転機編・3 -The waver- オーキド博士は内心の緊張を表に出すまいと努めるのに精一杯だった。 手には電話の受話器。 壁掛けの画面に映し出されたのは、研究者として世界的に有名になりつつある息子のショウゴ。 ロサンゼルスで学会に出席しているのだが、今日の学会は閉幕したということで、電話をかけてきたそうだ。 「まさか、電話がかかってくるとは……」 受話器を取って、画面越しにニコニコ笑顔を振り撒いてきたショウゴを見た時は、本当に口から心臓が飛び出てくるくらい驚いた。 というのも、学会は研究者が自論を披露する場所であり、すんなりと閉幕するようなシロモノではないのである。 それぞれの研究者の自論が火花を散らして激突し、唾と熱気が飛び交う……だから、時間通りに終わることなどほとんどない。 だが…… 実際には、ほぼ時間通りに終わったそうだ。 「それより、親父。アカツキと研究をしてるんだってな。どうだ、あいつは? 研究者としては有望だろう?」 「う、うむ……」 学会の雰囲気や、出席者のことを話しているうち、当然と言えば当然だが、話題はショウゴの息子で、 博士の『目に入れても痛くない孫』であるアカツキが中心になっていた。 というのも、月のカケラという新種の鉱石の研究にアカツキが携わっているということもあって、 ショウゴは「もしかしたら……」とかすかに期待を抱いているのだ。 本人はなりたがらないが、研究者として立派な働きをしているのではないかと。 オーキド博士は、適当に話してさっさと電話を切ろうと考えていた。 長くしゃべればしゃべるほど、ボロを出してしまいそうな気がしてきたからだ。 世界的に有名になりつつあるだけあって、ショウゴはバカではない。 ちょっとした雰囲気の違いから、事が知れてしまうかもしれないのだ。そうなる前に電話を切らなければ。 まさか、孫がポケモンになったなどと、口が裂けても言えるはずがないではないか。 もしもバレてしまったら、そのまま画面から飛び出してきそうな恐怖に、胸を鷲づかみにされてしまっている。 だが、今は相手の言葉に合わせて切り返していくしかない。 流れに逆らうのではなく、身を任せつつチャンスを探るべきだ。 「さすがにまだ駆け出しの段階じゃからな。 シゲルと比べると未熟な部分は否めんが、その気になれば、二十歳になるまでに立派な研究者として大成できるじゃろう」 「まあ、そうだろうな。本人になる気はまったくないみたいだが……」 オーキド博士の言葉に、ショウゴは苦笑した。 アカツキの研究者としての素質は、シゲルはおろか、オーキド博士やショウゴすら凌駕するかもしれないものがある。 博士本人も、ショウゴも、幼い頃からポケモンに触れ合ってきたアカツキの素質を高く買っているのだ。 だから、本人にその気があれば二十歳前に大成するという言葉も、決して誇張ではないのだと理解できる。 しかし…… 「親父、それとなく薦めてみてくれないか」 「無駄じゃろう。 わしがいくら薦めたところで、アカツキは自分の考えを曲げたりはせんよ」 期待薄だと分かっていながらもショウゴが切り出した一言を、博士は首を横に振ることで一蹴した。 いくら素質があっても、それを生かすも殺すも本人次第なのだ。 他人の言葉で容易く揺らぐような、弱い夢を抱いているわけではない。だからこそ、何を話しても無駄なのだ。 それに…… 「自分の決めた道を進めと言ったのはわしじゃ」 「ふむ……」 結局のところ、親というのは、どのような形であれ子供が立派に成長した姿を見られれば、それで十分なのだ。 妻との間に結ばれた愛の結晶として、この世に産み落として、愛して良かったのだと思えるものだ。 「アカツキと話したいんだが、変われるか?」 「いや……」 さり気なくショウゴが言った一言に、博士はドキリとした。 このまま驚きでポックリ逝ってしまうのではないかとさえ思ったが、寸でのところで留まった。 何がなんでも、アカツキが『この場にいない』ことにしなければならない。 「今は放射線の波長によって成分がどう変化するか研究中でな、手を離せないのじゃ。すまんのう」 「いや、それなら仕方がないさ」 口から出まかせな答えにも、ショウゴは納得したような笑みを浮かべた。 アカツキが研究に熱心になっていると思えば、それを邪魔するわけにもいかないではないか。 親としての情を利用するようで罪悪感を覚えずにはいられない。 だが、身体がポケモンになったと知られた日には、本当に縊り殺されてしまうかもしれない。 だから、博士は何が何でもウソを突き通さなければならなかった。 アカツキが元の身体に戻った後ならば、ポケモンになっていたと知られても、根拠がないということでシラを切りとおすことができる。 それまでの時間稼ぎなのだが、石橋を叩いて渡るような慎重さを要求されるのだと、話をしていて嫌と言うほど思い知らされる。 わざわざそんなことをしなければならないような間柄ではないのは分かっているが、 しなければならないほどの『大器』になったことについては、認めなければならないだろう。 「研究者になるつもりがないとはいえ、親父の研究を手伝うのに手を抜くとは思えんが、 もし手を抜いていると思えるようなところがあったら、容赦なくビシバシ叱ってくれていいからな」 「もちろん、そうするつもりじゃよ」 ショウゴの言葉に、博士は小さく頷いた。 ポケモンの身体になってしまう前、アカツキは慣れない研究作業にもかかわらず、一生懸命取り組んでいる。 情熱的な態度は見ていて微笑ましいし、よほどのことがない限り、手など抜くとも思えない。 もっとも、風邪を引いてしまったのは、情熱的に作業にのめり込んで寝食を忘れてしまったことで体力を消耗してしまったのが原因。 情熱的過ぎるのかもしれない。 祖父と孫だからといって、研究にまでそのような俗な感情を持ち込むほど、オーキド博士は甘くない。 「それならいいんだ。それじゃあ、またな」 「うむ……ヴィクトリア嬢によろしく伝えておいてくれ」 「ああ、分かった」 笑顔で、通話が終わった。 画面がブラックアウトし、ショウゴの顔が消える。 それでも博士が見つめる画面には、息子の笑顔が張り付いていた。 「ふぅ……慣れんことをすると、やはり疲れるのぉ……歳を取った証拠じゃな」 会話が終わって、何とかごまかすことができた。 博士は安堵のため息を漏らし、握り拳で肩を軽く叩いた。 過敏と思えるほどに気を遣ったこともあって、ショウゴは何も気付いていない様子だった。 だから、今回の防衛戦は博士に軍配が上がったといったところか。 だが…… 「これで終わりとは限らん……何かあれば、また電話が来るじゃろう。 たった一回で安心していてはならぬ……」 気を抜けないのもまた事実だった。 あくまでも『今回は』何事もなく無事に会話を終えることができただけであって、次からもそう上手く行くとは限らない。 どういうわけかショウゴは上機嫌だったから、普段の観察眼が曇っていたような気がする。 「まあ、こうでも言っておけば、ヴィクトリア嬢と何かしら会話が弾んで、わしのことは忘れるじゃろう……」 博士は背後の長椅子に倒れこむように腰を下ろした。 ヴィクトリアとは、かつて同じ研究をしていた女性の名前である。 若くて前途有望な研究者として注目されていて、その注目度はショウゴと肩を並べるほどだ。 オーキド博士は個人的に相談を受けることが何度かあって、彼女とは顔見知りの仲だ。 ちょうど彼女も学会に出席しているので、ショウゴの目を逸らすのに引き合いに出させてもらった。 とりあえず、何でもよいのだ。 ショウゴの注意を引くようなものであれば、何でもいい。 石コロだろうが新種のポケモンだろうが一万年も前に突如滅びたという伝説のアトランティス大陸だろうが、本当に何でも。 たった一度の電話だというのに、博士は今自分がこれ以上ないほど疲れていると自覚せざるを得なかった。 本当に、歳を取るというのは恐ろしいことだ。 身体的な機能が衰えるのはもちろんだが、精神的にも打たれ弱くなっていく。 現に、アカツキがポケモンになったと知らされた時には、本当に心臓が口から飛び出して、 そのままポックリしてしまうのではないかと思ってしまった。 「じゃが……」 人間がポケモンになるという非常識な状況を作り出す原因となった、WHOも認めた処方薬。 その薬を取り寄せたのは、他ならぬオーキド博士本人だ。 ある意味、根本的な原因は彼にあると言ってもいい。 だから…… 「わしが無理をしてでも、あのふたりを元に戻さねばならんのだ……」 ポケモンになっても十分に目に入れても痛くないのだが、やはりアカツキとナミは人間だ。 ポケモンとして生きていくつもりがあったとしても、それは無理な相談だろう。 人間の世界と比べて、ポケモンの世界はとても複雑で冷酷なものだ。 まさに、自然界の掟と言ってもいい。 ポケモンがそんな環境に適応できるのは、生まれてからずっとその世界にいるからであって、 途中で放り込まれたポケモン(中身は人間)が適応するのは不可能に等しい。 そんな世界で生きていくことを決断する前に、なんとしても元の姿に戻してやらなければならないのだ。 そのためなら、後先短い命をかけても構わないとさえ思っている。 「じゃが……」 なんとなくだが、アカツキはポケモンとして生きてもいいかもしれない……と思うかもしれない。 根拠はないが、あの少年なら、そういうことを考えてもおかしくはないのだ。 仮にそんな考えを抱いたとしても、無理やりにでも人間に戻ってもらう。 「今のわしにできるのは、外敵と戦うことだけじゃ。変に肩肘張ったところで詮無いことじゃろうが……」 製薬会社に同じ成分の薬を作るように圧力をかけるにしても、すでに十分すぎるほどかけているのだし、これ以上は効果がないだろう。 