シャイニング・ブレイブ 第1章 旅立ちの朝 -Starting Over-(後編) Side 4 「お〜い、ポニータ〜!! ガーディ!! 元気してっか〜!?」 敷地に繰り出すなり、アカツキはその辺で仲間内でじゃれ合って遊んでいるポケモンたちに声をかけた。 陽気で間延びした声に、ポケモンたちが一斉に反応する。 いきなり走ってくることはないが、振り向いて、各々が鳴き声で返事をしてくれた。 彼らにとってアカツキとネイトは顔なじみの存在だ。 だから、挨拶代わりに声をかけられれば、こちらからも挨拶代わりに返事をする。 これは人間もポケモンも変わらないところだった。 アカツキが脇を通り過ぎると、仲間内でじゃれ合っていることに飽きたのか、三体のガーディが駆けてきた。 どうやら、一緒に遊びたいと思っているようである。 「よ〜し、競争すっか!!」 「わんっ!!」 アカツキが走りながら顔を向けて言葉をかけると、ガーディたちが一斉に嘶き、併走しながらも徐々にスピードを上げていく。 「あっ、抜け駆けかよ!! 卑怯だぞっ、こら〜っ!!」 あっという間に追い抜かれ、アカツキは金切り声で悲鳴など上げながら、全力疾走した。 とはいえ、人間の……しかも子供の足で、犬に似た習性のガーディに追いつけるはずがない。 キサラギ博士は窓辺のデスクに腰かけ、敷地の奥へと走っていくアカツキたちの様子をじっと見ていた。 子供が元気に遊ぶ姿を見るのは、いつでも楽しいものだ。 「やっぱりいいわねぇ……」 傍らのマグカップを手に取り、湯気を立てるポタージュスープをすすりながら、満面の笑みを浮かべた。 キサラギ博士が微笑ましいものでも見ているような眼差しを屋内から向けていることになど、当然アカツキは気づいてなどいなかった。 ガーディと敷地の奥にある高台まで競争することに心血を注いでいた。 勝敗などはじめから分かりきっていたが、そもそもこれはデキレース。 遊びに過ぎないのだから、ネイトと同時にビリでゴールした時にも、悔しがる素振りは見せなかった。 「はー、はー…… やっぱ、おまえたち脚速いって……ちょっとくらい加減してくれたっていいじゃんか」 全力疾走して疲れたものだから、抗議らしい抗議もできない。 肩で荒い息を繰り返しながら、それでも足にじゃれ付いてくるガーディたちの頭を撫でる。 頭を撫でられたガーディたちはうれしそうな顔をすると、その場に座り込んだアカツキの膝に上がると、その頬をペロペロと舐めた。 これはガーディたちのスキンシップの一環だ。 アカツキにもそれくらいは分かっているから、笑顔で応じる。 「おまえたちって、いつも元気だよな。 でも、元気だってんなら、オレたちだって負けちゃいないさ。な、ネイト?」 「ブイっ、ブ〜イっ!!」 問いかけると、ネイトは大きく返事して、空を仰いだ。 大きく息を吸い込んで口を開き、空の彼方に輝く太陽目がけて水鉄砲を発射する。 噴水のごとく勢いよく打ち上げられた水鉄砲は、地球の重力に負けた地点で四方八方に飛び散ると、シャワーとなって周囲に降り注いだ。 「ほら、元気だろ?」 ちょっと冷たいけど、全力疾走して火照った身体には心地良かった。 炎タイプのガーディには、勢いを弱めたシャワー程度であっても辛いかと思いきや、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら水浴びをしている。 岩タイプや地面タイプのポケモンなら、多少は辛いのかもしれないが、少なくともここのガーディたちは苦にしている様子はない。 「ブイ〜っ♪」 どうだ、元気だろう? 自慢げに言うと、ネイトもガーディたちに混じってぴょんぴょん飛び跳ね出した。 「あははっ……」 ポケモンたちがうれしそうに戯れているのを見て、アカツキは笑みを深めた。 やっぱり、こういう風にポケモンと一緒に遊ぶのは楽しい。 情操教育の一環として、ポケモンと触れ合うことで感受性を豊かにするために条例が設けられても、アカツキにとっては関係ないことだった。 条例があろうとなかろうと、ネイトと出会って、毎日楽しく過ごしてきたのだ。 だが、こうやってキサラギ博士の研究所の敷地に暮らしているポケモンたちと一緒に遊べるのは、今日を含めてあと二日だけ。 明後日…… アカツキは十二歳の誕生日を迎える。 その日に旅に出るつもりでいる。 広い世界に旅立つのだ。 そう、高台からずっと先まで続く、限りなく広い世界へ。 「…………」 旅立ちが思いのほか間近に迫っているのを肌でひしひしと感じながら、アカツキは遠くに目をやった。 ネイゼルスタジアムのさらに向こう。湖の反対側を飛び越して、南のカントー地方との間に横たわる山脈。 あそこまで歩いていくのに、何日かかるのだろう? レイクタウンから四方に伸びる道にそって行くと、町がある。 それぞれの町では、ネイゼルカップ出場に必要なリーグバッジを賭けたジム戦を行うことができる。 四つのリーグバッジを手にしたトレーナーだけが、ネイゼルカップの出場権を得られる。 「もうすぐなんだ、もうすぐ……」 グッと、拳を握りしめる。 旅立ちを前に、心が高鳴る。 まだ二日も先なのに、今から心が逸る。 旅を通じていろんな人と出会い、たくさんのバトルを経験して強くなれるという期待が大きいからだろうか。 もちろん、いいことばかりではない。嫌なことや辛いことだってある。 それらをすべてひっくるめて、精一杯楽しみたいと思っている。 空を悠々と流れていく雲に、旅をしている自分を重ねていたりしていると…… 「おや〜っ、どっかで見たジャリガキ発見っ♪」 「…………っ!?」 背後から、少女の声が聞こえてきた。 アカツキはびくっ、と身体を震わせた。 「そういや……キョウコ姉ちゃんが帰ってるって……」 キサラギ博士が気楽な口調で言ってくれた言葉を思い返しながら振り返ると、茶髪をツインテールにまとめた少女がすぐ傍に立っていた。 今頃気付いたのだが、ネイトもガーディたちも、いつの間にやら静まり返っていた。 彼女がやってきたからだということは、想像に難くない。 空色のシャツにピンクと紫が混ざったような色彩のスカートという、とにかくラフな格好。 二つ年上の少女は、可愛いと言えば可愛いし、美人と言えないこともない。 ただ、ホンモノの美人になるならもう少し経験を積んでから、ということになるだろう。 いずれ美人になると思われるその顔に浮かんでいたのは、せっかくの可愛さを生かすチャーミングな笑みではなく、 自信たっぷりで、穿った見方をすれば傲慢とも取られかねないような、ビミョーな笑みだったりする。 アカツキは自分でも分かるほど表情を引きつらせながら、ゆっくりと立ち上がった。 「きょ……キョウコ姉ちゃん……」 「んふふっ、久しぶりねぇ。アラタんトコのジャリガキちゃん♪」 声を震わせながら言葉をかけると、少女――キサラギ博士の娘キョウコはニコニコ微笑みながらアカツキの頬をぎゅーっ、とつねった。 「いてっ!!」 つねったと思えばいきなり手を離すものだから、痛い。 アカツキは思わず飛び上がり、痛む頬を押さえて涙目になってキョウコを見つめた。 「…………」 苦手な人と出会ってしまった。 