シャイニング・ブレイブ 第11章 月下の精霊 -Dragon of Desert-(後編) Side 3 騒ぎが収まり、ほとぼりが醒めた頃。 ちょうど空が茜色に染まり始めた時だった。 アカツキは部屋を抜け出して、ロビーに隣接する食堂へと向かった。 トウヤとカナタはもう少しゆっくりしてから夕食を摂るということだったので、アカツキは一人で部屋を出てきた。 途中でミライとアズサを誘おうかとも思ったのだが、彼女らの部屋の前で足を止め、 ノックしようと握り拳を扉に押し付ける寸前になって思いとどまった。 「やっぱ、無理だよなあ……あんだけのことしちまったんだ。会いづらいよな……」 ジョーイにこってりしぼられたのは、思った以上に堪えた。 アカツキ以上にマジメなミライとアズサに関しては、それこそ数時間は立ち直れないくらいのダメージになっていてもおかしくない。 それに、あれだけのことをやらかしたのだ。 お互い様の部分があるにしても、やはりすぐには会いづらい。 アカツキがそれほど引きずっていなくても、あの二人は、数刻は引きずり続けていそうな気がする。 明るくて陽気な少年にしてはずいぶんと慎重な判断だったが、結果的にはそれが幸いした。 夕食が終わってから…… 夜になってから、一度くらい話をしてみよう。 ミライが着替えをしている途中に部屋に入ってしまったのはアリウスのせいで、 不可抗力ではあるものの、それでも彼女がショックを受けたことには変わりない。 それからは逆に、本気で殺されるかと思うような目に遭ったが、過失は相殺といったところか。 「……今はうまいメシ食って、ヤなこと忘れよ〜っと!!」 いつまでも引きずっていたところで始まらないと、アカツキはすぐに気持ちを切り替えた。 「ふんふふ〜ん♪」 陽気に鼻歌など交えながら、腕を振って廊下を歩く。 エレベーターなど使わず、一段飛ばしで階段を駆け下りてロビーにたどり着くと、ミライとアズサが食堂に入っていくのが見えた。 「あれ? 先にメシ食うのかな……?」 もしかしたら、同じことを考えていたのかもしれない。 アカツキとは会いづらいからと、わざと時間をずらしたのだろうか。 「な〜んだ、結局考えてること同じじゃん。だったら大丈夫かな?」 ミライはともかく、アズサなら考えそうなことである。 結局は五十歩百歩。 考えていることは同じだと思うと、それだけでなんとなく救われたような気持ちになる。 向こうも会いづらいと感じているのなら、こちらから出向けばいい。 出向いて、先ほどの騒動について、一言でも謝ろう。それで話が少しでも先に進むのだったら、自分が少し泥をかぶってもいい。 アカツキはそういった潔さも持ち合わせていた。格闘道場で心身ともに鍛えた賜物だろう。 「よし、行くか。ネイト、出てこい!!」 アカツキはモンスターボールからネイトを出した。 「ブイっ♪」 ネイトは食事だということを理解しているらしく、出てくるなり尻尾を振ってニコニコと笑みを浮かべた。 「他のみんなは後で出すからな。それじゃ、行くぜネイト!!」 「ブイっ!!」 アカツキはネイトを引き連れて、食堂へと向かった。 夕食にはまだ早い時間帯だけあって、食堂は閑散としていた。 元々今日はポケモンセンターを訪れているトレーナーがあまり多くなくて、全員が集まったとしても、席は半分も埋まらなかっただろう。 差し込んでくる夕陽は鮮やかな橙色を呈し、夕暮れの一時……穏やかな雰囲気にマッチしていた。 窓の外を見てみれば、東の空には気の早い月が地平線の彼方から顔を覗かせている。 「なんか、早く行ってやれって言ってるように見えるよな」 半分だけ顔を出した月は、早く彼女らの元へ行ってやれと語りかけているように思えた。 思い込みだろうと何だろうと、アカツキにはどうでもいいことだった。 やると決めたからには、やるだけなのだ。 アカツキはバイキングの中からそれぞれのポケモンの好みに合ったポケモンフーズを一皿ずつ装い、最後に自身の夕食を装った。 ネイトは自分の分だけ持ってもらい、他はすべてアカツキが持った。 おかげで両手が塞がってしまったが、そんなに重いわけでもなく、大変と感じることもなかった。 ミライとアズサは、入り口からは見えにくい奥まった一画で食事を摂っていた。 やはり、アカツキに会いづらいと思っているのだろう。 やれやれ……と思いながら、アカツキは堂々と彼女らの前まで進んで行った。 「え? アカツキ……」 「あら……」 近づいてくる足音に気づいて、二人は食事の手を止めて顔を上げた。 明らかに困惑している二人に、アカツキはニコッと微笑みかけた。 「そこ、いい?」 ミライの隣が空いているのを見つけて、座っていいかと訊ねる。 「う、うん……」 「そっか。じゃ、お邪魔〜」 アカツキはニコニコしながら、腰を下ろした。 ポケモンフーズを手近な場所に置いて、他のポケモンもボールから出してやった。 リータ、ドラップ、ラシール、アリウスだ。 ドラップは気を利かせて、テーブルに上ることのできないリータの皿を彼女の足元に置いた。 あまり器用には見えない手先なのだが、実は繊細で細かな作業に向いている。 その器用さがバトルに活かされているのだから、無意味なスキルというわけでもないのだろう。 話しづらそうな顔をしているミライとアズサを置いてきぼりに、アカツキはすぐさま食事を始めたポケモンたちに微笑みかけた。 「みんな、焦らなくていいから、ゆっくり食べろよ。お代わりならいくらだってあるんだから。 ほら、アリウス。そうやって急ぐと喉に詰めちゃうぜ?」 先ほど思いきり暴れたせいで、空腹感がピークに達していたのだろう。 これでもかとばかりにかぶりつくアリウスが、早速ポケモンフーズを喉に詰まらせた。 アカツキは困ったように――だけど微笑ましいものでも見るように笑みを深め、アリウスの背中をさすった。 すぐに痞えが取れたらしく、アリウスは荒い息を繰り返しながら、呼吸を整えた。 さすがに二度も喉に詰まらせてはたまらないと、自然とペースが落ちる。 他のみんなは大丈夫だろうと思って一通り見回してから、アカツキはミライに顔を向けた。 「なあ、ミライ」 「な、なあに?」 「さっきのことなんだけどさ、知らなかったって言っても、ミライの着替え見ちゃったオレも悪いんだよな」 「え……?」 周囲に人がいないから、普通に話しても問題なかった。 だが、ここでいきなりそんな話を持ち出され、ミライは困惑を隠しきれなかった。 てっきり、無難に食事を済ませるだけかと思っていたのだが……さすがにそれでは話が先に進まないと気づいたのは、それからすぐだった。 「ごめんな。ミライはすっごく恥ずかしかったんだよな。 アリウスが割って入っちゃったから、余計混乱しちゃったんだけど……」 「え、あ……」 アカツキは謝ってくれた。 不可抗力とはいえ、見てしまったことは事実。 それを潔く認めて、躊躇うことなく頭を下げてくれた。 普通の男の子なら、意地を張って謝ろうとしないのだろう。 鍵もかけず無防備に着替えなどしている方が悪いと言い放つに違いない。 だが、アカツキはミライにとって予想をことごとく裏切ってくれる男の子だった。 なんとも言いがたい蟠りがあったミライとアズサだったが、アカツキが素直に謝ったのを見て、 「なんか、つまんないことで蟠り作っちゃったんだねえ……」 素直にそう思った。 子供は先入観を抱かない分、大人よりも素直に現実を認められるらしく、ミライはすぐに言葉を返した。 「わたしこそ、ごめんね。 アカツキが怒るかもしれないって、分かってたけど……それでも、からかってみたくなっちゃって。 アズサさんに言われたからってこともあるけど、それを言い訳にはしないわ。 だって、わたしがやるって決めたことだもん」 「…………」 何と言うことだろう。 てっきり、自分を引き合いに出して言い訳をするとばかり思っていたのだが、アカツキの潔さに感化されたのだろうか。 アズサが目を丸くしていると、ミライはさらに続けた。 「でもね、アカツキはやっぱりアカツキなんだって思って安心したよ。 アリウスのこと、本気になってかばったし……」 「そりゃあ、あの時はそうしなきゃって思ったからだよ。 だって、冗談でも首輪なんてつけられないもん」 「うん……」 子供同士は蟠りを解くのが早かった。 余計な先入観や腹の探りあいを知らないからこそ、事態を単純なものとして捉えることができる。 いわば子供の特権であろう。 「そうね……私たちも、ちゃんと見習わなきゃいけないわね。