シャイニング・ブレイブ 第9章 水の妖精 -Icy edge-(中編) Side 3 「また指示出してこないなんて……なにか企んでるな?」 自分から口火を切っておきながら、ラプラスに何の指示も出していないのを見て、アカツキは訝しげに眉をひそめた。 ラプラスはバトルが始まったというのに、優しさを秘めた目でネイトを見つめている。 戦う気があるのだろうかと疑いたくなるが、フィールドにいる以上、戦う意思があるということだ。 優しそうな雰囲気を漂わせているポケモンではあるが、実力はかなり高く、全体的にバランスのいい能力の持ち主だ。 突出した能力がない分、あらゆる場面で安定した戦いが期待できる。 何をしてくるか想像もつかないが、何もしてこないとは…… ミズキが何かを企んでいるのは間違いないが、このまま何もしないわけにはいかない。 ネイトはアクアスクリューで体力を極限まですり減らしているのだ。 「よし……」 こうなったら、戦闘不能を覚悟してでも攻撃に打って出るしかない。 ラプラスは接近戦が得意ではないから、ネイトの素早さを活かして撹乱し、一気に攻め入る。 アカツキは決意を固め、ネイトに指示を出した。 「ネイト、電光石火で近づいて撹乱しながら噛み砕く!!」 ずいぶんと大ざっぱな指示だが、ネイトにはアカツキの意図がちゃんと伝わっていた。 伊達に長年パートナーなどやっていない。 ネイトは狭い足場にもかかわらず、電光石火のスピードで足場を渡り歩き、悠然と水上に佇むラプラス目がけて突き進む!! 「残り少ない体力を攻撃に費やす、か……確かにそれが懸命ね。だけど……」 ネイトの目に不安や心配が微塵も浮かんでいないことを悟り、ミズキは小さくため息をついた。 ここで少しでも怖気付いてくれれば良かったのだが、それでは挑戦者と呼ぶに値しない。 どうでもいいことを考えていると気づいて、頭を振る。 その間にもネイトはラプラスに肉薄している。 ミズキはラプラスに指示を出さない。 だが、それは出せないのではなく、出していないだけだ。 なぜなら、彼女のラプラスは自分で考えて戦うからだ。 それも、ミズキの意図するところを的確に察し、彼女の考えに沿うように戦う。 指示を出す必要がないのだ。 あと二つ、足場を越えればラプラスに届く。 ネイトがそんな位置に達した頃、ラプラスは口を大きく開いた。 その中に、白い輝きが灯る。 「冷凍ビーム……!? って、指示出されてないぞ!?」 アカツキはギョッとした。 ラプラスが放とうとしているのは冷凍ビーム。 それは分かったが、解せないのはミズキの指示を受けずに勝手に技を出そうとしているところだ。 彼女のラプラスのことを知らなければ、何の指示も出されていないのに……と不思議に思うのは当然のこと。 アカツキが驚くのを余所に、ラプラスは冷凍ビームを放ち、最も近い足場を氷に閉ざした。 眼前の足場が凍結したのに驚いて、ネイトは手前の足場で思わず動きを止めてしまう。 動きを止めたネイト目がけ、ラプラスが再び冷凍ビームを放つ。 しかし、そこは俊敏なネイト、容易くは攻撃を受けない。 さっと飛び退いた直後に、先ほどまで立っていた足場が氷に閉ざされて使い物にならなくなる。 「水に潜って接近するんだ!!」 アカツキの言葉が終わるが早いか、ネイトは水中に飛び込んだ。 元々は水中で暮らしているポケモンである。泳ぎはお手の物。 足場を使ったのは、ラプラスが地上戦を苦手としていると踏んでのこと。 相手の土俵に立つのは度胸が要るが、ラプラスは素早い動きを得意としていない。 そこを突けば、ダメージを与えていけるはずだ。 だが…… 「ク〜ン……」 ラプラスは凛々しさ漂う声音で嘶くと、次々と冷凍ビームを発射した――が、狙いはネイトではない。 水中から接近する相手に冷凍ビームを放ってもダメージなど与えられない。 基本的に、冷凍ビームは何かにぶつかった時点で氷の力を撒き散らし、対象を凍らせるのだ。 「だったら、何のために……」 アカツキにはラプラス……ミズキの意図がまるで読めなかった。 攻撃技を放ちながらも、狙いはフィールドにそびえる足場。 放たれた冷凍ビームは次々と足場に命中し、分厚い氷に閉ざしていく。 攻撃するにしても当てずっぽうで、真剣に戦っているのかと疑いたくもなってくるが…… 「ブイっ!!」 ラプラスの横から飛び出したネイトが、勢いをそのままに体当たり!! ただならぬ勢いの体当たりを受け、ラプラスは一メートル近く押されたが、百キロ以上ある巨体が横倒しになることはなかった。 