シャイニング・ブレイブ 第2章 出会い -The green in forest-(前編) Side 1 ――レイクタウンを旅立って2日目。 どんっ!! ネイトの水鉄砲がクリーンヒットし、ポケモンが道端に倒れた。 「よし、今だっ!!」 これなら絶対にゲットできる!! そう踏んで、アカツキは腰に差した空のモンスターボールを手に取った。 倒れたポケモン目がけてボールを投げつけようと腕を大きく振りかぶった……と、その時だった。 強烈な一撃を受けて倒れ、動けずにいたポケモンがいきなり起き上がり、脱兎のごとく、一目散に逃げていくではないか。 「あーっ、こら待て〜っ!! 逃げるなあっ!!」 アカツキは素っ頓狂な声で叫んだものの、叫ぶことでモンスターボールを投げることを失念、あっさりとポケモンを逃がしてしまった。 よって、生まれて初めてポケモンをゲットする瞬間は、先延ばしとなった。 逃げ去ったポケモンは、道の両脇に広がる草原へと姿を晦ました。 小柄なポケモンゆえ、一旦草むらに入ってしまうと、追いかけるのは無理そうだった。 「ちっくしょー、逃げられたぁぁぁ……」 追跡が不可能だと悟り、アカツキはその場にガックリと膝を突いた。 肩をすくめ、深々とため息をつく。 「……ブイ〜っ?」 ネイトは心配げな表情で、明らかに落胆しているトレーナーに駆け寄って、その顔を覗き込んだ。 パートナーが心配そうな顔をしているのを視界に認めて、アカツキはハッとして目を向けた。 「あ、大丈夫大丈夫」 余計な心配をかけたと、アカツキは口元に笑みを作ると、パタパタと手を振ってみせた。 せっかくネイトに頑張ってもらったのに、逃がしてしまった。 もっと早くモンスターボールを投げていれば、逃がすこともなかったのだろうが…… 失敗してしまった以上、今さらそれを悔やんだところでどうしようもない。 失敗は失敗。 それは確かに間違いない。 だからといって、いつまでもそれを引きずっても後々辛くなるだけだ。 「ネイト、ごめんな。頑張ってくれたのにさ…… でも、大丈夫だから。心配してくれてありがとな♪」 「ブイっ」 口元の笑みを深めて、アカツキはネイトの頭をそっと撫でた。 トレーナーとしての状況判断力の甘さにイライラするが、誰だって最初はそうなんだと思えば、不思議と気持ちが落ち着いてくる。 一度の失敗がなんだ!! 次は成功させればいい。そうやって行けば、いつかは成功するものだ。 「でも、失敗しちゃったなあ……次はもっと早くモンスターボールを投げてみよう」 反省点を的確に踏まえて、次への対策に取り入れる。 ポジティブな考え方ゆえ、失敗にいつまでも引きずられたりはしないのである。 アカツキは緩く頭を打ち振ると、手にしたモンスターボールを腰に戻して立ち上がった。 「でも、今のなんてポケモンだったんだろ?」 ポケモンが逃げ込んだ草むらに目を向けて、今さらながら考えてみた。 小柄で、体格の割には出っ歯のような前歯が大きかった。色は紫を薄くした感じだったか。ネズミのようにも見えたが…… 実際にアカツキが相手にしていたのは、コラッタというポケモンだった。 主な生息地は草原地帯で、自然豊かなネイゼル地方においては、いたるところに棲んでいる。 小柄ということでそれほど強くないが、繁殖能力はとても高く、一つの巣穴に十体以上のコラッタが棲んでいると言われているほどだ。 どこにでもいるポケモンゆえ、アカツキがゲットに至らなかったのは、ある意味不幸中の幸いだったのかもしれない。 「ま、いっか……」 考えたって、分からないものは分からない。 考えるのは重要なことで、考えないよりは考えた方がいい。 しかし、考えても答えが出ないなら、無理をして考えるだけ損だ。 「ネイト、行こう。もうすぐフォレスの森だよ」 「ブイっ♪」 気を取り直し、アカツキとネイトは東へと向けて歩き出した。 失敗するなら、素人のうちに失敗を重ねておいた方がいいのだ。 旅に慣れてから失敗するよりも、旅を始めたばかりの頃に失敗を重ねておいた方いいに決まっている。 いわゆる初心者特権というヤツだが、アカツキにはそんな難しい言葉は分からなかった。 「ま、フォレスタウンまではもうちょっとあるし、ポケモンをゲットするのはもうちょっとかかってもいいだろ」 今すぐにポケモンをゲットしなければならないような状況にあるわけではないので、焦る必要もない。 アカツキは持ち前の楽天的な性格を存分に発揮し、どうでもいいような焦りやら何やらを払拭した。 ただ、それでもフォレスタウンでのジム戦に向けて、一体でも仲間を増やしておきたいという考えは持っている。 フォレスジムで、ジムリーダーがどんなポケモンを出してくるかは分からないが、やはりネイト一人だけでは心許ないのだ。 「兄ちゃんも、アッシュ以外にもポケモンをゲットしてるって話だし、オレも頑張らなきゃな♪」 それに、ネイゼルカップに出場するためには、リーグバッジを四つ集めるという以外にも、資格が必要となる。 その資格とは、『ポケモンを手持ちの限度数である六体以上ゲットしていること』である。 とはいえ、普通に旅を続けていれば、リーグバッジを四つ集め終わる頃には六体以上ポケモンをゲットしているので(もちろん個人差はあるが)、 実際のところ、それで引っかかったトレーナーと言うのはまずいない。 というのも、ネイゼルカップの決勝では六体のポケモンを使ったフルバトルが行われるのだ。 六体以上のポケモンをゲットしていなければ、仮に決勝まで勝ち進めたとしても、フルバトルを戦い抜くことができない。 つまり、戦わずして負けるという、トレーナーにとっては最も屈辱的な結末を迎えることになる。 アカツキは隠しルールとも言えるその要件を知らないが、兄アラタのようにたくさんポケモンをゲットするということは念頭に置いている。 「アッシュに負けないようなポケモンをゲットしよう!! ……まあ、ネイゼルカップに出る前には」 ネイゼルカップまでは九ヶ月近くある。 それぞれの街を回ってリーグバッジをゲットするには十分な時間。 だが、本気で優勝を目指すレベルにまでポケモンを育て上げるには、決して十分とは言えない。 そこまでアカツキが考えているとは思えないが、それでもたくさんのポケモンをゲットして、バランスのいいチームを作るという考えはある。 「でも、フォレスタウンのジムリーダーって、どんなポケモン使ってくるんだろ?」 ポケモンをゲットするという考えが隅っこに追いやられ、代わって主導権を握ったのは、 フォレスジムのジムリーダーがどんなポケモンを使ってくるのかということだった。 ジム戦に挑むからには、相手のことを少しでも知っておきたい。 「草タイプだったりするのかな? 森の中にあるし」 ネイゼル地方に設けられているポケモンジムは、それぞれの街の特徴に準じたタイプのポケモンを専門にしていると、 キサラギ博士かキョウコか、どちらからか聞いた覚えがあった。 そうなると、フォレスタウンが森の中にあることを考えれば、草タイプのポケモンを使ってくると考えるのが妥当だろう。 しかし、相手が使ってくるポケモンのタイプが分かったからと言って、そのタイプに対する有効な技を持ったポケモンがいなければ、勝つのは難しい。 もちろん、今のアカツキの手持ちはネイトだけ。 ネイトは水タイプで、草タイプに対してはかなり不利だ。 「でも、カイトのレックスだって、ネイトを倒しちゃうし。オレにだって、それくらいできるんだ」 ただ、不利は不利でも、絶対に負けるというわけではない。相性という要素の一つが相手に握られただけである。 そもそも、カイトだって、相性的に不利なレックスを使って、ネイトを翻弄し、最後には倒してしまう。 アカツキは、それと同じことが自分にもできると思っているのだが、そもそもそれは相手を出し抜くだけの戦術を用意できればの話である。 容易く考えて実行に移せるようなシロモノではない。 「……?」 ネイトは、前方に広がる森に視線を据えたまま考え事をしているトレーナーを見上げた。 ……何を考えてるんだろう? そう言いたげな視線を向けられても、アカツキは気づいている様子を見せなかった。気づいていないのだから、見せる見せない以前の問題だが。 「でもまあ、明日にはフォレスタウンに着いちゃうし、それまでにポケモンをゲットしよ〜っと」 アカツキは気楽に考えをまとめた。 フォレスタウンに到着するまでの間にポケモンをゲットすればいい。 今の状態なら、どんなポケモンでも即戦力になる。 そこで考えを打ち切って、改めて前方に広がる森……フォレスの森を見やった。 ネイゼル地方の面積の約十分の一を占める広大な森の中に、フォレスタウンがある。 森には様々なポケモンが棲んでいて、もしかしたらその中になら、アカツキにでもゲットできるポケモンがいるかもしれない。 レイクタウンからフォレスタウンまでの道のりは三日。 二つの街を結ぶイーストロードを東へ向かって進んでいけばいいだけなので、 人前にあまり出てこないようなポケモンをゲットするという目的などで道から外れない限りは、まず迷うことはない。 