シャイニング・ブレイブ 第6章 一筋の光 -The light of the heart-(後編) Side 7 アカツキはミライ、カイト、アラタの四人でキサラギ研究所を後にし、ポケモンセンターへ向かった。 カヅキは腕のケガもあるので、研究所に寝泊りすることになった。 本人は「これ以上世話になるわけには……」と辞意を表明していたが、 キサラギ博士とキョウコの二人に上手く言い包められ、ケガが治るまで世話になることになった。 ポケモンセンターへ向かうまでの十数分間、四人は砕けた話から真剣な話まで、 旅に出てから今までの空白を埋めるように、話に花を咲かせた。 特に、アラタは弟が大変な状況に置かれていると理解して、彼の気持ちを解きほぐそうと、本当に一生懸命だった。 負けじとカイトも頑張ってみたものの、ライバルと兄では、どうも勝負にはなりそうにない。 アラタもカイトも、アカツキと共に旅をして支えてやりたい気持ちはあるが、申し出たとしても断られると分かっていた。 自分の力でできることをして、それでも無理だったら初めて力を借りると言っていた。 自分の大事な仲間だからこそ、いきなり他人の力を借りるわけにはいかない。 自分たちの力を尽くして、それでも及ばず窮地に陥ってしまったら、その時は遠慮なく力を借りると言っていた。 「そんなことは関係ない!!」 ……と、押し切ろうと思えば押し切れたのかもしれない。 それでも、二人ともアカツキの純粋な光のような気持ちを尊重したかったから、特には言わなかった。 それに、アカツキはミライだけでなく、もうひとり連れがいるらしい。 トウヤという名前のトレーナーで、フォレスタウンで襲撃を仕掛けてきたソウタと互角以上に戦える腕の持ち主だ。 アカツキが彼のことを口にしたものだから、アラタもカイトも少しは安心したのかもしれない。 話に花を咲かせていると、あっという間にポケモンセンターの前にたどり着いた。 人間、何かに熱中している時は、時間が経つのも忘れると言うが、まさにその通りだった。 アカツキが家に戻るつもりがないと聞いたので、アラタは一人で家に帰ることになった。 アカツキは元気にしていると、両親には旅先で会ったことにしておいてくれるそうだ。 カイトも自分の家に帰るらしいが、明日か明後日にはリーグバッジをゲットするためにまた旅に出るとか。 そこのところはアカツキも同じだったので、別れ際、彼の背中を見つめながら、 拳を握りしめて「負けられない……」と人知れず誓ったものだ。 アラタとカイトが家路に就くのをポケモンセンターの前でじっと見つめながら、 アカツキは二人に負けないくらい強いトレーナーになろうと思った。 心配をかけずに済むくらい……いや、いつかバトルした時に勝てるくらい。 傍らに寄り添うように立つミライが、アカツキの瞳を横から覗き込む。 「良かったの? あの二人が一緒に来てくれた方が、心強いと思うけどなあ……」 トウヤがついているとはいえ、心配なのだろう……小さな声でつぶやいた。 アカツキとしても、ミライが不安がる気持ちはよく分かっているつもりだし、アカツキ自身もかなり不安な部分はあった。 だが、仲間を守るという強い気持ちが、不安に揺れる心に光明を射した。 「いいんだよ。兄ちゃんやカイトを巻き込みたくない。 それに、オレ自身がガンバらなきゃ。いつまでも兄ちゃんたちに頼ってられないんだから。もちろん、トウヤも」 「…………」 頼れる人がいるのは心強い。 助けてくれる人がいてくれることを誇りに思うべきだと言うのも分かっている。 だが、自分の力でできることがあるなら、ギリギリまで頑張ってみたい。 それでもし無理なら、力を借りよう。 アカツキの考えに理解を示し、ミライもそれ以上は言わなかった。 その代わり、胸中でそっとつぶやく。 「……でも、これがアカツキだもんね」 無鉄砲だけど、他人に対する思いやりを忘れないのが、傍にいる少年なのだ。 思いやりに見返りなんて求めない。 増してや、自分の大切なものを守るためなら、傷つくことも厭わない。 そんな少年だからこそ、ミライは一緒に行きたいと思える。 彼女がそんなことを思っているとは露知らず、 「さ、行こう!!」 アカツキはポケモンセンターに入っていった。 「…………」 ミライは黙って後を追いかけた。 ポケモンセンターのロビーは相変わらず静かだった。 キサラギ研究所で何かの騒ぎがあったらしいことは街中に知れていたが、特に大きな騒動には発展していないようだった。 フラッシュを一斉に焚いたような閃光が発せられても、よくあることだと思っていたのかもしれないが、 それはアカツキとミライにとって不幸中の幸いだった。 自分のことで街を騒動の渦中に巻き込むようなつもりはなかったからだ。 何事もなかったような顔でロビーを通り抜け、部屋に戻る。 部屋に入ると、トウヤがいつもの調子で出迎えてくれた。 「よ〜、おふたりさん。ええなぁ、青春やで〜?」 「えっ……?」 善意も悪意もないようなニコニコ笑顔でそんなことを言ったものだから、ミライはドキリとしたが、 アカツキは何を言われているのか理解できなかったらしく、笑顔のままだった。 「トウヤ、ゆっくりできた?」 「おう。おかげさまでな」 椅子にゆったりと腰かけ、モンスターボールを念入りに磨いていたのだろう。 照明を照り受けたボールは艶やかな光を放っていた。 どうやら、ここでのんびりしていたらしい。 アカツキはトウヤの向かいに腰を下ろすと、口を開いた。 キサラギ研究所で何があったのか知らないようだが、それをいいことに黙っているわけにもいかないだろう。 一応、保護者的存在でもあるわけで、説明くらいはしておくべきだ。 そこのところはアカツキに任せ、ミライは聞き役に徹することにした。 「トウヤ、実は……」 「んん? どうしたん? そんな真剣な顔して。似合わへんで〜?」 アカツキが神妙な面持ちで口を開くと、トウヤは手をパタパタ振って、おまえにそんな表情は似合わないと強調した。 しかし、アカツキの表情は変わらなかった。 「ソフィア団がまた来たんだ」 「んんっ?」 さすがに、その一言にはトウヤの笑顔が曇った。 どうやら、自分が部屋でのんびりくつろいでいる間に、いろいろと厄介なことがあったらしい。 そういえば、外がいきなりまぶしくなったが…… ポケモンがふざけてフラッシュを使ったのだろうと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。 アカツキの隣に腰を下ろしたミライも、表情を強張らせていた。 サイコキネシスを受けて動きを封じられたのは、彼女もまた同じだったのだ。 何をされるのだろうという恐怖を感じていたに違いない。 「……ソウタってヤツじゃなかったけど、なんかマジでムカつくヤツだった」 「そうよ。ポケモンのことを『武器』だなんて……」 「ほう……?」 アカツキに続いてミライが忌々しげに言うと、トウヤの眉根が上下した。 