シャイニング・ブレイブ 第1章 旅立ちの朝 -Starting Over-(前編) 自然があふれるネイゼル地方。 西を除いた三方を高峰に囲まれ、盆地のような地形に築かれた地方だ。 そこには森があり、湖があり、砂漠があり……と、一つの地方でありながら、様々な表情を持つ自然が同居する、不思議な地方でもある。 昔この地方を襲った天変地異の力の残滓が為せるワザであるとか、ポケモンに祝福されたからであるとか…… 様々な説があるが、実際のところはどれが真実なのか、今でもハッキリしていない。 ネイゼル地方の中心部には、青空のごとく澄み切った水面を湛える湖――セントラルレイク(中央湖)がある。 北の山脈から流れ出る雪解け水に支えられた豊富な水量と、地下の地層を経て濾過された良質な水質から、 名水百選の中でも常に上位に入っているほどの湖だ。 見る者の心を不思議と和ませるセントラルレイクの畔に、レイクタウンという名の街がある。 湖畔に築かれた街は緩やかな斜面に沿って道が舗装され、人家が建ち並んでいる。 高層ビルなどはまったくなく、街を東西に貫く大通りにはショッピングモールがあるが、高さはかなり抑えられている。 街のどこからでも、南西に広がるセントラルレイクを一望できる。 陽光を受けてキラキラと輝く水面と、斜面を吹き降りる穏やかな風になびく芝。さらにはセントラルレイクの彼方に望む南の山脈。 それぞれ趣の異なる三者が一同に会した絶景に、心を打たれる者も多いとも聞く。 穏やかな街並みに流れる、穏やかな時間。 世の騒がしさや目まぐるしい変化とは無縁の、穏やかな時間に育まれるように、レイクタウンの住民も素朴な者が多い。 まるで、現代文明の著しい発展から取り残されたような街。 しかし、住民はこの街に生まれたことを誇りに思っている。 街の東部に広がる高台の麓にある、とある民家に住む少年も、その一人だった。 「あ、兄ちゃん!! 久しぶり〜、元気してた〜?」 受話器を耳に当て、モニタ越しに二つ年上の兄の元気な顔を見て、少年は満面の笑みを浮かべた。 十一、二歳といったところか。 刈り込んだ黒髪と、いかにも活発そうな顔立ちが特徴の少年だ。 相手は実の兄だが、久しぶりに顔を見て話すということもあって、少年は胸に秘めた喜びを隠そうともしなかった。 「ブイっ!! ブ〜イっ!!」 少年の傍らに立つポケモンも、同じようにうれしそうな顔を見せていた。 彼(一応、男の子)もまた、画面の向こうにいる相手を兄のように思い、慕っているのである。 うみイタチポケモンという分類の、ブイゼルという種族で、背丈は少年の腰くらい。 艶やかな薄茶色の体毛に覆われ、首には浮き輪のような浮き袋があり、左右にリズミカルに揺れている尻尾は、先が二又に分かれている。 前脚の足首には丸みを帯びたヒレが生えていて、見た目からしても水辺に住むポケモンであることがうかがえる。 一方、少年の兄は相変わらずの弟の表情に、呆れたように苦笑していた。 自分に自信でもあるのか、顔立ちはあどけなさを残しながらも、どことなく大人びていて、ワイルドな美少年と呼べないこともないだろう。 その兄は、美少年とすら呼べる顔を苦笑にゆがめつつ、ため息混じりに言う。 「アカツキ。おまえ、相変わらずだなあ。ちょっとくらい悩んだりすることもねえのか?」 自分でも分かっているほど意地悪な質問だが、少年――アカツキは気にするでもなく、平然と言葉を返した。 「別に。悩むようなことなんてないし。 そういう兄ちゃんはどうなんだよ。旅とかしてると、結構大変なんじゃないの?」 「まあ、な……」 言葉の意味を完全に理解していない弟に呆れつつ、それが『弟らしさ』なのだと思い、兄は気を取り直して言葉を付け足した。 「ウィンシティのジムリーダーに負けちまってな」 「ええっ!? 兄ちゃんが負けたの!?」 その言葉に、アカツキは目を見開き、素っ頓狂な声を上げて驚いた。 彼が知る限り、兄――アラタはそこいらのトレーナーとは比べ物にならない実力の持ち主だ。 ジムリーダーと呼ばれるのは凄腕のトレーナー。 しかし、ある程度のハードルを設けて、挑戦者に対して手加減をしてくれているはずなのだ。 それでも負けてしまうということは、その相手が凄まじく強いということなのだろう。 そう思い、アカツキはただ驚くしかなかった。 しかし、アラタは弟のオオゲサとしか言いようのない驚きぶりを、困ったような表情で見ていた。 「あのなあ……」 負けることくらいある。 アカツキが驚くのも分かるつもりだが、負けを知らないトレーナーなどそもそも存在しないのだ。 「オレより強いトレーナーなんて、いくらだっているんだぞ? 下手すりゃキョウコのヤツなんかそうだろ。 あいつ、今頃何やってんのか知らないけどさ、オレだって全力でぶつからなきゃ、あっという間に負けちまうからなぁ。 ジムリーダーなんてそれに輪をかけて強いヤツばっかなんだよ。 オレが負けたからって、いちいち驚くなよ。そんなんで驚いてたら、おまえなんかもっと大変だろーが」 「う……そりゃそうだけど……」 宥めるような口調から一転、アラタは断崖から突き落とすようなことを言った。 アカツキの表情が引きつる。 図星だった。 「オレのことでいちいち驚いてるヒマがあるんなら、おまえもトレーナーとして少しはマシになることを考えろよ。 そうじゃないと、オレとの約束なんて果たせないだろ」 「うん、そうだよな……」 約束…… 兄から突きつけられた一言に、アカツキは顔を上向かせた。 見えるのはくすんだクリーム色の天井。 いつも見てきた、何の変哲もない天井。 その向こうに何かを見ていた。アカツキにしか見えない、何かを。 「兄ちゃんと、ネイゼルカップでバトルすること……だよな」 「そう。忘れちゃいなかったみたいだな」 「当たり前じゃん。兄ちゃんと戦えるなんて、なんだかすっごくドキドキするんだから」 自ら発した言葉に引き摺り下ろされるように、アカツキは画面の向こうでニコッと微笑むアラタを見やった。 兄弟の約束。 それは、年に一度、セントラルレイクの中央に設けられた巨大スタジアム『ネイゼルスタジアム』で催される、 ポケモンリーグ公式大会『ネイゼルカップ』でトレーナーとして戦うこと。 ……兄弟でなぜ戦う必要があるのか、という疑問を持つかもしれない。 しかし、ポケモントレーナーにとっては、兄弟だろうが親子だろうが、決して負けたくないライバルなのだ。 むしろ、兄弟や親子という情があるからこそ、なおさら負けたくないと思える。 アカツキだって、兄アラタに負けたくないと思う。 ただ、今の自分ではとても勝ち目などないことも分かっている。 相手は自分よりも経験を積んでいる。 それに、ポケモントレーナーズスクール(通称スクール)という、トレーナー養成所のような学校を優秀な成績で卒業しているのだ。 スクールに通う気のない自分が、すぐに勝てるような相手ではない。 「でも、今のおまえじゃオレには勝てないぜ?」 「分かってるよ」 意地悪な兄の言葉に、アカツキはむっ、と頬を膨らませた。 分かっているくせに、そんなことを言ってくるのだ。 見え透いた挑発ではあるが、アカツキは思い切り引っかかっていた。 そういったことを考えられないほど、精神的に余裕がないのかもしれない。 それでも…… 「明後日でオレも十二歳になるんだよ。だから、旅に出る!! リーグバッジだって集めて、兄ちゃんと戦えるくらいに強くなる!!」 アカツキはすぐに笑顔に戻ると、これでもかとばかりに言葉を募った。 「ブ〜イっ!!」 パートナーのブイゼルも、トレーナーに合わせて声を大にしてアラタに主張する。 ――オレのトレーナーに不可能はない。絶対に勝ってみせる。 そう言わんばかりだった。 弟と、弟のパートナーの意気込みを画面越しでもちゃんと感じられたのだろう。