シャイニング・ブレイブ 第4章 再戦と決意 -To be strong-(前編) Side 1 ――えっ? なんで? なんでドラピオンがこの街にいるの? ――ヒビキさんが連れてるみたいだけど……背中に乗せてる子がトレーナーなのか? ――でも、凶暴って感じはしないなあ。おとなしいし。 ――それでも三十年前は大変だったんじゃぞ。農作物を食い荒らしたりして…… ――ヒビキさんも何を考えてドラピオンなんて連れてるんだか。 ヒビキの後について道を歩いているドラップを横目に見やりながら、住民たちがコソコソと何やら話し合っている。 三十年ほど前、ドラピオンに苦汁を舐めさせられた彼らとしては、ドラップがあの時のドラピオンでないことは分かっていても、 ドラピオンという種族自体に嫌悪感のようなものを抱いているのだ。 無論、人間に善い者と悪い者がいるように、ポケモンにだって他者に危害を加えたり、逆に他者を助けたりするものもいる。 ただそれだけのことだが、三十年前の出来事は未だ、この街に汚泥として沈殿している。 しかし、ヒビキもドラップも住民の眼差しや言葉に意識を向けることなく、ポケモンセンターへと向かって淡々とした面持ちで歩いていった。 ドラップに関しては、住民が何を言っているのか分からないが、向けられた雰囲気が好意的なものでないことくらいは肌で察している。 無表情で、淡々と歩く。 胴体の上でうつ伏せになって眠っているアカツキを起こさないよう、少しゆっくり目に歩いている。 胴体から全身にかすかに伝っていく少年の息遣いや心音が、妙に心地良い。 周囲の雑音が気にならないほどだ。 一方、無言でついてくるドラップの気配を背中に常に感じながら、ヒビキは胸中で満面の笑顔を見せていた。 三十年前の事件があったせいか、住民たちは未だにドラピオンを恐怖の象徴として心に刻みつけたままだ。 それは仕方がない……ドラピオンの仕業であったにせよ、なかったにせよ。 一人の子供が命を落としている以上、致し方ないところがあるのは、身内として理解できる。 しかし、いつまでもそのままではいけないのだ。 ドラピオンがすべて悪いわけではない。 ポケモンを傷つけずに追い払う方法など、今になって考えればいくらでも思いつく。 それなのに、怒りに任せて銃で撃ち殺したり、自分たちのポケモンを使って追い払うなど、共存などとは程遠い。 「……これがきっかけで変わってくれるといいが……」 ドラップが背中に少年を乗せているのを見て、少しは考えを改めてくれればいいと思うものの、それを直に口に出すわけにもいかない。 三十年前に命を落とした子供は、ヒビキの友達の一人だったのだから。 住民たちの気持ちをなまじ理解できるばかりに、中途半端なことを言うわけにはいかない……辛いところだ。 今すぐ変わるのは無理だ。 だが、時間をかければ変われるはずだ。 変えるのではなく、変わること。 それが今この街に求められていることなのだと思いながら、道を行く。 緩い左カーブの道を歩いていくと、やがて右手にポケモンセンターが見えてきた。 ポケモンセンターの入り口付近でも、住民たちが何やら陰口を叩いていたが、二人して構うことなくポケモンセンターに入っていく。 そこからは別世界だった。 地元の人間よりも、旅の途中に立ち寄ったトレーナーやブリーダーが多いせいか、陰口を叩かれることはなかったが、代わりに…… ――わーっ、強そうなポケモンだなあ…… ――なんて言うんだろ。学習室で調べてこよっ♪ ――あっ、待ってくれ!! オレも行くから!! 好奇心の塊が余すことなく向けられた。 「…………?」 陰口と比べるとまだ可愛いものだが、何やらキラキラ輝く視線をあちらこちらから受けて、ドラップは困惑気味だった。 あまり人目につかないところで暮らしてきたこともあって、まだ人間には慣れていないのだ。 「…………」 ドラップが困惑しているのを雰囲気で察して、ヒビキは無言で視線を周囲に這わせた。 ……と、たったそれだけのことなのに、ポケモンセンターのロビーは水を打ったように静まり返った。 ジムリーダーの威光とでも言えばいいのか。 キラキラ輝く視線はそのままに、音だけを掻き消したような感じだった。 「…………?」 一体何をしたんだと、ドラップが驚愕の視線を向けるのを余所に、ヒビキは何食わぬ顔でカウンターまで歩いていった。 「ジョーイさん。お願いがあるんですが」 「なんでしょう?」 応対したジョーイは、いつもの営業スマイルを存分に振り撒いていた。 半分職業病なのだろうが、全国津々浦々、どのポケモンセンターでも似たような顔がお出迎えするのだから、 むしろいつもの営業スマイルを浮かべてくれている方が安心できる。 およそ、ポケモンセンターに立ち寄るトレーナーやブリーダーはそんな風に思っている。 ……まあ、そういった諸般の事情はともかく、ヒビキはジョーイに頼んだ。 「一番風通しが良くて静かなあの部屋が空いているようでしたら、貸してもらいたいんですよ」 言って、ドラップを手招きする。 ジョーイの視線が、のっそのっそと歩いてくるドラップに注がれるが、彼女はドラピオンというポケモンを見ても驚いたりはしなかった。 ポケモンの看護士が、ポケモンを選り好みするようなことがあっては失格である。 ジョーイの視線はドラップと、彼の背中で眠っている少年に向けられた。 ポケモンが元気そうにしていて、部屋を貸してくれというのだから、多くを言われなくても理解できた。 「ドラピオンの背中で休んでいる子のことですね?」 「ええ、そうなんです。 いろいろあって、ずいぶん疲れてしまったようなので、落ち着く場所で休ませてあげたいんですよ。 事の子細は、後でポケモンリーグから通達文が出されると思うので、僕の口から申し上げることはありません」 「分かりました。空いていますから、どうぞお使いください」 「ありがとう、ジョーイさん。恩に着ます」 ジョーイから鍵を受け取り、ヒビキは満面の笑みをたたえた。 このポケモンセンターのジョーイは聡明で物分りがよく、ヒビキとしても素直に尊敬できる人物の一人だ。 多くを言わなくても、こちらが抱える事情を察し、何も言わずに部屋を貸してくれた。 もちろん、ヒビキの言葉は嘘ではない。 後々、ポケモンリーグに報告することがあるし、その件について通達文という形で全国に発信される。 いずれはジョーイの耳にも入ることになるだろうから、嘘はついていない。 そういった大人の事情もそこそこに、ヒビキは鍵を握りしめると、ドラップを連れて歩き出した。 北と西に分かれている宿泊棟で、ヒビキが選んだのは北側だった。 森に包まれ、都会の喧騒とは無縁の街ゆえ、どちらを選んでも同じなのだろうが、それでも北を選んだのには理由があった。 何がなんだかよく分からぬまま、ドラップはヒビキの後について、廊下を歩いていった。 木造建築のポケモンセンターは、壁や天井は言うまでもなく、扉や椅子、机といった備品まですべてが木製品。 金属の釘や蝶番といったものは、やむを得なくつけている程度で、木々の温もりに包まれているような心地良さと穏やかさを受ける。 人間がそう思うのだから、人間より感覚の鋭いポケモンはもっと大きく受け止める。 ドラップは、木目調に包まれた廊下を歩きながら、田舎者のように視線をあちこちに向けていた。 大型のポケモンが歩いても大丈夫なように、廊下はかなり広く、天井も高く設計されている。 それでいて、木々の合間から降り注ぐ木漏れ日を効果的に取り入れられるように、天井のところどころには板ガラスがはめ込まれている。 建物の中にいるとは感じさせない設計に、ドラップはすっかり落ち着いていた。 先ほど向けられた、どこか不快に感じる視線もすっかり忘れた。 自然の息吹を満喫できる廊下の突き当たりにある部屋の前で、ヒビキは足を止めた。 「…………?」 ドラップは訝しげな表情で、鍵を差し込んで扉を開くヒビキを見ていた。 ここに案内してどうするつもりだと言いたそうだったが、彼を追って部屋に入った途端、そんな気持ちはあっという間に吹き飛んだ。 『一番風通しが良くて静かなあの部屋』と形容するのが理解できるほど、その部屋はゆったりくつろげるスペースだったからだ。 「ごぉぉ……」 ドラップは一歩足を踏み込むなり、感嘆のつぶやきを漏らした。 西に面した窓は大きめで、その向こうには豊かな自然が広がっていた。 滾々と湧き出す水が小さな湖を作り、畔では水ポケモンが悠々自適に過ごしている。 それだけでも見ていて心が癒されると言うのに、木漏れ日が水面に反射してキラキラと輝くのを見ていると、本当に天国に来たような心地になる。 ヒビキがこの部屋を取ったのは、アカツキを休ませるため。 もちろん、ただ休ませるためではない。 今日一日いろいろなことがあったから、明日からちゃんと頑張れるように、気持ちを切り替えてもらいたいという意味が込められていた。 精一杯頑張った少年に対する、せめてものプレゼントといったところか。 窓の外に広がる自然を心行くまで満喫しているドラップの目の前で、ヒビキはアカツキのリュックを机に置いた。 「ドラップ、彼をベッドに寝かせてあげるんだ」 「…………」 その一言で我に返り、ドラップは慌ててベッドの傍まで歩いていくと、 鉤爪を巧みに使って、アカツキの身体をベッドに横たえた。 人間のような仕草に、ヒビキは人知れず「おお〜っ」と感動していた。 ポケモンの中には、人間に似たような仕草を見せるものもいる。 