シャイニング・ブレイブ 第11章 月下の精霊 -Dragon of Desert-(前編) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って32日目。 まっすぐに延びている道が、ユラユラ揺らめいて見える。 気のせいだと思いたいが、それは気のせいなどではない…… 「ふぅ……」 アカツキは手の甲で額の汗を拭いながら、小さくため息をついた。 レイクタウンを旅立ったアカツキたちはディザースシティを目指し、 ネイゼル地方西部の砂漠地帯を横断するウエストロードを一路西へ向けて歩いていた。 「暑いなあ、やっぱ……」 「そうやな。参るわ、これ……」 アカツキが嘆くように言うと、すかさずトウヤが頷きかけた。 砂漠だけあって、昼間はとても暑い。 降り注ぐ太陽がもたらす熱気が空気を暖め、屈折率を変える……人の目には、空気が揺らいでいるように見える。 ウエストロードはレイクタウンとディザースシティを結ぶ幹線道路だが、車はほとんど通っていない。 鳥ポケモンの背にまたがって飛んで行った方が早いため、運送のトラック以外は砂漠の道路を通ることはない。 通るとしたら、旅をしているトレーナーやブリーダーくらいなものだろう。 もちろん、アカツキたち五人もそれらに含まれる。 まあ、それはともかく…… 砂漠地帯に入って二時間が経つが、ポケモンセンターはまだずっと先だ。 体力には自信があるアカツキでさえ『暑い〜』と唸っているような有様である。 トウヤやミライに関しては、もっと悲惨な状態だ。 特にミライは、女の子とは思えないほど、顔中が汗にまみれ、どこか虚ろにも見える視線を前方に向けている。 一言も発する気力がなくなったのか、先ほどからずっと黙ったままだ。 それが体力を消耗する行為であると理解しているからだろう。 アズサも似たようなものだが、彼女は身体が出来上がっている大人だけに、ミライほど深刻ではなかった。 一方…… 「ふんふふ〜ん♪」 ただ一人、砂漠の行進を楽しんでいるのはカナタだった。 暑さには強いらしく、額に大粒の汗が浮かんでいることも気にせず、鼻歌など交えながら平気な顔をして歩いている。 他の道路と違い、砂漠という過酷な環境がディザースシティまで続いていることから、 ウエストロードには他の道路よりも多くのポケモンセンターが設けられ、ポケモンセンターの間には給水所が設けられている。 つい三十分ほどまでに給水所に立ち寄り、エアコンの効いた涼やかな空気と、ミネラル豊富な水で心身ともにリフレッシュしたのだが…… 三十分で、この有様である。 「……ミライ、大丈夫か?」 アカツキは歩調を少し緩め、肩越しに振り返ってミライに訊ねた。 一行の中で最も体力がないのはミライだろう。 少なくとも、彼女のペースに合わせて歩いていくしかない。 それにしても、彼女がどんな状態なのか分からないことには、ペース配分も組み立てられない。 「……え、ああ、なんとか……次の給水所までならなんとか頑張れるから」 「そっか……」 声をかけてから数秒経って、ミライは言葉を返してきた。 反応が鈍くなっている……これはそろそろ危ないかもしれないと思いつつ、アカツキは言葉をかけた。 「でも、無理だって思ったら、ちゃんと言ってくれよ。オレが背負うなり休むなり、してやるからさ」 「え、ええ……」 アカツキの気遣いに申し訳ないと思いつつも、ミライは素直に頷いた。 自分が足を引っ張っている…… れっきとした現実ゆえ、こればかりはどうしようもないのだが、 それでも気にしてしまうのは、彼女が思いのほか責任感の強さを秘めているからだった。 子供二人のやり取りに、トウヤとアズサは微笑ましいものでも見るような目を向けていたが、カナタだけは少し違った。 「ヒューヒュー♪ やるじゃん、おまえ。女の子への気遣いはポイント高いんだぜ〜?」 「なっ……!!」 冗談半分、興味半分で発したセリフに、アカツキの足が止まる。 勢いよく振り返ってきた彼の表情は、なぜか引きつっていた。 心なしか赤らんでいるようにさえ見える。 「ば、バカ言ってんじゃねえよ!! ミライが辛そうだから、普通に声かけただけなんだから……!!」 カナタがにやけた表情で見つめてくることに耐えられなくなって、アカツキは声高に叫んだが、傷口を広げるだけだった。 「んー、まあ認めたくないって思うのも無理ないと思うぜ。 まあ、今回はそーゆーことにしといてやるよ」 「カナタ兄ちゃん!!」 「冗談だよ、もう。怒っちゃって……」 アカツキが意地になってきたものだから、カナタとしてもこれ以上はからかえなくなってしまった。 せっかく場の雰囲気を和ませようと思って、ちょいと味の効いたジョークを披露しただけなのに…… 「なあ? アズサ」 双子の姉なら他愛ないジョークだと聞き流してくれるだろう。 そう思って話を振ってみたのだが、彼女の反応は表情と同様、冷ややかなものだった。 「冗談に聴こえなかったわよ。 純粋な子供をからかうのを冗談って言うんだったら、たとえば……そうね。 私が戯れに、あなたをデンリュウの電撃でビリビリ痺れさせるのも他愛ない冗談よね?」 「う……」 感情の起伏すら感じさせないような棒読みの口調で言われ、カナタは黙り込んだ。 新聞紙を口に詰められた気分だ。 下手に波打った口調より、棒読みの口調の方が怖さも倍増すると言うものだ。 「まったく……四天王が聞いて呆れるわ。これやったら、どっちが子供なんだか……」 「まったくね。トウヤ君、あなたの言うとおりだわ。 私も、こんな弟を持った覚えはないのだけど」 黙りこくったカナタを横目で見やり、トウヤがため息混じりに言った。 応じるアズサの口調には刺々しさすらあったが、それだけカナタの冗談とやらに辟易していたのかもしれない。 何しろ、双子である。 相手のことは何から何まで理解しているのだ。嫌なことなど、他人よりも目立って見えるだろう。 「…………」 「…………」 年上の大人たちのやり取りを見て、アカツキとミライは呆然とするしかなかった。 トウヤはやれやれ……と言いたげだったが、アズサなど穏やかな声音の裏に殺気のようなただならぬ雰囲気を漂わせていた。 これが四天王の迫力かと、アカツキは思わずそんなことを考えたほどだ。 だが、その場の雰囲気を和ませたのは、ミライが漏らした小さな笑い声だった。 「うふふ……仲がいいんですね」 辛そうだった彼女が小さく笑ったのを見て、場の雰囲気が少し和んだ。 トウヤが口の端を吊り上げ、アズサの表情も柔和なものになる。 「仲がいい? そんなのただの誤解よ。 私たち、これでも子供の頃はどうしようもないほど仲が悪かったんだから……」 アズサはミライに微笑みかけると、頭を振った。 彼女が言うところによると、子供の頃は双子ゆえのコンプレックスがあったそうだ。 両親はとても優しく、二人に惜しみない愛情を均等に注いでいた。 だが、均等に愛情を注がれていたからこそ、自分が一番じゃないと満足できない部分もあった。 頬をつねったり髪を引っ張ったりするのはまだいい方で、 しまいには十歳の誕生日になってポケモンを持って旅立つことが許されると、その日のうちに果し合いまでやってしまう始末だ。 ちなみに、アズサとカナタはネイゼル地方の南に位置するカントー地方の出身。 カントー地方では十歳になると、ポケモントレーナーとして旅立つことができるそうだ。 地方によって旅に出られる年齢が違うのは、子供の成長に関する考え方が多々あるということなのだろう。 アズサはカナタへの腹癒せも兼ねて、これでもかとばかりに幼少期の仲の悪さを披露した。 これにはさすがにアカツキたちも引いてしまった。 子供の頃にあれだけ仲が悪かったのに、どうして今は二人で共に四天王などやっているのか……? 聴いてみたかったが、やめておいた。 なんとなく、触れてはいけないもののような気がしたからだ。 きっと、仲直りしてから今までの間にいろんなことがあったのだろう。 そうでもなければ、昔大嫌いだった相手とタッグを組んで仕事などしない。 人様の家庭には、それぞれの事情がある。 そう割り切って、アカツキは話をまとめた。 「ミライは大丈夫そうだけど、先を急ごうよ。次の給水所に行けば、少しは休めるからさ」 「ん、そうやな」 不毛な話し合いはここまで。 砂漠地帯は、昼間は立っているだけでも暑いのだ。 無駄な話は終わりにして、一行は再び歩みを進めた。 