端から見れば『興味深い』と映るのかもしれないが、トウヤもトウヤで、実はかなり怒っていた。 ポケモンはトウヤにとっても仲間のような存在だ。 まるで、ルナやニルド、ガストのことを『武器』だと扱き下ろされたような気分になってくる。 「あいつ、ダークポケモンなんて持って、兄ちゃんたちの足止めをしてる間に、 オレからドラップだけじゃなくて、ネイトやリータまで奪っていこうとしたんだ。 ホント、許せない……!!」 アカツキは腸が煮えくり返っているのか、眉を十字十分よりも吊り上げて、怒りを隠しきれない口調で言った。 「何があったんか、落ち着いて説明せい」 怒りに身を任せるのはもっともだが、一応、ドラップは守り抜いたのだろう。 ならば、少し気持ちを冷やすべきだ。 いつまでも熱いままにしていては、精神的に参ってしまう。 トウヤがそう言わんとしていることを察して、アカツキは怒りかけた肩をさっとすくめた。 ミライと二人でキサラギ研究所に出かけたこと。 そこで、親友にしてライバルのカイトとバトルをし、激闘の末に念願の初勝利を収めたこと。 その後、ポケモンが戦えない状態になってから、ソフィア団のヨウヤがやってきて、 ダークポケモンでアラタとキョウコの足止めをしている間に、 一足先に逃げていたアカツキたちの元へやってきて、ドラップを奪おうとしたこと。 そこでポケモンのことを『武器』と言い、ドラップを奪いに来たのは、元々組織で飼っていたポケモンであり、 ダークポケモンとするための『素材』であったと言われた。 ドラップだけでなく、危うくネイトとリータまで奪われそうになったが、 ダークポケモンを辛うじて倒したアラタのアッシュがヨウヤを強襲し、その隙を突いて三つのモンスターボールを奪い返すことに成功した。 その後は、ヨウヤが見捨てていったクロバット相手に大捕物を演じたこと。 一連の経緯を聞き終えて、トウヤは「そうか……」と小さくつぶやいた。 「大変やったんやな……せやけど、よう頑張った。偉いで」 「ありがとう」 言葉では言い表せないほど大変な想いをしたのだろう。 どこか翳りを帯びたアカツキの表情を見て、トウヤは多くを言わなかった。 「まさか、街中で堂々と襲ってくるなんてなぁ……マジであいつら、ドラップのことを取り戻したいんやろうな」 「うん。そうだと思う」 心を閉ざし、戦闘マシンとして作り変えたダークポケモンまで持ち出してきたのだ。 それ相応に本腰を入れてきたということだろう。 以前、子供だと思って侮ったせいで、エージェントであるソウタが失敗したのだ。 「アカツキ、すまんかったなぁ。 そんなことが起きとるんが分かっとったら、すぐにでも駆けつけたんやけど……」 トウヤはアカツキ一人に大変な想いをさせてしまったと、素直に謝ったが、アカツキは頭を振った。 彼が謝らなければならないようなことをしているとは思わないし、いつまでもトウヤの力を宛てにしていてはいけないのだ。 アカツキが硬い表情で頭を振ったのを見て、トウヤは小さくため息をついた。 まさか、街中で仕掛けてくるとは…… ソウタの時も確かに街中で騒ぎは起こしたが、それは彼の部下たちによる陽動だった。 衆目の目を彼らに釘付けにしている間に、アカツキが一人でいたのをいいことに、ソウタが襲撃を仕掛けたのだ。 だが、今回はアカツキの兄と、彼のライバル、アカツキのライバルと、その他数名がいたにもかかわらず、堂々と襲撃してきた。 相手が本腰を入れてきた証拠である。 これは早々になんとかしなければ、後々厄介なことになるのは間違いない。 どうしたものか……とトウヤが胸中であれこれ考えていると、アカツキが声をかけてきた。 「トウヤ」 「うん?」 知らぬ間に俯き加減になっていた顔を上げると、真剣な視線をまっすぐ向けてくる彼と目が合った。 「これからが大変なんだってことが分かったんだけどさ…… トウヤ、これからもよろしくお願いします」 「? ど、どうしたんや。そんなこといきなり言うて……」 今さら言われることではないが、言い出したからにはそれなりの理由があるのだろう。 トウヤはビックリしたが、平静を装った。 年長者がこんなことでいちいち驚いていたら、示しがつかない。 どうでもいい意地ではあるのだが、そんな意地でも突き通せば気持ちが落ち着くのだが、一概に無駄なモノとは言えないだろう。 「トウヤを危険に巻き込むことになるし…… オレ、できるだけ自分の力で解決できるようにガンバるつもりだけど、それでも無理だったら……前にも言ったけど、力を貸して欲しいんだ」 「あのなあ……そんなこと、今言うことやないやろ? 前々からそのつもりやったんや。ちょっと大変になったくらいで逃げたりせえへんよ。 そんなことしたら、サラにどつき倒されるに決まっとるし。あいつのメタグロスは敵に回しとうないからなあ……」 「……? サラ……って?」 「ああ、こっちの話や。気にせえへんでええ」 「……?」 「なんなのかしら?」 トウヤは何か隠しているらしい。 アカツキもミライも首を傾げつつそれに気づいたが、言及しなかった。 気のせいか、トウヤの表情が青ざめていたように見えたからだ。 だけど…… 「やっぱりトウヤって頼れる兄ちゃんって感じだよね〜♪」 アカツキはニコッと笑って言った。 「そうね〜」 ミライも微笑んで相槌を打つ。 多くを言わなくても、事情を理解して、ちゃんと力になってくれる。 もちろん、アカツキは自身が言ったとおり、自分の力でできるだけのことをして、 それでも無理なら、そこで初めて力を借りるつもりでいる。 トウヤは兄アラタと同じくらい――さすがに実兄よりも頼れると公言するわけにはいかなかった――頼れる。 「ん……ま、まあな。大船に乗ったつもりでいてええからな。あはははは……」 ここぞとばかりに持ち上げられているのは分かっていたが、ここは声援に応えるべきだろう。 トウヤは胸を張って笑ったが、どこか力が欠けているように思えた。 彼がサラのことで頭がまっさらになっていることなど、アカツキとミライには分からなかったが、 彼と一緒に旅ができれば安心できると分かって、それだけで良かった。 「で……どないするん? これから」 アカツキとミライが安堵したのを見て、トウヤは気持ちを切り替えた。 いつまでもサラのことを考えていても仕方がない。 一応、彼女からもアカツキのことは托されているし、いつかはちゃんと、 自分が置かれている立場も説明するつもりだが、今はどこか危なっかしい年下の少年をサポートすることにしよう。 「明日からまた旅に出るよ。今度はアイシアタウンに行く!!」 「よし、分かった。付き合うで」 「わたしも!!」 「じゃ、決定だなっ♪ 明日からアイシアタウン目指してガンバるぞっ!!」 『おーっ♪』 波に乗ったら、そこからは本当に早かった。 次の目的地はアイシアタウン。 ネイゼル地方の水瓶と言われているアイシア山脈の中腹に築かれたリゾートタウンだ。 