故郷を旅立った日は、野宿をした。 学校や格闘道場でキャンプをすることはあったが、その時ほど賑やかでもなく、実に慎ましいものだった。 そもそもネイトと二人きりだし、焚き火を囲んでバカ騒ぎするようなこともない。 道場通いでそれなりに鍛えられていると言っても、ほとんど一日歩き続けていると疲れるものだ。 夕食を摂って、風呂代わりにネイトの水鉄砲によるシャワーを浴びて、身体を乾かしたら寝袋に包まって眠る。 だから、夜なんてあっという間だ。 この分だと今日もあっという間に終わってしまうのかもしれない。まだ昼前だが、なんとなくそんなことを考えた。 明日の昼過ぎか、あるいは夕方前か……どちらにしても、明日にはフォレスタウンにたどり着けるはずだ。 それからは、ネイトといろんなことを話したりかけっこしたりしながら、道を行く。 三十分ほどで森に入ると、空気が一変した。 「わあ……」 「ブイ〜っ♪」 新鮮な空気を肌で感じ、あるいは思いきり吸い込んで、アカツキとネイトは足を止めた。 肺を満たす、新鮮な空気。 いくら吸っても吸い込めそうなほど、空気が美味しかった。 レイクタウンもそれなりに空気がきれいだったが、森の空気はそれをはるかに上回る清浄さだった。 目に優しい緑の葉っぱが森を染め、木々の合間から降り注ぐ木漏れ日がとても暖かくて心地良かった。 「う〜ん、気持ちいいなぁ」 腕を広げ、思いきり背伸びしてみる。 ここでゴロンと寝転がって、そのまま昼寝にでもシャレ込みたくなるが、今はそんなことをしている場合ではない。 一刻も早く、フォレスタウンにたどり着いて、ジムリーダーに挑戦するのだ。 「ネイトも気持ち良さそうだな〜」 「ブイっ♪ ブ〜イっ!!」 人間よりも敏感なポケモンだからこそ、空気の清浄さをより感じているのかもしれない。 ネイトはいつも以上に元気いっぱいだった。 ぴょんぴょん飛び跳ねたかと思えば、アカツキの周囲をぐるぐると走ってみたりもする。 アカツキとしても、ネイトが元気いっぱいにしているのを見て、気分がよくなる。 ともあれ、フォレスタウンに到着するまでは、この空気を存分に堪能できるはずだ。 「ネイト、行こうぜ!! 競争だっ!!」 「ブイ〜っ♪」 アカツキは言い出すなり、ネイトの返事を待たずに駆け出したが、あっという間に追いつかれた。 足の遅いポケモンでない限りは、人間に追いつくのなんて造作もないと言わんばかりに、余裕綽々だった。 アカツキは追いつかれることなど知っていたから、追いつかれたところで別に悔しがったりしないし、 追いつかれてからは、ネイトはアカツキのペースに合わせて走ってくれた。 清らかな空気の中で、二人して駆けていくというのも、なかなかどうして面白かったりする。 「気持ちいいなぁ。なんか、このままずっと走ってけそうだ」 「ブイブイ〜♪」 なんて、会話を交わしながら、颯爽と森を行く。 体力づくりのために延々と道場の周囲を走らされたりもしたが、おかげで何十分か程度なら走ってもそれほど疲れないだけの体力が身についた。 アカツキもネイトも、すっかりいい気持ちになって走り続けていた。 緑豊かな森の景色は、心を洗ってくれるかのようで、観ているだけで気持ちよくなる。 だけど、こんな気持ちになったのは、実は初めてではなかった。 その時のことを思い返しながら、アカツキはピタリと寄り添うように走っているネイトに言葉をかけた。 「でも、久しぶりだなあ……ここに来たのって、三年くらい前だったっけ。ネイトは覚えてるか?」 「ブイ? ブ〜イっ!!」 大きな声で返事して、ぴょんっ、と大きくジャンプした。 着地して、何事もなかったように再び駆け出す。 どうやら、覚えているようである。 アカツキがネイトと出会ってから二年が経った頃。 今からだと三年ほど前のことだが、アカツキは家族と一緒に(もちろんネイトも一緒だった)旅行でフォレスタウンを訪れたことがあった。 アカツキとネイトはすっかり仲良くなっており、ネイトも家族の一員として一家に溶け込んでいた。 久々に父親が長期休暇をゲットできたので、旅行に出かけてみようということになったのだが、 さすがに他の地方にまで足を伸ばすほどの経済的な余裕はなく、近場でのんびりできる場所としてフォレスタウンを選んだ。 旅行と銘打つなら、観光地でありリゾート地としても知られるアイシアタウンの方が適しているのだが、 そういったところは人が多いため、普通にのんびりするのであれば、森の中に築かれたフォレスタウンの方がいい……という母親の鶴の一声で決まった。 俗に言う女のカンというヤツで、フォレスタウンのツリーハウス型ホテルで思う存分羽を伸ばせた。 森に棲むポケモンとも触れ合えたし、アカツキとしては満足行く旅行だった。 もっとも、どんなポケモンと触れ合ったのか、今となっては忘れてしまったのだが…… 学校に通っていたし、学校が終わったら格闘道場で汗を流したりしていたし、その後は家に帰ってネイトと遊んでいた。 そんな感じで日常が充実していたので、その分、旅行先での思い出が薄れてしまうのだ。 しかし、ほとんどの思い出が薄れても、ただひとつ残っているものがある。 「そういや、この辺で兄ちゃんがアッシュと初めて会ったんだよな……?」 それは、兄アラタとアッシュの出会いだった。 一家は低燃費のバギーを駆って、フォレスタウン目指して突き進んでいたのだが、フォレスの森に入ってしばらく経った時だった。 前方に、青いカブトムシのようなポケモン……ヘラクロスが落ちてきた。 運転手だった父親が、慌ててブレーキを踏み込んだおかげで、ヘラクロスを轢く直前で停まることができた。 いきなり落ちてきたヘラクロスは、カブトムシのような外見が災いしてか、仰向けにひっくり返ったまま動けずにいた。 ジタバタと脚を動かしたりするが、緩やかな流線型を描いた背中はやじろべえのように、 傾いてもすぐに元の角度に戻り、立ち上がることもできずにいた。 見るに見かねて、アカツキとアラタが車から降りてヘラクロスを助けようとしたのだが…… そのヘラクロスは身体のあちこちが傷つき、とても弱っていた。 落ちてきてすぐは脚をバタバタ動かしていたが、すぐにその動きが鈍くなり、やがて動かなくなってしまった。 目の前でポケモンが動かなくなったのを見て『ヤバイ!!』と思った二人は、ヘラクロスを車に運んだ。 『こんな傷だらけのポケモンになんて、関わり合いにならないほうがいい』と、なんだか嫌そうな顔でヘラクロスを見ていた両親を、 アラタが半ば強引に説得して、フォレスタウンのポケモンセンターに連れていくことになった。 目の前にいる、傷ついたポケモンを放ってはおけなかったのだ。 四人乗りの車には、ヘラクロスが横たわれるようなスペースが残っていなかったが、アラタはヘラクロスを自分の膝の上に乗せた。 アカツキの膝の上にはすでにネイトがいたし、残ったスペースはそこしかなかった。 「大丈夫。オレがちゃんと助けてやるからな。もう少し我慢してろよ」 アラタはヘラクロスの傷ついた身体を優しく擦りながら、フォレスタウンに到着するまでの間、ずっと励まし続けていた。 アカツキはアラタが一生懸命になっているのを見て、幼心にも兄がポケモンを大事にする人なんだと理解していた。 意地っ張りな一面ばかり見てきただけに、アラタの知らない一面を目の当たりにして、彼に対する考え方が変わったし、尊敬度も大幅にアップした。 やがて車はフォレスタウンに到着し、アラタはヘラクロスを背負ってポケモンセンターに直行した。 格闘道場に通っていたこともあり、数十キロはあろうかというヘラクロスを背負っても、運動会で一番を取るような速さで道を走っていった。 ポケモンセンターでヘラクロスを看てもらって、命に別状がないことが分かった時、アラタは本当に心から安堵したような表情を見せた。 車では膝の上に乗せて励まし続け、フォレスタウンに到着してからは、自分から背負ってポケモンセンターに向かっただけあって、 本当にヘラクロスの身を案じていたのだ。 ヘラクロスはジョーイの献身的な介護により、すぐに元気になった。 アラタはその後の様子が気になったのか、フォレスタウンの名所やら美味しい食堂やらを廻っているアカツキたちとは別行動を取っていた。 ずっと、ヘラクロスの傍にいたのだ。 元気になったとはいえ、ひどく傷ついていた身体が完全に治るまでには少し時間がかかる。 その間、ずっとアラタが傍にいた。 ヘラクロスは最初、見知らぬ景色の中に自分がいることと、傍に見知らぬ人間がいることで激しく怯えていたが、 アラタが笑顔で話しかけたりするうち、彼の明るい雰囲気に触れて、少しずつ心を開き始めた。 そんなことがあったため、アラタはせっかくの旅行を台無しにしてしまったのだが、その代わり、かけがえのない友達と出会うことができた。 ずっと一緒に付き添っていたヘラクロスがアッシュだったのだ。 森に棲むヘラクロスたちの集団の一員だったアッシュは、別の集団との樹液争奪戦に負けて傷ついたところでアカツキたちに出会った。 アラタがずっと傍にいたことで、心を開いたアッシュは彼に懐き、そのまま行動を共にすることを選んだ。 