想いを馳せて隙を作り出してしまったことは認めるが、だからといって何もそんな自分の背後に立たなくてもいいのに…… 恨めしい気持ちばかりが妙に募っていく。 せっかくの青空も、涙に曇って見えてきた。 アカツキの表情から笑みが消えたのを見て、キョウコは訝しげに眉根など寄せながら首を傾げた。 「ちょっと〜、なによ〜。 せっかく久しぶりに会って、軽〜いスキンシップ図っただけなのに……そんなコワイ顔しなくったっていいじゃな〜い」 「…………」 彼女としては、別に嫌がらせをするつもりなどなかった。 ただ、久しぶりに帰って来たところでアカツキに会ったものだから、軽くスキンシップでも図ってやろうと思っただけだ。 それなのに、どうして恨めしげな顔を向けられなければならないのか。 キョウコにとってはスキンシップのつもりでも、アカツキからしてみれば半分は嫌がらせなのだ。 「…………」 黙ったまま、じっと視線を向けてきている少年との忍耐勝負。 先に折れたのはキョウコだった。 いつまでも恨み節全開な目つきで見つめられているのも、なんだか辛い。 「分かったわよ……あたしが悪かった。悪ぅござんした」 ため息混じりに、困った表情で言う。 誠意のカケラもない言葉だが、何も今に始まったことではないと、アカツキは止む無く受け入れた。 「でもまあ……久しぶりねえ。元気してた?」 「うん、キョウコ姉ちゃんに頬つねられたりしたことを除いたら、たぶん元気にしてたよ」 「うふふふ……」 80%くらいの嫌味を笑い飛ばし、キョウコは身を屈めた。 足元にやってきたガーディたちの頭を撫でながら、今度は混じりっけのない笑みを向ける。 「…………」 「この子たちも元気そうだし、久しぶりに帰ってきて良かったわ」 会話に滑り込む絶好の機会と思い、アカツキは問いかけた。 「そういえば……キョウコ姉ちゃんはディザースシティに行ってたんだろ?」 「まあね。リーグバッジをゲットしてきたから、ちょっと里帰りってワケ」 「へえ……」 キョウコは昨日まで旅先で過ごしていた。 彼女も、兄アラタと同様にネイゼルカップ出場を目指している。 だから、アカツキにとってもライバルになる。 「これで三つ。あとはアイシアタウンのジムに挑戦するだけなの」 「もう三つ……? 早くない?」 しかし、ライバルとは言っても、彼女に先を越されているのは否めない。 ただでさえ郊外にあるスクールを主席で卒業したほどの実力の持ち主なのだ。 勉学では常に学年のトップクラスで、バトルでも常に上位の成績を誇る。 ちなみに、同級生でもあるアラタの方がバトルでの成績は良かったものの、勉学の方で決定的に差をつけられてしまった。 その上キャリアまで自分より長いとなれば、兄アラタと同様に、ちょっとやそっとの努力ではとても追いつけまい。 呆然と口を開け放ったまま固まっているアカツキに笑みを向け――今度は嫌味のない笑みだった――、キョウコは言った。 普段の嫌味はなく、どこにでもいるような少女のような態度で接してくるが、それは故郷に帰ってきて、気持ちが安らいでいるからだろう。 「そうでもないでしょ。 この間アラタのヤツと連絡取ったら、あいつもあと一つだって言ってたし。 まあ、どっちにしたってネイゼルカップで決着(シロクロ)つけてやるんだから。 それまではどっちが先に四つバッジをゲットしても問題ないんだろうけどね…… でも、やっぱり負けると悔しいのよ」 「そうなんだ……」 じゃあ、さっき電話口で兄ちゃんが言ったのは…… その言葉が危うく口を突いて出るところだった。 先ほどアラタが、ウィンシティのジムリーダーに負けたと言っていたが、それは彼にとって最後のバッジを賭けたバトルだったのだ。 さすがに、そのことをキョウコに話すわけにはいかない。 彼女のことだ。 ここぞとばかりに腹を抱えて大爆笑するに決まっている。 「ま、あいつとはネイゼルカップでしっかり決着つけるから、それまで楽しみを取っとくってことだけよね」 キョウコはふっと小さく笑い、探るような眼差しをアカツキに向けた。 「あんたもそろそろ旅に出られるんでしょ? マミーにあんたの誕生日聞いてるから、ウソついたって無駄よ」 「うん。明後日で十二になるんだ。だから、明後日には旅に出るつもり」 「そっかぁ……」 半ば取り調べのような口調だったが、アカツキは素直に応じた。 別に隠したりウソをつく必要などなかったからだ。 明後日になれば旅に出る。 それまで誰にもそのことは言わない……なんてケチくさいことを言うつもりはない。旅に出れば絶対バレるに決まっているのだから。 アカツキが隠し立てするつもりなどないと分かっていたのだろう、キョウコは小さく息をつくと、少し優しげに表情を緩めた。 兄アラタのライバルということで、元来の気の強さも相まって、弟のアカツキにさえあれこれと突っかかってくることも多い。 しかし、アラタが目の前にいないだけ、そこまで露骨な態度は見せないのだろう。 「…………?」 あれこれと突っかかられることが多かったが、今日に限っては、どうもそんな感じがしない。 最初に言ったとおり、頬をつねったりしたのも軽いスキンシップだったようだが…… どうにも腑に落ちず、アカツキは怪訝な表情で、どこか遠い眼差しを虚空に向けているキョウコを見やった。 「ど、どうかした?」 恐る恐る問いかける。 強気な彼女が黙りこくるなんて、何があったのかと、逆に不安になったりもしたが、 「そうね。あんたももうちょっとで旅に出るんだもんね。 そう思ったらさ、なんだかあたしたちも大きくなったんだなあって。それだけのことだよ。 ま、あたしのことはいいとして……」 すぐに普段の彼女の表情に戻り、 「あんたもネイゼルカップに出るつもりなの?」 ざくりと、鋭い一言を投げかける。 でも、アカツキは間を置かずに言葉を返した。 「もちろん!!」 「ブイ〜っ!!」 旅に出るのも、ネイゼルカップに出て兄アラタと戦うためだと、ネイト共々胸を張って言った。 だけど、アカツキの夢はその向こうにある。 アラタと戦うのは、その途中経過に過ぎないのだ。 「そう……じゃ、あんたもあたしの敵ね」 「うん」 頷くと、キョウコの顔から笑みが消える。 今日に限って、表情がコロコロ変わっている。それだけ気持ちの変化が激しいのだろう。 「ネイゼルカップに出るのは……ううん、出るだけでも大変よ」 「……分かってる。ジム戦だって簡単じゃないって言いたいんだろ?」 いつになく真剣な表情を向けてくる彼女。 口調まで、どこか厳しさを秘めているように思えたから、アカツキもそれ相応の態度で応じた。 これでも、格闘道場であれこれと叩き込まれたのだ。 「それだけじゃないわよ。 ネイゼルカップには予選があるの。予選で戦うってのも悪くないだろうけど、やっぱり本選で激突ってのが最高のパターンね。 あたしやアラタはまだいいけど…… あんたは、そーとー努力しないとそこまで辿り着けないわよ。 スクールに通うつもりがないんだったら、そこだけはちゃんと覚悟しといた方がいいわねぇ」 「…………」 スクールを主席で卒業したからこそ、ネイゼルカップの本選出場のハードルがどれほど高いものなのか、理解しているのだろう。 