シャイニング・ブレイブ 第5章 黒い影 -The power of the dark-(後編) Side 6 先に動いたのはカイトだった。 相性の不利な相手と戦うには、機を制すること。 相手より一歩でも先に動き、バトルの流れを作り出し、自分のペースに染める。 「レックス、火炎放射〜っ!!」 腰を低く構えるネイトをビシッと指差し、レックスに指示を出す。 レックスは迅速に応え、口を開いて紅蓮の炎を吐き出した!! アカツキたちは強くなった。 旅に出る前と今とでは、天と地ほどの差はあるかもしれない。 だが、だからこそ負けられない。カイトだって努力を重ねてきたのだし、誰にも負けないくらい頑張ったという自負があるからなおさらだ。 そんなトレーナーの意気込みを背に受けて吐き出した炎は、リータを戦闘不能にしたものよりもなお強力だった。 「ネイト、水鉄砲で消して!!」 いくらネイトが炎タイプの技によるダメージを軽減できると言っても、まともには食らいたくない。 ダメージだけならともかく、追加効果による火傷を負ったら動きが鈍くなり、攻撃力まで低下してしまう。 むしろ、ダメージよりも追加効果の方が恐ろしいのだ。 アカツキの指示にネイトは大きく息を吸い込むと、水鉄砲を発射した!! 「うおっ……!!」 ハイドロポンプを思わせるような勢いの水鉄砲に、アラタが驚愕の声を上げる。 ……が、アカツキは構うことなく二つの攻撃が激突する瞬間を見続けていた。 火炎放射と水鉄砲は真正面から激突し、激しい煙と水蒸気を残して相殺した。 「技の威力は互角なんだ……」 まさか相殺するとは思わず、アカツキは驚きを露わにした。 だが、その表情は濛々と立ち込める煙と、肌を汗ばませる生温い水蒸気に阻まれて誰の目にも触れることはなかった。 炎と水が激突すれば、炎は水を蒸発させ、水は蒸発する時に周囲の熱を奪い――互いが互いを打ち消し合って消滅する。 だが、一片たりとも水や炎が周囲に飛び散らなかったことが、威力が完全に互角であることを示していた。 レックスが相当強くなっていることは知っていたが、まさか渾身の水鉄砲が相殺されるとまでは思わなかった。 だからこそ、心の底からこいつには勝ちたいと思った。 「でも、カイトのことだから、今のうちに……」 徐々に薄く引き延ばされてゆくものの、立ち込める煙と水蒸気は視界を遮る。 カイトなら、今頃レックスを地面の下に潜らせているだろう。 地中にいれば、水の攻撃を食らうことはないし、ネイトが地中の相手を攻撃できる術を持ち合わせていないことを理解している…… 案の定、煙と水蒸気が晴れた時、そこにレックスの姿はなかった。 ドーナツ状に盛り土があるだけで、その中心にはポッカリと空いた穴。 「やっぱり……」 アカツキは奥歯をきつく噛みしめた。 そうなるとは思っていたが、煙と水蒸気が立ち込めている間に攻撃に打って出るわけにはいかなかった。 アクアジェットによる速攻なら……と考えたりもしたが、相手の姿が見えない状態で攻撃するのは危険だ。 アカツキがあれこれと考えているのとは対照的に、ネイトは淡々とした様子で周囲を見渡していた。 レックスが穴を掘って地中に潜るという手を使ってきたのは、何も今に始まったことではないのだ。 今さらそんなことをされたって……と思っているのかもしれない。 『へぇ……』 アカツキもネイトも思ったほど動じていなかったのを見て、アラタとキョウコは同時にため息を漏らした。 同時ということに気づいて、相手の表情をチラリと見やるが、 『ふんっ……』 同じことを考えていたのだと理解して、途端にソッポを向いた。 仲がいいのか悪いのかよく分からないデコボココンビだと、傍らで見ていたカヅキとミライは揃ってそう思った。 外野が外野でドタバタしているのを余所に、アカツキはカイトがどんな風に攻撃を仕掛けてくるのか、読もうとしていた。 もっとも、カイトはポーカーフェイスを決め込んでいるから、そこから読み解くのは無理だろう。 かといって、地中に潜ったレックスの感情や表情など到底読み取れるはずもない。 考えるだけ無意味に思えることでも、何も考えずに攻撃されるよりはずっとマシ。 「確か、この前は……」 旅に出る前に戦ったことを思い返す。 レックスは地面の下から火炎放射を放ち、火柱を囮にネイトを誘導し、そこに強烈なドラゴンクローを浴びせてきた。 今回は、それよりもさらに手の込んだ巧妙な攻撃を仕掛けてくるに違いない。 「…………」 どちらにしても、地中からの攻撃に即座に対応することはできない。 まずは、攻撃を食らわないようにすること。 だが、アカツキがそう考えているのはカイトに筒抜けだった。 伊達に親友など名乗ってはいない。 焦らして(じらして)相手の焦りを誘発するのが手っ取り早くて確実なのだろうが、あいにくとそういった趣味はない。 「レックス、そろそろいいぞ〜」 かくれんぼで時間切れになってギブアップしたように、陽気な声で言う。 すると…… びしびしっ、と硬いものにヒビが入るような音がした。 「…………?」 どこから聞こえてくる音なのか判別がつかず、アカツキは眉根を寄せて―― 次の瞬間。 ネイトの足元を中心に、周囲の地面が崩れ、陥没した!! 突然の陥没にネイトは驚き、足元に目をやった。飛び退くことさえ忘れていたようだが、それが災いした。 単に地面を陥没させるだけなら、何もこんなに待つ必要はなかった。 刹那、陥没した地面に落ちていくネイトの真下から噴火のごとき勢いで炎が吹き出した!! 「ええっ!?」 アカツキはカイトの戦略を理解したが、ネイトが炎に包まれてダメージを受けたのだけは取り消せない。 予想外の攻撃に驚きながらも、 「ネイト!! 水鉄砲で消して!!」 炎に包まれていては攻撃もままならない。 アカツキの指示に、ネイトは水鉄砲を発射して、吹き出す炎を消火した。 「まさか、こんな方法で来るなんて……」 カイトがレックスにやらせたのは、実に単純なことだった。 穴を掘って地中に潜った後、ネイトの足元に空洞を作り出し、そこに炎を溜めてから、薄くなった地面を突き崩したのだ。 自分の炎でダメージを受けないからこそ、地中という限定された空間でそんなことが可能となる。 だが、レックスの姿はどこにもない。 「今のってもしかして囮……? だとしたら……」 どこから来る? アカツキは視線をめぐらせたが、レックスの姿はない。まだ地中に潜っているのか……? しかし、そこはライバルの心理状況を読み解くのに長けているカイト。すぐさま攻撃に打って出た。 「レックス、今だ!! やれっ!!」 カイトの指示が響くが早いか、地面の一角が盛り上がり、そこからレックスが飛び出してきた。 