カナタは気まずそうな表情で、一人離れて後ろをトボトボと歩いていた。 さすがに、アズサの言葉が効いたのだろう。 普段の彼女はおとなしく、それでいて知的な雰囲気さえ漂わせているが、相手がカナタだと容赦がない。 誰よりも近い距離にいる相手だからこそ、自然と厳しくなってしまうのだろう。 もっとも、彼女には悪気などない。 カナタはそれを知っているから、なおさら何も言い返せなかった。 せめてひとカケラでも悪気があってくれたら、ポケモンバトルでも何でもできたのだが…… 「そこまで計算してやがるからな……困ったヤツだぜ」 誰にも聴こえない程度に、小さくため息。 そんなカナタは放っておいて、アカツキはミライやトウヤと話を弾ませていた。 「ディザースシティって、どんなトコなんだろ」 「ポケモンリーグ・ネイゼル支部のビルがあるっちゅー話を聞いたことがあるんやけど…… あとは、カジノとかビッグシアターとか、なんや賑やかな街らしいで」 「そうなんだ……なんだか楽しそうな街だね」 目的地はディザースシティ。 ネイゼル地方で最も発展している都会ということもあり、アカツキとミライは目をキラキラ輝かせている。 生まれてこの方、旅に出るまでは故郷を離れたことがないという二人である。 新たな場所へ向かうにも、期待が高まっているのだろう。 「別に、そんなに楽しいところでもないんだけどね……」 思いつつも、アズサは言葉に出さなかった。 目をキラキラ輝かせている二人の気分に水を差すようなマネは、できなかった。 ここでそんなことをしようものなら、一人離れて歩いている双子の弟と同等に成り下がってしまうではないか。 「冗談じゃないわ。私の方が上なんだから」 アズサがあれこれカナタと比べていることなど露知らず、会話はさらに弾んだ。 ミライなど、先ほどまで倒れそうな顔をしていたのに、今では笑みなど浮かべている。 その気になると、辛いことも気にならなくなるものだろうか。 病は気から……などという言葉があるが、そういうことかもしれない。 「まあ、あの娘(コ)、彼のこと好きみたいだし。そういうこともあるのかもしれないわね」 アズサは困ったものを見るような眼差しをミライに向けつつも、微笑ましい気持ちを抱いていた。 カナタとつまらないことで言い合った、それほど遠くもない過去のことなどさっと払い飛ばし、小さくため息をつく。 「次の給水所で、連絡してみようかしらね……後で出向くとはいえ……」 彼女は彼女なりに、アカツキたちの話を小耳に挟みながら、大人の思考を働かせていた。 和気藹々としている中でも、それなりにいろんなことを考えるのが年長者の役目だと、そう思っているから。 そうこうしているうちに、一行は次の給水所にたどり着いた。 前の給水所と同じように水分をキッチリ補給して、ポケモンセンターを目指す。 まだ昼前だが、三キロほど先にあるポケモンセンターで一夜を明かすのが無難だろう。 砂漠の気候は移ろいやすいもので、昼間は太陽が照り付けて炎天下となるが、逆に夜間は極寒になる。 寒暖の差が激しい場所で何日も過ごすとなると、それだけで体調を壊してしまうだろう。 そうなっては本末転倒だからということで、トウヤの意見が採用された。 幸い、ポケモンセンターは歩いて五時間から七時間の間隔に設けられているので、 それほど無理をしなくても、ディザースシティにはたどり着けるだろう。 多少時間がかかってしまっても、それよりもっと長い時間がかかるよりはマシである。 急がば回れ、とはこのことだ。 「…………」 給水所からポケモンセンターへ向かう道中、会話はほとんどなかった。 カナタは先ほどやらかしたミスで減点がかさんで、今さら挽回の余地などなかったから黙りこくっていたし、 アズサは元からおとなしいので一言も発さない。 ミライは体力の消耗を防ぐために口を真一文字に結んで歩き続けている。 トウヤもトウヤであれこれと考えているのか、時々「あー」とか「うー」とか唸っている。彼なりに考え事をしているのだろう。 アカツキは事象保護者の少年の邪魔をするのも悪いと思い、一人で考えながら歩いていた。 「次のジムリーダーって、どんなヤツだろ。やっぱ、強いんだろうな〜」 目的地はディザースシティ。 砂漠を横断する道の遥か彼方にそびえる大都市。 今はまだ影も形も見えないが、たどり着いてみると、きっとすごい場所なのだろう。 カジノやシアターホールなど興味はないが、ジム戦となると話は別である。 ディザースジムのジムリーダーはどんなポケモンを使ってくるのか……毎度のことだが、それを考えるだけでワクワクする。 不思議と気持ちが上向くものだから、元々明るい性格のアカツキには止められない。 「ヒビキさんは草と虫タイプ使ってきたし、ミズキさんは水と氷だったからなあ……次はどんなだろ?」 ネイゼル地方のジムでは、得意タイプが二つ存在している。 互いの弱点を補える組み合わせである場合が多かったりするが、果たして、次のジムではどんな組み合わせが待ち受けているのか。 考えたところで、たどり着かなければ答えは出ない。 あるいは…… 「カナタ兄ちゃんに聞けば教えてもらえっかな?」 なんて、フライングみたいなことを考えてみたりもするが、いくら軽薄な彼でもジムのタイプまでは教えてくれないだろう。 頭が固いアズサなど論外である。 もっとも、どんなタイプのポケモンが出てこようと、共に苦難を乗り越えてきた仲間たちと共に戦いに挑めば、勝てないことはない。 「アリウスとラシールをジム戦に出してやりたいんだけどなあ」 ネイト、リータ、ドラップ、ラシール、アリウス。 手持ちのポケモンは五体だが、それなりにバランスの取れたチームだと思っている。 もちろん、ネイゼルカップ出場を目指すからにはこのメンバーで妥協することなく、 他のポケモンをゲットしたり、強く育て上げたりする必要がある。 容易に妥協などしていても、ネイゼルカップは戦い抜けないのだ。 いつかテレビで見た高いレベルの戦いを思い返し、アカツキは思った。 今だから分かることだが、文字通り磐石の態勢を整えなければ、ネイゼルカップの厳しい戦いの連続を切り抜けることはできない。 課題が山積しているが、だからといっていきなり投げ出そうなどとは思わない。 大舞台で戦おうと約束した兄アラタはもちろん、他にもキョウコやカイトもネイゼルカップに出場するのだ。 少なくとも、自分の知っている相手には負けたくない。 「そのためにも、次のジム戦もちゃんと勝たなきゃ!!」 まずは、一戦一戦を悔いの残らないように戦い抜くこと。 自分がやらなければならないことを再確認して、アカツキの気分が嫌でも高まっていた。 このまま地平線の彼方まで突っ走っていけそうな気持ちになる。 「タイプの相性が悪くなかったら、アリウスとラシールをジム戦デビューさせなきゃいけないしな……」 ジム戦の経験がないのはアリウスとラシールだ。 そもそもこの二人……特にラシールはバトル慣れしていないようだし、実力は高くても、慣れていなければ本当の力を発揮できない。 ラシールはソフィア団によって心を閉ざされ、ダークポケモンとして戦うことを余儀なくされていた。 痛みも恐怖も感じず、ただトレーナーに命じられるがまま、相手を倒す戦闘マシン……それがダークポケモンだ。 幸い、アカツキや彼のポケモンには懐いているようだし、今のうちに慣れさせてあげたい。 ジム戦ひとつ考えるにしても、アカツキは仲間に対する気配りを忘れていなかった。 誰か一人だけが特別というわけではない。 旅立つ前はネイトしかいなかったから、嫌でもネイトが特別な存在だったが、今は違う。 共に旅をする仲間は誰もが特別な存在だし、だからこそ誰か一人を特別扱いするわけにはいかない。 手持ちや、ボックスに預けているポケモンたちすべてに均等な愛情を注げなければ、一人前のトレーナーとは言えないのだ。 「あとは、六体目のポケモンがいればいいんだけど……どっかでゲットしよっかな? できれば強そうなポケモンがいいんだけど……」 ネイゼルカップ出場には、バッジを四つ集めることのほかに、 最低でも六体のポケモンをゲットしていなければならない、という条件もあるのだ。 アラタやキョウコはすでに条件をクリアしているだろうが、旅立って一月足らずのアカツキがその条件を満たしているはずもない。 タイプのバランスも考えて、六体目を選びたいところ。 「ポケモンセンターに着いたら、学習室に行って調べてみよう!!」 