シャイニング・ブレイブ 第3章 仲間の意味 -Understanding-(前編) Side 1 ――レイクタウンを旅立って3日目。 アカツキたちは、初めてのジム戦を挑む街フォレスタウンにたどり着いた。 「フォレスタウン……やっと着いた〜」 木を切り抜いて作られたゲートをくぐったところで立ち止まり、アカツキは感慨深げにつぶやいた。 周囲はどこもかしこも緑、緑、緑…… 森の中に築かれた街なのだから、それは当たり前のことだ。 だが、森の中に作られた街というよりも、街の外側を森がすっぽりと囲んでいるといった印象を受けた。 レイクタウンもそれなりに自然豊かな街だが、ここと比べたら確実に劣るだろう。 森のドームの中にある街は、大自然の息吹を肌で感じない場所がないと思えるような、新鮮な空気に満ちていたからだ。 「街の中にいるなんて信じられないや……」 木々の色に、木の葉の緑に溶け込むように、人家が点在している。 これでは、街というよりも、どこかの国の少数民族が居を構える森の野営地と思う方が自然だろう。 「でも、ここがフォレスタウンなんだよ。 アカツキは二回目なんでしょ? 今さら驚いててどうするの」 興味深げな視線を周囲に注いでいるアカツキを横目で見やりながら、ミライは呆れたように言った。 「そりゃそうなんだけどさ……やっぱ、変わってないなあ……って」 「当たり前よ。変わるわけないじゃない。ディザースシティじゃあるまいし」 「う〜ん、そう言われちゃうとなぁ……」 三年前に見た景色と変わらない。 記憶のタンスにしまいこまれていた写真と、目の前の景色がピッタリと合致した。 三年も経てば、少しは変わっているのではないかと思っていたが、驚くことに、まったく変わっていなかった。 アカツキが驚いたのはそこだったのだが、ミライは事も無げに彼の驚きの一言を撃ち落とした。 森の中に築かれた街が、そう簡単に変わるはずがない。 変える場所が出てくるとしたら、それは元ある自然を幾分か削るなり何なりしなければならないのだ。 だから、フォレスタウンの住人は、可能な限り宅地開発などはせず、代わりに地下に住居を新設するなどして、人口増加に対応してきた。 豊かな自然が維持されている背景としてそのような努力があったことを知るミライにとっては、そんなことは当たり前。 それはいいとしよう。 フォレスタウンの出身なのだから、そう言うのは当然だ。 しかし、だからといって一刀の下にバッサリ斬り捨ててしまうのはどうか。 ミライのあまりに非人道的な(アカツキ的に……)振る舞いに、アカツキはしばらく何も言い出せなくなってしまった。 出会ったばかりの頃は、何かと驚いたりして、内気な性格を存分に披露していたのだが、 出会ってからたったの一日で、アカツキが驚愕するほど変わった。 自分がお姉さんであることが分かったせいか、彼の言葉にツッコミを入れたり、妙に構ってきたりと、なんだかやりにくくなってきたのだ。 もっとも、ミライがそうやって変わったのは―― 変われたのは、アカツキが勝ち負けを度外視した『意地の戦い』をドラップ相手に繰り広げたことが理由だった。 何があってもあきらめずに戦い抜こうとする少年の気概に、ミライは心を突き動かされたのだ。 それから何があったのか。ちょっと、ハリネズミのようにトゲトゲしくなった。 気軽に話しかけづらくなって、アカツキだけではなく、彼の傍らに佇むネイトやリータまでどう接すればいいのか分からずに困惑していた。 「……どうしたの?」 急にアカツキが黙りこくって、ミライは怪訝そうな表情で振り向いた。 陽気で明るく人懐っこい少年のはずなのに、一体どうしたというのか。 自分が黙りこくる原因を作ったのだということも、どうやら理解していないらしい。 「え……」 声をかけられて数秒が経って、アカツキはハッと我に返った。 さすがに『ミライがバカみたいにツッコミ入れるから、何も言えなくなったんだよ』なんてことは口が裂けても言えなくて、別の言葉で代用した。 「ジム戦のこと、考えてたんだよ……」 「そっか……」 「最初のジム戦だし、やっぱ考えることとかあるだろ?」 「そうだよね」 案の定、ミライはそれ以上何も言ってこなかった。 ジム戦というのは、ネイゼルカップに出場するトレーナーにとって大事なものだと分かったからだろう。 彼女が食いついてきたのを見て、アカツキはさらに言葉を発した。 先ほどまで少しヘコんでいたことを忘れようとするかのように。 「ガンバりゃ勝てると思うけど、やっぱジムリーダーって強いんだろうし……」 「強いよ。弱ければジムリーダーなんて務まらないもの」 「そうだよな……」 だが、せっかくの言葉も空回り。ミライはまたしても事も無げに突っ込んできた。 「…………」 ジムリーダーが強いのは当たり前だ。 普通のトレーナーより弱いジムリーダーなど、ジムリーダーではない。 ポケモンリーグだってそんなトレーナーにジムリーダーの任を与えたとなれば、組織の沽券にも関わる。 しかし、アカツキはここに来て、ジムリーダーは強いトレーナーなのだと思った。 今の自分で勝てるだろうかと、不安になってきたのだ。 頼りになるパートナーが傍にいるのに。いると分かっているのに。 いざ目前にジム戦が迫っているとなると、それ相応の気構えが必要となる。 今の自分がその気構えを有しているのか……それが分からなくて、不安になる。 陽気で明るく人懐っこい少年らしからぬ発想だが、もちろん緊張や不安と無縁の生活を送ってきたわけではない。 格闘道場で昇級試験を行った時などは、今とは比べ物にならないほど緊張して、前日はほとんど眠れなかった。 もちろんすべて一発でパスしてきたが、それは気力を振り絞って頑張った結果。 「でもね……」 ジム戦に対する不安と緊張でいっぱいのアカツキにニコッと微笑みかけ、ミライは彼の肩にそっと手を置いた。 「……?」 アカツキは知らず知らずに俯いていたことに気づき、顔を上げた。 「アカツキなら勝てるよ。ドラップだってゲットしちゃったじゃない。 わたしから言わせれば、あれは大金星だよ。あんなことができちゃったんだもん。ジム戦だって勝てるよ」 「……ありがと。そうだよな」 まさか、励まされるとは思わなかった。 女の子に……しかも、昨日までは自分とは比べ物にならないほど臆病で小心者だった相手に励まされたのだ。 男の子としては落ち込むところだったのだが、アカツキに限っては逆だった。 「ミライに励まされるなんて、オレらしくないもんな。もっとオレらしく行かなきゃっ!!」 自分らしくない。 誰かに励まされるのではなく、自分から誰かを励ます方だ。 アカツキは自身の性格をよく理解しているから、そういった発想を抱ける。ポジティブシンキングの為せるワザだろう。 どちらにせよ、ミライのおかげで、下降気味だった気持ちを再び上向かせることができた。 この分だと、上昇気流をとらえて、どこまでも高く舞い上がってゆけるだろう。 「ドラップだってゲットできたんだ。ガンバりゃ勝てる!! な、ネイト、リータ?」 自分の気持ちが間違っていないと確認する意味も込めて、アカツキはネイトとリータに言葉をかけた。 すると、二人してパッと表情を輝かせて、 「ブ〜イっ♪」 「チコっ!!」 当たり前だと言わんばかりに声を揃えた。 『自分たちがいれば、負けなどない。大船に乗った気持ちでいろ』と言われているようで、アカツキも安心した。 「さ〜て、ジム戦に行くぞ〜っ!! おーっ!!」 行き交う人がいないこともあって、アカツキは握り固めた拳を天に向かって突き上げ、大きな声で叫んだ。 アカツキがいつもの調子を取り戻したと、ミライは微笑んだ。 自分を元気付けてくれる、明るい少年でいてほしい。 だから、元に戻ってくれただけでもうれしい。 ミライとしては、別に彼を元気付けるためだけに『アカツキなら勝てるよ』などと言ったわけではない。 本当に勝てるかもしれないと思ったからだ。 「フォレスジムはね、このまままっすぐ行って、ポケモンセンターの傍の交差点を左折した道の先にあるよ。見れば分かると思うから」 「そっか。ありがと!!」 ついでだし、フォレスジムの場所を教えておこうというつもりで言ったのだが、アカツキはミライの手を取って、笑顔で礼を言った。 「あ……うん。別にこれくらいは……」 いきなり手を握られたことに驚きつつも、ミライはなぜか顔を赤くした。 心臓が口から飛び出すような気持ちに襲われたが、なぜだかそれを不快とは感じない。 本当に不思議な気持ちだったが、アカツキはすぐに手を離し、 「オレはこれからジム戦に行くよ。ミライは家に帰るの?」 「うん。ポケモンも待ってるし……木の実だって、日持ちはするけど、いつまでもこのままにしておくわけにもいかないから。 ポケモンに食べさせるお菓子を作るの」 「そっか。お互いにガンバろうな♪」 「え、うん……」 お互いにやるべきことがある。 ライバルでもなければ、純粋に比べられるようなことでもない。 切磋琢磨と言うには離れすぎていても、お互いに頑張りたいと思えることがあるというのは、とても良いことだ。 アカツキはフォレスジムに挑戦すること。 ミライは家に帰って、ブリーダーとしてポケモンフーズを作ること。 それぞれの夢のために踏み出す一歩。 歩幅は違っていても、踏み出す一歩の価値は変わらないのだ。 「よし、それじゃあ行こう!! またな、ミライ!!」 「またね」 アカツキはネイトとリータを引き連れて、駆け出した。 まだアカツキのペースに慣れていないのか、リータは一瞬置いてきぼりを食らったが、必死に走って、すぐに追いついた。 それでも、リータだけが全速力のように見えたのは気のせいだろうか……? そんなことを思いながら、ミライは一人と二体の背中を見送った。 「なんか、頼り甲斐があるっていうか、危なっかしいっていうか……」 あまりの行動力の高さに感動すればよいのか、それとも呆れればよいのか。 それもよく分からなくなってくるが、どっちでもいいように思えた。 「でも、これがアカツキって子なんだもんね。なんだか、羨ましいなあ」 ふっと、小さく息をつく。 緩やかにカーブした道の向こうにアカツキの姿が消える。 自分ももう少し積極的になることができたら……そう思わずにはいられないほど、彼はまぶしかった。 しかし、いつまでもこんなところで突っ立ってるわけにもいかない。 家では、ミライの帰りを今か今かと待ち侘びているポケモンがいるのだ。 それに、街の外へ二日がかりの木の実収穫に赴く娘を心配する母も、気が気ではないのかもしれない。 「わたしも帰らなきゃね。 