シャイニング・ブレイブ 第4章 再戦と決意 -To be strong-(後編) Side 8 それから一週間、アカツキはトウヤを師と仰いで、ポケモンバトルの特訓に時間を費やしてきた。 激しい特訓の後、手持ちのポケモンが戦えなくなった時には、ポケモンセンターの自室に引きこもって、 それまでの経過や反省点、今後に活かすべき点などをノートに事細かに記した。 アカツキが一生懸命頑張っているのを見て、トウヤはあれこれと口うるさくは言わなかった。 特訓に付き合ったのは事実だが、伸びるか伸びないかを決めるのはアカツキ自身だったからだ。 人知れず努力を重ねているのなら、それをどうこう言う筋合いなどない。 自分のポケモンの戦い方やクセ、それに対してトレーナーがどうやって指示を出すべきか……? この一週間で書き記した量は、ノート一冊には及ばないものの、数十ページに渡っていた。 昼間は主に実戦(バトル)形式での特訓、その合間や夜間には、その成果をノートに書き記す。 そのくり返しで一週間が過ぎていったが、たったそれだけのことでも、一週間でアカツキのトレーナーとしての力量は確実に上がっていた。 力量が上がったのはアカツキだけでなく、彼のポケモンもまた同様だった。 ネイト、ドラップ、リータ。 三体とも確実にレベルアップし、以前ジム戦に挑んだ時と比べると、天と地ほどの差があるかもしれない。 ポケモンもトレーナーも、自身の力量が上がっていることを理解しているからこそ、なおさら特訓を続けて良かったのだと思える。 そして今、アカツキはフォレスジムの前に立っている。 言うまでもなく、一週間前の雪辱を果たすため――リーグバッジを手に入れるために。 「…………」 木の葉を寄せ集めたような形の屋根、森に溶け込むような緑の外観。 一週間前と変わらないのに、少し違って見えてくる。それは、一週間前とは気構えが違うからだろうか。 あの時は、なんとかなると思っていた。それが甘い幻想であることも知らず、自分の力量を過信していた。 だけど、今は違う。 「ジムリーダーは強いんだ。 でも、ガンバれば勝てる……一週間、ガンバってきたんだから。よし、行くぞっ!!」 ぱんっ、と頬を両手で一緒に叩いて気合を入れると、アカツキはインターホンを押した。 「…………」 拳をグッと握りしめ、いずれ来たる再戦に想いをめぐらせる。 この前は、ドラップが言うことを聞かなかったせいで負けた。 もちろん、それはドラップのせいなどではなく、アカツキのトレーナーとしての力量が中途半端でしかなかったからだ。 だけど、今は違う。 ドラップとも心を通わせ合い、ドラップの戦い方や技についても勉強した。 少しは自信もついたが、トウヤと比べるとまだまだだ。 どこか飄々としていて、実力を隠しているようにすら思えてくるのだ。 それが分かっただけでも、力量が上がった証拠になる。 この一週間でやってきたことを思い返しているうちに、呼び出し音が消えて、返事があった。 「挑戦者の方ですか?」 「ジムリーダーだ……」 インターホンのスピーカーから流れたのは、フォレスジムのジムリーダー・ヒビキの声だった。 アカツキはごくりと唾を飲み下し、言葉を返した。 「はい、そうです!! ジム戦に来ましたっ!!」 相手の穏やかな声を跳ね返し、自分の強い意思を示すように、腹の底から声を振り絞って、叫ぶように言う。 「……っ!! ……分かりました。 扉を開きますから、入ってまっすぐお進みください。お待ちしております」 いきなり大声を上げられたものだから、ヒビキは驚いたようだった。 ほんのわずかではあったが、焦ったような息遣いがスピーカーから流れてきたのを聞き逃さなかった。 「よしっ!!」 少しでもジムリーダーを驚かせた。 してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべ、アカツキはガッツポーズを取った。 ヒビキはアカツキが挑戦しに来たのだと分かっただろう。 それだけで十分だった。 やがて扉が開き、アカツキは意気込みを新たにジムに足を踏み入れた。 廊下を渡る間、自分の欠点を脳裏に思い浮かべる。 ちょっとしたことで動揺してしまう。感情がすぐ表に出る。 その他にもいくつかあったが、ポケモンにまで動揺が伝わるのが最大の問題だろう。 一週間トウヤと特訓を続けてきて、少しは動揺を表情に出さないようにする術を身につけたつもりだ。 とはいえ、ジムリーダーが相手なのだから、ポーカーフェイスの術を身につけたところでどれほどの役に立つかは分からない。 それでもまずは、自分の動揺がポケモンに伝わらないようにするのが重要なのだ。 トウヤから教わったことを胸に歩くうち、廊下の先にあるバトルフィールドにたどり着く。 鮮やかな芝生が敷き詰められたバトルフィールドでは、すでにジム戦の準備が整っていた。 左側のスポットにジムリーダーが立ち、センターラインの先では審判が端を手にスタンバイしていた。 まさか、自分が来ることが分かっていたのか……そう思ったが、構わずに右側のスポットにつく。 「レイクタウンのアカツキ、もう一度挑戦に来ましたっ!! よろしくお願いしますっ!!」 背筋をピンと伸ばし、悠然と佇むヒビキの顔をまっすぐ見据えながら、声を張り上げた。 今までの自分とは違う。 今回は絶対に勝つ、という意思表示だ。 アカツキの意気込みを大声から感じ取ったのだろう、ヒビキはニコッと微笑みかけながら言葉を返した。 「来たね。君なら、何度でも来ると思っていたよ。 一週間も間を置いたからには、それなりに頑張ってきたんだろう。 君の頑張りがいかほどのものか、見せてもらおう」 言って、腰のモンスターボールを手に取った。 「……ストライクかな……?」 ジム戦では二体のポケモンを使う。 手にしたボールには、一体目となるストライクが入っているのだろうか……? アカツキはそんなことを思いながら、ヒビキが持つボールを凝視していた。 しかし、アカツキが再戦を挑んできたこと、ドラップを見事に守り抜いたことに敬意を表して、ヒビキは特別ルールを提案してきた。 「またストライクから戦うというのも大変だからね。 今回は、一対一のバトルとしよう。僕が使うのはメガニウムだ。 出番だ、出ておいで」 「えっ……?」 アカツキが驚くのを余所に、ヒビキは手にしたボールを軽く放り投げた。 言葉どおり、飛び出してきたのはメガニウム。リータが頑張ればいずれたどり着ける最終進化形。 「ニュゥムっ……」 メガニウムはフィールドに飛び出すと、長い首を伸ばして、外の空気を満喫した。 やっとバトルができる……と言わんばかりだったが、ヒビキのメガニウムは好戦的な性格だった。 メガニウムも準備万端なのを見て取って、ヒビキはアカツキに目を向けた。 「さあ、君のポケモンも出したまえ」 「えっと……本当にいいの? 一対一(サシ)で」 「構わないよ、別に。 ルールと言っても、普遍的なものではないし、ある程度はジムリーダーの裁量も認められているんだ」 「なら、いいんだけど……」 この前とルールが違っていたので、本当にそれでいいのかと戸惑っていたが、『いい』と言い切られ、アカツキはそれ以上何も言わなかった。 ジム戦というのは、ジムリーダーがポケモントレーナーの力量を試し、リーグバッジを与えるに相応しいかを見極めるためのものだ。 ルールはジム戦の補助手段に過ぎない。 一対一でも二対二でも、ジムリーダーがルールを決めることができるのだ。 だから、今回は一対一というのもアリだ。 「オレも一体だけ……」 相手はメガニウム。 この前はまともに戦うことも叶わずに負けたポケモン。 相手の手札が分からない状態でバトルをすることになるが、それは何も今に始まったことではない。 「だけど、やるっきゃない!!」 ルールの変更によってバトルに出せるポケモンが一体だけとなり、少し戸惑ってしまったが、やる気が消えるわけではない。 心を奮い立たせ、メガニウムと戦うポケモンが入ったモンスターボールをつかんだ。 大きく腕を振りかぶり、 「ドラップ、やるぞっ!!」 