シャイニング・ブレイブ 第12章 オアシスの街で -The Turning Point-(中編) Side 3 ちょうどその頃、ポケモンリーグ・ネイゼル支部の最上階に位置する執務室では、サラとトウヤが久しぶりの再会を果たしていた。 「久しぶりだね、トウヤ。本当に大きくなったね」 「まあな……サラこそ元気そうで何よりや」 「うん」 サラとトウヤは軽い挨拶を交わすなり、揃って笑みを浮かべた。 トウヤが来るまで、サラは机に山積みになっていた書類と格闘していた。 もちろん、その時は無表情で、笑みなど浮かべていられなかった。 ただでさえ心配事が多く、慎重に次の手を打たなければならない時なのだ。 凡ミスで事態を悪化させるなど、もってのほか。 チャンピオンには大きな権力が与えられるが、それ相応の責任も課されるのだ。 「…………」 サラが心の底から笑っているのを見て、カナタは思った。 今まで、彼女がこんな表情を見せてくれたことがあるだろうか……と。 取っ付きにくいタイプの性格ではないが、一緒になってワイワイ騒ぐような明るい性格でもない。 鋼タイプのポケモンの扱いを最も得意としているだけあって、それなりに厳しい一面も持ち合わせているからだろう。 「そんだけ、トウヤが大事な人なんだってことだろうな……」 カナタも、サラの交友関係はあまり知らない。 仲間内にもプライベートなことはあまり明かさないから、両親と夫がいることくらいしか知らないのだ。 それはカナタだけでなく、このビルで働いている役員や他の四天王も同じことだろう。 カナタがあれこれ考えているのを察しながらも、サラは久々に舞い込んだ吉報に想いを寄せていた。 「この間会った時は、もうちょっと背も小さくて、ホントにポケモンバトルなんてやっていけるのかって思うくらいだったよ」 「いつまでもそんな状況じゃいられへんよ。 サラに教えてもろうたこと、無駄にするわけにもいかへんかったし……」 「そうかい。それなら、少しはぼくも人のために頑張れたってことなのかな?」 おどけて小さく笑うサラは、二十代後半という実年齢を感じさせなかった。 元来の童顔も重なって、花も恥らう少女のようにさえ映るほどだ。 あるいは、楽しそうに談笑に興じる今の姿が、彼女の素なのかもしれない。 「いろいろと話したいことは山のようにあるんだけど、今はそういう話をしにきたんじゃないよね?」 サラはトウヤの隣に腰を下ろしているカナタにチラリと目をやった。 ただ彼女に会いに来るだけだったら、トウヤ一人で乗り込んでくるだろう。 もっとも、そんなことはカナタがいようといまいと、分かりきっていることだ。 今の状況を考えれば、トウヤがどんな話をしにきたのかは想像に難くない。 「ん……どうせなら酒でも飲んでパーッと祝いたいトコなんやけど、そういう状況でもあらへんしな……」 「そうだね。仕方ないけどね……」 トウヤの言葉に、サラは残念そうな表情を見せたが、それも一瞬だった。 すぐに彼女の顔から笑みが消え、真剣な目つきに変わる。 今の彼女は、トウヤの知り合いではなく、ポケモンリーグ・ネイゼル支部のチャンピオンだ。 それを考えれば……致し方のないこと。 トウヤも気持ちを割り切って、早速切り出した。 「ドラップのことなんやけど……」 「うん。元気にしているみたいだね。あの子なら、きっと守ってくれると思うよ」 「ああ、それはええねんけど……さすがに、そろそろソフィアの連中も準備万端って感じで来ると思うんや」 「カナタから聞いているよ。そこのところはぼくも同感だ」 カナタがサラとトウヤの間の橋渡しをしていたので、サラもトウヤの考えていることはおおよそ把握している。 サラはおもむろに腰のモンスターボールを一つ手にすると、トウヤの眼前に置いた。 何も言わなくてもいい……と、視線で訴えかけると、トウヤは特に何も言うことなく、じっとボールに視線を落とした。 ずいぶんと使い込まれているのか、ボールには傷がついていた。 無数の細かな傷に紛れて、大きな傷もいくつか見受けられる。 