シャイニング・ブレイブ 第9章 水の妖精 -Icy edge-(後編) Side 5 アイシアジムからポケモンセンターへ戻るアカツキの足取りはとても軽かった。 いろいろ大変だったが、ジムリーダーのミズキに勝つことができたし、スノーバッジもゲットできた。 「ふっふふ〜ん♪ ……っと」 鼻歌など交えながら通りを全力疾走していると、あっという間にポケモンセンターに到着した。 おかげで、通りを行く人たちがあまりのスピードに驚いていることさえ目に入らなかった。 もっとも、そんなことは喜びに満たされているアカツキにとって何の関係もなかったが。 ポケモンセンターの自動ドアをくぐるなり、トウヤとミライが出迎えてくれた。 アカツキが戻ってくるのを今か今かと待ち侘びていたらしく、こちらの姿を認めると、二人して一目散に駆けてきた。 気のせいか、ロビーがザワついているような気がするのだが、それを訊く前にトウヤが口を開いた。 「お、戻ってきおった。どうやった、ジム戦は? ……って、聞くまでもあらへんな。その顔見てたら、分かるわ」 「うん、そうだね」 アカツキが浮かべている満面の笑みを見やり、二人は彼がジム戦を制したことを悟った。 口々におめでとうと言われ、アカツキはまんざらでもなかったが、すぐにネイトとリータをジョーイに預けに行った。 積もる話はそれからでもいいだろう。 今は、死力を尽くして戦ってくれたポケモンたちを回復させてやりたい。 アカツキはトウヤとミライの傍に戻ると、問いを投げかけた。 「オレのこと、待ってたのか? 別に部屋で待ってりゃ良かったのに……」 何も、こんなところまで出迎えに来ることはなかった。 もちろん、出迎えてくれたことはうれしいし、そのことについて感謝しないわけではない。 ただ、トウヤらしくないような気がしていたのだ。 アカツキの言葉に、トウヤは苦笑いした。 年下の少年が口を尖らせて言うことの意味を理解しているからだろう。 ただ、こちらにも事情というものがある。それを知らないのだから、仕方ないと言えば仕方ない。 「ん〜。それも悪くなかったんやけど、おまえに紹介しときたい人がおってな」 「紹介しておきたい人……って?」 トウヤが顎で示した先に目をやり、アカツキは首を傾げた。 ロビー左手の長椅子に見知らぬ男女が腰かけていて、アカツキと目が合うなり、男の方がニコニコ笑顔で手を振ってきた。 一体どうなってんだ? アカツキが意味を理解できなかったのは当然のことだったのだが、男女は席を立ち、こちらに歩いてきた。 トウヤとミライは彼らを知っているらしく、淡々と構えていた。 アカツキは眼前で足を止めた男女を見やった。 二人とも歳は二十歳過ぎといったところで、背丈はほとんど変わらなかった。 ニコニコ笑顔の男は銀髪を肩口まで伸ばし、紫と灰色が入り混じったジャケットを羽織り、首からドクロのネックレスを提げている。 一方、無表情の女は金髪を背中まで伸ばし、薄手のコートに身を包み、目が悪そうには見えないが眼鏡などかけている。 顔立ちはどことなく似ているように見えるのだが、兄弟か何かだろうか。 「あなたがアカツキ君ね?」 失礼だとは思いつつも、二人の背格好を比べたりしていると、女が口を開いた。 「え……うん、そうだけど」 ニコニコ笑顔の男とは対照的に、女は相変わらずの無表情。 外見が明るそうなのが幸いして、不気味とまでは言わないが、どこか取っ付きにくい雰囲気の持ち主だ。 アカツキは戸惑いながら頷いたが、 「アカツキ、紹介しとくわ。 ネイゼルリーグの四天王。サラがやっと寄越してくれたんや」 「ええっ!? 四天王!?」 トウヤの言葉に、素っ頓狂な声を上げた。 すぐに口を塞いで、気まずそうな表情で周囲を見やったが、ほとんど反応は見られなかった。 先ほどからロビーがザワついていたのは、四天王が来ているということで持ちきりになっていたからだ。 アカツキがジム戦に勤しんでいた時のことだから、彼がそれを理解できなかったのは仕方のない話。 「まあ、驚くわな……」 アカツキが驚きに満ちた視線を男女に向けているのを見やり、トウヤは人知れず苦笑していた。 少し変わった服装をしているものの、どこにいてもおかしくない年頃の男女である。 四天王と一言で言われても、素直に信じられないのは分かっているつもりだ。 事実、トウヤとミライも、一目会ってそうとは分からなかったくらいだ。 「四天王って、どっち!?」 にこやかな雰囲気の男か、それとも近づきがたい女か。 アカツキは交互に視線を向けたが、二人ともさほど気にしていないようだった。 周囲から寄せられる好奇の視線すら気にしていないのだから。 「あのね、アカツキ……」 ミライが困ったように微笑みながら言う。 「どっち、じゃなくて。両方、なの」 「ええっ!? 四天王が二人!? マジ!? すっげーっ!!」 どちらかが四天王で、もう一人はそれなりに腕の立つトレーナーかと思っていたが、とんでもない。 二人とも四天王だったのだ。これが驚かずにいられるものか。 四天王というと、ジムリーダーすら上回る実力の持ち主である。 それが二人も目の前にいるのは、普通では考えられないことなのだ。 とても手の届かないはずの、トレーナーの憧れの的である四天王が目の前にいる…… アカツキが興奮するのは、トレーナーとして当たり前の反応だったが、それを知ってか知らずか、四天王の二人は淡々と構えていた。 「初めまして。私はアズサ。こっちはカナタです」 アカツキが興奮に忘我しているのを余所に、女が自己紹介を始めた。 女がアズサ、男がカナタという名前らしい。 「サラから話をいただいて、あなたの護衛を務めさせていただくことになりました。 