シャイニング・ブレイブ 第3章 仲間の意味 -Understanding-(後編) Side 5 「はあ、負けちまった……」 ポケモンセンターのロビーにある長椅子に腰を下ろして、アカツキは深々とため息を漏らした。 自分でも、今までで一番落ち込んでいると分かるくらい、気分的には最悪に近かった。 言うまでもなく、ジム戦で負けてしまったからである。 無論、普通に負けただけなら、 「あー、負けた負けた!! 次こそ勝つぞ〜っ!!」 ……と、前向きに考えることもできるだろうが、今はそんな気になれない。 死力を尽くして戦って負けたなら、悔いは残らないだろう。仮に残ったとしても、落ち込むほど残るわけではない。 「…………」 手には、ドラップのボールが握られている。 気がついたら、握っていたのだ。 それ以前に、どうやってジムからポケモンセンターにやってきたのか……ネイトのボールをジョーイに渡すまでの記憶が吹っ飛んでいる。 覚えているだけ無駄だと、すぐさまゴミ箱にでも投棄したのだろうか。 まあ、そこのところはどうでもいい。 どうせ、ロクな気分でなかったことは間違いないのだから。 「ドラップが言うこと聞いてくれないなんて……」 アカツキが陰鬱な気分になっている理由は、手にしたボールの中でのんびり過ごしているであろうポケモン……ドラップだった。 ジム戦デビューということで張り切ってモンスターボールの外に出したのだが、どういうわけか戦おうとせず、 あまつさえトレーナーの言葉を無視し、バトルフィールドを出て木の実をパクつき始める始末。 これでは、バトルにならない。 案の定、審判がドラップの戦意喪失を認め、アカツキの初めてのジム戦はそこで幕を閉じた。 「なんでだろ……」 理由など分かりきっている。 ジムリーダー・ヒビキに言われた通りだった。 君がドラップとちゃんとコミュニケーションを取っているかどうかってことだ。 ちゃんと心を通わせていれば、言うことを聞かないなんてことはないと思うんだけどなあ。 ちゃんとスキンシップを図っていなかったのだ。 大丈夫だという過信がどこかであったのかもしれない。 「ドラップ、オレのことトレーナーとして認めてないってことなのかな……?」 このままじゃいけないということは分かっている。 なんとしてもドラップと心を通わせて、ジムリーダーにリベンジを果たすのだ。 それが今の自分のやるべきことだと、アカツキはちゃんと認識している。 いつまでも後ろ向きの考えでいるのは苦手だし、自分らしくしなければならない。 たが…… そう上手く行けば、世の中苦労というものは存在しない。 「ちゃんとオレのこと分かってくれるかな……?」 不安だった。 今度ボールから出した時、さっきみたいに無視されたらどうしよう。 ただでさえ、ちゃんとスキンシップを図っていなかった……コミュニケーションが不足していたせいで言うことを聞いてくれなかったのだ。 また繰り返されるのかと思うと、つい足を止めてしまう。 その場で足踏みをしていたって、何にもならないと分かってはいるけれど。 それは恐らく、アカツキが生まれて初めて感じる『大きな不安』だった。今までは、ちょっと暗い不安になったって、 「どうにかなるなる。大丈夫!!」 という具合に、すぐに乗り越えてきた。 しかし、今回は違う。 ポケモンが自分の言うことを聞かず、好き勝手な行動を取るという、目に見える形で現れてしまったのだ。 漠然とした不安より、現実という形で現前したものの方が、心を大きく揺さぶるものなのだ。 「…………」 アカツキはじっとドラップのボールを見ていた。 ポケモンセンターの庭では、彼が落ち込んでいることすら知らん顔で、何人ものトレーナーがそれぞれのポケモンと遊んだり、 昼寝したりと、思い思いの時を過ごしている。 自分も同じように、ドラップと触れ合うべきなのだ。 嫌われたって、いつものように明るい笑顔で接するべきなのだ。 それを続けていれば、いずれはドラップの方が折れるだろう。 そうしたら、してやったりと得意気な笑みを浮かべるのだ。 そうしたい気持ちはある。 だが、できない。 次はどうなるのか……という不安が消えないからだ。 「…………どうしよう。こんなことになるなんて……」 ジム戦で負けたことをポケモンのせいにするつもりはない。 ドラップがちゃんと戦ってくれれば……などと言うつもりもない。 足りなかったのは、自分のトレーナーとしての技量だったのだ。 ポケモンとのコミュニケーションを充実させ、安心してバトルを任せられるようにすることだったのだ。 それができなかったのだから、トレーナーの技量が足りなかったと言うしかない。 「オレのこんなトコ見たら、兄ちゃん怒るんだろうなあ……」 兄のような立派なトレーナーを目指しているが、その兄が今の自分の姿を見たら、きっと殴りかかってくるだろう。 「こんなの、アカツキらしくねえっ!!」 などと怒鳴りながら。 その様子を想像して、思わず苦笑いする。 「そう、だよな……」 ドラップに嫌われていたらどうしようという不安はあるが、傷つくことがあろうと、前に向かって歩き出さなければならない。 ドラップをゲットしたのは自分だ。 ならば、トレーナーとしての責任は果たさなければ。 そう思って、少しだけ気分が上向いたところで、すぐ傍から声をかけられた。 「どないしたん? そないな顔して」 「……?」 聞きなれない声に、アカツキは驚いて振り向いた。 いつの間にそこにやってきたのか、隣に少年が腰掛けていた。 「……い、いつの間に……」 まったく、気づかなかった。 それだけ、ドラップのことをいろいろと考えていたのだろう、ということにすら考えが及ばない。 少年は得意気な笑みを口元に浮かべ、アカツキを見つめていた。 歳はアラタと同じくらいだろうか。 赤茶と黒の間にあるような色の髪を肩口まで垂らし、整った顔立ちも相まって、 首から上だけなら、離れたところから見れば少女と見間違うかもしれない。 縁の薄いメガネをして、黒いシャツと薄手のジャケット、黒いズボンという、簡素な服装でまとめている。 もちろん、アカツキの知らない顔だった。 どうして声をかけられたのかも分からないのだが、アカツキが驚いているのを余所に、少年は構わず言葉を続けてきた。 「さっきからずっとそのボール見てたやろ。何かあったんか?」 「え……いや、別に」 聞き慣れない方言など用いられたものだから、正確に何を言っているのか分からない。 大まかになら分かるが、それでも意味が通じるのだから問題ない。 むしろ、アカツキが気になるのは、少年が関西弁など用いて会話しているということだった。 自分でも、どうしてそんなところを気にしているのか分からないのだが。 「何もあらへんなんてことないやろ。俺に嘘は通用せえへんで?」 「う、嘘じゃ……」 他人に言ったところで仕方のないことだと、アカツキはシラを切り通そうとしたが、 少年はアカツキの気持ちを読み取っているように、巧みな話術を披露してきた。 「あかんなあ、嘘ついちゃ。 そのボールの中におるポケモンのこと、いろいろと考えとるんやろ?」 「う……」 先回りするような言い方だったので、何も言い返せない。 先手を打たれて待ち伏せされているようなものだ。行き当たりバッタリな考えでどうにかなる状況ではない。 「…………」 アカツキは少年とドラップのボールを交互に見やった。 一人で抱えきれないこと……というわけではない。 できれば自分の力で解決すべきところだが、もしそれが難しいなら、他人の助言を受けて解決に導くのも悪いことではない。 むしろ、自分の力で解決できないからといって、助けを借りることを恥じるより、 たとえ一人でも助けてくれる人がいることを誇りに思うべきなのだ。 アカツキは、格闘道場の師範からそう教えられてきた。 助けてくれる人がいる…… そんな口調とは思えないが、もしかしたら、目の前にいる少年は自分を助けようとしてくれているのだろうか? とはいえ、下心があるのではないかと、あまりにあっけらかんとした態度が逆に疑わしかった。 信じようかどうか決めかねていると、少年は腰に差したモンスターボールを手に取った。 「……?」 何をしようというのか。 アカツキは少年の手にあるボールを見やった。 「ほな、来ぃや、ルナ!!」 少年はボールに向かってつぶやくと、軽く真上に放り投げた。 すると、その声に応えてボールが開き、少年の前にブラッキーが姿を現した。 「ブラっ……?」 犬のような体型で、真っ黒な身体のところどころに黄色い輪のような模様が浮き出ている。 耳とシッポの真ん中あたりも、その模様と同じ色をしていた。 赤い双眸は、血を凝固してできたような鮮やかな色を呈していたが、黒い瞳孔はとても優しげな雰囲気を放っていた。 ブラッキーという、悪タイプのポケモンである。 少年にルナと呼ばれたブラッキーは、トレーナーの傍にいる見知らぬ少年――アカツキのことである――をしげしげと眺めていた。 ――アンタ誰? どうしてあたしのトレーナーの傍にいるの? そう言いたげな視線だった。 「これって、ブラッキー?」 アカツキはこちらをじっと見つめてくるブラッキーに目をやっていた。 目と目が合うが、気にしない。 それよりも、話には聞いたことがあっても見たことのないポケモンが目の前にいるということで、好奇心に火がついた。 この時点ですっかりドラップのことは気にならなくなっていたのだが、本人がそれに気づいているかどうか…… それはともかく、ブラッキーはネイゼル地方ではかなり珍しいポケモンだった。 そういった意味で、アカツキはブラッキーのことを小耳に挟んでいたのだ。 「このブラッキー、ルナ言うてな。俺のパートナーなんや。どや、可愛ぇやろ?」 「あ、うん……」 可愛いかどうかはともかく、ルナは愛嬌があるように見えた。 普通のブラッキーはもっと人を寄せ付けないような雰囲気なのだそうだが、ルナはそういったものが見受けられなかった。 「…………」 目と目が合う。 アカツキの目から見たルナの印象は、愛嬌があるということと、引き締まった体格からしてもよく育てられているということだった。 「なんか、よく育ってるように見えるな……」 ルナの物腰が、どこかネイトに通じるような気がして、育てられていると思った。 「ルナ、俺ら、大事な大事な相棒やもんな〜?」 「ブラっ……!!」 少年が手を差し出すと、ルナはうれしそうな顔で、その手に頬を寄せた。 「…………!!」 無理をしている様子もなく、ごく自然な仕草だった。 少年もルナも、本当に互いのことを大事に思っている。 だからこそ、こんな風に自然にスキンシップを図れるのだ。 