ネイゼル地方に棲息するポケモンのことなら、ポケモンセンターの地下にある学習室で調べることができる。 眼鏡に適うポケモンがいたら、少しくらい遠回りすることになってもゲットしておくべきだろう。 一度傾いた考えを修正するのは難しいらしく、アカツキは学習室でポケモンを調べることに躊躇いなど微塵もなかった。 そもそも、ディザースシティに到着するまでは特にやるべきこともない。 「でも、みんなのペースに合わせなくちゃな……」 一気に突っ走っていきたい衝動に駆られながらも、アカツキはグッと自制した。 ここで一人突っ走っていくのも悪くないが、集団行動をしている以上は、相手にペースを合わせなければならない。 ノースロードでソフィア団のエージェントを装ったフォース団に襲撃されたときのことを思い返し、途端に気分が曇る。 「あの時、オレ、一人で勝手に決めて勝手に突っ走っちまったからなあ…… もう、トウヤやミライに心配かけたくねえし、一人で勝手にあれこれするのはやめとこう」 重要な局面で、誰にも相談せず自分で勝手に決めたこと。 それで共に旅をする人に心配をかけてしまったのだから、二度とそういうことはしまい。 陽気で明るく人懐っこい少年はしかし、自身を律しようと思った時には人一倍慎重になるのだ。 降り注ぐ太陽の熱気にやられそうになりながらも、時々給水所で補給した水を飲みながら歩いていくうち、今晩の宿にたどり着いた。 砂漠の中にいても目立つよう、三階建てのポケモンセンターの外観は白で統一されていた。 これなら遠くからでもポケモンセンターであると区別がつくだろう。 自動ドアをくぐって中に入ると、そこはまさにオアシスだった。 「うわー、やっぱポケモンセンターは最高だなっ」 カラカラに乾いていた荒野を歩いてきたアカツキたちには、吹き付けてくる涼風はもちろん、ロビーの風景も潤いに満ちていた。 潤いを意識した設計になっているらしく、吹き抜けのロビーにはガラスの柱が数本打ち立てられていた。 半透明な柱の中で水が循環し、めだかをはじめとする小魚が悠々と泳いでいる。 見る者の気持ちを和ませる、粋な設計である。 「なんだか、歩いてきて良かったって感じだね」 砂に塗れた手の甲で額を拭いながら、ミライが安堵したように言う。 「ん、そうやな」 トウヤは頷くと、バッグからハンカチを取り出して、ミライの額をそっと拭ってやった。 せっかく汗を拭っても、今度は砂に塗れていては意味がない。 十二歳と言っても女の子である。それなりにおめかしには気を遣うだろう。 そう思っての気遣いだったが、ミライは素直に彼の厚意を受け取った。 「ありがと、トウヤ」 「まあ、別にこれくらいはええやろ。 それより……ここで今晩泊まってくけど、ええやろ?」 トウヤはアズサに話を振った。 カナタは先ほどから黙りこくったままで、とても声をかけられる雰囲気ではなかったので、彼女に振るしかなかったのだが…… 「いいですよ。 でも、私たちに了解を取る必要はないはずです。 これはあなた方の旅であって、私たちは勝手についてきているだけですから。何度も言ったでしょう」 「あ、まあ……」 相変わらず頭の固い彼女は、素っ気なかった。 言われてみれば確かにその通りなのだが、それはそれ、これはこれということで助言が欲しかったのだ。 もっとも、トウヤもミライもアカツキに同行しているのだから、 トウヤたちの旅というよりは、アカツキの旅にみんなして乗っかっているという形でしかない。 ある意味、アズサの指摘は正しいと言えば正しい。 「なんや、ドライなやっちゃな……」 求める答えが彼女から得られないと分かると、トウヤはぷいっ、と顔を背けた。 一行のリーダー(であるはず)のアカツキは早速カウンターに赴いて、部屋を取っていた。 「年長者やったら年長者らしく、ダメなモンはダメとか、これでええモンはええとか、言って欲しいんやけどな……」 もちろんそんなことは口が裂けても言えなかった。 ポケモントレーナーとしての実力が突出しているアズサとカナタがついてきてくれているおかげで、安心できるのもまた事実。 ワガママを口にしたところで、惨めになるだけである。 「ま、ダメやったらダメ言うやろうし、それがないっちゅーことは……」 少なくとも、ポケモンセンターで一夜を過ごすことに関しては異存がないということだろう。 トウヤが眉間にシワなど寄せて考え込んでいるのを見て、ミライは手近な椅子に腰掛けて、声をかけた。 「ふう、疲れちゃったね」 「ん、ああ」 彼女の安心したような声に、張り詰めていたものが解けたのだろう。 トウヤは小さくため息をついて、彼女の隣に腰を下ろした。 「今日はここでゆっくり休むんやで? 明日からも砂漠を歩いてかなあかんのやからな」 「分かってる。 アカツキだって、わたしに合わせてくれてるんだもんね。迷惑はかけられないよ」 「そっか。それならええねんけど」 わざわざ言葉に出す必要もなかったかもしれない。 ミライはミライで、アカツキに迷惑をかけないことを第一に考えているのだ。 彼女は旅に出て変わった。 精神的に打たれ弱い少女だとばかり思っていたが、旅を通じていろんなものを見て、知って、感じて……少し強くなった。 「そういうトウヤもさ」 「?」 考えに割り込む形で声をかけられて、トウヤは一瞬ビックリしたように表情を引きつらせたが、ミライは気にするでもなく言葉を続けてきた。 「あんまり一人で考えたりしないでね? なんだか最近、サラさんって人のこと、考えてるみたいだから」 「まあな……あいつ、俺の恩人やから。 ちょっと気にいらへんこともあるんやけど……」 「でも、トウヤなら大丈夫だよね。わたしやアカツキよりも年上だし、しっかりしてるし」 「そうでもないんやけどな……まあ、おまえがそう言うんやったら、そういうことにしたるわ」 見事に言い当てられてドギマギしながらも、トウヤは頭を振った。 確かにサラのことを考えてはいる。 実際、彼女のことをアカツキやミライに詳しく話したことはない。 せいぜい、彼女がトウヤの恩人で、ポケモントレーナーとしての師匠であることと、ネイゼル支部のチャンピオンであるということくらい。 それでもミライはトウヤがサラのことを考えていると言い当てたのだ。 さすがはヒビキの娘だけのことはあると、トウヤは内心、戦々恐々としていた。 もし彼女が大人になったら、ヒビキ以上に『食えない』ヤツになるのではないか……そう思うと、なんだか先が思いやられてくるところだ。 本気で笑えない冗談に、思わず背筋が寒くなる。 トウヤが戦々恐々としているのなどお構いなしに、戻ってきたアカツキは満面の笑みを浮かべていた。 「部屋取れたよ。 オレとトウヤとカナタ兄ちゃんで一部屋と、ミライとアズサさんで一部屋」 「うん、ありがとう」 アカツキからルームキーを受け取り、ミライはニコッと微笑んだ。 「じゃ、部屋に行こうよ。今日はゆっくりするんだよね?」 「そうね。砂漠を歩くというのも、案外疲れるわね……」 アズサは頷いて、ハンカチで頬や腕を軽く拭った。汗はすでに引いていたが、不快な想いまでは消えていないのだろう。 「部屋でシャワーでも浴びましょう。それじゃあ、また」 「うん。また後でね」 アズサはアカツキに一礼すると、ミライを引き連れて部屋に向かった。 心なしか、彼女の足取りが軽く見えて、アカツキは笑みを深めた。 知的な雰囲気を身にまとい、頭が固い彼女も、やはり女性なのだろう。それなりにはしゃいだりすることもあるらしい。 もっとも、それを率直に訊ねたところで、彼女は絶対に首を縦には振らない。 それが分かっているから、なおさら微笑ましい。 意外と彼女は照れ屋なのかもしれない。 女性陣がエレベーターに乗り込んで上階へ向かったのを合図に、アカツキはトウヤとカナタに目を向けた。 カナタは相変わらず居心地が悪そうにしているが、アズサに暴露された秘密が相当堪えたのだろう。 自分に似て陽気で気さくな人だとばかり思っていたが、実は人一倍繊細な神経の持ち主なのかもしれない。 いつも笑っているのは、自分の繊細さを笑顔で隠そうと思っているからか…… もっとも、そんなことはいくら考えても分かるはずもない。 いつまでもそんな風に渋面になられても困るので、思い切って声をかけた。 幸い、ロビーはそれほど混雑していなかったので、少しくらい大きな声を出しても問題ない。 「カナタ兄ちゃん、オレたちも部屋行こうよ。 アズサさんにいろいろ言われたみたいだけど、気にしない方がいいって。 