特に、身体的なシルエットが人間に酷似しているポケモンに多く見られるのだが、 ドラップも腕から先は人間のものと似ているので、そういったことができるのだ。 穏やかな表情で寝息を立てる少年にニコッと微笑みかけ、ヒビキは彼の身体に薄い布団をかけた。 「ゆっくり休みなさい。僕はもう帰るけれど、君が来るのを待っているからね」 言葉をかけ、扉の方へと歩いていく。 ドラップが振り返るのと同時に、ヒビキは足を止めた。 「ドラップ。彼のこと、ちゃんと見てあげてね。それじゃあ……」 そう言い残して、部屋を出て行った。 ガチャ、と音を立てて扉が閉ざされると、部屋には静寂が満ちあふれた。 「…………」 何を言い残したのか、正直よく分からない。 それでも、自分のやりたいことは決まっている。 「ごぉ……」 ドラップはアカツキの寝顔を見ていた。 何かを為し得た者のみが見せる、達成感と充実感を噛みしめたような笑みが口元に浮かんでいる。 もしかしたら、ドラップとネイトとリータと四人で遊んでいる……そんな楽しい夢でも見ているのかもしれない。 「…………」 そんな少年の屈託ない表情を見ていると、今まで人間によって刻み付けられた嫌な記憶が薄れていくようで、目が離せなくなった。 それほどに魅力的で、心を奪われる少年だった。 昨日出会ったばかりで、互いのことなんてまったくと言っていいほど知らないけれど、今はそんなことなどどうでもよくなった。 ドラップが素直にうれしいと思ったのは、バトルで言うことを聞かなかった自分を大事に思ってくれていたこと。 それから……何よりもアカツキの真剣な言葉が、ドラップの胸を打った。今でも、その衝撃は忘れない。 ――キミはオレが守るから!! 何があったって守るから!! 小さな身体で、精一杯守ってくれた。 出会った頃は、とても頼りなくて、ただ笑っているだけの楽天的なバカかと思っていたが、 先ほどソウタに襲撃されたことで、その考えは一変した。 出会って一日しか経っていない自分のことを仲間だと言い、守ってくれた。 それだけで十分だった。 ドラップが、アカツキのことを同じように『仲間』だと思うには。 信じることに理由など要らないのだと、そう教えてくれたような気がした。 だから…… ――俺も、おまえのことを守る。 人間の言葉に直訳すればそんな気持ちを、胸に固めた。 ジムリーダーに言われようが言われまいが、アカツキが目を覚ますまでは、自分がずっと守っていよう。 またあの黒ずくめの人間がやってきたら、その時は全力で戦い、仲間を守ろう。 誰も見ていないけれど、聞いていないけれど。 ドラップは胸中で誓いを立て、アカツキの寝顔を見つめた。 彼が自分の中の何かを変えてくれたことに感謝しながら。 ロビーに出たヒビキは、ロビーの片隅に腰を落ち着けているトウヤの元へと歩いていった。 「どうやった?」 「眠れば大丈夫」 「そやあらへん。あのドラピオンのこっちゃ」 「ああ……」 トウヤの隣に腰を下ろし、小さくため息をつく。 先ほどドラップがアカツキを背中に乗せて運んだところを見ていたのだ。 心配していたのはアカツキのことより、むしろドラップの方だった。 それが何を意味するか察して、ヒビキは声を潜めた。 「これで終わりとは思えないね。 少なくとも、ハツネが出てきたんだ。無意味なことだとは思えないし、何より……」 「次は必ず……そんなこと言うてたなぁ。 あのあんちゃん、あれであきらめるつもりあらへんやろうし……問題なのはそこや言うこっちゃろ?」 「そうなるな」 「で……どないするつもりなんや?」 「そうだね。何も手を打たないというわけにもいかないだろう。 フォース団とソフィア団の抗争が激化している以上、僕たちとしても手をこまねいて見ていることはできない。 被害が広がらないうちに、なんとかする必要がある。 とはいえ……」 言い終えて、ヒビキは窓の外に広がる豊かな自然に目を向けた。 一応――という形ではあるが、この街での騒ぎは終息した。 だが、それは燻る火種を残した結果であり、これから先に続いていくものでもある。 「僕がついていてあげられれば、それが一番なんだろうけど」 「無理やろ。あんさん、仮にもジムリーダーなんやから。この街離れるわけにゃ行かんやろ」 「そうだね。ポケモンリーグで護衛をつけると言っても、彼なら絶対に断るだろう」 問題は、すでに一個人が抱えきれる範疇を脱している。 下手をすれば、組織間の対立抗争どころか、ネイゼル地方全体を巻き込むものにまで発展しかねない。 だからこそ、そうなる前に何らかの手を打っておきたいところだが…… アカツキにすべての事情を話したとしよう。 その上で、ドラップを守るためにという理由をつけてポケモンリーグの専属トレーナーを護衛にする……そう言ったところで、断られる。 それだけは間違いない。 アカツキは自由気ままな旅を望んでいるのであって、監視役も兼ねた護衛が一緒なら気も抜けないだろう。 感覚の鋭いアカツキなら、護衛が監視をしていることくらいすぐに分かってしまう。 そんなリスクを冒してまで、どうこうしようとは思わない。 「…………」 「…………」 何を言えばいいものか。 互いに言葉に詰まったが、やがて口を開いたのはトウヤだった。 「外、出よか。ここじゃ、思うたこと話せへんやろ」 「そうだな。そうしよう」 人がいる場所では、しゃべりにくいこともある。 これでも言葉を選んで話しているつもりだが、それではどうもやりにくい。 仮にも、トウヤは信用できる少年だ……彼の助言に従うのがいい。 トウヤとヒビキは人目につかないところに場所を移した。 街の東端、森の神が祭られているという祠の前に。 人通りが少ない上に、ここは行き止まりで、訪れる人もほとんどいない。 ここでなら、人目を気にせずに思う存分話すことができる。 もっとも、多少の枷を外したところで、大枠が変わるわけではない……というのが大前提だったが。 「まず、事情を整理してみよう」 「そやな、そうしよ」 「あの黒ずくめの少年、確かソウタと言ったか」 「なかなかの使い手や。あんなのがわんさか来たら、さすがのあんさんでも、守り抜かれへんで」 「そうだろうね……」 チクリと突き刺さるようなトウヤの一言に苦笑いするヒビキ。 少ししか見ていなかったが、ソウタという少年はかなりの使い手だ。 ポケモントレーナーとしての実力も、年齢の割にはずいぶんと高い。 その上、状況判断力にも優れていた。 あんなのが大挙して押し寄せて来たら、ポケモンリーグでも戦い抜けるかどうか……怪しいところだ。 ヒビキは適当な大きさの石を手に取ると、地面に相関図を描き始めた。 こういった話は、単に口だけで交わすより、図表を交えた方が分かりやすいものだ。 「ソウタ……いや、彼だけじゃない。 ソフィア団がドラップを狙っている。これだけはハッキリした」 ソウタからドラップに向けて矢印を引くが、見たところは『ソウタが属している組織全体』が……という意味でしかない。 「しかし、どこからか察知したハツネが、それを妨害した」 矢印の途中に、別の矢印の先端を持ってきて、×を加える。 二つ目の矢印の根元にはハツネ。彼女を、さらに別の組織が囲っている。 二つの組織が抗争を繰り広げている図式の出来上がりだ。 「ふむふむ……」 興味深げに、ヒビキが描いた相関図を見つめるトウヤ。 ある程度の事情は聞かされているので、相関図を見るだけでもどんな状態なのかが分かる。 これでも、ここのジムリーダーからの信頼は篤いのだ。 「今までは、フォース団とソフィア団の抗争も他人事として考えることができたんだけどな。 曲がりなりにも街中で暴れたことから考えて、それより一歩先に進んだものと言えるようになってきた」 「そうやな。ドラップっちゅードラピオン狙うだけにしては、ぎょうさん手下ども派遣して来よったからなあ……」 アカツキの加勢に入るまでにあった出来事を思い返しながら、トウヤはしみじみとつぶやいた。 実は、ソウタの部下たちが街中でポケモンを出して暴れていたため、トウヤとヒビキは彼らの鎮圧に乗り出していたのだ。 そのせいでアカツキを助けるのが遅れてしまったのだが、それについてはソウタの策略にまんまと嵌ったことになる。 ソウタはドラップを狙っていた。 かといって、街中でまともに仕掛ければ、すぐに騒ぎがジムリーダーの耳に入るだろう。 いくらトレーナーとしての技量に優れていると言っても、ジムリーダーを敵に回すのは避けたい…… だからこそ、部下を使って陽動的な騒ぎを起こし、ジムリーダーや住民たちの注意を引きつける。 一人になったアカツキを狙って、そこでソウタ自身が行動を起こす。 戦力的に引き離されているのだから、ドラップを奪うには最適な手段だ。 もっとも、アカツキが予想以上に頑張ったものだから、その作戦は完全に失敗という形で終わってしまったが。 「最悪、あの子を中心にして二つの組織が抗争を激化させる可能性が出てくる。 それだけはなんとしても阻止しなければならないが、双方とも今まで以上に本腰を入れてやってくるだろう。 ドラップをポケモンリーグで保護してあげられればいいんだけど……」 それもまた無理な話。 言い出すまでもなく分かっていることだ。 アカツキがドラップを本気で、命がけで守ろうとしていたことを考えれば、相手がポケモンリーグになったところで、その姿勢は変わらない。 むしろ、相手がポケモンリーグに挿げ代わるだけで、ポケモンリーグからすればそれこそ目にも当てられない。 だったら、そういったことは考えない方がいい。後々、余計な諍いの種になるだけだ。 「…………」 「ソフィア団がドラップを狙っている。