そう長い付き合いでもないと思いますが、よろしく」 「こいつこんなに固いけど、いつものことだから気にしなくていいぜ。 ま、なんだ……よろしく頼むわ」 固い雰囲気のアズサとは対照的に、カナタは取っ付きやすそうな……平たく言えば気さくな雰囲気で話しかけてきた。 「あ、よろしく……」 カナタが差し出した手を、アカツキはギュッと握りしめた。 旅立つ前、テレビで四天王同士の激しいバトルを観たことがある。 すさまじい攻防、息もつかせぬ展開。 いつかはこんな風にすごいバトルができるようになりたいと思ったものだ。 テレビで観たのはアズサとカナタではなかったが、別の四天王だろうか。 どちらにしても、彼女らが並々ならぬ実力の持ち主だと言うことは物腰を見ればなんとなく分かる。 憧れの四天王が目の前にいる……しかも、握手をしてくれた。 これだけで天にも舞い上がらんばかりの気持ちになるが、現状を考えれば当然の措置だろう。 喜びに胸が満たされているアカツキに、少し醒めた視線を向け、アズサが言った。 「とりあえず、私たちは勝手にあなたたちについていくという形を取りますので。 話を聞いた限りだと、ネイゼルカップ出場を目指していらっしゃるとか」 どこか冷たさの漂う声音に熱を下げられたらしく、アカツキはしばし呆然とした後、小さく頷いた。 「うん。ネイゼルカップに出るんだ」 「そうですか」 「……?」 一体なにが聞きたかったのだろうと思ったが、アカツキが怪訝そうな顔を向けると、アズサの代わりにカナタが答えてくれた。 「ん〜。こいつ、ネイゼルカップには特別な思い入れがあるらしくってさ〜。 いろいろ引っかかるトコはあると思うけど、気にしないでいいからさ」 「はあ……」 答えになっていない答えに、アカツキは生返事するしかなかった。 勝手についていくだけ…… 形だけはそうなるのかもしれないが、何もこんなところで公言しなくてもいいだろうに。 そう思ったのはアカツキだけではなかったが、トウヤもミライも特に言葉を返したりはしなかった。 「で、出発はいつです?」 事も無げにアズサが訊ねてくる。 物静かに見えて、何気に積極的なのかもしれない。 落ち着き払った物腰は、明らかに只者ではない。 「明日にしようかな。ジム戦でみんな疲れてるだろうし」 「次はどこのジムですか?」 「ディザースジムにするよ」 「分かりました。それじゃあ、明日の朝、ここに集まりましょう。それでは……」 アカツキの答えに満足したのか、アズサは口元に小さく笑みを浮かべると一礼し、借りている部屋に戻っていってしまった。 必要なこと以外はしないという、極めて事務的な態度だったが、それが彼女なりの考えに基づいているのなら、何も言うことはできない。 「まあ、気にしないでやってくれ」 アカツキが遠のいていくアズサの背中を呆然と見つめていると、カナタが重ねて言った。 「あいつ、いつでもあんな感じだから。 双子だってのに、なんでこんなにも似ないのかねえ……」 「えっ!?」 「双子っ!?」 「うわ……」 さり気なく言ったのだろうが、カナタの一言はアカツキたち三人に驚愕をもたらした。 「あれ、分からなかった? 顔なんて、ケッコー似てると思うんだけどな〜」 「いや、さすがに……」 事も無げに言うカナタ。 返すトウヤの言葉はいつもの鋭さを欠いていた。 少し前に出会ったとはいえ、双子だとまでは聞いていなかったのだ。 「でも、なんか似てる……」 アカツキは驚きつつも、妙にすんなり納得していた。 先ほど、アズサとカナタの顔つきが似ていると思っていたのだが、気のせいではなかった。 兄弟か何かかとは思ったが、まさか双子とは……アンビリーバボーだ。 「その割には、あんまり似てませんね。雰囲気とか」 「ん、まあな」 ミライが呆然とつぶやくと、カナタは半眼で頷いた。 顔立ちはどことなく似ているが、雰囲気はまったく似ていない。 どちらかというと、カナタの方が付き合いやすい印象を受ける。 反面、アズサは常に落ち着き払っていて、いざと言う時には頼りになりそうだ。 互いにないモノを持っているからこそ、双子で四天王など務めていられるのだろう。 「それはいいけどさ、本気でドラップってポケモン守りたいんだったら、死ぬ気で強くならなきゃいけないぞ?」 驚くのは程々にして、そろそろ現実を見ろ。 カナタが暗にそんなことを言うと、アカツキの表情が真剣なものに変わった。 「分かってるって。誰が来たって関係ない。ドラップはオレたちで守る。それだけさ」 「ん。それならいい」 アカツキの言葉の節々から並々ならぬ決意を見て取って、カナタは笑みを深めた。 その様子を見て、トウヤは四天王を名乗るだけのことはある、と思った。 トレーナーとしての実力ではもちろん、人間性でも敵いそうにない。 増してや、サラは四天王を束ねている存在なのだ。 彼女に気苦労が多いことは知っているし、思い通りにならない出来事に直面していることも理解している。 「やっぱ、サラには敵わんな……」 四天王ほどの実力者を束ねるのは、並大抵の苦労ではないのだろう。 そう思うと、サラのすごさというのを改めて見せ付けられる。 「せやけど……」 それでも、今一番大変なのは……大きな流れの中心にいるのは、目の前にいる少年だ。 「俺がいなくても……大丈夫かもしれへんな……」 カナタに見せた態度で分かる。 いつ自分がいなくなっても、アカツキは大丈夫。 一人ではどうにもならないかもしれないが、期間限定でも四天王がついていれば安心だ。 自分がいなくなっても…… 「……!?」 知らないうちに考えが変な方向に向かっていることに気がついて、トウヤは愕然とした。 今まで生きてきた十数年、こんなことを思ったことは一度もなかった。 旅の中で幾度も危険な想いをして、必要なものと不必要なものを無意識に選ぶ術を身につけた。 