転機編・4 -What to Want- 「バナ、バーナー(ヌオー、話をしよう)!!」 遠くまで響くような低い声を張り上げて呼びかけるけれど、ヌオーは無視した。 はじめから聞く耳も持たず……か。 これじゃあ、説得なんてまず無理だな。 ラッシーが穏便に済ませたいと考えてるのは、一つはヌオーを傷つけたくないっていうこと。 もう一つは、まともにバトルなんてしたら、このあたりの地形が変わってしまい、他のポケモンたちにも迷惑がかかる。 ヌオーは右へ左へと、まるでラッシーを嘲笑うように平然と泳いでいる。 いや…… オレは頭の中で訂正した。 嘲笑う『ように』じゃなくて、本当に嘲笑ってる。 ここまで来れるモンなら来てみろと言わんばかりだ。 ラッシーじゃ……湖に入るのは無理だよな。かといって、このメンツで湖に入れそうなのは……ナミだけだ。 でも、ナミはヌオーにただならぬ恨みを募らせてるから、話すより先にバトルを仕掛けてしまいそうだ。 そうなると、説得どころの騒ぎではなくなってしまう。 現に、ナミはヌオーに敵意を向けている。 おびき出してもらうのも、これじゃあ無理だろう。 じゃあ、どうすればいいのか。 『…………』 いきなり説得に行き詰まり、みんなして黙り込む。 ざまあみろと言いたげに、ヌオーは湖を我が物顔で泳いでいる。 あー、なんかムカつくなー…… 火炎放射でもぶっ放してやれば、怒ってこっちにやってくるんだろうか? なんて、冗談のつもりで考えたんだけど…… 突然、頭ん中の電球がパッと灯った。 おー、これ採用!! みんなに話すと反対されるのが確実だったんで、オレはいきなり仕掛けることにした。 後で責められるのも確実だけど、ヌオーを引きずり出すには、こうするしかない。 オレは大きく息を吸い込んで―― 「ガァァァァァァッ(コラァ、こっち来いやぁっ)!!」 怒声と共に、炎を吐き出す!! 火の粉じゃない、火炎放射だ。 本当に使えるようになったんだって喜びを覚えたのも束の間。 オレがいきなり火炎放射なんてぶっ放したものだから、みんながマジで慌て始めた。 「バ、バーナー(ちょっと、なんのつもりだ)……!?」 「バク、バクフーン(いきなりそれはまずいって)!!」 ラッシーとルースが口々に叫びながらオレの身体を抑え込むけど、もう遅い。 火炎放射は虚空を焼きながら突き進み、狙いすましたようにヌオーに突き刺さった!! 「ピッ(やっちゃった)!!」 「ブーッ……ブースター(あーあ……知らないよ)……」 火炎放射がヌオーに炸裂したのを見て、リッピーはなぜか喜びの声を上げ、ラズリーはため息混じりに落胆する。 まさかオレがいきなり攻撃を仕掛けるなんて思ってもいなかったらしく、みんなの驚きようはオレの想像を軽く越えていた。 「カメ〜っ(やりぃっ)♪」 で…… ナミは当然喜んでいた。 オレをひどい目に合わせたヌオーに一泡吹かせたぞ、みたいな感じで。 でも、吹かせたのはオレであってナミじゃないんだけど……そこんとこはどうでもいいか。 みんなが慌てふためいていると…… ぬぅっ、とヌオーが顔をこちらに向けてきた。のっぺらぼうに目がついてるだけの顔の上半分。 火炎放射を食らっても焦げ目一つついてないのは、威力が低かったからか、それともヌオーの防御力が高かったからか。 見た目は何事もなさそうに見えるけど、マジで怒ってるのが雰囲気で分かる。 ――てめえ、いきなり何しやがる!! 人間の言葉に直訳するとそんな感じの、敵意をオレにぶつけてきた。 よし、乗ってきた…… もしも火炎放射を食らっても何事もなかったように悠然と泳いでたらどうしようかと思ったけど。 思いのほかヌオーは熱くなりやすい性格のようだ。 これなら上手く行くかもしれない。 「バナ、バナバーナー(アカツキ、一体何を考えてるんだ)!!」 ラッシーがオレを叱り付けた。 いきなり攻撃を仕掛けるとは何事か、と怒っているんだ。 それは当然だと思う。 穏便に済ませようといろいろと考えてたのに、いきなりオレが火炎放射で攻撃しちまったんだから。 これではもう、説得どころではない。 ラッシーたちはヌオーがどういう性格か分かっているからこそ、そうやって慌てたり怒ったりするんだ。 つまり…… オレの思い通りに行けば、解決できるってことだ。 もちろん、何の考えもなしにこんなことしたりしない。 それをいちいち説明するヒマもなさそうだけど。 ヌオーがものすごい勢いで、こちらに向かって泳いでくる。 岸に激突するんじゃないかと思った瞬間。 ヌオーが水面からジャンプして、あっという間にオレたちの頭上を飛び越えて、背後に着地した。 オレたちはゆっくりと振り返り―― 「……………………ッ!!」 円らな瞳に宿る怒りと敵意は、オレだけに向けられている。 そりゃ当たり前だよな。 火炎放射で攻撃したのはオレなんだから。 「バナ、バナ、バーナ、バナ(いきなり攻撃してごめん。でも、そうしないと話聞いてもらえそうになかったからさ)……」 何を思ったか、ラッシーがオレとヌオーの間に割って入り、話し始めた。 なんか、めちゃ弱気…… オレの不始末をどうにか揉み消そうとしてるのは分かるけど、いくらなんでも弱腰が過ぎるんじゃないか? 一応、みんなからリーダーだと思われてるわけだし、もうちょっと大きく構えてもいいと思うんだけどさ。 それだけこのヌオーが強敵だってことだろう。 ラッシーだけじゃなく、他のみんなが手を焼かせるほどの剛の者(ツワモノ)だ。 どうにかして説得して、湖の平和を取り戻したいと考えてるみたいだけど…… オレに言わせれば、そんなの甘い。 それを、これから証明してみせる。 「ガーっ、ガガーっ、ガーっ(ラッシー、オレが話をする)!!」 オレはルースを振り払い、蔓の鞭も強引に引き剥がして、ラッシーの前に躍り出た。 挑発的な空気を感じてか、ヌオーの敵意が膨れ上がる。 表情でそれが読み取れないのが微妙に面白いんだけど、相手はオレにとって相性の悪いヌオーだ。 慎重かつ大胆に、流れる川のように進めていかなければならない。 「ガルぅ……ガルガル(まさかと思うけど、戦うなんてことはしないよね)?」 ルーシーが心配そうに声をかけてくるけど、オレは振り返りもしなかった。 じっと、ヌオーの目を見やる。 意識して、眼差しを尖らせる。 これでこっちもやる気なんだってことを知らせられる。 オレは西の方にある岩場を手で指し示した。 「ガーっ、ガーっ(あそこで相手してやる。来いよ)!!」 「ヌオーっ(後で吠え面かくなよ)……」 オレのセリフに、ヌオーが頷く。 よし、これでセッティングは完了だ。 ヌオーがのっしのっしと、余裕に満ちた足取りで岩場へと歩いていく。 「バナ、バーナー(アカツキ、正気か)!? バナバナ、バーナー、バナバナ(相手はあのヌオーだぞ)!? バーナー、バーナー(三日前、コテンパンにされたことを忘れたわけじゃないだろう)!!」 ラッシーは容赦なく怒りの声をぶつけてきた。 オレはラッシーに向き直り―― 「ガーっ、ガーガーっ(こうでもしなきゃ、説得も何もできないだろ)!!」 オレも怒声を放った。 これにはさすがのラッシーも面食らったようで、驚愕に目を大きく見開いたけれど、オレは言葉を止めなかった。 止める気すら起こらなかった。 「ガーっ、ガーガーっ、ガーガーっ、ガーっ? (それとも、これ以外の方法でヌオーを交渉のテーブルにつかせることなんてできたって、本気でそう思ってたのか?) ガーっ(だとしたら)…… ガーっ、ガーガーっ、ガーっ(今のラッシーはただの弱虫で腰抜けだ。オレの知ってるラッシーじゃないッ)!!」 自分勝手だなあって分かるセリフを発し、オレはヌオーが消えた岩場へと駆け出した。 「カメ、カメ〜っ(あ〜、待ってよアカツキ)!!」 背後へと引き離されていくナミの声。 何秒か遅れて、みんなが慌ててついてくるのが足音から分かるけれど……その足音の中にラッシーのものはなかった。 