アラタは口の端を吊り上げた。 余裕を漂わせながらも、何かを楽しんでいるような笑みだった。 「そっか。明後日かあ……おまえももうすぐ十二になるんだよな」 「そうだよ。ネイトと一緒に旅に出るんだ。な?」 「ブイ〜っ」 アカツキの言葉に、ネイトと呼ばれたブイゼルはぴょんぴょんと飛び跳ねて応えた。 ちなみに、ネイトとはニックネームである。 家族同然に過ごしてきただけあって、彼との呼吸はピタリと合っている。 夫婦漫才を彷彿とさせる呼吸の一致に、アラタは人知れず安堵した。 「だったら安心だな。オレがとやかく心配する必要もなさそうだ」 「うん!!」 アカツキは大きく頷いた。 心配してくれるのはうれしい。 だけど、心配されなくてもいい……とも思っている。 というのも、トレーナーとして旅に出られる年齢は、ネイゼル地方では十二歳と定められているのだ。 義務教育は十一歳までで、アカツキはすでに義務教育を終えている。 あとはトレーナーとして旅立てる日を待つばかり。 十二歳にもなれば、それなりに善悪の判断だってつくし、精神的に未熟さを抱えていても、いっぱしの大人として扱われるのだ。 だから、旅に出る以上は、身の回りのことはひとりでできるようにならなければならないし、 誰もがいつでも助けてくれるわけではない以上どんな困難だって、自分たちでどうにか切り抜けなければならない。 いろいろと難しいことはあるが、旅立つことを許される年齢である。甘えは許されない。 そんな厳しい世界に飛び込もうとしながらも、アカツキは不安よりもむしろ期待ばかり抱いていた。 明るく前向きなその気持ちは、兄を安心させた。 「ねえ、兄ちゃん」 「なんだ?」 「アッシュは元気にしてる?」 「ああ、もちろん」 アラタは小さく頷くと、画面では見えないが、腰のモンスターボールをつかんで、相棒をボールの外に出した。 出してから、場所を譲る。 画面に、大型の青いカブトムシのようなポケモン……ヘラクロスが映った。 「あっ、アッシュ!!」 その姿を認め、アカツキはパッと表情を輝かせた。 「アッシュ、久しぶり!! 元気してたか〜?」 「ブ〜イ、ブ〜イっ!!」 ネイトも同様に、ヘラクロス――アッシュに言葉をかけた。 アッシュはアラタの相棒であり、アカツキにとってのネイトと同じ存在だった。 かけがえのない仲間、家族……あるいは友達だったりするのかもしれない。 「ヘラクロっ……!!」 アッシュはアカツキとネイトの姿を見て、はしゃいだ。 久しぶりに顔を合わせるということで、機嫌がいいらしい。 「な、元気だろ?」 「うん。安心したよ」 アラタの言葉に、アカツキは頷いた。 彼にとってはネイトもアッシュも家族のような存在なのだ。 元気な表情を見せてくれると、とてもうれしくなる。 「じゃあ戻れ、アッシュ」 しかし、アラタは出して早々、アッシュをモンスターボールに戻してしまった。 アカツキは呆然と画面越しの兄を見つめていた。 「あれ、もう戻しちゃうの? せっかく外に出したのに……」 「まあ、アッシュに突っかかってくるポケモンもいるからな。余計なトラブルは起こしたくないんだよ」 周囲を忙しなく見回しながら、困ったように言う。 「ふーん」 どうやら、アッシュがトラブルを起こすというよりも、別のポケモンがアッシュに突っかかってトラブルを起こす…… いや、起こされるのを嫌がっているようである。 アラタは気を取り直すと、アカツキに警告めいた言葉を投げかけた。 これから旅立とうとしている弟に、世間というものを教え込もうとしているかのようだったが…… 「おまえも十二になるんだから、その楽天的な性格を少しは何とかしろよ。 ポジティブなのはいいけど、それで無茶とかされると、やっぱ心配だからな」 「大丈夫だって」 「…………ま、いいんだけどさ」 アカツキはまともに受け取らなかった。 というより、何を言われているのかもよく分かっていないようだった。 これもすべて、あまりにポジティブすぎる性格が為せるワザなのだろうか。アラタもこれ以上言葉を付け足すつもりにならなかった。 その代わり、遠い目をして、懐かしむように言う。 「おまえもトレーナーになるのか。 なんか、ずっと先のことだと思ってたけど、そうでもなかったんだな」 「うん」 「おまえとバトルするの、楽しみにしてるからな。頑張れよ」 「もちろん。任せてよ!!」 「よし、いい返事だ」 アカツキが大きな声で返事したことに満足して、アラタは笑みを深めた。 弟の元気いっぱいなところに励まされることは一度や二度ではなかった。 これで、もう少し慎重な性格であれば言うことはないのだが、仕方がない。 一度形成された性格は、そう簡単には直せない。 それは自分自身の性格でよく分かっているので、アカツキに『性格直せ』と強要するつもりはない。 「じゃあ、またな。父さんと母さんによろしく言っといてくれ」 「うん、分かった。またね、兄ちゃん」 「おう」 昼間は仕事で家を留守にしている父と母によろしくと言葉を残し、兄弟の会話は終わった。 画面が暗転し、通話が終わる。 何も映さなくなった真っ黒な画面に、自分の顔が映っている。 得意気な表情。 あどけなくて、無邪気な子供の表情。 だけど…… その瞳には、絶対にネイゼルカップに出場して兄アラタと戦うんだという強い決意が満ちていた。 「ブ〜イ?」 ネイトが斜め下からアカツキの表情を覗き込んだ。 普段の彼とは違う雰囲気を感じ取ったのかもしれない。 アカツキは窓際に歩いていくと、窓を押し開いた。 涼やかな風が吹き込んでくる。 ほんわかと薫る草の匂いが、清々しい気分にさせてくれる。 なだらかな斜面に沿って、簡素な街並みが広がる。 その向こうには青々とした水を湛えたセントラルレイク。彼方にうっすらと煙る山脈を望む。 雄大な自然が広がる景色。 しかし、アカツキの目線は、セントラルレイクの中央に築かれたドーム型の施設に向けられていた。 ポケモンリーグの公式大会の『ネイゼルカップ』が開かれる、ネイゼルスタジアムだ。 アカツキはアラタと、あの大舞台で戦おうと約束したのだ。 兄弟としてではなく、一人のポケモントレーナーとして、死力を尽くし、正々堂々と。 とはいえ、楽天的なアカツキにだって、ネイゼルカップに出場することが簡単でないことくらいは分かっている。 大きく息を吸い込んで、思いっきり声を上げた。 「兄ちゃん、オレ頑張るから!! ネイゼルカップでちゃんと戦えるくらい、強くなってやる!!」 胸に蓄えた気持ちを、声にして一気に放出する。 「……?」 ネイトはいきなり耳元で声を上げられてビックリしていたが、アカツキが何を考えているのかすぐに察すると、 身軽な動きで窓枠に飛び乗り、身体を後ろに反って―― 「ブイっ、ブイブ〜イっ!!」 アカツキに負けじと声を上げた。 二人の声が周囲にこだまする。 余韻を棚引かせながら、少しずつ空の向こうに吸い込まれていく。 やがて何事もなかったように声が消えた後、アカツキとネイトは顔を向け合い、ニコッと笑った。 「ネイトもやる気満々なんだな。 よし、カイトとバトルしよう!! 行こうぜ、ネイト!!」 「ブイ〜っ!!」 待ってましたと言わんばかりに声を上げ、ネイトは床に飛び降りた。 アカツキもネイトもすっかりやる気になっている。 調子のいい性格ではあるが、それが彼の強みだった。 アカツキは廊下をドタバタと大きな音を立てながら駆け出した。ネイトが少し遅れてついてくる。 トレードマークの赤いベレー帽をかぶり、家を飛び出す。 昼間は両親が仕事で留守にしているが、玄関や窓などの鍵はかけない。 無用心な……と思うかもしれないが、レイクタウンではむしろ鍵をかける方が『変わっている』のだ。 素朴な住人が多く、そもそも誰かの家に忍び込んで何かを盗もうとするようなセコイ者がいないのである。 