「このまま真下に潜ってアクアスクリュー!! 一気に決めてやれっ!!」 他の技でチクチクダメージを与えていくのも悪くないが、ここは一気に決める方がいいだろう。 ミズキの意図が読めないのだ。 何かとんでもないことをしでかす前に、さっさと決める。 そうすれば、何を企んでいたとしても水泡に帰す。 ネイトはラプラスの首を踏み台代わりに蹴りつけて飛び退くと、そのまま水中に身を潜めた。 ラプラスの真下に回り込み、残された力をすべて使い果たすようにアクアスクリューを発動!! 真下から加えられたすさまじい水流に、ラプラスが為す術なく持ち上げられる!! 巨体を容易く持ち上げてしまうほどの勢いだが、ミズキの顔に焦りはない。 「よし、決まった……!!」 竜巻のごとき水流が邪魔して、アカツキにはミズキの表情が見えなかった。 だから、彼女が余裕でいられることも分からなかった。 水タイプのポケモンは、水タイプの技に強い。 それでも、強烈な技を食らってダメージを受けないということはない。相性によってダメージが軽減されるだけだ。 あのギャラドスでさえ沈めたほどの威力。 これで決まりだ……アカツキは口の端に勝利の笑みを浮かべたが、甘かった。 そう容易く勝たせてくれるほど、ジムリーダーとそのポケモンは弱くない。 水流が途切れ、ラプラスが水面に叩きつけられるが、ラプラスは平然としていた。大きなダメージを受けているようには見えない。 「えっ……あ、あれ?」 ラプラスが平然としているのを見て、アカツキは呆然とした。 ダメージを受けているどころか、無傷のようにさえ見える。 一方、ネイトは今の一撃で体力を使い尽くし、水面に浮上してきたが、うつ伏せになって身じろぎ一つしない。 「ネイト、戻れ!!」 文字通り最後の力を振り絞って大技を繰り出した。 アカツキはネイトが戦闘不能になったのを悟り、すぐさまモンスターボールに戻した。 「懸命な判断ね」 ネイトがボールに戻ったのを見て、ミズキが肩をすくめる。 これで厄介なアクアスクリューを放たれることがなくなる……と安心したような表情で。 「でも、なんで? 効いてないってのか……?」 ネイトのボールを持つ手をだらりと下げて、アカツキは呆然とラプラスを見やった。 痛みも苦しみも感じさせない柔らかな表情。 どう見ても、アクアスクリューが効いているようには見えない。 一体どうなっているのか。 意味不明な現象に直面して硬直している少年に理解させるように、ミズキが口を開く。 「後学のために教えてあげる。 わたしのラプラスに水タイプの技は効かない。 こんな特性、聞いたことないかしら。 『貯水』って言うんだけどね……水タイプの技でダメージを受けず、逆に体力を回復するの。 ハイドロポンプだろうと、ネイトのアクアスクリューだろうと。 水タイプの技はラプラスにダメージを及ぼすことがないのよ」 「げ……そうなのか……」 彼女の言葉に、アカツキは策を誤ったのを今さらながら理解した。 ネイトの体力が尽きる前にどうにかすることばかり考えて、相手の特性のことまでは頭が回らなかった。 ラプラスの特性は『貯水』。 水タイプの技でダメージを受けるどころか、逆に体力を回復してしまう特性なのだ。 アクアスクリューを受けてもダメージにならないなど、反則にも等しい。 しかし、どちらにしろ、水タイプの技を使えるポケモンがいなくなった以上、その特性にこだわる理由もない。 「でも、ネイトじゃなきゃ水タイプの技使えないから、意味ないんだよな……」 ネイトの攻め手を封じるためにあるような特性だと思い、アカツキはラプラスの特性を気にするのを止めにした。 代わりに、次のポケモンのことを考える。 「ラプラスのタイプって、水と氷だよな……ラシールは出せないし、ドラップもこんなフィールドじゃ動き取れないし…… アリウスは出さないって決めてるし、こうなったらリータしかいないよなあ」 ラシールなら水だらけのフィールドでも自在に空を飛び回れる。機動力で選ぶなら決まりだが、ラプラスの冷凍ビームは痛い。 ドラップは相性による有利、不利がないものの、足場が悪いので戦えない。 アリウスならどうだろうか。 電気タイプの技を使えるし、多少は足場の影響を受けながらも、動きはどちらかというと素早い。 普通に考えればアリウスが妥当なのだろうが、出さないと決めている以上、消去法でリータに決まりだった。 アカツキはさほど迷うことなく、モンスターボールを持ち替えた。 「よし、リータ!! レッツゴーっ!!」 「……?」 