フォース団はソフィア団の妨害をする。 それなら、嫌でもあの子の周りで騒ぎが起きることになるんだよ。それが頭痛の種だね……」 「簡単なことやないか」 「うん?」 丸く収める方法はないかと、都合のいいことを考えていると、トウヤが得意気な表情で鼻を鳴らした。 ヒビキは興味深げに眉を上下させながら、得意気な少年の笑顔を見やった。 「あいつがもっともっと強くなって、ドラップっちゅーヤツを守れるようになればええ」 「…………あのねえ、それが難しいから考えているんだけど」 「そんなの俺だって分かっとるっちゅーねん。 せやけど、それしか方法あらへんやろ。あんさんが考えとる方法じゃ、回りくどすぎて逆にややこしいことになるだけやんか」 「むぅ……言うねえ、君も」 「それほどでもあらへん」 再び鼻を鳴らすトウヤだが、ヒビキが無茶だと思っていることくらいは分かる。 自分から言っておいてなんだが、無茶だと思っているのだから。 だが、究極……それしか手段がないのだ。 アカツキがドラップを手放すことなく、ソフィア団の脅威から守り抜くには、アカツキ自身がトレーナーとして強くなるしかない。 それはヒビキだって分かっているが、一朝一夕でできることではないからこそ、考えるだけ詮無いことだと思っていた。 結局はそこに行き着くしかないか……? 深々とため息を漏らそうとしたところに、トウヤの言葉がかかった。 「他にもあるんやろうけど、どうせならフォース団とポケモンリーグが共闘したらどうやろ」 「それはできない相談だ。ただでさえフォース団は要注意組織なんだよ。 そんなのと手を組んだとなれば、警察沙汰だ。 ポケモンリーグだって一枚岩の組織だとは言いがたい状況だし、余計な火種になるだけさ。 それに、できればとっくにやっているだろう。 そこのところはサラさんの知り合いである君が一番よく理解しているはずだよ」 「あー……そやな」 苦手とする人物の名を出され、トウヤの方が深々とため息を漏らした。 ポケモンリーグ・ネイゼル支部の頂点に君臨する女性は、どうにも苦手だ。 知り合いではあるが、トウヤ曰く『そんなに良質な間柄ではない』とのこと。 トウヤがげんなりとした表情を見せていると、ヒビキはふっと小さく微笑んだ。 調子のいい少年でもそんな表情をするのかと思うと、なんだか笑えてきた。 相関図を描くに用いた石を軽く上に放り投げて、落ちてきたところをキャッチして……それを何度か繰り返すうち、ポツリと言う。 「だけど、それも悪くはないかもしれないね……」 「ん?」 驚いて見つめてきたトウヤに、口元の笑みを深めながら言う。 「僕がジムリーダーとしてではなく、一個人としてハツネと組むというやり方ならサラさんも反対しないだろうし。 何より、あの子の力になってあげられる」 「…………」 無茶だ……そう思わずにはいられなかった。 トウヤは神妙な面持ちで、荒唐無稽なことを口にしたジムリーダーをじっと見つめていたが、彼の口元に浮かんだ笑みは変わらなかった。 Side 2 「報告を聞こうか、ソウタ」 「…………ああ」 照明が燦々と降り注ぐ一室で、ソウタは取調べにも似た状況の中にいた。 独特のデザインが特徴の机を挟んで、上司――と言っても、彼より立場が上の者など一人しかいなかったが――と向かい合う。 スーツを見事に着こなした青年で、年の頃は二十歳を過ぎたくらいか。 実際はもっと歳を食っているらしいのだが、清潔な身だしなみを心がけているせいか、実年齢よりも若く見える。 茶髪をオールバックにして、整った鼻筋などは、見る者が見れば美青年と呼べないこともないのかもしれない。 ……が、その瞳には狂気にすら似た何かが渦巻いていた。 部屋にはソウタと青年の二人しかいなかったが、むしろそれはソウタへの配慮だろう。 報告とは言っても、実際に彼から受ける言葉は分かりきっているのだから。 「失敗した」 ソウタはため息混じりにつぶやいた。 思いの丈をしぼり出すような口調に、青年の眉がかすかに動く。 無表情だが、むしろ何の感情も宿していないガラスの表情が空恐ろしさを漂わせていた。 とはいえ、フォレスタウンであれほどの騒ぎを起こした少年である。 その程度のことでびびったり怯んだりはしない。 「思いのほか手こずった。 尾行はされていなかったが、あの女に見つかった。時間をかけすぎたのが敗因だ」 「ふむ……それは君らしくない」 失敗した理由を当人の口から聞かされても、青年は淡々としていた。 ソウタが失敗したとしたら、それくらいしか考えられなかったからだ。 部下のことは性格から何から、一通り把握している。 そうでなければ、曲がりなりにも上司など務まらない……というのが青年の考え方だった。 「あのドラピオン、なかなか強かったからな……それに、子供とは言え、あのトレーナーは要注意だ。 本気で戦えば苦もなく潰せるだろうが……」 「君をしてそこまで言わしめるトレーナーだ。なかなかの使い手なんだろう」 「ああ。ポケモンバトルは素人だが、問題は子供のクセに格闘能力がむやみやたらと優れていること。 ヨウヤやアルデリアでも、まともに打ち合えば勝ち目はない」 言うソウタの脳裏には、一人の少年の顔が浮かんでいた。 ドラップを奪取しようとした時に立ちはだかった少年――アカツキが自分に向かって打ちかかってきた時の真剣な表情。 たかが子供、と侮れない相手だと素直に思った。 もし、スティールがドラップを渾身の力で振り解き、大きなダメージを与えていなかったら……いずれはソウタが打ち負けていただろう。 そうなっていたら、もっとひどい状況になっていたかもしれない。 悔しいが、運に助けられたということになる。 よりひどい失敗をしなくて済んだという意味では、運の女神とやらに少しは感謝したくなるところだ。 「窮鼠、猫を噛む……か。それは侮れないな。 顧問もおっしゃっていたが、あれが戻ってこなくとも、少し時間がかかる。 もっとも、計画の最終段階に支障をきたすほどの問題にはならないそうだ。 ただ、最終調整の布石には使えるだろうからな……奪取するとしたなら、時間をかけずに手早く済ませるのがいい。 予期せぬ形とはいえ、あの女にドラピオンを狙っていることがバレてしまった。 あの女だけならまだいいが、向こうには『死神』もいるからな……」 「あぁ、分かっている……」 青年が淡々と言うと、ソウタは胸中で舌打ちした。 実際、あの場面に立ち会っていないのだから、何とでも言える。 アカツキが黒帯以上の実力で、子供とは思えない鋭い攻撃を仕掛けてきたことを、 実際に身を以って体験したからこそ、子供だからと言って侮れない存在であると理解できるのだ。 「ソウタ。君には少し荷が重いかもしれないな。 あの女の相手をするなら、『深淵の放浪者(アビス・ワンダラー)』と呼ばれた君が適任だ。 その子供の相手はヨウヤに任せればいいだろう。 彼なら滞りなく遂行してくれる。 『死神』の相手ばかりさせていては、そちらの方が保たなくなってしまうからな……君には悪いが、配置換えをさせてもらう」 「……分かったよ」 失敗したのは自分だ。 罰を受けるのは当然。 もっとも、配置換え程度の罰で済んだのは幸いだったが、 これから全力で戦わなければならない相手が『あの女』や『死神』と目される者となると、話は変わってくる。 部下を効率よく運用しながら戦わなければ、すぐにでも押し切られるだろう。 まあ、あの子供の相手をするよりはやりがいもあるだろうし、一概に悪いとも言えない。 単なる罰としての措置ではなく、気持ちの切り替えをしてもらうために……とまで考えているのかもしれない。 仮にも、目の前にいる青年はかつて名うての弁護士として知られていたのだ。 その頭脳はスーパーコンピューターにさえ匹敵すると言われる。 現に、作戦の立案から総指揮まで、すべてを一人でこなしているほどだ。 ソウタが肩をすくめたのを了承と見て取って、青年はホッと一息ついた。 扱いにくい部下が多いが、見方を変えるなら、扱いやすくなりさえすれば、これ以上ないほど有用と言える。 ソウタと同じ立場であるヨウヤなら、彼が手こずった子供も、赤子の手を捻るように簡単に抑えられるだろう。 モノのついでということで、回収し損ねたものを回収するというのもいい。 メインディッシュの前の、軽い前菜にはちょうど良いだろう。 ……と、その時青年のスーツの内ポケットに入っている携帯電話が鳴った。 「うん?」 携帯電話の番号は限られた者しか知らないし、基本的に知らない者の着信は完全に拒否している。 火急の用事だと思って、すぐに出た。 「アルデリアか。どうだね、首尾は」 電話口に出たのは、ソウタもよく知る少女だった。今は離れた場所で、別の任務を遂行しているところだが…… 連絡してくるということは、それなりの成果があった、ということだろう。 「まあ、俺には関係ないが……」 配置換えになった自分には関係ない。 これは少女が適任として任せられた任務だ。自分が容易く口を挟めるようなものではない。 「そうか。慎重に頼むよ。不必要にやりすぎると、連中に気づかれる恐れがある。 それと、顧問が手がけているモノができるまでは、決して近づきすぎないように。 万が一目覚められたりすると面倒なことになりかねない」 相手の言葉を受けて、青年が何やら頷きながら指示を出す。 無表情だが、頭の中ではあれこれと策を弄しているのだ。 進捗状況を受けて、作戦を補完しているのだろう。 およそ凡人では追いつかない頭の構成をしているだけに、ソウタは青年を見ているだけで、彼が話している内容についての理解は示さなかった。 