ソフィア団の襲撃にも常に警戒しながら旅を続けていかなければならないが、そんな不安よりもむしろ、 新しい仲間と共に旅をすることになったという喜びと、次はどんなジムリーダーが出てくるのだろうという期待に弾んでいた。 Side 8 アカツキとミライがポケモンセンターでトウヤとくつろいでいる頃、ソフィア団の拠点では、 手ぶらで帰ってきたヨウヤが上司――ソフィア団総帥シンラに事の次第を報告していた。 茶髪をオールバックにし、端整な顔立ちと見事に着こなした黒のスーツから、知的な雰囲気を漂わせる外見の持ち主である。 穏やかな瞳をヨウヤに向けながら、口を開く。 「では、失敗したと……そういうことでいいのかな?」 「……そうだよ。分かっているくせに、いちいち訊ねるな」 「ふむ……」 総帥の部屋らしく、高価な絨毯が敷かれ、壁際の本棚には難しい文字が並ぶ背表紙の分厚い本がこれでもかと収められている。 観葉植物もどこか品があるように見えるが、それはシンラの知的な外見と雰囲気がマッチしているからだろう。 その部屋のソファーに向かい合って座り、シンラはヨウヤの報告に耳を傾けていた。 失敗したというのに、悪気も罪悪感もありはしない。 実にふてぶてしい態度だが、それは何も今に始まったことではない。 傲岸不遜な言動から、他の団員からはとにかく嫌われていて、エージェントとして活動するようになったのもつい最近のこと。 上司に対しても口ごたえするような口調でずけずけと話すなど、扱いにくいじゃじゃ馬ではあるが、 単独行動ができるだけの実力は誰もが認めているところだ。 しかし、今回ばかりは失敗した理由を根源まで聞きたかった。 同じことを根掘り葉掘り聞かれて、ヨウヤはとても機嫌が悪そうだった。 むしろ、シンラの方が落ち着き払っているくらいだ。 部下たちの度重なる失敗で、つまらないところで作戦を修正しなければならなくなったが、それでも本流に影響はない。 それは心が広く寛大という意味ではなく、ヨウヤが失敗したからといって、 作戦の根本まで修正しなければならないほど深刻な状態になったわけではないと理解しているからこそだ。 「ダークポケモンを一体、奪われたみたいだね」 「クロバットだろう……? あいつは元々使えないヤツだった。一個くらいくれてやるさ」 「しかし、その『一個』を作るのにどれだけの金と時間がかかっているか、知らないわけではないのだろう?」 「…………」 シンラの淡々とした口調に、ヨウヤは何も言い返せなかった。 失敗したのは事実だ。 クロバットが戻ってこなかったのを見ると、アラタたちに倒されたか、あるいは誰かにゲットされたか…… 少なくとも、クロバットがアカツキたちをコテンパンにしたということだけは考えられそうになかった。 「君ならダークポケモンを扱えると踏んでいたが、それは過大評価だったのかな?」 「冗談じゃない。他のヤツに使いこなせるもんか。 アルデリアもソウタも、ダークポケモンには触れたがらない。僕じゃなきゃ扱えないんだ。 あいつらと一緒にしないでくれ。吐き気がするよ」 ヨウヤはギロリと眼差しを尖らせ、シンラを睨み付けた。 上司相手にもこうやって噛みついてくるところはいかがなものかと思うが、彼の言葉は事実だった。 ソフィア団の主たるエージェントは、ヨウヤを含め三人。 アルデリアと呼ばれた少女とソウタは、ダークポケモンに触れたがらない。本能的に拒んでいるのだろう。 それに引き換え、ヨウヤは文字通り、自らの『武器』として器用に扱っている。 そこのところは評価していいのだろうが、ダークポケモンを一体失ったというのは、失敗と呼ぶにはあまりに大きすぎた。 シンラはテーブルに置いてあるジュースの缶を手に取ると、一口飲んでから、ヨウヤに言った。 「そう思うなら、次は失敗しないように気を引き締めてくれ。 僕たちがいくらお金儲けが上手だからと言っても、資金には限度がある。 増してや、顧問は例の研究で忙しくされている。彼の手を煩わせるのは、僕としても本意ではない」 「分かったよ。次は確実に仕留める。アカツキと言うあのガキ……絶対に泣かしてやる。 僕に楯突いたことを心の底から後悔させてやるよ」 「……子供に、ソフィア団きってのエージェントが二人して負けるなんてね。興味深いところだよ、正直」 「ふん……」 興味深いという言葉が嫌味に聞こえたのか、ヨウヤは不機嫌さを隠そうともせずに荒い鼻息を漏らした。 だが、正直興味があった。 単独行動ができるほどのエージェントは、総帥であるシンラを除けば、ヨウヤ、ソウタ、アルデリアの三人しかいない。 そのうち二人を退けたアカツキという少年は、それほどまでに強いのか……? 部下が負けて帰ってきたというのに、相手に興味を抱くのは場違いかもしれないが、それでも興味深いのは事実だった。 シンラの興味がアカツキに移ったのを察して、ヨウヤは叩きつけるように言った。 「次は必ずあの『素材』を奪い取ってやる。あなたも、あいつがいる方が捗るんだろう?」 「まあね」 「なら、もう一度僕に任せてもらおうか。次失敗したら、降格でも構わない」 「よし、いいだろう。君に任せよう」 意気込みも違うようだし、もう一度任せてみてもいいだろう。 今、ソウタとアルデリアは手を離せる状況ではない。 総帥である自分がうかつに表に出るわけには行かない以上、ここはヨウヤに任せるしかない。 次こそは本気で『素材』……ドラップを奪うことだろう。 「あのドラピオンは、ヤツを完全な形で従えるために必要な研究結果を得るための優秀な『素材』だ。 そうでなければ、わざわざ『忘れられた森』の奥地から連れてこなかったし、君たちに指示など出さない。 それが分かったなら、可能な限り傷つけることなく奪い取るように。 ついでに、他にも使えそうなのがあったら、持って帰ってきてくれると助かる」 「分かっている。作戦を練るから、これで失礼するよ」 「手持ちを補充するかい? 顧問がもう一体、ダークポケモンを作られたけど」 席を立ち、不機嫌さをそのままに部屋を出ようとするヨウヤの背中に、シンラは穏やかな声音で言葉をかけた。 ヨウヤの肩が神経質そうに動いたのが見えたが、構わなかった。 「要らない。今の手持ちで十分だ」 「そうか。それならいいけど」 案の定、差し出した手は呆気なく振り払われた。 他人と同列に扱われることを嫌う少年である。 困った性根ではあるが、実力は確かなのだから、そういったマイナス面にも目をつぶるしかないだろう。 ヨウヤはそれから何も言わず、部屋を出て行くと、叩きつけるように扉を閉めた。 「……やれやれ」 困ったものだ…… シンラは深々とため息を漏らすと、ジュースを飲み干して、空き缶を部屋の隅にあるゴミ箱に投げ込んだ。 「さて、こちらも作戦を次の段階に進めないとね……エージェントが二人も失敗したんじゃ、余裕らしい余裕もありゃしない」 後のことはヨウヤに任せるとして、最終段階に一歩ずつ近づいている作戦に本腰を入れるとしよう。 ハツネ率いる忌々しいフォース団との抗争は最近になって激化しているし、互いに余裕らしい余裕もなくなってきている。 