「もしかして、オレがドラップにしてあげられなかったことって……」 何も、無理に仲良くなろうとしなくても良かったのだ。 少年とルナが仲睦まじくしているのを見て、やっと気づいた。 本当にやらなければならないことが何なのか。分かったような気がした。 少年とルナの自然なやり取りに気づかされた。 それに、少年とルナは確かな絆で結ばれている。 一目で分かった。 「本当にポケモンのことを大事に思ってるんだ。そうじゃなかったら、こんな風にできないよなあ……」 少年がルナのことを大事に思っていることも分かった。 そうでなければ、ルナもこんなうれしそうな表情をするはずがない。 「そーゆーわけやから、何があったんか、教えてくれへん? なんや、ドドーンって落ち込んどるヤツ見とると、放っとかれへんやろ」 「…………」 ポケモンを大事に思っている人になら、話してもいいかもしれない。 力になってくれなくても、話すことで気持ちが楽になるかもしれない。 アカツキは少年を信じて、打ち明けることにした。 もう、やるべきことは分かっている。 それでも、大切なことを気づかせてくれた彼に、言っておきたいこともある。 「さっきジム戦やったんだけど、ドラップがオレの言うことを聞いてくれなくて……バトルにならなくて、負けちまったんだ」 モンスターボールから出したポケモンが言うことを聞かず、戦意喪失と見なされて戦闘不能となり、ジム戦で負けてしまったこと。 それから、何をどうすればいいのか分からなかったこと。 包み隠さずに話すと、少年は満足げに笑みを深めた。 やっと言葉を吐いて、少しは楽になっただろうと言いたげだった。 「でも、何をすればいいか分かったよ。 あの……キミとルナのおかげで。ありがとう」 アカツキは笑顔で礼を言った。 何も、無理をする必要はない。仲良くなろうと意識して行動していては、そうやって無理をしているところをポケモンも理解するだろう。 そうなると、お互いにギクシャクしてしまうだけだ。 自然に……いつものようにやればいい。 それを思い出させてくれた。 少年が何のつもりで声をかけてきたのかは知らない。たぶん、落ち込んでいるヤツを見るに見かねて声をかけてきたのだろう。 どういうつもりであったにせよ、アカツキは少年とルナのやり取りに、自分のやるべきことを見出した。 それだけで十分だった。 「……そっか。やったら、それでええ」 「うん。ありがと!!」 アカツキが何らかの答えを見つけ出したのだと悟り、少年は笑みを深めた。 皆まで話したくないなら話さなければいいのだし、どうせ自分が一方的に世話を焼いただけのことだ。 アカツキはドラップのボールを腰に差すと、立ち上がった。 先ほどまで落ち込んでいたとは思えないくらい、清々しい表情をしていた。 ……と、そこへジョーイがやってきた。 「回復が終わりましたよ」 「ありがとう、ジョーイさん!!」 言葉と共に差し出されたネイトのボールを受け取ると、アカツキは大きな声で礼を言った。 これで役者は揃った。 あとは……行動で示すだけだ。 「じゃ!!」 アカツキは少年に笑みを向けると、踵を返して駆け出した。 あっという間にポケモンセンターのロビーを駆け抜け、外に飛び出して行った。 「…………」 あまりの行動の早さに、少年はルナ共々呆然とするしかなかったが、 「なんや、おもろいやっちゃな。そう思わへんか、ルナ?」 「ブラっ……」 少年の言葉に、ルナは小さく頷いた。 落ち込んでいたかと思ったら、何がなんだか分からないうちに笑顔を取り戻し、あっという間にポケモンセンターから出て行ってしまった。 少なくとも今まで見たことのないタイプの相手だっただけに、なんだか無性に気になる。 どうでもいいお節介からこんな気持ちになるのも悪くない。 そう思って、少年は笑みを深めた。 Side 6 アカツキはフォレスタウンの北部にある、あまり人気のない一画を訪れていた。 道行く人に、 「あまり人のいない場所ってありませんか?」 と訊ね回り、やっとたどり着いた場所だった。 どうしてあまり人のいない場所を選んだのかというと…… 「ネイト、リータ、ドラップ、出てこいっ!!」 フォレスタウンの街中にも増して緑の濃い場所でなら、みんなリラックスして楽しめるはずだった。 アカツキはそんなことを思いながら、三つのモンスターボールを頭上に放り投げた。 すると、次々と競い合うようにボールが口を開き、中から三体のポケモンが飛び出してきた。 ネイト、リータ、ドラップだ。 ネイトとリータはともかく、ジム戦で言うことを聞いてくれなかったドラップも、呼びかけに応じて素直に出てきてくれた。 それとこれとは別だとでも言うのか……思ったが、アカツキは素直に安心していた。 ドラップは自分のことを嫌いなわけではない。 嫌いなら、一緒にいなければいい。 ポケモンは人間と比べ物にならないほどのパワーを秘めている。 その気になれば、アカツキなど軽く蹴散らして他の場所に行くことだってできるし、ポケモンにはそれを決める心だってある。 だから、どこにも行かないのは、アカツキのことを嫌っていないということだ。 ただ、どこか気に入らないところはあるのかもしれない。 ここにたどり着くまでの間に、いろいろと考えてみた。 ドラップと心と心で触れ合うにはどうすればいいのか。 ポケモンセンターで声をかけてくれた少年のおかげで、思い出すことができた。 「ブイ〜っ」 「チコっ」 ネイトとリータはモンスターボールの外に飛び出すと、新鮮な空気を満喫するようにはしゃいでいた。 ネイトはバトルで受けたダメージなど感じさせないほど明るい表情をしていた。 負けたとは言っていないが、間違いなく理解しているはずだ。それでもこんなに明るく振る舞えるのだから、大したものだ。 アカツキは、ネイトが元気にしているのを見てホッと胸を撫で下ろしたが、そう浮き足立ってもいられない。 自然と、視線がドラップに向けられる。 ドラップは飛び出してからずっと、アカツキのことを見ていた。 逃げるわけでも威嚇するわけでも噛み付くわけでも謝罪するでもなく、ただじっと見ていた。 アカツキはニコッと笑いかけて、ドラップに歩み寄った。 正直、ドラップが言うことを聞いてくれなかったのはショックだったのだが、それをドラップのせいにするわけにはいかない。 自分が至らなかったせいだ。 ドラップのことをちゃんと見て、ちゃんと理解しようともせずに、一方的に理解したと思い込んでいただけだ。 一方的な気持ちでは、相手が理解など示してくれるはずがない。 ジムリーダーの言葉に、目が覚めた。 「よう、ドラップ。さっきは木の実いっぱい食べてたけど、お腹いっぱいになったか?」 「…………」 アカツキが明るい口調で話しかけてくるものだから、さすがのドラップも戸惑っているようだった。 一体どういう風の吹き回しだ? 先ほどは怒鳴ってさえいたのに、今はこんなにも明るい。 決して疑っているわけではないものの、何かあるのではないかと思ってしまう。 だが、ドラップがそう思っていることなど知らぬと言わんばかりに、アカツキは言葉を続けた。 「なあ、ドラップ。オレたちのこと、嫌い?」 何の前触れもなく、そんなことを言った。 あまりに唐突だったが、それを突っ込む者もいない。 笑顔で言われると、まったくその通りには聞こえないのだが、ドラップには分かった。 アカツキが、自分の気持ちを確かめようとしているのだ……と。 身体が大きく、繊細とは程遠い外見の持ち主ではあるが、人一倍繊細な心の持ち主だったりするのだ。 だから、なんとなくだけど分かる。 「……ごぉぉ」 ドラップは小さく首を横に振ると、小さく嘶いた。 嫌いじゃない。 「そっか……オレはドラップのこと大好きだよ。 なんでって? 一緒に旅ができるんだから、嫌いなワケないじゃん。嫌いだったら、一緒になんていないからさ」 「…………」 アカツキとドラップのやり取りを、ネイトとリータは黙って見ていた。 ネイトはアカツキのことを完全に信じているらしく、明るい表情をしていたが、 リータはどこか不安げだった。アカツキよりも、ドラップの方が気になるらしい。 アカツキは笑みを深めると、ドラップの腕の先端の鉤爪に軽く触れた。 嫌いではないのだから、いきなりクロスポイズンなど放ってきたりはしないだろう。 硬そうな質感をしているが、ほのかに暖かい。 「ドラップって強そうだもんな。 一緒に戦ってくれたら、きっと心強いんだろうなって思うんだ」 「…………」 ドラップの顔を見上げ、ニコッと微笑む。 「でも、さっきはゴメンな。 オレ、ドラップのことちゃんと理解してあげられなかった。そんなオレとじゃ、一緒には戦えないよな」 ドラップをゲットした後のことを思い返すと、気分的には落ち込んでしまうが、それでも笑みは崩さない。 無理もしていない。 いつもどおりにしているだけ。 ポケモンならそういったところには敏感だろうから、すぐに分かってくれるはずだ。 これが自分の本心だ、と。 「だから、オレ、ドラップのこともっと知りたい!! 一緒に遊んだりして、仲良くなりたい!! ネイトもリータも、同じこと考えてるよ。だから、遊ぼう!! なっ!?」 ここで、アカツキはネイトとリータを巻き込んだ。 自分ひとりと遊ぶより、ネイトやリータを交えた方が楽しいだろう。 ドラップは視線をアカツキからネイトたちに向けた。 笑顔で楽しげにシッポを振っているネイトと、不安げではあるが、遊びたいと思っているリータ。 ポケモン同士であれば、ポケモンと人間という取り合わせよりもよほど相互理解が早く進む。 計算ではないが、アカツキはそう考えて、ネイトとリータを巻き込んだのだ。 「ブイ、ブイ〜っ!!」 「チコっ!!」 アカツキの意を汲んで、ネイトはぴょんぴょん飛び跳ねながらドラップに触れた。 遊ぼう、一緒に遊ぼう。 ネイトほどではないにしろ、リータもそれなりに明るい性格の持ち主だ。 アカツキとネイトとリータ。 三人がかりで、遊ぼうと言っている。 ネイトとリータの言葉ならちゃんと理解できるから、ドラップにだって彼らが何をしようとしているのかは分かる。 嫌いなワケじゃない。 かといって、好きというほど好きでもない。 ドラップは怪訝そうな目で、ニコニコ笑顔のアカツキを見つめた。 先ほどは言うことを聞かなかった。 それはアカツキだって分かっていることだし、ドラップだって自覚くらいはある。 そのことには触れようとせず、もっとドラップのことを知りたいから遊ぼうと言ってきた。 怒ろうと思えば怒れたはずだ。 散々に扱き下ろすことだってできたはずだ。 それをしなかったのは、お互いに嫌な気分になるから。 そんな後ろ向きな考えで時間を無駄に潰すより、前向きに明るく、時間を共有していたい。 