シャイニング・ブレイブ 第6章 一筋の光 -The light of the heart-(前編) Side 1 アカツキが絶体絶命のピンチに陥っているなどと知る由もないトウヤは、ポケモンセンターの一室でのんびりとくつろいでいた。 持参したハーブで紅茶を作り、行儀がいいとは言えないが、テーブルの上に足をだらりと投げ出している。 もっとも、誰も見ていないと分かっているからこそできることだったが。 「……サラのヤツ、オレのことからかって、そんな楽しいんか……」 ポツリ口を突いて飛び出してきたのは、つい先ほどまで携帯電話で話していた相手のことだった。 サラ……トウヤ曰く、彼女とは親密と言えるほど良質な間柄ではないそうだが、 それでも何ヶ月か一緒にいたことがあって、少しは彼女のことを知っているつもりだ。 からかい甲斐のある相手だと見て、すぐに言葉でからかってくる。 性格的には決して悪い人ではないが、どうにもいけ好かないところは否めない。 それでも、ポケモントレーナーとしての実力は、自分などではとても敵わない。 ルナ、ニルド、ガストの三体を駆使しても、彼女のポケモンを一体倒せるかどうか……そんなところだろう。 彼女の顔や、彼女に言われた言葉を脳裏に思い返しながら、紅茶を一口含む。 苦い風味が前面に押し出されているが、口の中でふわりと甘い味が広がっていく。 最終的には甘味が苦味を制圧して、ミントのようなスッキリした後味を残す。 柔らかな口調の割に、ずいぶんと辛辣なことを言われたりしたが、 ハーブティーの後味が、そんなことまで綺麗さっぱり押し流してくれたように、気分はスッキリしていた。 「でも、ええんや。 オレはただ一緒におるだけ……最後には、あいつ自身の力で解決せなあかん……」 空になったカップをテーブルに置き、つぶやく。 話の流れに乗っかる形で、アカツキと共に旅をすることになったが、それは決して彼の用心棒になるためではない。 陽気な少年が今よりも強くなれるように手助けをするためであり、最後の最後には離れるつもりでいる。 自分の力で解決できるようになったと判断した時点で、年長者は不要なのだ。 いつまでも自分が傍にいたら、頼ってしまうだろう。 仮に頼らなかったとしても、居づらくなるだけだ。 それなら、時期を決めてスッパリと離れた方がいい。 言葉にならないモヤモヤ感を舌の上で転がしながら、ハーブティーのお代わりをカップに注ぐ。 褐色の液体が漂わせるのは、蜂蜜のような甘い香り。 「うーん……」 湯気に含まれた香りを満喫して、少々熱めのハーブティーを口に含んだ。 「……あいつ、気になること言っとったなあ……ポケモンリーグも一枚岩やあらへんとかなんとか……」 サラが最後に言っていた言葉が引っかかる。 ――ポケモンリーグとは言われていてもね、決して一枚岩の組織ではないんだよ。   ぼくに近い誰かが、フォースかソフィアか、どちらかの組織に情報を漏らしてる―― 「四天王動かせへんのは、そういうことやろか?」 トウヤは、本気でやるつもりがあるなら四天王を動かせと言った。 対するサラは難色を示し、あれこれと理由をつけて無理だと主張していた。 つまり、ネイゼル支部の頂点に立つ彼女でさえ、この状況をコントロールできないところまで行っているということだ。 厄介なことだが、仕方ない。 ポケモンリーグに首を突っ込むのは、サラだけで懲り懲りだった。 内部紛争など好きにやってもらえればいい。 どうせ、サラなら最終的にはちゃんとした形で収めるだろう。 「…………」 どうにもキナ臭い。 アカツキのドラップを狙って、ソフィア団が大々的に動いている。 それを邪魔するためにフォース団が動き、ポケモンリーグは中立という立場を取りながらも、アカツキをバックアップしようとしている。 事態は思ったほど複雑ではないと思っていたが、そういうわけでもないらしい。 サラとの会話の感触からしても、もうひとつ……あるいはふたつ、厄介なことになりそうな気がする。 明確な根拠のない推測でしかないが、胸に芽生えた不安を助長するには十分すぎる栄養があった。 「…………どうなるんやろうな……まったく……」 これからどんな風に事態が動いていくのか、まるで見当もつかない。 結局、流れ着く場所には流れ着く。それまでの道筋は誰が決めるものでもなく、 流れに身を任せながら、それでも自分にできることを一つ一つ見つけて、やっていくしかない。 当たり前なことだが、それを深く考えずにはいられないほど、トウヤはせっかくスッキリしていた気分を曇らせていた。 一方、ヨウヤが残していった三体のポケモンを相手に戦っているアラタとキョウコは、予想以上の苦戦を強いられていた。 「こいつら……普通のポケモンじゃねえな……」 アラタが相手にしているのはラフレシア。 ただ一体ではあるが、強烈な攻撃でアッシュとジオライトの二体がかりでもなかなか押さえられない。 攻撃の合間にキョウコの方を見てみるが、彼女も同じように二体のポケモンを使いながらも、パルシェン一体に苦戦を強いられている。 単純に二対一という構図なら、もっと簡単に決着(ケリ)をつけられただろう。 苦戦を強いられているのは、空を飛びまわりながらランダムに攻撃を仕掛けてくるクロバットだった。 どちらに攻撃してくるか予想がつかず、かといってラフレシアの動向からは目が離せない。 「…………」 ラフレシアが声にならない声を上げ、攻撃を仕掛けてきた。 その足元から黒い影のようなものが広がり、アッシュとジオライトの足元まで達した時、地面から黒い霧がすさまじい勢いで吹き上がる!! どんな攻撃かは知らないが、威力はかなり高く、アッシュとジオライトはかなりのダメージを受けていた。 戦闘不能寸前とまでは言わないが、満身創痍には近いかもしれない。 何度も相殺してきたが、それは二体の力が合わさってやっと力の均衡が取れるといったことでしかない。 少しでも勢いが衰えれば、押し切られてしまう。 こんな強いラフレシアなど、聞いたこともない。 普通のラフレシアなら、アッシュだけで十分倒せるのだ。 それに…… 「なんて技なんだ……? アッシュとジオライトの二体にここまでのダメージを一度に与えるなんて……」 アラタは奥歯をグッと噛みしめながら、アッシュとジオライトに指示を出した。 一箇所に固まらず、波状攻撃を仕掛ける。 彼が不気味に思っているのは、アッシュとジオライトの攻撃を何度も食らいながら倒れないというラフレシアの驚異的な体力。 そして、今まで受けたことのない強烈な技。 不気味な黒い力を放って相手にダメージを与える技なのだろうが、スクールでは習った覚えがない。 習っていれば、勉強が苦手だったアラタにだって分かるはずなのだ。 「アニー、ソーラービーム!! ミントは神秘の守り!!」 キョウコの指示が響く。 日本晴れの効果で炎タイプの技が上がっているが、使わせたのは草タイプのソーラービーム。 彼女が相手にしているパルシェンは水と氷タイプを持ち、 炎タイプの技よりも、弱点となる草タイプの技で攻撃した方がダメージが大きくなるという公算だった。 攻撃面だけでなく、ミントの神秘の守りによって、さらなる状態異常から身を守る。 だが…… 「やべえ……アカツキにはメチャ強気なこと言っちまったけど、さっさと決めねえと……!!」 真っ先に毒々を食らい、アラタとキョウコのポケモンはいずれも毒状態に冒されている。長々と時間をかければ、必ず負ける。 相手の底知れぬ体力と、強烈な技。すり減り続けるポケモンたちの体力……天秤にかけるまでもない。 ラフレシアが放つ強烈な技を、アッシュとジオライトが必死に相殺しているが、長くは保つまい。 どうにかしなければ……焦りが募る中、アニーが放ったソーラービームが、パルシェンを盛大に吹っ飛ばす!! 