持ち替えたモンスターボールを、手近な足場目がけて放り投げる。 カツン、と乾いた音を立ててボールが足場に落ちる。 すぐさま口が開き、中からリータが飛び出してきた。 「ベイっ!!」 狭い足場に飛び出しながらも、リータは戸惑うことなく、むしろ嬉々とした表情で声を上げた。 「あら……進化したのね」 ミズキが目を細めて、リータを見やる。 昨日、アリウスと激しい戦いを繰り広げていたが、そのおかげでレベルアップし、ベイリーフに進化したのだ。 進化して、どのような戦い方を見せてくれるのか興味が湧いたが、今はバトルが最優先。 ジムリーダーとして、精一杯戦いぬくだけ。 「…………あ、そっか」 ……と、ミズキがリータに目をやっていることなど眼中になく、アカツキはようやっと気づいた。 ラプラスがどうして足場を氷漬けにしたのか。 空を飛べるポケモン……基本的には飛行タイプのポケモンだが、 アカツキが二体目として飛行タイプのポケモンを出せば、冷凍ビームで撃ち落とす。 ラプラスは飛行タイプに有利な氷タイプを持っているのだ。冷凍ビームや吹雪といった技はお手の物。 かといって、氷タイプの技を警戒して別のタイプのポケモンを出しても、半数近くが凍りに閉ざされた足場では、思うように動けない…… 「リータが動ける範囲も限られるってことか……」 アカツキは奥歯をグッと噛みしめた。 ……してやられた。 動ける範囲を狭めておけば、大技も外しにくい。 相手の攻撃範囲も読みやすくなるし、一石二鳥の作戦だったのだ。 ネイトがアクアスクリューで攻撃してくることを読めば、『貯水』でダメージを受けないラプラスはある程度自由に行動できる。 そこまで考えた上で、足場を凍らせていたのだ。 無論、ミズキの考えを読んで。 「こりゃ、マジでヤバイかも……」 リータはラプラスの水タイプに対して強いが、氷タイプには弱い。 冷凍ビームや吹雪を受ける前に決着をつけなければならないのだが…… 「ここじゃニードルブレス使えないな……ガンガン攻めまくるっきゃねえや」 ヒビキ直伝の大技・ニードルブレスが使えないのも痛い。 地中の養分を吸い上げて発芽する技なので、養分のない水に着弾しても意味がないのだ。 それでも、リータで戦うと決めたのだから、勝利へ向けて全力を尽くさなければならない。 アカツキの気持ちが固まったのを察して、ミズキが口火を切る。 「それじゃあ、はじめましょうか」 「リータ、葉っぱカッター!! 撃って撃って撃ちまくれ〜っ!!」 バトルの再開を告げられた途端、アカツキはリータに全力で攻撃するよう指示を出した。 リータは可能な限りラプラスに近い足場に移動すると、ひたすら葉っぱカッターを撃ちまくった。 やられる前にやれ、という言葉を知っているかのような勢いだ。 レイクタウンで戦ったカイトのロズレイド――ゼレイドのリーフストームを思わせる怒涛の攻撃が、ラプラスに迫る。 ……が、ラプラスは動じることなく、淡々と処理した。 眼前に水鉄砲を放ち、大きな波を立てると、波に冷凍ビームをぶつけて即席の氷の壁を作り出したのだ。 さすがはジムリーダーの切り札、応用力にも長けている。 リータの葉っぱカッターは氷の壁に激突し、少しずつ壁を削り取りながら勢いを落としていく。 やがて氷の壁が音を立てて崩れた時、残ったのは数枚の葉っぱだけだった。 残った葉っぱがラプラスを襲うが、大きなダメージにはならなかった。 「そうやって防ぐんだ……」 ラプラスは水タイプのポケモンだが、機動力に優れているとは言えない。 陸上でない分、打ち上げられた魚のように身動きが取れなくなることはないが、ネイトに比べれば動きは緩慢だ。 動きの遅さを補うための防御。 一筋縄では倒せそうにない。 葉っぱカッターを防いだラプラスは、今度はこちらの番だと言わんばかりに水上を移動すると、リータ目がけて冷凍ビームを放ってきた!! 「リータ、避けながら葉っぱカッター!!」 攻撃中なら、先ほどのように氷の壁を作られることはない。 アカツキの指示に、リータはさっと近くの足場に飛び退いて、葉っぱカッターを放つ。 冷凍ビームを掠めるようにしてラプラスに迫る葉っぱカッター。 そのうちの一枚が運良く冷凍ビームにぶつかり、氷の力がその葉っぱを分厚い氷に閉ざし、それ以上リータにビームが迸ることはなかった。 これは偶然の産物だったが、冷凍ビームを食らわなかったのは大きい。 残った葉っぱがラプラスを切り裂く!! 先ほどよりも威力の上がった葉っぱカッターを受けて、さすがのラプラスも痛みに顔をしかめていたが、それだけだった。 