車中ではアラタの膝の温もりを、フォレスタウンに到着してからはアラタの背中の温もりを、常に感じていた。 そのことを覚えていたから、彼に心を許すことができたのである。 その後、スクールに入学したアラタと一緒に学園生活を謳歌したアッシュは、 彼にとってかけがえのないパートナーとなり、チームのエースとして大活躍するに至っている。 「アッシュみたいなポケモンと出会えるといいんだけどなあ……」 アカツキはアラタがアッシュと出会った時のことを思い返しながら、調子のいいことを考えていた。 別にヘラクロスに限ったことではない。 そういう運命的な出会いに期待しているだけだ。 もちろん、そんなものがポンポン転がっているはずもない。 アラタに言わせれば、『オレよりおまえとネイトと出会いの方がよっぽど運命的でカッコイイ』らしい。 ともあれ、アラタとアッシュは強い絆で結ばれている。 アカツキだって、ネイトとの絆は負けていないと思っている。 否、誰にも負けないくらい強くてすごい絆なんだと信じてやまない。 「ま、今回は旅行じゃないし、頑張らなきゃな♪」 アラタとアッシュが出会ったのは旅行の途中。 今の自分は、リーグバッジをゲットしてネイゼルカップ出場を目指す旅の途中。 場所が近くても、目的はまったく違うのだ。 同じシチュエーションでない以上、そういう『運命の出会い』とやらに期待するのは筋違い。 気を取り直して、森を東西に横断する道を歩いていた――その時だった。 『――っきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!! いぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!!』 「あ……!?」 「ブイっ!?」 突然聞こえてきた悲鳴に、アカツキとネイトの足が止まる。 森に響き渡ったその悲鳴は、女性……それも、少女のものだった。 「今のって……悲鳴?」 「ブイ〜っ?」 アカツキとネイトは、悲鳴が余韻を棚引かせて小さくなっていくのを耳に挟みながら、周囲を見渡した。 目に見える範囲に悲鳴の主がいないことは、すぐに分かった。 いるとしたら…… 「ネイト!!」 「ブイっ!!」 二人の視線は、道の先……フォレスタウン側へと向けられた。 今のが悲鳴であることは疑いようもないし、どうも切羽詰まったように聞こえたから、放っておくわけにはいかなかった。 アカツキは安っぽい正義感で動くような少年ではないが、見てしまったものを、聞いてしまったものを見捨てて別のことをしようという、 ヒネくれた根性は持ち合わせていない。 そこのところは、格闘道場に通っていただけのことはある。 鋭い視線を道の先に向けたまま、アカツキはさっと駆け出した。 彼が何を考えているのか手に取るように分かっているのか、ネイトもすぐに後を追った。 「誰か知らないけど、結構ヤバそうだ。急ごう!!」 聞こえてきた悲鳴は、本当に切羽詰まった、かなり危険な状態だと思わせる声音だった。 一度しか聞こえなかったから、本当にそうなのかなんて分からないけれど、思い込みで済むのなら、笑って済ませられると思った。 それに…… もし、思い込みじゃなかったら……笑って済ませられるような状態じゃなかったら。 そう考えると、居ても立ってもいられなかった。 「誰か知らないけど、今行くからなっ!!」 心の中で、悲鳴の主に向かって叫びながら、アカツキはネイトと共に颯爽と道を駆けていった。 Side 2 「いやぁぁぁぁぁっ!! 来ないでぇぇぇぇぇっ!!」 悲鳴は目の前で上がった。 「…………!?」 「…………?」 アカツキとネイトは立ち止まり、目の前に広がる光景を見て唖然とするしかなかった。 というのも…… 「チコ〜?」 「いやぁぁぁぁぁぁっ!! わたしなんか食べたって美味しくないわよぉぉぉぉぉっ!!」 悲鳴の主は、アカツキと同年代の少女だった。 白いニット帽をかぶり、スカートと一体になったノースリーブの服を着た、可愛らしい少女だ。 「…………」 少女は、アカツキとネイトが近くにやってきたことに気づく様子もなく、目の前で佇んでいる背丈の小さなポケモンに恐怖の視線を向けていた。 「チコ?」 ポケモンはどうしてそんな視線を向けられているのか理解できないらしく、困惑していた。 「あ、チコリータ……」 本などで見たことのある姿に、アカツキは小さく声を上げた。 少女の前に佇んでいるポケモンはチコリータ。 薄いグリーンの身体は小さく、後ろ脚で立ったネイトよりも背が低いが、丸みを帯びている。 頭上には身体と同じくらいの大きさをした鮮やかな葉っぱが生えていて、首には数珠のような種が環状に揃っている。 はっぱポケモン、チコリータ。 それが、そのポケモンの種族名。 一般的に穏やかな性格と言われていて、頭上の葉っぱはほのかに甘い香りが漂い、日差しを浴びるのが大好きというポケモンなのだ。 アカツキもそれくらいのことは知っている……が、だからこそ余計に目の前の光景を理解できなかった。 「チコリータって、怖いポケモンじゃないと思うんだけどなあ」 どういうわけか、少女はチコリータを恐れているようだった。 カメよりも遅いとさえ思える速さ(?)で、草のマットを引きずるようにして後退する。 腰を抜かしてへたり込んだ姿勢のままで。 本当に怖がっているのか、引きつった表情が可愛い顔立ちを台無しにしてしまっている。 「チコリ〜?」 チコリータは怪訝そうな顔で少女を見やりながら、一歩踏み出した。 「い〜やぁぁぁぁぁぁっ!!」 自分よりも小さくて、穏やかなポケモンが一歩踏み出しただけなのに、少女はけたたましい悲鳴を上げた。 「…………」 「…………」 意味不明な状況に、アカツキとネイトは思わず顔を見合わせた。 ずいぶんと切羽詰まった悲鳴を聞きつけて来てみれば、人畜無害とも言われるチコリータを前に、少女が何やら怖がっている。 彼女からすれば、真剣に怖がっているのだが、アカツキにとっては完全に意味不明だった。 チコリータは少女と遊びたくてやってきたのだが、どういう風に勘違いしたのか。 いきなり悲鳴を上げられてしまった、というのが顛末だったのだが…… 少女は恐怖に震えた瞳をチコリータに向けていたが、やがてアカツキとネイトの存在に気づいて、助けを求めるように振り向いてきた。 「た、助けてぇ……!!」 手を伸ばしてくる。 しかし、その手は小刻みに震えてきた。 本当にチコリータのことを怖がっているようだ。 「マジで怖がってる……」 アカツキは彼女の瞳を真正面から見つめ、本当にチコリータを怖がっているのを察した。 どうしてこんなに怖がっているのかは分からないが、それでも放っておくわけにはいかなかった。 「ネイト……」 「ブ〜っ?」 アカツキはネイトに声をかけた。 ネイトは少女に目を向けていたが、アカツキを見上げた。 どうするの……? そんな風に問いかけられたが、アカツキのやることは決まっていた。 チコリータが穏やかなポケモンであることは知っているが、それでも少女が怖がっていることに変わりはない。 アカツキは少女とチコリータを交互に見つめていた。 やがて、助けるというほど大雑把なものではないが、少女から恐怖を取り除く方法を思いついた。 アカツキはおもむろに歩き出すと、少女を守るように彼女とチコリータの間で立ち止まり、しゃがみ込んだ。 「チコ?」 チコリータは、怪訝そうな顔を今度はアカツキに向けた。 アカツキとネイトの存在には、少女が気づくよりも前に気づいていたが、何もしてこないと思ったので、敢えて無視していたのだ。 少女と遊びたいと思ってやってきてみれば、いきなり怖がられて悲鳴を上げられて、いつの間にやらやってきていた少年が間に割って入っている。 チコリータからすれば、この状況はどう考えても不可解なものでしかなかったのだ。 「チコリ?」 ――なんで邪魔するの? チコリータが一声嘶いた。 元々争うのが好きではない温和な性格ゆえ、いきなり武力行使に出るようなことはないのだが、 それでも相手が自分の行動を邪魔しているのは認識しているし、それについては何とかしたいと思っている。 「チコリータ。初めまして、だな♪」 「ブイっ、ブイ〜っ♪」 アカツキとネイトが、ニコッと微笑みながら話しかける。 「…………?」 二人の背後では、少女が引きつった表情のまま、潤んだ目でアカツキとネイトを見ていた。 一体何をするつもりなのか…… そう思っているのは、チコリータも少女も同じだったようだ。 「オレ、アカツキってんだ。で、こっちはネイト」 「ブイ〜っ♪」 アカツキが自己紹介する。 紹介されたネイトはうれしそうに一声嘶くと、先が二股に分かれた尻尾をクルクルと回転させた。 「…………?」 怪訝そうな表情を一向に変えないチコリータを前にしても、アカツキは持ち前の陽気な性格を前面に出して話し続けた。 「オレたち、レイクタウンって街から来たんだ。チコリータはこの森に住んでるのか?」 「チコ……」 臆することなく、ニコニコ笑顔で話しかけてくる少年を前に、警戒感が薄らいだのだろう。