シャイニング・ブレイブ 第7章 絡み合う思惑 -Into the black stream-(前編) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って16日目。 アカツキたちはレイクタウンを後にし、次のジムがあるアイシアタウンへと向かっていた。 昨日、ソフィア団のエージェント・ヨウヤの襲撃を受けて間もないというのに、 アカツキたちは実に和気藹々としゃべりながらノースロードを歩いていた。 昨日の今日だが、嫌なことがあったからこそ、明るく振舞ってそれを忘れようと言うのだ。 ヨウヤの襲撃、新しい仲間の誕生、それから……たった一日だったが、中身がありすぎて濃厚な一日だった。 それはしかし、裏を返すなら、嫌なことが多かったから、充実した一日と言う言い方はできないだろうか。 それでも、いろんなことを話した。 やがて話が昨晩のことに及び、トウヤがアカツキに訊ねた。 「で……昨日ポケモンレンジャーのあんさんに呼ばれとったけど、何話してたん?」 どうやら、カヅキと何を話していたのかと、気にしているらしい。 本当にどうでもいいようなことなのだが、保護者的な立場である以上、気になってしまうのだろう。 不必要にプライベートに干渉するのはいかがなものかと、ミライは表情を険しくしてトウヤを見やったが、 むしろアカツキは何も気にすることなどなかったかのように気楽に構えていた。 「ん〜、カヅキ兄ちゃんの上司って人と話したんだよ。 ポケモンレンジャーになる気はないかって。 でも、オレは断ったよ。ポケモンマスターになるって夢があるんだから、ポケモンレンジャーになんかなるわけないし」 最初から素直に白状していれば、後でとやかく突付かれることはない…… という大人の判断をしたわけではなく、別に隠すほどのことでもないからと、あっさりと打ち明けた。 アカツキの言葉に、トウヤは眉を上下させた。 そんな話があったのかと言いたげだったが、ミライの反応はそんなものではなかった。 「ええっ、ポケモンレンジャーって……スカウトされたってこと?」 トウヤに向けていた険しい表情はどこへやら。 驚きに目を大きく見開いて、弾かれたようにアカツキに振り向く。 「うん。そうみたい。 なんか、オレにポケモンレンジャーの素質があるとかなんとか言ってたけど……」 アカツキは頷くと、詳細を惜しげもなく話した。 カヅキの上司ハヤテが、アカツキをポケモンレンジャーとしてスカウトしたこと。 暴走状態だったクロバットを、ディスクに攻撃を一度も受けることなくキャプチャしたことから、 ポケモンレンジャーとしての素質が十分と判断してスカウトしたこと。 「そういえば、あの時のアカツキってホントにポケモンレンジャーみたいだったもんね……」 アカツキの話を聞いて、ミライはなにやら納得したらしく、何度も頷いてみせた。 狂ったように暴れていたクロバットの攻撃は熾烈を極めた。 エアカッターで絨毯爆撃を仕掛けてきたかと思えば、アカツキがキャプチャしようとしていることに気づいてからは、 いかにも威力が高そうな黒い衝撃波を飛ばしてきた。 それらの攻撃を掻い潜り、アカツキは生まれて初めて見たスタイラーを操って、見事にクロバットをキャプチャしてしまった。 キャプチャするということは、ポケモンに『力を貸して欲しい』という気持ちを伝えるということである。 それに成功したということは、閉ざされた心の扉を開き、ダークポケモンという柵から解き放つということに他ならない。 そのおかげで、クロバットはダークポケモンになる前の状態に戻った。 今ではアカツキの四体目の手持ちとして、ラシールというニックネームを与えられて、彼と共に旅をすることになった。 アカツキがラシールをキャプチャした時の様子を思い浮かべて、彼がポケモンレンジャーにスカウトされるのも理解できた。 スタイラーが素人に容易く扱えるものではないと、カヅキから説明を聞いたからなおさらだった。 だから、どうしてそんな簡単に断ったのか……ミライには信じられないことだった。 ハヤテはレンジャーベースを預かる凄腕ポケモンレンジャーだ。その眼鏡に適ったというのは、並大抵の素質ではあるまい。 自ら機会を蹴ったアカツキの気持ちを理解できないミライには、信じられないことだった。 「なんで断ったの? スカウトされるのって、すごいことなんだよ」 「そやな。普通、ポケモンレンジャーってスカウトされるモンやないんや。 なんや、レンジャースクールっちゅーモンがあって、そこを卒業できたヤツだけがレンジャーになれるとかなれないとか…… そんな話を聞いたことがあるんや」 「そうだよ。断っちゃうなんて、もったいないなあ……」 ミライとトウヤが口々に『もったいない』と言うが、アカツキは怯むことも驚くこともなく、淡々と返した。 「だってさー、オレはポケモンマスターになるって決めてるし、 アラタ兄ちゃんやカイトと、ネイゼルカップでバトルしようって約束してるんだから。 ポケモンレンジャーになっちゃったら、約束を果たせなくなっちまうじゃん」 言葉が終わるが早いか、ニッコリと微笑む。 確かに、トウヤの言うとおりだろうと思う。 スカウトされるほどの素質が、もしかしたら自分の中に眠っているのかもしれない。 だが、だからといってそれだけで容易くポケモンレンジャーになろうなどとは思わないのだ。 夢があり、約束がある以上、そのために頑張るのは当然だと言わんばかりだったが、 アカツキのまっすぐな姿勢は、ミライとトウヤを黙らせるのに十分だった。 「それに、ポケモンレンジャーになっちゃったら、みんなと離れ離れになっちまうんだ。いくらなんでも、それは嫌だからさ」 アカツキがポケモンレンジャーにスカウトされて首を縦に振らなかった理由の一つは、 ポケモンレンジャーはミッション時にパートナーとなるポケモンを一体しか連れて歩けないというルールだった。 もしポケモンレンジャーになっていたとしたら、ネイト以外の三体……リータ、ドラップ、ラシールとは離れ離れになってしまうのだ。 手持ちに加えたばかりのラシールのことを考えると、絶対に首を縦に振るわけにはいかなかった。 ……というわけで、アカツキはハヤテのありがたい申し出を断り、ポケモントレーナーとして頑張っていくことに決めたのだ。 「ま、おまえが決めたこっちゃ。オレらがとやかく言う問題やあらへんな」 「……そうね」 アカツキがポケモントレーナーとして頑張っていこうとしているのを見て、トウヤはため息混じりに言葉を返した。 つまらないことを訊いたと思ったが、ミライはそれでももったいないという気持ちを捨てきれずにいるようだった。 だが、アカツキはポケモンのことを一番に考えている。 夢や約束はもちろんだが、手持ちのポケモンのことを考えているからこそ、ハヤテの申し出を断ったのだ。 そんなところを見せつけられたら、何も言い返せないではないか。 「でも、それがアカツキの強さだもんね。しょうがないか……」 言葉の代わりに、肩をすくめ、苦笑する。 「ま、そーいうわけだから、トレーナーとしてガンバるってことさ。 次はアイシアジムでジム戦だ!! バッジをゲットしてやるぞ〜っ!!」 アカツキはあっさりと話を終わらせると、アイシアタウンでのジム戦に向けて闘志を激しく燃やした。 ノースロードの先には、中腹にアイシアタウンを抱くアイシア山脈がそびえている。 山頂付近に降り積もっている万年雪と氷がネイゼル地方の水資源を一手に担っていることから、ネイゼル地方の水瓶と言われている。 アイシアタウンは夏の盛りでも真夏日にならないほど涼しい気候の中にあるが、反面、真冬は雪と氷に閉ざされるという厳しい環境を併せ持つ。 