ライバルの弟も、同じ大会に出るつもりでいる。 極端な表現をすれば、敵同士。 だが、敵というのは殲滅すべき相手のことではなく、ライバルのことである。 彼女にとっては、目の前にいる少年はからかいがいのある相手であり、間もなくトレーナーとして旅立とうとしているライバルだ。 ライバルに助言などするつもりはこれっぽっちもないが、スクールに通わずに旅立つなら、 今頃は各地を旅しているスクールの卒業生と比べて大きなハンデがあることを自覚すべきだ……と告げただけだ。 「……わ、分かってるって。大丈夫大丈夫♪」 アカツキはしばらく萎縮したように黙りこくっていたが、急に声を張り上げて、大丈夫だと連呼した。 スクールの卒業者と、スクールに通うつもりのない自分との間に大きな開きがあることなど、はじめから分かっている。 ただ、言葉として直接突きつけられたことがなかったから、ちょっと驚いてしまっただけだ。 「あと九ヶ月くらいあるだろ? 明後日から旅に出て、あっという間に兄ちゃんや姉ちゃんに追いついてみせるって」 「ふふ、楽しみにしてる。ま、頑張ればできないこともないけどね……」 「なんだよ〜。オレならできるって、兄ちゃんだって言ってくれたんだぞ!!」 「ブ〜イっ!!」 暗にできるものならやってみろと言われ、アカツキは対抗意識をむき出しにした。 トレーナーに倣い、ネイトも真剣な面持ちで、食らいつくように飛び跳ねながら声を荒げた。 「まあ、ネイトも一緒だし、心配は要らないかもね」 「当然♪」 「調子いいんだから……」 精一杯背伸びする少年の、どこか不機嫌そうに膨らんだ頬が微笑ましく見えて、キョウコは苦笑した。 久しぶりに生まれ故郷に戻ってきたが、久々に見たアカツキは、どこか以前と違って見えた。 「まあ、この子だって成長するわけだし。あたしがとやかく言うことじゃないかな……」 本当にネイゼルカップに出場することがあったら、その時は戦ってみたいものだと思った。 母であるキサラギ博士から、いろいろと気になることを聞いているからかもしれない。 たとえば…… 脳裏に母から言われた一節を浮かべようとした時だった。 「よし、ネイト。そろそろ帰ろうか」 「ブイっ」 「あら……もう帰っちゃうの? 来たばっかじゃないの?」 「うん、そうなんだけど……ほら、やっぱり旅に出るんだったら、ちょっとは勉強しとこうかなって思って」 勉強が苦手と言う割には、なかなか調子のいいことを言ってくれる。 だが、旅立ちを前にして、アカツキもいろいろと考えているに違いない。 引き留めるのも気が引けた。 「調子いいわね。まあ、頑張りなさいよ。 あたしは明日にはまた外に出てくけど……旅先で会ったら、またいろいろと話しましょうよ」 「もっちろん!!」 アカツキはニコッと微笑みながら頷くと、ネイトを伴って駆け出した。 途中で一度だけ振り返り、 「キョウコ姉ちゃんも頑張れよ!! モタモタしてたら、追い抜いちゃうぜ!!」 そんなことを言った。 本当に調子がいいんだから……と思いながら、キョウコは返事の代わりに笑みを深めた。 Side 5 それから、あっという間に一日が過ぎた。 黒と紺が混じった夜の空は、満点の星空。 ネイゼル地方で最も都会として発展している西のディザースシティでは、このような星空は見られないそうだが、 レイクタウンでは毎日、星の海……パノラマを思う存分堪能できる。 「…………」 部屋の窓から、星の瞬く夜空を見上げながら、アカツキはいろいろと考えをめぐらせていた。 明日、旅に出る。 必要なものは前もって買い揃えてあるし、昼過ぎにはリュックにそれらを詰め込んで、何度も漏れがないか、念入りに確かめた。 長旅でも耐えられるようにと母親が買ってくれた服とズボンは、ベッドの傍らにある棚に折りたたまれて置いてある。 あとは、明日を迎えるのを待つだけ、なのだが…… 「眠れない……」 情けない話だが、眠れないのである。 ベッドでは、アカツキが起きているとも知らず、ネイトが安らかな表情で、寝息など立てながら眠っている。 考え事をしながらも、時折振り返り、相棒が呑気に眠っているのを見やる。 「……いいよなぁ、ネイトは」 いろいろ心配ではないのだろうか? 起こして確かめようかと思ったが、ネイトの表情は、広い世界に旅立つ楽しみと、新たな出会いに期待を馳せているようにしか見えなかった。 それに、自分の都合で眠りを妨げるのは良くないことだ。 「…………」 改めて、夜空を見上げる。 中天に差し掛かった三日月が、煌々と輝きを放っている。 もっとも…… 月が放つ輝きは、月自身が放つものではなく、太陽からの光を照り受けただけのものでしかないが。 どこか冷たいような……それでいて神秘的にすら思えるような月明かりが、外を淡く照らし出す。 草が風になびいているのが見えた。 「……明日かって思うと、なんだか眠れないよ」 旅立つのは明日。 ……時計を見ていないから分からないが、もしかしたら今日になっているのかもしれない。 どちらにしても、旅立つ前にちゃんと眠っておかなければならないだろう。 トレーナーとしての門出を、眠気に苛まれながら、寝ボケた表情で目の下に隈など作った状態で迎えたくはない。 一生に一度の大切な記念日をそんな風に迎えるのは、いくらなんでも嫌だった。 だから、早く眠らなければならないと分かっているのだが……心が逸るというか、どうにも波が立ってしまい、とてもそんな気分になれない。 暑いとか寒いとか、そういった問題ではなく、気持ちの整理の問題だった。 かといって、ネイトを起こすわけにもいかないから、騒いだりすることもできない。 「明日になれば、オレもポケモントレーナーになるんだ……」 今までは、街の中でただ好き勝手に遊んでいただけ。 でも、明日になれば、そうも行かなくなる。 十二歳の誕生日。 十二回目の誕生日。 他人から見ればそれだけのことでも、アカツキにとっては人生の岐路のようなものだ。 簡単に気持ちの整理がつく方がどうかしている。 それでも、ちゃんと眠っておかなければならない。 旅に出たら、いつだって休みたいだけ休めるとは限らないのだ。 社会では、身体が資本とよく言う。 だから、単純な……フィジカルな体力が一番重要になるのだ。 体力は、ちゃんと休まなければ取り戻せない。その最高の手段が、睡眠だ。 あいにくと、今はとても眠りに落ちる気分ではない。 気持ちが昂っているのが自分でも分かるから、熱を帯びた気持ちを冷やしたい。 アカツキはトレーナーになってからのことを、もう一度道筋をつけて整理することにした。 一見遠回りに見えて、実はそれが近道だったりするのだが……本人はそんなことまで考えているだけの余裕はなさそうだった。 「トレーナーになったら……他の町のジムに挑戦する。それから……」 明日、ポケモントレーナーとして旅に出たら。 まずは、ネイゼルカップの出場を目指して、出場権の獲得に必要となるバッジをゲットすべく、他の町へ行く。 レイクタウンから四方に伸びた道の先には、四つの町がある。 北はアイシアタウン。東はフォレスタウン。南はウィンシティ。西はディザースシティ。 