チコリータは小さく頷いた。 アカツキは直感的に「これならイケる!!」と思い、言葉を続けた。 「そっか。この森に住んでるんだ。空気もキレイだし、気持ちいいよな。なんか、羨ましいぜ」 「ブイっ、ブイ〜っ♪」 アカツキの言葉を通訳するように、ネイトが身振り手振りを交えながらチコリータに話しかける。 五年間も人間と一緒に暮らしてきて、ポケモンが野生で生きていくには不必要な仕草(ジェスチャー)まで覚えてしまったようだ。 もちろん、ネイトはそれが余計なモノであるなどと思ったことは一度もない。 アカツキと暮らし始めてからの方が、それ以前の暮らしよりも楽しいとさえ思っているのだ。 しかし、ネイトの身振り手振りを交えた言葉は、チコリータの警戒心をあっという間にかき消してしまった。 「でさあ……」 チコリータの表情が緩んだのを逃さず、アカツキは笑顔のままでチコリータの頭上に青々と生えた葉っぱをそっと撫でた。 とても柔らかく、肌触りが良い。 適度に湿っていて、ひんやりとした冷たさが手に伝わって、気持ちよくなる。 「チコリータは何しにここに来たんだ? オレはさ、ほら、そこの女の子が悲鳴上げてたのを聞いて、すっ飛んできたんだよ。 チコリータも同じなのか?」 そんなことあるはずがない。 そう思ったのはアカツキも少女も同じだったが、それはチコリータの心を解きほぐすための方便に過ぎなかった。 「チコリ……」 言葉そのものか、あるいは言葉に含まれた雰囲気が伝わってか、チコリータは頭を振った。 「ウソ、言葉通じてる……どうなってるの……?」 アカツキとチコリータがスキンシップを図っている。 それを見た少女は、先ほどまで胸中を埋め尽くしていた言いようのない恐怖心が吹き飛んで、 その代わりに目の前の光景に対する興味が湧いてきたのを感じずにはいられなかった。 レイクタウンからやってきたという、同年代の少年。毛並みの良いブイゼルを連れているが、恐らくはポケモントレーナーなのだろう。 このチコリータとは初対面のはずなのに、あっという間に打ち解けあっているではないか。 チコリータの表情が緩んだのがその証拠。 「…………」 アカツキと名乗る少年は、どうやら自分が先ほど上げた悲鳴を聞いて、駆けつけてきてくれたようだ。 それは分かるが、それにしてもチコリータとあっという間に心を通わせるなど、尋常ではない。 冷静な判断ができるまでに落ち着いてみると、目の前の光景がいかに驚異的なものであるか、突きつけられるような気持ちになる。 「チコ、チコリ〜」 チコリータが、ネイトに向かって話しかける。 ネイトを介せば、アカツキに自分の気持ちが伝わると思っているようだ。 「ブイ、ブイブ〜イ?」 「チコリ〜」 「ブイっ♪」 ただ聞いている側からすれば短い会話だったが、一言一言(一声一声)が複数の単語の意味を含んでいるらしく、 あっという間にチコリータの言いたいことがネイトに伝わった。 それを、ネイトがジェスチャーという目に見える形でアカツキに伝える。 楽しそうに声を上げながらアカツキに擦り寄る。 本当にうれしそうな顔で頬擦りしたり、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、空に向かって水鉄砲を打ち上げたり。 荒唐無稽としか思えない仕草は、しかしアカツキにちゃんと伝わっていた。 長年家族として暮らしてきて、鋏とか斧を使っても切れないような強い絆を育んできたのだ。 それだけ、意思疎通のレベルも高いということだ。 「そっか……そういうことか。 チコリータもやんちゃなんだな〜。オレたちと同じだ」 「チコっ♪」 アカツキが笑みを深めて言うと、チコリータはうれしそうな顔で頷いた。 「…………」 一体何がどうなっているのか分からない。 少女は目の前の光景を、ただ呆然と見ているしかなかった。 何がどうなっているのか確かめようにも、どう言葉をかけていいものか分からなかった。 彼女を置き去りに、アカツキたちの会話は弾んでいた。 人間と、ポケモン。 共通した言語が存在しないだけに、ちゃんとした形で言葉が通じ合うとは思えないのだが、どういうわけか意思疎通はキッチリと図られていた。 「チコリータ、そこの女の子と遊びたかっただけなんだ。 でも、言葉が通じなきゃ分からないってこともあるもんな……ちょっと声かけただけで驚かれたってことなんだろ?」 「えっ……?」 アカツキの言葉に反応したのは、他ならぬ少女だった。 全然分からなかった。 人間とポケモンの間で会話が通じるという話は聞いたことがあるが、目の前でそれを見せ付けられると、もう、何がなんだか…… だが、アカツキの言っていることは嘘ではなかった。 チコリータが頭上の葉っぱを左右に揺らしながら、笑顔を振り撒いているのを見れば、本当であることはすぐに知れる。 「じゃ、じゃあわたし……」 いきなり背後から声をかけられただけで驚いてすっ転び、何者かの襲撃かと思い込んで怯えていたのは…… 頭の中で、チコリータに背後から声をかけられてから悲鳴を上げ、アカツキが駆けつけてきてくれるところまでの映像が幾度も再生された。 こんなことになったのも、すべては自分の勘違い…… 少女はチコリータを唖然とした表情で見つめていたが、やがてアカツキとネイトとチコリータが揃って、彼女の方を向いた。 「そういうわけらしいからさ。 別にキミを恐がらせようと思って声をかけたんじゃないって。 チコリータにも悪気はなかったんだし、許してやってくんない?」 「えっ……そ、そういうことなら……別にわたしは、構わないけど……」 遊んでほしいと思っていたのか。 だけど、それならいきなり背後から声をかけてこなくてもいいのに…… さすがにそれを口に出すわけにはいかず、少女は代わりにチコリータの気持ちを代弁したアカツキの言葉をちゃんと受け止めることにした。 チコリータが温厚なポケモンであることは、少女も知っている。 しかし、いきなり声をかけられて驚いてすっ転んだ現実がある以上、そんな当たり前な知識が頭の中から吹っ飛んでしまうのも無理はなかった。 「そっか!!」 少女がチコリータのことを悪く思っていないと受け取って、アカツキは満面の笑みを浮かべた。 チコリータに悪気がないと分かっているから、改めてホッと胸を撫で下ろしたのだ。 「チコリータ、良かったな。 あんまり気にしてないって。でもさ、いきなり声かけちゃダメだぞ。驚いて怖がられちゃうこともあるからさ」 「チコっ♪」 チコリータが大きく頷いたのを見て、アカツキも満足したようだった。 お互いの些細な誤解から、ここまで話が大きく(?)なってしまったが、なんとか終息したようである。 「じゃあ、代わりにオレたちが遊んであげる。いいよな、ネイト?」 「ブイっ♪」 少女が腰を抜かして座り込んでいるような状態では、遊んでやれるのは自分たちしかいない。 そういうワケで、アカツキとネイトはチコリータと戯れ始めた。 やると決めたら即行動。 行動力の高さは、子供ゆえのものだろうか。 「…………なんか、いきなり遊んでるし……でも、なんかすごい……」 楽しそうに遊んでいる一人と二体の姿を見て、少女は素直に感動していた。 チコリータに申し訳ない気持ちはあるが、その当人が楽しそうに自分の代わりにアカツキと遊んでいるのを見て、少しは癒された。 初対面のはずのポケモンを相手に、臆することなく話しかけ、あっという間に意気投合してしまう…… 少女は少なくとも今までにそういったタイプの人間を見たことがなかっただけに、驚きは一入だ。 「ブイ〜♪」 ネイトが空へ向かって水鉄砲を放つと、重力に負けた水鉄砲がシャワーとなって四方八方へと飛び散りながら降り注ぐ。 アカツキはチコリータと一緒になって飛び跳ねたりして遊んでいた。 少女がじっと見つめていることにまったく気づかず、それから十分ほど遊んだところで、アカツキはチコリータに話しかけた。 「楽しかったなぁ。チコリータもそう思うだろ?」 「チコっ♪」 チコリータの元気な声が『遊んでくれてありがとう』と言っているようにも聴こえて、少女の代わりに遊んであげて本当に良かったと思った。 チコリータが喜んでくれたのが一番大きかったが、自分でも楽しめたから。 「…………」 「うん?」 ポケモンと遊んだのは、キサラギ博士の研究所の敷地に住んでいるガーディ以来かと思っていたところに、少女の視線が目に入った。 今頃になって気づいたのは、チコリータと楽しく遊んでいたからだ。 「あ、あの……」 少女はゆっくり立ち上がると、恐る恐るといった感じで、チコリータを視界の隅に意識しながら、アカツキの傍までやってきた。 あちこちに視線を泳がせながら、それでもやがてアカツキの目をまっすぐに見つめる。 「あ、ありがとう」 「ああ、別にいいよ。お礼言われたくてやったわけじゃないし。なあ、ネイト?」 「ブ〜イっ♪」 チコリータと楽しく遊べたからそれでOKなのだ。 アカツキもネイトも、アカツキの言葉通り、少女にお礼を言われたくて駆けつけたわけでも、チコリータと遊んだわけでもない。 