シャイニング・ブレイブ 第7章 絡み合う思惑 -Into the black stream-(後編) Side 6 トウヤとミライは、一人姿を消したアカツキの捜索を続けていたが、その頃すでにアカツキはハツネ率いるフォース団と行動を共にしていた。 そんなことを知る由もない二人は、ノースロードの周囲の捜索を続けていた。 手当たり次第、それこそ草の根を分けてでも、と言わんばかりの徹底ぶりだが、それでもアカツキが通過した痕跡さえ見つけられなかった。 「いないよ〜……」 人が隠れられそうな茂みをまたひとつ探索して、ミライは深々とため息を漏らし、その場に座り込んでしまった。 かれこれ一時間近く探し続けているが、アカツキが通った痕跡さえ見つけられない有様だ。 ただでさえ体力のないミライには重労働でしかなかったが、 それもすべては自分に大切なことを教えてくれた少年のためと奮起してのことだった。 「アカツキ、どこまで行っちゃったのかなあ……」 額にはびっしりと汗が浮かび、手は茂みを掻き分けた時についた草の汁と土で汚れている。 ミライが気にしているのは手の汚れではなく、アカツキの行方だった。 それはトウヤも同じだったが、彼はとにかく苛立っていた。 端から見るミライが分かるほど、苛立ちを表面に押し出していた。 それくらい、アカツキが一人で勝手にいなくなるのが許せなかったのだろう。 「おらへん……あのバカ、どこまで行ったんや……!!」 茂み、岩場、背丈の高い木の上の方。 探せる場所は探しつくしたが、やはりアカツキの姿は影も形も見当たらない。 この辺りにはいないのか……額に浮かぶ大粒の汗を手の甲で拭いながら、遠くに視線を這わせた。 茂みの中に手ごたえがあって、見つけたと思ったのも束の間、 野生ポケモンだったり、茂みの中に隠れていた岩だったりと、空振りばかりが続いている。 さすがのトウヤもこれには苛立ちを隠しきれなかった。 というのも…… 「勝手に決めやがって……とっちめたるわ!!」 マスミが襲撃してきた時に、アカツキはトウヤとミライを危険から遠ざけるため、横から現れたリィについて行き、姿を消してしまった。 それがフォース団の作戦だったとは知る由もないトウヤにとっては、アカツキが本当にバカなことをしてくれたとしか思えなかった。 アカツキにはアカツキなりの考えがあったのだろう。 それは理解できるし、自分たちを危険から遠ざけようとしてくれた気持ちはうれしいが、 だからといって何も言わず、自分で勝手に決めて実行に移すなど、到底納得できるものではなかった。 トウヤはアカツキの保護者を自認しており、だからこそ余計に納得できなかった。 「…………」 トウヤは無言でアカツキを探し続けていた。 彼の姿に励まされるようにして、ミライは疲れた身体に鞭打って捜索を続けた。 捜索開始から三時間が経ち、陽が高く昇っても、アカツキは見つからなかった。 広範囲にわたる捜索にもかかわらず、影も形も見つからず、増してや通過した痕跡なども見つからなかった。 「ねえ、本当にこの近くにいるのかな……?」 ミライは近場の岩に腰を下ろすと、深々とため息をつきながらトウヤに言った。 「…………」 トウヤは黙って頭を振った。 これだけ探してもいない。近くにはいない。 何らかの理由があって、トウヤとミライにも見つからないような場所に身を潜めているのか、 それとも襲撃者(マスミのことである)から逃れるため、さらに遠くへ逃げているのか。 それさえ分からないのだから、手がかりなど無いに等しかった。 その状況で延々捜し続けたとしても、得られるものは決して多くない……密かな打算は、何も得られない現状よりもよほど説得力があった。 「じゃあ、もしかしたら……」 トウヤに否定され、ミライの心に暗い影が差した。 もしかしたら、抵抗するも虚しく倒れ、ドラップを奪われてしまったのではないか……? もちろんそんなことはないのだが、ミライは半ば妄想に近い想像に不安を掻き立てられ、パニックに陥る寸前だった。 「アカツキが助けを求めてたりとかは……」 「…………」 イエスともノーとも言えず、トウヤは黙って空を見上げるだけだった。 風に揺れる木の葉の合間から覗く空は晴れ渡り、降り注ぐ木漏れ日は火照った身体を柔らかく包み込んでくれるかのようだ。 ミライの言うように、もしかしたらアカツキが助けを求めているのかもしれないが、居場所が分からないのではどうにもならない。 しかし…… 「あいつのこっちゃ、それはありえへん……」 トウヤはアカツキのことをそれなりに良く知っているつもりだった。 普段は明るく陽気で元気いっぱいな性格を惜しげもなく前面に出しているが、いざ戦いになると、芯の強さを剥き出しにする。 高い身体能力を活かして相手に格闘戦を挑んだり、自分の大事なものを奪おうとする相手には容赦ない一面も見せる。 そんなアカツキが自分たちに助けを求めているとはとても思えないのだが…… 「ミライ。一つ言っとく」 「?」 不安でいっぱいになっているミライを安心させようと、トウヤは口を開いた。 アカツキよりも、むしろミライの方が心配になってきたからだ。 ミライは呆然とトウヤを見つめていたが、彼は振り向くことなく、ポツリと漏らした。 「あいつはおまえが思っとるほど弱々しいヤツやあらへん。 どんな困難にぶつかったって、平気な顔して乗り越えるやろ。 俺らが心配したところで、何も変わらへん。それだけは忘れたらあかん」 「そりゃ、そうだけどさあ……」 トウヤの言いたいことは分かる。 アカツキは自分たちが思っているよりもずっと強い少年だ。そう思わせるだけの何かがある。 それは分かっているのだが、やはり不安は拭えない。 「……俺な、さっきからずっと考えとったんや」 「考えたって……何を?」 「俺たちが先にアイシアタウンに行く」 「ええっ!?」 これにはさすがにミライも驚いた。 どうしてアカツキを置いて、自分たちだけアイシアタウンに向かうことを考えたのか。 