シャイニング・ブレイブ 第6章 一筋の光 -The light of the heart-(中編) Side 4 それから一分ほどが経った頃。 クロバットがおとなしくなったのを見て、アカツキは深々とため息を漏らした。 見よう見まねでやってみたが、上手く行って良かった。 緊張から解き放たれて、思わず身体の力が抜ける。その場にへたり込んで、再び深いため息をつく。 もしかしたら、クロバットが起き上がり、再び黒い衝撃波やエアカッターで攻撃してくるのではないかという不安は確かにあったが、 当面は大丈夫だろう。 いざとなれば、アラタとキョウコの戦えるポケモンで抑えてしまえばいい。 もっとも、それは最終手段だったが、保険的な意味合いは大きかった。 「ふぅ〜……」 倒れたクロバットからは、黒い靄は立ち昇っていない。 とりあえず、おとなしくなったようである。 ホッと安堵して、アカツキは再びため息をついた。 あの時は、自分がやるしかないと強く思って行動に出たが、本当に上手く行って良かった。 失敗していたら、カヅキのようにケガをしていただろう。 いや……黒い衝撃波などまともに受けていたら、ケガなどでは済まなかったかもしれない。 やり終えて初めて、上手く行かなかった時のことに想いが及ぶ。 ポケモンの技を生身で食らうということに想像が及び、アカツキは背筋を震わせた。 寒くないのに鳥肌が立ってきた。 そんなアカツキの心を暖めてくれたのは、駆け寄ってきたアラタの言葉だった。 「おまえ、すごいじゃないか!! レンジャーじゃないのに、キャプチャするなんて!!」 「え……」 ニコニコ笑顔の兄の顔を見上げ、アカツキはポカンと口を開けたまま、呆然としていた。 てっきり、叱られるとばかり思っていたのだが、まさか褒められるとは。 クロバットがおとなしくなったのを見て、カヅキを含めて全員がやってきた。 彼らは口々に『よくやった』と褒めてくれた。 特にカヅキは、ポケモンレンジャーとしての立場で的確な言葉を放った。 「ポケモンレンジャーでも今のキャプチャは大変なのに、何も知らない君がやってしまうなんて……驚きだよ」 ポケモンレンジャーだからこそ、クロバットの攻撃の激しさから、このキャプチャの大変さを感じていた。 しかし、難易度の高いキャプチャを、何も知らないトレーナーが成功させてしまったのだ。 それだけに、驚きも一入だった。 「えへへ……そんなにすごいことなのかな……?」 普段は辛口のキョウコでさえ笑顔で褒めてくれたものだから、アカツキもまんざらではなかった。 安心感が、すぐさまいつもの彼の調子を取り戻してくれる。 アカツキは照れ笑いしながら、ゆっくりと立ち上がった。 「でもな……」 「……?」 アラタの声が鋭さを帯びる。 これから何が待っているのか悟ったアカツキは、表情を硬くして彼に向き直った。 褒めた後に待っていたのは、険しく厳しい眼差しを向けてくる兄だった。 「おまえなあ!! 一歩間違えればカヅキのようにケガしてたかもしれなかったんだぞ!! 自分のしたことが分かってんのか!?」 「え、あ……」 これでもかとばかりにキツイ言葉をぶつけてくる。 しかし、それはアカツキのことを本当に心の底から心配していたからこそ出てくる言葉だった。 「レンジャーでもないのに、スタイラーなんか使いやがって。 うまく行ったから良かったけど、失敗してたらどうなってたか……ちっとは、周囲のヤツのことも考えろ!!」 「ご、ごめん……」 ポケモンの力で押さえつけてしまえば、こんな心配することもなかったし、もっと簡単に行っていただろう。 アカツキの意地に根負けした自分も悪いが、周囲をヒヤヒヤさせたアカツキの方がもっと悪い。 アラタの厳しい言葉に、アカツキは俯き、身体を縮ませた。 彼の言い分がもっともだと分かっているから、なおさらだった。 周囲に心配をかけてしまったのは事実だ。 ただ、アカツキにだって言い分はある。 それから無言でじっと見つめてくるアラタに思いきって顔を上げ、自分の正直な気持ちを口にする前に、ミライが口を開いた。 「あの、アラタさん……アカツキ、すごく一生懸命だったんですよ。 何がなんでもあのクロバットをおとなしくさせなきゃって……なのに、そこまで言わなくても……」 恐る恐るといった……腫れ物に触るような口調だったのは、アラタのピリピリした雰囲気に気圧されているからだろう。 だが、ミライはまっすぐにアラタを見つめていた。 他の誰ひとりとして彼女の言葉に続いたり頷きかけたりはしなかったが、彼女の言葉はアカツキとアラタ以外の全員の総意だった。 アカツキは一生懸命だった。 一歩間違えれば自分がケガをしていたかもしれないのに、怖気付くことなく、勇敢にもクロバットをキャプチャしたのだ。 勇敢と無謀は紙一重、とはよく言うが、今回は勇敢と言ってもいいのではないだろうか? 「…………」 アラタはしばらくミライに視線を向けていた。 ミライも負けじと、じっと彼に視線を向け続ける。 彼のどこか威圧的に思える雰囲気を前に、逃げたいという気持ちになってきたが、 アカツキが一生懸命ヨウヤと……ヨウヤの残したクロバットと戦ったということを知っている以上、それだけはできなかった。 「あ、あのさ……」 どうしてアラタとミライが睨み合わなければならないのかと疑問に思い、アカツキが口を挟んだが、取り合ってもらえなかった。 その代わりに…… 「そうだな……今回は許してやるよ。クロバットをキャプチャしたのに免じて」 アカツキのみならず、ミライにまで根負けしたアラタがため息混じりに漏らすと、カイトとキョウコがホッと胸を撫で下ろした。 場外乱闘が勃発するのではないかと思っていただけに、丸く収まって良かったと思っているようだ。 「でもな、あんまり危ないことするなよ。 オレだからいいけど、父さんや母さんだっておまえがケガしたら、すごく心配するんだからな」 「うん。気をつけるよ」 「よし」 分かってくれればそれでいい。 危険なことをしたのは確かだが、今回は結果に免じて許すことにした。 いつまでもこんなことで延々と時間をつぶすのはもったいない。 「やれやれ……」 アカツキが浮かべた笑みに心を和まされたように、アラタも顔に笑みを浮かべた。 ただ、こちらは少々困ったような笑みだった。 弟の調子のいいところは嫌いではないが、それも時と場合によるだろう。 「じゃ、スタイラーをカヅキに返しなさい。 それ、ポケモンレンジャーの商売道具なんだから。あんたがいつまでも持ってたってしょうがないわよ」 「うん、分かった」 キョウコの言葉に頷いて、アカツキはスタイラーをカヅキに返した。 「ありがと、カヅキ兄ちゃん。これがなかったら、クロバットをおとなしくさせられなかったよ」 「いや、こちらこそ……」 カヅキはスタイラーを左手で受け取ると、ボタンを押してアンテナとディスクを回収し、腰に差した。 利き腕を負傷した時のことを考えて、普段から暇を見つけては、 利き腕でない方でも日常生活をこなせるように頑張ってきたのだが、それがこんな形で役に立つとは思わなかった。 だが、ポケモンレンジャーは言うまでもなく、キャプチャやスタイラーのことさえ知らないアカツキが、 あれほど上手にスタイラーを操ってクロバットをキャプチャしてしまうとは……これにはただただ驚くしかない。 もし自分がケガをしなかったら、知ることはなかっただろう。 「もしかすると……」 カヅキはアカツキに思うところがあったが、それを口に出すのは止めておいた。 勝手な思い込みでしかないし、本人を前にそんなことを言ったところで、戸惑うだけだろう。 それなら、自分の胸にしまっておいた方がいい。 もっとも…… 「でも、ホントすげーよな。 初めてなのに、あんな上手にスタイラー使ってさ、ビュンビュンっ!! ……ってやっちゃってさ」 カイトがはしゃぎ始めたものだから、口に出す機会もつぶされてしまったが。 アカツキがスタイラーを器用に操っていたのを見て、興奮してしまったらしい。 「でも、何がなんだか分かんなかったんだ」 興奮する親友とは裏腹に、アカツキは笑みを潜めて頭を振った。 何がなんだか考える間もなく、クロバットをおとなしくさせたいという一心でスタイラーを扱っていた。 知らず知らずに『こうすればいいのかも……』と思うようになって、少しずつ上手に扱えるようになっていた。 だから、カッコイイと言われても、正直ピンと来ない。 「上手くできたのは良かったけど……」 「まあ、そうね」 アカツキの言葉に相槌を打って、キョウコが続けた。 「上手く行って良かったわ。 そうじゃなきゃ、あたしとアラタのポケモンで、あのクロバットを倒さなきゃならなくなってたんだもの」 「あ……」 肩をすくめながら発したその一言に、アラタはアカツキがどうしてあんな一生懸命スタイラーを使って、 クロバットをキャプチャしようとしたのか、その理由を察した。 