自分がやりたいと思ったから、やらなければならないと思ったから、やっただけだ。 とはいえ、お礼の言葉だけは素直に受け取っておいた。 せっかくの言葉を道端にポイ捨てするのも、良くないだろう。 「……でも、ありがとう。わたし、とんでもない勘違いをするところだったかも……」 もしアカツキが来てくれなかったら、どうなっていたか…… 襲われてケガをさせられるようなことはなかっただろうが、逆に、チコリータを傷つけるようなことになっていたかもしれない。 そう考えると、アカツキが来てくれて本当に良かったと思っている。 ホッと一息ついて、安心感が出てきた。 気がつけば、アカツキに言葉をかけていた。 「えっと……アカツキって、言うんだよね? そのブイゼルは……ネイトって言ったかしら……」 「え……なんでオレの名前知ってんの? ネイトの名前まで……」 少女が自分の名前を知っていることに、アカツキは激しく驚いた。 確か、名乗った覚えはなかったのだが…… 一応、チコリータに対しては名乗っていたが、少女が後ろで聞いていたということを思い出すのにずいぶんと時間がかかった。 「あ、そっか……チコリータに話しかけてる時に名前言ったんだっけ。忘れてた。てへへ……」 ちゃんと名乗っていたことを思い出し、アカツキは頬を掻きながら、照れ隠しに笑った。 照れ隠しの笑みに励まされたのか、少女もニコッと微笑んだ。 「そ、それはいいんだけどさ……キミは?」 雰囲気も上向いてきたところで、問われた少女は小さく頷いて、名乗った。 「わたし、ミライ。フォレスタウンから来たの」 「フォレスタウンから来たんだ……」 「うん……」 フォレスタウン出身の少女が、どうしてチコリータ相手にあそこまで怯えていたのか……? 釈然としない何かを感じたが、とやかく言わないことにした。 誰にだって苦手とするものはあるだろうし、それについてあれこれ詮索するのはいけないことだ。 その代わり、自分のことについて少し話した。 思いがけない形とはいえ、せっかく同年代の相手に出会えたのだ。少しくらい話をしたところで罰は当たるまい。 「オレたち、レイクタウンから来たんだけどさ。フォレスタウンに向かうところだったんだ」 「そうなんだ……アカツキはポケモントレーナーなの?」 「うん!!」 少女――ミライの問いに、アカツキは自信たっぷりに頷きながらも、すぐにこう付け足した。 「って言っても、旅に出たの、昨日なんだけどね……」 「そうなんだ。じゃあ、十二歳?」 「うん」 「わたしも十二歳になったんだよ。アカツキよりは、少し年上ってことかな」 「へえ……」 同い年でも、自分が数ヶ月年上だと分かったからだろうか。 先ほどとは打って変わって、妙に自信たっぷりな口調に変わっていた。 「じゃあ、ミライもトレーナーなのか?」 そんなこととは露知らず、アカツキは問いを返した。 相手が同い年と分かって安心したのは、アカツキも同じだったのだ。 子供というのは面白いもので、相手が自分と同じ歳だと分かると、すぐに安心してしまうのだ。 他の子供よりも親近感が持てるということだろう。 「ううん、わたしは違うの。ブリーダーをやろうと思って……」 「ブリーダーかあ……」 「うん」 ブリーダーというのは、ポケモンブリーダーのことだ。 トレーナーのように、ポケモンバトルやらネイゼルカップなどの大会に出る人のことではない。 犬や猫のブリーディングと同じように、ポケモンを『育てる』ことに情熱を注ぐ人たちのことを言う。 単純な強さを競うのではなく、見た目……たとえば毛艶や、そのポケモンの特徴となる身体の部分の魅せ方など、 ポケモンバトルでは決して測れないものを競うのだ。 アカツキが知っているのはその程度の認識だが、世間でもブリーダーというのはそういった風に認知されている。 「そっか……」 ミライがブリーダー志望だと聞いて、彼女がモンスターボールを一つも持っていないことに対する疑問が氷解した。 ブリーダーはトレーナーと違い、基本的にポケモンバトルは行わない。 どうしてもやらなければ窮地を脱せないとか、譲れないものがあって、自分の想いを貫こうとするとか、 そういった場面ではバトルをするが、ブリーディングが最優先である以上、バトルに無駄な神経を遣うことはしないのだ。 だから、ミライもここにポケモンを連れてきていないのだろう。 アカツキが腰に目を向けていることに気づいて、ミライはドキッとした。 「ね、ねえ。わたしの腰に何かついてる? なんでジロジロ見るの?」 「え?」 彼女の頬に、知らず知らずに朱が差す。 アカツキはすっ呆けた顔をしているが、ミライからすればとんでもない話だった。 目の前の少年が、あんなことやこんなことを考えているのではないかと、腰に向けられた視線から連想してしまう。 しかし、幸か不幸か、アカツキはミライが何を考えているのかなどまるで分からなかった。 急に顔を赤くしたのはなぜか、という疑問はあったが。 「あー……」 彼女の気持ちなど露知らず、アカツキはなんてことのない口調で言った。 「ミライって、ポケモン持ってないから、なんでだろうと思って。 あんまりバトルとか好きじゃないのかな……って」 「え……別に、そういうわけじゃ……」 どうやら、単なる被害妄想に過ぎなかったらしい。 あんなことやこんなことを考えるのに、アカツキはあまりに幼稚すぎる。 同い年ゆえ、自分と同じ考え方をしているのではないかと、目の前の少年の考え方を勝手に解釈してしまったからこそ、 被害妄想などというものを抱いてしまったのだ。 「バトルが嫌いってわけじゃないよ。 この辺にはあんまり凶暴なポケモンがいないから、連れてきてないだけ」 「へぇ……」 ポケモンバトルをする必要がない上、この森には凶暴なポケモンが住んでいないから、フォレスタウンで帰りを待ってもらっている。 先ほどチコリータに対して激しく怯えたような姿を見せていたから、 もしかしたらポケモンが嫌いなのではないかと思ったりしたが、それは杞憂に過ぎなかった。 ポケモンが嫌いというわけではないと分かって、アカツキは胸に手を当ててホッと一息ついた。 「じゃあさ、ここには何しに来たんだ?」 「木の実を採りに来たの」 「木の実?」 「うん」 アカツキの問いかけに頷き、ミライは街からここまで来た理由を説明し始めた。 「わたしのポケモンが大好きな味の木の実が、この近くに生ってるんだよ。 それで、フォレスタウンからここまで来たんだけど……」 途中で口ごもり、アカツキの傍に佇んでいるチコリータに目をやる。 釣られるように、アカツキとネイトも視線を向けた。 「チコ?」 ――なんでこっち見るの? そう言いたげに一声嘶き、首を傾げた。 そんなチコリータに目を向けたまま、ミライは言葉を続けた。 「いきなり声かけられて、驚いてひっくり返っちゃったの。 わたし……驚いちゃうと、当たり前なことも忘れちゃうくらい気が動転しちゃうらしくて…… それで、チコリータが温厚なポケモンだってことも忘れちゃって……」 「そうだったんだ……」 ミライ以外の人間にとっては笑い事としか思えない問題だったが、アカツキは笑うこともなく、 どことなく真剣な雰囲気など漂わせながら耳を傾けていた。 彼女が悲鳴を上げて、チコリータを恐れていたのは、気が動転していたからだったのだ。 だが、そうと分かれば、話は早かった。 「……だってさ、チコリータ。本当に怖がってたワケじゃなかったんだ。良かったなぁ」 「チコっ♪」 ほんの些細な誤解。 いくら小さくても、誤解されたまま終わるのではお互いにスッキリしないだろう。 理由も分かったことだし、これでミライもチコリータもスッキリできたはずだ。 頭の葉っぱをアカツキの膝に擦りつけながら喜んでいるチコリータを見て、ミライは胸が痛んだ。 驚いて気が動転したからとはいえ、チコリータには悪いことをしてしまった。 だから、素直に謝った。 「ごめんね、チコリータ。わたし、あなたのことが嫌いなワケじゃないの。そこだけは分かってね」 「チコっ」 「うん。ありがとう」 誤解が解けた……嫌な結末にならずに済んで、本当に良かった。 ミライはホッとして、心の底から安堵した。 「…………」 安堵すると同時に、チコリータがアカツキに本当に懐いているんだと分かって、不思議な気分になる。 あっという間に仲良くなっただけならまだ分からなくもないが、もう懐かれている。 チコリータは本当にアカツキと一緒にいたいと思っているのかもしれないが…… それに気づく様子もなく、アカツキはミライに言葉をかけた。 「そういや、その木の実って、もう手に入れたの?」 「ううん、もうちょっとでその場所にたどり着くところだったの」 近くの茂みから北へ分け入ったところに、ミライのポケモンが大好きな味の木の実が生っているらしい。 もう少しでたどり着ける……そこにチコリータが現れた、ということだった。 「そっか……」 「ごめんね。余計な時間取らせちゃって……」 「ううん、気にしないでよ。オレたち、別に時間の無駄とか思っちゃいないから」 「ブイ〜っ♪」 アカツキの言葉に、ネイトは当たり前だと言わんばかりに声を上げた。 