夏場はリゾートタウンとして賑わうが、冬場になると往来することさえ難しくなる。 幸い、今は春から夏に移り変わろうとしているところである。 涼しいというより寒いのかもしれないが、少しくらいの寒さなど、走り回ればすぐに解消される。 「アイシアジムのジムリーダーか……どんなヤツなんやろうな?」 トウヤは拳を高々と掲げているアカツキに目をやり、試すようにそんなことを言った。 アカツキは試されているとは知らず、無邪気な笑顔を向けると、 「どんなヤツだっていいって!! 手強いだろうけど、オレには仲間がいるんだ。負けやしないさ!!」 元気に言葉を返した。 フォレスジムで勝利を収め、リーフバッジを手に入れたことで、トレーナーとしての自信がついたのだろう。 この分なら、自分があれこれ心配する必要もないだろう。 とはいえ……どこか自信過剰な面は否めないが、自分に自信が持てずにウジウジしているよりはずっとマシだ。 現に、アカツキのトレーナーとしての実力は、出会ったばかりの頃と比べると天と地ほどの差はあると言ってもいいだろう。 もちろん上を見ればキリがないが、ジムに挑戦しても問題ないくらいのレベルには達している。 「まあ、まだまだなんやけどな……これからガンバればええわ」 まだまだ旅は始まったばかり。 これからじっくりと頑張って、実力を伸ばしていけばいい。 ローマは一日にして成らずと言うように、一朝一夕で実力が身につくほど、トレーナーの世界は甘いものではない。 それくらい、アカツキならちゃんと理解しているだろう。 「そうよね。アカツキなら勝てるわよね」 「おう、任せとけっ!!」 ミライがニコッと微笑みながら言うと、アカツキは大きく頷いて、ガッツポーズなどしてみせた。 アイシアジムのジムリーダーがどこの誰で、どんなポケモンを使ってくるのかなどまるで分からないが、 相手が誰だろうと全力でぶつかっていく姿勢に変わりはないのだ。 余計な詮索をするだけ時間と気力の無駄である。 「まあ、あと四日はあるんや。その間に少しでも特訓すればええやろ。 おまえがやりたい言うんやったら、いつだって付き合うたるさかい」 「うん、お願い!!」 アイシアタウンまでは徒歩で五日近くかかる。 何も焦る必要はないし、どうしてもそれくらいの時間がかかるのだから、その間に実力をつけるための努力をしていけばいい。 トウヤの言葉に、アカツキはすかさず飛びついた。 彼はアカツキの保護者を自分で名乗っているだけあって(その割にはあまり歳が離れていないが、 そこのところは精神的な歳の差という意味だろう)、いろんなことを知っている。 各地を旅して回り、たくさんのものを見てきたからだろう。 どこで情報を仕入れているのか、世情にも詳しく、ポケモンバトルの腕も立つのだ。 アカツキからしてみれば、保護者以上の存在に違いないから、全幅の信頼を置ける。 アカツキとトウヤが楽しげな表情を向け合っているのを見て、ミライまで気持ちが上向いていた。 元々内気な少女ではあったが、アカツキの明るさに触発されて、少しずつ明るい性格に変わりつつある。 「わたしはトレーナーじゃないけど、アカツキの応援はしてあげたいな。 だって、本当にやっちゃいそうな気がするんだもん」 ダークポケモンを一発でキャプチャして、ダークポケモンという柵から解放してのけるのだ。 何だって本当にやってしまいそうだと思わせるのに十分すぎる。 「せやけど、そっちばっか考えとったってあかんで? ソフィア団の連中が何考えとるんか分からへんのやから」 「分かってる。でも、どいつが来たってぶっ飛ばしてやるよ!!」 「そうよ。人のポケモンを力ずくで奪っていこうなんて、そんなの許しちゃダメだもん!!」 「そうやな。悠長に手加減してられる相手でもあらへんし……全力でぶっつぶすくらいの気で行かなあかんわな」 トウヤは肩をすくめた。 ジム戦に想いを馳せるのは結構だが、忘れないでもらいたいのは、今アカツキは――正確には、ドラップがソフィア団に狙われている。 元々はソフィア団が所有していたポケモンだそうだが、 ダークポケモンの研究材料にされそうになって逃げ出して、アカツキにゲットされて今に至る。 どうも、ドラップは優秀な素質の持ち主らしく、 だからこそソフィア団はいま一度その手に取り戻そうと、エージェントを派遣して簒奪しにかかってきた。 二度の襲撃を辛くも切り抜けたわけだが、今後は相手も本腰を入れてくるだろう。決して油断はできない。 いつどこで襲撃を受けるのか分からないという不安はあるが、いつまでもそんな不安に囚われていても仕方がない。 アカツキもミライもそれをよく分かっているようだから、トウヤはさほど心配していなかった。 ポケモンリーグも全面的にバックアップしてくれるようだし、ソフィア団と敵対しているフォース団も、 味方ではないがそれに近い立場であることは間違いない。 とはいえ…… 「一度も援軍なんてなかったんやけど……」 トウヤが胸中で愚痴ったように、ポケモンリーグは一度も援軍を寄越さなかった。 ネイゼル支部のチャンピオンであるサラとは知り合いであり、彼女に直接掛け合ってみたが…… 返事は好感触なものの、実質的には何もしてもらっていないのと同じだ。 いつまでもこの三人で切り抜けられるとは限らない。 可能な限り、早急に手を打たなければならないのだ。 「サラやて分かっとるはずなんやけど……」 自分に分かることが、彼女に分からないはずがない。 何か困っていることでもあるのか、それとも…… 考えたところで、答えは出そうになかった。サラには頭が上がらないし、そもそも勝てる気がしないのだ。 当面危機的には見ていないのか……? どちらにせよ、彼女は信頼できる。見えないところで手を打っているのは間違いないだろう。 「まずはアイシアタウンまで無事に着くことや」 リゾートタウンとはいえ、ジムリーダーがいる街にいれば、ソフィア団のエージェントだって易々と手は出せないだろう。 サラがチャンピオンの名の下に、各街のジムリーダーに通達を出しているだろうから、こちらから訪ねれば、力になってくれるはずである。 だから、まずはアイシアタウンにたどり着くことだ。 「そろそろ、これの出番かもしれへんからな……」 カバンに入っているアイテムの出番が近いかもしれない…… なにやら楽しそうにしゃべり始めたアカツキとミライを尻目に、トウヤは一人、考えに耽っていた。 温存したつもりはないが、めぐりめぐってこんな形で役に立つとは思いもよらなかったが、 役に立たないままタンスの肥やしになるよりはずっとマシである。 「ま、使わなくて済むんやったら、それに越したことはないんやけど……」 小さなため息は、一瞬たりとも留まることなく、すっと虚空に溶けた。 それからいろんなことを話したりしながら歩くうち、空が朱色に染まり、夕陽が西の彼方に沈み行く頃。 「そろそろ寝床を確保せなあかんな」 「うん。この辺ならどこでもいいんじゃない?」 トウヤの言葉に、アカツキは足を止め、周囲に視線を這わせながら頷いた。 アイシア山脈に差し掛かるまでは、道路の両脇には見渡す限りの平原が広がっている。 背丈の高い草が生えているわけでもなく、障害物らしいものは、ところどころに突き出している岩くらいしかない。 ポケモンセンターはアイシア山脈の麓にあり、とてもではないが今日中にたどり着ける距離ではない。 今日は野宿をしなければならないだろう。 旅に慣れているトウヤや、野宿に抵抗のないアカツキならまだいいが、あまり外で過ごすことのないミライにとっては一大事。 とはいえ、嫌だと言うわけにもいかない。 