「…………」 オレは走りながら思った。 これでいい。 ラッシーは来ない方がいい。 別に本気でそう思ってあんな余計なことを言ったわけじゃないけど、あれがオレの本音だ。 オレの知ってるラッシーは、いつでも自信と威厳に満ちていて、まさに森林の王者が肉と血を持って顕現したような存在。 オレの誇りでもあった!! でも、今のラッシーはなんだ? リーダーとしての自信や威厳なんてこれっぽっちもない!! だから、今のラッシーはオレが誇りに思ってるラッシーじゃない!! そんなラッシーを見たくなかった。 だから、オレはあんなことを言って決戦の舞台へと向かったんだ。 単なる独りよがりさ。 ラッシーはリーダーだから、これ以上余計な敵を作らない方がいいって思ったし、あんなラッシーはラッシーじゃないって思ったのも本当だ。 やっぱり、自分勝手なのはオレの方らしい…… 高台に位置する岩場にたどり着くと、ヌオーが臨戦態勢に入っていた。 いつでもやろうぜ、と言いたげだ。 「ヌオーっ……ヌーっ。 (逃げずに来るとは、なかなか肝が据わってるじゃないか。少なくとも、あの腰抜けリーダーよりはよっぽどマシだな)」 ヌオーは十数メートルの距離を取って立ち止まったオレを見やりながら、含み笑いなんて漏らしながら言ってのけた。 「ヌオー、ヌオー、ヌーっ。 (だからって、手加減はしないぞ。三日前は邪魔が入ったが、今日は徹底的に痛めつけて、オレに逆らえないようにしてやる)」 ふっ…… オレはヌオーの寝言を鼻で笑い飛ばした。 寝言は寝て言えとはよく言ったもので…… つまんない口上をぐだぐだ述べるヒマがあるなら、さっさとやろうじゃないか。 だけど、その前に…… 「ガーっ、ガーガーっ、ガーっ(オレが勝ったら、二度とあの湖で暴れないと約束するか)?」 これだけはハッキリさせときたい。 そうじゃなきゃ、無意味な争いになってしまう。少なくとも、条件をチョイスしておかないと…… そこんとこはヌオーも同じことを考えてたようで、 「ヌオーっ、ヌオーっ(いいだろう、その代わり)……」 オレの言葉に頷いてから、同じように条件を提示してきた。 「ヌーっ、ヌオーっ、ヌーヌー(オレが勝ったら、その時は気が済むまでオレのオモチャにしてやる)……」 「ガーっ(いいぜ)」 「バクフーンっ(ちょっと待った)!!」 両者の合意が得られたところに、ルースの声が降ってきた。 いつの間にやら電光石火でオレとヌオーの間に割って入ってきたではないか。ルースらしくないやり方だとは思うけど。 ルースはオレとヌオーを交互に見やり、 「バク、バクバク、バクフーン(その条件、フェアじゃない)!!」 今さら何言うんだか…… オレは呆れてしまったよ。 ルースもラッシーと同じで穏便に済ませたいらしいけど、この時点でそれが無理だってのは明らかだろう。 まあ、それでも可能な限り事態を大きくしたくないという意図はミエミエなんだけど。 「ヌーっ、ヌオーっ…… (フェアじゃなくたっていいんだよ。大切なのは、オレとそこのガキが合意できるものであるかどうか、ってことだ)」 「ガーっ(まったくだ)」 「…………」 ヌオーの言葉にオレは頷き―― ルースが絶句する。 まるで絶望したような表情を浮かべながら、ゆっくりと後退する。 これでヌオーとの間を遮るヤツはいなくなった。 と、そこへみんなが追いついてきた。 もちろん、ラッシーはいないけれど。 みんなは今の状況を理解しているようで、何も言わなかった。 ただし…… 「ヌーっ、ヌオーっ、ヌーっ(ほう、お仲間の到着か。オレは別に全員でかかってこられても構わないんだぞ)」 ヌオーはオレを挑発してきた。 みんなをダシに使って。 でも、そんなつまらない挑発に乗るほど、オレも落ちぶれちゃいない。 「ガーっ、ガーガーっ(オレ一人の力でおまえに勝てるってことを証明してやる。行くぞッ)!!」 みんなの力なんて借りない。 オレ一人の力でヌオーを倒してこそ、意味があるんだ!! 三日前にやられた恨み、ここで倍にして返してやるッ!! オレは咆えて、火炎放射を放った!! 何がなんでもこいつをおとなしくさせてやると、心に決めた。 進化という形で炎をコントロールする能力に磨きがかかったようで、思いのほか楽に放つことができた。 でも、さすがにヌオーが簡単に火炎放射を食らってくれるはずもない。 立派な体格からは想像もできないようなフットワークで軽々と炎の奔流を避わすと、お返しとばかりに水鉄砲を放ってきた!! 威力はナミの水鉄砲に及ばないけど、それでも食らったら痛い。 ただでさえ実力差があるってのに、一発でも攻撃を食らったら、それだけでヤバくなる。 距離を空けた戦いなら、オレの方に分がある。 だけど、危険を承知でも相手の懐に飛び込まないことには、全力の炎をぶつけることはできない。 ただでさえ相性が悪いんだ。 全力の炎ですら、一体どれほどのダメージを与えられるか……一発や二発で倒せるなんて楽観的な観測は抱いてないつもりだ。 オレは直線軌道の水鉄砲を見切り、最小限の動きで楽に避わし――その勢いを止めぬままヌオーに向かって走り出す!! 「無茶だ!!」 そんな声が聴こえたけれど、それが誰のものであるかなんて、判別していられるほどの余裕もない。 スピードに関してはオレの方が上。 だったら、撹乱しながら炎を食らわして、徐々に体力を削り取っていくしかない!! ヌオーが腰を低く構え、オレをじっと見据えながら口を開く!! 水鉄砲か!! そう思って回避の準備をしていたオレの目に飛び込んできたのは、ヌオーの口から吐き出された泥のボール。 マッドショット……!! 水鉄砲だけじゃなくて、マッドショットまで使えるとは思ってなかった!! わずかにカーブを描きながら飛来する泥のボールを、オレは斜め前に動いて避けたんだけど、 破片が腕をかすめ、針で突き刺すような痛みを覚えた。 掠っただけでこれか……!! 痛みに歯を食いしばって耐えながら、オレは勢いを落とさずにヌオー目がけて走った。 このヌオー、物理攻撃力がべらぼうに高い!! マッドショットがオレの弱点であることを差し引いても、下手をすればレキに匹敵する攻撃力の持ち主だ。 冗談じゃないぞ。 ヒトカゲの時ですら、踏みつける攻撃であんな目に遭ったんだ。 あれがもしマッドショットだったらと考えると、背筋がゾッとする。 でも、発射のタイミングさえ見極めれば、水鉄砲もマッドショットも回避することができる。 そこを読んで、ヌオーは両者を使い分けてくるだろうけど。 ヌオーが何を考えてるのか、好戦的な雰囲気を顔に出さないから読み取ることはできないけれど、 オレはオレのやり方で突き進んでいく。それだけだ。 ヌオーの前に到着したら、横に回りこみながら切り裂く攻撃を繰り出す。 次に、着地と同時に火炎放射を最大出力でぶっ放し、飛び退いて相手の反撃を避わす。 頭の中で思い描いた作戦を、オレは粛々と実行に移した。 頭で思い描く……イメージするだけでここまで身体が滑らかに動くのかと、オレは一連の動作をしながら自分で驚いてしまった。 あっさりと距離を詰められたことにヌオーは驚きを見せながらも、反応は素早かった。 小うるさいハエを払うように腕を水平になぎ払うけれど、オレは膝を屈むことでその攻撃を避わし、 横に回り込むためにジャンプした瞬間に、右手の爪を一閃!! 「ヌーっ(ぬっ、なかなかやるな)!!」 ヌオーが小さく悲鳴を上げるのを聞きながら、横に回りこんで着地したところで、事前に息を大きく吸い込んだのを利用して炎を放つ!! 至近距離から脇腹をあぶられ、痛くないはずがない。 ヌオーが振り向くのを察知し、オレは炎を取りやめて飛び退いた。 先制の一撃はオレがくれてやったけど、残念ながら大ダメージを与えたというわけでもなさそうだった。 せいぜい、10%程度ってところか。 それでも、何度か繰り返せばヌオーの動きは鈍くなり、与えるダメージは加速度的に高まるだろう。 