悲鳴を聞きつけてここにやってきて、チコリータにいろいろと話しかけたのは、自分で決めたことだから。無駄な時間なんて思わない。 あまりに前向きなアカツキだからこその発想だった。 アカツキとネイトの笑顔は、ミライの気持ちを明るくさせた。 自分のどうでもいいような勘違いが招いた事態だけに、それなりに責任を感じていたが、二人して気にしていないと言ってくれた。 それが自分に対する気遣いだとしても、うれしいことに変わりはなかった。 「アカツキたちは、フォレスタウンに行くの?」 「うん。ジム戦しに行くんだよ。ネイゼルカップに出たいんだ」 「そうなんだ……」 「うんっ!!」 ネイゼルカップに出場することを目指しているのだから、ジム戦に挑むのは当然だ。 ほとんどのトレーナーは、実力をつけたらジム戦に挑んで、今の自分の実力を確かめて、より高みを目指す。 その目的が公式大会の出場であろうとなかろうと、ジム戦に挑むトレーナーは、そうでないトレーナーよりも圧倒的に多いのだ。 「ジム戦に行くんだったら、今すぐにでもフォレスタウンに行きたくてしょうがないんだよね……?」 その言葉を口にしようとした矢先、アカツキが口を開いた。 「でもさ……」 「?」 一体何を言い出すのかと思って、口に出そうと思っていた言葉が、あっという間に頭の中から掻き消えた。 「ミライ、木の実集めるんだろ?」 「え、うん……」 「だったら、オレたちも手伝うよ。乗りかかった船だし、驚くようなことがあったら、大変なんだろ? だったらさ、オレたちが一緒の方が心強いって感じ、しない?」 「え……でも……」 突然の申し出に、ミライは困惑を隠しきれなかった。 驚いてしまうと、気が動転して余計にパニックに陥る……そんな自分を気遣ってくれているのだ。 正直、同い年の男の子が一緒というだけで心強いとは思えないのだが、今日はどういうわけか、心強いと思ってしまった。 アカツキが、チコリータとあっという間に仲良くしたところを見たからだろうか。 それとも、輝くような笑顔に、知らず知らずに元気付けられていたからだろうか。 ミライにはどちらとも判別がつかなかったが、アカツキの申し出を断る理由はなかった。 彼は自分を気遣ってくれている。その気遣いを無駄にする理由がなかったのだ。 「いいの?」 「いいよ。どうせ、フォレスタウンに着くの明日だし。今日くらいちょっとのんびりしたって、罰当たらないって」 「ブイ〜♪」 ネイト共々調子のいいことを言うが、そうとは感じさせないだけの明るさがあった。 こんなに明るい男の子と一緒なら、先ほどチコリータに驚かされたようなことがあっても、大丈夫だろう。 根拠はないが、なぜだか心強く思えてくる。 「じゃ、じゃあ……お願い」 「おう、任せとけっ♪」 「ブイブ〜イ♪」 アカツキとネイトは力強く頷いた。 アカツキがミライに同行を申し出たのは、本当に彼女一人だと危ないかもしれないと思ったからだ。 温厚なチコリータに後ろから声をかけられた程度で驚いてパニックに陥るのでは、とても危なっかしくて一人にさせられない。 困った人を助ける。 ただそれだけのことであり、相手が女の子だろうと老人だろうとお兄さんだろうと、その気持ちに変わりはない。 明るくて陽気だけど、人を思いやる気持ちもちゃんと持ち合わせているのだ。 「で、どっち行けばいいんだ?」 アカツキは周囲を見回した。 「うん、こっちだよ」 ミライはイーストロードではなく、北側にある茂みを指差した。 「道の近くにはないんだよ。そこに傷の付いた木があるでしょ? そのすぐ傍の茂みを抜けていくとね、木の実がたくさん生ってる場所があるの。 わたし、何度か行ったことがあるんだ」 言葉の通り、茂みの傍に、幹に爪で引っかいたような傷が刻まれた木があった。 その木を目印に、ミライは今までに何度か木の実がたくさん生っている場所に行ったことがあるのだ。 「へえ……道から離れるんだ」 「そうだよ。驚いた?」 「うん。そりゃあ……」 正直、アカツキは驚いていた。 レイクタウンには、道沿いに実の生る木があったりしたので、てっきりここでも同じように道沿いに歩いていけばいいのだと思っていたのだ。 さすがに、街の中と外では勝手が違う。 しかし、何度も行ったことがあるというミライの言葉に嘘はなかった。森の中にある街の出身だけに、森の地理には詳しいのだ。 「じゃあ、行こう」 「オッケー」 行く方向も分かったことだし、アカツキとネイトはミライの後を追って歩き出した。 ガサガサと音を立てて、茂みを分け入っていく。 「…………」 茂みの向こうに消えていく後ろ姿を見て、チコリータはちょっと淋しく思った。 「チコリ〜っ」 せっかく仲良くなったのに、置いていかれるのは嫌だ。 そう思う一心で、チコリータはアカツキたちの後を追いかけた。 Side 3 茂みを分け入った先に、道などなかった。 当然である。 そもそも人が足を運ばないのだから、獣道のようなものですら存在しない。 しかし、ミライは道なき道を、迷うことなく歩いていた。 「なんか、すげえ……」 周囲の景観は緑ばかりで、方向感覚がおかしくなってしまいそうだ。 それでもミライの足取りに迷いや躊躇いがないことに、アカツキは驚きしか感じなかった。 森の中にある街に生まれ育っただけあって、こういった場所には強いのかもしれない。 倒れて朽ちた木の幹を踏み越え、地面から突き出た岩の塊を迂回しながら先へ進む。 歩いている場所が場所だけに、結構長い間歩いたような気がしたが、実際は数分と経っていない。 「こんなトコ、歩いたことないからなあ……」 周囲を見渡しながら、胸中でつぶやく。 レイクタウンにいた頃は、そもそも街の外に出る機会などなかった。 だから、こういった場所に来たこと自体が初めてなのだ。 道のない場所。 手付かずの自然が残っているからこそ、道らしい道など存在しないのだ。 ネイゼル地方の行政を司っている官庁も、イーストロードをフォレスタウンまで延伸することを決定した際、 フォレスの森の自然環境を壊さずに済む方法として、ローラーによって土を踏み固める工法を採用した。 他に枝分かれした道がないのも、道を延伸した後でも豊かな環境が存在しているからこそなのだ。 「なあ、ミライ。木の実のある場所って、もっと先なのか?」 ずいぶんと歩いたような気がして、アカツキはミライに訊ねた。 たかだか数分歩いた程度で疲れたわけではないが、それにしてはずいぶんと遠いように思えてくる。 お世辞にも、女の子が一人でやってくるような場所ではない。 「もうちょっとだよ。道がないから、ちょっと遠く感じられるけど……」 「そっか……」 何度もその場所に赴いたことのある当人が言うのだから間違いない。 アカツキは改めて周囲を見渡した。 鮮やかな緑が息づく森の世界。 とても穏やかで、時の流れを忘れてしまいそうになる。 周囲の景色を見るついでに、今まで歩いてきた(と思われる)道を振り返ってみる。 ……と、先ほど仲良くなったチコリータがチョコチョコと自分たちの後をついてきているではないか。 その姿を目に留めて、アカツキは思わず足を止めた。 「チコっ♪」 やっと気づいてくれた。 チコリータはうれしそうな声を上げると、その小さな身体で一生懸命駆け寄ってきた。 「ブイ?」 なんでここまで来たんだろう……? 疑問に思っているのはネイトも同じだった。 「チコ、チコリ〜♪」 傍にやってきたチコリータを、アカツキは膝を折って出迎えた。 「チコリータ。どうしたんだ? こんなトコまでやってきて……」 「え、チコリータ?」 アカツキの言葉でようやくその存在に気づいたらしく、ミライは立ち止まると慌てて振り返った。 楽しそうに、頭の葉っぱを左右に揺らしているではないか。 ここまで自分たちの後をつけてきたのだろう。 「チコチコ……」 チコリータは、これが答えだと言わんばかりに、アカツキの膝に頬擦りをした。 「お、おい……くすぐったいじゃん。あはははは……」 チコリータの体温が心地良く、それでいてくすぐったかったから、アカツキは思わず笑ってしまった。 せっかく仲良くなったんだから、もうちょっと遊ぼうよ。 チコリータはそんな気持ちで、自分たちの後を追ってきたのだと思った。 遊んでやりたいのは山々だが、今はミライに同行している最中なのだ。遊んでばかりもいられない。 笑いつつも、どうしようかと思っていたところに、ミライの声が降ってきた。 「チコリータ、アカツキのことが気に入っちゃったみたいね」 「そうみたいだなあ……どうしよう。一緒に連れてってもいいか? 追い返すの、なんかかわいそうだし」 気に入られたのはいいが、いつまでもチコリータに構っているわけにもいかない。 とはいえ、追い返すわけにもいかない。 チコリータは何も悪いことをしていないのだから、追い返される理由だってないのだ。 そこのところは物の道理ということで、アカツキもちゃんと心得ていた。 同様に、ミライもまたそこのところは分かってくれていた。 「気に入られちゃったんだもん。追い返すのはかわいそうよ。 わたしは別に構わないし。