相手に確かなダメージを与えたと分かって、キョウコの口元にかすかな笑みが浮かぶ。 少しでも隙ができれば…… 「アニー、バトンタッチ!! ケレスと代わって!!」 キョウコの続けての指示はバトンタッチ。 このまま延々と戦っていては勝ち目などない。 ならば、短期決戦で一気に決める。幸い、いくつか策も思いついた。 あとは、アラタが乗ってくればいいのだが…… 「それどころじゃなさそうね……無理もないわ」 ラフレシアの技を抑えるのに精一杯だ。 強さで言えば、パルシェンよりもラフレシアの方が上。 それだけならともかく、上空から散発的に攻撃を仕掛けてくるクロバットがクセモノだ。 たくさんのポケモンで相手ができればいいが、それではかえって効率が悪くなるし、混乱しやすくなる。 一体でも倒せば、後はどうにでもなる。 そのためにも、まずはアニーのバトンタッチによって、他の手持ちと交代しなければならない。 しかし、上空のクロバットは戦況の全体を見渡し、キョウコが何かやろうとしているのを察知すると、すかさず攻撃を仕掛けてきた!! ひゅおっ!! 大きな四枚の翼で羽ばたくと、空気がかき乱され、軋むような音を立てる。 「エアカッター……!?」 クロバットがエアカッターを放とうとしているのを理解し、キョウコはミントに指示を出した。 バトンタッチを行う時は無防備になる。 アニーに少しでもダメージを受けさせるわけにはいかない。 「ミント、アニーの前に出てカウンター!!」 幸い、ミントの体力は並外れている。エアカッター一発食らったところで戦闘不能にはならないだろう。 パルシェンはゆっくり起き上がり、攻撃を仕掛けてくるようには見えない。 ミントがクロバットのエアカッターをカウンターで迎撃する間に、アニーがバトンタッチしてくれれば…… 戦況が覆る。 それだけの自信があった。 一方、アラタはクロバットがミントの相手をしているのを認め、アッシュとジオライトに指示を飛ばした。 「アッシュ、前面に出てこらえる!! ジオライトは空に飛び上がって真上からラフレシアに冷凍ビーム!! ――急げっ!!」 ラフレシアが攻撃を放とうとしているタイミングを見計らい、アッシュが前面に出て、攻撃を一身に浴びる!! 『こらえる』によって、この一撃で戦闘不能になることはない。 攻撃がジオライトに及ばなくなったことで、ジオライトは勢いよく身体を回転させると螺旋を描きながら舞い上がり、 真上からラフレシアに冷凍ビームを発射した!! 今までは決める機会がなかったが、クロバットがミントにエアカッターを放ったおかげで、やりやすくなった。 「トレーナーの指示もなしにここまでやるとは……あいつ、強いトレーナーだな……」 ポケモンが自分で考えて戦っているのだ。 トレーナーの指示があれば、多少は相手の意図も汲み取れるが、ポケモン自身が考えて戦っているとなると、その考えを読むことができない。 増してや、ヨウヤのポケモンはいずれも感情らしい感情を漂わせていない。ポーカーフェイスもここまで来ると恐ろしいものだ。 ……なんてことを思っている間に、ジオライトの冷凍ビームがラフレシアを氷漬けにし、その動きの一切を封じ込める!! いかに屈強なポケモンでも、その身を分厚い氷に閉ざされてしまえば、身動きは取れない。 これでラフレシアは当分戦えない。パルシェンとクロバットを相手に考えればいい。 そのタイミングと合わせるように、アニーがバトンタッチを発動させ、 キョウコが手にしたモンスターボールに入っているポケモンと入れ替わった。 飛び出してきたのは、ミルタンクのケレス。 「ケレス、癒しの鈴!! 高らかに鳴り響けっ!!」 自分だけでなく、味方と認知したポケモンすべての状態異常を回復する技……癒しの鈴。 序盤に食らった毒々によって、徐々に体力を削られていく状態をなんとかできれば、勝つのは難しくない。 ケレスが天を仰ぎ、鈴の音を思わせる声で嘶くと、 アッシュ、ジオライト、ミントの身体に不思議な力が降り注ぎ、身体を蝕んでいた毒がすべて消え去る!! 「キョウコのヤツ、やってくれるじゃねえか……オレも負けてられねえな……」 毒状態を解消することに成功した以上、やることはひとつだけだ。 全力で相手を叩き潰す。 その頃、ミントがクロバットのエアカッターを食らっていたが、 受けたダメージを倍にして返すカウンターによって、クロバットにもかなりのダメージが及ぶ。 一瞬体勢を崩しかけたクロバットだが、すぐに何事もなかったようにバランスを取り戻し、 今度は広範囲にエアカッターの絨毯爆撃を仕掛けてきた!! 「させないわよっ!! ケレス、ミントの身体を発射台にして転がる攻撃!!」 広範囲による攻撃は防ぎようがない。 だが、それでも何もしないわけにはいかない。 キョウコの意図を汲み取ったアラタは、戦う相手をパルシェンに定めた。 「ジオライト、急降下から高速スピン!! アッシュは剣の舞で攻撃力を高めてから必殺のメガホーンだ!!」 ラフレシアは無視できる。 いつ氷を破るか知らないが、少なくともそれまではパルシェンに的を絞って戦えばいい。 互いに多くを口にしなくとも、アラタとキョウコは抜群のコンビネーションで戦っていた。 アラタの指示に、ジオライトはパルシェン目がけて急降下しながら高速スピンで渾身の体当たり!! 身体を覆う硬い殻によって抜群の防御力を持つパルシェンだったが、 ダメージこそ受けなくとも、高速スピンによる体当たりでバランスを崩し、再びすっ転ぶ。 その隙に、アッシュが剣の舞で元から高い攻撃力をさらに高める。 クロバットのエアカッターが広範囲に降り注いで、すべてのポケモンに等しくダメージを与えていくが、それは無視するしかない。 アッシュではクロバットに攻撃する手段がないし、キョウコに任せておくべきだ。 アラタの胸中を察したアッシュは、苦手とする飛行タイプの技のダメージを受けながらも、攻撃力を高めるべく、黙々と剣の舞に集中していた。 ケレスは身体を丸めると転がり始め、ミントが斜めに傾かせた身体を発射台にして、空中に跳び上がる!! 斜め下から伸び上がるような転がる攻撃が、クロバットを打ち据える!! 「続いて圧し掛かりっ!!」 上を取ったケレスが身体を伸ばし、バランスを崩したクロバットに真上から圧し掛かり、そのまま地面に叩きつける!! すさまじい衝撃が地面を這い、アラタとキョウコにまで伝わってくるが、それは裏を返せばケレスの勢いの強さを表していた。 「よし……」 ジオライトがブーメランの要領で戻ってきたのを確認してから、アラタはアッシュに指示を出す。 「今だ、行けぇっ!!」 存分に攻撃力を高めたアッシュが、パルシェン目がけて突進する。 普段は使わない羽を羽ばたかせ、一直線に起き上がろうとしているパルシェンへと向かう。 硬い角を突き出し、そのままパルシェンに渾身のメガホーンをお見舞いした!! ずごんっ!! 強烈な一撃を受けて、パルシェンは十メートル以上吹き飛ばされた上、運悪くその先にあった岩に激突した。 「これで終わり……ね」 「ああ、なんとかな……」 パルシェンはメガホーンを受けて、クロバットは圧し掛かりを受けて、それぞれ戦闘不能になった。 底知れない体力とは思っていたが、やはり無限というわけではなかった。 ラフレシアが氷漬けで残っているが、未だに何のアクションも見せていないところからすると、やはり戦闘不能と同じ扱いで問題ないのだろう。 アラタとキョウコは顔を見合わせ、小さく笑った。 一時はどうなることかと思ったが、キョウコがアニーをケレスと交代し、癒しの鈴を使ってくれたおかげで、体力の無駄な消耗を抑えることができた。 「でも、このポケモンたち、ずいぶん強かったわね……みんな、戻って」 倒れたクロバットとパルシェンを見やりながら、キョウコはため息混じりにケレスとミントをモンスターボールに戻した。 