巨体が示すとおり、体力は並のポケモンを遥かに上回るのだ。 持ち前の体力を前面に押し出し、防御など考えずに攻撃をしてくる…… アカツキはラプラスの攻撃の様子から、そう読んだのだが、その読みは当たっていた。 葉っぱカッターを食らいながらも、冷凍ビームをガンガン放ってくる。 足場をすべて凍らせて、リータを孤立させるつもりなのだ。 「そっちがそう来るんだったら……」 アカツキは凍っていく足場から逃れるリータの動きを見ながら、策を立てた。 「リータ、葉っぱカッターで足場の氷を砕くんだ!!」 逃げてばかりいても、足場を凍らされれば身動きが取れなくなる。 そうなったら冷凍ビームを避けられなくなり、窮地に陥ってしまう。 だから、そうなる前に手を打たなければならない。 上手くそっちに誘導されたような気がしてならないが、それでもやらなければ冷凍ビームの餌食になる。 ラプラスはミズキの指示を受けないまま、冷凍ビームを連続で放つ。 彼女が何を考えているのか、背中で感じる雰囲気から悟っているのだろう。 リータは冷凍ビームを回避しながら、葉っぱカッターで足場にまとわりつく氷を砕いていく。 冷凍ビームで足場が凍り、動きが取れなくなるのが早いか、それとも葉っぱカッターで足場を確保するのが早いか。 際どい勝負になりそうだが、やるしかない。 しかし、アカツキとリータが足場の確保に躍起になっているのを見て、ミズキは口の端に笑みを浮かべた。 筋書き通り…… 「これなら、勝てるわね……」 嫌々やらされているのは否めないだろうが、それこそが狙いだった。 ラプラスはミズキの意図を的確に読み取って、攻撃している。 なにしろ、幼い頃からずっと一緒だったのだ。 言葉にしなくても通じる想いがある。 それはポケモンバトルにおいても有効なものだ。 「さて、そろそろ……」 心の中でつぶやくと、ラプラスが次の攻撃に移る。 冷凍ビームを取り止め、ハイドロポンプを放つ!! 「……!?」 足場を凍らせるのを止めた。 アカツキはどこか腑に落ちないものを感じつつも、リータに別の指示を出さなかった。 もう少しで足場を覆う氷を完全に砕けるのだ。 相手が何をするつもりかは知らないが、それまでに足場を確保し、動ける範囲を増やしておくのがベストだろう。 それに、ラプラスが放ったハイドロポンプは、足場の手前に着水し、猛烈な水圧を撒き散らしている。 どこを狙っているのだと言いたくなるほど、狙いの甘い一撃。避わすまでもない。 だが、それこそが罠だった。 ポケモンに指示を出さないからこそ、その意図を読まれることがない……ある意味、最強の方法と言ってもいいだろう。 ハイドロポンプが撒き散らした水圧は、津波のごとき大波を作り出す。 見た目はかなり大きいが、威力は水鉄砲に毛が生えた程度のものだろう。 受けてもそれほど痛くないにしても、やはりダメージは受けないに越したことはない。 「リータ、避けて葉っぱカッター!!」 足場を確保している今なら、ラプラスに対して有利な攻撃をすることができる。 確かにその通りだった。 ミズキがそう誘導していることに気づかないほど、アカツキは攻撃のチャンスだと思っていた。 リータが動こうとした瞬間、覆いかぶさらんばかりの大波が凍てつき、眼前に鋭い氷の牙を生み出した。 「な……!?」 突然のことに、何がなんだか分からない。 呆然とするアカツキを余所に、リータは眼前に突きつけられた鋭い氷の牙に身動きが取れなくなってしまった。 ラプラスが生み出した大波は、巨大な氷の壁となり、波の先端は鋭い氷の牙となり、リータをあらゆる方角から囲い込んでいたのだ。 まるで、氷の牢獄…… 「ふふ……」 氷の壁の向こうで、ミズキが微笑む。 これぞラプラスの奥義、アイスプリズン。 無害な波を装い、冷凍ビームで凍らせる。 ただそれだけのことなのだが、突然生み出された氷の牢獄に、挑戦者は驚いてしまう。 「べ、ベイ……?」 動こうにも、前後左右、上下まで氷の壁に取り囲まれ、身動きが取れない。 リータは慌てふためいて、冷静さをすっかり失くしていた。 氷の壁から漏れ出す冷気が、じわりじわりと忍び寄る。 寒さが苦手な草タイプのポケモンらしく、忍び寄る冷たい空気に身体を震わせている。 「こんなことができるなんて……」 アカツキは呆然としつつも、この窮状を打破すべく考えをめぐらせていた。 幸い、氷の壁に閉じ込められたわけではない。手は打てる。 ハイドロポンプで生み出した大波を凍らせるなど、なかなか考え付かないことだが、草タイプのポケモンには有効だ。 