その傷は、今まで苦労してきたことの証と言わんばかりで、トウヤはそのボールが誰のものなのか、すぐに察した。 一方、カナタは最初から話に加わるつもりがないのか、腕を組み、視線を窓の外に広がる高層ビル群に向けていた。 「ぼくだって、できればキミと一緒に肩を並べて戦いたいと思う。 だけど、キミも理解しているように、ぼくの立場はそれが容易くできるほど簡単なモノじゃないんだよ」 「ああ、それは分かっとる」 サラのため息混じりの言葉に、トウヤはボールに視線を留めたまま、小さく頷いた。 「だから、ぼくの代わりに……この子を連れていってあげてくれないかな。 一応、話はしてあるし、キミの言うことに従うように言い含めてあるから、安心していいよ」 「せやけど、そのポケモン、サラの旦那はんのって……」 「ああ、そうだよ」 サラは隠すこともせず、素直に認めた。 トウヤの眼前に置かれているモンスターボールに入っているポケモンは、サラの夫のポケモンだ。 訳あってサラの手元に置いてあるのだが、もしかしたら夫はこうなることが分かっていたのかもしれない。 ありえないことだと知りつつも、そんなことを想像したくなる……サラにとって、夫はそんな人だった。 トウヤもまた、カナタを介してサラの事情は心得ていた。 本当に旦那のポケモンを借りてしまっていいのかと、迷いが生まれた。 ソフィア団のポケモンはかなりよく育てられているのだ。 増してや、ダークポケモンまで持ち出しているとなれば、いくら強くても無傷では戦い抜けまい。 それを承知で、サラはそのポケモンを自分に預けるというのか……答えは考えるまでもなかった。 「ぼくの旦那はね、少し事情を聞いただけで、『おまえにはこいつが必要だろうから、預けておく』って言ってくれたんだ。 戦いがあるってことも、察した上でね。 こんな言い方をしちゃいけないのかもしれないけど…… あの人の気持ちを無駄にしたくないから、ぼくはキミにこのポケモンを預ける。ぼくが表に立って戦えない分だけ、戦ってもらう」 「せやったら、ありがたく使わせてもらうで。サラの旦那はんのポケモンやったら、安心できるわ」 「……でも、いつかはぼくも陣頭指揮を執って参加するよ。そのための準備を今、進めているところだから。 それまでのつなぎだけど、この子……ロータスならきっと大丈夫」 「ロータスって言うんか?」 「うん。メタグロスのロータス。ぼくのメタグロスとは少し毛色が違うけど、強いから安心していいよ」 「そっか……」 多くを語らずとも、話は進んでいる。 数日前、トウヤはカナタからサラのポケモンを借りればどうかという提案を受け、その際、交渉材料として彼女のプライベートを少し知った。 南に位置するカントー地方・マサラタウン出身のポケモンブリーダーを夫に持ち、今はそれぞれの仕事で離れ離れの日々を過ごしていること。 今、夫からポケモン……メタグロスのロータスを預かっていること。 今後、ソフィア団がドラップを奪還すべく苛烈な策を講じてくることを考えると、少しでも戦力を拡充したい…… それはカナタの提案というより、トウヤが常日頃から感じていることだった。 アカツキは確かにトレーナーとして着実に実力をつけているが、それではやはりダメなのだ。 必要な時に、必要な戦力がなければ、ドラップを守り抜くことはできまい。 だから、トウヤは先にサラのポケモンを借りられないかと、交渉材料を用意していたのだが…… この分だと、そうする必要もなさそうだった。 思わぬ肩透かしを食らった気分だが、いい意味での肩透かしで良かったと思うほどだ。 トウヤは傷だらけのモンスターボールを手に取った。 サラの厚意を無駄にしないためにも、ロータスには存分に戦ってもらうしかないだろう。 言うことを聞いてくれるように話はしたと言うが、メタグロスという種のポケモンはとても頭が良い。 実際にバトルの矢面に立たせる前に、会って少しは意思疎通をしておいた方が良いだろう。 トウヤはそう判断し、サラに了解を取ることにした。 「サラ、ここで出してええか?」 