わがままを言ってアカツキたちを困らせるのは嫌だし、野宿は野宿でいい経験にもなる。一概に悪いことでもないのだ。 ミライは何も言わず、拳をグッと握りしめた。 「そうやなあ……あの辺にしようか」 トウヤが指差したのは、近くの岩場だった。 道から少し離れているから目立ちにくいし、襲撃を受けてもすぐに困るようなこともない。 アカツキは寝る場所ならどこでも良かったので、すぐにオッケーサインを出した。 「ミライはどう?」 自分はいいが、ミライはどう思っているのか…… アカツキは振り向きざまに彼女に訊ねたが、 「うん。わたしもそこでいいよ。道から見えないし……」 「ほな、決定やな」 「ええ……」 ミライも賛成してくれたので、今晩の寝床はそこで決まりだ。 「よ〜し、準備しようっと!!」 決まるが早いか、アカツキは岩場へ向かって駆け出した。 言葉どおり、野宿の準備を先にしておくつもりらしい。今までも薪を集めたりしてくれたので、トウヤもミライも彼を止めたりはしなかった。 ただ、二人して困ったような笑みを浮かべて、ただ顔を見合わせて「しょうがないな」と思うしかなかった。 Side 2 ディザースシティにあるポケモンリーグ・ネイゼル支部のビルの一室。 五人の若者が集まっているが、いずれも個性的な面々だった。 あまりに不似合いな組み合わせもあるものだから、細かな描写は省くが、五人とも雰囲気に隙らしい隙は見当たらなかった。 広い一室には円卓が設けられ、五人は席についてあれこれと論議をしていたようである。 その中の一人にして、リーダー格のサラが今後の方針について述べると、早速質問が上がった。 「サラ、一体これからどうするつもり? ヒビキさんがジムリーダーを下りてまで連絡役になってくれたのはいいとして、音沙汰なしよ。 それはまずいんじゃないかしら。早々に手を打つ必要があると思うんだけど」 言葉の主は、いかにも気の強そうな顔立ちの女性だった。 サラの右手に腰を下ろしているが、なぜか神経質そうに足で床を小突きながら、眉根を寄せていたりする。 それだけ今後のことについて真剣に考えているのだろうと受け取って、サラは小さくため息など漏らしながらも言葉を返した。 「そうだね。 それはぼくとしても危険なことだと思ってるんだ。 みんなには伏せておいたけど、一応手は打ってあるんだよ」 「手……とは?」 さらに別の相手から質問が飛んでくる。 こちらは先ほどの女性とは違って、どこか軽薄で、首から下げたドクロのネックレスをなにやらいじくっている青年だ。 目線も合わせずに言葉だけなんて図々しい限りだが、別にそんなことは気にしていない。 礼儀に厳しい人なら、失礼だろうとたしなめるところだろうが、まあどうでもいい。今に始まったことではない。 「なに、簡単なことだよ。 ぼくの知り合いがちょうどそのトレーナーと一緒に行動を取っててね。 彼をメッセンジャーにしてるから、情報は常にぼくのところに入ってくる。 こちらからも接触できるから、ヒビキさんが何をしてるか分からない状況だけど、それほど心配することはないんだよ」 「とはいえ、ヒビキさんのことだから、そう易々とやられるとも思えないんだけど、心配なのよね……」 「それは俺も同感だな。あの人は確かに頼れるが……任せきりにするのもいかがなものかと思うぞ」 残りの二人もすかさず言葉を返してきたが、これはサラにとって予想の範囲内だった。 彼女自身、彼らに情報をすべて与えきっていないという自覚があるのだから。 今目の前にいる四人は、信頼の置けるメンバーである。 それでも言えないことがあるのだから、実はかなり切羽詰まっている状況なのかもしれない。 「ぼくが動ければ一番なんだけど、それができないんだよね」 「そりゃそうだろ。サラが動いたら、この地方がひっくり返っちまうよ」 「ヒビキさんは独自で動いているみたいだから、そんなに心配する必要はないと思う。 ジムリーダーを辞したのも、その方が動きやすくなると判断したからだよ。 連絡が取れないというのが気がかりだけど、それでもぼくたちのやるべきことが変わるわけでもない。 それだけは間違わないでいてよ」 「分かってるって」 ――本当に? 言い返したくなるのをグッとこらえる。 相変わらず、ドクロのネックレスをいじくり回している。 一体何が楽しいのかと一度訊いてみたかったところだが、今はそんなことをしている場合ではない。 とりあえず、言うべきことを言い、言われることを言われなければ先に進まない。 「で……そのメッセンジャーって?」 「それは言えないよ。 ただでさえ、ドラピオンのトレーナーの面が割れちゃってるんだから。 これ以上無駄に情報を広めるのは得策じゃないよ」 「あたしたちでも?」 「うん」 最初に問いかけてきた女性に、サラは深く頷きかけた。 とりあえず、裏向きにしておく手札が欲しい。文字通りの切り札にするためには、相手が誰であろうと見せてはならない。 その瞬間に、切り札としての価値と威力を失ってしまうからだ。 どうでもいい言い訳だと、胸中に並べ立てた哲学的なセリフを一蹴してみせるが、どうも彼女はサラの言い分に納得し切れていない様子だった。 それでも、渋々といった表情で引き下がる。ここで何を訊いても無駄だと悟ったのだろう。 サラはホッと胸を撫で下ろしながら、一同の顔を見渡した。 「本当はみんなの力を最大限に借りたいところだけど、ソフィア団は侮れないから。 とりあえず、切り札は切り札として、ぼくの手の中に取っておきたいんだ。 分かってくれとは言わないけれど、これがぼくのやり方だから」 淡々と言いながらも、その言葉には並々ならぬ決意がこもっている。 四人とも、サラの性格はよく知っている。 優しげな女性に見えて、実は一度決めたことを何がなんでもやり抜こうとする強い精神力の持ち主だ。 だからこそ、彼らもサラに全幅の信頼を置き、置かれることができる。 それが分かっているから、そこまで言われて反論できる者はいなかった。 最近になって勢力を増してきたソフィア団を警戒するのは当然だし、切り札は誰にも見せないからこそ切り札としての価値を持つのだ。 「まあ、サラがそう決めたのなら、私は何も言いません。 でも、ヒビキさんの動向を知っておくのは大事だと思います」 ……と、出し抜けに左手に腰を下ろしている物静かな女性が口を開いた。 隣でドクロのネックレスをいじっている青年とは顔が似ているが、雰囲気は正反対だった。 言葉少なで、いかにもおとなしげな女性だが、芯は強い。 「そうだね。確かにそれはそのとおりだと思うよ」 サラは彼女の言葉に頷くと、続けた。 「ヒビキさんの動向が分からないから、保険としてメッセンジャーをつけてるだけだけど、 さすがにソフィア団が本気になってかかってきたら、ちょっと厄介なことになるかもしれないからね。 こちらからも探りを入れるとしようか。 アズサ、カナタ。キミたちならどんな相手が出てきても大丈夫だから、二人で行動してくれないかな?」 「分かりました。そうしましょう」 「いいぜ。たまには外に出て動かないと、身体鈍っちまうよ」 物静かな女性――アズサと、ネックレスをいじっている青年――カナタが揃って首を縦に振った。 「それで、僕はどうすればいい?」 サングラスを頭上に載せている青年が問いかけると、気の強い顔の女性がその言葉を継ぐ。 「そうね。あたしたちにもやるべきことがあるんでしょ。だったら、さっさと教えなさいよ」 「うん。ギランとチナツには、各地の警備をお願いしようかな。 当面の相手はソフィア団になると思うけど、フォース団からも目を離しちゃいけないような気がするからね。 