それなら…… 「リータ、気張れっ!! 葉っぱカッターで粉砕するんだ!!」 アカツキははちきれんばかりの声で叫んだ。 襲い来る寒さに打ち震えていたリータの目が、きっ、と見開かれる。 今は寒さに打ち震えている時じゃない。 倒すべき相手がいる。 「ベイっ……!!」 アカツキの気持ちを汲み取り、リータは寒さに震える身体に鞭打って、頭上の葉っぱを振るった。 氷の壁を少しずつ削り取り、眼前に迫っていた氷の牙を打ち砕く。 周囲に比べて強度が不足しているらしく、氷の牙は容易く粉砕された。 しかし、それでも氷の壁を完全に削り取るには時間がかかる。 それを黙って見ているミズキではない。 「そうね……」 動けなければ、動けるスペースを作ればいい。 アカツキの発想がそこに向いていることを察知し、次の作戦を練る。 テレパシーのごとく、彼女の考えがラプラスに伝わる。 相手が動けないうちに仕留める。それが定石。 ラプラスはアイスプリズンで相手の動きを封じている間に『瞑想』を使い、自身の特殊攻撃力と特殊防御力を上昇させている。 アカツキからは、氷の壁が死角になって見えないが、ポケモンバトルではそういった死角を利用するのも戦術の一つだ。 リータが葉っぱカッターで氷の壁を砕いている間に、ラプラスが強烈な吹雪を放つ!! 『瞑想』で上昇した特殊攻撃力から放たれる吹雪は、南極で荒れ狂うものを思わせる。 「うわ、吹雪……!!」 フィールド全体を攻撃範囲とする吹雪の強烈さに、アカツキは身体を震わせた。 瞬く間にフィールド全体の気温が下がり、吐く息も白みを帯びていく。 ある意味、氷の壁に守られているとはいえ、リータにも吹雪がもたらす冷気が届いていた。 「ベイっ……ベイ……」 寒い。 とてつもなく寒い。 草木がもっとも苦手としている寒さ。身を切り裂くような、内側から壊してしまうような鋭い冷気の剣。 ここであきらめるのは簡単だ。何もしなければいい。 しかし、そういうわけにもいかない。 リータにも、背負っているものがあるからだ。 アカツキに出会い、彼の明るい人柄に惹かれて一緒に行くことを選んだ。 選んだのは自分の意思。 ならば、アカツキの選んだ道を、彼と共に精一杯歩んでいくのが自分の責務。 そんな難しい言葉が分かるわけではない。 ただ、やるべきことがあるのだから、やらなければならない。それだけだ。 襲いかかる寒さを振り払うように、心が熱を帯びる。 かじかんで思うように動かない身体だが、それがどうした。 リータは声にならない声を上げ、渾身の力で葉っぱカッターを放ち続けた。 「終わったかしらね……」 ラプラスが放つ吹雪の鋭い音色が、フィールドを支配している。 吹雪は気温のみならず、水槽に張られた水の温度までキッチリ下げていた。薄い膜のような氷が張っているところまで出てきた。 ミズキのラプラスが得意とする戦い方は、アイスプリズンで相手の動きを封じている間に、『瞑想』で能力を上げ、大技で仕留める。 堅実だが、それゆえに下手な小細工が通用しない戦法だ。 フィールド全体が白く染まるような、強烈な吹雪。 氷の壁がリータを守るような形でそびえていると言っても、寒さはわずかな隙間から忍び寄る。 草タイプのポケモンには、吹雪がもたらす冷気でも大きなダメージになりうる。 チコリータからベイリーフに進化したと言っても、実力的にはまだまだ未完成。 そろそろ終わっただろう。 ミズキはそう思っていたのだが……さすがに、アカツキのポケモンは違った。 「リータ……」 アカツキの側からは見えたが、リータは一心不乱に葉っぱカッターを放ち続けている。 少しずつ氷の壁を削り取っているが、それと引き換えに、荒れ狂う吹雪の余波がリータにも及ぶようになってきた。 何もしなければ寒さにやられてオシマイだし、氷の壁を壊せば、吹雪が入り込んでくる。 どちらを選んでもリータがダメージを受けるように仕向けているが、だったらせいぜい悪あがきでも何でもしてやる。 アカツキは何も言わず、リータの背中をじっと見つめていた。 ここで言葉をかけた方が、リータには励みになるのかもしれない。 ただ…… 「なんか、こんなに一生懸命なリータ、見たことない……」 声をかけるのも躊躇われるほど、リータは一心不乱だった。 身を切るような寒さ。 格闘道場で身体を鍛えたアカツキでさえ震えが止まらないほどの寒さだ。 いくら人間より身体が強くても、寒さを苦手とする草タイプのポケモンには辛いはずだ。 