「いいよ」 「おおきに、そうさせてもらうわ。出てこい、ロータス!!」 軽く真上に投げ放つと、彼の言葉に応えてボールが口を開き、中から立派な体格のメタグロスが飛び出してきた。 トウヤたちが腰かけているソファーの横に飛び出してきたメタグロス――ロータスは、無言でトウヤに視線を向けていた。 しばらく一緒にいることになる相手だと分かっているからだろう。 「ほう、これは立派やなあ……」 トウヤはロータスを見やり、感嘆のため息を漏らした。 岩のような身体と、前後左右に四本の脚がつながっている。 脚の先には鋭い爪が何本も生えており、丸太のような太さも相まって、物理的な攻撃力に優れていることは想像に難くない。 立派な身体は少し濃い目の水色で、磨き抜かれた鏡面のように、光を反射している。 ブリーダーのポケモンだけあって、見た目からしてよく育てられていると分かる。 このポケモンなら、ソフィア団の猛攻を耐えしのぎ、反撃に打って出られるかもしれない。 いや、少なくともドラップさえ守れれば良い。 そして、アカツキが泣かなければ……傷つかなければ。 トウヤがロータスの内面からにじみ出る『すごさ』に圧倒されながら考えをめぐらせていると、サラが口元に笑みを浮かべて話しかけた。 「ロータス。彼がトウヤ。あの人にちょっと似てる感じするでしょ? いい人だから、ちゃんと言うこと聞いてあげてね」 「ごぉぉ……」 サラの言葉に、低い声を上げて頷くロータス。 トレーナーの奥さんだけあって、彼女ともちゃんとした意思疎通が図れているようである。 「よろしゅう頼むわ、ロータス。おまえさんの力、借りるで」 続けてトウヤが言葉をかけると、ロータスは口の開閉を繰り返した。 「?」 一体何をしているのかと訝しむトウヤだが、サラはロータスとトウヤを交互に見やり、クスクスと小さく笑った。 「ロータスの挨拶だよ。分かった、任せとけって言ってる」 「分かるんか?」 「当たり前でしょ。旦那のポケモンなんだから……ぼくのポケモンと同じ感覚だよ。 メタグロスなら、ぼくも持ってるしね。 それよりトウヤ。ロータスが使える技を先に言っておくよ」 紹介は程ほどに、サラは紙とペンを手にすると、ロータスが使える技を列挙した。 その数の多さとバリエーションの抱負には、トウヤもさすがに脱帽した。 「まあ、こんなトコかな」 事も無げに言いながら、サラはトウヤの眼前に技を書き記した紙を突きつけた。 「…………」 自身が得意とする鋼タイプのコメットパンチや、重量級の体躯を利用した地震はいいとしよう。 それよりも…… 「冷凍パンチ、炎のパンチ、雷パンチ、思念の頭突き、電磁浮遊、瓦割り、ギガインパクト、 ロックカット、ジャイロボール、バレットパンチ……ふえぇ、シャレにならへんで、これ……」 あらゆるタイプと互角に戦えるのではないかと思えるほど、バリエーションに富んでいる。 攻撃、防御と、いずれも抜かりない技の構成で、本当にブリーダーが育てたポケモンなのかと疑いたくなるほどだ。 「…………」 トウヤが唖然とするのは当然としても、彼が驚いているのを見て何事かと目を向けたカナタまで固まってしまった。 何なのだ、この攻守に優れた技の構成は? 並外れたポケモンバトルの実力を持つ四天王でさえ、サラが書き記した技を見て呆然としてしまった。 技の構成から見ても、どのような戦い方を得意としているのか…… ポケモンの種族は言うまでもなく、その個性に至るバトルスタイルが分かるのだが、ただ単に技をあれこれ覚えさせているだけではなさそうだ。 攻撃面では自身の弱点となる地面タイプに対抗するため、冷凍パンチを覚え、 防御面では電磁浮遊によって一時的に地震などの強烈な技を防ぐことができる。 もちろん、炎タイプに有効な地震も入っているのだから、弱点のポケモンでさえ容易く返り討ちにできるかもしれない。 攻撃から防御まで卒なくこなすポケモンは確かに存在するが、メタグロスという種族でここまで幅広い技を覚えさせているのは珍しいケースだ。 