大人は子供の鑑であるべきだもの」 アズサは何をどう言い出せばいいものか分からずに戸惑っていたが、 目の前で子供二人が打ち解けているのを見て、考えるのがバカバカしく思えてきた。 思っていることを素直に話せばいい。 ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも時間がかかってしまうのだろう。 二人の話が一段落するのを待って、アズサは会話に入った。 「アカツキ君、ごめんなさいね。 ちょっとからかってみたくなったからやっちゃったんだけど…… でも、君がアリウスを守ろうとしてた気持ち、大切にしてあげてね。 ポケモンのこと、ちゃんと考えてあげられるのって、すごく大切なことだと思うから」 「うん、もちろんだよ」 アカツキはニコッと微笑み、大きく頷いた。 あの時は、アリウスのことを考えるのに精一杯だった。自分はどうなってもいいから、アリウスだけは守らなければならないと思った。 出会って十日くらいしか経っていないポケモンでも、大切な仲間の一員なのだ。 一緒にいる時間で比べて、分け隔てなんてしない。 「じゃ、さっきの話はこれでオシマイ。それでいいよな?」 「ええ、君が望むのなら、私はそれでいいわ」 「そっか。じゃ、オシマイ」 嫌なことはこれで終わらせるというわけでもなさそうである。 嫌なことは嫌なこととして認めた上で、誤解が解けたのだから先へ進もうと言っているのだ。 そこまで深く考えていないにしても、子供とは思えないほど気が利く。 「もしかしたら、大物になるのかもね」 アズサは柄にもなくそんなことを思ったが、それは彼女もまたアカツキに触発されたからに他ならない。 今まで見てきた子供の中で、アカツキと同じようなタイプの子供はいなかった。 だから、余計に注目してしまうのだろう。 「まあ、いいんだけど……」 たまにはそういうのも悪くない。 彼女は自身のことをマジメだなんてこれっぽっちも思ってはいない。 堅物かもしれないとは思うが、それは四天王としての責務を考えればやむを得ないこと。 本当はちょっとイタズラが好きで、だけど普段はおとなしくてマジメな女性だ。 「ねえ、アカツキ」 「ん?」 食事と共に、アカツキとミライは会話を進めていた。 「ディザースジムのジムリーダーってどんなポケモン使うんだろうね?」 「さあ……砂漠の中だから、地面タイプとか使ってきたりしてな。 でも、どんなヤツが相手だってオレたちは絶対に勝つんだ!!」 「うん、そうだよね」 あと数日したら戦うことになる相手……ディザースジムのジムリーダーだ。 ジムリーダーはいずれも普通のトレーナーとは一線を画す存在。 どんなタイプのポケモンを操り、どんな戦略を練っているのか……? それは戦うまで分からないが、だからこそ全力でぶつからなければならない。 一緒に旅をするようになってから今までの、一ヶ月弱という短い時間。 ミライの目から見て、アカツキはまったく変わっていなかった。 悪い意味ではなく、いい意味で。 いろんな事実に直面してきたけれど、アカツキ『らしさ』がまるで失われていない。 常に自分らしさを抱き続けていなければ、とてもではないが乗り切れなかっただろう。 焼き魚の骨を取って、身をほぐすアカツキに笑みを向け、ミライはこんなことを言った。 「そういえば、アズサさんはジムリーダーのこと、全員知ってるんでしょう?」 「そうだけど、どうかした?」 当然だとばかりに、アズサは首肯した。 四天王はチャンピオンを補佐するための役職だが、もちろん業務はそれだけに留まらない。 各地に赴いて講演を開いたり、チャンピオンから密命を言い付かって、それを粛々とこなしたり…… 少なくとも、肩書きから想像するような華々しさはない。 それでも四天王はジムリーダーの上に位置している。各地のジムを任せている凄腕のトレーナーのことは把握している。 「ディザースジムのジムリーダーって言ったら、あのやんちゃ坊主ね……今頃どうしてるのやら」 アズサはディザースジムのジムリーダーの顔を脳裏に思い浮かべた。 手の焼ける男だが、バトルの腕は確かだ。 今頃、暇を持て余して変にジムを改造していたりしなければいいが。 手のかかる子供ほど可愛いとはよく言うもので、アズサはディザースジムのジムリーダーにそれなりに好感を抱いていた。 そんな彼女の表情を見て取って、 「アカツキ、ジムリーダーのこと気にならない? アズサさんなら知ってるから、いろいろと聞いとこうよ」 「ああ、そういうことね……」 ミライの言葉に、アズサは落胆を隠そうともせず、額を手で覆いながら深々とため息をついた。 自分からジムリーダーがどんなタイプのポケモンを使うのか、情報を得ようとしていたわけだ。 それも、直接戦うことになるアカツキではなく、オブザーバーであるミライが。 「なんか、話が違うわね……おとなしい娘(コ)だって聞いたんだけど」 こんなことを人目も憚らずに堂々と訊ねるとは、肝が据わっているというか、なんというか…… これには呆れていいのか、それとも感心していいのか。 よく分からなくて黙りこくっていると、アカツキが口を開いた。 「んー、別にどーでもいいや。 どうせ戦うことにはなるんだし、戦う時になったらどんなタイプ使ってくるのかだって分かるし。 無理に今考えるのって、損しそうでイヤなんだよな」 「な〜んだ……つまんないの」 アカツキの言葉に、アズサはホッと胸を撫で下ろした。 対象的に、ミライは不満げに頬を膨らませて口を尖らせた。 「それにさあ……」 ミライが不満げにしているのを見て、アカツキは窓の外に目を向けた。 茜色は少しずつ夜の帳に取って代わられていく。 気のせいか、空に星が瞬いているようにも見える。 夕焼けに染まる砂漠は、どこか神秘的に映った。 昼間は灼熱地獄、夜間は氷点下と化す恐ろしい場所だが、 オレンジに染まる砂が風に吹かれて宙を舞う様は、言葉にできないような美しさがある。 「なんか、キレイだよな。外の景色」 「え?」 ミライは弾かれたように窓の外を見やった。 「あ……」 アカツキがキレイだと言って、どこか感慨深げな視線を向けるのも理解できるような気がした。 こんな形で砂漠を見るのは初めてだったが、なかなかどうして絵になっているではないか。 せっかくアズサからいろいろと聞き出そうと思ったのに、アカツキが台無しにしてしまった。 不満は景色の美しさに対する感動に取って代わられ、ミライの顔には笑みが浮かんだ。 「なあ、ミライ。後で少しだけ外に出ないか?」 「え、どうしたの、突然?」 思わぬ誘いにビックリして振り向くと、アカツキは満面の笑みを湛えていた。 本当に自分と一緒に外に出たいと思っているのが分かるような、屈託のない笑み。 ミライはなぜか、半年ばかり年下の少年の笑顔にドキリとした。 「うん。なんとなく」 「なんとなくって……」 驚いたのはむしろアズサの方だったが、ミライはせっかくの誘いということもあって、すぐに乗った。 「うん、いいよ」 「んじゃ、さっさとメシ食わなきゃな」 「そうね」 なにやらあっさりと話がまとまり、アカツキとミライはアズサが呆然としているのを余所に、すごい勢いで夕食を平らげた。 「い、一体何なの?」 意味が分からないが、二人の間では通じ合うものがあるようだ。 もっとも、ミライは先ほどの埋め合わせをしなければならないと思っていたし、外で暮れなずむ砂漠の景色を観るのもいいと思っていた。 アカツキの誘いは渡りに舟だったのだ。 だが、問題はアカツキが何を考えているかだが…… 実際、そんなに大したことは考えていなかった。 外で景色を観た方が面白いと思っただけ。 つくづく、人様の予想を裏切ってくれる少年である。 アズサを置いてきぼりに、アカツキとミライは夕食を早々に平らげると、 同じくポケモンフーズを食べ終えたポケモンたちを引き連れて食堂を飛び出していった。 「…………?」 本当に、何がなんだかよく分からない。 アカツキが言い残した、 「すぐに戻るから、心配しなくっていいからね」 という言葉も、半分は聞こえなかった。 Side 4 食堂を出たところで、アカツキたちはトウヤとカナタの二人とすれ違った。 「ん? どうしたん?」 アカツキとミライだけが出てきたのを見て、トウヤは訝しげに眉を寄せたが、アカツキはニコニコ笑顔を崩すことなく言った。 「うん、ちょっと外に出てくる。すぐに戻ってくるから、心配要らないから」 「おう、そんじゃ、気をつけや」 「分かってる!!」 トウヤの言葉を聞き入れるが早いか、アカツキはミライの手を取ってロビーを出て行った。 「…………? なんなんだ、あのノリは?」 「さあ……」 カナタは唖然としたが、トウヤにもよく分からなかった。 