アカツキが振り撒く笑顔と明るい雰囲気に、ドラップは観念した。 敵わないと思うしかなかった。 つれなくしたのに、それでも笑顔でいられる。 さっきまでアカツキが落ち込んでいたことなど知る由もないが、大事なのは今だ。 もちろん、過去の積み重ねが今を作っている。それでも、今を一番大切にしたい。 今を大事にできないヤツが、思い描いた未来にたどり着けるはずがないのだから。 「何して遊びたい? やっぱ、鬼ごっことか?」 「ブイ〜っ!!」 アカツキの問いかけに真っ先に反応したのは、当然ネイトだった。 鬼ごっこと言えば、いくら必死になって追いかけてもネイトに追いつけなかったし、湖に逃げ込まれた時は、それこそどうしようもなかった。 だけど、楽しかった。 ネイトと一緒に遊ぶというのは、アカツキにとってとても楽しいことだったから。 それを、今度はリータとドラップを加えるのだ。 楽しくならないはずがない。 「…………」 「あ。ドラップは鬼ごっこって知らないんだっけ……」 ドラップが困ったような顔をしているのを見て、今さらのようにアカツキは手を打った。 昨日まで野生のポケモンだったドラップが、人間が考案した鬼ごっこを知っているはずがない。 提案した時点で気づくべきだったが、何をして遊ぶか夢中になって考えていたのだ。分かるはずもない。 だけど、アカツキはそれさえネタにして明るく笑い飛ばした。 「えっとね、鬼ごっこって言うのは……」 ドラップの困ったような顔を笑顔で見つめ返し、どう説明しようかと考えをめぐらせた時だった。 「だったら、俺と遊んでくれないか」 「えっ……?」 突然背後から声をかけられ、アカツキは驚いて振り返った。 すると、ガサガサと茂みが音を立て、黒いオーバーコートを身にまとった少年が現れた。 歳は十代の半ばを少し過ぎた辺りか。 多少の幼さを残しながらも、全体的には大人の整った顔立ちをしているが、全身を黒い衣服で固めているせいか、暗い印象を受けた。 「えっと……あんた、誰?」 当然、知らない顔だった。 聞いたこともない声だった。 それなのに、どうして茂みの奥に潜んで、頃合を見計らったように『俺と遊んでくれないか』などと口走ったのか。 意味が分からない。 アカツキとネイトとリータは呆然としていたが…… 「ごぉぉぉぉ……!!」 ドラップは低い唸り声を上げると、無表情の少年を睨みつけた。 背後に凄まじい雰囲気を感じて、アカツキは肩越しにドラップを見やり……驚くしかなかった。 「ど、ドラップ……?」 すごく恐い顔をしていたからだ。 嫌悪どころではない。憎悪さえしている相手に向けるような、それこそ鬼の仮面をかぶっているかのような顔だ。 一体どうしたのだろう? 「落ち着いて、ドラップ!!」 アカツキはドラップに落ち着くよう言葉をかけながら、少年をチラリと見やった。 「あんた誰だよ!! ドラップの知り合いか!?」 見知らぬ相手にドラップがここまで気を立てることはないだろう。 きっと、知っているのだ。 そう思って、アカツキは声を荒げた。 ただ事ではないだろうし、相手は得体の知れない存在だ。 いくら陽気で明るく人懐っこい性格でも、すぐ気を許せるはずがない。 増してや、大切な仲間であるドラップがこんな表情を向ける相手だ。 どう考えても『オトモダチ』などであるはずがない。 黒ずくめの少年は、ドラップをずっと監視していた。昨日、ポケモンセンターの庭に繰り出した時から、今までずっと。 ジム戦だって、高性能な赤外線スコープを使って、遠くから視ていた。 アカツキもドラップも、それに気づいてなどいなかった。 当たり前だ。 気づいていれば、こんな反応を見せたりはしない。 少年はアカツキとドラップの敵意にすら似た雰囲気を向けられても動じることなく、淡々と言った。 「俺はソウタ。ただの元放浪者だ。 顔なんて覚えなくていい。どうせ、そう長い付き合いでもない」 「……?」 まるで意味が分からない。 少年――ソウタの言葉は、アカツキにとって意味不明な呪文以外の何者でもなかった。 顔なんて覚えなくていい。どうせ、そう長い付き合いでもない。 一体何をするつもりなのか? まるで分からない。 ソウタはドラップを指差して、 「そいつを貰い受けに来た。もともと、俺たちのところにいたヤツだ。連れ戻しに来たんだよ」 「えっ……?」 その言葉に、アカツキは呆気ないほど簡単に敵意を途切れさせた。 連れ戻しに来た…… それは、自分のポケモンだったという意味か。 いや、それならアカツキのボールには入っていない。 一度トレーナーにゲットされたポケモンは、他のトレーナーのボールには入らないのだ。 だから、余計に意味が分からなくなる。 「おまえのところにいるのは間違いだ。 本当は俺たちのところにいるべきヤツなんだ。おとなしく渡してもらおう」 「な、何言ってんだ!! ドラップはオレのポケモンだ!! なんであんたに渡さなきゃいけないんだ!!」 当然、アカツキは突っぱねた。 どんな言い分があるにせよ、ドラップがここまで敵意をむき出しにしている以上、 もしドラップがソウタの元にいたのが事実であったとしても、渡すわけにはいかない。 きっと、いい思いをしなかったのだ。 そんな相手に、どうして自分の仲間をすんなりと渡せる? アカツキにとって、ドラップは大切な仲間だ。家族だ。 もしかしたらそれ以上に大切なのかもしれない。 言うことを聞いてくれなくても、それだけは変わらない。 アカツキが眉を吊り上げ、声を荒げてまで拒否の姿勢を示すものだから、ソウタは苦笑した。 ここまで意地を張るのはなぜか。 そんなことはどうでも良かったが、最初からこうしていれば良かったのだ。 わざわざ訊ねただけ、無駄な時間をかけてしまった。 「まあ、いい……」 小さくため息を漏らすと、コートの内ポケットからモンスターボールを取り出した。 「それなら、力ずくでいただくとしよう。 俺もおまえもポケモントレーナーだ。ポケモンバトルは断れまい」 「な、なんでそれで決めんだよ!! ドラップはオレの仲間なんだ!! 絶対に渡さないっ!!」 「行け、スティール」 アカツキの言葉にも怯むことなく、ソウタは手にしたモンスターボールを軽く頭上に投げた。 彼の声に応えてボールが開き、中から巨大なポケモンが飛び出してきた。 「ガァァァァァッ!!」 「……っ!!」 蛇のような身体をしたそのポケモンは、飛び出してくるなり森中に響き渡るのではないかと思えるような咆哮を上げた。 「わっ……な、なんだコイツ……!?」 見たこともないポケモンに、アカツキは驚くしかなかった。 ネイトもリータも同じように驚いていたが、ドラップは敵意をむき出しにそのポケモンを睨みつけていた。 黒い鉄の塊を繋ぎ合わせたようなポケモンで、頭部は胴体と比べると大きく、粗暴で凶暴な印象を与える。 体長は十メートル近く、身体の大きさだけでも十分すぎるほどの威圧感を放っている。 ハガネールというポケモンだ。 ネイゼル地方には棲息していないだけに、アカツキが知らないのも無理はなかった。 地面と鋼のタイプを併せ持ち、トップクラスの攻撃力と防御力(いずれも物理的なもの)を誇るポケモンだ。 そこまでは分からなくても、強敵だということは威圧感だけでも分かる。 「こいつと遊んでもらおうか。 ついでだし、そこの小生意気なヤツを叩き潰して、おまえがドラップって言ったドラピオンを貰い受けよう。 よし、そうしよう」 「なっ……」 威圧感に怯みそうになったアカツキに向かって、ソウタが楽しむような口調で言う。 彼は、遊びだと言った。 ハガネール……スティールでネイトとリータを叩き潰した上でドラップを奪っていくことを遊びなどという言葉で表現した。 アカツキにとっては到底遊びなどで済まされる状況ではないだけに、あっという間に怒りがヒートアップする。 「そういうわけだから、遊んでやってくれ」 「な、何言ってんだ!! ポケモンバトルでってんなら、いくらでもやってやる!! ドラップは渡さないっ!!」 アカツキはドラップの前に立ちはだかると、ソウタとスティールを睨みつけた。 正直、勝てるかどうかは分からない。 知らないポケモンが相手なのだ。ネイトの水鉄砲やアクアジェットで弱点を突けても、それが分からないのでは意味がない。 「スティール。おまえに任せる。 俺は……そうだな。見物でもさせてもらおう。粋がった子供がどれだけ足掻くかっていうのを見るのも、悪くない」 「言ってろよ!!」 いちいち鼻につく言い方をしてくれる。 アカツキは怒りに満ちた表情でソウタの言葉を突っぱねると、スティールを指差して、ネイトとリータに指示を出した。 リータに代表されるチコリータが使う技はある程度知っているから、指示を出して戦わせるのは容易い。 「ネイトは水鉄砲!! リータは葉っぱカッターだ!!」 何のつもりか知らないが、ソウタはドラップを奪っていくつもりなのだ。 たとえ彼らの元にいたのだとしても、今は自分の大切な仲間だ。 仲間を奪っていこうとする輩には、毅然とした態度で立ち向かう。 普段のアカツキからは想像もできないような熱血ぶりだが、こういう時にこそ人の本質が現れるものだ。 スティールの威圧感にさらされて怯みかけていたネイトとリータも、 アカツキの気持ちに触発されたのか、ドラップを守ろうとそれぞれの技を放つ。 ネイトは口から水の奔流を。リータは回転する葉っぱを打ち出した。 同時に繰り出された、異なるタイプの技。 しかし、どれも威力の高いものではなく、ソウタは気にさえしていなかった。 スティールなら、この程度の技は簡単に捌けるだろう。 指示など出すまでもない。 高みの見物を決め込んでも問題ない力量の相手だと思ったからだ。 案の定、スティールは己の考え方でネイトとリータの技を処理した。 身体と同じく黒光りする鋼鉄のシッポを振り上げると、目の前の地面に叩きつける!! 「……!?」 刹那、叩きつけられたところがひび割れを起こし、強烈な振動によって周囲の地面が持ち上げられる。 ネイトの水鉄砲と、リータの葉っぱカッターが持ち上げられた地面に炸裂するが、粉々に打ち砕いたところで二つの技は力を失った。 避けるでも、防ぐでもなく、器用に技を使いこなして迎撃してしまったのだ。 「う、ウソ……!!」 あまりに鮮やかな手並みに、アカツキは驚愕した。 ネイトとリータの渾身の一撃をこんなに簡単に防いでしまうなんて…… 喉がカラカラに渇いていくのを感じる。 こんな得体の知れないヤツに本当に勝てるのか……? 一瞬、気持ちが揺らいでそんな考えが頭の中に侵入してきたが、こういう時は…… アカツキは肩越しにドラップを見やった。 