それぞれの町には、ポケモンリーグ公認のジムがある。 そこにはジムリーダーと呼ばれる凄腕のトレーナーがおり、ネイゼルカップ出場に必要なバッジを管理している。 一般的に、トレーナーはジムリーダーと戦い、勝利してバッジをゲットする。 ネイゼル地方にはジムは四つしかないが、すべてを制覇してバッジをゲットしなければ、ネイゼルカップの入口にたどり着くことさえできないのだ。 ジムリーダーが凄腕のトレーナーであることは、アカツキも知っている。 昨日、自分よりも数段強い兄アラタが、とあるジムリーダーに敗北を喫したことを聞かされた。 尊敬する兄さえ負けてしまうのだから、相手は本当に凄腕としか言いようのないトレーナーなのだろう。 だけど、ネイゼルカップに出場して、兄アラタと戦うという約束を守るためには、嫌でもジム戦を経験しなければならない。 「四つ全部制覇して、ネイゼルカップに出る。それで、兄ちゃんと戦う!!」 ジム戦をクリアして、四つのバッジをゲットする。 そして、ネイゼルカップ出場。 兄アラタと戦うところまで勝ち進んでいかなければならないが、それはジム戦よりもさらに難しく、険しい道となる。 相手は皆、四つのリーグバッジをゲットしたトレーナーばかりだ。 一筋縄で行くはずがない。 「……そうさ。兄ちゃんと戦うんだ」 兄の強さは知っている。 その最たる理由は、自分の前では陽気でのんびり屋な性格を惜しげもなく披露している、ヘラクロスのアッシュ。 兄のパートナーであり、彼の手持ちの中では最高の強さを秘めるエース。 今の自分とネイトでは、アッシュ相手に手も足も出ないだろう。 ネイゼルカップで戦うとなれば、相手はアッシュだけではない。 アカツキは知らないが、アラタはすでに十体近いポケモンをゲットしており、手持ちとして定められている六体を越えた分は、 キサラギ博士の研究所で預かってもらっている。 「分かってる。 今のオレじゃ絶対勝てない。でも、だから、トレーナーとして頑張るんだ。ネイトと一緒に……」 今の自分では手も足も出ない。 だから、トレーナーとして戦う以上は、より高みを目指して頑張らなければならない。 ネイゼルカップで兄と戦うための道筋をたどってみる。 不思議と、それだけで気持ちが整理され、落ち着くだけの精神的な余裕もできてくる。 それに、自分にはネイトというかけがえのないパートナーがいる。 何年も一緒に過ごしてきた。 いつも仲良しと周囲には思われていたようだが、順風満帆な時ばかりでもなかった。 ケンカして物別れに終わって、何日も口を利かないこともあったし、水鉄砲でぶっ飛ばされて気絶したこともあった。 だけど、最後はちゃんと仲直りしてきた。 何度も衝突したけれど、そのおかげで自分の想いを相手にぶつけて、伝えられたし、ネイトの熱い気持ちも受け取ることができた。 悪いことばかりじゃない。 だから、ネイトと一緒なら、ちょっとくらいつまずいたって乗り越えていけるはずだ。 パートナーで……かけがえのない家族。 「……よし、大丈夫」 一人じゃない。 一緒に、同じ道を歩いてくれる者がいる。 道は果てなく、ゴールは見えない。 だけど、ネイトと一緒なら大丈夫だ。 最終的にはそんな結論に行き着いて、アカツキは先ほどのように気持ちが昂っていたことなどウソだったかのように、落ち着きを取り戻していた。 波はすぐに小波になり、やがて心の海は凪となった。 音を立てないよう、そっとカーテンを閉めて、アカツキはベッドに腰を下ろした。 相変わらず、ネイトは穏やかな表情で眠っていたが、子供のようにも見えるその様子が、逆にアカツキの気持ちを落ち着けてくれた。 「ネイト、明日から頑張ろうな。オレ、頑張るからさ♪」 よほど深い眠りに落ちているのか、ネイトはアカツキがそっと額を撫でても気づかなかった。 「じゃ、おやすみ……」 そっと横になり、目を閉じる。 穏やかな気持ちは、先ほどまで遠ざかっていた睡魔を引き寄せてきてくれた。 それからは、思ったよりも早く眠りに落ちることができた。 Side 6 かくして、アカツキは十二歳の誕生日を迎えた。 一年に一度やってくる記念日。 一年前よりも大きくなったと、みんなから祝ってもらうことで実感する日。 もちろん、アカツキにとってはそれだけの日ではない。 バースデーケーキや様々な料理を皆で囲んで盛大に祝う……なんてことはしない。 今日は、アカツキがポケモントレーナーとして広い世界へ旅立つ日なのだ。 そんなことをされたら、決意が鈍る。 だから、アカツキは朝起きてすぐに、旅支度を整えた。 朝ご飯を食べたら、出発するつもりでいたから。 ライトブルーの薄手のシャツの上に、厚手ながらもメッシュで通気性を確保した、ノースリーブの黒い上着を羽織る。 新しい服に袖を通す清々しさに、思わず表情が緩む。 「ブイ〜、ブイブイ〜っ!!」 トレーナーの表情を見て、ネイトも我が事のように声を上げて喜んだ。 似合っているよ……と言っているようにも思えて、アカツキの口元はさらに緩んだ。 清々しさに身を任せるように、青いズボンと、ストライプのソックスを履く。 これだけでもかなり様になっているのだが、アクセントにと母親が用意してくれた赤いマフラーを首に巻く。 薄手の生地で、首に巻いても暑苦しい感じはしない。 そして、最後にトレードマークの赤いベレー帽をかぶる。 これは旅に出る前から使っていたものだが、わざわざ新しいものに買い換える必要もないから、そのまま使う。 そもそもトレードマークなのだから、買い換えては意味がない。 「よし、準備完了っと♪」 旅をする上で必要なものが詰め込まれたリュックを背負い、準備完了だ。 重すぎず軽すぎず、アカツキの体格に合った大きさと重さだ。 新しい服に袖を通し、旅支度を整えたアカツキは、今までの彼とは違っていた。 見た目も心も、一人のポケモントレーナーになっていた。 「ネイト、なかなかサマになってるだろ?」 「ブイ〜っ!!」 本人も、まんざらではないらしい。 ネイトが素直に喜んでくれるものだから、改めて鏡に映るトレーナー姿の自分を見て、ニコッと笑う。 なにげに似合ってんじゃん♪ なんて、ニコニコ笑顔と同調するように胸中でつぶやきながらも、いつまでもそんなことをしていても始まらない。 「よ〜し……」 ニコニコ笑顔を得意気な笑みに変えて、アカツキは軽く頬を両手で叩いた。 格闘道場で嫌というほど教えられた、一番手っ取り早い気合の入れ方だ。 だけど、効果覿面。 「オレは、ネイゼルカップに出る!! そんでもって、兄ちゃんとバトるっ!! よ〜し、やるぜ〜っ!!」 朝早い時間帯ではあるが、すでに住人が行動を開始している頃である。 近所迷惑など顧みず、アカツキはありったけの声を張り上げて叫んだ。 「ブイ、ブイ〜っ、ブイブイ〜っ!!」 ネイトも負けじと声を張り上げ、二股に分かれた尻尾をクルクルと回す。 トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンである。 ポケモンはトレーナーに似るという格言があるが、アカツキとネイトに限ってはそれがピッタリ似合う。 