかない!! 何がなんでも、元の時代に戻ってみせる。 意気込んで、地面に横たわる木の幹を飛び越えて着地した時だった。 「……ぃっ!!」 悲鳴のような声が周囲に響いた!! 「……!?」 突然の声に、オレたちは思わず足を止めた。 「今の、一体……」 「セレビィだ!! こっちにいる!!」 戸惑うオレたちを余所に、サトシが再び駆け出す。 セレビィ……今の声が? 疑問に思いつつ、オレたちも地を蹴って駆け出した。 「本当にセレビィの声なのか……?」 「間違いない!!」 サトシはセレビィに会ったことがあるから、その声も知っている。 今聴こえてきたのが、悲鳴のような声だとすれば…… 「ヤバイ!! 完全に先を越された!!」 すでに相手はセレビィに迫っている!! 一分でもいいから、ウインディのような俊足が欲しいと願った。 もちろん、いくら願ったところで、足が速くなるはずはないんだけど…… 声の聴こえてきた方に駆けていくオレたちの耳に、またしても声が届く。 さっきよりも切羽詰ったように聴こえるのは気のせいか…… いや、気のせいだなんて思っちゃいけない。 すでに相手はセレビィを見つけたと思わなければ。 マイナス思考ばかりじゃダメだって分かってるけど、ナミみたくマヌケなプラス思考でどうにかなるような事態じゃないのは確かだ。 三分ほど走ったところで、視界が拓けた。 そこは、ちょっとしたお祭りが開けそうな空間だった。 木はほとんど生えず、背丈の低い草が生い茂っているだけの、まさしく草原と形容するに相応しい場所。 そこに、セレビィは確かにいた。 鮮やかなグリーンの身体に、小さな羽根を生やした、愛嬌のあるポケモンだ。 新芽のような頭で、円らな瞳をした…… 「セレビィ!!」 オレは思わず叫んでいた。 でも…… 「ストップ!!」 駆け出そうとしたオレを、サトシが手で制する。 無理もない。 セレビィは確かにいた。 けれど、伝説のポケモン三体に囲まれて、完全に身動きが取れなくなっていたんだ。 「……あ、あれ……」 アカツキが震えた声を上げ、セレビィを取り囲んだポケモンたちを指差した。 「サンダー、ファイヤー、フリーザー……!! 伝説の鳥ポケモンだと……!?」 驚いたのはオレも同じだった。 だって、セレビィを包囲してるのは、カントー地方に伝わる伝説の鳥ポケモンだったからだ。 それも、三体勢ぞろいで、それこそ圧巻。 一体でさえ、手に余るほどの強さを持つというのに……それが同時に三体……!! もちろん、野生の状態なら、こんなところにいて、セレビィを包囲するはずがない。 鮮やかな黄色の翼を持つのがサンダー。 翼が炎のように燃えているのがファイヤー。 透き通るようなブルーの身体と翼を持つのがフリーザー。 三体とも、翼を広げれば二メートル以上にはなる。ピジョットやオニドリルなんて比にならない。 「やっぱ、ただの怪盗じゃなかったな……」 「え……?」 「普通に考えりゃ、いくらポケモンを使ったって、数で圧されたら捕まるだろ。 それを逃れられたのは、使ってるポケモンが『伝説のポケモン』だからさ」 「…………鋭いですね。さすがはサトシさん」 呻くようなサトシの言葉に応えたのは、知らない声だった。 ……女? でも、一体どこに……? 周囲に女の姿はない。 まさかと思って顔を上げると、フリーザーの背中が膨らんだ。 いや、違う。 白い服をまとった金髪の女が、身を乗り出しただけだ。 こいつが、ホワイトリリー……白百合って呼ばれてる怪盗……!? 絶世の美女とまでは行かなくても、大概の男なら色仕掛けであっさり引っ掛けられるほどの美貌の持ち主だけど、 まさか怪盗が女だとは思わなかった。 ほら、アルセーヌ・ルパンだって男だし……まあ、思い込みって言えば思い込みなんだけど。 女はニコッと微笑むと、フリーザーの背中から飛び降りた。 おもむろに、歩いてくる。 背後に伝説のポケモンを三体従える様は、どっかの国の女王を見ているようだった。 「はじめまして。お手紙を差し上げた、ホワイトリリー……白百合です」 おどけるように、スカートの裾をつまんで、小さく会釈する。 ふざけてるように見えるけど、そうじゃないことくらいは分かる。 隙らしい隙が見当たらないんだ。 名うての怪盗っていうのは本当のことだったんだ。 「三体のポケモンは……おまえがゲットしたのか?」 「ええ、そうです」 サトシの言葉に、ホワイトリリー――白百合はニコニコしながら頷いた。 誉められたと思っているのか……もちろん、サトシの口調はそんな生温いものじゃなかった。 伝説のポケモンたちが放つ凄まじい威圧感。 ゲットした当人はともかく、相対したオレたちは衝撃を叩きつけられるような感覚を覚えてるんだ。 一歩も動けない…… セレビィが目の前にいるのに……!! 金縛りに遭ったような身体の鈍さに、重さに、オレは歯噛みした。 実際に伝説のポケモンを目の当たりにするのは初めてだ。 見た目は神秘的なものだけど、その身から放つ雰囲気はプレッシャーという言葉がよく似合う。 「天空(そら)を裂く金色の翼、サンダー…… 闇夜を焦がす紅蓮の翼、ファイヤー…… 砂漠をも凍てつかせる碧瑠璃(あお)の翼、フリーザー…… 三体をゲットするにはかなり手間取りましたが……今では私のパートナーです」 「パートナー……」 手間取ったと言ったけれど、実際はそんな生温いものではないはずだ。 仮にも伝説と云われるポケモン。 一体をゲットするだけで、どれほどの時間と労力を費やすのか……考えるだけで途方もないだろう。 「伝説のポケモンを使って悪さしてんのか!!」 アカツキが負けじと言い返す。 サンダーたちが放つプレッシャーに、足元が震えている。 気を強く保たなければ、とてもこの場にいられないのはオレも同じだ。 「悪さ……そういう見方をする人もいますね」 でも、白百合は悪びれる様子もなく言い放つ。 「でも、私は悪いことをした人しか狙いません。 敵の多い人たちばかりですよ。誰もがその人の不幸を願って止まない……」 「だからって、盗みがいいことのはずないだろ!!」 「……キミも大人になれば分かります」 アカツキの叫びを軽く受け流し、彼女の瞳がオレを捉えた。 ぞくっ……背筋が震えた。 なんてことのない女性。 なんてことのない笑み。 見た目はただの女だ。 ちょっと美人でそれを鼻にかけてるところがあるような、どこにでもいるような女。 