シャイニング・ブレイブ 第2章 出会い -The green in forest-(後編) Side 4 アカツキとネイトがすっかりやる気になっているのを見て、ドラピオンは即座に反応した。 相手の戦う意志を跳ね返すかのごとく、敵意を剥き出しにする。 「よし、やるぞネイト!!」 「ブイっ!!」 いつでもいいぞと、ネイトはアカツキの前に躍り出ると、四つん這いになった。 人間と暮らしている影響で、普段は二本脚で立つことが多いが、バトルの時は四本の脚をフルに使った方が動きやすいのだ。 ドラピオンが腕を広げる。 途端に、アカツキは風に混じって相手の敵意が嵐のように押し寄せてくるのをひしひしと感じ取った。 「こ、こいつ……」 暴風とでも言えばいいのか。 まだ戦ってもいないのに、こんな威圧的な雰囲気を放っているのだ。 実際に戦ってみれば、こんなものでは済まないだろう。 格闘道場に通っていた影響か、相手の敵意といったものにはやたらと敏感になってしまったのだが…… アカツキは、自分たちに向けられた敵意から、ドラピオンの実力が並大抵のポケモンとは比べ物にならないことを肌で感じていた。 しかし、だからといっていきなり逃げるわけにはいかない。 できることはやってみなければ。 敵意に気圧されそうになっている心を奮い立たせ、ドラピオンを指差す。 「ネイト、水鉄砲!!」 相手に攻撃の隙を与えず、一気に倒してしまうしかない。 アカツキはそう判断し、ネイトに指示を出した。 「ブ〜イっ!!」 ネイトは四本の脚に力を込めて踏ん張ると、口を大きく開いて渾身の水鉄砲を放った!! 先ほどコラッタを一撃で叩き伏せたのと同程度の威力だ。 これを食らえば、いくらドラピオンとはいえ、痛くないはずがない。 しかし、真正面から繰り出された攻撃を、そう易々と受けてくれる相手ではなかった。 ガァァァァァッ!! ドラピオンは天をも切り裂かんばかりの咆哮を上げ、腕を一閃!! 一直線に飛来する水流を容易く引きちぎり、薙ぎ払う!! あとには、飛沫と化した水が周囲に飛び散るのみ。 「なっ……!!」 いとも容易く水鉄砲を破壊されたことに、アカツキは目を大きく見開き、表情を強張らせた。 今まで、そんな風に対処されたことはなかった。 カイトのリザードだって『穴を掘る』で逃げていたし、あるいはまともに直撃して大ダメージを与えられた。 だが、多少のダメージを受けながらも、水鉄砲を破壊してしまうようなやり方は初めてだった。 力任せの、荒唐無稽なやり方。 ドラピオンは大きな体躯を引きずっているせいか、動きがあまり素早くなく、代わりにパワーだけは普通のポケモンを遥かに上回る。 こういったやり方しかできないのだろうが、アカツキにとっては『ただそれだけ』という域を越えた衝撃だった。 ごぉぉぉぉぉっ…… 水鉄砲を打ち払ったドラピオンは、その程度かと言わんばかりに声を上げた。 「く……」 ドラピオンを睨みつけながら、思わず呻くアカツキ。 カイトのリザードが変則的な手を得意とするなら、目の前にいるドラピオンは、持ち前のパワーで相手をねじ伏せることを得意としているのだろう。 単純なパワーで比べたら、絶対に勝てない。 それだけは、アカツキにも分かっていた。 だから…… 「ネイト、高速移動で動き回って、隙突いて水鉄砲だ!!」 相手より優れているところを利用して、攻撃を仕掛けていくしかない。 いくら素人でも、それくらいは心得ている。 伊達に、カイトに負け続けて勉強しただけのことはあるのだ。 アカツキの指示に、ネイトは素早く反応した。 前傾姿勢を取ったかと思えば、文字通りの高速移動でドラピオンの周囲を走り回る。 『高速移動』は、一時的に素早さを上昇させる技。 スピードで相手を翻弄するのに使う技であり、その直後の攻撃の衝撃力(インパクト)を高めるという使い方もできる。 しかし、今はそんな使い方ができない。 衝撃力を高めるのは二の次であり、まずドラピオンに確実に攻撃を命中させることを考えるべきだ。 状況判断力の甘いアカツキにしては、まずまずの判断と言えるだろう。 ネイトが周囲を走り回るものだから、ドラピオンはその動きを目で追うのに精一杯だった。 攻撃に打って出ても当たらないと考えているのか、ただネイトの動きを目で追うばかり。 「よし……」 素早さではこちらが上回っている。 あとは、指示したとおりに、隙を突いて水鉄砲を放ってくれれば…… 今までに戦ったことのないタイプだけに、陽気なアカツキもそれなりに緊張を強いられていた。 ネイトはアカツキの期待を一身に受けて、ドラピオンの周囲を忙しなく走り回りながら、相手の隙を窺っていた。 だが、思うように攻撃ができないでいた。 ドラピオンは目でこちらの動きを追いかけているだけだが、油断とも隙とも思える部分が見当たらないのだ。 攻撃に打って出た瞬間、返す刃でバッサリ……ということを警戒してしまう。 ネイトが攻撃に移れないのを、アカツキは苛立ちを噛みしめながら見ているしかなかったが、やがて業を煮やして、改めて指示を出した。 このまま走り続けていたら、ネイトの体力が保たない。そうなれば、ドラピオンの猛攻を受けるハメになる。 ネイトがドラピオンの背後に回り込むタイミングを狙って、指示を出した。 「ネイト、アクアジェット!!」 刹那、ネイトの頭上のヒレがピンと立った。 そのままドラピオンの背後に回り込むと、相手が反応して向き直るだけの時間を与えず、一気に攻撃に打って出る。 二股に分かれた尻尾をクルクルと勢いよく回転させると、ジャンプ!! 同時に水鉄砲を地面に向けて発射。身体ごと思いきり回転しながら、水流を撒き散らしてドラピオンに体当たりを食らわす!! アクアジェットという、水タイプの技だ。 速攻が可能な技で、ブイゼルが得意とする技の一つでもある。 カイトと戦った時には出す間もなく負けてしまったが、実際に使わせれば、かなりの威力を発揮するのだ。 ドラピオンは胴体から伸びた首に強烈な一撃を食らって、仰け反った。 信じられないといった表情で、目を見開いて体勢を崩したが、それだけだった。 ネイトの勢いはかなりのものだったが、ドラピオンを横転させられるほどのものではなかった。 それに、ドラピオンは四本の脚の爪で地面を固く踏みしめており、そう簡単には倒されないのだ。 「効いたっ!!」 ドラピオンが目を見開いたのを『効果あり』と受け取って、アカツキは先ほどまでの威圧感を一気に吹き飛ばした。 これなら勝てる!! そう思ったが、甘かった。 この程度で勝てるポケモンなら、ミライがあんなに怖がったりはしないし、三十年前にフォレスタウンを恐怖に陥れたりもしない。 アカツキは、ドラピオンの攻撃手段が二本の腕だけだと思っていたようだが、それは大きな間違いだった。 ちょうど首に隠れて見えなかったが、サソリのように長い尻尾もまた、立派な武器だったのだ。 ドラピオンの首を踏み台に飛び退こうとしたネイトの首根っこを、背後から音もなく忍び寄ってきた尻尾の鉤爪がガッチリとつかんだ!! 「ネイト!! やべえっ!!」 アカツキは思わず叫んだが、それでどうにかなったりはしなかった。 突然首をつかまれて、ネイトはビックリしながらもジタバタもがいたが、鉤爪の力は予想以上に強く、ピクリともしない。 今は尻尾の鉤爪につかまれているだけだが、いずれは強烈な腕による攻撃を受けることになるだろう。 早々になんとかしなければ…… 焦りを募らせながらも、アカツキはネイトに指示を飛ばした。 「ネイト、水鉄砲!!」 もう一度ダメージを与えて、鉤爪の力が抜けたところを振り払うしかない。 ネイトは首をつかまれながらも、口を大きく開いて、渾身の水鉄砲を放つ!! しかし、思うように狙いが定まらなかったのか、ドラピオンの首をわずかに逸れて地面に突き刺さる。 すぐ脇を通り過ぎた攻撃に神経を逆撫でされ、ドラピオンは尻尾を打ち振って、ネイトの身体を軽々と宙に投げ飛ばした!! 延々と捕まっていたらどうしようと思っていたが、解放してくれたのは好都合だ。 アカツキはそう判断し、高々と投げ上げられたネイトに大声で指示を出した。 「水鉄砲!! 最大でぶっ放せーっ!!」 上を取れば、狙いなどいくらでも定められる。 単調な指示からも、アカツキの意思を感じ取って、ネイトはドラピオンの真上から水鉄砲を放つ!! 鉄砲のような勢いの水流は、重力加速度も相まって、流れ落ちる滝を上回る勢いで、ドラピオンを真上から打ち据える!! ごぁぉぉぉぉぉぉっ!! 真上から襲いかかる水流に、ドラピオンは悲鳴を上げて身体をよじった。 