大きく跳躍し、ネイトの真上に回り込むと、真下にいるネイト目がけて渾身の火炎放射を放つ!! 「ネイト、上だ!! アクアジェット!!」 空中にいれば、着地までは無防備になる。 奇襲に近い攻撃を受けつつも、相手の攻撃から逃れることではなく、逆に相手の無防備な状態を利用して、ダメージ覚悟で反撃に転じた。 ダメージを恐れていてはレックスを倒せない。 アカツキの気持ちが見えない糸で伝わって、ネイトは真上から降り注いでくる炎の根元にレックスの姿を認めると、 アクアジェットを放ち、空中へと舞い上がった!! 「んんっ!?」 今までのアカツキなら、慌てふためくばかりで何もできなかっただろう。 ちゃんと対応できるようになっていたのだと、カイトは驚きを露わにした。 「今のレックスじゃ防げねえな……仕方ない」 火炎放射だけにこだわっていては、アクアジェットをまともに食らうことになる。 こういう時のために、技を用意してある。 水鉄砲を周囲に撒き散らしながら炎を突っ切ってレックスに迫るネイトを睨みながら、レックスに指示を出す。 「レックス、炎を止めてドラゴンクロー!! スパイクぶっかませ!!」 どうやら、ネイトをバレーボールに見立て、トスを受けてスパイクする選手にレックスを重ねているらしい。 真剣な勝負の場においても、遊び心を忘れないのは、アカツキに似た性格のカイトらしいところだ。 「怯むなネイト!! 一気に突っ切れっ!!」 ドラゴンクローは痛いが、今なら一発食らったところで戦闘不能になどなりはしない。 空中で相手の攻撃を避ける術を持たないのはお互い様。 それなら、ガチンコ勝負で出るところに出てやればいい。根性ならこっちが勝つ。 それだけの自信はあった。 ネイトは炎を突き破りながら舞い上がると、レックスの眼前に飛び出した!! ギョッとした顔を見せながらも、レックスは渾身の力を込めてドラゴンクローを繰り出した!! ドラゴンタイプの大技ゆえ、威力はとても高い。 赤い炎のようなオーラをまとった鋭い爪が、ネイトを捉える!! ――が、次の瞬間、ネイトも渾身の水鉄砲を放ち、レックスに水流をお見舞いした!! 「決まったっ!?」 「…………っ!!」 クロスカウンターの形で攻撃が決まり、アカツキとカイトは目を見開いた。 互いの攻撃の勢いが組み合わさって、ネイトとレックスは大きく弾き飛ばされるも、さっと着地を決めて、睨み合った。 ドラゴンクローと、水鉄砲。 単純な技の威力ならドラゴンクローの方が高いが、レックスは弱点となる水鉄砲を受けた。 ネイトは炎とドラゴンクローを受け、レックスは強烈な水鉄砲を受け、互いに肩で荒い息を繰り返していた。 「ダメージが大きいな……早く決めないと」 「こりゃ思ったよりヤバイな……ヤバイぞ、こりゃ」 アカツキはネイトが思いのほか大きなダメージを受けているのを見て取って、早く決めなければヤバイと直感で思った。 一方、カイトもレックスが受けたダメージの大きさを見て取って、自慢の戦略も思ったほどの効果が出なかったことを素直にヤバイと感じた。 二人が共通で思っていたのは、それぞれのポケモンに残っている力はそう多くない。 次の一撃にすべてを賭ける……というものだった。 「次で決まるわね……」 「そうみたいだな」 アカツキとカイトが睨み合っているのを横目に、キョウコとアラタがつぶやく。 初めて旅に出たのは数ヶ月前でも、スクールの卒業生だ。 トレーナーとしての経験は今戦っている二人よりもずっと長い。 だから、ポケモンの状態を見て、次で決める腹積もりでいることはすぐに分かった。 「さて、どっちが勝つかしらね?」 「さあな」 どちらに転ぶか、正直言って分からない。 アラタの短い返事を受けて、キョウコは痛烈な言葉を浴びせかけた。 「あら、かわいい弟がカイトに一勝するのを期待しないの?」 「厚かましいだけだろ」 「へえ……」 皮肉というスパイスに塗れた言葉を見えない手で払いのける。 てっきり、 『オレの弟が勝つに決まってんだ!! 当たり前なこと聞くんじゃねぇ!!』 ……と、食ってかかってくるとばかり思っていただけに、今の反応はキョウコにとって意外なものだった。 それでも、アラタの胸中は理解しているつもりだったから、それ以上は言わない。 アカツキとカイト。 どちらが勝つにしても、互いに力を出し切っている。負けたことを悔やんでも、精一杯戦ったことを悔やんだりはしないだろう。 勝敗はもちろん大事だが、それ以上に大事なものもある。 今までのトレーナー生活を通じて、アラタとキョウコがよく理解していることだ。 「でも、勝つんだったらアカツキに勝ってほしいなあ……」 曖昧な態度のアラタに業を煮やしてか、ミライがポツリと漏らす。 「へぇ……」 どうも、先ほどからアカツキの肩を持つことが多い。 ミライがアカツキをじっと見ているのに気づいて、キョウコは口元に笑みを作った。 これはもしかしたら……と思ったが、口には出さなかった。 「さ、どうなるかしらね……」 どちらが勝つにしても、精一杯戦ったことに関しては褒め称えたい気分だった。 だから、黙して決着の時を待とう。 外野が落ち着いたのとタイミングを合わせるようにして、事態が動いた。 「ネイト、アクアジェット!!」 「レックス、オーバーヒート!!」 二人がありったけの声で叫んでポケモンに指示を出す。 ネイトは残った力を振り絞ってアクアジェットで速攻を仕掛け、レックスは全身の熱を凝縮した強烈な炎を放つ!! オーバーヒートはフルパワーで炎を吐いて攻撃する技で、炎タイプ最強との呼び声も高い。 火炎放射、大文字をも凌ぐ威力を誇り、水タイプや岩タイプのポケモンにさえ大きなダメージを与えるが、 パワーを先取りして最強の一撃を放つ代償として、放った後はしばらくの間、炎タイプの技の威力が著しく下がってしまう。 そんなバクチ技を使ってきたということは、これで決めるつもりなのだ。 単純な技の威力では、オーバーヒートの方が遥かに上回っている。 しかし、レックスが吐いたすさまじい熱量の炎は、ネイトに直撃することはなかった。 アクアジェットは速攻が可能ゆえ、一瞬のことに対応できないという弱点はあるが、ネイトにはレックスの炎の軌道が読めているようだった。 真下を炎がすさまじい勢いで流れていく。ほんの数センチ上を、ネイトが水鉄砲を放ちながらレックス目がけて突き進む!! 「ええっ!? マジぃっ!?」 今さら別の技で攻撃するのは無理だ。 大技を放った後は、そう簡単に次の攻撃を出せないのが痛いところ。 必殺のオーバーヒートを回避され、カイトに打つ手はなかった。 