それに、鍵をかけないからといって、何も泥棒対策をしていないわけではない。 都会では絶対に考えられないような、のどかな街特有の光景と言ってもいい。 しかし、人家の近くでもポケモンが堂々とくつろいでいたりするので(しかもほとんどがこの街の『住人』である)、 わざわざ鍵をかけなくても良かったりする。 人間の数倍……あるいは数十倍も鋭い感覚の持ち主であるポケモンを誤魔化せる者など、そうはいない。 根拠があるような、ないような。 よく分からないところではあるが、それは単に誰かを疑うことから始まるのを潔しとしないだけのことだ。 素朴な住人ならではの発想だろう。 それはともかく、アカツキは街を東西に貫くメインストリートに通じる坂道を駆け下りた。 爽やかな南風が頬を撫でていく。 毎日同じような風を浴びているけれど、まったく飽きないのは、やはり気持ちいいからだ。 「ん〜っ、やっぱ気持ちいいな〜!!」 道端でヤドンやヤドラン、ヌオーなどがのんびり寝転がっていたりするが、彼らの脇を通り過ぎながら、アカツキは思いきり叫んだ。 湖の畔に築かれた街だけあり、この辺りでのんびりしているのは主に水タイプのポケモンである。 街の北側には草原地帯が広がっており、そちらには別の種類のポケモンが棲んでいる。 「やっほ〜、ヤドンにヤドランにヌオーにウパー!! 元気してっか〜!?」 道端でのんびりくつろいでいる水ポケモンたちに声をかけるが、飛び跳ねたり手を振ったりして返事をしてくれるのは、いつも決まってヌオーとウパー。 ヤドンとヤドランはすっとぼけた顔をしているまま。 噛み付かれたり危害を加えられたりしても、それに気づくまで数秒かかることもあるというほど鈍いポケモンだから、 声をかけられてからアカツキが通り過ぎるまでの間で気づけなかったとしても不思議はないし、アカツキもそこのところはよく心得ている。 返事をしてくれなくても、彼らに言葉が届いているのだと分かっているから、半ば無視される格好になっても、懲りることなく声をかけ続けているのだ。 緩やかな坂道を駆け下りると、東西に伸びるメインストリートに差し掛かる。 右手の角に、小ぢんまりとした佇まいのポケモンセンターがある。 空か海か……あるいはどちらも含まれているのかもしれない。 二階建てのポケモンセンターの外観は、鮮やかな水色に統一されていて、特に塀などは設けられていない。 湖から敷地に水路を引き込んで、小さな池を設けており、そこでも水タイプのポケモンが悠々自適に過ごしている。 いずれもアカツキとネイトにとっては見慣れた光景だが、ポケモンセンターにやってくるトレーナーの顔ぶれは日々違うものだから、やはり見飽きない。 今日もまた、見知らぬトレーナーがポケモンセンターから出てきた。他の街からやってきたのか、あるいは他の地方出身者なのか。 どちらにしろ、トレーナーとして頑張ろうと思っているアカツキにとってはライバルに思えてならなかった。 ポケモンセンターを横目に見ながら、メインストリートを東に向かう。 アカツキの親友であり最大のライバルでもあるカイトの家は、そこから南東に位置している。 レンガで舗装された道はレトロな雰囲気を漂わせており、アスファルトのような人工的な感じがせず、自然の中にいるという気持ちにさせてくれる。 メインストリートは街の東にあるゲートまで続いているが、そこから先も道がある。 イーストロードと呼ばれる道で、東へと続いている。 途中で森にぶつかるが、その森の中にある街とレイクタウンとを結んでいる、幹線道路だったりするのだ。 もちろん、アカツキとネイトはまだ旅に出ていないのだから、そこまで行くことはない。 いつかはこの道の先へと行くことになるのだと思いながらも、気持ちはカイトとのバトルに向いていた。 アカツキがネイトと毎日一緒に過ごしているように、カイトもポケモンと共に日々を過ごしている。 カイトにとってもそのポケモンは家族であり、頼れるパートナーでもある。 だから、バトルも知らず知らずに激しいものとなるのだ。 だけど、激しいバトルにこそ、二人して燃えまくっていたりする。 似た者同士という言葉が似合うが、そんな二人だからこそ友情を育むことができたのかもしれない。 それはともかく…… 途中で右に曲がり、南へと進むと、階段坂に差し掛かる。 読んで字のごとく、幅のある階段が連なっている坂である。 なぜそんなものがあるのかなど誰も知らないし、知ろうとも思わない。生まれる前からそこにあるのだから、それが当たり前だと思っている。 レイクタウンがなぜここにあるのか、ということを考えないのと同じ理屈だ。 一段一段の幅が優に二メートルを越える階段を、数歩かけて登っていく。 家を飛び出してから今まで走り続けているが、アカツキもネイトも疲れたとは思っていなかった。 元々身体を動かすのが大好きだし、もうすぐトレーナーとして旅立てるからという理由で辞めてしまったが、 少し前までは街の郊外にある格闘道場に通っていたこともあり、体力と腕力と脚力と根性はそれなりに自信があったりするのだ。 もっとも、道場に通っていた割には、性格的にどこか底の抜けたような部分があったりするのは、師範でさえも首を傾げているほどだ。 街の南部へと続く階段坂を登っていくと、さらに道が二手に分かれている。 右と前。 しかし、アカツキはカイトの家がある右の道ではなく、まっすぐ坂を登っていった。 今の時間帯なら、カイトがこの先にいるのを知っているからだ。 案の定、坂を登りきった先に、親友の姿があった。 Side 2 「お〜い、カイト〜っ!!」 陽気な声が響き、レイクタウンの救いの神として敬われているラグラージの像の前で佇んでいた少年が振り返る。 茶髪を背中に束ねた、どこか優しい雰囲気すら漂わせる顔立ちの少年である。 「んんっ、どっかで聞いた声かと思ったらアカツキじゃねーか」 予想通りの人物の登場に、少年――カイトはため息など漏らしながらも、口の端に笑みを浮かべた。 「ガーッ……」 カイトの傍らに佇むリザードも、やっぱりと言わんばかりに小さく唸る。 階段坂を一直線に駆け上がってきた親友を、いつものように出迎えた。 「どーしたよ。そんな慌てて走ってきてさ。今日もバトルしに来たのか?」 「当たり前じゃんっ!!」 ほとんど息を切らしていないアカツキに向けて、少しウンザリしたような口調で問いかけながらも、 陽気な性格のアカツキはものともせず、笑顔と共に言葉を返した。 ネイトをモンスターボールの外に出しているのはいつものことだが、そもそもアカツキがバトルの相手に選ぶのはいつも決まってカイトだった。 レイクタウンにはおよそ三千人が暮らしているが、アカツキと同い年なのはカイトだけなのだ。 一つ年上や年下の子はいるのだが、トレーナーとして旅に出られる十二歳を前に、アカツキは同い年のカイトを強く意識しているのである。 バトルの相手に選ぶのも、負けたくない相手だという気持ちが強く働いているせいだ。 とはいえ…… 「おまえ、懲りないな〜。オレに何度もコテンパンにされたのにさ〜。な、レックス?」 「ガーッ」 淡々としているカイトと、リザードのレックス。 対照的に、アカツキとネイトは声を荒げて挑戦状を叩きつけた。 「今回は絶対に勝つんだよ!! いつまでもおまえに負けてるなんて思うなよ!!」 「ブイっ、ブ〜イっ!!」 つまるところ…… アカツキはカイトを相手に、連敗街道まっしぐらなのである。 ネイトは水タイプで、レックスは炎タイプ。 実力的には互角だが、タイプの相性が絡めば、ネイトの方が有利になるに決まっている。 しかし、トレーナーの力量がポケモンについて行かないらしく、アカツキは相性の有利なはずの相手に負け続けているのだ。 決して、ネイトが弱いわけではない。 