カナタ兄ちゃんのことをどうでもいいヤツだなんて思ってたら、あそこまで言えないんだからさあ」 先入観を持たない子供の角度から発せられた言葉は、強かにカナタの心を打った。 「ん……まあ、そりゃそうだな。気にするだけあいつの思う壺か」 「そういうこっちゃ。あんさん、最年長なんやから、もうちっとしっかりせなあかんで? 大人は子供の鑑でなきゃあかんのやから」 ため息混じりに言うカナタに見せ付けるように、トウヤはわざと肩をすくめた。 だが、その言葉は間違っているとは思わない。 子供は親の背中を見て育つのだ。 大人がはしたない振る舞いをしていては、子供はそれが世間でも罷り通ると考え、同じような振る舞いを取り始めてしまうものだ。 まあ、アカツキやトウヤ、ミライについてはそういった心配は無用かもしれないが、年長者なら年長者らしく、堂々としていてもらいたい。 増してや、四天王という、トレーナーの憧れの職についているのだから、なおのこと。 「あー、なんかバカバカしい……」 アズサの性格は昔からだ。 自分の半分くらいしか生きていないであろう子供の前で、 恥ずかしくなるような秘密を暴露されたのだから、それを気にするなと言う方が無理に決まっている。 しかし、だからといっていつまでも気にしていたところで変わらないし、それこそアズサの思う壺というものだ。 カナタは胸のうちに抱えているものを吐き出すように深く深いため息をつき、頬を軽く叩いた。 気合を入れなおすというか、気持ちを切り替えるにはそれが一番手っ取り早い。 「よし、部屋行くぞ」 「うん。じゃ、よろしく〜」 意外とあっさり立ち直ったカナタに、アカツキはルームキーを放り投げた。 「ん? おまえ、行かないのか?」 カナタはルームキーを片手で軽く受け取ると、怪訝そうに眉を上げ下げしてアカツキに訊ねた。 「うん。オレ、ちょっと学習室に行ってくる。ポケモンのことで調べたいこととかあるからさ」 「そっか、分かった。おまえ、そういうの苦手そうだから、あんま無理するなよ」 「分かってる分かってる。そんじゃ、またね〜」 アカツキは大きく手を振りながら、地下の学習室へと向かって駆け出した。 屋内だというのに全力で走るものだから、少年の姿はあっという間にカウンター脇の階段の下に消えていった。 「やれやれ、相変わらずだな。行動が早いというか……」 カナタは呆れ顔で言ったが、トウヤは事も無げに返した。 「まあ、あれはあれであいつのええトコやし、ええんとちゃう?」 「そりゃそうだな」 行動が早いのは、常に全力でいろいろなことを考えているから。 裏を返せば、一瞬一瞬に全精力を傾け、ひたむきということだ。 何事も一生懸命の方がいいに決まっている。 カナタにも、アカツキのように後先考えず(失礼?)に突っ走っていた頃があった。 まあ、彼ほどガンガンやっていたわけではないが、アズサに言わせれば似ているのだろう。 「ほな、行くで」 カナタの手からルームキーを奪い取ったトウヤがエレベーターへ向かって歩き出そうとしたが…… 「ちょっとタンマ」 「どないしたん、今度は?」 どうせなら、部屋でゆっくりくつろぐ方が気持ちも落ち着くだろう。 それなのに、どうして待てと言うのか。 トウヤは足を止め、眉を吊り上げながら上目遣いにカナタを睨み付けた。 ――せっかくアカツキが気を利かしたのに、それを無駄にするつもりか? そう言いたげな眼差しを受けつつも、カナタは平然とこんなことを言った。 「今のうちに聞いときたいんだけどさ。 トウヤ、ディザースシティに着いたら、サラに会うんだろ?」 「ん……? ああ、まあな」 サラを引き合いに出されては、どうしようもなかった。 カナタの言うとおり、ディザースシティに到着したらポケモンリーグの支部に赴いて、サラに会うつもりでいたからだ。 四天王が一緒なら面通しもしやすいだろうと、こちらから話を振るつもりでいたが、逆に振られるとは思っていなかった。 双子の姉に弱いクセとはいえ、さすがにそこは四天王ならではの洞察力と言ったところか。 胸中で感心か呆れか分からないようなコメントを並べていると、カナタが馴れ馴れしくトウヤの肩を叩きながら言葉を続けた。 「ついでだし、おまえに頼もうと思ってることがあってな」 「頼み? なんや?」 話を持ちかけてきたのは、そういうことか…… トウヤはカナタに促されるまま椅子に腰掛けた。隣に、カナタが深々と腰を落ち着ける。 こういう話は部屋でやればいいのに、どうしてロビーで……人前ですることを選ぶのか。 どうにも解せないところはあるが、カナタにはカナタなりの考えがあるのだろう。 そう思い、とりあえずは聞くだけ聞いてやることにした。 トウヤが腹を括ったのを雰囲気で感じてか、カナタの表情が引き締まった。 気のいいお兄さんはどこへやら、すっかり四天王に相応しい気迫が漲り出す。 「アズサとも話したんだが、サラは立場上、大っぴらには動けない」 「そうみたいやな。あいつと電話で連絡取ることあるねんけど、パッとせえへん返事ばっかりやった」 「うん、そうだ」 トウヤの言葉に、カナタは口の端に笑みを浮かべて頷いた。 アカツキより少し年上の少年は、思った以上にこちらの事情を察してくれているらしい…… これなら、思いのほか簡単に事が運ぶかもしれない。 そう思いつつ、言葉を継ぐ。 「俺たちも考えてみたんだが、あいつ自身が参戦できないのは痛い。 それを考慮した上で、フォース団もソフィア団も暴れまくってるからな」 カナタの言葉は事実だった。 チャンピオンという立場は、思った以上に雁字搦めに縛られているものなのだ。 輝かしい肩書きに憧れることにどうこう言うつもりはないが、輝かしい地位にはそれ相応の制約がある。 権力を持つがゆえに、多大な義務を課せられるのだ。 フォース団もソフィア団も、幹部連中はそこまでキッチリ計算に入れた上で暗躍している。 それはトウヤも常日頃から感じていることだった。 「で、俺にどうせいと?」 「なに、簡単だ。頼み込んでもらいたいんだよ。 サラ自身は無理かもしれないが、彼女のポケモンを借りることができないかと」 「それやったら、あんさんがやった方が早いんとちゃうんか? 四天王の言葉なら、あいつも無下にはせえへんやろうし」 「ま、それはそうなんだがね、四天王ほどのトレーナーにポケモンを貸すだけ無意味だってことも知ってるよ、あいつは」 「なるほど……」 カナタは暗に戦力増強するなら、できるうちにやっておけと言っているのだ。 四天王がいつまでも傍についていてくれるわけではない以上、 準備を整えているであろうソフィア団に対抗できる術を一つでも多く手に入れておきたいところ。 カナタも、こちらの状況を理解している。 その上で頼みとして話を持ちかけているのだ。 「ホンマ、食えへんやっちゃ……」 ここはさすが四天王と言うべきところだろう。 トウヤが顔をしかめる。 脈ありか……カナタは何事もないような表情で、思いをめぐらせた。 トウヤとサラが知り合いだというのは、アイシアタウンでアカツキたちに合流する前……ディザースシティのネイゼル支部を出てくる前に、同じく四天王のギランから聞かされた。 ギランは人懐っこい笑顔の裏に刃を隠しているような男である。 きっと何かしら考えていたのだろうが、もはやそんなことは何の関係もない。 これは、アズサとカナタが話し合って決めたことだ。 サラが動けないなら、彼女の屈強なポケモンでも借りるしかあるまい。 それくらいなら、彼女も理解を示してくれるはずである。 しばらくトウヤは黙りこくっていたが、やがて顔を上げ、 「ええで。あいつが動けへんのは分かっとるし……でも、俺の頼みやからって、そう簡単には聞いてくれへんで。 あいつのメタグロス、片方はあいつのポケモンやあらへんゆう話みたいやし……」 前向きに検討するが、できない時のことも考えてくれと答えを返した。 少なくともやる気はあるようだから、カナタとしては特に何も言わなかった。 せっかくやる気を出してもらっているのだ、今のうちに提供できる情報は惜しみなく放出しようと思い、言葉を続ける。 「まあ、確かに。 サラはメタグロスを二体持ってるけど、片方は彼女の旦那さんのメタグロスだ。 トウヤも、さすがにそこまでは知らないだろう」 「まあな。一体は見せてもろうたことあるねんけど……そっか、旦那はんのメタグロスもおるんか」 さすがにこれにはトウヤも目を丸くした。 