となると、他の外敵……アカツキの両親――ショウゴとトモコを相手に、上手く立ち回るくらいしか、できそうにない。 命をかけてでも元に戻すと自分に言い聞かせている割には、せいぜいがその程度のことしかできない自己矛盾が脳裏を過ぎる。 「ふむ……」 博士は額に手を当てた。 指先に、じとりとした感覚。 汗をかいていた。 「少し、休むとしようか……アカツキとナミが戻るまでは、死ぬわけにはいかんからな……」 目に入れても痛くない自慢の孫が元の身体に戻ったことを見届けるまでは、何が何でもくたばるわけにはいかない。 アカツキが元に戻らなければ研究も再開できないし、ポケモンの世話はケンジとナナミの二人で十分務まるのだ。 だから、自分にしかできないことをするためにも、今は休もう。 オーキド博士はそのまま横に倒れこんで、目を閉じた。 ポケモン生活、三日目。 今日も目覚めは爽快だった。 みんなと一緒になって、昨日は夜遅くまで遊んだせいか、あっという間に眠りに落ちてしまったんだ。 ポケモンの身体だろうと、人間の身体だろうと、運動をすればやっぱり疲れる。 ポケモンの方が体力があるから、人間の時よりは疲れないんじゃないかと思ったけど、とんでもない間違いだと思い知らされたよ。 だって、運動量がハンパじゃなかった。 自分がポケモンで、相手もポケモンなら、自然と運動量はポケモンのレベルになる。 だから、知らない間にずいぶん走り回ったりして、思いのほか疲れたんだ。 とはいえ…… ヒトカゲになったんだから、火の粉や火炎放射を使ってみたいな、とは思ったんだけど、どうすればいいのか分からなかった。 ナミは初日に水鉄砲を使ってから、あっという間にコツをつかんだらしい。 それからは時々水鉄砲を空に打ち上げたりとか、結構楽しんでるみたいなんだけど…… ナミだけそんなことできるのって、やっぱりズルイよな? だから、オレも火の粉とか使って、ポケモンがどんな風に技を出してるのかと知りたいという、強い欲求に駆られた。 今日はポケモンの身体を最大限に使えるような……実際にバトルで使うような技を使ってみよう!! オレは食事を済ませてから、ナミとルースをひっ捕まえて、いろいろと教えてもらうことにした。 ラッシーは何も言わなくてもずっとオレたちの傍にいてくれてるんだけど、レキとラズリーは周囲の見回りに行くと言って、 オレがモモンの実を頬張ってる時に出かけてった。 リッピーは他のポケモンたちにダンスを教えに、これまた別の場所へ出かけてった。 本当にダンスを習ってるポケモンがいるんだろうかと思ったけど、リッピーがウソをつくとも思えない。 本当に、リッピーのダンスに魅了されちゃったポケモンがいるんだな。 ……って、思わず空を仰いでしまったけれど、今はそんなことに構ってる場合じゃない。 「ゼニ、ゼニゼニガーっ(いい、アカツキ)?」 オレの目の前で、ナミが胸など張りながら、指を立ててオレに説明してきた。 すっかり水鉄砲の要領をつかんだようで、本当にポケモンになってしまったようだ。 でも、数日の間だけだし、人間に戻れば、ちゃんと人間として暮らしてくんだろう。 今くらい、好き勝手にさせてやりたいな。 ということで、オレはナミの講義を受けることにした。 だけど…… まさかナミに講義を受ける日が来るとは…… そう思いながら、ナミの話に耳を傾ける。 「ゼニゼニ、ゼニガーっ、ゼニ、ゼニゼニィ〜(水鉄砲を出すんだって、強く想うの)!!」 つまり…… 意志の力も、技を繰り出す引き金になってるってことなんだろうか? 体験した本人が言ってるんだから、間違いないと思うんだけど。 そういや、あの時…… オレはナミが水鉄砲を最初に使った時のことを思い返した。 マリルたちの水鉄砲を受けて倒れたオレを見て、ナミは烈火のごとく怒ってたんだよな。 身体はゼニガメだったけど、怒りはマジでホンモノだった。 マリルたちを許せないと思ったのか、それともオレを守ろうと思ってくれたのか…… たぶん両方なんだろうけど、何かを強く想うことで技を出すっていうのは本当かもしれない。 「ゼニぃ、ゼニゼニ、ゼニゼニガーっ(だから、アカツキも何か強く想ってみて)!! ゼニゼニ〜、ゼニガーっ(そうしたら、できるはずだよっ)!!」 「バクフ〜ン(うん、その通り)」 ナミの力強い言葉に、ルースが腕組なんてしながら何度も頷く。 体格的に人間と似通ってる部分も多いから、妙に人間くさいポーズだって取れるんだ。 もしルースが人間になっちゃったら、どんな感じになるんだろ? ちょっとだけ期待しちゃったけど、それはそれで面白いのかも。 姿は異なっても、雰囲気でルースだって見抜かれるんだろうな。 特に、今頃ジョウト地方で旅を続けているアカツキのバクフーン……カエデに押し倒されてジタバタしてるところを見てみたい。 まあ、それこそ無理な相談かもしれないけど。 「バク、バクフーン(だから、やってみなよ)」 ルースの後押しも受けて、オレは心臓がばくんばくんと大きな音を立てるのを肌で感じながら、目の前に切り立った岩壁に向き直った。 何をやってもあまり被害の出ない場所ということで、オレたちは研究所の敷地の外れにある岩場へと場所を移したんだ。 それに、他のポケモンがいなければ、余計なトラブルに巻き込まれずに済む。 ほら、ナミって天然のトラブルメーカーだし。 たくさんポケモンがいる場所に行ったら、それこそ何をするか分かったモンじゃない。 トラブルを避けるためという意味もあるし、万が一それに巻き込まれてバトルにでもなれば、嫌でも応戦しなければならない。 そうなって進化でもした日には、本気でシャレにならない。 じいちゃんからも、バトルはしないようにと釘を刺されてる。 でも、技を使うくらいならいいだろう。 技を使うだけで進化するポケモンなんているはずない。 そもそもポケモンの身体になって三日目でいきなり進化なんてことも、まず考えられないだろうから。 オレはヒトカゲになった。 ヒトカゲの得意技は火の粉や火炎放射、引っかく、噛みつく……いろいろあるんだけど、一番扱いやすいのは火の粉かもしれない。 だから、これができなきゃ火炎放射や炎の渦なんて大技は使えない。 せっかくポケモンになったんだし、やるっきゃない!! オレはグッと手を握り、口を開いた。 炎を燃やすには空気がいるから、思いっきり息を吸い込む。 その時、ナミに言われたとおりに、心の中で強く想う。 オレが思ったのは、必ずナミと二人で人間の姿に戻って、トレーナーとして頑張って行くぞ、っていう意気込み!! 「カーっ(行くぞぉ)!!」 火の粉を吐く―― 思考を固め、意識を集中させる。 気勢と共に、オレは腹に溜めたものを一気に吐き出した!! 刹那、口から真っ赤な火の粉が無数に飛び出して、岩壁に突き刺さった!! ……できたっ!! 本当に火の粉が吐けたという喜びで、集中力があっという間に途切れ、集中力の欠如を認識した瞬間に吐けなくなった。 なるほど…… ある程度の集中力と、強い意思……ナミの言うとおりだ。 なんて、火の粉が突き刺さりながらも焦げ目一つつかない岩壁をじっと見つめながら冷静に分析する。 集中力と強い意思というのは、通常時に誤って技を出してしまわないようにという意味でストッパーとして働いてるってことか。 そうでもなきゃ、自動辻斬り装置のような無秩序なシロモノに成り果ててたら、それこそ今頃人類は滅亡してるだろうし。 でも…… オレは鋭い爪のついた前脚を見やった。 ポケモンは自分の身体を使った技でも、火の粉と同じように、集中力と意思が必要になるんだろうか? ふと、そんな疑問が脳裏を過ぎった。 でも、考えを廻らせるだけの時間はなかった。 「ゼニィ〜っ(やった〜っ)♪」 ナミが喜びの声を上げ、オレの前脚をギュッと握ってきたんだ。 オレが火の粉を吐けたってだけでここまでうれしくされるのもどぉかと思うんだけど…… とはいえ、素直に喜びを爆発させてるナミにそんなことを言うわけにもいかず、オレは笑みを浮かべつつルースに視線を向けた。 ……大変だけど頑張って、と言いたげに、ルースは困った笑みを向けてきた。 オレの心中を察してか、何も言ってこない。 下手な同情ならもらってもすぐに捨てちゃうぞ。 それでも、胸の内に満ちる喜びは本当だったから、喜ばないわけにはいかなかった。 「カーっ、カーっ(本当にできた)!!」 意識は人間だけど、身体はポケモン。 身体がポケモンと同じものであれば、技を使うことができる。 それが分かっただけでも十分だし、本当に技を使ってみて、マジで病みつきになりそうだ。 いつ人間に戻るか分からないんだ。 できるだけのことはやっておきたい。 オレは跳びあがって喜んだよ。 この調子で、他の技も使ってみよう!! と思っていると、ナミが意気込むオレの前に躍り出て、 「ゼニィ〜っ、ゼニゼニガーッ(じゃあ、次はあたしの番)!!」 人間らしい挙手と共に、くるりと岩壁に向き直る。 「…………」 ラッシーは何も言わない。 オレたちが何をしようと、口を出さないと決め込んでいるようだ。 ただ、行き過ぎたことがあった場合はちゃんと注意してくれるんだろうけど。 チラリと、ラッシーの顔を見やる。 オレと視線が合うと、ニコッと笑ってくれた。 微笑ましい光景だって思ってるんだろうな。 「ゼェニィ(せーの)……」 ナミは大きく息を吸い込んで―― 「ガーッ(ゴー)!!」 口を大きく開くと、水鉄砲を発射!! ……ってヲイ。 「カゲーっ(なんじゃそりゃぁぁぁ)!?」 水鉄砲とは思えないような威力に、オレはマジで叫んでしまった。 というのも、ナミが放った水鉄砲は、オレが焦げ目一つつけられなかった岩壁をいとも容易く削り取って、 五十センチほどのクレーターを作り出してしまったからだ。 「バクぅ……バクフーン(わお……すごい威力)……」 普通のゼニガメが使う普通の水鉄砲とは思えない威力に、ルースもマジで唖然としていた。 