「いつものノリって言えばそうなんやけど……いつもよりも張り切っとるな。どうしたんやろ?」 これがアカツキらしさだが、今日はいつにも増してハジけている。 まあ、それはそれでいことだと思い、トウヤはカナタを連れて食堂へと入っていった。 一方、ポケモンセンターから外に出たアカツキたちだが、ウエストロードに出たところで足を止めた。 「わあ……」 「すっげえなあ……」 風に吹かれて宙を舞う砂。 暮れなずむ夕空に砂の粒子が映えて、何とも言えない美しさを醸し出している。 死の大地などと理不尽な呼び方をされることもある砂漠だが、花を咲かせたサボテンのように、美しさを見せる時もあるのだ。 厳しい場所だからこそ、垣間見る美しさもまた格別なのだろう。 「キレイだね……」 「うん。なんていうか、初めて見た」 「わたしも」 時折、砂が風に流されて吹き付けてくるが、あまり気にならなかった。 どうせ、風呂は戻ってから入るつもりだし、今はこの景色を堪能したい。 地平線の彼方に沈もうとしている夕陽に目をやり、アカツキは目を細めた。 旅に出てから何度となく見てきた夕陽だが、見る場所によって、趣きが違うのだろう。 気持ち一つで、同じ景色でも違って見える。 そんなことを思いながら、口を開いた。 「なあ、ミライ」 「なあに?」 「旅に出てからさ、こうやって二人でいるってこと、少なくなったよな」 「え……そ、そうだけど、どうしたのいきなり……?」 アカツキの口から飛び出した言葉に、ミライは振動がどくんっ、と強く脈打ったのを感じた。 夕陽を照り受けて、少し火照ったように見える頬がさらに赤みを帯びたのは、果たして…… もちろん、色恋の「い」の字も知らないようなアカツキには、ミライが想像しているような気持ちはなかった。 ただ、事実そう思っているから口にしただけだった。 頬を赤らめているミライを余所に、アカツキは続けた。 「あの時ミライに会えなかったら……今のオレはいなかったんじゃないかって、そう思ったんだよ」 「……そっか、リータにも、ドラップにも会えなかったかもしれなかったんだよね」 なるほど、そういうことか。 期待して損をした……などと思っていたわけではなく、むしろホッとしていた。 子供の手には余るような想像を、何気にしていたのだ。 だが、アカツキの言うとおりだった。 もし、フォレスの森でミライに会わなかったら、きっとトウヤやアズサ、カナタと出会うこともなかっただろう。 無数に存在する選択肢を一つずつ選び取っていくのが人生。 そのうち一つでも違えたなら、先行きはまったく違ったものになる。 ミライはいきなり後ろに飛び出して声をかけてきたリータに驚いてパニックに陥ってしまっていた。 彼女の悲鳴を聞きつけなければ、リータを仲間に加えることもなかっただろうし、 その後ミライの木の実採りに同行して、ドラップに出会い、戦いの末にゲットすることもなかった。 さらに言えば、ドラップを追いかけていたソフィア団や、ソフィア団と敵対しているフォース団の存在さえ知ることもなかったかもしれない。 そう考えると、今までの道のりがとても価値あるモノのように思えてくる。 辛いこともあったし、逃げ出したいと思うようなこともあった。 だけど、ネイトをはじめ、一緒にいてくれる人やポケモンがいたからこそ、頑張ってこられた。 今さらだが、そんなことを柄にもなく考えてしまったのだ。 「なんだかいろんなことがあったけど、みんなに出会えてなかったら、どうなってたんだろうなあ……?」 「アカツキ?」 今までを懐かしむような口調に何か感じて、ミライは振り向いた。 アカツキは彼女の視線を感じてか、はあ……と、わざとらしく大きくため息をついてみせた。 「んー、なんかオレっぽくないよな。 でも、オレだって、少しはそーゆーこと考えたりもするんだぜ?」 「……そうだね。ちょっとだけ、安心したよ」 アカツキ自身、自分らしくないことを考えているという自覚はあるつもりだ。 だが、それを考えずにはいられないほど、いろんなことがあった。 正直、ミライはホッとしていた。 アカツキはいつも明るく陽気で、一行のムードメーカーだ。 この旅のリーダーでもあるが、実質的にはトウヤがその役目を果たしているようなものだ。 でも、明るく陽気なだけの少年ではない。 辛いことに直面したことだってあるし、いつもいつでも陽気さを振り撒けるような状況ではなかった。 だから、安心できた。 アカツキも、泣いたり怒ったり、時には過去を振り返って感慨に耽ることがあるのだ。 この頃の彼は、少しだけ遠くに感じて、寂しかったのだが、そういうわけでもなかったらしい。 「でもさ、いろいろあったから、今のオレがあるんだよな。 そう考えるとさ、ドラップがソフィア団の連中に狙われてることだって、悪いことばっかじゃないって思えちゃうんだよ」 「……うん、ドラップが悪いわけじゃないもんね」 「そうそう」 アカツキとミライはどちらともなく顔を相手に向けて、小さく笑った。 ドラップと出会ったからこそ、ソフィア団に狙われてしまったのだが、それも悪くないと思えるのだから、本当に不思議だ。 もちろん、これからもドラップを守り抜くんだという決意に変わりはない。 ソフィア団がつぶれるまで、絶対にドラップを守り抜いてみせる。 沈みかけた夕陽に、アカツキは胸中で誓いを新たにした。 周囲の景色が少しずつ暗くなっていくのを見て、アカツキはミライに言った。 「なあ、少しだけ砂漠に入ってみないか? どーせ、風呂は戻ってからにするんだし」 「え……いいの? みんな、心配しないかな?」 ミライは抵抗があるようだったが、アカツキはにんまりと笑みを浮かべて、半ば強引に押し切った。 「大丈夫だって。そんな遠くに行くわけじゃないし。 ドラップやネイトたちがいるんだから、ちょっとくらいポケモンに襲われたって平気さ」 「うん、そうだね」 アカツキの笑顔を見ると、なぜだか気持ちが和む。 残念ながら、ミライは押し切られたなどという考えを抱かなかった。 アカツキがそう言うなら、少しくらいはいいか、という気持ちになったのだ。 「じゃ、行こうぜ」 「うんっ」 アカツキはミライの手を取り、砂漠へと向かって駆け出した。 砂に足を取られそうになる彼女を上手にエスコートして、砂の海が広がる大地へと足を踏み入れる。 そんなに遠くに行くわけではないから、わざわざトウヤたちに知らせる必要もないと思っていた。 それに、いざとなればラシールが空からポケモンセンターの位置を知らせてくれる。 アカツキは砂漠という場所を甘く見ていたし、ミライも大差なかった。 今はまだ涼しいが、陽が完全に沈めば、身を裂くような寒さが砂の大地を支配するのだ。 そんなこととは露知らず、アカツキとミライは夕焼けに染まった砂が風に乗って宙を舞う神秘的な情景に魅入られていた。 知らず知らずにポケモンセンターから一キロ近く離れたところまでやってきていた。 その頃にはすでに陽が沈み、夕空にも星のカーテンがかかり始めていた。 周囲には相変わらず砂の海が広がり、ところどころにはサボテンらしき植物が見えた。 「なんだか、遠くまで来ちゃったね」 「そうだな。でも、これくらいたまにはいいんじゃねえの?」 「うん、そうだよね」 少し遠くまで来てしまったが、たまにはこういうピクニック気分でいるのも悪くない。 いつもいつでも張り詰めたままだと、いざという時に何もできなくなってしまうものだ。 開放的な気分を満喫するために、アカツキとミライはそれぞれのポケモンを外に出すことにした。 「みんな、出てこい!!」 「出ておいで!!」 モンスターボールを投げ放つと、十一体のポケモンが競うように我先にと飛び出してきた。 「ブイっ!!」 「キキッ!!」 「ベイ……」 ポケモンたちは外の空気を思い切り吸い込んだが、出てきたと思ったら見渡す限り砂漠が広がっているのを見て、戸惑いを隠せなかった。 「ブイ?」 どうしてこんなトコにいるんだ? ネイトはアカツキを見上げて嘶いたが、アカツキはニコッと微笑みかけた。 「うん。たまにはこういうトコに来てみようと思ってさ。 なんか、いい景色だろ?」 「ブイ……ブ〜イ」 アカツキの言葉に、言われてみれば……と、改めて周囲を見渡すネイト。 見渡す限り、砂、砂、砂……!! たまにサボテンが見えるが、せいぜいその程度だろう。 それでも、緑あふれる景色ばかり見て旅してきたのだから、たまにはこういうのもアリだろうと思う。 良くも悪くも、ネイトはトレーナーであるアカツキによく似ていた。 