そもそもアイシアタウンに行くのは、アカツキがジム戦を挑むと言う目的があるからであり、自分たちだけ行ったところで何の意味もない。 それはトウヤも重々承知していたが、あえて主張した。 「あいつはずっと前から分かっとった。 いつまでも俺がついとるワケやあらへんってことをな。 せやから、あいつはあいつなりに俺の力を借りなくても乗り越えられるように頑張っとった。 分かるか? あいつはあいつなりに自立しようとしとったんや。 俺の力ばっかアテにしとったら、俺がいなくなった時に何もできへんって分かっとったからな……」 「…………」 ミライは表情を曇らせた。 彼の言うとおりだと思ったからだ。 トウヤはトレーナーとしての実力が確かだし、一人の人間としての知識や判断力も大人以上のものを持っている。 ミライは彼を純粋に尊敬しているし、仲間として心強い存在だとも思っている。 だが、トウヤは一方でアカツキやミライを無意識のうちに困難から覆い隠している。 保護者というのは、得てしてそういうものなのだ。 「……アカツキはトウヤがいなくなることを考えて、頑張ってるんだ……」 いつかトウヤがいなくなってしまっても、自分の力でドラップを守っていけるように、頑張っている。 今も、もしかしたらそのために頑張っているのかもしれないし、 トウヤとミライを危険から遠ざけるという理由で一人だけ姿を消したのも、トウヤの力を借りずに、 自分の力で困難を乗り切るという理由も含まれていたのかもしれない。 ミライにはアカツキが何を考えていたのかは分からない。 だが、彼が強さを持つ少年だということは分かっている。 「…………」 「せやから、俺はアカツキを信じたいと思っとる。 もしあいつが助けを求めて泣いとったとしても…… いつかは俺がいなくなる時が来るんやし、冷たいかもしれへんけど、先に俺らがアイシアタウンに行くべきや」 「本当にアカツキが困ってても、助けないの?」 「…………」 トウヤの主張を、ミライの一言が押し留めた。 懇願するような口調で突きつけられた言葉は、非難でもあった。 もしアカツキが助けを求めていたとしても、見捨てて先に進むというのか。 それに何の意味があるというのか。 トウヤは突きつけられた一言に一瞬怯んだものの、すぐに言葉を返した。 「俺はアカツキを信じとる。 ホンマ、アホなことしてくれて、めっちゃムカつくんやけど、それはそれ、これはこれってヤツやな。 俺はあいつならどんな困難だって乗り越えられるって信じとるから、先に進むんや。 おまえには分からへんかもしれんけど……」 「……分からないけど、分かるよ」 「どっちや」 「どっちも」 「そっか……」 ミライの言葉は矛盾していたが、それが正直なところだったのだろう。 本当に助けを求めていたとしても見捨てて先に進むという考えは理解できなかったが、 逆にアカツキのことを信じているからこそ先に進むという考えは理解できたからだ。 結局、信じると決めたのなら、先に進むしかないのだ。 それに…… 「アカツキの気持ちも、尊重してあげたいし……」 自分たちがアカツキを信じるから、あえて先に進む。 確かにそれはその通りだったが、何よりも、ミライはアカツキの気持ちを尊重してやりたかった。 いつまでもトウヤが一緒にいてくれるわけではないと知っているから、彼の力を借りなくてもやっていけるように一生懸命頑張っている。 それを知った今だから、彼の気持ちを何よりも尊重してやりたいと思える。 自分でも不思議に思うが、それがアカツキという少年が持つ魅力というか、雰囲気なのだろう。 勝手に結論付けて、小さく息をつく。 「先に行って、アカツキを驚かせてやるんだもん」 「そやな。そうしよ」 ミライがポツリ漏らした一言に、トウヤは苦笑した。 彼女はどうやらアカツキのことをいろいろと気にしているらしいが、だからこそ聞き分けが良かった。 それを利用するみたいで心苦しいところはあったが、トウヤは年下の少年を信じている。 自分たちが先にアイシアタウンに行って、下地を作っておこう。 サラにあれこれ注文をつけているものの、一向に彼女が動く気配が見られない。 そろそろ本格的に動いてもらわないと危ないと思っていた頃だ。 アイシアタウンのジムリーダーを巻き込んで、彼女に直談判するなどして、 アカツキが余計な苦労を背負い込まなくても済むように下地を作っておくのも一興。 「それが年長者の務めっつーモンやからな……」 特に宛てもなく各地を放浪している身である。 これくらいのことはしても罰は当たるまい。 「さて、そうと決めたら……」 先にアイシアタウンへ向かって、ジムリーダーを巻き込んでサラに直接コンタクトを取ろう。 携帯電話では限度があるし、ジムリーダーが一緒なら、多少は無茶な頼みでも聞き入れてもらえそうだ。 瞬時に計算を組み立てて、これからやるべきことを策定する。 「行くで、トウヤ」 やると決めたらやるっきゃない。 トウヤは胸中で自身を奮い立たすと、ミライに声をかけた。 「ミライ。先にアイシアタウンに行くで。 何日かはすることないかもしれへんけど、それはアカツキを待つってことで割り切ってくれや」 「うん。分かった。行こう!!」 「おう」 彼女の返事が思いのほか元気だったので、トウヤはホッと胸を撫で下ろした。 旅を始めて変わったのは、アカツキだけではない。彼の影響を受けて、ミライもまた積極的な性格に変わろうとしている。 影響を受けたことはもちろんあるだろうが、それよりも彼女自身が変わろうとしていることが大きい。 「これなら、心配要らへんかもな……」 歩き出したトウヤの後を、ミライが小走りについてくる。 彼女の息遣いと、草を踏み分ける足音。 トウヤは、この分なら心配する必要はないと、重ねて安心していた。 ネイゼル地方に来て、ロクでもないことに巻き込まれて災難だと思ったが、その中にも微笑ましいものがあった。 こういうものを見ていくのも悪くない…… トウヤは頭上に鬩ぎ合う木の葉から覗く青空を見上げながら、人知れず笑みを深めた。 