中にいるポケモンに呼びかけながら、そのボールをフィールドに投げ入れた!! アカツキの気合に応えるようにボールの口が開き、中からドラップが飛び出してきた!! 「ごぉぉっ!!」 両腕の鉤爪をガチャガチャさせながら、ドラップは咆哮を上げた。 空気を震わす咆哮に、ヒビキの表情が曇る。 「なるほど……」 ドラップは鋭い眼差しで睨みつけていた。 負けじと、メガニウムも睨み返す。 バトルが始まっていないのに、すでにポケモン同士の戦いは始まっている。 心理的な駆け引きが、二体の間で繰り広げられているのだ。 「この一週間にレベルを上げたみたいだな……」 以前と、ドラップの顔つきがまるで違う。 ヒビキは、ドラップがアカツキに全幅の信頼を寄せているのを、以前と違う顔つきから感じ取っていた。 ふてくされた悪ガキのような顔つきはすっかり形を潜め、アカツキに背中を預けても大丈夫だと言わんばかりの決意に満ちた表情。 これは侮れない…… 以前のように、少しでもナメてかかれば、メガニウムでも押し切られてしまうかもしれない。 そう思わせるだけの気迫を感じ、ヒビキの表情は自然と険しいものへと変わっていった。 アカツキとヒビキの準備が整ったのを見て、審判が朗々と口上を述べる。 「これより、リーフバッジを賭けたジム戦を行います。 一対一のシングルバトルで、ポケモンが戦闘不能になるか、トレーナーによる降参で決着するものとします。 それでは、バトル・スタート!!」 審判の言葉が終わると同時に、アカツキはドラップに指示を出した。 「ドラップ、近づいてクロスポイズンだ!!」 「ごぉっ!!」 任せておけと大きな声で嘶き、ドラップはメガニウム目がけて駆け出した。 もっとも、子供のかけっこのようなスピードなので、メガニウムに到達するには十数秒はかかるだろう。 問題は、その間にメガニウムが何らかの攻撃を仕掛けてくる可能性だ。 だが、草タイプと毒タイプでは、ドラップの方が相性面では攻撃・防御とも有利。 ジムリーダーなら、そこのところを考慮した上で戦略を練っているだろう。 メガニウムに近づくまでが勝負……アカツキはそういう腹積もりでバトルに臨んだ。 「なるほど、接近戦でなら分があると見たな……」 ヒビキはいち早くアカツキのやろうとしていることを見抜いていた。 ドラピオンの能力を存分に活かした戦いをするなら、接近戦が一番だ。 遠距離攻撃に適した技をあまり覚えられないというのがその大きな理由だが、ドラピオンは攻撃力の高い種族。 その攻撃力を存分に活かすなら、相手に近づいて攻撃するのが一番だろう。 「ならば……」 メガニウムもドラピオンと同じで、お世辞にも素早いとは言いがたいポケモンである。 だから、 「メガニウム、ニードルブレス!!」 ヒビキの指示に、メガニウムは首を大きく後ろに反らすと、前に突き出した勢いを利用して口から無数の種を噴射した!! 「あれは……!!」 口から噴射した種に見覚えがあった。 記憶のタンスをひっくり返さずとも、アカツキはニードルブレスの効果を思い出せた。 「ネイトを倒したヤツだ……」 地面に落ちると同時に、大地の栄養分を吸収してすさまじい速度で発芽、トゲのついた蔓を生み出して相手を攻撃する技だ。 一週間前、メガニウムの前にストライクと戦ったネイトは疲弊していたが、この技を食らって一撃で戦闘不能に陥った。 アカツキが覚えているのも、ネイトを一撃で戦闘不能に陥れた恐怖の技だったからだ。 「だけど、草タイプの技なら、ドラップなら凌げる!!」 しかし、強力な技でも、ドラップは毒タイプを持っている。 ダメージはそれほどにはならないだろうし、重量級の身体は、そう容易く宙に投げ出されたりはしない。 大丈夫。十分に凌げるはずだ。 だが、アカツキの目論みは脆くも崩れ去る。 メガニウムが吐き出した種が落ちたのは、ドラップの前方だった。 距離にして数メートル離れているところに落ちた。 それでも、メガニウムが『外した』ワケでないことはすぐに分かった。 地面に落ちた種はすさまじい速度で発芽し、トゲつきの蔓が槍のごとき勢いで地面から生えた。 左右にびっしりと並ぶ蔓は、まるで壁のようだった。 「ドラップを近づけさせないつもりだな……」 アカツキにはヒビキの狙いが分かった。 ニードルブレスはドラップを直接攻撃するための手段ではなく、メガニウムに近づかれるのを阻止するために生み出した壁。 いくらドラップが頑丈でも、蔓についたトゲに触れれば痛いし、蔓を引きちぎったりするのにも時間がかかる。 ヒビキの狙いは、ドラップをメガニウムに近づけさせないことにあった。 そして、近づかれるまでの時間を稼ぐ…… そこまでしてやろうとしていることは分からなかったが、時間をかけてはならない――それだけは理解できた。 「何するつもりか知らないけど、さっさと勝負つけてやるっ!!」 ドラップがメガニウムに近づけさえすれば、クロスポイズンなどの大技で一気に畳み掛ける。 遠距離攻撃の手段に乏しいドラップでメガニウムを倒すには、それしかない。 「ドラップ、その邪魔なのをクロスポイズンでぶっ潰せっ!!」 ドラップは邪魔な蔓を前に足を止めてしまったが、横から回り込んでいるだけの時間も惜しい。 アカツキの指示に、ドラップは眼前にそびえる蔓の壁にクロスポイズンを繰り出した。 ぶちぶちっ!! 耳ざわりな音を立て、蔓の壁は引きちぎられ、薙ぎ倒された。 ……と、その途端、蔓が土気色に変色し、みるみるうちに乾ききって砂のように崩れていく。 「……? まあ、いいや。ドラップ、行けっ!!」 一体何がどうなっているか分からないが、蔓の壁が消えた今がチャンスだ。 一気呵成に突き進むように指示すると、ドラップは進撃を再開した。 ニードルブレスによって生み出された蔓は、短い間しか生存していられないという欠点がある。 すさまじい発芽速度を持つゆえに、その寿命はとても短いのだ。 だが、それでいい。 技の特性を理解した上で使っているのだから、蔓の寿命の計算のうち。 ドラップがクロスポイズンで蔓の壁を薙ぎ払った間に、時間稼ぎは完了した。 「メガニウム、草笛で眠らせなさい」 「やばっ……!!」 ヒビキの指示にアカツキはギョッとしたが、遅かった。 メガニウムが草笛を発動、フィールドに独特の音色が響き渡る。 その音を耳にした途端、ドラップの脚が止まった。 鋭い眼差しが虚空の一点に縫いとめられ、強烈な睡魔に抗う暇もなくその場で眠りこけてしまった。 「ドラップ、起きろっ!!」 アカツキは声を張り上げて叫んだが、リータのものと異なり、メガニウムの草笛はちゃんとしたものだったので、そう容易くは目覚めない。 アカツキがなんとかしてドラップを起こそうと躍起になっている間に、ヒビキはさらに戦略を推し進めた。 「メガニウム、日本晴れからソーラービーム。よく狙って撃つように」 「…………!!」 ソーラービームという単語に、アカツキの肩がピクリと震えた。 記憶に間違いがなければ、それは草タイプの技で最強威力を誇る大技だ。 いくらドラップが草タイプの技に耐性があっても、技の威力自体が高ければ、受けるダメージも大きくなる。 しかも、日本晴れという技は、ソーラービームを放つのに必要な光のチャージ時間を劇的に短縮する効果がある。 「メガニュゥゥゥゥゥムッ!!」 メガニウムが天を仰いで声を上げると、フィールドに陽射しを思わせる明るい光が降り注ぎ、熱気があふれてきた。 瞬く間に肌が汗ばんでくる熱気に、アカツキは顔をしかめた。 「日本晴れって、確か……」 メガニウムが使った『日本晴れ』は、ネイトが使える『雨乞い』の対となる天候変化技である。 フィールドに光と熱をもたらし、先述の通り、ソーラービームの発動に必要となる光のチャージ時間を劇的に短縮させる。 また、立ち込める熱によって炎タイプの技の威力を引き上げ、対照的に水タイプの技の威力を下げる。 さらには、降り注ぐ光によって、『朝の陽射し』『光合成』『月の光』など、体力を回復させる技の効果をアップさせることもできる。 草タイプのポケモンには、弱点の炎タイプの技によって受けるダメージが大きくなるというデメリットがあるが、 相手が炎タイプの技が使えない、あるいは使ったところで高が知れているようであれば、デメリットなどまるで気にならない。 