ドラップは憎悪にすら似た敵意をスティールとソウタに向けていた。 彼らに散々な目に遭わされてきたのだろうか。 そう思うと、何がなんでも負けられない。 ドラップのためにも、こいつらを倒すか敗走させるかしなければならないという気になってくる。 「それなら……」 同時に攻撃したところで防がれるなら、別々に攻撃させる。 「ネイト、高速移動であいつの周りを動き回って!! その間にリータは葉っぱカッターを連射!!」 スティールを指差し、指示を出そうと口を開いた瞬間だった。 どぉんっ!! 森を震わす轟音が響く!! 「……!?」 思考にヒビを入れられ、考えが飛んだ。 その音に釣られるように、ソウタが街の方を振り仰ぐ。 「始まったか。長々と時間はかけていられないようだな……スティール。全力で叩き潰せ」 立て続けに轟く轟音に、ソウタはスティールにそう言った。 Side 7 時は少し遡り、フォレスジムのジムリーダー・ヒビキは、ジム備え付けの体力回復装置で、精一杯戦ってくれたストライクを回復させていた。 「ストライクを倒したところまでは良かったんだが……さすがに、子供にドラピオンというのは、いささか荷が勝ちすぎていたか」 装置の中で淡く輝くモンスターボールを見つめながら、ポツリつぶやく。 ジムの控え室であるこの部屋には、ヒビキしかいない。 審判にはバトルフィールドの後片付けを頼んでおり、事務員は上階でいつもどおり、経理の仕事をしているはずだ。 「…………」 一人、部屋に佇みながら、先ほどのジム戦を思い返していた。 腰に差しているボールには、メガニウムが入っている。 結局、メガニウムは大して活躍させられなかったが、結果として勝利したのだから、そこはあれこれ言わないことにしよう。 ニードルブレスでブイゼルを戦闘不能にし―― その後は、相手のポケモンが戦意を示さなかったため戦闘不能扱いとなり、そこで決着した。 ストライクが何のために倒されたのかも分からなくなるような、実に呆気ない幕切れだった。 その相手は、トレーナーになったばかりの少年だろう。 ポケモンが、自分の言うことを聞いてくれなかったことにショックを受けて、トボトボと淋しげな足取りでジムを後にしたのを見送った。 実力的には今ひとつで、意気込みが空回りした印象が否めなかったが、ヒビキの目から見て、少年の筋はかなり良かった。 誰もが磨けば光る原石だが、少年は最高級のダイヤモンドを思わせる輝きを秘めていたように思えた。 今回の敗北にめげずことなく、自らの欠点を認めた上で腕を磨き、再挑戦(リベンジ)してくれればいいのだが…… そう思っていると、扉をノックする音が聞こえた。 「はい」 肩越しに振り向き、声をかける。 すると…… 「パパ、入るよ〜?」 「ああ、入っておいで」 てっきり審判がフィールドの掃除を終えて、報告に来たのかと思ったのだが、そうではなかった。 うれしい誤算に、ヒビキは口元を緩めた。 扉の外にいた相手は彼の承諾を得ると、すぐに扉を開いて室内に入ってきた。 「ミライ、戻っていたんだね。思ったより早かったみたいだけど」 優しい言葉と笑顔で、入ってきた少女――ミライを出迎える。 何を隠そう、ミライはヒビキの娘……つまり、フォレスジムのジムリーダーの娘なのだ。 街の住人は誰もが知っていることだし、公言するほどのことではない。 ジムリーダーだって人なのだから、人並みに結婚して子供だって授かる。 だから、当人たちはそんなに気にしていなかった。 「うん。思ったよりも捗ったから」 ミライはヒビキに駆け寄ると、重苦しい音を立てて起動している回復装置に目をやった。 そこには、ストライクのモンスターボール。 「パパはジム戦が終わったの?」 「うん」 「勝ったの?」 「まあね」 「やっぱりパパは強いよね!!」 「それほどでもないよ。僕より強い人なんていくらでもいるんだから」 「でも、わたしにはパパが一番なの!!」 「いやだなあ、もう……照れるじゃないか。それに、ミライもずいぶんと口が上手になったね」 ジム戦で勝利したことを聞くと、ミライは今にも天に舞い上がらんばかりに満面の笑顔でキャピキャピ騒ぎ出した。 誰よりも尊敬していて、この世で一番大好きな父親がジム戦で勝利したのだから、 うれしくなって当然なのだが、いくらなんでも騒ぎすぎである。 場所がこの部屋でなければ、その口を塞いででも黙らせているところだが、今日だけは大目に見てやろう。 手に入れた木の実の粉末を混ぜたポケモンフーズを、家で彼女の帰りを待っていたパチリスに食べさせて、大絶賛を受けた後なのだろうから。 興奮が冷めやらないのも理解できる。 「で、ジム戦の相手って誰? もしかして、アカツキって子じゃなかった?」 勝った相手のことが気になったのか、訊ねてくる。 ――と、ヒビキは怪訝そうに眉根を寄せた。 「そうだけど。知ってるのかい?」 「うん」 まさか、先ほどジム戦を行った相手と知り合いだったとは思わなかった。 目に入れても痛くないほど娘を溺愛している父親としては、どういう馴れ初めだったのか気になるところだ。 しかし、あの少年はそういったタイプではないだろうから、いちいち聞き出すことはしなかった。 それどころか、ミライが勝手に話し始めた。 「森の中でちょっとパニックになってたところを助けられて……それで、木の実の場所まで一緒に行ってもらってたの」 「そうなのか。それじゃあ、知ってて当然だね」 「うん」 相槌を打ち、話を合わせる。 単に『うんうん』と適当に返すよりも、同意した上で一言でも感想を返してやるのが聞き上手というものだ。 父親がちゃんと聞いてくれているのを肌で感じて、ミライは気を良くしたらしく、アカツキと一緒にいた時のことを話した。 「木の実のある場所まで行ったら、ドラピオンがやってきて…… わたしは逃げようって言ったんだけど、あの子、ゲットするって言って聞かなかったの。 で……戦ったんだけど、そのドラピオンったらなんだか強いものだから、ピンチになっちゃって。 でも、逃げなかったんだ。逃げようと思えば逃げられたけど…… ブイゼル――ネイトって言うんだけど、ネイトが戦うんだから自分が逃げるわけには行かないって言ってたよ。 なんか、本当にすごいなって思って…… 見てられなかったし、わたしだけ何もしないっていうのも嫌だったから、 ラムの実とオボンの実をあげて、それでなんとかドラピオンをゲットしちゃったの」 興奮気味に話す娘の表情を見て、ヒビキは笑みを深めた。 他人のことをこんな風に話すのは初めてだったが、それはミライにとって貴重な経験だったから。 父親に聞いてもらいたいと思っていたからだろう。 そんな経験をしたのなら、悪くはない。 娘のためにもなることだと、むしろ微笑ましいとさえ思っているほどだ。 それはそうと、なかなか興味深い話だった。 少年がドラピオンを手持ちに加えていた経緯が分かったし、なかなかどうして骨があっていいトレーナーだ。 ミライが少し積極的になったように思えたのも、少年の影響だろうか。 だとしたなら、なかなかに面白い。 しかし、一頻り話し終えた後、少年がジム戦で負けたということに思い至り、表情が曇る。 「アカツキ、負けちゃったんだね」 「うん」 「…………」 先ほどまで興奮していたとは思えないほど、クールダウンしていた。 もしかしたら、少年に親近感でも抱いていたのだろうか。 「でも、彼はなかなか見所があるよ。 一回負けたくらいでへこたれてたら、それまでってところだろうけど……だけど、彼みたいな子は何度だってやってくると思う。 僕としても、そういうトレーナーを育てる礎になるんだったら、悪くないと思っているよ」 「パパ……」 ヒビキが少年に見所があり、将来が楽しみなトレーナーだと言うと、ミライの表情が明るくなった。 父親が凄腕のトレーナーだと分かっているから、実力差を思い知らされてどうにかなったのではないかと余計な心配をしたのだが、 それは杞憂に過ぎなかったらしい。 「そうだよね……あっという間にリータと仲良くなっちゃったんだもん。 それくらいやっちゃうよね」 あの少年なら、再戦を挑んでくるだろう。 何度負けるか知らないが、負けても負けても立ち向かってきそうだ。 そうしていつかは勝利し、リーグバッジを手にする……そんな光景が頭に浮かんできて、ミライは思わず笑みを浮かべた。 「まあ、ジム戦の話はここまでにしておこうか」 このままだといつまで経ってもその話題で持ちきりになりそうな気がして、ヒビキは半ば一方的に話を打ち切った。 「ミライ、パチリスにポケモンフーズを食べさせたのかい?」 代わりに、娘がブリーダーとして頑張っていることを引き合いに出した。 あっという間に食いついてきた。話題が変わったことすら意識していないようだ。 「うん」 「喜んでくれたと思うけど、どうだった?」 「結構いい感じにできたよ。でも、まだまだかな。 パチリスは満足してくれてたけど、まだ改良の余地があるわ。次はもっと上手くできるように頑張らなきゃ」 「そうだね。自分が満足するってことが大事だよ。頑張って」 「うんっ!!」 誰かの満足のために頑張るのも大事なこと。 だけど、本当に大事なのは、その結果を以って自分が満足できるのか、ということだ。 最終的に、人は誰もが自分のために生きているのだから、自分自身が満足できるような生き方をすべきなのだ。 父親の思想は、娘にも受け継がれている。 無論、子供の頃に教え込んだ結果なのだが。 上を目指すというのは、とても大切なこと。 だから、現状に満足せずより高みを目指す娘の姿は、父親として素直に誇りに思えるものだった。 「それはそうと、どうしてここに来たんだい? 何か用があるんじゃないの?」 単なる気紛れでこんなところまでやってくるほど、ミライも暇ではないはずだ。 ヒビキの問いに、ミライは大きく頷いて、 「うん。実はね……」 用件を告げようとした時だった。 どぉんっ!! 天を穿たんばかりの轟音が周囲に響き渡った。 「……!?」 突然の轟音に、ミライは身体を大きく震わせると、今にも泣き出しそうな表情で慌てて周囲を見渡した。 突然与えられる衝撃には脆い少女なのだ。 特に心理的なものは、ちょっとしたことでパニックに陥ってしまう。 とはいえ、いきなり聞き慣れないような轟音が響いたのだから、驚かないでいる方がよほどすごい。 ヒビキは数秒驚いていたが、すぐに真剣な表情になった。 ミライの父親としてではなく、ジムリーダーとしての表情だった。 異常時だ――と、勘で判断した。 「思ったよりも近いな。しかも、これは……」 単なる爆発音ではないと読んで、ヒビキは回復装置を止めると、ストライクのボールを取り出して腰に差した。 「パパ?」 