水鉄砲って言うより、下手をすればハイドロポンプ並の威力がありそうだ。 とはいえ、焦げ目はつかなくても岩壁は熱されていて、そこに水鉄砲が突き刺されば、温度差によって脆くなっているはずだ。 威力がそれほど高くなくても、容易に削り取ることができるんだろうけど…… いくらなんでも、ゼニガメの水鉄砲とは思えないぞ。 「バーナー、バナ、バーナー(君がマリルたちにやられて、怒った時の水鉄砲って感じだねぇ)……」 ラッシーが感心したように漏らす。 なるほど…… 何気なく言ったつもりなんだろうけど、そうかもしれないと、オレはあっさり納得した。 技の威力を決めるのは、ポケモンの身体の強さと、意思の強さだ。 だとすれば、オレがマリルにやられた時のことなど思い浮かべれば、怒りの炎で意思は烈火のごとく燃え上がっている。 それだけ技の威力を引き上げることができるってことだ。 オレはさっき初めて火の粉を使ったから、威力はそんなに引き出せなかったけど、練習すれば少しずつ上達していくはずだ。 悔しいけど、今のままじゃナミには勝てないんだろうな。 なんでだろう、ポケモンになっても、まだ妙な対抗意識が残ってる。 嫌だなあって思うけど、こればかりはどうしようもない。 でも……やっぱり負けたくない。 トレーナーとしての対抗意識はもちろんあるけれど、ポケモンになってまでそれが残るっていうのは、 それだけナミがオレにとって脅威的でライバルと認められるような存在であるという証明なんだ。 張り合うのはいいとして、懸念が一つ。 練習のし過ぎでレベルアップして、進化してしまったら……ってことだ。 自分の意志で進化を止めることができるならいいけど、問答無用で「はい、進化!!」なんてことになったらシャレにならない。 ただでさえあの薬で身体の細胞が変わってしまったっていうのに、ここで進化という形でもってまた変えてしまうと、 下手をすると元に戻れなくなってしまう恐れがある。 じいちゃんからも、バトルやそれに準じたことはしないようにと釘を刺されてるんだけど…… やっぱり、やりたくなるんだよなぁ。 せめて、火炎放射くらいは使えるようになりたい。 ナミだって、ハイドロポンプ並の水鉄砲を使ってるんだから。 やっぱ、負けたくねぇ。 オレが背後で対抗心をむき出しに、闘志を燃やしているとも知らず、ナミが何食わぬ笑顔で振り返ってくる。 「ゼニ、ゼニゼニィ〜っ(どう、すごいでしょ)!?」 ブイサインなどしながら、胸を張る。 「カーっ……カゲカゲーっ(ああ、ありゃすごいよ)……」 オレは認めざるを得なかった。 あれだけの威力の技を使うなんて……ポケモンになって三日目だぞ。 初日にできるようになったことを考慮しても、驚異的な成長と言うしか…… 「カーっ(げっ)……」 頭の中で流したナレーションを止めて、逆再生する。 驚異的な成長。成長ってことは…… オレは慌ててラッシーに向き直った。 「カーっ、カゲカゲカーっ、カゲーっ(ラッシーは、自分の意思で進化した)? カゲーっ、カゲカゲーっ、カーっ(それとも、意思とは関係なかった)?」 返答次第では、とんでもないことになる可能性がある。 オレの切羽詰った様子を見て、ただ事ではないと思ったんだろう、ラッシーの表情が曇る。 「バーナー、バナ、バーナーっ(進化は自分の意思だよ。拒絶するのも、自分の意思だ)」 よかった…… オレはホッと胸を撫で下ろした。 自分の意思で進化をある程度コントロールできるなら、それに越したことはない。 進化したら元の姿に戻れなくなるかもしれないということは、ラッシーに話してある。 だから、その場しのぎのウソでないことは容易に理解できる。 ただ、ルースとナミはオレたちのやり取りの意味が分かっていないらしく、きょとんとした顔で首を傾げていた。 「ゼニ、ゼニゼニィ〜(え、どうしたの)?」 「カゲーっ(なんでもない)」 オレは何事もなかったように頭を振った。 とりあえず、自分の意思で進化を止められると分かれば、それで十分だ。 万が一ナミが進化しそうになったら、抑制してもらえばいい。 これさえ聞けば、あとはいくらでも練習のしようがある。 オレはナミに向き直り、 「カーっ、カゲカゲーっ、カーっ(ナミ、オレとバトルしよう)」 「ゼニィ〜(ええっ)!?」 突然の提案に、ナミがオオゲサに身を引いて驚く。 いや、驚かれても……って思いながら、オレは言葉を足した。 「カーっ、カゲカゲカーっ、カゲーっ、カゲカゲーっ。 (オレ、火炎放射を使えるようになりたいんだ。だから、そのためには練習するしかない)」 一人での練習には限度がある。 だから、どうせならちょっとくらい痛い思いしてでも、実戦形式(バトル)での練習の方が上達は早いはずだ。 すぐには納得してもらえないだろうと思ったんだけど…… 説明し終わるや否や、ナミがキラキラと目を輝かせ、大きく頷いた。 「ゼニィっ(いいよっ)!! ゼニゼニ、ゼニガーっ(相性、あたしの方が有利だけど大丈夫)?」 まあ、ナミなりにいろいろと気を遣ってくれているようだけど、心配には及ばない。 ゼニガメよりは素早い動きができるし、水鉄砲だって放たれる瞬間さえ見切れれば、あとは口の向きから方角は読み取れる。 「カーっ(オレはマジで行くぞ)!! カゲカゲ、カーっ(気を抜いてみろ、すぐに火の粉食らわせてやる)!!」 オレはやる気を示すため、前脚の爪を振り上げ、声を張り上げた。 すると、ナミも本気になった。 「ゼニぃっ(オッケー、分かったよ)!!」 得意気に胸を張って、叫んだ。 ――ちょうど、その時だった。 ナミの身体が光に包まれた!! これは……っ!! オレもルースもラッシーも息を飲んだ。 噂をすれば何とやらっていうヤツか!? なんて、突然のことに驚いちゃったけど、そんなことしてる場合じゃなかったんだ!! 「カーっ(ナミ)!!」 オレはもう一度声を張り上げた。 「カゲーっ、カゲカゲーっ(進化だ、おまえ進化しちまうぞ)!! カゲカゲーっ、カーっ、カゲーっ、カゲカゲカーっ!! (進化はおまえ自身の意思で止められるんだ、だから進化を取りやめろ。元の姿に戻れなくなっちまうかもしれないぞ!!)」 張り裂けんばかりの声で叫ぶ。 まさかこのタイミングで進化が始まるとは思わなかった。 だから、何がなんでも、進化を止めさせる!! 本当に元の姿に戻れなくなったら、ハルエおばさんが本気でじいちゃんやナナミ姉ちゃんの首絞めて窒息死させかねない。 そうならなくたって、ナミが元の姿に戻れなくなるっていうのはマジで困る。 オレの声はナミに届いているんだろうか? そう思ってしまったのは、ナミの身体を包んだ光が徐々に膨らんでいったからだ。 ヤバイ……!! 危険信号が頭の中に灯る。 細胞の組み換えが始まってる!! 手遅れか……!? オレは焦りながらも、ナミに引っかく攻撃を繰り出した。 「カーっ(止まれッ)!!」 進化を止めさせる!! 余計な邪魔が入れば、進化も止まるはずだ。 前脚を振りかぶり、鋭い爪を振り下ろす!! キッ!! 甲高い音がして、爪は光の表面に突き立っただけで、それ以上は食い込まなかった。 まるで、硬い何かに弾かれたような感触が腕を伝う。 硬い何かって…… 嫌な想像が膨らんでいく。 でも、その想像を振り切って、続いて火の粉を放つ!! 狙うは、甲羅のガードがない頭!! 許せナミ、おまえの進化を止めるためだ!! 至近距離から放たれた火の粉は見事ナミの頭を直撃したけど、光の膨張は止まらない!! ヤバイ、どうすればいい!! オレの力じゃ止まらない。 「カーっ、カーっ(ラッシー、ルース、どんな手段を使ってもいい、止めてくれ)!!」 オレは振り返りざま叫ぶけど、二人とも、何もしてくれなかった。 「バーナー、バナ、バナバナ、バーナバナ(ダメだよ。ここまで来たら、止められない)……」 「カーっ(そんなぁ)……」 返ってきたのは絶望的な答え。 まあ、元に戻れないと決まったわけじゃないから、あきらめてしまうのはそれこそ時期尚早なんだろうけど…… 可能性が一つ減ったと考えると、やっぱり痛いよ。 止められないなら、どうすればいいんだろう。 どうしようと思ってナミに視線を戻す。 「カメぇ〜っ(わお〜っ)!!」 ナミが生まれ変わった身体を自分でじろじろ見ながら、歓声を上げる。 こいつ、本当に自分の置かれてる立場が分かってんだろうか……? 拳骨の一発でもくれてやりたいところだけど、進化しちまったんだから、しょうがない。 ナミが…… カメールに進化しちまったんだよ。 オレよりも大きくなっちまったんだよ。 さっきまではオレと同じくらいの背丈だったのに。 なんか、そっちの方でへこんじゃう。 「カメカメ〜っ、カメールっ(アカツキ、見て見て。進化しちゃった)!!」 ナミはやっぱり自分の立場を分かっていなかった。 進化したんだって、素直に喜んではしゃいでいる。 じいちゃんから言われたことを、すっかり忘れてしまったようだ。 万が一進化したら、元に戻れなくなってしまうかもしれない……ってことだ。 今さら問いただしたところで、ケロッと、 「あーっ、忘れてた〜っ」 ……って言うに決まってる。 わざわざ自分から遣る瀬無い気持ちを作り出してもしょうがないから、止めとこう。 オレがあんまりうれしそうな様子を見せないものだから、ナミも不満げに頬を膨らませながらやってきた。 「カメ〜、カメカメ〜(アカツキ、うれしそうじゃないね)?」 「カーっ(当たり前だろーっ)!!」 あまりに傍若無人なセリフに、ついにオレも堪忍袋が切れた。 音を立ててはちきれるのを感じたのは、これが最初で最後かもしれない。 そう思うくらい、オレは頭の中に稲妻をバチバチ落としていた。 ここまで無自覚なヤツとも、そうそう出会えるモノじゃないんだろうけどな。 