ヒビキが『日本晴れ』を使うように指示を出したのも、仮にドラップが炎の牙を使えたとしても、 食らわないのだから気にする必要はない、という理由からだった。 「ドラップ、起きるんだ!! 早くしなきゃソーラービームが……!!」 ソーラービームの威力はすさまじい。 一発でも食らったら危ないかもしれない。 頭の中ではこれでもかとばかりにレッドランプが点灯し、警鐘が乱打されているような状況だ。 ポーカーフェイスなど二の次で、アカツキは焦燥感を漂わせた表情でドラップに起きるよう言葉をかけ続けたが、無駄だった。 「僕のメガニウムの草笛は強力だ。そう容易くは起きない」 ヒビキがピシャリと言い放つ。 そして―― 「メガニウム、発射っ!!」 メガニウムが首の周りに広がる花びらに光を溜め、口を大きく開いてドラップに狙いを定める。 その口の中に強力な輝きが宿った――と思った次の瞬間、ソーラービームが撃ち出された!! 眠りこけているドラップがこの一撃を避けられるはずもなく…… ずどんっ!! 鼓膜を破るかと思うようなすさまじい轟音と共に、ソーラービームがドラップの身体に突き刺さる!! 「ドラップ!! ドラップっ!!」 ソーラービームの威力が一気に解き放たれ、フィールドを風と衝撃が駆け巡る。 アカツキは砂が目に入らないように目を腕で覆いながら、大きく吹き飛ばされて地面に叩きつけられたドラップの身を案じて叫び続けた。 「ごぉ……ぉぉ……」 大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられながらも、ドラップはソーラービームの一撃によって目を覚まし、ゆっくりと立ち上がった。 しかし、息遣いは荒く、一撃で大きなダメージを受けてしまったのは明白だった。 「ヤバイ……」 対するメガニウムは無傷。 これがどれだけ危険な状況か、アカツキでも分かる。 日本晴れの効果で、メガニウムはソーラービームをほぼノーチャージで撃ち放題。 これでは、近づく前に沈められてしまう。 ネイトやリータと比べてタフな方とはいえ、何発も食らえば、戦闘不能は免れない。 かといって、近づかなければ攻撃手段がない。 「どうしよう……」 もし、ヒビキがソーラービームを撃ちまくるよう指示を出したら、勝ち目は薄い。 なんとかして、近づく方法はないものか。 草笛とソーラービームを掻い潜って接近し、メガニウムに痛手を与える方法は……? 焦りがさらなる焦りを呼び込み、平常心が掻き乱されていくのを感じながらも、アカツキは冷静になろうと務めた。 ヒビキは、ドラップが接近戦で真価を発揮するポケモンであることを知っている。 だからこそ、近づけさせまいとニードルブレスで蔓の壁を生み出し、草笛で眠らせ、ソーラービームで吹き飛ばしてきた。 メガニウム自身はほぼ動かずに、相手を攻撃する戦術……それはストライクの『動』の戦いと対を為す『静』の戦いだ。 ヒビキの基本戦術は、異なるバトルスタイルのストライクとメガニウムで、相手のリズムを狂わせてから一気に勝負を決めるものだった。 「なかなかよく育てられているが、僕のメガニウムを倒すには若干、力が不足している。 それじゃあ、そろそろ決着をつけようか」 ヒビキは言い放つと、手をまっすぐに挙げてメガニウムに合図を出した。 アカツキたちの努力には敬意を表したいところだが、本気のメガニウムを倒すにはまだ足りない。 「違う……まだ終わりじゃない!!」 ヒビキの言葉を承服できず、アカツキはありったけの声を振り絞って叫んだ。 まだ終わりじゃない。 ドラップはまだ戦える。 戦う意思を棄てていないのだから、自分が先に相手に背を向けるわけにはいかない。 これは意地だった。 ドラップはまだ戦えるのだ。戦おうとしているのだから、アカツキだって戦いをあきらめてはいけない。 トレーナーがポケモンを信じているように、ポケモンもトレーナーを信じているのだ。 この状況を打破する術を見出してくれることを。 「やらなきゃ……やらなきゃいけないんだ!!」 やらなければならないが、どうすればいいか分からない。 目的はハッキリしているのに、それを達成するための手段が見つからないという状況だった。 まともに働いているかも分からない頭をフルに回転させながら、不利な状況を覆せる手段を探す。 「ドラップが使えそうな技は……」 クロスポイズン、炎の牙、氷の牙、雷の牙、毒ガス……他に何がある? 使えそうな技ならあるが、実際に使えるかどうか…… 一度試したが、その時は使えなかった。もしかしたら、今なら使えるのではないか……? そう思ったが、空振りすれば終わりだ。 「だけど、何もしなかったら負ける!! ドラップが頑張ってくれたのに……負けたくないっ!!」 空振りすれば終わり。 だけど、何もしなくても終わるのだ。 だったら、空振りでも何でもいいから、行動に出なければ。 結果に意味があるのと同じように、プロセスにだって意味がある。 「こうなったら……」 使えそうな技は、いずれも接近しなければ相手に当てられない技ばかり。 こういう時にでも使えそうな技と言えば…… 考えをめぐらせる間にも、メガニウムが降り注ぐ光を集め、ソーラービームを放つ準備を終えようとしていた。 何かをしなければ。 何もしなくても負けるなら、何かをして負けたい。その方が悔いも残らない。 なぜ、あの時行動に出なかったのか……やった後の後悔よりも、やらなかった後の後悔の方が強く残るものなのだ。 負けることになろうとも、後悔だけはしたくない。 爪が食い込むほどきつく拳を握りしめ、アカツキはドラップに指示を出した。 「ドラップ!! メガニウムに背中を向けてアイアンテール!! 地面に思いっきり叩きつけろっ!!」 「……?」 何をするつもりかは分からないが、破れかぶれもいいところだ。 ヒビキはアカツキの指示の意味を理解できず、眉根を寄せたが、それだけだった。 どちらにせよ、このままソーラービームを放ち続けていれば、それだけでドラップを倒せる。 何をするのか気にはなるが、わざわざ付き合う道理もない。 光のチャージを終えたメガニウムが、ソーラービームを放つ!! 同時に、ドラップがメガニウムに背中を向けて、ピンと立てたシッポを地面に叩きつける!! 一時的に鋼の硬度を得たシッポが地面に食い込む!! 普通の状態なら、食い込むところまでは行かないだろう。 一週間の特訓の成果がここでも出てきたのだ。ドラップはアイアンテールを使える!! それが分かっただけでも大きな成果だったが、勝利の女神はアカツキに微笑んだ。 ドラップの身体が持ち上がる!! 「……!?」 上手く行くかどうか分からなかったが、賭けに勝ったのはアカツキだった。 ドラップの身体は数メートルの高さまで斜めに持ち上がり、放物線を描きながらメガニウムに向かって落ちていく。 「なにっ!!」 これにはさすがのヒビキも度肝を抜いた。 まさか、ソーラービームを飛び越えて接近してくるとは思ってもいなかったからだ。 メガニウムが放ったソーラービームは、ドラップの真下を貫くのみ。 少し離れた地面に突き刺さって、先ほどと同じように着弾点を中心にして風と衝撃をフィールドに撒き散らした。 ドラップはその風を背中に受け、加速しながらメガニウムに迫る!! 「……!! まさか……!!」 ヒビキはアカツキがやろうとしていたことを悟ったが、遅かった。 メガニウムはソーラービームを放った直後で隙ができている。 強力な技は、放った後で隙が生まれてしまうのだ。 キャンセルしようにも、他に攻撃技らしい攻撃技は持ち合わせていない。 ニードルブレスや草笛ではとても間に合わない。 「ドラップっ!!」 ドラップならできると信じていたし、ドラップもアカツキの信頼に応えたのだ。 心と心が通じ合ったからこそ為せるワザ。 勝利を手にすることができるとしたら、この一撃にすべてを賭ける!! 「ドラップ、炎の牙からクロスポイズンだ!! 一気に決めちゃえーっ!!」 ドラップは口を大きく開くと、鋭い牙に炎の力を宿し、メガニウムの首筋に噛み付いた!! 