転機編・2 -The Another Side- しばらくはポケモンとして生きていかなければならない。研究所の中で過ごすのは安全だけど退屈で仕方ない。 思考は人間のままだから、その気になれば本を読んだりすることはできるだろうけど、それじゃあケンジに怪しまれてしまう。 ポケモンとして生きるのなら、ポケモンの社会(?)に溶け込むのがもっとも自然な過ごし方だろう。 とはいえ、オレたちは何も知らない。 ポケモンたちのルールと言うか、そういうものがあるかもしれないし。 知らず知らずにそのルールを破って目の敵にされたのでは、たまったモンじゃない。 それに、ひょんなことから争いになってしまった場合、やられっぱなしというわけにもいかない。 やられっぱなしなんて嫌だから、じいちゃんにバトルを禁止されてもたぶん応戦しちゃう。 その拍子で進化して元に戻れなくなれました、じゃマジでシャレにもならない。 そうならないように、まずはラッシーにオレたちの状況を伝えるべきだと、オレはナミに説明した。 ラッシーは研究所のポケモンを統括するボスのような存在だ。 いつの間にか、そんな風になってた。 森林の王者の貫禄と威厳が、みんなの尊敬を集めてるんだ。 だから、ラッシーに話を通しておけば、余計な揉め事には巻き込まれずに済むんじゃないかと考えたんだ。 まあ、すぐに信じてもらえるかは分からないけど、打てる手は、可能な限り早急に、迅速に打っておく必要がある。 快適なポケモンライフを送るためにも、今できることは今のうちにやっておきたい。 青々とした草を踏みしめながら、ラッシーが根城にしている湖の向こうの森へと向かう。 話はオレが通すから、余計な茶々は入れないようにと、ナミに釘を刺しておく。 話すってことよりも、むしろその前段の準備を整えておくほうが大変かもしれない。 何事も、段取り八分とは良く言うし。 でも…… 「カーっ……カーっ……」 まさかポケモンになるなんてなあ…… みんなが知ったら、仰天するだろう。 ラズリーやリッピー、ルースはともかく……レイヴやロッキーなんかは、これ幸いとオレをからかってきそうな気がするぞ。 しょうがないんだろうけど、上手くやって行くためだ、泣き言なんて並べてはいられない。 二人して手を繋いで仲良く歩きながら、会話を交わす。 「ゼニ、ゼニゼニガーッ(こういうのも、楽しいよね)?」 「カーっ(そうか)……?」 あんまり楽しいとは思わないんだけど……なにせ、問題は山積してるし、じいちゃんたちは努力してくれてるし。 ナミは何も考えずに流れに身を任せてればいいわけで…… 両方の橋渡し役で、板ばさみになってるのはオレか。何気に辛い立場だな。 でも、しょうがない。 ポケモンの身体になるなんて、経験しようと思って経験できることじゃない。 ここは素直に楽しむとするか……余計な考えなんて捨てて。 「カーっ……カーカゲーカゲーっ(でも、楽しむしかないよな)」 「ゼニィ〜(そうそう)!!」 単にオレとポケモンライフを快適に過ごしたいだけじゃないかとさえ思えてくる。 たぶん、そうなんだろうけど。 途中でミルタンクが集団でノンビリ過ごしてる一角を通り過ぎる。 元々穏やかな性格のポケモンたちだ、オレたちが通りかかったところで、いきなり襲い掛かってきたりはしない。 草を食んでたり、ノンビリ休んでたり、相撲みたいなことをしてたり……それぞれの過ごし方をしている。 「…………」 ポケモンの視点で立ってみて、ミルタンクたちの営みがこんなに新鮮だなんて思いもしなかった。 人間として見たポケモンはポケモンで、オレたちとは違うんだって、どこかでそう思い知らされる部分がある。 たとえば生命力。10万ボルトや火炎放射を受けても、ダメージこそ受けても命に別状があるほどの深刻な状態にはならない。 人間ならショック死するか、焼死するか……どっちかになっておかしくない状況なんだよ、ポケモンバトルって。 でも、同じ『ポケモン』として営みを目の当たりにして、やっぱり人間と『同じ』なんだって思ったよ。 だってさ、何かを食べたり、休んだり、遊んだり…… ミルタンクがつぶやく声が耳に入る。 どのミルタンクかは分からないけど、他愛ない話をしてる。 ほら、こうして世間話したり、やってることは人間とそんなに変わらない。 ポケモンの言葉を理解できるようになったからこその考え方だろう。 人間としてミルタンクの生活を見ては、絶対にたどり着けない考え方。 それがとても新鮮で、心洗われる光景だった。 たぶん……いや、一生忘れないと思う。 「カーっ、カーっ(なあ、ナミ)」 「ゼニ(なあに)?」 オレは今思ったことを素直にナミに話した。 「カーっ、カゲカゲカーっ、カー、カーカゲーカー(あのミルタンクたち、オレたちと同じだよな)?」 「ゼニぃ〜(うん、そうだね)」 もしかしたら……と思う。 ナミも同じことを考えてたんだろうか。 陽気で姦しいのは今に始まったことじゃない。 そうやって振る舞ってる間にも、周囲の空気を感じ取って、いろいろと考えをめぐらせてたりとか…… あんまり現実味はないけど、もしかしたらそうなのかもしれない。 ミルタンクたちの脇を通り抜け、湖に差し掛かる。 水辺では、ウパーやマリルといった水タイプのポケモンたちがたむろして、なにやら楽しそうにしていた。 競争するように湖を泳いでいたり、ラッコのようにただプカプカ浮かんでいたり。 「ゼニィ〜(やっほ〜)!!」 なんて自然の営みに半ば感動さえ抱いていると、ナミが大きな声と共に、湖に飛び込んだ。 ヲイ、いきなり飛び込むか…… 派手な水音と飛沫が立ち、オレの身体に水がかかる。 普通ならちょっと冷たいだけだと感じるはずなのに、炎タイプの身体だけあって、水が苦手なようにできているらしく…… 「カゲッ(痛ぇ)……!!」 水が身体に触れた瞬間、オレは針で突かれるような痛みを覚えて、その場にうずくまった。 こ、こういう時にまでポケモンとしての性質が働くなんて…… 痛みは一瞬で、すぐに消え失せた。 でも、その痛みはホンモノだったんだ。本当に針で突かれるような……そんな痛みだった。 これはマジで気をつけなければならない。 万が一ナミの水鉄砲など食らったら、比べ物にならない激痛になるだろう。 上がってきたら、ちゃんと説明しとかないと…… 説明しないまま食らったんじゃ、オレの過失割合が大きくなっちまう。 オレは水を払って立ち上がった。 改めて水面に目をやると…… 「…………」 とんでもないことになっていた。 ナミが持ち前の陽気さを前面に打ち出す格好で、他のポケモンにちょっかいを出し始めたんだ。 気ままに泳いでいるウパーの群れに混じってはしゃぎ出したかと思えば、ただ静かに浮かんでいるマリルのシッポをつかんでみたり。 当然、悠々自適の時間を邪魔されたウパーとマリルたちの……そして平穏を乱された他の水ポケモンたちの怒りは激しい。 「ゼニ?」 気づいた時には、ナミの周囲をぐるりと水ポケモンたちが取り囲んでいた。 一様に怒りの表情と敵意すら浮かべて。 ナミのヤツ……やっちまったな。 オレはポケモンたちの底知れぬ迫力に気圧されて何も言えなかったけど、心の中で思った。 これが、ポケモンたちの『ルール』なんだ。 水辺や湖の中では、静かに過ごすこと。 ウパーたちは泳いでいたけど、水音はほとんど立てていなかった。 それに引き換え、ナミはバシャバシャと水音を立て、鳴き声は上げ、静かな環境をあっという間にぶち壊しにした。 ……で、ナミが気づいた時には遅かった。 ルールを守らなかった馬鹿者を追い出そうと、水ポケモンたちが一致団結してしまったんだ。 まずいぞ、これは…… いくらなんでも、ナミがポケモンの『痛み』に耐えられるはずがない。 いくら水タイプの防御があっても、痛いものは痛いんだから。 「ゼニ、ゼニガ〜っ(みんなどうしたの)?」 この期に及んで自覚ゼロのセリフを吐く。 少しは気まずそうな顔をしてるけど、だからといってみんなが許してくれるはずもなく…… 「リル〜ッ!!」 「ウパ〜ッ!!」 マリルが、ウパーが、タッツーが。 次々と水鉄砲を放ち、ナミを攻撃し始めた!! 「ゼニ〜っ(きゃーっ)!!」 ナミは水鉄砲をまともに受け、悲鳴を上げて逃げまどった。 いくら逃げても、水鉄砲の追撃は止まらない。 「カゲ、カゲーッ(ナミ、上がれ)!!」 オレは水鉄砲がナミに当たって弾ける音に負けないくらい声を張り上げた。 少なくとも、岸に上がれば逃げられる。 オレの言葉を受けて、ナミが岸目がけて泳ぎ出す。 さすがはゼニガメといった軽いフットワークで、水鉄砲を掻い潜りながら泳ぐ。 あっという間に岸辺にたどり着き、その勢いのままジャンプ!! 着地して、湖に背を向けて逃げ出す。 さすがに水鉄砲の洗礼を受けては、陽気さなんて保ち続けられるはずがない。 とりあえず、陸に上がっちまえばなんとかなるだろう。 なんて思って視線を湖に戻すと…… げ…… 水ポケモンたちの敵意が、ナミからオレに向けられているではないか。 はっ……!! ナミに「逃げろ」という意味の言葉をかけてしまったから、同罪と見なされてしまったんだ。 これはマジでヤバイ!! ナミは水タイプの防御で、水鉄砲を受けてもそんなに痛くはなかったんだろうけど……オレはマジで炎タイプ。 水鉄砲を集団で食らったらマジでヤバイっての!! オレはポケモンたちから視線を外さないように、じりじりと少しずつ後退した。 「ゼニィ〜っ(こわいよ〜)……」 ナミの今にも消えそうな声がして、背中が何かにぶつかった。 振り返らなくても、オレにしがみつく腕から正体が知れる。ナミだ。 こんな時に足を引っ張るのか……いや、腕を引っ張ってる。 でも、どっちにしたって同じだ。これ以上後ろには逃げられなくなった。 そうこうしているうちにも、水ポケモンたちが岸辺にずらりと集結した。 その数、優に数十体。 ウパーやマリルは陸上でも行動できるけど、足が遅い。 ヒトカゲの方がスピードは上だし、このまま逃げちまった方がいいのは間違いない。 頭の中で、危険信号がひっきりなしに鳴っている。 危険だと、警鐘を乱打している。 オレに責任がないのは間違いないけど、オレもナミも一括りに認識されてる以上、考えたところで詮無い問題ではあるんだけれど…… いっそナミのせいにして、いけにえの羊みたく差し出してトンズラこくっていう手もあるんだけど、さすがにそれをするわけにはいかない。 かといって、逃げるにも…… 何の恨みがあるのか、ナミがオレの邪魔をしているうちに、水ポケモンたちが周囲をぐるりと取り囲んでしまった。 やべっ、逃げるに逃げられねえ。 これはどうにかしないと……!! 頭は人間のままだ。 考えれば何とかならないことも…… なさそうだ。 今回ばかりはマジで分が悪い。 せめて、オレがフシギダネやチコリータになれてたら、話は変わってたのかもしれないけど…… あぁ、なんでヒトカゲなんだ。 この身体が無性に恨めしい。 集団で水鉄砲なんぞ食らったら、マジで死ぬかもしんない。 死なないのは分かってるんだけど、とてもいい気分はしない。 