弱いのは、トレーナーとしてのアカツキなのである。 とはいえ、それは本人が一番よく分かっている。 悔し涙を流しながらバトルのことを勉強したりするのだが、カイトは毎回その上を行く。 完全にイタチゴッコだ。 それでも、アカツキはあきらめない。 毎日のようにカイトに挑戦状を叩きつけ、バトルをしては毎回負けて帰る。 その度にダメージを受けて傷つくネイトが気の毒になるのだが、ネイトも負けたことが悔しいらしく、 トレーナーと一緒になっていろいろと勉強に励んでいる。 「こりゃまたやる気だな……」 アカツキの目に闘志が宿っているのを見て取って、カイトは上手いことはぐらかそうという気持ちが吹き飛んでいくのを感じていた。 バトルが嫌いというわけではないが、またアカツキを負かさなければならないのかと思うと、どうにも気が進まなかったりする。 そもそも挑戦状を一方的に叩きつけてきたのは向こうだが、どうでもいいような理由で突き返したりするのは、不戦敗を認めるようなものである。 相手が親友とはいえ、戦わずして認めるというのは屈辱だ。 「分かった分かった。相手してやるよ」 「やりぃっ♪」 今日もまた挑戦状を受け取ってもらえたので、アカツキは喜びに湧いた。 今日も負けるかもしれない……とは思っていないようである。 どんな時も前向きでポジティブなのだから、負けるかも……という不安など持ってバトルに臨んだりはしないのだろう。 「今日は絶対(ぜってー)勝つからな!!」 「あとで泣いても知らないぞ〜」 「むかっ!! 泣かしてやるーっ!!」 グッと握りしめた拳を眼前に突き出されても、余裕たっぷりのカイト。 アカツキは額に青筋など浮かばせながら、叩きつけるように叫んだ。 毎度毎度自分とネイトが泣くのは不公平だ。 今日こそは勝って、カイトとレックスに悔し涙を流させてやるのだ。負けた時の悔しい気持ちを思い知らせてやる。 半ば筋違いな感情など抱きながら、アカツキはネイトを連れて、カイトと距離を取って対峙した。 横手には、ぬまうおポケモン・ラグラージの勇姿を象った像がある。 アカツキやカイトが生まれるよりずっと昔……この街が天変地異に見舞われたことがあったそうだ。 街が水没の危機に瀕した時、セントラルレイクに棲んでいたラグラージたちが泥の壁を作って、洪水から街を守ったという伝説が残っている。 街の救世主であるラグラージの勇姿を讃え、街のあちこちに様々な姿のラグラージの像が建てられているのだ。 ゆえに、この街の住人にとっては、ラグラージは特別なポケモンだったりする。 特別なポケモンの像が建った場所でバトルをすることは、この街の住人であるアカツキとカイトにとっては、ちょっとした誇りなのだ。 「よし、始めっか」 「おう!!」 カイトの言葉に、アカツキが応じる。 二人の前に、ネイトとレックスが躍り出た。 この場所にはバトルコートなど描かれているはずもなく、どこがセンターラインでどこがエンドラインなのかも分からないが、 そもそもアカツキとカイトのバトルにおいては、目に映る景色すべてがバトルフィールドであり、境界線などどこにも存在しない。 「ネイトの方が強いんだから、普通に戦えば勝てるんだ」 アカツキはグッと拳を握りしめた。 爪が食い込む痛みさえ、その闘志をより激しく燃え上がらせる燃料になる。 普通に戦えば勝てる……タイプ間の相性を考慮すれば、考えていることはもっともなのだが、そういう風にバトルができれば、誰も苦労しない。 ポケモンバトルにおいて、相性は基本的な要素のひとつだ。 ネイトとレックスでは、水タイプのネイトの方が有利に決まっているが、もちろんそれがすべてではない。 それぞれのポケモンが使える技、トレーナーが描く戦略。 そういったものが複雑に絡み合うものだから、バトルは最後まで行方が分からない。 最後まで気が抜けないからこそ、トレーナーの精神力も重要になってくるのだ。 「ネイトが使える技は……」 バトルが始まる前に、ざっとおさらい。 ネイトをはじめとするブイゼルは水タイプのポケモンだから、当然水タイプの技が得意だ。 カイトに負けるたび、アカツキは一生懸命ポケモンのことを勉強した。 おかげで、少しずつネイトの使える技や、その使い道も分かるようになってきた。 それでも、ポケモントレーナーとしてド素人であることに変わりはない。 「どこからでもかかってきな!!」 手で『かかってこい』というジェスチャーを交えながら口火を切るカイト。 トレーナーとしての実力なら自分の方が上。 相性が不利だろうと、戦い方さえ間違わなければ負けることはないと思っているのだ。 旅立つ前のトレーナーにしては大した自信である。 「よし、行くぜネイトっ!!」 「ブ〜イっ!!」 いつでもいいぞと、ネイトがアカツキの言葉に応えて尻尾をクルクルと回した。 ブイゼルは陸上で暮らすとされるポケモンだが、水タイプの持ち主だけあって、その真価が発揮されるのは、水中での戦いである。 だけど、ネイトは陸上でも戦える。ブイゼルという種族は水陸両方で暮らせるが、主に陸上で生活しているらしい。 まあ、それはともかく…… やる気満々のネイトが、レックスを睨みつける。レックスも、バトルになると別人のようにキリリとした表情になる。 尻尾の先に灯る炎が、いつもより大きくなっているのもそのせいだ。 「ネイト、レックスに水鉄砲っ!! 全力でぶっ放せ〜っ!!」 アカツキはレックスを指差して、ネイトに指示を出した。 公式なバトルではないから、審判なんてものはいない。そもそも、必要性すら感じられない。 ネイトは回転させていた尻尾をピンと立てると、口を開いて水鉄砲を発射する!! 水タイプのポケモンならどのポケモンでも使える、初歩的な攻撃技だ。 だが、初歩的な技だからこそ、その威力がポケモンの実力に直結する……そんな一面も持つ技である。 水の奔流が、虚空を切り裂きながら一直線にレックスに向けて迸る!! 威力としては、並のポケモンが放つ水鉄砲をかなり上回っている。炎タイプのレックスがまともに食らえば、かなりのダメージになるだろう。 しかし、カイトは表情ひとつ変えず、口の端に浮かべた笑みも消さなかった。 「レックス、穴掘ってやり過ごせ!!」 指示を出された瞬間、レックスは足元の地面を鋭い爪で掘り始め、瞬く間に穴を作り出すと、地中に潜ってしまった。 『穴を掘る』という技である。 呼び名どおり、穴を掘って地中から相手を攻撃する技だが、その使い方は何も攻撃に限ったものではなく、 相手の攻撃を避けるための手段として用いられることも多い。 「あーっ、逃げたなぁ!?」 ネイトの水鉄砲が、先ほどまでレックスの立っていた場所を貫く。 アカツキは顔を引きつらせ、素っ頓狂な声で叫んだ。 当たり前である。 まともに食らったら痛いと分かっていて、何の対策も採らないトレーナーなどいない。 アカツキの考えが甘すぎただけだ。 「んっふっふ〜。おまえ、甘すぎ〜」 そんな親友の悔しそうな顔を見て、せせら笑うカイト。 苦手とするタイプのポケモンを相手にする時、真正面からぶつかっても勝つのは難しい。 変則的な戦術で戦うしかない。 カイトはそのセオリーに沿って戦っているだけなのだが……アカツキにしてみれば、面白くないようである。 「く〜っ……」 アカツキは悔しそうな表情で唸った。 レックスの姿が見えない。 ただそれだけなのに、心理的に圧されているのだ。 相手が見えないから、どこを攻撃していいのか分からない。 その上、どこから攻撃が来るのかも、正確には予測できない。 カイトはレックスを水鉄砲から逃すために地面の下に潜らせたが、もちろんそれだけではない。 地面の下から、不意を突いてネイトを攻撃させる。 相性の悪いポケモンと戦う以上は、それ相応の準備が必要なのだ。 「どっから来るんだよ……!!」 