なのに、なんでこんなに得体の知れない空気を漂わせてるんだ……!? 背後に、伝説のポケモンなど従えているからか……? いや、違う。 彼女はその道の『プロ』なんだ。 完璧な取捨選択ができる。 合理的で冷徹で、だけど必ず正しい道を選び取るヤツだ!! こんなヤツを出し抜いて、セレビィを助け出すことができるのか、本当に……? 時間を超える力を持つセレビィも、伝説の鳥ポケモンたちに囲まれて、そのプレッシャーの中にあって、身動き一つ取れずにいる。 その力を発動しようとしたら、すかさずサンダーの電撃が、ファイヤーの炎が、フリーザーの吹雪が襲いかかると分かっているからだ。 いくらオレたちが三人でも、分が悪い。 三体が同時に襲い掛かってきたら、勝ち目などない。 一体ずつあっさり倒され、あっという間に全滅する。 「キミがセレビィの力で過去からやってきた少年ですね」 「…………」 はいとも、いいえとも言えず、オレは押し黙るしかなかった。 下手な言葉でも返そうものなら、サンダーが電撃を飛ばしてきそうな雰囲気だったからだ。 いくら伝説のポケモンでも、ゲットしたトレーナーには絶対服従なんだろうか? 反意のカケラすら見られない。 本当にこの女につき従ってるんだ。 何に惹かれたんだろう? 正しい道を選び取る強さか、それとも考え方か……? どっちにしろ、伝説のポケモンがオレたちの敵に回ったのは、もはや疑いようがない。 「キミはセレビィを手に、何を願うのですか? やはり……元の時代に戻ることですよね。 この時代で生きていくには……キミはあまりに若く、幼い……」 「…………哀れんでるつもりか……!!」 バカにされているようで、オレは思わず言葉を返した。 けれど、サンダーから電撃は飛んでこなかった。 トレーナーの指示がなければ、動かないんだろう。 「いいえ、違いますよ」 鈴の音のような声で否定し、白百合は頭を振った。 「むしろ、羨ましいです」 「てめえっ!!」 「よせ!!」 身を乗り出すオレの肩をつかみ、強引に引き戻すサトシ。 「サトシ、なんで止めるんだ……!!」 「冷静になれ!!」 振り返り食ってかかるオレの肩を強く揺さぶるサトシ。 「…………」 頭の中が一瞬空っぽになる。 フリーザーの吐息で冷やされたように、思考が鈍くなり、落ち着きを取り戻す。 「……ごめん……」 完全に相手のペースに乗ってしまっている。 この状況、どう見てもオレたちに不利だ。 白百合はオレたちのペースを完全に乱し、一気に勝利を手にするつもりだろう。 もっとも、すでにほとんど勝利も同然なんだけど。 「マサラタウンのアカツキ……オーキド博士の孫で、サトシさんのご親友ですってね。 この時代で生きていくのなら、どうしても彼に頼ることになるのでしょう。 もっとも、そこまでは私の知ったことではありませんが……」 「何が言いたい?」 バカにしているような言葉に、サトシが怒気を滲ませる。 オレのこともちゃんと調べてたか……伝説のポケモンをゲットしてるところを見ると、準備に余念がないタイプだ。 段取り八分とはよく言うけれど、下地を敷いておけば、難なく成功の二文字をつかみ取れる。 「キミがセレビィで元の時代に戻るか…… あるいは、私がセレビィを手に入れて、失った記憶を取り戻すか……もはや、どちらかしかないのでしょう」 「失った記憶を取り戻す……?」 一体、どういうことなんだ? オレたちの心をぐらつかせる手管なのか、それとも本当のことなのか、オレたちには区別などつかなかった。 「つまらない話ですよ。 私は十五歳までの記憶がない……セレビィの力で過去に飛び、自分が何者なのかを知りたい……ただ、それだけです。 でも、だったらそれは私もキミも同じこと。 結局は自分の時代に戻りたいだけ……失った何かを手に入れたいだけ」 「違うッ!!」 白百合の悟ったような言葉に反論したのは、オレでもサトシでもなかった。 「アカツキ……」 アカツキだった。 猛犬のような表情で、今にも噛みついていきそうな雰囲気を、白百合に向けている。 大人でも恐れ戦くような雰囲気でも、白百合は笑顔で受け止めている。場数が違うのは明らかだ。 でも…… 「アカツキは……元の時代に戻って、元のように生活するだけだ!! そこにはアカツキの母さんや父さんや、シゲルさんたちが待ってる!! でも、あんたのは違う!! 自分のためだけじゃないか!!」 「だから、どうしたと言うのです?」 「…………」 あっさり言い返され、アカツキは言葉に詰まった。 そして、それ以上は言えなかった。 白百合は……情などでは絶対に動かないタイプのヤツだった。 目の前の選択が、自分にとって必要か、不要か…… 感情に突き動かされることなく、常に計算と打算を働かせている。 だからこそ、こんなしたたかな態度を取れる。 「確かにキミの言うとおり。 私は自分のためだけにセレビィをゲットし、その力を使う……だけど、それは誰もが心の奥底に抱えている感情(エゴ)ですよ。 誰がなんと言おうと、私は失った自分のカケラを取り戻します。 そのために、伝説のポケモンをゲットしたのですから」 それだけ、失った記憶とやらに執着があるってことか。 冷静に見えて、実は情熱的な性格なのかもしれない。ただ、それを人前にはさらさないだけで。 「サトシさん。私としても、あなたと戦り合うのは本意ではありません。 そこで、提案があるのですが」 「提案?」 「ええ」 一体どんな提案を……? どうせ、ロクな提案じゃないのは目に見えてるけど。 圧倒的に有利な状態にいる時、相手に提案を投げかけるなら、それはどんなものなんだろう……? 想像もつかない。 伝説のポケモンさえゲットするような凄腕のトレーナーの考えなど、オレには分からない。 「私がサンダーたちを使えば、モノの五分とかからずに、あなた方のポケモンを全滅させることができるでしょう」 悔しいが、それは事実だろう。 一体でも、並のポケモンが束になってかかっても勝てないほどの強さを誇るんだ。 そんなのが三体まとめて襲ってきたら、瞬く間に負けるのは目に見えてる。 それを踏まえた上での提案なんだろうか……? 「ですが、それではフェアとは言えません。 怪盗の戯言など信じられないでしょうが、私はフェアな勝負を望みます」 そりゃ素直には信じられない。 けど…… わざわざそんな提案をしてくるんだ、本気なのか。 「フェアな勝負って、なんだよ」 オレは言葉を投げかけた。 