せめて、ナミが貯水の特性を持っててくれたら……なんてないモノねだりしてもしょうがないか。 「ゼニぃ(どうしよう)……」 今さら何怯えた声上げてんだ。 その原因を作ったのは誰なんだと、水ポケモンたちの敵意さえなければ、ナミに説教垂れてるところだ。 ここはとりあえず……謝ろう。 そう思って、オレは口を開いた。 「カゲ〜っ、カーカー、カゲ〜っ(ごめん、本当にごめんなさい)!!」 声を張り上げ、頭も下げた。 敵意はずいぶんと薄らいだように感じられたけど、それでもまだ一部のポケモンたちは敵意を燃やしている。 素直に謝ってもらえればいいっていう一団と、その程度では絶対に許さないと思っている一団がいるのが分かる。 悪いのはこっちだ。 謝るのは当然なんだけど…… 「カーっ、カゲカゲーっ(ナミ、おまえも謝れ)!!」 オレはナミの手を取って、引きずり出した。 原因を作ったのはナミだ。 オレが謝るのはもちろんだけど、ナミが謝らないことには、怒っている一団の気持ちを鎮めることはできないだろう。 「ぜ……ゼニィ(ごめんなさい)……」 ようやくナミにもこのヤバイ状況が分かったらしく、ペコリと頭を下げて素直に謝った。 おかげで、ほとんどのポケモンから敵意が消えた。 「リル〜、リルリルル〜(これに懲りたら、二度と暴れないでね)」 最前列のマリルが念を押すように強い口調で言うと、ほとんどのポケモンがそのマリルに従う形で湖に戻っていった。 で…… 残ったのは三体のマリルと、ウパーたちのボスと思われるヌオー。 あとは……ひたすら謝り倒すしかない。 そう思ってオレは口を開きかけ―― そこへ、マリルたちが水鉄砲を放つ!! なっ……!! 突然のことに思考が麻痺し、身体が一瞬強張って動かなくなる。 ヤバイ、逃げなきゃ!! そう思った時には、途中で合わさって大きくなった水鉄砲がオレを直撃した!! 「カゲーーーーーーーーーーーーッ(うわぁぁぁぁ)!!」 あまりの痛みに上げた悲鳴すら、水鉄砲が炸裂する激しい音にかき消された。 オレとナミは一緒くたになって十メートル以上吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。 草がクッションになってくれたおかげで、叩きつけられた痛みはほとんど感じない。 むしろ、水鉄砲で受けた痛みの方が圧倒的に大きい。 「カ……カゲーっ(う、ううっ)……」 針でちょくちょく突かれるような痛みじゃない。 オレは激痛に喘ぎ、身体を捩った。 棒でめった打ちにされるのと、身体中に針を突きたてられたような痛みがごっちゃになって、身体中を襲う。 炎タイプの身体だけに、ダメージはマジで大きい。 あまりの痛みに体力がゴッソリ奪われ、オレはそれ以上動くことができなかった。 顔を上げれば、ざまあみろと言わんばかりの表情を浮かべたマリルたちがオレを見ている。 ちくしょう…… なんでこんなことに…… 百歩譲らなくてもナミに原因があるのは分かるんだけど。 だからって、何もここまでしなくても……これじゃあ、完全に腹癒せ…… 「ゼニィ(アカツキ)!! ゼニゼニぃ(大丈夫)!?」 ナミが悲鳴まじりの声を上げてオレの身体を揺さぶるけど、大丈夫なワケがない。 「…………」 オレはトレーナーとして、数々のバトルを経験してきた。 なんでだろう…… 思うように身体が動かないせいか、意識までどこかに吹っ飛んでいきそうだ。 気がつけば、人間だった頃のことを思い返していたよ。 オレはトレーナーとして、ポケモンを戦わせていた。身体はポケモンが、頭はオレが。それぞれの担当分野で戦っていた。 けれど…… ポケモンになってみて、水鉄砲を食らってみて初めて。 オレはポケモンたちがバトルで味わっている痛みに気づいた。 一撃も食らわずに楽勝だったバトルもある。 けれど、そうじゃないバトルの方が圧倒的に多い。 ジム戦やカントーリーグ、ホウエンリーグの時は、首の皮一枚の勝ち星を拾ってきた。負けてもおかしくなかった。 その時ばかりは、みんなも戦闘不能寸前のダメージを受けることが多かった。 たとえば……今のオレのような。 身体が思うように動かない。 水鉄砲を食らって、体温が下がっているのかもしれない。 寒いし、痛いし…… 立ち上がるだけの力も、残ってないのが分かるんだ。 みんな、バトルではいつもこんな辛い思いまでして、オレのために頑張ってくれてるんだ…… そう思うと、なんだか恥ずかしくなった。 痛みを感じてないのはオレだけだったんだなって、思い知らされる。 皮肉なモンだよ。 ポケモンの身体になって、こうしてポケモンの痛みに気づくなんて……あぁ、このまま元の身体に戻れないのかな…… 早く戻りたいって、心の中じゃ弱音が蔓延している。 なんか、嫌だな…… そう思うけど、止められない。 このまま眠ってしまったら、次に目が覚めた時、人間の姿に戻ってるだろうか……なんて思いつつ、目を閉じて…… 「ゼニィっ!!」 出し抜けにナミの声が聴こえ、混沌に埋没しそうになっていた意識が冴え渡る。 オレは目を見開いた。 視界に影が差す。 目の前に、ナミが仁王立ちをしていた。 ナミ、どうするつもりなんだ…… 怒っている…… ナミはとても怒っている。 後ろ姿から、憤怒のオーラが漂っているように感じられるのは、やはりポケモンになって感覚が鋭くなったからだろうか。 でも…… 「カーっ、カゲーっ(ナミ、よせ)……」 ナミが何をしようとしているのか、それは分かってる。 だから、オレは止めた。 ここでバトルなんかしたら、ナミだって……いくらなんでも、多勢に無勢だ。 コテンパンにやられるに決まってる。 でも、ナミは一歩も退かず、マリルたちを睨みつけている。 ただならぬ怒りに気づいてか、マリルたちが表情を強張らせ、じりじりと後退る。 触れてはならないものに触れた……ナミの怒りはマジでヤバイほど燃え上がっていたんだ。 「ゼニ、ゼニゼニガ〜ッ(あんたたち、よくもアカツキをやってくれたわね)!! ゼニィッ(覚悟しなさいよ)!!」 身体が満足に動かせないオレじゃ、止めようがない。 ナミはマリルたちを相手に戦いを挑む気だ。 バトルは止めろと、じいちゃんに言われてるのに……この様子じゃ、頭に血が昇って完全に忘れちまってる。 オレを傷つけたことに純粋に怒ってくれてるのはうれしい。 だけど、TPOを弁えて行動してもらわないと、本気で元の身体に戻れなくなっちまうかもしれない。 それだけは、オレとしても困る。 「ゼニィッ(行くよ)!!」 ナミが気勢を上げて、水鉄砲を放った!! 戦い方なんて知らないはずなのに、ナミはホンモノのゼニガメのような動きを見せて、マリルたちと戦い始めた!! 水鉄砲を次々と放ち、唖然としているマリルたちを容易くなぎ倒す!! 中身が人間だとは思えないようなパワーに、マリルたちは防戦一方だ。 いつの間にやらヌオーはマリルたちを見捨てて逃げ出している。 薄情なヤツ…… そう思ったけど、無理もない。 ナミの怒りはハンパじゃない。 大事な従兄妹を傷つけられて、はいそうですかと黙ってニコニコしてられるようなヤツじゃないんだ。 あっという間にマリルたちが地に伏せた。 その直後だった。 ずがーんっ!! 耳元で凄まじい音がしたかと思えば、すぐ傍にヌオーが現れた!! 逃げたと思わせて、穴を掘って攻撃の機会を窺ってたのか!! ナミの背後に現れたヌオーは、腕を大きく振りかぶった。 「カーッ(ナミ、逃げろ)!!」 いくらなんでも近すぎる。 ナミが慌てて振り返る。その視界いっぱいに、ヌオーが映りこむ!! 突然のことに、頂点に達していた怒りが一瞬で消える。 ヤバイ……!! ヌオーは動きが遅いけど、物理攻撃のパワーはかなりのものなんだ。 ゼニガメがまともに相手して勝てるヤツじゃない!! 「カゲーッ……!!」 オレは思うように動かない身体に鞭打って、声を上げた。 そうすることで力を込めて、無防備なヌオーのシッポに噛みつく!! ぬるぬるした感触が牙と口の中に伝わり、同時にヌメヌメした粘液が口の中に広がっていく。 甘い香りとは裏腹に、かなり苦い。 不意を突かれたヌオーは、ナミに振り下ろそうとしていた腕を止めた。 ほとんど戦闘不能寸前のヒトカゲにやられるなんて、予想もしていなかったんだろう。 だけど、次の瞬間―― ナミに振り下ろされるはずの腕が、オレの頭に振り下ろされた!! 「カーッ……ァッ(う、ぐぅぅ……)」 脳震盪を起こすんじゃないかという鈍い衝撃に、オレは地に伏せた。 痛い…… みんなの痛みに比べれば、いかほどのこともないんだろうけど……ついさっきまで人間だったオレには、過ぎた痛みだった。 痛いけど…… ナミにこの痛みを与えるようなことは、絶対に許さない。 ナミの分までオレがボコボコにされる方が、よっぽどマシだ。 「カーッ、カーッ(ナミに、手を出すな)……!!」 オレは顔を上げ、ヌオーを睨みつけた。 生意気なヤツ…… ヌオーの表情がゆがむ。 かと思えば、ヌオーの大きな足が、オレを何度も何度も踏みつけてきた!! 骨が砕けてしまいそうな激痛に、オレは歯を食いしばって耐えるしかなかった。 身体が動かない状態じゃ、回避なんてとても無理。 ヌオーがオレに構ってる間にも、ナミがヌオーを背後から攻撃してるけど、ヌオーは痛くも痒くもなさそうだ。 ダメだ…… やっぱり、実力差が大きすぎる。 次第に痛みが薄れていく。 強烈な痛みは、身体で感じられなくなることがあるって、聞いたことがある。 たとえるなら、人間の耳は、一定の範囲の波長の音しか聞き取れない。 それ以上、あるいはそれ以下の波長は拾えないんだけど、それと似た状態なんだ。 あまりの痛みに、神経が耐えられなくなって、あたかも痛みがないモノであるかのように受け取ってしまう。 ナミ…… 今のうちに、早く逃げろ。 伝えたいのに、口が動かない。 こんな時に…… オレは別にどうなってもいい。 せめて、ナミだけは…… 意識が薄れていく。 視界も、少しずつ暗くなって…… どうなってもいいやと、投げやりになった時だった。 ――ァァァァァジッ!! 強烈な咆哮が周囲に轟く!! 火山の噴火すら思わせる咆哮に、一瞬で意識が戻る。 同時に、ヌオーも攻撃の手を止めた。 見上げれば、ヌオーの瞳は湖の向こう側へと向けられていた。 何があるのかは分からないけど……どうでもいい。 今のうちに、ナミが逃げてくれれば。 でも、ナミはヌオーに攻撃することなく、同じ方向を見つめている。 その瞳はキラキラ輝いて、表情もどこか明るく見える。 ついにオレもおかしくなったんだろうか…… ナミがこんな時に明るい表情するなんて…… ――と。 ヌオーがオレたちに背を向け、湖へと戻っていく。 「けっ、見つかっちまったか。止めだ止めだ……」 やる気を削がれた暴走族のような捨て台詞を残し。 ヌオーが去り、ナミがオレの前にやってきた。 「ゼニィ……ゼニゼニィ(アカツキ、アカツキ)!! ゼニガーッ(ごめんね)……?」 ナミが悲痛そうな眼差しでオレを見つめてくる。 自分のせいでこんなことになってしまったと、素直に反省しているんだ。 