人付き合いをあまりしてこなかったが、それゆえ薄情な部分も持ち合わせているという自覚もあった。 ただ…… 「俺にも、こんな風に思う気持ちがあるってことか……意外やな」 いろんな意味でアカツキに教えてもらうことがあると気づいて、トウヤは小さくため息をついた。 彼がミライを交えてカナタと楽しげに話しているのを見て、なんとなく、気持ちが和んだ。 Side 6 その晩、アカツキはポケモンセンターの屋上でカナタと待ち合わせていた。 憧れの四天王が目の前にいる。 いつまでになるか分からないが、一緒にいてくれる。 その間、思う存分話だってできるけれど、我慢できなかった。 カナタの気さくな人柄に触れて、アカツキは知らず知らずに彼に心酔していた。 憧れという枠を飛び越えて、彼のような人になりたいとまで思っていた。 だから、今のうちにいろんなことを話したいと思って、無理やり屋上で待ち合わせの約束を取り付けた。 夜の帳が降りたアイシアタウンは思いのほか静かで、派手なネオンライトや騒音は一切なかった。 リゾート地というだけあって、そういった景観も大切にしているのかもしれない。 眼前にそびえるアイシア山脈から吹き下りてくる風は少し冷たいが、寒いと言うほどではない。 待つこと五分、屋上にカナタがやってきた。 「あ、カナタ兄ちゃん!!」 「ん.待たせたな」 「そんなことないって!!」 アカツキは喜びに声を弾ませながら、カナタに駆け寄った。 彼の柔和で素朴な人柄。頑なに閉じた心さえ自然と開かせてしまうような気さくな雰囲気。 純粋な少年が憧れてしまうのも当然だった。 すでにカナタのことを兄ちゃんと呼ぶ始末だ。カナタ自身は微笑ましいものでも見ているように、特に言うことはなかったが。 「しかしまあ、キレイな夜空だな」 カナタが夜空を見上げてつぶやくと、アカツキも釣られたように視線を真上に向けた。 「うん」 満点の星空。 ディザースシティでは排気や煌びやかなネオンライトに遮られて綺麗な夜空を見られないらしい。 アイシアタウンで見上げる夜空もまた格別だった。 澄み切った空に瞬く星たちの光。一体何億年前の光なのか……それは分からないが、綺麗だと思う気持ちに偽りはない。 「立ったまま話するのもなんだからな。座って話そうぜ」 「うん、分かった」 カナタに促され、アカツキはその場に腰を下ろした。 憧れの人の傍にいるというだけで、喜びが爆発してしまいそうだ。そんな自分の気持ちを抑える方に苦労するほどに。 年端も行かぬ少年が喜びに気持ちを躍らせていることに気づいて、カナタは口元の笑みを深めた。 自分にもそんな頃があった。 今となってはずいぶん昔のように感じるが、目の前の少年は昔の自分にそっくりだ。 ただ、昔の自分よりはよっぽど強いのかもしれないが。 カナタがあれこれと思っていると、アカツキが口火を切った。 「カナタ兄ちゃんって、どうして四天王になったんだ?」 素朴な疑問を、瞳をキラキラ輝かせながら向けてくる。 憧れの気持ちを抱かれるのも、悪い気はしない。好奇心の塊と言っても、それは純粋な気持ちの裏返しだ。 カナタはアカツキの頭を撫でながら答えた。 「簡単さ。トレーナーとして強くなれるだけ強くなりたいって思って頑張っただけだ。 四天王で終わるつもりはねえけど、今の立場でもできることはたくさんあるからな」 「そうなんだ……」 トレーナーとしての強さを求めて四天王になった。 それがカナタの答えだった。 アカツキは彼らしい答えだと思って感心した。 強くなって何をするつもりなのかは知らないが、ただ愚直に強さを追い求める純粋さを、彼の笑顔に見た。 「四天王って固い人ばっかかと思ってたけど、そうじゃなかったんだ……」 アズサのように、お堅い人かとばかり思っていたが、そうでもなかったらしい。 ジムリーダーにヒビキのようなマジメな人もいれば、ミズキのようにおしとやかな人もいるのだ。 四天王だからといって、勝手に想像を膨らませていたのだが、それは実態とかけ離れていた。 カナタのように明るく陽気な四天王がいて、アカツキは改めてうれしく思っていたが、 「じゃ、次は俺の番な」 「?」 カナタが質問を返してきた。 おまえだけ訊くなんてフェアじゃないぞ、とでも言いたげに口の端を吊り上げて。 「おまえはどんなトレーナーになりたいんだ? ドラップを守りながら頑張るのって、結構大変なことだと思うぞ。 ま、ソフィアの連中がブッつぶれてくれりゃ、後は楽になるんだろうけどな」 「ん〜……」 四天王からの鋭い問いに、アカツキは即答できなかった。 どんなトレーナーになりたいのか……? 言葉の後半は取ってつけたようなものだが、むしろ前半に要約されていた。 アカツキは「あ〜」とか「う〜」とか唸りながら考えていたが、カナタは急かさなかった。 考えて紡いだ言葉こそ、意味を持つものだから。 冷たい風が屋上を吹き抜けていく中、アカツキはやがて顔を夜空に向けて、しぼり出すように言った。 「ポケモンマスターになりたいなって思ってる。 でも、どんなトレーナーになりたいかなんて、考えたことないんだ」 「そっか。ポケモンマスターか……」 アカツキの言葉に、ヒビキは小さく相槌を打った。 一般的に、ポケモンマスターとは次のように定義されている。 『あらゆるポケモンに精通し、技や特性を知り尽くした者』 『あらゆるポケモンと心を通わせることができる者』 どちらも並大抵な努力や小手先の知識・技量では到底なり得ないものだ。 ポケモンマスターとして歴史に名を残しているのは、数人しかいない。 それゆえ、道は長く険しい。 ポケモンマスターを目指して、大きな夢を描いて旅立った若人のほとんどが、途中で挫折し、夢を置いて去った。 とても厳しい道なのだ。 