パチリスも待ってるし……美味しいポケモンフーズ、作ってあげなきゃ♪」 子供の頃からずっと一緒にいたポケモンだ。 ネイトほど積極的ではないが、愛嬌が良くて人懐っこいことから、ミライの家族だけでなく、周囲からも好かれている。 パチリスに早くポケモンフーズを食べさせたいと、ミライは鼻歌など交え、スキップなどしながら家路についた。 一方、フォレスタウンの大通りとも言える『サークルライン』に入ったアカツキは、 ミライに言われたとおり、ポケモンセンターの傍の交差点を左折、北へと進路を取った。 『サークルライン』とは、フォレスタウンの中央に位置する『森の広場』をぐるりと囲むように設けられた環状の道を指す。 フォレスタウンでは『サークルライン』と、『森の広場』で交差する十字路が主な生活道路なのだ。 「なんていうか、本当に変わってないし、走ってて気持ちいい♪」 イーストロードと同じく、土をローラーで踏み固めただけの道だが、土を踏みしめる足裏の感触が、なんだか足に馴染んでいる。 それに、森の新鮮な空気が肺を満たし、心まで潤してくれるようだった。 先ほどまで不安がっていたことなど、まるで遠い世界の出来事だと言わんばかりに、アカツキは清々しい気分で道を走っていた。 フォレスタウンは森の中に築かれた街ということもあって、住人はレイクタウンよりも少ない。ネイゼル地方の街では、最も人口が少ないのだ。 ゆえに、人家もそれほど建ち並んでいない。 通りの両脇にポツンポツンと点在する程度で、いずれも森の景色に溶け込むような保護色で外観を統一している。 機能的で無駄のない佇まいなどアカツキには分からないが、レイクタウンと違った街並みに、新鮮さを感じていた。 「やっぱ、レイクタウンとは違うんだよなあ……」 三年前に来た時と変わっていないのは、この辺りも同じだった。 フォレスタウンの中心部である『森の広場』の周囲に主要な施設が揃っている。 役所や森林警備隊の詰め所、商店街など、広場から十字に伸びる道の延長線上に建ち並んでいるのだ。 無論アカツキには関係ないが、ジム戦が終わって一区切りついたら、ネイトとリータと、今はボールの中でのんびりしているドラップも出して、四人で街を練り歩いてみたい。 せっかく生まれ育った街から離れたのだ。 他の街がどうなっているのか知りたいし、両親や兄への土産話にもなるだろう。 でも、今はジム戦が最優先。 それを置き去りにして別のことをやろうという気にはなれない。 「とりあえず、ネイトもリータもドラップも元気っぽいし、ポケモンセンターには寄らなかったけど……問題ないよな」 交差点ではまっすぐ北を向いていた『サークルライン』も、やがて緩やかにカーブして進路が東に変わる。 カーブを思いきり走り抜けながら、アカツキはジム戦に想いを馳せた。 途中にポケモンセンターがあったが、立ち寄らなかった。 ジム戦の前にはポケモンのコンディションを完璧にしておくという意味で、ポケモンセンターに寄っていくトレーナーの方が多いのだが、 アカツキはネイトとリータが元気なのを見て、寄らなかった。 ドラップは身体が大きいし、こんな風に走るのは苦手だろうから……という配慮でモンスターボールの中に入れたまま。 動いていないのだから、疲れているはずがないし、コンディションもいいだろう。 そんな判断もしてみたのだが、間違ってはいなかった。 ネイトと家族同然に暮らしてきたアカツキには、少なくともネイトのコンディションは見ただけで完璧に把握できる。 ジム戦では一番手を任せようと思っているので、元気であれば問題ない。 「リータはちょっと無理っぽいし、やっぱドラップだよな……」 アカツキとしては、今回のジム戦ではリータを出さない方針でいる。 ネイトほど戦い慣れているわけでもなさそうだし、 そもそもどれほどの実力を宿しているのか分からないポケモンをジム戦でいきなり投入するのは危険だ。 それくらいは、アカツキですら分かる。 その点、ドラップは期待の新星として投入決定。 ネイトをあそこまで追い詰めるだけの実力があるのだ。 即戦力として期待できるし、下手をすればネイトを追い越してチームのエースにのし上がるのかもしれない。 これはぜひ、ジム戦では活躍させてやりたいところだ。 「リータはこれからってことで……」 リータには悪いが、フォレスジムのジム戦は見学だ。 ジム戦が終わったら、リータの育成も兼ねて、少し特訓でもしてみようか。 そんなことを思っていると、道の両脇にツリーハウスが建ち並び始めた。 「あれってツリーハウスだよな。 確か、前の旅行で泊まったのも、ツリーハウスのホテルだったっけ……」 アカツキはツリーハウスを見やりながら、旅行で泊まった場所のことを思い返した。 ネイゼル地方でも、フォレスタウンにしか存在しない建物がツリーハウス。 名前通りの建物で、樹齢数百年を越える太い木の中をくり貫き、防腐処理を施した上で民家として使えるように改良したものだ。 とはいえ、枝からはちゃんと葉っぱが生えているし、夏でも冷房が要らないくらい、中は涼しい。 どういう仕組みになっているのかと、八歳だったアカツキは不思議がって両親を質問攻めにしたほどだ。 ちょうど、アラタがアッシュの看病に明け暮れていて、兄のいない寂しさを紛らわすようにして、困らせるくらい両親に質問を投げかけていた。 結局、納得できる答えは得られなかった。 両親も、どういう仕組みなのかよく分からなかったので答えようもなかった。 そもそも、子供の『どうして』から始まる問いかけは、博識な大人でもまともに答えられないものがほとんどだったのだ。 ツリーハウスは木の皮を壁代わりにしていることから、余計なペインティングはなく、一棟一棟の見た目が異なっているのが面白い。 また、隣り合ったハウスと橋で結ばれていて、わざわざ下りて外に出て行かなくても行き来できるようになっている。 俗に言う連絡通路というものだが、レイクタウンにはないものなので、アカツキの目にはとても新鮮で素晴らしくて効率的に見えて仕方ない。 「ああいうトコで住むのもいいかもなあ……」 ツリーハウスで過ごした旅行先の夜は、とても快適だった。 自然に抱かれているようで、心がとても落ち着いて、よく眠れたのを覚えている。 こういう場所に住むのも悪くないと思ったが、やはりレイクタウンが一番だ。 ここよりは都会だろうが、それでもネイゼル地方では田舎町の部類に入る。 レイクタウンで生まれ育ったアカツキには、レイクタウン以上に住みやすい街など考えられなかったのだ。 ツリーハウスを横目に通り過ぎ、カーブも終わったところで、『森の広場』の真北に位置する交差点に出る。 人通りは相変わらず少なかったが、それがまた大自然の中にいることを実感させる。 ……と、アカツキは交差点の先に、周囲のそれとは一風変わった建物を見つけた。 「ん? あれって……」 交差点の手前で足を止め、変わった建物に目を留める。 「ブイ〜っ?」 「チコ?」 ネイトとリータもアカツキの横でピタリと立ち止まり、トレーナーと同じ建物に視線を向けた。 「……もしかして、あれがフォレスジム?」 その通りだった。 道を挟んだ向こう側に、『フォレスジムはこちら。挑戦者諸君をお待ちしております』と、丁寧な書体で簡素にまとめられた看板が立っている。 「…………」 その建物は二階建てで、外観は鮮やかな緑で彩られている。 それだけなら、今まで見てきた人家と大差ないのだが、傾きのある屋根には葉っぱのようなものが敷き詰められて…… いや、屋根そのものが葉っぱを象っている。 保護色に合わせていると言っても、周囲の景観に溶け込むどころか、逆に浮き上がっているようにしか見えないのは気のせいだろうか? 「あれ、フォレスジムなんだよな? なんか、変わってんなあ……ジムって、あんなのばっかなのかなあ?」 アカツキは人目を気にすることなく、思っていたことを堂々と口にした。 ジムはその街の象徴のひとつだから、それぞれの街の特徴というか、風土というか……そういうものを前面に押し出した外観が多い。 ポケモンリーグの方針で、そう決まっているのだとか。 もっとも、普通の考え方の持ち主が見れば、変とまでは行かなくても、変わっていると映るのだろう。 「でもまあ、行ってみなくちゃな」 ジム戦をしに来たのだ。 建物の外観が気になることは気になるが、いつまでもそんなことを気にしているわけにはいかない。 「ネイト、リータ。行くぜ」 アカツキは小さく首を振って、概観のことを忘れると、歩き出した。 交差点を抜けた先にあるジムの前で足を止め、扉の傍らにあるインターホンを押す。 お決まりの呼び出し音が鳴る。 返事が来るまでの間、アカツキはジムの敷地を見渡した。 自然の中にあるだけあって、あちこちに木が植えられている。 森の中にひっそりと佇むジム……という感が否めないが、ジム戦ともなると、そうもいかないだろう。 十秒ほどが経過して、呼び出し音が完全に消えてから、返事があった。 「ジムの挑戦者の方ですか?」 大人の男の声だった。 「ジムリーダーかな……?」 アカツキは疑問に思ったが、インターホンから聞こえた声に答えた。 「はい、そうです!! レイクタウンから来たアカツキっていいます!! ジム戦しに来ましたっ!!」 「ブイっ!!」 「チコっ!!」 元気よく答えると、ネイトとリータも続く。 一人と二体の元気な返事に、インターホン越しの相手も満足したのか、柔らかい口調で返してきた。 「ふふっ、元気な挑戦者だね。ドアを開けますから、どうぞ入ってきてください。 バトルフィールドまではまっすぐ歩いていけば着きますから、迷うことはないですよ。 それでは、バトルフィールドでお会いしましょう」 「はい!!」 どうやら、この声の主がジムリーダーらしい。 ジムにはジムリーダーの他に、経理や審判といった、ポケモンリーグから派遣される補助員がいるのが通例である。 また、ジムリーダーは地域のポケモントレーナーを育てるという役目も担っているので、弟子代わりにジムトレーナーを置いているところもある。 もっとも…… ジム戦さえできればそれでいいわけで、応対に出た人が何者であろうと関係ない。 すぐにドアのロックが外されて、左右にスライドして開いた。 淡い緑の照明が天井から廊下を照らし出し、一直線に続く道を描き出す。 左右には階段や扉があるが、それが目に入らないように計算しているのかもしれない。 『バトルフィールドはこっちだから、余計な寄り道はしないでね』という意味の誘導灯だろう。 「よし……」 アカツキは照明が描き出した道の先をじっと見つめていたが、やがて意を決したように拳をグッと握りしめた。 