アカツキは奥歯を強く噛みしめながら、視線を青々とした草に這わせた。 地面の下から攻撃が来ることは分かっている。 しかし…… 前? 後ろ? それとも横から? どの方角から襲ってくるかが分からないのだ。 いくらネイトが頼れるパートナーと言っても、それだけでどうにかなるほど、ポケモンバトルは甘くない。 ネイトなら、そう易々と不意打ちを食らうことはない。 問題があるとすれば、アカツキがトレーナーとして正確に対処できるのか……というところだろう。 水鉄砲から逃れるために『穴を掘る』を使われただけで、これほど動揺しているのだ。 トレーナーとして必要な知識が足りないからこその動揺。 普通に戦えれば勝てる…… しかし、アカツキは気づいているのだろうか? 『普通に戦う』ということさえ、まともにできていないということを。 「でも、姿さえ見せてくれりゃ、後はど〜にでもなる」 ……どうやら、気づいていないようである。 レックスがどこから攻撃を仕掛けてこようと、姿を見せた瞬間なら付け入る隙がある。 今からレックスが潜った穴に接近したところで、地中で移動しているだろうし、無意味に移動するだけ狙い撃ちされるに決まっている。 「さ〜て、どっから行こっか〜」 カイトが楽しむように、からかうように言う。 アカツキの表情が一瞬引きつった。 「よし、攻撃っ!!」 いつまでも地面の下に潜ませているのでは、レックスも辛いだろう。 焦らすのは趣味じゃないし、バトルなどいつでも決着はつけられる。 カイトの指示と同時に、地面からレックスの鋭い爪が突き出した!! 「ネイト、真ん前!!」 「ブイっ……!?」 レックスの攻撃に気づいたアカツキが声を上げたが、地面から突き出した鋭い爪が、ネイトの胸元を薙いだ!! 「ブイ〜っ!!」 突然の攻撃を避けられず、ネイトがよろめく。 姿を見せればどうにでもなる……と、高を括っていたが、逆に攻撃を受けて怯んでしまえば、それどころではなくなってしまう。 アカツキはそこに気づいていなかった。 状況判断力の甘さ……それが彼の致命的な欠点と言えるかもしれない。 「ネイト、怯むなっ!! 水鉄砲で押せ〜っ!!」 さらに動揺が募るも、アカツキは強気に叫んだ。 ここで不必要に自分が動揺すれば、その動揺がポケモンにまで伝わってしまう。 今さらという感じもするが、それでも遅すぎることはない。 アカツキの声が、痛みを和らげるクッションになったのか。 ネイトはよろめきながらも目を見開き、地面から突き出たレックスの腕目がけて水鉄砲を放った!! ぶしゅぅぅぅっ!! 至近距離から放たれた水鉄砲は、レックスの腕に突き刺さった!! 「げっ!!」 カイトの表情が引きつる。 レックスにはあらかじめ、攻撃をした後は腕を引っ込めるように仕込んでおいたのだが、今回はそれが間に合わなかった。 間に合わなければ、相手の反撃を食らうことになる。 「ちぇっ、今回は予想外にガンバルなあ……」 いつもなら、アカツキはここでさらに動揺して、レックスが攻撃を畳み掛けてしまえばいい。 だが、今日は何か違うように思えた。 「絶対に勝ってやるって言ってただけのことはあるな……けけっ、楽しみだぜ」 連勝街道まっしぐらの実力は伊達じゃない。 この街に居を構える研究者をして、旅に出る前のトレーナーとは思えないくらい強いと言われたことさえあるのだ。 アカツキのような、ドが何個ついても足りないような素人には負けない。 予想外のところで踏ん張って反撃に転じたようだが、こちらが優勢であることに変わりはない。 相性云々ではなく、流れはカイトに向いている……彼自身がそれを肌で感じ取っていた。 「レックス、地中を移動しろ!!」 水鉄砲に打たれながらも、レックスは腕を引っ込めると、地中を掘り進んでその脅威から逃れた。 「ちぇっ……」 アカツキが小さく舌打ちする。 真剣な表情が、レックスの腕が突き出した場所に注がれた。 いいところで逃がしてしまったが、大きなダメージを与えられたはずだ。相性論を外せば、ポケモン同士の実力はほぼ互角。 勝敗を分けるのは、トレーナーの力量と、運を味方につけるだけの『何か』だろう。 今度はどこから来る……? カイトなら、同じ失敗は二度としない。 それはレックスも分かっていることだ。 後ろや横から攻撃が来るにしても、もう一度反撃の水鉄砲をぶつけてやれば、それだけでレックスは深手を負うことになる。 そうなれば、地中に乗り込んだりして、強引に攻めていけば勝てるだろう。 「よし、そうしよう!!」 次の攻撃が来た時、ネイトの全力の水鉄砲でレックスを返り討ちにする。もしそれが無理でも、強気に攻めていけばいい。 基本的な相性ではこちらが有利なのだ。 不必要に考え込んで、雁字搦めになる必要などない。 アカツキの瞳に、輝きが戻る。 「なんか企んでやがるな〜? バレバレだっての」 相手が何か考えている。 それくらいはカイトにもお見通しだった。 伊達に親友などやっていないが、そういうのはどこかセコイかもしれない。 「ま、いいや。乗ってやるぜ」 何を考えているのかまでは読めないが、レックスが次の攻撃を出した時、何らかのアクションを起こすことは想像できる。 「とりあえず、レックスには『タイプB』のパターンも教え込んであるし、次はそっちを出すだろ。 ふふ〜ん、見せてもらおうじゃん。どんな手で来るのか……」 カイトが口の端にチラリと笑みを覗かせると、ネイトの横の地面が小さく音を立てて盛り上がった。 「ネイト、右だ!! 水鉄砲をぶっ放せ〜!!」 かすかに盛り上がった地面を指差し、ネイトに指示を出すアカツキ。 心なしか、意気揚々としているようにも見えたが、それは反撃の糸口をいち早くつかんだがゆえの確信だったのかもしれない。 それでも、カイトの表情に動揺はない。 「ブイ〜っ!!」 お返しだと言わんばかりに声を上げると、ネイトは渾身の水鉄砲を盛り上がった地面に放った!! たかだか数十センチ程度の地面なら、水鉄砲で軽く抉り取れる。 そして、地面の下に潜んでいるであろうレックスにも、大きなダメージを与えることができる。 「よし、今回は行けるっ!!」 ネイトの水鉄砲の威力を見て、アカツキは勝利を確信した。 しかし、甘かった。 水鉄砲が地面に突き刺さり、土を抉り取った瞬間、その真下から炎が柱となって噴き出した!! 「なっ……!?」 アカツキの表情が引きつる。 まさか炎が噴き上がってくるは思っていなかったのだ。 「……っ!?」 真横にいきなり火柱が立ち昇り、ネイトも驚いて飛び退いた。 幸い、火柱でダメージを受けることはなかったが…… 「レックス、ドラゴンクロー!!」 火柱を合図に、カイトが指示を出す。 刹那、着地したネイトの真下から、赤々としたオーラのようなものが立ち昇り、ネイトは宙に打ち上げられた!! 直後、地面から飛び出してきたのは、蜉蝣すら思わせる赤いオーラをまとった爪を振りかざすレックス。 「ね、ネイト!! レックス!? そんな……!!」 アカツキは自分の認識の甘さを改めて突きつけられた。 勝利を確信すること自体は、決して悪いことではない。 しかし、確信するからには、それ相応の準備と戦略があり、相手がそれに引っかかるという確証がなければ、単なる空元気や強がりでしかないのだ。 もっとも、十一歳の少年にそこまで求めるのも酷だろうが。 「けけっ、やっぱオレの作戦にゃついてこれねえよなあ……」 カイトは口の端の笑みを深めた。 火柱はあくまでも囮。 火柱に驚いてネイトが飛び退ることは分かっていた。 ならば、着地地点と思われる場所の真下にレックスが潜み、着地した瞬間を見計らって、ドラゴンタイプの大技であるドラゴンクローを発動させればいい。 もし着地地点を外したとしても、別の方法で攻撃に転じる…… カイトがレックスに教え込んでおいた戦い方である。 