着地し、炎を振り払ったヌオーに視線を向け、睨みつける。 いくら威力が低くとも、水鉄砲なら火炎放射を消すことができる。 接近しなきゃダメージを与えられないのは仕方がない。 おもむろに、オレに向き直ってきたヌオーが地面を強く踏みしめ、ジャンプ!! これは、もしや…… 着地した瞬間、オレの予想通りの技を繰り出してきた。 ごぅんっ!! 地面が強く揺れ、岩場が命を得たように脈動する!! 地震ッ!! これほどの大技を隠し持つとは……さすがに、ラッシーが手を焼くほどの『剛の者』だけのことはある!! ……って、感心してる場合じゃなかった。 強威力の地震をまともに食らったら、今のオレじゃ戦闘不能にされかねない。 地面が揺れ出したタイミングを見計らい、オレはヌオーに向かって飛び出した!! 大きくジャンプすることで地震の影響を受けなくして、ついでに接近してさっきと同じように一撃を加えてから離脱する。 だけど、 「ヌーっ(同じ手だと、笑わせる)!!」 ヌオーは裂帛の気合と共に口から水鉄砲を吐き出した!! これも、受けるとかなりヤバイんだよな。 とはいえ、ジャンプ中で無防備なオレがいくら身体を捩ったところで、迫り来る水鉄砲から逃れることはできない。 こういう時は……オレは渾身の力を込めて、シッポを地面に突き立てた!! アイアンテールを地面に繰り出し、力強さを得たシッポでジャンプの方向を変えることで、水鉄砲を回避する!! 上手く行くかはほとんど賭けだったけど、何とか成功した。 耳元を、びしゅぅっ、という音を立てて水鉄砲が行き過ぎる。 水鉄砲を回避したからといって、手を休めるわけにはいかない。 オレはそのままアイアンテールを解除して着地し、ヌオー目がけて駆け出した!! 地震の揺れもかなり収まっていて、走る分には苦労しない。 ヌオーもオレを迎え撃とうと腰を低く構え―― さっきとまるっきり同じ攻撃じゃ、あっさり見切られるのが関の山。ということで、オレは攻撃方法を変えることにした。 ヌオーに接近したところで火炎放射を放つ!! てっきり切り裂く攻撃が繰り出されるものだと思っていたヌオー。 一瞬その動きを止めたけれど、オレには動き出すまでの一瞬で十分に事足りた。 ヌオーを火炎放射が飲み込む!! その瞬間、オレは跳躍した!! ヌオーにはオレが今どこにいるのかなんて分からないはずだ。 ヌオーの頭上に滑り込むように跳躍し、身体を前に回転させながら、その勢いを借りてアイアンテールを脳天に食らわす!! ごんっ、という鈍い音が響き、シッポから鈍い感触が全身に伝わってきた。 あとは、このままヌオーの頭を踏み台にして反対側に着地すれば、反撃される恐れはない。 ……と思ってたんだけど、唯一の誤算があった。 オレはまともに引っかかった。 ヌオーの全身を包んでいる粘膜。 オレはそれに足を取られて、ヌオーの頭上ですっ転んでそのまま近くの地面に投げ出された!! 突然のことで受け身も取れず、まともに叩きつけられたけど、痛みはそれほど感じられなかった。 神経が麻痺していたのかもしれない。 「カメ〜っ(危ない、うしろ)!!」 ゆっくり起き上がったところに、ナミの悲鳴が飛んでくる。 後ろ……? ハッとして振り返った時には遅かった。 ヌオーの手が、オレの首をつかみ、そのまま締め上げていた!! 「が、ガーっ(う、くっ)……」 息苦しさから、身体に力が入らない。 無理に力を込めて腕を振り回してヌオーを引っかくけど、痛そうな顔も見せず、オレを持ち上げて首を絞め続ける。 油断した……!! なんで、ヌオーの身体のことを忘れてたんだ……!? ポケモンとして戦ってる間に、人間の時に培った知識を忘れてしまったんだ。 こんな時になって思い出すなんて、うれしくもなんともないけど。 「カメ〜っ(アカツキ〜っ)!!」 ナミの悲痛な声とかぶるように、ヌオーが押し殺した声を出してきた。 「ヌーっ、ヌオーっ、ヌーっ(ほれ、さっきまでの勢いはどうした)?」 くっ…… 声帯を握られて、声が出ない。 オレが言葉を返すことも、炎を吐くこともできないと知って、ヌオーは上機嫌だ。 弱者を甚振ってウサ晴らしするロクデナシの顔と重なって見えた。 と、ヌオーがオレの首を締め上げる手に力を込めた瞬間、 「ガッ!!」 喉が潰れるような痛みが全身を突き抜けた!! 思わず身を捩るけれど、だからといってヌオーの支配から逃れることはできなかった。 まずい…… 単純な力じゃ、ヌオーには勝てない。 このままいいように弄ばれるのか……!! 反撃の策を練ろうとするけれど、思ったように呼吸できず、まともな考えが働かない。 すでに酸素の欠乏が影響を及ぼしてる。 「ヌー、ヌー、ヌオーっ、ヌーっ(イキがってても、所詮おまえのようなガキはその程度だ)。 ヌオー、ヌーっ(オレに逆らったことを後悔させてやるぜ)!!」 勝利を確信してか、ヌオーは美酒に酔いしれたような口調で言葉を発した。 次の瞬間だった。 ごっ!! 「ガーっ……ァッ!!」 腹に強烈な一撃が入り、オレは身体をくの字に折った。 肋骨が砕けるような衝撃……とでも言えばいいんだろうか。 激痛だった。 衝撃に肺の空気が一気に外に押し出され、途端に息苦しさがぶり返してくる。 今までに感じたこともない強烈な痛みに喘いでいるオレを、ヌオーはそのまま眼下に投げ捨てた。 やっと自由になって息苦しさからも解放されたかと思ったけど、それは甘かった。許すほど、ヌオーもバカじゃない。 うつ伏せに地面に倒れたオレの背を、何度も何度も執拗なまでに踏みつけてきたんだ。 その度に激痛が迸り、オレは悲鳴をあげ、身体を捩り、爪を地面に突きたてた。 これじゃあ…… これじゃあ、三日前と同じじゃないか……ッ!! 進化して、強くなったはずなのに……あの時ほど不様な思いはしないって、思ったのにッ……!! 全身を突き抜ける痛みが徐々に薄れていく。 恐ろしいことに、身体が痛みに慣れ、神経まで痛みを感じられないようになってしまった。 口の中で牙を噛みしめても、爪を固い岩盤に突きたてても。 痛みがないんだ。 その代わりに芽生えたのは、強烈な喪失感と遣る瀬無さ。 進化したって……結局何にも変わらなかったッ!! 欲した力は、結局何の役にも立たなかったんだ。 このままじゃ負ける。 負けるに決まってる。足掻く、足掻かないを決める段階じゃない。もう分かりきってるんだ。 このままヌオーのオモチャにされるくらいなら……いっそ死んだ方がマシだ。 でも、ポケモンの身体は人間よりも遥かに丈夫にできてるから、簡単に死のうと思って死ねるわけじゃない。 精神的に本当にイカレ始めてた。 何度、背中を踏みつけられただろう。 背中を踏まれる感触はあるけれど、相変わらず痛みはない。 ああ、このまま目を閉じれば、すべてが終わってくれればいいのに。 ポケモンになったことも全部悪い夢で、次に目が覚めれば風邪が治って元通りピンピンしたオレになっていればいい。 半ば投げやりな気持ちでオレは目を閉じ―― 「バーナーッ(アカツキ、何をしている)!!」 刹那、叩きつけるような声が耳に飛び込み、オレの意識は一瞬にして覚醒した。 途端に背中を踏みつけられ、背骨が折れるんじゃないかという激痛がよみがえるけれど…… ラッシーがいる……!! 身体を満足に動かせない今の状態じゃ、ラッシーがどこにいるのかなんて分からない。 けれど、あの声は…… 思案をめぐらせている間に、ラッシーの怒声が飛んできた。 「バーナー、バナ、バーナー!!」 ――おまえがオレに言った言葉はその程度の覚悟だったというのか?   あれだけ大きな口を叩き、ヌオーを挑発し、自分から飛び込んで行ったのに、 結局はそんな不様なところをみんなに見せてるだけか? オレが腰抜けだって言うのなら、今のおまえはそれ以下でしかないんだろうが!?―― 何を……ッ!! オレはラッシーの身勝手な言葉に怒りすら覚えた。 