この向こうにジムリーダーがいる。 いよいよ、ジム戦をする時が来た。 今まで、バトルらしいバトルなんてしてこなかったが、ネイトとドラップなら勝てるはずだ。 やるまえから勝てない、負ける、なんて思っていたら、勝てるバトルも勝てなくなってしまうのだ。 カイトのレックスに苦汁を舐めさせられてきたが、負け続けて悔しい思いをして勉強を重ねてきたつもりだ。 だから、少しはできると思っている。 「ネイト、リータ。ガンバろうな」 「ブイっ」 「チコっ」 ジム戦は、ドラップをゲットした時のようにはいかない。 相手もまた、自分と同じくポケモンに指示を出すのだ。人の頭が加わった戦術で、こちらを苦しめてくるはずだ。 野生のポケモンとのバトルと、ポケモントレーナー(ジムリーダー含む)とのバトルは違う。 それは分かっている。 カイトとのバトルで負け続けて、それなりにポケモントレーナーとのバトルというのは分かっているつもりなのだ。 「…………」 アカツキはジムに足を踏み入れた。 ここまで来て引き下がるなんて考えられないし、なんとしてもリーグバッジをゲットするのだ。 淡い緑の光に照らし出されながら、アカツキはただジム戦を制することだけを考えていた。 考え事をしながら歩いていたせいか、それなりに長かった廊下もあっという間に渡り終え…… その先に、フォレスジムのバトルフィールドが広がっていた。 Side 2 「ようこそ、フォレスジムへ」 「ブイ〜っ?」 「チコ……」 バトルフィールドに足を踏み入れたアカツキを出迎えたのは、二十代半ばから三十代前半の男性だった。 端整な顔立ちで、いかにも優男と言わんばかりだが、似合っているのかいないのか、茶色の髪を背中に束ねている。 もう少し若ければサマになっていたかもしれないが、さすがにトシを食いすぎている。 優しげな表情の男性を見て、ネイトは「本当にこの人が戦うべき相手なの?」と言わんばかりに首を傾げ、 リータは「なんか強そう」と言わんばかりに不安げな声を上げた。 ポケモンが相手に目を向けている一方…… 「……ここがバトルフィールドか」 アカツキは出迎えた男性になど目もくれず、目の前に広がるバトルフィールドに目が行っていた。 体育館のような空間。 壁と天井には森の風景が描かれ、地面には鮮やかな芝生が生い茂っている。 芝生の合間を縫うようにして、バトルコートが描かれていた。 ここがフォレスジムのバトルフィールドだ。 森の中にある街だけあって、ジムも森を連想させる佇まいになっている。 一通りバトルフィールドを見渡した後で、アカツキはようやっと、声をかけて出迎えた男性を見やった。 顔が合って、相手がニコリと微笑む。 「えっと……」 あんた、誰? ……とはさすがに言い出せず、アカツキは口ごもってしまった。 ジム戦をしに来たのだが、そのことさえ、どういうわけか何も言い出せない。 というのも、どこかで会ったことがあるような気がしたのだ。 もちろん初対面だし、こんな顔の人はレイクタウンにもいない。 「どっかで会ったかな……?」 どこかで会ったか、あるいは見かけただけか。 どちらにしろ、顔に見覚えがあった。 思い出そうとして考えをめぐらせていたが、今だけは積極的でない挑戦者の姿勢に業を煮やしたのか、相手が声をかけてきた。 「まあ、そんなに固くならないでね。 ジム戦って言っても、そんなに難しいことをするわけじゃないから」 「はあ……」 どうやら、緊張していると思われたらしい。 アカツキは緊張してなどいなかったが、そう思われてしまったのだから仕方がない。 曖昧な返事をして……だけど、そのおかげで相手のことなどどうでも良くなった。 どこかで会っていたにしろ、今はジム戦が最優先だ。 『ジム戦』という言葉に気持ちが釣られたのだが、結果的にはそれが幸いした。 「レイクタウンのアカツキ君だったよね」 「あ、うん……」 相手の言葉に頷く。 先ほどインターホンで応対してくれたのは、この人だったらしい。 よく聞いてみれば、この声だ。 「僕がフォレスジムのジムリーダー・ヒビキだ。よろしく」 「あ……」 ジムリーダー…… 凄腕のトレーナーゆえ、もっとゴツい顔立ちをしていたり、性格的にも厳しかったりするのではないか? 勝手にそう思い込んでいたのだが、ここのジムリーダーは穏やかな人物のようだ。 ヒビキはアカツキにとって右側のコートを指差した。 そちらを向け、と受け取って、アカツキは視線を向けた。 「君はこっちのスポットに立ってね。僕があっちのスポットに立つから」 「分かりました」 スポットというのは、バトルフィールドの両側に位置する、トレーナーのポジションのことだ。 大きさは一メートル四方だが、普通に立っているだけならそれで十分。 「じゃ、さっさと始めようか。無駄話より、バトルの方が楽しいからね」 ヒビキは口元の笑みを深めると、左側のスポットへと歩き出した。 堂々とした彼の背中を見送りつつも、アカツキは反対側のスポットへ。 「いよいよだ……」 最初のジム戦。 心は嫌でも弾んでいた。 どんなポケモンを出して、どんな戦い方をしてくるのだろう。 相手が自分とは比べ物にならないほどのキャリアを持つ凄腕のトレーナーだと言うことは知っている。 だから、楽しみなのだ。自分はそんな相手にどうやって立ち向かうのか。 スポットに立ったアカツキは、傍らに立つネイトとリータに目を向けた。 二人とも、堂々としていた。 これから激戦を繰り広げるというのに、怯えた様子など微塵も見せていない。 ネイトは当然だとしても、リータまで堂々としているとは思わなかった。 だが…… 「リータ、今回はお休みなんだ。ごめんな……」 やる気になっているとしたら申し訳ないのだが、今回のジム戦はネイトとドラップで行くと決めていた。 実力の分からないポケモンをジム戦に投入するのはあまりに無謀だ。 だから、今回はお休み。 ジム戦が終わったら、積極的にバトルをさせて、実力をつけてから次のジム戦でデビューさせればいい。 縦長のバトルフィールドを挟んで、アカツキとヒビキが向かい合う。 先ほどまでの笑みはどこへやら、ジムリーダーの表情は引き締まり、真剣な雰囲気を放っていた。 アカツキも、ニコニコ笑ってなどいられなかった。 ジム戦は真剣勝負の場。冗談や笑いなど持ち込む余地は一分とて存在しない。 真剣な表情で向き合うこと十数秒。 ヒビキが口を開いた。 「さて。バトルに入る前に、ここでのルールを説明させてもらおう」 「よろしくお願いしますっ!!」 「うん、いい返事だ」 アカツキが声を張り上げて言葉を返すと、ジムリーダーの口元にうっすらと笑みが浮かぶ。 元気のいい子供が好きなのか。 しかし、すぐに口元が引き締まる。 それとこれとは話が別だ、とでも言いたそうだ。 「ルールは、お互いに二体のポケモンを使ったシングルバトルだ。 挑戦者……つまり、君だけに、ポケモンチェンジが許される。 ただし、最初に出したポケモンと、その次に出したポケモンでしかバトルができないから、そこのところに注意してもらいたい。 それと、時間無制限の勝ち抜き戦。お互いのポケモンが二体とも戦闘不能になるか、トレーナーの降参によって決着する。 そんなところだけど、質問は?」 「ないッス!!」 「よし」 一息にルール説明を受けたが、一応バトルのルールくらいはアカツキだって知っている。 シングルバトルは、互いに一体ずつのポケモンをフィールドに出して戦う形式のことで、ごく一般的なルールだ。 アカツキだけがポケモンのチェンジを許されるが、エントリーできるポケモンが二体だけと考えると、 むしろ、ポケモンのチェンジをする方が危険だ。 出したポケモンによっては、こちらの手の内がバレてしまうからだ。 「では、フォレスジム直伝の『静と動のバトル』を堪能させて差し上げよう」 ヒビキは腰のモンスターボールを手に取ると、不敵な笑みを浮かべた。 「……? せいと、どう……のバトル? なんだそりゃ?」 アカツキは首を傾げた。 あまりに難しい言葉に聞こえて、何がなんだか分からなかったのだが……嫌でも、バトルで実感することになる。 反対側のスポットに立つ少年が何やら首を傾げているのを見て、ヒビキは内線電話で審判を呼び寄せた。 これはポケモンリーグの公式なバトルの一環である。 基本的に、公正を期す審判が必要とされている。 アカツキがあれこれと考えている間に、審判が到着した。 「アカツキ君と言ったね。 君の実力、どれほどのものか見せてもらおう。行け、ストライク!!」 審判の到着と同時に、ヒビキがフィールドにモンスターボールを投げ入れた。 放物線を描いて着弾したボールから、ストライクが飛び出してくる。 「ストライークっ!!」 フィールドに飛び出すなり、ストライクは鋭い切れ味を誇る鎌を素早く左右に振り抜いて、ウォーミングアップを始めた。 あるいは、それは挑戦者に自分の力を見せ付けているようでもあった。 無論、その程度のこけおどしで怖気付くアカツキとネイトではない。怖気付いているとしたら、リータだ。 「チコ……」 怖い……ストライクの鋭い目つきと、腕の先に生えた鎌に、恐れを抱いてしまったらしい。 しかし、出番はないから、あの鎌でどつき回されることはない。 ここは安心すべきところだろう。 「ストライクか……いきなり強そうなヤツで来たなあ」 アカツキは目つきを尖らせ、ストライクを睨み付けた。 ストライクは『かまきりポケモン』と呼ばれ、鮮やかな黄緑の身体と、腕の先にある鋭い鎌が特徴だ。 背丈はアカツキと同じくらいだが、身体つきがしっかりしており、闘争心むき出しの鋭い表情は、単なるストライクと呼ぶのを躊躇わせる。 仮にもジムリーダーが使うストライクだ。普通のストライクと違っていて当たり前。 タイプは虫と飛行を兼ね備え、高い物理攻撃力と素早さが最大の武器だ。 「虫タイプで来たんだ……なんか意外だな。でも、これじゃ弱点突けないし……」 アカツキはストライクに視線を据えたまま、ネイトとドラップのどちらを先発として出そうか迷っていた。 てっきり草タイプのポケモンを使ってくると思っていたのだが、そうではなかった。 ストライクの弱点は炎、電気、氷、岩、飛行タイプの技。 弱点となるタイプが多いポケモンだが、今のアカツキの今の手持ちでは、ストライクの弱点を突くことはできない。 そうなると、真正面からのガチンコ勝負を挑む以外になかった。 「よーし、そっちがその気なら、オレだってガチンコ勝負してやるぜっ!!」 弱点を突けない以上、真正面からぶつかっていくしかないではないか。 「ドラップは切り札ってことで残しとくとして、まずは……」 アカツキはネイトを見やった。 