伝説のポケモンが出てるって時点でフェアなんてモノじゃないけど……何を考えてる? 相手の考えを少しでも引き出せれば、あるいは起死回生の手札を引き当てることができるかもしれない。 一縷の望みでも、縋らなければ始まらない。 オレはサンダーたちのプレッシャーに負けないように、拳をグッと握りしめた。 目の前の壁は……オレが元の時代に戻るための試練なんだ。これを乗り越えられなきゃ、オレは一生元の時代に戻れない。 ナミや親父やじいちゃんに……十二歳のサトシに、会うことができない。 だから、絶対に乗り越えてみせる!! 相手が誰だろうと関係ないさ。 立ちはだかるなら、薙ぎ倒してゆくだけ。 オレの決意を感じ取ったか、白百合の表情がかすかに曇る。 でも、すぐに何事もなかったように笑みを取り戻し、 「マサラタウンのアカツキ……キミと一対一で勝負するというのはどうです?」 「勝負……?」 「ええ」 白百合は振り返った。 その視線の先には、伝説の鳥ポケモン三体。 まさか、あんなのと勝負しろなんて言うつもりじゃないだろうな……!? 彼女とてポケモントレーナーだ。 ポケモンバトルを挑まれたら……断れない。 どんな状況だろうと、売られたケンカは買う。 ポケモンバトルっていうのは、そういうものだ。 「キミに、三体の中から戦う相手を選ばせてあげます。 そして、キミは選んだポケモンと、自分が最強だと思うポケモンを戦わせる……キミが勝てば、セレビィは解放しましょう」 「信じられるか、そんなの!!」 「よせ、アカツキ」 「でも……!!」 虫のいい話に食ってかかったのはアカツキだ。 でも、すぐにサトシに制されておとなしくなる。 確かに……これはいくらなんでも虫がよすぎる。 伝説の鳥ポケモンの中から戦うべき相手を選択し、ラッシーと戦わせるってのか……? まさか、オレが『フシギバナ』を持ってることを承知でそんな提案を投げかけてきたのか? いや、そうに決まってる。 オレのことを調べたのなら、それくらいは分かっているはずだ。 サンダーも、ファイヤーも、フリーザーも、飛行タイプを持ち合わせている。 どう考えたって不利なんだ。 勝ち目がないとは思わない。 だけど、絶望的な戦いになるのは目に見えてる。 そんな戦いにラッシーを巻き込んでいいのか……? オレは元の時代に戻りたい。 そう願ってる。 でも、ラッシーを傷つけてまでそんなことをしたいとは思ってない。 確かにオレは、一瞬とはいえこの時代で生きてもいいかもしれないって思った。けれど…… 「アカツキ」 「……?」 オレは振り返った。 アカツキを手で制したままのサトシが、場違いな笑みなど浮かべていた。 「おまえが決めるんだ。 これは、おまえが元の時代に戻るための試練だと思えばいい。 相手がいかに強大だろうと、おまえなら乗り越えられる!! 自分の中に眠る可能性を信じろ!! ラッシーを想う気持ちを信じるんだ!!」 「……!!」 一瞬で、迷いの鎖は砕け散った。 たった一言で人生が変わった人がいるという。 我が身にそれが訪れるとは、さすがに思わなかったのだけど…… でも、迷ってウジウジしてた気持ちが奮い立った。 ラッシーは、元の時代に戻りたいと願っているはずだ。 オレも同じことを願ってる。 だったら、やるべきことは一つだ。 オレはトレーナーとして……人間としての責任を果たす!! 「分かった、受ける……受けて立ってやるさ!!」 オレは声を絞り出し、言葉を叩きつけた。 売られたケンカは買ってやる。 勝利し、オレは元の時代に戻る!! 「分かりました。では、選びなさい」 白百合は満足げに頷いた。 伝説のポケモンを使ったポケモンバトルを楽しみにしているようだ。 とはいえ…… 意気込んだのはいいけど、相手は相性が有利な上、どれほどの力を秘めたかも分からない、未知なるポケモン。 相手の実力が未知数なら、ここは初心に戻って、相性論から考え直すべきだ。 いずれのポケモンも、ラッシーを上回る素早さを持っているのは間違いない。 スピードで勝負できない以上、ファイヤー、フリーザーとは戦えない。 ただでさえ炎や氷には弱いんだ。 吹雪や火炎放射でも食らおうものなら、さすがのラッシーも一撃で倒されてしまうだろう。 となると、消去法でサンダーに決定か。 サンダーの電撃も強烈だろうけど、相性によるダメージ軽減で、数発なら深刻なダメージを負わずに済むだろう。 日本晴れで技の強化もされないし、戦いやすさとしては三体の中で一番だ。 電撃のダメージを期待できないと踏んだなら、飛行タイプの技で接近戦を挑んでくるだろう。 そうしたら、状態異常の粉とマジカルリーフのコンボでどうにかすることができる。 たとえ伝説のポケモンでも、状態異常を無効にはできないはずだ。 毒でも麻痺でも眠りでもいい。 いずれかの異常を与えることができれば、それだけで勝率がぐんと跳ね上がる。 ここは、手堅く攻めた方がいいだろう。 「それはいいが…… 一度交わした約束はちゃんと守るんだろうな、白百合?」 ラッシーのモンスターボールに手を触れたちょうどその時、サトシが突き刺すような視線を白百合に向けながら言葉を発した。 「あ……」 そういえば、一番大切なことを見落としてた。 オレがバトルを応じるのはいいけど、問題はオレが勝利した場合に、ちゃんと約束を守ってくれるかどうかだ。 相手は怪盗と呼ばれるほどのヤツだ。 約束を反故することだって、ザラじゃないはず。 サンダーがやられたら、フリーザー、ファイヤーをけしかけてくるかもしれない。 まあ、そうなったらアカツキとサトシがバトルに加わるだろうし、サンダーがいない分、勝ち目も上がるんだけど…… 慌てて顔を上げたオレに――というよりは、サトシにニコッと微笑みかけ、白百合は言った。 「一度交わした約束は必ず守ります。それは私のポリシーですので、ご心配なく」 「そうか……なら、いい」 嘘か本当かも分からない一言だが、サトシは納得したらしい。 オレと同じことを考えてるから、下手に提案をフイにするよりは……と引き下がったんだろう。 だったら、全力で戦ってやる!! 「ラッシー、行くぜ!!」 オレはラッシーのボールをつかみ、頭上に放り投げた。 一番高いところで口を開いたボールから、ラッシーが飛び出してきた!! 「バーナーっ……!!」 いつもどおり、元気で迫力のある低い唸り声を上げる。 やる気は満々ってところだな…… でも、ラッシーはひどく緊張しているように見えた。 