「ああ、そうだ。 順調に行っているのなら、そちらから四、五人回してもらえないかな。 いろいろとややこしいことになっていてね。 なに、心配は要らない。君には優秀なスタッフをつけているんだ。少しくらい人数が減っても問題なく進むだろう。 ……ふむ。とはいえ、発掘を最優先に考えて行動しておくれ。 何かあったら、逐一連絡を入れるように。それじゃあ……」 当事者間でなければ分からないような言葉を用いていたが、やがて会話は終わった。 電源ボタンを短く押して通話を終了すると、青年は何事もなかったように携帯をスーツのポケットにすべり込ませた。 「アルデリアは順調だそうだ。 戦いには巻き込まれていないから、当たり前といえば当たり前なんだが…… さて、君も少し休んだ方がいい。 ヤツらの相手は骨が折れるぞ。 君が休んでいる間は、スタッフでどうにかやり繰りさせよう。 必要とあらば僕自身が打って出てもいい。ヨウヤと入れ替わりになるが、少し時間調整をしておこうか」 「ああ。そうする」 「よろしい」 理解のある部下の対応に、青年は満足げに微笑んだ。 ――ソフィア団の作戦は、また一歩完成へと近づいていた。 一方、こちらはソフィア団と敵対しているフォース団の拠点。 「はあ? あんた、今なんて言ったんだい?」 特別な一室では、赤い髪の女――ハツネが携帯を耳に宛てて、素っ頓狂な声を上げていた。 フォース団を率いる頭領でありながらもうら若く、それでいてリーダーシップに優れている。 年頃の女性らしく、室内のデザインは女性好みの柔らかなもので統一されており、清潔感が保たれていた。 それなのに、当人はシックなデザインのテーブルに裸足を投げ出している。 こればかりは女性らしい振る舞いとは言えないが、誰も見ていないと分かっているからこそできることだ。 自分ひとりしかいない場所で、誰に気兼ねする必要があるというのか。 「あたしと組んでもいい? あははは、こりゃケッサクだ。あたしのことを散々毛嫌いしときながら、今さらそんな都合のいいことを言うなんてね。 いよいよヤキが回ったってことか……まあ、ンなのあたしの知ったこっちゃないんだけどさ……ふーん」 電話口の相手がおもしろいことを言うものだから、ハツネは腹を抱えて爆笑した。 皮肉もここまで来ると心地良いが、あまりの笑撃に、胃がねじれそうになる。 さすがにそれだけは勘弁してもらいたかったので、笑うのも程々にしておいた。 「でも、あたしに直接連絡してくるんだ。本気なんだろうね」 相手は本気だと、自分の姿勢を見せ付けている。 無論、それがただのハッタリでないことはハツネ自身がよく分かっている。 一応、少し前に会ったばかりの相手だ。 それなりに面識があるし、仲良くやっていた時期もある。 互いの立場もあって、今では半ば敵同士だが…… 「まあ、悪い話じゃないのは確かだ。 一番なのは、あんたがポケモンリーグのイヌとしてあたしに力を貸してくれることだけど、それはさすがに無理だろ。 あんたの性格から考えても、それだけは死んでも願い下げってところだろうからね。 ……ああ、気を悪くしたんなら謝るよ。そんなつもりじゃなかったんだ」 皮肉混じりのセリフは、どうやら相手の機嫌を損ねてしまったらしい。 ハツネにとっても悪い話ではなかったので、いきなり交渉を打ち切られるのは勘弁してもらいたかった。 互いに利益があり、敵同士になってしまった以上、『手を組む』というのは互いに弱味を握り合うことになる。 だが、そこのところは腹の探り合いをしながら、表面上仲良くやっていれば問題ない。 これでも、相手のことは分かっているつもりなのだ。それは相手も同じこと。 考えるだけ詮無いだろう。 せっかくいい話を持ってきてくれたのだ。 多少は乗ってやるのが義理人情というものだ。 もっとも、犯罪まがいのことをやっている組織の頭領が気取って言えるようなものではなかったが。 相手の口から、少しは有用な情報を得ることができて、彼女の口元が緩む。 なるほど、情報供与も交渉の一部。 なかなか上手い方法を使ってくる。さすがにネイゼル地方で最年長と気取っているだけのことはある。 亀の甲より年の功とはよく言ったものだと思わずにはいられない。 「あのドラピオンのことを欲しくないかって? あー、あたしは遠慮しとくよ。あいつらが狙ってるっていうから、ちょっと興味湧いたけど。 あの子ったらあたしのこと敵だと思っちゃうし、ドラピオンだってあたしには敵意向けてたからね。 それに、そんなに強そうにも見えないからね。 一番なのは、余計なことに巻き込まれたくないってことさ……はっ、確かにあたしが言えた義理じゃないさね」 相手もまた、なかなか痛烈なことを言ってくれる。 ダメ元で言ってくるのだから、なかなかどうして大したものだ。 ハツネはすぐ傍に置いてあったポテトチップスの袋をつまむと、口元に運んで逆さに振って、中身を口の中に放り込んだ。 それからバリバリと、下品な音を立てながら噛む。 電話口の相手は呆れているのか、その間、何も言わなかった。 ちゃんと噛み砕いてゴックンと飲み込んでから、話に戻る。 小腹が空いた時には、ポテトチップスが頼もしい味方。 ……というのはさておいて、 「協力ってほどのことじゃないんだろうけど、それなりにやろうってんなら、先に条件キメとかないとね。 後で『言った、言わない』の問題になるのはゴメンさ。それはあんたも望んでないトコだろ?」 ハツネは一歩踏み込んだことを相手に告げた。 向こうもそれなりに準備をして、この会話に臨んでいるはずだ。 ならば、肯定であれ否定であれ、何らかのリアクションはある。 思ったほど時間をかけずに、相手は回答を返してきた。 「ふん……やっぱりね」 思った通りの言葉に、ハツネは口元の笑みを深めた。 こういう風に話を持っていけば、相手からどのような言葉が返ってくるのか……それくらいは分かっている。 伊達に、フォース団を率いてはいない。 「いいだろう。 直接的な戦力の提携はなし。双方に有益な情報は惜しむことなく交換。 大ざっぱな協力はせずに、不必要な相互干渉はしない……まあ、こんだけあれば十分だね。 よし、いいだろ。 あんたの話に乗ってやるよ。敵の敵は味方……ってワケじゃあないけど、それに近い状態だからね。 ……うん、それじゃあまたね。期待してるよ、ジムリーダーさん」 皮肉を口にしたつもりはなかったが、相手は電話越しに奥歯をぎりっと噛みしめたようだった。 硬いものが軋む音が小さく響いてくる。 「ああ、また……」 相手が苦渋に満ちたような言葉で会話を終わらせようとする。 これ以上話したところで得られるものはないだろう。今のところは。 ハツネは会話を終わらせると、電源ボタンを押して通話を解除した。 「ふん……なかなか面白いことになってきたじゃないか」 携帯をテーブルの上に放り投げるようにして置くと、椅子の背もたれに深くもたれかかった。 まさか、ジムリーダーともあろう者が自分にコンタクトを取ってくるとは思わなかった。 電話番号を知られていたことには驚きすら感じたが、相手のことを考えれば、それもあながち理解できない話ではない。 「しっかし、なんて言うかね……目的のためには手段を選ばないって言うか。 ま、あたしらが言えた義理じゃないけどね……さて」 一歩間違えれば、相手は確実に破滅する。 そんな危険な賭けに打って出てくるのだ。 それ相応の覚悟はあると見るべきだし、その覚悟に応じたメリットもあるということだろう。 もちろん、リスクがまったくないとは言えない。 いや、それを言うなら…… 「あいつの方がリスク大きいね。 全部が終わった時、ジムリーダーのままでいられりゃいいんだけど……まあ、あたしが心配することでもないね」 ハツネは立ち上がると、テーブルに置いた携帯を再び手にとって、ズボンのポケットに滑り込ませた。 大事な商売道具だ。どこに行くにも必ず持っていく。だからこそ『携帯』なのだ。 「ヒロミにもちゃんと伝えなきゃいけないね。 たかだか数パーセントの可能性が現実になった……ってことは。驚く顔が見物だけどさ」 部屋を出て、岩が左右から迫り出している通路を歩いて、部下が使っている部屋へ向かう。 懐に痛いことばかりしてくれる部下だが、その部下が自力で完成させたシミュレートマシンの効果は確かにあった。 とはいえ、部下が嬉々として斬り捨てた数パーセントの可能性が現実になった以上は、ある程度の修正は余儀なくされるだろう。 「吉と出るか、凶と出るか……あいつとちゃんと連携が取れるかどうかで決まるってトコだね。 まったく……なかなか面白いことしてくれるよ。ヒビキのヤツも」 ため息をつきつつも、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。 これから楽しくなりそうだ……そう思うだけで、なぜだか笑いたくなってきた。 Side 3 ――レイクタウンを旅立って4日目。 その日の朝方に、アカツキは目を覚ました。 丸一日とまでは行かないが、二日分以上の睡眠は優に取った。 そのせいか、疲れは取れているのだが、どうにも身体に錘が加わったようにダルかった。 「んーっ……」 閉めきられたカーテンの隙間から差し込んでくる陽光に照らし出されるようにして、眠りから引き戻される。 うっすらと目を開けると、淡いオレンジのような色が視界に入ってきた。 徐々に焦点が合ってくると、それが木目調の天井だということに気づく。 ……と。 「あれ……?」 