アカツキはそれが分かっているのか…… かつては、カナタもポケモンマスターを目指して故郷を旅立ったが、どうしようもない現実に直面し、その夢をあきらめた。 もっとも、今は四天王として張り合いのある日々を送っているから、夢を置いて別の道に歩き出したことを後悔していない。 むしろ、それで良かったと思っているくらいだ。 「……ふふ」 カナタは食い入るようにアカツキの目を見ていたが、将来に対する不安は微塵も感じられなかった。 こんなにまっすぐな瞳をしている少年も珍しい。 絶え間ざる努力を続けていけば、あるいは彼なら本当にポケモンマスターになれるだろうか? 希望を胸に歩き出した頃よりも、新人の頃の情熱が薄れていった頃の方が危険で、それでいて脆くもなる。 まだその域に達していないのは間違いないが、頑張る気持ちは忘れないでもらいたいものだ。 今は自分が何を言っても仕方がない。 ただ、一言言っておきたいことがある。 「ポケモンマスターになるのは難しい。それでも目指しているんだろ?」 「うん!!」 「じゃ、頑張れよ」 「もちろん!!」 アカツキは瞳をキラキラ輝かせながら、大きく頷いた。 ポケモンマスターになる前に、まずはドラップを守ることだ。 いずれはソフィア団の脅威が取り除かれるだろうが、それまでは大事な仲間を守ることを考えなければならない。 ……と、ふと思いついたことがあり、カナタは再び問いかけた。 「で、一つ訊いときたいんだが、おまえ、どうしてドラップを自分で守るって決めたんだ? ポケモンリーグに……俺やアズサ、サラに任せといても良かったんじゃないか? 俺が言うのもなんだが、俺たちに任せといてくれた方が楽な気もするんだけどな」 「なんでって、決まってんじゃん」 アカツキは笑顔のまま、間を置くことなく言葉を返した。 カナタに向けられる瞳には迷いも躊躇いもない。あくまでもただ前だけを見据えていた。 「仲間は自分たちの手で守るモンだろ? 別に、理由なんてないし。 他人任せって、なんか嫌なんだ。オレたちが何もしないで、そっちの方が安全だからって理由で任せるのって、無責任じゃん。 オレたちがガンバって、それでもどうしても無理だったら…… その時はカナタ兄ちゃんに任せるかもしれないけど、今のオレにだってできることがあるんだ。 できることがあるんだったら、やってみたい。それだけだよ」 早口で捲くし立てる。 熱のこもった言葉に、カナタはアカツキという少年の強さを見たような気がした。 自分の力量を理解し、それでも自分にできることが一つでもあるのなら、まずはそれをやってみようと思っている。 「そっか……サラが言うだけのことはあるな」 自分たちがついていなくても大丈夫な気もするが、サラのメンツをつぶすのは本意ではない。 トレーナーとして旅立って一ヶ月と経っていないと聞いている。 それなのに、アカツキは力の限りドラップを守っていく決意を固めている。 大したものだと思うしかない。 少なくとも、自分は……アカツキと同じ年頃の自分は、そこまで深く物事を考えたことはなかった。 「あの頃の俺は……なんかどーしよーもなかったなぁ」 思い出して、苦笑する。 突然苦笑されて、アカツキは驚いていた。 自分の言葉に理解を示してくれているのは態度を見れば分かるのだが、突然笑い出した理由は分からなかった。 「ど、どうかしたの?」 一体どうしたのかと思って声をかけてみると、カナタは笑ったまま手をヒラヒラと振った。 「いや、なんでもない。おまえ、強いな……そう思っただけさ」 「強いって言われても……」 彼の返答に、アカツキは怪訝な表情で首を傾げた。 そもそも『強さ』とは何なのか。 アカツキには分からないのだ。 誰かを慈しむ優しさ? 相手を押さえ込む力? あきらめないという強い信念? そのどれもが正解であり、不正解でもあると思っているから。 格闘道場に通っていた頃、なんとなく気になって師範代にそれとなく訊ねたことがある。 師範代から返ってきたのは、こんな答えだった。 『強さって、人それぞれ違うものなんだよ。だから、一概にこれだ、って言うことはできないんだ。 だけど、アカツキにはアカツキの強さがある。 それはキミが見つけていくものなんだよ。誰かが見つけたりするものじゃない。 今はまだ分からないかもしれないけど、いずれ分かるはずだから、焦らなくていいよ』 優しく、時にはメチャクチャ厳しい人だった。 若いが聡明で、アカツキを含め道場の門下生が揃って強く慕っていたほどだ。 だが、彼はやることがあると言って、故郷であるカントー地方に帰ってしまった。 結局、答えらしい答えは未だに見つからないのだが…… 「オレ、ホントに強いのかなんて分かんないし。 道場に通ってた頃は、年上の先輩とか簡単に倒しまくってたけど、それが強さかって言われると、そうじゃないし」 「俺が言いたいのはな……心の強さってことなんだよ」 「心の強さ?」 「そう」 きょとんとするアカツキに微笑みかけ、カナタは少年の肩に手を置いた。 強さとは何か? 追い求めなければならないモノではないが、気になる。 自分が強い? どんな風に? アカツキはそれほど強さというものに執着を持っていないらしい。 しつこく訊ねてこないのがその証拠だが、むしろその方がいいのだろう。 無意味に執着されると、本質を見失ってしまう。 大事なのは、今自分がやるべきことをちゃんと見つめること。見失わずに行動してゆくことだ。 四天王として世間の荒波に揉まれてきたカナタには、アカツキがこの先とんでもない苦労を背負い込んでいくことが理解できた。 それは直感というものではなく、心の強さを持つ者ゆえの苦悩や葛藤といったものだった。 カナタはアカツキに言い含めるように、優しい口調で言った。 