いきなり表情が変わったものだから、何かあったのではないかと思ってしまう。 不安げな表情を向けるミライに、ヒビキは真剣な表情を浮かべながらも口元で微笑みかけた。 「ミライはここにいなさい。 僕が戻ってくるまで、外に出てはダメだよ。いいね?」 「あ……うん」 話すだけの余裕がないということなのだろう。 ヒビキはミライを言い含めると、すぐさま部屋を飛び出していった。 扉が乱暴に閉じられ、足音が次第に小さくなっていく。 「…………」 本当に何があったのか分からないが、ただ事ではないのだろう。 「なんなんだろう、この音……」 単なる爆発にしては大きすぎる。 何が起きているのか気にはなるが、父親の言いつけを破るつもりはなかった。 ちょっとしたことでパニックに陥るという心の脆さは、ミライ自身が誰よりも心得ていたからだ。 下手に飛び出していけば、リータに背後から声をかけられた程度のパニックでは済まないだろう。 「でも、なんだか嫌だな。わたしだけ、足手まといみたいで……」 自分のことは自分が一番分かっている。 だからこそ、もどかしくてたまらなかった。 窓の外に目を向けると、そこには相変わらず鮮やかな緑が広がっているばかりだった。 Side 8 目の前の光景は、信じられないものだった。 疑う余地などない現実……だが、あまりにリアリティがありすぎて、逆に夢なのではないかと思いたくなるが、そこはやはり現実だった。 夢のように優しくはないし、今の時点ではハッピーエンドなどとは程遠い。 「そ、そんな……!!」 カラカラに渇ききった喉を潤すことすら忘れ、アカツキは大きく見開いた瞳を驚愕に震わせるしかなかった。 「ネイト、リータ!! 戻って!!」 スティールの強烈な破壊光線を受けて倒れたネイトとリータを、すかさずモンスターボールに戻す。 「この程度か。やはり子供だな。そいつを扱いこなすことなんてできやしない。 俺たちのところに帰るのが正解だ」 スティールの傍らで佇むソウタが、さも当然だと言わんばかりに、抑揚のない声でつぶやく。 だが、実際には呆気なく決着がついた。 ネイトはスティールの周囲を走り回って撹乱を狙い、その隙を突くようにリータが葉っぱカッターを連射していたのだが…… 大きなダメージを与える前にスティールが地震を放ち、ネイトとリータを転ばせた。 地震は震源に近いほど威力が増す大技。 それでいて、広範囲を攻撃できる。 空を飛んでいるポケモンや、あるいはジャンプ中でもない限りはまず避けられない。 もっとも、地震ゆえの特性を理解していたとしても、スティールがその技を繰り出すことを予見できないのなら、考えるだけ詮無いことだ。 地震でネイトとリータに致命的な隙を生み出した後、すぐ傍で転倒し、 立ち上がろうとしていたネイトをアイアンテールでリータのところまで弾き飛ばし、一塊になったところで強烈な破壊光線を放ってフィニッシュ。 実に一分とかからずにネイトとリータが同時に戦闘不能になってしまった。 下手をすれば、フォレスジムのジムリーダーよりも強いかもしれない。 圧倒的な力量の差を前に、アカツキはどうすればいいのかも分からなくなっていた。 辛うじて理解できたのは、ネイトとリータはもう戦えないということだ。 戦えないポケモンは、これ以上ダメージを受けさせないためにモンスターボールに戻す。 そこから先は……ハッキリ言って、何をどうすればいいのかも分からない。 「こんな……」 動悸がする。心臓がばくんばくんと大きな音を立てている。 無意識に胸に宛てた手から伝わる鼓動に、背筋が震える。この気持ちは何だろう……? 言い知れない恐怖とでも呼べばいいのだろうか? たった一体のポケモンで、こちらの戦力のほとんどを一気に崩壊させた。 大洪水? 大噴火? 天変地異に見舞われたように、あっという間の出来事だった。 「…………」 「分かっただろ。俺とおまえじゃ、実力が違いすぎる。 どう足掻いたって、勝ち目なんてない。これ以上傷つきたくなかったら、おとなしくそいつを返してもらおう」 ソウタはゆっくりとした歩調で歩み寄ってきた。 一歩一歩、無駄とも思えるほどの時間をかけて。 アカツキに今の状況を理解させようとするように。あるいは、その喉元に研ぎ澄ましたナイフを突きつけるように。 なんてことのない表情をしている相手に、アカツキは恐怖を覚えるしかなかった。 実力差があること自体は、正直そんなに驚いてはいない。 ただ、言葉では表せないが、底知れない闇のような何か……不安、恐怖、怯え……? ソウタの中にそういった重苦しいものが凝縮されているように。 「ぐるるる……」 ドラップはネイトとリータがあっさり倒されたことに驚きもせず、 むしろ相手に対する敵意を増幅させ、ひたすらスティールとソウタを睨みつけていた。 しかし、一歩も動かない。逃げようと思えば逃げられたはずだ。 十分な時間があった。ネイトとリータが必死になって戦った時間を使えば、ドラップは何らかのアクションを起こせた。 しかし、ただ睨みつけているだけだった。 ドラップもまた、強がっていただけだった。スティールの苛烈な力を目の当たりにして、過去の記憶が揺り起こされる。 それがドラップをこの場に縛りつけていたのだ。 「くっ……」 何をすべきか分からなくても、今自分がここにいるのは、ネイトとリータを戦わせたのは何のためだ? たった一つ。それだけを考えた時、アカツキは胸の奥底から突き上げるような気持ちを覚えた。 恐怖や不安や怯えといった負の感情が、一気に吹き飛んでいく。 「ドラップ……!!」 ドラップを守ることだ。 唸り声を上げたり、怖い顔で睨みつけていたって、その場を一歩たりとも動いていない。それは、動かなかったからではなく、動けなかったから。 動けなかったのは、恐怖があったから。 相手の気持ちに敏感なアカツキには、ドラップの心理状態が分かった。 手に取るように……というほど簡単ではなくても、ある程度なら分かる。 伊達にリータとすぐに心を通わせてはいない。 「ドラップを守るんだ!!」 どこの誰かも分からないヤツが、自分勝手な都合でドラップを連れ去ろうとしている。 それは立派な誘拐行為であるし、そもそも、そんな難しく考えなくたって、相手が誰だろうと、大事な仲間をそう易々と渡すわけにはいかない。 仲間を守る…… それが今の自分が何を賭してでも為すべきことだ。 分かったら、そこから先はその気持ちを核に、ありったけの度胸を振り絞って立ち向かうだけだ。 アカツキが、消えかけた敵意を再び燃え上がらせたのを読み取って、ソウタはあと五メートルのところで足を止めた。 圧倒的な力量の差を見せ付けられても、まだやる気でいるのだ。 「あきらめればいいものを……」 傷つかないためにはどうすればいいのか。 答えは簡単だ。 中途半端なところでリタイアすること。最初よりも中途半端なところであきらめた方がいい。 それを口にしたところで無駄だろう。 やる気なら、こちらだってそれ相応の覚悟でもって相手をするだけだ。 ……だからこそ『任務』なのだ。 「スティール。破壊光線」 エネルギーのチャージを終えたスティールに、ポツリと指示を出す。 スティールはトレーナーの指示通り、口を大きく開いた。 口の中に、オレンジの輝きが灯る。 「ドラップ!!」 アカツキはドラップの前に立ちはだかると、彼に背中を向けたまま、声を張り上げた。 「キミはオレが守るから!! 何があったって守るから!! こんなヤツに連れてかせたりはしないから!!」 破壊光線の威力が甚大なものであることは承知している。 だが、ドラップを見捨てるわけにはいかない。 モンスターボールに戻すという、初歩的でいてもっとも効果的な手段すらすっ飛ばしてしまうほど、 アカツキの気持ちに余裕らしい余裕や、冷静な部分はなかった。 「…………?」 ドラップは、あまりに強大な相手から自分を守るように、背を向けて立ちはだかる少年を見ながら、気持ちが揺らぐのを感じていた。 感じずにはいられなかった。 強大な力を持つポケモンを駆る相手に見覚えはある。そのポケモンも知っている。 彼は自分のことを利用するつもりでいる。 そのことも知っている。 だけど、目の前の少年は自分を守ろうとしている。 言葉の意味は分からなくても、決意に満ちた表情は窺えなくても、分かるものは分かる。 気持ちで……心で感じ取っているから。 目には見えないけれど、今、確かに心と心がつながっている。 つながりがある。 かたや、自分を利用すべく連れ戻しに来た人間。 かたや、自分を守ろうと身体を張って立ちはだかる人間。 相反する立場の二人が、目の前にいる。 その中心にいるのは自分。自分の処遇を賭けて戦っている。 「…………」 今、自分は何をしている? 何がしたい? 考え始めると、坂道を転がり落ちるように、どんどん進んでいく。 比例して、時間も進む。 スティールはアカツキに構うことなどせず、破壊光線を発射した!! 大気を揺らがせて、通過した跡には蜉蝣すら立つほどの威力の光線が、一直線に虚空を突き進む!! まともに食らったらケガなどでは済まないだろう。 もちろん、いくらドラップを守るためとはいえ、まともに食らうつもりなどない。 アカツキは身体の向きを変えると、ドラップの身体を両手で抱え込むようにつかんで、渾身の力を込めて飛び退いた。 一瞬で身体に宿るありったけの力を出せたのは、道場に通っていた賜物か。 かなり重いドラップの身体を半ば引きずる形にはなったが、破壊光線の直撃は免れた。 飛び退いた直後、アカツキが立っていた場所に破壊光線が突き刺さり、衝撃波と共に土砂を盛大に巻き上げた。 直撃は免れたものの、強烈な余波が容赦なく襲いかかる。 「くうっ……!!」 凄まじい衝撃が身体を押しつぶさんと叩きつけてくるのが分かる。 悲鳴を上げたくなるが、アカツキはドラップ共々盛大に吹き飛ばされ、それどころではなかった。 数メートル離れた地面に叩きつけられ、一瞬、頭がボーっとした。 身体を強く打ちつけた。 痛いことは痛いが、こんなのはポケモンがバトルで味わうものと比べれば些細なもの。 歯を食いしばって立ち上がり、アカツキはドラップを背中にかばった。 悠然とやってくるソウタとスティールを睨みつける。 今の自分にできることなんて、高が知れている。 それでも、何もしないわけにはいかないではないか。仮にも『守る』と決めたのだから。 「痛ぇけど……オレが守らなきゃ。誰がドラップを守るってんだ……!!」 大切な仲間だ。 仲間を守るのは当たり前だし、そのことに見返りなんて求めない。 自分でやると決めたこと。 相手の承諾なんて得ていないし、極端な話、それは自分が勝手に決めたこと。 ドラップを守れればいい。 