サラのポケモンは鋼タイプが多く、三体だけ見せてもらったことがある。 そのうちの一体がメタグロスという、攻守に優れた鋼ポケモンだ。 素早さはそれほどではないが、その他の能力はとても高く、トウヤのポケモンを総動員しても勝てるかどうか…… 疑わしいほどの実力の持ち主である。 それをもう一体……しかも、旦那のポケモンというのだから、驚かないはずがない。 「あいつ、旦那がおるって言うとったけど……」 サラから、彼女が人妻であることは聞いている。 隠し立てするだけ無意味だと思ったのか、今となっては確かめる術はないが。 「まあ、四天王以外は知らない秘密なんだけどね」 「その割にはずいぶんあっさりと明かしてくれはったな」 「それくらいはしないと、ね?」 「ふむう……」 やる気を見せた見返りのようなものだろうか。 トウヤは小さく唸り、視線をロビーの中央で咲き誇っている観葉植物に据えた。 なんとなくだが、このままカナタを見つめていたら、余計彼の術中にハマリそうな気がしてきたのだ。 根拠などないが、そもそもそういった直感に根拠など必要ない。 まあ、どちらにせよ、サラのポケモンを上手く借りることができれば、それだけで安心度がグッと高まるのは間違いない。 彼女が自由に動けない分、ポケモンでそれを補おうということか。 現実的な意見ではあるが、それで彼女が首を縦に振るか…… 「交渉材料が少なすぎるな……」 直談判するのだから、有利になりうるカードは手元に揃えておきたい。 これも、アカツキたちのためなのだ。 年長者らしく、一肌くらいは脱がなければ罰が当たるだろう。 そう思い、トウヤは切り出した。 「あいつの旦那のこと、詳しく聞かせてくれへん? 俺、あいつに旦那がおる言うことは知っとるけど、どんな人なのかは聞いてへんからな」 「いいよ」 こればかりは彼女のプライベートだから、と断られると思いきや、カナタはあっさりと首肯した。 唖然とするトウヤだったが、カナタは構うことなく話し始めた。 本当は誰にも話さないでねと言われていることだったが、この際関係ないと、良心(?)をかなぐり捨てて。 「サラの旦那さん、ポケモンブリーダーやってるんだって。 なんでも、カントー地方のマサラタウン出身だって言ってたな。 あと、名前忘れたけど、著名な研究者の息子だとか……」 「ほう……」 今までサラには泣かされっぱなしだった。 たまには鼻を明かす……いや、鼻っ柱の一つや二つはへし折ってやりたいと思っていた。 このネタなら、イケるかもしれない。 トウヤは食い入るようにカナタに視線を向け、彼の話に聞き入っていた。 それこそがカナタの計画通りなのだということに気づくこともなく。 Side 2 トウヤとカナタがサラの話をしていることなど知る由もないアカツキは、ポケモンセンターの地下にある学習室で、ポケモンのことを調べていた。 百台近いパソコンが間仕切りされた狭いスペースごとに並べられているが、利用者はまばらだった。 もっとも、静かな方が落ち着くから、アカツキにとってはありがたいことだったが。 「さて……と」 来ている人が少ないのなら、ポケモンを出しても問題ないだろう。 間仕切りをそっと動かして、二台分のスペースを強引に作り出してから、アカツキはポケモンたちをモンスターボールから出してやった。 ポケモンを出してはいけないというルールが設けられているわけではないので、おとなしくさえしていれば問題はない。 ……というわけで、ボールから飛び出してきたポケモンたちは興味津々と言った眼差しをアカツキが操作しているパソコンに向けた。 特にラシールやアリウスは移り変わるパソコンの画面を見るのが初めてらしく、 二人してアカツキの身体にしがみついたりしながら、食い入るように見つめていた。 「これで、いろんなポケモンのこと調べられるんだぜ。 新しい仲間のこと調べるんだ。よ〜く見とけよ」 肩に乗って、何が楽しいのか尻尾を左右に揺らしているアリウスの頭を撫でながら、アカツキはマウスを操作した。 ポケモンの棲息地に関するページを開いて、ネイゼル地方西部に広がる砂漠地帯を選択する。 「今、この辺りにいるんだ。で、目指してるのはここ」 画面に表示されているポケモンセンターと、ディザースシティの間を指でなぞりながら、アカツキはポケモンたちに説明してやった。 「あと四日くらいかかるけど、着いたらジム戦をやるんだ」 「ブイっ♪」 ジム戦の一言に反応して、ネイトが尻尾をクルクル回転させて嘶いた。 周囲の状況を心得ているのか、声は控えめだったが、うれしそうな雰囲気はアカツキにも伝わった。 砂漠地帯に棲息するポケモンを検索している間、アカツキは振り返り、バトルをやりたそうなネイトの頭を軽く撫でた。 「ネイト、やる気だな〜。 相性が良かったら出してやるからな。期待して待ってろよ。 みんなも同じだからさ。相手のポケモン見て、相性が良かったら出すよ。そうじゃなきゃ、負けたりしたらみんなに悪いからさ」 「ごぉ……」 「ベイっ」 「キキッ」 「シーっ……」 順番に目を向けながら言うと、他のポケモンたちが揃って頷き返してくれた。 トレーナーとしてアカツキを信頼しているからこそ、彼の言葉の意味を理解しているのだ。 そういった意味では、アカツキのポケモンは幸せ者だった。 「さて……と」 みんなして明るい雰囲気を惜しげもなく放っているものだから、アカツキとしてもうれしくなる。 笑みを深めながら画面に視線を戻すと、検索結果が出ていた。 「ふーん……」 砂漠に棲息するポケモンは、ある意味屈強と言える。 少ない水分で生きていかなければならないのだから、強くもなるだろう。 進化形のポケモンであればなおさら強いのだろうから、アカツキは進化形のポケモンを選んで見ていった。 「えっと…… サンドパンにノクタスにフライゴンか……でも、フライゴンなんて滅多に会えないんだろうなあ」 目ぼしいのは、口にした三体。 サンドパンは背中にトゲトゲを生やしたポケモンで、素早くはないが力強い攻撃が得意。 ノクタスは夜になると活動を開始するポケモンで、悪タイプと草タイプを併せ持つ。 そして、フライゴンはドラゴンと地面のタイプを併せ持ち、それなりに素早くて力強い攻撃ができるポケモンだ。 この中で誰がいいかと言われれば、見た目やタイプなどから、アカツキは間違いなくフライゴンを選ぶだろう。 しかし、そう簡単に出会える存在でないことも同時に理解していた。 「フライゴンって言ったら、砂嵐じゃなきゃ出会えないって話らしいし……」 いつだったか、キョウコが自慢げに話をしていたのを思い出す。 ――フライゴンってポケモンはね、強いけどなかなか出会えないんだよね。   羽ばたくと砂嵐を巻き起こすって言われてるから。   まあ、ジャリガキが頑張ったって、マグレじゃなきゃ出会えないと思うけどね〜。 「あー、なんかメチャ嫌味だなあ……」 思い返してみると、トコトン嫌味だった。 せっかくの気分が盛り下がってしまうが、だからといって落ち込んでばかりもいられない。 「そろそろ新しいポケモンをゲットしないと…… カイトのヤツも、グレイスなんてヤバいヤツ仲間に引き入れたからなあ」 目ぼしいと見たポケモンが使えそうな技を調べてみる。 その間に思ったのは、カイトには負けられないということだった。 先日レイクタウンで行われた感謝祭のバトルでは、カイトの新しいポケモン――グレイスと戦ったが、何気に危険な技を覚えていた。 これはなんとかしなければ……と常々思っていたのだ。 今の自分に一番近い相手ということで、カイトには絶対に負けたくない。 旅に出る前は、ネイトでバトルを仕掛けても、相性的に有利なはずのレックスに返り討ちにされまくった。 旅に出てからやっと一勝を挙げたが、それまでの連敗数を考えると、トレーナーとして褒められた戦績であるとは言いがたい。 アカツキ自身、それを誰よりも強く意識しているものだから、近い立場であるカイトには絶対に負けたくないのだ。 「カイトに勝てなきゃ、兄ちゃんやキョウコ姉ちゃんには勝てないからな。 ここいらで新しいポケモンをゲットしなきゃ!!」 「ブイっ……」 声に出したわけではないが、アカツキのやる気が伝わったのだろう、ネイトが同意するように声を上げた。 まずはカイトに勝ち続けること。 グレイスの危険な技に対処できなければ勝つことは難しいだろうから、 そのためにも新しいポケモンをゲットし、タイプに幅を持たせて多彩な相手と戦えるようにすることだ。 