「よしっ……」 アクアジェット、水鉄砲と、これならかなりのダメージを与えられたはずだ。 モンスターボールを投げるにはまだ足りないかもしれないが、ダメージを与えた分、動きが鈍って戦いやすくなる。 水鉄砲を放ち終えたネイトが、ゆっくりと地面に落ちる。 攻撃の反動で落下の衝撃を和らげており、着地しても衝撃はほとんどない。 しかし、その見え見えの落下軌道が、ドラピオンに読まれていたとは…… 水鉄砲の猛威が過ぎて、肩で息をするように荒い呼吸を繰り返していたドラピオンも、目の前にネイトが着地したのを見て、闘志を募らせた。 目の前に、叩き潰すべき相手がいる。 そう思うだけで、受けたダメージも痛みも忘れてしまいそうになる。 ドラピオンは咆哮と共に、左右の腕を大きく振り上げる――と、刹那、両腕の鉤爪が毒々しい紫色に染まる。 「……!? 何する気だ……? ネイト、気をつけろ!!」 何かするつもりだと見て取って、アカツキはネイトに警戒するように言った。 その矢先、ミライの鋭い声が飛ぶ。 「クロスポイズンよ!! 早く逃げなきゃ!!」 「えっ……?」 しかし、何がなんだか分からず、アカツキは呆然と彼女を見つめるだけだった。 ドラピオンの得意技が来る……そう言いたかったわけだが、ドラピオンのことについて何も知らないアカツキが、 いきなり『クロスポイズンよ!!』と言われても、分かるはずがない。 もっとも、ミライは『危ない』と警告したに過ぎなかったのだが。 「……!?」 ネイトはミライの鋭い声に……あるいはドラピオンの爪が紫に染まったことに嫌な予感がしたのか、 さっと飛び退こうとしたのだが、わずかに遅かった。 ごぉぉぉっ!! ドラピオンが、紫に染まった爪を振りかざす!! ざしゅっ!! そんな耳ざわりな音がして、左右の鉤爪がネイトを直撃した!! 左、右の順に、ネイトの胸で鋭い爪による攻撃が交差する!! 「ブイ……っ!!」 強烈な攻撃に、ネイトは小さく悲鳴を上げて吹っ飛んだ。 毬のように地面を転がり、何メートルか転がったところでようやく止まった。 「ネイト!!」 吹っ飛ばされ、ドラピオンから離れたネイトに、アカツキは駆け寄った。 胸がきゅーっ、と締め付けられるような不安と焦りが、彼の陽気な性格を飲み込んでいた。 「ネイト、しっかり!!」 膝を折って、倒れたネイトを抱き上げる。 攻撃を受けた胸部が毒々しい紫に染まっている。 攻撃の凄まじさを物語るかのようだったが、アカツキはそれよりもネイトの息遣いが荒くなっていることが気がかりだった。 ぜえ、ぜえ…… アカツキの手を借りてゆっくりと立ち上がるも、呼吸が荒い。 レックスと戦った時には見せなかった呼吸の荒さに、アカツキは言い知れない不安を感じていた。 額には脂汗が浮かび、ドラピオンを見つめているはずの目にも、輝きがない。 虚ろで、焦点が定まっていないような…… それも、ネイトの身体が毒に冒されているからこその症状だった。 毒に冒されていると、アカツキは今になってやっと気づいた。 今しがたドラピオンから食らった一撃は、クロスポイズン。 毒タイプの技で、左右の鉤爪に毒を込めて、標的の身体で交差するように薙ぐことで大ダメージを与え、さらに毒を塗り込むのだ。 そんな大層な攻撃だとは知らないが、それでもネイトがまともな状態でないことはよく分かる。 「ネイト……大丈夫か?」 大丈夫ではないだろうが、一応確かめてみる。 「……ブイ……」 アカツキの声が届いたのだろう。 ネイトは今にも消えそうな声で嘶きながらも、小さく頷いた。 「…………」 ネイトはまだやる気だった。 身体的なダメージは、戦えなくなるほど大きなものではないが、問題は身体に回った毒だ。 致死性のものではないが、時間が経てば経つほどに体力を削り取っていく。 すでに毒はネイトを蝕んでいる。 「ど、どうしよう……」 ここでネイトを戻して、ミライやチコリータを連れて逃げるのが一番だろう。 「こいつ、マジで強い……!!」 ゆっくりと、実力差を見せつけるように、いたぶるようにゆっくりと歩いてくるドラピオンを睨みつけながら、アカツキは素直にそう思った。 身体の大きさもさることながら、能力の高さが段違いだ。 ミライが逃げようと言ったのも、今ならなんとなく理解できる。 アカツキの表情には一片の陽気さも明るさも人懐っこさもなくなり、焦りと不安とやるせなさに強張っていた。 だけど…… 「嫌だ、ここで逃げるなんて……!!」 自分から戦いを挑んでおいて、勝てないと分かったらサヨウナラ、というのは嫌だった。陽気で明るい性格でも、やる時はやるのだ。 そこのところも、格闘道場で培われた気概かもしれない。 「でも、ネイトが……」 まともに戦えるのか? それすら疑わしいが、ネイトはやる気だ。 「…………」 ネイトはアカツキの手を振り払い、ドラピオンの前に立ちはだかった。 「ネイト……」 逃げたくないと思っているのはネイトも同じだった。 ――ここで尻尾を巻いて逃げ出すのは臆病者のすることだ。自分はそんなヤツとは違う。 その背中が、如実に物語る。 毒に冒されながらも、ネイトの意志はトレーナー同様、とても固かった。 「よし、やろう……!!」 できるところまでトコトンやってやる。 アカツキはグッと拳を握りしめた。 勝てなくても、ゲットできなくても。この際、結果はどうでもいい。 大切なのは、最後まであきらめないで戦い続けることだ。 ネイトがやる気である以上、自分が先に尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。 大事な家族の意志を尊重しないような行動はできない。 「ネイト、高速移動からアクアジェットだ!!」 体力に負担のかかる技はできるだけ使いたくなかったが、時間をかければかけるほど、毒が身体を回り、体力を削っていく。 それなら、最初から全力を尽くすつもりで、猛攻(ラッシュ)を仕掛けるしかない。 ネイトは毒に冒された身体に鞭打って、高速移動を開始した!! だが、クロスポイズンによるダメージが想像以上に大きく、身体を蝕む毒によって体力が続かない。 すぐに脚がもつれて、ドラピオンの目の前で転んでしまった。 「ネイトっ!!」 まずい!! モンスターボールに戻そうと、腰に手をかけた時だった。 ドラピオンの口から、黒いモヤモヤした霧のようなものが吐き出され、ネイトの身体をすっぽりと包み込む。 毒ガス……それ自体の攻撃力は皆無だが、相手を毒にする技だ。 ただでさえ毒に冒されている以上、さらなる毒を与えられれば、猛毒のように強力になる。 「もう無理よ!! 早くモンスターボールに戻して、フォレスタウンに逃げようよ!!」 見ていられなくなって、ミライが声を張り上げる。 ただでさえ実力が違いすぎるのだ。 これ以上戦ったところで勝ち目がないし、逃げる判断は、早ければ早いほど良い。 逃げることは、別に非難されるようなことではない。 無謀な勇敢さでもって危険に首を突っ込むことと比べれば、生存本能の為せるワザ。 むしろ、危険から遠ざかる能力でもある。 決して、悪いことでもない。 いつか、ミライは父親からそういう風に教わった。 逃げることは、恥ではない。 ずっと……延々と戦い続けるような生き方なんてできないし、いつかどこかで逃げなければ、 逃げ場を見つけなければ、身体も心も朽ち果ててしまうだろう。 しかし…… アカツキはミライの言葉に耳を貸すことも、チラリと目を向けることもしなかった。 ただ、ネイトとドラピオンだけを見つめていた。 「ねえ!! もう無理だよ!!」 勝ち目なんてないのだ。 勝ち目がないなら、無駄に傷つく必要はない。 それに、傷ついているのはアカツキではなく、実際にバトルしているネイトだ。 ――トレーナーの独りよがりで、ポケモンを傷つけるのか。 ミライの悲鳴めいた声音は、遠回しな非難でもあった。 「ネイト、アクアジェット!!」 それでも、アカツキは戦う気でいた。 彼女の言葉に耳を貸さず、ただ戦い続けることしか考えていなかった。 モンスターボールに戻そうと思ったけれど、その考えはなぜか一瞬で吹き飛んだ。自分でも、なぜだか分からない。 「なんで……」 聞こえているはずなのに。 勝ち目がないと、戦っている当人が一番よく理解できるはずなのに。 それなのに、どうして戦おうとするのだろう。 ミライには理解できなかった。 アカツキとネイトの闘争心は、彼女が考えている以上に激しく気高いものなのだ。 毒ガスに包まれ、さらなる毒に身体を冒されても、ネイトはガスの向こうにドラピオンのシルエットを認め、鋭い視線を向けた。 