首筋に噛みつかれたメガニウムは落下の衝撃に引きずられるようにしてその場に横倒しになった。 「ニュゥム……ニュゥ……」 首筋に激痛を覚え、メガニウムは必死に身体をよじってドラップの攻撃から逃れようとするが、足元がふらつくばかりでそれもままならない。 「くっ……そういう手で来るとは……子供ゆえの発想……いや、違うな」 アカツキがやろうとしていたこと。 それは最後の賭けだったのだろう。 アイアンテールを地面に叩きつけた衝撃力と、その方向を利用して跳躍し、メガニウムに迫ったのだ。 ドラップのシッポが力点、シッポの付け根が支点、そしてドラップの身体が作用点となり、テコの原理で身体を持ち上げた…… それが、ドラップが跳躍してメガニウムに迫った真相だった。 「僕自身が有利に戦えるように考え出した手段まで利用してきた……これは、子供の発想なんかじゃない」 ソーラービームを素早く放つための手段として用いた日本晴れも、今ではドラップの炎の牙の威力を増加し、 メガニウムに大きなダメージを与えるマイナス要因となっている。 優位だった戦況が一気に覆されても、ヒビキは彼自身が思ったほど動揺せず、冷静に、淡々とこの状況を分析していた。 不思議な気分だと思いつつも、アカツキが一週間頑張ってきた成果なのだと理解しているからこそ、淡々と構えていられる。 ジムリーダーにとって、ポケモントレーナーが成長していくのは喜びでもあるのだ。 そうやって、ヒビキがあれこれ考えている間に、ドラップはメガニウムの首筋に噛み付いたままの状態で、 鉤爪に毒素を染み込ませて、クロスポイズンを放つ!! 背中に交差する一撃を受け、メガニウムはたまらず吹き飛ばされた。 炎の牙の効果が切れてしまったが、クロスポイズンで大きなダメージを与えられた。 どちらかといえばタフな方であるメガニウムも、弱点の攻撃を立て続けに食らい、立ち上がることができなかった。 「メガニウム……」 静かな眼差しで、ぐったりとしているメガニウムを見つめる。 「ど、どうだ……!?」 思いつく限りの攻撃を加えた。 もし、倒せていなかったらどうしよう…… アカツキはハラハラドキドキしながら、メガニウムをじっと見つめていた。 アイアンテールで跳躍するというのは、本当に苦し紛れの末に思いついた手段だったが、上手く行って良かった。 今後も必要に迫られれば、相手との距離を縮めるために使用することになるだろう。 アカツキとヒビキがメガニウムに視線を注ぐ中、審判もまたメガニウムの状態を注意深く看視して―― 一つの結論を出した。 「メガニウム、戦闘不能!! よって、挑戦者の勝利とします!!」 「えっ!? やったあっ!!」 勝利を宣言され、アカツキは喜びを爆発させた。 大苦戦を強いられたからこそ、その状況を覆して勝利を手にした喜びは大きかったのだ。 「ドラップ、やったよ!! キミのおかげだっ!!」 アカツキは喜びを爆発させながら、フィールドに入って、ドラップに駆け寄った。 「やれやれ……」 負けてしまうとは思わなかったが、悔いはない。 ヒビキは困ったような笑みを浮かべて、メガニウムをモンスターボールに戻した。 「メガニウム、よく頑張ってくれた。ゆっくり休んでくれ」 精一杯戦ってくれたポケモンに労いの言葉をかけ、手にしたボールを腰に差した。 「……子供の発想じゃない。 いっぱしのトレーナーとしての戦術だ。成長したな……この一週間で」 一週間前とは比べ物にならない。 判断力やポケモンに対する信頼も、トレーナーになりたてのものとはとても思えなかったが、だからこそ頼もしさを感じた。 今のアカツキなら、ドラップを守れるかもしれない。 大切な仲間を狙うソフィア団の魔手から。 なんとなく、そんな風に思えてくるから不思議だった。 「ドラップ、やったなっ!!」 「ごぉっ!!」 アカツキはドラップの元に駆け寄ると、一緒になって喜んだ。 いきなり飛び込んできたアカツキに驚くことなく、ドラップは両腕の鉤爪で器用に受け止めると、一緒になって喜んだ。 これもまた、ポケモンとトレーナーが心を一つにした結果なのだろう。 「キミならできるって信じてたよ!! ドラップも頑張ってくれたんだよな、ありがとう!!」 「ごぉぉぉっ!!」 信じ、信じられる……確かな信頼関係が築けなければ、土壇場で力を発揮することは難しいだろう。 このジム戦で、アカツキはより一層ドラップと心を通わせ合うことができた。 「アカツキ君」 「……?」 ドラップと一緒になって喜んでいるところに声をかけられて、アカツキは慌てて振り向いた。 ヒビキが、笑顔で歩いてきた。 「君の勝ちだ。 僕に勝ち、フォレスジムを制した証として、このバッジを与えよう」 笑顔のまま、ズボンのポケットから、葉っぱの形をした緑色のバッジを取り出して、アカツキに手渡した。 「わあ……」 メガニウムが戦闘不能になったことで日本晴れの効果が切れて、天井からはライトが燦々と降り注いでいる。 その光を照り受けて、バッジはキラキラと輝いていた。 アカツキは、輝くバッジに目も心も奪われっぱなしだった。 ジム戦に勝利した証として与えられるリーグバッジ。これを四つ集めれば、念願のネイゼルカップに出場できる。 その一つ目をゲットしたのだ。 輝くバッジに輝いた視線を向けるアカツキとドラップに、ヒビキは言った。 「フォレスジムを制した証、リーフバッジだ。 アイシアジム、ディザースジム、ウィンジムにも似たようなバッジがある。 合わせて四つのバッジを手に入れられれば、ネイゼルカップに出場できる。 それは、君の方が詳しいかもしれないね」 「うん……!!」 あと三つ。 ヒビキの言葉に、アカツキは大きく頷いた。 一つ目のバッジをゲットしたからと言って、喜ぶのはまだ早い。 ネイゼルカップ出場のためには、バッジがあと三つ必要なのだ。 だが、アカツキは大きな勝利を手にして、喜びを隠そうなどとは思わなかった。 ポケモンが頑張ってくれたのだから、一緒になって喜ぶ。 それが、心を一つにすることだと思ったし、そうしなきゃいけないとも思ったから。 「ドラップ、これからもこの調子で頼むよ!!」 「ごぉっ!!」 リーフバッジから顔を上げ、ドラップを見上げながらアカツキが言うと、ドラップは任せておけと言わんばかりに大きく嘶いた。 「よし、それじゃあゆっくり休んでてよ。お疲れさまっ!!」 アカツキはモンスターボールを手にすると、死力を尽くして戦い抜いてくれたドラップを戻した。 改めて、右手の手のひらで燦然と輝くリーフバッジを見やり、今までの努力が無駄などではなかったのだと確信する。 時間をかけただけあって、思ったよりも強くなれたのかもしれない。 自分と、大切な仲間たちの努力の結晶をしげしげと眺めていると、 「ポケモンを回復させようか。僕についておいで」 「……? ポケモンセンターに行くってこと?」 ヒビキに言われて、アカツキは首を傾げた。 先ほどのバトルで、ドラップが大きなダメージを受けている。 一刻も早く回復させてやりたいところだが、回復と言えばポケモンセンターだ。 もしかして、ジムリーダーもポケモンセンターでポケモンを回復させるから、一緒に行こうと言っているのか? アカツキはそんな風に思ったが、実際は違っていた。 「いや、ジムにも回復装置がある。 それに、君に話しておきたいこともあるからね。ポケモンセンターだと、人目が気になって話せない。それくらい、大事なことなんだ」 「…………」 ヒビキが真剣な眼差しを向けながら言葉を発するものだから、 本当にポケモンセンターでは話せないようなことなのだと嫌でも理解せざるを得ない。 それに、審判の前でも話せないことらしい。 二人っきりでなければ話せないこと。 「なんだろ……?」 よく分からないが、ここは素直に従うべきだろう。 漠然とそんなことを思い、アカツキは小さく頷いた。 大事な話と言われては、断るに断れない。ポケモンの体力を回復できるなら、場所はどこでも構わない。 「こっちだ」 何も聞かずに頷いてくれたアカツキに微笑みかけ、ヒビキは彼を先導して歩き出した。 呆然と立ち尽くす審判に、フィールドの後片付けを言いつけて。 