途中で勢いが落ちれば、真下を通り過ぎる炎に飲まれて、戦闘不能になるかもしれないが…… それを期待したところで、仮定の話はバトルにおいて無意味だった。 ネイトのアクアジェットがレックスに直撃!! 「……っ!!」 水流と体当たりのダブル轟音がレックスの悲鳴をかき消す。 レックスは強烈な一撃を受けて、後方に大きく吹き飛ばされると、地面に叩きつけられ、そのままぐったりとしてしまった。 仰向けに倒れたレックスの前で、ネイトが荒い息を繰り返しながら立っていた。 その目は、眼前に倒れた相手の顔をじっと見ていた。 まだ立ち上がってくるかもしれない……そう思うと、これで終わったという気にはなれなかった。 もっとも、渾身のアクアジェットを受けて、レックスは戦闘不能に陥っていた。 「どうだろ……?」 今は倒れているが、もしかしたら虚を突いて攻撃を仕掛けてくるかもしれない。 レックスの鋭い爪がいつ振りかざされるか分かったものではない。 警戒感をむき出しにしているポケモンと同じように、トレーナーであるアカツキもまた、警戒を崩さない。 しかし、戦闘不能は戦闘不能だった。それを宣言する審判がいないだけだ。 「戻れ、レックス」 レックスが戦うだけの力を残していないのを察して、カイトは傷つき倒れたポケモンをモンスターボールに戻した。 ここでいくら待ったところで、満身創痍のネイトに一撃を繰り出すことも期待できないだろう。 それなら、泥仕合にならぬうちに潔く戻した方が、気持ち的にもスッキリするというものだ。 「……戻しちゃうの?」 まだレックスが立ち上がってくるものだと思っていたアカツキは、驚いた顔でネイトを見やったが、 「レックスは戦えないからな……」 カイトはむしろ晴々とした表情で小さく答えた。 「おまえの勝ちだよ、アカツキ。いやあ、まいったまいった」 負けたのは仕方ないが――本当は、仕方ないなどという言葉で済ませてはいけないものかもしれないが、それでも全力を尽くして戦い抜いた。 そのことに悔いはないし、ゼレイド、クロー、レックスも最後まで頑張ったことを誇りに思うはずだ。 カイトはそんな想いを胸に、自身の敗北を申告した。 その言葉に背を押されるようにして、ネイトがゆっくりと倒れた。 「あ、ネイト!! 戻れ!!」 ネイトもまた、限界まで力を出し切って、いつ戦闘不能に陥ってもおかしくない状態だったのだ。 気力だけで、力が抜けていく身体に鞭打って戦っていた。 アカツキはネイトをモンスターボールに戻した。 「ネイト、ありがと。おかげで勝てたよ」 引き分けの方が正しい結果なのかもしれないが、それでもカイトが自分から敗北を申告した以上、それを受け入れるのが友情というものだ。 ここでもし、「いや、引き分けでいいよ」なんて言おうものなら、カイトは情けをかけられたと思い、逆に惨めな想いをすることになるだろう。 アカツキはカイトの胸中を察し、ギリギリのところで勝てたことを喜んだ。 「やった、勝った〜っ!!」 今までずっと、カイトに負け続けてきた。 負けるたびに勉強して、一生懸命ポケモンのことやバトルのことを学んできても、カイトはいつもその上を行き、アカツキを負かしてきた。 だが、それも今日で終わるのだ。 そう思うと、勝利の美酒に酔いしれたような――無論、未成年のアカツキが酒の味というものを理解しているわけではないが、 それに似たような喜びに酔いしれていた。 ドラップ、リータ、ネイト。 三体が死力を尽くして戦い抜いてくれたからこそ手にした勝利。 それは何にも代え難い喜びだった。 「くぅぅ……!!」 喜びが爆発しそうになるのを、グッとこらえる。 今までずっと勝てなかった相手に初めて勝てたのだから、思いきり喜んでも罰など当たらないのに、 カイトへの配慮もあって、なかなかそこまで踏み切ることはできなかった。 カイトはそんなアカツキの胸中を察して、ゆっくりと彼に歩み寄ると、 「おいおい、もっと喜んでくれなきゃ困るっての〜。 おまえ、や〜っとオレに勝って、ホントの意味でオレのライバルになったんだからさ。 ほら、もっと喜べ喜べ」 「…………」 いくらなんでも弾けすぎだったから、アカツキはむしろ戸惑ってしまった。引いたと言ってもいい。 「あ、あのさ、カイト……いくらなんでも……」 「ほら、手ぇ挙げて、思いきり笑えって!! もー、分かんねえヤツだなあ」 負けたのは悔しいが、アカツキがやっと自分に勝った。 カイトとしてもうれしいところだったのだ。 だから、一緒に喜びたかった。 カイトは『ぜんぶ言わせんなよ』と言いたげに困った表情を作ると、こんなことを言った。 「今までオレばっか勝っててつまんなかったんだよ。 それじゃ、ライバルって言うよりも格上の相手って感じだろ。それじゃ、ライバルとは言えないよな? だから、おまえが今オレに初めて勝って、やっとライバルになったってこった!! これからは気も抜けなくなっちまうからな〜、ハラハラして楽しみだぜ」 「あ、そういうことか……」 そこまで言われて初めて、カイトもアカツキが本当の意味でライバルになったことを喜んでいるのだと理解した。 よくよく考えてみれば、今までずっと負けっぱなしだった。 それは、本当の意味でのライバルとは呼べない。 常に勝者が定まっているのだから、切磋琢磨して、一進一退を繰り返すライバルではない。 だから、カイトは純粋に喜んでいた。 負けて、アカツキがやっとライバルと呼べるところまで追いついてきたのだと理解したから。 「やりぃ〜っ、勝ったぜっ!!」 アカツキは握り拳を高らかに突き上げて、腹の底から声を振り絞って叫んだ。 本当にうれしかった。 カイトが自分のことを本当のライバルとして認めてくれたこと。 今までずっと負けっぱなしだったけれど、やっと勝てて、カイトと肩を並べるところまでレベルアップした。 そのことを素直に喜んだ。 途中からはカイトも一緒になって喜んだものだから、これでは何を喜んでいるのかよく分からなかった。 それでも、当人たちが楽しく騒いでいるのだから、見ている側も気持ちが明るくなった。 長かったような短かったような戦いが終わって一段落したということで、ギャラリーが二人の元へやってきた。 アラタの拍手に、喜びの坩堝から現実に引き戻され、アカツキとカイトは二人して振り向いた。 心の底から満足したような笑みを浮かべ、アラタがこちらを見ていた。 「いや〜、なかなかいいモン見せてもらったよ〜。 おまえたち、旅に出て腕を上げたんだな、見ててよく分かったよ」 「そうね。少しはやるようになったわね」 アラタの言葉に小さく頷き、キョウコも口の端に笑みなど覗かせながら言った。 二人して褒めてくれたものだから、アカツキはとてもうれしくなった。 