トレーナーの視線を受け、ネイトが顔を上げる。 「ネイト、任せたぜ」 「ブイっ!!」 ――任せておけ。 ネイトは大きな声で嘶くと、バトルフィールドに飛び込んでいった。 「チコ……」 ――大丈夫かな……? 一方、心配顔なのはリータだ。 ストライクがとても強そうに見えたので、ネイトでも勝てるのかどうか不安がっている。 すぐ傍で不安がっているのを、鳴き声だけでなく、雰囲気でも感じ取って、アカツキはリータに声をかけた。 「大丈夫だって。ネイトなら勝てるから。応援してやってくれよ、リータ」 「チコっ♪」 優しい言葉に勇気付けられて、リータは頭上の葉っぱを左右に振った。 さながら、『フレー、フレー、ネ・イ・ト!!』とでも言っているかのようだったが、それがリータの応援のやり方なのかもしれない。 応援はそちらに任せ、アカツキはバトルに臨んだ。 「ほう、ブイゼルで来るか……」 ヒビキは、フィールドで四つん這いになってストライクを睨みつけているネイトを見やった。 相性的には互角。 モノを言うのは、ポケモン自身の実力と、トレーナーの技量だ。 凄腕のトレーナーだけあって、ネイトがただのブイゼルではないとだと気づいたらしい。 もっとも、気づいたところで、フォレスジム直伝の戦い方で正々堂々撃破するだけだ。 「では、始めようか」 ヒビキの言葉に頷いたのは、アカツキではなく、センターラインの延長線上に立っていた審判だ。 審判はピンと背筋を伸ばすと、朗々と声を張り上げた。 「それではこれより、リーフバッジを賭けたジム戦を執り行います。 両者、準備はよろしいですか?」 「おう、いつでも来いっ!!」 準備が整ったかどうか、ジムリーダーと挑戦者の状態を確かめるまでもなく、 アカツキが鼻息を荒くして言葉を返したものだから、途中経過はすっ飛ばした。 審判は苦笑しつつも、すぐ表情を引きしめて、手にした旗を振り上げた。 「バトル・スタート!!」 戦いの開始を告げる声がフィールドに響き―― 「お手並み拝見と行きましょう。先手は譲りますよ」 先に口を開いたのはヒビキだったが、それはストライクに対する指示ではなかった。 「…………!?」 普通はポケモンに指示を出して、バトルを制そうと動くはずだ。 それなのに、お手並み拝見と来た。 「この人……」 ヒビキが何を考えているのか、アカツキにも分かった。 お手並み拝見などと言ってのけたが、こちらの攻撃を誘い、どういった手を打ってきたかによって、対応を変える…… これもまた、立派な作戦である。 あからさまに誘われていて、迂闊に飛び込むのは危険だと分かっているが、それでも黙って指をくわえて見ているわけにもいかない。 アカツキはグッと拳を握りしめると、ストライクを指差して、 「ネイト、水鉄砲!! どど〜んとぶちかませっ!!」 ストライクはスピードとパワーに優れたポケモン。 しかし、そのパワーを存分に活かせるのは、鎌や翼が届く範囲内。 接近戦を挑むのは危険……となると、初手は自ずと決まってくる。 ネイトは脚に力を込めると、口を大きく開いて水鉄砲を発射した。 コラッタを一撃で叩き伏せるだけの威力を宿した強烈な奔流が、センターラインを飛び越えてストライクに迫る!! 「ほう、なかなか……」 強烈な水鉄砲を見て、ヒビキが目を細めた。 ただのブイゼルではないと思っていたが、なかなかの威力。 これなら久々に楽しいジム戦になりそうだと、真剣な表情の裏で、血が沸き肉躍る気持ちになった。 もちろん、それとストライクに対する指示は別だ。 「ストライク、影分身から剣の舞!!」 いくら自分のポケモンに自信があるとはいえ、水鉄砲を食らって無傷でいられるわけがない。 なるべくなら、ダメージを負わずに勝てる方法を選びたいものだ。 その手段として、ヒビキは影分身を指示した。 刹那、ストライクの姿が左右に展開する!! 「……っ!? どれがホンモノだ……!?」 卒業写真のようにズラリと左右に並んだストライクを右から左へと見やりながら、アカツキは小さく呻いた。 ネイトが放った水鉄砲は真ん中のストライクを射抜き――そのまま何事もなく地面に突き刺さって飛沫を上げた。 水鉄砲が射抜いたストライクはニセモノ。 影分身は周囲に自分の分身を作り出し、回避率を上昇させる技だ。 本体と同じ姿形をした分身は衝撃に弱く、石を投げられただけでも掻き消えてしまうほど脆い存在だ。 しかし、分身を攻撃されようと、本体は痛くも痒くもない。 影分身の使い方は、何も回避に限定したものではない。 たとえば…… 分身を生み出したストライクは、一斉に胸の前で鎌を交差させると、その場で回転を始めた。 ドリルのように回転すると、周囲に風が巻き起こる。フィールドに青々と生い茂った芝生が風に揺れた。 「や、ヤバイ……!!」 ただ回転しているだけなら、ヤバイなんて思わない。 アカツキはいきなり焦りを表情に出していたが、それは無理もないことだった。 剣の舞は、神経を昂らせることで攻撃力を上昇させる技。 元の攻撃力が高いポケモンほど効果を発揮するため、種族的に攻撃力が高いストライクが使えば、その上昇幅も大きくなる。 しかも、影分身を使うことで、剣の舞を使用している時に生じる隙をカバーしているのだ。 使い方が上手いのは間違いないが、はじめからそうするつもりだったとしか思えない。 「ネイト、片っ端から水鉄砲だ!! 下手な鉄砲だって数打ちゃ当たるんだ!!」 「……言葉の使い方が違うけど、まあいいか」 アカツキがネイトに出した指示に、ヒビキの肩がコケる。 サポートするには意味がまったく正反対な言葉の使い方だけに、思わず唖然としてしまったのだが…… ネイトは言葉の意味を理解していないらしく、アカツキの指示に応えて水鉄砲を次々に放つ!! 連発した水鉄砲は、先ほどの威力はないものの、回転するストライクの分身を打ち破るには十分な威力があった。 ひとつ、またひとつと、ストライクの分身が消えていくが、回転しながら攻撃力を上げ続けているホンモノには当たらない。 残ったストライクは五体。 単純計算で命中率は二割。 「考えちゃダメだ……考えてる暇があったら、攻めないと!!」 湧き上がる動揺を押し殺し、アカツキはネイトに水鉄砲を指示し続けた。 躊躇っていては――不用意に時間をかけていれば、ストライクの攻撃力が際限なく上がっていく。 元の攻撃力が高いだけに、剣の舞で上乗せされた状態で攻撃を一発でも受ければ、それだけで危ない。 まずは、剣の舞の妨害から始めなければならないが、この時点でヒビキの罠に落ちていた。 攻撃力を上げていれば、相手は躍起になってそれを妨害しようとするだろう。 彼は『それ』を誘っていた。 ネイトが何度目かになる水鉄砲を放った瞬間。 ヒビキはかっ、と目を見開き、ストライクに指示を出した。 「攻撃力は十分に上がった。ストライク、電光石火から連続斬り!!」 指示が響くが早いか、ストライクは回転を取り止め、音もなく駆け出した。 すでに、攻撃力は十分すぎるほど上昇している。 ――今こそ『動』の戦いを披露しよう。 ヒビキの口元に笑みが浮かぶ。 影分身の使い方……それは他にもあった。 分身に紛れて、本体が攻撃を仕掛けてくるのだ。 分身は本体と同じ動きを見せることから、本体が分身に紛れて攻撃を仕掛けるという使い方もできる。 もちろん、衝撃に弱い分身は攻撃力など持ち合わせていないが、攻撃されているポケモンには見分けなどつかないのだから、問題ない。 「え、えっと……!!」 寸分違わぬ動きを見せるストライクたちを見て、アカツキは思いきりうろたえていた。 どれが本体なのか見分けがつかなかったからだ。 すべてが本体に見えてきて、どれがニセモノなのか見分けがつかなくなる。 精神的に追い詰められていた。 トレーナーの動揺は、ポケモンに容易く伝わる。 強い絆で結ばれていればいるほど、そういったものまで伝わりやすくなるものだ。 アカツキがうろたえているのを肌で感じて、ネイトも気が気でなくなっていた。 「…………」 アカツキとネイトがうろたえている間に、ストライクはあっという間に距離を詰めてきた。 天井からの照明を照り受けて鈍く輝く鎌を振りかざす。 「ああもうど〜でもいい!! 水鉄砲!!」 悩んでいたりうろたえていたりするのが嫌になって、アカツキは半ばヤケになってネイトに指示を出した。 強い口調に勇気付けられたのか、ネイトは奮起して水鉄砲を放つ――が、分身を貫くだけに終わった。 その隙に、本体が分身に紛れて、攻撃を繰り出す!! ざしゅっ!! 耳障りな音がして、ストライクの連続斬りがヒットする。 「ブイっ……!!」 小さく呻き、ネイトは蹈鞴を踏んだ。 危うくバランスを崩して倒れ込みそうになったが、ストライクはそれを許す間も与えずに次々と鎌で斬りつけてきた。 「ネイトっ!!」 アカツキは次々とストライクの攻撃を受けるネイトを見つめ、大声で叫んだ。 肝心なところで上手く頭が働かない。 いや、ちゃんとした判断ができない。 すぐに心をかき乱され、思ったように戦えない。 ちゃんとした状況判断ができないのが自分の弱点だ、というのは分かっているつもりだったが、まさかここまでとは思わなかった。 格の違う相手と戦ったことで、メッキが剥がされたのだ。 カイトと戦っている間はまだ良かった。実力的に大差ない相手と戦っている間は、状況判断の甘さもそうは目立たない。 しかし、今。 本当の意味でトレーナーとしての実力が試されている。 メッキが剥がされた状態でどう戦うのか。 ここが正念場だった。 左右の鎌を交互に使って、素早く攻撃を仕掛けてくるストライク。 技は連続斬り。 最初の威力は低いが、攻撃が当たり続ける限り威力が上昇し続けるという、速攻重視のストライクには打ってつけの技だろう。 塵も積もれば山となる。 ネイトが負ったダメージはあっという間に山のように大きくなる。 「ヤバイ、マジで強い……!!」 どうすればいいのか。 ジムリーダーが自分とは明らかにレベルが違うのだと思い知らされる。 ストライクの猛攻に、ネイトは反撃の糸口をつかめず、攻撃を食らい続けるしかない。 身体を丸めてダメージを小さく抑えてはみたものの、焼け石に水だった。 連続斬りの初期の威力を補うために、剣の舞で元々の攻撃力を上昇させ、剣の舞の隙をカバーしようと影分身を発動させた。 練り上げられた、完璧な戦術を前に、アカツキは手も足も出せなかった。 どこからどうすればいいのかも、分からなくなっていた。 「さて、どうする?」 ヒビキはただ冷静に、呆然とネイトを見つめているアカツキに目を向けた。 