カナタはエスパータイプのエキスパートとしても、傍にいるメタグロスのバトルスタイルを理解していた。 「攻撃から防御まで、メインとサブをキッチリ使い分けられるポケモンだな。 ホントにブリーダーが育てたってのか? イマイチ、信じられねえな……」 相手を叩きつぶすことから、味方を守ることまで、あらゆる戦闘をこなせるメタグロスだ。 カナタは疑問を率直にサラにぶつけたが、返ってきた答えは、ある意味考えるまでもないものだった。 「そうだよ。 ぼくの旦那、昔はポケモントレーナーをやってたって言ってたからね。 その時に覚えさせたんだと思う。ぼくにも、あんまり詳しいことは話してくれなかったけど……」 「……で、一番下の『マグネティックフィールド』って何なんだ? 聞いたことのない技だけど」 「そやな。Magnetic Field……って言うんやったら、鋼タイプかエスパータイプの技なんやろうけど……」 驚きをかき消すように、カナタはサラが一番下に書き記した聞き慣れない技について訊ねた。 同じ疑問を抱いていたトウヤも、彼の言葉を継いでサラに訊ねる。 昔、ポケモントレーナーをやっていたのなら、こういう技の構成でポケモンを育てていたとしても不思議ではない。 だが、それとこれとは話が別である。 知らない技なのだから、どのような効果を持っているのか知らなければ、有効活用もできない。 「マグネティックフィールド……あの人が編み出した奥義みたいな技だよ。 メタグロスには磁力を操る力がある。それは知ってるでしょ」 「ああ。俺は仮にもエスパータイプのエキスパート気取ってっからな。それくらいは知ってる」 メタグロスというポケモンは、体内を血液の代わりに磁力が循環して活動しているポケモンである。 ゆえに、体内の磁気はもちろん、地磁気に働きかける力さえ持っている。 現に、電磁浮遊という技も、自分の磁気と地磁気を反発させて起こすものだ。 「マグネティックフィールドはね、地磁気に強い力を送り込むことで地中の鉄分を分子レベルで結合させて、鋼の柱を作り出して攻撃する技だよ。 大きさとか形はロータスの思い通りに変えられるっていう特性つき。 結構すごい技でしょ? ぼくのメタグロスにも使わせようと思ったんだけど、うまくいかなくてね……」 「……なんや、その反則的な技は」 「まったくだ……」 サラはさも当然と言わんばかりの口調で言ったが、冗談ではない。 トウヤもカナタも、そのあまりに反則的な効果に言葉を失っていた。 地中から発動する技なら、空に飛んで逃げられない限りは避けようがなく、なおかつ相手に合わせて形まで使い分けられる。 直接攻撃を仕掛けたり、あるいは相手を鋼の檻に閉じ込めたりと、使い方まで千差万別。 そんな技が存在していいものなのかと思ってしまう。 とんでもない技を、サラの旦那はロータスに教え込んでいたのだ。一体どんなトレーナーだったんだと思うのは当然のことだった。 「なあ。旦那さんって、カントーのチャンピオンとか四天王とかやってたりしてた?」 「ううん。普通のトレーナーだよ。普通の人よりもアイディアが豊富っていうか……それくらいかな?」 「…………」 その言葉に、カナタは完全に撃沈された。 普通のトレーナーにそんな技が編み出せるものか……疑問はさらに膨らんでいくが、ここいらで手を引いておくのがいいだろう。 これ以上は、サラのプライベートの領域だ。 おいそれと自分たちが口にしていい話題ではない。 それに…… 「ロータス、おまえ、何気にすごいヤツなんやな……驚いたわ」 トウヤがロータスの方を向いてポツリつぶやく。 ロータスは「何を言ってんだ?」と言いたげな表情を見せたが、それはトウヤの目に映らなかった。 とはいえ…… 「このポケモンやったら、ソフィアの連中がやってきても大丈夫やろ……さすがに、全軍集結なんぞされた日には大変やろうけど」 技だけを見ても、自分のポケモンとは比べ物にならないレベルだということは窺い知れる。 ちゃんと言うことを聞いてくれるなら、これ以上に頼りになるポケモンもいないだろう。 サラの名代として一緒に戦ってくれるのだから、本当に心強い。 