何かあったら、すぐに仲裁に入るか、もしできるのなら首謀者を捕らえてもらえると助かるよ。 でも、四人とも無理はしないでね。キミたちのうち一人でも欠けると、ポケモンリーグにとってはすっごく痛手だから」 この四人なら、やるべきことはちゃんとやってくれるだろうが、無理は禁物だ。 サラの言わんとしていることを理解して、チナツと呼ばれた女性は鼻を鳴らし、ギランと呼ばれた男性に目を向けた。 「分かってるわよ。あたしなら大丈夫。問題があるとしたらギランの方よね」 「何言ってんだい。チナツの方こそ変に突っ走って暴走されると困るんだよ。 他人にケツを拭かせるのは感心しないし。 ほら、この間ノースロードでソフィアとフォースのでっかい乱闘騒ぎがあった時なんか、 ここぞとばかりにヴァイスと一緒に暴れて、後始末が大変だったんだから。 それ、忘れてなんかないよねえ?」 「そ、そりゃそうよ。 あんなにやりすぎたりはしないわ。 だいたい、それを言ったら、あんただって変にじゃれてないで、ちゃんと全力で取り掛かりなさいよ。 あんたのアブソル、相手が悪タイプと見るとすぐに遊びたがるんだから……ポケモンの管理くらい、ちゃんとしてもらいたいわね」 「あっははは。自由奔放な気持ちになるのはいいことだよ」 「あ、あのねぇ……」 ギランとチナツがなにやら言い争いを始めてしまったので、サラは肩を落とすと、深々とため息を漏らした。 この二人がこんな風に言い争うのはいつものことだが、今は重要な局面を迎えているのだ。 痴話ゲンカにしても、余計な諍いは持ち込むべきではない。 「二人とも、そこまでにしてよ。 ぼくは二人の実力をよく知ってるから、安心して任せられるけど、相手に隙なんか絶対に見せないように。 それと、何もなくても必ず一日に一度以上はぼくに連絡を寄越して。 ヒビキさんみたいに失踪されると困るからね」 「はいはい」 「分かってるって」 サラの言葉に二人して生返事。 これで本当に大丈夫かと一瞬不安になったが、サラはここを動けない。 チャンピオンという立場は実に厄介なもので、自分の一存で思い切って動くことができないのだ。 ソフィア団に狙われているドラピオンのトレーナーの傍にいるメッセンジャーにもきつく言われたが、こればかりはどうしようもない。 むしろ、この状況を利用して何とか動けないものかと考えてはいるが、上手い方法が考えつかない。 背に腹は代えられない……という状況にでもなれば、話は別だろうが、さすがにそんな事態を招くのもバカげた話。 さて、どうしたものか…… サラがそれから何も言わないのをいいことに、ギランとチナツがまた言い争いを始めるが、アズサとカナタはそれを止めもしない。 止めるだけ無駄――とばっちりを食らうと思って、手出しをしないだけだろう。 馴染んだ言い争いを耳に挟みつつ、サラは窓の外に目を向けた。 夜の帳が降りながらも、ディザースタウンは華やかなネオンの光に包まれて、まだ昼間であるような様相を呈している。 カジノをはじめとする歓楽街があるのだから、それはそれで仕方のないことなのだが、人間本来の営みから離れつつあるのは否めない。 「さて、あとはアカツキって子とトウヤがどう動くかってところだね。 そっちからは連絡が入るからいいとして……問題は……」 当面の問題があるとしたら、外側よりもむしろ内側だろう。 サラはそう思い、思案をめぐらせた。 ――どうやら、夜はこれから長く訪れるらしい。 Side 3 ――アカツキが故郷を旅立って18日目。 アカツキたちはノースロードを北へと進み、アイシア山脈の山道へと差しかかった。 昨日は麓のポケモンセンターでゆっくり休めたから、気分は爽快だ。 「山道か〜。楽勝楽勝♪」 アカツキは曲がりくねった道に目を向けながらも、笑みを崩しもしなかった。 元々身体能力には自信があるのだから、延々と走り続けても大丈夫だとさえ思っているが、 むしろ一緒に行動しているトウヤとミライの方がアカツキの身体能力についていけない。 「でも、ここから大変なのよね……ポケモンセンター、ないんだもんね……」 ミライはつづらおりの山道を見上げながら、深々とため息を漏らしていた。 麓のポケモンセンターとアイシアタウンの間に、別のポケモンセンターはないのだ。あと二日は野宿をしなければならない。 野宿が嫌いなわけではないが、それでも気持ちいいとは言いがたい。なにしろ、野外で寝るのである。 家でゆっくり眠ることに慣れているミライにとっては、あまりいいとは言えない環境だが、 自分でアカツキについていくと言い出した以上は、今さら泣き言など並べたくはないし、アカツキを困らせたくない。 これでも、芯の強い少女なのだ。 「でも、頑張らなきゃ。わたしだけ弱音を吐くわけにはいかないわ」 あっさりと弱気になっていた気持ちを建て直し、決意に満ちた表情を浮かべる。 そこのところは、アカツキの影響を受けているのかもしれない。本人はそうと気づいている様子もないが。 「もうすぐアイシアタウンだから、気持ち引き締めてかなきゃな」 「そうやな」 アカツキの言葉に、トウヤは大きく頷いた。 アイシアタウンでは早速ジム戦を挑むつもりでいるのだ。今のうちから気を引き締めておいた方がいいだろう。 もちろん、それまでソフィア団が襲撃してくるかもしれないのだから、気など抜くに抜けない。 「トウヤはアイシアタウンに行ったことあるのか?」 「ない。俺はネイゼル地方は初めてやからな」 「そうなんだ……」 「カントーやジョウトならだいたい分かっとるんやけど、ネイゼルに来たんは、 知り合いがおるからでな、それ以外の理由なんてモンは正直あらせえへん」 「ふーん……」 トウヤ曰く、ネイゼル地方には昔世話になった恩人がいるとかで、その人に会うためにやってきたのだとか。 アカツキは「それって誰?」とさり気なく訊ねてみたが、上手くはぐらかされた。 思考回路が単純な少年を煙に巻くのはそれほど難しくなかった。 「たぶん、もうすぐ会えるんとちゃう?」 そう言われてしまえば、アカツキがそれ以上言葉を出せなくなるのもお見通しだ。 トウヤの恩人なのだから、さぞかしすごい人なのだろう……アカツキは期待に瞳をギラギラ輝かせていた。 こうなると、煙に巻かれたという自覚は皆無だろう。 「ま、サラはネイゼル地方のチャンピオンやからな……嫌でも会うことになるんやろうけど……」 自覚のないアカツキは放っておいて、トウヤは恩人ことサラのことを思い浮かべていた。 そう遠くないうちに彼女とは会うことになるだろう。 ネイゼル地方を揺るがしかねない状況なのだ。嫌でも会うことになる。 会って、またからかわれるのだろうか……だけど、そうやってからかってくる子供っぽさが憎めない。 親しいというほどの仲ではないが、他人よりも近い距離にあることだけは間違いないだろう。 うれしいのかうれしくないのか、よく分からない気持ちを抱いていると、ミライに言葉をかけられた。 「でも、トウヤの恩人ってどんな人なんだろうね? 結構すごい人なんじゃないの?」 「うん? まあな」 確かにすごい人ではある。 トウヤは素直に頷いたが、それがかえってミライの好奇心を膨らませる結果になって、彼女からこれでもかとばかりに質問攻めに遭った。 「トウヤはその人のこと好き? っていうか、男の人? 女の人?」 「あ、あのなあ……」 一体何を知りたいのかと思ったが、 「なんか、トウヤっていろいろ秘密抱えてそうで、気になるんだよ〜。 恩人って言うからには、本当に世話になって、頭が上がらなかったりするんじゃないの?」 「ま、まあな」 確かに頭は上がらない。 トレーナーとして必要な技術や知識を教えてくれたのはサラだ。 