Side 9 ヒビキに案内されてたどり着いたのは、ジムの控え室だった。 控え室だけあって、椅子と机とポケモンの回復装置だけしか置いていない。 これからジム戦に臨むために入る部屋なのだから、余計なものを置いては精神の妨げになる。 そこのところは、ジムリーダーとしての気概の表れといったところか。 余計な飾りもない室内に足を踏み入れ、あまりに地味な佇まいを呆然と見渡しているアカツキを余所に、 ヒビキは部屋の中央に鎮座するポケモンの体力回復装置に歩み寄ると、透明なプラスチックの蓋を開き、 台座に穿たれた窪みにメガニウムのボールをセットした。 それから振り返り、 「さあ、ドラップのボールをここに入れるんだ」 「……!! あ、うん」 かけられた声にハッと我に返り、アカツキは慌てて回復装置の前まで移動すると、言われたとおりにドラップのボールをセットした。 ポケモンセンターのものと少し違うように見えるが、これもれっきとした回復装置だ。 ポケモンにあまり負担をかけないよう、ポケモンセンターよりも緩やかに体力を回復してくれる。時間はかかるが、その分負担は小さい。 二つのボールがちゃんとセットされているのを確認し、ヒビキは蓋を閉じてスイッチを入れた。 うぃぃぃぃぃんっ、と重低音にも似た唸り声を上げて、装置が起動する。 「さて……立ったまま話すのもなんだから、そこに座って」 「うん」 ヒビキと共に、壁際に移動する。 テーブルというよりも机と言った方が手っ取り早いような台を挟んで、二人は腰を下ろした。 「あの、話って……?」 人目につかないようなところでなければ話せないこととは何か。 話をさっさと聞いて、ポケモンセンターに戻りたい。 戻って、一週間自分の特訓に嫌な顔一つ見せずに付き合ってくれたトウヤに勝利の報告をしたい。 そう思っていることは表に出さず、アカツキは切り出した。 できるなら、話なんてさっさと終わらせて欲しい。 少年の気持ちを理解しているのか、ヒビキは椅子の背もたれに深くもたれかかると、腕を組んで口を開いた。 「ドラップのことだよ。一週間前、ソウタに狙われただろう」 「あ……」 「どうやら、今の今まで忘れていたようだね。無理もないか……」 口をあんぐりと開け放ったまま固まったアカツキを見て、ヒビキが口の端に苦笑を浮かべた。 今の今まで忘れていたのだろう。 それだけ、特訓に一心不乱に打ち込んできたということだ。決して悪いことではない。 だけど、本当に忘れていた。 「そういえば、そんなこともあったような気が……」 正体不明の少年、ソウタがドラップを狙って襲撃をかけてきたのだ。 言われるまではすっかり忘れていたが、思い出してからは早かった。 「…………」 肩越しに振り返り、駆動音を立てる装置の中にあるドラップのボールを見やった。 どうしてドラップが狙われているのか、それは分からない。 ただ言えるのは、一度切り抜けたからと言って、相手の少年がそう容易くあきらめてはくれないということだけだ。 ――次は必ず貰い受ける―― そう言い残し、ソウタは去った。 次は最初から本気で来る。 今回のように、相手が子供だからといって侮ったりはしないだろう。 「思い出してくれたみたいだね」 「…………そりゃあ、まあ……」 嫌でも思い出す。 大切な仲間が奪われそうになった出来事だ。 結果オーライとはいえ、忘れるにはあまりに大きすぎる。 アカツキはヒビキに向き直ると、小さく頷いた。 その表情には、ジム戦で勝利したという喜びはなかった。 「聞きたいことがある」 真剣な眼差しをアカツキに据えて、ヒビキは言った。 「今の君の力で、ドラップをソウタから守ることができるか……? 正直に答えてくれ」 「……それは……」 分からない、というのが正直な答えだったが、それをそのまま返すわけにはいかなかった。 なんとなく、そう答えてはいけないような気がした。 根拠はないが、その判断のおかげでいろいろと考えるだけの余裕(スペース)ができた。 「今のオレの力って……」 要するに、今の自分の力量と、ポケモンのレベルで、ソウタのポケモンを追い払えるのか、ということだ。 できなければ、今度こそドラップを奪われてしまうだろう。 それは、アカツキが誰よりもよく分かっている。 「だけど、やらなきゃいけないんだよ。オレたちが……」 正直なところ、守りきれるかどうかは分からない。 この一週間、ネイトたちの実力も上がった。 実際にやってみなければ分からないが、何があってもドラップを守るという気持ちに、微塵の揺らぎもない。 それだけは確かだ。 胸に手を当てて、自分の気持ちを確かめる。 あれこれと思案をめぐらせている少年をじっと見つめたまま、ヒビキは何も言わなかった。 答えを急かしたところで、返ってくる言葉は決まっている。 彼が聞きたいのは、お決まりの文句などではない。 イエス、ノーにかかわらず、アカツキの本心が聞きたいのだ。 だから、人目につかないこの場所に案内した。 審判も経理も、与えられた仕事を淡々とこなしている。この場所に来る者など、そう多くはない。 アカツキは俯きがちに考えていたが、やがて顔を上げた。 じっと視線を注いでくる相手の目をまっすぐに見つめ返して、 「やってみなきゃ分からない。 でも、オレたちが守ってやらなきゃいけないって思ってる。 だって、ドラップはオレたちの仲間なんだから。 仲間を守るのって大事なことだし、どこの誰かも分からないヤツのところになんて、行かせたりできないよ」 「そうか……」 口調こそ穏やかで、どこか控えめなものだったが、その言葉には確かな決意が滲んでいた。 「何があっても変わらないんだね、その気持ちは」 「もちろん!!」 「なら……君に、僕が知りうる限りのすべてを伝えよう。 相手が誰かも分からずに守るというのも難しいし、ドラップを守ると宣言した以上、 君はドラップを取り巻く情勢を理解しなければならない。 それも、分かっているね?」 「…………」 決意に満ちた表情で頷くアカツキに、ヒビキは深々と頷き返した。 ドラップを守ると決めたなら、ドラップに関するすべてを知らなければならない。 それは、権利などという生温いものではない。 守るべきものを持った者は、その対象のことを知らなければならないのだ。 そうでなければ、何を守るのかということを突きつけられた時、自分の目標を見失いかねない。 年端も行かぬ子供に厳しいことを言っているという自覚はある。 それでも、伝えなければならない。 アカツキの決意がホンモノであることを理解しているからこそ、自分の知っていることすべてを。 ヒビキもまた覚悟を固め、言葉を発した。 「まずは、一週間前の出来事からだ。 ジム戦に負けた君は一度ポケモンセンターに戻り、そこでトウヤと出会った。 僕にはそこで何があったか知らないけど、君は一人で外に出た。郊外に向かったところで、ソウタが現れた」 「……うん」 概ねその通りだった。 一連の経緯から入ることで、その背景を理解させようというやり方だ。 「ソウタはドラップを奪うと宣言し、ハガネールをけしかけてきた。 その時、ハガネールは一際大きな声を上げただろう?」 「うん。オレたちに何か見せ付けるような感じがしたけど……」 「確かに威嚇という意味もあっただろう。 だけど、本当の目的はそうじゃない。 ハガネールの声を合図に、この街に潜んでいた彼の部下たちが行動を開始した。 街で騒ぎを起こすことで、僕の目をソウタ自身から逸らすために」 「え……それじゃあ……」 「そうだ」 驚くアカツキに、言葉を突きつける。 ヒビキの眼差しは、鋭く尖った刃のような光をその奥底に秘めていた。 「街での騒ぎは陽動。 本当の目的は、君のドラップを奪い取ること。これは、組織的な行動だったんだ。 ここまで言えば分かると思うけど…… ドラップを狙っているのはソウタ個人じゃない。彼はあくまでも実戦的に動くエージェントに過ぎないんだよ。 ……彼らは『ソフィア団』と呼ばれている。 ここ数年、各地で騒ぎを起こして、警察やポケモンリーグから要注意の指定を受けた組織だ」 「…………っ」 アカツキは息を呑んだ。 