すぐにノリノリになって、尻尾をクルクル回したり、水鉄砲を空に向かってぶっ放したり…… 一方、イタズラ大好きなアリウスと五体のエイパムが忙しなく周囲を走り回っている。 ドラップとリータ、ラシールは落ち着いて周囲を見ているが、少なくともこの場所に来て嫌だと思っているわけではなさそうだ。 普通に生活していれば、砂漠に足を踏み入れるようなことなどほとんどないからだ。 「なんだか、寂しいなあ……こんなに広いのに、なんにもないなんて」 ミライは一人、砂漠の殺風景な景色に寂しさを覚えていた。 ネイトが水鉄砲で水たまりを作り出し、みんなして砂に水を絡めて泥のボールを作っていることなど、知らん顔で。 やがて泥のボールが何十個と出来上がると、 「それーっ!!」 アカツキが腕を振りかぶり、アリウス目がけて泥のボールを投げ放った。 ドッジボールならぬ泥んこボールで遊ぼうということらしい。 そこのところはアカツキが総指揮を執って、あっという間に決まった。 さすがに、ポケモンの気持ちを理解する能力に長けているだけのことはあるが、どこかセコイような気がするのは気のせいか。 瞬く間に泥のボールが入り乱れ、ハッと我に返ったミライはその場を一歩も動けなくなっていた。 泥のボールが飛び交い、少しでも動けば漏れなく顔面泥パックの出来上がり。 美には興味のあるミライも、思いきり投げつけられた泥のボールで泥パックはしたくなかった。 「……これって……?」 アカツキたちが楽しそうに遊んでいるのは分かる。 泥のボールや水鉄砲が飛び交い、何もない砂漠は戦場と化した。 アカツキが投げたボールはアリウスに容易く避わされ、舌打ちしたかと思ったら、 斜め前からエイパムが投げたボールがアカツキの顔面を直撃する。 「わっ!!」 泥が鼻先で乾いた音を立てて弾ける。 前面から加えられた強い衝撃に、アカツキは小さく悲鳴を上げて、仰向けに倒れた。 「うーん……」 とっさに目を閉じたから、泥が目に入るようなことはなかったが、ポケモンが全力で投げつけてきた泥のボールはかなり痛い。 それでも笑っていられたのは、アカツキが格闘道場で心身ともに鍛えていたからだろう。 普通の男の子なら、今の一撃で確実に泣きべそをかいている。 それほどの衝撃を食らっても、アカツキはすぐに立ち上がり、ネイトが作り置きしておいてくれた泥のボールをガンガン投げ放った。 そのうちの何発かがエイパムたちに命中し、エイパムたちも負けじと投げ返す。 さすがに何度も同じ手は食うかと、アカツキは砂に足を取られながらも、軽いフットワークで避わしてみせる。 「…………」 ミライはアカツキたちの過激なお遊戯(オイタ)を困惑しきった表情で見ているしかなかった。 少しでも動けば、何かしらの言葉をかければ、泥のボールが飛んできそうだ。 さすがに、泥のボールを顔面に食らってまで止めるような度胸はない。 アカツキだけでなく、ポケモンたちも泥に塗れていたが、気にすることなく過激なお遊戯を続けている。 それだけ楽しいと思っているのだろうが、いくらなんでもやりすぎではなかろうか。 かれこれ五分ほど経った頃、ミライは勇気を持って止めようと思い立った。 と、その時。 「……!?」 エイパムが投げたボールが、ミライの顔で弾けた。 「きゃっ!!」 ボールが直撃した勢いに耐え切れず、彼女はその場で転倒した。 「あ、ミライ!!」 文字通りの泥仕合は、一旦終わった。 アカツキが心配そうな顔をして、彼女に駆け寄ったからだ。 ミライに泥のボールをぶつけてしまったエイパムも同じように駆け寄ったが、 さすがにブリーダーにボールをぶつけてしまったということに罪悪感を抱いているのか、表情はとても暗く沈んでいた。 「大丈夫か……?」 アカツキはミライの顔についた泥を払いながら、彼女をゆっくりと起こした。 「エイパム。オレならいいけど、ミライにそんな勢いでぶつけちゃダメだって」 「キィッ……」 さすがに、女の子の顔面に泥ボールをぶつけるのはまずかろう。 アカツキの言葉に、エイパムは身を縮めてしまった。 「キキ〜ッ」 そこにアリウスが割って入った。 悪気があったわけじゃないんだから、許してやってくれよう。 アカツキには、アリウスがそんな風に言っているように聞こえた。 まあ、確かに悪気があったわけではないのだろう。 ただ、それでもつけるべきケジメというものはある。 「エイパム、一言でいいからミライに謝った方がいいぞ」 「……いいわよ」 「え?」 アカツキがエイパムに教え込むように言うと、当のミライがその必要はないと言った。 しかし、その声音はどこかいつもの彼女と違っていて、アカツキは驚いて振り向いたが…… 「あう……」 ……そこには魔王が立っていた。 泥の水分で顔の半分ほどを茶色く染めたミライは、据わりまくった目で、泥のボールをぶつけてくれたエイパムを睨みつけていた。 「キキッ……」 さすがにこれにはエイパムも怯え、アリウスの背中に隠れてしまった。 恐る恐る、時々顔を覗かせては、ミライのむき出しの犬歯を見て、すぐに顔を引っ込める。 悪さをして、お母さんに叱られないかどうか怯えている子供のようで、アカツキはなんとなくエイパムを不憫に思った。 それでも、口には出せない。 先ほどの演技とは比べ物にならないような圧倒的な雰囲気が、ミライの背中から立ち昇っているように感じられたからだ。 何事にも敏感なアカツキには、ミライの恐ろしさがポケモンたち以上によく理解できていた。 ミライはエイパムを睨みつけたまま、手をアカツキに差し出した。 「?」 何をするつもりなのか分からず、差し出された手と、彼女の顔を交互に見やった。 その蒙昧な態度に痺れを切らしたのか、ミライがポツリと漏らした。 「アカツキ。泥のボール、ちょうだい」 「え……?」 「いいから、さっさとちょうだい」 「あ、うん。分かったよ……」 一瞬、意味が分からなかった。 だが、アカツキは言われたとおり、泥のボールを差し出された彼女の手に置いた。 そして……何をするつもりか、理解できた。 今まで思うように動けなかった分、ここでウサを存分に晴らそうとしているのだ。 いくらエイパムのことを不憫に思っているとはいえ、ここで余計な口を挟もうものなら、泥のボールが飛んでくるのだ。 アカツキが背筋を震わせていると、ミライはエイパムにニコッと微笑みかけたが、柔和な笑みであるはずがなかった。 微妙に引きつった笑みは、彼女の可愛らしい顔立ちに反して、般若の面のようにすら見えた。 いつ彼女が動くのかと、ビクビクするアカツキ。 普段の彼女と明らかに違っている。 おとなしい人ほど怒ると怖いと言われているとおり、おとなしいミライに一旦火がついてしまうと、本当にどうなるか分からないのだ。 ミライは泥のボールを持つ手に力を込めると、 「あんたはわたしになんでボールなんて投げんのよ!! わたしにもやらせなさいようりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「こ、怖ぇ……」 アカツキがボソリつぶやくことなどなんのその、文字通りの剛速球をエイパム目がけて投げ放った!! 彼女の雰囲気に圧倒されていたエイパムはその場を動くことができず、アリウスにしがみついたままだった。 「キキッ、キキキキッ!!」 いい加減に離れろ、おい!! これでもかと言わんばかりの殺気が込められた剛速球が目前に迫っているアリウスは気が気でなかった。 なんとしてもエイパムを引き離して逃げたかったのだが、エイパムの力は思いのほか強く、 必死の抵抗も虚しくアリウスの顔面に泥のボールが炸裂した。 「あーっ、アリウス!!」 いくらなんでもこれは因果応報も割に合うまいと、アカツキが思わず声を上げる。 だが、ミライはエイパムがアリウスを盾にしたことに激怒。 次々とポケモンたちから泥のボールを奪い取ると、エイパム目がけて投げ放つ。 エイパムはアリウスの傍にいてはいけないと本能的に察してか、すぐに逃げ出したが、無防備なその背中に泥のボールが次々と炸裂する。 たまらず砂漠に突っ伏すエイパム。 アカツキをはじめ、誰もミライの手を止めることはできなかった。 それくらい、圧倒的な雰囲気を放って皆をその場に縫いとめていたからだ。 だが、当然終わりはやってくる。 夜の帳が降りて、早くも夜空には月が煌々と白く輝き始める。 オレンジに染まっていた砂漠も、白亜の海のごとく白く染まり始めた。 「あっはははっ!! どうっ!? わたしに泥のボールなんて投げるからこうなるのよ!! これに懲りたら、こんな過激な遊びはしないこと!! アカツキ、いいわね!?」 