「おまえがドラップを守りたいと思ってる気持ちだ。 頑張ってポケモントレーナーとして強くなれば、ちゃんと相手と戦える。 そう思ってるんだろう? だったら、その気持ちを忘れないように頑張っていけばいい。そういうモンさ」 「……よく分かんない」 これでも噛み砕いて言ったつもりなのだが、アカツキには理解できなかったらしい。 ただ、ドラップを守りたいという気持ちに偽りはないし、トレーナーとして強くなれば、相手と戦えると思っている。 「はは、そんなに焦る必要なんてないさ。おまえはおまえだ」 「うん、ありがとう」 「礼なんて要らないさ。俺、これでもおまえのこと、結構気に入ってんだ」 カナタは微笑んだ。 最初はサラに言われて来たようなものだが、アカツキと接しているうちに、こいつなら……と思うようになった。 平たく言えば、あまりにまっすぐなところを気に入った。 青臭いと言ってしまえばそれまでだが、そんなところを茶化したり脚色したりしなくても、とても眩しくてまっすぐで…… ひたむきで優しい少年だったから。 アカツキはカナタの明るい雰囲気に触れて、胸に痞えていたものが取れたのか、いつもの明るい表情を取り戻した。 やはり、笑顔が似合う……カナタは本心からそう思った。 彼の笑顔を守るためなら、一肌でも二肌でも脱いでやりたい気持ちになる。 ただ、それでも最終的に決断し、解決のために誰より力を尽くさなければならないのはアカツキ自身だ。 彼の手助けにさえなれれば、それでいい。 四天王としてではなく、一人のトレーナーとして力になってやりたい。 話が一区切りついたところで、アカツキは思いきってカナタに訊ねた。 「そういや、アズサさんとは兄弟なんだろ? どっちが上なんだ?」 アズサがいた時には聞けなかったことだ。 彼女が傍にいたら、答える必要はないとか、そんなつまらないことを聞いてどうするんですかと言われそうだった。 だが、今は気兼ねなどしなくてもいい。 アカツキがそんな風に思っていることに気づいてか、カナタは苦笑混じりに、それでもちゃんと答えてくれた。 「アズサの方が先に生まれたんで、俺は弟ってことになるな。 ま、あんまり気にしたことなかったけど。 トレーナーとして旅立ったのも一緒だったし、四天王になったのも一緒だったし…… よく考えてみりゃ、あいつと俺って一心同体みたいなモノかもしれないんだよな。 双子ってそういうものらしいぜ」 「へえ……」 アカツキは感嘆の声を漏らした。 アズサがあそこまで大人っぽくて、理知的に見えるのは、姉として意識しているからだろうか。 単に、四天王という立場を強調しているようにも思えるのだが…… さすがに、彼女にじかに訊ねるのは躊躇われたから、それくらいにしておこう。 「どうしたんだ、いきなりそんなこと訊いて」 「え、いや……気になって」 「ま、双子の割には似てないってよく言われるからな…… おまえがそう思うのも、別に悪いことじゃないって。気にすんな」 「あ、うん……」 冗談のつもりで言ったのに、アカツキは結構本気にしているらしい。 これはからかい甲斐がある……カナタは人知れず、そんなことを思った。 「カナタ兄ちゃんって、どんなポケモン使うんだ?」 「エスパータイプが得意だな。 いつか見せてやるよ。俺とアズサの華麗なダブルバトルを。その時を楽しみに待ってろよ」 「うん。楽しみにしてる」 「ふふ……」 まるで、歳の離れた弟だ。 からかい甲斐があるし、それに何より、世話を焼きたくなる。 単なるお節介なんかじゃなくて、本当に親身になっていろいろ聞いてやりたくなる。 アカツキとカナタはそれからいろいろと話したが、月が東の山の稜線から完全に出た頃になって、それぞれの部屋に戻った。 明日、この街を発つ。 次に向かうのはディザースシティ。 砂漠の中に佇むオアシスにして、ネイゼル地方で最も発展した街。 そして、ポケモンリーグ・ネイゼル支部が置かれた、いわゆるネイゼルリーグの本部。 「よし、明日は早いんだ。もう寝よう!!」 アカツキは風呂を済ませると、ベッドに潜り込んだ。 ジム戦に勝てたし、カナタという頼りになる兄貴もできた。 うれしいこと尽くめの一日だったが、その興奮を胸に抱いたまま、あっという間に眠りに落ちた。 Side 7 夜はこれからだと言わんばかりに、室内は照明によって淡く照らし出されていた。 「ねえ、いつまでもダンマリ決め込んでないで、少しくらい話したらどうなんだい。 しゃべれないワケじゃないんだろ?」 ハツネは淡い色彩のカーペットに腰を下ろし、目の前にいるポケモンに言葉をかけた。 少し黄色を帯びた赤い体毛に覆われた、人の大きさほどはあろうかという巨大な犬のようなポケモンだ。 ただ、犬のようなポケモンと言っても、獅子のように彫りの深い顔立ちをしていて、 後頭部からは金色の水晶を思わせる巨大な角が二本生えている。 身体の一部なのか、身体から少し離れたところに、真紅の紋様が浮かんでいる。 その上、漂わせているのは重苦しい雰囲気と来た。 活発で礼儀作法とは無縁なハツネが文句を言いたくなるのも分かるようなポケモンだった。 身動ぎ一つせず、虚空の一点に目を留めている。 何が楽しくてそんなことをしているのだか……胸中でため息を漏らしていると、そのポケモンが口を開いた。 「キサマほど口数が多いわけではない。今は黙して刻を待て。それだけで良かろう」 喉を震わし発せられた言葉は、威厳に満ちていた。 ポケモンが人間の言葉を話すのは珍しいケースらしいが、そのポケモンに関しては特別なことではないらしい。 事も無げに人の言葉を操ってみせる。 「ま、そりゃそうなんだけどね、あんた暗すぎ。 ただでさえデカイのにさ、黙ったままいられると不気味っつーか、なんか面白みがなくてつまんないんだよ。 