気づいて、どうして今まで見逃していたのだろうと思わずにいられなかった。 「そっか……おまえ、クロバットをこれ以上傷つけたくなかったんだな」 「うん……」 アカツキはただ陽気にはしゃぐだけの少年ではない。 相手に対する思いやりを常に忘れない優しい性格の持ち主でもあるのだ。 まあ、普段は陽気だから、優しさよりもそちらが前面に出てしまって、見えなくなるものだが…… アカツキは、一度アラタとキョウコのポケモンに倒されたクロバットが、これ以上傷つかずに済むように、キャプチャしようと考えていたのだ。 アラタの制止を振り切ってまで一生懸命だったのは、他人のポケモンであろうと――それが自分たちを襲い、 『武器』とヨウヤに吐き捨てられたポケモンであろうと、大事なものだと思っていたからだ。 本当にどうでもいいと思っていたら、危険を冒してまで行動に移そうとはしないだろう。 アラタは改めて弟の一途な一面に触れて、自分がとんでもない思い違いをして、 きつい言葉を浴びせてしまったのだと思わずにはいられなかった。 「しばらく見ない間に、ずいぶんたくましくなったんだなあ……」 少し前までのアカツキなら、アラタに任せていたかもしれない。 危険だと分かっていながらも、自分の想いを貫こうとしたその姿勢は、 素直にすごいと思ったし、アラタをして『これぞ男だ』と唸らせた。 「兄ちゃん、心配かけてごめん。 だけど、オレ、クロバットをほっとけなかったんだ。だって、あいつ……」 アカツキは改めてアラタに詫びると、地面に落ちて倒れたままのクロバットに目を向けた。 釣られるように、一同の視線がクロバットに注がれる。 未だに地面に落ちた時と同じ体勢で、一ミリも動いていなかった。 とはいえ、規則的に身体が上下するのが分かる。少なくとも、死んではいないようである。 「…………あいつ……」 アカツキはそれ以上、言葉を紡ぐことができなかった。 知らず知らず、表情が険しくなる。 他のポケモン……ラフレシアとパルシェン、キリンリキはちゃんと回収していったのに、クロバットだけ残されたのだ。 ポケモンを『武器』だと人目も憚ることなく言ってのけたヨウヤである。 クロバットが彼に見捨てられたのだと理解するのは、そう難しいことではなかった。 改めてクロバットの周囲に目をやると、元はモンスターボールだったものの破片が転がっているのが見えた。 モンスターボールを壊され、帰る場所がなくなってしまったのだ。 そんなポケモンを、どうして傷つけることができようか…… 「…………」 「言いたくないなら言わなくていいさ。おまえにだって、言いたくないことの一つや二つはあるもんな……」 「…………」 アカツキが言いにくそうにしているのを見て、アラタは無理に言わなくてもいいと優しく言葉をかけた。 きっと、ヨウヤとの間で何かあったのだ。 そうでもなければ、そんな辛そうな表情はしないはず。 今はそっとしておこう。 話さなければならない時が訪れるとしたら、その時に話せばいい。無理に話させることほど兄にとって辛いことはなかった。 まるで口を割らせるみたいで、そんなやり方はとても選べなかった。 「分かった。今は何も言わなくていい。 だけどな、その代わり、自分のやったことにちゃんと責任持てよ」 言わせない代わりに、自分のやったことに責任を持たせることにした。 何が責任であるか、口で説明しなくとも、アカツキは理解したようだった。 アラタがおもむろに差し出したモンスターボールを、そっと握る。 「何するつもりなの?」 キョウコが訊ねるが、アカツキは答える代わりにモンスターボールをクロバット目がけて放り投げた。 「ええっ!?」 「ゲットするつもりなのか!?」 トレーナーがポケモンにモンスターボールを投げる理由は一つしかない。 先ほどまで狂ったように暴れ回っていたクロバットをゲットしようなんて、 何を考えているのかと、キョウコとカイトが悲鳴めいた声を上げた。 アカツキが投げたモンスターボールは吸い込まれるようにクロバットの身体に当たると、 口を開いてその身体をボールの中に引きずり込んだ。 ころっ、と渇いた音を立てて落ちたボールが、小刻みに震える。 ぐったりしていても、ボールの中で抵抗を試みているのだ。 だが、一度アラタとキョウコに倒された時のダメージを引きずっているのか、すぐに抵抗が止み、ボールは動きを止めた。 「よし……」 アカツキは駆け寄ると、モンスターボールを拾い上げた。 「もう、武器だなんて呼ばせない。オレがおまえのトレーナーになってやる……」 ポケモンは『武器』などではない。 それを証明するためにも、自分がクロバットのトレーナーになって、一緒に冒険をして、楽しい記憶を作っていこうと思った。 ヨウヤの価値観と言動はアカツキに計り知れない衝撃を与えたが、逆にそれをバネにして、アカツキは強い決意を抱いた。 ポケモンが『武器』などではなく、自分と同じ世界で生きている『仲間』なのだと、改めて思わせた。 ヨウヤはドラップを奪うのに失敗しただけでなく、相手の心を折るつもりで発した言葉で、逆に強くしてしまった。 二重の意味で作戦に失敗したのだ。 よもやこのような形でポケモンを『ゲット』することになろうとは思わなかったが、それでも一度決めたことを覆すつもりはなかった。 「…………」 やると決めたのだから、こんな風に暗い気持ちでいるのは止めよう。 アカツキは腰にクロバットのモンスターボールを差すと、腕を横に広げて、大きく深呼吸した。 すぅぅ……はぁぁ…… 新鮮な空気で胸だけでなく心まで満たして、振り返ったアカツキの表情は、とても晴れやかなものだった。 彼の笑顔に、一同は一つの大きな出来事が終わったのだと感じていた。 Side 5 しかし、事態はいま一つ複雑だった。 キサラギ研究所に戻ったアカツキたちを出迎えたのは、いつもと違って険しい表情をしたキサラギ博士だった。 「あら、みんな揃ってお帰りなさい」 険しい表情のまま、いつもの調子で言うものだから、 普段から表情と口調のギャップに慣れているキョウコ以外は戸惑いを隠しきれなかった。 「ただいま〜」 「おじゃまします……」 博士に案内され、場所をリビングに移した。 二人で暮らしている家ゆえ、七人も押しかけるとずいぶん手狭に感じられるが、仕方ない。 「ねえマミー。ポケモンを回復させちゃいたいから、装置使うわよ。あと、救急箱も」 アカツキたちが幅の広いソファーに並んで腰かけるのを余所に、キョウコは台所で鼻歌混じりに紅茶を淹れている母親に話しかけた。 「ええ、いいわよ。回復させてあげて」 了承を得ると、キョウコはアカツキとカイトとアラタの三人からモンスターボールを受け取ると、 腕をケガしたカヅキを連れて、体力回復装置のある別の部屋へと向かった。 同じ部屋に救急箱もあるので、ポケモンたちの体力が回復するまでの間にカヅキの手当てもしようとしていたのだ。 気を利かせたカイトが「手伝おうか?」と申し出たが、素気無く断られた。 キョウコとカヅキがリビングを出ていくと、入れ替わるようにキサラギ博士が戻ってきた。 「お待たせ〜♪」 手には、甘い香りの湯気を立てる紅茶のカップが七つ載った盆。 先ほどまで険しい顔を見せていたと思いきや、紅茶の甘い香りに心を解きほぐされたのか、満面の笑顔だった。 「はい、召し上がれ」 カップをテーブルに置くと、アカツキの向かいのソファーにゆったりと腰を下ろす。 「じゃ、じゃあ……いただきます」 「いただきます」 ミライは恐る恐るといった感じで、アラタは逆に慣れた様子で言うと、紅茶を口に含んだ。 甘すぎず、苦すぎず、子供の口にも合う味だった。 「うわあ、美味しい……」 市販のレモンティーなどとは比べ物にならない濃厚な味わいに、ミライの表情が緩む。 控えめな彼女ですら美味しいと感じるほどなのだから、なかなかイケてる味わいなのだろう。 彼女の言葉がキッカケとなって、他の面々も紅茶を口に含んだ。 濃厚でありながらもサッパリした、後に引かないような味わいに、一同の頬が緩んだ。 「う〜ん、やっぱり自家製のハーブはイケてるわねぇ〜♪ 何度飲んでも飽きが来ないわ」 最後にキサラギ博士が紅茶を口に含み、満面の笑みで自画自賛した。 普通の人の言葉やら嫌味に聴こえるのだろうが、元がおっとりした人が言うと、そうは聴こえない。 これもまた、キサラギ博士の柔和な人柄が為せるワザなのだろうと思い、アカツキは紅茶を飲み干した。 アカツキがカップをテーブルに置いたのを合図にしたように、キサラギ博士が口を開いた。 「で……何があったのかしら? なんだか、敷地がずいぶん騒がしかったけど…… 敷地のポケモンがケンカするのなんていつものことなんだけど、フラッシュまでは使わないからねえ。 