屋内にいると理解して、アカツキはがばっ、と勢いよく身体を起こした。 「ここって……」 見慣れない部屋だった。壁から床から天井まで木目調に覆われ、椅子や机といった備品まで木製だった。 まるで木の中にいるような気持ちになるが、備品の配置や数、部屋の広さから考えて、ここがポケモンセンターだとすぐに分かった。 「ポケモンセンターか……オレ、どうしたんだろ。確か……」 ここがポケモンセンターの一室であることが分かったのはいいとして、どうして自分はここにいるのか。 それが分からなくて、アカツキは眉間にシワなど寄せながら、目覚める前の記憶をたどった。 とはいえ、起きたばかりで頭がまともに働かないのか、思い出すだけでもかなりの時間を要した。 だが、思い出してからは早かった。 「あーっ!! 確か、オレ……」 いきなりやってきたソウタとかいうヤツから、ドラップを守ろうと必死に頑張ったのだ。 どうも、そこから先の記憶が曖昧になっているのだが、ブラッキーを引き連れたトレーナーに助けられたり、 赤い髪の女やジムリーダーが現れたりと、状況が二転三転したような気がする。 ウヤムヤのうちに意識が飛んでしまっていたが、アカツキの胸中にあるのは自分自身のことなどではなかった。 「ドラップ!! ドラップは!?」 誰かが自分をここに運んでくれたのだろう。 少なくとも、ソウタからドラップを守ることはできた。それだけははっきりと覚えている。 だが、そこから先は? アカツキはドラップの姿を探して周囲を忙しなく見回したのだが、探していた姿はすぐ傍にあった。 「あっ……」 ベッドのすぐ傍で、ドラップは身体を横たえて眠っていた。 長すぎる首とシッポを地面に垂らし、完全に横倒しになっている。 そうでもしなければ、身体に負担がかかってしまうのだろう。 しかし、ドラップの寝顔はとても穏やかなものだった。 ソウタに向けていた憎悪の表情がウソであるかのようだ。 それに、強面ではあるが、どこか憎めない可愛さもある。 愛くるしいとまでは行かないが、よく見てみるとなかなか可愛い。 「良かった、無事だったんだあ……」 ドラップが安らかに眠っているのを見て、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 室内を慌てて見回したところなど誰にも見られなくて良かった。 もしアラタかキョウコに見られていたら、ここぞとばかりにからかってくるだろう。 「……ドラップをちゃんと守ってあげられたんだ。オレ、頑張ったモンなあ……」 自分で言うのもなんだが、頑張ったと思っている。 あれから一日近く経ったことは分からなくても、よく眠れて気分がスッキリしていることから考えて、それだけは間違いなさそうだった。 「…………」 ドラップは本当によく眠っているようだった。 実際、アカツキのことを昨日からずっと見ていたのだ。 陽が傾き、夜の帳が降りて、消灯の時間になるまで、ずっとアカツキのことを守っていた。 そんなことがあったとは知る由もなかったが、ドラップの穏やかな寝顔を見て、アカツキは口元に笑みを浮かべた。 昨日までは、こんな無防備な姿をさらしたりはしなかっただろう。 どこか刺々しい感じで、相手が誰だろうと、隙を見せたりはしない……それが昨日までのドラップの印象だった。 誰も寄せ付けなかったドラップも、今ではこうして眠っている。 本当に相手のことを信じられなければ、こんな風に無防備な姿はさらさない。 そう考えれば、ドラップがアカツキに心を許したのも間違いない。 「起こすの、悪いよなあ……」 いい顔をして眠っているものだから、起こすのは気が引ける。 しかし、アカツキがあれこれ考える前に、ドラップが目を覚ました。 「……? ごぉぉ……」 アカツキが斜め上から見つめていることに気づいて、すぐに顔を向ける。 首をもたげ、あっという間に視線の高さが逆転した。 「ドラップ、おはようっ!!」 アカツキはニコッと笑いかけながらドラップの顔を見上げ、大きな声で挨拶した。 相手が誰であれ、「おはよう」「おやすみ」という挨拶は必需品。 陽気な性格でそうとは感じさせないが、これでも一応礼儀については徹底的に叩き込まれてある。 ドラップは穏やかな表情で、 「ごぉぉぉ……」 小さく嘶いた。 起きたばかりで今一つ元気がないのだろうが、それでもちゃんと挨拶を返してくれた。 たったそれだけのことだけど、アカツキは天にも舞い上がらんばかりの心地だった。 ドラップがちゃんと返事をしてくれた。 自分の言葉に応えてくれた。 それだけなのに、無性にうれしくなる。 表情など緩みっぱなしだ。 「やりぃ〜♪」 心の中ではフィーバーだった。パチンコで言うなら、出玉が止まらなくて、それこそ笑いが止まらない状態。 だけど、笑いっぱなしでお腹が痛くなるのも嫌だったので、アカツキは笑うのも程々に、ベッドから降りた。 やはり起きたてということが影響しているのか、身体が今一つ鈍い感じだ。 まあ、そこのところは少し走り回ればすぐにいつもの調子を取り戻せるだろう。 それよりも、今は…… ぐるるぅ…… 「うーん、腹減ったなあ……」 身体は正直だった。 腹の虫が食物をねだるのを聞いて、アカツキはため息混じりに腹をさすった。 よく頑張って疲れたせいか、とてもお腹が空いていた。 「……?」 一体何の音? ……と言わんばかりに、ドラップが顔を覗き込んでくる。 これもまた、今までなら絶対に見せなかった仕草だ。 心を許してくれたからこその仕草と言っていい。 一日でこうも変わるのかと思ったが、それはもちろん好ましい変化だった。 「ドラップは腹減ってない?」 アカツキは腹の虫が騒いだ音を出しても恥ずかしがることなく、むしろ誇らしげな笑みなど浮かべながらドラップに訊ねた。 言葉の意味は分からなかったが、アカツキが腹をさするのを見て、空腹を感じているのかということは理解できた。 見た目こそ無骨で荒々しい印象を受けるが、その実、人一倍繊細な感受性の持ち主だったりするのだ。 「なんか、ゆっくり寝てたみたいだからなあ……腹減ったんだ。 ドラップ、一緒にメシ食いに行かない?」 「ごぉっ」 アカツキがそう言うと、ドラップは大きく頷いた。 「よし、決まりっ♪」 心と心が見えない糸でちゃんと繋がっているのを理解して、アカツキは満面の笑みで拳を高々と突き上げた。 頑張った甲斐あって、ドラップがちゃんと自分の言葉に応えてくれるようになった。 それは何にも代え難い収穫だった。 アカツキはベッドを降りると、机の上に置いてあるリュックに目をやった。 ちょっとだけ土がついているくらいで、特に異常らしい異常も見当たらない。 それから、傍らに寄り添うように置いてあった二つのモンスターボールを手に取った。 「ネイトとリータ、大丈夫かなあ……? 結構ヒドくやられちまったし……」 「…………?」 二つのボールには、ネイトとリータが入っている。 記憶にある限りだと、ネイトとリータはソウタのハガネール――スティールとの戦いでひどく傷ついていた。 もしかしたら、自分をここまで運んでくれた誰かが気を利かせて、ジョーイに預けてくれていたのかもしれないが、 自分でそうしたわけではない以上、やはり心配だった。 実際は、ドラップに乗せられたアカツキをここに連れてきたヒビキがジョーイに預けて、すっかり二人とも元気になっている。 「んー、一応出してみよう。考えるのはそれからってことで。 よーし、ネイト!! リータ!! 出てこいっ!!」 考えるのも面倒くさくなったので、アカツキは声を高らかに、二つのボールを軽く頭上に放り投げた。 刹那、ボールの口が開き、中から二体のポケモンが飛び出してきた。 「ブイっ♪」 「チコ〜っ」 やっと出られた〜、と言わんばかりに、飛び出してきたネイトとリータが大きな声で嘶いた。 ダメージを負っている様子もなかったので、アカツキは元気な二人を見てホッと安堵した。 「ネイト、リータ。元気でよかった。ゆっくり休めたんだなっ」 「ブイ、ブ〜イっ!!」 「チコっ!!」 膝を折って言葉をかけると、当然だとばかりに大きく頷くネイトとリータ。 「ごめんな。痛い想いさせちまって……でも、次からはそうならないように頑張るからさ」 「ブイっ!!」 ソウタと戦った時の、トレーナーとしての不甲斐なさを素直に謝ったが、ネイトは気にしていないようだった。 リータは少し気にしているようだったが、すぐにネイトと同じくニッコリ微笑みかけてくれた。 ソウタのスティール相手に、ネイトとリータが二人がかりで戦っても、歯が立たなかった。 それはポケモンの力量も関係しているのだろうが、最大の敗因は、 アカツキ自身がトレーナーとしてまともな判断と戦略も立てずに、無鉄砲に無計画に戦っていたことだった。 幸い、二人とも理解のいいポケモンだから助かったが、そんなことは関係ない。 次からは、こんなことがないように、頑張らなければならない。 「そうさ……オレがもっとしっかりしないと!!」 ジムリーダーに負けた。 その上、ジムリーダーでもないトレーナーにまで負けた。 相手の実力がジムリーダークラスのものだったとはいえ、二連敗というのはアカツキのプライドにキズをつけた。 しかし、キズつけられたからといって弱気になるわけではなく、むしろキズつけた相手に勝つという気概があった。 そこは、前向きな気持ち(ポジティブシンキング)の持ち主ゆえの強みだろうか。 ちょっと下がり気味だった気持ちを上向かせて、アカツキはネイトとリータに言葉をかけた。 「腹減ってないか? メシ食いに行こう!!」 