それが分かれば、十分だ。 痛いけど、このままゆっくり寝てれば、いずれ痛みも引いて、体力も回復するだろう。 「カーッ(だったら)……カゲーっ(次は気をつけろよ)……」 同じ過ちを繰り返さないでいてくれれば、それでいい。 しばらく休むことにしよう…… ポケモンの身体は人間の何十倍も頑丈なんだ。何度も踏みつけられたり水鉄砲を食らったところで、生命の危険はない。 思いのほか、草のクッションは居心地が良くて、あっという間に眠りに引き込まれそうになるけど、 身体に叩きつけるような気配を横に感じて、意識がパッチリと冴えてしまった。 「ゼニ(あっ)……」 ナミが声を上げる。 すぐ傍に誰かがいる。 それは分かるけれど、身体を動かせないせいで、振り向くこともできない。目を動かすだけじゃ、足一本視界に入ってこない。 「ゼニ〜、ゼニゼニガーッ(ヌオーたちを追い払ってくれた人……じゃなかった、ポケモンだよ)」 オレが気配の主を見ることができないと知って、ナミが言葉で教えてくれた。 ヌオーたちを追い払ってくれたポケモンか…… とはいえ、完全な味方ってワケでもなさそうだな…… 「ゼニ〜(ほら)」 ナミはオレの身体をつかんで、向きを変えてくれた。 まさかナミにそんなことをされるなんて、夢にも思わなかったけど…… でも、おかげでオレは気配の主の顔を――ヌオーを追い払ってくれた恩人の顔を拝むことができた。 クサイハナだろうとベトベトンだろうと、絶対に友達になってやる。 そう思って目を見開くと…… 「…………!!」 「ラージ(大丈夫かい)……?」 レキがいた。 じいちゃんの研究所にラグラージは一体しかいない。 オレのポケモン……レキだけだ。でも、まさかレキに助けられるなんて。 どこからかオレたちがやられてる気配を嗅ぎつけて、助けに入ってくれたんだろう。 「カ、カゲーっ(あ、ありがとう)……」 オレは小さく礼を言った。 思うように声が出ない。 ヌオーに踏みつけられて、声が大きく出せないくらいダメージを受けてしまったらしい。 少しずつ痛みが薄れていくけれど、骨に刻まれたように時々ぶり返しては疼く。 ヒトカゲの視線に立って、そこで初めて見たレキは、とても大きくて迫力があった。 人間の……十三歳の視点から見たレキは、オレよりも少し背が高い程度の認識だったんだけど、 身長が元の三分の一以下になっては、ちょっとした小山のようにすら見えてくる。 「ラグラージ……ラージ……」 レキはオレに声をかけ、そっと抱き上げてくれた。 まるで、母親に抱き上げられる赤ん坊みたいな感じだ。 レキは水タイプのポケモンだけど、手はとても暖かかった。 「ラージ(手ひどくやられたね)……」 「ゼニぃ……ゼニゼニィ(それは、あたしのせいなの)……」 「ラージ(経緯はだいたい分かってる)……」 レキとオレの目が合った。 最終進化形で、バトルでの実力はラッシーやルースに負けないだけのものがあるけれど、レキの顔も手も目も、すべてが優しかった。 人間だった頃には、まるで感じたことのない気持ちだ。 「ラージ、ラグ、ラグラグラー……ラージ。 (あのマリルたちもやりすぎだと思うけど、ルールを守らなかったキミたちも悪いんだよ。 これに懲りたら、ああいう場所じゃ騒がしくしないようにね)……」 「カゲ〜っ(うん)……」 「ラージ(よし)……ラージ、ラグラージ(ゼニガメ、ついといで)……」 オレが小さく頷いたことに満足してか、レキは微笑むとナミに背を向けて歩き出した。 どこかへ連れてってくれるんだろうか……? 研究所に逆戻りなんてことはないんだろうけど……でも、レキが一緒なら、どこだって大丈夫だろうと、オレは安心できた。 レキは誰から頼まれたわけでもないのに、研究所の敷地のパトロールをしてくれてるんだ。 身体が大きくて強いこともあって、あっという間にポケモンたちの信頼を獲得し、ラッシーとレキの二大怪獣のおかげで、 敷地内ではケンカや騒ぎはほとんど起きていない。 これは助かると、じいちゃんも安心してポケモンのチェックや研究ができるとホクホク顔だ。 オレはゆっくりと首を動かして、移りゆく景色をぼんやりと眺めていた。 水の苦手なオレを抱きかかえてることを考慮してか、レキは湖を迂回するようにゆっくりと歩いている。 いつもどおりの平穏を取り戻した湖では、ウパーたちが泳ぎ、マリルたちがフワフワ浮いていた。 さっきまでの騒々しさは微塵もない。 でも、まあ…… いつもどおりに戻ってくれれば、それで十分だ。 痛い思いはしたけれど、ナミが無事なら、とりあえずはそれでいい。 「…………」 オレは景色に目をやりながら、考えをめぐらせていた。 ここで、レキに説明すべきかどうか。 オレがアカツキだってこと、ゼニガメがナミだってこと、変な薬のせいで身体がポケモンになってしまったこと。 レキなら信じてくれるかも……と期待できる。 反面、今のところオレたちに同情的な態度を示してくれてるレキの態度が変わってしまうんじゃないかっていう不安もある。 期待と不安が綱引きで競り合ってるけど、決着はつきそうにない。 やっぱり…… 最初にラッシーに言おう。 ラッシーが理解してくれれば、他のポケモンも理解してくれる。なにせ、ラッシーはボスなんだから。 オレは首を動かして、レキの顔を見上げた。 オレの視線に気がついて、レキが時折ニコリと微笑みながらオレを見てくれた。 ごめんな、レキ…… オレは胸中でレキに謝った。 だってさ…… レキは、壊れ物のように大事に抱えてるヒトカゲがオレだなんて知りもしないんだ。 まるで、騙しているような気がして。 罪悪感が沸々と湧き上がってくるけれど、やっぱり最初に話すべきなのはラッシーだ。 言い出せないまま、レキはオレたちを湖の向こう側にある森へと連れていってくれた。 どういう形であれ、ちゃんと目的地にたどり着けてよかった。 風に揺れる木の葉の合間から降り注ぐ木漏れ日が暖かくて、水鉄砲で失った体温が少しずつ戻っていくのを感じるよ。 レキは森に差し掛かっても足を止めず、歩き続ける。 まさかと思うけど、ラッシーの元へ……? だとしたら、渡りに船だ。ありがたい。 歩みを進めるレキの前に、気配が現れた。 一体誰だろう……? 首を動かして振り向くより先に、レキが気配の主を言葉を交わして、オレは正体を悟った。 「バク……バクぅ(レキ、どうしたの、その子)?」 「ラージ、ラグラージ、ラージ、ラー(あのヌオーたちに手ひどくやられたんだよ)……」 「バクフーン……バクぅ(またあいつら)……? バクバクぅ〜(よく懲りないね)」 ルースだ。 レキとこうやって気軽に話せるバクフーンなんて、ルースしかいない。 この森が居心地いいせいか、ルースもここに住み着いてしまってるんだ。 とはいえ…… ルースが「またあいつら、よく懲りないね」なんて言うあたり、ラッシーたちも、あのヌオーたちにはホトホト手を焼いてるんだろう。 言わば札付きのワルみたいな感じで、湖のヌシでも気取ってるんだろうか…… だとしたら、ずいぶん嫌な相手にボコボコにされちまったな。 「ラージ……ラージ(ラッシーはどこ)?」 「バク、バクバク〜(もう少し先だよ)」 「ラージ(ありがと)……」 短い会話の後に、レキは再び歩き出した。 やっぱり、ラッシーのところに連れてってくれるんだ。 理由は分からないけど、オレたちにとってそれ以上にありがたいことはない。 人間に戻った暁には、以前よりもっともっと引き立ててやっちゃうぞ。 レキはそれから黙りこくってしまった。 それでも歩みを進めて、やがて一本の巨木の前にたどり着く。 巨木に寄り添うようにして、ラッシーがノンビリとくつろいでいた。 「バーナー……(レキ、どうかしたかい)?」 低い声で唸るように言葉をかけてくるラッシー。 レキの腕に抱かれたオレを、珍しそうな目で見ている。 そういう眼差しをラッシーから向けられるなんて思わなかったけど、仕方ない。 ちゃんと話をすれば、ラッシーなら分かってくれる…… 「ラージ……ラグラージ(この子たちを看てくれない)……?」 レキはオレをそっとラッシーの前に横たえた。 傍にナミがやってきて、縋るような目でラッシーを見上げている。 「…………」 ラッシーは「どうした?」と言わんばかりの表情を浮かべている。 オレは何も言わず、ラッシーを見上げるばかりだった。 やっぱり、ラッシーは大きかった。 レキと似たような体格の持ち主だから、すぐ傍にいるというだけで、その大きさに心を奪われてしまいそうだ。 あぁ、そうだ。 レキが遠ざかっていく足音に気づかないほど、オレはラッシーに心奪われていたんだ。 ガキの頃からずっと一緒にいてくれて、ラッシーはオレにとって大切な人と同じような存在になってる。 だから、かな……? いや、そうでなかったとしても、今のオレにとって、ラッシーは縋るべき相手なんだ。 そうじゃなきゃ、元に戻るまでの生活をエンジョイして過ごすことはできないだろう。 「バーナー……バナ、バーナー(大丈夫だから。眠りなさい)……」 ラッシーは蔓の鞭を伸ばし、オレの頭をそっと撫でてくれた。 いつもなら逆のことをするんだけど、今回ばかりは仕方ない。 オレはじっとラッシーを見上げた。 目と目が合う。 ラッシーは笑ってくれた。 その背中から、キラキラと光るものが舞い上がる。 眠り粉かと思ったけど、そうじゃなかった。 甘い香りを漂わせながら降り注いだ微細な粉は、その名のとおり『甘い香り』。 ポケモンバトルではその香りで相手の戦意を削ぎ、回避率を一時的に下げさせる効果を持つんだけど、 バトル以外では、相手の気持ちを安らげる効果から、催眠誘導剤みたいな役割を果たすことがあり、注目されている。 それに気づいた時には、目を閉じていた。 身体中の痛みがウソのように引いて、意識がすっと遠のく。 ラッシー、ありがとう…… オレは心の中でつぶやいて、眠りに堕ちた。 虫の音が、星の瞬く夜空に響く頃。 オーキド研究所ではちょっとした騒ぎが起きていた。 「戻ってないって、どういうこと!?」 「わ、分かりません!! 敷地の方に出て行ったというのは知っていますけど……」 モンスターボール保管庫と扉を一枚隔てた廊下で、ハルエとナナミがなにやら騒いでいる。 声を潜めているつもりのようだが、当然その声は廊下の隅々にまで響き、不審に思ったケンジがやってきた。 「あの……どうかしたんですか?」 ビクッ!! 声をかけられただけなのに、二人して今にも飛び上がらんばかりに身体を震わせた。 オイルの切れた機械のようなぎこちない動きで振り返る。 何事もありませんと言わんばかりにニコニコ笑顔を浮かべているが、口元を引きつらせている。 これはもう、何かありましたと宣言しているようなものだが…… 「…………」 ケンジはそれ以上何も言うことができなかった。 たぶん、いや間違いなく。 何か二人がコソコソ話して、何か隠しているんだろうなあ……とは思いながらも、それが何か、聞き質すだけの勇気はなかった。 女の企みほど難解で男泣かせなものはない。 「なんでもないわ」 「うん、なんでもないの」 「はあ……でも、こんなところで立ち話してたら、風邪引きますよ。