誰かにそう言ってもらえるだけでも、頑張ってきた甲斐があったと思った。 「ありがとう、兄ちゃん、キョウコ姉ちゃん」 「うー、すっげぇ感動するぅぅぅ……」 アカツキは満面の笑みで応え、カイトは憧れのアラタに褒めてもらえただけで感極まって半ベソ状態になってしまった。 「でも、まだまだ頑張ってもらわないと、ネイゼルカップでオレと戦えないぞ?」 「分かってる!! これからもガンバるよ!!」 「おう、その意気だ」 褒めてもらえたのはうれしいが、だからといってアラタに追いついたわけではない。 そこのところは、兄の強さを知るアカツキだからこそ理解できることだ。 これに満足していてはいけない。より高みを目指して頑張らなければならない。 ネイゼルカップでアラタと戦うという約束を交わしたのだから、なおさらだ。 明日から張り切って旅を続けて、リーグバッジをゲットしながら腕を上げていこう。目標を新たに心に刻み込んだ時だった。 ミライが目の前にさっと割って入ってきて、キラキラ輝いた目を向けながら口を開いた。 「アカツキ、すごかったよ!! カイトもすごかったけど、やっぱりアカツキってすごい!!」 「え……? あ、ありがと……」 出会った頃の、どこかおどおどしていた態度が完全に消えてしまったものだから、アカツキは戸惑いながら言葉を返した。 ジム戦以外のポケモンバトルを見るのが初めてだったので、ミライは感動しまくっているだけだったが、 アカツキたちがそのことを知る由もなく、彼女以外の全員は戸惑いまくっていた。 このままでは何も始まらないと思ったのだろう、カヅキも口を開いた。 「僕もすごいって思ったよ。 実は、ネイゼル地方に来るまで、ポケモンバトルって見たことがなかったんだ。 テレビで観たり、人づてに聞いたりはしてたんだけど、やっぱりナマは違うね。 旅に出て二週間くらいしか経ってないなんて思えないくらいすごかったよ」 「ありがとう」 「へへ……」 ポケモントレーナーじゃない人にも、新鮮味と感動を届けられたのだ。 アカツキとカイトは顔を見合わせ、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべた。 みんなしてべた褒めだが、それで満足するような二人ではない。 これからもライバルとして、切磋琢磨しながら頑張っていこう。 互いにライバル心剥き出しにしてそんなことを思った後で、アカツキが言った。 「それじゃ、戻ろうか。 ネイトたち、疲れちまってるし。ポケモンセンターで休ませてあげよう」 「そうだな。行くか」 死力を尽くして戦い抜いてくれた愛すべき仲間たちを早く回復させてあげたい。 モンスターボールの中での休養は時間がかかるのだ。 ポケモンセンターの回復装置にかければ、ほんの数分で済む。 というわけで、アカツキとカイトがどちらともなくポケモンセンターの方角に向き直った時だった。 『あれ……?』 見知らぬ少年が少し離れたところに立っていることに気づいて、二人してマヌケな声を上げる。 しかし、その場の誰一人として、その少年の存在には気づいていなかった。 向き直り――あるいはアカツキとカイトが上げたマヌケな声で初めて気づいた。 「…………?」 その場の誰もが見覚えのない少年だった。 アラタとキョウコ、カヅキと同じくらいの年頃だろうか。 肩口で切り揃えられた黒髪と、鼻筋の整った顔が身体的な特徴だろう。 ……が、それよりも印象に残るのが服装だった。 細身の身体にピタリとフィットしたダイビングスーツのようなものを着込み、鮮やかな緑のマントを羽織っている。 あまり似合っているとは言えないが、これではまるで特撮アニメの正義の味方か悪の幹部か……? どちらにしても、普通に考えればコスプレ以外の何者でもない格好である。 あからさまに怪しい格好をしていたので、アカツキはすぐに警戒心をむき出しにして、腰を低く構えた。 レイクタウンの住人にコスプレ趣味の人はいないし、そもそも顔だって見覚えがない。 それはアカツキだけでなく、他の五人も同じだった。 無表情でこちらを見つめてくる少年に警戒感を露わにして―― 「おまえ、誰だ? いつからそこにいた?」 アラタが真っ先に訊ねた。 相手がおかしな挙動を見せれば、すぐにでも飛び蹴りを食らわせられるよう、アカツキと同じく腰を低く屈めて構えている。 ケンカっ早いワケではなく、どこの誰かも分からない相手に――しかも、直前までその存在を察知できなかったほどの相手だ――、 馴れ馴れしく声をかけるほど、無用心でいるつもりではない。それだけのことだ。 「僕に気安く『おまえ』なんて言うな。ムカつくよ。 まあ、いいや。どうせ短い付き合いだし、名乗って困る名前じゃないからね」 少年はアラタの言葉に顔を引きつらせ、怒りに満ちた表情を見せたが、すぐに何事もなかったように無表情に戻った。 どうやら、プライドが高く、気安く『おまえ』呼ばわりされたのが嫌だったらしい。 「僕はヨウヤ。ソフィア団の一員だ」 「…………!!」 少年の言葉に、アカツキとミライはハッと息を呑んだ。 フォレスタウンでドラップを狙って襲いかかってきたソウタもまた、ソフィア団なる組織に身を置く一員だった。 目の前にいるのはソウタではないが、この少年――ヨウヤもまた彼と同じ目的を抱いてやってきたのだと、嫌でも悟らざるを得なかった。 Side 7 「ソフィア団……? なんだ、それ?」 フォレスタウンで、ソフィア団がアカツキのドラピオン―― ドラップを狙って騒ぎを起こしたことなど知る由もないアラタとキョウコ、カイト、カヅキの四人は訝しげな表情で首を傾げた。 特撮アニメの服装の少年の言葉だから、なおさら番組収録かドッキリか、そんな風に聞こえてしまったのだ。 だが、アカツキとミライは違った。 こんなに早く、ソフィア団が刺客を送り込んで来るとは思わなかったものだから、驚くしかなかった。 ヨウヤは一同の顔を一通り確認すると、問いかけた。 「さて、アカツキってどいつだ?」 「……!?」 「アカツキに何の用だ?」 「なあに、ちょっと渡してもらいたいものがあってね。受け取りに来た。それだけのことだ」 「…………」 あからさまに怪しい。 アラタはアカツキの前に躍り出ると、ヨウヤから弟をかばった。 名乗りを上げられなくても、それだけで分かった。 真正面に立っていた、赤いベレー帽をかぶった少年がアカツキだということが。 「アカツキ。僕がここに来た理由が分かるだろう? こいつらを危険にさらしたくなかったら、おとなしく渡すんだ。僕たちソフィア団がおまえに預けていたものを」 「えっ……?」 