それに、カヅキ君もケガしちゃってるし……事情、話してくれるわよねえ?」 「え……あ……」 実際に敷地に繰り出さずとも、何かがあったということは察していたらしい。 キサラギ博士の鋭い一言に、全員が気まずそうな表情になる。 素直に話していいものかと、目と目で会話を交わす。 彼女が『何かあった』と分かったのは、ポケモンがケンカしているのとは明らかに違った音がしていたのと、 カメラのフラッシュをいくつも集めたような強烈な光が室内にまで差し込んだのが理由だった。 後付けするなら、カヅキがケガをしていたのを見て……というところだろうか。 「…………」 「…………」 キサラギ博士は答えを急かすどころか、紅茶を飲んでまったりした気分に浸りながら、ゆったりと構えていた。 無理に聞き出さなくても、ちゃんと話してくれると分かっているからこその反応だったのだが、これにはミライが仰天した。 博士の地の性格を知っているアカツキ、アラタ、カイトの三人からすれば、分かりきった反応だった。 とはいえ、キサラギ研究所の敷地内で起こった出来事である。研究所の主である彼女に報告をするのは当然だろう。 アカツキはアラタに視線で話しかけた。 「オレが話すよ……上手く話せるか分かんないけど」 「そっか。分かった。ガンバれよ」 交わす視線は言葉と同じ役割を持っていた。 互いに口を開かずとも、何を言いたいのかが分かる。 家ではもちろん、一緒に通っていた格闘道場でもいい汗をかいた仲だ。 普通の兄弟以上の絆で結ばれた二人だからこそ、目と目で会話ができるのだ。 「そうだな……アカツキが話すべきだな……」 アラタは肩をすくめると、表情を隠すように、紅茶のカップを口元に宛がった。 立派に責任を果たし、クロバットを自分のポケモンとして育てていくことを決めたアカツキが話すのが一番だろう。 アラタとキョウコはヨウヤが残していったポケモンたちと戦っていたが、 その間に恐らくアカツキたちがヨウヤとなにやら話をしていただろうから、全体像がハッキリしているはずだ。 アカツキ一人で無理なら、カイトだって加わるだろう。 大ざっぱにそんな読みなどしながら、紅茶をすする。 「よし……」 やると決めたからには、全部話そう。 アカツキはテーブルの下に隠した握り拳に力を込めると、まったり気分に浸っているキサラギ博士の目をまっすぐに見やり、口を開いた。 「オレ、ドラップっていうドラピオンを持ってるんだけど…… ソフィア団ってのが、そいつらのところから逃げたっていうんで、ドラップを狙ってるんだ。 なんで狙われてるのか分からなかったけど、さっきヨウヤってヤツが来て、少しだけ分かったんだ。 あいつ、ポケモンの心を閉ざして『武器』にするんだって言ってた。 ドラップはあいつらのところから逃げ出してきて……『素材』って言われてた」 「…………」 アカツキの言葉に、キサラギ博士の表情が変わった。 まったりしていたかと思えば、怪訝そうに眉根を寄せ、険しい表情に変わった。 普段からのんびりしているだけに、こんな顔をすることもあるのかと、カイトは本人を前に驚きを露わにしていた。 もっとも、ポケモン研究者として、ポケモンを『素材』などと下劣な言葉で呼ばれるのは捨て置けないのだろうが。 どちらにしろ、キサラギ博士は表情に憤りを滲ませていた。 「ソフィア団って言ったかしら」 「うん……」 「話には聞いてたんだけどね……ドラップちゃんが、ソフィア団に狙われてるなんて、思わなかったわ。 それに、『素材』って言ったかしら」 「う、うん……」 表情とは裏腹に、口調はいつものように微妙に間延びしていた。 そのギャップに、アカツキは戸惑いながらも小さく頷いた。 普段どおりの口調で話しているのは、怒りを押し殺しているからかもしれない。 本当は火山が噴火するような勢いで起こりたいのだろうが、それではただの八つ当たりでしかない。 「そ、それでさ、あいつはドラップを奪おうとしたんだ。 なんか、身体から黒い靄みたいなのをまとったポケモンでさ……なんか、すげえ不気味で……」 「黒い靄? なんだそりゃ?」 アカツキの言葉に反応したのは、キサラギ博士ではなく、アラタだった。 「オレたち、そんなの見てなかったけどな……」 「えっ……」 信じられない一言を返され、アカツキは弾かれたように振り向いた。 アラタには、弟が何を言っているのか分かっていないようだった。 彼とキョウコが戦った三体のポケモンが、黒い靄を身体から立ち昇らせていたということを知らなかったのだ。 だが、それは無理もなかった。 「クロバットとパルシェンと……ラフレシアだっけ? あの三体、身体から不気味な黒い靄出してたじゃん。兄ちゃん、見てなかったの?」 「見てないも何も、そんなの見えなかったぞ」 「オレも見てない」 「わたしも……」 「えっ……? ど、どうなってんの?」 アカツキの質問に、アラタとカイト、ミライの三人が口を揃えて『そんなものは見ていない。見えなかった』と回答した。 そんなはずはない。 アカツキにはハッキリと見えていたのだ。 クロバット、パルシェン、ラフレシアから立ち昇る、不気味な黒い靄を。 あれは幻なんかじゃない。胸を締め付けるような不気味さが幻などであってたまるものか。 三人とも、アカツキがウソをついていると思っているわけではない。 ただ、見えなかったものは見えなかったと言っているだけだが、 それでもアカツキからすれば信じてもらえないことがとても寂しかった。 「…………」 やはり、見間違いだろうか? 俯きながらそんなことを思っていると、キサラギ博士が言葉を発した。 「んん……たぶん、それは見間違いじゃないと思うわ。 アカツキちゃんには見えたんでしょう?」 「え……うん、そうだよ。ちゃんと見えたよ!!」 他の三人と違って、ちゃんと信じてくれている。 アカツキは顔を上げると、大きく頷いた。 あの時感じた不気味さは、決してウソで語れるものではない。それだけは理解してもらいたかった。 「おばさんには分かるの?」 「まあね〜。ポケモンの研究なんてやってるとね、いろいろと変な話だって耳に入ってくるものなのよ。 それで、ドラップちゃんがソフィア団に狙われているのね? ソフィア団の元から逃げ出した『素材』ということで」 「うん」 大まかに言えば、そんなところだ。 ドラップはソフィア団から逃げ出してきた。 それを狙って、ソフィア団が動いている。 そして、なりふり構わず襲撃を仕掛けてきた。 事情を知っているミライは、キサラギ博士の言葉にアカツキと一緒になって頷いたが、 アラタとカイトはイマイチ理解しかねているようだ。 「なあ、ソフィア団って何? さっき逃げてったヨウヤとか言うヤツのことか?」 「ああ……兄ちゃんは知らないんだよね」 「…………?」 アラタは首を捻った。 ソフィア『団』というからには、何かの組織なのだろうが、何の組織なのかが分からない。 「そうねえ……ちゃんと話をまとめてから話しましょうか。 その方がみんなちゃんと理解できると思うし……」 話に完全についていけていないアラタとカイトを見やり、キサラギ博士は肩をすくめた。 断片的な言葉で理解できれば苦労しないのだが、アカツキの置かれている状況を考えれば、やむを得ないだろう。 「それに……」 彼女がリビングの入り口に目を向けると、頃合を計ったようにキョウコとカヅキが戻ってきた。 ポケモンは回復装置にかけたままで、カヅキの傷ついた腕に応急処置を施して戻ってきたのだろう。 傷口に薬を塗って包帯を巻くだけだが、そういったシンプルな方法の方が、治りが早かったりするのだ。 そこのところは、さすがは博士の娘といったところか。巻き方一つ見ても、彼女の手際の良さが伝わってくる。 「キョウコ、お疲れさま。カヅキ君も座って」 「あ、はい……」 キサラギ博士が急かすと、キョウコとカヅキは急いで席についた。 「さて、全員揃ったところで、今までの情報を整理してみましょうか」 「そうね……何がなんだか分からないまま襲われて戦って……なんだか、すっごく気持ち悪いもの」 キョウコは頷くなり、紅茶を一気に飲み干した。 かなり熱いのだが、猫舌とは縁遠いようで、あっさりとカップの中身を空にしてしまった。 ミライは彼女の豪快な飲みっぷりに脱帽していたが、それには構わず、キサラギ博士が全員の顔を一通り見回してから言い出した。 「まずはソフィア団のことね。 いろいろと変なウワサは聞こえてくるんだけど、実際にどうなっているのかは、残念ながら私も知らないのよ。 ただ、フォース団っていう組織と敵対してて、なんだか毎日争ってるんだって言うのよね。 そのソフィア団が、アカツキちゃんのドラップちゃんを狙っているみたいなのよ。 