Side 7 目隠しをしたまま歩くのは、思いのほか不安で仕方なかった。 景色が見えず、目の前に岩の壁があるかもしれないとか、断崖絶壁の先に滝壺があるかもしれないとか、不安が嫌でも掻き立てられる。 しかし、アカツキがそういう不安を抱くことを分かっているらしく、彼の手を取り共に歩くリィが気を利かして、声をかけて安心させていた。 アカツキと、フォース団の首領ハツネ。それから彼女の部下であるリィとマスミ。 四人はノースロードから離れた道なき道を、フォース団のアジトへと向けて歩いていた。 何度か休憩を取ったが、これはアカツキに対する配慮というより、むしろハツネとリィが疲れているからだった。 もっとも、大人のレベルとまでは行かなくとも、アカツキの身体能力は女性のハツネとリィを凌いでいるのだ。 彼女らより先に『疲れた〜』と音を上げることはありえない。 休憩の間も目隠しは取れなかったが、アカツキは落ち着くことができた。 少なくとも、ソフィア団の連中と比べれば、今自分と行動を共にしている三人は信じられる。 ……なんとなく、そんなことを思えるようになったからだ。 傍で、ハツネとリィが話に花を咲かせているのがその理由だろう。 年頃の女性らしく、ファッションのことから砕けた話まで、楽しそうに談笑しているのだ。 ソフィア団と敵対しているとは思えないような明るさに、知らず知らずに安心していた。 ナンダカンダ言っても、彼女らも一人の女性なのだ。 とはいえ、彼女らの話についていけないのか――あるいはついていく気が最初からないのか――、 マスミはベルルーンが担いでいるソフィア団のエージェントを無表情でじっと眺めているだけだった。 世の中の何にも興味がないという困った性分だが、敵に関してだけは興味を持てるそうだ。 それでも、彼らに何かしようとか、何かしてもらおうとか、そういった類の考えは持っていなかった。 興味は興味で、特にそれ以上の感情は抱いていなかったからだ。 休憩の時間が終わり、再び歩き出す。 ――何時間歩いたのだろう……? 足の裏に伝わってくるのは、柔らかい草を踏みしめる感触。 周囲の情景を連想させるのは、鼻から入ってくるほのかな土と草のにおい。 すでに陽が傾き、空が青から鮮やかな橙へと移りゆく頃になっていることなど、アカツキには知る術もない。 ただ分かっているのは、フォース団のアジトとやらが人里離れた場所にあるということくらいだった。 「トウヤたち、どうしてるかな……?」 トウヤなら分かってくれると思うが、今頃彼らが何をしているのか、気がかりだった。 今も自分を捜しているのだろうか。 それとも…… 「警察とかに通報してたりして」 トウヤならそれくらいのこともしかねないが、頭の中にその情景を思い浮かべてみるとなぜか笑えてきた。 もちろん、本当は笑っていられるような状況ではない。 それでも笑えてくるのは、アカツキの中に多少なりとも余裕が出てきたからだろう。 「でも、これが一番だったんだ……」 結局はハツネたちに一杯食わされただけなのだが、あのままノースロードで戦い続けていたら、 ソフィア団の二人がやってきて、厄介なことになっていただろう。 だから、自分だけ切り離した状態にして正解だった。 いつになるかは分からないが、トウヤたちに合流した時には、何も言わずに自分で勝手に決めたことを謝るつもりだ。 トウヤとミライを心配させたのは事実だし、それについては結果如何にかかわらず、人としてちゃんと謝らなければならないと思っているからだ。 「トウヤとミライは大丈夫だから、オレのことを考えなきゃな」 二人の心配をする必要はないだろう。 トウヤはアカツキよりもトレーナー歴が長く、実力も伴っている。そんな彼と一緒にいるミライのことも、心配する必要はない。 むしろ、まずは自分のことをどうにかしなければならないのだ。 どうやってフォース団の手中から逃れるかと考え始めた矢先、一行の足が止まった。 アカツキは余計に一歩踏み出して、思わずつんのめりそうになったが、持ち前の身体能力で踏みとどまった。 「さて……と」 前でハツネがポツリと漏らすと、ピコピコと電子音が聞こえた。 アカツキには見えなかったが、彼女がリモコンのような機械をズボンから取り出して、操作していた。 直後、ごごごご……と地鳴りに似た音が聞こえた。 何かが動くような感じがしたが、アカツキが考えに耽っている間に、音はピタリと止んだ。 「リィ、目隠しを取ってあげな」 「は〜い」 「?」 怪訝に思う暇もなく、アカツキの目隠しが取られた。 「……!!」 最初に目に入ったのは、ハツネの前で大きな口をポッカリと開いた洞窟だった。 今アカツキたちがいるのは、ノースロードから離れたところにある岩場。目の前にある洞窟こそ、フォース団のアジトだった。 先ほど地鳴りに似た音が聞こえたのは、入り口を覆い隠していた岩を遠隔操作で動かしていたからだ。 そんなトリックを知るはずもないアカツキには、ここがフォース団のアジトなのか……という驚きしかなかった。 人里離れたこんなところにアジトを構えていれば、警察やポケモンリーグだって摘発できないはずだ。 アカツキが洞窟を凝視していると、ハツネは笑みを浮かべながら振り返ってきた。 「ここがあたしたちのアジトだよ。ようこそって言いたいトコだけどね……」 優しい笑顔のはずなのに、細めた目だけは本気で笑っていない。 底知れない闇のような何かを感じて、アカツキは身体を強張らせた。 人懐っこい笑みを浮かべていたり、リィとファッション話にかまけていても、やはりフォース団を率いる首領なのだ。 ただの女性という表現を即座に訂正したくなるような鋭さを、穏やかな物腰の奥に秘めていた。 「な、何かされるのかな……?」 敵対しているソフィア団の二人と同じように拷問(もちろんアカツキの妄想だった)をされるのか……? なんて、柄にもないようなことを考えたが、ハツネが注意を向けたのはアカツキではなかった。 不意に、横手に気配が生まれる。 