カイトに勝てなければ、彼よりも数段強い兄アラタやキョウコには勝てない。 ネイゼルカップではアラタと戦うという約束を交わしているし、どうせ戦うことになるのなら、勝ちたいと思うものだ。 「んー……」 熱い気持ちを抱きながらポケモンの技を調べていく。 ポケモンのタイプも絡めて考えると、ゲットするとしたらフライゴンだろう、という結論に至った。 旅立ってから一ヶ月と少々。 決して長いとは言えないトレーナー生活だが、普通のトレーナーの数倍過酷な経験を重ねてきたせいか、 アカツキはトレーナーとして大きく成長していた。 これでも少しは自信がついてきたし、ちょっとくらい手強くたって、ポケモンゲットなら大丈夫だと思っている。 もちろん、まだまだ上には上がいるから、今の実力に甘んじるつもりなどこれっぽっちもない。 「フライゴンの技って結構多いなあ…… えっと、地震に火炎放射に砂地獄に……おー、ドラゴンクローまである」 画面にズラリ表示されたフライゴンの技を、上から順番に声に出してみる。 種類がかなりあり、画面を下にスクロールさせなければ表示できないほどだ。 たくさんのタイプの技が揃っていて、弱点である氷タイプのポケモンを返り討ちにできるような技もいくつか見受けられる。 元から能力が高いポケモンなので、相性の悪い相手でも、持ち前の能力の高さでゴリ押ししていけるのも強みだろう。 「んー、やっぱフライゴンだよな〜」 氷タイプに弱いポケモンが増えることになるが――結局、先ほど調べたサンドパンもノクタスも氷タイプには弱いので、 候補に挙げた時点で考えるだけ詮無いことではあったが――、それでも能力の高いポケモンは即戦力として期待できる。 「キキッ?」 画面に大きく映し出されたフライゴンの勇姿にウットリしたような表情を見せるアカツキに視線を向けて、アリウスが首を傾げた。 一体何を考えているのかと言いたげだったが、幸か不幸か、アカツキはアリウスの視線には気づかなかった。 ただ、アリウスはアカツキが見ているもの―― 画面に映し出されたフライゴンが気になったのか、実の手よりも器用だという尻尾の手で画面に触れてみた。 もちろん、画面上では何の肌触りも感じられないが、構うことなく画面に触れて回る。 どうやら、パソコンの画面にも興味があるようだ。 「キキキッ、キキッ」 なにやら楽しそうな声を上げながら尻尾で画面を撫で回すアリウスの顔を見やり、アカツキはニコッと微笑んだ。 元がやんちゃ坊主なものだから、勢い余ってパソコンをダブルアタックで粉々にしてしまうのではないかと思ったが、杞憂だった。 「なんか楽しそうだな、アリウス」 「キキッ」 アカツキの声に頷くと、アリウスは画面に触れていた尻尾でアカツキの帽子をつかみ、彼の肩から床に飛び降りた。 「あ、どうしたんだよ」 いきなり帽子を取られて戸惑いながらも、アカツキはすぐにアリウスを視線で追ったが、 アリウスは視界の隅で、戦利品を獲て喜んでいる兵士のように帽子をヒラヒラさせながらアカツキに笑みを送っていた。 「って、帽子取るなって!!」 アリウスにしてみれば遊びのつもりかもしれないが、それでも帽子は大事なものなのだ。 アカツキは急いでパソコンをシャットダウンすると、ネイト以外のポケモンをモンスターボールに戻し、アリウスの後を追った。 もちろん、すでにアリウスの姿は消えていた。 どうも、アカツキと遊びたいみたいなのだが、それならそれでもっと別の方法で遊べばいいだけの話である。 「もー、アリウスのヤツ……」 困ったな、と思いながらも、元気が有り余っているのはいいことだと、結局は納得せざるを得なかった。 「ネイト、アリウスを追いかけて帽子を取り戻すぞ」 「ブイっ♪」 目には目を、ポケモンにはポケモンを。 アカツキの言葉に、ネイトは待ってましたと言わんばかりにうれしそうな声音で嘶いた。 ネイトもまた、アリウスに悪気がないことは承知している。 ただ、遊びにしては、いきなり帽子を奪って逃げるというのはいささか度を越えている。 こればかりはトレーナーであるアカツキがちゃんと教え込まなければならないのだろう。 「まあ、アイシアタウンじゃ、ずいぶんと遊んでたみたいだし、無理もねえか」 階段を一段飛ばしで駆け上がりながら、アカツキは思った。 アリウスはミライが連れているエイパム五体と群れを作って、アイシアタウンに流れてきた。 たぶん、悪気などなかったのだろうが、アイシアタウンの目玉とも言えるリゾートエリアを占領して、いろいろとイタズラをしていた。 住人の側からしてみれば、ずいぶんと度の過ぎたイタズラで、悪さに映っていたのだろう。 ただ、アリウスと過ごしてきて、アカツキは彼らが本当に悪さをしようと思ってやっていたわけではないと思っている。 これでも、ポケモンの気持ちを理解する能力に長けているのだ。 「オレがちゃんと教えてやらなきゃな。 そのためにも、まずはアリウスを見つけないと……」 素早い動きができるネイトでなければ、アリウスに対抗するのは難しいだろう。 階段を昇り、ロビーに出たが、アリウスの姿は見当たらない。 隠れられそうな場所なら椅子の下やカウンターの奥など、それこそ無数にあるが、 ネイトが何の反応も示していないのを見ると、この辺りにはいないのだろう。 「ブイっ」 しかし、ネイトはアリウスが残したにおいが分かるらしく、先導するように走り出した。 「……?」 アカツキとネイトが上階へと続く階段を駆け上がっていくのを見て、 ロビーにいたトレーナーたちは何事かと思ったが、二人がそれに気づくことはなかった。 三階まで登ったところで、ネイトが廊下に飛び出した。 「ネイト、何か分かったか?」 「ブイっ、ブイブイっ!!」 アカツキの言葉に頷くと、論より証拠と言わんばかりに思いきり駆け出した。 アカツキは置いていかれないようにするのに精一杯だったが、それは仕方のないことだった。 そもそもポケモンと人間では身体能力が違いすぎるのだ。 よほど動きの鈍いポケモンとでも比べない限りは、勝ち目などない。 まあ、それはともかく…… ネイトが迷う様子を見せずに走っていくのを見て、アカツキはこの分ならアリウスを見つけ出すのも簡単だと思った。 しかし、一筋縄では行かなかった。 アカツキがまったく予想もしなかった方向に、事態が動き出したからだ。 「きゃーっ!!」 廊下をまっすぐ走っていると、前方から少女の悲鳴が上がった。 「ん? ……この声、ミライだよな?」 出し抜けに響いた悲鳴に思わず足を止めてしまったが、同じく立ち止まったネイトが「どうする?」と訊ねるように顔を向けてきた。 ネイトにも、今の悲鳴がミライだと分かっただろう。 「もしかして、ソフィア団が襲ってきたのか?」 嫌でも、考えたくない方に気持ちが及ぶ。 何しろ、今のアカツキは――正確に言えば、ドラップはソフィア団から狙われている身である。 ミライを襲ってアカツキ共々誘い出そうとすることだって、やりかねない。 そう考えると、じっとなんてしていられなかった。 「行くぜ、ネイト!!」 「ブイっ!!」 今度はアカツキが先に駆け出した。 部屋を取った時に、何号室かまでは見ていなかったが、ネイトなら分かるだろう。 もっとも、 「きゃーっ!! なんなのよもう!!」 「ちょっと、くすぐったいってば!!」 「あっはははははは〜っ!!」 アカツキにわざと聞かせるように、悲鳴が何度も廊下に響く。 しかし、徐々に悲鳴らしくなくなっているのは果たして気のせいか。 「……? あれ、なんか違わない?」 ミライがなにやら普通に笑っていたりするような気がして、アカツキは自分の考えが間違った方に向いているのではないかと思い始めた。 とはいえ、廊下に響くほどの大音響で笑うなど、どう考えても尋常ではない。 ミライの声に混じって、アズサの声も聞こえてきた。 「こら!! 女の子の部屋で何してるんですか!! デンリュウ、放電!! 雷パンチ!! こらっ、チョコチョコ逃げないで神妙にお縄につきなさい!!」 「……? あれれ?」 そうこうしている間に、アカツキとネイトはとある部屋の前で足を止めた。 扉の向こう側が騒がしい。 他の部屋のトレーナーが様子を見に来ないのは、騒ぎに巻き込まれると思っているからか、それとも…… アカツキにはそこまで考えていられるだけの余裕はなかった。 「おい、ミライ!! 何かあったのか!?」 アカツキは扉を強く叩きながら、声を張り上げた。 