当面の危機は去ったが、普通のポケモンとは思えないほど強く育てられていたのが気になった。 それに…… 「いや、まだ終わっちゃいない。アカツキが危ないっ!!」 アラタが鋭い声で言い、南に向き直った。 キリンリキ一体だけとはいえ、アカツキとカイトは戦えるポケモンを持っていないのだ。 ブリーダーのミライのパチリスでは、キリンリキに太刀打ちできまい。 そして、キリンリキはエスパータイプ。 ヨウヤが何をやろうとしているのかなど、すぐに見当がついた。 「そうね……行くわよ!!」 伸びているポケモンたちには目もくれず、キョウコが駆け出そうとして―― 「いや、ここはオレに任せろ」 「?」 「アッシュ。行けるか?」 「ヘラクロっ!!」 アッシュはアラタの言葉に大きく頷いた。 ラフレシアたちとの戦いで消耗してはいるが、その身から漲る闘志や熱い気持ちは微塵の揺らぎもなかった。 キョウコは「参ったな……」と言いたげにアッシュを眺めていたが、やる気になっている以上、止めるのは無理だろう。 ここは任せてみるのがいいという結論に落ち着いた。 「よし、穴を掘ってキリンリキの足元から攻撃しろ。もちろんメガホーンで。 できるだけ急いでくれよ。オレたちも行くから」 「ヘラクロっ!!」 アッシュはアラタの早口の指示に再び頷くと、穴を掘って地中に潜っていった。 「なるほどね……そういうことか」 アラタがやろうとしていることを察して、キョウコは眉を上下させた。 ラフレシアたちが倒れた今、ヨウヤの手持ちはキリンリキ一体のみ。 しかし、相手が完全に無力化したわけではないのだ。 何が起こるか分からない以上、慎重に手を打ったというところだろう。 「キョウコ。行くぜ!!」 「オッケー!!」 アラタはジオライトをモンスターボールに戻すと、キョウコと共に南へ向かって駆け出した。 「アカツキ……!! 頼むから、ドラップを守りぬけよ……!!」 戦えるポケモンがいなくとも、トレーナーは自身の身体でポケモンを守ってやることができる。 格闘道場で鍛えた身体能力は伊達ではない。 無責任な期待だと知りつつも、アラタはそう思わずにいられなかった。 Side 2 「さて、遊びもここまでだ。こいつらはいただいていくよ。お土産代わりにね……」 「や、やめろっ!! ネイトたちを返せーっ!!」 ヨウヤは酷薄な笑みを浮かべると、手にした三つのモンスターボールをしげしげと眺めた。 ドラップだけを奪うつもりだったが、ついでだし、素材となるポケモンは多ければ多いほどいい。 手土産を持ち帰れば、上司も喜ぶだろうし、手柄にもなるのだから、それこそ一石二鳥というものだ。 アカツキは必死に声を上げるも、サイコキネシスの強靭な戒めは解けない。 ネイトたちを守りたいと願っても、自分自身ではどうにもならなかった。 もどかしく、悔しく、惨めでたまらない。 悔しさを表情に滲ませているアカツキを満足げに見つめ、ヨウヤはサイコキネシスによって動けない四人に背を向けた。 挑発するように、マントをはためかせる。 追いかけてこられるものなら追いかけてこいと言わんばかりだが、アカツキにはそれが挑発であることなど気づくだけの余裕がなかった。 「このままじゃ、ネイトたちが……!!」 ドラップだけではない。ネイトとリータまで連れて行かれる。 そして、ヨウヤが言っていた実験の『素材』にされてしまう。大事な仲間をそんな風に扱われてたまるか……取り返したい!! そんな気持ちはあっても、裏腹に身体は言うことを聞かない。 ヨウヤは三つのモンスターボールを手にしたまま、キリンリキの背にまたがった。 「さよならだ、アカツキ。 おまえに会うことはもうないと思うけど、僕のことは忘れてもらって構わないから。 それじゃ……」 「待てえええええええええええっ!!」 キリンリキにサイコキネシスを解除させ、逃走を図ろうとした時だった。 ずどぉぉぉぉんっ!! 天をも穿たんばかりの轟音が響き渡り、キリンリキは真下から加えられた攻撃によって宙に舞い上げられた!! 「なっ……!!」 突然の攻撃に対応しきれず、ヨウヤはキリンリキの背中から振り落とされ、地面に激しく叩きつけられてしまった。 その拍子に、手にしていた三つのモンスターボールを離してしまう。 離れた場所にコロコロと転がっていくボール目がけて手を伸ばしたが、すぐに手の届かない場所に転がってしまった。 「……!?」 一体何が起こったのか分からなかったが、今がチャンスだということはアカツキが一番よく分かっていた。 キリンリキが真下からの攻撃で盛大に吹っ飛んだことでサイコキネシスが解除されたからだ。 「今だ……!!」 絶体絶命のピンチから脱してからは早かった。 アカツキは持ち前の身体能力を駆使して、立ち上がったヨウヤよりも早く、三つのモンスターボールを手早く回収することに成功した。 「くっ……!!」 「もう終わりだ!! あきらめろっ!!」 同じように自由を取り戻したカイト、ミライ、カヅキに三方を囲まれ、ヨウヤは焦りを滲ませた表情で小さく呻いた。 「なぜだ……なぜ、いきなりこんなことに……!!」 胸中で喚く。 プライドが高いとは思えないほど、彼は胸中で醜態をさらしていた。 勝利を確信していたのに、いきなりピンチに叩き落されてしまったのだから、それは当然だった。 「……っ!!」 すぐ傍にキリンリキが叩きつけられる。 真下から加えられた何者かの攻撃によって、一撃で戦闘不能にされてしまった。 ヨウヤはキリンリキが戦えない状態だと知って、すぐにモンスターボールに戻した。 「一体誰が……」 アラタとキョウコは、残してきた三体のポケモンの相手をしているはずだし、他に乱入者などいないはずだ。 敵対しているフォース団は、今ソフィア団の総帥自らが打って出て相手をしている。 自分の邪魔をできる者など…… と、キリンリキが先ほどまで立っていた場所に、ヘラクロスが現れる。穴を掘って、地中から姿を現したのだ。 「アッシュ……!!」 それは見紛うことなく、アッシュだった。 ずいぶんと疲れているようだが、キリンリキを一撃で倒したのはアッシュのメガホーンだった。 アカツキの期待に弾んだ声を耳にして、ヨウヤの表情がさらに引きつる。 「バカな……あいつらのポケモンがいるだと……? ラフレシアたちめ、何をしていたっ……!!」 相手を逃がさない細工はしていた。 それでもアラタのアッシュが姿を現したということは、相手をしていた三体のポケモンが倒されたことに他ならない。 アッシュの一撃によって、形勢は逆転した。 今度はヨウヤが窮地に立たされる番だった。戦えるポケモンはいない。 その上、相手は子供とはいえ数で大幅に上回っている。 「みんなは返してもらう……」 「……!!」 アカツキが鋭い眼差しで睨みつけながら歩いてくる。 起死回生の一手は……ないわけではなかったが、リスクも高い。 だが、やるしかない。 それをしなければ、逃げおおせることはできない。 このままタコ殴りにされるのは嫌だし、警察に突き出されるのも嫌だ。 「もうドラップに付きまとうな!! どうしてもやるってんだったら、今度はオレが相手になってやるっ!!」 アカツキはヨウヤに言葉を叩きつけると、格闘道場で習った構えを取った。 いつでも相手を取り押さえられるよう、腰を低く構え、握り拳を半分ほど突き出す。 「こ、子供のクセに……!!」 まさか、ソウタと同じように、自分も失敗者になるとは思わなかった。 たかが子供と思って侮っていたが、数の差で押し切られた形となった。 それも計算した上で作戦を練ったのだが、それでも勝てなかった。 癪だが、この現実は認めなければならない。 「だが……」 ソウタからの報告で、アカツキが子供のクセに侮れない身体能力の持ち主であることを伝え聞いている。 まともに打ち合ったところで勝ち目などないだろう。 