「ブイっ!!」 「チコっ!!」 「…………」 モンスターボールの中でゆっくり休んだと言っても、空腹まで満たされるものではないから、ネイトもリータもお腹が減っていた。 二人して渡りに舟とばかりに飛びついてきたが、 ドラップはアカツキとネイトとリータの軽いノリについていくことができないのか、どこか控えめな反応だった。 それでも、目の前で繰り広げられている軽いノリが嫌いというわけでもない。 今までの環境と比べたら、ちょっと眩しすぎるだけで、決して嫌いなものではなかった。 少しずつ慣れていこう…… ドラップが無言でそんなことを思っていると、アカツキはネイトとリータを引き連れて部屋を後にした。 置いていかれてはたまらないと、ドラップは慌てて後を追いかけた。 しかし、アカツキは扉を閉めずに待っていた。大切な仲間を一人置いてきぼりにするようなことはしない。 いそいそとやってきたドラップに笑顔を向けて、 「ドラップ、そんなに慌てなくたっていいからな。オレたち、ドラップのペースに合わせるから。な?」 「ブイっ♪」 ドラップはネイトやリータと比べると、動きが鈍い。 二人と比べると身体が大きく、それでいて脚が短いために、素早い動きはどうにも苦手なのだ。 だから、走り回るというのは正直言って、タフなドラップにとってもかなり辛いことだった。 アカツキはそこのところをちゃんと理解して、待っていてくれたのだ。 そんな小さな気遣いがうれしくて、ドラップは笑顔で頷き返した。 「ブイっ!?」 「チコ……」 ネイトとリータはドラップが笑顔になったのを見て、驚愕した。 かなりのマヌケ面だが、当人たちは気にしていないようだ……それくらい驚いたのだろう。 ドラップは今まで仏頂面で、怒っているようにも見えたので、こんな風にニッコリ微笑むことができるのかと、思わず驚いてしまう。 だけど、うれしかった。 「ブイっ♪」 少しではあるけれど、自分たちのことを仲間だと思ってくれているのだ。 ネイトは改めて、前脚をドラップに差し出した。 人間で言うところの握手だが、これはアカツキの傍で暮らしてから覚えた仕草だ。 人間と一緒に暮らしていると、ポケモンがポケモンとして生きていくのに必要ない仕草を覚えてしまう。 「…………」 ドラップは目の前に差し出された脚を怪訝そうな目で見ていたが、すぐに長い腕をネイトの前脚に差し出した。 鉤爪の間に挟み込む形で差し出すと、ネイトの表情がパッと輝いた。 鉄のように冷たいかと思っていたが、ドラップの鉤爪はほのかに暖かかった。 ドラップと戦った時は、その鉤爪から必殺のクロスポイズンを繰り出されて、まともに食らってしまったものだが…… こうして仲間として触れ合っていると、とても暖かくて心強く思えるのだから、不思議なものだ。 ネイトとドラップが仲良くなったのを見て、リータも仲良くなりたいと思ったのだろう。 「チコ、チコリ〜っ」 あたしも、あたしも。 そう言いたそうに瞳をキラキラ輝かせながら、頭の葉っぱを振る。 「ごぉぉ……」 ドラップはリータのリクエストにもちゃんと応えた。 反対側の腕を伸ばし、鉤爪で軽くリータの頭上の葉っぱに触れる。 水分を適度に帯びて湿った葉っぱは、しかし水っぽい感じはしなかった。 まるで大人が子供の頭を撫でているような光景だったが、見ていてとても微笑ましかった。 アカツキはポケモンたちが触れ合うのを黙って見ていた。 ここで言葉をかければ盛り上がるのだろうが、今はポケモンたちだけで触れ合う時間だと思って、喉元まで出かけた言葉をグッと飲み下した。 「これなら大丈夫かな? ネイトもリータも仲良くしてくれるみたいだし……」 ポケモン同士で仲良くなれれば、あとは自分が頑張るだけだ。 ネイトとリータが外に出てくる前でも、それなりに手ごたえは感じられた。 あとは…… 「オレがガンバりゃオッケーだな♪」 最後にモノを言うのは、自分自身の努力。 努力すること自体は嫌いじゃないし、目標があるなら思いっきり頑張れる。 ネイトたちが楽しそうにやっているのを見て、情熱の炎に、やる気の油がこれでもかとばかりに注がれる。 火に油……ここではもちろん、いい意味だ。 ポケモンたちが何やら和気藹々としているのはいいことだが、その間にもアカツキの空腹はその度合いを増していく。 先ほどにも増して、腹の虫が『食べ物くれぇぇぇっ……』と騒いできたのを感じて、悪いと思いつつ…… 「みんな、そろそろ行こうぜ。オレ、腹減って死にそうだよ……」 一晩ゆっくり休んで、しかもその間一粒の米さえ口にしていなかったのだ。 寝ていたのだから当たり前だが、だからこそ腹が減っている。 アカツキが困ったような顔で言うものだから、ポケモンたちも、スキンシップを図るのも程々に、彼の言葉に従った。 「サンキュ。助かるっ!!」 廊下は走ってはいけないが、アカツキは走らない程度に早足で歩いた。 これくらいならドラップもついてこられたので、途中でペースを落とすことなく、ポケモンセンターの食堂にたどり着く。 とはいえ、この程度の運動では、長いこと眠って鈍った身体の調子を取り戻すには程遠い。 まあ、最優先すべきなのは食事なのだから、それはこの際考えないことにした。 お世辞にも大きな街とは言えない街のポケモンセンターだけあって、 食堂の規模もそれほど大きなものではなかったが、食事を楽しんでいるトレーナーはそれほど多くなかった。 空席もかなり目立ち、これなら慌てなくても席は確保できそうだ。 「さ〜て、食うぞ〜っ!!」 入り口に用意されているトレイと食器類を手に取ると、アカツキは張り切ってバイキング形式の料理を装い始めた。 腹の減り具合は半端なものではなく、山盛りのご飯に、茶碗からこぼれそうな味噌汁。 サラダはまるでキャベツの山で、お世辞にも子供が一食で食べる量とは思えなかった。 「ふんふふ〜ん♪」 鼻歌混じりに、何やら楽しそうに大盛りを装うアカツキ。 リータとドラップが唖然としていることに気づく様子もなく、たぶんこれくらいなら食べられるだろうというアバウトな感覚だけで装った。 しかし、だからといって大事な仲間の分は忘れない。 固定メニューよりも残飯を少なくできるという利点があるためか、どこのポケモンセンターでもバイキング形式の食事が取り入れられている。 それは人間の食事に限ったものではなく、ポケモンの食事も同じだった。 ポケモンだって人間の食事を好むものもいるが、それはどちらかというと少数派。 ネイトのように人間と長い間一緒に暮らしているポケモンがその少数派に属するが、普通のポケモンなら、ポケモンフーズと呼ばれる食べ物を好む。 人間用の料理の横にもう一つ、ポケモンフーズのテーブルが設けられており、 そこには『甘い』『酸っぱい』『苦い』『辛い』『渋い』と五つの味に分かれたポケモンフーズが山のように盛られていた。 主にポケモンが好む味で、どのポケモンでも大体はこの五つの味の中に好みがあるとさえ言われているのだ。 ポケモンフーズは、パッと見た目はドッグフードやキャットフードのような、小さなお菓子サイズの固形。 しかし、ドッグフードやキャットフードと違うのは、ポケモンフーズには木の実を砕いた粉が練りこまれており、豊かな味わいがある。 ポケモンフーズは人間が食べても問題ないものだが、それを好んで食べるトレーナーはほとんどいない。 「ネイトはこれだな」 アカツキは甘い味のポケモンフーズを深皿に装うと、ネイトに手渡した。 「ブイっ♪」 匂いから、これが大好きな味だと理解して、ネイトの口元が緩む。 「……?」 「…………?」 どうしてうれしそうにしているのか分からず、リータとドラップは怪訝な表情をしていた。 ポケモンフーズを食べるどころか、見るのさえ初めてだったのだ。 石ころにも似たものを満載にした皿を渡されてどうしてうれしいのか、分かるはずもない。 なにしろ、二人とも二日前までは野生で暮らしていたのだ。 人間が作った食べ物を口にする機会など、そうそうあるものではない。 アカツキはそんなリータとドラップに構うことなく、五つの味のポケモンフーズをそれぞれ二つずつ装うと、二人の前に持ってきた。 「そういや、リータとドラップが好きな味って分かんないからさ。食べてみてよ」 場所ごとに、味を分けている。 二人がそれぞれの味のポケモンフーズを食べた時の反応を見れば、どの味が好きなのかが分かる。 これからはポケモンフーズを食べることが多くなるだろうから、ここで味に慣れておいてもらいたい。 もちろん、野宿の時は木の実や非常食などで我慢してもらうしかないが。 リータとドラップは、アカツキが差し出した皿に小分けされたポケモンフーズをじっと見ていた。 これを食べるのか……? 『いただきます』を待たずに、ネイトは深皿に盛られたポケモンフーズを一粒、また一粒とパクつき始めた。 行儀がいいとは言えないが、美味しいポケモンフーズを頬張って緩みっぱなしのネイトを見て、リータとドラップの警戒心はいとも容易く解けた。 お腹が空いていることもあるが、何よりも、リータとドラップにもこの美味しいポケモンフーズを食べて欲しいと思っていたのだ。 「…………」 美味しそう。 ネイトがうれしそうな顔をして食べるものだから、気になって仕方がない。 ドラップとリータは、小分けされたポケモンフーズを一粒ずつ食べた。 時には顔を真っ赤にしたり、口に入れたポケモンフーズをそのまま吐き出したりしたが、 五つの種類の中に、それぞれの好きな味があったので事無きを得た。 リータが好きなのは、ネイトと同じく甘い味。 