せっかくあたしに力貸してくれてるわけだしさあ、少しくらいしゃべろうよ。退屈で死にそう」 ハツネは相手の堅苦しい態度に辟易しているらしく、不機嫌な感情を隠そうともしなかった。 見た目が荘厳なだけでなく、中身までむやみやたらに堅苦しい。 良く言えば神々しいのだが、悪く言えばむさ苦しい。 もちろん、ハツネにとっては後者だった。 彼女の半ば傲慢なセリフにも動じることなく、ポケモンは言葉を返した。 口数が少ないと言っている割には、何気に退屈していたのかもしれない。 「別にキサマに面白いと思ってもらいたくてここにいるわけではない。 それとも何か? 不満があるというなら、私はここを去る。あいつは私自身が解放する。 キサマの話に乗ったのは、あいつを解放する術があると聞いたからだ。 偽りはないだろうが、素直に信じられるものではない。 キサマも、あの男と同じ空気をまとっている」 「ウソはついちゃいないさ。 シンラがやろうとしてることは間違いないだろうし、あんただって、シンラに利用されるポケモンを助けたいと思っているだけだろ。 ……アグニート。いい加減あたしのこと試すのやめたら? そんなことしたって何も変わらないし、あんたが言ってるように時間の無駄だよ」 「ふん……」 ポケモン――アグニートは荒い鼻息を漏らした。 ハツネの飄々とした態度が気に入らないのだろう。 威風堂々とした体格の割には、感情を表に出しやすいタイプらしい。 少ししょげたように見えるのが可愛くて、ハツネは思わず吹き出していた。 「何がそんなに楽しいのだ」 アグニートには人間の『笑い』というものが理解できないらしく、すぐさま問いかけてきた。 というのも、アグニートにとって人間というのは理解不能なシロモノだったからだ。 ハツネはそこのところを承知した上で、一頻り笑った後で言葉を返した。 「あんたって、表情は少ないけど、中身は結構人間っぽいんだね。 人間のこと毛嫌いしてる割には、似てるんだから。おかしくっておかしくって」 「なんだと?」 「そんなにムキになってると、認めるのと同じだよ。 人間もポケモンも、自覚があるから怒ったりするものさ。心にもない事なんて言えないんだ。 それは人間もポケモンも同じ。そうだろ?」 「…………」 あっさり言い含められ、アグニートは黙りこくった。 ここまで人間のいいようにされるのは癪だが、仕方がない。 彼女の力になると決めたのは自分自身だし、ここで離反すると、自分の意思が人間以下のものだと認めることに他ならないからだ。 下手な人間よりは人間っぽい。 そう言われて、アグニートがピンと来るはずもなかった。 かつて、ネイゼル地方を一夜にして壊滅寸前まで破壊したポケモンなのだから。 人間の醜さに辟易し、感情を昂らせ、裁きを下した。 それゆえ、ハツネが目の前に現れた時には本気で焼き殺そうとさえ思ったほどだ。 だが、彼女の言葉に聞き捨てならないモノを感じて、こうして彼女の元に転がり込んだ。 何もかもが自分の撒いた種。 そう思うしかなかった。 癪だが、これも親友と思う者のため。そのためなら幾許かの苦渋をも受け入れよう。 誇り高い――と、自覚しているかは微妙だったが――アグニートの決意はとても固かった。 「伝説に残ってるポケモンの割には、ホントに人間臭いんだから。 ま、その方がからかい甲斐があって楽しいんだけどね……」 ハツネはアグニートが無言で佇んでいるのを見て、笑みを深めた。 ネイゼル地方を壊滅させるほどの力を持つポケモンの割には、本当の人間よりも人間らしいところがある。 まるで、子供を見ているような微笑ましさ。 笑いを堪えるのが大変だ。 大爆笑したいところだが、そうしたらアグニートの怒りの導火線に火をつけることになるだろう。 こんなところで暴れられたら、それこそ計画が狂うどころでは済まされない。 ここが肝心……言い聞かせて、隙あらば這い出ようとする笑いの衝動を押さえ込む。 とはいえ、アグニートがどうして自分についてきてくれるのかくらいは分かっているつもりだ。 ハツネが知る限り、アグニートは大昔から存在しているポケモンで、彼女が発見するまでは、とある場所で長い眠りについていた。 そして、彼女が見てきた伝承には、こんなことが書かれていた。 ネイゼル地方に五つの街ができるよりもずっと昔……それこそ、人間にとっては気の遠くなるほどの昔。 ネイゼル地方は二つの国の国境地帯に位置しており、領土争いの小競り合いが度々発生していた。 アグニートはその頃から伝説の生き物として語られており、アグニートを従えた者が覇権を握るとさえ言われていた。 もちろん、そんなのは根も葉もないデタラメなのだが、敵国に負けたくないと思う両陣営にとっては藁にも縋るようなものだった。 アグニートを巡り、激しい戦いが繰り広げられた。 戦火は自然豊かな地方を蹂躙し、森は不毛な荒野へと姿を変え、澄んだ水面を湛える湖も泥と灰と流れた血によって汚れた。 アグニートはそんな人間たちの傲慢さに嫌気が差し、ついにネイゼル地方を壊滅させんと思い立った。 戦火が、自分の同胞――ポケモンたちの命を奪い、棲家を奪っていくという怒りが強かったからだ。 烈火のごとき赤い紋様から灼熱の炎を発し、水晶のような角が激しい嵐を巻き起こす。 瞬く間に東部の森林地帯――今はフォレスタウンを中心にした森が広がっている地帯である――が荒野と化した。 天変地異はそれだけに留まらず、各地に大きな爪痕を残した。 中央部の湖(現在のセントラルレイク)は激しい嵐によって水かさが増し、 周囲の村のみならず、地方すべてを飲み込まんばかりに氾濫した。 本当に地方が壊滅する……といった危機に直面して初めて、人間たちは分不相応な力を求めることの愚かさに気づいた。 