アカツキの指示が届く。 アクアジェット……今の自分に放てるだけの体力が残っているのかという考えは、抱かなかった。 やると決めたからにはやる。 それはトレーナーもポケモンも同じ。 否…… 同じ気持ちを抱けるからこそ、トコトンまでトレーナーの指示に従って戦い続けようと思えるのだ。 ネイトは、決して陽気なだけのポケモンではない。 セントラルレイクに遡上するまで……海で生まれ育ったネイトは、一時期は厳しい流れの中に身を置いていたことがあった。 俗に言う、生存競争である。 海は広い。獲物はたくさんいる。食うに事欠くことはないが、ポケモンにだって天敵がいる。 太古より変わらぬ自然界の厳しく、それでいて平等な摂理。 弱肉強食の世界だ。 強きものが弱きものを食し、命を永らえる。 弱きものは強きものに食され、その生涯を終える。 ポケモンだって、弱ければ他のポケモンやサメなどの動物のエサになってしまうことがある。 現に、危うく食べられそうになったこともあった。 だから……今の環境は、恵まれすぎている。 生存競争の中に生きていた頃と比べれば、アカツキと共に暮らしている今は、恵まれすぎていると言ってもいいだろう。 だから、この程度でくじけてなどいられない。 ネイトは尻尾を回転させ、口から水鉄砲を地面に向けて噴射。 その勢いで飛び上がると、水鉄砲ごと回転しながら再びドラピオンに体当たりを食らわした!! ごぉぉっ……!! まさか毒ガスから飛び出してくるとは思わず、ドラピオンは顔面にネイトの体当たりを食らって、仰け反った。 地面に杭のように刺し込んだ脚先の爪のおかげで、今回も転倒はしなかったが、度重なるダメージで、かなり疲弊していた。 しかし、それは毒に冒されたネイトの方が遥かに深刻だった。 アクアジェットを食らわしたまでは良かったが、ドラピオンの頭を踏み台に飛び退くだけの体力が残っておらず、 そのまま滑り落ちると、地面にぐったりと横たわってしまった。 「ネイトっ!!」 今攻撃を受けたら危ない。 ただでさえ毒で体力を削られているのだ。とても避けられない。 ここが潮時と判断し、アカツキはネイトをモンスターボールに戻そうと、腰に手を伸ばした。 Side 5 なんで……? ミライは、アカツキとネイトがどうして戦い続けようとしているのか。その理由が理解できなかった。 そもそも考え方や価値観自体が違っているのだ。 おいそれと理解できるものではない。 それでも、なぜかその理由を考えてみようとする自分自身に気がついて、苦笑する。 男の子はみんなこういうものだ。 そう思えれば一番手っ取り早くて簡単なのだろうが、さすがにそれは無理そうだった。 陽気で明るく、人に気を遣うことのできる優しい少年。 しかし、ドラピオンを前に一歩も引かないその姿勢は、輝かしいほど勇敢だった。 見るものが見れば、勇敢というよりも無謀だと嘲うのかもしれないが。 「…………」 勝敗がすべてじゃないんだ。 ミライは率直にそう思った。 勝ち負けにこだわるなら、とっくにあきらめているはずだ。 それ以上に、自分が一度やると決めたことを貫き通したい……その意志があるのだと、なんとなく理解できた。 どうしようもなく馬鹿げている。 あきらめの意味も知らず、あきらめが悪いことのように思っているのだろう。 それでも…… 全力を尽くして足掻こうとしているアカツキとネイトの姿勢は、ミライの心を確かに突き動かしていた。 本当なら、アカツキとネイトを置き去りにしてでも、チコリータと一緒に逃げるべきなのだ。 それができないのも、自分がここで逃げてはいけないからだ。 下手をすれば、ドラピオンに食べられてしまうかもしれない。 三十年前の事件だって、ドラピオンが連れ去った子供をエサの代わりに食しようとしていた結果だったのだ。 それがまた、時を経て繰り返されるのかもしれない。 アカツキはそんな事件があったことなど知らない。 いや、知らないからこそ愚直なまでに立ち向かっていける。 「わたしも、何かしなきゃ……」 逃げることは重要。 時にはそれが英断になることもある。 だけど、今は違うような気がする。 ドラピオンがいる。だから逃げた。 たったそれだけのことでも、とても後ろめたく思える。 だが、今の自分に何ができる? 考えなくても、できることなど高が知れている。 ポケモントレーナーでもないミライには、戦うことなどできはしないし、生身の人間の力でポケモンに対抗できるはずがない。 それはアカツキも同じことだ。 毒ガスから飛び出してドラピオンに渾身の一撃を食らわしたネイトも、そこで体力が尽きたのか、 その頭を踏み台にして飛び退くことができず、そのまま地面に崩れ落ちてしまった。 万事休すか……と、その様子を見て、ミライはピンと何かが脳内に閃いたのを感じた。 闇の中に、電球のほのかな明かりが灯ったような。そうとしか表現できない直感。 「もしかしたら……」 この窮地を脱する術を持ち合わせているかもしれない。 そう思い、ミライはバッグの中を漁った。 ブリーダーを志す彼女は、ポケモンフーズの味付けや栄養補助に用いる木の実を、常に数種類ストックしてあるのだ。 もしかしたら、ネイトの身体に回った毒をどうにかできる木の実があるかもしれない。 毒を浄化する木の実は、アカツキたちの向こう……ドラピオンの近くの木に生っているモモンの実。 いくらなんでも、今からそれを採りに行くのは危険だし、手持ちにあれば、なんとかそれをネイトに食べさせたい。 それが無理なら……その時はその時で考える。 オレンジ、青、緑と、様々な色の木の実がポケットの中に詰まっていたが、 ミライはすぐに毒を浄化することのできる木の実を見つけ出し、手に取った。 「これなら……」 キャベツのような形をした、小さな木の実。 だが、それは効果が強力なもので、副作用でその後、一時的に身体が動かなくなってしまうこともある。 もちろん、今はそんなことを論じている場合ではない。 「これと、これで……」 ただ毒を消し去るだけでは意味がない。 毒によって削られた体力を回復させる木の実も一緒にチョイス。 手に取って、顔を上げる。 ちょうどその時、アカツキがモンスターボールを手に取り、ネイトを戻そうとしていた。 いくらやる気になっていたって、毒によって体力を削りつくされる寸前だ。 もう戦えないと判断して、モンスターボールをかざそうとしたアカツキに向かって、叫びながら木の実を放り投げる。 「アカツキ!! ネイトにこれを食べさせて!!」 「……っ!? えっ!?」 突然の大声に驚きながらも、アカツキは振り向くなり、視界に飛び込んできた二つの木の実をちゃんとキャッチした。 運動神経の良さは、さすがといったところか。 キャッチした木の実を、アカツキは呆然と見つめていた。 見たことがあるような気がするが、どんな木の実かということは知らない。 「毒を消すラムの実と、体力を回復させるオボンの実だよ!! やるんでしょ!? だったら、早く!!」 「お……おう!!」 ほんの直前まで、あきらめてネイトをモンスターボールに戻そうと思っていた。 だが、最初は逃げようと言っていたミライから思わぬプレゼント。 これでは、あきらめるにあきらめられないではないか。 そんなことを思いながらも、アカツキはミライの思わぬ援護がうれしくてたまらなかった。 気づかぬ間に、その顔に笑みが浮かぶ。 これであきらめずに済む。 まだ、戦える!! アカツキは素早くドラピオンの眼前に滑り込むと、ネイトの身体を抱きかかえた。 直後、ドラピオンのクロスポイズンが繰り出される!! 頭上から斜めに振り下ろされる紫の爪を見やり、アカツキは足腰に力を込めてその場を飛び退いた。 しゅっ…… 耳元で風の唸りを聞いたかと思ったが、シャツの右袖がちぎれ飛んでいた。 クロスポイズンを避わしきれなかったのだが、それだけで済んだ。 そんなことには取り合わず、アカツキは離れたところに着地すると、ミライから受け取ったラムの実をネイトの口に強引に押し込んだ。 「ネイト、これを食べるんだ!!」 「…………?」 身体を蝕む毒で意識朦朧としていたネイトだが、口に押し込まれた木の実の柔らかい感触と、アカツキの声に意識が浮上したのだろう。 ゆっくりと目を見開いて、口に押し込まれた木の実をかじる。 歯で噛んで、小さくしてからさらに噛み砕いて飲み下す。 ごっくん。 そんな音を、アカツキは確かに聞いた。 ネイトの喉が鳴る、小さな……だけど、聞きなれた音。 