これもまた格闘道場で心身ともに鍛えてきた賜物か、アカツキは素早く反応し、気配の方へと振り向いた。 同じタイミングでフォース団の三人も振り向いた。 横手の茂みがガサガサと音を立てて揺れ、その中から一人の男性が姿を現した。 「あっ……!!」 真剣な表情を浮かべた男性に見覚えが思いきりあって、アカツキは思わず声を上げた。 茂みから姿を現し、ハツネの傍へと無言で歩いてきたのは、フォレスジムのジムリーダー・ヒビキだった。 ジムリーダーとして戦っていた時の表情ではない……彼が浮かべている表情にも、アカツキは覚えがあった。 確か、フォレスタウンでハツネが現れた時に向けたのと同じ表情。 憎い敵を前に、今にも飛びかからんばかりの鋭い雰囲気を背に宿しながら、ヒビキはハツネに歩み寄った。 彼女はベルルーンがいるということで、笑みを浮かべたままだった。 ヒビキのポケモンは草タイプと虫タイプが中心だ。炎タイプのベルルーンにかかれば、どんなに強かろうと恐れることはない。 「おや、これはこれは……」 目の前で立ち止まった背丈の高い男性を見やり、ハツネは肩をすくめた。 彼女は最初にヒビキの気配を察していたから、驚くこともなかった。もっとも、ここに来るかもしれないと思っていたくらいだ。 「どうして……?」 どうしてここにヒビキがいるのか…… アカツキにはその理由が分かるはずもなく、口をポカンと開け放ったまま、固まっているしかなかった。 「フォレスタウンの元ジムリーダーさんじゃない。 どうしたの? こんなヘンピなトコまで遠路遥々……」 「元!?」 ハツネがいけしゃあしゃあと発した一言に反応したのも、当然、アカツキだった。 ヒビキが『元』ジムリーダーだと聞いて驚くのも無理はなかった。 直接力になることはできないかもしれないが、できるだけのことはさせてもらう。 フォレスタウンで、ドラップを狙うソフィア団と戦うと決めたアカツキに、ヒビキはそう言った。 だからこそ、余計に信じられなかった。 そこまで言ってくれた人が、どうしてジムリーダーを辞してしまったのか。 しかし、ヒビキは驚くアカツキには目もくれず、ハツネを睨みつけたまま口を開いた。 「茶化すな。それより、どういうつもりだ?」 「どういうつもり……って? それこそどういうつもり?」 「茶化すなと言っている」 「……やれやれだね」 まるで噛み合っていない会話。 一方的にヒビキが詰め寄っているようにしか見えないが、ハツネは悪びれる様子もなくのらりくらりとはぐらかしている。 アカツキの目にも、それくらいのことは見て取れた。 悪く言えば、彼女が軽薄すぎるだけだ。 ヒビキがマジメな性格の持ち主だということはアカツキも知っているから、彼と対比すると、余計にそう見えてしまう。 リィとマスミは黙っていた。 口を出すだけ無駄だと分かっているし、ヒビキが自分たちと敵対している存在でないことは承知しているからだ。 「まあ、いいよ。ここに来るとは思ってたからさ。 いい加減、あんたとは腹を割って話したいと思ってたところだよ」 「…………」 「あ、言っとくけど、冗談なんかじゃないからね。あんたが来てくれたおかげで、あたしとしても確信が持てたんだよ。 その礼はさせてもらうって言ってんのさ」 「……なら、聞こう」 ハツネの言葉に深々とため息をつくと、ヒビキはチラリとアカツキを見やった。 「どうしてこの子がここにいる」 「ああ、この子には感謝してる。おかげで、ソフィア団の連中を捕まえられたからね。 ほれ、このと〜り」 「……なるほど、そういうことか」 ハツネの指差した先に目をやり、ヒビキは納得したように肩をすくめた。 ベルルーンが軽々と担いでいるのは、人間だった。 それも、ソフィア団の屈強なエージェントとして知られているソウタとヨウヤだ。 まとめてロープで縛られ、気を失っているのか、ぐったりしている。 ハツネの短い言葉で、一通りの状況を理解したようだ。 「とりあえず、あんたと戦うつもりはない。 信じてくれるんだったら、中で話がしたいから、あたしらについてきてくれない? この子も中に入ってもらうつもりだからさ」 「…………?」 大人の会話についていけず、アカツキは怪訝に眉根を寄せると、首を傾げた。 何がなんだか分からない。 短い言葉のやり取りで、互いに事態を理解し、互いの腹を探り合おうとしているのだ。 そういうのに慣れていない……というよりも、そういう世界を知らないアカツキには、理解不可能な光景でしかなかった。 「でも、なんか敵じゃないって感じ?」 出会い頭は敵対心すら見せていたヒビキが、今ではすっかり落ち着いている。眼差しが鋭いのは、雰囲気のせいではないのだろう。 「いいだろう。 君には悪いが、監視させてもらう。この子に変なことをしないとも限らないからな」 「ああ……好きにしていいよ。それじゃ、行こうか」 話は簡単にまとまった。 これがいわゆる『大人の世界』というヤツだろうか。 ハツネはあっさりと身を翻し、アジトの中へと入っていった。 ヒビキは彼女の背中をしばし見つめていたが、リィとマスミがベルルーンと共にアジトに入っていくのを見て、アカツキに目を向けた。 「さあ、行こう」 「あ……うん」 ジムリーダーが一緒なら、どこへ行っても大丈夫かもしれない…… そんな、根拠のない安心感を胸に抱き、アカツキはヒビキと共にフォース団の後を追ってアジトへと足を踏み入れた。 全員が入った後、岩に擬態していた入り口が元の位置に動いて、アジトは再びただの岩場と化した。 外から差し込む明かりがなくなって、真っ暗になるかと思いきや、 壁には松明代わりの照明が掲げられており、洞窟の中は淡い橙の光にうっすらと照らし出されていた。 歩くには不自由しない程度の照明なら、岩の隙間を縫って外に漏れることがないという配慮だろう。 洞窟はところどころに人の手が加えられ、アジトというのもどこか頷けた。 「こんなところをアジトにしてるんだ。なんか、秘密基地みたいでおもしろそう……」 アカツキは上下左右から覆いかぶさらんばかりの岩壁を見やりながら、ポツリとつぶやいた。 