彼女がいろいろと教えてくれなかったら、フォレスタウンでソウタの相手など務まらなかっただろう。 その他にも、世の中を渡っていくのに必要な処世術やら、本当に役に立つか分からないような無駄知識まで、彼女に教えられたことは数多い。 憎まれ口を叩けるのも、彼女のことを心から信頼しているからこそだ。 ミライがなにやら瞳をキラキラ輝かせながらトウヤに詰め寄っているのを見て、アカツキはなんだか楽しそうだと思った。 本当はここで話に加わっていろいろと話をしたいところだが、今は少し考えたいことがあった。 「ドラップって、どんな目に遭ってきたんだろ?」 ソフィア団がダークポケモンを研究するための『素材』と言っていたドラップ。 今でこそアカツキをトレーナーとして認め、彼と共に旅をするのが当たり前だと思ってくれているが、 それまではどんな風に過ごしてきたのだろう? ドラップのトレーナーになったからこそ、それ以前のことが気になって仕方がない。 増してや、苦い思い出しかないのなら、なおさらだ。 もしかしたら、心の傷として残っているのではないか……そう考えると、なんとかしてその傷を塞いであげたいという気になってくる。 トレーナーとしての使命というより、これはアカツキ自身がやってあげたいと素直に思っていることだった。 「素材なんて言い方しやがって……次会ったら、ぶん殴ってやる」 ポケモンは道具じゃない。素材でもない。 人と共にこの地球に生きている、かけがえのない仲間だ。 それを素材などと言ったヨウヤのことがどうしても許せない。 グーに握りしめた拳でぶん殴ってやりたい衝動に刈られたが、その気持ちは本人を前にするまで取っておこう。 ここで怒鳴り散らしたり、格闘道場で培った技術を披露したところで意味がないのだ。 「だけど、ドラップはオレの仲間なんだ。 もう素材なんて言わせない。大事な存在だって、胸を張って言ってやる!!」 自分にとってポケモンはかけがえのない仲間だ。 誰がなんと言おうと、それだけは変わらない。 爪が食い込むほど強く握りしめた拳を解いて、ため息を漏らす。 アカツキがブルーな気分に浸っていることなど露知らず、ミライはトウヤに質問を立て続けに投げかけて、彼を困らせていた。 アカツキはトウヤの困っている顔を見て、意外に思った。 今まで、彼がそんな表情を見せたことがあったのだろうか? いつでも保護者のように堂々としていて、飄々としていて自信に満ちているようにさえ見えてくるから、 見習いたいとさえ思っているくらいだ。 だが、トウヤでもそんな顔をすることがあるのかと思うと、ほんの少しだけ安心した。 自分でも、どうして安心したのかよく分からないのだが、そこのところはどうでもいいと斬って捨てた。 「なんか、おもしろいなあ……」 ブルーな気分もどこかに消えて、アカツキは小さく笑った。 どうやら、ミライはトウヤの恩人についてあれこれと訊いているようだが、トウヤはどうごまかそうか躍起になっているように見える。 まさか、ミライがそこまで積極的に質問を投げかけてくるとは予想していなかったかのようだ。 アカツキはしばらく彼らの微笑ましいやり取りを笑顔で見ていたが、状況はすぐに一変した。 ――ギャオースっ!! どこからともなくけたたましい鳴き声が聞こえ、アカツキだけでなく、ミライとトウヤも足を止めた。 突然の鳴き声に、質問どころではなくなってしまったのか、ミライは不安げな表情で周囲を見やった。 山道の両脇には、ゴツゴツした岩場と森が広がっている。そのせいで鳴き声は幾重にも反響し、どこから聞こえてきたのか分からない。 トウヤの困っていたような顔も、すぐに真剣なものへと変わる。 「な、なんだ、今の……!?」 アカツキは何が起こってもいいように、モンスターボールを手に取った。 落ち着けと自分自身に言い聞かせながら周囲に視線を這わせるが、自分たち以外の何ものかの姿を最初に捉えたのはトウヤだった。 「上やっ!!」 鋭い声に目を向けると、斜め前から大きな鳥のような何かがこちらに向かって舞い降りてくるのが見えた。 「鳥ポケモン?」 逆光で輪郭がハッキリと分からなかったが、シルエットは鳥に酷似していた。 ミライは首を傾げてこちらに向かって舞い降りてくるものに目を向けていたが、トウヤはすぐにその正体に気づいた。 「あかん!! ボーマンダや!! まともに戦ったらヤバイ相手やで!! とりあえず森に入ってやり過ごして……」 しかし、その言葉は途中で途切れた。 いつの間にか、後ろに見知らぬ青年が立っていたからだ。 好き勝手な方向にボサボサと伸びている黒髪を除けば、どこにでもいるような背格好の青年だったのだが、 「な、なんだ、この臭い……?」 アカツキは青年がまとった黒い服から血のような臭いが漂っているのを嗅ぎ取って、表情をゆがめた。 どう考えてもまともな臭いではない。 どこか虚ろにさえ見える青年の眼差しも相まって、得体の知れない何者かとしか言いようがなかったのだが…… ずどんっ!! 青年に気を取られている間に、鳥のようなシルエットのポケモンがアカツキたちの背後に舞い降りた。 思わず振り返ると、それは鳥などではなかった。 「ボーマンダって……? 見たことないけど……なんか、すげえ強そう」 赤く染まった一対の翼と、青を基調とした立派な体格。 並大抵のトレーナーが持てるポケモンではないと、鋭い眼差しからすぐにでも感じ取れるほどだ。 強そうと思わせる雰囲気を助長しているのは、そのポケモン―― ボーマンダの目の下に三日月のような形の傷がくっきりと刻まれていることだった。 幾度も激しい戦いを切り抜けてきたからこその勲章だろうか……? 歴戦の戦士に相応しい凛々しい体格と雰囲気を持ち合わせたポケモンだ。 野生のポケモンかと思ったが、そうではなかった。 「ドラピオン……いただいていく」 「な、なんだって?」 青年がボソボソとつぶやくように漏らした一言に、アカツキは総毛立った。 ドラップを狙っているソフィア団のエージェントが早くも襲撃を仕掛けてきたのか……!? 「せやったら、このボーマンダもおまえのか?」 「…………」 トウヤは青年に背を向け、ボーマンダと相対したままの状態で問いかけたが、返事はなかった。 ボーマンダはドラゴンタイプのポケモンで、最終進化形だけあって強さは折り紙つきだ。 防御力自体はさほど高くないが、特性『威嚇』のせいで物理攻撃の威力が減らされるため、生半可な攻撃ではとても倒せない。 もしこの青年がソフィア団のエージェントだとしたら、他のポケモンも使ってくるだろう。 もしかしたら、ダークポケモンも含まれているかもしれない。 そう考えると、相手が少ないうちに確実に叩きつぶしておかなければならないだろう。 トウヤは相手の答えを待たずして、腰のモンスターボールを手に取った。 ボーマンダはドラゴンと飛行タイプを併せ持っている。弱点は氷タイプ……それなら、ニルドのバーストレインで一気に決めてやる。 だが、トウヤが敵意を膨らませているのを感じ取った青年は、いつの間に手にしていたのか、モンスターボールを二つ、眼前に放り投げた。 競うように二つのボールが同じタイミングで口を開き、飛び出してきたのはいかにも強そうなポケモンだった。 カブトプスとリングマ。 いずれも進化形のポケモンで、攻撃力の高さに関しては定評がある。 二体とも、ボーマンダと同じで身体の一部にくっきりと傷が刻まれており、不気味な雰囲気を漂わせている。 「ドラップを狙って来たのか……!!」 青年は何も言わなかったが、ソフィア団のエージェントで、ドラップを奪いに来たのは疑いようもなかった。 