人間のオレにさえ、感じられるんだ。 サンダーたちが放つ、圧倒的な威圧感……存在感。 人間よりも感覚に優れたポケモンなら、それをオレたち以上に感じ取ったとしても不思議はない。 伝説のポケモンという認識はなくとも、自分とは明らかにレベルが違う存在であることは感じ取っているだろう。 だけど、緊張しているけれど、怯えてはいない。 オレと共に戦えば必ず勝てると、勝利の方程式を組み上げると信じてくれてるからだ。 だから、ラッシーのためにも、絶対に負けられない!! 「なるほど、フシギバナですか……」 睨みつけるような眼差しを受けても、白百合は笑みを崩さない。 戦う相手を選んだのだから、少なくともサンダーに対して有利に戦えるポケモンを出してくると思っていたに違いない。 拍子抜けしたような反応だった。 「アカツキのことを調べてたって割には、ずいぶんと驚いてるようだな?」 すかさずツッコミを入れるサトシ。 ここで少しでも白百合の心に動揺を与えて、オレが戦いやすくなるようにしてくれてるんだ。 でも、そう簡単に行くはずがなくて…… 「いいえ、調べたと言っても、五十五年前に実在していたかどうかを調べていただけですから。 どんなポケモンを使うのか、などということは調べていません。 あまり、興味もありませんでしたし」 「あ、そう……」 白百合は淡々と言ってのけた。 拍子抜けしたのはむしろサトシの方だったかもしれない。 要は、オレが過去からやってきたかどうかを調べてただけで、それ以上は知る必要がなかったってことだろう。 まあ、それならそれでいいんだけど。 「まあ、いいでしょう。 キミがフシギバナで戦うというのなら、仕方ありません。 モンスターボールも一つしか持っていなかったようですし……なるほど、サンダーを選んだ理由も分かりました」 ニコッと微笑む白百合。 すでに勝利を確信している……か? いや、こいつは最初っから勝利を確信してた。そのために綿密な準備をし、十重二十重の策を練り合わせたに違いない。 トレーナーとしての実力はどれほどのものか知らないけど、伝説のポケモンを使いこなすほどのレベルであることは疑いようがない。 気を引き締めてかからなければ…… 「ああ、そうでした……」 「……?」 不意に、白百合が声を上げる。 「私に、ポケモントレーナーとしての実力を期待されても困るので先に言っておきますが…… 伝説のポケモンをゲットしたのは、ポケモンバトルで弱らせたからではありません。 緻密に計算した結果なのです。 ですから、サンダーには自分の考えで戦ってもらいます」 「…………」 別に、どっちも大して変わらない。 嘘をついているとは思えないけど、相手が伝説のポケモンという段階ですでに非常識だ。 トレーナーとしての実力があろうがなかろうが、大して変わらないだろう。 「そういうわけですから……」 白百合は背後を振り返った。 「サンダー、戦うことを許可します。 普段、力を抑えている分、存分に戦いなさい」 「きぇぇぇぇぁぁぁっ!!」 その言葉に応え、サンダーがけたたましい鳴き声を上げた。 声に呼応するように、イエローの翼から電撃が飛び散る!! 鳴き声を上げるだけであれほどの電撃を放てるのか…… 伝説のポケモンと呼ばれているだけあって、電気タイプの技の威力はハンパなものじゃないだろう。 全力投球されたら、ラッシーでも耐えられるかどうかは分からない。 でも、やると決めたんだから、今さら退くわけにはいかないさ。 サンダーは羽ばたきながら、ゆっくりと進み出てきた。 戦う意思を固めたサンダーからは、さっきまでとは比べ物にならないほどの威圧感が噴き出していた。 叩きつけるなんてモノじゃない……暴風並みに激しい!! 「アカツキ、おまえなら勝てる」 「ああ、分かってるさ。オレたちの戦い……見せてやる!!」 サトシの励ましに、オレはサンダーをまっすぐに見上げたまま、大きく頷いた。 強敵だけど……だからこそ、燃えてきたんだ。 この強敵を乗り越えることができたなら……オレはトレーナーとして新たなステップに到達できる!! 「ラッシー、日本晴れ!!」 さっそく指示を出す。 ラッシーが空を振り仰ぐと、頭上に輝く太陽が一際その輝きを強め、周囲に熱気が漂い始める。 ソーラービームでどれだけのダメージを与えられるのかは分からないけど…… とりあえず、ソーラービームをすぐに放てるような下地は作っておいた方がいいだろう。 光合成で体力を回復するという方の布石も、最初に打っておくのがベストだ。 相手がファイヤーなら、日本晴れなんて使うのは自殺行為だけど……サンダーだからこその戦術だ。 「きぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 小細工なんて無駄だと言わんばかりに、サンダーが咆える!! またしても電撃が周囲に飛び散る。 そして、サンダーが動いた!! 翼を最大限に広げると、全身に蓄えられた膨大な電気を嘴の先から放出する!! 10万ボルト……いや、そんな生温い一撃じゃない!! まともに食らったら危険だ――頭の中で警鐘が乱打される。 「ラッシー、ソーラービーム!!」 電撃を止めないとヤバイ。 オレの指示にラッシーがソーラービームを放つ!! 電撃とソーラービームが両者の中間で激突し、轟音と共に弾け飛ぶ!! 威力は互角…… だけど、サンダーは本気を出してない。 戦うつもりではいるけれど、いきなり本気を出してこないってところか。 まずは小手調べ……サンダーなりに考えて戦ってるようだ。 「なかなかやりますね……本気でないとはいえ、サンダーの電撃を止めるとは……」 白百合が微笑む。 ナンダカンダ言って、バトルを楽しんでるじゃないか。 この隙に逃げ出したりとかしないだろうな……微妙に信じられないぞ、こいつ。 でも、今はそんなこと考えてる場合じゃない。 サンダーを倒さないことには、どうにもならないんだ。 「ラッシー、成長!!」 相手との能力差を少しでも縮めなければ、とても勝ち目はない。 サンダーが本気になったら、今の一撃じゃ済まない。 今以上の攻撃を出された時に、確実に防ぐ手立てがなければ、負ける。 そのためにも、戦いが激しくない今のうちに能力を高めておく。 ラッシーの身体に淡い光が宿り、体内に吸い込まれて消える。 