ラムの実を食べ終えたネイトは、身体から毒が消えていくのを感じ、驚きに目を見開いた。 一体どうなっているんだと、驚いていたのだ。 もちろん、その間にもドラピオンは迫っていたが。 毒が消えて、表情がハッキリとしてきたネイトに、アカツキは続いてオボンの実を食べさせた。 毒や麻痺、火傷などの状態異常を回復させるラムの実と、体力を大きく回復させるオボンの実。 二つの木の実を食べ終えた時、ネイトはアカツキの手を借りなくてもちゃんと戦えるまでに回復していた。 「ブ〜イっ♪」 ファイト、いっぱぁぁぁぁぁぁぁっつ!! ……とでも、直訳すればいいだろうか。 体力を取り戻したネイトは、やる気までキッチリ取り戻していた。 「…………!?」 ドラピオンは、アカツキとネイトまであと三メートルというところで脚を止めた。 なぜ、戦闘不能寸前まで痛めつけた相手が元気になったのか、分からなかったからだ。 クロスポイズンや毒ガスで、痛めつけた。 手ごたえだってあったし、実感もあった。 それなのに、どうして立ち上がれる? ドラピオンはネイトに得体の知れない何かを感じ取ったらしく、それ以上近づこうとはしなかった。 獰猛なポケモンでも、予期せぬ展開に驚いたり恐れたりすることはあるのだ。 ネイトが元気になったのを見て、ミライはホッと胸を撫で下ろした。 自分のポケモンのことでもないのに、どうしてこんなに安心してしまうのだろう…… 不思議に思ったが、それはやはり、アカツキとネイトがドラピオンを何とかしてくれるという期待を抱いているからだろう。 彼女の後ろに隠れて、不安げな表情を見せていたチコリータも、ネイトが元気になったのを見て、少しだけその表情を和らげた。 ネイトがクロスポイズンを食らったあたりで、もう逃げようかと思ったのだが、仲良くなった友達を置いて逃げることなどできなかった。 ありったけの勇気を振り絞って、この場に留まったのだ。 それは、賞賛される勇気かもしれない。 「よし、やるぜネイト!!」 「ブイっ♪」 どんと来い!! ネイトは四つん這いに構え、ドラピオンを睨みつけながら嘶いた。 どれほどかは分からないが、体力を回復できた以上、思い切った攻撃に打って出られる。 ドラピオンが手ごわいことに変わりはないものの、慎重に戦って防戦に回ってしまえば二の舞を踏むだろう。 こういう時は、大胆にやった方がいい。 「もいっちょ、高速移動!!」 アカツキの陽気に弾んだ指示を受け、ネイトは今までにないほど清々しい気分で駆け出した。 先ほどまで傷ついていたはずなのに、どうしてこんなに気分がいいのだろう。 ドラピオンの周囲を走り回りながら、ネイトはそんなことを考えていた。 「さっきは後ろからやって痛い目見たから、今度は……」 ドラピオンがネイトに翻弄されているのを見つつ、作戦を立てる。 もっとも、作戦らしい作戦でもないのだが、相手の不意を完全に突けるなら、どうだっていい。 後ろや前が論外だというなら、残っているのは横。 左か右かなんてことはどっちでもいい。 ネイトが横に回り込むタイミングを勘で計算し、 「今だっ!!」 ちょうどいいと思った瞬間、口を大きく開けて指示を出す。 「アクアジェットっ!!」 横に回りこんだネイトが、水鉄砲を放つ。 地面に向けて放たれた水鉄砲の勢いを借りてジャンプ。身体を回転させ、水鉄砲ごとドラピオンに体当たり!! ごっ、という鈍い音と共に、剛速球を打ち込まれたように横っ面を張り倒されたドラピオンの身体が傾く。 その頭を踏み台に飛び退こうとしていたネイトに、最後の指示。 「水鉄砲!! 思いきりやっちまえ〜っ!!」 至近距離からの水鉄砲の威力は、離れた場所から放ったものよりも圧倒的に高くなる。 ネイトは飛び退こうとした直前に口を大きく開き、渾身の水鉄砲を放つ!! 全力投球の一撃は、ドラピオンの首に余すことなく全威力を叩き込み――傾いだ身体が、ついに横倒しになる。 こうなっては、立ち上がるまでに時間がかかるだろう。 ドラピオンは立ち上がろうとじたばたしているが、度重なるダメージが足枷となり、なかなか思うようにいかない。 水鉄砲の反動で、ネイトはドラピオンから少し離れた場所に着地した。 横倒しになったといっても、毒ガスなどで攻撃してくるかもしれないと、警戒は緩めない。 「よ〜し……」 バトルで弱らせた今なら、ゲットできるかもしれない。 先ほどコラッタをゲットするのに失敗していて、今度は絶対にゲットしてやると意気込み、 アカツキはモンスターボールを持ち替えると、じたばたしているドラピオンに向かって投げ放つ!! 一直線に、吸い込まれるようにドラピオンに向かって突き進んでいくモンスターボール。 その姿を認め、ドラピオンは立ち上がろうと一層激しくじたばたするが、やはり立ち上がれない。 そんなドラピオンに、モンスターボールがぶつかる。 固い音を立てて弾かれた――刹那、ボールの口が開き、中から放たれた光線がドラピオンの身体を包み込むと、その姿をボールの中に引きずり込んだ。 ぱくっ、と口を閉じたモンスターボールが、地面に落ちる。 「ゲットできるかな……?」 アカツキは固唾を呑んで、モンスターボールを見やった。 小刻みに左右に揺れているのは、中でドラピオンが精一杯の抵抗を試みているからだ。ポケモンだって、素直にゲットされるわけではない。 モンスターボールの内外を問わず、抵抗するものなのだ。 だからこそ、ポケモントレーナーはポケモンをゲットする時、バトルである程度弱らせ、抵抗力を削ってからモンスターボールを投げる。 弱らせてからの方が、ゲットできる成功率が高いというのが常識なのだ。 「…………」 「…………」 ミライとチコリータもまた、ドラピオンがモンスターボールの中で抵抗しているのを見守っていた。 一体どうなるのだろう……? ゲットするんだと意気込んでいたのだから、ぜひともゲットしてもらいたい。 野生のドラピオンは凶暴だが、トレーナーに懐いたドラピオンは、決して凶暴でも危険な存在でもない。 モンスターボールの小刻みな揺れはしばらく続いたが、やがて収まった。 ドラピオンが抵抗をあきらめたのだ。 「おっ……?」 モンスターボールの揺れが止まった。 アカツキは駆け寄り、手を伸ばした。 ボールをつかみ、持ち上げる。 揺れが再開することはなく、増してやドラピオンが飛び出してくることもなかった。 「やりぃっ♪ ドラピオン、ゲットだ〜っ!!」 ドラピオンをゲットできたのだと、先ほどまでの焦りも何もかもが一気に吹き飛んだ。 生まれて初めてポケモンをゲットできた喜びに、アカツキはネイト共々舞い上がりまくっていた。 「ブイ、ブ〜イっ♪」 激しい戦いの後だったからこそ、喜びも一入だった。 モンスターボールを高々と掲げて、何やら勝利の凱歌らしきものを口ずさんでいるアカツキと、その周りで何やら踊っているネイト。 二人の姿を見て、ミライは『本当に良かった……』と思わずにいられなかった。 一時はどうなることかと思ったが、無事にゲットできて何よりだ。 それに、ドラピオンも野生でなくなれば問題ない。 「本当にゲットしちゃうなんて、やっぱりすごいかも……」 フォレスジムのジムリーダーにはとても敵わないが、それでもドラピオンほどのポケモンをゲットしたのは金星と言ってもいい。 不思議と、アカツキに対して信頼感らしきものも芽生えたような気がする。 大丈夫だって言ったことを、ちゃんと守ってくれた。 もっとも、それもミライの助力があってこそだが、だからこそ彼女もアカツキがドラピオンをゲットしたことを我がことのように喜んでいた。 歌ったり踊ったりと、一頻り喜びの感情を発散させられたのか、アカツキとネイトはミライのところへやってきた。 「やったよ。ゲットした!!」 「うん。良かったね」 満面の笑みに釣られるように、ミライもニコッと微笑んだ。 「でもさ、ミライが木の実をくれなかったら、勝てなかったと思う。ミライのおかげだよ」 「ブイっ」 「そんな、わたしは……」 「オレ、ネイトをモンスターボールに戻そうと思ってた。でも、ミライが木の実をくれたから、なんとかできたんだ」 「アカツキ……」 勝てたのは、ミライのおかげ。 アカツキは笑顔で、しかしその事実をちゃんと認めた。 自分一人の力で、ドラピオンをゲットすることはできなかっただろう。 ミライが毒を浄化し、体力を回復する木の実を投げてくれなかったら、どうなっていたか分からない。 本当に、ドラピオンのエサにでもなっていたかもしれない。 「オレたち、まだまだだって分かったよ。一人でなんとかできるようにならなきゃな!!」 