アカツキが決めなよ」 「そっか……」 いきなり背後から驚かされて、もしかしたら一緒に行くのを渋るのではないかと心配したが、そこまで聞き分けの悪い少女ではなかったのである。 ともあれ、これでチコリータを連れて行かない理由はなくなった。 アカツキは知らず知らずに笑みを深め、 「じゃ、一緒に行こうか」 「チコっ♪」 その言葉を待っていたように、チコリータは喜びに声を弾ませた。 「ちゃ〜んとついてこいよ」 ついてくるのは構わないが、勝手に迷子になられたりすると、さすがにそこまでは面倒を見切れない。 そこのところをちゃんと言い聞かせた上で、アカツキたちは歩みを再開した。 道なき道を歩いている間、チコリータはひっきりなしにアカツキかネイトのどちらかに話しかけていた。 それほどに、アカツキたちと一緒に行きたかったのだろう。 「ブイ〜っ?」 「チコ、チコリっ♪」 隣で何やら話に花を咲かせている二人を見て、アカツキはニコッと微笑んだ。 ネイトとチコリータの楽しそうな様子を見るだけで、こっちまでなんだか楽しくなってくる。 「なんか、楽しそうだな〜」 ネイトもチコリータも、表情がとても明るかった。 チコリータはともかく、ネイトがここまで楽しそうにしているのを見るのは久しぶりだろうか。 レイクタウンにいた頃は、カイトのレックスと仲良くしていたが、 互いにどこかしらでライバル視していたところがあって、少しぎこちない部分もあった。 しかし、今は違う。 ライバルという余計な感情を抱かずに済んでいるせいか、チコリータに対して、自然体で接しているのが見て分かるのだ。 「ネイト、すっごくイキイキしてんなあ……うらやましいぜ」 会話に割って入れればいいのだろうが、そうもいかない。 そもそも何を話しているのかよく分からないし、楽しそうな二人の邪魔をするのも気が引ける。 ネイトは邪魔をされたと思わないのかもしれないが、アカツキにだっていろいろと考えるところはあるのだ。 「見てるだけで楽しいし。まあ、このままでいいや」 楽しそうにしてくれていれば、こっちまで楽しくなるのだから、放っておこう。やりたいようにやらせておけばいい。 こういう時は…… アカツキは歩調を速め、ミライの傍に歩み寄った。 「なあ、ミライ」 「なあに?」 「ミライって、フォレスタウンから来たんだよな?」 「そうだけど……それがどうかしたの?」 声をかけてきたかと思えば、自己紹介で話したことではないか。 一体どうしたのかと気になって、ミライはアカツキを見つめた。 笑みを浮かべた少年の顔を見ていると、なぜだか心が明るくなれるような気がする。 太陽のように暖かくて、気持ちが上向くような気がするのは、果たして、単なる思い過ごしだろうか? それを確かめる間もなく、アカツキが言葉をかけてきた。 「うん。 さっき話したけど、オレ、フォレスジムでジム戦やろうと思ってるんだけどさ。 ミライはジムリーダーがどんな人かって知ってる?」 「えっ……ええ、そりゃあ。同じ街で暮らしてるわけだし……」 他愛ない質問だったが、ミライはなぜか、一瞬驚いたような顔を見せた。 わずか一瞬のこととはいえ、アカツキは彼女の表情の変化を見逃さなかった。 観察眼の鋭さは、母親譲りだろうか。 しかし、そんなことはどうでもいいと、すぐに気にならなくなった。 「どんな人なんだ?」 「そ、それを聞いてどうするの?」 「なんか、戦い方とかの参考になるかな〜、って思って。それだけだよ」 「そう……」 どうやら、ジム戦での参考にしたいらしい。 人柄とジム戦での戦い方に因果関係があるとは思えないが、どんな人かというのを先に教えるだけならいいかもしれない。 そう思って、ミライはアカツキの質問に答えた。 「優しい人だよ。でも、怒ると手がつけられないんだ。まあ、あんまり怒らないけど……」 「そうなんだ……なんか、面白そうな人だな」 「ええ、まあ……」 フォレスジムのジムリーダーは、ミライもよく知っている。 同じ街出身というだけのつながりではないのだが……そこのところは、アカツキに教える必要もないだろう。 どうせ、戦ってみればどんな人か分かるのだから。 「く〜っ……早くジム戦やりたいな〜!!」 優しいけれど、怒ると手がつけられない。 少なくともアカツキの周囲にいないタイプの人ゆえ、そういう人とジム戦ができるというのは楽しみで仕方ない。 だが、今はミライの木の実集めを手伝わなければならない。 約束をしたわけではないが、自分でやると決めたことは、ちゃんと最後までやり抜かなければならないのだ。 ジム戦という楽しみは明日に取っておくとして…… 「……なんか、面白い子だなあ。一緒にいると、なんだか楽しくなる……」 ジム戦が楽しみでウズウズしているアカツキを見て、ミライは胸中で素直な感想を漏らしていた。 底抜けに明るいけれど、単に陽気なだけじゃなくて、ちゃんと周囲に気を配ることのできる少年だ。 ミライにとっても、アカツキは今まで接したことのないタイプの少年だったので、ナンダカンダ言っても何気に気になっていたりする。 もちろん、それは恋愛感情などという乙なものではないが。 アカツキはアカツキで、ミライはミライでそれぞれ楽しい気持ちになっていた。 言うまでもないが、ネイトとチコリータは話が弾んでいて、時には飛び跳ねながら、じゃれ合いながら二人の後についていく。 そうしているうちに、やがて視界が拓けた。 そこは背丈の低い草が生い茂った草原のような場所で、ところどころに赤や青、オレンジの木の実をつけた樹木が生えている。 「わたしが木の実を集めてるスポットだよ」 「へえ、ここが……」 ポケモンに食べさせる木の実がたくさん生っている。 狭い範囲にこれほど密集しているとは思わなかったので、アカツキは素直に驚いていた。 桃のような色や形をして木の実があれば、オレンジの果実がそのまま青くなったような木の実もある。 とはいえ、ポケモンに木の実を食べさせるという習慣がないので、アカツキにはどの実がどんな効果を持っているのか、まったく分からなかった。 しかし、木の実には種類によってそれぞれ異なった効果があり、体力を回復したり、眠りを覚ましたりするなど、 ポケモンバトルにおいても役に立つものが多いのだ。 ポケモンブリーダーはバトルで木の実を使用するのではなく、ポケモンが好んで食べるポケモンフーズの味付けや栄養のために、 木の実をすり潰した粉末を混ぜる。 同じ木の実でも、トレーナーとブリーダーでは使い道が異なるのだ。 「で、どの木の実なんだ?」 「あれよ」 アカツキの問いに頷き、ミライは右手の木を指差した。 桃のような木の実が生っている木だ。 「モモンの実って言って、お砂糖みたいに甘いんだよ」 「へえ……」 モモンの実は甘く、それでいて体内の毒素を浄化してくれるのだ。 トレーナーはポケモンの毒状態を癒すために用い、ブリーダーはポケモンフーズに甘味を出すために用いる。 他の木の実も、味や効能は様々だが、いずれも共通しているのは、トレーナーとブリーダーでは使い道がまったく異なるということだろうか。 「他にはオレンの実とかチーゴの実とかもあるわ。 これなら、少しくらいたくさん採っても大丈夫かも……」 「…………?」 ミライが左手にある木に生った実を見ている間に、アカツキはモモンの実が生っている木の向こうから、 何やら紫色のポケモンらしき生き物がのっしのっしと歩いてくるのを見た。 「あれって……?」 王者のような貫禄を漂わせ、堂々とした体躯のその生き物は、 アカツキが向けた視線など意に介することなく、モモンの実が生る木まで歩いてきた。 サソリを大きくしたような感じで、全身はいかにも毒を持っていそうな紫を呈している。 四本の脚が生えた胴体は、全長から比べるとずいぶん小さい印象が拭えないが、胴体から伸びた首と、顔の左右から伸びた腕は威圧感に溢れていた。 腕と尻尾の先には、一対の鉤爪が生えている。獰猛そうな顔立ちも相まって、アカツキは『強そう!!』と素直に感じていた。 首まで含めれば、身長はアカツキよりも高いだろう。 もしかして、あれはポケモンだろうか? そのポケモンは長い腕を頭上に伸ばし、木の実を爪で刺してもぎ取ると、口に運んで何やらパクパクと食べ始めた。 見たことのない種族だったので、アカツキはミライに訊ねた。 森に棲んでいるポケモンなら、知っているはずだ。 教えてもらおうと、軽い気持ちで口を開いたのだが…… 「なあ、ミライ」 「なに?」 「あのポケモン、なんて言うんだ?」 アカツキが指差した先を見やり―― 「あっ……!! うそっ……!!」 そのポケモンを見た瞬間、ミライは表情を強張らせた。 この森にいるはずのないポケモンだったのだ。 「……知ってんの?」 「知ってるも、何も……」 ミライが何を感じているのか知らん顔で、アカツキは陽気に訊ねた。 彼女の顔はいつの間にやら蒼ざめていた。 震える指で、モモンの実を頬張るポケモンを指しながら、 「ドラピオン……!! この森には棲んでないはずのポケモンよ。なんで、ドラピオンが……」 「ドラピオンって言うんだ。 なんか、強そう!! それに、カッコイイ!!」 