ソーラービームの威力を上げておけば、電撃を止めた後にも消えずに残って、サンダーにダメージを与えられるかもしれない。 「きぇっ!!」 鋭い気勢を上げ、サンダーが飛翔する。 ラッシーの素早さが低いと見て取って、動くことで撹乱しようという狙いか…… どっちにしても、先手を打つ!! 「眠り粉!!」 電撃はソーラービームで防げる。 なら、注意すべきなのは、ラッシーに対して効果抜群となる飛行タイプの攻撃!! 接近させないように、眠り粉のベールを作り出しておく必要がある。 ラッシーが背中から眠り粉を舞い上げる。 強くなった陽射しにキラキラと反射する眠り粉に包まれたラッシーは、さながら森林のプリンスのような輝きを宿していた。 思わず見惚れてしまいそうになる。 サンダーはラッシーの横に回りこんだけど、眠り粉を警戒して近づいてこない。 よし、狙い通り…… サンダーが何を考えて戦っているのかなんて、分からない。 トレーナーの指示を受けていないということは、オレがこれからやろうとしてることも、恐らくは分かっていない。 いかに能力が強大だろうと、戦い方が上回っていれば、勝つことはできる!! 「マジカルリーフ!!」 相手が誰だろうと関係ない。 サンダーの特性は『プレッシャー』。 凄まじい威圧感で、相手が技を出した際の体力消耗を増す効果がある。 言い換えれば、状態異常を無効にする特性じゃないから、当たれば確実に眠らせられる!! 眠ってしまえば、ハードプラントを繰り出して、一撃で仕留められる!! 仮に無理だとしても、ソーラービームの連発で片がつくだろう。 勝利への方程式……いきなりだけど見えてきたような気がするよ。 あとは、それを実現に導くだけ。 眠り粉のベールを突き破ったマジカルリーフが、左右からサンダーに迫る!! まともに受けるとは思えないけど、これを避ければ隙ができるはずだ。ソーラービームで追い討ちをかけてやる。 だけど、そう簡単にはいかなかった。 伝説のポケモンの知能は、伊達じゃない。 サンダーの目がキラリと光を帯びる。 マジカルリーフが肉薄し、その翼を掠めんとした瞬間だった。 ふっ…… サンダーが身体の力を抜いて、わずかに高度を落とす。 「なっ……!!」 たったそれだけのことで、マジカルリーフは狙いを外して、サンダーの脇をすり抜けてしまった。 目標を見失ったマジカルリーフが、ただの葉っぱとなって風に流されて明後日に消える。 「見切り……!! そんな技まで使えるのか……!!」 これは本格的にヤバイ。 伝説のポケモンも防御技が使えるなんて思わなかった。 見切りは、相手の攻撃を紙一重で見切ることで、最小の動きで確実に避わすことができるんだ。 『守る』と同じで、エネルギーの消費はかなり大きいから、連続して発動することはできないんだけど…… サンダーはそうするつもりがなさそうだった。 身体の力を抜いて高度を落としたついでに、そのままラッシー目がけて突っ込んできたんだ。 眠り粉のベールが残ってるんだぞ、まともに突っ込んだらどうなるか、そんなのはサンダー自身が分かってるはずだ。 だとしたら、なぜ……? オレはサンダーの行動に疑問を抱かざるを得なかった。 これでもサンダーなりの考えが働いてるっていうのか……? 「ソーラービーム!!」 サンダーが何を考えていようと関係ない。 さっさと倒さなければヤバイことに変わりはないんだ。 ラッシーがソーラービームを放つ!! これはあっさり見切られた。 さっと横に動いて避わすと、ラッシーに迫る!! 途中で、長く鋭いくちばしを軸に身体を回転させ、錐揉みのような状態で突っ込んでくる!! 「まさか……!!」 嫌な想像が背筋を這い上がる。 その想像が現実に変わるのに時間はかからなかった。 身体を回転させることで風をまとったサンダーは、眠り粉のベールに突っ込み、眠り粉をあっさり吹き散らし、 ラッシーに強烈なドリルくちばしの一撃をお見舞いし、再び急上昇して距離を取った!! 「ラッシー!! 大丈夫か!!」 「バーナーっ……!!」 サンダーのドリルくちばしは、旋風を伴うほどの強烈な一撃だった。 いくらラッシーでも、ダメージは大きい。 心配して叫んだオレに、ラッシーは大丈夫だと言った。 大丈夫って……そんなわけないじゃないか。 「光合成で回復しろ!!」 少しでもダメージを受けたら、回復するくらいでなければ……次の一撃で倒されては元も子もない。 今のドリルくちばし…… サンダーは眠り粉を有害なものであると考えて、それを突っ切ってラッシーに攻撃する手段はないかとちゃんと考えてたんだ。 伝説と呼ばれるだけあって、戦い慣れているようだ。 サンダーが向きを変えてラッシーに向き直る間に、光合成で体力を取り戻す。 どれだけダメージを無効にできたかは分からないけど、やらないよりは随分とマシになるはずだ。 「なかなかやりますね……キミのフシギバナ、なかなか戦い慣れています」 「そりゃどーも……」 白百合の言葉を鼻で笑う。 サンダー相手に一歩も退かぬ戦いを見せるオレたちに対して、素直に賞賛してるように見えるのは気のせいか? いや、それはないだろ。 あっさりと否定して、オレはサンダーを見上げた。 わざわざ背後に回り込む必要などないと、ラッシーの真正面に移動する。 あのドリルくちばしがあれば、真正面からでも簡単に攻撃できる。 ソーラービームだって、発射の瞬間さえ見切れば、避けることは容易いってワケだ。 これは、マジで厄介な相手だ…… サンダーにはダメージらしいダメージを与えられていない。 実際にサンダーがどれだけの体力の持ち主なのか分からなければ、攻撃を組み立てることもままならない。 せめて、一撃でも与えてから、ハードプラントを使うタイミングを計ろうかと思ってたんだけど…… 何気に、流れが悪い方へ向かっているように思えるんだ。 「…………」 どうすればいい? 奥歯をグッと噛みしめながら、オレはサンダーを睨みつけた。 さすがに一筋縄で行くような相手じゃない。 それだけは嫌でも認めなきゃならないだろう。 ドリルくちばしで眠り粉をあっさり吹き飛ばし、見切りでマジカルリーフを避けるような相手は初めてだ。 もし、白百合の指示のもとで戦っていたら、もう少し楽に行ってたかもしれない。 それを考えると、やはり彼女はオレたちよりも何枚も上手だ。 サンダー自身の考え方で戦わせることで、作戦を読まれないようにしている。 サンダーが何を考えて戦うのか、それはまさしく『神のみぞ知る』ってヤツだ。 