ドラップを狙っていたのは、ソウタではなかった。 彼の後ろで糸を引く者がいる。 その者が、ドラップを奪おうと画策し、ソウタをけしかけたのだ。 アカツキの脳裏に、ソウタの顔が浮かぶ。 無表情で、機械的な冷たさを宿した雰囲気。その後ろに、底知れない闇のように浮かび上がるシルエット。 自分は、とんでもないものを敵に回してまでドラップを守ろうとしている……嫌でも、それだけは理解できた。 「…………」 組織というからには、数人などというレベルではないのだろう。 ソウタのようなトレーナーが、何人もドラップを狙って動いている……そう考えると、自然と平静さがこぼれ落ちていく。 もし……あんな相手が大挙して押し寄せたら、今の自分でドラップを守り抜くことができるのだろうか? ヒビキが冒頭に投げかけてきたのは、『今の自分で本当にドラップを守れるのか』という意味の問いかけだったのだ。 「お、オレは……」 ドラップを守りたい。その気持ちに嘘や偽りはないし、それはネイトやリータも同じだろう。 気持ちに揺らぎなど微塵もない。 だが、実力という現実を見つめてみれば、気持ちとは裏腹にそれが可能かどうか分からなくなる。 いや、単純に考えるなら、守れない公算の方が圧倒的に高い。 自分ひとりに対して、相手が何十人もいるのだから、たとえケンカで勝敗を決めるのだとしても、勝ち目はない。 「…………」 一人ではどうにもならない。 それは分かっている。 戦力は圧倒的に不足しているし、トレーナーとしての実力も発育途上の自分にどこまでのことができるのか、疑わしいところだ。 「オレ一人じゃどうにもならないのは、分かってるんだ…… だけど、あんなヤツにドラップは渡せない。渡したくない!!」 「…………」 「今のオレじゃ、本当にどうにもならないかもしれない。 だから、強くなりたい。 ドラップを守ってあげられるくらい、強くなりたい!!」 「正直言うとね……今の君じゃ、ドラップを守り抜くことはできない。 ソフィア団の面々は、ポケモントレーナーとしても優れた実力者が多いからね。 だけど……僕は君の意志を尊重したい。君の強い決意を信じたい」 「…………」 今の自分ではどうにもならない。 ならば、強くなればいい。 ソフィア団の連中を返り討ちにできるくらい、強くなってやればいい。 今の自分ではどうしようもないことを理解した上で、強くなってでもドラップを守る。 そんなアカツキの決意は、ヒビキの胸を強かに打った。 ミライから聞いていた限りだと、ずいぶんと明るく陽気な性格だそうだが、なかなかどうして、 十二歳とは思えないくらい芯の強いところも兼ね備えているではないか。 もっとも…… アカツキが陽気で明るい性格だというのは、今や周知の事実。 あまりに眩しい性格が前面に出ていて分からないが、 本当は自分の大切なものを奪おうとする相手には毅然と立ち向かう勇気も持ち合わせているのだ。 芯の強い一面を見せ付けられ、ヒビキはほんの少しだけ、こんなことを思った。 ――もしかしたら、本当にこの子ならドラップを守ってしまうかもしれない―― と。 もちろん、今のアカツキではそんなことは不可能だ。圧倒的な戦力に押しつぶされて終わる。 それを理解しながらも、ドラップを守ろうという意志を曲げないのは、大したものだ。 もし、少しでもアカツキが弱気なことを言ったら、強制的にドラップを取り上げて、ポケモンリーグで保護しようと思っていたのだが…… どうやら、その必要もないらしい。 あれこれと水面下で動いてきたが、半分くらい無駄になった。 だけど、その無駄はどうでもよくなった。 アカツキの決意に比べれば、些細なことだ。 「君の決意はよく分かった。 ……では、話の続きだ。 君はソウタ相手に一生懸命戦ったけど、あと一歩のところで押し負けた。 そこにトウヤが顔を出して君を助けたわけだけど、さらに赤い髪の女が登場した。 覚えているかい?」 「うん」 赤い髪の女……確か、ハツネと呼ばれていたか。 女性の割には背が高く、ずいぶんとワイルドな印象を受けたのだが、正直、名前とパッとした印象、表情くらいしか覚えていない。 結局、彼女が何者だったのかもよく分からない。 「彼女は、ソウタが属する組織と敵対している別の組織『フォース団』を率いている。 いわゆる頭領というヤツだ」 「え……あの人が……?」 「信じられないだろうが、本当のことだよ」 「…………」 これにはアカツキも仰天した。 何をしに来たのか分からなかったあの女性が、ソウタたちの敵だったとは。 敵の敵は味方、ということで助けてくれたのかもしれないが、その割には彼女もまたドラップを狙っているような素振りを見せていた。 正直、素直に信じられる相手ではなかった。 それでも、彼女のバクフーンはよく育てられていた。 ドラップが土壇場で噛み付いたことでダメージを受けていたとはいえ、 ソウタのハガネールとトウヤのブラッキー――ルナを一撃で倒してしまうほどの炎技を使ったのだ。 とんでもない相手が脇を固めている……思わず身体が震えてきた。 「フォース団はソフィア団と敵対していてね。 事あるごとに、周囲の迷惑を顧みずに争うんだよ。 最初のうちは、集団でケンカしてるような感じだったから、警察もポケモンリーグも大目に見てたんだけど、 それがいつの間にやら本格的な抗争にまで発展しちゃったんだよね。 今じゃ指名手配もいいところさ」 「な、なんでそんな組織を野放しにしてるんだよ。ドラップが狙われたのだって……」 ヒビキが淡々とした口調でそんなことを言うものだから、アカツキは語気を強めて食ってかかった。 指名手配もいいところだと言っておきながら、警察もポケモンリーグもどうしてそんな組織を放っておくのか。 アカツキにはとても理解しがたいことだったのだ。 ドラップが狙われているのだって、元を正せば、ソフィア団があれこれやっているからであり、 警察やポケモンリーグがキチンと取り締まってくれれば、こんなことにならずに済んだ。 アカツキの批判にも怯むことなく、ヒビキは頭を振って、 「僕たちだってあれこれ手を尽くした。 だけど、ソウタを見れば分かるだろう。 二つの組織の構成員はほとんどがポケモントレーナーで、幹部以上ともなると、ジムリーダーに匹敵する…… あるいは、それより強いトレーナーもいるくらいだ。 ポケモンリーグはともかく、警察が頑張ったって、摘発はなかなか難しいのが正直なところなんだよ。 これでも、両者の抗争が広がらないように努力はしているつもりなんだ」 フォース団とソフィア団がまともに抗争など繰り広げようものなら、 街一つなどほんの数日で破壊してしまうほどの規模なのだと、ヒビキは最後にそう付け足した。 破壊という言葉が魔法のように、アカツキの勢いを押し留めた。 難しい言葉ではあるが、その言葉の意味するものは効果覿面だった。 「…………」 「幸い、フォース団は君がドラップを守ろうとする限り敵に回ることはない。 ……つまり、敵はソフィア団だ。 とはいえ、状況なんていつどのように変わるか分からないから、フォース団も一応は警戒しておいた方がいいね。 それに、ポケモンリーグは二つの組織の抗争を食い止めるという意味でも、君に手を貸す。 ドラップを守る君に手を貸すことを決定した。 だから、そんなに深刻に考えなくていいよ」 「えっ……それじゃあ……!!」 「ああ。僕も陰ながら君を支える。僕だけじゃない、他のジムリーダーや、ネイゼル地方の四天王、そしてチャンピオンも君の味方だ」 「す、すげえ……」 層々たる顔ぶれに、アカツキは胸に抱いた不安を一気に払拭した。 ネイゼル地方のジムを任されたジムリーダーでさえ、自分よりも頭数個分は突き抜けた強さを持っているというのに、 ジムリーダーだけでなく、さらに上を行く四天王、その上四天王を統括するチャンピオンまで、自分の味方をしてくれるのだという。 得体の知れない組織を相手にするのに、自分ひとりでは心細いと思っていたが、なんてことはない。 ヒビキは、アカツキだけにすべてを押し付けようなどとは考えていなかった。 ただ、彼の覚悟を試すために、厳しい言葉を投げかけていたに過ぎなかったのだ。 