だけど、リータは寒さに負けじと、一心不乱に葉っぱカッターを放ち続けている。 「でも、すごい……!!」 ちょっと奥手の女の子とばかり思っていたが、とんでもない。 逆だったのだ。 リータはやる気になったらどこまででも突っ走っていくだけの芯の強さを秘めている。 アカツキは今頃になって、リータの芯の強さに気づいた。 ネイトやドラップでも、ここまでの気迫を出すのは難しいだろう。 背負っているものがある。 それが背中からひしひしと伝わってくるものだから、アカツキもできるだけのことはやろうと強く思えた。 「よし……」 寒さに震える身体に活を入れるように頬を叩き、声を振り絞って叫ぶ。 「リータ!! 存分にやっちまえ!!」 やりたいなら、思う存分やればいい。 どんな言葉をかければいいか分からなかったけれど、やるからには徹底的にやってもらう。それだけで十分だった。 吹雪の轟音にアカツキの声はかき消されそうだったが、リータにはちゃんと届いていた。 「ベイっ!!」 ――アカツキが頑張るなら、あたしも頑張る。 「…………っ!!」 決意を新たに、リータは吹き荒れる吹雪に負けないくらいの声を振り絞り、叫んだ。 その時、リータの身体が淡い光を帯びる。 「え……?」 まさか…… アカツキは目を瞠った。 この光は……まさか、進化が始まるのか? 昨日ベイリーフに進化したばかりなのに……!? 驚くアカツキを尻目に、リータを包み込んだ光は膨張していく。 しかし、それは進化の光ではなかった。 リータの新しい技『目覚めるパワー』のものだった。 「……?」 氷の壁に遮られても、その合間から漏れる光は水面に反射して、水槽全体がキラキラ光っているように見える。 一体何がどうなっている……? ミズキは怪訝な表情を浮かべた。 リータを確実に戦闘不能に追い込む手段として用いた氷の壁が、逆に彼女の視界を遮る結果になっている。 「まだ終わってない……?」 まさかとは思うが、念のために手を打っておこう。 吹雪を取り止め、次の一手は…… ミズキが脳裏に作戦を描いていた時だった。 がしゃーんっ!! 無数のガラスが一斉に砕けるような音が響き、氷の壁が大小の破片を撒き散らしながら砕けていく。 「なっ……!!」 必中にして必殺のアイスプリズンが破られた……!? ミズキは驚きを隠しきれなかった。 指示を出さなくても思い描いている作戦が通じるというシンパシーは、逆に彼女の焦りや狼狽までも拾い上げてしまう。 まさに諸刃の剣だった。 氷の壁を打ち砕いたのは、リータの『目覚めるパワー』。 タイプの定まらない特殊技で、使用者によってタイプと威力が異なるという、千差万別を体現したような技だ。 「もしかして、これって……」 進化が始まるのかと思っていたが、いくらなんでも一日で進化というのは出来すぎだろう。 アカツキは何気に期待しておきながら、なぜかホッと胸を撫で下ろした。 いくらなんでも、進化するには早すぎる。 それに、葉っぱカッターでは時間がかかると思っていた氷の壁の撃破を、容易く成し遂げられたのだ。 これからが本領発揮、反撃開始だ!! アカツキはグッと拳を握りしめた。 リータには寒さによるダメージが蓄積されているが、まだ戦える。 闘志は消えるどころか、氷点下の吹雪にさえ負けぬほどの熱さがある。 「目覚めるパワー? なるほど、土壇場になって新しい技を会得したのね。 悪運が強いというかなんというか……どっちにしても、全力で倒すまで」 アイスプリズンが破られたのは驚きだが、だからといって為すべきことは変わらない。 ジムリーダーとして、全力で挑戦者の相手をするだけだ。 ラプラスもリータもかなりのダメージを受けている。 葉っぱカッター程度で、と思っていたが、それは甘かった。一部は急所に入り、思いも寄らないダメージに膨れていた。 「ここからが正念場ね……」 脳裏に策を浮かべ、ミズキは心の声でラプラスに指示を送った。 Side 4 「あの氷の壁を簡単に破っちまったんだ……リータの『目覚めるパワー』のタイプって、もしかして……」 アカツキはラプラスと向き合うリータの背中を見やりながら、想像を膨らませていた。 ポケモンによってタイプと威力が異なる技とはいえ、氷の壁を易々と打ち砕いてしまったのだ。 ドラップやラシールと比べて、お世辞にも高いとは言えないリータの攻撃力。 それであれほどの効果を挙げたのだから、技の威力自体が高かったか、あるいは氷タイプに有効なタイプだったか。 「どっちだっていいや。葉っぱカッターより、頼りになるかもしれないし」 リータの体力は残り少ない。 