「カーっ、カゲカゲ、カーっ(おまえ、自分の立場分かってんのか)!? カゲカゲーっ、カーっ、カゲカゲカーっ(進化したら、元の身体に戻れなくなるかもしれないって、じいちゃんが忠告してただろ)!!」 このまま怒りに任せて火の粉をぶつけてやりたいけれど、それでオレまで進化しちまったら、それこそ本末転倒!! ここは、言葉だけでガマンしとこう。 オレの剣幕に割って入れるような雰囲気でないことを悟ってか、ラッシーもルースも遠巻きにやり取りを見守っている。 「カーっ、カゲカーっ、カゲカゲーっ、カーっ(オレが、進化は自分の意思で止められると叫んだの、聴こえなかったのか)!?」 「カメ〜っ(聴こえてたけどぉ)……カメカメ、カメール、カメ(身体の芯から湧きあがるような、パワー、って言うの)? カメ、カメカメ〜っ、カメーっ(そういうの、感じちゃって。気持ちいいから、止められなくなっちゃったの)」 オレの烈火のごとき追及に、ちょっとは悪びれた様子を見せるナミ。 背が高いのに上目遣いで、指を目の前で突き合わせる。 本当に悪いとは思ってなさそうだな…… それ以上追及するのは止めることにした。 いきなりカメックスに進化するようなことはないだろうし……カメールのままで落ち着けば、それに越したことはない。 「カメ〜っ、カメカメ、カメールっ(あれは気持ちよかったよ。アカツキも体験したら)?」 「カーっ(誰がするかッ)!!」 あー、これはちゃんとじいちゃんに報告した方がいいなぁ。 スカーフを首に巻いてるのは変わらないから、本人を見せればじいちゃんには納得してもらえるんだろうけど、どんな反応をするんだろう。 歳とって、いろいろと脆くなってることだし、それこそ下手をすればポックリ逝っちゃうかもしんない。 でも、だからって誤魔化すのも無理だろう。 ナナミ姉ちゃんがいつ見に来るか分かったモンじゃない。そうなる前に、じいちゃんに見せといた方がいい。 「カーっ、カゲカゲカーっ、カゲーっ(でも、進化しちまったんだから、そりゃしょうがないな。でも、バトルは自粛しろ)」 「カメ〜っ(え〜っ)」 「カーっ(ただし)……」 オレはナミに指を突きつけた。 「カゲカゲ、カーっ(オレとのバトルはしてもらう)!!」 「カメカメ〜っ(言ってることとやってることが違ってるじゃな〜い)!!」 「カゲ、カーっ(問答無用ッ)!!」 確かに言ってることとやってることが違ってる。 でも、カメールになって、ちょっとやそっとのバトルでカメックスに進化するとは思えない。 最終進化形のハードルっていうのは、思いのほか高く設定されているものだから。 ただ、ナミの場合は指定されなければ、マジでエンドレスでバトルしかねないから、一応釘を刺しといただけ。 オレとバトルするのは自由さ。 でも…… 何がなんでも、受けてもらう。 オレは口を開き、火の粉を吐き出した!! 「カメ〜っ(わー、やる気だぁ)」 ナミは困ったような顔を見せるけど、やる気満々なのは声音からでも十分に分かる。 だから、バトルをしてもらうぞ!! 進化して実力が上がったのは分かるけど、相性が不利なオレがどこまで頑張れるのか。 頑張り次第で、火炎放射が使えるようになるかもしれない。 ポケモンが実際にどんな風に戦ってるのか。 自分で体験することで、また新たな発見があるかもしれない。 どんな発見かは分からないけれど、これからのトレーナー生活で、不可欠なモノになるはずだ。 だから、ポケモンの身体で実際に戦ってみたい。 ナミは甲羅にこもって火の粉をやり過ごす。 オレのやる気が伝わってか、すぐに首と手足を甲羅から出して、挑戦的な目つきでオレを見つめてきた。 「カメ、カメカメ〜(でも、いいの)? カメカメ、カメール(あたし、手加減なんて苦手だよ)?」 「カーっ(全力でやろうぜ)!!」 「カメ〜っ(うん)!!」 手加減なんて要らない。 ナミの方が強かろうが、オレの方が相性不利だろうが、そんなのはどーでもいいんだ。 とりあえず、今はナミと全力で戦りたい。 それだけさ!! 初めてのことで勝手が分からないけど、感じたままに動けば、とりあえずバトルらしいことができるはずだ。 それで火炎放射が使えるようになれば、万々歳ってモンさ。 よし、やるぞっ!! バトルを前に、気分はこれ以上ないほど昂っていた。 「カーっ!!」 オレは気合と共に火の粉を放った!! 心なしか、さっきよりも威力が上がっているように思えるけど、構うだけの余裕がなかった。 というのも…… 「カメ〜っ(それ〜っ)!!」 ナミが水鉄砲を放って、オレの火の粉がいとも容易く吹き散らされてしまったからだ。 ちっ、やっぱり正攻法じゃ通用しないか……!! これくらいは予想してた。 さっき、ゼニガメだった時に見せた水鉄砲と、オレの火の粉と。 威力が明らかに違っている上に、相性まで悪いんだ。 そこに進化という形でさらにアドバンテージが加われば、普通にやったって、まず敵わない。 攻撃力も防御力も、カメールに進化したナミの方が上。 となれば……付け入る隙があるとすればスピード!! ヒトカゲの方が素早く動けるのは、相手がゼニガメだろうとカメールだろうとカメックスでも変わらない。 種族的なスピードは、小手先の努力じゃ覆せないんだ。 オレは駆け出した。 横にぐるりと回りこむけど、ナミは身体の向きを変えるだけで、オレの動きに対応してくる。 まあ、それも当然予想してた。 ナミもポケモンになって三日だから、どれだけ自分で動けるかっていうのは分かってない部分が多いだろう。 上手くすれば、出し抜ける……!! オレは口を開き―― 火の粉が来ると警戒したナミが、先に水鉄砲を放ってくる!! その瞬間を狙って、オレは斜め左に踏み出した!! 「……!?」 水鉄砲を放った直後で硬直して動けないナミが、驚愕の表情を浮かべてさらに反応を鈍化させる。 火の粉を吐くフリをして、フェイントをかけただけさ。 真正面から挑んでも勝ち目なんてないんだから、普通はそういった変則的な手を警戒すべきだ。 もっとも、ナミにそんなことを言ってもしょうがないと思うけど。 それに、どうせなら搦め手から攻めるやり方ってのを、実際に見せてやるのが一番だ。 体験すれば、人間に戻った後、トレーナーとしてやっていくのにもいろいろと役立つだろう。 ナミのポケモンはどっちかというとパワーゴリ押し型で、ちょっとやそっとの相性なら容易くねじ伏せてしまう。 言い換えれば、実力が互角の相手と、相性の悪いポケモンで戦うことになった場合、 搦め手や変則的な攻撃を知らなければ、勝てなくなってしまうんだ。 ナミが慌てて身体の向きを変えてくるけど、オレはナミの真横に滑り込み、フサフサした青白いシッポに噛み付いた!! 「カメェェッ(きゃーっ)!!」 水鉄砲を潜り抜けて噛みつく攻撃を食らうとは思っていなかったようで、ナミはパニックに陥った。 進化と相性の良さという二つのアドバンテージを持ってるからって、油断したな。 オレは口の中に生えた牙を、ナミのシッポに突きたてた。 実際に噛みついてみて、ポケモンの温もりみたいなモノを感じたけど、ナミがパニくって、 水鉄砲を放ちながらじたばたするものだから、オレは振り払われないように牙を突きたてるのが精一杯だった。 「バクぅっ(わーっ)!!」 ルースの情けない声が聴こえたかと思ったら、 「バーナー(こら、止めんかい)……!!」 ラッシーの叱咤が飛ぶ。 水鉄砲がルースとラッシーに当たっているようだ。 戦いの巻き添えを食らうなんて災難だなあって思うけど、オレだって他人のことを考えてるだけの余裕なんてない。 進化によって上乗せされたパワーで、オレは振り払われそうになる。 地面に身体擦ったり、危うく岩に顔ぶつけそうになったりと、かなりデンジャラスだ。 でも、この状態なら…… オレは意識を集中させ、ナミのシッポに噛み付いたままの状態で、火の粉を放った!! ゼロ距離から放たれた火の粉は、オレの口の中でナミのシッポに突き刺さる!! 「カメ〜っ(ぎにゃーっ)!!」 痛くて悲鳴をあげてるのか、それとも黄色い歓声なのか、声音から判別つかないけど、ナミの場合は両方かもしれない。 そう思いつつ、オレは視界の隅に平らな地面を見つけ、タイミングを計ってナミのシッポから口を離した。 フサフサの青い毛で覆われたシッポは、無残にも焦げてしまっている。 振り回されている最中に見つけた平らな場所に着地して、ナミに向き直る。 すると…… 「カメ、カメカメぇ〜っ(ちょっと、痛いじゃないっ)!!」 ナミは目尻を吊り上げて、怒りを露にしていた。 そりゃ、なあ…… バトルなんだから、痛いのは当たり前だろ。 なんて言う間もなく、怒り狂ったナミが水鉄砲を発射してきた!! 怒ってる分、攻撃力が上がってる。 あんなの食らったらマジでKOだ。 オレは慌てて避けたけど、当然水鉄砲が追いかけてくる。 攻撃が激しくて、近づくことすらままならない。 ジャンプして、着地して、しゃがんで、転がって……そんな一連の回避動作を何度か繰り返した時だった。 水鉄砲を避けることに夢中になっていたオレは、眼前に突き出た岩の存在に気づくのが遅れてしまった。 ハッとして気づいた時には遅かった。 ジャンプして飛び越えようとしたけれど、一瞬の対応の遅れが、致命的なミスを呼び込んだ。 横手から唸りを上げて飛んできた水鉄砲が、オレの身体をいとも容易く吹っ飛ばし、そのまま岩壁に叩きつけた!! 「カゲーっ(う、ううっ)……」 水鉄砲の突き刺さるような痛みと、岩壁に叩きつけられた痛みで、頭の中が真っ白になる。 ただでさえデカいダメージだってのは、地面に転がった時に理解できた。 ずぶ濡れになった身体が、思うように動かないんだ。 「…………ッ」 身体に力を込めるけど、水鉄砲でゴッソリと体力を持っていかれたらしく、頭の中で思い浮かべた動きについていかない。 