今すぐ組織が瓦解してしまうほど深刻ではないが、決して捨て置いていいレベルでもない。 机に向かい、ゆったりとした椅子に腰を下ろし、パソコンを立ち上げる。 秘密のパスワードを何個も入力してから、ようやっとパソコンが立ち上がる。 なにしろ、ソフィア団総帥のパソコンである。いろいろと機密情報が詰め込まれているのだ。 テレビ電話を起動し、彼が『顧問』と呼んでいる相手に通話を試みる。 研究で忙しいだろうが、呼べば電話口にくらいは出るだろう。 ヨウヤの失敗によって少し乱れた作戦を頭の中で再構築し、最適なものに補完しながら待つうち、相手が電話に出た。 稲妻のような形になった前髪を掻き揚げながら、相手――同年代の青年が訊ねてきた。 「おや、シンラ君。どうしたね?」 「ボルグ顧問。例のボール、製作状況はいかがですか?」 手短に用件を告げると、青年――ボルグは口の端を吊り上げた。 「順調だ。君が提供してくれるボールの質がいいおかげだろう。ただ、納得いくデータを得るためには、まだまだ『素材』が足りない」 「ヨウヤのダークポケモンのような感じでは、やはりヤツを完全に手持ちに加えることはできそうにありません。 正直、あれでは話にならないのです。 強大な力を持つヤツを手持ちに加えるには、ダークポケモンなどというレベルのポケモンではならない…… それこそ、どんな形であってもリライブのできないポケモンにしなければなりません」 「分かっているよ。 私としても、これほどの研究設備を提供してもらっている以上、君らの期待を裏切るようなシロモノを作るつもりはない」 「なら、安心です」 ボルグの答えに満足して、シンラは微笑んだ。 表情こそ好青年のものだったが、笑みに細めた目の奥には、狂気にすら似た色が浮かんでいた。 「では、部下に命じてポケモンを連れて来させましょう。 それと、顧問には負担をかける形になって申し訳ありませんが、例のボールは二個作っていただきたいんですよ。 万が一失敗した時の保険というヤツですが、顧問に限ってはそういうこともないでしょう。 ただ、フォース団も似たようなことを考えているようですから、武器となるものは、最低でも二つは手に入れておきたい」 「分かった。そのためにも、まずは完全な形で心にロックをかける力をデータとして手に入れなければならない。 ボールはもちろんだが、『素材』となるポケモンも頼むぞ。 あのドラピオンがもっとも適合していたのだがな……無理にとは言わん」 「可能な限り早急に届けさせるよう、手配しておきます。 大丈夫だとは思いますが、顧問も可能な限りお急ぎください」 「ああ。それでは研究に戻るゆえ、失礼する」 「ええ……」 ボルグが電話を切り、画面が暗転する。 通信が途切れたのを確認し、シンラは小さく息をついた。 こちらは順調らしい……もっとも、ボルグに研究させている方が本筋なのだから、こちらが順調でなければ困る。 ボルグの研究を支えるためにも、ヨウヤやソウタといったエージェントにも奮発してもらわなければならない。 最終的な計画に支障が出ると思えないが、不確定因子は早期に発見し、排除しておく必要がある。 確定的に成功へ導くためには、どんな不安要素も見逃してはならない。 草の根を分けてでも……という言葉が似合うほど、シンラは椅子の背もたれに深くもたれかかりながら、策をめぐらせた。 「……さて」 十分ほど頭の中であれこれと策をめぐらせていたが、それが終わると、今度は携帯電話を取り出して、とあるところに電話をかけた。 「久しぶりだね。僕との約束どおり、ちゃんと連絡できる状態にはしてあるようだ」 通話が始まり、そう言うと、相手が悔しげに歯噛みした。 ぎりっ、という音が電話越しに耳に入ってくる。この分だと、約束はちゃんと守ってくれそうである。 シンラは人知れず口の端を笑みの形にゆがめた。 「そちらの動きはどうなっている? ……ああ、大丈夫だよ。君が僕との約束を守っている限り、悪いようにはしない。 僕としてもね、君たちを敵に回すのは避けたいところだ。ただでさえフォースの連中が楯突いているんだからね」 相手の口から、詳細な情報が伝えられる。 耳に入った言葉を一字一句に分割して、頭に叩き込む。 すぐさま脳細胞が活性化され、相手からの情報を作戦の中に組み込んでいく。 「よし、それならいいだろう。 これからも協力を期待するよ。 分かっていると思うけど、これをあの女に告げ口したら、こちらとしても紳士的な対応ができなくなってしまうからね。 それじゃあ、また電話するよ」 何か言いたげな雰囲気を発していた相手との会話を一方的に打ち切り、シンラは携帯電話をスーツの内ポケットに放り込んだ。 「ふふ、あの女も、こちらが鍵を握っているとは思ってもいないだろう。 もっとも、そのおかげで安心して策を進められる……」 ところ変わって。 フォース団の拠点では、ハツネがテーブルに足を投げ出すというだらしない格好をしながら、携帯電話で連絡を取っていた。 その相手は、フォレスジムのジムリーダー・ヒビキだった。 「まあ、そんなトコだとは思ってたさ。 ポケモンリーグも、思ったほど使えないんだよね。 最初っから分かりきってたことだけど、そのおかげで『逆に』分かったこともある」 「どういうことだ?」 「まるでこっちの動きを知っているような対応じゃないか。ソフィアの連中は……さ」 「…………」 「そういうことさ。あんたなら、皆まで言わなくても分かるだろう?」 「……っ」 電話口で、ヒビキが悔しげに呻くのが聞こえた。 どうやら図星らしい。 反応されなくても分かっていたことだし、今さら相手の反応を見て楽しむという悪趣味なことをしても意味がない。 持ちつ持たれつの関係だ。互いに甘い汁を舐め合っているのだから、せめて愛想良くしておかなければなるまい。 痛いところを突かれ、ヒビキはしばらく黙りこくっていたが、ハツネは電話を切ったりしなかった。 この分だと、まだまだ得られる情報はある……便りにならないことで有名な女のカンだが、ハツネは第六感的なそれを信じていた。 「それで……」 「うん?」 意外と早く立ち直ったヒビキが問いを投げかけてきた。 「ソフィア団は何をしようとしている? こちらも聞いた話で申し訳ないが、ダークポケモンを使っていたそうだ。数年前、オーレ地方で猛威を振るった『生ける兵器』を。 その技術を手に入れたソフィア団は何を企んでいる? たかだか一介のドラピオンを付け狙う理由と言えば、彼らにとって価値があるからだろう。 それも、ダークポケモンにかかわる何らかの価値だ」 別の情報筋から仕入れた情報を回してくれたらしい。 これは興味深い内容だったが、そこで素直に感心したりはしなかった。 「君なら、少しは知っていると思うんだがな」 「そうだね……」 思ったよりも読んでいる…… ハツネは少し思案をめぐらせた。 単独で行動しているとはいえ、ヒビキは思った以上に調べを進めているらしい。 別の情報網を経由したモノだろうが、単独でやっている割にはなかなかの働きを見せている。 