Side 3 改めて、自分と相手の力量の差を目前に突きつけられて、アカツキは冷静な判断などできなくなっていた。 穴のないヒビキの戦術に翻弄され、呆然としているしかなかった。 もちろん、なんとかしなければならないということは分かっているが、その手立てを見つけることができない。 このまま攻撃を食らい続けていれば、いくらネイトが普通のブイゼルより強くても、戦闘不能に陥ってしまうだろう。 「ど、どうにかしなきゃ……!!」 こんな風に追い詰められたのが初めてで、どうすればいいのか…… 焦りが焦りを募らせ、平常になろうとする気持ちをことごとく押し流す。 「でも、どうしたら……」 カイトのレックスとはレベルが違う。 その上、相性面で互角となれば、今までのやり方で通用するはずはない。 それは分かった。分かっても、どうすればいいのか分からなかった。 バトルの経験が浅くて、トレーナーとしては素人でも、ポケモンや技のことについては、 カイトに負けるたびに勉強を重ねていろいろと覚えてきたつもりだ。 連続斬りが、徐々に威力を上げていくタイプの技であることも承知している。 分かってはいても、頭が上手く働かない。 「ネイトはまだやる気なんだ……なのに、オレが先にあきらめちゃダメだ!!」 ネイトは身体を丸めて猛攻に耐えているが、逃げようとはしなかった。 まだバトルを棄てていないからだし、アカツキが逆転の一手を出すことを信じているからだ。 ポケモンが逃げないでいるのに、自分が先にあきらめてはいけない。 だから、なんとかしなければ。 「この人、マジで強い……でも、何もしないまま負けるわけにはいかないっ!!」 麻痺したように上手く働かない頭をフルに使って、ストライクを攻略する方法を探す。 時間をかければかけるほど不利になる。 猛攻を返して、一気にストライクを倒さなければ、恐らく勝ち目はないだろう。 ネイトが使えそうな技で、一瞬でもストライクを怯ませることができそうなのは…… 「あっ。よし、これなら……」 閃いた。 「んっ?」 アカツキの表情がかすかに明るくなったのを見て、ヒビキは眉根を寄せた。 何かこの窮地を脱するための手段を思いついたか。 だが、ネイトは大きなダメージを受けている。 大技を使えたとしても、連発できるだけの体力が残っているか。 どちらにしても、流れはこちらに向いている。 どこまで頑張れるか……といったところだろう。ヒビキは余裕を崩さなかった。 そこへ―― 爪が食い込むほど強く拳を握りしめたアカツキが、ネイトに向かって指示を飛ばした。 「ネイト、そのままシッポを振る!!」 「……!?」 一体何をするつもりだ? お世辞にも実戦向きとは思えない技だったので、さすがのヒビキも頭の中に疑問符を浮かべた。 だが、怪訝に思っているジムリーダーとは違い、ネイトはトレーナーの指示を待ち侘びていた。 ちゃんとした形で指示が飛んでくれば、その指示に応える。 それがネイトのバトルスタイルだった。 アカツキのことを頼りないと思うこともあるが、トレーナーとして認めているからこそ、どんな時も彼の言葉を待ち続けることができる。 そして今。 ネイトは残り少ない体力を使って、その指示に応えた。 いつも以上の勢いでシッポをクルクルと回転させると、周囲にかすかな風が巻き起こる。 ……と、突然起こった涼風に気を取られ、ストライクの連続斬りがネイトの鼻先を掠め、そこで不発に終わった。 連続斬りは命中し続けなければ威力が上がらず、一度でも途中で外してしまうと、威力は最低ラインに戻ってしまうのだ。 「シッポを振ってストライクの気を逸らしたか……なるほど、あの状況ではそうするしかなかったわけだな」 破れかぶれの指示ではあったが、一定の効果は上げられたらしい。 連続斬りの威力リセット。 無論、それだけで劣勢が覆るわけではない。 ストライクの攻撃力は剣の舞で大幅に強化されており、他の技で攻め立てれば、ものの一分とかからずにネイトを倒せる。 相手が誰であろうと、ジム戦では手を抜かない。 気高き獅子が、ウサギを狩るにも全力を尽くすと言う言葉がある。 ジムリーダーとしてここに立つ以上、相手が子供だろうと素人だろうと手を抜かない。 それがヒビキのモットーだった。 だが…… 「アクアジェットっ!!」 ヒビキが感心している間に、アカツキが反撃に転じたのだ。 四の五の言っていられる状況ではない。 攻めて攻めて攻めて……嫌でも攻めまくらなければ負けてしまう。 体力差ができてしまった以上、時間をかければそれだけで勝率が低下する。 それはアカツキでも分かっていた。 だから、捨て身だろうと何だろうと攻撃し続けるしかない。 今までストライクにいいようにあしらわれていたお返しも含めて、存分にやってやる。 一時はどん底まで落ち込んだアカツキの闘争心も、ここに来て一気に燃え上がった。 ネイトはジャンプすると水鉄砲を地面に向けて放つと、身体を勢いよく回転させ、ストライクにぶつかった!! 至近距離だったことと、ヒビキの指示がなかったことで、強烈なアクアジェットをまともに食らって吹っ飛ぶストライク。 「なかなかの威力だな……!! 悠長にしていられなくなったか……!!」 至近距離なら一瞬で攻撃を加えられる速攻性。 ヒビキの表情が険しくなる。 相手が子供だと思って侮っていた部分があったのは否めない。 これは、思いのほか楽しいバトルになりそうだ。 「ストライク、切り裂く攻撃から翼で打て!!」 「水鉄砲!! 撃って撃って撃ちまくれ〜っ!!」 ヒビキがストライクに攻撃を指示すると、負けじとアカツキも声を張り上げる。 ストライクは強烈な一撃を食らって吹っ飛んでも華麗に着地を決めると、すぐさまネイトに追いすがった!! 攻撃力が上がった状態で繰り出される切り裂く攻撃は強烈だ。 ネイトが水鉄砲を放つ寸前で切り裂く攻撃が命中したものの、ネイトは怯まずに水鉄砲で応戦してきた。 クロスカウンターの形で互いの技が炸裂するが、追い討ちをかけることができたのはネイトだった。 水鉄砲によってストライクが離れたため、再び距離を詰められる前に水鉄砲を連射する!! 近づかれては勝ち目がない。 それは、実際に戦っているネイトが一番よく分かっていることだ。 アカツキからの指示もあるが、なんとしてもストライクを近づけさせない。 「怯むなストライク!! 動の戦いを見せてやれ!!」 しかし、相手はジムリーダーのポケモンである。 アクアジェット、水鉄砲と攻撃を畳み掛けても、怯むことなく攻撃してくる。 それどころか、闘争心に火がついたのはこちらも同じだと言わんばかりに、勇猛果敢に突っ込んでくる。 ヒビキが言う『動の戦い』とは、ストライクの攻撃的な能力と技を存分に活かした戦い方だ。 影分身→剣の舞→連続斬りorその他の攻撃技のコンボにより、相手に反撃の暇を与えずに攻め倒すことを意義としている。 決して立ち止まらず、相手を倒すことのみに集中することで、攻撃力と命中精度を極限まで高める、超攻撃的な戦術だ。 もちろん、防御など一切含めない。 猛烈な攻撃で相手に反撃の隙さえ与えなければ、防御のことなど考える必要はない。『攻撃は最大の防御』とはよく言ったものだ。 いいところまで猛攻で攻め立てたものの、ネイトの反撃に遭ってしまった。 相手の反撃に遭おうと、怯むことなく強気に押し返す。 それもまた、『動の戦い』の特徴だ。 「ネイト、スピードスター!!」 切り裂く攻撃で決めようとするストライク目がけ、ネイトが身体を回転させながら、シッポで虚空を左右に薙ぎ払う。 すると、星型の光線が生まれ、ストライクへとものすごい勢いで放たれていく!! スピードスターという、ノーマルタイプの技だ。 威力はそれほど高くないが、連射することが可能で、星型の光線は凄まじい勢いで相手に向かっていくため、命中率もかなり高い。 避けられないなら……と、ヒビキは回避を指示することなく、スピードスターがストライクを真正面から打ち据える!! それでも、ストライクは怯むことなくネイトに迫ると、強烈な攻撃を浴びせかける!! 切り裂く攻撃の勢いを利用して身体を捻り、背に生えた翼で追い討ちをかけた。 「ネイトっ!!」 強烈な攻撃が決まり、ネイトがフィールドをコロコロと転がっていく。 普段のネイトなら、何メートルも転がらずに体勢を立て直すはずだが、 大きくダメージを受けているのか、立ち上がるまでに思いのほか時間がかかってしまった。 それに、立ち上がっても、息を切らしている。 激しい攻防で、体力をかなり消耗してしまった証拠だ。 しかし、それはストライクも同じだった。 攻撃力と素早さに優れていると言っても、それに追いつくだけの持久力は持ち合わせていない。 だからこそ、超速攻型の技の構成で、相手に持久戦を許さず、一気になぎ倒す戦法を得意としているのだ。 「思ったよりもやるね。そうじゃなきゃ楽しくない」 「…………」 数メートルの距離を挟んで向かい合うネイトとストライク。 アカツキはヒビキの軽口に応じるだけの余裕を残していなかった。いや、残っていなかった。 できる限りのことはしたつもりなのに、ストライクはまだ立っている。 シッポを振ってストライクの気を逸らし、その隙を突いてアクアジェットで速攻を仕掛け、 その後は水鉄砲で近づけさせないようにしたが、ストライクはダメージ覚悟で攻撃を仕掛けてきた。 少しでも警戒してくれれば良かったのに、アカツキの目論みは容易く打ち砕かれた。 「ヤバイ。さっきほどじゃないけど、こりゃかなりヤバイ……」 状況は最悪から少し好転したものの、予断を許さないレベルからは脱け出せていない。 早く決めなければ、ネイトの体力が保たないだろう。 いつもより丸まった背中を見て、アカツキはネイトの体力が残り少ないことを察していた。 いつも一緒にいるからこそ、些細な違いからその状態を察知することができるのだが、それ分かったところで、どうしようもない。 「水タイプの技ばっかじゃ……でも、他に使えそうなのは……」 アクアジェットは体力の負担が大きい。 今の状態では、速攻性と引き換えにするには、あまりに大きすぎる。 かといって、水鉄砲では持ち前のスピードで容易く避けられてしまうだろう。 かといって、スピードスターではストライクを止められない。 命中精度か速攻性か、どちらかを選ばなければならないのだが、こういう時に限ってなかなか気持ちが煮え切らない。 そんな状況を見て取って、ヒビキが口を開く。 「そのブイゼル、ネイトと言ったか。 普通のブイゼルよりもずいぶん強いようだけど、かなり疲労しているな。 それはこちらも同じことだが、どちらが先に倒れるかな……?」 