一体どこにそんな気持ちが残っていたんだろうと思えるほど、オレは身体中が熱くなるのを感じずにはいられなかった。 怒りに打ち震えるオレに、頭上から声が降ってくる。 ヌオーの、哀れみすら漂わせたムカつく声。 ――あんな腰抜けにあそこまで言われるとはな。泣けてくるじゃないか、同情するぜ―― 「…………ッ、……ッ!!」 身体を突き抜ける痛みが。 たとえようのない凄まじい怒りが。 オレの身体を、意識を飲み込んでいく!! ラッシーに何が分かる……? オレはあんなラッシーを見たくなかっただけだ。確かに言い過ぎたかもしれない。 だけど、ラッシーならちゃんと分かってくれると思ってた。 ……いや、違う。 オレは自分勝手な思い込みに嫌気が差した。 痛みと怒りが交互に身体と心を行き交い、思ったように物事を考えられずにいるのは……言い訳でしかない。 確かに、オレはラッシーにデカイ口叩いて、ヌオーに勝負を挑んだ。 けれど、結果は見てのとおり、惨敗。 進化して強くなった、今ならヌオーにも勝てると意気込んでたけれど、結局進化で手に入れた力なんて役にも立たなかった。 ヒトカゲの時、ヌオーは手加減してたんだ。 そうさ……ラッシーが怒るのも分かる。 デカイ口叩いて出てったのに、こんなザマじゃあな……でも、オレの気持ちに偽りなんてない!! あの時のラッシーが……腰抜けにしか見えなかったことも。 ラッシーがこの現状を変えられないなら!! オレが変えてやると思ったことも!! 全部嘘じゃない!! 嘘じゃないってことを、証明したい!! オレは心から強く願った。 この戦いが無意味なものになるとしても、一生オレがこの身体であろうと、そんなことはどうでもいい。 オレが、オレであるということを貫き通したい!! だから!! そのために力が欲しい!! ……今になって思う。 ラッシーが言いたかったのは、そういうことだったんじゃないかって。 どんなに不様にやられようと、自分自身を槍のごとく貫き通すということなんだと。 だから…… 「ガァァァァァァァァァァァァァァッ!!」 オレは残された力を振り絞り、ありったけの声を張り上げて叫んだ。 変えてみせる、現在を……未来を!! 想いを託した声は悲鳴のようにも、決意の咆哮のようにも聞こえた。 けれど…… 身体の奥底から湧き上がる炎のような熱い力が。 オレを変えた。 気がついた時。 オレは空へと舞い上がり、必殺の竜の怒りを繰り出していた。 「……っ!?」 繰り出した瞬間、意識を取り戻す。 オレは一体、何を……!? 眼下では、竜の怒りを受けてヌオーが吹っ飛び、岩壁に叩きつけられてそのまま気を失った。 一体何をしてたんだろうと思い、オレは周囲を見渡した。 離れたところに退避したみんなの姿。その中にはラッシーの姿もあった。 それより…… オレがマジで驚いたのは、宙に浮かんでいるということだった。 気がつけば、背中に翼の感触。翼を打ち振って、オレは空を飛んでいる。 まさか……リザードンに進化してる!? そんなバカな!! なんだっていきなりリザードンに進化なんて…… だって、リザードに進化したのだって、昨日今日のことだし…… 常識じゃ考えられない進化スピードに、オレは戸惑うしかなかったけど、 「カメ〜っ(アカツキ、やったねっ)!!」 ナミがオレの足元へと駆け寄ってきた。 手を高々と掲げて、喜びの表情でオレを見上げてくる。 何がなんだかよく分かんないんだけど……オレはヌオーに目をやった。 完全に気絶してる。 竜の怒りなんて大技をまともに食らったんだ、いくらヌオーだって……って、なんでオレ知らないうちに竜の怒りなんて使ってたんだ? 確かに竜の怒りはリザードンなら使えるけれど…… ホントに意味が分かんない。 竜の怒りでヌオーを吹っ飛ばす前―― ちょっと記憶が飛んでるようだけど、オレが覚えてるのは、自分で自分を変えたい、この現状を変えたいと強く思ったことくらいで…… もしかして、その想いが進化を促したなんてことは……いや、それも常識じゃ考えられない。 一体、オレはどうして同じ日に二度も進化することができたんだ? 人間がポケモンに変わるなんていう、常識じゃ考えられないようなことが起きてる時点で、 すでに何が起ころうと不思議じゃないんだろうけど。 考えれば考えるほど、余計に分からなくなる。 とりあえず、オレは地上へと降り立ち、翼を折りたたんだ。 「…………」 目を回して倒れてるヌオーを見て、オレは自分がやったことを改めて理解した。突きつけられるようだった。 「…………」 疑念が頭を過ぎる。 オレは……一体何をしたかったんだ? なんでだか分かんないけど、そんなことを思った。 疑念の正体を確かめようと思案を始めたところに、みんなが駆け寄ってきた。 「カメ、カメカメ〜っ(すごかったよ、竜の怒りなんて。それに進化しちゃったんだ)!!」 ナミが黄色い悲鳴を上げながら、オレの胸に飛び込んできた。 いきなりムチャなことしてくるなあ……相変わらずの暴挙だから、別に今さら気にはならないんだけど、 リザードンになって視点が高くなった分、子供が胸に飛び込んできたように見えてしょうがない。 当然、ルーシー以外のほかのみんなからは頭一個分以上の身長差があるわけで、 どうにも見下ろしてる感じがするのが否めないんだけども…… みんな、ニコニコしていた。 オレがヌオーを倒したことを喜んでいるのか、それとも…… どちらとも区別がつかず、オレは視線をめぐらせて―― ラッシーと目が合った。 「…………」 「…………」 互いに気まずい雰囲気を感じて、何も言い出せない。 当たり前だろうと思う。 ついさっきまで頭がオーバーヒートしたみたいに熱かったけど、冷水をかけられたように、今は思考が落ち着きを取り戻している。 だからこそ分かる。 オレたちは、互いにとんでもないことを口走ってしまったんだって。 知らず知らずに、互いの表情が暗く落ち込む。 別に、オレは…… ラッシーのことが嫌いであんなこと言ったわけじゃない。 いつものラッシーらしくないと言いたかっただけだ。 だけど、あんなにウジウジしたラッシーを見るに見かねて、ついつい言葉がきつくなってしまったんだ。 ……もしかしたら、それはオレの独りよがりだったのかもしれない。 オレの気持ちを一方的にぶつけるだけで、ラッシーが何を考えてたかなんて、本当に無視しちまってた。 今だから分かるんだ。 あの一言で、ラッシーと仲違いしてしまったらどうしよう……どうやって修復すればいいんだろう。 長くつき合っているからこそ、一度育まれた絆にヒビが生じた時、容易くは修復できない。それが分かっているから…… もう二度とあの距離を取り戻せないんじゃないかと思うと、怖くて何も言い出せない。 ………… はは、オレの方がよっぽど腰抜けだな。 ラッシーが言ったことも、あながち間違いじゃなかったんだ。 再確認したからって、どうになるわけではないけれど。 「カメ、カメカメ(あれ、どうしたの。そんな暗い顔して)?」 気まずい雰囲気に動じることなく、ナミだけが相変わらずの笑顔を振り撒いている。 他のみんなは、なんと言葉をかけていいのか分からず、視線を泳がせたり俯いたりしていた。 でも、どうしよう…… ここで言葉をかけなきゃ、仲直りするにも仲直りできない。 二度と以前の関係に戻れなくなるかもしれない……それが怖くて、ごめんなさいの一言を言い出すことすらできない。 いつの間に、オレはこんなに臆病になってしまったんだろう。 図体だけでっかくなっても、肝心なことを言い出せなければ何の意味もないのに…… オレがウジウジしていることに気づいたナミは、ムッと頬を膨らませて―― ぶぅぅぅっ!! 突然水鉄砲をオレの顔面に噴射してきた!! 「ガーっ(うわわわっ)!!」 いきなり何しやがるんだ!! オレはびしょ濡れになった頭を打ち振って水滴を飛ばすと、ナミを睨みつけた。 