アカツキはそう思っていた。 身体がズキズキと痛む。破壊光線の余波は衝撃波となって、アカツキの身体を強かに打ちつけていたのだ。 我慢できないほどの痛みではないし、道場で青あざを作りまくっていた頃と比べれば、こんなの屁でもない。 いつまでも逃げ続けることなどできないだろう。 早々に何らかの手を打たなければ……焦りを募らせながらも、必死に考えをめぐらせていると、ソウタが最後通告を突きつけてきた。 「次は当てる」 「……!!」 先ほどはわざと外したと言わんばかりだった。 当てるということは、アカツキもろともドラップを吹き飛ばすと言っているのだ。 任務の遂行を阻害する相手に手加減も容赦も必要ない。 むしろ、必要とあらば殺してでも排除する。 「ど、どうすれば……」 ドラップは動けない。 こんな状況で、どうすればドラップを守ってやれる? 絶体絶命に等しい状況だが、あきらめることなく考えをめぐらせる。 ポケモンバトルは最後まで行方が分からないのだ。今回はバトルと違うけれど、一発逆転のカードは残されているはず。 そう信じなければ、心が砕けてしまいそうで怖い。 スティールが破壊光線の反動で行動できない今が最大のチャンスだ。 なんとかしなければ…… もう一発破壊光線が来たら、次こそ終わりだ。 直撃を避けられたとしても、余波でも食らおうものなら、確実に動けなくなる。たかが余波でも、それだけの威力は十分に宿していた。 「…………」 ソウタは一言も発さなかった。 何を言っても無駄だと思っているのだろう……実際はその通りだったが。 と…… その時だった。 アカツキは脇を何かが通り過ぎるのを感じて―― 「ドラップ!?」 声を上げる。 何を思ってか、ドラップがソウタとスティールの方へと歩いていくではないか。 「ダメだ、ドラップ!! 行くなっ!!」 もし、自分たちのことを守ろうとしてくれているのなら…… その気持ちはうれしく思うが、だからといって何故、いい思い出などないであろう相手のところに戻るのか。 行ってほしくない。一緒に同じ時間を過ごしたいと思っているから、気が気ではなかった。 アカツキは大きな声で叫んだが、ドラップは足を止めなかった。 「ドラップ!!」 「やっと戻ってくる気になったか……おまえにも情があったんだな。たかが、一日しか過ごしていない相手だというのに。 まあ、おかげで手間が省ける」 ソウタは無表情のままで言った。 「スティール。破壊光線を取り止めろ。必要ない」 戻ってくるなら、わざわざ破壊光線など放たせる必要はない。 エネルギーチャージを終えたスティールは、トレーナーの指示に従って、破壊光線を取り止めた。 大技は何発も容易く連発できないし、体力の消耗も激しい。 見た目は屈強で疲れていないように見えても、実際はかなり疲労していた。 ドラップはソウタの前で足を――止めなかった。 「……!?」 ソウタが怪訝そうに眉を潜め、脇を通り過ぎたドラップを目で追って……刹那。 ドラップは口を大きく開くと、スティールの胴体に噛み付いた!! 「なっ……!?」 戻ってきたかと思ったのに、いきなり攻撃してくるとは思わなかった。 先ほどまでは、怯えて動けなかったというのに。 一体、何がドラップの心を奮い立たせたのか……理解しがたい行動に、ソウタは表情を崩した。 噛みつかれたスティールは、苦しげに叫びながら、身をよじってドラップを振り払おうとする。 防御力に定評のあるポケモンをここまで苦しませる技の正体とは何か? ソウタはすぐに見破った。 「炎の牙かっ……!!」 鋭い牙に炎の力を宿して噛みつく技だ。 鋼タイプのスティールには強烈な威力を誇る。 「…………!!」 一体何がどうなっているか分からない。 だが、直感が告げている。 今がチャンスだ……と。 物事を考えるより早く、アカツキはリュックをその場に放り投げると、ソウタ目がけて駆け出した。 「ドラップ、そのままそいつを抑えてて!!」 言うことを聞いてくれるかどうかは二の次だ。 それでも、ドラップは何らかの考えがあってスティールに噛み付いたのだ。 スティールは力を込めるも、ドラップが全力で牙を突き立てているせいか、いくら頑張っても振りほどけない。 このまま抑えてくれれば、なんとかなるかもしれない。 直感に任せた作戦を立て、アカツキはソウタに飛びかかった。 「……っ!!」 スティールとドラップに意識が向いていたソウタは、突然少年が飛びかかってきたことに驚きつつも、俊敏な動きで飛び退いた。 「ドラップは渡さないっ!! オレが守るっ!!」 はちきれんばかりの声を上げ、アカツキはソウタに打ちかかった。 グーに固めた左の拳を、ソウタの顔面目がけて繰り出す。 「ちっ……」 ……子供と思って侮ったかと、ソウタは舌打ちしながら、腕でアカツキの拳打を防いだ。 防いだと思って切り返そうと思った瞬間、アカツキは重心を軸足でない方の足に移して体勢を変え、すかさず右の拳を繰り出した。 「……こいつ……」 ただの子供ではない…… 今さらになってそんなことを思ったが、気づくのが遅すぎた。 右の拳を辛うじて避わしたものの、そこから先は流れるような連続攻撃。 防いだ、あるいは避わした、と思った時には、次の攻撃が目の前に迫っている。これでは、反撃などままならない。 だが、それならスティールがしっかりしていればなんとかなるが、スティールはドラップに抑えられ、身動きが取れない状況だ。 「想定外だ……」 まさか、こんな展開になるとは思わなかった。 いくらなんでもこんなことになろうとは……想定できるはずもない。 ただの子供だと思っていた少年が、自分に反撃のチャンスすら与えないほどの『使い手』だったとは、 どう転んだところで考えられるはずもなかったからだ。 アカツキは必死の形相で、ひたすらソウタに打ちかかっていた。 紙一重のところで避けられ、あるいは防がれてはいるものの、反撃のチャンスを与えない。 トレーナーさえなんとかすれば、スティールの脅威は取り除かれるはず……アカツキはそう考えた。 いかにスティールが強くとも、トレーナーはただの人間だ。 お世辞にもケンカが強そうには見えなかったから、こうするしか考えつかなかった。 とはいえ、暴力に打って出るなど、決して褒められたやり方ではないが、アカツキにはそれしかなかった。 大切な仲間を守るための方法として、それ以外は考えられなかった。 だから、後でいかな責め苦をも受けようと思っていた。 ドラップを守れれば、理不尽な誘拐から救えれば、それで良かった。 こんな時になって、格闘道場に通っていたことが役に立つとは思わなかったが、今は厳しい指導で鍛えてくれた師範に感謝したくなる。 周囲には知られていないが、アカツキは二つ三つ年上の先輩すら苦もなく叩き伏せられるほどの実力を持っているのだ。 年齢制限の壁に阻まれて、黒帯は与えられていないが、黒帯の先輩でさえ手を焼く…… 相手によってはあっさり叩き伏せられてしまうほどの力を持っている。 普段の陽気な印象からはとても考えられないことだが、 明らかに年上で身体能力もありそうなソウタがまったく反撃できないのだから、事実だった。 格闘道場の関係者以外は、アカツキが十二歳にして黒帯以上の実力の持ち主だということは知らない。 極端な話、両親ですらそこまでやるとは思っていないのだ。 「はあっ!!」 勇ましい気勢を上げ、渾身の蹴りを放つ。 「ちっ……!!」 ソウタは怪訝な表情のまま、身体を左に反らして蹴りを避わした。 鼻先を通り過ぎた爪先に、思わず身体が震える。 下手な箇所を蹴られれば、骨くらいは折れるかもしれない。 そう思わせるだけの勢いがあった。 しかし、身体的に強くとも、精神的には子供特有の脆さもあった。 「ガァァァっ!!」 胴体に噛みつかれて苦しんでいたスティールが必死に身体を捩り、やっとの思いでドラップを振り払う!! ついでとばかりに、渾身のアイアンテールで近くの木の幹に激しく叩きつけた!! 背後で聞こえた轟音に、アカツキの注意が逸れる。 「ドラップ!?」 ドラップが振り払われ、叩きつけられたのだと理解した瞬間、 「ぬんっ!!」 「……!?」 ソウタが全力でアカツキの腹を蹴りつけた。 わずかとはいえ、生まれた隙を逃さなかったのは、ドラップに気づかれずに彼を監視していた注意深さが活かされたのだろうか。 「うっ……!!」 腹を蹴られ、アカツキは痛みに表情をゆがめた。 踏みとどまろうとするが、相当強く蹴ってくれたのだろう……足腰に力を込めても踏ん張ることができず、尻餅をついて倒れてしまった。 「あいててて……」 これもまた、格闘道場に通っていた頃の痛みに比べれば屁でもないが、身体的な痛みよりも、むしろ精神的な打撃の方が大きかった。 アカツキは思いきり蹴り飛ばされた腹をさすりながらも、轟音が聞こえた方へ顔を向けた。 「ドラップ!!」 太い木の幹に激しく叩きつけられ、その根元でぐったりと横になっているドラップの姿を認め、何はともあれ彼の元へ駆け寄った。 その間にスティールは体勢を立て直し、ソウタもまた自身のポケモンと連携を取れる位置をキープした。 そんなのは背後の気配で嫌でも分かる。 アカツキにとって、相手がどうなろうとそれは二の次だった。 最優先なのは自分でも相手でもなく、ドラップだったからだ。 「ドラップ、しっかり!!」 駆け寄ると、アカツキは膝を折ってドラップの身体を小さく揺さぶった。 恐ろしく強い衝撃を受けたのだろうか。 ドラップはうっすらと目を開けると、アカツキの姿を認めて―― ニッコリと、口元で微笑んでみせた。 「あっ……」 今まで、ドラップが微笑みを見せてくれたことはなかった。 だから、分かる。 今になって、やっと仲良くなれたのだということを。 しかし…… 「なかなかやるようだが……それもここまでだ。俺たちの勝ちだ」 「……!!」 淡々とした声に慌てて振り返ると、スティールの巨体が目の前にあった。 いつの間にか距離を詰めてきたのだ。 こんなに近ければ、攻撃を避けることなどできないだろう。避けたとしても、確実にドラップを巻き込むことになる。 ソウタはそこまで計算した上で、距離を詰めさせたのだ。 アカツキなら、絶対にドラップを見捨てない……今までの態度からして、それが間違いないと思えたからこその策。 「この際、おまえがおとなしくそいつを渡そうと渡すまいと、そんなことはどうでもいい。 おまえだけは確実に叩き潰す」 「……それでも、ドラップだけは守ってやる」 アカツキのことを後々の憂いになると考えたのだろう。 しかし、当人はソウタを睨みつけ、一歩も引かなかった。もちろん、ドラップを見捨てたりもしなかった。 「口にするだけなら自由だ。