一方、ドラップの好きな味は、逆に辛い味だった。 もしかすると、彼らの好みはそれぞれの性格を反映したものと言えるのかもしれない。 「ほー、リータは甘いのが好きで、ドラップは辛いのが好きなんだな。よし、分かったぞ」 二人の好みの味が分かると、アカツキはニコッと微笑みながら、 リータがたまらず吐き出した苦い味のポケモンフーズ(の残骸)を拾い上げて、すぐ傍のゴミ箱に放り投げた。 それから、もう一つ深皿を手に取ると、左右の手に持った皿に、リータとドラップがそれぞれ好む味のポケモンフーズを装った。 二人とも食欲旺盛なところがあったから、何も考えることなく積み上げるだけで良かった。 「んじゃ、行こっか」 自身の料理が満載のトレイにリータとドラップの深皿も入れて、アカツキは三人を連れてテーブルに向かった。 どの席でもそれなりに食事を楽しめるのだろうが、どうせなら窓際がいい。外の景色など見ながら食事を楽しむのが一番だろう。 そう思って、アカツキは窓際の席を目指して歩いていたのだが、不意に横手から声をかけられた。 「おぉ? なんや元気そうやないか。安心したで〜」 「……?」 妙に間延びした声に聞き覚えがあって、アカツキは声の聞こえた方に振り向いた。 窓際の席とは反対側に、ニコニコ笑顔で手を振ってくる少年がいた。名前は覚えていないが、窮地を救ってくれた少年だ。 少年――トウヤはアカツキが元気になったのを見て、胸中でホッと胸を撫で下ろしていた。 Side 4 ニコニコ笑顔で手を振ってくるトウヤの傍らには、耳の垂れたブラッキー。 「えっと……」 一度ならず、二度までも助けてくれた。 アカツキにとっては恩人なのだが、肝心の名前が思い出せない。 「えっと、なんて言ったっけ……」 アカツキが眉間にシワなど寄せながら考え込んでいるのを見て、ネイトとリータも訝しげな視線をトウヤに向けた。 二人は彼に会ったことがないのだから、それは当然と言えば当然だった。 アカツキたちが立ち尽くしているのを見て、トウヤは手招きした。 「こっち来ぃや。席空いとるから。 どうせメシ食うんやったら、一人より二人……ぎょうさんおった方が楽しい思うやろ?」 「え、うん……」 窓際の席は次の機会になったが、せっかく一緒に食べようと言ってくれたのだ。 その誘いを断ることはできなかった。 「みんな、行こう」 アカツキは声を上げると、トウヤの向かいの席に腰を下ろした。 テーブルの周囲に他のトレーナーやポケモンの姿がなかったので、ネイトたちものんびりとくつろげるだろう。 トレイを置いて、リータの深皿を床に置く。 テーブルに載せられればいいのだろうが、それではリータまでテーブルに乗らなければならなくなる。 それではあまりに行儀が悪いから、仕方ない。 それに、 「ブイっ♪」 リータの皿の傍に、ネイトが自身の深皿を置いた。 「チコっ」 一緒に食べようと嘶き、ネイトとリータはそれぞれのポケモンフーズをパクパクと食べ始めた。 傍には、ブラッキーのルナ。トウヤのパートナーだ。 ルナもテーブルに登るわけにはいかないので、床に皿を置いてポケモンフーズを食べている。 同じ境遇(?)ということもあって、三人はあっという間に意気投合したようだった。 「ブラ、ブラっ?」 「ブイブ〜イっ」 「チコリ〜っ」 何を話しているのか分からないが、ずいぶん楽しげだ。 他人のポケモンとはいえ、気が合っていろいろと話をするのはいいことだ。 アカツキは背中を押されたようにニコッと微笑み、椅子に腰掛けた。 ドラップは背が高いので、テーブルに深皿を置いたままでも大丈夫だった。鉤爪で一つずつ、器用につまんで食べられる。 アカツキが腰を下ろすと、トウヤは止めていた箸を動かした。 まるで、彼が来るのを待っていたかのようだったが、それはあくまでも偶然に過ぎなかった。 「良かったな〜。元気になって」 「うん。ありがとう、助けてくれて」 笑顔でかけられた言葉に、笑顔で返す。 助けてくれたことにありがとうと伝え、アカツキは箸を手に山盛りのご飯を口の中に掻き込んでいった。 もし、トウヤが来てくれていなかったら、大変なことになっていただろう。 ドラップはさらわれていただろうし、自分もタダでは済まなかった。 具体的にどうなるのかまでは分からなかったが、下手をすれば腕の一本や二本は折られていたかもしれない。 多少オーバーだとしても、彼が自分たちを助けてくれたことに変わりはないし、そのことに感謝してもしきれないくらいだ。 「さっきは助かったよ。 キミが来てくれなかったら、ドラップも連れ去られちまってたかもしれないからさ…… でも、分かった。オレがもっと頑張らなきゃいけないんだって」 「そやな。トレーナーがポケモンを頼っとるように、ポケモンだってトレーナーを頼っとるんや。それが分かっただけでも十分やろ」 「うん」 食事しながら、会話を交わす。 トウヤも今しがた食堂に来たばかりで、皿には洋食のメニューが並んでいた。 フォークでウインナーを突き刺し、口元に運ぼうとして……はたと、その動きが止まる。 「ちょい待ち。今、『さっきは』言うたか?」 「うん、そうだけど」 恐る恐るといった風に問いかけてくるトウヤに、アカツキはあっさりと頷いた。 当然である。 アカツキからすれば、目が覚める前のことだったのだから。 よく眠っていたとはいえ、時間などあまり経っていないと思っていた。 だから『さっき』という表現でも問題ないと思っていたのだが…… とんでもない話だった。 「待て待て待てぃ。おまえ、あれからどんくらい経ったんか分かっとらへんやろ」 「んん?」 話が噛み合わず、アカツキは首を傾げた。 「おまえが襲われたんは、昨日や言うとるんや。 あれから一日近く経ったんやで。まさか気づかなかったんか」 「え……マジ?」 「マジも何も、そげな嘘ついてもしょうがあらへんやんか」 「…………」 アカツキは絶句した。 まさか一日近く経っていたとは思わなかった。 よく寝たとは思っていたが、せいぜいあれから数時間程度しか経過していないという認識だったのだ。 「ええっ、一日も経ってたの!? うわー、オレそんなに寝てたんだ!?」 「…………」 一日も経っていたことに今さらながら気がついて、アカツキは素っ頓狂な声を上げた。 よく考えてみれば、起きてから今まで時計やテレビなど見ていなかったのだから、一日経ったということに気づかなかったのも無理はない。 口をポカンと開け放ったまま固まっているアカツキを見つめ、トウヤは困ったような笑みを浮かべた。 相当疲れていたものの、一日近く眠っていたとは思っていなかったらしい。 仕方がないと思って、救いの手でも差し伸べようとした時だ。 「じゃあ、ドラップはオレのことずっと見ててくれてたんだ。ありがとな、ドラップ」 アカツキはドラップに顔を向け、ニコッと笑った。 驚いてばかりもいられないと思ったのかもしれないが、何より、ドラップはずっと自分の傍にいてくれたのだ。 モンスターボールの中に入るという選択肢もあったはずなのに、ベッドの傍にいてくれた。 それは、ずっと自分のことを見守ってくれていたからに他ならない。 昼も夜も、ずっと見ていてくれた。 それがとてもうれしくて、心がカッと熱くなった。 「ごぉぉ……」 アカツキが本当に『ありがとう』と思っているのが分かってか、ドラップはニコッとしながら頷き返した。 見ていて微笑ましい光景だったので、トウヤの口元には別の笑みが浮かんでいた。 見ているこちらまでほのぼのとしてくる。 「それはそうと…… 昨日言っとった、言うこと聞かへんポケモンって、そいつのことやろ?」 「うん!!」 トウヤは記憶していた。 昨日、ロビーで落ち込んでいたアカツキが話していたのは、ドラップ――このドラピオンのことだったのだ。 言うことを聞いてくれなくて、バトルにならなくて負けたと、残念そうに肩を落として言っていた。 だが、今のやり取りを見る分に、心配も余計な世話も必要ないだろう。 アカツキがドラップを身を挺してまで守ったのだ。その気持ちはドラップに届いている。 だからこそ、こうして真正面から素直な表情で向き合える。 「でも、大丈夫。今ならたぶん言うこと聞いてくれると思うから」 スキンシップと呼べるほどのものは図っていないが、それでもアカツキには分かる。 ドラップと自分の心がちゃんと繋がったのが理解できたからだ。 別に、それを目的にしてドラップを守ったわけではない。 大事な仲間だと思ったから守っただけで、後でこうしよう……なんて他意があったわけではない。 しかし、だからこそドラップはアカツキの無垢な心を理解して、自身の心を開いたのだ。 この状態で言うことを聞いてくれないということはないだろう。 明確な証拠が目に見える形で存在していなくとも、心と心で感じ合えるものがある。 それが、ポケモンとトレーナーとの間に芽生えた友情だったり、特別な感情だったりするものだ。 「そっか。それならええんやけど」 和気藹々とした表情をしているが、問題が解決したわけではない。 もちろん、大きな前進ではあるが、大変なのはむしろこれからだ。 それを分かっているのかどうか……疑わしいというのが、トウヤが抱いた正直な印象だった。 そのことをどう話せばいいものか……いつまでも喜んでいてもらっては困るし、いつまでだってこのままニコニコしていられるわけでもない。 切り揃えた卵焼きを口に運びながら、考えを働かせる。 いっそ、何も考えていないのなら、こちらから話すだけお節介というものか……というところに及びかけた時だった。 アカツキの方から訊ねてきた。 