「…………!?」 ナミは笑ってなかった。 目も口元も、もちろん顔も。 何かに対して怒っているようにも見えた。 「カメ、カメカメっ!?」 ――今のアカツキはアカツキじゃない!!   なんでそうやってウジウジして悩んでるの!?   あたしの知ってるアカツキは、どんな時も強くて優しいの!!―― オレは唖然とした。 今のオレは……さっきのラッシーと変わらない。ナミは……さっきのオレだ。 なんでそんなことをしているのかと、糾弾している。 言いたいことがあるのならさっさと言えばいいと、ナミは声を大にして、オレとラッシーに言った。 そうだ…… 何を迷う必要があったんだろう? オレは自分のバカさ加減を呪いながらも、ナミに感謝した。 こんな形でこいつに活を入れられるなんて、それこそオレはどうかしていた。 ……そうだよ。 何かをした後の後悔よりも、何もしなかった後の後悔の方が大きいんだ。 万が一、ラッシーと関係を修復できなかったとしても、今までどおりにはなれなくても…… 何もしなかったら、何も変わらない。何かをしなきゃ、変われないんだ。 今のオレたちに必要なのは、変化を恐れずに真正面から向き合うことだ!! 意を決して、オレはグッと拳を握りしめた。 ラッシーを真正面に見据え―― 今思っていることを素直に告げた。 ――オレは、弱腰になってたさっきのラッシーを見ているのが嫌だったんだ。   あんなのラッシーじゃないって。   今のオレはあの時のラッシーと同じかもしれないけど……   でも、オレは君のことが嫌いで、そんなことを言ったわけじゃない。   オレのよく知ってる、強くて優しいラッシーに戻ってほしかっただけなんだ。   そりゃあ、言い過ぎたよ。   君がオレのこと嫌いになってしまうのも、当然かもしれないけど……   でも、本当にごめん!!   オレ、自分の気持ちを押し付けるだけで…… 君が何を考えてるのか、考えようともしなかった。 ラッシーには……ラッシーなりの解決方法がきっとあったはずなのに……―― オレは、自分がしたことを間違いだとは思ってない。 だから、後悔はしない。 でも、ラッシーの気持ちを慮らなかったのは痛恨のミスだ。 それだけは一言、ちゃんとした形で謝っておきたい。 ラッシーがじっとオレの目を見やる。 オレもラッシーから目を離さない。 思ってることが伝わってくれたなら、それでいい。 ラッシーはオレから目を離さないまま―― ぶんっ!! 風の唸りが耳元で聴こえたことに気づいた時には、オレは頬に叩きつけるような衝撃を覚えていた。 ラッシーの背中から伸びた蔓の鞭が、オレの頬を引っ叩いたんだ。 痛かったけど、これくらいは覚悟してた。 蔓の鞭の一発や二発は食らうだろうって。 ハードプラントじゃなかっただけありがたいと言えば、ありがたいんだけども。 オレの言葉がラッシーを傷つけてしまったことも理解できるんだ。 だから、これくらいは甘んじて受けようと思ってた。 ラッシーは蔓の鞭を背中にしまい込み、代わりに口を開いた。 ――本当に勝手だな、アカツキは。   確かにオレに至らなかった点があるのは認めるよ。   オレが弱腰になってたのは、君からすればとても耐えられることじゃなかったんだろ。   でも、相手が誰だろうと、どんな考え方を持っていようと……   オレは争いなんてしたくなかった。   どこで争うにしても、そこに棲んでいる仲間たちの生活を脅かすことになるから。   だからね、オレ一人が臆病者だ…… 腰抜けだというレッテルを貼られる程度で済むなら、それでいいと思っていたんだ―― 「…………」 ラッシーは胸中を搾り出すように言った。 そっか…… やっぱりラッシーはオレの知ってるラッシーだよ。オレが誇りに思ってる……最高の仲間だよ。 相手が誰だろうと、争いだけは選べなかった。 オレはヌオーと同じで、それを弱腰となじってた。 ラッシーが何を考えていたのか、それすらも考えていなかった。 ラッシーは、研究所の敷地で共に暮らす仲間のことを、誰よりもよく考えてたんだ。 どんな場所で争うにしても、必ずそこに棲んでいるポケモンの生活を脅かすことになってしまう。 そうなるくらいなら、自分一人がレッテルを貼られることですべてを丸く収めようと考えてたんだ。 そういえば……ラッシーは、自分自身のことよりも誰かのことを考えるタイプだったんだよな。 なんで、そんなことさえ忘れてたんだろう……? 自分自身の浅はかさに、これはもはや笑うしかなかった。 そんなオレを制するように、ラッシーが続ける。 ――でも、アカツキはそんなオレを本気で叱ってくれた。   他の誰も、そんなことをしようなんて考えちゃいなかった。   驚いたし、なんでオレの考えを分かってくれないんだって憤りも抱いたけれど……   でも、やっぱりアカツキはオレのことを考えてくれてたんだなって……   あれからしばらく考えて、やっぱり……って思った。   あれだけのことを言ってくれたんだから…… ヌオーを本当にどうにかしたかなって、一瞬だけ本気で思ったけど、案の定だった。 あのヌオーはオレじゃなきゃどうにもならないヤツなんだよ。 これからもあの性格は直らないだろう。 だから、話し合えるうちに話して、仲良く暮らして行きたいと思ったんだな。 アカツキは別の形で道筋をつけるつもりだったみたいだけど…… あれだけ大きな口を叩いて、ここであんな風にやられてるなんてさ。 やっぱり、オレとしては許せなかったんだ。 啖呵を切って出て行ったなら、それ相応の形にしてもらいたかったんだよ、本当に―― ラッシーも、オレのことを考えてくれてたんだ。 オレを叱りつけることで闘争心に火をつけてくれた。 投げやりになっていたオレに、希望を与えてくれた。 やっぱりさ…… 互いに互いを支えてたんだよ。無意識のうちに。 それだけでも、救われる。 オレは胸中でホッとした。 ――でも、オレもアカツキの気持ちをあんまり考えてなかったんだよ。   そのことに変わりはないから……君が謝ってくれたように、オレも謝るよ。ごめん―― やっと、本当の意味で解り合えたのかもしれない、オレたちは。 オレがポケモンになることで、言葉の壁を乗り越え。 互いの気持ちをフィルタ越しじゃなくて、直接に伝え合って。 これが、解り合うってことなんじゃないだろうか? こんな形で気づくなんて、運命とやらもずいぶんと小じゃれたことをしてくれる。 でも、解り合えたのなら、オレたちは今まで通り……いや、今まで以上に絆を深めていくことができるはずだ。 オレは、そう信じている。 その証拠に、オレは手を差し出した。 蔓の鞭で打たれたけれど、オレは殴ったりしない。 解り合えたんだから、そんなことをする必要もないんだ。 ――殴らないのか?―― ラッシーがオレの差し出した手と、オレの顔を交互に見ながら訊ねてきた。 どうやら、蔓の鞭で打ったから、その分は自分も殴られようと思っていたらしい。 そこんとこは、オレもラッシーもそっくりだ。 思わず笑い出しそうになるけれど、オレはグッと堪え、 ――殴らないよ。   オレたちはこれからもずっとずっと一緒にいられるよな。   もし……オレがこの身体のまま生きてかなきゃならなくなっても―― ――もちろんだ!!―― オレの言葉にラッシーは力強く頷き、蔓の鞭をオレの手首に巻きつけてきた。 親愛の証…… 今までのオレなら、ラッシーの仕草をそんな風に思っただろう。 でも、今のは……ずっと一緒にいるという、誓いの証だ。 お互いに、本当に大切なものを見つけられたからこその証。 「カメ〜っ(やったね、仲直りっ)!!」 「ピッキー(おめでとー)!!」 「ガーっ、ガーッ(めでたしめでたし、だな)」 「ブーっ、ブースターっ(やっぱりアカツキとラッシーはこうでなくっちゃ)!!」 「バク、バクフーン(いがみ合ってるのなんて、らしくないもんね)……?」 