前後を挟み撃ちにされてしまったが、この状況では逃げることなどできないだろう。 だったら、覚悟を決めて戦うしかない。 アカツキは腹を括り、手にしたモンスターボールを投げた。 「ネイト、ラシール!! 頼むっ!!」 選んだのはネイトとラシール。 この状況では、動きの鈍いポケモンでは狙い撃ちされる恐れがある。 ボーマンダはトウヤがなんとかしてくれるだろうが、カブトプスとリングマに関しては、アカツキがなんとかしなければならない。 ミライはトレーナーではないから、バトルなどさせられない。 モンスターボールから飛び出したネイトとラシールは、アカツキが何も言わなくても、 青年の眼前に佇む二体のポケモンを『戦うべき相手』と判断して、臨戦態勢を取った。 「ちょ、ちょっと……ここで戦うの?」 青年が繰り出したポケモンたちの鋭い眼光に射竦められて、ミライは怯えたような表情を浮かべた。 挟み撃ちされた状態では逃げるに逃げられないが、こんな状態で戦えるのか。 いかにも強そうなポケモンが三体……それだけでも怖いのに、彼らを従える青年は不気味なまでに無表情で、感情らしい感情も漂わせていない。 「戦うしかないだろ。こいつも、ドラップを狙ってるんだから」 アカツキはミライを後ろにかばうと、青年を睨みつけた。 本当に無表情だが、むしろ今までの二人……ソウタとヨウヤが無意味に感情的だったということだろう。 ドラピオンをいただく…… それは取りも直さず、自らがソフィア団のエージェントで、ドラップを狙って動いていることに他ならないのだ。 ドラップを素直に渡すという選択肢をビリビリに破いて捨てたのだから、戦って切り抜けるしかない。 「アカツキ、そっちは頼むで。このボーマンダは、俺がなんとかするさかい」 「おう、任せとけ!!」 背中合わせに言葉を交わすと、トウヤはニルドをモンスターボールから出した。 ルナで相手をしてもいいが、下手に戦局を混乱させてしまうわけにはいかない。一気に決めるには、ニルドしかいなかった。 「…………無駄なことを」 そこで初めて、青年がポツリと言葉を漏らした。 抵抗するだけ無駄だから、さっさとドラップを渡せ――そんな風に言われていると思って、アカツキは頭に血が昇った。 「行くぜっ!! ネイトはカブトプスに水鉄砲!! ラシールはエアカッターでまとめて攻撃だ!!」 戦うと決めたからにはさっさと決着をつけたい。 アカツキの指示を受けて、ネイトとラシールがそれぞれの技を相手に放つ!! 「…………」 相手の技が目前に迫っているのに、青年はじっとそれを見つめたまま、ポケモンに指示を出さない。 「まさか、まともに食らう気か……?」 これにはアカツキの方が驚いたが、そうではなかった。 トレーナーの指示を受けなくても、ポケモンが自立的に戦うという姿勢に他ならなかった。 まず動いたのはカブトプスだ。 直線軌道の水鉄砲を最小限の動きで避けると、ものすごい脚力で一気に迫ってきた!! 岩タイプゆえ、ラシールのエアカッターもそれほどのダメージにはならない。 それを承知で突っ込んできたのだ。 一方、リングマは力を溜めているのか、その場で踏ん張っている。 「ちっ……」 リングマは置いておいて、今はカブトプスを倒すしかない。 一人で突っ込んでくるからには、それなりの自信があるのだろう。だが、出る杭は打たれるのだ。 「ネイトはアクアジェット!! ラシールは隙を見てエアカッターだ!!」 いきなり二人でかかっても、かえって混乱するだけ。 アカツキはそう判断し、まずはネイトを突っ込ませた。 渾身のアクアジェットはカブトプスに直撃したが、ほんの少し押し戻すに過ぎなかった。 カブトプスは水タイプも持っており、水タイプの技では弱点を突くことができなかったのだ。 「効いてない……!?」 ほとんどダメージを受けた様子のないカブトプスを見て、アカツキは唖然とした。 だが、その間にカブトプスは着地したネイトに鋭い鎌による切り裂く攻撃を浴びせていた。 「ブイっ……!!」 強烈な一撃に、ネイトはゴロゴロと毬のようにアカツキの足元まで転がった。 すぐさま立ち上がるも、ダメージが大きいらしく、足元が少し震えていた。 「こいつら……強い……!!」 切り裂く攻撃は、威力こそ高くないが、急所に当たる確率が高い技だ。 今の一撃が急所に当たったようには見えないが、それでもネイトにこれほどのダメージを与えてくるとは…… 無言で佇む青年がトレーナーとしてかなりのレベルにあるのは間違いなさそうだった。 「こりゃ早く決めないと……」 長期戦になれば不利になるのは目に見えている。 相手の攻撃力は高い。それなら、持ちうるすべての力を一気に出し切り、押し切るしかない。 「ネイト、電光石火からアクアジェット!! ラシールはヘドロ爆弾!!」 まずはカブトプスから倒す。リングマは立派な体躯が素早い動きを阻害しているらしく、のっそのっそと歩いてくるばかりだ。 カブトプスとリングマが合流すれば、それだけで一大事。 アカツキが一気に決めるつもりで指示を出したことを察して、ネイトとラシールもそのつもりで技を放った。 電光石火からアクアジェットにつなぐことで勢いを増し、威力を倍化させる。 アカツキの考えは見事に当たり、普段以上の威力を叩き出したアクアジェットがカブトプスを大きく吹き飛ばす!! そこへ、追い討ちと言わんばかりにラシールが繰り出したヘドロ爆弾が直撃!! 相性間のダメージ計算で威力が低く抑えられるが、ヘドロ爆弾の真価は威力でなく、毒の追加効果を与える確率が高いというものだった。 見た目では毒の状態になったかどうかは分からないが、かなり効いているようだ。 立ち上がったカブトプスの足元はどこか覚束ない。 「よし……」 このまま押せば、なんとかなるか……? 一方、トウヤはニルドを繰り出してボーマンダの相手をしているが、こちらは思いのほか手間取っているようだった。 アカツキのように、二体のポケモンを使えれば楽なのだが、ただでさえ狭い山道でたくさんのポケモンを戦わせるのは得策ではない。 「ニルド、バーストレインや!!」 防御力の高さには定評のあるニルドでも、ボーマンダの猛烈な攻撃は苦しいらしい。こちらも一気に決める作戦に出た。 ニルドは殻の表面に生えたトゲを次々に斜め上に打ち上げ、冷凍ビームを放つ。 ボーマンダの真上でトゲが凍りつき、無数のツララと化して降り注ぐ!! 攻撃範囲は広く、それでいてボーマンダの弱点となる氷タイプ。これはそう容易くは防げまい。防ぐにしても、その間は隙だらけになる。 しかし、最終進化形のポケモンだけあって、そう簡単には勝たせてくれなかった。 頭上から降り注ぐ無数のツララを見上げながら、ボーマンダが口を開く。 その口から紅蓮の炎が吹き出され、ツララをことごとく焼き尽くしていく!! 「げっ……!!」 避けるでも守るでもなく、炎で迎撃してくるとは思わなかった。 これでは吹雪を放ったところで、炎の熱で威力を弱めてしまうだろう。 これは本格的にヤバイ相手かもしれない……トウヤの額を一筋の冷や汗が伝った。 背後でトウヤがボーマンダと激しい戦いを繰り広げているのを感じながら、アカツキは眼前の相手を倒すことだけを考えていた。 「ネイトはスピードスター!! ラシールは……」 立ち上がり、両手の鎌をギチギチ鳴らしながら交差させるカブトプスを倒そうと指示を出そうとした矢先、相手が先に動いた。 目にも留まらぬ動きでネイトに迫る!! 「……っ!! ネイト、避けろっ!!」 何が来るのかは知らないが、ここで攻撃に打って出れば、余計なダメージを受けるだけ。 そう判断してアカツキはネイトに指示を出したのだが、遅かった。 