「お、おう……」 ミライはエイパムに泥のボールをぶつけたことで気が晴れたらしく、高笑いなどしながらアカツキに注意した。 泥のボールを投げ合って遊ぶという過激なお遊戯を始めたきっかけを作ったアカツキを注意しておけば大丈夫だろう…… そう思っているようだ。 「ふう……」 普段とは比べ物にならない勢いで動いたせいか、ここで疲れがドッと出てきた。 ミライは深いため息をつくと、その場に座り込んでしまった。 今なら大丈夫と思って、他のエイパムたちがボールを受けて倒れた仲間の元に駆け寄る。 「キキッ?」 「キーっ……」 「キキッ……」 「…………」 エイパムたちが交わす、どこか弱々しい会話に耳を傾け、アカツキは絶句した。 「お、おまえら……」 アリウスと組んで、イタズラと狼藉の日々を過ごしていた面影が、まるで見られなかった。 これでは、ガキ大将の強さに屈したイジメられっ子ではないか。 アカツキがそう思ってしまうのも、無理はなかった。 エイパムたちの会話を要約すると、こんな感じになる。 ――大丈夫か、おい? ――大丈夫じゃないよ、もう。マッドショット何十発も食らったような感じだって。 ――もう姐さんを怒らせるの止めとこうぜ。次はどうなるか分かったモンじゃねえ。 完全にミライの支配化に置かれたようなものだった。 あまりに下手な会話に、アリウスまで呆然としていた。 まさかこんな展開になるとは思いもしなかった。顔に付着した泥を拭うことも忘れ、目をパチクリさせている。 しかし、先ほどのように恐ろしい雰囲気はなく、アカツキのポケモンたちはホッと一安心した。 「ミライ、大丈夫か?」 いつまでもエイパムたちの怯えっぷりを見ていても仕方がないので、アカツキはその場に屈みこみ、ミライに声をかけた。 これで少しは気が晴れただろうし、エイパムたちも怒りまくった彼女に恐れをなして、イタズラをするようなこともないはずだ。 「疲れたわ……わたし、今まで何をしてたのかしら」 「……覚えてねえのか?」 「……うん」 「…………」 ミライはエイパムにしたことを忘れていた。 もちろん、怒りまくって泥のボールを投げまくっていたことさえ、完全に記憶になかったのである。 一時的に記憶が飛んでいたのか、覚えているのは泥のボールをぶつけられたところまでらしい。 気がついたらなぜだか疲れていて、座り込んでしまった。 ミライの言葉は信じがたいものだったが、今さらあの恐ろしさを蒸し返すだけ嫌だったので、アカツキは多くを語らなかった。 心なしか、エイパムたちの『これ以上思い出させないで』と懇願するような眼差しを受けたような気がしたのも理由の一つだった。 「なんだか、陽も暮れちゃって……そろそろ戻ろうよ、アカツキ」 ――何をしたのか覚えていないのなら、無理に思い出させる必要はない。 それがこの場にいる全員の総意だった。 無言の同意というか、これはもはや阿吽の呼吸でしかない。 魔王と化したミライを忘れるべく、アカツキは頭を振って気持ちを切り替えたが、さすがに余韻まですぐに消し去るのは無理だった。 それでも、忘れようとしなければ忘れられないものである。 無理やり意識しながら、ミライと話す。 「そうだな。ちょっとだけ出かけるつもりだったけど、こんなに遅くなっちゃったら、みんな心配するかもしれないな。 ……立てる?」 「うん、なんとか……」 座って少し休んで体力が回復したのか、ミライはアカツキの手を借りて、なんとか立ち上がった。 まあ、あれだけ激しく動き回れば、運動神経がお世辞にも優れているとは言えない身体では疲れが溜まってしまうだろう。 「よし、それじゃあ戻ろうぜ。みんな、戻……あれ?」 アカツキはポケモンたちをモンスターボールに戻そうとしたが、周囲の景色が先ほどと違うことに気づいて動きを止めた。 「…………どうしたの、アカツキ?」 「いや……なんか、さっきと景色が違うなあって思って」 怪訝そうに首を傾げるミライだが、アカツキが何を言っているのか理解できないようだった。 「夜になったからじゃない?」 「そういうんじゃなくってさ……」 アカツキは改めて周囲の景色を見渡して、ポツリと一言。 「サボテンの数、増えてねえ?」 「えっ?」 言われてみて初めて、ミライも合点が行った。 ミライだけでなく、他のポケモンたちも同じだった。 先ほどまで遠くにサボテンが一つか二つしか見えなかったのに、どういうわけか今は近くに二十くらい見えるではないか。 しかも、形がおかしい。 なぜかカサのようなものをかぶっているように見えるし、その下には目のようなものも見えたりする。 「あれ? なにか違うわよね?」 「ああ……」 ミライの言葉に、アカツキは頷きかけて――はたと気づく。 「……って、こいつらサボテンじゃねえ!! ノクタスだっ!!」 先ほどポケモンセンター地下の学習室で調べていたポケモンの一体だ。 成長したサボテンのような外観を持つポケモン……ノクタス。 砂漠に棲息し、昼間歩き通しで疲れた旅人を、夜になってから襲うというポケモンだ。 アカツキたちに気づかれたと知るや、サボテン――ノクタスたちが一斉に襲い掛かってきた。 後になって知ったことだが、ノクタスたちはアカツキたちがああでもないこうでもないと騒いでいるのを聞きつけてやってきたのだ。 もちろん、襲うために。 ポケモンと人間では『襲う』という意味がまるで違う。 人間は生きる上で不必要なことでも相手を襲うが、ポケモンは不必要な理由で襲ったりはしない。 自らの命を繋ぎとめるために襲うのだ。 無論、相手を食糧とするために。 ノクタスたちが全方位から輪を縮めるように迫り来るのを見て、アカツキはポケモンたちに指示を出した。 「みんな、散らばって戦うんだ!! ラシールは空からエアカッターでみんなの援護を頼む!!」 「エイパムたちも、スピードスターでアカツキのポケモンを援護して!!」 ミライも負けじと指示を出す。 しかし、すぐ傍までやってこられたのに気づけなかったという精神的な衝撃を受けて、ポケモンたちの動きは今一つ鋭さを欠いていた。 あっさりとノクタスたちの接近を許してしまう。 「ブイっ!!」 「ごぉぉっ!!」 「ベイっ!!」 「キキッ、キ〜ッ!!」 ネイトがスピードスターを放ったかと思えば、ドラップがアイアンテールで周囲の砂を薙ぎ払って目晦ましを放つ。 反対側ではリータが葉っぱカッターを連発し、アリウスがスピードスターで広範囲に攻撃を仕掛ける。 それでも、数の差は如何ともしがたいものがあった。 ポケモンたちの防衛線を突破したノクタスたちの数体が、アカツキとミライに狙いを定めてきた。 「げっ……」 人間の力でポケモンに対抗するのは厳しいが、それでもやらないわけにはいかない。 傍にいるのが兄アラタであれば、それほど心配する必要もないのだろうが、あいにくと、運動神経に優れているとは言えない少女である。 アカツキはリュックを放り投げると、格闘道場で叩き込まれた構えを取り、ノクタスたちを出迎える。 個々の能力では、自分たちのポケモンの方が上回っているはずだ。 それを証明するように、当初劣勢だったものの、ポケモン同士が連携を取って、一体、また一体と倒している。 少しの間、持ち堪えるだけでいい。 アカツキはそう思いながら、最も接近していたノクタスに狙いを定めた。 「ミライ、適当に走り回ってノクタスの気を逸らしてくれ。できるか?」 「うん、頑張る」 「よし、じゃあ、頼むぜ」 ミライにじっとされていたら、思うように動けない。 ダメ元で訊ねたが、ミライはできると言ってくれた。 ならば…… アカツキは思い切って動いた。 狙いを定めたノクタスの歩調を読み取ると、相手のペースを狂わせるようなリズムで迫り、ノクタスの腹を蹴りつけた。 「……!?」 襲おうと思っていた相手に逆に襲われるとは思っていなかったのか、ノクタスはアカツキの蹴りをまともに受けて仰向けに倒れた。 しかし、それを確認しているだけの時間はなかった。 アカツキよりもミライの方が襲いやすいと判断したノクタスたちが、彼女に殺到したからだ。 「ちっ……」 アカツキは舌打ちし、ミライに群がるノクタスたちを倒す順番を考えながら駆け出した。 「ここをこうやれば……」 身体を動かす方が得意なだけあって、考えるよりも先に手と足が出ていた。 「ミライに触るなっ!! 相手ならオレがいくらでもしてやるよっ!!」 次々にノクタスに蹴りや手刀、パンチを浴びせるが、さすがはポケモン。人間とは比べ物にならない体力の持ち主。 倒れたかと思ったらすぐに起き上がり、何事もなかったように襲いかかってくる。 