ラプラスもそれなりにダメージを受けているようだが、悠長にバトルを引き延ばしていられるだけの余裕はなさそうだ。 ラプラスが吹雪を取り止め、冷凍ビームを放ってきた。 アイスプリズンでは目覚めるパワーで粉砕される。 同じ失敗を二度繰り返さないために冷凍ビームでピンポイント攻撃を仕掛けてきたといったところか。 どちらにしろ、アカツキに残された手は、押して押して押しまくることでしかなかった。 「リータ、目覚めるパワーで押して押して押しまくれ〜っ!!」 アカツキの指示を受けて、リータが背筋を伸ばし、目覚めるパワーを繰り出した。 新しく使えるようになった技のことを、ポケモンはちゃんと理解している。 そうでなければバトルなど成り立たないだろう。 まあ、そういった諸事情はともかく、バトルは最終局面を迎えていた。 リータの目覚めるパワーは光の波動という形を取って、水面ギリギリの位置をキープしながらラプラス目がけて飛んでいく。 ここで回避すれば、葉っぱカッターで追い討ちをかける…… アカツキの考えを読んでいるかのように、ラプラスはその場を動かない。 防ごうと思えば防げるということか。 それとも…… しかし、ラプラスは冷凍ビームでリータを狙い撃ちにするだけだった。 目覚めるパワーを放った後、リータは冷凍ビームから逃れるべく別の足場に移動したが、すぐさまその足場も次の冷凍ビームが氷漬けにする。 まるでイタチゴッコだったが、そんなことをするつもりなど、ミズキにあるはずもない。 「絶対零度……」 こうなったら、一か八かの大技で決める。 その考えは瞬時にラプラスに伝達された。 冷凍ビームを取り止めて、絶対零度を放つ体勢に入る。 リータの目覚めるパワーのタイプは格闘。氷タイプを持つラプラスには弱点となるタイプだ。 格闘タイプの特性を持つ光の波動が、ラプラスを薙ぎ払う!! 大きく仰け反り、苦悶の表情を浮かべながらも、ラプラスはその場に踏ん張った。 絶対零度は、特性によって無力化されない限り、命中すれば確実に相手を戦闘不能に陥れることができる。 大技ゆえ、準備時間が必要だが、当たれば確実に……という部分は大きい。 ラプラスが何かしようとしているのを悟り、アカツキは焦りを感じずにはいられなかった。 「なんかヤバそうな攻撃が来るな……さっさとケリつけちまわないと……」 リータは目覚めるパワーを連発し、ラプラスにダメージを与えている。 積もり積もれば何とやらと言うように、ラプラスの表情に疲労の色が見えてきた。 それでも、全力でその場に踏ん張って何かしようとしているのが分かった。 だから、早く決着をつけなければならない。何かしてからでは遅いのだ。 リータは残された体力をすべて攻撃に費やすかのように、ただひたすら目覚めるパワーを連発していた。 葉っぱカッターよりもこちらの方が相手に与えるダメージが大きい以上は、こちらに頼るしかない。 「ベイ……」 少しでも力を抜けば、足腰が砕けてしまいそうになる。 そして、一度倒れてしまえば、すぐには起き上がれなくなりそうだ。 気力を振り絞り、ただひたすらに攻撃あるのみ。 やがて、ラプラスの身体が青い光に包まれる。絶対零度が発動したのだ。 「……?」 アカツキには、ラプラスが――ミズキが何をしようとしているのか分からなかったが、危険なものであるとの認識を持っていた。 ラプラスの身体を包む青い光は徐々に周囲に広がっていき、水面を凍てつかせていく。 ラプラスを中心にして、氷のフィールドが形成されつつあるのだ。 これが絶対零度。 氷に触れた相手は、瞬く間に身体を分厚い氷に閉ざされ、一瞬で戦闘不能に陥ってしまう。 目覚めるパワーでも、絶対零度の氷を壊すことはできず、増してや進行を遅らせることもできない。 「リータ、ガンバれっ!!」 アカツキは祈るような気持ちで、リータの背中を見つめていた。 徐々に広がっていく氷とリータの距離が縮まり、ラプラスに近い方の足場が次々と氷に閉ざされていく。 ラプラスが倒れるのが早いか、それともリータが絶対零度により倒れるのが早いか。 際どい勝負になりそうだ。 十メートル、五メートル、三メートル…… リータに向かって勢力を拡大する氷。 アカツキとミズキ。フィールドを挟んで対峙する二人は、真剣な面持ちで勝負を見守っている。 何度目になるか、目覚めるパワーがラプラスを薙ぎ払い―― 防御も回避もせず、ダメージを受け続けていたラプラスの身体が大きく傾ぐ。 「……!?」 「…………!!」 