ナミが喜びの声を上げると同時に、他のみんなも口々に言って、喜びを爆発させた。 リッピーは踊りだし、ルーシーはお腹のポケットから顔を出したルーキーの頭を笑顔で撫でながらオレたちを見やり、 ラズリーとルースは空に向かって炎を吐き―― 一気に祝賀ムードだ。 一緒にいるって言ったって、別に結婚するわけじゃないんだけどな…… これには、オレたちの方が困ってしまうよ。 オレもラッシーも、困った顔を向け合い―― その時だ。 かすかな物音が聞こえて、オレは顔を向けた。 岸壁に叩きつけられて気を失っていたヌオーが目を覚ましたんだ。 「ヌーっ(あいたたた)……」 粘液でヌメヌメした頭を手でさすりながら、むくっと身を起こす。 さっきまでの凶悪犯めいた雰囲気はどこへやら。すっかり気のいい兄貴みたいだ。 さっきとは別人なのは言うまでもない。 で…… これからどうすればいいのか。 正直なところ、戦いで征した後のことは考えてなかったんだ。 どうしようかと頭を悩ませていると…… ヌオーと目が合った。 問答無用でリベンジを仕掛けられるとばかり思ったから、オレは思わず身構えてしまった。 でも、ヌオーにその意思はなかった。 「ヌーっ、ヌオーっ、ヌオーっ、ヌーっ (もうあんなことしないって。おまえにコテンパンにやられちまったからな……おとなしくする。約束するからさ)」 本気で同じヌオーとは思えないセリフが飛び出してきた。 オレが知らず知らずに喰らわした竜の怒りが、ヌオーのやる気の芯をへし折ってしまったらしい。 でも…… もしかしたら、ヌオーも他のみんなに迷惑をかけてるってことを理解してたのかもしれない。 それでもあんな風に暴れていたのは、それがヌオーなりのアピールだったからかもしれない。 他に自分の存在を示す方法を知らなくて。 そう思うと、ヌオーもどこかかわいそうだけど…… 「ガーっ、ガーガーっ(本当にもうあんなことはしないんだな)?」 「ヌオーっ(ああ。約束するよ)」 確かめるように訊ねると、ヌオーは小さく頷いた。 ふむ…… これはホンモノと見ていいだろう。 もし次に騒ぎを起こせば、今度こそラッシーが相手になるだろう。 ヌオーとしても、それだけは避けたいはずだ。だったら、それで十分。 「ガーっ(じゃあ)…… ガーっ、ガガーっ、ガーっ。 (マリルたちにちゃんと謝ってくれ。その後で、オレたちが、君が元の場所に戻れるように他のみんなを説得する)」 「ヌオーっ(うん、分かった)」 とりあえず…… これで事態も解決ってトコかな。 確認を求めるように振りかえると、みんな一様にニッコリした表情で頷いてくれた。 でも、誰よりもうれしそうな顔を見せてくれたのは、言うまでもなくラッシーだった。 その後、オレたちはすっかり反省したヌオーをマリルたちに引き合わせ、ちゃんとマリルたちに謝ったのを確認してから、湖へ向かった。 やっぱりヌオーの行為にみんな迷惑していたようで、すぐにはオレの言葉を受け入れてくれなかったけど、 ラッシーの鶴の一声で、ヌオーは元通り、湖で暮らせることになった。 もちろん、みんなに迷惑をかけないという条件付きで。 でも…… 事態が丸く収まったんだから、とりあえずはこれでめでたしめでたしってことでいいんだと思う。 ともあれ、ヌオーが元通りの生活に戻ったのを見届けたオレたちは、当初の目的どおり、じいちゃんの研究所へと向かうことになった。 じいちゃん、この姿を見たら驚くんだろうなぁ。 言い訳をしようにも、言葉が通じないんじゃどうしようもない。 人間の意識は保っているのに、身体がポケモンだから、言葉だって通じない。 でも、オレとナミがじいちゃんに対して抱いている気持ちは「申し訳ない」の一言なんだ。 それを態度で見せれば、理解してもらえるはずだ。 オレはリザードンに進化したことで翼が生えたけれど、空は飛ばなかった。 みんなと同じようにゆっくりと地面を踏みしめて歩いていった。 一人だけ空を飛ぶなんて反則だろうし、どうせならこの身体で、この視点で見えるものを見ておきたかったからさ。 人間の頃よりも頭二つ分以上は視点が高くなって、いろんなものが見えること見えること。 みんなとの会話が弾んでいたこともあって、退屈を感じることなくじいちゃんの研究所にたどり着くことができた。 当然、出迎えてくれたじいちゃんとナナミ姉ちゃんは、変わり果てたオレの姿を見て呆然としていた。 「まさか……一日でリザードンにまで進化するなんて……」 常識じゃ測りきれない現象に直面して、ナナミ姉ちゃんはため息混じりにつぶやくしかなかった。 もうどうなるか分からないというあきらめすら滲ませていたけれど、それも仕方のないことだと思って、オレはじっとしていた。 姉ちゃんに比べて、じいちゃんは表面上こそ落ち着き払おうと努めていたようだ。 それでも、内心の動揺が手に取るように分かる。 やっぱり、ポケモンの第六感は人間以上なんだ。 どうでもいいことが分かったんだけども……やっぱり、オレたちはもう元には戻れないんだろうか? 言葉が通じなくては、それすら確かめようがないのが、もどかしくてたまらない。 まあ、ポケモンのままでも生きてはいけると思うけど、やっぱり人間に戻りたいな。オレは人間として生まれたんだから。 みんなと言葉が通じなくなるのは寂しいけれど、みんなが何を思っているのか…… それがちゃんとした形で分かれば十分だって思ってるんだ。 人間に戻らなきゃ、母さんや親父がじいちゃんを半殺しにしかねない。 一応、そっちの心配もあるからな。 「うむぅ……」 じいちゃんが唸りながら、進化してしまったオレとナミを交互に見やる。 「ガーっ(ごめんなさい)……」 オレは頭を垂れた。 せめてもの、申し訳ないという気持ちだ。 進化は御法度に近いんだって言われたけれど、オレたちは結果的に進化してしまった。 オレに関してはほとんど不可抗力に近かったんだけど、結果論だけなら悪いことをしてしまったんだ。 「まあ、進化してしまったものは、仕方あるまい」 許してくれてるとは思わないけど、じいちゃんもどこかあきらめに似た雰囲気を漂わせていた。 やっぱり、気にしてる。 さらに申し訳ない気持ちが募る。 「一日に二度も進化をするというのは、常識ではまず考えられないことじゃ。アカツキ、ナミ、それは分かるな?」 オレとナミは小さく頷いた。 オレもナミも、人間の言葉をちゃんとした形で理解できる。もちろん、ポケモンの言葉も。 もしかしたら、地球上で唯一の存在なんじゃないだろうか、両方の言葉を理解できるのって。 でも、オレからじいちゃんたちに言葉を返せないんだから、完全な会話は成り立たせることができない。 でも、じいちゃんの言ってることは正しい。 一日に二度も進化するポケモンなんていない。 進化というのは身体を変えてしまうんだから。 同じ日に二度も進化をすれば、それだけで身体がどうにかなってしまう。 実際に経験してみたから、細胞の組み換えによって起こる身体の変化がどれだけ大変なことか。 ……ってことは? 「アカツキに関しては、細胞の状態が特に不安定なのかもしれん。 ナミの方がどちらかというと安定しているということじゃが……」 確かにその通りなんだけど。 実際にじいちゃんから言われるとなると、やっぱり堪えるよ。 細胞の状態が不安定だからこそ、同じ日に二度も立て続けに進化してしまったんだ。 「とはいえ…… リザードンにまで進化してしまったということは、それ以上の進化はないから、心配は少ないんじゃろうが……」 「薬以外の要因で二度も細胞を変化させてしまった状態で、あの薬を飲んだだけで戻せるんでしょうか?」 「分からんが……元に戻ると考えるしかない」 「…………そうですね」 姉ちゃんが言いたいことは分かる。 あの薬によってオレとナミはポケモンになってしまった。同じ成分の薬ならば、同じ現象を起こせるかもしれない。 でも、オレたちはあれからさらに身体を変化させてしまった。