これはハツネとしても悪い気分はしなかった。 褒美代わりに、少しは核心に近づく情報を与えるとしよう。 そうすれば、ヒビキはさらに踏み込んだところまで調べて、情報交換しようと持ちかけてくるだろう。 それは彼女にとって歓迎すべきことだった。 「あいつは、復讐をしようとしてるのさ。やろうったって、無駄だって言うのにね」 「復讐?」 「あんたのことだ。あたしとあいつの素性は調べてるんだろ。だったら、分かると思うんだけどね」 「…………」 「あたしも正直、それ以上のことはよく分からないんだ。 ソフィア団なんて馬鹿げた組織立ち上げたのも、復讐のための道具に仕立てるだけって理由だと思うよ。 何を使って復讐するつもりなのかは分かんないけどさ」 「…………」 ほんの少し、ウソを混ぜておいた。 真実100%よりも信憑性もあるだろうし、もし仮にこの中にウソが混じっていると考えるなら、 ヒビキは深いところまで調べようとするだろう。 それがハツネの狙いだった。 「…………」 「とりあえず、ダークポケモンってのは厄介だ。 あたしも風のウワサで聞いたことはあるけど、普通のポケモンで相手をすると危険なんだってね。 まあ、そこんとこはマスミに任せとくとするさ。 あいつは相手が誰でも関係ない。確実に叩き潰せるだけの力があるからね」 「……まあ、それが妥当だろう」 苦渋の判断と言わんばかりに、呻きながらヒビキが言う。 ハツネは口元の笑みを深めた。 今のところは自分が主導権を握っている……それが分かっただけでも安心すべきところだ。 「さて、あんたにとっちゃ嫌な知らせかもしれないけど、これもソフィアの連中をどうにかするためだ。 黙って協力してもらいたいことがあるんだよ」 「なんだ?」 今ならヒビキも確実に食いついてくる。 多少は反発を食らうだろうが、情報源を失いたくないのは相手も同じはずだ。 ならば、主導権を握っているうちに、少しくらい無茶なことを言っても問題ない。 まるで政治的な駆け引きをしているような感覚で、ハツネは思いきって切り出した。 「アカツキって子のドラピオン、あたしたちがもらうよ」 「なんだと? どういうつもりだ?」 案の定、ヒビキの声音が変わった。 怒りすらにじんでいたが、ハツネは気にするでもなく続けた。 「半分は冗談だよ。ただね、半分は本気さ」 「何を企んでいる?」 「簡単なことさ。 ソフィアきっての『深淵の放浪者』と『孤高の武器庫』が狙ってるくらいだ。 それなりの価値がなきゃ、わざわざ子供相手にエージェント派遣したりしないだろ。 だったら、あいつらに取られる前にあたしたちがいただこうってことだよ。 どんな価値があるのか分かんないことには、こっちだって対処のしようがないからね」 「約束を違えるのか?」 「そういうわけでもない」 「とぼけるな。そちらがその気だと言うなら、僕の方にも考えがある」 「へえ? 聞かせてもらおうじゃん。ポケモンリーグだって一枚岩の組織じゃない。それは分かってるんだろ?」 とびきりの一言を投げかけたつもりだったが、ヒビキは怯むどころか、むしろ強気に打って出た。 「今の僕の立場を考えれば分かるはずだ」 「……なるほどね……」 読み違えたのはハツネの方だったらしい。 普段は穏やかなヒビキだが、そういうヤツに限って、怒った時に何をしでかすか分からないのだ。 だが、彼がそんな反応をするのも予想のうちだった。 何をするか分からないという管理不可能なリスクを背負うことになるが、得られるものもそれなりに大きいはずだ。 こうなったら、打って出るしかない。 まずは、敵を欺くには味方から。 決して褒められたやり方ではないが、相手を引きずり出すためだ。 狙っているモノに対して横槍を入れられれば、多少のボロは出すだろう。 まあ、ソフィア団がそこまで考えていないということを前提にしたやり方だが、有効と思えるのはそれくらいしか思いつかなかった。 「……まあ、あんたが敵に回ろうが、そんなに問題じゃない。 どっちみち、それが終わった時、あんたはあたしと手を組み続けるしかないと思い知るからさ」 「なんだと? どういう意味だ?」 コケにされたと思っているらしく、ヒビキは口調を荒げた。 普段は穏やかなパパだというのに、どうしてそんなにいきり立っているのか……ハツネは苦笑しつつも、考えていた作戦を実行に移した。 完全な味方とは呼べないが、ソフィア団の連中と比べればまだ信じられる。 まずは彼を欺くことからだ。 「さあね。答えを知りたけりゃ、四六時中あの子の傍にいてやることだね。 ただし、あんたにそれができれば……だ。 また連絡するよ。じゃあ、元気で」 「待て。まだ話は終わっていな……」 ヒビキの言葉が終わる前に、ハツネは通話を切った。 さらに、携帯の電源まで切っておいた。 連絡できないのは不便だが、騒がれると面倒なので、やむを得ない処置である。 「さて、吉と出るか凶と出るか。試させてもらおうじゃない」 賽は投げられた。 仕掛けは作るだけ作っておいたし、後はどう転がるか……相手がどんな対応を取るかを見て、そこから糸口をつかんでいくだけだ。 「…………」 重荷から解放されたようにため息をつくと、ハツネは腰のモンスターボールに手を触れた。 「ベルルーン…… あんたにはもう一頑張りしてもらうことになるけど、最後まで付き合ってね」 Side 9 その晩、アカツキはカヅキに呼ばれて、ポケモンセンターのロビーに下りてきた。 キサラギ博士の研究所で厄介になると聞いていたが、なにやら用があるらしい。 明日は朝早く出かける予定だから、早く寝ようと思っていたのだが……せっかく訪ねてきたのだから、無下に追い返すわけにもいかない。 ほとんど人気のないロビーの長椅子に、カヅキが腰かけていた。 「わざわざ呼び出してすまないね」 前まで歩いていくと、カヅキはニコッと微笑んだ。来てくれると思っていたからだろう。 「ううん、別にいいよ。カヅキ兄ちゃん、何か用?」 「ああ。実は君のことを僕の上司に話したんだけど、なんだか興味を持っちゃったみたいで。話をしたいって言い出したんだ」 「上司……? って、兄ちゃんと同じでポケモンレンジャー?」 「うん、そうだよ」 「へえ……」 何がなんだかよく分からないが、カヅキの上司の目に留まったということだろう。 悪い意味ではないと受け取って、アカツキはニコッと微笑んだ。 何気に上機嫌らしい。 「じゃ、電話をかけるよ」 「うん」 カヅキはアカツキを連れて、ロビーの脇に設置されているテレビ電話へと歩いていった。 磨き抜かれた液晶画面の傍に置いてある受話器を手に取ると、タッチパネルから電話番号を入力した。 お決まりの呼び出し音が小さく響く中、カヅキは受話器を持ったまま、アカツキに画面の前の椅子に座るよう促した。 促されるまま、アカツキは椅子に腰を下ろし、電話口に相手の姿が現れるのを待った。 「どんな人なんだろ……?」 アカツキは真っ黒な画面に映った自分自身の表情を見やり、ドキドキしながら電話口にカヅキの上司が出るのを待った。 