組織から逃げ出したドラップちゃんを連れ戻すためらしいんだけど、その理由はどうも、 アカツキちゃんの話からすると、心を閉ざして『武器』に仕立て上げるための『素材』にするのが目的らしいのよねえ……」 「ひどいわ、素材なんて……」 「……ポケモンは道具じゃないんだぞ……」 博士の言葉に、キョウコは手で顔を覆い、カヅキが怒りを押し殺した口調でつぶやいた。 彼女ののんびりした口調に、むしろ怒りを掻き立てられたのだろう。 ポケモンと共に毎日を過ごして一緒に強くなっていくトレーナーと、 ポケモンの力を借りて様々な人やポケモンを救うことを生業とするポケモンレンジャー。 二人の職業は違っても、ポケモンが大事な存在であることに変わりはない。 キョウコとカヅキのみならず、アカツキは握り拳をわなわなと震わせながら、 隙あらば心の壁を突き破って噴火しかねない感情を宥めすかすのに必死だった。 大事な存在だと思っていたポケモンを『武器』と一笑に付され、一緒に頑張ってきたドラップを『素材』と言われたのだ。 ヨウヤは、アカツキの心に計り知れない衝撃を残していった。 ある意味、彼は最後の最後に一矢報いたと言えるのかもしれないが…… 「それで、アカツキちゃんが見た、黒い靄を立ち昇らせるポケモンのことなんだけど…… 私ね、黒い靄を立ち昇らせるポケモンっていうのを聞いたことがあるのよ」 「えっ、他にもいるの?」 「まあ、今はいないって言われてるんだけど……」 「でも、いたんでしょ?」 「そうなるのよねえ」 黒い靄を立ち昇らせるポケモン…… いかにも不気味で恐ろしいが、アカツキ以外は誰もその靄を見ていない。いや、見えなかったのだ。 「アカツキちゃんしか見えなかったっていうのは、 たぶん感受性が一番豊かなアカツキちゃんが靄のような力を感じ取ったってことだと思うのよ。 普通は見えないって話なんだけどね…… で、そのポケモンはダークポケモンって呼ばれていたの。 何年か前に、外国の地方で心を閉ざして戦闘マシンに変えられたポケモンを使って、 世界支配を企んだ組織があったそうなんだけど、とある男女の活躍によって壊滅したんだって。 女の人には、ダークポケモンが発する黒いオーラ……靄のようなものが見えたらしいわ。アカツキちゃんと同じように」 「そんなことがあったんだ……でも、ダークポケモンって……」 キサラギ博士以外の全員には、理解不能な話だった。 聞いたこともなかったし、そんなことがあったことさえ、ニュースで見たこともなかった。 だが、博士が口にしたのはすべて事実だった。 かつて、外国のオーレという地方に、人為的に心を閉ざし、戦闘マシンに作り変えたポケモンを使って世界支配を企む組織があった。 その組織の名はシャドー。 シャドーは各地からさらってきたポケモンを戦闘マシンと化し、 世界支配の手始めにオーレ地方の支配を企んだが、とある青年と少女の活躍によって、 その野望は打ち砕かれた(詳しくはGCゲーム・ポケモンコロシアムを参照)。 青年と行動を共にしていた少女には、戦闘マシンと化したポケモンが発する黒い靄を『視る』能力があった。 そう、アカツキと同じように。 黒い靄を発していたポケモンは、心を閉ざされ、戦闘マシンと化していたことから『ダークポケモン』と呼ばれていた。 シャドーが壊滅した後、残されたダークポケモンたちは、オーレ地方の研究者が開発した、 心を自然な力で開かせるという『リライブホール』によって心を取り戻し、今では普通のポケモンと変わらない暮らしをしている。 キサラギ博士がオーレ地方で起きた『シャドー事件』の詳細を事細かに話すと、 その場にいる全員が、今アカツキとドラップが置かれている状況が一通りは把握できたようだった。 「でもさ、なんで今いないはずのダークポケモンがいるんだ? おかしくない?」 「そうよね。シャドーって組織がつぶれたんだったら、その…… ダークポケモンを作る技術だって、ポケモンリーグが消してると思うんだけど?」 「そうなのよね〜。それがよく分からないところなのよ」 アラタとキョウコが口々に疑問を呈すると、キサラギ博士は深々とため息など漏らしながら、全員のカップに紅茶を注いだ。 いたって呑気に構えているように見えるが、実際はいろんなことを頭の中で考えているのだ。 伊達に研究者などやってはいない。普通の人よりもよほど頭の回転は早いのだ。 「私なりに考えてみたんだけどね、ソフィア団がどこからかダークポケモン製作の技術を手に入れて、悪用してるとしか思えないのよ。 私の聞いた限りだと、オーレ地方で製作されたダークポケモンは例外なく元通りに戻ったって言われてるから」 「じゃあ……」 博士の言葉に、アカツキはハッと息を呑んだ。 「そうね……みんなが見た三体以外にも、ソフィア団がダークポケモンを持ってる可能性がある、ってことなのよ」 「うげ……」 「嫌な感じね……まったく……」 一同はウンザリしたような顔を見せた。 心を閉ざし、戦闘マシンに作り変えられたポケモンがまだいるのかと思うと、気が滅入ってしまう。 ポケモンが自分たちと共にこの地球で生きている存在であると理解しているから、なおさらだった。 「それで? さっき何があったのか、細かく話してちょうだい」 「うん……」 いつまでもそんな顔をしていても仕方がないと、博士が急かすと、 アカツキはポツリポツリと先ほどヨウヤとの間で起こった詳細を口にした。 三体のダークポケモンでアラタとキョウコの相手をしている間に、 ダークポケモンではないキリンリキで、逃げたアカツキたちを追いかけた。 エスパータイプのキリンリキがサイコキネシスでアカツキたちの動きを封じ、 ヨウヤは動けないアカツキからモンスターボールを三つ奪った。 何を思ってかいろいろと話し始めたヨウヤだったが、無駄に時間をかけすぎたのが災いして、 ダークポケモンを倒したアラタのヘラクロスがキリンリキに乗ったヨウヤを強襲。 サイコキネシスを解除することに成功し、アカツキは地面に投げ出されてボールを手放したヨウヤから仲間たちを奪還することができた。 その後、ヨウヤは道具で強烈な閃光を発して、一同の目をつぶしている間にダークポケモンたちの元へ戻り、クロバット以外を回収。 クロバットにアカツキたちの相手をさせて、逃げる時間を稼いだ。 結局逃げられてしまったが、クロバットが狂ったように暴れ出したので、追いかけるのをあきらめ、クロバットをキャプチャした。 多少は端折ったところもあったが、概ねそんなところだと、アカツキの言葉に全員が相槌を打った。 話を聞き終えると、キサラギ博士は優しい眼差しでアカツキに笑みを向けた。 「……大変だったのね、アカツキちゃん。でも、よく頑張ったわ」 「あ、ありがとう……」 頑張ったのは確かだが、自分ひとりの力ではここまですることはできなかった。 カヅキやアラタ、キョウコの協力がなければ、ヨウヤを取り逃がしていただろう。 それが分かっているから、アカツキは素直に喜べなかった。 自分の知らないところでこんな大変なことがあったとは…… しかも、身近な人がそんな危険にさらされていると知って、キサラギ博士は胸中で打ちのめされていた。 どうにか力になってあげたいところだが、一通りの事情をアカツキから聞いたところで、 自分が出しゃばったところでどうしようもないと分かっている。 ポケモンリーグが全面的にバックアップしているとの話だし、今自分ができることと言えば、ダークポケモンの危険さを説くくらいだった。 「でもね、アカツキちゃん。ううん、みんなも心して聞いて欲しいの。 ダークポケモンとまともに戦っちゃいけないわ。 人為的に心を閉ざされ、戦闘マシンに作り変えられてしまったポケモンたちは、普通のポケモンと比べて段違いに強いの。 それに、黒い色のついた技を受けると、普通のポケモンは大きなダメージを受けてしまうのよ。 そこのところだけは気をつけなければならないわ」 ダークポケモンが繰り出す技は強力で、普通のポケモンが受けると、ダメージが何倍にも膨れ上がる。 反対に、ダークポケモンが受けた場合は威力が半減し、ダメージは小さくなる。 『ダーク』と呼ばれる分類の技で、あらゆるタイプのポケモンに等しく効果を発揮する。 その上、ダークポケモン以外のポケモンが受けた場合は、ダメージが倍増するという恐ろしい効果を秘めているのだと話すと、一同は絶句した。 そんな技があったのかと、そう思わずにはいられなかった。 だが、キサラギ博士がウソをつくような人でないことは分かっていたから、信じがたい言葉ではあったが、受け止めるしかなかった。 「じゃあ、そんなポケモンが出てきたらどうするの? ううん、アカツキ以外には見分けがつかないんでしょ? どうしようもないんじゃ……」 「そうだよな。技食らうまで待てっていうのはナシだよ。