進化という形で。 その状態であの薬を飲んだだけで本当に元に戻れるのか……と心配してるんだ。 「一応、明日の未明には薬が届く算段になっておるから、届いたらすぐに薬を飲んでもらうつもりじゃ。 おまえたちもそのつもりで今日一日を過ごしておくれ」 「ガーっ」 「カメ〜っ」 オレたちはじいちゃんの決意に満ちた言葉に頷いた。 つまり…… 今日が、ポケモンとして暮らす最後の日……そう思うと、なんだか名残惜しくて仕方がない。 やりたいことはたくさんあるけれど……一日は二十四時間。 今日も半分近く過ぎてるし、残された時間はそれほど多いとは言えない。 オレが何を考えてるのか、雰囲気から察したんだろうか。 オレはみんなの方を振り向き―― みんな、一様に寂しそうな顔を見せていた。 明日になれば人間に戻れる。 願ったり叶ったりってところだけど、みんなの顔を見ていると、後ろ髪を引かれるようで……なんか辛い。 「カメっ、カメカメっ(今日はみんなで一緒に騒ごうよ)!!」 ポケモンとして過ごす最後の一日。 だからこそ、ナミは張り切っていた。 悔いが残らぬようにと、今日一日を精一杯過ごそうと、そう言っているんだ。 そうだな…… 乗り気になって騒ぐみんなを見て、オレはため息を漏らした。 別に、人間に戻ったからといってみんなとお別れをするわけじゃないんだし。 言葉は通じなくなるけれど、今まで通り、トレーナーとポケモンという関係だけどちゃんと付き合っていけるんだ。 言葉が通じなくなるのは、やっぱり寂しいよ。 でも、みんなが楽しそうにしてるのに、オレだけ暗く沈んでるんじゃ意味がないよな。 だから…… オレはじいちゃんに親指を立て、ニコリと笑ってみせた。 「うむ……今日一日、存分に楽しむがよかろう」 言われなくてもそのつもりさ。 騒ぎの輪に入ろうと、身体を向けた――ちょうどその時だった。 「父さん、父さんはどこ!?」 悲鳴のような声が研究所の敷地いっぱいに響いた。 この声は、ハルエおばさんか。 「カメ〜っ(あ、ママだ〜っ)♪」 ナミはうれしそうに反応するけれど…… どう考えてもこの声は非常事態宣言(エマージェンシー)だろ。 不吉な予感っていうのは、本当にムカつくほどよく当たる。 土煙たなびかせ、轟音巻き起こしながらハルエおばさんが駆けてくる。 肩で荒い息を繰り返すけど、表情は恐怖に引きつっているようにすら見える。 おばさんがこんな表情を見せるなんて、やっぱりただ事じゃない!! じいちゃんもナナミ姉ちゃんも何事かと、気が気じゃなさそうだ。 一体何がどうなってるんだ……? 騒ぎの輪に入り損ねたせいで、そっちの方にばかり気が向いてしまう。 無視したいのは山々だけど、そういうわけにもいかない。 「た、大変よ!!」 「その顔を見れば分かるんじゃが……どうした?」 「しょ、しょ……ショウゴが戻ってくるのよ!! あと一時間もすれば、ここに!!」 げ…… じいちゃんとナナミ姉ちゃんの顔が一瞬で青ざめる。 考えうる限りの最悪のケース。 親父が戻ってくるだって!? それも、あと一時間で!? 一体なんでそんなことになってるんだ? だって、親父はアメリカで開催されている学会に出席していて、とても戻ってこられる状態では…… 飛行機やその他の交通手段を使っても、そんなに早く戻ってこれるとは思えない。 そもそも、じいちゃんは親父の動きに注意を払うはずだし…… いや……一つだけある。飛行機よりも早く戻ってこられる手段が。一つだけ。 それは…… 「カイリューで戻ってくるって、さっき連絡が……!!」 やっぱりカイリューか。 16時間で地球一周してしまうポケモンにまたがれば、アメリカからならほんの5時間あれば戻ってこれるだろう。 本気の本気、全速力なら1時間程度は短縮できるかもしれない。 どっちにしても、猶予はない。 親父が戻ってきたなら、オレに会いに来るだろう。 オレの姿がないことを、どう説明するつもりなのか……まさかポケモンになったなどと、素直に白状するとは思えない。 白状したとしても、親父が聞き入れるか。 その結果として、じいちゃんたちが恐れる事態が起こるのだとしたら…… マジでヤバイよ、これは。 「ど、どうするんですかおじいちゃん!? これって、絶対に想定外だと思うんですけど!!」 「案ずるな」 慌てふためく姉ちゃんとハルエおばさんを、じいちゃんが手で制する。 とはいえ、じいちゃんも慌ててる。動揺を必死に押し殺してる。 「一応、これも想定内の出来事じゃ。 いろいろと考えたんじゃが、この際、明日の未明……薬が届くまでは、全力で誤魔化すのじゃ。 もちろん、あの部屋にも近づけないように。 薬が届いたら、すぐに二人に飲ませ、あの部屋へと戻す。 それからなら、疑われても証拠不十分でわしらが滅殺されることもない」 「……そうするしかないわね」 「ええ……」 じいちゃんの苦肉の策に、ハルエおばさんとナナミ姉ちゃんが恐る恐るといった感じで頷く。 そりゃそうだろう。 確かにここまで来ると、それが最善の策なんだけど…… 問題があるとすれば、オレとナミがポケモンになったこの身体……どう説明するつもりなんだ? 親父なら、オレとナミが見慣れないリザードンとカメールであることは見抜くだろう。 じいちゃんは……そこまで考えてるはずだ。 だとすると…… 「そういうわけじゃから。 アカツキ、おまえは存分に過ごすといい。その方が、ショウゴの気も紛れるじゃろう。 わしらを助けると思って、存分にはしゃぐのじゃぞ」 「……ガーっ」 そこまで言われては、ノーと断るわけにもいかず。 オレは躊躇いながらも頷いて。 騒ぎの輪に飛び込んで行った。 これがじいちゃんたちのためになるのなら……オレが存分に楽しむのもいいだろうと開き直った。 「ショウゴ、ずいぶん早かったな」 「ああ……思いのほかすんなり総括まで進んだものでな。ヴィクトリアのおかげだ。 彼女がいろいろな方面に手を回しておいてくれたそうだ」 「そうか……ご苦労じゃったな。今日はゆっくり休むといい」 オーキド博士は、カイリューの背に乗って帰宅したショウゴを出迎えた。 その表情は穏やかなものだったが、心の中は平穏無事などではなかった。 嵐が轟々と吹き荒れ、もしも心の中に街があったなら、荒れ狂う竜巻によってその街は壊滅状態になるくらい、焦りに焦っていた。 というのも、ショウゴは数日後に帰ってくる予定だったのだ。 学会というのはそんな簡単にまとまるようなシロモノではない。 博士自身がそれを嫌と言うほど経験しているものだから、てっきりそう思っていたのだが…… 「ヴィクトリアが手を回したと言っておったが……言い訳にしか聴こえんのは何故だ?」 彼女の名前を引き合いに出して本当の理由を隠しているようにしか聴こえないのは、やはり疑いの気持ちを抱いているからだ。 だが、目の前にいるのは明らかに息子のショウゴだ。 メタモンが変身しているのなら言葉など話せないだろうし、ニセモノがカイリューに乗って戻ってくるという展開も非常識極まりない。 もっとも…… 「すでに非常識な事態が起きているんじゃが……口が裂けても言えんな。誤魔化しきるしか、わしらが生き残る術はない」 ショウゴの息子……アカツキがポケモンになってしまっているのだ。 もちろん、隠し通すしかない。 「それより、親父」 ショウゴは博士が何を考えているのかなど知らぬと言わんばかりの仕草で、革の鞄を机に置いて、コートを脱いだ。 カイリューの背に乗って戻ってくれば、飛行機よりもジェット機よりも早いが、空を飛んでいると強く冷たい風を常に受ける。 コートやホッカイロといった防寒具が必需品だ。 「アカツキはどうしている?」 当然、目に入れても痛くない息子の話になった。 だが、ショウゴがそう言い出すことは分かりきっていたので、博士はすぐに言葉を返すことができた。 もし一瞬でも言葉に詰まったなら、余計な疑いをもたれるのは必至だ。 