今晩、とても冷えるそうですから」 「ありがとう。ハルエさん、これくらいにしておきましょうか」 「そうね、ナナミちゃん」 「おじいちゃんにはわたしの方からそれとなく聞いておきます。ですから、明日になったら電話でお知らせしますね」 「分かったわ。それじゃあ、そろそろ家に帰るわね。あの人が寂しがってるでしょうから」 半分棒読みの会話も、ケンジは気づかぬフリで通した。 目の前の二人は演技力に乏しく、子供が見ても、棒読みで平坦で、いかにも『それっぽい』のが分かるくらいだ。 しかし、生命が惜しいなら、そこには触れないことだ。 ケンジの胸中では、生存本能が警鐘を鳴らしまくっていた。 下手なところまで首を突っ込むと、後戻りできないような気がしたのだ。 嫌な予感ほど、本当に嫌なくらいよく当たる。 氷河期のごとき寒風が胸中で吹き抜けるケンジの様子を無視して、ハルエが歩き出す。 「……何かあるのは間違いないんだけど、僕が踏み込んじゃいけないんだろうな……」 わざとらしくスキップなどして廊下を行くハルエに振り返りながら、ケンジは思った。 何か隠し事を……いや、企んでいるのは間違いないのだが、それを確かめるだけの度胸はない。 ヘタレと呼ばれても仕方ないのかもしれないが、人間、本能が何よりも正確に働くのだ。 「あの……」 ケンジは恐る恐る、扉にもたれかかってため息を漏らしているナナミに声をかけた。 「なに?」 「僕が首を突っ込んじゃいけないことなんでしょうか」 「そうね……できれば、何も見なかったことにして欲しいわ」 「……分かりました。僕は何も見てない、何も聞いてない。本当に何も聞いてませんけど」 「そうしてちょうだい」 ケンジが何も聞いていないのは、ナナミも分かっている。 だが、万が一という嫌な可能性を捨てきれないのが、人間というものだ。 皮肉のスパイスをまぶした言葉を舌の上で転がしながら、ナナミはケンジに微笑みかけた。 「明日も早いんでしょう。ケンジ君、そろそろ休んだら?」 「はい。ナナミさんは?」 「わたしはもう少し起きているわ。調べたいことがあるの」 「そうですか……じゃあ、そろそろ僕も休みますね」 「ええ、おやすみなさい」 それとない言葉で何とかケンジを追い払えた。 遠ざかっていく背中に、ナナミは深々とため息を漏らした。 出来れば隠し事などしたくない。 そういうのが苦手な性分だと自覚があるからなおさらだ。 だが、こればかりは隠し通さなければならない。 従兄妹がポケモンになってしまったなど…… ケンジの背中が廊下の角を曲がって消えて、足音が聴こえなくなったのを確認してから、 ナナミはそっとモンスターボール保管庫の扉を開いて、足を踏み入れた。 「おじいちゃん。ケンジ君、いなくなりました」 「うむ……」 奥のパソコンに向き合っているオーキド博士に言葉をかけ、彼の傍の椅子に腰を下ろす。 WHOに手を回したり、あるいは自分でもできることがないかと思案し続けたせいか。 祖父の背中はいつもより小さく、横顔もやつれて見えた。 「ハルエおばさんも、ずいぶんとピリピリしておられました。お声は届いたかと思いますが」 「うむ…… あれも、思い込みが激しい性格じゃからな…… 娘がポケモンになってしまい、まだ戻ってこないと知れば、ヒステリーになるじゃろう。 それはどの親も同じことじゃ」 「…………」 ナナミにはよく分からなかった。 親になれば、そう思うのかもしれないが……少なくとも今、独身で彼氏もいない状態では、理解できない。 アカツキが傍についているのだ、それほど心配することはないだろう。 意地っ張りな少年だが――今はヒトカゲとなっているが――、思慮深さも持ち合わせているのだ。 物事を考えるより先に飛び出すようなことはないはずだ。 ナナミはそう思いながら、オーキド博士が食い入るように見つめているパソコンの画面に目を向けた。 研究所の敷地の見取り図が一面に映し出され、左上の方で赤と青の点が点滅している。 「これは?」 「アカツキとナミの居場所じゃ」 「……!!」 サラリと言われ、ナナミもさすがに唖然とした。 いつの間に居場所など調べたのだろう。 GPSのシステムと衛星写真の技術を使えば簡単に調べられるのは分かっていても、それらの設備がこの研究所にはない。 じゃあ、一体どうしたら居場所など常に監視し続けられるのか。 ナナミの考えは博士に筒抜けになっていた。 顔を合わせなくても、雰囲気でなんとなく読み取れる。 「二人の首に巻いたスカーフには、超小型の発信機がついておってな。 ポケモンにすら気づかれないような超微弱な電波によって、常に居場所を把握できるようになっている」 「それだったら、何もハルエおばさんと押し問答しなくてもよかったんじゃ……」 「敵を欺くにはまず味方から、じゃよ。ナナミ」 「言葉の使い方がビミョーに違っている気がしますが……」 「ふむ……」 微妙に噛み合わない会話に、ナナミは「なんだかなあ」と思った。 敵を欺くにはまず味方から…… 確かにそれは戦国時代やら中世やらでよく用いられた手法だそうだが、それが現代にマッチしているかと言うと、 とてもだがイエスと答えることはできない。 とはいえ、実際に欺かれた立場としては、なんとも言えないところだ。 その方法が間違っているとか、やりすぎだとか言うことはできない。 「でも、研究所から見てそのポイントは……湖の向こう側、森の西側ですね」 「うむ。何時間も動いていないところを見ると、ラッシーのいる場所に到着しているということじゃろう」 「ラッシーに……なるほど、そういうことですか」 二つの点があるのは、位置的に見て湖の向こう側にある森に違いない。 そして、その森の西側は、研究所のポケモンたちのリーダーであるラッシーのエリアだ。 少なくとも、そのエリアにいれば、身の危険はないだろう。 ナナミは合点が行ったように、手をポンと打った。 アカツキたちがラッシーの元に身を寄せているのは、元の身体に戻るまで、ポケモンとして暮らしていくための知恵を借りに行ったからだ。 アカツキの最高のパートナーであるラッシーなら、たとえアカツキがポケモンの姿をしていても信じるだろうし、 すべての事情を理解してくれるだろう。 そうすれば、他のポケモンにもいろいろと手を打つことができる。 「では、動かないのはすでに眠っているからでしょうか?」 「そう考えるのが妥当じゃな」 頷き、博士は椅子の背もたれにもたれかかった。 とりあえず、ポケモンとして暮らす日々に関しては問題ないようだ。 となると、問題なのは…… 「WHOには話をされたのでしょう? 首尾はいかがな感じですか?」 ナナミの問いに、博士はもたれかかったままで答えた。 「一応、知り合いを通じて製薬会社に話はしておいた。あまり使いたくもない手を使ったりもしたが、それなりの効果はあったよ。 大急ぎで同じ成分の薬を作って、送ってもらう手筈になっている。 さすがに、役員や幹部がキャバクラ通いでこしらえた借金や、不倫中の写真、 財務内容改ざんの証拠となる裏帳簿などちらつかされれば、応じざるを得まい」 「…………」 ナナミは顔をしかめた。 確かに『あまり使いたくもない手』である。 半ば脅迫まがいで、決して誉められたやり方ではないが、人間がポケモンになってしまったという一大事だ。 それも、博士にとっては目に入れても痛くない大切な孫が、二人も。 だから、こういう強引な手段でも採らなければ、大急ぎでの確約は得られなかったのだろう。 今回だけは見なかったことにしよう……アカツキとナミに元に戻ってもらいたいと思っているのはナナミも同じなのだ。 だが…… 「いつの間にそんな弱みを握っていたのかしら……?」 世間に暴露されればスキャンダル問題に発展し、会社も株価大暴落などの大きな痛手を被るのは間違いない。 あの薬を作った製薬会社はそれほどの規模があるのだ。 弱みになるようなボロをそう簡単に出すとは思えないのだが……どこからそんな情報を仕入れたのだろう。 どうでもいい疑問だが、やっぱり気になる。 「早くて三日……原材料を調達する関係で、少々手がかかるそうじゃ。 じゃが、その程度なら待てる。 わしらは、それまでの間、いかに外部に漏れぬように振る舞えるか……それだけに徹しておれば良い」 「はい」 博士の、決意すら滲んだ言葉に、ナナミは大きく頷いた。 アカツキとナミが人間の身体に戻れれば、万が一ポケモンになっていたことが外部に漏れようと、証拠不十分でウヤムヤにできる。 要は、時間稼ぎさえできればいいのだ。 つまり守りに徹することになるのだが、敵の多くない現状を維持できれば、それほど難しいことではない。 「じゃが……問題がある」 「問題?」 深刻な顔で言う博士。 ナナミは眉をひそめた。 博士をして問題と言わしめるような懸案とは、いかなるものなのか……気にはなるが、恐ろしくて訊くことができない。 「ショウゴじゃ。ヤツの動きから目を離してはならん」 「ショウゴおじさんですか? しかし、今ロサンゼルスで国際学会に出席されているはずでは……あっ」 大丈夫だと言いかけて、ナナミはそのまま凍りついた。 確かに……懸案事項があったのだ。 「カイリューじゃ。 半日もあればここに戻ってきて、アカツキの顔を見ることくらいはできる。 そうならぬよう、わしらは全力を尽くす。分かるな?」 「え、ええ……」 ショウゴ……それが、最大の敵の名前。 ナナミはその名前を心に刻み付けた。 「カーっ……」 忍び寄る冷たさに気がついて、オレは目を開けた。 身体を包む、ちょっと冷たい空気。 気にしなければそれほどでもないんだけど、気になるとなかなか頭から離れない。 いつの間にやらうつ伏せになって、身体を丸めていたらしい。 ちろちろと、音もなく燃える炎を灯したシッポを顔に近づける。 冷たい空気が遠のいた。 当然と言えば当然なんだけど、自分で起こした炎で『熱い』なんて思うことはない。 自分の炎でダメージを受けないのと同じ理屈だ。 「…………」 よく眠ったんだろう、眠気が覚めた。 木の葉の合間から覗く空は暗く、星が瞬いていた。 何時かは分からないけど、周囲がひっそりと静まり返っているところを見ると、良い子がすでに夢を見ている時間帯なんだろう。 すー、すー…… と、すぐ傍で穏やかな寝息が聞こえる。 オレは物音を立てないように立ち上がり、その方を見やった。 ナミが、うつ伏せで眠っている。 楽しい夢でも見ているのか、表情は緩みっぱなしだ。 ポケモンになっても楽しい夢を見られるなんて、なんか羨ましい気もするんだけど…… オレの方は、眠りたくても眠れそうにない。 眠気は手の届かない場所にまで行っちゃったし、しばらくは何かをして時間を潰さなければならない。 どうしようかと思った矢先、背後から声をかけられた。 「バーナー(どうした)……?」 振り返ると、ラッシーがじっとオレを見ていた。 ずっと今まで起きていたんだろうか、あまり眠そうな様子も見せていない。 「カゲーっ、カゲーっ(眠気が飛んで、眠れないんだ)……」 声を潜め、オレはラッシーのすぐ傍まで歩いていった。 