辛うじて顔を上げると、ナミがやりすぎたと言わんばかりの表情で駆け寄ってきた。 「カ、カメ〜っ(ちょ、ちょっと大丈夫)?」 大丈夫なワケないだろ。 反論するにも、口を開くこともできない。 これが、戦闘不能になるってことなんだろうか? 自分の意思で身体を動かせない。 気のせいか、少しずつ意識も遠のいていく。 「カメ、カメ、カメ〜ル(大変、どうしよう!!)」 慌てふためくナミの様子に、怒りに身を任せて後悔した気持ちが読み取れたけれど、遠のく意識はどうしようもない。 足掻いてみるけど、どうにもならない。 「カ、カゲーっ(ちくしょう)……」 いくら威力がデカイとはいえ、一発の水鉄砲で気を失っちまうなんて、不様としか言いようがない。 バトルに不慣れなヒトカゲなんだから仕方ないということは分かっていても、自分自身の弱さにどうしようもない苛立ちを覚えるのは否めなかった。 数秒後。 張り詰めた糸がプツリと切れるように、オレの意識もあっさりと途切れてしまった。 アカツキとナミのバトルの様子を、ナナミは望遠鏡を使って観ていた。 「もう……バトルはするなっておじいちゃんが言ったのに…… ナミが進化しちゃうし、元の身体に戻れなくなっても知らないからね……ああ、もう……バカ」 誰も近くにいないということもあって、言いたいことを言う。 祖父……オーキド博士はアカツキとナミがポケモンになってしまったことを外部に知られぬよう上手く立ち回っているが、 猫の手も借りたいような状況にもかかわらず、ナミはカメールに進化してしまった。 バトルはもちろん、それに準じたこともしないようにと、博士が二人に注意したそうなのだが、残念ながら進化してしまった。 ただでさえ人間からポケモンになる時に細胞の変化が起こっているのだ。 ここでさらに進化という形で変化を複雑にしてしまえば、元に戻れるかどうかも分からなくなる。 もしも博士に知られれば、本当に倒れてしまうかもしれない。 だが、知らせなければならないのだ。 「アカツキとナミがバトルなんかして、アカツキが水鉄砲で倒されてそのまま寝込んだってこと……知らせたくないんだけどなあ」 今、博士は別室で休んでいる。 忙しく立ち回ったせいで、心身ともに疲労が溜まっており、一日に何度も休憩を取らなければならない。 そんな博士に追い討ちをかけるようなことはしたくないが、黙っていてもいずれは分かってしまうだろう。 だったら、早いうちに知らせて対策を講じてもらった方がいい。 ナナミはため息混じりに、ルースが気を失ったアカツキを抱えている様子を見やった。 カメールに進化して、アカツキを水鉄砲で倒してしまったナミはアタフタして、見るに耐えない様子だった。 「ラッシーも、止めなかったなんて……何を考えてるのかしら」 アカツキなら、ラッシーにすべての事情を打ち明けているはずだ。 その中には、バトルやそれに準じた行為で進化してしまうかもしれない。 進化したら元に戻れなくなるかもしれないということも含めているはずだ。 だから、ラッシーはそれを知っているなら止めるはずだ。 一体何を考えているのか分からない。 望遠鏡越しに見やった光景は、人間に戻れなくても良いと考えているのではないだろうかと、妙な勘繰りをしたくなる。 「……本当にポケモンとして生きていけるって言うんだったら……でも、それは無理だわ」 中途半端なところでポケモンの世界に飛び込んだところで、生き抜くことは不可能だ。 異なる世界で生き抜くのは、想像などよりもよほど過酷で残酷なものだから。 ナナミは遣る瀬無い気持ちを抱えつつ、望遠鏡を机に置いて、博士が休んでいる別室へと向かった。 扉には休息中のプレート。 カギがかかっていないことは分かっていたので、ナナミは周囲に誰もいないことを念入りに確認してから、ノックして部屋に入った。 返事はなかったが、彼女が部屋に入るなり、博士は頭までかぶっていた布団をどかして、寝ぼけ眼ながらも出迎えてくれた。 だが、ナナミの怒りすら漂う表情に、博士の眠気が一気に吹き飛ぶ。 身を起こしながら問いかける。 「ナナミ、どうしたのじゃ?」 「ナミがカメールに進化してしまいました」 「……なんじゃと!?」 一番聞きたくなかった報告に、博士の目はパッチリと驚愕に見開かれた。 進化しないようにと、あれほど念を押しておいたのに、進化してしまうとは…… だが、一度進化してしまえば、後戻りはできないのだ。 「その上、アカツキとバトルして、水鉄砲でアカツキを戦闘不能にしてしまいました。由々しき事態かと」 「うむ……」 天地がひっくり返りそうな話だ。 博士は唸りながら、背後に立てかけた枕に倒れこんだ。 ナナミは「由々しき事態」と簡単に言ってのけるが、それどころの話ではない。 製薬会社に調合を急がせている例の薬は、アカツキがヒトカゲに、ナミがゼニガメになった時と同じ成分を予定している。 同じ成分を投与すれば、元の身体に戻れるはずだという仮説に基づいているのだが…… 進化という形でさらに身体の細胞を変化させてしまえば、同じ薬を与えても元に戻れるかどうかは分からない。 ポケモントレーナーにとって、ポケモンの進化は感動すべき事象だが、今に限って言えば、最悪な事態でしかない。 「望遠鏡越しに見てたんですけど、バトルをけしかけたのは、どうもアカツキのようでして……」 「ふむ……」 「アカツキは頭のいい子ですから、何をすれば危険か、ということくらいは分かっていると思うんです。 それなのに、けしかけるなんて……何を考えているのか分かりません」 「うぅむ……」 「ポケモンのままでも構わないと思っているのでしょうか? まさか、そんなことは天地がひっくり返ってもありえないとは思いますが……早々に手を打つべきかと。 究極の手段として、拉致監禁がありますが……どうしましょう」 「うむぅぅぅ……」 ナナミが言葉を重ねるたび、博士の眉間のシワが増え、唸り声も悲痛なものへと変わっていく。 これは早々に手を打つ必要がある。 「わたしがアカツキとナミを連れてきますから、特製の檻に閉じ込めますか?」 「いや……」 ナナミのいささか過激な発言に、博士は苦渋に満ちた顔で首を振った。 「そこまでする必要はあるまい。 人間であるわしらには、アカツキとナミの今の気持ちを理解することはできん。 それに、アカツキのことじゃ、何かしらの考えがあってのことじゃろう。 ポケモンになって、ポケモンのまま生きていきたいと思うことはないじゃろうが……」 「では、どうします?」 「とりあえず、様子を見よう。 不満じゃろうが、今のわしらができることは、二人を外から守ってやることだけじゃ」 「……分かりました。おじいちゃんがそう言うなら……」 確かに不満だ。 ナナミはそれを隠そうともしなかったが、博士が彼女の気持ちを察しているのだから、隠したところで無意味だ。 ナミはどうか知らないが、アカツキならすべての状況を把握して、どう行動すべきか理解しているはずだ。 にもかかわらず、ナミはカメールに進化し、あまつさえポケモンバトルなどという、現状でとても危険な行為に出た。 暴挙と言ってもいい。 何故その行為を選んだのか、言葉が通じるなら徹底的に追及してやりたいところだ。 「……薬は数日中に完成すると聞きましたけど」 ナナミは話を変えた。 二人を外から守ってやることだけだと言った時の博士の表情は、とても辛そうだった。 本当に自分たちは外から守ってやることしかできないのだと、無力感を噛みしめているようでもあった。 そんな博士の表情を見るのが辛くて、とっさに話題を変えたのだ。 彼女に合わせてか、博士も表情を和らげた。 「うむ、早ければ明日……輸送を考えれば明後日の早朝じゃな。手に入れば、すぐにでも飲ませる手筈を整えておる」 「では、明日の晩には二人をここに呼んだ方がいいですね」 「うむ。それはおまえとケンジに任せよう」 「分かりました。それと……ハルエおばさんはどうされていますか?」 「落ち着いておるよ。アキヒト君に知られまいと、必死に誤魔化していると、先ほど電話をもらった」 「なるほど……」 『敵』は、何もアカツキの両親だけではない。 ナミの父、アキヒトもその一人なのだ。 彼はいつも穏やかでのほほんとしているように見えるが、実は優れた洞察力の持ち主なのだ。 だから、いくらハルエが落ち着いていると言っても、些細な変化からも、本質までたどり着いてしまう危険性があるのだ。 「では、わたしも準備を進めておきましょう。 策は十重二十重にめぐらせておいた方が、成功率が高まりますから」 言って、ナナミは博士に背を向けた。 「うむ……じゃが、やりすぎぬよう、気をつけるのじゃぞ」 「心得ております。それでは……」 博士の『忠告』に小さく頷き、ナナミは部屋を後にした。 ポケモン生活、四日目。 今日の目覚めはお世辞にも快適とは言えなかった。 突き刺さるような寒さを覚え、身体を震わせる。 その時、目が覚めた。 確か、オレは…… 目を半開きにしたまま、オレは目覚める直前のことを思い返した。 ナミとのバトルで、水鉄砲を食らって……そのまま気絶しちまったんだっけ。 すごく惨めなんだけど、こればかりはしょうがない。まともに戦えばまず勝ち目はなかった。 いろいろと考えていると、頭の上から声が降ってきた。 「カメ、カメ〜ル(あ、目が覚めた)!!」 ナミの声だった。 声の方に身体を向けようとしたけど、鈍ったように思うほど動いてくれなかった。おかげで、何秒もかかってしまった。 バトルでの疲れが取れてないみたいだ。 昨日と同じ場所で目覚めたはずなのに、寒さを感じる。 ナミの水鉄砲を食らって下がった体温を完全に取り戻せていないからだろう。 あー、なんか寒い。 「カーっ……」 ため息混じりに声を出す。 自分でも分かるくらい、元気がない。 だけど、ナミにはそれで十分だったらしい。 