自分一人の力でどうにかできなかったのは悔しいが、その悔しさをバネに、もっともっと強くなってやる。 ともあれ、ドラピオンをゲットできた。 これ以上の収穫はないだろう。 アカツキは満面の笑みをドラピオンの入ったボールに向けると、 「じゃ、早速……」 「…………」 早速、ゲットしたばかりのドラピオンをモンスターボールの外に出すのだ。 ミライは緊張に表情を強張らせた。 ドラピオンは獰猛だったのだ。出てきた途端、クロスポイズンとか毒ガスとかで攻撃してきたりしないだろうか。 自分のことでもないのに、妙に不安になる。 だが、基本的にポケモンはゲットされると、トレーナーに従順になる。 心理的な変化にどういったメカニズムがあるのかは未だに解明されておらず、ポケモン研究者の飽くなき探究心を掻き立てている。 もちろん中には例外となるポケモンもいるそうだが、それはあくまでも例外。圧倒的少数だ。 アカツキはドラピオンのボールを見やったまま、三十秒ほど何も言わずにじっとしていた。 「……?」 モンスターボールから出すのではないのか? ネイトが何か期待するような眼差しをモンスターボールに注いでいるのを見て、てっきりドラピオンを出すのではないかとばかり思っていたのだが…… 「よし、決めたっ!!」 途端に、アカツキが声を上げる。 キラキラ輝いた眼差しをボールに向けて、 「ドラピオンだから、ドラップ!! キミの名前さっ!!」 「ブイ〜っ♪」 ドラピオンにニックネームをつけた。 どうして三十秒ほど何も言わずにいたのかと思っていたが、ニックネームを考えていたのだ。 共に旅をする仲間なのだから、単に『ドラピオン』と種族名で呼ぶのは味気ない。 第一、ネイトだって『ブイゼル』とは呼ばないのだ。ネイトだけ贔屓するわけにもいかないではないか。 ただ、ドラピオンだからドラップというのは、ニックネームとしては単純だったが、下手に凝ったネーミングよりは、こういったシンプルな方がいい。 「ニックネームを考えてたんだ……なんだ……」 ドラピオンを出さず、ニックネームを考えていた。 ミライはホッと胸を撫で下ろしていた。 「でも、モンスターボールから出さないの?」 ゲットしたばかりのポケモンと触れ合うのも、トレーナーとしては重要なことだ。 ニックネームをつけるのは、その後でも遅くはない。 そう思って、ミライはアカツキに問いかけたのだが…… 「だって、ドラップはバトルで疲れてるんだ。出したら、余計疲れるだろ? どうせならポケモンセンターでちゃんと体力回復させてからの方がいいと思って」 「あ、そう。なるほど……」 そういう考え方もあったか。 ミライはパン、と手を叩いた。 ポケモンの身体を労わって、モンスターボールから出すのは体力を回復した後に……と思っているのだ。 何も考えていないように見えて、本当はとても優しくて、いろんなことを考えている。 ミライは改めてアカツキを見直した。 彼女がそんな風に思っているとは露知らず、 「なあ、ミライ」 「なに?」 「この辺にポケモンセンターってないのか?」 「ドラピオン……じゃなかった。ドラップを回復させるんだよね? あるよ、ポケモンセンター」 「どこに!?」 「ちょ、ちょっと……そんなに顔近づけないでよ〜……」 アカツキが食ってかかるように顔を近づけるものだから、ミライは躊躇いがちに顔を背けた。 別に、アカツキのことを汗臭いとか思っているわけではない。 ただ、こんな風に同年代の男の子に詰め寄られたことがないだけだ。 ミライがなんだか嫌がっているように見えて、アカツキは不思議なものを見るような表情を浮かべつつも、言われたとおり顔を遠ざけた。 詰め寄ったつもりなんてない。 早くポケモンセンターに行きたくて、気持ちが逸っただけだ。 それを素直に言わないものだから、ミライには少々誤解されてしまったようだが。 「ごめん、なんかビビらせちまったな……」 「え、別にいいよ」 悪意はなかったが、驚かせてしまったことに変わりはない。 アカツキは率直に詫びて、改めて訊ね直した。 「で、ポケモンセンターはどこなんだ?」 「イーストロードを、もうちょっとフォレスタウン側に向かったところにあるよ」 「そうなんだ。三年前はなかったと思うけど」 「うん。一年前にできたから」 「へえ……」 ポケモンセンターはフォレスタウンまで行かなければないのかと思ったが、そうでもなかった。 イーストロードをフォレスタウンの方に向かっていけば、ここからなら三十分くらいの場所にあるそうだ。 だが、三年前にはなかった。 アカツキの記憶に存在していないのは当然だ。 一年前にできた新しいポケモンセンターだそうだが、そんなことはどうでも良かった。 あると分かった以上、早速行くだけだ。 「よ〜し、ポケモンセンターに行くぜ、ネイト!!」 「ブ〜イっ!!」 やると決めたら、行動が早い。 アカツキはネイトと示し合わすと、駆け出していった。 「あ、ちょっと……」 ミライが止める間もなかった。 二人の姿はあっという間に木立の合間に紛れて見えなくなった。 「…………」 「…………」 ミライとチコリータは、ただ呆然と足音が遠ざかってゆくのを見送るしかできなかった。 アカツキはドラップを回復させてやりたいと考えている。 それしか考えていないからこそ、あんなに早く行ってしまったのだ。 でも、男の子らしいと思った。 周囲にアカツキのようなタイプの男の子がいなかっただけに、とても新鮮で気持ちよかった。 アカツキとネイトが消えた木立の合間を見やっていると、 「チコリ〜っ……」 チコリータが不意に小さく声を上げた。 その一声に、意識がグッと引き戻される。 「あ、そうだ……わたし、木の実採りに来たんだよね」 危うく、当初の目的を忘れてしまうところだった。 ポケモンフーズに練り込む木の実を探しに来たのだ。 チコリータに驚かされたり、野生のドラピオンに遭遇したりと、いろいろとイベントが満載だったが、やっと木の実を採取できる。 ミライは気を取り直し、木の実の採取に向かったのだが…… 「チコっ……」 後ろ髪を引かれるような、感情の奥底を揺り起こすような声音で、チコリータが嘶く。 無視するわけにはいかず、ミライは足を止めて振り返った。 チコリータが小走りに駆けてくる。 助けを求めるように、円らな瞳を潤ませながら見上げてきた。 「う……」 さすがにこれを無視するのはまずいだろう。 どうしようかと思ったが、結論は一つしかなかった。 ミライはしゃがみ込み、チコリータに目線を合わせた。 「じゃあ、わたしと一緒に行く? 木の実採ったら、ポケモンセンターに行くことになるし……一緒に行けば、アカツキに会えるよ?」 半分、苦し紛れの一言。 だが、チコリータの気持ちを上昇気流に乗せて上向かせるには十分だった。 チコリータがここまでついてきたのは、アカツキと一緒に行きたいと思っていたからだ。彼に会えると言われれば、うれしくないはずがない。 「チコっ♪」 潤んだ瞳はそのままに、チコリータは喜びにあふれた表情を見せた。 「じゃ、ちょっと待っててね。木の実を採ってくるから」 「チコっ♪」 これなら大丈夫だろう。 ミライはニコッと微笑みかけると、チコリータの頭の葉っぱに手を触れた。 どうせ、木の実を採ったらポケモンセンターに行くのだ。 フォレスタウンまでは普通に歩いても、ここからだと一日近くかかる。 だから、途中でポケモンセンターに寄って一夜の宿を取る。 そのついでに、チコリータをアカツキのところまで連れて行ってあげよう。 「よし、早く木の実を採っちゃわないとね♪」 チコリータをアカツキに早く会わせたくて、ミライは張り切って木の実を集め始めた。 Side 6 ポケモンセンターで、アカツキはネイトと二人でのんびりとくつろいでいた。 ドラップを回復させたが、激しいバトルを経験した後ということもあって、 ドラップをモンスターボールから出すより先に、少し休憩することにしたのだ。 「いや〜、やっぱ疲れるよなあ……」 「ブ〜イっ……」 額を手の甲で拭いながら言うと、傍にちょこんと腰かけたネイトが小さく頷いた。 もちろん、アカツキよりもネイトの方が疲れているはずだが、それについては何も言わない。 言わなくても分かっていることだから。 無理に気を遣う方が、逆に気を遣われる方にとってはあまり喜ばしくないのだ。 「でも……」 アカツキが握ったモンスターボールに目をやるだけで、ネイトも疲れが吹き飛ぶような喜びを感じていた。 初めてポケモンをゲットしたのだ。 仲間が増えたと、ネイトも分かっている。 