周囲に目をやる。 傍にはナミしかいない。 レキやルースは別の場所で寝てるみたいだ。 ポケモンの気配も特に感じないから、ここはラッシーの寝室みたいな場所なのかもしれない。 でも…… ここでなら、今なら…… ラッシーにオレたちの置かれている事情を説明できる。 疑われるかもしれないと覚悟の上で、オレは口を開いた。 「カーっ(ラッシー)……」 「バーナー(なんだい)?」 「カー、カー、カゲカゲー、カー(驚かないで聞いてくれる)?」 「…………?」 改まった口調で言われて、ラッシーが首を傾げた。 一体何を言い出すのかと、興味津々といった視線でオレを射抜くように見つめてきた。 もう、ここまで来たら引き返せない。 ラッシーなら信じてくれる。 オレはそう信じて、すべてを打ち明けた。 「カー、カゲカゲーっ(オレ、アカツキだよ)」 「バ、バーナー(今、なんて言った)……!?」 「カーっ、カゲカゲカーっ(信じられないかもしれないけど、オレだよ。アカツキだよ)」 ラッシーの目つきが変わる。 さっきまでの友好ムードはどこへやら。 敵意にも似た猜疑心を表情に浮かべている。 そりゃ、いきなりアカツキだと名乗られても、いきなり信じてくれるはずもない。 それはオレだって分かってることだ。 だってさ…… ラッシーがオレにとって特別な存在であるように、ラッシーもオレのことを特別だって思ってくれてるんだ。 だからこその怒りと言ってもいい。 大切な親友の名を騙るとは何事だ、って感じで。 うれしい反面、どこか複雑…… だけど、それでもオレはちゃんと今の立場をラッシーに伝えなくちゃいけない。 蔓の鞭で百叩きの刑に処されても、ソーラービームやハードプラントの洗礼を受けることになっても。 オレの抱いた覚悟を見て取って、ラッシーはいきなり攻撃を仕掛けてきたりはしなかった。 聞くだけ聞いてやろうと、ボスらしく大きく構えている。 「カーっ(そうだよな)……カゲ、カーっ、カゲーっ(すぐには信じられないよな)」 人間がポケモンになるなんて、普通は考えられない。 それはラッシーにだって分かってることだ。人間とポケモンは明らかに『違う』んだ。 身体の強さは、人間にはない特殊な力……悲しいけれど、違う生き物だ。 「バーナー……バナ、バーナー(本当にアカツキなのか)? バナ、バナバナ、バーナー(ウソだったら容赦しないぞ)……」 ラッシーは視線を尖らせた。 そんなことを言うのは、半分はオレの言うことを信じているからだ。 言い換えれば、半分はまだ疑ってる。 この状態でいくら言葉を重ねても、無駄かもしれない。 なんて、らしくないことを一瞬考えたけど、オレがアカツキだって証明する手立てを思いついて、すぐ実行することにした。 オレはラッシーの耳元に口を近づけた。 「バナ(なに)?」 「カーっ、カゲカゲ、カーっ、カゲーっ(オレがアカツキだって証拠、見せてあげる)」 そして、オレはラッシーに『とある事』を告げた。 ポケモンの言葉だと分かりにくいんで、直訳すると…… 「君がフシギダネの頃、よく××××したよね。 そのせいで母さんにこってりシボられるわ、日本晴れで××××の痕を消させられるわ、本当に大変だった」 ラッシーがビクッと身体を震わせる。 それは、やや冷たい夜気のせいだけではないんだろう。オレの言葉が本当のことだから、ドキッとしているんだ。 でも、その姿を誰にも見られてなくてよかった。 ボスとしての威厳が台無しになる。 だってさ、ラッシーは顔を赤らめ、気まずそうに視線をあちらこちらに泳がせているから。 「あと、遊びのつもりで放った葉っぱカッターで、母さんの×を××てしまったよね。 そのおかげで××を持って×のように××××られるわ、背中の蕾を×××××××になるわ…… でも、そんなこともオレたちの思い出だよな」 ラッシーにとっては赤面の過去。 そして戦々恐々とすべき、封印すべき過去でもある。 それを持ち出されて、冷静でいられるはずがない。 フシギバナに進化しようと、過去まで変わるわけじゃないんだよね。 「バ、バーナー(わ、分かったよ)……」 誰にも聞かれたくない過去を耳元で暴露され、さすがのラッシーも折れた。 「バナバナ、バナバーナー(それを知ってるのは確かにアカツキだけだからな)……」 「カゲーっ、カゲカゲーっ(じゃあ、オレがアカツキだって信じてくれるんだな)?」 「バーナー(うん)……」 良かった。 オレはホッと胸を撫で下ろした。 ちゃんと話せば、分かってくれるって信じてたよ。 『オレしか知らないラッシーの秘密』をちらつかせれば、必ず分かってもらえる。 もちろん、他に誰も聴いてないというのを前提にすれば、誰にも迷惑がかからなくて、なおさら信じてもらえる率が上がるというもの。 ラッシーが顔を向けてくる。 その目からは猜疑心や敵意が消えていた。 いつもの穏やかな表情。オレに向けてくれる顔だ。 「バナ(でも)……バナバナ、バナ(どうしてそんな姿に)?」 やっぱりラッシーも、なんでオレがこんな姿になってしまったのか、疑問に感じているようだ。 背丈なんか三分の一以下になるし、ヒトカゲの身体になっちまうし…… でも、そこんとこもちゃんと説明しておいた。 「カーっ、カゲカゲーっ(オレ、風邪引いちまってさ)…… カゲカゲーっ、カーっ、カゲ、カーっ、カゲカゲカーっ。 (ナナミ姉ちゃんが差し入れてくれた薬を飲んで、目が覚めたらこんな身体になってたんだ。理由なんて分かんないけど)……」 「バーナー(そうなんだ)……」 ラッシーは困ったような顔を浮かべていたけれど、少なくとも「かわいそう」と同情している風には見えなかった。 むしろ、ちょっとだけ楽しみにしているようにも思えるんだけど…… 「カゲーっ、カゲカーっ、カゲカゲーっ(ちなみに、そこで寝てるゼニガメはナミだよ)」 「バ、バーナー(げ、マジで)……?」 だけど、さすがにナミまでポケモンになったと聞かされては、ラッシーも目をカッと見開いて驚いていた。 オレだけでも大事なのに、ナミまでポケモンになるなんて。 ポケモンの側でも、非常識な事態ってことなんだろう。 「バーナー……バナ、バーナー(なるほど……どうりで、トラブルなんて起こすわけだ)……」 「カゲー、カーっ(感心してる場合じゃないだろ)? カー、カゲカゲカーっ、カゲカゲーっ(そのせいで、ずいぶんとひどい目に遭わされたんだから)」 「バーナー(ごめん)……」 ラッシーはオレたちがここに連れてこられた事態を納得してくれてる。 だけど、やっぱりナミがトラブルメーカーだってことは重々承知してるようだ。 もしポケモンになったのがオレだけだったら、もっと簡単に話は進んでたんだろうけど…… オレは振り返り、安らかな顔で眠っているナミを見やった。 昼間に巻き起こしたトラブルなんて忘れたような顔で寝てやがる。 火の粉でも吐きかけてやりたいけど、そんなことをしたら火事になっちまう。 一応ヒトカゲになっちまったわけだし、下手に火を吐くのは止めておこう。 「カゲーっ(そこでさ)……」 これ以上ナミに構ってたってしょうがない。 オレはラッシーに向き直り、本題を切り出した。 「カゲ、カゲカゲ、カーっ、カーっ、カゲカゲカーっ、カゲーっ。 (元に戻れるまではこの身体で過ごしてかなきゃならないから、ポケモンたちのルールってのがあったら、教えてほしいんだよ)」 「バーナー(そういうことか)……」 ポケモンとして暮らしていくなら、ポケモンたちのルールに従って暮らしていかなければならない。 昼間はナミがルールを破ってくれたせいでひどい目に遭ったからな……できれば事細かなルールまで教えてもらいたい。 それに、ポケモンの身体になるなんて、普通に生きてればまず考えられないことだから、どうせなら思いっきりエンジョイしたい。 快適なポケモンライフを送るためにも、ルールは知っておきたいんだ。 郷に入らば郷に従え……その土地にはその土地のルールがあるから、それに従って生きなさいという意味の言葉だ。 だから、ポケモンの社会に溶け込むには、社会のルールを知って、それに従うしかない。 オレの言わんとしていることをすぐに理解して、ラッシーがニコッと微笑む。 「バーナー……バナ、バナ、バーナー(分かった、教えてあげる。アカツキのためだから)……」 「カゲーっ(サンキュー)」 オレは思わずラッシーに抱きついていた。 突然のことに、ラッシーが身体を強張らせた。 ラッシーから抱きついてくることはあっても、オレから抱きつくのは滅多にないんだ。 もっとも、フシギバナに進化してからは、身体の大きさが災いして、抱きついてくるなんてこと自体ができなくなってしまったんだけど。 「バ、バナバーナー(抱きつくのはいいけど、シッポは近づけないで。燃えちゃう)……」 「カゲーっ(悪ぃ)……」 オレは慌てて退いた。 そういえば、シッポの先は炎が灯ってるんだっけ。 いつの間にやら忘れてたけど、ラッシーにとって炎は天敵だ。 草タイプのポケモンは炎タイプの技に弱い。 だから、シッポに灯る程度の炎でも、浴びれば熱い程度じゃ済まないんだろう。 「バナ……バナバナ、バーナー、バナ(それはそうと、アカツキがオレたちと同じようになったって、他のみんなには話した)?」 「カゲーっ(ううん)」 オレは頭を振った。 真っ先にラッシーに話すべきだと思ったことを正直に告げると、その表情が明るくなった。 一番信頼してもらえていると、うれしくなったようだ。 でも、本当のことだよ。 いきなりルースやレキに話したところで、信じてもらえなかったかもしれない。 一番確実なのが、ラッシーだったんだ。 「カゲ、カゲカゲ、カーっ、カゲカゲカーっ(ラッシーの言葉なら、他のみんなもちゃんと信じてくれると思ったんだよ)」 「バーナー……バナ、バナバーナー(じゃあ、どこまで話せばいいんだい)?」 とりあえず、他のみんなにも事情を説明しなければならない。その上で、敷地内のポケモンたちに、オレたちが仲間入りすることを周知してもらうんだ。 それだけでもしておけば、ポケモンライフをエンジョイして過ごす下地は十分。 だけど、だからといって皆まで話す必要はない。 どのポケモンに、どこまでの範囲で事情を説明するのか……そこんとこも、ちゃんと考えていかなきゃいけないんだ。 オレは前々から話していたことをラッシーに伝えた。 「カゲっ、カーカゲカゲーっ(とりあえず、オレのポケモンたちにはちゃんと伝えとく)。 カーっ、カゲカゲーっ、カーっ、カーっ、カゲカーっ、カゲーっ。 (他のポケモンたちには、オレたちが新入りだってことを話せばいいと思う)」 「バーナー(分かった)…… バナ、バナバナ、バーナー、バナ(相変わらず慎重だね。アカツキらしいけど)」 「カゲーっ、カーっ(誉め言葉と受け取っとくよ)」 ビミョーにスパイスをまぶした言葉も、ラッシーらしい。 オレは胸中で同じように返していた。 こうやって言葉を交わせるのも、身体がポケモンになったからだ。 ラッシーとこうやって話すことができるなんて、夢にも思わなかった。 