その頃にはノクタスも半分ほどに減っていたが、ノクタスたちもあれこれ考えているらしく、 ポケモンたちの妨害をしながらアカツキとミライに群がってくる。 やがてミライはせっかく取り戻した体力を使い果たし、その場に座り込んでしまった。 できると思ってやったのだが、砂に足を取られ、思うように動けなかった。 そこを狙って、ノクタスの腕が妖しい動きを見せる。 「やばっ……!!」 腕をミライに向け、節々にある緑の突起がかすかな光を帯びた。 得意技、ニードルアームを発動する前兆だ。 「……!!」 動けないミライでは、ニードルアームをまともに食らうことになる。 ポケモンがポケモンの技を受けても死ぬようなことはそうないが、生身の人間となると話は変わってくる。 増してや、動けない少女が相手では、語ることさえ無意味である。 アカツキはノクタスの一体を追い込んでいたが、中断せざるを得なかった。 素早く飛び出し、ミライとノクタスの間に割って入る。 刹那、ノクタスの腕から人の小指ほどの太さの針が撃ち出される!! 草タイプの技、ニードルアームだ。 腕から繰り出した針で相手を貫く、攻撃力の高い技。 深緑に不気味に輝く針の一本が、アカツキの左腕を易々と刺し貫いた。 「くっ……!!」 肉を裂く痛みに、アカツキは顔をしかめ、その場にがくりと膝を突いた。 いくら格闘道場で鍛えていたからと言っても、ポケモンの技はケンカで食らうジャブやアッパーカットとは違うのだ。 「くぅ……痛ってぇ。 やっぱ、ポケモンの技は違うよなあ……」 痛くて泣きたくなるが、アカツキは右手に力を込めて、左腕を貫いていた針を強引に抜いて、正面に立っているノクタスに投げ返した。 「あ、アカツキ……」 ミライは声を震わせた。 自分が動けなかったばかりに、アカツキはノクタスを追い込むチャンスを捨ててまでかばったのだ。 その結果、ノクタスが放ったニードルアームの一本がアカツキの左腕を貫いてしまった。 幸い、他の針はアカツキの脇腹や肩を掠めて後方に飛んで行ったが…… 「アカツキ、大丈夫!?」 ミライはアカツキに駆け寄ろうとしたが、すぐ傍に二体のノクタスがいて、それもできなかった。 「ちくしょう……」 アカツキは投げ返した針を簡単に叩き落とし、悠然とした足取りで歩いてくるノクタスを睨みつけ、毒づいた。 ミライに他のノクタスが迫っていることは、場の空気からすぐに察することができる。 だが、動けない。 ここで動けば…… ノクタスがニードルアームを放った時、ミライに当たってしまう。 ネイトたちは大きなダメージを受けながらも他のノクタスたちを地に這わせたが、 今からアカツキとミライを襲おうとしているノクタスに攻撃を仕掛けようとしても、間に合うかどうか…… 「ブイっ、ブイブ〜イっ!!」 ネイトの悲痛な叫び声が響く。 刹那、アクアジェットを発動させるが、それを合図に、残ったノクタスたちがニードルアームを放つべく腕をそれぞれの標的に向ける。 「こんなトコに来なけりゃ……」 アカツキは自分の判断の甘さを呪うしかなかった。 砂漠にはポケモンが棲んでいる。 不用意に彼らのテリトリーに足を踏み入れてしまった自分たちが悪いのだ。 いや、せめてもう少し早く帰れたら、ノクタスたちに隙を見せることもなかっただろう。 今さら仮定の話を並べたところで、起こってしまった出来事を覆すことなどできはしない。 ノクタスたちがニードルアームを発動させようとした時だった。 周囲に一陣の風が巻き起こる。 「……?」 不穏な空気を感じてか、ノクタスたちの動きが止まる。 「……どうしたんだ?」 絶好の機会を逃すほど、ノクタスたちは甘くないはずである。 ……それが、なぜ? アカツキは左腕を押さえながら呆然としていたが、風は瞬く間に激しさを増し、周囲に竜巻を発生させた。 「うわっ!!」 「ミライっ!!」 アカツキは竜巻に巻き上げられそうになるミライに飛びかかり、その場に押し倒すと、 自身が上にまたがって、彼女が巻き上げられるのを防いだ。 彼女を守ることしか考えられなかったアカツキには分からなかったが、突然巻き起こった竜巻はノクタスたちを容易く巻き上げていく。 アカツキとミライのポケモンたちは、巻き込まれないよう遠くに避難するしかなかった。 「ブ〜イっ!!」 途中でアクアジェットを解除して避難したネイトが、声を上げる。 無事か、と言っているのがアカツキには分かったが、口を開くことなどできなかった。 目を固く閉じ、息さえ止めていなければ、全身を容赦なく叩く砂が入り込んでしまう。 「ミライを守らなきゃ……!!」 自分よりも弱い少女を守らなければ……いや、それ以前にアカツキにとってミライは大事な人の一人だった。 何がなんでも守らなければならないという強い意思に突き動かされ、全力を尽くすものの、さすがに息を止め続けるのは辛い。 「やべ……」 そろそろ息を止めるのも限界に達した頃、砂が身体を叩かなくなった。 竜巻が収まったと理解して目を開くと、そこにノクタスたちの姿はなかった。 竜巻に巻き上げられ、遠くに飛ばされてしまったのだ。 「……?」 アカツキはミライを押さえつけていた腕を退かすと、周囲を見渡した。 冷たいように思える月の白い輝きが目に入る。 白く染まった砂漠に、影が落ちているのが見えた。 振り仰ぐと、そこには立派な体躯のポケモンが月明かりを照り受けて浮遊していた。 「フライゴン……!?」 学習室で見た覚えのあるポケモン……ドラゴンと地面のタイプを併せ持つ、是非是非ゲットしたいと思っていたフライゴンだった。 「ブイっ!!」 「ごぉぉぉ!!」 と、遠くに避難していたネイトたちが駆け寄ってきた。 皆一様に心配そうな表情をしていたが、アカツキは痛む左腕を背中に隠すと、ニコッと微笑んでみせた。 痛いことは痛いが、我慢できないほどでもない。 「ブイっ、ブイブイっ!!」 特に心配していたのは、ネイトだ。 アカツキに詰め寄ると、激しく声を上げる。 ――痛いんだろ!? 無理するなよ!! そう言っているのが、それこそ痛いほど伝わってきたが、だからこそアカツキは強がるのをやめた。 左腕をそっと出す。 小指ほどの針が貫通したものの、腕の骨からわずかに逸れていた。 さすがに直視するのは躊躇われるが、応急処置でもしておけば、それほど深刻な状態にはならずに済むはずだ。 アカツキはリュックを手繰り寄せると、包帯と傷薬を取り出した。 慣れた手つきで傷口にスプレー式の傷薬を噴射する。 「あいたたた……」 さすがに傷口に沁みて、アカツキは顔をしかめたが、これくらいの痛みは我慢できる。 傷口に薬が浸透するからこそ痛いと感じるのだ。 薬を噴射した後、包帯で腕をぐるぐる巻きにして、傷口を隠す。 応急処置としてはそれくらいでいいだろう。ポケモンセンターに戻った後で、ジョーイに観てもらえばいい。 「…………」 ミライは一人で器用に傷の応急処置をするアカツキを見て、胸が痛んだ。 「あ、あの……」 一瞬とはいえ、ノクタスのニードルアームが貫いた傷口を見てしまった。 おとなしいと言っても、父譲りの責任感の強さを持つミライは、これが自分のせいで起きてしまった出来事だと思ってしまった。 「アカツキ、ごめんなさい…… 痛かったよね……? わたしが、転がってでも動いてたら……」 ミライは素直にアカツキに詫びた。 包帯を巻いた腕を振り回し、なんでもないようにポケモンたちにアピールしているが、本当はとても痛いに違いない。 想像するだけでも背筋が震え、鳥肌も立ってくる。 だが、アカツキは逆に困ったような顔を向けてくると、 「ミライのせいじゃないって」 思っていた通りの言葉で返してきた。 何があっても、アカツキはミライのせいだとは言わないだろう。それは分かりきっていた。 痛い想いをしても、自分に気を遣ってくれている…… その気遣いが、ミライには痛い。 アカツキが身体に傷を負ったなら、ミライは心に傷を負ったようなものだ。 普段ならうれしいと思えるささやかな気遣いも、今に限っては傷口に塩を塗るようなもの。 彼女が心を痛めているのを理解して、アカツキはこんなことを言った。 「ミライのことだから、たぶん自分のせいじゃないかって思っちゃうんだろうけど…… でもさあ、謝るくらいならありがとうって言ってくれない? その方がオレもスッキリするし、ミライを守って良かったって思えるんだよ。 ほら、そうやって謝られると、オレ、やっちゃいけないことやっちゃったのかな〜、なんて思っちゃうかもしれないから。 それ、いくらなんでも嫌だからさ」 「アカツキ……うん、ありがとう」 「うん」 本当に気を遣わせてばかりだ。 