ポケモンレンジャーという職業があったことは今日初めて知ったが、それ以前にカヅキの優しい性格にすっかり溶け込んでしまった。 単に優しいというだけではなく、ポケモンレンジャーとして幾多の荒波を乗り越えてきたこともあって、 細身の身体ながらも、内面にたくましさを秘めていた。 そんなカヅキの上司なのだから、さぞかしたくましく、それでいて優しい人なのだろう。 期待が一人歩きしていることに気づく間もなく、相手が電話口に出た。 「カヅキか。早速連れて来てくれたんだな。やっぱり、君は行動が早いな」 ダークグリーンの髪に、たくましさを多分に漂わせる顔立ちが印象的な青年だった。 彼は画面越しにアカツキの姿を認めると、ニコッと微笑みながらカヅキに言葉をかけた。 「今ならリーダーも外にはいないと思ったので」 「さすがに俺のことを分かってくれてるな。さて……」 リーダーと呼ばれた青年――カヅキの上司は,アカツキに目を留めた。 「君がアカツキ君だね。カヅキから聞いているよ。一発でクロバットをキャプチャしたんだってね。いやあ、大したものだ」 「いやあ、それほどでも……」 完全に持ち上げられていることに気づいていながらも、アカツキはまんざらでもなさそうだった。 相手がどんな意図を抱いているのか知らないが、それでも褒められれば悪い気はしない。 アカツキの表情が緩んでいるのを見逃さぬような早業で、相手は畳み掛けてきた。 「俺はハヤテ。カヅキから聞いていると思うけど、彼の上司だ。一応、リングタウンのレンジャーベースを任されてる」 「アカツキです。よろしく〜♪」 「ふふ、元気だね。子供はやっぱり元気じゃなきゃな」 アカツキが元気に言葉を返したことに気をよくしたらしく、相手――ハヤテは口元に浮かべた笑みを深めた。 リングタウンというのは、カヅキの出身であるフィオレ地方の町の一つだ。 町にレンジャーベースと呼ばれるポケモンレンジャーの基地があり、ハヤテはその一つを任されているとのことだった。 「カヅキから君のことを聞いて、いろいろと話をしたいと思っていたんだ。 単刀直入に聞こう。 君、ポケモンレンジャーになるつもりはないか?」 「ポケモンレンジャーに?」 「そう。君がポケモントレーナーであることは分かっているんだ」 「むー……」 回りくどい言葉など用いず、ハヤテは直球を投げてきた。 アカツキは訝しげに眉根を寄せると、すぐに視線を足元に落として考え込んでしまった。 いきなり『ポケモンレンジャーになるつもりはないか?』と言われるとは思わなかったからだ。 ポケモンマスターになるのが夢だというのに、なぜだかハヤテの一言に心が揺らぐ。 自分自身、そのことを強く感じているから、なおさら驚いてしまう。 アカツキは「あー」とか「うー」とか唸っていた。 「…………」 ハヤテは素知らぬ顔でそんな少年を見つめていたが、 元気いっぱいの性格の彼もこんな表情を見せるのかと、カヅキはむしろ驚いているようだった。 「うーん、いきなりそんなこと言われても……」 一頻り考えた後で、アカツキは一定の区切りをつけて言葉を返した。 「そうだな。いきなりそんな質問をされて困るのは分かるつもりだよ。俺の聞き方が悪かったな」 アカツキの返答に少々ガッカリしたのか、ハヤテは表情を崩さなかったものの、少し肩をすくめた。 「まあ、君は今日までポケモンレンジャーという職業があること自体知らないから、 レンジャーのことについてよく分からないというのも無理はない。 そんな状況で『なるつもりはないか?』って聞くのも不躾だったな。 でも、カヅキから話を聞いて、ピンと来たんだ。 君にはポケモンレンジャーとしての類稀な素質がある。 だから、俺はカヅキに無理を言って、君と話をすることにしたんだよ」 「…………」 類稀な素質があると言われても…… 正直、そう返してやりたい気持ちはあったが、カヅキの上司がどんな人なのかという期待を抱いた手前、 彼の顔に泥を塗るようなマネだけはできなかった。 これでも、人の気持ちを慮ることのできる性分なのだ。 「でも、素質なんて言われても…… オレ、何がなんだか分かんなかったし、あの時はラシールのこと、助けなきゃって思ってたから。 あんまりよく覚えてないんだ、あの時のこと」 素質などと言われても、ピンと来るはずがない。 ラシールをダークポケモンという戒めから救い出した時は、無我夢中だった。他のことなんて、何も考えられなかった。 だから、ポケモンレンジャーの素質とか言われてもよく分からない。 それがアカツキの率直な気持ちだった。 無論、ハヤテとしても、いきなりポケモンレンジャーの素質だの、なる気はないかだのと不躾なことを言ったという自覚はある。 だが、アカツキを一目見て、短い会話を交わして、たったそれだけでも、彼にポケモンレンジャーとしての素質があることを見抜いた。 カヅキや他のレンジャーを束ねる立場だけあり、見事な慧眼である。 「そうだな。君は一生懸命だったんだもんな。 だけど、カヅキから聞いたと思うが、ポケモンレンジャーは、ポケモンの力を借りて、困った人やポケモンを助けるのが使命なんだ。 君は困った人を放っておいたりはできないだろう?」 「そりゃそうだよ。そんなの、気分悪いし……」 「困った人を助けたいという気持ちがあれば、それで十分なんだ。 もし君がポケモンレンジャーになったら、きっとたくさんの人やポケモンを助けられると思う。 他人のスタイラーで容易くポケモンをキャプチャしてしまうんだから、そこのところは保証してもいい」 「…………」 ずいぶんと立派な御託を並べているが、要するに『ポケモンレンジャーにならないか?』というスカウトなのだ。 それくらいはアカツキにも分かっていたが、どうしてそこまでして熱心な言葉でスカウトするのだろうと疑問が浮かんだ。 困った人を放っておけないというのは本当のことだし、 もし目の前でポケモンや人が困っていたら、少しくらい急いでいたって助けてあげたいと思う。 だが、それとこれとは話が別だ。 ポケモンレンジャーになるのが前提で話が進んでいるとしか思えない。 理屈などというものではなく、直感的にそんなことを思った。 だから、イエスとは返せなかった。 「でも、オレはポケモンマスターになりたい。 ポケモンレンジャーって、困った人やポケモンを助けてるから、すごい職業だって思うけど……」 アカツキは頭を振った。 ポケモンマスターという夢があるのだ。 それを蹴ってまでポケモンレンジャーになろうとは思わないし、 どこかハヤテの手のひらの上で踊らされているような気がして、癪だった。 彼にその気があるのかどうかはともかくとしても、自分の進む道は自分で決めたい。 誰に何を言われても、最終的に決断を下すのは自分自身なのだ。 「……さすがに強引だな……」 カヅキはアカツキの様子を見て、胸中でつぶやいていた。 いきなり『ポケモンレンジャーになるつもりはないか』と言われて、戸惑うのも分かるつもりだ。 