だから、なんとなくうれしいんだ。 そりゃあ、できれば一日でも早く元の身体に戻って、じいちゃんの研究を手伝いたいけれど…… でも、ラッシーたちと今までできなかったことをしてみたい。 言葉を交わして互いの気持ちを伝えあったり、ポケモンなりの悩みやその他諸々のことで話をしたいと思ってる。 せっかくの機会だから、最大限に楽しみたいな。 オレがそう思っているのと同じように、 「バナ(でも)……」 ラッシーが言う。 「バナバナ、バーナー、バナバナ(こうして、アカツキと話ができるなんて、オレも思ってなかった)。 バナ、バーナー(君には悪いけど、なんだかうれしいな)」 「カゲーっ(うん、オレも同じ)」 ラッシーも控えめながら喜んでくれてる。 気が済むまで話したい。 今までラッシーがオレに伝えられなかった言葉もたくさんあるだろうし、オレも完全な形でラッシーに伝えられなかった言葉がたくさんある。 互いに触れられなかった部分に触れるいい機会だろうし…… だけど、ラッシーにオレたちの置かれている状況を伝えてホッと安心したせいか、頭の芯から眠気が湧いて出てきた。 こんな時間に起きて話をしてれば、眠くなって当然なんだけど…… まだいろんなことを話したいと思ってるのに、身体が休息を求めている。 オレが眠たそうな顔をしてるのを見たラッシーが言う。 「バーナー……バナ、バーナー(そろそろ休みなよ。今日は疲れただろ)……」 「カーっ(うん、そうする)……」 「バナ、バーナー(じゃあ、また明日。ゆっくりお休み)……」 オレは小さく頷いて、ナミの傍までゆっくり歩いていった。 ポケモンの聴力は人間のそれとは比べ物にならない。 いくら声を潜めて話していても、その声を聞き取れるだろう。 それでもナミは寝言(?)を時折つぶやきながら眠っている。 よっぽど疲れてたのか、あるいはよっぽど神経が図太いだけか。 後者だな…… オレはそう思いながら、うつ伏せに寝転がった。 夜露に濡れて冷たい草に触れて、ちょっと寒いなと思ったけれど、その程度の寒さで押しよせる眠気を振り払うことはできなかった。 身体を丸めて、目を閉じる。 あっという間に意識が闇に溶けていった。 ポケモン生活、二日目。 目覚めは爽快だった。 誰に叩き起こされるわけでもなく、木漏れ日のぬくもりに、自然と目が覚める。 眠気はキレイさっぱり消えていて、身体の疲れも残っていない。 あのヌオーに手ひどくやられたダメージも完全に回復したようだ。 目を開いて、ゆっくりと立ち上がったオレの前に、ルースとレキがいた。 ラッシーはどこかに出かけているんだろう、木の傍にはいなかった。 「カーっ(おはよう)……」 オレはルースとレキに挨拶した。 「バクぅ(おはよー)」 「ラージ(よく寝てたみたいだね)……」 二人とも、ニコニコ笑顔で言葉を返してくれた。 まだ、二人にはオレがアカツキだってことを知らせてなかったな……向けられた笑顔がとてもまぶしくて、ちょっとだけ痛いんだけど。 そういえば…… オレは周囲を見渡した。 鳥のさえずりは聴こえるのに、ナミが陽気にはしゃぐ声が聴こえてこない。 ラッシーと一緒にどこかに出かけたんだろうか。 この分だと、オレは結構いい時間まで寝てたみたいだ。 さて、どうしようか。 ラッシーがいない状態じゃ、二人にオレの正体を話しても信じてもらえないかもしれないし、 ラッシーが戻ってくるまでは普通のヒトカゲとして振る舞うことにしようか。 いろいろと話をしてみるのも悪くない。 ただ、話をするのなら、オレがアカツキだと感づかれないように話題を選ぶことが必要になるんだけども…… そよ風に揺れる木の葉を見上げながら、考えをめぐらせていると、 「ラージ、ラグ、ラージ、ラージ、ラグラージ(ナミはラッシーと一緒に出かけたよ)……」 レキがオレの頭を撫でてきた。 そっか…… ナミはラッシーと一緒に……って。 「…………」 オレは思いっきり固まってしまった。 一瞬、思考が麻痺したんだけど…… 「カーッ……カゲカゲーっ(な、なんでそれを)!?」 オレは思わず声を上げてしまった。 なんでレキが知ってるんだ!? 理由が分からずにパニックに陥ってしまった。突然目の前でパニくられて、ルースが驚愕に目を見開くけど、レキは穏やかだった。 「ラージ、ラグラージ(ラッシーから聞いたんだよ)。 ラグ、ラージ(キミがアカツキだって。あと、ナミのことも)」 「カーっ(ラッシーが)?」 「バクぅ(そうだよ)……」 当然と言えば当然か…… なんでそんなことに驚いてたんだろう。 落ち着きを取り戻せたオレは、つまんないことに驚いてたんだなあって、なんだか恥ずかしくなった。 穴があったら入りたい気持ちになったけど、生憎と視界に穴らしきものはなかった。 でも…… そっか。オレが目を覚ます前に、ラッシーがルースとレキに、オレたちの事情を説明しておいてくれたんだろう。 他のポケモンたちにも説明するために、ラッシーは出かけたのかもしれない。 そう思うと、なんだか出遅れちまったような気がするよ。 起こしてくれればよかったのに…… だけど、ラッシーは疲れて眠りこけたオレを起こしてはいけないと思ってくれたんだろう。 ああ、なんだか複雑。 ラッシーの心遣いはうれしいんだけど、どうせなら張本人を連れてった方が説得力あると思うんだけどな…… 「ラージ(まあまあ)」 残念がるオレに、レキが声をかける。 子供をあやすように、オレの頭を大きな手のひらで撫で回す。 むぅ…… まさか、レキに頭を撫でられるとは。 オレがこんなに小さくなるなんて、レキだって夢にも思ってなかったはずだ。 「ラージ、ラグラージ(お腹空いてるでしょ。これ食べなよ)」 「……?」 オレは顔を上げた。 頭を撫でてない方の手に、木の実がたくさん乗っかっている。 「カゲっ(木の実)?」 「バクぅ。バク、バクぅ(うん、とっても美味しいんだよ)」 ルースがニコニコ笑顔で頷く。 むぅ…… ルースとしても、オレがこんなに小さくなるなんて夢にも思ってなかったんだろう。 すっかりパパのような気分に浸っている。 でもまあ、そういうのもいいかもしれない。たまには、みんなに可愛がってもらうのも。 レキが屈み込んで、オレの口の高さに木の実を乗せた手を持ってきた。 木の実を食うのか…… まあ、ポケモンの身体なら、木の実をそのまま食ったって大丈夫だろう。 オレンの実に、モモンの実……全体的に甘味の強い木の実が揃っている。 レキもルースも、どっちかというと甘い味が好きだったのを思い出す。 もしかしたら、自分たちで食べるつもりだった木の実じゃないんだろうか。 そう思うと、オレが食べてもいいものか、迷ってしまうんだけど…… そんな迷いをレキは見抜いていた。 「ラージ(食べていいよ。キミのために採ってきたんだから)……」 そう言われては、迷っていることの方が失礼かもしれない。 「カーっ、カゲカゲーっ(じゃあ、いただきま〜す)!!」 オレは思い切って木の実を手に取り、口の中に放り込んだ。 人間だった頃、木の実パウダーなら舐めてみたことがあるんだけど、木の実をそのまま食べたことはない。 ポケモンの身体になってみて、何もかもが新鮮だ。 初体験のことばかりで、気がつけば心が弾んでいる。 こういうのも悪くないと思った。 木の実は簡単に噛むことができた。 オレンの実やモモンの実は柔らかいから、ちょっと力を入れて噛むと、それだけでつぶれて、 熟したメロンやスイカのような甘さが口の中に広がっていく。 「カーっ(うめえ)……」 オレは木の実をひとつ食べて、素直な感想を漏らした。 嫌な甘味じゃなくて、程よい甘味と、ちょっとした酸味が混じっていて、二つの味が混じりあうと、何ともいえない味になる。 食感も柔らかいお餅みたいで、これは人間の時には感じたことのないものだ。 「バクぅ、バクバクぅ? バクぅ(美味しいでしょ? ほら、もっと食べてよ)」 「カーっ(もっちろん)!!」 オレはそれから、貪るような勢いで、レキの手に乗った木の実を次々と口に放り込んで、しっかりと味わった。 たっぷり眠ってたせいか、とにかくお腹が空いてた。 あっという間にレキの手の上の木の実を食べつくし、オレは満腹になってその場に座り込んだ。 ここで爪楊枝でもあれば、 「よく食った〜♪」 なんて言いながら歯の掃除でもしてるんだろう。 まあ、爪楊枝なんてなかったけど。 「バク、バクバクぅ……バクフーン(すごい食べっぷり……お腹空いてたんだね)」 「ラージ(みたいだね)……」 ルースとレキの声が頭上から降ってくる。 感心してるように聴こえるけど、たぶんどっかで呆れも入ってるんだろうと思いながらも、オレは心地良い満腹感に甘えていた。 木の実をそのまま食すというのも、なかなかイキなことだと思った。 人間に戻ったら、もう一度今のように食べてみようかと思いつつ、オレは空を仰いだ。 その遥か手前に見えたのはルースとレキの笑顔だったけど。 「バク、バクバクぅ……バクぅ(でも、まさかアカツキがその姿になるなんて、ねえ)?」 「ラグラージ……ラージ、ラグラージ(夢にも思わなかったよ)」 ルースもレキも、オレがポケモンの姿になったことを驚きつつも、ラッシーと同じで喜んでくれているようだった。 同じことを考えているのかまでは分からないけど、こうまで喜んでいるところを見せ付けられると、 人間に戻るまでの間に、もっともっとみんなと触れ合いたいと思ってしまうよ。 もちろん、親父や母さんに知られる前に元の姿に戻らなきゃいけないんだけど、それまではポケモンライフをエンジョイしよう。 「カゲーっ、カゲカゲカーっ(ラッシーとナミはどこへ行ったの)?」 食べるものも食べたことだし、オレは行動を起こすことにした。 短くて数日、長くて数ヶ月……まさか二度と戻れないなんてことはないだろう。 一生と比べれば短い時間だから、ポケモンライフを精一杯楽しまなきゃ。 そのためにも、できるだけ動き回りたい。 立ち上がり、ルースに言葉を投げかける。 ルースはきょとんとした顔で首を傾げた。 「バク(捜しに行くの)?」 「カーっ(もちろん)。 カーカゲカゲーっ、カー、カーっ。 (ナミだけ楽しむなんてフェアじゃないだろ。それに、みんなと一緒に過ごせるんだから、精一杯楽しまなきゃ)」 オレは思っていることを素直に二人に伝えた。 すると、二人の表情がパッと輝く。 「ラージ、ラグ、ラージ(ラッシーとナミはリッピーやラズリーたちのところに行ったよ)」 「カゲー、カーっ(リッピーとラズリー)……?」 「バクぅ(そうだよ)」 「ラグラージ、ラージ、ラグ、ラージ(アカツキが行きたいのなら、連れてってあげるけど)?」 「カーっ(ぜひ)!!」 レキの提案に、オレは一も二もなく頷いた。 レイヴやロッキーはオレのことをからかってくるかもしれないけど、他のみんなに関してはそんな心配もない。 どうせならみんなと一緒に遊んだりして、一生の宝物にしたい。 そういうわけで、オレはルースとレキに連れられて、ラッシーとナミが向かったという草原地帯へと向かうことになった。 ラズリーとリッピーがいる場所と言えば、森のさらに西側にある草原地帯だ。 