先ほどまで戦った相手だけに、すぐに心を許せるかどうかは分からない。 だけど、一緒に旅していく仲間なのだから、仲良くしたいと思っている。 「生まれて初めてゲットしたんだ〜。すげぇうれしいや」 先ほどはコラッタをゲットするのに失敗してしまったが、その失敗を帳消しにしてもお釣りが来るほどの大勝利だ。 いかにも強そうなドラピオンだから、フォレスジムでのジム戦でデビューすることになるだろう。 ポケモンをゲットするのは、トレーナーの醍醐味だ。 苦戦してゲットした分だけ、喜びも大きくなる。 今でも、ゲットした直後の興奮が冷めやらない。 とはいえ、ミライが木の実を投げてくれなかったら、負けていただろう。 そう考えると、やはりトレーナーとしてはまだまだ駆け出しなのだと思い知らされる。 だけど、誰だって最初は素人だ。 それを恥じたりする必要はない。 「これからは、もっと簡単にゲットできるようにならなきゃな♪」 毎回こんなに苦戦していたら、ネイトがどれだけ頑張っても追いつかないだろう。 アカツキとしても、不必要にネイトにダメージを負ってもらいたくないのだ。 それからしばらく、火照った身体と心を落ち着けていたが、 「よし、ドラップを出してやろう!!」 「ブイっ♪」 アカツキの言葉に、ネイトは待ってましたと言わんばかりに嘶いた。 幸い、丸太を並べたような塀に囲まれたポケモンセンターの庭先には、トレーナーやポケモンの姿はない。 思いきりじゃれ付いたり遊んだりしても問題ないということだ。 そうと分かれば、早速、庭へ。 一人と一体には広い庭だったが、ドラップが出てくれば、多少は狭く感じるのかもしれない。 先ほどは獰猛さを前面に見せ付けてくれていたが、今はどうなっているのか…… 逸る気持ちに背中を押されるように、アカツキはモンスターボールを軽く頭上に放り投げた。 「ドラップ〜、出てお〜いで!!」 呼びかけると同時に、ボールが口を開き、中からドラップが飛び出してきた!! 「…………?」 外に出てきたドラップは、訝しげな表情で周囲を見渡した。 オレ、なんでここにいるんだ? そう言いたげな表情だったが、アカツキは気にせずに話しかけた。 「よっ、ドラップ!!」 「……!?」 突然横からかけられた声に、ドラップは一瞬身体を震わせながらも、さっと振り向いてきた。 「ブイっ♪」 ネイトも、前脚を上げて挨拶する。 先ほどまでは敵同士だったが、今では共に旅をする仲間だ。 そこのところの気持ちの切り替えは、アカツキと同様に凄まじく速かった。 「…………」 ドラップはアカツキとネイトと、交互に視線を向けた。 二人して、ニコニコ笑顔を向けてくる。 野生だった頃とは違って、問答無用で襲いかかってきたりということはないが、それでも親近感のようなものは抱いてくれていないらしい。 アカツキは笑顔を向けながらも、ドラップがちょっと距離を置いているように感じられた。 だが、ゲットしたからと言っていきなり仲良くなれるわけではないし、そこのところは時間をかけてコミュニケーションを深めていけばいい。 持ち前の、楽天的な考え方(ポジティブシンキング)で、この場を乗り切ることにした。 「オレ、アカツキってんだ。こっちはネイト。一緒に旅することになるけど、よろしくっ!!」 元気に声をかけて、手を差し出す。 ドラップが握り返してくるとは思っていない。 そもそも、腕の先にはハサミのような鉤爪がついているのだ。握ろうにも握れないだろう。 いや、それ以前に、軽いスキンシップの代わりにでも、差し出した手に触れてくれれば万々歳だ。 しかし、アカツキの期待を裏切り、ドラップはそっぽを向いてしまった。 「あれ?」 一言も発することなく、近くに生えた木の傍まで歩いていき、枝先に生った木の実を頬張った。 これにはアカツキもネイトも拍子抜けするしかなかったが、 「やっぱ、さっきのバトルの興奮が抜けきってねえのかなあ……」 あまりに素っ気ない態度に、ちょっと淋しくなってしまったが、先ほどのバトルのことを考えれば、無理もないと思った。 アカツキ自身、ドラップをゲットした時の興奮が抜けきっていない。 実際にネイトと激しく戦っていたドラップが興奮状態を引きずっていたとしても、 それはそれで仕方ないことだろうし、伸された相手にいきなり馴れ馴れしくするということもできないだろう。 素っ気ない態度ではあったが、いきなり攻撃されなかっただけでもまだマシだと、アカツキはそういう風に考えていた。 少し時間を置けば、気持ちも落ち着くはずだ。 その時に、改めてスキンシップを図ろう。 今はドラップに外の空気でも満喫していてもらおう。その方がいい。 「ネイト、戻ろうか」 「ブイ?」 本当にいいの? 不思議そうな顔で見上げてくるネイトに微笑みかけ、アカツキは頷いた。 「ドラップはさ、ちょっと気が立ってるんだよ。少し落ち着いてからの方がいいと思う」 「ブイ〜っ……」 それなら仕方がない。 アカツキにはアカツキなりの考えがあるのだから、彼に任せよう。 ネイトが納得したのを見て、アカツキはロビーに戻ろうと歩き出そうとして―― 「チコっ♪」 どこかで聞いた声に、動きかけた足が止まる。 ロビーから、チコリータが走ってくるではないか。 「あれ? もしかして……」 どこかで聞いた声かと思ったら、どこかで見たチコリータ……先ほどミライを驚かせていた、あのチコリータだった。 「ミライまで……どうしたんだろ?」 チコリータに少し遅れて、ミライもロビーから出てきて、こちらに向かって歩いてくる。 心なしか、表情が明るく見える。 木の実を手に入れて、満足したのだろう。 それはともかく、アカツキは歓喜の表情で飛びかかってきたチコリータを慌てて受け止めた。 「わっ……!! おい、いきなり飛びつくなよ……」 「チコチコ〜っ♪」 アカツキの胸に飛び込んだチコリータは、彼の腕の中でもぞもぞと動いてじゃれ付いていた。 「困ったヤツだなあ……」 などとは言いながらも、アカツキもまんざらではなさそうだった。 その証拠に、口の端が緩んでいる。 元々ポケモンと触れ合うのが大好きだったし、先ほどは何気に仲良くなっていたのだ。 しかし、一体どうしたのだろう。 こんなところまで追いかけてくるとは…… 「よしよし」 頭の葉っぱを撫でながら、アカツキはじゃれ付くチコリータをあやしていた。 わざわざ追いかけてきたくらいだ。 きっと、何かあったのだろう。 と、そこへミライが傍にやってきた。 「ミライ。木の実は採れたみたいだな」 「うん。おかげさまで」 言葉をかけると、ミライは笑顔で頷き、腕にかけていたカバンを軽く左右に揺らしてみせた。 大収穫とでも言いたそうだった。 そんな彼女に、質問をぶつける。 「それはいいんだけどさ、このチコリータ、どうしたんだ? ミライが連れてきたんだろ?」 「うん、まあね」 ミライは他愛ないことだと言わんばかりに頷いてきた。 「チコリータが、アカツキに会いたがってたから連れてきたの。 ほら、さっきはドラップを回復させるんだって、いきなり走り出したから、唖然として置いてきぼり食らっちゃったのよ。 わたしはフォレスタウンに帰る途中だし、ここに泊まってくから、ついでに連れてきたってわけ」 事情説明を受けて、アカツキはようやく合点が行った。 チコリータは、自分に会いたがっていたのだ。 もちろん、そこのところの理由はよく分からなかったが。 だけど、会いたがってくれたという気持ちはとてもうれしかった。 それは好意から来るものだし、向けられて悪い気はしない。 「そっか……良かったな〜」 「チコっ」 アカツキの言葉に、チコリータは顔を上げて大きく嘶いた。 「ブイ〜っ♪」 友達が来たと、ネイトも喜ぶ。 ドラップは木の実を頬張りながらその様子を見ていたが、すぐに興味を失ってか、たわわに実った木の実に目を向けた。 誰が来たかと思えば、先ほど自分のことを怖がってミライの後ろに隠れていたチコリータだ。別に、どうでもいい存在だった。 ドラップがそんな風に思っているとは露知らず、アカツキはチコリータを抱いたままの状態で声をかけた。 「ここまで来てくれたんだもんな。ありがとさん」 「チコっ」 仲良くなってくれたんだから、これくらいは当然さ♪ チコリータの元気な声に、思わず胸が躍る。 「チコリータったら、本当にアカツキに会いたかったみたい。あっという間に仲良くなっちゃったからかな?」 「そうかもしんないな」 頷いてはみたものの……何か違うと思った。 アカツキはチコリータを地面に下ろすと、しゃがみ込んでその視線に合わせた。 