ミライは頭が上がらない気持ちになったが、だからこそ彼の言葉に素直に応えた。 ごめんなさいより、ありがとうを言うこと。 分かってはいるけれど、なかなかできないことなのだ。 アカツキは自分で望んで、身を挺してミライをニードルアームから守った。 彼の気持ちを無駄にしないためには、『ごめんなさい』でその強い気持ちを否定せず、 『ありがとう』と言って素直に感謝の気持ちを伝えるのが一番なのだ。 本当は誰もが分かっていながら、率直にできないこと。 これからはありがとうと言おう……ミライはアカツキの笑みに釣られるようにニコッと笑いながら、心に固く誓った。 二人の間の蟠りが消えたところで、アカツキは先ほどから変わらぬ位置で浮遊しているフライゴンに目を向けた。 「フライゴン、助けてくれてありがとな。 助けてくれなかったら、オレたちどうなってたか……ホントにありがと」 「ごぉぉぉんっ……」 アカツキが笑みを向けながら礼を言うと、フライゴンは大きく嘶いた。 ――大勢で襲い掛かるのは、見るに堪えない。それだけだ。次は気をつけろよ。 「竜巻一発でノクタスたちを吹っ飛ばしちまうんだ。おまえ、強いなあ」 アカツキは見ず知らずの自分たちを助けてくれたフライゴンに謝意を素直に伝えると、今度はフライゴンの強さに惚れ惚れした。 竜巻はドラゴンタイプの大技だ。それでも、ノクタスたちを一体残らず吹き飛ばすなど、並大抵の芸当ではない。 どうやらトレーナーはついていないようだが、野生にしておくにはもったいない実力の持ち主だ。 学習室で調べた限りでは、フライゴンは全体的に能力が高いポケモンだ。 今のアカツキの戦力を底上げするという意味でも、喉から手が出るほどゲットしたい存在。 助けてもらっておいてこんなことを言うのは気が引けるが、フライゴンは滅多に会えないポケモンだ。 千載一遇の機会は逃せない。 「なあ、良かったら一緒に行かないか?」 「ええっ?」 さすがにそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう。 驚いたのはフライゴンではなく、ミライの方だった。 彼女が大げさに身を引いていることなど構わず、アカツキはさらに言い募った。 「バトルしようぜ。オレが勝ったら、一緒に行こう!!」 ネイトをけしかけるが、フライゴンは興味がないのか、表情一つ変えなかった。 「ごぉぉん……」 ――今のオマエと一緒に行く気にはならん。   もう少し強くなってからなら、バトルを受けてやる。   その時までにもっと強くなっておけ。 「そっか……分かった。約束な」 「……?」 アカツキはフライゴンの言いたいことを的確に察していたが、ミライには意味不明だった。 ポケモンと心を通わせる能力は、自分のポケモンのみならず、野生のポケモンにまで通用するものらしい。 フライゴンもまた、アカツキが自分の言わんとしていることを理解していると察して、それ以上は言わなかった。 単なる気紛れで助けたが、なかなかどうして面白い目をしている。 ここでバトルを受けるのもやぶさかではなかったが、それよりは、もうちょっと強くなってから戦ってみたいと思っていた。 「ごぉぉぉん……」 フライゴンは「またな」と言わんばかりに嘶くと、ゆっくりと羽ばたいた。 すると、周囲に竜巻が巻き起こり、竜巻をまとって砂漠の奥へと帰っていった。 やがて竜巻が消え、そこにフライゴンの姿はなかった。 「…………」 一体何がどうなっているのか。 助けてくれたのはいいが、すぐにいなくなってしまった。 フライゴンと意思の疎通をしていないミライには一連のやり取りの意味が理解できなかったが、 「フライゴン、オレが絶対にゲットしてやるからな」 アカツキはフライゴンのゲットへ向けて、早くもやる気の炎を滾らせていた。 フライゴンは、もう少し強くなってから来たら相手をしてやると言っていた。 「…………まあ、いいわ」 何がなんだかよく分からないが、アカツキが理解しているのなら、それでいい。 ミライはそう思い、自分のポケモンをモンスターボールに戻した。 バトルに慣れているエイパムたちはもちろん、バトル用に育てていなかったパチリスまで頑張ってくれた。 みんな傷だらけだったが、一生懸命戦ってくれたのだから、そのことを素直に誇りたい。 「ありがとう、みんな。わたしたちのために、戦ってくれて……」 六つのモンスターボールを胸に抱きながら、ミライはポケモンたちに労いの言葉をかけた。 夜になって少し寒くなってきたが、ポケモンたちの温もりがモンスターボールを伝って感じられた。 これはきっと、気のせいではないだろう。 そう思っていると、 「よし、それじゃあ帰るか。みんな、戻っててくれ」 アカツキもポケモンをモンスターボールに戻したが、ラシールだけは出したままだった。 空を飛べるラシールなら、ポケモンセンターの位置をすぐに割り出してくれるだろう。 「ラシール、ポケモンセンターにオレたちを案内してくれ」 「キシシッ」 アカツキの言葉に大きく頷くと、ラシールはさっと空に飛び上がり、ポケモンセンターの方角に身体を向けた。 昼間よりも夜間に行動することが多いクロバットには、今が一番目が利く頃だろう。 すぐにポケモンセンターを見つけ出し、アカツキたちを先導した。 「じゃあ、戻ろっか。結構遅くなっちまったし……」 「うん」 いろいろとあったが、そろそろポケモンセンターに戻らなければ。 今回はフライゴンのおかげで乗り切れたが、次からも同じように援護をしてくれるとは限らない。 どこかにノクタスたちが潜んでいるかもしれないが、今のうちならフライゴンを警戒して襲ってはこないだろう。 それよりも問題があるとしたら…… 少し寒くなってきた夜の砂漠を歩きながら、アカツキは考えていた。 腕の怪我は、到底隠し通せるものではない。 包帯を単なる趣味と言い張ってもいいが、それだと白い目で見られてしまうだろう。 そうなると、素直に怪我したことを白状するしかない。 「でも、トウヤがまた怒るんだろうな……」 アイシアタウンで脳天に拳骨を振り下ろされた時のことが、脳裏を過ぎる。 トウヤはアカツキのことを本当に心配していた。そうでなければ、怒った上に拳骨までくれたりはしないだろう。 「また心配させちゃうな……」 勝手な判断で行動したあげく、ミライまで危険にさらし、ノクタスのニードルアームを受けて腕を怪我してしまったのだ。 今回もまた、言い訳など立ちそうにない。 ポケモンセンターに戻ったら、素直に謝ろう。 いくら背伸びしてみても、いきなり大人になれるわけがない。 心配させまいと思っても、結局はこのザマだ。 「でも、ミライをちゃんと守ってあげられて良かった」 当分は、トウヤをイライラさせることになるのだろう。 それでも、身体を張ってミライを守ろうと思った気持ちはホンモノだ。 星が敷き詰められた夜空を見上げながら、アカツキは気持ちを改めた。 ありのままを話して、ちゃんと謝る。 そうしなければならないような気がして、仕方がなかったから。 Side 5 案の定、ポケモンセンターに戻ったアカツキたちは、トウヤの怒りの洗礼を浴びることになった。 「どアホウ!! おまえら俺らがどんだけ心配しとったんか、分かるんか!!」 とはいえ、その一言だけだったが、アカツキとミライにはそれだけで十分すぎた。 傷口に塩を塗りたぐられるように、胸がすごく痛んだ。 どうでもいいと思うなら、眉を十字十分よりも吊り上げて怒鳴りつけたりはしないだろう。 雷が落ちてきたような怒声がロビーに響き渡り、居合わせたトレーナーたちがビックリして振り向いてきたが、 トウヤはそんなことをまったく気にしなかった。 それくらい、本気でアカツキとミライのことを叱りつけたのだ。 「ご、ごめん……」 「ごめんなさい……」 アイシアタウンで怒られた時とは比べ物にならない剣幕に、アカツキもミライも素直に謝るしかなかった。 これにはさすがにカナタとアズサまで呆然としていたが、当然、トウヤが気にしているはずもない。 「その程度のケガで済んだから良かったモンや。 せやけど、もっと大変なことになっとったら、どうするつもりやったんや!? おまえだけやない。ミライまで巻き込んだんや!! 反省せい、反省ッ!!」 「……悪かったよ。オレの判断が甘かったんだ。 言い訳するつもりなんてないよ。これで十分に身に沁みたからさ」 アカツキは俯き加減に頷くと、腕をさすった。 まだ痛むが、これは自分の軽率な判断への戒めだ。 自分だけではなく、ミライまで危険に巻き込んでしまった。もし彼女に何かあったら、ヒビキに顔向けができない。 