シッポを巻いて逃げなければならないのは癪だが、 「いや、あの手があったか……」 策を思いつき、ヨウヤの口元にかすかに笑みが浮かぶ。 ポケモンのことを『仲間』だとか『友達』だとか思っているヤツらにはもってこいの一手だ。 ドラップを奪うことは叶わなかったが、それでも最後に一花くらい咲かせてみせよう。 「あきらめて投降するんだ。悪いようにはしない」 「そうだな。ナンダカンダ言っても、おまえにゃ戦えるポケモンがいないわけだし」 「…………」 ヨウヤが何を考えているのか知る由もないカヅキとカイトが投降を薦めてくる。 いくら身体能力が高くとも、相手が子供といえど、四人から逃げることはできない。 増してや、アカツキの身体能力は大人に匹敵するのだ。よほど鍛えていなければ逃げおおせることもできないだろう。 じりじりと包囲の輪を縮めてくるアカツキたち。 と、ヨウヤのポケモンたちを倒したアラタとキョウコが駆けてきた。 「良かった、無事だったな……アッシュ、よくやったぞ」 アカツキの傍にやってくると、アラタはアッシュに労いの言葉をかけた。 アラタとキョウコの得意気な表情を見て、ヨウヤは「ちっ」と小さく舌打ちした。 やはり、あの三体のポケモンは倒されたのだろう。 ポケモンのことを『武器』と思っている少年である。 『よくも僕のポケモンを倒したな』というよりも、むしろ『使えないヤツらだ』と吐き捨てたい気分だった。 とはいえ、それを口にすればアカツキたちが逆上するだろう。 ただでさえ窮地だというのに、火に油を注ぐようなことをしたところで何の得にもならない。 「さて、あんだけ粋がってても、これまでだな。おとなしくお縄につけ!! 人様のポケモンを付け狙うなんて、トレーナーの風上にも置けやしない!!」 「まったくだわ!! さっさと警察署に連行されて、ブタ箱にでもぶち込まれればいいのよ!!」 ヨウヤに戦えるだけのポケモンが残っていないと誰よりも分かっているからだろう。 アラタとキョウコの声には自信がみなぎっていた。 ……その割には、キョウコの言葉がやたら過激だと、一同は共通してそう思っていたが。 アラタとキョウコを加え、アカツキたち六人がヨウヤを睨みつける。 少しでもおかしなマネをすれば、次の瞬間には取り押さえられるような体勢だ。 ポケモンのことを『武器』などと言うようなヤツに情けは要らないということだろうか。 サイコキネシスで相手の動きを封じた上でポケモンを奪おうとするのだから、こちらは正々堂々と……などと言ってはいられない。 沈黙が張り詰める。 緊張に凍りついた空気を唯一かき回しているのは、風になびく草が生み出す草擦れの音。 どれくらい経ったのか…… 実際にはほんの十数秒だったが、一同にはもっともっと長く感じられた。 「ふ、ふふふ……」 不意に、ヨウヤが声を立てて笑った。 「……何がおかしい?」 突然笑ったものだから、一体何事かと思ったが、いち早くアラタが鋭い声音で誰何を投げかける。 この状況でも、ヨウヤがあきらめていないと分かっていたからだ。 いくら警戒しても、しすぎることはないだろう。 「おまえたちは勝ち誇ったつもりでいるんだね。 確かに、僕には戦えるポケモンはいない。だけど、手が尽きたなんて誰も言ってはいないよ。 アカツキ、ドラピオンはしばらく預けよう」 負けを眼前に突きつけられているとは思えないような傲慢さに、アカツキは眉を十字十分の形に吊り上げた。 「逃げられるとでも思ってんのか。オレと兄ちゃんがいれば、おまえなんて……」 逃げられるはずがない。 戦えるポケモンがいないのだから。 しかし、ヨウヤには秘策があった。 「まあ、いきり立つなよ」 いきり立つアカツキを言葉で諌めると、 「僕はおまえたちにタコ殴りにされるつもりはないし、増してやブタ箱なんてゴメンだ。 だから、こうする」 右手をズボンのポケットにすべり込ませる。 「動くなっ!!」 何をするつもりか知らないが、行動に移す前に取り押さえられるだけの自信はあった。 皆に先駆けて動いたアラタだが、ヨウヤの方が早かった。 彼がポケットから取り出したのは、細長い銀色の筒。 それをおもむろに地面に叩きつけると、夜を昼に変えんばかりの光が発せられ、全員の視界を埋め尽くした!! 「うわっ!!」 「なんだこりゃ!!」 「ちっ……」 「きゃーっ!!」 一同が口々に悲鳴を上げる。 目に強烈な光が飛び込んできて、ヨウヤを取り押さえるどころの話ではない。 素早く腕で視界をカバーして、光の浸食を防ごうと必死だった。 「よし……」 予想通りの展開に、ヨウヤは口の端を吊り上げると、走り出した。 こんなこともあろうかと、閃光筒を用意していたのだ。 銀色の細長い筒には化学薬品が詰められており、強い衝撃を与えると薬品が混ざって化学反応を起こし、強烈な光を生み出す。 詰められる薬品の量が多くないのと、化学反応が急激なことから、 ほんの十数秒しか持続しないが、相手の目をしばらく潰しておくには役に立つ。 それだけの光を視界に収めながらも、ヨウヤは何事もなかったように目を開いたまま、残してきたラフレシアたちの方へと向かう。 「ちくしょー、待てえっ!!」 アカツキの怒声を背後に聞きながら、それでも足を止めることはない。 待てと言われて足を止めるバカなどどこにいる? ……と、皮肉という名のスパイスを存分に塗した言葉を胸中でこぼす。 アカツキたちが光に眩惑されている間に、ヨウヤは全力で走り、アラタとキョウコがラフレシアたちの相手をしていた場所にたどり着いた。 「ちっ、役立たずめ……」 地面でぐったり倒れているパルシェンとクロバット。氷漬けで動けないラフレシア。 とてもではないが戦う力を残しているとは思えないポケモンたちを一瞥すると、労わりも何もないような言葉をぶつけた。 「だが、クロバット。おまえには役に立ってもらうよ。光栄に思うんだね……」 ラフレシアとパルシェンを手早くモンスターボールに戻すと、残ったモンスターボール――クロバットが入るべきボールを足元に転がした。 赤くペインティングされているところに、黒い不気味な模様が描かれている。 ヨウヤは酷薄な笑みを浮かべると、そのボールを無造作に踏み潰した。 ばりっ……という耳ざわりな音を立てて、粉々に砕ける。 「ふ、これでいい……」 クロバットが戻るべきモンスターボールがなくなっても、気にするでもなく、むしろ満足げな笑みを浮かべた。 どうせ使えない『武器』だ。一つくらい失ったところで痛くはない。 とはいえ、上司の叱責はあるだろうし、今まで散々バカにしてきたヤツと同じように失敗してしまったのだから、嘲笑われてしまうだろう。 だが、それでもすべてを失うよりはいい。 キョウコがブタ箱などという表現を用いていたが、そんなものだろう。 刑務所や留置所で過ごすよりはマシだ。 「じゃあな、役立たず」 ヨウヤは踵を返して、敷地の東へと向かって駆け出した。 モンスターボールを砕いた以上、長居は無用だった。 数十秒後、強烈な光の影響から立ち直ったアカツキたちがやってきたが、ヨウヤはすでに敷地の向こう側へと逃げ去っていた。 その背中が小さく見えるが、今から追いかけても無理だろう。 「ちくしょう……」 この手でとっ捕まえてやりたかっただけに、アカツキは憎々しげに言葉を漏らした。 クロバットが地面に落ちてぐったりしていたままだったが、戦うだけの力が残されていないと分かって、誰も特に気にかけなかった。 ……と、険しい表情の弟の肩にそっと手を置き、アラタは頭を振った。 「とりあえずドラップは守れたんだ。今はそれで良しとしよう」 「うん……」 ドラップを守ることができた。 とりあえずはそれでいいだろう。逃げた相手のことより、自分たちの手で守ったものを大事に思うべきだ。 「兄ちゃん……キョウコ姉ちゃん……ありがとう。 