ここで持ち直すかと思いきや、ラプラスは自身が作り上げた氷のフィールドに倒れこむと、そのまま動かなくなった。 同時に、勢力を拡大していた氷が、その動きを止める。 すべての力を失ったように、氷の大地に無数の亀裂が入り、澄んだ音を立てて砕け散った。 「……わたしの負けね」 スポ根と言ってしまえばそれまでだが、勝負の明暗を分けたのは、気合の差といったところか。 ミズキはふっと息をつき、 「戻りなさい、ラプラス」 戦う力をなくしたラプラスをモンスターボールに戻した。 心と心が深くつながっているからこそ、分かるものがある……そういうことだろう。 「…………」 一方、リータも技を放ち続けて体力を使い果たしたのだろう。 その場にうつ伏せに倒れると、立ち上がることはなかった。 「あ、リータ……!!」 これ以上はさすがに無理だ。 アカツキにもそれくらいのことは分かっていたから、素直にリータをモンスターボールに戻した。 タイミング的には相打ちのような気がしないわけでもないが、この際勝敗は二の次だ。 リータが一生懸命戦ってくれたことを真っ先に誇りたい。 もちろん、これで勝利だったらうれしいのだけど。 「リータ、お疲れさん。 よくガンバってくれたよな……勝ち負けはどーだっていいから、ガンバってくれてありがと。 ゆっくり休んでてくれよ」 心からの労いをかけて、リータのモンスターボールを腰に戻す。 改めてミズキに視線を向ける。 審判のいないバトルで、彼女はどういった決断を下すのか……ここで負けにされても、アカツキには彼女を責めるつもりはなかった。 勝てなかったのだから仕方がない。 そう割り切るつもりだった。 しかし…… ミズキがニコッと微笑んだ。 「わたしのラプラス相手にここまで戦い抜くなんて、さすがにサラさんが見込んだだけのことはあるわ」 賞賛の言葉をアカツキに贈ると、懐から何かを取り出して、アカツキに放り投げた。 か細い腕に見えながらも、放り投げられたモノは剛速球のような勢いでフィールドを飛び越し、見事アカツキの手に収まった。 プロ野球選手も顔負けの抜群のコントロールだったが、それよりもアカツキが気になったのは…… 手のひらの上で燦然と輝くバッジだった。 「くれるの?」 思わず顔を上げ、微笑むミズキに問いかける。 くれるも何も、放り投げてきたのだからバッジを渡してくれたということだ。 確認したくなるほど、唖然としていたのかもしれない。 アカツキが、ハトが豆鉄砲食らったような顔を向けてくるものだから、あまりにおかしくなって、ミズキは声を立てて笑い出した。 「あっははははは!! 君ってホントに素直ね!! だけど、ラプラスはリータが戦闘不能になる前に倒れたのよ。だから君の勝ち。それで問題ないでしょ? それとも何……納得できないからバッジは要らないって? だったら、遠慮なく返してもらうけど」 「ち、違うって……!!」 ミズキが手を差し出すと、アカツキはギョッとして頭を振った。 あまりに激しく頭を振ったので、帽子が飛びそうになったが、ハッと気づいて慌てて手で押さえる。 まるで醜態だったが、ミズキは子供の可愛い仕草と見て取っていた。 「冗談よ。君のトレーナーとしての実力、認めるわ。だからバッジは君のものよ。 精一杯戦った君のポケモンの力も、大したものだったわ。これからもその調子で頑張りなさい」 「うん、ありがと!!」 そこまで言われては、受け取らないわけにはいかない。 アカツキは照れ隠しに笑いながら、天井からの照明を照り受けて輝くバッジに視線を落とした。 どこかで見たような雪の結晶を模した、水色と銀色が入り混じったバッジ。 アイシアジムを制した証……スノーバッジだ。 フォレスジムのリーフバッジと、今手にしているスノーバッジ。 これでリーグバッジは二つ。 ネイゼルカップ出場に必要なのは、ディザースジムのバッジと、ウィンジムのバッジ。 出場権の半券を手にしたような形だったが、むしろ大変なのはこれから。 二つ目のバッジをゲットした喜びは抱きつつも、アカツキはこれからが本当に大変なのだと言うことを感じていた。 ネイゼルリーグの出場権を得たからといって、それだけで兄や親友との約束が果たせるわけではないのだ。 「よし、もっともっとガンバらなきゃな!!」 ネイトとリータが頑張ってくれたおかげでゲットできたバッジを固く握りしめ、アカツキは決意を新たに固めた。 降り注ぐ照明が、これからの道行きを示しているかのように感じて、なんとなく気分が良くなった。 To Be Continued...