草原に暮らすポケモン……ポニータやギャロップ、コラッタ、ラッタといった性格のおとなしいポケモンが多い場所なんだ。 ラッシーが散歩に出かけるにしても、位置的にはかなり近いから、思うように動けなくてもちょうどいい距離なんだろう。 左にルース、右にレキ。 二大怪獣に挟まれながら森を行くオレは、まるで水戸黄門に出てくる黄門様のようだった。 自分でもそう思うんだから、ほかの人が見たら笑っちゃうのかもしれない。 いやあ、なんだか楽しい。 「バク、バクバク、バクフーン(事情はラッシーから聞いたんだけど、なんだか大変だったみちだね)」 「カーっ、カゲカゲーっ、カー、カゲーっ。 (大変って言えば大変だけど、どうせならこの生活を楽しまなきゃいけないからさ。そっちの方が大変かも)」 「ラージ、ラグラージ(アカツキらしい考えだね)」 鳥のさえずりと柔らかな木漏れ日が降り注ぐ中、オレたちは会話を交わしながら歩いていった。 リッピーやラズリーのいる場所まで行ったら、レキとルースの二人だけと話をするわけにもいかないだろう。 だから、今のうちに二人の気持ちを聞いておきたい。 人間に戻ったら、ポケモンの言葉を話せなくなるから。 そうなる前に。 「カーっ、カゲーカゲーっ、カーカゲカゲーっ(ルースとレキは、オレやラッシーのことをどう思ってるんだ)? カーっ、カーっ、カゲーっ、カゲカーっ。 (ほら、人間だった時は言葉が通じなかったから、君たちが言いたかったことも理解できなかった) カー、カゲカゲーっ、カゲーっ。 (だから、今のうちに知っておきたいんだ。オレやラッシーやほかのみんなのことをどんな風に思って、何を望んでるのかってことも)。 カー、カゲーっ、カゲカゲーっ、カーっ、カーっ、カゲカーっ(君たちとだけ話していられる時間も、少ないだろ)?」 オレは前脚をバタバタと振ってジェスチャーを交えながら話した。 二人とも最初は笑顔だったけど、次第に険しい顔つきへと変わっていく。 もしかして、あんまり触れられたくないところだったんだろうか。 言い終えてから、オレは『もしかしたら……』と思うようになった。 後悔先に立たずってパターンだったらどうしよう…… オレの独りよがりで傷つけるようなことがあったら、それこそトレーナー失格だ。 万が一そうだった場合どうしようかという対応を頭ん中で練り合わせていると、 「バクぅ……バク、バクフーン、バク、バクぅ(僕は、アカツキと一緒にいられてすごくうれしいよ)」 「ラージ(あたしも)」 二人ともさっきよりも明るい笑みなど浮かべて、本当にうれしいと思っているような口調で返してきた。 ルースが、オレと旅してから感じたいろんなことを、身振り手振りを交えながら話してくれた。 オレは相槌を打ちながら、ルースのうれしそうな顔を見て心が暖かくなった。 本人も気づいてないんだろうけど、表情が緩みっぱなしなんだ。 それだけ、オレと出会って、旅をして良かったって思ってくれてるってことが分かるんだ。 そういえば…… ルースはオレと出会う前、人間にいろいろとひどいことをされたらしくて、人間から逃げてたんだっけ…… 暴走族に追いかけられて逃げてたところで、オレと出会った。 いろいろとあったんだけど、最終的にはオレのことを信じてくれるようになって、一緒に旅をすることになったんだ。 ポケモンとなって言葉が通じるようになった今なら、ルースの過去についても聴き出せるのかもしれないけど、 もちろんそんなことをするつもりはない。 誰だって触れられたくないモノを心の奥底に隠しているものだ。 オレだって、知られたくないことがある。 胸の奥底に眠る、醜い気持ちとか、考え方とか…… それに…… ルースの過去がどうであろうと、オレは別にそんなものを引き合いに出してみんなと比べたりなんかしないよ。 ルースはルースなんだし、オレの大切な仲間なんだから。 それだけで十分なんだよ。 ルースは言ってくれた。 オレと出会えて、いろんなところを旅して、バトルしたりして、本当に良かったって。 これからもずっと一緒に旅をしたいって言ってくれた。 とてもうれしかった。 胸が熱くなって、思わずこみ上げるものがあったけど、オレはグッと堪えた。こんな姿になってまで泣くのは嫌だ。 ましてや、誰かの前で涙を見せるなんて。 みっともないったら、ありゃしないよ。 それから…… レキもルースと似たようなことを言ってくれた。 レキはホウエン地方で最初にゲットしたポケモンだ。 ミシロタウンにあるオダマキ博士の研究所を訪れた時に、オダマキ博士のご厚意で頂いたんだ。 ホウエン地方の最初の一体…… アチャモ、ミズゴロウ、キモリの三体の中から一体だけ選んで連れて行っていいと言ってもらった時は、本当にうれしかったなぁ。 みんなオレに懐いて、僕を連れてってって主張してたけど、オレが最終的に選んだのはレキだった。 その時はラグラージに進化なんてしてなくて、ミズゴロウだった。 タイプのバランスを考えた時に、オレが持ってなかったのが水タイプだったっていうのが、 レキを選んだ大きな理由だけど、今はレキを選んで良かったと思ってるよ。 そういえば、レキは女の子なんだよな。 見た目は怪獣みたいに大きいけど、心はとても優しくて、夢見がちな純真な女の子だ。 まあ、バトルになると本当に大怪獣になってしまうけれど、それはポケモンならしょうがないことなんだよね。 レキはオレと出会う前のことを話してくれた。 ルースと違って、お世辞にも明るくない過去を背負っているわけではなかったからだ。 レキは最初の一体として数えられていたミズゴロウだったから、いつかミシロタウンを旅立っていくトレーナーのために、 オダマキ博士の研究所で育てられてたんだって。 タイプや相性を越えて、アチャモとキモリとも仲良く過ごしていたし、ユウキやカリンさん、 オダマキ博士の愛情を受けて、何不自由なく日々を送っていたそうだ。 確かに、あの一家と一つ屋根の下で暮らしていれば、不自由することはないだろう。 でも、毎日が楽しくて、ただそれだけで倦怠感もあったらしい。 早く旅に出たいとは思っていたみたいだけど、アチャモやキモリの手前、そういうことも言い出せない。 楽しいけど単調な毎日に飽きてきたところに、オレがやってきて、連れてってもらえることになって、 うれしくてたまらなかったって、オレを両手で抱き上げて高い高いしながら話してくれた。 親にあやされる赤ん坊みたいな気がしたけど、レキのうれしそうな顔を見ていると、早く降ろしてくれと言うこともできず…… だけど、心配しなくてもすぐに降ろしてもらえた。 本当に二人ともうれしそうな顔で話してくれた。 口を揃えて、 「また旅に出ることがあったら、絶対に一緒に連れてってね」 と言っていた。 たぶん、この分だと他のみんなにも似たようなことを言われるんだろうなあ…… トレーナーの手持ちとして許されているのは六体までだし、それを上回ってしまったら、ローテーションを組んで回してくしかない。 みんなからすれば、それが不満なのかもしれないけど……こればかりはどうしようもない。 トレーナーとしてのルールだし、これを守らずして旅を続けるなんてことはできないからさ。 だけど、こんな形とはいえ、ルースとレキの思ってたことを知ることができてよかったと思っているよ。 だってさ、人間のままじゃ絶対に分からなかったことなんだから。 他のみんなの気持ちも知ることができたら、オレはもっともっと、善いトレーナーになれると思うんだ。 ポケモンの気持ちを本当の意味で理解できるトレーナーになりたいと思ってるんだ。 期せずしてポケモンの身体になり、ポケモンの言葉を話せるようになったから、本当の意味でポケモンの気持ちを理解できる。 もしかしたら……だけど…… オレがポケモンの身体になったのは、偶然なんかじゃなかったのかもしれない。 効き目が強すぎる薬の副作用なんだろうけど、みんなとこうやって話せること、みんなの気持ちを理解できることを、 偶然というつまんない一言で片付けたくないんだ。 そりゃあ、運命なんてくだらない言葉は信じてないよ。 だけど、運命に似た、運命めいた、偶然じゃないけど必然でもない何かみたいなものがあるように思える。 それからも二人との会話は弾んで、気がついた時には森を出ていた。 あっという間に、オレの背丈ほどはあろうかという草原地帯が姿を現す。 さすがに、このまま歩いていくのは無理かもしれない。 そう思って、レキに抱っこしてもらおうかと口を開きかけた時だった。 「カゲっ(うん)?」 身体が浮いた。 言い出すより先に、レキが気を利かして抱っこしてくれたんだ。 オレはレキを振り仰いで、ありがとうと言った。 レキがニコッと微笑んでくれた。 視点が一気に高くなって、離れたところでギャロップとポニータの親子が仲良く寄り添いながら草を食んでるところとか、 ラッタ同士でバトルしてるところとか、まさしく自然の営みが目の前に広がっていた。 「カーっ(すげぇ)……」 オレはマジで感動していた。 だってさ、人間が目の前にいたら、絶対に見せない仕草なんだよ。 自然な表情を浮かべ、自然な仕草で、自然の営みを見せるポケモンたち。 ポケモンの身体になって、ポケモンの社会に少しでも溶け込めたからこそ見られる光景なんだ。 「バク、バクフーン(ほら、あそこにラッシーたちがいるよ)」 目の前の景色に感銘を受けていると、ルースが斜め左の前方を指差しながら声を上げた。 指差した先に目をやると、確かにラッシーたちがいた。 自然なポケモンたちの姿を前に、ラッシーたちは風景の一部に溶け込んでいるようにすら見えて、見落としていた。 こんなことが知れたら、ハードプラントでお仕置きされるかもしれないと戦々恐々するオレを尻目に、 レキはゆっくりとそちらへ向かって歩き出す。 「カゲーっ(おーい、みんな)!!」 オレはレキに抱かれたまま、手を振って叫んだ。 すると、ラッシーたちが振り返ってくれた。 背丈の低い草が生えてて、かくれんぼなんてとてもできそうにない場所にいたのは、ラッシーとナミ、ラズリーとリッピーだった。 レイヴとロッキーは……どうやらいないようだ。 気配を押し殺して隠れてたって、レキとルースなら簡単に見つけられるだろうから。 「ゼニぃ〜(アカツキ、こっちこっち)!!」 ナミは相変わらず楽しそうだ。 昔から、悲しむとか落ち込むとかいうマイナスの感情とは無縁なヤツだったからなあ。 羨ましいようなそうでないような……どうでもいい気持ちを弄びつつ、ラズリーとリッピーの楽しそうな表情を見やる。 ラッシーが事情を説明してくれたんだろう。 リッピーはナミと楽しそうにステップを踏んでるし、ラズリーもシッポを振って、楽しそうに振る舞っている。 みんなして、オレたちの到着を待ってくれていた。 レキはオレを地面に降ろしてくれた。 そこに、リッピーとラズリーがやってきた。 「ピッキー♪ ピキ、ピッキ〜っ(本当にアカツキなんだ〜。