ドラップを守ってあげることができたよ」 それでも、自分の力ではドラップを守り抜くことはできなかった。 自分が守るんだと大きな口を叩いておきながら、実際はこのザマだ。 アラタとキョウコがいなければ、まんまと奪われていた。 自分自身の無力感を噛みしめながらも、アカツキは強がりとしか思えない笑みを浮かべて、アラタとキョウコに礼を言った。 彼らのポケモンがいなかったら……特に、アッシュがあのタイミングで駆けつけてくれなかったら、確実にドラップを奪われていた。 「…………」 アカツキが強がっているのを察してか、一同の表情は暗かった。 一体、アカツキとヨウヤの間に何があったのだろう。どうしてこんなことになったのだろう。 アカツキとミライ以外には、どうしてこんなことが起こったのか理解できなかった。 「なあ、アカツキ……」 「……?」 今まで見たことのない弟の張り詰めた表情。 陽気で明るく人懐っこく、それでいて優しい弟だと思って、 心の中で誇りに思っていたのに、いつの間にこんな表情をするようになったのだろう。 アラタは思い切ってアカツキに言葉をかけた。 今分かっているのは、ドラップがヨウヤに狙われているということ。 それ相応の理由がなければ、ポケモンを使ってまで奪おうとはしないだろう。 それを知らなければならないような気がしていた。 「何があったんだ? 正直に話してくれ」 「そうだよ。おまえ、なんか隠してるだろ」 「バレバレなのよ。あんた、あんな表情したことなかったでしょ。何があったの? あのヨウヤってヤツと……」 アラタの言葉に続き、カイトとキョウコが詰め寄ってきた。 三人とも、アカツキとヨウヤ――正確にはソフィア団との間で何があったのか、真剣に知ろうとしていた。 単なる好奇心などではなく、本当にアカツキのことを心配してくれていたのだ。 「それは……」 アカツキは目を伏せて、口ごもった。 素直に言ってしまっていいものか……分からなかったからだ。 三人が自分のことを心配してくれているからこそ、敢えて何があったのか訊ねてきている。 それは分かっているが、ドラップをめぐってソフィア団と争っているなどと話せば、確実に彼らを巻き込むことになる。 相手は強大だ。 一個人で相手ができるわけがない。 ポケモンリーグが手を貸してくれているが、今まで助けに来てもらったことはないし、誰かに助けてもらうことに期待していいとも思えない。 だから、言えない。 すべて話して楽になりたい。 だけど…… 「…………」 言えなかった。 「アカツキ……」 アカツキが何を考えて口ごもっているのか、ミライには分かった。 なまじ彼の気持ちを理解できるからこそ、胸が痛む。 本当は、アカツキに傷ついて欲しくないし、一人で背負い込んで欲しくもない。 生半可に理解できるがゆえ、逆に口を挟むことができなかったのだ。 アラタたちはアカツキが俯いたまま押し黙っているのをじっと見ていたが、 やがて業を煮やしたカイトがアカツキの襟首を引っつかみ、前後に揺さぶった。 「おい、なんとか言え!! 何があったんだよ!! なんで、ドラップがあんなのに狙われなきゃいけないんだよ!!」 「……!! ちょっと、止めなさいよ!!」 いくらなんでも、いきなり暴力行為に打って出るのは感心できない。 キョウコがすかさず止めに入ったが、 「邪魔すんな!!」 逆にカイトに怒鳴られてしまい、それ以上は何もできなかった。 辛そうな顔で押し黙るアカツキを見るのも、激情に駆られているカイトを見るのも初めてだった。 アラタもキョウコも、戸惑うしかなかった。 一体何がどうなって、こんなことになったのか……アカツキは言いたがらないが、知らなければならない。 どうすればいいのかと、気持ちを持て余していた。 「おまえ、ドラップのトレーナーだろ!? おまえが責任持たなくてど〜すんだ!! それに、なんで一人で抱え込もうとするんだよ!! オレたちのこと、そんなに信じられねえのか!?」 「違うけど……」 「違うんだったらなんで言わないんだ!!」 カイトの迫力に気圧され、アカツキの返事はとても弱々しかった。 こんな風に襟首をつかまれて、強い口調で言葉をぶつけられたのは初めてだった。戸惑いが先走る。 「信じられないワケじゃない……!! 信じたい、信じたい……けど……!!」 信じられないワケではない。逆に、信じられる。彼らなら大丈夫だと思える。 分かっていても、そう易々とは言えないのだ。 自分のことを心配してくれている大事な人たちを危険に巻き込むわけにはいかない。 「……分かってるよ。オレがちゃんと責任持たなきゃいけないってことくらい……」 アカツキにだって分かっている。 トレーナーは自分のポケモンに対してあらゆる責任を負わなければならない。 ポケモンが誰かにケガをさせたら、その相手に謝らなければならないように。 ポケモンを守るのもまた、トレーナーの責任だ。 それを放棄するつもりはない。 ただ…… 「オレは……」 思っていることを言葉にしようと、口を開いたその時だった。 「あのさ……盛り上がってるトコ悪いんだけど、今は言い争っている場合じゃなさそうだ。 クロバットが……」 「……!?」 カヅキが震えた声で言うと、全員の視線がクロバットに集まった。 地面に落ちて、ぐったりしているとばかり思っていたクロバットが、 四枚の翼で飛び上がりながら、すさまじい憎悪のこもった眼差しをこちらに向けているではないか。 どこからどう見ても正気とは思えなかった。 「げ……なんだこりゃ……?」 「ヤバイわよ、これ……」 アラタとキョウコでさえ、クロバットがまともな状態でないと見て取って、思わず後ずさりしてしまうほどだ。 なぜかは分からないが、とにかくヤバイ。 それが全員の共通した見解だった。 後に明らかとなるのだが、クロバットは戻るべきモンスターボールを失ったことでトレーナーとの繋がりを失い、暴走状態にあった。 特殊な力で心を閉ざされ、戦闘マシンと化したポケモン。 感情もなく、外部との繋がりを失ったポケモンが唯一従うものは何か……? 答えは一つ。本能だった。 ヨウヤによって植えつけられた破壊本能が、クロバットを突き動かしていた。 彼がモンスターボールを砕いたのは、クロバットを暴走させて、アカツキたちから逃れる時間を稼ぐためだったのだ。 心がなければ、歯止めもかけられない。 先ほどまで親友の襟首引っつかんで揺さぶっていたのが嘘のように、カイトは呆気に取られるしかなかった。 どうしたら、ポケモンがこんな表情を見せるのだろう。 狂気に満ちた瞳は淀み、すべてに対して憎しみを抱いているかのようで、恐ろしさよりもむしろ悲しみを漂わせている。 「ど、どうなってんだ……?」 アカツキは咳き込みながら、小さくつぶやいた。 Side 3 クロバットの状態が普通ではない。 倒れていた時は、黒い靄のようなものが見えなかったが、 起き上がり、飛び上がってからは先ほどにも増して色濃く、それでいて不気味な雰囲気を増しているようにすら思える。 心を閉ざされ、戦闘マシン状態になっているのだから、それは当然なのだが……それだけでは説明がつかないような状況だった。 「に、逃げた方が……」 ミライが震えた声で言う。 クロバットのただならぬ雰囲気に怯えてしまったようだ。 だが、クロバットはそう易々と逃がしてはくれなかった。 「…………ッ!!」 声にならない声を上げると、一直線に真上に飛び上がり、翼を激しく打ち振った。 しゅっ……空気が掻き混ぜられ、ぶつかり合う音が響く。 「……!! まずい、エアカッターよ!! みんな逃げて!!」 クロバットがエアカッターを放とうとしていることに気づき、キョウコが大声で叫ぶ。 エアカッターは、空気の刃を広範囲に撒き散らして攻撃する技だ。 目に見えない攻撃ゆえ、生身の人間が避けることは難しい。 その上、刃である。 当たればかすり傷などでは済まないだろう。 