アカツキはキラキラと瞳を輝かせた。 そもそも、ドラピオンというそのポケモンがこの森に棲んでいる種族であろうがなかろうが、そんなのはどうでも良かった。 アカツキにとっては、目の前に強そうなポケモンがいるというだけで、ドキドキワクワクするような出来事だったからだ。 「そ、そんなこと言ってる場合じゃないよ!!」 アカツキがバカみたいに陽気に振る舞っているものだから、ミライは思わず声を荒げ、彼の腕をつかんだ。 「ん? どうかした?」 「どうかした、じゃないの!! ドラピオンは凶暴で、人間にも襲いかかってくることがあるんだよ!! 今のうちに逃げよう!!」 ミライ曰く、ドラピオンは凶暴な種族で、自分より小さなポケモンはもちろん、人間にも襲いかかることがあるほどなのだ。 しかも、この森には棲息していないはずのポケモンだ。 いないはずのポケモンがこの場にいるというだけでも、森をよく知るミライにとっては恐怖すべきことだった。 もちろん、アカツキにミライの心情が理解できるはずもなかったが。 「なんで怖がるんだよ。カッコイイじゃん。凶暴ったって、そんないきなり襲ってくるポケモンなんかいるわけないじゃんか」 ちょっと毒々しい感じはするが、アカツキの目から見て、ドラピオンはとても強そうで、頼りになる兄貴のように見えた。 もし、ドラピオンをゲットできたら、即戦力としてジム戦で活躍させられるかも……ということさえ考えていた。 今までに、獰猛なポケモンと出会ったことがないからこそ、ここまでのんきに構えていられるのだ。 しかし、ミライは知っている。 ドラピオンはとても凶暴な種族で、一昔前までは、フォレスタウンも彼らの被害に悩まされていたのだ。 三十年ほど前には、街にやってきた一体のドラピオンによって子供がさらわれるという事件があった。 さらわれた数日後、その子供は森の中で変わり果てた姿で発見された。 ――ドラピオンがエサの代わりに子供をさらって殺したのだ…… 状況的にそうとしか考えられなかっただけに、フォレスタウンの住人にとって、野生のドラピオンとは恐怖の象徴となった。 だから、その事件があった後、フォレスタウンは街を挙げてドラピオンの駆逐に乗り出した。 二度とそのようなことがないように……と。 ポケモンはもちろん、銃や爆弾などを使って、北の山脈へと追い払い、抵抗するものは傷つけたり殺したりもした。 三十年が経った今でも、その事件の恐怖や衝撃を引きずっている。 その時子供だった者は、今は大人になり、人の親になった。 そんな彼らが、次の世代を担う子供にドラピオンの凶暴性を教え込む……これでは、いつまで経っても負の連鎖から抜け出せない。 凄惨な出来事を幼少期に経験した両親から、森に行く時はドラピオンに気をつけるんだよと、重ね重ね言われてきた。 ポケモンを持たないミライは、ドラピオンと出会ってしまったら、もう逃げることしか考えられなくなっていた。 フォレスジムのジムリーダーが使うポケモンなら、ドラピオンなど軽く追い払ってしまうのだろうが、 いかにもトレーナーになりたてのアカツキのネイトに、それを期待することはできない。 それだけはよく分かっていた。 だから、アカツキがのんきに構えているのを見て、苛立ちを隠せなかった。 彼らがフォレスタウンの住人でなく、フォレスタウンに伝わる恐怖の象徴の存在を知らないのだということも、考えられないほどに。 「そんなこと言ってる場合じゃ……」 「木の実はどうすんだよ」 「そんなの後でもいいよ!! ドラピオンに襲われたら……」 木の実なんていつでも採れる。 今はドラピオンから逃げるのが先だ。 しかし、アカツキはミライの言うことを素直に聞き入れなかった。 性格が素直と言っても、どんな時だって素直でいられるわけではない。 ましてや、ミライはここに木の実を採りに来たのだ。 獰猛なポケモンがいようが、目的を達成せずに尻尾を巻いて逃げるなど、とても考えられない。 「オレが追い払ってやるって。だから、木の実をゲットしよう!!」 「…………」 アカツキは知らないのだ。 かつて、フォレスタウンの子供が一人、ドラピオンにさらわれて命を落としている、という事件があったことを。 だから、そんなに軽く考えていられる。 フォレスタウンの住人なら誰でも知っていることだが、言い換えれば住人以外の人間は知らなくて当然の話。 「……いざって時は、オレがゲットしてやるよ!! だから、安心していいぜ!!」 「…………」 ドラピオンが強そうだと分かっているなら、どうして逃げようと思わないのだろう? ミライは苛立ちながらも、アカツキの底知れない陽気さを不思議に思っていた。 凶暴なポケモンが前にいるのに、笑顔を崩さない。 どうやったら、そんな風に構えていられるのだろう? アカツキは胸を張って言うと、腕をつかむミライの手をゆっくりと離した。 「そういうわけだからさ、行って来いよ。おまえにゃ、絶対近づけさせないからさ」 「…………」 いくら『大丈夫』と連呼されても、怖いものは怖い。 ドラピオンは、おとぎ話の悪魔のように、ミライの心に暗い陰を落としていた。 今はまだ、モモンの実を美味しそうに頬張っているが、もしモモンの実がなくなってしまったら、自分たちに標的を向けてくるかもしれないのだ。 そうなってからでは、逃げおおせられるかどうか…… 今からでも遅くない。 逃げるべきだ。 分かっているはずなのに、足が動かない。 あまりの恐怖に足がすくんだわけじゃない。 アカツキの笑顔に、なぜか心強さを見出してしまったからだ。 不安はあるけれど、本当に大丈夫な気になってくる。 「…………」 「んじゃ、そーいうわけで……」 アカツキはネイトを伴って、揚々と歩き出した。 チコリータはドラピオンの迫力に気圧されているのか、二人についていくことなく、ミライの後ろにさっと隠れてしまった。 モモンの実が生っている木の近くまで歩いていくと、夢中になって木の実を頬張っているドラピオンに声をかけた。 ドラピオンからすれば、アカツキやミライなど、木の実から比べれば優先順位など下の方だということで、見向きもしなかっただけかもしれない。 しかし…… それなりに腹が膨れて満足したのか。そして次の行動に出たということか。 ドラピオンがゆっくりと首を向けた。 ――なんだ、おまえら? 『ぐるるるる……』と唸り声を上げながら、そう言いたげな眼差しで、やってきたアカツキとネイトを威圧する。 「ドラピオン!! おまえをゲットしてやるぜっ!!」 「ブイブイ〜っ!!」 アカツキは腰に差したモンスターボールを引っつかむと、ドラピオンに見せ付けるように突き出した。 まるで、水戸黄門で『この紋所が目に入らぬか。頭が高〜い。控えおろぉ!!』という名物シーンのようだったが、それは第三者から見た感想だろう。 アカツキがすっかりドラピオンをゲットしようと言う気になっているのと同じで、ネイトも戦う気力満々といった風だった。 ことごとくカイトのレックスに負け続け、いい加減ここいらで勝ち星の一つでも上げておきたいと考えているのかもしれない。 言うまでもないが、バトルで弱らせた方が、ポケモンはゲットしやすい。 最終目的自体はアカツキとネイトで異なっているが、何もかもが同じというより、 少し違っている部分があった方が、かえって気が合うのかもしれない。 ぐるぅぅぅ…… ドラピオンが、腕の先に生えた鉤爪をガチャガチャ動かしながら咆える。 ――できるものならやってみろ。できなければ、おまえたちを食ってやる。 「…………大丈夫かな……?」 「チコリぃ……」 離れた場所で佇みながら、ミライとチコリータは揃って不安げにつぶやいた。 ドラピオンの声は、地を這うようにじわりじわりと響いてきた。 胸にある不安を存分に掻き立てるその声に、先ほどなぜ『大丈夫かも……』と一瞬でも思ってしまったのだろうと、 自分の気持ちを疑わずにはいられない。 親が子供に、戒めとしておとぎ話の悪役を引き立てることがあるが、フォレスタウンの子供にとっては、それがドラピオンだったりするのだ。 もちろん、三十年ほど前の事件をちゃんと話したりするのだが、それと悪役の引き立てが相乗効果となり、 ミライはある意味で過剰にドラピオンに恐れを抱いている。 まあ、見た目だけでもかなり威圧感があるから、それは無理もないことだが。 「でも……頑張ってもらうしかないし」 ドラピオンは執念深いポケモンと言われており、一度対峙した相手は何があっても逃がさないのだ。 アカツキはもう逃げられない。仮にこの場は逃げられたとしても、いずれ追い詰められてしまうだろう。 お世辞にもネイトは強そうに見えないし、単純な実力だけなら、ドラピオンの方が強いだろう。 それでも、頑張ってもらうしかない。 啖呵を切って出て行ったのだから、実力差があるにしても、どうにかするだけの自信があるのだろう。 アカツキに賭けるしかないし、自分でも背中を押してしまった。 「頑張って……」 どうにかしてもらうしかない。 ミライは知らず知らずに手を組んで、祈るように小さくつぶやいた。 To Be Continued...