半ば拉致同然に連れてこられたことなど、すっかり忘れ去っているような笑顔だった。 「…………」 ヒビキは陽気な少年を守るようにピタリと横に寄り添って歩きながら、人知れずため息をついた。 ミライから聞いたとおり、陽気なところが羨ましい。 確かに、フォース団はソフィア団よりは信用できる。 しかし、それはフォース団が信頼できるという意味ではないのだ。 そこのところにちゃんと気づいているのかと、思わず苦言を呈したくなる。 それほどに、アカツキは警戒心などカケラほども持ち合わせていなかった。 すぐ横で元ジムリーダーが警戒感をむき出しにしていることに気づくことなく、アカツキは秘密基地という自ら発した言葉に酔いしれていた。 年頃の子供なら、こういった場所を好んで探検するものである。 時には森に生い茂る木の洞を、またある時には岩場に穿たれた自然の空洞を、秘密基地と称して自分たちのアジトにすることだってある。 アカツキも、旅に出る前はカイトや歳の近い少年たちと、秘密基地遊びをしていた。 街の救世主であるラグラージが住処としていた、セントラルレイクの畔にある洞窟を勝手に制圧して秘密基地を作り、楽しい時間を過ごしたものだ。 今になって思い出してみると、なんとなく笑えてくる。 大人から見れば、つまらないと思うようなことでも、子供の視点に立って、童心になって考えてみれば、とても楽しくて輝きにあふれている。 「カイトのヤツ、今頃ジム戦なんて挑んでたりするのかなあ……」 確か、ウィンタウンに行くと言っていたか。 彼はソフィア団を敵に回しているわけではないから、今頃は悠々自適に旅を続けていることだろう。 もしかしたら、すでに二つ目のバッジをゲットしているかもしれない。 「負けてられないんだけど、今は無理だよな」 カイトに負けたくないという気持ちはとても強い。 子供の頃から一緒に過ごしてきた仲だし、旅に出る前からポケモンバトルで腕を競い合ってきた。 まあ、先日故郷でバッタリ再会してバトルをして、その時初めて勝ったわけだから、 うれしくてまらないのだが、カイトだってやられたままでいるとは思えない。 次こそは雪辱を……と、リベンジを誓って頑張っているはずだ。 そう思えば、こんなところでのんびりしているわけにはいかないのだが、仕方ない。 状況が状況だけに、逃げても意味がないことくらいは理解できる。 「……アカツキ君」 「……? なに?」 唐突にヒビキから声をかけられ、アカツキは驚いて振り向いた。 今まで仏頂面で黙りこくっていたのは、あれこれと思案をめぐらせていたからだろう。 「無事でよかった。ソフィア団の面々は意外と手強いからな……トウヤをつけて正解だった」 ヒビキの言葉に、アカツキは俯いた。 彼はトウヤの実力を理解して、アカツキと共に行くように差し向けてくれたのだ。 だが、今はそのトウヤが傍にいない。 どう説明すればいいものかと思いつつ、アカツキは口を開いたのだが、 「まあね。でも、トウヤは……」 「分かっているよ。大体のことは想像がつく」 「…………」 言いたくないのなら言わなくていい。 ヒビキが返した言葉は、そんな意味を秘めていた。 しかし、実際は言葉の通り、何があったのかは察しがついていた。 トウヤが自分からアカツキの元を離れるはずがないし、むしろありうるとすればその逆である。 一児の父親だけあって、子供の気持ちには意外なほど敏感のようだ。 トウヤはミライと一緒にいる。 彼なら心配しなくても大丈夫だと分かっているからこそ、アカツキはそれほど深刻に考えずに済んだ。 「それより、さっきあの人が『元』って言ってたけど、それってどういうこと?」 「それは後で話すよ。ハツネを交えた方がいろいろと情報を得られるだろうから。 君にとっても有益だと思うから、話はちゃんと聞いておきなさい」 「……うん」 先ほどハツネが言った一言が気になって訊ねてみたが、上手にはぐらかされた。 後で一括して話すと言われただけなのだが、はぐらかされたと思うしかなかった。 「ちぇっ……」 アカツキは小さく舌打ちした。 ハツネといい、ヒビキといい、どうして自分のことを子ども扱いするのだろう。 もちろん、年齢が大きく離れているのが原因なのは承知しているが、どうもそれだけではなさそうだ。 そうやって無理に背伸びしようとするところが『子ども』らしさなのだから、余計に子ども扱いしてしまうのだろう。 もっとも、アカツキはそこまで自分が子どもであるとは思っていない。 ドラップを守るという気持ちはホンモノだし、それは誰にも負けないとさえ思っているのだ。 それで子ども扱いされるのはどうにも気に入らない。 アカツキが思い切って言い出すより先に、景色が変わった。 洞窟を抜けた先には、岩場の中とは思えないような景色が広がっていた。 「これって……」 重厚な扉を抜けた先は、洞窟とは打って変わって、ちゃんと整った廊下が延びていた。 鉄か、それともセラミックか……金属光沢を帯びた壁。 天井に埋め込まれた照明は明るすぎず、暗すぎず。床はタイル張りで、どこかモダンな雰囲気を漂わせている。 ここが、フォース団の本当のアジトだった。 先ほどまでの洞窟は、あくまでも通路に過ぎない。庭付き一戸建ての敷地に作られた石畳の道のようなものだ。 左右に枝分かれする廊下では、様々な服装をした男女が行き交っていた。 「…………?」 フォース団の構成員だろうか? アカツキはそう思いながら、行き交う男女を片っ端から見やった。 統一感のない服装や髪型は、お世辞にも組織の体を為していないようにさえ思えたが、 むしろ、そういった自由奔放なところはハツネの雰囲気に通じているものがあって、どことなく理解できた。 廊下をまっすぐ歩いていくと、やがて一枚の扉の前にたどり着いた。 入り口からまっすぐ歩くだけだが、左右には複数の廊下が延びていて、 リィが言うところによると、枝分かれした先はそれこそ迷路のようになっているのだそうだ。 扉には宝石が散りばめられており、大散財と言わんばかりだ。 