半分呆れ気味にそんなことを言われたことがあるが、二人してそれを褒め言葉として受け取っていたほどだ。 「よし、行くぞネイト!!」 「ブイっ!!」 任せておけと言わんばかりに声を張り上げて、ネイトは頷いた。 当分ここに戻って来れないし、母親お手製の料理も堪能できないけれど、そんなのは旅の中で得るものや、 旅に向けた期待と比べれば些細なものだ(当人が聞けば激怒すること請け合いだが……)。 少しの寂しさも引きずることなく、アカツキはネイトを連れて、いともあっさりと部屋を抜け出し、リビングに向かった。 朝食を摂ってから出かけるのだ。 リビングに一歩踏み込むなり、ふっくらと焼き上がったパンの芳ばしい香りが鼻を突いた。 「ん〜っ、うっまそ〜っ♪」 アイボリーのテーブルクロスが斜めにかけられた木目調のテーブルには、アカツキの好物がたくさん並んでいた。 鼻を突いた芳ばしい香りの正体は、ふっくらと小麦色に焼き上がったバターロール。パン屋さんのように、バスケットに積まれていた。 他にも、太陽を思わせる色艶の目玉焼き、キャベツが主体の野菜サラダ。 好き嫌いのないアカツキには、どれもが好物だった。 「あら、朝早いのに元気ね」 テーブルの上に並んだ料理に、ネイトと一緒になってキラキラと輝いた眼差しを向けていたら、キッチンからエプロン姿の母親が姿を現した。 先ほど息子が上げた声をちゃんと耳にしていたらしく、向ける笑みは、今にも吹き出すのを堪えているように、どこか苦し紛れにも見えた。 「おはよ〜、母さん」 「おはよう。ネイトも元気そうね」 「ブイっ♪」 いつものように挨拶を交わす。 ネイトは声と一緒に、前脚を挙げて左右に振った。これが彼の挨拶の仕草のようである。 アカツキの母親……ユウナは三十三歳。 外見は実年齢と同じか、あるいは少し年下に見えるが、鼻筋が高くて顔立ちも整っており、美人と呼んでも差し支えないだろう。 背はスラリと高く、昔はモデルをやっていたことがあるらしい。 「朝から元気だったわね。でも、近所迷惑もちょっとは考えなさいね。 まあ、今日があなたの誕生日だって、みんな分かってくれてるから、大目に見てくれると思うけど。 でもね、あんまり人に迷惑をかけるようなことをしちゃダメよ。 旅をしていくんだったら、なおさら」 「うん、分かってる」 母親として子供に言うべきことを言ったのだが、アカツキはニコッとしながら返事した。 本当に分かっているのかと疑いたくもなるが、返事した当人に自覚はないようである。 「よろしい。じゃ、早速食べましょ♪ 冷めると美味しくなくなっちゃうからね」 「うんっ」 促され、アカツキとネイトは食卓についた。 ネイトは基本的に四つん這いになって走り回ったりする方が早いのだが、人間と一緒に暮らしている影響か、後ろ脚だけで立つことに慣れている。 だから、椅子の上に後ろ脚だけで立って、前脚で料理をつまんで食べるという、妙に人間くさい仕草で食事するのだ。 テーブルを囲む椅子は四つ。 アカツキの向かいにユウナが座り、彼女の右側にネイトがいる。 アカツキの右手の椅子は空いている。 父親のハヤトは、すでに仕事に出かけているのだ。 本当は旅立つ息子を見送りたいと思っていたのだが、生憎と今日は平日だ。 最近はいろいろと仕事が忙しくなったとかで、早く出勤している。 見送ってやれないことを本当に申し訳ないと思っているようだが、その分、昨日の夜はいろんなことを話したりした。 だから、ここに父親がいなくても、淋しいなんて思わない。 「いただきま〜す♪」 「ブイブイ〜っ♪」 「はい、召し上がれ」 笑顔で促されて、アカツキとネイトは料理に手をつけた。 ふっくらと小麦色に焼き上がったバターロールを頬張る。 ユウナが数日前から料理本を読み漁り、生地から何から自分で作ったパンだ。 ネイトも同じものを食べるが、ポケモンフーズよりも、人間の食事の方が口に合うらしい。 これもまた、人間と何年も一緒に暮らしている影響だろう。 「おいし〜っ♪ これ、母さんが作ったの?」 一口頬張るなり、かすかな甘味とモチモチした食感が心までも満たしてくれそうで、アカツキの表情はいつになく緩んだ。 「ええ。あなたが旅に出ちゃうって言うから、頑張っちゃった」 「うん、おいしい!! やっぱり母さんの料理ってサイコー!!」 「もう、調子いいんだから……でも、うれしいな」 息子の屈託のない笑みを受けて、ユウナもニッコリ微笑んだ。 子供は親に似て、大らかだ。 大らかすぎる部分はあるが、ほとんどの性格は遺伝だろう。 屈託のない笑みを浮かべている息子も、十二歳になったのかと、ユウナは微笑みながらも、少し淋しく思っていた。 子供だと思ったのに(もちろん今でも十分すぎるほど子供だが)、もう十二歳。 義務教育は終わり、これから進む道は自分で決めなければならない。 兄アラタと同じで、アカツキもトレーナーを志している。 数日前に買い揃えた服も、実際に袖を通した姿を初めて見るが、なかなかどうしてサマになっているではないか。 「もう、トレーナーなのよねぇ……」 すでに、気持ちはトレーナーなのだろう。 無邪気な笑顔も、いざポケモンバトルに臨めば、真剣な表情に変わるだろう。 レイクタウンにいる身では、アカツキが旅先でどんな経験をしてくるのか。 その全てを理解することはできないだろうが、それでも応援してあげたい。 疲れて帰ってきたなら、 「おかえりなさい」 ……と言って、優しく抱きしめてあげたいと思っている。 「うまいな〜、ネイト」 「ブイっ」 母親が感慨深げな視線を向けていることなど気にする様子もなく、アカツキはネイトと笑顔を突き合わせ、 競うようにテーブルの上の料理を平らげていった。 『親の心、子知らず』などとはよく言うが、それでもユウナはアカツキが物分りの悪い子供であるとは思っていない。 むしろ、十分すぎるほど分かっているから、いつだって明るく振舞っているだけ。 「でも、本当にアツコの言ってたとおりなのかもね……」 喉にパンを詰まらせて苦しそうに呻いて、コップの水を一気に飲み干してパンを押し流す息子を見ながら、 ユウナは親友であるキサラギ博士が言っていた言葉を思い返していた。 ネイトとは本当の兄弟のように仲睦まじいし、互いに性格が似通っていることもあって、まるでアカツキが二人いるような気になってくる。 「初対面のポケモンとでもすぐに仲良くなれるんだから、トレーナーとしての素質はかなり高いのかもね。 ネイトちゃんと会った時だって、そうだったでしょう?」 キサラギ博士が言うところによると、アカツキはトレーナーとしての素質に恵まれているらしい。 ポケモン研究のエキスパートが豪語するのだから、そうに違いないのかもしれない。 ただ、いくら素質に恵まれていようと、努力しなければ強くはなれない。 それでも、アカツキが見知らぬポケモンとすぐに仲良くできる素養の持ち主であることは、母親であるユウナが誰よりもよく分かっていた。 セントラルレイクの畔で、ネイゼルスタジアムを望みながらピクニックしている時だった。 今から五年以上前になるだろうか。 手のかかる二人の子供をどう育てていこうかと、何気に悩んだりしていた時期だったから、よく憶えている。 