ここは彼女の旦那に感謝すべきところだろう。 「本当はぼくが一緒に行ければいいんだけど、ロータスだけになっちゃってゴメンね。 でも、いつかは必ず馳せ参じるから」 「おう……でも、ホンマこいつだけでも助かるわ。サラ、こっちの方こそおおきに」 「うん。トウヤにそう言ってもらえると、少しは慰めになるよ」 一番大変なのは、トレーナーとしてドラップを守らなければならないアカツキだ。 彼の自称・保護者であるトウヤも、彼と同じか、あるいはそれ以上に気苦労が多いことだろう。 本来は、ネイゼル地方の治安を不安定にする輩を野放しになどしてはならないのだが、チャンピオンという立場は思いのほか柵が多い。 ならば、せめてポケモンだけでも役立ててもらいたい。 これが今の彼女にできる精一杯の支援だ。 トウヤがニコッと微笑みかけてくれて、サラの胸中に一筋の光明が差した。 出会いは偶然だったが、よもやこのような形で協力し合うことになるとは思わなかった。 つくづく、縁とは異なものだ……と思わずにはいられない。 「ま、そういうわけやから、よろしく頼むで、ロータス。 今はゆっくり休んどったってくれや」 トウヤはロータスをボールに戻すと、そのボールを腰に差した。 サラが想いを託したポケモンだ。 これから存分に戦ってもらうとしよう。 話もこれで一区切りついたことだし、正直、トウヤとしては用件が済んでしまった。 必要な情報は事前にカナタを介して与えられているし、現状維持の状態では、特に訊いておくべきこともないだろう。 サラもヒマではないだろうし、名残惜しいが、そろそろお暇しなければならない。 いろいろと話をしたい気持ちを抑え込み、トウヤが切り出そうとした矢先だった。 サラの方から、言葉をかけてきた。 「トウヤ、アカツキはどうしているのかな? あの子に負担を押し付けてばかりで申し訳ないんだけど……ドラップを守ること、重荷になっていたりはしないのかな?」 「…………」 どうやら、サラはアカツキに負担を押し付けていると考えているらしく、寂しげな表情が、その胸中が穏やかでないことを物語っていた。 積極的に何かをしようという性格ではないのだが、それでも責任感の強さはそこいらの人間とは比べ物にならない。 サラのことを少しは知っているトウヤだから、彼女が何を想っているのか、大体は察していた。 何も、彼女がそこまで背負い込む必要はない。 トウヤは努めて明るい口調で答えた。 「大丈夫や。あいつはドラップを守るのが当然や思うとる。 トレーナーとしてそれが当然や思うとるし、あいつにとってドラップは単なるポケモンやのうて、家族の一員やからな。 家族を守るのは当然や思うとる。それだけやから、重荷になんかなっとったりはせえへんよ」 一ヶ月弱ではあるが、アカツキのことを傍で見てきたトウヤだから、よく分かる。 明るい口調とは裏腹に、サラに向ける眼差しは真剣そのものだった。 口調と眼差しのギャップが、彼女に深い感銘をもたらした。 彼の言葉が、胸に重く響く。無論、嫌な気分はしない。 「そう……それならいいんだ。 年端も行かぬ子供に押し付けるなんて、ぼくもどうかしてるなって思ったりするけど、それならいい。 あの子に負けないように、ぼくもやるべきことをやらなくちゃね」 悔しいが、トウヤに励まされる形になった。 サラは口元に笑みを浮かべながら、最後に会った時からトウヤが大きく成長したのだと、感慨深い気持ちを覚えた。 泣かされっぱなしの子供だと思っていたが、いつの間にこんな大きなことを言うようになったのだろう。 うれしい反面、なんだか負けているようで悔しい気持ちにもなる。 想いに耽っていると、トウヤが一つの提案をしてきた。 「なあ、サラ。 いつかはあいつと話せなあかんって思うとるやろ? せやったら、後でここに来るように頼むか? ポケモンセンターには、アズサはんもおるし……連絡取れば、それくらいは簡単や。 あいつだって、サラに会うの嫌がるわけやあらへんから」 いつかはアカツキとサラが会うことになるのなら、今のうちに会っていろいろと話をした方が互いのためになるだろう。 