それに、ハヤテの理論展開は、カヅキが分かるほど強引で短絡的だ。 結果ありきで話が進んでいる。 半ば独善的で、優しくて包容力のある上司なのか本当に疑いたくなってくるが、 それだけ熱心に、それこそ目の色を変えてまでもアカツキをポケモンレンジャーにスカウトしようとしているのだ。 これでも、何年か一緒に同じ町で暮らしてきて、ハヤテの人となりは一通り理解しているつもりだ。 「でも、決めるのはアカツキだし……行き過ぎたらそれとなく話に割って入って止めさせればいいや」 何らかの考えがあって、そこまで強引に話を進めているのだ。 カヅキはそう思い、しばらく傍観することにした。 「確かに君には君の夢があるんだろう。 それを承知の上で、話をしているんだ。気分を悪くしたのなら謝るよ。 だけど、考えてみてくれないかな? いきなりそんなことを言われて戸惑う気持ちは分かる。だけど、君の素質をこのまま見逃すのは惜しいんだ」 ハヤテはアカツキが気分を害しているのを察して、宥めるような口調で言葉をかけてきた。 熱心に言葉を尽くしてスカウトしているのだろう。 それはアカツキにも分かる。 自分自身ではよく分からないが、もしかしたらポケモンレンジャーとしての素質があるのかもしれない。 ただ、そう思うと、ハヤテが自分の素質を目当てにスカウトしてきたとしか考えられなくなってしまう。 さすがに、カヅキの手前、そんなことを考えるわけにはいかなかった。 そこまでして自分を必要としてくれているということだけは確かだろう。 その理由を訊ねてみたかったが、多分、適当にあしらわれそうだった。 「…………」 ポケモンレンジャーになる気はない。 自分の夢は、あくまでもポケモンマスターになることだ。 アカツキはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げると、 「ごめんなさい。 オレ、ポケモンレンジャーにはなれないよ。 カヅキ兄ちゃんに聞いたけど、ポケモンレンジャーはパートナーのポケモンを一体しか持っちゃいけないって。 オレにはリータやドラップやラシールもいるから、みんなと離れるわけにはいかないんだ。 それに、兄ちゃんやカイトとも約束したことがあるから、それ全部ほっぽり出して違う道に進むってのは考えられない」 「そうか……」 少年の精一杯の言葉を聞くと、ハヤテは理解を示したように表情を和らげ、小さく頷いた。 これは無理か…… 画面の向こうにいる彼の素質は正直、喉から手が出るほど欲しい。 しかし、無理強いするわけにもいかない。 本人がどうしても嫌だと言うなら、それ以上は先に進めなかった。 一方その頃、ミライはキョウコに呼び出されて、ポケモンセンターの屋上にいた。 アカツキがカヅキに呼び出されたのも、ミライがキョウコに呼び出されたのも偶然だろうが、 呼び出した二人が同じ場所からやってきたのだから、どうもきな臭い。 当のミライはそんなことに気づくことなく、貯水タンクに背中を預けながら、星の海に浮かぶ三日月を見上げていた。 「悪いわね。こんな時間に呼び出しちゃって」 彼女の隣で同じように夜空を見上げているキョウコが口を開いた。 「ううん、いいよ。わたしも、キョウコさんとは話がしたかったし」 「……そう、それならいいんだけどね」 ミライの返事に、キョウコは一瞬訝しげな表情を見せたが、すぐに何事もなかったように戻した。 彼女が気を遣ってくれたのかと思ったのだが、どうもそうではなかったようだ。 「それで、話ってなんですか?」 「うん、ちょっと聞きたいことがあって」 「聞きたいこと?」 「うん、そうだよ」 キョウコはミライに顔を向け、ニッコリと微笑んだ。 アカツキやアラタ、カイトには絶対に見せない、純真な笑顔だった。 彼らは自分と同じポケモントレーナーである。 いわばライバルなのだから、馴れ合うようなことだけはしたくない。 スクールに入る前から、アラタとはライバル同士だった。 それに加え、ポケモントレーナーとして旅に出たアカツキやカイトの実力も、新米トレーナーにしては侮れない。 昼に二人が激しいバトルを繰り広げたのを見て、侮れないと素直に思ったほどだ。 だが、ミライはライバルでも何でもない。 気心の知れた友達にはなりたいと思っている。だから、こんな時間に呼び出してまで話をしようと思ったのだ。 女同士でなければできないような話もあるだろうし、何より、アカツキの同行者であるトウヤの前ではどうにも話しにくい。 それこそ、どうでもいいことかもしれないが。 「ミライってさ、アカツキの方ばっかり見てるから。なんか気になっちゃって」 「えっ……そうなの?」 キョウコが出し抜けに放った一言に、ミライがびくっと身体を震わせた。 「? あれ、気づいてなかったの?」 「…………」 まさか、本人が気づいていないとは思わなかった。 キョウコは目を丸くしていたが、黙りこくったままでいるのも、気分的に辛くなって、言葉を続けた。 「まあ、それならそれでいいんだけどさ……なんか、アカツキのこと気になるのかな、って思って」 「え、ええ、そりゃまあ……助けてもらったし……」 「ふーん、そうなんだ。 あんたとアカツキって結構お似合いだから、何かあったんだろうなあ、とは思ってたんだけどね」 「……え……それほどでも……」 月明かりでも、ミライが顔を赤らめているのが分かる。 どうやら、彼女はアカツキのことをいろいろと気にしているらしい。 一緒に旅を続けることになったのだから、仲間意識はもちろんあるだろう。 ただ、キョウコの目には、それがただの仲間意識だけという風には映らなかった。 「あ、アカツキとはね、フォレスの森で初めて会ったの」 「ふ〜ん?」 ミライは余所余所しく目を泳がせながら、アカツキと出会った時のことをポツリポツリ話し始めた。 キョウコが催促したわけでもないのに。 気になっているだけではないらしい……キョウコは苦笑しながらも、ツッコミを入れることなく、黙って耳を傾けることにした。 ミライはたどたどしい口調ながらも、ちゃんと話し終えた。 途中で恥ずかしがって進めなくなるのではないかと心配したが、杞憂に過ぎなかった。 ミライは気が弱そうに見えるが、実は芯の強さも秘めている。 「そうなんだ……結構ロマンチックな出会い方だったんだね」 「え、そうでもないよ」 「まあまあ、そう謙遜しなさんな。 ミライにとって、アカツキって恩人だもんね。それに、ちょっとは好きなんでしょ?」 「えっ、そりゃあ、まあ……」 「そっか〜。やっぱりね〜」 これ見よがしに、キョウコはニッコリ微笑んだ。 やはり、思った通りだった。 キョウコが何を考えているのかなど、想像するだけの余裕がないのだろう。 ミライは顔を真っ赤にして、口をパクパクさせていた。 「そっか〜。ミライはアカツキのことが好きなんだ〜。純情よね〜」 キョウコはニヤニヤしながら、ミライの脇を肘で軽くつついた。 好きという感情はあるにせよ、それは異性に向けるような大人のモノではないだろう。 