レジャーシートを広げて、その上で弁当を食べようとしていた時。 湖から、一体のブイゼルが飛び出してきた。 毛並みも鮮やかで、何よりも人懐っこかった。 そのブイゼルは飛び出した後で、一家と同じようにピクニックに来ていた別の家族のところに出向いて、いろいろとちょっかいを出していた。 その後で、アカツキの前まで走ってくると、彼が持っていた弁当箱を物欲しそうに見つめてきたのだ。 アカツキは突然やってきたポケモンをニコニコ笑顔で出迎えた。 「はじめまして。オレ、アカツキっていうんだ。キミは?」 何が目的でやってきたかも分からない、生まれて初めて見たブイゼルに、言葉が通じると本気で思っていたのか、アカツキは声をかけた。 ブイゼルは、ニコニコ笑顔の子供を不思議そうな顔で見つめていたが、やがてアカツキにじゃれ付き始めた。 二人して何やら楽しそうにやり始めたものだから、兄アラタと両親は、その光景をただ呆然と見ているしかなかった。 もっとも、ブイゼルがアカツキに危害を加えようとしているわけではないと見ていて分かったのだから、止めなかったのだが。 何やら気持ちが通じ合っていたのか、一頻りじゃれ合った後、アカツキとブイゼルはニコニコ笑顔を向け合っていた。 「ねえ、一緒に行かない?」 「ブ〜イっ」 言葉自体は通じていたと思えないが、どうやら気持ちの方は通じていたらしい。 アカツキの言葉に、ブイゼルは元気な声で頷いた。 ネイゼル地方には、子供がポケモンと過ごすことを義務付ける条例があったため、両親もアカツキがブイゼルと一緒に暮らすことに反対はしなかった。 もし気が合わないなら、そう長く続かないだろうし、ブイゼルもブイゼルでアカツキに飽きて外に出ていくだろうと、 父親はそんな冷めた見方をしていたようだった。 しかし、アカツキとネイトは家族同然。絆を深め合い、現在に至っている。 一緒に暮らすことになって、アカツキはブイゼルにニックネームつけた。 一緒に暮らすのに、ポケモンの種族名で呼び続けるのは不自然さを感じているようだったし、一緒に暮らすなら名前で呼び合うのが当然。 友達とだって「おい」とか「おまえ」とかって呼び合うのでは、友達なんて関係じゃない。 だから、アカツキは会ったばかりのブイゼルにネイトというニックネームをつけた。 名前の由来は特に考えておらず、なんとなくそんな感じだったから、といういい加減なものだったが、 つけられた当人はそれをとても気に入ったらしい。 「本当に、仲良くなるのが上手なんだから……」 それ以来、アカツキが初対面のポケモンとあっという間に心を通わす光景を何度も見てきて、 ユウナは息子の意思疎通能力の高さを誇りにさえ思っていた。 まあ、それとトレーナーとしての素質の高さがどう結びつくのかは分からないが、ポケモンと仲良くできるのは、トレーナーとしての強みと言える。 ユウナは、アカツキの身を案じつつも、過剰な心配は抱いていなかった。 ネイトと一緒なら大丈夫という、根拠はないけれど力強い気持ちがあったから。 「…………」 なんて、今まさに旅立とうとしている息子のことを考えていると、 「……ごちそうさま〜」 「ブ〜っ」 「……!?」 アカツキとネイトが声を上げたので、ユウナはハッと我に返った。 考え事に耽って、二人が本当に美味しそうに食事を平らげていく経過をすっ飛ばしてしまったようだ。 「あら、全部食べちゃったんだ……すごいわねえ」 お皿はカラッポになっていた。 ユウナは目を丸くしながらも、育ち盛りの子供だから…… それも『二人』いるのだから、これくらいは食べてしまうのかもしれないと納得していた。 「うん、美味かったよ!!」 「ありがとう。作った甲斐があったわ」 母親の手料理は最高だ。 アカツキの満面の笑顔が、それを如実に物語っていた。 「じゃ、そろそろ行こっかな!!」 水差しからコップに注いだ水を一気に飲み干して、アカツキは席を立った。 トレーナーの行動に合わせて、ネイトもぴょんっ、と椅子から飛び降りた。 傍らに置いたリュックを背負い直して、母親に向き直る。 「それじゃ、母さん。行ってくるよ!!」 本当は玄関先までの見送りというのがセオリーだが、アカツキはあいにくとそんなことは微塵も考えていなかった。 見送ってもらうとなんとなくうれしい気持ちになるのは確かだが、旅先でやることが変わるわけでもないし、どうせならさっさと旅に出たい。 「もう行っちゃうんだ」 「うん!! 早くリーグバッジをゲットしたいしさ。 兄ちゃんには負けてらんないもん!!」 「そう……やっぱり男の子ねぇ」 「当ったり前さ♪」 ユウナは立ち上がることもなく、席についたままだった。 見送ろうかと思ったが、息子がそれを求めていないことは分かっていたから、このままでいい。 「じゃ、行ってらっしゃい。身体に気をつけてね。 あと……アラタにもよろしく伝えといてね」 「うん。じゃあね!!」 「ええ」 「行くぞ、ネイト!!」 「ブイブ〜イ〜っ!!」 アカツキとネイトはあっという間にリビングを飛び出し、廊下を駆け抜けていった。 ドタバタとした足音が遠のくのを座ったまま聞きながら、ユウナは小さくため息を漏らして、窓の外に目を向けた。 やっぱり、子供っていいなあ……と思った。 無意味なくらい元気で、世間というものを知らないから、傷つかずに進んでいく方法なんてのも知らない。 けれど、だからこそ一途で、とても輝いて見える。 元々陽気な性格ということもあって、ネイトと一緒にリビングを出て行った息子の笑顔は、とても輝いて見えた。 「まあ、やりたいことをやらせてあげるのが愛情よね。きっと」 自分で自分の生き方を決める年頃なのだ。 よほど無茶なことを言い出さない限りは、止めるつもりもない。 だから、トレーナーとして頑張ると決めたなら、頑張って欲しい。 ユウナは人知れず、息子の道行きが光り輝いたものになりますように……と祈っていた。 そんな親心など知る由もなく、アカツキは真新しい靴を履いて、玄関の扉を勢いよく押し開いて外へと飛び出した。 ……と、そこまでは良かったのだが、 「よう、早速出発か?」 「げ……なんでここにいんだよ!!」 旅支度を整えたカイトが、道端に立っていた。 別に『一緒に旅に出よう!!』なんて約束をした覚えがなかったので、アカツキは思わず素っ頓狂な声で叫んでしまった。 しかし、そういうリアクションを期待していたらしく、カイトはアカツキがあからさまに驚いているのを見て、満足げに口の端を吊り上げた。 Side 7 「で……なんでカイトがここにいるんだよ」 アカツキは平静さを取り戻すと、不機嫌さを隠そうともせずにポツリと漏らした。 「ブ〜っ……」 ネイトも、上目遣いでカイトを睨みつけながら、恨めしげな声を絞り出した。 アカツキとネイトの精一杯の抗議を受けながらも、カイトはケロッとしていた。 いくらアカツキが陽気と言っても、怒ることだってある。 そう、たとえば。 『広い世界へレッツゴー!!』という意気込みを胸に、揚々と家を飛び出したというのに、行く手を塞ぐようにしてカイトが立っている。 まあ、それだけならいいとしよう。 ただそこに偶然やってきた、ということで済ませることもできる。 