すっごいねぇ)」 「ブーっ……ブースタぁ……(ずいぶんと可愛くなったよね)」 リッピーもラズリーも、感心してるんだかからかってるんだかよく分からない口調で話しかけてきたけれど、 言葉が通じるのって、やっぱりどんな形であってもうれしいものだって思う。 「カーっ、カゲカゲーっ(やっとみんなと話せるようになったよ。いろんなこと話そうぜ)」 リッピーが差し出した手を、オレはギュッと握った。 陽気なリッピーと、勇敢なラズリー。 リッピーはいつだって陽気で、それはバトルの時も変わらない。 一方で、ラズリーはバトルの時は鬼神みたいな活躍を見せるけれど、普段はとても優しくて落ち着いている。 進化する前は臆病だったんだけど、そんな過去があったことなど、微塵も感じさせない堂々とした態度だ。 「ピーっ(わーい)♪」 リッピーはオレの身体を軽々と抱き上げてみせた。 見た目はあんまり力があるようには見えないんだけど、実はなかなかの力持ち。 ラズリーには敵わないけど、ルースとなら腕相撲で互角以上に戦えるかも。 オレはリッピーに高い高いされた。 これで二度目だけど、まあ気にしない。 それだけ、リッピーはこうやってオレと触れ合うことを楽しんでるってことだろう。 だから、何も言わなかったんだけど…… 一分くらい楽しんだ後、リッピーはオレを地面に降ろしてくれた。すかさずラズリーが擦り寄ってくる。 「ブーっ、ブースターっ、ブーっ、ブーっ(ラッシーから聞いたけど、大変だったんだね)」 ……って同情の言葉をかけてくれた割には、ニコニコ笑顔だ。 「カーっ、カゲカゲーっ、カーっ(でも、こうやって話せるのってうれしいよ)」 「ブーっ(それは僕も同じ)」 「カーっ、カゲーっ、カーっ、カーっ、カゲカゲ、カーっ(ラッシーから聞いた時、驚かなかった)?」 「ブーっ、ブースターっ(そりゃ驚いたよ)……」 なにやら陽気に踊り出したリッピーを置き去りに、ラズリーはオレが来るまでのことを話してくれた。 オレが起きる前に、ナミを引き連れてやってきたラッシーは、のんびりと日向ぼっこを楽しんでいたラズリーたちに爆弾発言をした。 傍にいるゼニガメはナミで、オレも似たような姿になったと話したんだけど、さすがのラズリーたちも一回の説明で理解できなかった。 オレがラズリーたちの立場なら、同じようにすぐには納得しなかっただろう。 でも、それはラッシーも想定していたらしく、ナミにいろいろとしゃべらせたそうだ。 ナミがあれこれと話しているのを聞いて、ラズリーたちは納得した。 ポケモンになっても変わらないナミの陽気さに驚きながらも、似たもの同士のリッピーとはあっという間に仲良くなって、 そのうちにラズリーも加わって楽しく遊んでいた。 ……と、そこへオレたちがやってきた。 「ブーっ、ブーっ、ブースターっ(でも、こういうのも悪くないね)」 ラズリーは言う。 オレと言葉で気持ちを伝え合えるということがうれしいって。 それから、オレが問いを投げかけるよりも先に、いろいろと話してくれた。 ラズリーはブースターに進化する前、臆病な性格だった。 二年ほど研究所の敷地で暮らしてたそうだけど、その頃はラッシーのようなボスがいなかったから、 いろいろとイザコザが耐えなかったんだって。 言われてみると確かにそうだ。 時期的に、じいちゃんやナナミ姉ちゃんが一番苦労してたっけ。 オレも、ポケモンたちのケンカの仲裁に走り回ったことがあるから、よく覚えてるよ。 で、ラズリーはイザコザに巻き込まれることが多かったものだから、性格的に神経質になり、臆病になってしまったんだって。 お世辞にも明るい過去とは言えないけれど、それを話すラズリーはニコニコと微笑んでた。 今は笑って話せるような思い出の一ページになったってことだろうか。 神経質で臆病な性格を抱えながら、敷地のあちこちを転々としながら過ごすうち、 イーブイという珍しい種族ということからじいちゃんやナナミ姉ちゃんの目に留まった。 ちょうど、オレとナミが旅立った頃のことだ。 本当は、外の世界になんて出たくなかったんだって。刺激はないけど安定した生活の方がいいと思っていたんだってさ。 でも…… 「ブーっ、ブースターっ(君はこんな僕を受け入れてくれた)」 その一言が胸に響いた。 神経質で臆病だって、ラズリーはそんな性格を自覚していて、それでいて毛嫌いもしていたそうだ。 だけど、オレがすべてをありのままに受け入れてくれたから、頑張ろうと思えるようになったと言ってくれた。 そんなオオゲサな…… オレはそう思ってるけど、ラズリーにとってはこの上なくうれしかったんだろうな。 だってさ、トレーナーとして、ポケモンの性格がどうであれ、ありのままを受け入れるのは当たり前なことだ。 オレは昔からそう思ってきたし、これからだってそう思っていくよ。 その当時は、今は臆病でも、旅をしていけば少しずつでも変わってくれると信じてたからさ。 後ろ向きな性格だって、そんなにマイナスには考えてなかった。 そして、ハナダジムでのジム戦。カスミのギャラドスと戦った時のことを、ラズリーは話してくれた。 ……そんなこと言ったっけ? ってオレの方が思うくらい、ラズリーはその時のことを事細かに覚えていたらしい。 それだけ印象的だったんだろうな…… オレにとっての印象的なシーンは、新しい仲間との出会いや、ライバルたちとの出会いだ。ジム戦はその次くらい。 君ならできると、オレがラズリーを鼓舞するために叫んだ一言が、ラズリーの中で何かを変えたらしい。 今まで、そんな風に言ってくれたポケモンがいなかったから、自分の力なんて大したことないって思ってたんだって。 でも、確かにその時……オレはラズリーならできると思った。 臆病だけど、持って生まれたその力までなくなるわけじゃないんだから。 自分にどこまでできるのかは分からないけど、やってみようと思って戦ったと、ラズリーは誇らしげに胸を張った。 結局はギャラドスに負けてしまったけれど、清々しい気持ちが胸に残ったと、オレにありがとうと謝意を伝えてくれた。 そっか…… ラズリーは、オレが何気なくかけた一言も、ちゃんと心に留めておいてくれたんだ。 オレ自身が半分くらい忘れてしまってたっていうのがちょっと情けなかったけど…… だけど、一緒に旅をしてきた仲間として、これ以上にうれしいことはない。 ブースターに進化してからは、獅子奮迅の活躍を見せてくれたラズリー。 進化して強くなったと自分で分かっていたからこそ、それが自信につながったんだろう。 「カーっ……カゲーっ(ありがとう、ラズリー)」 ルース、レキ、ラズリー…… オレの仲間たちはもっともっとたくさんいるけれど、三人から『ありがとう』と言われただけで、もうなんだかうれしくて泣けてくるんだ。 でも、ラズリーに負けじと、華麗なステップで風のように割り込んできたリッピーも口を開く。 変なところで対抗意識燃やしてるんだなあって思ったけど、オレと話したいと思っている気持ちに偽りがない以上、 文句を言ったところで詮無いことだ。 「ピッキー、ピキ、ピッキー〜(あたしもねえ、アカツキには感謝してるのっ)♪」 陽気な口調で話し始めるリッピー。 瞬く間に、夢想モード全開の、夢見る乙女のような顔つきになる。演技じゃないんだろうなあって、見てて分かった。 リッピーとは、お月見山で出会った。 食事の匂いにつられてやってきた、なんだかマヌケなピッピだなあって思ったよ。 でも、普通のピッピは臆病な性格の上に耳がいいものだから、人前に姿を現すなんて、滅多にないことなんだ。 だから、リッピーは普通のピッピじゃなかった。 そうそう、普通じゃなかったと言ったら、オレたちのポケモンを目の当たりにしても怖気付く様子を見せず、 マイペースを振り撒いてたってところもそうだよな。 その上月の石まで持参してたんだから、カモがネギ背負ってやってくるって感じだった。 でも、リッピーは今になって話してくれた。 あの時持ってた月の石は、とても大切なものなんだって。何があっても手放したくないモノで、命と同じくらい大事だって言った。 ピッピは愛くるしい姿をしているから、女性から大人気なんだけど、そのせいでいろいろと変なヤツに狙われることもある。 増してや、人前に姿を現さないとなれば、一体どれほどの額で取引されるのか…… 考えただけでムカついてくるけど、そういうバカがいるのもまた事実。 リッピーはそういうバカに狙われて、大ピンチに陥ってしまった。 けれど、オレとナミがバカ二人組を追い払って、事無きを得たんだ。 「ピッピッピ、ピッキー、ピッキ〜(あの時のアカツキはカッコよかったの〜。だから、一緒に行きたかったの)♪」 怖い想いをしたんだけど、それ以上にオレに憧れの気持ちを持ってくれていたそうだ。 ふるさとを離れて、オレと一緒に行くことを選んだのも、その気持ちが背中を押してくれたからだって。 出会ったばかりの自分を助けてくれたということから、リッピーはオレを信頼してくれて、その証に月の石を預けてくれた。 旅を続ける中で、リッピーは持ち前の陽気さを前面に出して、パーティのムードメーカーを買って出てくれた。 別にオレやラッシーに頼まれたわけでもない。 それは、自分が元気に振る舞えば、他のみんなの気持ちも明るくなるだろうという、ささやかな気遣いからだった。 でも、リッピーの陽気な様子を見て、しょげてたり落ち込んでたりするのがバカバカしいって思ったのは本当だよ。 オレたちもリッピーの明るさに助けられてきたんだよな…… 今になってそんなことを思うのは、やっぱり実際にリッピーから直接、言葉という形で気持ちを受け取ったからかもしれない。 本当の意味で気持ちを通じ合わせること。 オレも、ポケモンに生まれればよかったかな……一瞬、本気でそう思った。 だけど、やっぱりオレは人間だ。ポケモンの身体をしていても、ポケモンになりきることはできない。 実際にこの身体になってみて、それがよく分かるんだ。 「バーナー(よく寝てたね)……」 リッピーが話し終えたところに、ナミとラッシーがやってきた。 「ゼニぃ、ゼニガーっ(昨日は疲れたもんね)?」 ナミがニコニコ笑顔でオレの手を取り、話しかけてくる。 その疲れた原因を作ったヤツがそうやってケロッとしてるのを見ると、そうやって皮肉たっぷりに言ってやろうという気が萎えてくる。 背負い込んじゃいけないってのは、分かってるんだけどね…… あー、マジでバカバカしい。 ナミの顔を見てると、悩んでたり何かを背負い込むことがとんでもなくバカで愚かなことじゃないかと思えてくる。 だから…… 「カーっ、カゲカゲーっ(よし、遊ぶぞ、みんな)!!」 思いっきりはしゃぐことにした。 みんなとコミュニケーションを取りたいって思ったのが一番の理由かな。 人間の身体じゃ限度のある事だって、ポケモンなら難なくこなせる場合がある。 もともとの運動能力だって違うわけだし、ポケモン同士で遊べば結構面白いことになるんじゃないだろうか。 「ゼニぃっ!!」 「ブーっ!!」 「バクフーン……っ!!」 みんなして声を張り上げ、オレたちは絡み合ったり踊ったりして遊び始めた。 To Be Continued...