単純に憧れていたり、頼りになると思っているだけだろうが、それでも誰かを好きになるというのはいいことだ。 ミライはしばらく口をパクパクさせていた。 陸に打ち上げられて酸欠になった魚を思わせる。 キョウコはその様子を見て、胸中で腹を抱えて大爆笑していたのだが…… やがて、ミライは気持ちを吹っ切ったのか――それとも興奮が冷めたのか――、落ち着き払った口調でキョウコに訊ねた。 「ねえ、キョウコさんも、アラタさんのこと好きなんでしょう?」 「えっ……」 さも当然と言わんばかりに切り返され、キョウコは絶句した。 大爆笑などしていられるような状況ではなかった。 気づけば、冷や汗が頬を流れ落ちて、どういうわけか心臓がばくんばくんと音を立てて、身体が熱を帯びたようだ。 「な、な、な……」 月明かりだけではよく分からなかったが、何気に顔を真っ赤に染めて、キョウコが驚きに目を見開きながら震えた声で言葉をしぼり出す。 一瞬、何を言われているのか分からなかったが、 こちらを見上げるミライが口元に意味ありげな笑みを浮かべているのを見て、ハッと気づかされる。 どうやら、ミライとアカツキの間に言えることが、キョウコとアラタの間にも言えるのだと思われたらしい。 しかし、キョウコからすればとんでもない話である。 「なに言ってんの!! 先輩をからかうんじゃないわよ、まったく……!!」 ここぞとばかりに早口で捲くし立て、即座に否定した。 あまりにムキになって否定するものだから、むしろ逆に肯定しているようなものなのだが…… 「…………」 唾が飛ぶのも構わず、近所迷惑になることも構わず、 大声でぎゃーぎゃー叫ぶように言うものだから、ミライはその迫力に気圧されて何も言い返せなかった。 「だいたい、あいつは分からず屋で頭悪いし、変に意地ばっか貫き通そうとするから、 損するって、傷つくって分かってても突っ走っちゃうし……!! 周囲の方がヒヤヒヤして、気が気じゃないのよ、もぉっ!!」 「…………」 「な〜んで、あいつとライバルになっちゃったんだか…… でも、あいつくらいよね、あたしが全力で叩きつぶしちゃおうなんて思えるのは……あー、それ以外は最低!!」 ここぞとばかりに言い募る。 当人は悪口を並べているつもりのようだが、興奮していて何を言っているのか分からないようにさえ見えた。 ……が、ミライからしてみれば、相手のことを否定しているように見えて、実は否定どころか逆に認めているようにしか聴こえなかった。 ムキになって否定しているようだが、本当はもしかしたら、アラタのことが気になっているのかもしれない。 ただ、それを口にすると、さらに喚きたてられそうな気がしたので、やめておいたのだが…… キョウコはそれから十分ほど延々とアラタの悪口を並べ立てたが、疲れ果てたらしく、ぜいぜいと肩で荒い息を繰り返していた。 額にはびっしりと大粒の汗が浮かび、これは家に戻ってからもう一度風呂に入らねばならないだろう。 それはともかく…… 「そういう、わけだから……あたしは、あいつのことなんて、ちっとも……そうよ、ち〜っとも。 好きじゃないわ。誤解、しないでよね」 「はあ……」 息も絶え絶えに言うと、キョウコは貯水タンクにもたれかかり、そのままズルズルと座り込んでしまった。 とはいえ、どう考えてもキョウコがアラタのことを意識しているのは間違いない。 それが好きという感情かどうかは分からないが、ムキになって否定するあたりは、少なくともライバル以上の感情を抱いているのだろう。 さすがに、強気な性格の彼女にそれを確かめようなどという気は小指の爪の先ほども起こらなかったが。 「でも、キョウコさんって強気だから、押し切ろうと思えば押し切れると思うんだけどなあ……」 思うも、その一言は口にできなかった。 「ま、あいつに負けたくないのは確かなのよ。あいつにだけは、負けると気分が悪くなるわ」 「それで……戦績ってどんな感じなの?」 「それがねえ、とりあえず今のところは五分五分ってところよ。勝ち越しはネイゼルカップで、って決めてるのよ。 だから、今はお預けね」 「そうなんだ……」 キョウコとアラタは今まで幾度となくバトルを繰り広げてきたが、対戦成績は五分五分。 片方が一勝を挙げると、すかさず相手が取り返す。 それを繰り返した結果、勝ち負けの数が同じになり、引き分けが膨れ上がった。 もっとも、キョウコは引き分けが膨らんでいる分、次の一勝を挙げられればそれだけ大きな成果だと考えているようだったが。 「ミライも、アカツキのことが気になるんだったら、本人に言った方がいいわよ。 あいつ、アラタと同じで鈍感だからねえ……一緒に旅してる女の子が何考えてるのか全然分かってないみたいだし……」 「え……うん……」 自分が言っていないのを棚に上げ、ミライにはちゃんと本人に言えと進言する。 もっとも、キョウコはアラタのことを別に好きだと思っているわけではないのだから、半ば傲慢な物言いも当然と言えば当然だった。 「…………でも、今はいいよ」 ミライはしばらく俯いて考えに耽っていたが、頭を振った。 「アカツキにはやることがいっぱいあるみたいだし、わたしのことであれこれ言うのって、邪魔するみたいで嫌だから」 「まあ、確かにそうだよね。 あいつ、ネイゼルカップに出場するためにバッジ集めなきゃいけないわ、ドラップを守らなきゃいけないわで、忙しいんだもんね。 あたしはもう四つバッジを集めたから、あとはポケモン育てるだけなんだけど……」 アカツキにはやるべきことが山積みだ。 ネイゼルカップに出場して、アラタやカイトとの約束を果たすこと。そのためにリーグバッジを集めなければならない。 その上、ソフィア団からドラップを守らなければならないのだ。 十二歳の少年の肩には、あまりに重い荷が圧し掛かっている。 それを取り除くことは誰にもできないだろうが、負担を少しだけ軽くしてやることはできるだろう。 極端な話、キョウコはミライならそれができるのだとさえ思っている。 ミライにはミライの気持ちがあるだろう。 サイコロを振るのは彼女自身であり、結局、決めるのもまた彼女自身。気持ちを打ち明けるか、あるいは秘めたまま時を過ごすか。 子供には過ぎた話かもしれないが、一つだけ言っておこう。 キョウコはミライの頭をそっと撫でながら、口を開いた。 「あたしが言うのもなんだとは思うんだけどさ……アカツキのこと、お願いね。 あいつ、アラタの弟だから、やっぱり似てるトコがあんのよ。 なんていうか、無鉄砲なトコとかね……だから、あいつが変に突っ走らないように見張っといてあげてくれないかな?」 「うん。わたし、アカツキに助けてもらった恩返しがしたいの。 だから、頑張ってみるよ」 「お願いね」 ミライがニコッと微笑みながら言葉を返すと、キョウコは釣られたように笑みを浮かべた。 どちらともなく握手を交わし、星の海に浮かぶ三日月を見上げる。 お互いに、心に思っている人がいるということは深く考えていないようだった。 第7章へと続く……