じっと見つめ合う瞳と瞳。 チコリータは何か期待するように、ニコニコしていた。 「またオレやネイトと一緒に遊びたいのか?」 「チコっ♪」 かけた言葉に、二つ返事で頷く。 言葉が完全に通じているわけではないにしろ、気持ちが双方向(パラレル)で通じ合っているのだろう。 「ん〜……」 なぜか、それだけではないような気がする。 遊びたいだけなら、先ほど十分すぎるほど遊んだはずだ。 ドラップとバトルして、ゲットした現場まで歩いていた時も、いろいろと話をしたりした。 「あ、もしかして……」 「……?」 アカツキは何か思いついたようにポンと手を打ったが、ミライは何がなんだか分からないようで、訝しげに眉根を寄せた。 アカツキはチコリータに視線を向けたまま、もう一度訊ねた。 「遊ぶだけじゃなくって、オレたちと一緒に行きたいとか?」 「チコリ〜っ!!」 「ええっ!?」 チコリータはそうだと、大きく嘶き。 一方、ミライは信じられないと、素っ頓狂な声を上げた。 二つの声が絡み合いながら、森に響く。 「そっか〜」 妙な取り合わせの声が響く中、アカツキは笑みを崩すことなく、チコリータの頭の葉っぱをゆっくり撫でた。 どうして一緒に行きたいと思っていることが分かったのか……正直、アカツキ自身にもよく分からない。 なんとなく、そんな気がした……としか言いようがない。 もしかしたら、そういった直感的な勘の鋭さもトレーナーとしての素質の一つなのかもしれない。 「じゃ、一緒に行くか?」 「え……」 一緒に行きたいのかということを確かめたかと思えば、すぐに一緒に行くかと誘うとは。 決断の早さというか、途中経過をすっ飛ばした理論展開というか……ミライは呆然とするしかなかった。 チコリータはどうやらアカツキと一緒に行きたいらしい。 頭の葉っぱがユラユラと左右に揺れていることから考えても、チコリータの気分はノリノリなのだろう。 アカツキが誘うのも無理はないのだが…… 「チコっ♪」 チコリータがあっさりと頷いたものだから、話はまとまってしまった。 「…………」 いくらなんでも早すぎ。 口を挟む間もなく、アカツキとチコリータの間で話がまとまってしまったのだ。 一緒に行きたいと思っていることを見抜いたからこそ、アカツキもチコリータを誘ったのだ。 そして、チコリータは彼の誘いに乗った。 一緒に行くことを選んだ。 「よし、決まりだなっ」 「ブイ、ブ〜イっ♪」 予期せぬ形とはいえ、チコリータもドラップと同じく、共に旅をする仲間になった。 「じゃ、これからよろしく!!」 「チコっ♪」 アカツキが差し出した手に、チコリータは頭の葉っぱを軽く乗せた。 それが、チコリータなりの『よろしく』の仕草だった。 かすかに暖かく、適度な水分を帯びたその葉っぱの感触に、アカツキはチコリータが本当に自分たちと一緒に行きたいと思っていることを察した。 これもまた、直感としか言いようがなかったが。 「じゃ、キミに名前つけてあげるね。チコリータだから、リータ、でどうかな?」 「チコリっ♪」 あまりに単調なネーミング。 だけど、チコリータはそれが気に入ったらしい。 シンプル・イズ・ベストということだろうか。 そこのところはドラップもネイトも同じだったが、本人が気に入っているのなら(ドラップは気に入っているか分からないが)それでいいのだろう。 「じゃ、よろしくな、リータ」 「チコっ♪」 チコリータ……リータも一緒に行くことになったということで話がまとまって、アカツキは木の実を頬張っているドラップを呼んだ。 「お〜い、ドラップ〜!! こっち来いよ〜!!」 声を張り上げ、手を大きく振った。 しかし、ドラップは興味がないのか、チラリとこちらを向いたかと思えば、すぐに木の実に視線を戻した。 「…………」 「…………」 一体どうなっているのか…… ゲットしたポケモンは、基本的にトレーナーに従順なはずなのだが……ミライは訝しげにドラップを見やった。 彼女が変に思っているのを察して、アカツキは口を開いた。 「たぶん、バトルの興奮が抜けてないんだよ。 別に、オレのことが嫌いだとかってことはないと思うからさ。ゆっくりやってみるさ」 「そう。なら、いいんだけど……」 激しいバトルを繰り広げたのは、ほんの数十分前なのだ。 興奮が冷めやらなかったとしても不思議ではない。 そう言われてみると、確かにそうだ。 ミライはあっさりと納得した。 彼女が納得したところで、アカツキはリータにドラップを紹介した。 「リータ。あいつはドラップ。 さっき見てたから分かると思うけど、オレたちの仲間なんだ。 ちょっと怖いかもしんないけど、仲良くしてやってくれよ」 「チコっ」 アカツキの穏やかな口調に、バトルの時に見せた苛烈な印象が薄れたのか、ドラップを見つめるリータの目に恐怖や戸惑いはなかった。 「さっきまで怖がってたのに……」 リータが怯えた様子を見せないものだから、ミライは本当に不思議に思った。 アカツキの言葉に安心したのだろうが、先ほどの怯えようをすぐ傍で見ていただけに、信じられない気持ちでいっぱいだった。 アカツキの言葉が、まるで魔法のように思えてならなかった。 不意に、父親からこんな話を聞かされたのを思い出す。 『トレーナーの中にはね、ポケモンとあっという間に心を通わせちゃうような人だっているんだよ。 そういう人って、きっといいトレーナーになる。 ミライも、そういう人に出会えたら、きっとポケモンのことをいろいろとよく分かるようになるよ』 「本当かもしれない……」 その時は半信半疑で聞いていたのだが、実際にアカツキがリータとあっという間に仲良くなったのを見てみると、 父親の言葉は本当だったのだと思わずにいられない。 「なんか、すごい子と会っちゃったのかも……」 アカツキがネイトとリータと三人で何やら仲良く話し始めたのを見て、ミライはそう思った。 楽しそうにしている彼らの邪魔するのも気が引けて、何も言わずにロビーに戻ることにした。 相手に対して気遣いができる少年だからこそ、アカツキもミライの気遣いにいち早く気がついた。 「あ、そうだ」 「……?」 歩き出そうとした矢先、ミライは背中に声をかけられて、くるりと振り返った。 「ミライって、フォレスタウンから来たんだろ?」 「うん」 「じゃあさ、一緒に行かない?」 どうして一緒に行かないかと誘ってきたのかは分からないが、別に嫌でもなかったから、ミライは小さく頷いた。 「え、別にいいけど……」 「よし、決まりっ。ついでに、フォレスジムの場所も教えてくれるとうれしいんだけど。 オレ、フォレスタウンには一度行ったことあるんだけど、ジムはどこにあるか分からないんだよ。 フォレスタウンに着いたら、すぐにジム戦やろうと思ってっから、場所教えてくれると助かるんだよな〜」 「いいよ(調子いいなあ……)」 快諾されて、アカツキは満面の笑みをミライに返した。 フォレスタウンに着いたら、早速ジム戦に挑む予定だから、ジムの場所でも教えてもらおうと思っただけのことだ。 ミライとしても、それくらいのことはお安い御用だった。 一応、リータに驚いてパニックに陥っていたところを助けてもらったわけだし、ドラップのせいで木の実が採れなくて困っていたのを解決してもらった。 それなりにアカツキには感謝しているのだ。 これくらいのことはお返しとしてやらないと、罰が当たるだろう。 「じゃ、よろしくっ♪」 「あ、うん。よろしく……」 アカツキが笑顔と共に差し出した手を、ミライは恐る恐る握りしめた。 「あ……」 お世辞にも大きいとは言えない手だったが、暖かかった。 なぜか驚いてしまったが、ミライ自身は驚いているとは思わなかった。 「…………?」 ミライがどうして驚いているのか分からずに、アカツキは首を傾げた。 せっかくの笑顔が台無しになってしまったが、本人はそれほど気にしていなかった。 「ミライ、どうかした?」 「え……」 アカツキの言葉に、ハッと我に返る。 「ううん、なんでもない」 「そっか。なら、いいんだけど」 アカツキは手を離した。 なんでもないと言い張っているし、変なことを抱え込んでいるわけでもなさそうだ。 それなら、余計な言葉はかけない方がいい。 アカツキはミライからドラップに視線を移すと、 「ドラップ〜。オレたち、先に中に戻ってっからな!! お腹いっぱいになったら、ちゃんと帰ってくるんだぞ〜!!」 声を大にして言いつける。 ドラップがアカツキのことを嫌っているわけではないようだし、どう接していいのか分かっていないだけかもしれない。 