何がどうなっているのかまるで分からないが、何かがおかしいクロバットから逃げなければならないということだけは確かだ。 クロバットは戸惑うアカツキたち目がけて、上空からエアカッターで攻撃を仕掛けてきた!! 戸惑いも、ためらいも、恐れもない表情と目つきで。 クロバットが何らかの攻撃を仕掛けてきているのを悟り、皆が蜘蛛の子を散らすように八方に散った。 そこへ、不可視の空気の刃が降り注ぐ。 どごんっ!! 空気の刃は地面に突き刺さると、轟音と共に土塊を舞い上げた。 「げっ……なんか、マジでヤバイ威力だぞ、これ!!」 アラタは着地すると、エアカッターの衝撃によって舞い上げられた土塊――細かく砕けた地面の欠片を見やり、ギョッとした。 普通のポケモンのエアカッターなら、ここまでの威力にはならないだろう。 広範囲に攻撃する分、威力が落ちる。 それがポケモンバトルでの常識なのだ。 しかし、このクロバットのエアカッターはそんな常識を打ち砕くような、文字通り非常識な威力を宿していた。 心を閉ざされ、手加減ということすら忘れ去ったクロバットは、常に全力で―― あまりに力を出しすぎて身体が傷つくことも構わないかのような力で攻撃を仕掛けていた。 エアカッターが次々と降り注ぎ、広範囲の地面を抉り、舞い上げていく。 アカツキたちは逃げ惑うしかなかった。 見えない攻撃ゆえ、どこに逃げれば安全というのは一概に言えなかったが、一同の共通認識は、クロバットから遠のくことだった。 空気を掻き混ぜて刃に変えて攻撃する技ではあるが、 遠くに離れてしまえばそう易々と攻撃はされない……という認識だったが、間違ってはいなかった。 クロバットが素早さに優れているポケモンである、ということを除けば。 クロバットは逃げ惑うアカツキたちを追いかけながら、エアカッターを次々と繰り出していく。 その度に地面が抉れ、土塊が宙を舞う。 瞬く間に、周囲に薄い土煙が立ち込めた。 身体能力に優れたアカツキとアラタが、他の四人が逃げるまでの時間稼ぎのために囮になろうとしても、 クロバットは所狭しと空を飛び回り、誰一人逃さなかった。 「まずい、このままじゃあ……」 走り続けていられるうちはいいが、ミライとキョウコ……男と比べると体力の劣る二人が動けなくなったら、それこそ狙い撃ちだ。 かすり傷や切り傷などでは済まないだろう。 そうなる前になんとかしなければ…… アカツキは奥歯をグッと噛みしめた。 見えない攻撃から逃れながらあれこれと考えてはみたのだが、やはりポケモンにはポケモンで対抗するしかないという結論に至った。 しかし、アカツキのポケモンは全員戦えるような状態ではない。クロバットの相手をするのは無理だ。 ならば、頼れるのはアラタとキョウコだろう。 彼らはすでに六体のポケモンをゲットしており、常に手持ちに加えて歩いている。 まだ戦えるポケモンがいるなら、彼らに戦ってもらうしかない。 自分でも分かることだ。アラタとキョウコが分からないとも思えない。 ……にもかかわらず、二人ともポケモンを出していられるだけの余裕がないのか、エアカッターから逃げ回るだけだった。 もしかしたら、クロバットは二人が戦えるポケモンを残しているのを察して、優先的に攻撃を仕掛けているのかもしれない。 こんな時に『もしも』も何もないのだが、嫌な予感というのは、一度芽生えるとなかなか消えてくれないものだ。 「オレがちゃんと戦えたら……」 ネイトが少しでも戦えるだけの体力を残していたら、水鉄砲かアクアジェットで攻撃を仕掛けて、 こちらに意識を向けさせることくらいはできるかもしれないが…… 今さらないモノねだりをしても仕方ない。 どうにかしなければならないことは分かっていても、有効な手を打てないまま、逃げ回るしかなかった。 アカツキと同じように、戦えるポケモンを持っていないカイトとミライも同じように思っていたが、カヅキは違っていた。 「もしかしたら……」 心を閉ざしてしまったポケモンでも、なんとかなるかもしれない。 ポケモンレンジャーとして培ってきた勘が告げている。 ――今、僕がやるべきだ……と。 ポケモンレンジャーは、ポケモンの力を借りることで、困った人やポケモンを助けるのが仕事だ。 ヨウヤの言葉を聞いて、クロバットやラフレシアたちが心を閉ざされて戦闘マシンと化したポケモンだということは知っているが、 少しでもできることがあるなら、やるしかない。 アラタとキョウコに余裕がないなら、狙われる頻度の少ない自分がやるしかない。 「よし……」 決意に思い至り、カヅキは腰に差した赤い塊を手に取った。 キャプチャ・スタイラー(通称スタイラー)と呼ばれるもので、ポケモンレンジャーが用いる道具である。 スタイラーを使うことでポケモンに『力を貸して欲しい』という気持ちを伝え、力を貸してもらうのだ。 ポケモンレンジャーは、困った人やポケモンを助けるのが仕事だ。なら、今が仕事をする時ではないか……? 少なくとも、目の前に困っている人がいるなら、それを見捨ててどこかへ行ったり、他の任務を遂行しようという気にはならない。 カヅキがスタイラーの側面についているボタンを押すと、三十センチほどのアンテナが張り出してきた。 可能な限りクロバットから遠のいたところで、 「キャプチャ・オン!!」 掛け声と共に、さらにボタンを深く押し込んで、スタイラーから『べいごま』のような物体を射出した。 これはキャプチャ・ディスク(通称ディスク)と呼ばれるもので、 ポケモンレンジャーの『力を貸して欲しい』という気持ちを本当の意味で伝えるためのものだ。 言葉で気持ちを伝えるだけでは、力を貸してくれないポケモンもいる。 どうしても、そんなポケモンの力を借りなければならない時には、ディスクを使って気持ちを伝えて、力を借りるのだ。 アカツキは轟音と共に土塊が周囲に舞い上がる中、カヅキが何かしようとしているのを認めて、眉根を寄せた。 「あれ、なんだ……?」 ポケモンレンジャーが使う道具を知らないがゆえに、カヅキが何をしようとしているのかさえ理解できなかったが、それはミライも同じだった。 カヅキがポケモンレンジャーであること、スタイラーが何のためにあるのかを知っているカイト、アラタ、キョウコの三人は、 カヅキがレンジャーとしてクロバットの力を借りようとしていると察していた。 襲ってくる相手を逆にキャプチャしてしまえば、襲われることがなくなるという考え方だろう。 カヅキがスタイラーを上下左右に動かすと、射出されたディスクがその動きに反応するように、クロバット目がけて飛んでいく。 エアカッターの軌道は読めないが、可能な限りクロバットから距離を保って、その身体を幾重にも取り囲むようにディスクを操った。 ポケモンレンジャーはディスクでポケモンを囲い込むことで気持ちを伝え、力を借りることができる。 ディスクでポケモンを囲むという行為自体が、力を貸してくれと頼むことなのだが、 元は言葉の通じないポケモンの力を借りるために開発されたものだとは、さすがのカヅキも知らなかった。 「…………よし」 この分なら上手く行くかもしれない。 ディスクがクロバットを囲い込むのを見ながら、カヅキがそう思った時だった。 クロバットは周囲を目障りな物体が飛び回っているのを認め、すかさずエアカッターをディスク目がけて放った!! 広範囲に放たれる攻撃を避けられるはずもなく、ディスクにエアカッターが直撃する。 刹那―― 「くっ!!」 カヅキが小さく悲鳴を上げ、スタイラーを手放してしまった。 スタイラーからエネルギーを送ってディスクを動かしているのだが、 ディスクにポケモンの技が当たると、そのエネルギーが逆流し、スタイラーを傷めてしまうのだ。 エアカッターのエネルギーはスタイラーにダメージを与えるだけに留まらず、操縦者であるカヅキにも感電に近い打撃を与えていた。 