『穴を掘る』で地面の下に潜り、炎の技を囮にして相手の注意を引きつけ、その隙を突いて本体となる攻撃を繰り出す。 単純といえば単純な陽動だが、アカツキは思いきりそれに引っかかったことになる。 ドラゴンクローはドラゴンタイプの大技だが、どうしてそれをドラゴンタイプのポケモンでもないレックスが使えるのか。 それは実のところ、カイトにも分からなかったりする。 気がつけば使えるようになっていたというか、『ど〜せ使えないだろう』などと思いつつ冗談で指示を出してみたら、本当に使ってみせたのだ。 しかし、使えると分かれば、これ以上に頼りになる技もそう多くない。 炎タイプとは違い、水タイプのネイトに対して、相性間のダメージ変化が起こらないため、対ネイト用の切り札にしていたのだ。 「さすがに、ここまで使わせてくれるとは思わなかったけどな……」 正直、地面の下から適当に火炎放射でも何でも放っていればいいと思っていたのだが、今回のアカツキは、豪語してみせた通り、今までとは違っていた。 それだけは認めなければならないだろう。 だが、それでもカイトには勝てなかった。 強烈なドラゴンクローが決まり、ネイトは空中で体勢を立て直すことも、反撃に転じることもできずに地面に叩きつけられた。 そしてそのまま、戦闘不能。戦うだけの力を失ってしまった。 「あーっ、ネイトーっ!!」 アカツキは頭を抱えるなり悲鳴を上げ、ぐったりと横たわるネイトに駆け寄った。 身体はあちこち傷だらけだが、バトルではこれくらい日常茶飯事だ。ちゃんと回復させれば、傷もそう残らない。 「ネイト、しっかり!!」 小柄な身体を抱き上げ、小さく揺さぶりながら声をかける。 すると、ネイトはうっすらと目を開けた。 少しボケている視界に、見慣れた顔が映っているのを確認すると、ニコッと笑った。 「ごめん、また負けちゃった……」 「ブゥっ……」 アカツキが沈痛な面持ちで、小さくつぶやく。 毎回ネイトがこうしてレックスにやられてしまうことに心を痛めているのだ。 その原因が自分にあると分かっているから、なおさらだった。 「ゆっくり休んでて。ポケモンセンターに連れてって、ジョーイさんに看てもらうからな」 ネイトが小さく頷くと、アカツキはモンスターボールに彼を戻した。 「ふう……」 痛々しい姿を見ずに済むという安心からか、アカツキは表情を戻し、深々とため息をついた。 「また負けちまった……あーあ、今日こそ勝つって思ってたのになあ」 「残念だな〜。もうちょっとだったのに」 「まったくだよ」 顔を向けると、カイトがレックスを伴って歩いてきた。 勝利に喜びを感じているのか、トレーナーもポケモンも揃ってニコニコ笑顔だ。 「……でも、負けた負けた!!」 アカツキは悔しさを吐き出すように、大声で叫びまくった。 いつまでも負けたことでクヨクヨしていられるほどヒマではないし、そもそもそういった泣き言は人の前で並べたくない。 「やっぱ、カイトは強いよなあ……スクールに通ってるわけじゃないのにさ」 泣き言の代わりに、カイトのトレーナーとしての実力を間接的に褒め称える。 自分と会っていない時にでも特訓しているのだろうかと思ったが、素直に訊いても答えてくれそうにない。 「ふふん、羨ましいか?」 「ちょっとだけ」 「正直だな〜」 「嘘ついてもしょうがないじゃん」 口を酸っぱくしてまでも羨んでもらいたいと思っていたのか、アカツキの正直すぎる反応に、カイトはつまらなそうに肩をすくめた。 「それより、ポケモンセンターに行こうぜ。ネイトもレックスも、結構疲れてるからな」 「もちろん。んじゃ、行こう!!」 アカツキは頷くと、踵を返して階段坂を一段飛ばしで駆け下りていった。 「あ、おい!!」 止める間もない……というか、カイトがレックスをモンスターボールに戻している間に駆け出してしまったのだ。 「あー、もーっ!! おまえ、決めたら行動するの早すぎだっての!!」 レックスのボールを腰に差し、駆け出す。 文句を垂れながらも、しかしカイトの顔には笑みが浮かんでいた。 Side 3 「ジョーイさん、お願いしま〜す!!」 ポケモンセンターにたどり着くなり、アカツキはカウンターに駆け寄って、奥で何やら忙しそうに仕事をしている女医――ジョーイを大声で呼んだ。 「お願いしや〜っす!!」 同じように――否、負けじとカイトも声を張り上げる。 こういうところは親友だけあってよく似ている。 それほど広くないロビーに幾重にも反響する元気な声。 その声に仕事を続ける集中力を途切れさせられたのか、ジョーイは立ち上がると、渋々といった様子でやってきた。 「あなたたち、元気ねえ……まあ、男の子はそれくらいがいいんだけど」 毎度の様子に、呆れたような顔を見せるが、彼らがどうしてやってきたのかは、当然分かっている。 「バトルしたんでしょう? 回復しますから、モンスターボールを出してください」 『お願いします!!』 「はい、お願いされます」 アカツキとカイトが同時に言い、それぞれのパートナーが入ったモンスターボールを手渡す。 ジョーイは二つのボールを専用のケースに入れて、傍らの食器乾燥機のような機械にセットした。 蓋を閉じて正面のボタンを押すと、うぃぃぃぃん、と奇妙な音を立てながら機械が作動した。 ポケモンの体力を回復させてくれる装置である。 トレーナーなら、誰もがこの装置の世話になるほどポピュラーなもので、ポケモンセンターならどこにでも置いてある。 元々、ポケモンセンターはトレーナーやブリーダーなど、ポケモンに携わる者すべてにとって必要不可欠な施設なのだ。 表向きはポケモンのための病院ということになっているが、実際はトレーナーやブリーダーなどにも解放されており、 トレーナーの宿泊施設と呼んでも差し支えない。 現に、他の街からやってきたトレーナーが何人も泊まっている。 その一部なのだろう、ロビーにズラリと並べられた椅子には、ポケモンの毛を漉いてやったり、 あるいはトレーナー同士で言葉を交わしている姿が見受けられた。 「でも、いい? あんまりこういった場所で大声なんて出さないこと」 「は〜い」 「へ〜い」 公共の場なのだから、それ相応の節度を心得ろというジョーイの苦言にも似たアドバイス。 しかし、アカツキもカイトも生返事だった。 そういったところは同じ街に暮らしている住人同士、よく分かっているようである。 ジョーイはそれ以上口を酸っぱくしたりはしなかったが、それは目の前の少年たちが意外にも聞き分けのいいタイプだと分かっているからだ。 「もうちょっと時間がかかるから、少しゆっくりしていなさい。 ネイトもレックスも、ずいぶんと疲れてるみたいだからね」 「うん、そうする」 「じゃ、お願〜い」 ジョーイの言葉に頷いて、アカツキとカイトは西に面した窓際に移動した。 二人して長椅子に腰かけると、ほとんど同じタイミングで窓の縁に身を乗り出す。 開け放たれた窓の外から、爽快なそよ風が流れ込んでくる。 二人の視線の先には、ネイゼルスタジアム。 ネイゼルカップが開かれる、トレーナーにとって聖地と言える場所だ。 「やっぱ、静かだよなあ……」 「うん」 カイトの言葉に、アカツキは頷いた。 前年のネイゼルカップが開かれたのは、今から三ヶ月以上前のことだ。 開催が近づいてくると、このポケモンセンターも出場トレーナーの貸し切り状態になり、他のトレーナーの宿泊は例外なく断られていた。 それだけでも、のどかな街に住むアカツキやカイトにとってはお祭り騒ぎだったが、いざ開催日を迎えると、ネイゼル地方の他の街からも観衆が詰めかけ、スタジアムは熱気で盛り上がった。 今までに何度かネイゼルカップを観客席で見てきたが、いずれも素晴らしいバトルばかりだった。 息もつかせぬ攻防、鮮やかな戦略、誰にも負けない熱い意気込み…… いつかは、こんな風にバトルできるようになりたいと、アカツキはそう思うようになっていた。 