だから、適当に言葉を交わして、 「じゃあ行ってくる!!」 なんて言い残して颯爽と走り出せれば良かったのだ。 しかし…… アカツキとネイトにとって最悪だったのは、よりにもよって、カイトも旅支度を整えていたこと。 それでいて、待ち伏せをしていたことだ。 不満げに頬を膨らませ、普段の陽気で明るい顔つきとは裏腹に、すっかりむくれてしまっている。 ポケモン共々同じような表情をしているものだから、端から見れば昨今話題の『ポケモン漫才』を連想させる。 まあ、それはおいといて…… カイトは落ち着き払った態度で、口元に笑みなど浮かべながら、不機嫌な問いに答えを返した。 「だってさ〜、おまえが今日旅立つんだって言っただろ」 「言ったけど!! カイトと一緒なんて誰も言ってない!!」 「ブイブイ〜っ!!」 答えに対しても、アカツキとネイトが猛烈な勢いで噛み付いてくる。 それだけ怒り心頭だったのだろう。 アカツキは十二歳の誕生日……つまりは今日旅立つことをカイトに言った。 別に隠し立てすることでもないし、互いにトレーナーとして旅立つというのは、前々から分かっていたことだ。 ただ、この日に旅立つ、という宣言をしたに過ぎない。 それをどう解釈したのか、カイトはわざとらしく待ち伏せなどしていたのだ。 「そりゃあ、オレもおまえと一緒に旅をするなんて一言も言ってないし」 「だったら、邪魔すんな!!」 「おいおい、ずいぶんな言い方だなあ……」 「カイトがそういうことするからだよ!!」 せっかく意気揚々と旅に出られると思ったのに、旅支度を済ませたカイトが待ち伏せなどしてくれていたおかげで、せっかくの気分が台無しだ。 一生に一度しかない旅立ちの瞬間を、どうでもいいような理由で潰されたような気がしてならない。 いくら明るく陽気な性格のアカツキでも、堪忍袋の緒が切れるというものである。 しかし、完全に対決姿勢のアカツキとネイトを前にしても、カイトは慌てなかった。 「そりゃあ、怒るだろうなあ……とは思ってたけど」 「だったらなんで……」 「おまえが行っちまった後じゃ、遅いからな。 悪いなあ、とは思ったけど、今じゃなきゃダメだったし」 「どういうことだよ?」 回りくどい言い方をされ、どうでもいいような好奇心がくすぐられる。カイトは一体何を言いたいのか。 怒りが好奇心に摩り替わっていくのを苦々しい気分で見送りながら、アカツキはカイトの言葉を待った。 「オレは十日くらい前に誕生日迎えたんだけどさ」 「知ってるよ」 「だから、その時に旅立とうと思えば、旅立てた」 それはその通りだった。 カイトはアカツキより十日、誕生日が早い。 だから、十日前に旅立とうと思えば旅立てた。 それなのに、どうして今まで旅立たず、あまつさえ今ここにいるのか。 アカツキは首を傾げながら、訝しげな表情をカイトに向けて問いかけた。 「じゃあ、なんで今なんだ?」 「おまえに言っときたいことがあるからさ。それにゃあ、おまえが旅立つ日じゃなきゃ意味ないんだよ」 「…………? えっと……それって、オレが旅立つ日じゃなきゃ言えないことなのか?」 「ま、そういうこと」 まるで意味が分からない。 トレーナーとして旅に出られるのはカイトも同じだ。 だったら、アカツキと差をつけるためにも、早々に旅立って、トレーナーとしての実力を磨くべきなのだ。 それなのに、わざわざアカツキの怒りを買ってまで、日にちを合わせてきた。 ……なぜか? 「…………」 アカツキはカイトを軽く睨みつけながら、彼の言葉を待った。 怒るのなら、それからでもいい。 なんだかカイトの手のひらで踊らされているようで、怒り出すのも嫌だった。 これ以上、せっかくの旅立ちの気分を台無しにしたくなかった。 「おまえ、アラタさんとネイゼルカップで戦うんだって息巻いてるだろ」 「当然じゃん。兄ちゃんは楽しみにしてくれるって言ってんだ。オレだって頑張らなきゃ」 アカツキは大きく頷いた。 ネイゼルカップという大舞台で、トレーナーとして兄アラタと戦う。それが当面の目標だ。 もちろん、最終的にはポケモンマスターになる。 それがアカツキの夢だ。 カイトはもちろん、それを知っている。友達なのだから、互いの夢を語り合ったのは一度や二度じゃない。 「で……おまえ、そればっか考えてっからさ……ちょっと淋しいんだよなあ」 「淋しいって……カイトの口から出てくる言葉とは思えない」 「あのなあ……おまえ、オレのことどぉ思ってんだ?」 「いや、普通に」 「……………………まあ、いいや」 回りくどい言い方をしていると自分でも分かっているが、それでもそれなりにいろいろと自分の気持ちを表現しているつもりだ。 どういうわけか、アカツキにはまったく伝わっていないようだったが。 カイトはグーに固めた拳をアカツキの鼻先に突きつけ、挑発的に鼻など鳴らしながら言った。 「ネイゼルカップでバトろうぜ。 毎回おまえに勝ってばっかじゃつまんねえし。どうせなら、そういう場所でバトった方が、燃えるじゃん」 「だったら、そう言えばいいのに。オレだって、嫌だって言わないよ」 「言っただろ」 「言ってない」 「まあ、いいや……」 話が噛み合っていない。 アカツキが真顔で言い返してくるから、なおさらだ。 カイトはため息を漏らしつつも、言葉を続ける。 「オレに負けたくないって思うんだったら、必死になって頑張れってことさ!! オレに勝てなきゃ、アラタさんになんて勝てないぜ?」 「あ……そういうことか」 皆まで言われてようやく、アカツキはカイトが何を言いたかったのか悟った。 回りくどい言い方ではあるが、それにしては鈍感すぎる。 「だったら最初からそう言えばいいじゃん」 「おまえが鈍すぎんだよ」 「ま、オレのことはどーでもいいよ。 でも、それならオッケーだ。受けて立つ!!」 ネイゼルカップで戦おうっていう約束なら、いくらでも交わしてやる。 はじめからそう言ってくれれば、ここまで不機嫌な気持ちになることもなかった。 カイトはいつからこんな変な言い回しを好むようになったのか。 少なくとも、アカツキの記憶にはそういったシーンは存在していなかった。 先ほどまでの怒りはどこへやら。 アカツキの胸中には、嵐のように激しく燃え盛る闘志の炎があった。 気持ちがコロコロ変わると言えばそうだが、子供は特に、やる気になると気持ちの切り替えがすごく早い。 トレーナーとして旅立つ以上、いつかどこかで戦う時が来るはずだ。 それが道端であれ、ネイゼルカップであれ、一度も戦わずにやっていくのはまず無理だし、 アカツキとしても、延々と連敗街道を突き進むのは嫌だった。 どこかで連敗記録をストップさせ、輝かしい勝利の栄光をつかまねばならない。 カイトはアカツキのそんな気持ちをくすぐるように、雌雄を決しようと言っているのだ。 そして、その場所としてネイゼルカップを指定した。 ただ道端で戦うよりも、ちゃんとした気持ちで戦えるだろうし、目標として掲げているのなら、アカツキも必死になって頑張るはずだ。 一見自分の願望を叶えたいがために言い出したことのように思えるが、これでもカイトは一応アカツキのことも考えている。 