ヨウヤの言葉に、ミライ以外の視線がアカツキに注がれた。 預けていたものを渡す…… そんな言い方をされたら、アカツキが何か持っていて、ヨウヤがそれを受け取りに来たという風にしか聞こえないだろう。 単純な心理的錯覚を引き起こしただけだったが、十分すぎるほどの効果があった。 「本当なのか? なんか、いかにも怪しいヤツだが……」 アラタは肩越しにアカツキを見やり、言葉をかけた。 「なんか、素直には信じられないんだけどねえ」 「うん」 キョウコとカイトは、ヨウヤの服装がいかにも怪しいから、信じられないといった表情だったが…… 「あ、アカツキ……」 ミライが声を震わせる。 ヨウヤはドラップを狙ってやってきたのだ。 わざわざこんなところにまで出向くくらいなのだから、ドラップがソフィア団にとってそれだけの価値があるものだということになる。 それが分かったからこそ、不安だった。 人は価値あるもののためになら、どんなことだってできるものなのだ。 たとえば、フォレスタウンでソウタが部下を使って騒ぎを起こし、その隙に独りだったアカツキを狙ったように。 「…………」 アカツキはアラタの言葉も、ミライの言葉も無視して、ヨウヤを睨みつけた。 「おまえも……おまえもドラップを奪いに来たのかっ!!」 「えっ……」 「なんだって……!?」 アカツキが怒りを滲ませながら発した一言に、一同が騒然とする。 愕然とする一同には構わず、ヨウヤは小さく頷いた。 「そうだ。分かっているなら話が早い。渡してもらおうか? あのドラピオンは、僕たちの元にいてこそ輝けるんだ。おまえと一緒にいたって、あいつのためにはならない。 だから、返してもらおう」 「ふざけんな!! 誰が渡すかよ!! ドラップはオレの仲間だ!! それに……ドラップはおまえらに対して怒ってたじゃねえか!! 嫌がってるのに、なんで易々と渡すんだよ!! さっさと帰れ!!」 淡々としたヨウヤの声音に神経を逆撫でされ、アカツキはアラタを押し退けて前に出ると、ありったけの声を振り絞って怒りをぶつけた。 ドラップは嫌がっていた。 ソウタがやってきた時、憎悪にすら似た眼差しを向けていた。 ソフィア団の元にいたのは本当だったのだろう……それでも、いい扱いは受けなかったはずだ。 ポケモンには心がある。楽しいと感じたり、嫌だと思ったり……だからこそ分かる。 ドラップはソフィア団に対していい感情を抱いていない。 それが分かっていて、はいそうですかとすぐさま渡せるはずがない。 大事な仲間を連れていかせはしない。 アカツキが早々に対決姿勢を打ち出してきたのを見て、ヨウヤは肩をすくめた。 気が短いというか、話が分からないというか…… 「まあ、いい。どうせそう言うと思ってた」 ソウタの報告を受け、素直に渡しはしないだろうと思っていた。対決姿勢を打ち出してくることは読めていた。 ヨウヤは驚くこともなく、両手に腰のモンスターボールを取った。 その数は四つ。 「なら、力ずくでいただいていくだけさ。 僕は手加減が大嫌いでね。全力で叩き潰してやるよ。僕の話を蹴ったことを、心の底から後悔するくらいにね。 出てこい、おまえたちっ!!」 手にしたモンスターボールを頭上に投げ放つと、次々と口を開いたボールから、四体のポケモンが飛び出してきた。 トウヤのニルドと同じ種族のパルシェンと、紫の巨大なコウモリ――クロバット。 キリンのような姿のポケモン――キリンリキ、最後に毒々しい花を頭上に咲かせたラフレシア。 ヨウヤがすっかりアカツキと戦う気でいることを察して、アラタとキョウコもモンスターボールを手に取った。 「な、何がなんだか分かんないけど、なんかヤバそうね!!」 「そうだな!! そっちがやる気なら、オレたちだって……!!」 アカツキとカイトのポケモンは、今しがたのバトルで全員傷つき疲れ果てている状態。 とてもではないが、戦力として数えることはできない。 ヨウヤがやる気になっている以上、ここはアラタとキョウコのポケモンで対抗するしかない。 相手の意図を悟り、二人はさっと臨戦態勢に入った。 「に、兄ちゃん……? キョウコ姉ちゃんまで……」 アカツキは震える声で、ヨウヤと向き合っている二人に話しかけた。 事情など分かってはいないだろう。 それなのに、どうして戦おうというのか。 相手がどれほど大きな組織なのか、知らないからこそ戦うという選択肢を見出したのだということさえ、アカツキは忘れていた。 思考の片隅に落ちていても、目につかなかった。 「なんだか分からないけど、ドラップを狙ってんだろ? だったら、みすみす渡す必要なんてないだろ。どう見たってこいつ悪役だし」 「そーゆーこと」 アラタとキョウコは振り返ることなく、ヨウヤと彼のポケモンを睨みつけたまま軽口を返した。 とはいえ、実際そんな軽口を叩いていられるだけの余裕などなかった。 トレーナーとしての経験が長いのと、スクールであれこれ叩き込まれたのが役に立ってか、 一目見るだけで相手の力量が分かるようになってきたのだが、ヨウヤのポケモンたちはいずれも強敵と言っても良かった。 単純な見た目云々ではなく、身にまとう雰囲気がそう思わせるのだ。 「かなりヤバイ相手かもしれないわねえ……」 キョウコの額を、一筋の冷や汗が流れ落ちる。 少なくとも、アカツキのドラップを狙っているのは言動からしても明らかだし、 狙う以上はドラップ以上の実力のポケモンを持っているということでもある。 侮れない相手だ…… ここはいきなり全力でやるしかないだろう。 「…………」 何も言わず、アラタとキョウコはドラップをヨウヤから守るのに手を貸してくれている。 ありがたい気持ちはもちろんあったが、それよりもむしろ申し訳ない気持ちの方が大きかった。 本当のことを知ったら……ヨウヤやソウタが属するソフィア団のことを知ったら、何を言われるだろう。どう思われるだろう。 アカツキは何とも言えない気持ちを持て余しながら、大きくて暖かくて優しくて力強いアラタの背中をじっと見ていた。 今、自分が何をすべきなのか。それは分かっている。 アラタとキョウコが戦ってくれているうちに、カイトと共にポケモンセンターまで戻り、 ソフィア団の刺客がやってきたことをジョーイに告げるのだ。 そうすれば警察に通報してもらえるだろう。 だが、アカツキの足をその場に縫いとめていたのは…… 「えっ……?」 ヨウヤのポケモン――キリンリキを除く三体の身体から黒い靄のようなものが立ち昇っているのが見えたからだ。 「な、なんだ……?」 目にゴミでも入ってそんな風に見えているのかと思って、慌てて目を擦ってみたが、変わらなかった。 ヨウヤのポケモンから、黒い靄のようなものが立ち昇っている。 