扉の前で立ち止まったハツネはくるりと振り返り、ソウタとヨウヤを担いでいるベルルーンに指示を出した。 「ベルルーン、そいつらを牢屋にぶち込んでおいで。手加減なんて要らないから、思い切り放り込んじゃっていいからね」 「バクフーン♪」 少し怖い冗談を含んだ指示を受けて、ベルルーンは嬉々とした表情で頷くと、ステップなど刻みながら踵を返し、元来た道を引き返した。 「…………」 「…………」 敵に容赦する必要はないと言わんばかりの指示だけに、アカツキとヒビキは呆然としていた。 だが、抗争というのはそういうものだ。 敵対している相手に情けなどかけていては、寝首を掻かれてしまうだろう。つぶせる時につぶす。それがセオリーである。 「さて、入るかね」 アカツキとヒビキが半ば非難するような眼差しを向けることなど意に介さず、ハツネは扉に向き直ると、すぐ傍の壁に手をかけた。 すると、装飾だと思っていた扉の宝石が煌き出し、放たれた細い光線がハツネを撫で回す。 生体認証という最先端のセキュリティシステムで、ハツネか、彼女が選んだ者でなければ扉の向こうにはたどり着けないようになっているのだ。 宝石から迸った光線が収束すると、扉は横にスライドした。 「ついといで」 振り返ることもなく言うと、ハツネは何事もなかったようにリィとマスミを引き連れて扉の向こうへ歩いていった。 アカツキとヒビキは少し遅れて部屋に足を踏み入れた。 その先にも同じような扉がいくつもあり、それぞれの扉でハツネが異なる操作で生体認証システムを作動させて、さらに奥へと進んでいく。 警察組織やポケモンリーグを敵に回しているだけあって、過剰とも思えるほどの用心深さだった。 ポケモンの力でも易々と壊せない壁と扉に囲まれた部屋をいくつ通ったか。 やがて行き着いた先は、会議室を思わせる広くて清潔な雰囲気が漂う一室だった。 「ここなら人目も気にせずに話せるだろ」 部屋に入るなり、ハツネはすぐ傍の席に腰を下ろし、白いテーブルの上に足を投げ出した。 「えっ……」 いい年頃の女性がするような仕草とは思えず、アカツキは目を丸くしたが、当のハツネ自身は気にしていないようだった。 ハツネの両脇に、リィとマスミが腰を下ろす。 不測の事態があっても、身を挺して上司を守るためだろうか。 だとすれば、見上げた忠誠心だが、そんな皮肉を胸中に浮かべていたのはヒビキだけだった。 アカツキはハツネたちと距離を取るように、テーブルの反対側に腰を落ち着けた。彼の隣にはヒビキが腰を下ろす。 「さて……」 ハツネは足をテーブルに投げ出したままで、口を開いた。 「ヒビキ。あんたがここに来た目的は分かってるつもりだよ。 大方、あたしの言葉の真意を確かめようってトコなんだろ。 でもね、そんなのはその子を見れば分かるってモンだ」 「確かに……上手く乗せられたようでいい気はしない」 「ふふん」 「……?」 会話はハツネとヒビキにしか理解できなかった。 暗号というわけではないが、全体像が見えないアカツキにとっては断片的な言葉が飛び交うばかりで、理解するなど到底不可能なものだった。 「どういうこと?」 ハツネに訊ねる気になれず、アカツキは肘でヒビキの脇腹を突きながら問いかけた。 彼なら答えてくれるかもしれないと思ったが、その読みは見事に当たった。 「ハツネが僕に連絡を寄越した時、君のドラップをもらうと言ってね。 何を考えてるのか分からなかったから、居ても立ってもいられなくなって駆けつけたんだよ」 「そんなこと言ってたんだ……って、連絡してたの?」 「まあね。必要なことだと判断したから。僕もハツネも」 「そうなんだ……」 二人の間で何があったのかは知らないが、ヒビキに対しても、ハツネはアカツキをエサ代わりにちらつかせていたらしい。 これには呆れるしかなかったが、それがハツネの戦略だったのだろう。 「結果的に、彼女はドラップを狙うつもりなんてなかったみたいだし。 何がしたかったのかと思えば、君をエサにすることでソフィア団のエージェントをおびき出し、確実に無力化するための作戦だったってことだ」 「さすがに察しがいいね。 まあ、あたしとしてもあんたがポケモンリーグとつるんでないってことが分かったからそれで満足だけど」 「僕までエサにするか……まったく、食えない女だ」 「褒め言葉として受け取っておくよ」 ヒビキが呆れたような顔で言うと、ハツネはむしろ満足げに微笑んだ 自分の策略が上手く行って、相手が呆れているのだ。それを見てうれしくならないはずがない。 組織の頂点に立っているだけあって、他人を手玉に取るのは得意なのだ。 「果たしてそうかな? いくらなんでも、自信過剰のような気もするけど」 鼻高々にしているハツネに苦言を呈するヒビキだが、彼女はさも当然と言わんばかりに、言い返してきた。 「あんただけならともかく、あの女は侮れないからね。 もしあんたとつるんでるんだったら、今頃このアジトは落ちてただろうね。 それがなかったから、あんたとポケモンリーグがつるんでないってことが分かったんだよ。 それだけのことさ」 「……どういうこと?」 アカツキは首を傾げ、助けを求めるようにヒビキに視線を向けたが、彼は苦々しい表情で黙りこくっていた。 ハツネがいけしゃあしゃあと言い放った言葉を侮辱と受け取っているのかもしれない。 しかし、アカツキの視線を『解釈しろ』と受け取ったのか、視線に気づいてからはすぐに答えてくれた。 「君をエサにソフィア団のエージェントをおびき寄せ、捕縛する。 それと、僕をエサにポケモンリーグと僕がつながっていないことを確かめる。 僕が言うのもなんだけど、ハツネが言った『あの女』っていうのは、ネイゼル地方のチャンピオンを勤めてる人のことでね。 確かに、僕は彼女とはつながっていない。 ジムリーダーの立場では、こんな風にフォース団のアジトに入ることさえできなかっただろうから。 僕は一時、ジムリーダーを辞して、君のドラップをソフィア団から守るための手助けをすることを選んだんだよ。 