「ソーラービームの連発だけでどうにかなる相手でもないだろうし…… とはいえ、他に有効な戦略も思いつかない……マジでいきなりピンチだ」 それもまた、認めなければならない懸案事項だった。 せめて、ルースかリンリがこの場にいてくれたら、何とかなるんだけど…… 生憎と、ふたりとも五十五年前の過去にはいても、たぶん今の時代にはいないだろう。 助けを求めるだけムダ。 分かってはいるけれど、それでも無いモノ強請りをやめられない。 それだけ、追い詰められてるってことは自覚してる。 数分の短い攻防。 サンダーは圧倒的な力の持ち主だ。 勝機をつかむには、捨て身の覚悟でぶつかっていくしかない。 ラッシーをいかに無傷で勝たせるか、なんてことばかり考えてたけれど、その考えもかなぐり捨てるしかないのかもしれない。 もちろん、今まで考えてたことが間違いだったなんて思わないよ。 だけど、やっぱり躊躇してしまうんだ。 そこんとこがオレの弱さなのかもしれない。 オレのエゴのためにみんなを不用意に傷つけるのは嫌だ。 それはトレーナーなら誰もが必ず抱く、一種のジレンマのようなもの。 「どうしました? サンダーはまだまだやる気満々ですよ?」 茶々を入れてくる白百合。 膠着した状況に苛立っているんだろうか? いや、違う。 バトルを純粋に楽しんでる。 伝説のポケモンを相手に、オレたちがどのような戦いを見せるのか、観客気分で楽しんでやがるんだ。 あー、めっちゃ腹立つ!! 「やっぱり、分が悪いよ、じいちゃん……」 「いいから、口出しするな」 アカツキが小さくつぶやくのが聴こえる。あっという間にサトシに撃ち落とされて、沈黙するけれど。 確かに、分が悪い。 相手の実力が視えない上、相性まで不利と来た。 長期戦になればなるほど、不利になるのはこっちに決まってる。 短期で決着をつけたい、でも上手い方法が思いつかない。 サンダーはしばらくオレをじっと見つめていたが、膠着状態に業を煮やしたのか、声を上げて再びドリルくちばしを繰り出してきた!! 錐揉みになって、槍のように降ってくる!! 眠り粉は効かない…… ここは、少しでもダメージを与えておこう。 「ラッシー、ソーラービーム!!」 サンダーに回復手段はない。 いくら普通のポケモンよりタフでも、回復で引き延ばせるラッシーとの根比べには勝てないはずだ。 長期戦は不利だけど、かといって他に上手い方法も見当たらない。 何らかの策がひらめくまでの間、何とかこの方法でやり過ごすしかないか…… 槍のように降ってくるサンダー目がけて、ラッシーがソーラービームを発射!! この状態じゃ、目なんてまともに見えないだろう。 読み通り、ソーラービームがサンダーに突き刺さる!! 轟音と爆煙を振り切って、サンダーが降ってくる!! 効いてないとは思えないけど、大ダメージを与えたというわけでもなさそうだ。 「もう一発ソーラービーム!!」 間髪入れず、ラッシーが二撃目を放つ。 またしてもサンダーはまともに食らったけど、勢いはまったく衰えない。 マジでまったく効いてないってのか……? いや、そんなことはない。 ラッシーのソーラービームの威力は折り紙つきだ。 増して、成長で威力を上げている以上、伝説のポケモンでも掠り傷程度のダメージとは思えない。 三発目を放つべく指示を出そうとした時―― ばしゅしゅしゅっ!! サンダーのドリルくちばしが炸裂!! ラッシーの背中の葉っぱが無残にも切り刻まれて風に消える!! 「ラッシー!!」 さっきよりも威力が高い……!? ラッシーが数歩、後ずさりする。 強烈な一撃に、さすがに怯んでしまったようだ。 サンダーは一撃を加えると、さっさと宙に舞い上がって反撃を防ぐ。 「ラッシー、気張れ!!」 オレはラッシーに檄を飛ばした。 ここで負けたら……オレたちは二度と元の時代に帰れなくなってしまう。 白百合の気まぐれなんかに期待するほど、落ちぶれちゃいない。 何がなんでも、負けるわけにはいかないんだ!! 相手が伝説のポケモンであろうと、関係ない。 だけど、サンダーはピンピンしている。 反面、ラッシーは息も絶え絶えで、光合成で体力を回復しても、次の一撃に耐えられるかどうか……それすらも疑わしい。 もちろん、残った体力を過信するわけにはいかないけれど……今なら『新緑』が発動している。 成長で威力がアップした状態でハードプラントを発動すれば、倒せるか……? もし倒しきれなかったら、その時点でジ・エンドだ。 危険すぎる賭けに、安易に手を出すわけにはいかない。 慎重に……でも、できるだけ大胆で相手の予想していない手札(カード)を突きつける…… 普通に考えれば不可能に近いけれど、それをやらなきゃ勝ち目なんてない。 ハードプラントからラストプラントにつなげられれば、何とかならないこともない……か。 こうして迷ってる間にも、どんどん不利になる。 ジリ貧って、このことだ。 イチかバチかに賭けるか……いや、それともギリギリまで粘ってからにするか…… 自分でも嫌だって思うんだけど、どうしても考えるのを止められない。 ギリギリまで粘ろうと決めたけれど、その時にはすでに―― 状況は最悪のところまで転落していた。 「ぎしゅぅぅぅぅぅぅぅ……」 サンダーがそんな声を上げる。 金属が軋むような……声とは思えない、絶叫でもない……そんな声。 オレはハッとして振り仰いだ。 サンダーが鋭く尖った眼差しで睥睨する。 目いっぱい広げられた翼が、ただならぬ輝きをまとっている。 「電撃……ッ!!」 翼に蓄えられたのは、雷なんて生温く感じられるほどの量の電気だ。 雷……? いや、ボルテッカー以上の威力があるのは見ただけで分かる。 一体、どんな技を放ってくるつもりなんだ……? 「ふふ……サンダーは本気になりました。キミたちに戦い甲斐を感じてしまったようです」 白百合が笑う。 笑いながらでも他人に死を与えることができるような、そんな残酷ささえ秘められていたように思える。 サンダーが本気になった……? ダメージだってほとんど受けてないってのに……いくらなんでも怒るの早すぎ!! オレは胸のうちでサンダーに文句をぶつけるしかなかった。 何をするつもりなのかは知らないが、あんなの食らったらいくらラッシーでもマジでヤバイって!! 避けることなんて論外だ。 食らったら確実に負ける。 かといって、今さら攻撃を止めさせることもできない。 