その時、とある青年が一体のポケモンを引き連れて、アグニートの猛る怒りを鎮めた。 そのポケモンは、不思議と心を許せた相手だった。 その相手が今、シンラに利用されようとしている……それはアグニートにとっては許しがたいことだった。 青年が『人間を信じろ』と、青年の従えたポケモンも同じことを言ったから、それを信じたのに。 裏切りと共に激しい憎悪が巻き起こり、再びこの地方を蹂躙してやろうかとさえ思っていたほどだ。 だが、ハツネの言葉に心を動かされた。 どこにでもいるような人間の女だが、漂わせる雰囲気は勇者と呼ばれた青年とよく似ていたのだ。 「ふん……」 アグニートは荒い鼻息を漏らした。 本当に癪だ。 目の前の女は笑いを堪えるのに必死らしい。 ハツネはアグニートに気取られまいと奮闘しているが、人間よりも鋭い感覚の持ち主であるポケモンを誤魔化すことは不可能だ。 無駄な努力もここまで来ると滑稽だが、かといって苦言を呈するのも馬鹿げている。 「今は黙して刻を待つ……私にはそれだけだ」 アグニートは目を閉じた。 まぶたの裏に、勇者の従者として彼につき従っていたあのポケモンの姿が蘇る。 それは決して、恋人に向ける想いなどではない。 そもそもアグニートに異性を想う心などないのだし、異性が何であるかといったことすら理解できないのだから。 自分の理解者。 孤独(と言っても、寂しいと思ったこともなかったが)な自分が初めて気を許せた相手。 大切かどうかはともかく、人間で言うところの『親友』と呼べる存在だからこそ、何があっても助け出したいと思った。 人間などという下等生物の隷属となるなど、許しがたい。 「人間どもの隷属など、私は認めん」 アグニートは自身の体内に宿る炎のように、怒りに似た気持ちを燃え上がらせつつも、淡々と構えていた。 「やれやれ……」 気分屋もいいところだ。 ハツネは身動きひとつしないアグニートを半眼で見やり、今度は抱く気持ちを隠そうともせず、深々とため息を漏らした。 Side 8 昼夜を問わず華やぐ砂漠のオアシス。 ネイゼルの不夜城の異名を冠する、ディザースシティの歓楽街。 煌びやかなネオンライトが通りに溢れ、けたたましく鳴り響くラテンの音楽が心を高揚させる。 年中変わらない景色を眼下に見下ろしながら、サラはある人物の到着を待っていた。 ポケモンリーグ・ネイゼル支部の執務室。 チャンピオンという、ネイゼル支部の頂点に君臨する彼女の執務室はビルの最上階に設けられているが、内装は地味だった。 高級ホテルのような華やかさなど必要ではないし、豪華な家具に囲まれたところで気が散るだけだ。 もっとも、それは歴代のチャンピオンも同じことを考えていたらしく、この部屋に初めて足を踏み入れた時から地味な佇まいだった。 「…………」 何も言わず、華やぐ歓楽街を見下ろす。 彼女以外に誰がいるというわけではない。独り言など発したところで虚しくなるだけ。 自分のポケモンを外に出し、愚痴でも聞いてもらえれば、少しは気が落ち着くのだろう。 だが、そんなことをしても意味がない。 逆に、ポケモンたちの気持ちが落ち着かないだろう。 どうでもいい自問自答を胸中で繰り広げながら、時が来るのを待つ。 ネオンライトが溢れる街の夜空は明るく、星などひとつも見つけられない。 歓楽街にはカジノやシアターなどの娯楽施設が集まり、年中観光客やら何やらで賑わっている。 ……サラは、この賑わいが嫌いだった。 元来おとなしい性格ゆえ、騒々しいところは苦手だった。 だが、好悪を論じていられる立場でないことは誰よりも承知している。 「…………」 華やかに見えるのは、ネオンライトが煌びやかに輝くから。 光の当たらない場所は夜の闇に紛れ、とても暗く、何が隠れているかも分からない。 華やかさの陰で、大きな陰謀が動いている。 それに気づいている人間はほんの一握り。 光の当たる場所にいる者には、分かるはずもない。 何も知らず、ただ普通に暮らしている住人が圧倒的に多い。 もっとも、それはそれでとても幸せなことだ。知らない方が幸せだということもある。 悲しいかな、光の当たる場所、当たらない場所……両方で生きたことのあるサラには、いろんなことが理解できる。 あるいは、理解できてしまうのかもしれない。 どうでもいいことだ…… 分かっていても、一度傾いた気持ちを元に戻すのは容易いことではない。 こんな時、彼がいてくれたら…… 願っても、それは今すぐ叶う願いではない。 今度、機会でもあったら電話をしてみようか。 そんなことを思った時だった。 背後で扉がノックされた。 「どうぞ」 サラは振り返りもせずに、言葉を発した。 それほど大きな声で言ったつもりはなかったが、相手は彼女が承諾の意を抱いていることを察してか、扉を開いて室内に入ってきた。 「思いのほか早かったね、ギラン」 「へへ、まあな」 サラの言葉に、入ってきた男はヘラヘラと軽薄に笑った。 黒髪を短く切り揃え、黒を基調にした服に身を包んでいる。 まるで黒尽くめの不気味な格好だが、部屋に明かりがついていないからこそ、不気味さが際立っている。 もっとも、サラにとっては見知った相手なので、服装で判断するようなことはなかったが。 ギランと呼ばれた男はサラの傍まで歩いてくると、懐からタバコを取り出して、火をつけた。 「で……どうだった?」 ギランがあれこれやっているのを察して、彼が行動を終えてから、サラは問いかけた。 彼を待っていたのだ。 こんな夜遅くにどうしたの……と言いたいところだが、呼んだのはサラの方だった。 いろいろと頼みごとをしていたので、報告を聞かなければならない。 電話やメールの方が楽だろうが、直接この耳で聞いた方が納得できる。報告というのはそういうものだ。 