いくらなんでもそれって危なすぎだし」 ミライとカイトの言葉に、博士は小さく頷くと、 「でも、そんなポケモンがたくさんいるわけじゃないのよ。一体製作するだけでもすごいお金と時間がかかるって話だから。 どうも、ソフィア団以外はその技術を持っていないみたいだから、そうお目にかかる機会はないと思うわよ。 ただ……アカツキちゃんはドラップちゃんが狙われてるから、いつダークポケモンが現れてもおかしくない状況なのよ。 でも、絶対に戦わないで。全力で逃げなさい。 そうじゃなきゃ、もっと大変なことになるわ」 「うん、分かってる……」 ダークポケモンの力は強大だ。 アカツキ自身、暴走状態のクロバットが繰り出してきたエアカッターや黒い衝撃波―― ダークレイヴによる攻撃にさらされて、それがよく分かっている。 素早く相手を倒せるくらいの実力がなければ、まともに戦うのは危険極まりない。 ソフィア団がダークポケモンを製作する技術を持っているなら、キサラギ博士の言葉どおり、 いつヨウヤのような者がダークポケモンを引き連れて現れないとも限らないのだ。 「…………」 アカツキは目を閉じた。 まぶたの裏に、先ほどまで暴れていたクロバットの姿が浮かんできた。 人為的に心を閉ざされ、戦闘マシンとして作り変えられ、挙句の果てにはヨウヤに見捨てられて暴走した。 クロバットの表情は虚ろだったが、とても悲しそうだった。 アカツキにはなんとなくそう見えた。 「なんで、そんなこと……」 どうしたら、そんなことができるのだろう。 ポケモンは自分たちと同じ地球に生きているかけがえのない存在のはずだ。 アカツキにとってポケモンは『仲間』であり、ヨウヤの言うような『武器』などでは決してない。 大切な仲間の心を閉ざし、戦闘マシンに作り変える。 およそ人のすることではない。鬼畜にすら劣る所業だ。 そんな連中のところから逃げ出して、今は追われる身となっているドラップ。 正直、ダークポケモンという得体の知れないモノを相手にしたいとは思わないが、それでもアカツキにはドラップを守るという責任がある。 ゲットした時はそんなことがあったなど知らなかったが、そんなことは関係ない。 ゲットした以上は、トレーナーとしての責任を果たさなければならない。 それに、仲間を守るのに理由は要らないし、何があっても守りたいと思うものだ。 「でも、ドラップをそんな風にはさせられない!!」 グッと拳を固く握りしめ、アカツキは目を見開いた。 ドラップがクロバットのように心を閉ざされ、ただトレーナーの命令のままに戦うだなんて、そんなの悲しすぎる。 絶対に許してはならないことだ。 ドラップを守るには、ソフィア団を敵に回さなければならないが、そんなのは何も今に始まったことではない。 守ると決めた時から、覚悟していたことだ。 ダークポケモンだろうがなんだろうが、相手になってやる。 「じゃあ、アカツキはずっとあんな連中に狙われるってことなのか?」 「そうなるわね。 でも、ポケモンリーグが力になってくれるみたいだから、 そんなに心配しなくてもいいとは思うんだけど……そうもいかないんでしょう?」 キサラギ博士の言葉に大きく頷き、アラタは声を張り上げた。 「そりゃそうだ!! なんたって、オレの大事な弟なんだから。 心配にならないワケねえよ……」 「兄ちゃん……」 心配をかけている。 それが分かるから、アカツキは胸が痛んだ。 心配をかけるつもりはなかったが、自分のやろうとしていることを考えれば、それは致し方ないことだった。 心配をかけてしまうのが致し方ないことだとしても、アカツキは自分の気持ちを素直に兄に打ち明けた。 「でも、オレはドラップを守るって決めたんだ。 それに……クロバットのことも。オレがやるって決めたんだ」 「分かってるよ。でもな、何もおまえだけがそんな背負わなくても…… ……って、言うだけ無駄だって分かってっけど、分かってっからなあ……」 アラタも、アカツキの気持ちは十分過ぎるほど理解していた。 新米トレーナーとはいえ、トレーナーとしての責任を立派に果たそうとしている弟の姿勢はすばらしいことだと思うし、 力にだってなってあげたい。 本当なら、アカツキだけが背負うべき問題ではないのだ。 「ありがと、兄ちゃん」 アラタが悔しそうに歯噛みしているのを見て、アカツキはニコッと微笑んだ。 自分が代わってあげられたら……と考えているのが分かったからだ。 だが、退くに退けない想いがある。 「オレ、できるところは自分でやってみる。 それで無理だったら……その時は兄ちゃんやみんなの力を借りるよ。そうじゃなきゃ……」 いつの間に、こんな強くなったのだろう。 アラタはしばらく見ない間に弟がこんなにも強くなったのだと、うれしく思った。 同時に、自分がそんなに守ってやらなくてもどうにかできるのかも……と思って、 寂しい気持ちにもなったが、それでもアカツキを守ってやりたいという気持ちは変わらなかった。 「分かった。でも、無理すんなよ。オレは、いつでもおまえの力になってやる。 おまえに悲しい想いさせるヤツはオレが全部ぶっ飛ばしてやる」 「うん」 嗚呼美しき哉兄弟愛…… アカツキとアラタが兄弟としての固い絆を確かめ合っているのを見て、 キョウコは意地悪げに微笑むと、アカツキの脇を肘で軽く突いた。 「う〜ん、兄弟愛だね〜。このこの〜、羨ましいぞ〜」 「な、なに言ってんだ!! 当たり前のことだろうが!!」 キョウコが悪気全開でからかってきているのを悟って、アラタが顔を真っ赤にした。 兄として弟の力になるのは当然のことだ。 そんな純粋な気持ちをからかわれるのは我慢できなかったのだが…… 「でもね、あんた一人じゃないよ。 あたしもカイトも……みんな力になりたいって思ってる。 アラタに頼るのはいいけど、そいつばっかに頼られると、あたしたちの立場もないじゃない。 だから……たまにはあたしたちにも頼っていいんだからね。 そこんとこは忘れるんじゃないわよ」 「あ……うん、ありがとう」 からかってくることが多くても、根は優しい性格なのだ。 キョウコは、自分やカイトにも頼っていいと言ってくれた。 ダークポケモンを相手に戦うのがどれほど大変なことなのか……実際に戦ってよく知っているからこそ、 ダークポケモンを擁するソフィア団を相手に立ち向かおうとしているアカツキの力になってあげたいと思ったのだ。 「そうそう。オレはほら、アラタさんやキョウコ姉さんのように強くねえけど、 それでもおまえを支えてやることくらいはできるんだからさ。 困ったらいつだって言ってくれ。アイシア山脈の天辺でも砂漠のど真ん中でも、いつでも駆けつけてやるからな」 「うん。ありがとう、カイト」 自分には支えてくれる者がこんなにもいるのだ。 ミライやトウヤだけではない。 ポケモンリーグも支えてくれると聞いたが、今までそれらしい人の姿を見たこともなかったし、増してや力を借りたこともない。 だから、自分の身近な人が支えてくれると分かって、胸がじんと熱くなった。 一人で頑張るのが無理になったら、言葉に甘えて力を借りようと思った。 「でもね、驚いたわよ。 ポケモンレンジャーでもないのにスタイラーを使って、ダークポケモンをキャプチャしちゃうなんて…… アカツキちゃんって、もしかしたらポケモンレンジャーの素質もあるのかもしれないわねえ」 子供たちがなにやら一致団結したのを微笑ましく思ったところで、キサラギ博士が何気なくそんな言葉を口にした。 「…………!!」 ポケモンレンジャーの素質があるのかも……という言葉を耳にして、現職のレンジャーであるカヅキが肩をぴくっと動かした。 アカツキのスタイラー捌きを見て、博士の言葉が事実であることを誰よりも強く理解しているからだ。 「やだな〜、もう……何がなんだか分かんないけど、クロバットをおとなしくさせなきゃって思って頑張っただけだよ。 素質なんてないってば」 アカツキは照れ隠しに笑いながら、手をパタパタと振ったが、キサラギ博士の顔に浮かんだ笑みはまったく変わらなかった。 あの時は夢中でスタイラーを扱っていたから、素質云々なんて考えたこともなかったし、 そもそも素質なんてあるはずがないと思っていた。 人間、やる気になれば何だってできるとばかり思っていたからだ。 だが…… 「確かに……彼にはレンジャーとしての素質がある。それも、とびっきりの……後でリーダーに報告しておこうかな……」 カヅキは照れ隠しに笑うアカツキを横目で見やり、胸中でつぶやいた。 スタイラーは何も知らない素人が扱えるようなシロモノではない。予備知識もなしにポケモンをキャプチャするなど論外である。 だから、現役のレンジャーの見立てでは十分すぎるほどの素質があるように映るのだ。 ……と。 「それで……スタイラーって何? キャプチャって?」 