「カメ〜っ(良かった〜)!!」 目をキラリ輝かせながら、ナミがオレの身体を易々と抱き上げてみせた。 「か、カゲーっ(お、おい)……」 何もいきなり抱き上げることはないだろうと抗議したんだけど…… ナミが本当に安心したような顔を見せたものだから、それ以上は何も言えなかった。 ナミはオレが目を覚ましたことを素直に喜んでいるようだった。 渾身の水鉄砲で戦闘不能にして、それなりに負い目を感じてたのかもしれないな。 まあ、弱点を食らったら普通はそうなる。 オレがフシギダネになってたら、葉っぱカッターや蔓の鞭でナミを戦闘不能にしてただろうし。 でも、なんていうか…… なんとか死ぬこともなかったし、とりあえずはこれで万事解決ってことで!! ナミに振り回されながら見たラッシーとルースの顔は安堵の感情を浮かべていた。 だから、これ以上引きずるのはやめよう。 ナミに負けたことは悔しい。 勝とうと思えば勝てたんだろうけど、そこんとこはオレのミスによる敗因が大きかったに違いない。 一分くらいぐるんぐるん振り回されたけど、何とか地面に降ろしてもらえた。 足をつけた直後はフラッとしたけど、すぐに元通りの感覚に。ポケモンのバランス感覚って、やっぱり人間の比じゃない。 「カメ〜、カメカメ〜(アカツキ、ごめんね。やりすぎちゃった)」 ナミは素直にペコリと頭を下げてきた。 やりすぎたという自覚があるのかどうか、表情からして疑わしいんだけど、ちゃんと謝ってくれたんだから、不問に伏そう。 オレは背伸びしながらナミの肩をぽんぽん叩いて、 「カーっ、カゲカゲ、カーっ(痛かったけど、あれはバトルだったんだ、しょうがないって)」 「カメ〜(ありがと〜)!!」 どちらとも差し出した手を固く握り合う。 どこにでもある安っぽい友情シーンの出来上がりってところだったんだけど…… 「ザングゥゥゥス(ほう、これはこれは)……」 「ヤルッキ〜(お目覚めになりましたかご主人様)!!」 げ…… 横手から、楽しそうとも小ばかにしているとも取れる声が聴こえ、オレは慌ててナミの手を振り払い、身体を向けた。 モグラ叩きのモグラみたく、茂みから首だけ覗かせて、レイヴとロッキーがニヤニヤしながらこちらを見ていた。 一番見つかりたくないヤツに見つかっちまったな…… よりによって、『お目覚めになりましたかご主人様』なんて、天地がひっくり返ってもありえないような言葉までかけてきて!! こりゃ完全にからかってるな……レイヴとロッキーの困ったクセなんだよ。 相手が格下と見るや、誰彼構わずにちょっかい出すんだ。 人間の頃ですら、いきなり抱きつかれたりほっぺたをつままれて左右に伸ばされたりしたんだ、ポケモンになったと分かれば…… もう分かってるみたいだけど、何をされるか分かったモンじゃない。 傍にラッシーがいるから、行き過ぎたことはしないと思うけど、やっぱり心配だ。 オレが胸中で訝しんでいることを察してか、二人は茂みから飛び出して、ゆっくりと弄るような足取りでやってきた。 当然、顔には嫌らしい笑みなど貼り付けて。 あー、どーしよう。 目覚めがただでさえ快適でなかったっていうのに、追い討ちをかけるようにこの二人がやってくるなんて…… いくらなんでも、勘弁してくれって感じだよ。 とはいえ、今さら追い払うこともできそうにないんだけど。 「ザングース、グース、グゥゥゥス(久しぶりに会ったと思ったら、こんな姿になっちゃって)……」 わざとらしい口調で言いながら、レイヴが爪でオレのほっぺたを軽く突いた。 この分だと末代までからかわれるかもしれない……と思っていると、続いてロッキーが、 「ヤルッキ〜、ヤルッ、ヤルッキー(でも、これはこれで面白そうだな)!!」 なんてこっちの事情を無視するようなことまで言い始める。 あぁ、ポケモンになったせいで、レイヴやロッキーの言葉が分かってしまうんだ。 人間の頃は、大まかな感情は読み取れても、細かな気持ちや言い分というのはよく分からなかった。 まあ、レイヴたちが普段何を思ってるか分かるようになったんだから、今後でそれを生かしていかなければならない。 うん、そう考えよう。 何事もポジティブシンキングだ。 と、立ち直ったんだけども…… 「グース、グゥゥゥス(じゃ、遊びましょ)」 レイヴがオレの手を取った。 何が楽しいのか、ニヤニヤしている。 あー、なんか嫌な予感するなあ…… その時だった。 「カメ〜ッ、カメカメ〜っ(アカツキはあたしと遊ぶの、レイヴちゃんには譲らないの)!!」 ナミが声を張り上げ、反対側の手を取る。 ……って。 嫌な予感がさらに膨らんでいって……現実になっちゃった。 ぎゅーっ。 両側から引っ張られ、オレは身体が裂けそうな痛みを覚えた。 「カゲーっ(こら離せおまえら)!!」 痛みから逃れたい一心で思いっきり声を張り上げて叫ぶけど、二人とも聞く耳を持ってくれない。 レイヴはオレをからかう絶好の機会だと思っているし、ナミはオレと遊びたいんだって思ってる。そこに妥協なんて見出せるはずもない。 「カゲーっ(ぎゃーっ)!!」 誰でもいいから助けてくれ。 オレはシッポを振り回したり火の粉を吐いたりしたけど、レイヴもナミもオレの攻撃を容易く防いでしまった。 ラッシーとルースが慌てて動き出すけれど、ロッキーが巧みに動き回って邪魔するものだから、近づけずにいる。 ちっくしょ〜。 レイヴとロッキーは何かにつけて仲良しだから、完全に結託してるのは間違いない。 どうにかして逃げられないものか。 レイヴとナミの綱引きは一進一退。 単純なパワーならレイヴの方が上なんだけど、ナミの負けん気が、劣っているパワーを補っていて、完全な互角。 だけど、互角ってことが、オレにとってはマジで最悪だ。痛いもん。 「カゲーッ、カゲカゲーっ(からかいたいなら別の方法でからかえ、レイヴ)!!」 オレは身体を捩って、レイヴに向かって叫んだ。 からかわれるのはいい気がしない。だからって綱引きされるのはもっと嫌だ。 それだけを言おうとしたんだけども…… どういうわけか、運命ってヤツは余計な気を利かしてくれるらしい。 身体が燃え出したように熱を帯びる。 「……っ!?」 叫んだりして、体温が戻ってきたんだろうかと思ったけど、次の瞬間には、そんな生温いものでないことに気づく。 本当に燃えてしまいそうだけど、辛いという意味で『熱い』とは感じなかった。 むしろ、勝利の美酒に酔いしれているような心地良さと高揚感が身体と心をすっぽり包み込んでいる。 視界が光に閉ざされて、何も見えなくなる。 これは……まさかっ……!! 身体の芯から湧き上がる力。源泉のように力強く、純粋で……それゆえに容易く黒くも染まりうる……!! 間違いない、進化だ!! ナミが昨日言ってた言葉を、オレは思い出した。 ――身体の芯から湧きあがるようなパワー、って言うの? そういうの、感じちゃって。気持ちいいから、止められなくなっちゃったの。 あれは気持ちよかったよ。アカツキも体験してみたら? そのとおりだった。 身体の芯から湧き上がる力。 高揚感に紛れて、心地良さへと変わっていくのを感じずにはいられない。 ナミが『止められなくなった』と言うのも分かる気がするけれど……!! 進化は自分の意思で止められる!! それはラッシーが言ってくれたことだ。 今オレの身体に起こってるのは間違いなく進化!! これ以上、細胞の組み換えを行わせるわけにはいかない!! オレは歯を食いしばって、身体中を充たす力の心地良さを跳ね除けようと強く意思を固めたけれど、 激流のごとき勢いで流れ込んでくる新しい力に為す術もなく、あっという間に飲み込まれてしまった。 本当に自分の意思で止められるのか……ラッシーがウソを言っているとは思わない。 だけど、これはよっぽど強靭な意思でない限り、食い止められるものじゃない。 少なくとも…… オレ程度の意思じゃ、止められない。 気づく間もなく、オレは力の気持ちよさに酔いしれ、進化を止めることができなくなってしまった。 そして…… オレは目を開き、さっきよりも視点が高くなっていることに気づく。 どういうわけか、みんなオレから離れたところに退避してて、遠巻きに恐る恐る見ているような感じだった。 さっきまで綱引きをやってたのは、一体なんだったんだ? マジで無意味だなあって思ったけど…… でも……オレ、本当に進化してしまったんだろうか? なんだかよく分からなかったけど、ヒトカゲとリザードの違いは、身体の大きさや色だ。 進化すると身体は大きくなるし、色もより真紅に近くなる。完全な赤ではないけれど、より深みを増した色になるんだ。 で、手を挙げてみたら…… 「ガーっ(げっ)……」 赤くなってたし、爪も鋭くなってた。 もちろん声も変わってた。ヒトカゲの時は甲高かったけど、一オクターブくらい低くなったような感じさえ受ける。 ヒトカゲじゃないのは明らかだ。 やべ、マジで進化しちまったよ。 じいちゃんから、進化しないように気をつけろって言われてたのに〜っ!! どうしよう、本当に戻れなくなっちまったらマジでヤバイって!! 「バーナー、バナ、バナバナー(本当に進化しちゃったよ、アカツキ)……」 「バクぅ(驚いたねえ)……」 ラッシーもルースも、唖然としている。 だけど…… 「カメ、カメカメ〜(やったー、アカツキも進化した〜)!!」 どういうわけかナミは大喜び。 ジャンプしたり手を振ったりと、全身で喜びを表している。 えっと…… どう反応していいか分からずに、オレはレイヴとロッキーに身体を向けた。 ビクッ。 二人の身体が小さく震えるのが見えた。 人間の視力じゃ絶対に分からない程度の震えだけど、ポケモンなら分かってしまうんだな。 とりあえず……進化しちゃったのは、しょうがない。 今さらヒトカゲには戻れそうにないし。 どうせ戻れないんだったら……あ、そうだ。 