一瞬、カブトプスの姿が虚空に掻き消えたように見えた次の瞬間、その姿がネイトの眼前に現れる。 「……っ?」 いきなり目の前に現れた相手の姿に、ネイトはただただ驚くだけで、水鉄砲を放つことさえできなかった。 そんな冷静さはトレーナーと同じように、すっかり失くしてしまっていたのだ。 カブトプスが両手の鎌でネイトを左右から挟みこむように、すさまじいスピードで攻撃を繰り出してきた!! 飛行タイプの技、つばめ返し。 目にも留まらぬスピードで攻撃することで、相手に回避を許さない超速攻技だ。 ばしっ!! ネイトはあまりに素早い攻撃に対処する暇も与えられず、再びアカツキの足元まで転がっていった。 「ネイトっ……!!」 アカツキはラシールに指示を出してカブトプスの足止めをさせることさえ忘れて、足元に転がってきたネイトを抱き上げた。 「ぶ、ブイっ……」 たった二度しか攻撃を受けていないのに、ネイトの身体は傷だらけだった。 つばめ返しを食らった時に、カブトプスの鎌が生み出した空気の刃で追加ダメージを受けてしまったのだ。 「ネイト、ゆっくり休んでて。あとはオレたちがなんとかするから」 どう見ても戦える状態とは思えなかったから、アカツキはネイトに労いの言葉をかけると、モンスターボールに戻した。 だが、そんな隙だらけの状況を、カブトプスが見逃すはずもなかった。 再びつばめ返しを繰り出してくる。 狙うは、アカツキの腰に差してあるボールだ。 ポケモンの相手をするよりも、トレーナーを直接狙った方が手っ取り早いということを知っているかのようだった。 「あっ……!!」 それに気づいた時には、カブトプスの姿が眼前に迫っていた。 両手の鎌が、木漏れ日を照り受けてギラリと輝いている。 まるでギロチン……死神が好んで使うような鋭い鎌を思わせる輝きに、頭が真っ白になって、何をすべきかも分からなくなる。 トレーナーがそんな状態でも、ポケモンは機敏だった。 ボールを奪う上で障害になるであろうアカツキを動けなくさせようと、カブトプスが鎌を振り上げる。 「やばっ……!!」 防ぎきれない……!! ここで避けたところで失敗するに決まっているし、避けたら避けたで、カブトプスの攻撃がミライに当たってしまう。 アカツキは覚悟を決めて、両腕を眼前で交差させた。 手痛い攻撃を食らうだろうが、ミライを巻き添えにするわけにはいかない。 彼女が激しい戦いに怯えているのが、雰囲気から伝わってくる。 こんな状態で、彼女が逃げることなど出来はしないだろう。 だが、アカツキが逃げられない状況だというのは、ラシールもまた心得ていた。 自慢の素早さを活かして、すかさず急降下。 カブトプスのつばめ返しを食らったのは、アカツキではなくラシールだった。 すぐ傍で聴こえた衝撃音。 加えられると思っていた痛みがなくて、アカツキが唖然として腕をどけると、目の前には強烈な攻撃を受けて倒れているラシールの姿があった。 「ラシール!!」 つばめ返しが急所に入り、大きなダメージを受けてしまったのだろう。一撃で戦闘不能にされてしまった。 「お、オレのせいだ……」 自分がちゃんとしていなかったから、ラシールがかばってくれたのだ。その代わり、戦闘不能の憂き目を見てしまった。 アカツキはラシールに対して申し訳ない気持ちしか抱けなかった。 仲間にくっ割ったのはほんの数日前なのに、ダークポケモンという柵から解放されたことでアカツキと彼の仲間に心を開き、 昔から仲間だったかのように気さくに接してくれていた。 アカツキ自身もそれを感じていたからこそ、ラシールが身を挺してかばってくれたことに申し訳ない気持ちがいっぱいだった。 「ラシール、ごめん……!!」 本当なら、ここでリータとドラップを出して、カブトプスの猛攻を防がなければならない。 それは分かっていたが、倒れたラシールをそのままにしておくことなどできなかった。 もっとも、そのせいでリングマとカブトプスが合流してしまい、より一層ピンチに立たされてしまった。 アカツキはラシールをモンスターボールに戻したが、その時すでに、ラシールを倒して飛び退いていたカブトプスが再び眼前に迫っていた。 今からでは何をしても間に合わない…… だが、せめて、ドラップだけは守らなければならない。 モンスターボールに手を伸ばし、もう片方の手をグッと握りしめてカブトプス目がけて突き出そうとした――その時だった。 ずどむっ!! 頭上から降り注いできた電撃が、カブトプスを打ち据える!! 「えっ……!?」 水タイプのカブトプスには、電撃は効果抜群だ。 突然の電撃を避けることもできず、カブトプスはその場に倒れ込んでしまった。 ネイトとラシールの攻撃でかなりのダメージを受けていたことが災いして、戦闘不能に陥った。 目の前で仲間が倒れたのを、リングマは呆然と見つめていた。 突然のことに驚いていたのはアカツキやミライ、カブトプスのトレーナーでもある青年もまた同じだった。 「な、なんだ……?」 アカツキはカラカラに渇ききった喉を潤すことも忘れていた。 今の電撃は一体何なのか? トウヤはボーマンダの相手をしているし、そもそも彼のポケモンは電気タイプの技を使えない。 そういう取り合わせなのだから、彼がこっそりと手を回してくれたわけではないだろう。 ならば、一体誰が? ミライのパチリスならあるいは…… だが、カブトプスを倒したのはパチリスではなかった。 唖然とするアカツキの目の前に、一体のポケモンが舞い降りてきた。 ピカチュウの進化形、ライチュウである。その姿をテレビで何度か見てきたので、アカツキはそれがライチュウだとすぐに理解できた。 ただ、普通のライチュウと比べるとかなり大型で、パッと見た分には、太っているようにさえ思える。 そのライチュウは残ったリングマ目がけていきなり破壊光線を放った。 「ええっ……!?」 いきなり破壊光線が飛び出しただけでも驚きなのに、アカツキをさらに驚かせたのは、 一度放てばエネルギーチャージを完了しなければ行動できないという『反動』がまるでなかったことだ。 ライチュウは休む間もなく破壊光線をリングマに叩き込む!! ずどどどどどんっ!! 爆音が轟き、土煙が舞い上がって視界を塞ぐ。 「あ、あのライチュウは……?」 ミライが震えた声でつぶやくが、アカツキに答えられるはずもない。 野生のライチュウでないのは確かだが……だとすれば、一体誰のライチュウなのか。 「もしかして、ポケモンリーグの……?」 ふと、そこでポケモンリーグという単語が脳裏を過ぎった。 ポケモンリーグがバックアップしてくれると言う話を、ミライの父親……フォレスジムのジムリーダー・ヒビキから聞いていたのだが、 今の今までそれらしい人とも会わず、増してや力を貸してもらったことさえなかった。 だから、このライチュウを遣わしたのはポケモンリーグの四天王か誰かかと思った。 それくらい、破壊光線を次々と叩き込む様は圧巻だった。 これなら、リングマでさえひとたまりもないはずだ。 一体誰かは知らないが、力を貸してくれている今がチャンスだ。 カブトプスは地面に倒れたまま動かず、リングマはライチュウの破壊光線を受けて攻撃どころではない。 トウヤに助太刀して、ボーマンダさえ倒してしまえば、活路は拓ける!! ネイトとラシールが倒されてどうなることかと思ったが、幸運の女神というのはちゃんと自分に微笑みかけてくれていたのだ。 アカツキがミライの手を引いて、トウヤの傍へと向かおうとした時、 「キミ、こっちこっち!!」 「……?」 突如、横手から声をかけられた。 振り向いてみると、木立の間に黒髪の少女が立っていて、アカツキを手招きしているではないか。 