「そっちに決まってんだろ!! 当たり前なこといちいち聞くな!!」 あからさまな挑発だったが、アカツキはしかし怯むことなく強気に返した。 先に倒れるのはストライクだ。 ……いや、必ず倒してやる。 「ならば、かかってきたまえ」 「言われなくたってやってやる!! ネイト、雨乞いだっ!!」 アカツキはネイトに指示を出した。 雨乞いという、局地的に雨雲を呼び込んで雨を降らせる技だ。 水タイプのポケモンなら必ず覚えられる技で、使い方によっては戦況を覆すことも可能な、天候変化の技。 「何をするつもりか知らないが、先手は確かに譲った。 ストライク、切り裂くから連続斬り!! 一気に決めろ!!」 雨乞いは相手を直接攻撃できないが、その後で攻撃技を出すはずだ。 悠長に構っていられないと、ヒビキはストライクに決着を付けるよう指示を出した。 ストライクが動く。 天井からの照明を受けて、両腕の鎌がギラリと輝くが、ネイトは取り合わない。 空を仰ぐと、局地的な雨雲がフィールドの真上に現れ、ポツリポツリと雨が降り出した。 雨乞いの効果は、雨を降らせること。 しかし、その恩恵はそれだけに留まらない。 一つ目は、降り頻る雨が空気中の水分を増加させ、炎タイプの技の威力を低下させる。 二つ目は、水分の増加により水タイプの技の威力が上昇する。 炎タイプのポケモンを相手にした時に使えば、相手の攻撃の威力を弱めることができるし、 自分が水タイプのポケモンを出している時なら、水鉄砲やアクアジェットといった技の威力を上昇させることができる。 だが、アカツキが雨乞いを使わせたのは、それだけの理由ではなかった。 「ネイトの特性は確か……『すいすい』だったっけ。雨乞いを使えば素早く動けるってことだよな」 今まで使う機会がなくて、ついさっきまで忘れていたのだが、ネイトの特性を思い出してピンと来た。 ポケモンにはそれぞれ『特性』と呼ばれる力が備わっており、その効果はポケモンによって千差万別。 種族で固定されているものの、同じ種族でも二つの特性が存在するポケモンもいる。 相手の攻撃を受けて発動する特性もあれば、ピンチに陥った時にこそ一発逆転の切り札として発動する特性もある。 また、常に発動しっぱなしの特性もある。 ポケモンによって異なる特性。 ネイトの特性は『すいすい』。 水タイプのポケモンが多く持つ特性で、雨が降るなどして大気中の水分が多い時、素早さが普段よりも上昇するという、局地的な能力アップの特性だ。 今使わずして、いつ使えばいいのか。 相手は素早さに定評のあるストライクだ。体力を消耗していることもあって、今のネイトでは俊敏な動きは難しいだろう。 ならば、特性の力を借りて対抗するしかない。 ネイトが雨乞いを発動させている間に、ストライクが物音をほとんど立てずに迫る!! 体力の差は歴然だ。 切り裂くからの連続斬りでノックアウトさせられる。 ヒビキはそう踏んでストライクに攻撃を指示したのだが…… 「アクアジェット!!」 アカツキの指示に、ネイトは手負いの身とは思えないような素早い動きでアクアジェットを発動!! 降りしきる雨が肌に心地良い。 火照った身体を冷やしてくれるような、海の中にいるような心地良さ。 揺り籠に揺られたように、気持ちがスッキリする。 ネイトは目にも留まらぬスピードで、ストライクに迫る!! 特性が発動したため、ストライクを上回るほどの素早さになる。 手負いでありながら、なぜ動きが素早くなったのか…… ヒビキは一瞬表情を強張らせたが、 「……速い!? これはもしや……」 特性が発動して素早さが上昇した、という結論に至る。 「なるほど。上手いことをする……なかなか考えたな」 素早さを上昇させ、最大の武器である水タイプの技の威力をも引き上げる。 水ポケモンを使うトレーナーなら、一石二鳥の手段として考えつく戦略だ。 「だが、どこまで上手くいくかな?」 特性を発動させようと、受けたダメージが回復するわけではない。アカツキが苦しい立場であることは変わらないのだ。 ヒビキですら分かることを、アカツキが分からないはずがない。 増してや、苦しい立場という、もらってもうれしくないようなモノなら、なおさらだ。 「でも、こうしなきゃ……」 ストライクと渡り合うためには、特性だろうと何だろうと、使えるものは使っていかなければならない。 使えるものはなんでも使え。 それがポケモンバトルの鉄則だ。 アクアジェットで速攻を仕掛けたネイトが、ストライクに強烈な体当たりを食らわす!! 雨乞いによって強化された一撃は、ストライクに大きなダメージを与えた。 普段なら踏ん張れただろうが、大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる!! 「よしっ!!」 確かに効いた。 アクアジェットは威力的にそれほど高いものではないが、雨乞いで強化されていれば、数秒でもストライクのダウンを奪えるほどの威力になる。 そうと分かれば、追撃するっきゃない。 「スピードスター!!」 着地したネイトに、指示を出す。 今までに受けたダメージが大きく、着地した時によろめいてしまったが、足腰に力を込めて踏ん張ると、シッポを振ってスピードスターを繰り出した!! 地面に叩きつけられながらも、よろよろと立ち上がったストライクに、目にも留まらぬスピードで飛来したスピードスターが直撃!! 再び地べたを這うストライク。 「これはかなりキツイか……」 ゆっくりとストライクが立ち上がるも、その足取りは覚束ない。 足元は小刻みに震え、ネイトの猛烈な反撃に気力で立つのが精一杯といったところだろう。 最初は手も足も出なかったはずなのに、いつの間にか反撃に転じ、ストライクにここまでのダメージを与えるとは…… アカツキのトレーナーとしての能力は、なかなかのものだった。 将来が楽しみだと思ったが、それとバトルは別物である。 ジムリーダーが見るべきなのは将来ではなく、現在(いま)だ。 このバトルに最善を尽くすのが、トレーナーとしての務めでもある。 しかし、ストライクが受けたダメージは大きい。 ネイトも足元を震わせているが、その気力たるや、手負いの身とは思えないほどだった。 ……分が悪い。 経験を積んだトレーナーともなると、パッと両者の状態を見ただけで、どんな状況なのかも手に取るように理解できるのだろう。 「やむを得ない……」 ヒビキはモンスターボールを手に取ると、 「ストライク、戻りなさい」 「……?」 ストライクをボールに戻してしまった。 戦いがまだ終わっていないのに、どうしてモンスターボールに戻すのか? アカツキはヒビキの意図が理解できず、口をポカンと開け放ったまま、呆然としていた。 「ストライク、ご苦労だったね。 さすがにここから先は無理だろう。ゆっくり休んでくれ」 ヒビキは少年が呆然と見つめてくることなど構わず、精一杯戦ってくれたストライクを優しい言葉で労った。 戦いの最中とは思えないほど、穏やかで優しい笑みを向けている。 それだけ、ストライクの健闘を讃えたいと思っているのだろう。 「ジムリーダー、よろしいのですか?」 審判が恐る恐る、ヒビキに声をかける。 今ならまだモンスターボールに戻したことを取り消せると暗に言っているのだが、ヒビキは頭を振った。 「ルールの説明をしたのは僕だ。なら、それ相応の判断を下すべきだろう」 「分かりました」 毅然とした口調に、余計なことを言ったと思ったのだろう。 審判はアカツキの側の旗を振り上げた。 「ストライク、戦闘不能!!」 「えっ……あ、そっか……」 一瞬、何を言われているのか分からなかったが、すぐに合点が行った。 途中にポケモンの入れ替えができるのは挑戦者だけ。 審判が戦闘不能を宣言していない状態でポケモンをモンスターボールに戻すというのは、ジムリーダーにとっては戦闘不能と同じことなのだ。 それを承知の上で戻したということは、ストライクをこれ以上戦わせられないという状況判断に過ぎない。 「あと一体倒せば、オレの勝ちなんだ……!!」 自ら負けを認めてくれたのは、アカツキからすれば不幸中の幸いだった。 トコトンまで戦われていたら、ネイトがさらにダメージを受けていただろう。 もっとも、今でさえ立っているのがやっとの状態なのだ。 これ以上攻撃を加えられていたら、どうなっていたか分からない。 「でも、ネイトも結構ヤバイんだよな……」 足元が小刻みに震えている。 指で軽く突いただけで倒れてしまうかもしれない。 「ネイト、大丈夫か!?」 これから先戦い続けても大丈夫なのか。心配になって声をかけたのだが…… 「ブイっ」 ネイトは肩越しに振り返ると、ニコッと笑って大きく頷いてきた。 「そっか……」 大丈夫と言い張るなら、トコトンまでやってもらおう。 それこそ、ネイトの気が済むまで。 だけど、それならそれで、アカツキ自身も力を尽くして戦わなければならない。 「だけど、ここからが本番なんだ。次のポケモンは……?」 ストライクを退けることができた。 あと一体倒せば、ジムリーダーに勝利したことになり、リーグバッジをゲットできる。 しかし、ここから先が本番なのだ。 ジムリーダーが最後に出してくるポケモンは、ジムのシンボルでもあり、ジムリーダーが最も心を許せる最強のポケモンだ。 ストライクより強くて厄介なポケモンを出してくるに決まっている。 一体目でこれだけ苦戦したのだ。 次は今回以上に簡単に勝たせてはくれないだろう。 そう思うと、自然と気持ちも表情も引き締まる。 アカツキが真剣な表情を取り戻したのを見て、ヒビキは目を細めた。 なかなかどうして、いい目をしているではないか。 今は素人でも、経験を積めば、ジムリーダーを追い越すくらいのトレーナーになるかもしれない。 ならば、より高みへ導くための壁となろう。 ヒビキはそう思い、モンスターボールを持ち替えた。 握りしめたボールには、フォレスジムの切り札でもあるポケモンが入っている。 これをどう撃破するのか……見せてもらおう。 「僕の最後のポケモンをお見せしよう。来い、メガニウム!!」 ヒビキはモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 音もなく芝生に着弾したボールが口を開き、中から飛び出してきたのは…… 「メガニュゥゥゥムっ!!」 ハーブポケモン・メガニウムだった。 チコリータの最終進化形のポケモン。 「メガニウム……チコリータの最終進化形かあ……」 ヒビキよりも背丈が高く見えるのは、首がとても長いからだろう。 アカツキはメガニウムの立派な体躯に思わず見惚れていた。 