「…………?」 普通に考えれば見えるはずのないものが見えていることに驚いて、アカツキはカイトに声をかけられても反応できなかった。 「おい、アカツキ。 早く逃げるぞ!! 何がなんだか分かんないけど、マジでヤバイって!! ミライとカヅキさんも一緒に行くってさ!!」 「え……あ……」 アカツキはハッと我に返ったものの、生返事しかできなかった。 バッサリ切ったフィルムを繋げたように、思考が飛んでいる。 だが、分かってはいる。 ポケモンにはポケモンで対抗するしかない。人間の力で対抗できるポケモンなど、そう多くはないのだから。 増してや、黒い靄に包まれて不気味さすら漂わせるポケモンが相手なのだから、無理もない。 「アッシュ、ジオライト!! 出番だ!!」 「アニー、ミント!! やるわよっ!!」 アラタとキョウコは黒い靄が見えていないのか、怯むどころか、むしろ語気など強めながらポケモンを外に出した。 ヘラクロスのアッシュと、スターミーのジオライト。ギャロップのアニーと、ソーナンスのミント。 相手に合わせて四体のポケモンを選んだのは、それより多くても少なくてもやりにくいと感じているからだった。 多ければ系統性で混乱してしまうかもしれないし、少なければ数の利で押し切られるかもしれない。 互いに打ち合わせなどしていなくても、何をやろうとしているのかくらいは分かる。 「アカツキ、さっさと行け!!」 「そうよ!! 戦えるポケモン持ってないヤツなんて邪魔なだけよ!! さっさと行きなさい!!」 アカツキが動けずにいるのを背後に感じて、アラタとキョウコが乱暴な言葉で追い立てようとする。 その言葉を聞いていたのはアカツキだけではなかった。 「ほう……?」 ヨウヤの耳にもちゃんと入っていた。 ……そして、ちょうどいいことを思いついた。 「う、うん……兄ちゃん、気をつけて!!」 「おう、任せとけ!! コテンパンにしてやる!!」 「焼き尽くしてあげるわっ!!」 アラタとキョウコの力強い言葉を受けて、アカツキはカイトに手を引かれ、駆け出した。 二人の後をミライとカヅキが追いかける。背後からの攻撃からアカツキを守るような位置取りだ。 四人が離れたのを足音で察して、アラタとキョウコは左右に分かれた。 一箇所に固まっていては、狙い撃ちされるだけである。 しかし、ヨウヤは攻撃を仕掛けてこなかった。 アカツキたちが南の方へと走っていくのを黙って見ていた。 「それじゃあ、始めようか」 適度に離れたのを見届けてから、ヨウヤはアラタに向き直った。 キョウコに背中を向けるような形になっているが、それでも隙らしい隙は見せない。 これでもソフィア団きってののエージェントである。 「おう、コテンパンにしてやるよ。 二度とオレの大事な弟にちょっかい出せないようにしてやる」 「ふふ。言葉にするだけなら自由だよ。実際にできるかどうかは別として……ね」 アラタの挑発には乗らず、酷薄な笑みなど浮かべながら言葉を返す。 おもむろに手を振り上げて、 「おまえたち、やれっ!!」 それが戦いの指示なのだろう。 キリンリキ以外の三体のポケモンが動く!! クロバットは空に舞い上がり、パルシェンがキョウコの側へ、ラフレシアがアラタの側へ動く。 「キリンリキ、来い」 最後に、キリンリキがヨウヤの傍らにやってきた。 ヨウヤはキリンリキの背にまたがった。 それを見て、アラタはギョッとした。 「てめえ、逃げるのか!!」 「逃げる? とんでもない。楽しい狩りの始まりじゃないか。逃げるなんて、そんなもったいないことはしないよ」 「させないわよっ!! アニー、火炎……」 ヨウヤが何をするつもりなのか察したキョウコが、先手を打ってアニーに指示を出そうとしたが、 それより早くパルシェンがアニーとミント目がけて毒々しい液体を噴射した。 それを合図に、ラフレシアも花の中心から同じ色の液体を周囲に撒き散らし、アラタのポケモンに浴びせかけた。 「これは……毒々かっ!!」 「今さら気づいても遅いよ。さあ、キリンリキ。行くぞ」 アラタが舌打ちしながら毒づくのを満足げに見やると、ヨウヤはキリンリキを走らせた。 行き先は言うまでもない。 アカツキを追いかけるのだ。 戦えるポケモンが一体もいないのだから、恐れることなど何もない。文字通り『狩り』を始めるのだ。 アラタもキョウコも、ヨウヤを追いかけることができなかった。ヨウヤが残した三体のポケモンが攻撃を仕掛けてきたからだ。 司令塔となるトレーナーがいなければ、戦い抜くことはできない。 それが分かっていたから、離れることなどできなかった。一刻も早く片付けて、ヨウヤを追いかけるしかない。 「アカツキ……頼むからオレが行くまで持ち堪えろよ……!!」 アラタは奥歯を強く噛みしめながら、ポケモンセンターへと向かった弟に胸中でつぶやいた。 「アッシュはメガホーン!! ジオライトは冷凍ビーム!! ガンガンぶっ放せ!!」 Side 8 ポケモンセンターへ向けて、キサラギ博士の研究所の敷地を全力で南へ走りながら、 アカツキはヨウヤのポケモンが発していた黒い靄のことを考えていた。 「あれって、なんだったんだ……?」 不気味で、異質で、なんだか心を鷲づかみにされるような恐ろしさがあった。 ポケモンが発していたというよりも、むしろポケモンを包み込み、蝕んでいるようにさえ見えた……あれは一体なんだったのか? 一人で抱え込むのが不安でたまらなくて、アカツキは併走するカイトに思い切って訊ねてみた。 「カイト、あいつのポケモンだけど……」 「あいつの!? それがどうかしたのか?」 「黒い靄みたいなの、見えなかった? なんか、不気味な……」 「……?」 アカツキの言葉に、カイトは訝しげに眉根を寄せた。 黒い靄みたいなの、と言われても…… 「なんだよ、それ。別に、見た目普通のポケモンだったじゃん。雰囲気はちょっとコワかったけど」 「……えっ?」 カイトはあの黒い靄を見ていなかったのである。 それどころか、 「わたしも見てないよ」 「僕も。普通のポケモンに見えたけど」 ミライとカヅキまで、黒い靄など見ていないと口を揃えた。 「え……じゃあ、オレが見たのって……」 アカツキは唖然としながらも、足は止めなかった。 誰にも見えていないものを、どうして自分が見えていたのか? 不安が見せる幻だったのだろうか? 考えても答えなど出るはずもなかったが、アカツキがただ一つ言えたのは、あの黒い靄は決して幻でも何でもなかったということだ。 気持ちを不安にさせる黒い靄……ポケモンを蝕んでいるようにすら見えた。 あんなのがどうして見えたのだろう……? 「考えるのは後だ。