それを感じさせるような言い方ではなかったから、アカツキには誤解されてしまったが。 まあ、ちゃんと食いついてきたから、結果オーライということにしよう。 「んじゃ、そーいうわけで。邪魔して悪かったな」 「ま、今回は許してやるよ」 「けけけっ……」 カイトは小さく笑い、アカツキとネイトに道を譲った。 伝えることは伝えたし、そもそも、いつまでも邪魔をするつもりはなかった。 アカツキはネイトを連れて、カイトの脇を抜け、メインストリートへと続く坂道を降りようとして――不意に足を止めて振り返った。 「……?」 アカツキのことだから、振り返りもせずにネイトと一緒になって走っていくんだろうと思っていただけに、カイトは意外に思った。 「オレ、フォレスタウンに行くから。ついて来んなよ」 一緒に旅をするつもりなんてない。 友達だからって、トレーナーとして旅をする時までつるむのは嫌だった。 そもそも、この旅はアカツキとネイトのものだ。他の誰も入り込む余地はない。 「分かってるって。オレはディザースシティに行くつもりだからさ。方向正反対だし」 「そっか、ならいいよ。じゃあ、また」 「おう、またな」 最後に笑みを残して、アカツキはネイトを伴って歩き出した。 緩やかな坂道を下り終え、東へと進路を取っても、振り返ることはなかった。 坂道の上からカイトの視線をひしひしと感じながら、アカツキは緩くカーブしたメインストリートの先をじっと見つめていた。 この道をずっと歩いていけば、街を出る。 街の出入り口とも言えるゲートを境に、そこから先はイーストロードと呼ばれる道となり、東に位置するフォレスタウンへと続いているのだ。 「まずはフォレスタウンだ……」 フォレスタウンは、フォレスの森と呼ばれる森の中にある町で、レイクタウン以上に自然の息吹を感じられる場所らしい。 「あの時と変わってるのかなあ……」 道を踏みしめ歩きつつ、アカツキはかつてフォレスタウンに家族旅行で行った時のことを思い返していた。 緑が豊かで、新鮮な空気と涼しい気候がとても気持ちよかったのを覚えている。 今から三年前のことだが、その時と今では状況がかなり違う。 旅行とトレーナーの旅は、まったく違うのだ。 「今回はジムリーダーに挑戦するんだ。旅行なんかじゃない!!」 気持ちの昂りに呼応するように、胸の内にある闘志の炎が大きく激しく燃え上がる。 フォレスタウンには、ポケモンジムがある。 ジムリーダーに挑戦して、ネイゼルカップ出場に必要となるリーグバッジを勝ち取る。 それが、アカツキの当面の目的だ。 他の地方ではリーグバッジを八つ以上集めることで、それぞれの地方で催されているポケモンリーグ公式大会の出場権を得られるらしいが、 ネイゼル地方にはレイクタウンを除いて町が四つしかないため、ネイゼルカップ出場に必要なバッジは四つ。 つまり四つすべてということになる。 アカツキは他の地方の事情など知らないが、四つすべて集めなければネイゼルカップの舞台に立つことさえ許されない。 厳しいようだが、むしろそう思うことで気持ちが引き締まる。 「カイトのヤツも旅に出るみたいだし、オレも負けてらんない!!」 先ほどは予想外の邪魔をしてくれたが、今になって考えてみれば、それはカイトなりの宣戦布告だったのではないか。 レイクタウンの中で、友達としてバトルをしていた頃の話とは違う。 一人のトレーナーとして、互いに頑張って行こうと言っていたのだ。 「これ以上カイトに負けるの嫌だしなあ……ネイトもそう思うだろ?」 道の先にアーチ状のゲートを望む位置で立ち止まり、アカツキはネイトに問いかけた。 ネイトは一瞬その言葉の意味を測りかねたのか、きょとんとした顔でアカツキを見上げていたが、 彼の瞳にただならぬ迫力のようなものが宿っているのを感じた。 ……気合入ってるなあ。 そう言いたげな顔で見上げる。 ただ、ネイトにも今日が特別な日であることは分かっていたし、カイトもアカツキと同じような支度をしていたから、 彼もまた旅に出るのだろうとも思っていた。 アカツキがカイトをライバルと思っているように、ネイトもレックスのことをライバルだと思っている。 トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンなのだ。 そういったところは、アカツキもカイトも大差ない。 もちろん、それはいい意味での評価ではないが…… アカツキがカイトにこれ以上負けるのが嫌だと言っている。言葉は通じなくても、気持ちはそれなりに伝わっている。 ネイトはそれを自分のことに置き換えてみた。 今まで何度、レックスに煮え湯を飲まされてきたか。 だから、アカツキの言葉の意味がすんなりと理解できた。 「ブイ!? ブイブ〜イ〜っ!!」 後ろ脚だけで立ち、器用に背筋などピンと伸ばしながら声を張り上げる。 レックスなんかに負けるもんか!! ……とでも言いたそうな様子を見て、アカツキは瞳をキラキラ輝かせた。 やっぱり同じ気持ちでいてくれてるんだと分かると、これ以上ないくらい頼もしく、誇らしく思えてくるのだ。 「ネイト〜♪ やっぱネイトもそう思うよな〜?」 「ブイっ!!」 アカツキの言葉に、ネイトが堂々とした態度で頷く。 「よしっ、行くぞネイト!! 次はぜ〜ったいに、カイトに鉄錆味の敗北を突きつけてやるぞ〜っ!!」 「ブ〜イっ!!」 何気に子供と思えない言葉が飛び出してきたが、一応これは父親の影響である。 マジメに働き、家族思いなのはいいのだが、そういったいい面とバランスを取るように、ちょっと困ったクセがあるのだ。 小説家を志していた時期があったせいか言葉遊びが大好きで、それが高じてアカツキに変な言葉を教えたりするのだ。 鉄錆味の敗北とは、『錆びた鉄を舐めた時のような表情をする敗北(あるいはその表情を見せるような心情的な悔しさ)』という意味であり、 今まで味わわされてきた悔しさをそのままそっくり……どころか、二倍三倍にもして返してやるというニュアンスでもある。 無論、アカツキもネイトもそれが間違った言葉の使い方だと気づくこともなく(間違った言葉の使い方だという認識もゼロ)、 どちらともなく駆け出した。 湖と森が描かれたゲートをくぐると、そこから先はイーストロード。 野生のポケモンが住む草原が左右に広がり、正面に続く道の先には、森の町フォレスタウン。最初のジム戦が待ち受けている。 アカツキは今にも舞い上がらんばかりの気持ちで走りながら、適当に作った歌を口ずさんだ。 「いっぱいポケモンゲットして〜♪ バトルでガンガン勝っちゃって〜♪ ネイゼルカップに出ちゃって〜♪ 兄ちゃんとバトルするんだ〜♪ Yeah〜♪」 唄っている当人はイケイケな気分なのだろうが、何気にオンチだった。 ネイトがその歌声(……と呼べないかもしれない……)を聴いて、危うくコケそうになったことにも気づかず、 アカツキは揚々とした気分で広い世界へと繰り出した。 こうして、アカツキという少年の旅が始まった。 旅というのは一様に順風満帆ばかりが続くものではないが、いろんな意味で波乱万丈な旅になろうとは、その時のアカツキには予想もできなかった。 第2章へと続く……