何が起きているのかは分からないが、おとなしいアズサが何やらポケモンに指示を出しているあたり、 尋常ではない出来事が起こっているのだろう。 「おい、聞こえてんのか!?」 何度扉を叩いても、中から笑い声と怒号が入り混じって聞こえるだけで、一向にアカツキのことに気づいている様子はない。 「ブイっ……?」 困ったな、どうしよう。 ネイトの小さなつぶやきをそう判断して、アカツキは考えを切り替えた。 笑い事であればいいが、もしそうではなかったら? そう考えると、手段など選んではいられない。 ソフィア団が入り込んでいたら追い返し、そうでなければいきなり部屋に入った非礼を詫びればいい。 アカツキはドアノブを捻ると、そのまま押し開いて、部屋に踏み込んだ。 「おい、ミライ!! 何かあった……の、か……?」 ……と、部屋に踏み込んで声を張り上げたが、アカツキは目の前の光景に思わず凍りついた。 「あ……あ、あ、あれ?」 「えっと……」 部屋の中に流れる時間が……止まった。 「キキキッ」 アリウスは確かにミライとアズサの部屋にいた。 入り込んでいたから騒ぎになったのだろう。それはアカツキにも分かった。 ただ、目の前に広がる、およそ十二歳の男の子には考えつかない光景は、どう考えてもおかしかった。 不可思議で、未知なる世界。 初めての遭遇に、アカツキは部屋の真ん中で呆然と立ち尽くすミライに釘付けだった。 「…………」 「…………」 アズサなどハトが豆鉄砲食らったような顔をアカツキに向けていたが、アカツキの視界にはほとんど入っていなかった。 止まった時間の中で動いているのはアリウスだけだった。 言い換えれば、アカツキたち三人の時間だけ止まっているようなものだ。 「えっと……なんの騒ぎ?」 アカツキが戸惑いながら訊ねる。 ミライはアリウスから強引に布切れのようなもの――普段着ている衣服を奪い取ると、上半身をアカツキの視界から覆い隠した。 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! エッチーっ!! スケベーっ!! 出てってよ〜っ!!」 「あ、あわわわ……」 ミライが顔を真っ赤に染めて、はちきれんばかりの声で叫んで初めて、アカツキは事態を飲み込めた。 とんでもない光景に出くわしてしまったのだ。 アカツキが呆然としていると、ミライは手当たり次第に部屋の備品をアカツキ目がけて放り投げた。 「わわっ!!」 アカツキは慌てて部屋を飛び出し、扉を盾にして難を逃れた。 ミライがなりふり構わず投げつけた備品が扉に激突し、背中に強い振動が走る。 「あわわわ……」 もう、何がなんだか…… 身体を震わせるアカツキの顔は青ざめていた。 一体全体、何がどうなっているというのか。 すでに理解できる範疇を越えている。 分かっているのは、アカツキが扉を開けて室内に踏み込んだ時、ミライの上半身が肌色なのが見えたこと。 「…………」 しばらく備品攻撃は続いたが、アカツキは時折背中に走る振動を集中力の核として、何がどうなっているのか考えることにした。 このまま何食わぬ顔でもう一度扉を開いて室内に踏み込もうものなら、今度はエイパムたちのスピードスターを食らいそうで嫌だった。 「ミライのヤツ、なんであんなに慌ててたんだ? あ、もしかしてオレにハダカ見られたのが嫌だったのかなあ」 まったくもってその通りだった。 幸か不幸か、事実にたどり着くも、どうしてミライがあそこまで激しい攻撃を仕掛けてきたのかが理解できない。 ポケモンの気持ちを理解することはできても、年頃(?)の女の子のナイーヴな気持ちまでは守備範囲ではないようだ。 「別に、見られたって減るモンじゃないのに……」 結局、ミライが怒る理由が分からないというところに行き着いた。 ……と、ちょうど攻撃も止んだので、アカツキは拳をギュッと握りしめ、思い切ってもう一度部屋に入った。 そっと扉を開き、そっと足を踏み入れて。 勇気を振り絞って入った先……散らかった部屋の中で、いつもと同じ服装のミライが背中を向けて立っていた。 「…………」 彼女がちゃんと着替えたのを確認して、アカツキはホッとしたが、 足元に備品や備品だったモノ(具体的には破片類)が散乱しているのを見て、背筋が凍るような想いがした。 これをまともに食らったら、どうなっていたか…… 想像するだけでもゾッとするし、考えたくもない。 無意識にそういった想像を脳裏から削除して、心に平静という名のスペースを作り出す。 「ど、どうしよ……」 ミライの背中から、ただならぬ雰囲気が立ち昇っているのを感じて、アカツキはどうしたらいいものかと思った。 その場を一歩も動けず、どうしたら怒らせないで話を聞いてもらえるかと思案するばかりだったが、 「キキッ」 「あ、アリウス!!」 アリウスが帽子を尻尾の手で持ちながら走ってくると、ジャンプしてアカツキの頭にそっとかぶせてくれた。 一片の悪気もないような笑顔を向けられて、アカツキは頭ごなしに怒鳴ろうと思っていた気持ちが霧散するのを感じていた。 やはり、ポケモンには敵いそうにない。 つくづく思い知らされる。 アカツキは困ったように嘆息すると、その場にしゃがみ込んで、アリウスと同じ視線に立って言葉をかけた。 「アリウス、なんでここにいるんだよ。 それに、勝手に防止取って逃げたりしてさ……もう、心配させないでくれよな。 遊びたいんだったらちゃんと言ってくれたら、いくらだってみんなで遊ぶんだから。な?」 「キキッ!!」 どうやら、アリウスは遊びたかったようである。 アカツキの帽子を取ったのは、悪気があったからではなく、遊びたいという気持ちを言葉より先に行動で示しただけのこと。 「もうこんなことするなよ」 「ブイブイっ♪」 アカツキの言葉に、いつの間にやら傍らにいたネイトが頷く。 「って……ネイト、ずっと部屋の中にいたのか?」 「ブイ? ブイブ〜イ!!」 今さらながら、アカツキはネイトがずっと部屋の中にいたことに気づいた。 ミライの備品攻撃に恐れをなして逃げたのはアカツキだけだった。 ネイトはさっと壁際に避難して、難を逃れたのだ。 なんだか薄情な気もしたが、あれだけの攻撃にさらされたのだから、無理もないこと。 「で、なんでこの部屋にいたんだ?」 帽子を返してくれたのはいいとして、問題はアリウスがどうしてこの部屋にいたのかということだった。 アリウスに訊ねたのだが、答えたのはアズサだった。 「いきなり飛び込んできたのよ。彼女が着替えてたのに……」 怒りを押し殺したような声音で、肩などすくめながら言ってくる。 「それだけならいいんだけど、何を思ってか着替えを取り上げて逃げ回るのよ。 おかげで私がデンリュウを使って追いかけるハメになって……で、あの騒ぎよ。 君が飛び込んできたのはそんな最中だったわけ」 「そっか……」 アズサの言葉を聞いて、アカツキはようやっと合点が行った。 すべての元凶はアリウスだったのだ。 気づけば視線がアリウスに向けられていた。 「キキッ?」 ――オレ、何かしたっけ? なんて言いたげに首など傾げてみせるが、おどけているのが丸分かりだった。 「アーリーウースー? ぜ〜んぶおまえが悪いんか〜っ!!」 アカツキは声を荒げると、逃げ回るアリウスを追いかけて部屋中を駆けずり回った。 人間とポケモンの脚力は如何ともしがたい差があり、いくら頑張ってもアリウスに追いつくことはできなかった。 「こらーっ!! お仕置きしてやるーっ!!」 ミライにスケベ呼ばわりされたのも、アリウスがわざとこの部屋で騒ぎを起こし、アカツキを呼び寄せたからだ。 そこまで計算していたに違いない。 そう思うと、やるせないやら悲しいやら虚しいやら……どうにもならない気持ちになってくる。 アカツキがそう行った雰囲気を発しているのを悟り、ネイトはトレーナーに協力して、アリウスを追い詰めた。 「キキッ?」 部屋の角に追い込まれたアリウスは、そこで初めて焦りをにじませた。 アカツキが本気で怒っているのを目の当たりにしたからだ。 それでも、反省はしない!! 元からイタズラが大好きなポケモンである。ちょっとくらい怒られたからと言って、すぐには反省しないのだ。 エイパムたちのリーダーゆえ、強いところを見せなければならなかったという境遇も災いしたのだろう。 「んっふっふっふ……アリウス、もう逃げられないぞ?」 アカツキは勝ち誇った笑みを浮かべ、言葉をかけた。 「ブイブイっ」 そうだそうだと、ネイトも眼差しを尖らせる。 