歓楽街を見下ろしたサラの態度など気にする風でもなく、ギランは他愛もないことと言わんばかりに答えた。 「あぁ、おまえの言った通りだったよ。 やっぱ、あいつだ。信じたくはないんだけどな……」 「そう……」 思っていた通りの答えだ。 残念だが、予想できていたこと。今さら驚くほどのことでもない。 「で、どうすんだ?」 今度はギランが訊ねる番だった。 報告はした。 恐らく、彼女の意に沿った内容だったはずだ。 次の手はもう考えているのだろう。そうでなければわざわざ呼び立てたりはしない。 それが、ギランがよく知るサラという女性の性格だった。 「放っておくよ。ぼくたちがアタフタしてもしょうがない。 相手に都合のいいように泳がせておく。それでいいと思うよ」 「ずいぶんと余裕なんだな」 煙が流れぬよう、サラに背を向けてタバコを吹かす。 思っていた通りの報告とはいえ、ずいぶんと余裕だ。 これはやはり、次なる一手を打っているからだと思っていたのだが…… 買いかぶりすぎだろうか? いや、彼女がチャンピオンとして粉骨砕身の勢いで働いているのは誰もが理解していることだ。 各地方から講演の依頼が来たり、視察があったりと、チャンピオンという華々しい肩書きとは裏腹に、雁字搦めのスケジュール。 自由に動けない身で、四天王に指示を飛ばし、現状把握に努めている。 それだけでも十分すぎるほど、彼女は給料以上の働きをしているだろう。 「僕みたく、自由に動けるわけじゃないのにね……まあ、だからこそガンバろ♪って気になれるんだけど」 ギランは彼女に背を向けたまま、苦笑した。 何を取っても敵いそうにない。 やはり彼女はネイゼル地方の頂点に立つトレーナーなのだ。 強く、優しい。 アキレス腱の存在を知っているのに、それを力ずくで取り除こうとしない。 他の地方の四天王やチャンピオンがこの状況を見たら、甘いとか温いとか言うのだろう。 だが、ギランは彼女が決めたことならそれでいいと思っていた。 彼女と同等以上の働きをしていない身では、意見することなど甚だしいとさえ感じているほどだ。 ネオンライトに照らし出された室内に、タバコの煙が流れる。 ただそれだけが、時の移ろいを感じさせるかのように、沈黙が張り詰める。 やがて口を開いたのはサラだった。 「余裕ってほど、余裕ってワケじゃないよ。それはギランが分かってることでしょ」 「まあ、そりゃそうだな」 「だけどね、ぼくはあまり事を荒立てたくないんだよ。 下手に表に出したら、とんでもないことになるんじゃないかと思って。 左遷だの追放だので済めばまだいいけどさ……」 「そっか……それもそうだよな」 明らかに言葉を選んでしゃべっていたが、ギランは言葉の節々から彼女の意図を汲み取った。 阿吽の呼吸……と、一般で言われているヤツである。 「これからどうすんだ?」 重ねて訊ねる。 先ほどとは多少なりとも状況が異なっているのだ。返ってくる答えも、少しは違っているのかもしれない。 どうでもいい期待だったが、サラは素気無く答えた。 「言ったでしょ。相手の都合のいいように泳がせとくって」 「あいつのため……か?」 「そうだよ。決まってるじゃない」 「…………」 事を荒立てようとしないのは、相手に対する配慮。 ……否、それだけではないのだろう。 短い言葉の中にも、脈があった。 「その事実が分かってもね、裏側までちゃんと見なきゃ、理解したとは言わないんだよ。 ぼくも、ギランも、みんな知らないことが多いんだ。 事態を正確に把握するだけでも、これから打たなければならない一手が見えてくるものだから。 時が来たら、ぼくが陣頭指揮を執って動く。 それまでには頭の固い上層部を説得しておくよ」 「なるほど」 今は傍観に徹し、事態を把握する。 そのためにも、相手に都合のいいように泳がせておくことが必要。 勝手にやらせておけば、自然とボロが出る……そういった判断もあったらしい。 ただ、理解が進み、動く時が来たと判断すれば、一気に現状を打破すべく動く。 鋼タイプのエキスパートと呼ばれ、『鋼峰のチャンピオン』の異名を持つだけのことはある。 鋼のように辛抱強く現状に耐え忍び、時が来ればその硬さを以って岩をも粉砕する。 煮ても焼いても食えそうにない女性だが、だからこそ鋼タイプのポケモンを使いこなす。 そういうことか…… どうでもいい納得をして、ギランは来客用のテーブルにポツンと佇む灰皿に、短くなったタバコを押し付けて火を消した。 「じゃあ、僕は相変わらず適当にブラついて、ソフィア団を見つけたらブチのめせばいいわけだ」 「先走らないでね。監視はもう要らないけど、ギランのアブソルはすぐに遊びたがるんだから」 「分かってる。じゃ、またな」 「うん。頼んだよ」 長居は無用とばかりに、ギランは早々に会話を打ち切ると、執務室を出て行った。 扉が音を立てて閉まり、空気の流れが止まる。 「…………」 サラは相変わらずネオンライトに華やぐ夜の歓楽街に目を向けたまま、小さくため息をついた。 ギランの報告は予想通り。 だからといってうれしいわけではないし……逆に、分かってしまったという気持ちがあった。 「……だけど、ぼくはぼくにできることをするしかない。 そう、アカツキ……キミがキミにしかできないことをするのを選んだように。 トウヤが、ぼくの頼みを聞いてくれたように」 ディザースシティはいつも華やかだ。 賑やかで、活気があって、通りを行き交う人々の顔は幸せそうだ。 だけど、ネオンライトの当たらない場所で、蠢いている陰謀がある。 ――今、自分の為すべきことは何なのか。 サラは窓ガラスに映りこんだ自身の表情を凝視しながら、思案をめぐらせた。 いつ終わるとも知れない問いかけでも、考えなければ答えは出ない。 第10章へと続く……