マジで絶望的な状況だった。 サンダーという名の死神が舞い降りてきたような……その背に闇を背負っているような威圧感。 本当に為す術がないのか……? 残された時間で起死回生の策を捜すけど、焦れば焦るほど、練り上げた作戦が指の隙間からこぼれ落ちて消えていく。 「サンダーの最強の技……雷も、電磁砲も、ボルテッカーも、この技には遠く及びません」 一体、どんな技なんだ……? オレはごくりと唾を飲み下した。 伝説のポケモンが使う、最強の電気技……そうそう見る機会など、ありはしないだろう。 「サンダー、行きなさい。必殺のライジングボルト!!」 白百合がラッシーを指差し叫ぶ。 手を出さないと言った割には、何気に介入してきてるじゃないか!! この分だと、オレが勝っても、約束が守られる公算は小さいだろう。 サンダーが翼に蓄えた電撃を解き放つ!! ばっ!! 神々しい光を帯びた翼を大きく羽ばたくと、膨大な電気の奔流が巨大な球となって、ラッシーに降ってきた!! ライジングボルト……!! これがサンダーの切り札……!! 「ラッシー、耐え……」 耐えて欲しい一心で声をかけようとした瞬間。 ずどぉぉぉぉぉんっ!! 壮絶な一撃が、ラッシーの姿をかき消した!! 「ああっ!!」 背後でアカツキが悲鳴を上げる。 まるで、オレの気持ちを代弁してくれてるかのようだ…… 周囲に電撃が飛び散り、草を焼き払っていく。 あまりに強大な一撃に、オレは何をする気力も湧いてこなかった。 こんなの食らったら……こっちのポケモンが誰だって関係ない。 絶対に倒される。 仮に地面タイプのポケモンだとしても……タイプの防御すら貫いてしまうだろう。 それだけの威力と迫力を持っていた。 少しずつ、電撃の球が小さくなっていく。 余韻が棚引き―― 一瞬が永遠に引き延ばされたような感覚を覚えながらも、その時はやってきた。 電撃の球が消えたあとには、身体のあちこちを焦がしたラッシーがぐったりしていた。 「ラッシー……ラッシー!!」 強烈な電撃は熱を帯びて、身体を灼く。電気によるヤケドだってある。 たぶん、今の状態がそれだ。 「ラッシー、しっかりしろ!!」 オレはラッシーに声をかけ続けた。 頼む、耐えてくれと、信じてもいない神様に縋りたくもなってきた。 神の鎚を思わせる攻撃を繰り出しても、サンダーに疲労の色はない。 この程度の攻撃ならいつでも出せると言わんばかりの表情だ。 冗談じゃないぞ…… こんな技をぽんぽん使ってくるようなポケモンを相手にするのは、金輪際お断りだっての!! ラッシーは動かない。 今の一撃を食らって、完全に意識をなくしてしまっているのかもしれない。 足元が崩れていくような音が遠くから聞こえた。 幻聴だったかもしれない。 でも、現実の音と幻聴とを区別するだけの余裕なんてあるはずもなかった。 「勝負、ありましたね……」 白百合が口の端を吊り上げる。 「伝説のポケモンに敵はなし……サトシさん、分かりましたか? いくらあなたでも、サンダーたちを相手に勝利することは不可能です」 言われるまでもなく分かることだ。 サンダーたちに勝つことなんて…… 「…………ッ!!」 オレは爪が深く食い込むほどに拳を握りしめた。 もうダメだ…… オレたちは、この時代で生きていくしかないのか……? 身体から力が抜け、オレはその場に崩れ落ちた。 どう考えたって……勝ち目なんて……!! もはや、ラッシーは戦える状態じゃない。 敗北は決定的。 すべて、白百合の計画通りに事が進んでいる。 緻密に計算されつくしたタクティクスの前には、オレたちがいくら足掻こうが、無駄だってことなのか。 足掻くことさえ、想定の範囲内として進めていたとしたら……どう転んだって勝ち目なんてない。 ナミ…… 「ごめん、ナミ……もう、戻れない……」 ナミに会いたいという気持ちが湧き上がってきた。 あいつのマヌケさにはほとほと呆れ果ててるけれど……あいつの底抜けた明るさは、いつでもオレを勇気付けてくれていた。 今さらになってそんなことを思っても、もう遅いのかもしれないけど…… 「親父、じいちゃん……母さん……」 勝ち目なんてゼロだ。 親しい人ともう二度と会えないのだと分かって、涙があふれた。 こうなった以上、この時代で生きていくしか…… きつく目を閉じて、足掻きに幕を下ろそうと思ってモンスターボールを手に取った時だった。 「アカツキ、あきらめるな!! ラッシーはまだ戦える!! トレーナーが先にあきらめるな!!」 「……っ!!」 背後から突き刺すように聞こえたサトシの声に、オレは目を開けた。 「なっ……そんなことが……!! ライジングボルトに耐え切った……そんな、ありえない……!!」 視界に飛び込んできたのは、信じられないものを目にしたような、驚愕に表情を引きつらせる白百合と…… 足元を震わせながら立ち上がったラッシー。 あの攻撃に耐えたっていうのか……まさか……!! 信じられない気持ちを抱いていたのはオレも同じだった。 でも……まだ終わりじゃない!! 絶望で塗り固められた心に、光明が差す。 まだ……まだ終わってない!! トレーナーが先にあきらめちゃいけないんだ。 オレが先にあきらめたら……ラッシーはまだ戦えると思っていても、戦う努力を放棄してしまうだろう。 トレーナーが先にあきらめちゃいけない!! サトシの言葉は、くすぶっていたオレの闘志を、ファイヤーの炎のように高らかに燃え上がらせてくれた。 だけど、本当にあの一撃に耐えるなんて……ラッシーは『堪える』を覚えてない。 普通に考えれば耐えられるはずがないんだろうけど、ラッシーは気力を振り絞って、耐えてくれたんだ。 今は、細かいことは抜きにしよう。 やるべきことは…… 「ラッシー!!」 オレはありったけの声を振り絞って叫んだ。 「ラストプラント!!」 今なら倒せる!! 根拠なんてない。 でも、なんとなく確信が広がっていくんだ。 「サンダー、避け――!!」 とんでもない一撃が来ると理解したんだろう。 白百合が叫ぶ。 同時に、ラッシーが蔓の鞭を地面に潜り込ませ―― どんどんどんっ!! 次々と地面から巨木の幹が突き出して、サンダーの周囲をぐるりと取り囲んだ。 まるで、巨木の中に閉じこめられたような印象を受ける。 「……っ!!」 白百合が呆然とする。 こんな隠し技を持っているとは思わなかったらしい。でも、これで終わりじゃない……ラストプラントはこれからが本番さ!! 