リザードはヒトカゲよりも攻撃力がかなり高いんだ。実際に試しちゃおうか♪ 相手なら、目の前にいるし。 そんなことを考えているものだから、自然と口元に笑みが浮かぶ。 びくびくっ!! さらに震えるレイヴとロッキー。何をされるのか、分かったらしい。 それに…… オレの後ろに、ナミとルースとラッシーが控えている。 「ガーっ、ガーっ、ガガーっ(そんなにからかいたいんだったら、相手になってやるぜ)? ガーっ、ガーッ(ちょうど、この力を試してみたいと思ってたんだ)」 身体の芯から湧きあがる力。 進化の時に感じた力が、今は自分の思ったとおりに使えるんだって理解できる。 火の粉なんて朝飯前。今なら、火炎放射さえ使えるかもしれない。 「ヤルッキー(まさか、オレたち)?」 「ザングース……グース(冗談だろ)?」 「ガーっ、ガーっ(冗談じゃない方がいい)?」 極めつけの一言に、レイヴとロッキーが茂みの奥へと退散した。 ヒトカゲが相手ならからかうのは簡単だろうけど、相手がリザードとなればからかうどころの騒ぎじゃ済まなくなる。 その上、ラッシーたちまで敵に回ったものだから、立つ瀬がなくなってしまったんだろう。 まあ、おかげで解放されたんだから、今回はこれでよしとしよう。 レイヴとロッキーの件は、これで終わりにしよう。 これに懲りたら、余計なちょっかいを出さなきゃいいんだけどね。 ともあれ…… 「ガーっ、ガーッ(進化しちまった。しないようにって、じいちゃんに言われたのに)」 じいちゃんには怒られるんだろうなあ……ナミはともかく、オレならそれくらい分かるはずだって、 すごい剣幕で怒鳴りつけてくる様子が頭の中に浮かんで、オレは身体をブルブル震わせた。 でも、ナミは陽気に騒いだ。 「カメ〜っ、カメカメ〜っ(おめでと〜、アカツキとお揃いだよっ)!!」 ナミがオレの手を取る。 オレが進化したの、そんなにうれしいんだろうか。 まあ、お揃いだ、なんて言いながらはしゃぎたててるところを見ると、うれしいみたいだけど。 「バク、バクフーン(本当に大丈夫)?」 「バナ、バナバーナー(身体の具合は)……?」 ルースとラッシーが口々に心配そうに言葉をかけてきてくれたけど、さっきまでの体調の悪さは感じられなかった。 むしろ、気持ちいいくらいだ。 なんだかじっとしてるのがもったいない。 ラッシーとルースに心配かけっぱなしっていうのも申し訳ないから、ちょっと出かけよう。 「ガーっ、ガガーっ(みんなで出かけないか)?」 リッピーやラズリー、リンリたちも誘って。 レイヴとロッキーには悪いことしちゃったけど、また後で誘ってあげよう。 みんなで仲良くするのなら、その方がよっぽどいい。 オレのナイスな提案を蹴るヤツがこの場にいるはずもなく、話は簡単にまとまった。 行き先は、まあ気の向くまま足の向くまま。まずはみんなを誘うことから始めよう。 ……ってことで、森を出てリッピーやラズリーが根城にしている草原地帯へと向かう。 道中、オレはナミと手を繋ぎっぱなしだった。 というより、ナミが先に手を繋いできた。 「よせよ、照れるから……」 恥ずかしい話、そんな風に振り払うこともできなかったんだけど。 チラリと横目でナミの顔を見やる。 ルンルン気分で、文字通り今にも舞い上がりそうな足取りだった。 オレとこうやって手を繋いでどこかに繰り出せるっていうことが、本当にうれしいんだろうな。 正直、オレは照れくさかった。 恥ずかしいとは思わないけど、照れるのは本当だった。 そういう気持ちは、人間もポケモンも同じなんだなって思ったよ。 誰かを好きになったり、ドキッとしたり、照れたり…… ラッシーとルースは、オレとナミが仲睦まじく手を繋いでいるところを見て、終始笑顔だった。 オレとナミが仲良くしてるってことに対して、微笑ましいと思ってるのか、それとも本当にうれしいと思ってくれてるのか。 そこんとこは後で問い詰めるとして…… いろいろと考えてみたんだけど、まずはじいちゃんのところに行くとしよう。 ナミが進化したことは知ってるかもしれないけど、オレまで進化しちまったことは知らないはずだ。 できれば知らせたくないんだけど、悪い事態こそ早めに知らせて、手を打ってもらう必要がある。 叱られるの覚悟だから、あんまり気は進まない。 けれど、オレはじいちゃんを信じてる。じいちゃんはオレたちを元に戻してくれるって。 だから、じいちゃんもオレたちのことを信じてくれてるはずだ。隠し事なんてしないって。 言いつけを守らなかったオレたちが悪いんだし、叱られるのなら甘んじて受けることにしよう。 草原地帯にたどり着くと、リッピーとラズリーはもちろんそこにいたんだけど、リンリやルーシーまでやってきていた。 普段は別の場所にいるんだけど、二人に用があったんだろうか。 でも、遠くまで捜しに行く手間が省けたから、オレにとっては一石二鳥だ。 「ピッキー(お、アカツキだ)♪」 「ブーっ……ブースターっ(なんか、大きくなったね)」 「…………」 「ガルゥゥッ(あらま、ホントだわ)……」 四人ともオレたちの姿を見るなり駆け寄ってきて、言葉をかけてくれた。 リンリは相変わらずおとなしくて何も言わないけれど、他の三人と同じで、オレが進化したことに驚いているようだ。 それはいいとして……気のせいか? ルーシーの顔が一瞬赤らんだように見えたぞ。 まるで意中の異性を前にして照れた乙女のようだったけど…… まあ、ルーシーは一応ママさんだし、そういうところがあったとしても不思議じゃないんだけど。 なんだか気になる。 でも、今はそんなことを確かめてる場合じゃない。 「ガーっ、ガガーっ、ガーっ、ガーっ(じいちゃんの研究所行くんだけど、みんなで一緒に行かないか)?」 オレはジェスチャーを交えながら、今までの事情を話した上で、じいちゃんの研究所に行かないかと四人を誘った。 レイヴとロッキーがちょっかいさえ出してこなければ進化しなかったんだけどさ。 リンリなんて口にこそしなかったけど怪訝そうな顔をして、 「またあの二人か……懲りない奴らだ」 と言いたげだった。 まあ、それは確かにそうなんだけど、あれがあの二人の地の性格なんだから、いくら責めたってしょうがない。 要は、そんな性格の二人とこれからどう付き合っていくかってことなんだから。 普段は気のいい奴らで、一緒にいると退屈しないんだけど、悪ノリすると、ああなっちゃうだけさ。 「ガーっ(喜んで)♪」 オレの誘いに、真っ先に反応したのはルーシーだった。 キラキラと目を輝かせながら歩み寄ってきて、オレの手をつかんできた。 ……って、なんでそんな顔してるんだ? まるで、おばさんがイケメンの追っかけをやってるみたいに見えたぞ。さすがにそんなことは口に出せないんだけど。 気にする暇もなく、リッピーとラズリーがニコニコ笑顔でやってきた。この二人はもちろん一緒に行くと言ってくれた。 で、問題は…… 一同の視線がリンリに集まる。 いつも黙りこくったままで、何にも言わないものだから、その一挙一投足から感情を読み取っていかなければならない。 言葉を話すのが得意ではないらしく、意志はすべて行動で示すタイプだ。 相変わらず無表情で、本当に何を考えてるのか読めないんだけど、これがリンリの性格だから、 今さら何を言ったところで変えようがないし、無理に変わられてもこちらとしても困る。 だけど腕は立つし、やることはちゃんとやってくれるから、頼りになる。 で、リンリの答えは…… ホネの棍棒を握りしめたまま、ゆっくりとした足取りでやってきた。 目と目が合うと、リンリは小さく頷いた。 一緒に行きたいようだ。 よし、みんな揃ったところで、さっそくじいちゃんの研究所に行こう!! ……と言いたいところなんだけど、レキとリーベル、ロータスの姿が見当たらない。 そのことをラズリーに訊ねると、三人は今じいちゃんの研究所で定例の体調チェックを受けているらしい。 だったら、現地で合流できる。 メンツは揃ったから、改めてじいちゃんの研究所へ行こう!! ナミはオレの隣で遠足に行くように大きく手を振り、なにやらよく分からない歌(?)を口ずさんでいる。 よく分かんないし、なにやら楽しそうなんで、これ以上は触れないことにしよう。 すぐ後ろではラッシーが足音を響かせてついてくる。 ずいぶん大所帯になったけど、みんな、オレとナミがポケモンになったっていうのに、まったく気にしていないようだ。 ……っていうか、むしろ自分達と同じ立場に立ったということで、人間の頃よりも付き合いがよくなってるって言うか、 今まで以上にスキンシップを図ってくれる。 オレたちがポケモンでいるうちに、いろいろと自分達のことを知ってほしいと思っているのかもしれない。 そういうこともあって、オレたちはじいちゃんの研究所へ行くまでの間、いろいろなことを語り合った。 特に、ルーシーの生い立ちについて。 ルーシーが生まれたのは今から十五年くらい前。 オレよりも年上だってことにも驚いたんだけど、生まれてからずっとサファリゾーンにいたってことも驚愕の一言に尽きた。 ずっとサファリゾーンの中で生きてきて、オレにゲットされて旅に出るまで、外の世界と言うのを知らなかったそうだ。 十五年もずっとサファリゾーンの中にいるなんて、退屈な思いも一度や二度じゃなかったんだろう。 そこがルーシーにとって世界のすべてであって、生きる場所でもあった。 今でこそサファリゾーンはポケモントレーナーにとってポケモンをゲットするための自然の施設であるけれど、 自然が色濃い場所だからこそ、そこではポケモンたちの生存競争というものも存在していた。 人工的な場所の中での、自然の営み。 不自然な何かを感じてはいたそうだけど、食うか食わざるかといった世界で、それが何か確かめるほどの余裕なんてなかった。 ルーキー(お腹のポケットの中でもぞもぞと動いてるルーシーのお子様だ)も生まれて、子育ての日々。 