気持ちが落ち着くのを待とう。 ドラップは木の実を頬張りながら、チラリとアカツキの方を向くと、小さく頷きかけた。 「ドラップ……」 分かったと言わんばかりだったが、アカツキはドラップがやっと反応してくれたと、何気に喜んでいた。 この分なら、ちゃんとコミュニケーションを深めるのにもそんなに時間はかからないかもしれない。 そう思うと、肩の荷が降りたように気持ちが軽くなる。 「じゃ、先行ってるからな!!」 もう一度声をかけ、アカツキはスキップなどしながら、ネイトとリータを連れてロビーに戻った。 その足取りの軽さに、ミライは思わず笑みをこぼした。 「なんか、軽いんだか頼もしいんだかよく分かんないわ……」 ここはアカツキの変わり身の早さに呆れるべきかもしれないが、そうするつもりはなかった。 「でも、楽しい男の子だわ」 何気に、ミライはアカツキに好意を抱いていたからだ。 もちろん、異性として認識するにはお互いに子供だし、そういった感情ではない。ただ、ミライはアカツキに触発されていた。 「フォレスジムに挑戦するって息巻いてたもんね……」 陽気で人懐っこいけれど、人に気を遣うこともできる少年だ。 フォレスジムに挑戦すると言っていたが、駆け出しのトレーナーが容易く勝てるような相手ではない。 「どうせなら、頑張ってほしいなあ……」 フォレスジムのジムリーダーのことはよく知っているだけに、今のアカツキが簡単に勝てる相手ではないことも承知している。 それでも、頑張ってほしいと思っている。リーグバッジをゲットしてもらいたいとも思っている。 「ドラップが頑張ってくれたら、だけどね」 巨体を維持するのに、たくさんの木の実が必要なのだろう。 ドラップは一心不乱に木の実を頬張っていた。 ミライのことなど気にも留めていない。 だが、そんなドラップがフォレスジムでのキーマンになる。 アカツキがどんな風にドラップを戦わせるかで、勝敗が決まると言ってもいいだろう。 暇があれば、見学にでも行ってみようか。 そう思いながら、ミライはロビーへと歩き出した。 Side 7 少女がポケモンセンターのロビーへ歩き出したのを、少し離れた場所で眺めている影があった。 いや……正確には、アカツキがこのロビーに出てきて、ドラップをモンスターボールから出した直後から、庭を囲う塀の外に立つ木の上にいた。 人が乗ったら折れるのではないかと思うような枝の上で器用にしゃがみ込み、幹に片手をつく。 ずっと、その体勢でポケモンセンターの庭を眺めていた。 ……と。 ざっ…… 葉が風に擦れる音がした直後、木漏れ日が木の葉の緑に紛れていた影を照らし出す。 膝下まですっぽりと覆うロングコートをまとった、黒い塊としか言いようのない少年だった。 十代半ばだが、彫りの深い顔立ちは猛禽を思わせる。 しかし、その表情に感情は浮かんでいなかった。 それでいて、鋭い視線が、ポケモンセンターのロビーに向けられる。 ちょうど太陽の光が反射して、ただ真っ白にしか見えないが、彼はその先にあるものを見つめていた。 「……一応、見つけた。報告をしておこう……」 小声でボソボソと独り言のように言うと、コートの内ポケットから携帯電話を取り出した。 ボタンを押して、耳に当てる。 ぷるるるる……と呼び出し音が何度か響く。 彼の視線の先では、ドラップが夢中になって木の実を頬張っている。 人間の数十倍、あるいは数百倍は鋭い感覚の持ち主であるポケモンですら、木の枝の上で悠然とたたずむ少年の存在に気づいていなかった。 当たり前である。 気づかれないように気配を完全に消しているのだから。 ポケモンにさえ気取られないような気配の消し方とはいかなるものか……? それは、彼にしか分からない。 ドラップのうれしそうな表情を見るうち、電話が通じた。 『ソウタか。電話をかけてきたということは、見つけてくれたのかな?』 「ええ……見つけたんで、一応連絡を差し上げようかと思って」 機嫌のいい声に反応するように、ソウタと呼ばれた少年も口の端に笑みを浮かべた。 電話の相手は自分よりも幾分も年上ではあるが、なかなかどうして親近感の持てる好青年だ。 それでも、立場上は上司と部下。 ある程度はTPOを使い分け、敬語だって使う。 『そうか。我々が探していた『モノ』に違いないのかね?』 「たぶん。それも、なかなか強そうでね…… この場でバトルできないのが残念で仕方ないよ。まあ、任務だから、仕方がないけれど」 『ならば、君の見せ場をもっと増やすように、作戦を練り直そう。 ところで……ヤツらの追跡はないだろうね?』 「ないよ。それは間違いない」 訊ねられ、ソウタは改めて周囲の気配を探ったが、木の実を頬張っているドラップ以外の気配は感じられなかった。 『そうか。ならば、いい』 相手は、一言一言区切って言った。 何かを教え込もうとするような口調だったが、ソウタは取り合わなかった。 分からない以上、訊ねたところで意味がないし、今彼が請け負っている任務は、電話で長々と話すことではないのだ。 電話口の相手は、それから何やら小声でブツブツつぶやいていた。 もしかしたら、策をめぐらせているのかもしれないのだが、何を言っているのか、耳を澄ましても曖昧にしか聞き取れない。 相手の言葉を待つのも面倒なので、ソウタは思い切って切り出した。 「追跡はない。この場で取り戻せって言うなら、やるけど」 自分の任務は、目の前にある。 それをこなすために自分がいる。 ならば、答えは簡単だった。 意識をドラップに向けようとした矢先、相手が声を出した。 『いや、そこではやらない方がいい。 君なら大丈夫だと思うが、追跡がないか、念入りに確認してもらおうか。 あの性悪女は、犬のような嗅覚を持っているからな。どこから嗅ぎつけてくるか分からん。 警戒は厳重に厳重を重ねても重ね過ぎることはない』 追跡者(ウォッチャー)が見ていることも知らず、ドラップは満足げに木の実を頬張っている。 他にすることはないのかと、見ている側が思ってしまうほど長閑だが、任務に私情は挟まない。 やる気になっていたソウタに水を差すように、待つようにと言った。 『野生であればすぐに仕掛けてもいい。 だが、君のいる場所はポケモンセンターのすぐ傍なら……トレーナーにゲットされたのだろう? ならば、ここで仕掛けるのは得策ではない。ゲットされた時点で手違いだが……』 「フォレスタウンに行くと言っていた。そこで仕掛けるか?」 『そうだな。つかず離れず、常に一定の距離を保ちながら移動してくれ。 万が一ヤツらが君を監視しているとしたら、君が仕掛けた隙を突いてくる可能性も否定できない。 だから、フォレスタウンに着いたら、他の団員を応援に回そう。 いろいろとやらなければならないから、多くは回せないが……やれそうか?』 「無論」 『そうか。ならばいい』 相手の声が上向く。 どうやら、一連の策が練り上がったらしい。 『では、こちらもいろいろと準備をしなければならない。 君がフォレスタウンに到着する頃には、手勢を派遣しよう。裁量は君に任せるが、くれぐれも抜かりのないように』 「了解。これで通信を終わる」 『何かあったら連絡を入れてくれ。適宜対応する』 「分かった」 頷くが早いか、ぶちっ、という耳ざわりな音がして、通話が終わる。 ソウタは片手で携帯を二つに折りたたむと、ズボンのポケットに放り込んだ。 ドラップに視線を据えたまま、小さくつぶやく。 「念入りなことだ。すぐにでも仕掛けられるものを……」 何を恐れているのか、電話口の相手はずいぶんと慎重だった。 誰も自分を追跡することなどできはしないというのに、必要以上に気にしていた。 「まあ、いい。戦力は多ければ多い方がいいからな……さて」 ドラップが顔を動かしたのを見て、ソウタは木の枝から飛び降りた。 十メートル近い高さから飛び降りても、足音はほとんど立てなかった。隠密行動はお手の物なのだ。 「…………?」 気のせいか? ドラップは先ほどまでソウタが佇んでいたあたりに視線を向けたが、何もなかったし、気配も感じられなかった。 まさか、監視されていたなどとは夢にも思うまい。 しばらく視線を虚空に留めていたが、やがて興味を失って、再び木の実をパクつき始める。 三度の食事よりも木の実が大好きなのだ。 ドラップでさえ何も気づかなかったのだから、ロビーに戻ったアカツキとミライがソウタの存在に気づくはずもない。 当人以外誰も知らないような、一連のやり取り。 このやり取りが、波乱の幕開けになろうとは、誰も知る由はなかった。 第3章へと続く……