実行できるかどうかは別として」 言って、ソウタは手を頭上に掲げた。 ――やれ。 無言の合図をスティールに送る。 「ガァァァァッ!!」 スティールが天をも震わさんばかりの声を上げ、アカツキに攻撃を仕掛けようとした……その時だった。 「あかんなあ。いじめっ子は嫌われるんやで〜?」 「……!?」 どこか間の抜けた声がしたかと思ったら、スティールの身体を淡い光が包む。 ……と、その動きがピタリと止まった。 「…………」 「あ……」 ソウタはゆっくりと振り返ると同時に、アカツキが声を上げた。 いつからそこにいたのか、茂みを背に佇んでいたのは、アカツキがポケモンセンターで出会った少年だった。 彼の傍らには、ルナと呼ばれていたブラッキー。 そして、ルナの目が淡い光に輝いている。それは、スティールの身体を包み込む光と同じ色彩(いろ)だった。 Side 9 「おまえ、何者だ?」 ソウタが誰何を投げかける。 少年は口の端に笑みを覗かせると、いとも容易く答えた。 「俺はトウヤ。ただのポケモントレーナーや」 「…………」 「せやけど、悪いことするヤツは許せへんのや。ポケモンを無理やり奪おうなんて、俺にとっちゃ悪でしかあらへんからな」 「…………」 あっけらかんと答える少年――トウヤを見つめたまま、アカツキは呆然とするしかなかった。 ほんの数分しか話さなかった相手が、自分を助けてくれている。一度ならず、二度までも。 絶体絶命の危機だっただけに、とてもうれしいことではあるのだが、その相手がどうにも軽薄に見えてくるから、素直に喜べない。 まだ、完全に危機が去ったわけではないのだ。 「…………」 自分を助けてくれた相手も、何か企んでいるのではないか……? そんな穿った見方さえしてしまうのは、トウヤがどこか軽薄に見えてきたせいだろう。 アカツキは背中にドラップをかばいながら、二人のやり取りを見守った。 隙があればドラップを連れてこの場から立ち去る。街に戻れば、ソウタだって易々と手を出してきたりはしないだろう。 それまでは、じっとこの場で見ているしかない。 「サイコキネシスか……そのブラッキー、なかなかやるようだな。スティールの動きを封じるとは……」 ソウタは、スティールの動きを封じられながらも、動揺を微塵も見せなかった。 その気になれば、腰に差したボールを手に、別のポケモンを出せばいい。 相手も同じことを考えているのだろうから、そう驚くことでもない。 「おおきに。 せやけど、サイコキネシスを維持するのは大変なんやで? ちょっとでも力抜いたら、たちまち破られてまう」 「そこは分かっているようだな……」 「…………」 何を言っているのだろう。 淡々と会話を交わす二人を前に、アカツキは何がなんだか分からなくなっていた。 トウヤは本当に自分を助けに来てくれたのか。 あるいは、単にソウタが気に入らないからやってきただけか。 それとも別の企みでもあるのか……まるで分からない。 しかし、二人の言葉は真実だった。 ルナに代表されるブラッキーは、お世辞にも攻撃的なポケモンとは言えない。 サイコキネシスはエスパータイプの技であり、本家本元のエスパータイプ以外のポケモンでは十二分にその威力を引き出せない。 その上、スティールはエスパータイプの技が効きにくいとされる鋼タイプ。 ルナが普通のブラッキーより強くとも、効果が薄いサイコキネシスでスティールの動きを封じるには、相当な集中力とパワーが必要となるだろう。 二人が淡々と交わす会話。 それは心理戦だった。 いかにして相手の心の手管を手折るか……無論、それを表に出したりすれば、相手に致命的な隙を見せることになりかねない。 互いにそれを理解しているのだが、 「せやけど……」 トウヤが目を細める。 怪訝そうにソウタが眉をひそめ、 「そのハガネール、倒させてもらうで。 ルナ、サイコキネシスを解除して、電光石火や」 トウヤの指示に、ルナはサイコキネシスを解除すると、目にも留まらぬ動きで駆け出した!! 「速いっ!!」 ネイトの高速移動でも、ここまでのスピードを出せるか分からない。 アカツキは驚愕の声を上げたが、その間にルナはスティールの目前まで迫っていた。 身体の自由を取り戻しながらも、スティールは即座に反応できず、ルナの渾身の体当たりが炸裂!! ドラップに噛みつかれたダメージが大きかったのか、スティールは自身と比べると明らかに軽量級のルナの体当たりを食らってよろめいた。 逆に、四百キロもの巨体を揺らがすほどの力をルナが秘めている……という言い方もできるだろう。 堪えて反撃することもままならないスティールを指差して、トウヤが指示を出そうと口を開き―― 「……!?」 ソウタが目を見開き、頭上を振り仰ぐ。 釣られるようにアカツキとトウヤも視線を上に向けた。 体のいいフェイントかと思われたその仕草は、しかしフェイントなどではなかった。 「ちっ!!」 ソウタがその場を飛び退いた次の瞬間、木の葉の合間から赤い球体が降ってきた。 それはスティールの頭に激突した瞬間、巨大な火柱を生み出した!! すぐ傍にいたルナは避ける間もなく火柱に巻き込まれる!! 「なっ……!! ルナっ!! 戻れ!!」 トウヤはギョッとして、すぐさまルナをモンスターボールに引き戻した。 凄まじい威力の火柱は、木々の枝葉を容易く消し炭に変えながら、轟々と燃え盛る。 「レックスのとは比べ物になってない……!!」 カイトのレックスも、確か火柱を使った攻撃ができたか。 だが、その威力とは比べ物にならない。スティールの巨体すらすっぽり包み込むほどの大きさだ。 それだけ巨大な熱量を秘めている。 少し離れた場所にいても、焼けつく熱波が押しよせてくる。 途端に全身が汗ばむ。 「この技……まさか」 離れた場所に飛び退いたソウタは、トウヤと同じくスティールをモンスターボールに戻した。 ドラップとルナの攻撃を受けてそれなりに疲労しているスティールには、今の火柱は重すぎる。 とっくに戦闘不能になっていてもおかしくない。 ソウタがスティールをモンスターボールに戻すのを待っていたように、声が降ってきた。 「なかなかハデにやってるねぇ。そういうの、あたしは嫌いじゃないよ」 「……?」 女の声だと認識した時には、球体の後を追うような軌道で、影が着弾する。 瞬間、巨大な火柱はキレイに爆ぜ割れて、虚空に消え去った。 そこに立っていたのは、背丈の高い女とバクフーン。 無論、アカツキには見覚えのない女だ。聞いたことのない声なのだから、見覚えがないのは当然だ。 だが、ソウタは彼女のことを知っているらしく、無表情を装っているが、瞳は動揺に見開かれている。 彼女もまたソウタのことを知っているのか、彼を見つめる目は、口元ほどではないにしろ笑っていた。 たった一撃でルナとスティールを戦闘不能に陥れた炎の技を放ったのは、彼女にピタリと寄り添うバクフーンだった。 目つきは鋭く、穏やかに見える物腰も隙がない。 クリーム色と濃い緑に塗り分けられた身体と、背中で激しく燃え盛る炎が特徴のポケモンで、 かざんポケモンと呼ばれていることからも、強烈な炎タイプの技を得意としている。 そんなバクフーンと似ているような雰囲気を放つ女。 年の頃は二十歳過ぎといったところだろうか。 燃えるような赤い髪を肩口で切り揃え、白衣を模した赤い衣服に身を包み、同じ色のハイヒールでまとめている。 ソウタが黒ずくめとするなら、彼女は赤ずくめという言葉が似合うほどだ。 整った顔立ちは美人と呼んでも差し支えなかったが、どこか野性的に見えて、単なる美人と呼ぶのを躊躇いそうだ。 あえて言うなら、ワイルド系美人といったところか。 「ずいぶんとハデにやってくれたみたいだからね。おかげで嗅ぎつけられたよ。 今まで散々煮え湯飲まされてきたけど、それも今日で終わりだねえ」 「…………」 予想外の闖入者(二人目)に、アカツキは黙って彼女の声に耳を傾けているしかなかった。 「でもま、それもそこのボウヤが精一杯頑張ったから……かな? どっちにしても、あんたのミッションは失敗だよ。あいつの部下だって言うなら、引き際は心得てるよね」 「…………」 「やるってんなら、それでもいいよ。あたしは、そういうの嫌いじゃないからさ……」 女の口元が吊り上がる。 バトルするなら徹底的にやってやる。徹底的に潰されてもいいという覚悟があるならポケモンを出してみろ。 無言の挑発。 とはいえ、言動からそれがミエミエなものだから、当然ソウタが引っかかるはずもない。 「次は必ず貰い受ける」 ポツリと漏らすと、ソウタは大きく飛び退いて、茂みの奥へと姿を晦ました。 女はバクフーンに彼を追うよう指示を出すこともなく、淡々と彼の引き際を見届けた。 「次は必ずって……」 アカツキはソウタの姿が見えなくなっても、彼が最後に残した一言を頭の中で何度も何度もつぶやいていた。 次は…… また、ドラップを狙ってやってくるということだ。 今は危険から遠のいたとしても、油断はできない。次はいきなり本気で来るだろう。 本当にドラップを守れるのだろうか……そんな不安が芽生えた時だった。 「さて、と……」 女の声に、ハッとして顔を上げる。 彼女がこちらを見ていた。 視線の鋭いバクフーンも一緒だ。 「そのドラピオンを狙ってたワケかい。 見た目、普通のドラピオンなんだけどね……なるほど、狙うからにはそれ相応の価値があるってことか」 「…………?」 値踏みするような目でドラップを見ながら言の葉を紡ぐ女を、アカツキは鋭い眼差しで睨み付けた。 まるで、彼女自身もドラップを狙っているような口振りだけに、油断はできなかった。 アカツキが警戒心をむき出しにしているのを認めて、女は困ったような笑みを浮かべると、首を左右に振った。 「そんな怖い顔しないでおくれよ。 別に、取って食おうなんて思ってるワケじゃないんだからさあ……」 お手上げのポーズで言われても、本気かどうかさえ信じられない。 そう思わせるだけの何かが、目の前の女にはあった。 「でもまあ、あいつらに渡すくらいなら、あたしらが手にしちゃった方がいろいろとやりやすいのは事実なんだよね。 さて、どうしようか……」 「……な、なに言ってんだ?」 アカツキはドラップを背後にかばい、女を睨みつけながらありったけの声を振り絞って言葉を口にした。 二転三転する現実に、思考が一部取り残されたように、頭に靄がかかっている。理解することを……現実についていくことを拒否しているかのごとく。 女がゆっくりと歩み寄ってくる。 バクフーンはトウヤを牽制するように、彼に視線を注いでいた。 下手な動きをすれば、ルナを一撃で戦闘不能に陥れた炎を放つと言わんばかりだ。 「そのドラピオン、渡してもらえない? あいつらに渡すくらいなら、あたしらに渡した方がいいと思うよ。