傷を負い、トウヤから激しく責め立てられて、自分の判断の甘さが身に沁みる。 「トウヤ……悪いのはわたしも同じなの。 調子に乗って泥遊びなんてしちゃったんだから……」 一応、事情はすべて説明した。 思いつきで砂漠に出かけたこと。そこで泥のボールを投げ合って遊ぶうちに夜になり、ノクタスに襲われたこと。 最後に、フライゴンが助けてくれたこと。 フライゴンが助けてくれなかったら、もっと大変なことになっていた。それがせめてもの救いだった。 アカツキとミライはトウヤの言葉を真摯に受け止め、心から反省した。 自分たちの勝手な判断で、他人に心配をかけてしまった。 二人して暗く沈んだような表情で俯いているのを見て、カナタが助け舟を出した。 「まあまあ、二人とも素直に反省してるみたいだし、今日のところはこれくらいで収めなよ。 あんまカッカしてると、おまえの方が保たなくなるぜ?」 「……まあ、ええわ」 二人が反省しているのは、見れば分かる。 トウヤだって、誰かが止めに入るのを待っていたくらいだ。誰かが止めてくれなかったら、そのまま終点まで突っ走りそうだった。 そうなっていたら、アカツキもミライも構わず殴りつけ、怪我を負わせていたかもしれない。 「これに懲りたら、もう二度と危険なマネすんなや」 「うん、分かった。心配かけて悪かったよ。本当にごめんなさい」 「ん……」 アカツキが心底申し訳なさそうに言うと、トウヤもそれ以上は何も言う気が起こらなかったらしく、二人に背を向け、部屋に戻っていった。 彼の背中が閉まるエレベーターの扉に隠れて見えなくなってから、カナタがわざと大きなため息をついた。 「まあ、おまえらが一番悪いわけだしな。あいつが怒るのも当然だと思うぜ」 「うん、心配かけちゃったもんな……」 「そう思うなら、二度と同じ間違いを繰り返さなければいいのよ。あなたたちなら、それができるでしょう?」 「ええ……」 「だったら、気にするのはおやめなさい。 いつまでも引きずっていても、仕方がありませんよ」 カナタとアズサも、多くを言わなかった。 二人なら、言わなくても理解できると思ったからだ。これでも、前途有望な二人には目をかけているつもりだ。 「それじゃあ、顔を洗っていらっしゃい。 いつまでもそんなままじゃ、せっかくの気持ちも台無しになっちゃうわよ」 「うん、そうするよ」 顔に付着した泥はすっかり乾いていたが、こびり付いてしまう前に洗い落としておく必要がある。 後で、こっそりトウヤに謝ろう。 誰よりも自分たちのことを想い、心配していたからこそ、自然と言葉も厳しいものになってしまった。 アカツキはトウヤの気持ちを理解していたから、後でもう一度謝ろうと思った。 共用の洗面所で顔の汚れを洗い流した後、アカツキは部屋に戻った。 そこには、先ほど雷が落ちるように叱りつけてきた『自称・保護者』の姿はなく、いつもの気のいい少年が佇んでいた。 「おう、戻ったか」 トウヤは椅子に深く腰かけ、テレビを観ていたが、アカツキが戻ってくると分かると、いつもの笑みで出迎えてくれた。 「……あ、うん……」 これにはアカツキも面食らったが、すぐ本題に入った。 グッと拳を握りしめ、少し臆病になりかけている気持ちに活を入れる。 「あのさ、トウヤ。さっきはホントにごめん。 カナタ兄ちゃんからは、あんまり引きずるなって言われたけど、やっぱトウヤの言葉は堪えるよ。 気にしない方が無理なくらいさ。 オレだけならまだいいけど、ミライまで危ない目に遭わせちまったからな……」 「ん……まあな」 アカツキはありったけの想いを振り絞って言葉を吐き出したが、トウヤの反応は素っ気ないものだった。 まともに聞いていないのかと思って、知らず知らずに表情が険しくなってしまったが、トウヤはちゃんと聞いてくれていた。 「そこまで言えるんやったら、大丈夫やろ。 アイシアタウンの時もそうやったけど、ちゃんと謝れるんやったら、それ以上言う必要もあらへん。それだけや」 「うん、それは分かるんだけど……」 「おまえらしくあらへんな」 「えっ?」 トウヤが口の端の笑みを深めたのを見て、アカツキは唖然とした。 彼は先ほどのことなどまるで気にしていないのだろう。 自分が引きずっているだけだというのは分かっている。 だが、他人まで危険にさらしてしまった自分の迂闊さをすぐに忘れることはできない。 「今さらそんな悔やんだって、その腕の傷は治らへんやろ? せやったら、気にするのなんて止めいや。おまえらしくあらへん。そっちの方が心配なんや」 「…………そうかなあ?」 「そうや」 トウヤは声を立てて笑った。 目の前にいるのは、陽気で明るくて前向きな少年ではない。いつ親に叱られるか分からずビクビクしている子供だ。 口を酸っぱくして言うと、アカツキとしても聞き入れないわけにもいかなかったのだろう、深々とため息をつき、目を閉じた。 「悪いって思う気持ちは当然だと思うけど…… やっぱ、オレらしくなかったかなあ……?」 確かに、引きずるのは自分らしくない。 分かってはいるが、それでもやはり近しい人に心配をかけたことは事実だ。 いつかは吹っ切らなければならないと思う。 いや、トウヤの言葉で少し吹っ切れた。 後は、自分でどうケジメをつけるか……自分で決めることだ。 「ふう……」 目を開けて、両手で頬を想いきり叩いた。 「ん、分かった。 トウヤはそれでいいって言ってくれてるんだもんな。 次からはやんないように気をつける。それでいいんだよな?」 「やっと分かったか。手の焼けるヤツやな」 「えへへ……」 「褒めとらん!!」 アカツキがヘラヘラと笑うと、トウヤが笑みを浮かべながら彼の脳天に拳を振り落とした。 「いってーっ!!」 アカツキの絶叫が室内にこだました。 タンコブがいくつも重なってできるのではないかと思うような痛みに、思わずふらついてしまいそうになる。 アカツキは頭を手で押さえると、涙目になってトウヤを睨みつけた。 だが、トウヤは声を立てて笑い、謝りもしない。 「これくらいは受け取っとけや。 誰かを心配させるのって、もっともっと辛いことなんやからな」 「分かったよ、もう……」 こんな想いは二度としたくない。 誰かに心配をかけることも、こうやって拳骨を食らうのも。 むしろ、アカツキにとっては後者の方が大きなウェイトを占めていた。 「せやったら、風呂入って、さっさと寝るで。 俺もカナタはんも、とっくに済ましとるんや」 「分かった。暴れまくったせいか、どっか汗臭いんだよな」 アカツキは苦笑すると、パジャマ片手に、部屋に備え付けられたバスルームへと駆け込んだ。 「まったく…… これやから、保護者止められへんのや。世話焼けるな、ホンマに……」 シャワーの音を聞きながら、トウヤは困ったような笑みを浮かべるしかなかった。 先ほどまで観ていたテレビドラマは、佳境を迎えていた。 ちょうどその頃、ディザースシティのポケモンリーグ・ネイゼル支部の一室は重苦しい雰囲気に包まれていた。 カーテンをかけても部屋に入ってくるネオンライトの明かり。 それでさえ、部屋に一人佇むサラの気持ちを上向かせることはなかった。 彼女はソファーにゆったりと腰を落ち着けながら、手に一つのモンスターボールを握りしめていた。 じっと、そのモンスターボールに視線を注ぐ。 もう何十分こうしているか分からないが、そうせずにはいられなかった。 「…………」 モンスターボールに入っているのは、メタグロス。 大事な人の、大事なポケモン。 今はワケあって預かっているが、その力を必要とすることがあるのかもしれない…… そう思うと、なんだか切なくなってくるし、預けてくれた人に申し訳ない気持ちになる。 しかし、必要だと思うなら、あらゆる手を打たなければならない。 ポケモンリーグの支部を任せられているチャンピオンはそれ相応の権限を与えられているが、だからこそ責任もつきまとう。 「キミもそれが分かってたから、ぼくにこのポケモンを預けてくれたんだね……」 鋼タイプのポケモンを得意とする自分に預けるには、同じ鋼タイプのメタグロスが適任だと思ったからだろう。 なるほど、さすがに自分のことを誰よりも理解してくれていると思わずにはいられない。 モンスターボールが鏡のように煌いたかと思うと、表面にメタグロスの持ち主である人の顔が浮かんだように見えた。 「……力を借りるよ。ロータス」 今は仕事で各地を飛び回っている大事な人……夫のメタグロス――ロータスに言葉をかけ、サラは決意を新たに固めた。 必要なら、自分は悪にでも染まろう。 それが、ロータスを預けてくれた人のためにもなる。 ……そう、信じて。 第12章へと続く……