思わず手放してしまったスタイラーを拾い上げようと、身を屈めた時だった。 「危ないっ!!」 聞こえてきたのは誰の声だったか。 カヅキが顔を上げた時だった。 びゅんっ!! 一陣の風が吹き抜け、カヅキの右腕にエアカッターの余波が当たった!! 「いてっ!!」 余波と言っても、服を容易く切り裂き、腕にくっきりと傷をつけるだけの威力はある。 「カヅキっ!!」 友達が負傷したのを見て、アラタが声を上げながら駆け寄ろうとしたが、 「大丈夫!! 僕がなんとかする!!」 カヅキは声を荒げて、彼がやってくるのを拒んだ。 ここで駆け寄ってきたら、まとめて狙われるだけだ。散開している分には、クロバットの注意も逸れる。 しかし…… 「さすがにこれじゃあ……」 腕に切り傷がくっきりと刻まれ、それなりに血も流れている。 深い傷ではないと分かっているが、ディスクを操ってクロバットをキャプチャするのは無理だ。 ポケモンレンジャーは危険と隣り合わせの職業ゆえ、今までにも何度か大きなケガを経験してきた。 ちょっとした判断のミスから重傷を負って、一月ほどベッドの上で過ごしたこともあったが、その時と比べれば、今はまだまだマシな方だろう。 とはいえ、キャプチャができないレンジャーなど、どれほどの役に立つのか。 手持ちのポケモンがいれば何とでもなるが、ないモノねだりをしたところで始まらない。 カヅキが負傷したのを見て、アカツキは大声でアラタに訊ねた。 「兄ちゃん、カヅキ兄ちゃんは何しようとしてたの!?」 きっと、何かしようとして――仕掛けたところで、クロバットのエアカッターを食らったのだろう。 カヅキの動向を常に見ていたわけではないが、それくらいのことは分かった。 絨毯爆撃のごとく広範囲に降り注ぐエアカッターから逃れながら、アラタはアカツキに言葉を返した。 「そこに転がってるキャプチャ・スタイラーでクロバットをキャプチャして、おとなしくさせようとしてたんだよ!!」 「おとなしく?」 「そう!!」 「…………」 スタイラーとかキャプチャとか、アカツキには意味不明な単語が並んだが、クロバットをおとなしくさせようとしていたと聞いて、ピンと来た。 クロバットは自分をキャプチャしようとしていたカヅキのことを目障りに思い、エアカッターで攻撃を仕掛けてきたのだと思った。 だが、それは裏を返せば…… 「あれを使って、クロバットをおとなしくさせられるんだ……」 アカツキはカヅキの傍らに落ちている赤い機械……スタイラーに目をやった。 どう使えばいいのかも分からないが、あれを使えば、黒いオーラを発しながら暴れているクロバットをおとなしくさせることができる。 それが分かっただけでも十分だった。 弟が何を考えているのか読めないまま、アラタはクロバットの攻撃の隙を縫いながらカヅキに駆け寄った。 「大丈夫か?」 「まあ、なんとか……これくらいなら大したことはない」 「あのなあ……」 カヅキはニコッと笑ってみせたが、腕にくっきりと刻まれた裂傷は、見るだけで痛々しかった。 量が多くないとはいえ、血が流れているのを見れば、実際の何倍も凄惨に思えてくる。 大したケガでなくとも、レンジャーが利き腕を負傷してスタイラーを使えなくなったら、傷が治るまでは飛べない鳥のような状態なのだ。 「こうなりゃ、オレたちのポケモンで倒すしか……」 アラタは悔しさを隠そうともせずにつぶやいた。 「…………」 カヅキが表情をゆがめる。 それは腕に刻まれた切り傷の痛みではなく、自分がもっとちゃんとしていたら…… クロバットをキャプチャしていれば、アラタをそんな気持ちにさせずに済んだのに……という、自分自身への苛立ちからだった。 「キョウコ!! オレとおまえのポケモンでクロバットを倒すぞ!! そうじゃなきゃ、どうしようもない!!」 「そうね、あたしもちょうどそう思ってたトコ!!」 カヅキがポケモンレンジャーであり、クロバットをキャプチャしようとしていたことを知っていたのだから、 それができなくなった以上、ポケモンにはポケモンで対抗するしかない。 「よし、そうと決まれば……アカツキ!!」 「なに!?」 「カヅキを頼む!! それと、カイトとミライを連れてここから離れろ!! オレとキョウコでどうにかする!!」 目には目を。ポケモンにはポケモンを。 無差別に広範囲を攻撃するような相手に、悠長に時間などかけてはいられない。 一度倒したはずなのに、受けたダメージをものともせずに行動しているのだ。倒すしかないだろう。 アカツキは返事の代わりに、アラタとカヅキの元へ駆け寄った。 その間、カイトがクロバットを引きつけていた。アラタがアカツキを呼んでいるのを聞いて、進んでその役を買って出たのだ。 「兄ちゃん……」 「大丈夫。オレとキョウコが組みゃなんとかなるだろ」 アカツキは不安げな顔をアラタに向けたが、彼はニコッと微笑み返してきた。 安心しろ、オレたちなら絶対に勝てると言わんばかりだった。 たとえクロバットが底なしの体力の持ち主だとしても、アラタとキョウコにはそれぞれ四対ずつ、ポケモンが残っている。 八体で攻撃すれば、倒せないはずがない。 これは計算というより、確定的な事実と言っても良かった。 「…………」 クロバットの身体から立ち昇る黒い靄は、見る者を不安にさせる。 しかし、幸か不幸か、黒い霧はアカツキ以外の誰にも見えなかったし、感じることもできなかった。 「そういうわけだからさ、カヅキを連れて早くここから離れろ。 カイトやミライにゃ頼めないからな……」 「兄ちゃん……」 アラタがアカツキに頼んだのは、彼の身体能力の高さを知っているからだ。 カヅキを背負いながらでも、人並に走ることくらいはできると分かっているからだ。 「すまない。今の僕は役に立たないから……」 「…………」 カヅキの言葉に、アカツキは表情を曇らせた。 役に立たない…… ヨウヤが『武器』と思っているポケモンたちに向けて放った言葉のように聞こえていたからだ。 だが、カヅキは何かしようとしていた。役に立たないなどと自嘲的な言葉を吐くほどに、自分自身の無力さを噛みしめていたのだろう。 ……と、地面に落ちたスタイラーとディスクが視界に入った。 「確か、これって……」 クロバットをキャプチャしようとしていたカヅキが使っていたものだ。 これを使えば、クロバットをおとなしくさせることができる。 アラタとキョウコが一度は倒した相手だ……それ相応のダメージを受けているはず。 そんなクロバットを、これ以上傷つけていいはずがない。 いくら見境なく暴れていると言っても、ポケモンは『武器』などではないし、アカツキにとっては見知らぬポケモンでも大事なものだ。 「…………」 アラタは、カヅキを連れて逃げろと言っている。 何を言われているのか、何をすべきなのか、それは分かっているのだ。 だが、クロバットを傷つけずにおとなしくさせる方法があるなら、それに賭けてみたいと思った。 「アカツキ、聞いてんのか!?」 アカツキがスタイラーに目を向けているのに気づいて、アラタは声を荒げた。 スタイラーはポケモンレンジャー以外の人間が容易く扱えるシロモノではない。 ポケモンレンジャーであるカヅキだって、スタイラーを扱うのに何週間もかけたほどだ。 「早くカヅキを連れて逃げ……」 「嫌だ」 「なっ……!!」 言葉の途中に拒絶の一言を挿入され、アラタは口に新聞紙を詰め込まれたような顔をした。 驚く間もなく、アカツキがスタイラーを拾い上げた。 「あ、アカツキ。君、一体何を……」 「使い方教えて!! オレがクロバットをおとなしくさせるから!!」 「なっ……!!」 カヅキもアラタと同じような表情になった。 代わりに、アラタが顔を真っ赤にして、唾など飛ばしながら怒鳴る。 「バカ言うなよ!! ポケモンレンジャーじゃないヤツが上手く扱えるわけねえんだよ!!」 