待遇だって、保証しちゃう」 「ば……バカ言うな!! 誰にも渡さない!! ドラップはオレの大事な仲間なんだから!! 渡すくらいなら……」 「……はいはい、分かったよ。抑えて抑えて」 要求を突っぱねるアカツキの表情は真剣で鬼気迫ったものだった。 子供が怖い顔をするのは良くないと言い、女は頭を振った。 そうやって、冗談か本気かも分からない態度を見せ付けられると、本当にソウタと同列でないのかと疑いたくなってくる。 アカツキに誤解を与えるような言動を女が取っていることが一番問題なのだが、当の本人は気にするでもない。 気づいていながらも、どうするつもりもないのかもしれない。 「だけど、ボウヤのおかげであいつらのシッポをつかめたんだ。とりあえず、感謝はしとくよ」 「え……?」 「ボウヤ、名前はなんて言うんだい?」 「アカツキ」 「アカツキって言うんだ……ふーん。覚えとくよ。あいつを相手に一歩も引かなかった勇気は大したモンだ。 でも、今のあんたじゃあいつには勝てないよ。もっと強くなりな。そうじゃなきゃ……本当にそのドラピオンを奪われちまう」 「言われなくたって強くなってやる!! ドラップはオレが守るんだ!!」 「そうそう。その意気さ」 アカツキがドラップを守る気でいることを知って、満足したのか。 それとも安心したのか。 女の口元には、優しい笑みが浮かんでいた。 「…………?」 一体何がしたいのだろう。 アカツキは先ほどまで見せていた勇ましい表情はどこへやら、唖然とするしかなかった。 ソウタを退かせたかと思えば、ドラップを渡してくれないかと迫ってみたり。 迫ってみたかと思ったら感謝して、感謝したかと思ったら名前を聞いたり、もっと強くなれと言ったり。 本当に何がしたいのか分からない。 一言で言えば、ゴーストポケモンのようにつかみ所がない。 そんな相手に、安心感など抱けるはずがないではないか。 「さて……そろそろ戻るとしようかね。ベルルーン、威嚇はそれくらいでいいから」 女は小さくため息をつくと、バクフーンに向き直った。 ベルルーンと呼ばれたバクフーンは、トレーナーの声に従って駆けてきた。 「よしよし。じゃ、ちょっと戻っててね」 女はベルルーンの頭を撫でると、モンスターボールに引き戻した。 脅威が取り除かれた以上、ポケモンを出しておく意味はない。 「アカツキって言ったね。いい顔してるよ。十年後が楽しみだ」 「えっ?」 「じゃ、またね。会うことがあるかもしんないけど、あたしはあんたの敵にはならないと思うからさ。 あんたがそのドラピオンを守りたいと思うなら、あたしはあんたの敵にはならない。 今は分かんなくてもいいけど、いずれ分かる。 そういうわけだから、じゃあね」 アカツキには理解不能な内容だった。 ドラップを守りたいと思うなら、敵にはならない。 それは裏を返せば、ドラップのことを手放すのなら敵になる……その宣言でしかないのだ。 そう言っておきながら、今は分からなくてもいいなどとは、虫が良すぎる。 女は唖然と佇むアカツキに笑みを向けると、ベルルーンのモンスターボールを腰に差した。くるりと背を向けて歩き出そうとした時、 「待て」 別の声が割って入った。 「この声……」 今度はアカツキが聞いたことのある声だった。 振り向くと、フォレスジムのジムリーダー・ヒビキが険しい表情で歩いてくるのが見えた。 彼の視線は、背中を向けた女に注がれていた。 女も彼の視線を背中に感じてか、歩き出そうとした足を止めた。 「フォレスジムのジムリーダーがご登場とはね……さては、騒ぎを聞きつけてやってきたんだろ。 その割にはずいぶんと遅い登場じゃないか。 あんたの見せ場なんて、もうどこにも転がってないよ?」 からかうように、小さく笑いながら言う。 ……が、振り返りもしない。 顔を見せてはまずい事情でもあるのかもしれないが、互いに知っているような口振りだった。 「何のつもりだ、ハツネ」 「何のつもりって、どういうことだい?」 「そのままの意味だ。フォース団の首領が直々に出向くくらいだ。何かあると考えるのが自然だろう」 ヒビキはアカツキやトウヤには目もくれず、女をじっと見ていた。 無論、変な意味ではない。 彼は今、フォレスジムのジムリーダーとしてこの場にいるのだから。 「フォース団……? 何、それ?」 またしても意味不明な単語が出てきた。 フォース団とは最近巷を騒がせている組織のことだ。 対立している組織と抗争を繰り広げているとかで、つい最近になって要注意のレッテルを貼られている。 ニュースに興味のない子供が耳にするには縁のない組織だが、その組織のトップを務める女がここにいる。 これは、何らかの意味があるとしか思えない。 女――ハツネは振り返ることなく、ヒビキの問いに答えた。 「知ってるとしたら、あんたたちポケモンリーグじゃないのかい? ただ一つ言えるのは、あいつらがボウヤのドラピオンを狙って動いてる……動いてたってところか。 そのためにこの街で騒ぎを起こした……そんなところだろうね」 「…………」 「いいことを教えといてあげるよ。 あいつはポケモンリーグの動きを把握してる。 そうじゃなきゃ、こんな鮮やかにこの街で騒ぎを起こせやしない。 それに、あたしのことは放っておいた方がいい。 あたしらより、あいつらの方が危険なんだから。後で手遅れになっても知らないよ? ――じゃあね」 「待て。そう言われて黙って退くとでも思っているのか? 仮にも、僕はジムリーダーだ。フォレスタウンの治安を守る役目もある」 「虫と草タイプのポケモンであたしのベルルーンとやろうっての? 無理無理。やるだけ無駄さ」 ハツネは一方的に話を打ち切ると、ゆっくりと歩き出した。 「…………」 「…………」 「…………」 アカツキとトウヤとヒビキは、彼女の背中が森の緑にゆっくりと溶けてゆくのを見ていた。 見ているしかなかった。 だが、アカツキにはハツネの言葉が嘘でないことを理解していた。 ベルルーンは、ドラップでは倒せなかったスティールを、不意打ちとはいえ、容易く倒してしまうほどの技を使うのだ。 いくらジムリーダーと言っても、相性が悪すぎる。 ヒビキがポケモンを出さず、黙って見送ったのは、そういう意味だったのではないかと……そう思うしかない。 ハツネが森の緑に消えてからしばらく経って、ヒビキはふっと小さく息をついて、表情を和らげた。 「やっと去ったか。狂犬(ブラッディドッグ)の割には、引き際がいいと言うか。 さて……」 なにやら小さくつぶやき、アカツキに歩み寄った。 「…………?」 どうしてここにジムリーダーがいるのか分からず、怪訝そうな顔をする少年の傍まで歩いていく。 「よく頑張ったね。偉いよ」 「…………」 優しい言葉に、アカツキは全身から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。 ジムリーダーがここにいる…… 危険が完全に去ったのだと分かって、安心した。 何十年も経ったように、疲れが押しよせてくる。 肩肘を張りすぎて、とても疲れた。 「疲れただろう。もう大丈夫だから、ゆっくり休むんだ」 「…………うん」 ヒビキの言葉に、アカツキは目を閉じた。 あっという間に睡魔が押しよせてきて、意識がいとも容易く飲み込まれる。 その場に倒れこむより早く、意識がプツリと途切れた。 何がなんだか分からないが、今は休んでもいいのだと分かったら、そこからは早かった。 疲れ果てて眠りについたアカツキを優しい眼差しで見つめ、ヒビキは言った。 「ゆっくり休みなさい。明日から……ちゃんと頑張れるように」 我が子をあやすように、満面の笑みで少年の頭を撫でる。 完全に寝入ったのを確認して、ヒビキはトウヤに向き直った。 「トウヤ君。すまなかったね。僕としたことが、遅くなってしまった」 「まったくや。もうちびっと遅かったら、危ないトコやったで」 「それについては申し訳なく思っているよ。ルナも、傷つけてしまったからね」 「せやけど、ルナは頑張ってくれたんや。悪くは言われへん」 「ふむ……」 どうやら、二人は事前に何かを示し合わせていたようだったが、この場では口にしなかった。 「ルナを回復させてあげるんだ。後のことは僕に任せてくれ」 「分かった」 ベルルーンの強烈な一撃を受けて戦闘不能に陥ったルナを回復させる。 トウヤは頷いて、街の方へと歩いていった。 彼の足音が遠ざかっていくのを確認して、ヒビキは眠りに落ちたアカツキを心配そうに見つめているドラップに目を向けた。 「……?」 視線を向けられて、ドラップはハッとしてヒビキを見上げた。 「ドラップって言ったっけ。君は、この子のことをどう思った?」 「?」 言われている意味がよく分からないが、すぐ傍で無防備な姿をさらして眠っている少年のことを指しているのだと理解できた。 何かに満足したのか、少年の寝顔はとても穏やかで、誇らしげに見えた。 「君は今まで人間に都合のいいように利用されてたのかもしれない。 だけど、この子は違うと思うよ。 身体を張ってまで、君を守ったんだから。気持ちが嘘なら、そんなことは絶対にできないわけだし。 彼と一緒に行くのが、君のためになるだろうし、そうするべきだと思う。 とはいえ、決めるのは……他ならぬ君自身だけどね」 ヒビキはアカツキが先ほど放り投げたリュックを拾い上げると、ドラップに背中を向けた。 「ついておいで。この子をちゃんとした場所で休ませてあげよう」 言い終えるが早いか、歩き出す。ドラップがアカツキを運ぶと思っているのだろう。特に手を差し伸べたりはしなかった。 ドラップは遠のいていくヒビキの背中と、アカツキの寝顔を交互に見やった。 何を言われているのか、イマイチ理解できない。 人間とポケモンの言葉は違うし、そもそも考え方の基準だって違う。 すんなり意思疎通ができるのなら、世の中に苦労の二文字は存在しない。 それはともかくとして…… 身体を張ってまで守ってくれた。 自分よりも小さくてひ弱な身体で、精一杯守ってくれた。 さっき感じた、心が繋がったような感覚は、決して嘘などではない。 それが分かるから、ドラップは迷わなかったし、ためらいもしなかった。 「ごぉぉ……」 ――行こう。 ドラップは小さく嘶くと、鉤爪を器用に使ってアカツキの身体を胴体に乗せると、ヒビキの後を追いかけた。 眠った少年を起こさないよう、気を遣いながら、ゆっくりと歩く。 ほとんど音を立てずに追いかけてくるドラップの気配を背中に感じて、ヒビキは口元の笑みを深めた。 「次が楽しみだ……」 彼の心は、いつかアカツキがリベンジに訪れる時に早くも飛んでいた。 第4章へと続く……