一体いつの間に…… アカツキとミライが驚いていると、少女は声を大きくして言ってきた。 「あいつの狙いはキミのドラピオンだよ!! だから、あたしと一緒に来て!! そうしたら、そこの彼女とカッコイイお兄さんは狙われなくて済む!!」 言われてみればその通りだった。 カブトプス、リングマ、ボーマンダを駆る青年がやってきたのは、ドラップを奪うためだ。 ならば、ドラップをモンスターボールに入れたままのアカツキがこの場を離れれば、少なくともボーマンダがトウヤの相手をする必要はなくなる。 つまり、彼とミライが危険にさらされることはなくなるのだ。 「よし……」 怯えたミライをこのままにしておくわけにはいかない。 せめて、危険から遠ざけなければ…… アカツキは考えたが、躊躇はしなかった。 ミライの手を離し、 「トウヤと一緒にいるんだ」 言葉をかけて、手招きしている少女の方へと駆け出した。 「あ、アカツキ!!」 ミライは慌てて声をかけたが、アカツキはあっという間に茂みを飛び越えて、黒髪の少女の傍へと行ってしまった。 アカツキが少女の言葉を疑わなかったのは、彼女がライチュウのトレーナーであると確信し、なおかつドラップのことを知っていたからだ。 ポケモンリーグの四天王とまでは行かなくとも、それなりの実力の持ち主となると、ポケモンリーグが遣わしてくれたトレーナーだろう。 だから、アカツキが彼女のことを疑うのは筋違いだったのだ。 「あたしと一緒に来て」 「分かった」 アカツキは少女の言葉に頷くと、彼女の後について、木立の奥へと駆け出した。 ミライが呆然と見守る中、二人の姿はあっという間に濃緑の向こうへと消えてしまった。 トウヤはボーマンダの相手に手一杯で、アカツキが木立の向こうに姿を消してしまったことになどまるで気がついていなかった。 少しでも意識を他に向ければ、すぐさまボーマンダに押し切られるような逼迫した状況だったからだ。 「…………」 アカツキがドラップを連れて、少女と共に姿を消した理由は、ミライにも想像がついていた。 自分が囮になることで、ミライとトウヤを危険から遠ざけようとしたのだ。 分かってはいるが、どうして一言でも相談してくれないのか……? もどかしい気持ちになるが、仮に相談したとしても、結果が変わるわけではなかっただろう。 ミライはポケモントレーナーではない。 仮に相談されたとして、何ができたわけでもないのだ。 無力感を噛みしめ、拳をグッと握りしめながら、ライチュウの破壊光線の集中砲火を受けているリングマを見やる。 トレーナーが傍にいないのに、徹底的に相手を叩きのめしている。 それほど強く育てられているのは、見た目にもよく分かる。 しかし…… 突然、ライチュウが攻撃するのをやめて、少女の後を追って木立に姿を晦ました。 あれだけの破壊光線を立て続けに放っておきながら、息を切らすことなく、俊敏な動作だった。 残されたのは、徹底的に攻撃を受けて仰向けに倒れているリングマと、呆然と佇む青年だった。 それでも、トウヤとボーマンダの戦いは続いていた。 ニルドの攻撃が一度もボーマンダに当たらない。攻撃するだけの余裕がなく、防戦一方に追い込まれていたのだ。 「…………」 ミライが呆然と見ている前で、青年はカブトプスとリングマを無言でモンスターボールに戻すと、アカツキの後を追って木立へと入っていった。 トウヤの相手をボーマンダに任せ、その間にアカツキを追いかけてドラップを奪おうという腹積もりだろう。 ミライがトレーナーでないことを見抜き、頭数に入れていなかったからこそ、あっさりと姿を晦ましてしまった。 「…………」 確かにトレーナーではないし、戦力として数えられないのは仕方がないが、 それを認めてしまうと、自分が何もできないのだと認めることにもなりそうで、怖かった。 背筋が急速に冷たくなり、ミライはその場に座り込んで震えるしかなかった。 今からトレーナーとして頑張ろうとしても、まともに戦力として数えられるまでどれだけの時間がかかるか……それだって分からない。 「わたし……」 今の自分に何ができるのか。 ソフィア団に狙われるハメになったアカツキとドラップに対して、何をしてあげられるのか。 考えれば考えるほど複雑に絡まりあって、答えが出なくなる。身動きも取れなくなってしまう。 ミライが考えている間に、ボーマンダは突然攻撃を取り止めると、空へと飛び去ってしまった。 トウヤは追い討ちの冷凍ビームをぶつけてやろうかと考えたが、やめておいた。 手負いの獣ほど危険とはよく言うもので、ポケモンは中途半端にダメージを与えた状態が一番危険なのだ。 「ふう……なんとか逃げとってくれたな……」 戦いの気配が遠のいたのを感じ、トウヤは額ににじんだ汗を手の甲でさっと拭き取ると、深々とため息を吐いた。 突然の襲撃だったが、なんとか切り抜けられた。 トウヤはボーマンダの相手をしていて、ライチュウが乱入してカブトプスとリングマを倒したことや、 アカツキが謎の少女の後についてこの場を離れたことを知らなかった。 だから、 「なんとか切り抜けられたな。急ぐで。このままやったら、また次のヤツ……が……」 振り向きながら言葉をかけた時、その相手がいないことに気づいて、愕然とした。 「あ、あれ……?」 自分でも分かるほどマヌケな声を上げる。 振り返った先には、座り込んでしまったミライしかいない。アカツキの姿は、当たり前だが影も形もなかった。 「ど、どうなっとるん……?」 トウヤは呆然と立ち尽くしていたが、やがてミライが立ち上がり、 「アカツキがあっちに行っちゃったの!! たぶん、アカツキが囮になって、わたしたちを危険から遠ざけようって……」 「なんやて!?」 突然もたらされた言葉に、トウヤは天地がひっくり返るような思いがして、目眩がしそうになった。 驚いている間に、ミライはトウヤが知らなかったことを次々に打ち明けた。 突然ライチュウが乱入し、カブトプスとリングマを倒してアカツキと同じ方向に走っていったこと。 それから、二体のポケモンのトレーナーである青年も。 「…………」 「ど、どうしよう……!!」 アカツキは自ら囮になった。 ミライとトウヤを危険から遠ざけることには成功したが、逆にアカツキ自身がこれ以上ないほどの危険に飛び込んだとも言える。 状況としては、あまりおもしろいものとは言えなかった。 「あいつ……バカなことしやがって……」 自分が囮になれば、それですべてが丸く解決するとでも本気で信じているのか? 怒鳴り散らしてやりたくなったが、そんなことをするだけの時間も惜しい。 「せやけど、ポケモンリーグのヤツが来たっちゅーことか?」 サラからは、近々ポケモンリーグからトレーナーを派遣するという話を聞いていたが、それがどんなトレーナーか、特徴らしいものは聞いていない。 もしかしたら、ライチュウのトレーナーらしいその黒髪の少女が、ポケモンリーグから遣わされた使者かもしれない。 しかし、胸騒ぎがする。 こういったものに限って根拠らしい根拠がないのだが、そもそも『胸騒ぎ=嫌な予感』であり、不安に対して根拠など必要なかった。 それに、やるべきことは決まっていた。 「ミライ、あいつを追うで!!」 「う、うん!!」 とにかく、アカツキを追いかけることだ。 自分で勝手に判断して囮になることを選んだ度胸だけは大したものだが、それからのことなどまるで考えていないだろう。 「俺に相談もせえへんで勝手に決めやがって……後でどだまぶん殴ったる!!」 胸中で暴言を吐き出し、トウヤはニルドをモンスターボールに戻すなり、ミライを連れて駆け出した。 アカツキと少女、ライチュウ、青年が姿を消した木立へと。 To Be Continued...