鮮やかなグリーンの身体と、首元に咲いたピンクの花が特徴のポケモンだ。 いかにも温厚そうな雰囲気を漂わせているが、それはメガニウムが花から発散する香りが争う気持ちを鎮める成分を秘めているからだと言われている。 もっとも、ジム戦で登場した以上は、温厚だろうが何だろうが、戦う意思があるということだ。 「チコっ……」 「……んっ?」 足元で、リータが小さく嘶いた。 アカツキが視線を向けると、リータはキラキラと目を輝かせながらメガニウムを見つめていた。 自分も進化すればあんな風になれるのだと、人知れず期待を膨らませているに違いない。 「そっか。リータも頑張りゃメガニウムになれるんだもんな……」 リータがメガニウムに憧れのような感情を抱いているのを肌で感じて、アカツキはしみじみとつぶやいた。 これからいろいろと経験を重ねていけば、いずれは首の種が花を咲かせるだろう。 それは、メガニウムに進化する時だ。 「って、待てよ?」 リータもいつかは立派なメガニウムになるのだ。 と、思ったまでは良かったのだが…… 「メガニウムって草タイプじゃなかった?」 そう。 メガニウムは草タイプ。 チコリータの進化形なのだから、草タイプが変わるはずがない。 「さっきはストライクだったのに……タイプが違うの!?」 何がなんだか分からなくて、アカツキは声を大きくしてヒビキに訊ねた。 ジムリーダーは同じタイプのポケモンを使うのではないのか。 ストライクとメガニウムではタイプが違っている。 どうなっているのかと思ったが、ヒビキは表情を変えることもなく、さも当然と言わんばかりに答えてきた。 「ああ、そうか。 ジムリーダーが一つのタイプを中心にして戦うものだって思ってるんだね。 だけど、この地方じゃ二つのタイプのポケモンを使ってジム戦を行うんだよ。 知らなかった?」 「え……うん。知らなかった」 「そうか……」 それがルールだったのだ。 トレーナーとして、事前に調べておくべきことだったのかもしれない。 そう思うと、なんだか恥ずかしくなってくる。 だけど、ヒビキの言葉は真実だった。 ネイゼル地方のポケモンジムは、ジムリーダーが得意とするタイプを二つ指定し、それぞぞれのタイプを持つポケモンで挑戦者の相手をする。 フォレスジムであれば、草タイプと虫タイプのポケモンでオーダーを組んで戦うのだ。 ゆえに、両方の弱点を突ける技やポケモンがいなければ勝つのは難しい。 例として、虫タイプのポケモンを倒すために岩タイプのポケモンを用意したとしよう。 しかし、岩タイプは草タイプの技に弱い。草タイプのポケモンを倒せるような、相性のいい技を覚えさせておかなければならない、という具合だ。 「だから、卑怯とか何とか言わないでね。これもルールだから」 「うん」 ルールなのだから、卑怯も何も言いようがないではないか。 アカツキはそう思ったが、ネイトとメガニウムでは相性が悪い……このまま戦いを続行させてもいいものかと、すぐに頭を切り替えた。 立っているのもやっとのネイトに、メガニウムは強敵でしかない。 相性が悪いのだ。 「ここでドラップに変えちゃおうかな……」 ドラップは毒タイプを持っているので、草タイプのメガニウムと有利に戦える。 しかし、ネイトはやる気だ。 ここで戻すわけにはいかない。 ドラップで戦う時のために、可能な限りメガニウムにダメージを与えておきたい。 後々有利になるように事を運ぶのも、トレーナーの実力が試されるところなのだ。 「いや、ネイトでガンバろう」 アカツキの気持ちが固まったところで、審判が口を開いた。 「バトル・スタート!!」 Side 4 体力差があり、なおかつ相性も悪い。 アカツキはバトルの再開を告げられると同時に、メガニウムを指差し、ネイトに指示を出した。 「ネイト、スピード……」 水タイプの技ではメガニウムに満足なダメージを与えられない。ならば、ノーマルタイプのスピードスターで叩くしかない。 しかし、アカツキがスピードスターを指示することは、ヒビキにも分かっていた。 効果が薄いと分かっていて水タイプの技を指示するようなことはないだろう。 だからこそ、すぐに手を打った。 涼やかな瞳をアカツキに据えたまま、メガニウムに指示を出す。 「メガニウム、ニードルブレス」 「……?」 何をするつもりかは分からないが、ここは攻撃に打って出るしかない。 アカツキはメガニウムが何をしようと気にしないことにした。 ネイトが残された力を振り絞るようにシッポを横に薙ぎ払い、スピードスターを発射!! きゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅっ!! そんな音がして、星型の光線が虚空を突き進む。 対するメガニウムは、避けるでも防ぐでもなく、ただじっとその場に佇んでいた。 長い首を思いきり後ろに反らしたかと思うと、スイカの種を噴射するような仕草で、口から何やら茶色い種のようなものを吐き出した。 「……? なんだ、あれ?」 スピードスターの影響を受けないようにと配慮したのだろう。 メガニウムが吐き出した種は放物線を描き、ネイトに向かって飛んでくる。 「宿り木の種……じゃないよな?」 一瞬、宿り木の種かと思ったが、それなら距離を開いた状態で使ってくることはないはずだ。 それに、技の名前自体が違う。 宿り木の種は、相手に触れることで発芽し、相手の持つエネルギーを栄養分にして成長し、蔦で相手の動きを封じながら体力を吸い取るという技だ。 「でも、こんなの避けなくたっていいや」 避ける暇があれば、スピードスターの第二陣を放った方がよほど効率的。 そう判断して、アカツキはネイトにまたしてもスピードスターを放たせようと、指示を出そうとした矢先、ネイトの足元に、種がポトリと落ちた。 結局、ハズレだ。 当たらなければ意味がない。 何をするつもりかは知らないが、外れてしまえば何の意味もない。 しかも、変な技を仕掛けてきたせいで、スピードスターがメガニウムを直撃。 無傷というわけにもいかず、メガニウムは痛そうに表情をゆがめた。 これなら大丈夫かも……そう思って、アカツキは口の端にかすかに笑みを覗かせ、指示を出そうとして…… 次の瞬間、変化は突然やってきた。 ずどんっ!! ネイトの足元から細長い緑が突き出してきたかと思えば、ネイトを真上に突き飛ばしたではないか。 「えっ!?」 今のはなんだ? あまりに唐突な出来事に、アカツキは呆然としてしまった。 地面から突き出してきたのは、あちこちに槍のようなトゲを生やした蔓だった。 アカツキは知らなかったが、メガニウムが吐き出した種がすさまじいスピードで発芽したものである。 そう。ネイトの足元に落ちた種は、決して『外れたもの』ではなかった。 はじめからそうするつもりでいたのだ。 むしろ、直撃したとしても何の意味もない。外れて正解だった。 ニードルブレスという草タイプの技だ。 特殊な力を秘めた種を吐き出し、地面に落ちた段階で地中の養分を吸い上げ、すさまじいスピードで発芽し、トゲつきの蔓を生み出すのだ。 発芽の勢いに押されて、ネイトは空中に投げ上げられてしまった。 いきなり何もないところから蔓が生まれたというのは確かに驚きだが、それ以上に気がかりなのは、ネイトの状態だった。 「ネイト!!」 接近もせず、かといって葉っぱカッターやソーラービームと言った技も放たずに攻撃してきたことに、驚くしかない。 アカツキはネイトの名を叫んだが、蔓が発芽した時の一撃をまともに食らい、着地もできずに地面に叩きつけられてしまった。 「ああっ!!」 立っているのがやっとの状態だ。 ちょっとでも攻撃を食らえば確実に戦闘不能に陥る。 それが分かっていたから、アカツキは気が気ではなかった。 『たかが種』などと思っていた段階で、こうなることは確定的だったのだ。 自分の慢心が招いた結果だと、正直に受け止めるしかない。 葉っぱカッターやソーラービームによる攻撃ではなく、意表を突くという意味で、敢えてニードルブレスで攻撃してきたのだ。 地面に叩きつけられ、ぐったりしたネイトを見つめて、アカツキは奥歯をグッと食いしばり、握り拳をさらに固くした。 「ブイゼル、戦闘不能!!」 そこへ、審判の宣言が響く。 トレーナーは、審判の宣言に異議を差し挟むことは許されない。 公式大会やジム戦での審判の言葉は、神の啓示のごとき力を持つのだ。 ただし、宣言の中身と現実が明らかに異なっている場合や、作為的なものが見られる場合に限っては抗議が許されているが、 あくまでもそれは例外中の例外。 ネイトが戦闘不能だと言われれば、それまでなのだ。 「ネイト、戻って!!」 アカツキはすぐさまネイトをモンスターボールに戻した。 心なしか、少しだけ重くなったボールを見やる。 「ネイト……ありがと。一生懸命戦ってくれて……」 苦戦の末に、ストライクを撃破した。それは金星と言ってもいいだろう。 死力を振り絞って戦い抜いてくれた。 そんなネイトに労いの言葉をかけるのは当然だったし、ネイトが戦闘不能になったからと言って、即敗北、というわけでもない。 「あとはドラップに任せて、ゆっくり休んでてくれよ」 ネイトはメガニウムを引きずり出した。そこまでやってくれたのだ。 今はゆっくりと身体を休めてほしい。 次はドラップの出番だ。 毒タイプのドラップはメガニウムに対して有利に戦える。 アカツキはボールを持ち替えた。 手にしたのはドラップのボール。期待の大型新人のデビュー戦である。 「さて、どんなポケモンを出す……?」 ヒビキはアカツキがドラップのボールをしげしげと眺めているのを見て、楽しみに思った。 次に出すのがリータでないことは、手にしたボールが如実に物語っている。 恐らく、メガニウムに対して互角以上に戦えるポケモンだろう。 彼の思惑を余所に、アカツキはドラップのモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 「ドラップ、頼んだぜっ!!」 放物線を描いてフィールドに着弾したボールは口を開き、中からドラップが飛び出してきた!! 「ごぉぉぉぉぉっ!!」 退屈していたのか、ドラップは飛び出してくるなり腕を振り回し、天に向かって咆えた。 モンスターボールの中は、大抵のポケモンなら居心地がいいと感じられるらしいのだが、それと退屈というのは別物らしい。 堂々と佇むドラップを見て、ヒビキは思わず表情を引きつらせた。 「ドラピオンか……これは厄介な相手だな……」 フォレスタウンで生まれ育ち、三十年前にこの街で起きた出来事を心に強く刻みつけているだけに、ドラピオンの強さは分かっているつもりだった。 