子供だけに任せておけるような案件ではないから」 「…………」 解釈してくれた割には、それでもよく分からないことが多いのだが、ヒビキはヒビキなりに、 アカツキのサポートをしてくれているということだけは確かだった。 だけど、子供だけに任せておけないというところを殊更に強調されたような気がしたのだが……思い過ごしだろう。 「ふふ、相変わらず素直で分かりやすいね。まあ、でもその通りなんだからしょうがないか」 「まあね」 ハツネが浮かべた野太い笑みを、ヒビキも似たような笑みで出迎える。 これで彼の雰囲気がとがっていなければ、朗らかな光景の出来上がりなのだろうが、 ヒビキとしては目の前の相手を全面的に信用するわけにはいかないのだろう。 年端も行かぬ子供をエサに使うような相手を素直に信じろという方が無理である。 マジメな性格の大人なら、なおさらだ。 「なんかよく分かんないや」 アカツキは深々とため息をついた。 ネイゼル地方のチャンピオンとヒビキがつながっているとかいないとか、そんなことを言われてもピンと来ない。 むしろ、電話で頻繁に連絡を取り合っていたからこそ、ヒビキとハツネの間で話が通るのだ。 アカツキが分からなくても無理はなかった。 「でも、なんか敵同士って感じはしないし」 それでも、ヒビキとハツネが敵同士という感じはしないから、安心した。 こんなところで敵対心をむき出しにされたら、安心して座っていられないだろう。 アカツキはアカツキで、ハツネのことを少しは信じられると思っているからついてきたのであって、ヒビキが何を言おうと関係ない。 「でもね……」 ……と、ハツネの瞳が黒光りした。 アカツキは思わず振り向いたが、彼女は相変わらず笑みを口元に浮かべたままだった。 ヒビキのことを敵だと思っていれば、笑っていられるはずがない。 完全な味方ではないにしろ、敵の敵は味方という意味で互いに際どい信頼関係を結んでいるのかもしれない。 「あと何日か、様子を見させてもらうよ。あんたがあの女とつながってないって証拠にはならないからね」 「好きにするといいさ。 そうなると、僕と彼はしばらくここに缶詰にされるってことになるけど」 「それくらい我慢しなよ。 ここならソフィアの連中もそう易々と攻めてこれないんだから、ある意味安全だろ?」 「獅子身中の蟲って感じもしないわけじゃないが、まあ、いいだろう……一理ある」 「よし、決まりだね」 「なにが?」 知らないうちに話がとんとん拍子で進んでいく。 これにはさすがにアカツキも危機感を抱いたのか、慌てて声をかけた。 数日はこのアジトで過ごすことになる。 それは分かったが、何がなんだか分からないうちに勝手に決められても困る。 そんな少年の心中を察してか、ヒビキがフォローを入れてくれた。 「ハツネからすれば、僕が本当に彼女とつながっていないことを確かめるつもりなんだろうけど、 君がソフィア団の連中から数日は狙われなくなるっていうことは本当だよ。 トウヤやミライのことが気になるのは分かるけど、君が神経を張り詰めたままでいたら、ドラップより先に参ることになる。 それじゃあ、ドラップを守るどころじゃなくなるだろう。 言葉には出さないけど、君に少し休めって言ってるんだ。 だったら、その言葉に甘えておいた方がいい。とりあえず、目の前にいる女は信じられる」 「ひどい言い方だね〜。否定はしないけど」 「…………」 ヒビキの言葉に、ハツネは豪快に笑い立てた。 上手いことを言うと思ったが、アカツキは元ジムリーダーの言葉に納得を示した。 ドラップを守るためには、自分がしっかりしなければならない。 精神的に張り詰めていたら、先が思いやられるから、ここで少し休んでおけと言っているのだ。 だったら、その言葉に甘えさせてもらうのが筋というものだろう。 しかし、ハツネは本当にヒビキがポケモンリーグとつながっていないことを確かめるために、少し時間をかけるだけのことだ。 「あの女は、やる時にはやるようなヤツだからね……念のためってトコさ」 「はあ……」 念のためとは言うが、やはり自分のことを考えてくれている。 なんとなくそう思って、アカツキはホッと安堵のため息を漏らした。 Side 8 フォース団のアジトでの暮らしは、外に出られないという窮屈なところさえなければ、案外快適なものだった。 立ち入り禁止の区域があるが、それ以外のところは基本的に出入り自由だし、 地下にはポケモンバトルのためのフィールドが広がっており、その他にも娯楽が溢れていて、退屈はしなかった。 五十人前後の構成員は、明らかに余所者のアカツキとヒビキを毛嫌いすることもなく、団長ハツネの指示通り、彼らを受け入れてくれた。 若い団員が多かったが、中にはヒビキと同年代の団員もおり、 若い女性団員などはアカツキのことを『かっわいい〜♪』と言って、ベタベタ触ったり頭を撫でたりしてきた。 別に不快に思うほどのものではなかったので、アカツキは頃合を見計らって脱け出した。 夕食を摂ってから、地下のバトルフィールドでヒビキに特訓をしてもらった。 彼も暇を持て余している身であり、快く付き合ってくれた。 一通り特訓を終えた後で、ヒビキはアカツキのポケモンの力量に大きな差があることを指摘した。 進化を果たしているドラップとラシールは全体的に高い能力を持っているからいいが、 進化を控えているネイトとリータについては彼らと比べると能力が低く、未完成。 全体的にポケモンのレベルを揃えておくことがトレーナーとして大事であると語り、そのためにはどうすればいいかを熱心に講義してくれた。 ヒビキが真剣な表情で、今にも黒板にチョークを走らせんばかりの熱弁を振るっていたものだから、アカツキも真剣に聞き入っていた。 ドラップとラシールの実力はある程度完成していることから、進化を控えているネイトとリータを重点的に鍛えていくべきだという結論に至る。 ネイトは今ブイゼルだが、進化するとフローゼルになる。 