アカツキが訝しげに首を傾げながら発した言葉に、雰囲気が白けた。 ぴしり……と音を立てて、せっかくの雰囲気がひび割れ、壊れていく。 これには誰もが言葉をなくしたが、 「……おまえ、それを知らないでやってたのか?」 「うん。 スタイラーって、あの機械のことだろ? あれを使えばクロバットをおとなしくできるって言ってたから、やってみただけなんだけど……」 「さっき軽く説明したと思ったんだけど……忘れちまったのか?」 いち早く白けた雰囲気に慣れたアラタが問いかけると、アカツキは大きく頷いた。 ポケモンレンジャーが使う道具なのだということは、カヅキが持っていたことからしても分かるのだが、 何をするためのモノなのかというのは分からなかった。 クロバットをキャプチャしようとした時に、アラタが簡単に説明したのだが、 それからはアカツキも一生懸命だったらしく、その説明も完全に頭から抜け落ちてしまっていたようだ。 「知らないで使うなんて、大したものよ。 ポケモンレンジャーだって訓練を積み重ねて、やっと一人前のレンジャーだって認められるくらいなんだから」 「呆れた……でも、すごいことはすごいわよ。それは素直に認めるわ」 雰囲気が白けたことにも気づかずにキサラギ博士がいつもの調子で言うと、キョウコは深々とため息を漏らした。 どうも、母親のおっとりした面を改めて見せ付けられ、ため息の一つでもつきたくなったのかもしれない。 ともあれ、ドがいくつついても足りないような素人がスタイラーを用いてポケモンをキャプチャするなど、信じられないことだ。 大したものだと思うのも、当然だった。 「……スタイラーっていうのはね」 キョウコの気持ちが切り替わったのを表情から察して、カヅキがアカツキの質問に答えた。 本当は素人に教えるべきことではないのだが、状況が状況だけに、やむを得ないだろう。 事後承諾になってしまうが、後でこの街で起きたことをリーダー(上司)に報告するしかない。 カヅキはスタイラーを手にすると、テーブルにそっと置いた。 「僕たちポケモンレンジャーが、ポケモンの力を借りるのに使う道具なんだ。 さっき、コマのようなものを飛ばしただろ? それはキャプチャ・ディスクって言って、スタイラーからエネルギーを供給して飛ばすものなんだけど、 ディスクでポケモンを取り囲むことで、力を貸して欲しいって頼むんだ」 ポケモンレンジャーが、野生のポケモンの力を借りるための経緯を懇切丁寧に説明した。 経緯を交えた方が理解しやすいと思ったからなのだが、彼の読みはバッチリ当たった。 スタイラーを傾けたり動かしたりすると、内蔵されているセンサーが動きを検知して、ディスクに伝える。 それによってディスクが宙を舞う。 ディスクがポケモンの技を受けると、ディスクを動かすために供給されているエネルギーが逆流して、スタイラーを傷めてしまう。 先ほどカヅキがスタイラーを手放してしまったのは、逆流したエネルギーが彼の身体にも流れ込んだからだ。 カヅキの説明はとても分かりやすく、要領を得ていたので、何にも知らないアカツキとミライでもすぐに理解することができた。 ポケモンレンジャーなんて聞いたことのない職業だったが、 そんな彼らが使う道具を自分が手足のように使いこなしていたのだと分かって、改めてビックリした。 「そうなんだ……なんか、すげーもの使ってたんだなあ……」 やらなければ……という強い気持ちが身体を突き動かしたようなものだが、 改めてポケモンレンジャーが使う道具だと聞かされて、アカツキは仰天するしかなかった。 「だけど、基本的にキャプチャしたポケモンはすぐに力を借りて、すぐに野生に返すのがルールなんだ。 今回ばかりは仕方ないかもしれないけど……」 「なるほど、アカツキちゃんがキャプチャしたクロバットのことね?」 「そうです」 キサラギ博士が口を挟むと、カヅキは深く頷いた。 本来、ポケモンレンジャーは必要な時だけポケモンの力を借りる。 それは、自然界で暮らすポケモンの生活を脅かさないためのルールとして定められているのだ。 しかし、今回のように、キャプチャしたクロバットが自然界で暮らしていないポケモンとなると、話は変わってくる。 本来返すべきルールも、帰すべき場所がなければ何の意味も為さないのだ。 「でも、あのクロバットはオレが育てる!! ダークポケモンだろうがなんだろうが、そんなのどうでもいい!!」 アカツキは叩きつけるように叫んだ。 自然界に返すのがポケモンレンジャーのルールということは分かった。 だが、アカツキは一度やると決めたことを容易く手放すような少年ではない。 増してや、トレーナーとしての責任を果たそうとしているのだから。 「…………」 アカツキの意志が強いことを知って、カヅキはどうしたものかと思案をめぐらせた。 クロバットには帰るべき場所がない。 無理やり連れ去られたのか、それとも誰かのポケモンだったのか……? それさえ分からないが、キャプチャしたポケモンをリリースする(野生に帰す)にしても、どこに返せばいいのかも分からないのだ。 「どうせだったら、アカツキが育てちまえばいいじゃん。やるって言ってるわけだし」 「そうよね。あのクロバット、帰る場所がないんだもん……ほうっておくのはかわいそうだよ」 カイトとミライが口々に言うと、アカツキ以外の四人は小さく頷いた。 クロバットには帰るべき場所がない。 アカツキは自分からクロバットのトレーナーになることで、クロバットの帰るべき場所を作ろうとしている。 このまま元ダークポケモンとして過ごすのではあまりにかわいそうだ。 「でも、キャプチャって、一時的に力を借りるだけよね?」 「うん、そうだけど……」 キョウコの言葉に、カヅキが眉をひそめた。 何か言いたげな口調だったからだ。 「アカツキがクロバットをキャプチャして、その場はおとなしくなったけど…… 何日か経って、また暴れられたらたまらないわよ。マミー、そこんとこはどうなってるの?」 ポケモンレンジャーは、ずっとポケモンの力を借り続けるわけではない。 力を借りたら、すぐ野生に戻すのだ。 だから、キャプチャしたクロバットが一時的におとなしくなったとしても、いつか再びダークポケモンに戻るのではないか、という不安があった。 それでも、アカツキは姿勢を変えなかった。 「ダークポケモンだって構うモンか。オレがちゃんと育ててやる」 「…………」 この強靭な意志を変えさせることは無理だろう。 もし、クロバットがダークポケモンに戻ったとしても、アカツキは変わることなくクロバットを仲間として考え、接し続けるだろう。 だが、問答無用で暴れられたら、それだけで危険だ。トレーナーにさえ牙を剥きかねない。 アカツキ以外はそんな心配を抱いたのだが、キサラギ博士の柔らかな言葉が、心配を打ち砕いた。 「そう言うと思ったわ。 でも、安心して大丈夫。キャプチャできたということは、アカツキちゃんの気持ちが通じたってことなのよ。 だから、ダークポケモンに戻ることはないと思うわ」 「そうなの?」 「ええ、キャプチャは、ポケモンレンジャーがそのポケモンの力を借りたいという気持ちを伝えるためのものなの。 ダークポケモンをキャプチャしたということは、閉ざされたはずの心にキャプチャしたアカツキちゃんの気持ちが通じたってことなのよ。 だから、心配しなくても大丈夫」 「そっか……それなら安心だな」 ダークポケモンの心さえ、アカツキはキャプチャで開かせてしまったのだ。 ダークポケモンに戻ることはないと分かり、アラタは心の底から安堵したように深々とため息を漏らした。 「とりあえず、この研究所で起きたことは私からポケモンリーグやレンジャーベースに連絡しておくから。 そうしておかないと、後で厄介なことになりかねないからね。いいかしら?」 皆が安堵したのを見て、キサラギ博士が言う。 ただでさえ規模が大きいとは言えない街である。 研究所で起きた騒ぎはやがて人々の耳に入り、ウワサに要らぬ尾びれがつかないとも限らない。 そうなる前に、ポケモンリーグ・ネイゼル支部と、ポケモンレンジャーが属するレンジャーベースに連絡を入れてくれると言った。 「お願いします、キサラギ博士」 「はい、お願いされます」 カヅキは頭を下げた。 彼の出身であるフィオレ地方でも、キサラギ博士は有名なのだ。彼女が口添えをしてくれれば、レンジャーベースの方は大丈夫だろう。 本来、キャプチャしたポケモンをずっと手持ちに加えておくのはルール違反なのだが、今回ばかりは仕方がない。 彼の上司なら、事情を話せばきっと分かってくれるはずだ。 「じゃあ、クロバットを見に行くよ!! 気になってしょうがない!!」 話が一段落したと見て、アカツキは席を立った。 クロバットがダークポケモンに戻る心配がないのなら、気兼ねする理由もない。 