「ねえ、昨日……のヤツなんだけどさあ、何か知ってる?」 「うん? 昨日の……ソウタのことか?」 「うん、そいつのこと」 向き直ってみれば、先ほどまでドラップに向けていた笑みはどこへやら、引き締まった表情を向けてきているではないか。 ドラップのことを大事な仲間だと思っているからこそ、ドラップを付け狙う者がいるというだけで許せないのだろう。 どうやら、そういう気持ちは忘れていなかったらしい。 すっ呆けて逃げても良かったが、アカツキだけでなく、ドラップまでこちらを向いているものだから、そういう気にならなかった。 「俺やて、ぎょうさん知っとるワケやない。むしろ、ジムリーダーの方が詳しいんちゃうか? 俺に聞くより、ジムリーダーに聞いた方がええよ」 「うう……」 ジムリーダーに聞け。 体よくはぐらかされて、アカツキは唸った。 昨日助けに入ってくれたのは、いったいなんだったのかと思いたくなるような反応だったが…… 「でもな、俺はジムリーダーに頼まれて、おまえんとこ行ったんや」 「えっ?」 予期せぬ一言に、下がりかけた頭が上向く。 「ソウタが部下を街で暴れさせてな。 ジムリーダーや俺らがそっちの対応に回っとる間に、ソウタがおまえからドラップを奪い取る……そういう計画やったらしいで。 ジムリーダーの話や、どこまでホントか分からへんけど」 「そうだったんだ……」 ごくりと、唾を飲み下す。 もし、トウヤが助けに来てくれるのがもう少し遅かったら、本当にドラップを奪われてしまっただろう。 「せやけど、おまえがぎょうさん頑張ったから、ソウタも手こずったってトコやろな。 トレーナーとしてなら未熟やけど、おまえのドラップを守ろう言う姿勢は素直に尊敬できるって思っとるで。そこんとこは誇ってええ」 「……そうかな?」 トレーナーとしての腕は未熟。 遠回しな言い方ではなく、スパッと竹を割ったように言ってくるのは、やはりそういうことを認識しておいてもらいたいと思ったからだろう。 「でも……」 アカツキはグッと拳を握りしめた。 ドラップを守ろうと思って行動した時は、本当に何がなんだかよく分からなかった。 ただ、守らなきゃ、という気持ちだけで、他に何を考えていたかよく覚えていない。 だけど、そう思った気持ちを素直に誇っていいと言われて、ほんの少しだけ自信が湧いてきた。 大事な存在を守ろうという気持ちは、子供であろうと大人であろうと変わらないものだし、 そこには嘘や偽り、打算や計算が入り込む余地などない、本当に素直な気持ちだから。 「でもさ……次は必ずって……そう言い残してたじゃん。 いつかまたやってくるのかな。ドラップを奪いに……」 アカツキの表情は不安にゆがんでいた。 ハツネという女の出現によって、ソウタは撤退に追い込まれた。 あのまま戦っていても、ベルルーンという名のバクフーンがソウタをギタギタにしていただろう。 引き際は見事と言っても良かったが、その時言い残したセリフがアカツキの心に引っかかっていた。 ――次は必ず貰い受ける―― 今回は予想外の展開になったからあきらめるが、次はこうは行かない。絶対にドラップを奪還する。首を洗って待っておけ。 そんな宣言だったとしか思えない。 そして、次は昨日のような加減はしてくれないだろう。 アカツキのことを侮りがたしと認識したソウタは、次こそいきなり本気で仕掛けてくる。 そうなったら、本当に今の自分でドラップを守りぬけるのか…… そんな不安が芽生えた。 アカツキは不安げな表情でドラップを見上げたが、ドラップはなぜそんな表情をしているのか分からなくて、戸惑っていた。 「あいつ、マジで強い……今のオレじゃ勝ち目なんて……」 ソウタのハガネール――スティールはとても強い。 他にも手持ちがいるだろうし、スティールだけであれほど手こずっていては、他のポケモンを出された時に、手も足も出ない。 それこそ、むざむざとドラップを奪われてしまうだろう。 実力の違う相手を敵に回してしまったが、今さらどうしようもない。取り消しようがない。 アカツキはドラップのことを守りたいと思っているし、ソウタは何らかの理由でドラップを奪取しようとしている。 それだけで対立しているのだ。 今さらどうしようもない。 「…………」 トレーナーとしての実力の違いを悩んでいるのを見て、トウヤは深々と、それこそアカツキにも分かるように堂々とため息を漏らした。 「……?」 いきなり深々とため息をつかれて、アカツキは驚いてトウヤの方を向いたが…… 「あのなあ、トレーナーとしての実力なんて、いきなり縮められるものやあらへん。 焦ったってしょうがないんや。 せやったら、今のおまえにできることを一つずつやってくしかあらへんやろ。違うんか?」 「…………」 至極まっとうなセリフに、アカツキは押し黙るしかなかった。 その通りだったからだ。 「オレ、なんか最近変だよな……」 深呼吸しながら、そんなことを思う。 実力の違うトレーナーを何人も見てきて、自信をなくしかけていた。 それがハッキリと分かるくらい、もしかしたら落ち込んでいるのかもしれない。 だが、それは自分らしくない。どこか変だ。 「あー、悩むのは後にしよう!!」 気づいてからは、本当に早かった。 トウヤの言うとおり、トレーナーとしての実力差は、小手先の努力や短い時間で埋められるものではない。 だからこそ焦るのだが、本当に大切なのは目先のことに囚われず、今の自分にできることを一つずつやっていくことだ。 そう、たとえば…… 「オレが、トレーナーとして強くなればいいんだ。 でも、いきなりなんて強くなれるワケないし……そっか、分かったっ!!」 トレーナーとして強くなること。 それが自分の課題だ。 「ほっといたってあいつはやってくるわけだし、どうせならそれまでにジム戦とかいろいろやって頑張ればいいんだ。 そうするしか……ないみたいだし」 「そうそう、そういうこっちゃ。世話の焼けるヤツやな、ホンマに……」 「へへ……それほどでも」 「褒めてない褒めてない……」 どこか噛み合っていない会話だったが、アカツキの表情が明るくなったのを見て、トウヤはホッとした。 「それにな、ドラップのことは、ジムリーダーがなんとかしてくれるって言っとったさかい。 しばらくはあいつも来ぃひんやろうし、羽根でも大っきく伸ばしとけばええやろ」 「うーん……それならいいんだけど」 ジムリーダーがなんとかしてくれると言うなら、ここはトウヤの言葉に甘えておくべきなのだろう。 しかし、いつかはソウタがやってくる。 そのことに変わりはないし、彼が来ても、今度は自分の力で仲間を守れるようになっていなければならない。 ……肝に銘じておかねばならないことだ。 アカツキが神妙な面持ちで考えていると、不意にズボンの裾を引っ張られた。 「……ん?」 顔を向けると、ポケモンフーズを食べ終えていたネイトとリータが、笑顔でアカツキを見上げていた。 「ブイブ〜イっ♪」 ――次は大丈夫だから。期待してくれてていいよ。 いつもと同じ調子の、陽気な声。 だけど、取り繕うことのない素直な声音が、アカツキの気持ちを落ち着けた。 「そうだな……」 ジムリーダーがなんとかしてくれると言っても、ソウタがいつやってくるか分からない以上は、気を抜けない。 「よし、決めたっ!!」 やるべきことがある以上、時間は一秒だって無駄にはしたくない。 アカツキは声を上げると、すごい勢いで食事を平らげていった。 ほぼ一日何も食べていないこともあって、食欲は凄まじかった。 トウヤはアカツキがご飯や味噌汁を口の中に放り込んでいくのを呆然と見ているしかなかった。 ここまでの食欲を見せ付けられたことがなくて、どう対応すればいいのか分からなかったらしい。 アカツキは彼が呆然としている間に山盛りのご飯を容易く平らげて、口元をナプキンで軽く拭くと、席を立った。 「ドラップ、食べ終わった?」 「ごぉぉ」 ほとんど同時に、ドラップも食べ終わったようだ。 もちろん、ドラップはアカツキとトウヤが話をしている間にゆっくりと平らげていた。早食いは身体に良くないと分かっているのだろう。 「よし、行くぞみんな。それじゃあまたね、トウヤ」 「お、おう……」 三体のポケモンが食事を終えたのを改めて確認すると、アカツキは彼らを連れて食堂を後にした。 「まあ、ええやろ……」 止める間などなかった。 いや、そもそも止めるつもりなどなかった。 アカツキが一生懸命何かをやろうとしているのは分かったし、ああいうひたむきな姿を見ていると、 多少無茶なことをやろうとしていても止めようという気にはならない。 「あかんなあ……俺もヤキが回ったんかなあ?」 ため息混じりにつぶやき、軽く頭を振った。 「ブラっ……」 ルナは困った顔をしたトレーナーをしばらく見上げていたが、やがてそれに飽きたのか、食事を再開した。 「まったく…… ジムリーダーも、俺に厄介なことさせるんやから……俺だって、暇やあらへんのに。 ……ま、ええわ」 愚痴ってはみたものの、アカツキの行動力の早さには感心しているところだった。 今まで何年も旅をしてきたが、彼のようなタイプの少年に会ったことがなかった。 それゆえ、アカツキの直向きなところは、見ている方が心を暖められるかのようだ。 ジムリーダー・ヒビキもずいぶんとややこしいことをさせると思ったが、それもまた悪くない。 しばらくはこの街に腰を落ち着けて、アカツキの成長でもじっくり見物しているとしよう。 そんな殊勝なことを思いながら、トウヤはコーヒーを口に含んだ。 To Be Continued...