タイプ間の相性が悪いのはもちろん、それ以上に、ドラピオンは様々なタイプの技を使いこなすテクニシャンでもある。 それらの技を織り交ぜながら攻撃されたら、大苦戦は免れない。 「しかし、まさかこの子がドラピオンをゲットしていたとはな。これは驚きだ……」 お世辞にも、アカツキのような新人トレーナーが扱えるようなポケモンではない。 ドラピオンは扱いの難しいポケモンと言われており、どこまで上手に戦わせることができるかが見所だ。 ヒビキは審判に目で合図を送ると、バトルを再開させた。 いつまでもドラップを眺めていたところで何にもならない。やるならさっさとやる方がいい。 「ドラップ、ガンバろうな!!」 「……?」 アカツキが背後から声をかけると、ドラップは一瞬驚いたように身体を震わせ、振り返った。 ニコニコ笑顔の少年が目の前にいる。 「…………」 ドラップは怪訝そうな表情でアカツキを見やった。 睨みつけるほど眼差しを尖らせているわけではないが、それでもどこか威圧的なのは、種族的な特徴だろうか。 それでも、アカツキは得意気な表情を見せていた。 ドラップならメガニウムを倒せると確信していたからだ。相性が有利だし、ネイトを苦戦させたのだから、実力だって確かなものだ。 審判はアカツキとドラップのやり取りを見て、準備が整ったと判断した。 「バトル・スタート!!」 審判が朗々と声を張り上げると、すぐさまアカツキがドラップに指示を出す。 「ドラップ!! クロスポイズンだーっ!!」 ネイトに大きなダメージを与えた技、クロスポイズン。 これなら、メガニウムにも大打撃を与えることができるはず。 メガニウムをビシッと指差して指示を出したのだが…… 「…………」 ドラップは動かなかった。 動けなかったわけではない……動かなかったのだ。 「あ、あれ……?」 十秒経っても動かなかったものだから、これにはさすがにアカツキもおかしいと思った。 得意気な表情はどこへやら。 驚きと戸惑いが混じった表情になる。 だが、驚いたのはアカツキだけではない。ヒビキもまた、驚きを禁じ得なかった。 「どうしたんだ?」 指示を出されても動かない。 聞き取れなかった、ということはないだろう。 一般的に、ポケモンの聴覚は人間のそれを遥かに上回っているのだ。 では、一体どうしたというのか。 本当はこの機に乗じて、一気呵成に攻め込んでいくというのがベターなのだろうが、今はアカツキとドラップのやり取りを見ていることにしよう。 攻めようと思えばいつでも攻められるのだ。 ドラップが接近戦を得意としているポケモンだと分かっているからこそ、そうやって悠長に構っていられる。 さすがはジムリーダーといったところか。 「ドラップ、聞いてる? クロスポイズンで、あいつを攻撃して、って言ったんだけど」 アカツキは怪訝な表情で、ドラップに攻撃するよう言った。 好戦的だったから、有無を言わさず攻撃を仕掛けるのだと思っていたが……なぜか、思っていたのと逆の結果になっている。 しかし、ドラップはアカツキの目をじっと見つめているだけ。 それからまた十秒くらい経って、ドラップはメガニウムに向き直った。 渋々、という感が否めないが、やる気になってくれたのだろう。 アカツキは胸に手を当て、ホッと安堵のため息を漏らしたのだが…… ドラップはのっそのっそと巨体を引きずり歩き出すと、どういうわけかバトルフィールドを抜け出し、壁際に生えている木に向かっていった。 「あ、ドラップ!! ドラップってば!!」 アカツキがいくら声をかけても、ドラップは振り向きもしない。 それどころか、枝にたわわに実った木の実をパクつき始めたではないか。 三度の食事よりも木の実が大好きなドラップにとっては、木の実というのは何よりも優先すべきものなのかもしれない。 そう……バトルなどというものよりも。 「ドラップ!! 今はまだバトル中だって!! 木の実なんか食べてる場合じゃないよ!!」 どうしてバトルを放棄して木の実を食べに行ったのか分からず、アカツキは顔を真っ赤にして怒鳴ったが、 ドラップは涼しげな顔で、ひたすら木の実を食べていた。 「…………」 その様子を、ヒビキは淡々と見つめていた。 一方、審判は予期せぬ事態に困惑し、助けを求めるようにヒビキに視線を向けるが、相手にされていない。 これくらいは審判の裁量ということで、自分で決めろと言っているかのようだ。 「ドラップ!! ドラップってば!! おい、聞いてんのか!?」 どうして言うことを聞いてくれないのか分からず、アカツキは混乱していた。 まさか言うことを聞いてくれないとは思っていなかったのだ。 だが…… ドラップはアカツキの言葉に耳を貸すことなく、木の実に夢中だった。 何もかも蚊帳の外だと言わんばかりに。 「ドラップ!!」 アカツキはあきらめずに何度も名前を呼んだが、完全に無視された。 数分間、バトルにならない状況が続いていた。 やがて、アカツキとドラップのやり取りを見ているのにも飽きたのか、ヒビキが審判に一瞥をくれる。 ――構わん、やれ。 審判は大きく頷くと、ヒビキの側の旗を振り上げ、 「ドラピオンの戦意が喪失したものと見なします。よって勝者、ジムリーダー・ヒビキ!!」 「ええっ、そんなあ……」 あまりに唐突な宣言に、アカツキは足元が崩れ落ちた音を聞いたような気がした。 身体から力が抜けて、立っていられなくなる。 ドラップは戦える状態だ。 だが、戦うつもりがないのだから、戦意喪失と見なされたとしても不思議はない。 それに、ポケモンバトルにおいて、戦意喪失は戦闘不能と同じ扱いとなる。 戦う意思がないのだから、バトルなど成立するはずもない。 戦う意思のないポケモンを出したまま無駄に時間を過ごすことになるのだ。 いっそ戦闘不能と同列にした方が早いし、現実的だ。 「ど、どうして……!!」 どうしてドラップは戦ってくれないのか。 自分の言うことを聞いてくれないのか。 意味が分からなくて、何をどうしたらいいかも分からなかった。 ただひとつ分かっているのは、自分は途中で戦わずして負けてしまったということ――ネイトの頑張りを無駄にしてしまったということだけだ。 「…………戻って、ドラップ」 泣きたくなったが、人の見ている前で泣くのは嫌だった。 アカツキは木の実を頬張っているドラップをモンスターボールに戻した。 負けは負けだ。そのことに変わりはない。 「…………」 勝負はついた。 前半はストライクとネイトで激しい戦いが行われたが、後半は実に呆気ないものだった。 戦わずして勝ったところで、充足感など覚えられるはずもない。 「戻れ、メガニウム」 ヒビキはメガニウムをモンスターボールに戻した。 メガニウムのボールを腰に差して、ゆっくりとアカツキに向かって歩き出す。 アカツキは呆然と座り込んだまま、足元に視線を向けているばかりだった。 どうしてこんなことになったのか分からず、何を考えていいのかすら分からない。 「チコっ……?」 リータが不安げな声を上げながら、アカツキの前にやってきた。 心配そうな表情で見上げてくるポケモンの視線に気づいて、ハッとする。 「あ……」 心配をかけていると分かって、錆びついていた気持ちが動き出した。 「だ、大丈夫だから。リータ、心配してくれてありがとな」 「チコリ〜っ……?」 ニコッと微笑みかけ、言葉をかけながら頭上の葉っぱを撫でるものの、人間の気持ちに敏感なのか、リータの顔に笑みはない。 「……戻ってて、リータ」 アカツキはそれ以上何も言わず、リータをモンスターボールに戻した。 「はあ……」 誰にも見られていないと分かって安心したのだろう。 アカツキは目を伏せた。 こんなところ、誰にも見せられない。 少なくとも、ネイトやアラタ、カイトといった親しい人には。 「負けちゃった……」 何がなんだか分からないうちに負けた。 だけど、負けたことは負けた。それを認めるだけの気持ちは残っている。 さすがに、いきなりジム戦に挑むのは無謀だったらしい。 そう思うと、なんだか笑えてくるのだが…… 「アカツキ君」 「…………!!」 頭上から降り注いだ声に顔を上げると、目の前にヒビキが立っていた。 その表情に笑みはなく、かといって仏頂面というわけでも怒っているわけでもなかった。 一言で言うなら、無表情。何の感情も宿していなかった。 「ドラップがなぜ君の言うことを聞かなかったのか……分かるかい?」 「…………」 穏やかな声音で問いかけてくる。 しかし、アカツキはその問いに言葉を返すことができなかった。 当たり前だ。 分からなかったのだから。 イエスかノーかの二択で突きつけられた問いに、ノーで返すしかない。沈黙はノーと同じなのだ。 「そんなの、オレが知りたいよ……」 胸中で愚痴る。 愚痴りたくもなる。 「簡単なことだよ。 君がドラップとちゃんとコミュニケーションを取っているかどうかってことだ。 ちゃんと心を通わせていれば、言うことを聞かないなんてことはないと思うんだけどなあ。 ドラピオンは扱いが難しいって言われてるけど、それはトレーナーの方がドラピオンのレベルに追いついていないからだよ。 君だってそうじゃないの?」 「う……」 アカツキの心中を理解しているような言葉に、呻くしかない。 言われてみれば、確かにその通りだった。 ドラップをゲットしたのは昨日のことだ。 しかも、ポケモンセンターの庭で気が済むまで木の実を食べさせ、その後はずっとモンスターボールに戻していた。 それでいきなりバトルをしろと言われても、確かにドラップからすれば理解しがたいところだろう。 コミュニケーション不足。 その結果が、『言うことを聞かずに好き勝手なことをする』だった。 いざ突きつけられてみると、それが結構痛い。 リータとすぐに心を通わせることができて、慢心していたのかもしれない。 ポケモンセンターで一度だけ、ドラップがアカツキの言葉に頷いて応えたことがあった。それに安心してしまっていたのだ。 「…………」 今になって気づくなんて、どうかしている。 無言で俯くアカツキに、ヒビキはさらに言葉をかけた。 「君がドラップをちゃんと信じて共に戦えるようになっていたとしたら、このバトルはどちらに転んでいてもおかしくはなかった。 もう少し、ドラップのことを理解してあげてから、またおいで。 僕はいつでも君の相手をしてあげるから」 「……はい」 抑揚のない声。 今のアカツキに、いつものような陽気で明るい笑顔や雰囲気はなかった。 トレーナーとしての不甲斐なさを突きつけられ、いつもの笑顔を浮かべていられるはずもなかった。 To Be Continued...