だから、もうすぐ旅立てるのかと思うと、なんだかワクワクしてくる。 旅の途中で実力を磨いて、ネイゼルカップに出場する。 そして、兄アラタとトレーナーとして一戦を交えるのだ。 戦うからにはもちろん勝ちたいが、それが簡単なことではないと分かっている。勝ち負けもあるけれど、それ以上にやっぱり楽しみたいと思う。 今は静かでも…… 旅に出て、各地の街にあるジムをめぐって、出場資格となるリーグバッジを手に入れて、次のネイゼルカップで、スタジアムのバトルフィールドに立つ。 歓声の中に包まれる。 そしてバトルにすべてを賭ける。 静まり返った湖にひっそりと佇むスタジアムを見つめ、アカツキは想いをめぐらせていた。 同じように、カイトもいろんなことを考えていた。 アカツキの親友でありライバルである彼もまた、ネイゼルカップの出場を目指している。 たぶん、アカツキと同じことをするのだと、自分でも分かっていたりするが。 「でも、次のネイゼルカップには出てやる。旅に出られなきゃ、リーグバッジも集められねえからな〜」 「ああ。オレも同じ。絶対に出てやる。出て、アラタ兄ちゃんと戦うんだ」 「……? おい、マジかよ」 「マジだって。兄ちゃんと約束したんだから」 「…………」 アラタと戦うと聞いて、カイトはビックリしてアカツキに振り向いた。 親友の瞳はしかし、ネイゼルスタジアムにじっと向けられたままだった。さも当然と言わんばかりだった。 カイトはアラタのことをとても尊敬しているが、だからこそ彼の実力がどれほどのものかも重々承知している。 とはいえ、実の弟として何年も一緒に過ごしてきたアカツキの方が、旅立ちが許される歳になってから二年も費やしてまでスクールに通い、 見事に卒業して晴れて旅立った兄の実力をよく知っているはずだ。 それでも、ネイゼルカップで戦うと言った真意は……? 考えなくても、なんとなくなら分かりそうなものだ。 「ま、今のおまえならアラタさんにゃ絶対勝てねえけどな」 「それは分かってる。でも、頑張るよ」 「はは。違いねえ」 意地悪な問いかけにも動じることなく、アカツキは堂々と胸を張って答えた。 相手が誰であろうと、トレーナーとして精一杯戦い抜く。 当たり前な答えだし、もしそれ以外の答えが出てきたなら、カイトは『頑張るだけ無駄だ』って言っていた。 「おまえらしいな〜。ま、せいぜい頑張れや」 「言われなくたってやってやるよ。おまえこそモタモタしてんなよ。 あっという間に追い越してみせてやるからよ」 「ふふふ……」 アカツキはカイトの減らず口に怒ることもなく、顔を向けると、むしろ不敵な笑みを浮かべながら言葉を返した。 小さく笑うカイト。 これでは親友なのかライバルなのか、傍目には区別がつかないが、実際には両方なのだから、こういう光景は不思議でも何でもない。 「ま、アラタさんはともかくとして……おまえにゃ負けられないからな。 オレもマジで本腰入れなきゃ、ヤバイかもしれねえな〜」 「そうさ。いつまでもオレが負けっぱなしだなんて思うなよ」 先ほどのバトルも含め、カイトに何連敗を喫しただろう。 正直、正確な数は覚えていないが、両手の指の数では利かないところまで行っているのは確かだ。 でも、最後の最後には絶対に勝つ。 百回の負けでも、百一回目に勝つことができたなら。 たった一度の勝利は、しかしアカツキの中で大輪の花を咲かせるだろう。 ポケモンバトルというのは、そういうものだ。いつもいつでも勝てる保証はない。 だから、頑張っていけばいつかは勝てる。負け続けても、最後の一回に勝てればいい。 たった一度の勝利でも、やっとの思いで勝利したトレーナーにとってはかけがえのない宝物になるのだ。 「まあ、そうやってお互いに励むのもいいことだと思うわ」 二人の言葉を受けて、後ろから別の声が飛んできた。 振り返ると、ニコニコ笑顔のジョーイが、左右の手にモンスターボールを一つずつ持っていた。 回復が終わり、届けてくれたのだ。 「でもね、ネイゼルカップに出場したいと思うなら、今までと同じじゃダメなの。 今まで以上に頑張らなきゃいけないわ」 「うん!! ありがとう、ジョーイさん!!」 諭すように言う言葉は、少し厳しさも秘めていた。 だけど、それが自分たちのためだと分かっているから、アカツキは素直に受け取ることができた。 差し出された手からモンスターボールを受け取り、礼を言う。 「ネイト、ゆっくり休んで元気になったな。んじゃ、そろそろ行こう!!」 「あ、おい!!」 アカツキはモンスターボールの中でゆっくり休んでいるネイトに言葉をかけると、席を立って駆け出した。 前触れのないドシャ降りのように、アカツキの行動の早さはある意味特筆すべきものがある。 それでも、時折そういったものについていけなくなることがある。 「あーあ、行っちまった」 止める間もなかった。 完全に置いていかれたが、たまにはこういうことだってある。 カイトは呆然と、ジョーイは微笑ましくもどこか呆れているような目を、少しずつ閉まっていく自動ドアに向けていた。 「相変わらずねえ……でも、それがあの子のいいところなんじゃない?」 「そうなんだよねえ……」 ポケモンセンターの外に飛び出したアカツキの耳に、彼らの言葉など届くはずもなかった。 どこに行く宛ても特にないが、家に戻ったところでネイトと二人きり。 だから、どうせならちょっと街をぶらついてみようと思った。 「おばさんの家に行こう。ポケモンたちと遊べるかもしれないし、旅に出たらいろいろ世話になるんだもんな……」 とはいえ、ぶらつくにしても、この街は西のディザースシティと違って娯楽と呼べるものがない。 ゲームセンターとかボーリング場とかカラオケとか。 そういった類のものが一切存在していない。 子供や、いろいろと問題を抱えている年代の少年少女にとってはつまらない街と言えるが、 アカツキは別にこの街にいることをつまらないなどと思ったことはない。 豊かな自然と、大切な家族とパートナー。 彼らと過ごす日常は、どんなものにも代えがたいほど大切なものだから。それをどうしてつまらないと言えるだろう。 しかし、それももうすぐ終わる。 旅に出れば、普通に暮らしていた日常が一変する。 アカツキが誕生日を迎えるのは明後日だが、旅立ちに際して、いろいろと必要なものがあったりする。 野生のポケモンをゲットするのに必要なモンスターボール。 旅の途中、毎日ポケモンセンターのフカフカのベッドで眠れるとは限らないから、野宿に備えて寝袋や簡単な食事。 予期せぬケガに襲われた時の、人間用(アカツキ用)とポケモン用(ネイトやこれからゲットするであろうポケモン用)の傷薬。 一応、必要なものは揃えておいた。 この前の日曜日に、母親とショッピングモールに出かけ、旅支度は済ませておいたのだ。 だから、あとは旅立ちの日が来るのを待つだけ。 しかしながら、待つだけということほどアカツキにとって退屈でじれったくて待ち遠しくてたまらないことはない。 旅立つまでの退屈を紛らわそうとアカツキが選んだのは、街の北部に居を構えるポケモン研究者……キサラギ博士の研究所(ラボ)だった。 アカツキのような子供が気軽に入れる研究所なのか……という疑問はあるが、しかし彼女の研究所は単なる建物だけではなく、 北部一帯の敷地まで含んでおり、レイクタウンを旅立ったトレーナーのポケモンの世話もしているので、アカツキにとっては遊園地のような場所だ。 「久しぶりだし、敷地に新しいポケモン増えてたりしないかな〜♪」 ……と、鼻歌混じりに、家へと続く緩やかな坂道を行く。途中で左折し、S字カーブを描く道を駆け上がり、突き当たりを右へ。 他の道と違ってあまり舗装されていない砂利道の先に、住居を兼ねた二階建ての研究所が見えてきた。 