ドラップを守るのは自分だけではない。 ポケモンリーグの頼もしい面々がついている。 もちろん、彼らには彼らなりの思惑があるのだろう。だが、そんなことはどうでも良かった。 「…………」 これなら、本当にドラップを守れる。 彼らだけに頼りきりになるわけにはいかないが、心強いことに変わりはない。 アカツキは胸に手を当て、ホッと胸を撫で下ろした。 少年が安堵しているのを見て、ヒビキは部屋の隅にポツンと置かれていたロッカーに視線を向けた。 「……そういうわけだから、君の力も借りることになりそうだ」 「えっ……?」 ロッカーに向かって言葉を発したものだから、アカツキは驚いてヒビキの視線を追いかけて―― 「ま、ええやろ」 ロッカーから返事が来たかと思えば、扉が押し開かれ、中からトウヤが現れたではないか。 「ええっ!?」 人が入っていられるとは思えないような大きさのロッカーから人が出てきたというだけで驚きはもちろんあったが、 その相手がトウヤだというのだから、そちらの方が驚きの度合いは上だった。 てっきり、トウヤはポケモンセンターでアカツキが凱旋するのを待っているとばかり思っていたのだ。 まさか、こんなところに入り込んでいたとは思わなかった。 無論、それはヒビキとトウヤが事前に示し合わせた結果なのだが。 「なんでトウヤがここにいるの!?」 「なんでって……決まっとるやろ。ジムリーダーに呼ばれたからや。ホンマ、人使いの荒いやっちゃ」 アカツキの驚愕の叫びに答えながら、トウヤは身体を動かした。 ロッカーの中で待っている間、窮屈で退屈な想いをしてきたのだろう。 「隠すつもりはなかったんだけど、彼がいるって分かってたら、君の気持ちがちょっと変わるんじゃないかと思ってね。 隠れてもらっていたんだよ」 アカツキが驚きを露わにしているのを尻目に、ヒビキはなんてことのない口調で言った。 パッと見、二人きりの方がアカツキの本心を引き出せるという配慮だったが、トウヤにとっては体のいい厄介払いもいいところだった。 とはいえ、愚痴ったところでどうにもならないと分かっているから、心の中で好き放題ヒビキのことをけなしていた。 「ほな、そーゆーワケやから。 しばらくおまえと一緒に旅させてもらうわ。断ったって遅いからな、あんなヤツまで出てこられたんじゃ、断れやせえへんわ」 「あ、うん……よろしく」 話の展開が分からなくなりそうになったが、トウヤがしばらくアカツキと行動を共にしてくれることになった。 ジムリーダーや四天王、チャンピオンがついていると言っても、それぞれの仕事があるのだから、四六時中アカツキの傍にいられるはずがない。 その代わりに、お目付け役としてトウヤが同行してくれることになったのだ。 アカツキにとっては心強い味方がまた一人増えた形になって、大喜びだ。 「やった!! またいろんなこと教えてもらえる♪」 この一週間、トウヤに特訓の相手をしてもらい、ポケモンバトルの基礎から何から、 いろいろと教えてもらったし、旅を通じて知ったことなども話してもらった。 アカツキにとってトウヤは先生のような存在で、それでいてポケモンバトルではライバルとさえ呼べた。 アカツキが素直に喜んでいるのを見て、トウヤは観念したように笑みを浮かべると、深々とため息をついた。 こいつには敵わない……なんとなく、そんなことを思った。 「サラにも言われたからなあ……今さら後には退けへんわ。ま、ええねんけど……」 ネイゼルリーグの四天王を束ねる女性からも打診があった。 何気に苦手な人だったので、断るなど論外だった。 上手くハメられたような気がひしひしとしてくるが、承諾してしまった以上、後の祭りだ。 「君には厄介な役目だと思うけど、頼むよ。現状、君しか頼めないから」 「分かっとる。一度引き受けたからには、任せとき。何とでもしたる」 「ああ、頼む」 「せやけどな、どうもそう簡単には行かれへんで? ジムリーダー、あんたにとっちゃ、厄介なことになるかもしれへん」 「うん?」 意味が分からず、ヒビキは眉根を寄せた。 トウヤはそんなジムリーダーの怪訝そうな表情を見て、してやったりと言わんばかりに笑みを深めると、入り口に向き直り、 「お嬢ちゃん、入ってきてええで〜?」 「?」 その言葉が終わるが早いか、ドアが小さな音を立てて開く。 現れたのは…… 「ええっ!?」 「み、ミライ……!? なんでここにいるんだ!?」 部屋に入ってきたのはミライだった。 いつにも増して落ち着きがなさそうに見えるのは、扉の外でいろいろと話を聞いていたからだ。 アカツキは素っ頓狂な声を上げ、ヒビキなど危うく白目を剥きそうになった。 それくらい、このタイミングで入ってきたのが――扉の外にいたことが意外だったのだ。 トウヤはロッカーの中にいた時から、部屋の外に人の気配を感じていた。 どうにも自信なさげで控えめな気配の主は、すぐに分かった。 「あの、パパ……」 ミライは驚いている父親を前に、おずおずと口を開いた。 すると、 「パパぁっ!?」 アカツキがさらに大声を上げる。 ミライがヒビキの娘であることを知らないアカツキにとっては驚愕の新事実だったが、 ミライはそんな少年に構うことなく、ヒビキの前まで歩いていった。 「わ、わたしも一緒に行っていい? 話、聞いてたの。 なんだか、ほっとけなくて……ねえ、一緒に行っていい?」 「な、何を言うんだ……」 実の娘の言葉とは思えず、ヒビキは思いきりうろたえていた。 強いジムリーダーも、娘の前では形無しだ。 いや…… 予期せぬタイミングで娘が現れて混乱し、その娘がアカツキと一緒に行きたいと言い出したことで、混乱に拍車がかかったのだ。 「けけけ……」 ヒビキが混乱しているのを見て、トウヤは小さく笑った。 あれこれと理由をつけて担いでくれた仕返しだ。 それにしてはずいぶんと子供じみているが、大人を気取っている相手には子供じみた攻撃の方が効果的なのだ。 「……ミライって、ジムリーダーの娘だったんだ……」 アカツキは呆然とミライの横顔を見つめていた。 最初にジム戦に挑戦した時、ジムリーダーの顔を見て、どこかで会ったことがあるような…… と、思っていたのだが、それはミライに顔立ちが似ていたからだ。 まさか、ジムリーダーの娘だとは思わなかったが、こうして並んでいるのを見ていると、 なんとなく顔立ちが似ているし、穏やかな性格などよく似ている。 「でも、なんでオレたちと一緒に行きたいんだろ……?」 それでも、ミライがどうして自分たちと一緒に行きたいと思ったのかが分からない。 疑問符を頭に浮かべつつ、ミライとヒビキの会話に聞き入る。 「だって、パパもトウヤさんも、ドラップのためにって頑張るんでしょ? わたしだけ何もできないなんて、そんなのイヤだよ」 「話を聞いていたのなら、分かっているはずだよ。これは遊びじゃない。言葉が悪いけど、戦争なんだ。 バトルが苦手なミライが入ったって、何もできない。 それとも……パチリスでドラップに勝てる? 勝てるのなら、話は別だけど」 「……それは……」 落ち着きを取り戻したヒビキの言葉に、ミライは口ごもり、俯いてしまった。 常識的に考えれば、彼の言葉はもっともなものだった。 ミライはトレーナーではない。 バトルが苦手だから、ブリーダーになろうと思っている。 そんな彼女が入ったところで、何ができるというのか。 ヒビキは娘を危険にさらしたくない一心で、彼女を止めようとした。 「中途半端な気持ちでそんなことを言い出したのなら、やめるべきだ。 元々、おまえには関係のないことなんだから。首を突っ込む理由なんてないはずだよ」 「…………」 容赦なく言葉を畳み掛けるヒビキを前に、アカツキは何も言えなくなっていた。 ミライを危険にさらすまいと、心を鬼にしてそんなことを言っているのだと、他人ですら理解できるのだ。 親子の情愛で結ばれたミライに分からないはずがない。 「そりゃあ、わたしには何もできないかもしれないけど……」 今にも消えそうな声で言う。 父親の言葉が胸に沁みているのだろう。 今にも泣き出してしまいそうな顔を、ゆっくりと上げる。 父親は険しい表情で、睨みつけるように鋭い眼差しを向けていた。 