早く逃げないと……」 アカツキが余計なことを考えていると察したカヅキが厳しい言葉をかけた、次の瞬間だった。 四人の脇を何かが猛スピードで駆け抜け、前方で立ち止まった。 「……っ!!」 ヨウヤを乗せたキリンリキだった。 高速移動を使って先回りしてきたのだ。 「どこへ逃げるつもりなんだい? 無駄だよ、おまえは僕の狩りの獲物なんだから。逃げられるわけないじゃないか」 「獲物……?」 余裕すら漂わせた動作でキリンリキの背から降り立つヨウヤ。 アカツキは険しい表情で、ソフィア団のエージェントを見やった。 他の三人も同じだったが、アカツキが一番敵対心を燃やしていた。 一度ドラップを狙われて、より敏感になっているからだ。 「他のポケモンは……」 「ああ、あいつらであの二人の相手をさせてもらっているよ。まあ、僕のポケモンに勝てるとは思えないけどね」 「…………そんなことあるもんか。兄ちゃんは絶対に勝つ!!」 他の三体でアラタたちの相手をしているから、キリンリキに乗って追いかけてきたのだろう。 だが、一体でも少なくなれば、アラタたちなら倒せるだろう。 兄の実力を知る弟ゆえの強気の発言だったが、ヨウヤはその一言を鼻先で笑い飛ばした。 「まあ、信じたい気持ちは分かるけどね。 それよりさ、他人の心配より自分の心配した方がいいんじゃないかい? キミたち、戦えるポケモンを持ってないんだったよね」 「あ……」 指摘の通りだった。 ぐうの音も出ないほどの事実を突きつけられ、アカツキは不覚にも口をポカンと開け放ったまま固まってしまった。 アカツキもカイトも、先ほどの激戦で手持ちのポケモンは一体も戦える状態ではない。 それに、ミライのパチリスはバトルできるようには育てられていないし、ポケモンレンジャーという職業ゆえ、カヅキに手持ちのポケモンはいない。 しかし、相手も一体しかポケモンを持っていない。 他の三体でアラタたちの相手をしているのだから当然だが、わざわざ手持ち一体の状態で追いかけてきたということは、 当然本人がその状況を誰よりも把握しているということだ。 一体でもどうにかなるという算段を立てなければ、追いかけてなどこないだろう。 それはアカツキにだって分かった。 「まあ、すぐに終わらせてあげるけどさ。キリンリキ、サイコキネシス」 「……っ!!」 ヨウヤの言葉に、キリンリキの双眸が淡く光り―― ぎっ!! 見えない鎖で縛り付けられたように、アカツキたちはその場で身動き一つ取れなくなってしまった。 「…………っ!! しまった……!!」 キリンリキはエスパータイプのポケモン。 相手の動きを封じるサイコキネシスの使い手だ。今さらのように思い出したが、遅かった。 指一本動かすこともできず、アカツキは立ち尽くしたままの体勢で固まっていた。 キリンリキ一体で追いかけてきたのは、サイコキネシスでアカツキたちの動きを封じてからじっくりとドラップを奪うことができるからだ。 一体しかいないと思った時点で、こうなることは確定的だった。 「ちっくしょー……動けねえ……」 「…………」 アカツキとカイトは必死に身体を動かそうとするが、口以外はまったく動けなかった。 捨て台詞か負け惜しみを言わせるために、わざと口だけ動かせるようにしていたとしか思えなかったが、 ヨウヤは口の端の笑みを深めながらゆっくりと歩いてきた。 「初めからこうすれば良かったんだ。 ソウタのヤツも、つまらないことにこだわって戦うから失敗するんだ。 まあ、僕はあんなヤツとは違う。この手にかかれば、こんなものだ」 「……ど、ドラップ……!!」 言葉が終わると同時に、ヨウヤはアカツキの腰からモンスターボールを三つ全部ひったくった。 アカツキは手を伸ばしたつもりでいたが、硬直したまま一ミリとて動けなかった。 この身体よ、動けっ……!! 何度命じても、サイコキネシスの戒めは人間ごときの力で破れるほど温いものではない。 歯噛みしながらアカツキが睨みつけてくるのを余所に、ヨウヤは奪い取った三つのボールをしげしげと眺めた。 「どれがドラピオンのボールかは知らないが……まあ、全部いただいていけばいいだろう。 ついでだし、いい『素材』になりそうだ」 『なっ……!!』 「これでおまえたちと会うこともないだろうから、教えておいてあげようか」 キリンリキのサイコキネシスは完全に決まっている。 反撃を食らう恐れのない状態だからこそ、ヨウヤは余裕綽々とした態度を見せつけることができる。 器用に、三つのボールでジャグリングなどしながら言う。 「おまえがドラップと言ったドラピオンはね、僕たちがやってる実験の素材だったんだよ。 それがどういうわけか勝手に外に出て、フォレスの森にまで逃げ込んでしまった。 まあ、結局はこうやって戻ってきたわけだから、その間に何があったのかなんて、正直どうでもいいんだけどね」 「素材……」 「ひどい……」 実験の素材という言い方に、カイトとカヅキは怒りに表情を染め、ミライは今にも泣き出しそうなほど沈痛な面持ちになった。 だが、カイトとカヅキよりも怒り心頭なのはアカツキである。 「ふざけんなよ……何が素材だ……オレの仲間をそんな風に言うなっ!!」 ありったけの声を振り絞って叫ぶ。 そのついでに全身に力を込めるが、やはり指一本動かせない。 アカツキが怒っているのを見て、それが負け犬の遠吠えだと思っているのだろう……ヨウヤは酷薄な笑みを浮かべて、顔を近づけた。 鼻先が触れ合うかといったところまで近づくと、 「いいじゃないか。 ポケモンなんて所詮武器に過ぎないんだから。武器がなくなったって、また補充すればいい。簡単なことだろ?」 「なっ……」 ぬけぬけとそんなことを言うものだから、アカツキは鼻白んだ。 怒りがあっさりと弾け飛び、代わりに空白が心に広がっていく。 「僕たちのために戦う武器さ。実験だって、性能を高めるための投資みたいなモノだし。 どうせ、武器は相手を叩き潰すためにあるんだ。 ポケモンバトルだって、そうだろ? 相手を叩き潰して、勝ったんだってチープな優越感に浸って頑張っていくだけじゃないか。 そんなつまらないことするより、武器の性能高めて、もっともっと強いヤツにした方がおもしろいに決まってるよ。 まあ、おまえたち凡人に僕たちのやろうとしてることは理解できないだろうけど。 ……あっはははは!!」 ヨウヤは言った。 ポケモンは『仲間』でも『家族』でも『相棒』でも『友達』でもない。 単なる『武器』だ、と。 敵を狩るための牙……そのための実験……素材。 「…………」 アカツキはヨウヤの言葉の一節たりとも理解できなかった。 当然だ。考え方がまるで違うからだ。 アカツキにとってのポケモンは『仲間』だ。