新たに仲間に加わったクロバットのことをもっと知りたいし、一緒に過ごすことになる自分たちのことも知ってもらいたい。 そう考えると、居ても立ってもいられなかった。 自分が相手にしている敵がいかに強大であるかは分かっているが、今はそれよりも、新しく加わった仲間のことに考えが向いていた。 「行ってらっしゃ〜い」 キサラギ博士は陽気な口調でそう言うと、リビングを飛び出していくアカツキの背中に向かって手を振った。 「…………」 真剣な話をしていたはずなのに、どうしてこんなに間延びした声でしゃべれるのだろうと、 改めて一同は視線を突き合わせてそんなことを思うのだった。 Side 6 アカツキは体力回復装置のある部屋へ行くと、 すでに回復が完了して止まった装置から自分のモンスターボールを取り出し、敷地へと繰り出した。 ヨウヤが失敗したばかりで、いきなり次の襲撃があるとは考えられなかったので、まるでそんなことは気にならなかった。 「よ〜し、みんな出てこいっ!!」 アカツキは期待に弾んだ声を上げ、手にしたモンスターボールを一斉に頭上に投げ放った!! クロバットがダークポケモンに戻る心配がないということで、いきなり外に出しても問題ないはずだ。 どんな性格なのだろう……? 期待に、嫌でも胸が高鳴る。 モンスターボールが四つ一斉に競うように口を開くと、中からポケモンが飛び出してきた。 「ブイ〜っ……!!」 「チコっ」 「ごぉぉ……」 やっと外に出られたと、ネイト、リータ、ドラップの三体はうれしそうな声を上げた。 そしてもう一体。 クロバットは地上に降りることなく、アカツキの頭上で羽ばたいていた。 「よかったぁ……」 クロバットから黒い靄が発せられていないのを見て、アカツキはホッと安堵した。 ……と、トレーナーの頭上でパタパタと翼を動かして滑空しているクロバットに三体の視線が集まった。 見知らぬポケモンが現れたものだから、さすがに警戒感は隠せない。 ネイトでさえ思わず身構えていた。 今までクロバットのことを見ていなかったのだから、それは当然だったのだが…… 「ネイト、リータ、ドラップ。そんなに怖い顔するなよ。 このクロバット、オレたちの新しい仲間なんだ。仲良くしてあげてよ」 「ブイ?」 新しい仲間と笑顔で言われ、ネイトは警戒感を漂わせた表情などどこへやら、興味深げな視線をクロバットに向けている。 リータもドラップも似たようなものだったが、ネイトの反応が皆の総意と言わんばかりだった。 アカツキは笑顔でクロバットを見上げ、話しかけた。 「クロバット。オレはアカツキ。こっちはネイト、リータ、ドラップ。オレたちの大事な仲間なんだ。 これから一緒に旅することになるけど、よろしくなっ!!」 自分と、自分の仲間たちを紹介して、握手を求めるように手を掲げた。 クロバットは一同の顔を不思議そうな顔で見ていた。 ダークポケモンではなくなったせいか、表情に感情が色濃く出ているように見えた。 アカツキのキャプチャが、クロバットの閉ざされた心を開いたのだ。 「ギシシシ……」 クロバットは唸るような声を上げていたが、アカツキが掲げた手に翼を触れさせた。心なしか、微笑んでいるようにも見えた。 「よろしく、クロバット」 「ギシシシ……」 アカツキの言葉に頷き、クロバットはその手に留まった。 心を閉ざされた反動か何かが出ていないかと心配していたが、どうやら杞憂に過ぎなかったらしい。 アカツキは安堵し、微笑んでいるクロバットを見上げたが、とあることに気づいた。 「あれ、これって……?」 「ブイ?」 アカツキがクロバットに手を伸ばしたのと、ネイトが声を上げたのは同時だった。 額に目のようなものがあるのが見えたのだが、近くで見てみれば、それは不気味なほど目に酷似したシールだった。 どうやら、ヨウヤにつけられたものらしい。 ポケモンを『武器』と称した少年らしいやり方だと思わずにはいられなかった。 「ちょっと待っててくれよ」 アカツキはクロバットに断りを入れてから、額に貼られたシールをそっと剥がした。 「シールなんて貼ってたんだ、あいつ……」 ポケモンは『武器』だから、何をしてもいいんだと言わんばかりの、不気味なシールだった。 眼球が妙にリアルで、白目に赤い血管がくっきりと一本一本書き込まれている。 趣味が悪いと想い、アカツキはシールを丸めると、思いきり投げ捨てた。 クロバットはもう、ヨウヤのポケモンではない。増してや、ダークポケモンなどと呼ばれる存在ではない。 今は、自分たちと共に旅を続けていく仲間だ。不気味なシールも、ダークポケモンだった過去も要らない。 「よし……」 不気味なシールなどない方がいい。 ちょっと引きつっているように見えるけど、クロバットは笑っているのが似合う。 「これでいいな」 「ブイブ〜イっ!!」 アカツキが言うと、ネイトはうれしそうに声を上げて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。 クロバットに向けて満面の笑みを浮かべる。 それを見て、クロバットも気を良くしたらしく、アカツキの手から離れて、ネイトの傍まで飛んでいった。 互いに『仲間』だという意識が芽生えたようで、クロバットがネイトの周りをゆっくり飛び回ると、 それに合わせてネイトも身体の向きを変える。 初対面の相手でも、トレーナーが心を許しているのだから問題ないと思ったのか、 それともネイト自身がクロバットのことを信じられる存在だと思ったのか。 それは分からないが、チームのリーダー的存在であるネイトがクロバットを仲間として認めたことで、 リータとドラップもそれぞれの仕草ではしゃぎ出した。 「うんうん。やっぱりみんななら分かってくれるよなっ♪」 アカツキは満面の笑みで何度も何度も頷いた。 ネイトもリータもドラップも、予期せぬ形で加わった仲間と仲良くなってくれている。 ダークポケモンだったということは知らなくても、多少は戸惑うのではないかと思っていたが、心配するまでもなかった。 アカツキが思っている以上に、彼のポケモンたちは理解力があるのだ。 無論、それはトレーナーが率先して新しい仲間に心を許し、仲良くしていたからであるが、 アカツキは別に自分が大層なことをしたという意識はない。 ポケモントレーナーである以上、共に旅することになった仲間を受け入れ、仲良くなろうと思うのは当然のことだ。 もっとも、アカツキのその飾らない気持ちが、クロバットの心のドアを自然な形で押し開いたのではないだろうか。 アカツキはしばらく仲間のポケモンたちと戯れているクロバットを笑顔で見つめていたが、 「あ、そうだ」 あることを思いつき、パンと手を打った。 それが合図であったかのように、ポケモンたちは遊ぶのを止め、一斉にトレーナーの方へと振り向いた。 「クロバットって呼ぶのもつまんないから、ニックネームつけてあげなきゃな」 「ギシ?」 ニックネームというものが分からないらしく、クロバットは首を傾げるような仕草で、身体ごと傾いた。 妙に人間っぽく見えたが、気のせいだろう。 クロバットは四枚の翼と、身体を兼ねた頭部しか持ち合わせていない。首を傾げるなんてことは、本当は不可能である。 まあ、それはともかく、アカツキはクロバットのニックネームをひねり出すべく、神妙な面持ちで、眉根を寄せていた。 ネイト、リータ、ドラップ……三体とも自分ではなかなかイケていると思うだけに、変なニックネームをつけるわけにはいかない。 じっと、ポケモンたちの視線が集まる。 「う〜ん……」 単語が脳裏に浮かんでは、その傍から沈んでいく。 クロバットという種族名も悪くはないが、自分たちにとって特別な存在になる以上、そんなありふれた呼び方をするのは嫌だった。 それから一分ほど考えたところで、いいニックネームが浮かんだ。 アカツキはニコッと微笑むと、クロバットに言った。 「よしっ、キミの名前はラシールだ!! よろしくな、ラシール!!」 「ギシシっ……」 アカツキの言葉に、クロバット――ラシールはうれしそうに笑みを浮かべると、四枚の翼をバタバタと打ち振った。 途端、強烈な風が起こり、ネイトとリータは危うく吹き飛ばされそうになった。 あまりにうれしくて、思わず羽ばたいてしまったのだろう。それが分かっていたから、ネイトもリータも特に何も言わなかった。 「よし、みんなで遊ぼう!! 今日はいっぱいいっぱい遊ぶぞ〜っ!! おーっ!!」 ラシールがうれしそうにしているのを見て、アカツキは今日だけは存分にみんなと遊ぼうと決めた。 ポケモンを『武器』と呼び、平気で見捨てていくような少年に出会い、いろいろと心に傷を負ってしまったが、 だからこそそんなことを忘れようとするように、思いっきりはしゃごうと決めた。 