リータについては進化するとベイリーフになり、さらに進化するとヒビキが使っていたメガニウムになる。 ポケモンの進化は全体的な能力の向上が見込めるため、そのために力量を高めておくのが最も有効な手段である。 マンツーマンの講義が終わった後、アカツキは風呂に入り、自室に戻った。 特訓で頑張ってくれたポケモンたちはフォース団備え付けの回復装置で体力を回復しておいたので、憂いはない。 アカツキとヒビキはハツネにとって――フォース団にとって『お客様』らしく、太っ腹にも二人にそれぞれ一室ずつ提供してくれた。 元は空き部屋だったようだが、部下たちに急いで準備させたのだろう……通された時には寝泊りするのに十分な家具類が揃っていた。 「ふう……」 部屋に戻るなり、アカツキはドアに鍵をかけて、ベッドに倒れ込んだ。 ふかふかの布団とシーツは洗濯したてなのか、真新しい香りがするが、それは仕方がない。 「疲れたなあ……」 ゴロリと寝転がり、仰向けになったところでため息。 洞窟の中とは思えないくらい快適な部屋だったが、この部屋にいるからこそ、 今日一日で、自分の置かれた立場がかなり変わったのを実感させられる。 まさか、ソフィア団とフォース団の抗争に巻き込まれた上、拉致同然にフォース団のアジトに連れてこられるとは…… 改めて、ドラップを守るということが大変であると思い知らされた。 アカツキにとって見れば、大切な仲間をソフィア団の魔手から守りたいだけなのだが、そこにソフィア団とフォース団の対立、 二つの組織とポケモンリーグ及び警察との対立が挟まってくるものだから、単純な事態も今ひとつ複雑さを増している。 「でも、どうしようもないんだよな〜」 かといって、今さらここを出ると決めたところでそれは無理だろうし、ハツネが何を考えているにしろ、数日はここで過ごすしかない。 幸い、ヒビキがいてくれるから、不安はさほど感じないのだが、それでもやはり気になることがある。 「トウヤとミライ、どうしてるのかなあ?」 自分についてきてくれる二人は、今頃何をしているのか…… 神ならざる身では知る術もないが、トウヤのことだ、いろいろと考えて行動しているのは間違いないだろう。 夜になっても自分が戻ってこないものだから、先にアイシアタウンへ向かって進んでいるのだろうか? 「たぶん、そうだと思うけど」 もし、自分がトウヤの立場なら、そうするだろう。 そう思い、アカツキは小さくため息をついた。 トウヤは自分のことを信じてくれている。自分がトウヤのことを信じているのと同じように。 そこのところは互いに言葉に出さなくても、分かっている。 いつか自分が戻ってくる……アイシアジムでのジム戦に向けて、アイシアタウンを目指すであろうことを理解してくれているはずだ。 トウヤなら、分かってくれる…… そう思えることが、アカツキにとっては救いだったし、気持ちを落ち着かせる。 「それに……」 目を閉じると、真っ黒に塗りつぶされた視界に、トウヤの意地悪な笑顔が浮かんだ。 自分のことを理解してくれている人。 たまにからかってくることがあるのが玉にキズだが、それもまた彼の人柄だし、愛嬌でもある。 そこのところはアカツキもミライもよく分かっていることだ。 それに、彼はトレーナーとしての実力にも長けており、とても頼りになる。 反面、彼に依存し続けていてはいつまで経っても一人前のトレーナーになれないということだし、いずれ彼も自分の傍を離れる時が来る。 その時が来ても、自分の力で旅を続けられるようにしなければならない。 いわゆる自立心が、アカツキの中で急速に芽生えていた。 「オレがもっと強くなって、ネイトたちももっと強くなったら、トウヤだってやりたいことができるようになるわけだし…… オレたちがもっとガンバらなきゃいけないんだよな」 トウヤには、やりたいことがあるはずだ。 ネイゼル地方にやってきたのも、恩人に会いたいからと言っていた。自分の旅に付き合っていたら、いつ会えるかも知れないのだ。 彼の時間を自分のために裂いてもらっていて、本当に申し訳ない気持ちになる。 アカツキは目を開けると、腰のモンスターボールを手に取った。 四つのボールの中では、大切な仲間たちがゆっくり休んでいるだろう。 彼らの休息を邪魔するわけにも行かず、ボールから出すことはなかったが、そっと呼びかける。 「オレたち、ちゃんとガンバらなきゃいけないんだよな……」 トウヤが安心して自分を送り出せるように。彼がやりたいことを存分にできるように。 強くなる…… ドラップを守れるくらい。 自分と大切な仲間たちだけで、どんな困難も乗り越えられるように。 「やることはいっぱいあるんだ。一個一個、ちゃんと片付けてかなきゃ」 今さらという感じはするが、やらなければならないことがいっぱいある。 まずはネイゼルカップに出場するため、各地のジム戦で勝利し、四つのリーグバッジを獲得しなければならない。 もちろん、それだけでは強敵が犇くネイゼルカップを勝ち抜けないから、ポケモンたちのレベルをぐんと引き上げなければならない。 それだけでも大変だが、ドラップをめぐる争いもある。 いずれはソフィア団と全面対決することになるかもしれないが、その時は絶対に勝つ。 むざむざとドラップを渡したりはしない。 「明日もヒビキさんに特訓してもらおう。できることはやってかないといけないからな」 数日はこのアジトを出られないとしても、出られないなりにできることはたくさんある。 ヒビキに頼んで、ポケモンバトルの特訓をしてもらおう。 結局のところはそれくらいしかすることがなかったが、ポケモンもトレーナーも強くなるための手段としてはこれ以上ない有効な手段だ。 「よし、寝るぞっ!!」 明日からも頑張ろう。 いろいろな想いが交差する胸中に区切りをつけて、アカツキは寝ることにした。 手にしたボールを机に置いて、電気を消して布団に潜った。 フォース団とソフィア団の抗争に巻き込まれたこともあって、とても疲れていた。 目を閉じて数分と経たないうちに、意識が闇に溶けていった。 第8章へと続く……