「でも、わたしはアカツキに助けられたんだもん。今度は、わたしがアカツキを助けてあげたいの!! パパ、いつも言ってたよね。 受けた恩は必ず返せって……だから、わたしにできることをしたいの!!」 「…………」 ミライは精一杯の勇気を振り絞って直談判した。 今まで口ごたえの一つもしたことがない娘が、こんなに一生懸命に訴えかけてくる……ヒビキは人知れず衝撃を受けていた。 「言うようになったな……あいつにそっくりだ」 穏やかな性格も、言う時には言うところも、妻にそっくりだ。親子だから似て当然だが…… 「だから、わたしも一緒に行く!! いつまでもこの街に閉じこもってちゃいけないって分かってるんだもん。 いろんな人に会って、いろんな経験しなきゃ、ブリーダーとして立派になれないって…… だから……」 言い終えると、ミライはアカツキに向き直り、 「わたしも一緒に行かせて。 フォレスの森じゃ、アカツキに助けられちゃったけど……だから、わたし、今度はアカツキのこと助けたいの。 今のわたしじゃ、ポケモンバトルなんてできないけど……それでもできることがあるって思うから。だから、お願い!!」 懸命に訴えた。 「う……」 こうやって、目にうっすらと光るものを浮かべながら直談判してくる女の子というのが初めてなもので、アカツキはドキリとした。 正直、驚かされることに弱いミライを連れていってもしょうがないような気がするのだが、 面と向かって「連れて行ってくれ」と言われると、無下に断ることができない。 「ど、どうしよう……」 アカツキは助けを求めるようにトウヤに顔を向けたが、そっぽを向かれてしまった。 自分のことは自分で決めろと言いたげだった。 旅に同行するのは自分の勝手。 自分のやりたいことは自分で決めろと言うのがトウヤの考え方だったようだ。 彼がアテにならないと分かると、今度はヒビキに視線を向けた。 できればこのままこの街にいて欲しい。 自分についてくるのは危険だ。 話を聞いていたのなら分かっているはずだが、ソフィア団という組織が敵になってしまったのだ。 しかし、アカツキは気付いていなかった。 話を聞いて、どれだけ危険な状況か分かっていても、ミライが自分の意志で志願してきたのだ、ということに。 ヒビキもまた、娘の気持ちを痛いほど理解しているからこそ、強く反対することができなくなっていた。 親子の情愛というのは厄介なもので、相手の意志を尊重したいと少しでも思ってしまうと、どうしてもそっちの方に考えが向いてしまう。 それが仮に正しくないことだとしても。 「ミライ、危険なんだよ? おまえが森に木の実を採りに行ったような状況とはまるで違う。 それに……アカツキ君だって、おまえを守ることに神経なんて遣ってはいられないんだ。 自分の身は、自分で守るしかない。 それが分かっていても、行くと言うのかい?」 「うん」 ヒビキの言葉に、ミライは大きく頷いた。 手の甲で目をさっと拭って、決意に満ちた表情を返す。 「……そうか」 どんな言葉を尽くしても、止めることはできないようだ。 悟り、ヒビキは少し寂しい気持ちになった。 子供が自分の手を離れ、遠くへと旅立つ時が来たのかと思うと、チクリと針で刺されるようで胸が痛い。 だが、そこまでの決意を抱けるようになった娘の成長を手放しで喜びたいという気持ちもあった。 喜びと寂しさと、まったく異なる気持ちがマーブル模様になって、胸に沈みこんでいく。 「正直に言うよ。 僕は、ミライに危険な目に遭ってほしくない。ブリーダーを目指すなら、他の方法もあるはずなんだ。 それでも、おまえはアカツキ君についていくって言うんだね?」 「うん。もう、決めたの」 「そうか……」 ふっと小さく息を吐き、口の端に笑みを浮かべる。 「アカツキ君。不肖の娘だけど、連れて行ってあげてくれないか? 君に迷惑をかけないよう、ちゃんと言い含めておくし、無理をして守らなくてもいい。 自分の身は自分で守るって言っているから、大丈夫だと思う」 「…………」 親が先に折れた。 いや……親だからこそ、だろう。 ミライが中途半端な気持ちで言い出したのではないと理解したからこそ、その姿勢を尊重しようと思ったのだ。 アカツキはミライに視線を移した。 「本当にいいの?」 「もう決めたの。わたし、アカツキに恩を返すって。だから、大丈夫。自分の身は自分で守るよ」 「だったらいいけど……無理すんなよ。 何かあったら、ちゃんと言ってくれよ。そうじゃなきゃ、心配だからさ……」 「うん、ありがとう!!」 ミライは喜びにパッと表情を輝かせ、アカツキの手を取った。 きっと、分かってくれると思っていた。 作戦も何もあったものではないが、結局は純粋な気持ちが勝つのだ。 下手な小細工など使っても、気持ちが本当に伝わるかどうかなんて分からない。 真正面からの、小細工なしの攻撃が一番強いのだ。特に、女の子の異性に対するアタックは。 「…………」 本当にそれで良かったのだろうかと、ミライが喜んでいるのを見て一瞬だけそんなことを思ったが、いいと言ってしまった以上は手遅れだった。 「しょうがないなあ……」 こうなったら、連れていくしかないだろう。 「じゃ、ミライ。よろしく」 「うん。よろしくね」 アカツキはミライの手を解くと、もう一度差し出した。 今度はこちらから『よろしく』と言う番だ。 ミライは笑顔でアカツキの手を握り、 「俺もな」 「うん!!」 その手に、トウヤが手を重ねる。 子供だな……と思っているのが分かるような笑みを浮かべているが、トウヤは決して悪い気分を抱いているわけではなかった。 守らなければならない相手が一人増えてしまったが、自分の身は自分で守ると言い張っている以上、 不必要な心配は抱くだけ損だし、気疲れしてしまう。 「……一人じゃないってことか。なんか、心強いな……」 ミライとトウヤが一緒に来てくれることになった。 一人でフォレスの森を抜けて他の街まで行かなければならないのかと思っていたが、 頼れる仲間が二人も増えたのだから、これからの旅は、かなり大変だけど、とても楽しいものになりそうな予感がしていた。 「な、ドラップ?」 アカツキは体力回復装置に顔を向け、胸中でドラップにそっと問いかけた。 答えは当然返ってこなかったが、たぶんドラップなら『うん』と答えるのだろう。 勝手に自分でイエスと答え、アカツキは笑みを深めた。 「それで……」 「……?」 ……と、不意にトウヤが口を開いたので、アカツキは慌てて振り返った。 いつの間にやら、彼が手をどけていた。 「出発はいつにするんや?」 「えっと……」 「頼むで〜。 俺も嬢ちゃんも、自分で勝手についてくって決めたんやから、リーダーはおまえなんや。 舵取りくらいまともにやってくれなきゃ困るわ」 「う、うん……」 ついていくと決めたのは自分。 アカツキの旅なのだから、主導権は当然アカツキが握っている。 だからこそ、自分の道は自分で決めろと言っているのだ。 おどけた口調の中に秘められた厳しさを感じ取り、アカツキは表情を引きしめた。 いつまでも誰かが決めてくれるのを待つわけにはいかないのだ。 自分のことは、自分で決めないと。 「じゃあ、明日!!」 「よし、明日な」 「うん。準備してこなくっちゃ♪」 しばらく考えた末に出した答え。 トウヤは大きく頷き、その答えに従った。 ミライもまた、アカツキの言葉に大きく頷くと、控え室を飛び出して家へと戻っていった。 部屋を出る時の足取りがとても軽くて、喜びに弾んでいるように見えて、ヒビキは口元の笑みを深めた。 「一人じゃない。君には頼れる仲間もいる。 きっと、君ならドラップを、大切な仲間を守れるよ。自信を持つんだ、アカツキ君」 人知れず、ヒビキは胸中でつぶやいた。 アカツキとトウヤがポケモンセンターに戻った後、ヒビキはジムのパソコンから、ポケモンリーグ・ネイゼル支部のチャンピオン――サラに一通のメールを送った。 ――一身上の都合により、ジムリーダーの任を一時降りさせていただきます。   代わりのジムリーダーを手配しましたので、復帰するまでは、その方にジムを任せます―― 第5章へと続く……