大事な『家族』だ。『武器』などと形容するヤツと意見が合うはずがない。 「オレは……オレは……っ!!」 アカツキは胸の底から溶岩のように熱くドロドロした気持ちが突き上げていくのを感じずにはいられなかった。 それは相手への怒りだろうか? それとも、何もできない自分自身に対する憤りか? 分からないまま、時間だけが過ぎていく。 ヨウヤはアカツキから顔を遠ざけた。 「なんでポケモンのことを『武器』なんて言えんだよ!! 一緒に旅して、一生懸命バトルして……一緒に頑張っていくんだ!! 『武器』なんかじゃない!! 大事な大事な『仲間』だ!!」 「……?」 途端に、アカツキははちきれんばかりに声を上げた。 不意を突かれ、ヨウヤは一瞬表情を引きつらせたが、 「そうだ!! ポケモンはオレたちの大事な『仲間』とか『友達』なんだっ!! おまえみたいな根性ヒネくれたヤツにゃ分かんねえかもしれねえけどな!!」 「そうよそうよ!! あなたみたいな単純な考え方しかできないようなバカにはポケモンの大切さなんて分かんないのよ!!」 ここぞとばかりにカイトとミライが言葉で噛みついた。 根性ヒネくれたヤツ。 単純な考え方しかできないようなバカ。 プライドの高いヨウヤにとっては無視できないような言葉が並んだ。 子供ゆえのキツイ言葉だったが、それはヨウヤにとって効果覿面だった。 言われっぱなしでは沽券に関わるとでも思っているのかもしれない。 「ふん……ガキには分かるはずもないな。 分からないんだったら少し教えてやるよ。 あそこに残してきたヤツらの相手をしてるポケモンのことさ」 「…………」 何を言い出すのかと思えば、アラタとキョウコの相手をしているポケモンのことだと言う。 募る怒りはあっという間に鎮まっていった。 「あのポケモンたち……」 アカツキの脳裏を過ぎったのは、黒い靄だった。 「黒い靄みたいなので包まれてたけど……」 「ほう? 見えるのか、あれが……これは意外だ」 アカツキが思わず漏らした一言に、ヨウヤの眉が動く。 「ダークオーラが見えるという驚きに免じて、教えてやろう。こいつらがどうなるのかを……な」 「ネイトたちに何するんだ!!」 こいつらというのが、ヨウヤの手に握られたモンスターボールに入ったポケモンだと察して、アカツキは食ってかかったが、それは言葉だけだった。 「まあ、そう慌てるなよ。 おまえが見た黒い靄ってのは、心を閉ざす力なのさ。 あいつらには心ってモンがない。驚いたり慌てたり、喜んだり悲しんだりすることもない。 だから、バトルで怯んだり怯えたりすることだってない。 どうだ? 『武器』に相応しいだろう? 余計な感情を持たず、トレーナーの命令でただ戦うだけの『武器』だ。 『武器』に感情なんて要らない。 増してや、弱さにもなりうる心なんてものは不必要なんだよ」 「な……なんだよ、それ……」 「こいつらも、同じようにしてやるよ。 自分のポケモンに叩きのめされるってのも、悪くないだろ? 『仲間』の手で倒されて、惨めな想いするってのもな……」 「…………っ!!」 「そんなの、ただの機械じゃないか!!」 「そうだよ。『武器』なんだから。命令に忠実に、相手をぶっ壊す。それが『武器』だろ? そのほかに何があるって言うんだ?」 「冗談じゃねえ……!!」 アカツキは拳をわなわなと震わせた。 ――心を閉ざす? ――喜んだり悲しんだりしない? ――心なんて不必要? ふざけるなとしか言いようがなかった。 カイトもミライもカヅキも、怒りで我を見失いそうになっていたが、 サイコキネシスの戒めで何もできないと理解しているせいか、アカツキほど猛ってはいなかった。 良くも悪くも素直な性格をだからこそ、こうやって怒りを露わにするのだ。 「ドラップは、そんなことされそうになったのか!! なんでだよ!! なんで、ポケモンをそんな風に扱えるんだよ!! 冗談じゃないっ!! おまえにとってそのキリンリキは何なんだ!? そいつだけ、黒い靄かかってないけど、それでも『武器』だって言うのか!?」 「ああ、そうだよ。ほかのポケモンよりも使えるからね。 ダークオーラで包んだところで戦力アップなんて期待できないから、このままにしてあるだけさ」 「て、てめえ……!!」 『仲間』として思っているわけではない。 『武器』として使えるから、使ってやっているんだ。 自分勝手で短絡的な言い分に、アカツキは腸が煮えくり返りそうだった。 こんなに怒って、相手を心の底から叩き潰したいと思ったのは初めてだった。 ポケモンは『仲間』だ。愛すべき存在だ。だから、『武器』などという表現をするヤツのことなんて理解できないし、理解したくもない。 アカツキの言葉に、ヨウヤは淡々とした表情を浮かべていた。 どれほどの怒りをぶつけられようと、サイコキネシスで戒めている限り、何もできはしない。 「ちくしょう……」 ドラップがソウタに敵意を露わにしていたのは、心を閉ざされ、戦闘マシンにされようとしていたからだ。 ポケモンにだって心がある。 うれしいことをうれしいと。悲しいことを悲しいと思う心がある。 それを奪われそうになったのだから、敵意や憎悪を抱くのは当然だ。 どうにかして、ヨウヤに連れ去られようとしているドラップを……自分の大事な仲間たちを助け出したい。 そう思っていても、この身体は石像になったようにまるで動かない。 この手が動くなら、握りしめた拳で一発ぶん殴ってやりたいところだが…… 「トウヤ……!!」 自分たちではどうしようもない。 ヨウヤのポケモンと戦っているアラタとキョウコが助けに来てくれるのを期待したが、アカツキの脳裏を過ぎったのは、 ポケモンセンターでのんびり過ごすことを選んだトウヤだった。 いつも笑って、何事もないような顔を見せていても、本当はいろんなことを考えている。 とても頼りになる年上の少年に助けを求めたくなったが――アカツキはそこではたと気づいて、考えを打ち切った。 「ダメだ……トウヤにばっかり頼ってちゃ……!!」 一緒に旅をすることになったと言っても、だからといってトウヤにばかり頼っていては、自分の力で何もできなくなってしまう。 自分の力ではどうにもならない。誰かの助けが必要だ。それは分かっている。 だが、助けを求めてばかりいるだけではいけない。 どうしようもない矛盾に、アカツキは雁字搦めになっていた。 「でも、どうしたら……」 サイコキネシスを使うキリンリキさえどうにかできれば、このピンチを脱して、ネイトたちをヨウヤの手から奪い返すことができる。 ただそれだけのことなのに、とてつもなく遠く、難しいことのように思えてならなかった。 第6章へと続く……