「やってみなくちゃ分かんないだろ!?」 「やんなくたって分かる!!」 アカツキも負けじと声を張り上げて言葉を返した。 スタイラーはポケモンレンジャーしか持つことを許されていない特別な道具だ。 それゆえ、扱いはとても難しい。 素人が思いつきで操作できるようなモノではないのだ。 アカツキとアラタが言い争いをしているうちに、クロバットの注意がカイトから逸れた。 三人が一箇所に集まっているのを見つけて、すかさず攻撃を仕掛けてくるが、エアカッターではなかった。 黒く色づいた扇状の衝撃波だった。 「ちっ……!!」 これではポケモンを出すどころではない。 アラタは舌打ちすると、カヅキを背負って駆け出した。 「好きにしろっ!! どうなっても知らないぞ!!」 そんなことを言ったものの、結局はアカツキに根負けしたようなものだった。 「キョウコ!! 一時撤退だ!!」 「なんですって!? あんた、逃げるっての!?」 「アホ!! コイツを安全な場所に連れてって、それから戻ってくるって言ってんだ!!」 「あ、そう……って、アホって何よ、アホって!! あたし仮にもスクールを主席で卒業してんのよ!! そんなあたしに向かってアホなんて、とんでもないヤツねっ!!」 「…………」 黒い衝撃波を避けて着地したアカツキは、アラタとキョウコが口汚く罵り合っているのを見て、しかしなぜだか少しだけホッとした。 この二人、決して仲が良いとは言えないが、それでも互いにライバルとして意識しているのだ。 だからこそ、ここまで口汚く罵り合えるのだろう。 都合のいいことを考えながら、アカツキは手の中のスタイラーを改めて見やった。 親指で押しやすい位置に、大きめのボタンがある。 使い方は教えてもらえなかったが、扱ってみればなんとかなるだろう。 アラタの言葉も忘れ、アカツキは簡単にそんなことを思った。 「クロバット……おとなしくさせてやるからなっ!!」 アカツキは黒い衝撃波を放ちながらこちらを見下ろしているクロバットに向かって、いま一度声を張り上げた。 スタイラーを使えば、クロバットをおとなしくさせることができる。 殺傷能力があるようには見えないから、傷つけることなく、おとなしくさせることができるのだろう。 「もし、兄ちゃんたちがポケモンでクロバットを倒しちゃったら……」 次々と降り注ぐ衝撃波から逃れながら、アカツキは想いをめぐらせていた。 クロバットだけ、ヨウヤに見捨てられてしまったのだろう。 見捨てられただけならともかく、恐らくは『武器』として仕立てられてしまったのだ。 もし、ポケモンの力でクロバットを征したなら、それはヨウヤの言い分を……このクロバットが『武器』であると認めることになってしまう。 アカツキは漠然とそんな不安を胸に抱いていた。 だから、自分がやらなければならないのだと思った。 本当に自己中心的な考え方だという意識はある。 それでも、やらなければならない。 戦えるポケモンがいなくとも、何もできないわけではないのだから。 「やるっきゃない……!!」 パッと周囲を見渡したところ、カイトもミライも離れたところに逃げているようだったし、クロバットの注意はアカツキにだけ向いていた。 先ほどキャプチャされそうになって、スタイラーを持つアカツキに警戒しているのかもしれないが、それは彼にとって好都合だった。 誰に気兼ねなく試せるのだから、周囲に誰もいない方がいい。 ただ、使い方を知っているカヅキが離れてしまったのは痛い。 「よ〜し……」 ここでクロバットをおとなしくさせることができれば、ヨウヤの言い分を突き崩すことができる。 ポケモンは、決して『武器』などと呼ばれていい存在ではないのだと証明してやるのだ。 カヅキがやっていたのを、見よう見まねでやってみる。 「えっと、キャプチャ・オン!!……っと」 掛け声と共に親指でボタンを押し込むと、地面に転がっていたディスクがエネルギーを受けて浮き上がった。 「確か、これでクロバットを囲もうとしてたんだよな……」 クロバットのエアカッターを避けるのに精一杯であまり見ていなかったが、それだけは覚えていた。 スタイラーをどう動かせばいいか分からなかったが、やってみないことには始まらない。 クロバットはアカツキ目がけて黒い衝撃波を放ち続けていたが、アカツキは難なくそれらの攻撃を避わしていた。 エアカッターと違って、攻撃の軌道が読めるのだ。 それだけで十分に回避は可能だった。 クロバットの攻撃のクセや、攻撃前の動作などをつぶさに観察しながら、スタイラーを動かしてディスクを操る。 最初は何がなんだかよく分からなかったが、アカツキはあっという間にスタイラーを使いこなせるようになった。 少し離れたところから、スタイラーの動きで縦横無尽にディスクがクロバットの周囲を飛び回るのを見て、カヅキは思わず目を瞠った。 「嘘……」 「おい、あいつシロウトだろ……」 アラタもまた、アカツキがスタイラーを使いこなしているのを見て、唖然とするしかなかった。 半分ヤケクソで『勝手にしろ』などと言ってしまったのだが……結果的にはそれが幸いしたのだ。 「なあ、何かの間違いじゃ……」 「いや、違う。アカツキは本当にスタイラーを使ってる」 「…………」 カヅキの言葉に、アラタは沈黙した。 ポケモンレンジャーとして、スタイラーを何年も使ってきたから分かるのだが、アカツキの動きはシロウトのものではない。 とても、スタイラーを今日初めて見て、見よう見まねで扱っているとは思えなかった。 「おいおい……」 アカツキがスタイラーを操って、ディスクでクロバットを幾重にも取り囲んでいくのを見ながら、 アラタは喉がカラカラに渇いていくことすら忘れていた。 アラタとカヅキが信じられないと言わんばかりの顔で見ていることなど知る由もなく、アカツキはスタイラーを振り回していた。 言葉にするには難しいのだが、ディスクを操るコツのようなものが分かったような気がした。 「クロバット、おとなしくなってくれ!!」 願いを込めながら、スタイラーを振るう。 カヅキの目に、一生懸命なアカツキの姿が映る。 「まるで、ポケモンレンジャーそのものじゃないか……」 ポケモンレンジャーの自分が言うのもなんだが、アカツキのスタイラー捌きは、下手なレンジャーよりもよほど上だ。 ディスクはポケモンの技を受けると、ディスクを動かすためのエネルギーがスタイラーに逆流してしまうが、 アカツキはそれを計算に入れているように、ディスクに攻撃が当たらないよう上手に操っていた。 攻撃が明確に見えるから、ということを差し引いても、素人の芸当とは思えない。 カヅキとアラタよりも遠く離れたところで、カイトとミライとキョウコの三人も同じようにアカツキがクロバットをキャプチャするのを見ていた。 「ウソでしょ……」 「あいつ、ポケモンレンジャーのことなんて何にも知らないのに……」 「…………?」 キョウコとカイトが、口々に信じられないとつぶやく。 ミライには何がなんだかよく分からなかったが、この二人が驚いているからには、それなりにすごいことなのだろうと思った。 「でも、なんか一生懸命だな……」 何をしているのか分からなくとも、アカツキが一生懸命何かをやっていることだけは分かる。 やがて、ディスクの描く軌道がクロバットを十数回囲んだ時、クロバットの身体を覆う黒い靄が吹き飛んだ。 ……と思ったら、クロバットは力尽きたようにまっすぐ地面に落ちて、それっきり動かなくなってしまった。 先ほどまでの猛攻が嘘だったかのような、呆気ない幕切れ。 誰もが言葉をなくしていた。 「…………」 「…………」 乾いた風が吹きぬけていく。 時の経過を感じさせるのは、エアカッターによって舞い上げられていた土煙が徐々に晴れていく光景だけだった。 To Be Continued...