もちろん、新しく仲間に加わったラシールのことをもっともっとよく知りたいという気持ちが一番強かったのは、 言うまでもなかった。 ちょうどその頃、カヅキはキサラギ博士の研究所の裏手にある岩場に腰かけ、 携帯電話を使ってフィオレ地方の町リングタウンにあるレンジャーベースに電話をかけていた。 キサラギ博士から話をつけてくれると言われたが、彼女だけに任せておくわけにはいかないし、 カヅキ自身、上司に報告したいこともあったからだ。 何度目かの呼び出し音の後に、彼の上司が電話口に出た。 今頃ならベースにいるのではないかと思ったのだが、ビンゴだった。 「リーダー、お久しぶりです。カヅキです」 「おー、カヅキか。その声を聞く限りだと、元気そうだな。何よりだ」 「はい、リーダーこそお元気そうで」 「はは、まあな」 電話口に出た上司の元気な声に、カヅキはニコッと微笑んだ。 ネイゼル地方に渡って数ヶ月が経ったが、経過報告も含めて、数日に一度は所属しているレンジャーベースに連絡を入れている。 もっとも、特に進展らしい進展はなかったが、今はそれどころではなかった。 「どうだ? 少しはミッションが進行したか? アリアからは特に連絡が入っていないから気になるんだけど」 「ええ、それなんですけど……すいません。手がかりらしい手がかりが見つからなくて、なかなか進みません」 「そうか……」 カヅキの返答に、リーダーと呼ばれた男性は残念そうな口調で短く返した。 「すいません。でも、必ず遂行します」 「ああ、プレッシャーになってしまったらすまない。 だが、焦る必要はないぞ。アリアも一緒だから、大丈夫だろう」 「ええ、まあ……」 カヅキが曖昧に言葉を返すと、相手は苦笑したようだった。 変な風に思われていると、顔を見なくても分かったものだから、カヅキは一瞬、ムッと頬を膨らませた。 彼はとあるミッション(任務)のためにネイゼル地方にやってきたのだが、 そのミッションは難易度が高く、派遣されたのはカヅキだけではなかった。 相手が口にした『アリア』という女性も、派遣されたポケモンレンジャーの一人だ。 しかし、彼女とは別行動をしている。二手に分かれた方が手がかりがつかみやすいということだった。 未だに手がかりらしい手がかりが見つからないのだが、必ず遂行する。 ポケモンレンジャーにとって、ミッションは最優先すべき事項だからだ。 見習いレンジャーとしてリングタウンのレンジャーベースに派遣されてから、 電話口の相手――レンジャーベースのリーダーにずいぶんと世話になった。 彼に恩を返すという意味でも、このミッションは何がなんでも成功させなければならない。 カヅキはグッと拳を握りしめながら、改めてやる気の炎を燃やしていた。 「それで、今日はどうした? なにか話したいことがあるんじゃないのか?」 「はい、そうなんです」 どうやら、相手にはお見通しだったらしい。 見習いの頃から今まで面倒を見てきたのだから、それなりにカヅキのことは知っているのだ。 性格から、ポケモンをキャプチャする時のクセまで。 リーダーには敵わないな……苦笑しながら、カヅキは口を開いた。 「実は、ダークポケモンって呼ばれてるポケモンをキャプチャしまして……」 「ダークポケモンか……話には聞いたことがあるんだが、キャプチャできたんだな。それは驚きだよ」 「はい。僕もそう思います」 「おいおい、カヅキがキャプチャしたんだろう? なんか、他人事のように聴こえるぞ」 ダークポケモンがどんな存在なのか、リーダーは知っているらしい。 声音に多分に驚きが混じっているところからしても、キャプチャできるポケモンだとは思っていなかったようだ。 「そうなんですよ。 僕はキャプチャしようとしたんですけど、ディスクにエアカッターを受けてしまって…… スタイラーを手放したところに攻撃を食らって、ちょっと腕をケガしちゃいました」 「大丈夫か?」 「ええ、思ったほど重傷じゃありませんでした。以前と比べると、本当に軽いものですよ」 「そうか、それならいいんだが……無理はするなよ。 ミッションも大事だが、レンジャーは身体が大事なんだ」 「分かっています」 カヅキがケガをしたと聞いて、リーダーは心配そうに言葉をかけてくれた。 彼が多少、行き過ぎた無理をしてでもミッションを遂行しようとするレンジャーだと知っているからだろう。 実際、ポケモンをキャプチャするというのは、楽なことではない。 相手の攻撃を食らえばスタイラーを傷めてしまうし、ポケモンだって動き回るのだ。 その動きを先読みしながら上手にディスクを操らなければならない。 口にするほど簡単なものではない。 しかし…… 「それで、そのポケモンをキャプチャしたのは僕じゃなくて、ポケモンレンジャーのことも、 キャプチャのことも、スタイラーのことも知らない子供だったんです」 「なにっ!? 何も知らない子供がポケモンをキャプチャ!? おいおい、冗談だろう……?」 カヅキの言葉に、リーダーは驚きをあらわにした。 当然である。 キャプチャの難しさを誰よりもよく知っているからだ。 何も知らない子供が易々とキャプチャできるポケモンなどそうはいない。 やり方を教えれば、コイキングやキャタピーくらいならキャプチャできるかもしれないが、 アカツキがキャプチャしたのは、素早さに定評のあるクロバットだ。 熟練のポケモンレンジャーでも手こずる相手である。 「冗談だったら僕も報告しないんですけど〜……」 そう言い出そうとした矢先、リーダーはあっさり驚きから立ち直って、 「……と言いたいところだが、わざわざそんな話をするくらいだ。本当のことなんだろう」 「はい」 「詳しく話してくれないか。その子供に興味が湧いたよ」 「分かりました」 カヅキは頷き、アカツキのことを詳細に話した。 使い方を教えたわけでもないのに、スタイラーを縦横無尽に扱ってディスクを操り、 鮮やかなディスク捌きでクロバットをキャプチャしてしまった。 一度も攻撃を受けることなく、それはもうダンスでもしているような華麗さだった。 カヅキが熱く語るものだから、リーダーも心から聞き入っていた。 話が終わると、カヅキのみならず、リーダーまで興奮していた。 何も知らない子供がクロバットをキャプチャしてしまったのだから、興奮しないはずがない。 「それはすごいな……カヅキの言うとおり、その子にはポケモンレンジャーとしての素質がある。それも、とびっきりだ」 「はい。僕もそう思います」 「実際に話をしたいところだが……」 「そうも行きませんね。どうも、彼はいろいろと厄介な事情を抱えているようですから」 「そうか、残念だ。機会を作れないか?」 「んん……」 ――機会を作れないか? と、控えめに言っているものの、実際は話をする機会を作ってくれと言われているのと同じだった。 半ば無理難題な言葉に、カヅキは閉口したが、 「一応、話だけはしてみます。興味を示すかどうか分かりませんけど」 「そうか……頼んだよ。一目でも会いたいものだ」 「また連絡を入れますね」 「ああ、またな。身体に気をつけて」 「はい、ありがとうございます。それじゃ……」 通話を終え、携帯電話をしまう。 「相変わらず、リーダーも無茶なことを言う……まあ、いいんだけど」 リーダーに電話越しに会うというのはともかくとしても、話だけならしてみてもいいだろう。 興味を示すかどうかは本人次第だし、そこまではカヅキに責任を求めてはこないだろう。 なにしろ、これはミッションではなく、プライベートな頼みなのだから。 ポケットにしまった携帯の代わりに、腰に差したスタイラーを手に取った。 手持ち無沙汰で寂しさを覚えていたわけではないが、ポケモンレンジャーの商売道具であるスタイラーを持つと、 なんとなく安心した気分になれる。 要は、一種のお守りだった。 「僕もまだだまだってことだな……リーダーなら、クロバットをキャプチャするのなんて、そんなに大変なことじゃないんだろうけど……」 カヅキはため息混じりに漏らすと、上着の裾あたりに刻まれたレンジャーランクに目をやった。 『5』と刻まれているが、これはポケモンレンジャーとして中堅に位置することを示す。 今までいろいろなミッションをこなしてきたが、その中には数え切れないくらいの失敗があった。 今回、クロバットをキャプチャするのに失敗したのもその一つだが、右腕のケガ同様、最大の失敗に比べればまだマシな方だろう。 カヅキは改めて自分のレンジャーランクを確かめると、ちょうどいい大きさの岩の上に仰向けに寝転がり、目を閉じた。 「もし、あの子がレンジャーになったら、僕なんてすぐ追い越すんだろうなあ……」 陽気な笑顔の裏に、ポケモンレンジャーとしての素質を隠し持つ少年の顔を脳裏に思い浮かべながら、 爽やかな風に吹かれ、ゆっくり休もうと思った。 To Be Continued...