トウヤの言葉は、カナタが思っていることでもあったが、結局のところ、受け入れるかどうかを決めるのはサラだ。 彼女なら悪い返事はしないはずだ。 そう思っていたが、さすがにチャンピオンの肩書きは伊達ではなかった。 サラはとうに手を打っていた。 「うん、分かってる。 一応、この街のジムリーダーに話はしてあるんだよ。アカツキが来たら、ジム戦の後でいいからここに連れてきてくれって」 「マジ? こりゃ敵わんな……」 先手を打たれていたとは、恐れ入る。 トウヤも苦笑するしかなかったが、よく考えてみれば、サラは事前にトウヤがここに来ることをカナタから聞いて知っていたのだ。 アカツキがリーグバッジを集めて旅をしていると分かっているのだから、ジム戦の後で連れてきてもらえばいいと考えるのも至極当然。 ジム戦を終えたアカツキがすでにこのビルに入っていることなど知らないトウヤにとっては、さすがだという印象が強かっただろう。 「ぼくはあの子じゃないから、あの子の考えてることは分からない。 その逆も然り、さ。 だから話をしてみたいんだよ。ただ、それだけさ」 サラはふっと小さく息をついた。 トウヤが彼女の旦那に似ているところがあるのだとしたら、アカツキは昔の自分にそっくりだ。 大人の理屈に屈することなく、自分の思っていることを貫こうとする。 今はそんな角々しいところも取れて、ずいぶんと人間的に丸みを帯びてきたという自負がある分、なおさらそんなことを思ってしまう。 もちろん、子供時代のことなど恥ずかしくて口外できないが。 「でも、そろそろじゃないかな?」 サラは腕時計に視線を落とした。 トウヤが来て、もうすぐ十分が経つ。 時間的に考えれば、そろそろアカツキがこの街のジムリーダー……ヴァイスに連れられてやってくる頃だろうか。 「いや、いくらなんでもこんな早くは来ないだろ。 ヴァイスは性格がアレでも、ジムリーダーとしての実力は確かだからね。結構長引いて楽しんでたりするんじゃないのか?」 カナタが苦笑混じりにそんなことを口走った時だった。 執務室の扉を叩く音が聴こえ、三人の視線が向けられた。 「まさか、もう来たのか?」 いくらなんでも早すぎるとギョッとするカナタを尻目に、サラは微笑んだ。 「サラ、いるか〜?」 妙に間延びした、野太い声。 ディザースジムのジムリーダー・ヴァイスの声だ。 「ね? もう来たでしょ。女のカンってのは、よく当たるんだよ」 サラはそれ見たことかと笑みを深めたが、すぐに扉の向こうに返事をした。 「ヴァイス、それとアカツキ。入っておいで」 Side 4 「ヴァイス、それとアカツキ。入っておいで」 扉の向こうから女性の声が返ってきて、アカツキはビックリした。 「オレがいるの、分かるんだ……すげえなあ」 「そりゃそーだろ。オレ様に話を持ちかけた張本人だぞ。アァ?」 さも当然と言わんばかりにヴァイスは淡々と言ったが、言い終えるが早いか、失礼するとも言わずに扉を開き、室内に踏み込んだ。 親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるが、ヴァイスはそんなものなど知らないと言いたげにずかずかと入っていった。 とはいえ、先方を待たせては失礼だろう。 アカツキは小走りにヴァイスの後を追い、部屋に入った。 室内を見渡すと、特に飾り立てているわけでもなく、どこにでもあるようなオフィスといった印象を受けた。 窓際に設けられた応接用のソファーにトウヤとカナタ、そして淡い紫の髪の女性が腰かけている。 恐らく、彼女がネイゼルリーグのチャンピオン・サラだろう。 彼女はアカツキと視線が合うと、ニコッと微笑みかけてくれた。 歳は二十代後半だそうだが、あどけなさを色濃く残した顔立ちと柔和な笑みは、女性というより少女と呼んだ方が似合うだろう。 さすがにトウヤと同年代と言うわけにはいかないだろうが、カナタよりは若く見える。 