「…………」 これをどう切り抜けようか……アリウスは謝るどころか、そんなことさえ考えていた。 周囲の雰囲気を理解しないというか、イタズラ好きにも程があるというか。 実に困った性格だが、これがアリウスの長所でもあるのだから、一概に責めることはできないだろう。 ……と、じわりじわりと包囲の輪を狭めていくと、 「ねえ、アカツキ?」 「……?」 ミライに声をかけられ、アカツキの意識が彼女に向いた。 思わず顔を向けたその隙に、アリウスがアカツキの頭に飛びついた。 「うわっ!! こら、卑怯だぞ!!」 アカツキはジタバタするが、アリウスはアカツキの身体を器用に這い回り、捕まらない。 「ブ、ブイッ……!?」 アカツキに密着している状態では、ネイトも手を出せない。 どうしたらいいものかと思案するネイトだったが、アカツキはくすぐったさに笑うしかなかった。 「あ、あっはははははっ!! ちょっと、アリウス、くすぐったいって!!」 笑い転げていると、ミライが鋭い眼差しを向けてきた。 殺気すらこもっているように感じられて、アカツキは動きを止めた。くすぐったさよりも、彼女の視線の方が高い威力を誇っていたのだ。 「見たわね? わたしの……その、ハダカ」 「…………す、少しだけ」 彼女の雰囲気に気圧されながらも、アカツキは答えた。 見えなかったとウソをついてもダメだと思ったので、正直に答えたのだが…… 「そう……」 ミライの反応は、意外と穏やかなものだった。 てっきり、再び備品攻撃を受けるか、エイパムたちのスピードスター総攻撃を食らうとばかり思っていたのだが…… これには拍子抜けさえしたが、同時にアカツキは安心した。 やはり、正直者は救われるのだ。 「見たのね……」 「う、うん……」 「…………」 「…………」 目と目が合う。 ここで目を逸らしたら、それこそ集中砲火を受けそうで、じっと相手の目を見つめるしかない。 一秒、また一秒と時間だけが過ぎていく。 沈黙が室内を埋め尽くす。 アズサでさえ、固唾を呑んで推移を見守っているほどだ。迂闊には手を出せないと思っているのだろう。 「アカツキは見ようと思って見たワケじゃないもんね」 「もちろん!! だいたい、部屋に入ったらいきなりってのはないだろ……」 「アリウスを放っておくなんて、そっちの方が問題よ!! そのせいでハダカなんて見られちゃったんだもん……もう!! 今度から首輪でもつけてちゃんと管理してよね!!」 「ええっ……!?」 アカツキの心情に理解を示してくれたかと思いきや、ミライは無茶な要求を突きつけてきた。 さすがにこれはアカツキとしても聞き入れられるものではなかった。 アリウスを取り逃がしてしまったのは確かだが、だからといって首輪をつけて犬みたいに繋いでおけというのは無理な相談である。 「いや、ちょっといくらなんでもそれ無理……」 ポケモンの面倒を責任持って見るのは確かにトレーナーの使命だが、だからといって首輪というのは無理だ。 そこのところを知ってか知らずか、ミライはさらに深く要求を突きつけてくる。 「じゃあ、エイパムたちのスピードスターとかダブルアタックとか食らいたい?」 「う……それもちょっと……」 「だったらアリウスの面倒ちゃんと見てよ。 アカツキができないんだったら、わたしが首輪つけてあげるから」 ミライがじりっ、とにじり寄ってくる。 合わせるようにアカツキは後ずさりしたが、彼女の言葉には勇気を持って反論した。 「そ、それはダメだっ!! そんなことできるわけないじゃん!! ポケモンは犬じゃないんだぞ!?」 スピードスターやダブルアタックを食らうことになろうと、アリウスを首輪でつないでおくことなど言語道断というもの。 アカツキは断固反対したが、ミライは不気味とも思えるような雰囲気を撒き散らしながら迫ってくる。 「う、なんかミライのヤツ、ヤバくねえ?」 こんな彼女は見たことがないが、だからこそ危険だということが分かる。 普段穏やかな人ほど、怒ったりすると怖いものなのだ。 やがてアカツキは壁際に追い込まれた。 後ろに下がろうにも、壁が背中に当たっていて、下がれない。 「…………」 「ねえ、いいでしょ〜?」 ミライの顔が、アカツキの鼻先に迫る。 「何が何でもダメ!! ダメったらダメだ!! スピードスターとかダブルアタックとか、オレはいくら食らったっていいから!! だから、アリウスだけは……」 アカツキが必死の形相で弁明するのを見て、不意にミライの表情が緩んだ。 「?」 「あっははははっ!! もう、ヤダ〜っ!! アカツキってば本気にしちゃって……!! 冗談よ、冗談!!」 「へ?」 いきなり声を立てて笑い出したものだから、何がなんだか分からない。 「ほらね、成功したでしょ? ポケモンを引き合いに出せば、この子はすぐに飛びついて来るんだから……」 「うん!! 大成功だねっ!!」 「えっと……?」 ミライとアズサが顔を見合わせてニコニコし始めたものだから、アカツキはすっかり置いてきぼりを食らっていた。 「なにが、どーなってんの?」 アカツキは身体の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。 今まで必死になって、アリウスのために主張していたことは何だったのか。 半ば放心状態になっていると、ミライは膝を屈めた。 「ごめんね、アカツキ。 ちょっとからかいたくなっちゃって……でも、やっぱりアカツキはポケモンのこと、ホントによく考えてるんだね。 なんだかちょっと安心しちゃったよ」 「ど、どうなってんだ? さっきのあの雰囲気は?」 「嫌よね、もう。あれ、演技よ」 「その割にはずいぶん怖かったけど」 「そうしなきゃ迫力なくて楽しくないでしょう?」 「あのなあ……」 なんてことはない。 アカツキはアズサとミライの二人に上手いこと担がれてしまったのだ。 アカツキが部屋から退出した直後、アズサはミライに話を持ちかけていた。 ちょうどアリウスがイタズラをしてくれたということで、本気になって怒ってアカツキをからかってみよう、と。 普通に話をするだけではバレてしまうからと、ミライは話を聞きながら断続的に備品を扉に投げつけていたというわけだ。 フタを開ければ大したことのないトリックだが、まんまと一杯食わされた。 「な〜んだ、もう……ビックリさせるなよぉ……」 結局、必死になったのは無意味だったのだ。 アズサにこんな高尚な趣味があったことは意外だった。 「でも、本当にごめんね」 ミライは優しく微笑みかけながら、アカツキに謝った。 悪いと思いつつ、からかってみたくなったのだ。 「もう!! ミライもアズサさんもひどいよ!! オレをからかってそんなに楽しいのかよ!!」 アカツキは声を張り上げた。 無邪気なイタズラと思われることかもしれない。 だけど、アカツキにとっては背筋が凍る……どころか、生死すらかかっているようにさえ思えてならなかったのだ。 これをすぐに忘れることなどできるはずもない。 思わず涙ぐむアカツキに笑みを向けるアズサの表情に、反省の色はなかった。 それどころか、純真な男の子をからかって楽しいと言わんばかりに、見せ付けるような笑みを浮かべて、こんなことまで言った。 「嫌ですわね、もう。ちょっとしたイタズラじゃないですか。 君も近所の友達とかに同じようなことをしたことあるんじゃないですか? それと同じですよ」 「同じ、ぢゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 さすがにこれにはアカツキの堪忍袋の緒が切れた。 とにかく全身の力を余すことなく使って叫ぶと、ネイトとアリウスに力いっぱい暴れるよう指示を出した。 途端、ミライとアズサが泊まることになった部屋は戦場と化した。 ポケモンの技が乱れ飛び、アカツキとアズサのポケモンによるバトルロイヤルが始まった。 尋常ではない騒ぎを聞きつけて、部屋の外には人だかりができたが、誰一人として中を確かめようとする者はいなかった。 その中にはトウヤとカナタの姿もあったが、彼らも『触らぬ神に祟りなし』と決め込んで、扉を開こうとはしなかった。 砂漠にポツンと佇むポケモンセンターで始まった騒動は、ジョーイの登場によってあっという間に終息した。 言うまでもなく、騒動の張本人であるアカツキ、アズサ、ミライの三人は、 耳にタコができても余りあるほどのきついお説教をジョーイから賜ることになった。 To Be Continued...