主が女性ということもあり、無骨な佇まいは見せていない。 庭にはそれなりに色とりどりの花が咲いているし、研究所の外観にも明るい色を使うなど、周囲の景観にも配慮している。 「そろそろいいかな……出てこい、ネイト!!」 研究所の扉の前で足を止め、アカツキはネイトをモンスターボールから出した。 レックスとのバトルでのダメージは回復しているため、飛び出してきたネイトはいつものように元気いっぱいだった。 「ブ〜イっ!!」 バトルで負けたことなど気にしていないように――いい意味で捉えれば前向きに。悪い意味に捉えれば慣れているように――、 ネイトは意気揚々と声を上げた。 元気いっぱいなネイトの視線に合わせて膝を折り、アカツキは先ほどのバトルでの不手際を改めて詫びた。 「ごめんな、ネイト。さっきは負けちまって……」 「ブゥっ……? ブイ、ブ〜イっ!!」 負けたのはネイトのレベルが低かったからではない。 アカツキのトレーナーとしての力量が、ネイトに追いついていなかったから。 負けをポケモンのせいにしたりはしない。 いくらなんでも、そこまで堕ちたくない。 申し訳ないと思って、表情を曇らせているアカツキとは対照的に、ネイトは揚々としていた。 負けたのは確かに悔しいが、いつまでも悔しがっていても仕方がない。 だったら、次に勝てるように頑張ればいい。 「うん、分かったよ。次は勝てるように頑張るから」 「ブイっ♪」 ニコッと、アカツキは小さく笑った。 カイトとのポケモンバトルで連日敗北を喫し、何気に落ち込みまくっているアカツキを励ましてくれたのは、いつもネイトだった。 トレーナーの不甲斐なさを叱りつけるでもなく、なじるでもなく、ただ明るく励ましてくれた。 誰にだって失敗はあるから、それを責めたりしないと思っているだけかもしれないし、 叱り付けたところで何にもならないと思っているだけかもしれない。 それでも、アカツキは励まされてきた。 次こそは……と、雪辱に燃えていた。 レイクタウンで普通に暮らしているだけでもそんなことがあったのだ。 旅に出たら、もっといろんなトレーナーとたくさん戦って、勝ったり負けたりして、喜んだり悔しい思いをしたりもするだろう。 不安はないと言わないが、むしろ期待の方が圧倒的多数。 「じゃ、行こうな」 「ブイっ」 ネイトが大きく頷くと、アカツキは研究所の扉をノックした。 研究所の両脇から腕のように生えている木の柵が、広範囲の敷地を囲い込んでいる。 その気になれば簡単に飛び越えて敷地に繰り出せるが、親しき仲にも礼儀ありという言葉もあるように (アカツキがそんな言葉の意味を知っているかどうかは微妙なところではあるが、それは考えないようにしよう)、一言断ってから行くべきだ。 そこのところは、格闘道場に通っていたこともあって、最低限の礼儀として叩き込まれているようである。 扉を叩いて数秒、返事の代わりに中からドタバタと足音が聞こえてきた。 徐々に近づいてくる足音が、突然動きを止めた……と思いきや、勢いよく扉が押し開かれた。 現れたのは、染みひとつついていない純白な白衣をまとった女性だった。 三十代半ばの実年齢とは裏腹に、見た目は二十代前半の美人でセンスも抜群。 お世辞にも博士などとしてこのような場所に腰を落ち着けているような女性ではないのだが、彼女こそ研究所の主―― キサラギ・アツコ博士(通称キサラギ博士)である。 彼女はアカツキとネイトの姿を見つけると、ニコッと微笑んだ。 「あら〜、アカツキちゃんじゃな〜い。久しぶりね〜、元気してた?」 「おばさん、久しぶり!!」 「うん。ネイトちゃんも元気そうね〜。いいことだわ」 「ブイ、ブイブイ〜っ」 当たり前だと言わんばかりに大きく嘶くネイト。 同じ街に暮らしているだけあって、アカツキもキサラギ博士も顔見知り。 もっとも、彼女とアカツキの母親が旧知の親友であり、親戚のような付き合いをするのは当然のことだった。 「でも、こんな時間に来るなんて珍しいわねえ」 笑顔と共に、妙に間延びした口調で言葉を紡ぐキサラギ博士。 彼女は元々こういった性格で、滅多なことでもない限りはまず怒らない。 アカツキが研究所のパソコンをいじって怒られたことはあったが、せいぜいがその程度。 「うん。ヒマだったしね。それに、敷地のポケモンを見てみたくなって」 アカツキは正直に来訪の理由を告げた。 「ねえ、おばさん。敷地行っていい?」 「ええ、もちろん」 特に理由も聞かず、博士はすぐに許可した。 アカツキが変なことをする子ではないと分かっているし、ポケモンと触れ合うのは、感受性を育むのにも役立つ。 現に、ネイゼル地方では子供にパートナーとなるポケモンを与えなければならないという条例がある。 これはアメリカで言う州法と同じで、ネイゼル地方独特の条例だ。 子供の情操教育のために、ポケモンと共に育つ環境を用意する。 ポケモンと人間は違う。 だからこそ、他者を理解し、優しい心の人間へと育てるという、本当か嘘かも分からないような理念が掲げられている。 だから、キサラギ博士としても、アカツキがポケモンと触れ合う機会を自ら設けたことは歓迎すべきことなのだ。 「でも……」 「え? なに?」 イエスと答えを返されたから、アカツキは喜び勇んで駆け出そうとして――その矢先だった。 キサラギ博士が意味ありげな一言を発したものだから、動きかけた身体が止まる。 何気なく振り返ると、彼女はニコッと微笑みながら、こんなことを言った。 「キョウコが帰ってきてるのよ」 「げ……」 たった一言。 しかし、アカツキの頭を一瞬真っ白にしてしまうだけの威力はあった。 というのも、キサラギ博士の娘……キョウコのことが大の苦手だったからだ。 アカツキにしてみれば、いきなり頭上に核爆弾を落とされたような気分になってしまう。 なぜなら、キョウコは兄アラタのライバルであり、ライバルの弟という位置づけのアカツキにも、いろいろと突っかかってくることがあるのだ。 大迷惑だが、それを露骨に態度で表しても構うことなく突っかかってくるものだから、本当に苦手だ。 別に嫌いだというわけではないが、好きにはなれないタイプ。 とはいえ、彼女の母親の前でそんなことを口には出せるはずもないが。 キサラギ博士は娘の性格を理解しているのか、アカツキがそういう風に思っていることも分かっているようだが、特に何も言わない。 交友関係は自分で責任を持つべきだと思っているのだ。 「……まあ、そういうわけだから。仲良くしてあげてね」 「う、うん……」 「じゃ、私は研究があるから、これで失礼するわね」 「うん……」 言いたいことを言って――アカツキに反論など許さず、キサラギ博士は再び研究所の中へと戻っていった。 扉が閉められ、呆然と佇むアカツキ。 トレーナーが呆然としているのを見て、ネイトが首を傾げる。 おおよそトレーナーとそっくりな性格ではあるが、ネイトはキョウコのことを苦手とはしていない。 だから、どうしてアカツキが呆然と立ち尽くしているのか、理由が分からなかった。 「ブゥっ? ブイ〜っ……」 どうしたの? そんな呼びかけに、アカツキはハッと我に返った。 「あ……な、なんでもないよ。行こうか、ネイト」 「……? ブイ〜っ?」 どこか慌てているような、焦っているような口調で言われ、さすがのネイトもこれには釈然としないものを感じていたようだが、 トレーナーがそう言い張っている以上、何を言ったところで無駄だと分かっている。 アカツキは気を取り直して、 「さ〜て、探検だっ!!」 大きな声で叫んで、頭の中に残るキョウコの残滓を振り切ると、柵を一足に飛び越えて、研究所の敷地に繰り出した。 元通りになったことに安心して、ネイトも思いっきりジャンプして柵を飛び越え、トレーナーの後を追いかけた。 To Be Continued...