巨木の幹から、人間の腕ほどの太さの枝が生え、さらに小枝が、青々とした葉が生える。 逃げ場を失ったサンダーは瞬く間に無数の枝に翼を貫かれ、身悶える!! そこへ、葉っぱが意思あるもののように襲い掛かり、その身体を切り裂いていく!! タイプの相性なんてそこにはなかった。 伝説のポケモンにすら、これほどのダメージを与えられるんだって、オレ自身が驚いたほどだ。 「……っ、戻りなさいサンダー!!」 これ以上戦わせるのは無理と判断し、白百合が巨木の隙間からモンスターボールの捕獲光線を発射し、傷付いたサンダーを引き戻した。 「……勝負あり……だな」 決着がつき、サトシが安堵の声を漏らした瞬間、サンダーを貫いた巨木が砂のように崩れ、葉っぱは跡形もなく消える。 ラッシーの力が限界に達して、維持することができなくなったんだ。 蔓の鞭を地面から引き抜き、ラッシーはその場に倒れ込んだ。 「ラッシー!!」 オレは一目散に駆け寄った。 「ラッシー、しっかりするんだ!!」 眼前で屈み込み、その頬を軽く叩く。 全身傷だらけだった。 ホウエンリーグやカントーリーグで戦った時とは比べ物にならないほどのダメージを受けながらも、 それでもあきらめず、戦い抜いてくれた……先にあきらめてしまったオレを励ましてくれた。 今以上に、ラッシーを誇りに思ったことはなかったよ。 「ありがとう……本当に、ありがとう……」 オレはラッシーと頬を合わせた。 オレの温もりを感じ取ってか、うっすらとラッシーが目を開けて、小さく笑った。 「バーナーっ……」 大丈夫…… そう言ってるように聴こえた。 戦えないほどのダメージは受けたけれど、命にかかわるほどのケガではないようだ。 「ゆっくり休んでてくれ、ラッシー。あとはオレたちに任せて……」 安心したような表情を見せたラッシーを、モンスターボールに戻す。 ありがとう……本当に…… オレはラッシーのボールを胸に抱いた。 これで…… 元の時代に戻れる。 ナミに、じいちゃんに、親父に……いつもどおりの生活に戻れるんだ。 言葉で語りつくせないほどの喜びを噛みしめていると、肩に手を置かれた。 「まだ終わっちゃいない。セレビィはまだ、あいつの手の中だ」 「…………」 振り返ると、真剣な眼差しを白百合に向けたサトシとアカツキが立っていた。 そうだ、まだ終わっちゃいない。 サンダーとの戦いには勝てたけれど、白百合にはまだフリーザーとファイヤーがいる。何かをやらかす可能性が高い。 バトルに介入してきたんだ、約束を反故にして戦いを挑んでくる可能性は棄てきれない。 自分と同じ立場にあるポケモンが倒されたという驚きを感じているのか、フリーザーもファイヤーも唖然とした表情をしていた。 それでもセレビィは逃げ出そうとしない。 二体の鳥ポケモンの強大な力を恐れる気持ちは、それほどに強いんだろう。 オレは白百合に視線を向けた。 彼女は、笑っていた。 「…………?」 伝説のポケモンまで投入して、負けて……それで、どうして笑えるんだ……? やっぱり、また何かをしでかしてくれるのかと警戒感を強め―― 「やはり、負けましたね……」 「どういうことだ?」 白百合が観念したように漏らすと、サトシがすかさず言葉で踏み込む。 やはり、って…… 負けることを知ってて、戦いを挑んできたというのか? いや、百戦錬磨の怪盗らしからぬ考えじゃないか。 オレがここで彼女の気持ちを推し測ろうと、それは推測の域を出ない。 彼女はいくらでも言葉で気持ちを塗り固めることができる。 知る術はない。 だけど…… 「ここに来る前、ある人に言われました。 その人は占い師をやっていらっしゃるのですが……負ける……と言われました。 正直、信じられなかったんですが……試してみたくなったんですよ」 「だったらなんで!?」 アカツキが憤る。 その気持ちはオレが一番分かるよ。 だって、勝ち目はないと言われて――仮にもその根拠のない言葉を信じたのに、どうしてこんなことをしたんだ。 伝説のポケモンまで使って、戦いを挑んでくるなんて…… 完璧な取捨選択が可能な強さがありながら、それを塗り潰すようなマネをする理由が分からない。 ほんの気まぐれで、なんて言ったら、本気で許さない。 怒気すら滲ませた瞳を向けるけれど、彼女は笑みを崩さなかった。 「セレビィが連れてきた少年……その強さを知りたかったからです」 「オレの強さ……!?」 「ええ、そうです」 ますます意味が分からない。 だいたい、オレの強さって何なんだ? 強みってことなのか? それとも別物? 考えるだけ分からない。 「伝説のポケモンすら打ち負かすほどの力……その強さはどこから来るのか……分かったような気がします。 だから、それだけで満足ですよ。セレビィは……キミに返します」 白百合は笑みを深め、振り返ってフリーザーとファイヤーに合図を送った。 二体の鳥ポケモンはセレビィから離れ、舞い上がった。 自由になれたと知ったセレビィが、全速力でオレの前まで飛んできた。 すかさずサトシとアカツキのカイリューがセレビィと白百合の間に立ちはだかる。 これ以上、手は出させないと言わんばかりだ。 彼女にはまだ二体の鳥ポケモンがいる。 油断させて、その隙に……と狡猾な考えをめぐらせていたとしても不思議じゃない。 「……オレの強さなんて、分からない。だけど……ありがとう」 強さと呼べるほどの何かがオレの中にあるのか。 それは分からない。 けれど……白百合はオレに、元の時代に戻れと言ってくれた。 言葉じゃなく、セレビィを放してくれたという行動で示してくれた。 今はもう、敵じゃない。 二度と戦うことのないライバルだ。 「セレビィ……大丈夫だったか? 手荒なこと、されなかったか?」 「びぃっ」 声をかけながら、頭を撫でてやると、セレビィは明るく頷いてくれた。 良かった…… フリーザーの冷凍ビームで凍らせられてたらどうしようかと思ってたんだ……でも、そんな心配は無用だった。 どこかの本で目にしたことがある。 怪盗というのは、誰も傷つけない。傷つけずに、標的を盗み出すプロなんだって。 今じゃ、そんなことは関係ないんだろうけど。 「さあ、キミはキミの時代に帰りなさい。キミを待ってくれている人がいるでしょう」 白百合が促す。サトシとアカツキの視線が向けられる。 別れの時が来たのだと、オレは悲しみを噛みしめていた。 To Be Continued...