それに、今博士は生き残るのに必死だ。 「風邪を引いてしまっていてな……すまん、無理をさせすぎた」 「そうか……」 博士の言葉に、ショウゴは肩をすくめた。 残念そうには見えないが、心の中では残念に思っているのは間違いない。 それほどに、彼は息子を愛している。 「だが、それはあいつが望んだことだろう。ならば、謝る必要はないさ。一日でも早く元気になってもらえばいい。 で、どこで休んでいる?」 「タチの悪い風邪だと診断されてな。しばらくは面会できん」 「ふむ……それなら仕方ないか。 しばらくはのんびりできそうだから、元気になったら教えてくれ。その時に会いに行けばいいだろう」 「うむ、そうしてやってくれ、すまんな」 なんとか誤魔化せた…… 博士は顔にこそ出さなかったが、胸中でホッとした。 先ほどまで心の中で荒れ狂っていた嵐は止み、暗く垂れ込める雲の合間から陽光が降り注ぐ。 とりあえず、今の時点では死なずに済んだ。 だが、いつショウゴが気変わりを起こすか、分かったものではない。 さり気ない監視をつけておく必要があるかもしれないが、勘のいい彼のことだ、さり気なく、と言っても勘付くかもしれない。 「親父。アカツキは研究者に向いているだろう。そう思わないか」 内心ホッとしていたところに、予期せぬ言葉が矢のように飛んできた。 博士は驚いて顔を上げた。 ショウゴが、口元に小さな笑みを浮かべながら、椅子に腰を深く下ろしている。 「まさか……見抜かれたということは万が一にもありえぬはずだが……油断はならぬ。 さり気ない話から勘付くやもしれん。要注意じゃ」 博士はごくりと唾を飲み下す。 ここは相手のペースに合わせておこう。そうすれば、下手にボロを出すこともない。 「うむ……確かに博士には向いておる。 あの歳でポケモンの知識があそこまで豊富だと、そう思うのも無理はないじゃろう」 「なら、俺の気持ちも分かってもらえるだろう?」 「そうじゃが……だからといって、おまえの気持ちを押し付けていいというものでもあるまい。 仲直りした今となっては、なおさらじゃよ」 「分かっているが、惜しい才能だよ」 ショウゴは残念さを隠し切れない口調と表情で、博士に言葉をぶつけた。 確かに……博士は思った。 アカツキは博士として天性の才能の持ち主だ。 十二歳にしてポケモンの知識は海のように深く、下手な研究者なら、手も足も出ないほどの知識量を誇る。 本人にその気さえあれば、研究者として大成するのも難しくないだろう。 だが、本人にその気がないのは、誰の目にも明らかだ。 豊富な知識をひけらかすこともせず、最強のポケモントレーナーと、最高のポケモンブリーダーを目指している少年。 彼の目には、博士という二文字は映っていない。 ショウゴも、自分の気持ちは押し付けないと決めているはずなのだが、やはりアカツキの知識は捨てがたい魅力を放っている。 「おまえも分かっておるじゃろう。アカツキの夢はアカツキが決める」 「分かっているさ」 博士のたしなめるような一言に、ショウゴは肩をすくめた。 惜しい才能ではあるが、本人にその気がない以上、他人がとやかく口を出す問題ではない。 父親であろうと、祖父であろうと、それは同じだ。 「だが、これを機に見直してくれるなら、それに越したことはない」 「無理だとは思うが」 「そうだろうな……あと、カイリューの背に乗って空から見ていたが、なにやら楽しそうに遊んでいるポケモンがいたな。 アカツキのポケモンだろう?」 「う……うむ、そうじゃが」 これまた予想外の一言に、博士の心にまたしても矢が突き刺さった。 本当はすでに見抜かれているのではないか……という恐怖が不意に過ぎってゆく。 関係ないような話を次々に繰り出すのは、じっくり料理できるように、外堀を埋めているからではないか……? ついにはそこまで疑ってしまう。 「ラッシー、ラズリー、リッピー、リンリ、ルース、ルーシー……他のポケモンはいなかったが、アカツキのポケモンが多かったな。 あと……赤いスカーフを巻いたリザードンと、青いスカーフを巻いたカメールもいたか。 少なくとも、学会に出発する時にはその二体のポケモンはいなかったはずだが……他の研究所から預かっているのか?」 鋭い…… 博士は胸中で唸った。 確かに、ショウゴが学会に出発する時には、その二体のポケモンはいなかった。 なにしろ、そのポケモンたちは姿を変えたアカツキとナミなのだ。 確かにショウゴの言葉は核心に近い部分を突いてはいたが、本当の中心ではない。 だが、この分だと中心に行き着くのも時間の問題かもしれない……博士は焦りを募らせた。 他の手段を考えた方が良いのではないか、あるいは玉砕覚悟ですべてを打ち明けるか…… 眉間にシワを寄せながら考えをめぐらせていると、ショウゴが窓の外に目をやった。 アカツキのポケモンたちと、見慣れないスカーフのポケモンが楽しそうに遊んでいるのが見える。 「ふむ……」 大方、他の研究所から預かっているポケモンだろう。 博士は何も言わないが、間違いないと思った。 リザードンは翼を目いっぱいに広げて、ラッシーとルーシー以外のポケモンをその背に乗せて空を舞い、 カメールはリッピーと気が合っているのか、ダンスなど披露している。 見ているうちに、その二体が輪の中心にいることに気づく。 「ずいぶんと慣れているな。 アカツキのポケモンは、知らないポケモンを相手にすぐに仲良くなれるが……それにしては、ずいぶん慣れている。 何かあったのか?」 窓の外に目を向けたまま、確かめるように博士に言葉を振る。 ぎくっ。 博士は今にも口から心臓が飛び出してしまいそうな気分だった。 言葉自体は間違っていない。 確かに『何か』あったのだ。 だが、ここで言葉に詰まっては余計に疑われる。 頭をフルに回転させて、言葉を搾り出す。当たり障りのない程度に、本当のことを口にする。 「うむ。あの問題児(ヌオー)の性根を叩きなおしてくれたらしい」 「ほう……あいつの性根を……それは興味深い」 ショウゴは目を細めた。 なだらかな斜面の向こう側には、陽光を反射して煌めく湖がある。 ヌオーは湖のヌシみたいな存在だが、実際にやっているのは街のチンピラと大差ない。 普通に振る舞えばそれなりに従う者もいるだろうが、やっていることがチープなせいか、余計なトラブルばかり作り出している。 研究所のポケモンではとてもその性根を叩きなおすのは無理だろうと思って見ていたが…… 平穏な湖の様子を見ていると、本当に性根を叩きなおしてしまったらしい。 「ラッシーですら手を焼くあのヌオーを立ち直らせるとは、あのリザードンとカメール…… ただのリザードンとカメールではないな。よほど腕の立つトレーナーに育てられたのだろう」 「うむ……詳しいことはわしも聞いておらんが」 確かにただのリザードンとカメールではない。 リザードンがアカツキで、カメールがナミだ。どう考えてもただのポケモンではない。 「後で見に行くとしよう。気になるからな」 「あまり刺激しないようにしてやってくれ。どうにも、わしらには扱いが難しい」 「分かった。カイリューも絡めてやれば大丈夫だろう」 本気だ……本気で観察しに行くつもりだ。 一瞬、止めようと思ったが、止めたところで不審に思われるだろう。 それに、言葉が通じないのなら、アカツキがショウゴに「自分が息子だ」などと打ち明けることはありえない。 その逆の保証がないのは痛いが、仕方がない。 「親父」 ショウゴは椅子を回転させて博士に向き直った。 「あのポケモン、興味があるんで、三日ほど貸してもらえると助かる」 「残念じゃがそれは無理だな。明日には返さなければならん」 「そうか、残念だ」 残念にこそ思っているが、顔には笑みが浮かんでいる。 本当にあのリザードンとカメールに興味を持っている……そう睨んで、博士の心中は穏やかでいられるはずがなかった。 To Be Continued...