いつの間にやら不自然だらけの場所で生きることに特に疑問も持たなかったんだって。 それがルーシーにとっての幸せだったのなら、オレは特に何も言わないよ。 でも、オレと出会って、オレたちと一緒に旅をしてきて、楽しかったと言ってくれた。 ルーキーに外の世界を見せてあげることができたし、ルーシー自身も広い世界に新鮮さと無限の神秘性を感じられたって。 そう思ってくれるなら、オレもルーシーをゲットできて良かったよ。 まあ、その前に一悶着あったんだけどさ…… 十五年もサファリゾーンにいて、その間他のトレーナーにゲットされなかったんだろうか? オレよりも腕の立つトレーナーなんていっぱいいるわけだし、ゲットされていたとしても不思議じゃない。 だって、ガルーラっていう種のポケモンは他のポケモンと比べると生息数が少なく、希少価値が高いんだ。 もちろんオレはポケモンに価値なんて求めない。 どんなポケモンだって同じだと思ってるからだ。 ポケモンの身体になって、それが分かった。 楽しい気持ちや悲しい気持ち、痛みや苦しみ…… そういった当たり前な感情も、ポケモンには備わってる。 だから、どんなポケモンだって感情を持って、楽しい時は喜び、悲しい時は泣いて、そうやって日々を生きてるんだ。 当たり前なことだけど、ポケモンになることで、実際に体験することができた。 貴重な体験だって思う。 で……それはそうと、オレはルーシーに訊いてみた。 答えたくなければ答えなくていいって前置きはしたんだけど、ルーシーは気を悪くする様子もなく答えてくれた。 他のトレーナーにゲットされそうになったことは、一度や二度じゃなかったらしい。 だけど、その度にトレーナーを追い払い、あるいはルーキーを連れて逃げ回り、事無きを得てきたそうだ。 結構ハードな生活を送ってたんだけど、その割には、それを嫌がったりする様子も見られない。 でもさ…… やっぱり、ルーシーは強いって思うよ。 母は偉大なり!! みたいな感じでさ。 そういえば、リンリはどんな生活をしてたんだろう? 思ってはみたんだけど、話したがらないんだろうなあ…… 話すことを嫌ってるとは思えないけど、どうでもいいことだからと、首を横に振るに決まっている。 まあ、それならそれでしょうがない。 いろいろと話をしながら湖を迂回して、じいちゃんの研究所が正面に見えてきた……その時だった。 バシャバシャと激しい水音が聞こえてきて、オレは足を止めた。 みんなも同じように足を止めて、湖の一点を見やる。 ちょうど真ん中あたりで、小さな水柱がいくつも立っているのが見えた。 一体どうしたって言うんだ? 目を凝らしてみるけど、水柱が現れては消えていくだけで、他に変化らしい変化は見当たらなかった。 だけど…… 「リルル〜っ!!」 悲鳴のようなマリルの声が聴こえたかと思うと、岸辺にもたくさん水柱が立って、その中からマリルとルリリが五体ほど飛び出してきた。 陸地に上がって、じいちゃんの研究所の方へと駆けてゆく。 何かから逃げてるように見えるんだけど…… でも、あのマリルたち、オレの見間違えじゃなければ……三日前にオレに水鉄砲を食らわしたあのマリルたちじゃないか? その割には、オレの前を通り過ぎても、振り向こうとさえしなかった。 それだけの余裕すらなかったってことか。 余裕もなく逃げていく状態だとしたら…… オレはもう一度、湖の真ん中に立つ水柱に目をやり―― そこに、コブのような蒼白い何かがぽこりと浮かんでいた。 水面スレスレの位置に目玉がある。 時折瞬きなどしながら、じっとこちらを見ている。 あれは……!! オレは身体中の血が湧き立つような感覚を覚えた。 「カメ、カメカメ〜(あれって、ヌオーじゃないの)?」 「バクぅ(うん、そうだね)」 ナミが何気ない口調で言って、ルースも何気なく頷く。 ヌオーって、初日にオレをボコボコにしてくれた、あのヌオーか!! ほぅ…… ヌオーはオレが何を考えてるのかなんてさっぱり分からないといった様子で、頭だけ出して優雅に水面を泳ぎ始めた。 それっきり、水柱も立たなくなる。 「ガーっ(一体、なんだったんだ)?」 ヌオーに仕返しをしたいなんて思ってるわけじゃない。 あの時はナミが悪いわけで、オレはナミをかばっただけだ。 悪いのがこっちである以上、あそこまでされるのは癪でもしょうがない。 マリルとルリリが逃げるように飛び出してきて、じいちゃんの研究所に向かって駆け出していった。ヌオーが悠然と泳いでいる。 一体なんなんだか…… まるで分からない。 オレはラッシーや他のみんなと顔を見合わせた。 ラッシーたちなら何か知ってるんじゃないかと思ったんだけど…… 「リルル〜っ……」 オレが口を開こうとした矢先だった。 研究所に向かって走って行ったはずのマリルが、今にも泣き出しそうな顔でやってきたではないか。 一体どうしたんだ? 近くで見てみると、オレに水鉄砲食らわしたマリルのうちの一体なんだけど……まあ、今さらそれは言うまい。 マリルはオレの脇をすり抜けて、ラッシーの前に躍り出た。 みんなのリーダーであるラッシーだけに、たくさんのポケモンから尊敬されてるんだなあって、その一端を垣間見たような気がした。 「リルル、リルル〜(あいつに追い出されちゃったの)」 マリルはお世辞にも長いとは言えない手で、湖を悠然と泳ぐヌオーを指し示した。 曰く、ヌオーは湖の暴れん坊で、今までにも何度かそういったことがあったらしい。 でも、今回はまだ小さなルリリにまで手を出そうとした。 だから、ルリリを安全な場所に逃がしてから、ラッシーに相談しに来たとのことだ。 「ガーっ、ガーっ(あのヌオー、そんなことまでしてたのか)?」 オレは声を潜めてルースに訊ねた。 ルースは意外にも顔が広くて、敷地のポケモンともかなりのネットワークを張り巡らせている。 さしずめ、研究所の情報屋といったところか。 「バクフーン……バクぅ(まあね……トラブルメーカーだから。ラッシーも手を焼いてるんだよ)」 ラッシーの手にも負えないような暴れん坊か…… のっぺりとした顔。 悪気のなさそうな円らな瞳。 お世辞にも、見た目はそんな風じゃないんだけど、中身は別だってことなんだろう。 ラッシーはマリルの話に真剣に耳を傾けていた。 そういう真摯な姿勢も、みんなからの篤い信頼を得ている理由の一つだろうな……思いつつ、三度湖へと視線を送る。 相変わらずヌオーは泳いでいる。 マリルがラッシーに相談してることは知ってるんだろうけど、気にしてないようだ。 図太いというか、度胸があるというか…… どっちにしても、それくらいの度量がなければラッシーの手を焼かせるような大物にはならないだろう。 もちろん、誉め言葉じゃないけれど。 マリルの話を聞く分に、今度ばかりはさすがに耐えられないとのこと。 マリルやルリリのみならず、ノロマで有名なヤドンや、殻の固さが自慢のシェルダー、ヌオーの進化前―― いわゆる親戚でもあるウパーでさえ、別の湖に強制移住させられたような状態らしい。 さすがにそれはやりすぎだ。 湖一つを私有地にしちゃうヌオーなんて聞いたことないけど、そこまでするのはやりすぎだろう。 自分たちじゃどうにもならないから、ラッシーに頼み込んだんだ。 もちろん、ただ頼むだけじゃダメだって分かってるらしく、それなりに自分たちで努力してきたそうだ。 話し合いの場は持とうとしたそうだけど、ヌオーが一方的に蹴ってきた。 取り付く島もなくなって、最終手段としてラッシーに頼らざるを得なくなったと、かなり切羽詰った現状を切々と訴えかけてくる。 これは何とかしてやらなければならない。 マリルの悲痛な声音と表情に、オレは三日前に水鉄砲を食らった怒りなど消えて、代わりに浮かんだのはヌオーに対する怒りだった。 いくら身体が大きくて強いからって、そこまでしていい理由なんてない。 ここはヌオーだけが住んでるわけじゃない。 マリルやルリリ、他のポケモンたちが一緒に暮らしている場所なんだ。 それを自分ひとりのモノにしようなんて、図々しいにも程がある!! 気づかないうちにシッポの炎を強くしていたらしくて、傍にいたリッピーが「ピッ」と小さく悲鳴を上げながら慌てて飛び退いた。 あ…… 知らず知らずにそこまで熱くなってたのか…… オレは胸の中でリッピーに詫びた。 シッポの炎は、気持ちに応じて強くもなるし、弱くもなるんだって、今さらになって分かった。 でも、だからこそヌオーに対する怒りはホンモノだったんだ。 こればかりは野放しにしておけないと、ラッシーは、 「バナ、バナ、バーナー(分かった。オレたちが何とかする。キミはルリリたちの傍についててあげなさい)」 全面解決をマリルに約束した。 一番聞きたかったそのセリフに、マリルの表情がパッと輝く。 他に手段を思いつかなかったマリルにとって、ラッシーは救いの神のような存在なんだろう。 「リル、リルル〜(ありがとう、ラッシー)」 マリルはペコリと頭を下げて、一目散にルリリを非難させた場所へと走っていった。 さて…… 「バナ、バナ、バーナー、バーナー(そういうわけだから、みんなで協力してあのヌオーを説得しよう)」 「ガーっ、ガーガーっ、ガーっ(説得してどうにかなる相手なのか)?」 ラッシーは穏便に済ませたいらしいんだけど、一筋縄で行く相手でないことは、オレですら分かる。 オレの指摘に、ラッシーは答える代わりにため息で返した。 無理かもしれない……か。 自分から秩序を乱すようなヤツが、リーダーの言うことを素直に聞き入れるとは思えない。 とはいえ、ラッシーはマリルたちのために何とかすると約束したんだから、簡単にはあきらめないんだろうけど。 一度交わした約束は何があっても守り抜く。 ラッシーは決意に満ちた表情を湖に向けた。 To Be Continued...