「この人がネイゼルリーグのチャンピオンなんだ……なんか、想像してたのと違うなあ」 アカツキはその場に突っ立ってサラに視線を向けたまま、嘆息した。 チャンピオンというからには、他人を寄せ付けない威圧感というか、 それ相応の雰囲気をまとい、表情など常に引き締まっているのではないかと思っていたのだが…… サラは、アカツキの勝手な先入観を見事に打ち破ってくれた。 背丈はトウヤと同じくらいで、フォース団の頭領ハツネと比べると十センチ近くは低いだろうか。 元来の童顔も相まって、じっとしていれば人形のようにも見えてくるくらいだ。 「サラ、お望みどおり連れてきてやったぜ」 アカツキを連れてきたからお役御免と言わんばかりに、ヴァイスはサラに背を向けた。 大都市のジムリーダーだけあって、挑戦者が多いのだ。 本来なら休みの日以外はジムを空けないのだが、今日は特別だった。サラからの頼みを無下に断ることなど論外だったからだ。 用件は済んだし、話の中身になど興味はなかったから、そろそろジムに戻らなければならない。 ヴァイスの忙しさはサラもよく分かっていたので、彼を引き止めることはしなかった。 必要な話は事前に、ジムリーダー全員に伝えてあるからだ。 後は、指示一つで動く。 「ありがとう、ヴァイス。忙しいところ、悪かったね」 「いや、たまには外の空気ってのもいいな。パンクミュージックも、なかなかに聞き応えが良かった。 そんじゃま、失礼するぜ」 サラが気持ちを込めて労うと、ヴァイスは手を挙げて応え、そのまま執務室を出て行った。 音を立てて扉が閉じられたのを合図に、サラはアカツキを手で招いた。 「……し、失礼します」 何と言えばいいのかよく分からなかったので、とりあえず無難だと思われる一言を発してから、トウヤの横に腰を下ろした。 チャンピオンという割にはずいぶんと物腰穏やかな人だ。 「ジム戦、どやった?」 ポケモンセンターに戻ってからでもいいのに、トウヤがジム戦のことを訊ねてきた。 何気に、気にしていたらしい。 アカツキはトウヤに顔を向けると、ふっと小さく息をつきながら答えた。 「負けちゃったけど、バッジはもらったよ。 なんだかよく分かんないけど、オレの実力とかいうのを認めてくれるんだってさ」 「そっか……せやったら、次はガンバらなあかんな」 「もちろん。次はバッジをもらって正解!!って思わせるくらいバッチリ決める!!」 負けたがバッジはもらった、というのは、そういうことだろう。 リーグバッジの存在意義にも関わることではあるのだが、 規定上、ジムリーダーが『このトレーナーなら大丈夫』と認めれば、バッジを渡しても良いのだ。 ジム戦の勝敗というのは、あくまでも一定の指標でしかなく、バッジを渡すかどうかはジムリーダー個人の裁量に任せられている。 ジム戦で勝利しなかったのにバッジを受け取って、不承不承という部分は確かにあるが、 だからこそ、アカツキはもう一度戦いを挑み、今度こそ勝利しようと心に決めていた。 やる気満々の男の子を見やり、サラは口元の笑みを深めた。 「ふふ、元気がいいね。トウヤから聞いていた通りだったよ」 「え? オレのこと、聞いてたんですか?」 屈託のない笑みを浮かべているサラを見やり、アカツキはキョトンとした。 トウヤの知り合いなのだから、自分のことを彼から聞いていたとしても不思議はなかったが、そんなことさえ気にならなかった。 「それに、敬語なんて使わなくてもいいよ。 トウヤだって、普通に話してくれてるし。キミも、普通に話していいよ。 ぼくも、その方がうれしいし」 「じゃあ、そうする」 「うん。子供は素直が一番だね」 「…………」 なんだか妙にノンビリしたペースで、ズルズルと引き込まれそうになるのは気のせいか? 本当にこの人がネイゼルリーグのチャンピオンなのかと疑いたくなるが、事実は事実だ。 トウヤとカナタが並んで座って、向かい合っている時点で分かりきっていることだが、それでも疑いたくなる。 とはいえ、いつまでもそんなことをしても仕方がない。 サラは自分と話をしたくて、ヴァイスを使ってここに呼んだのだ。 アカツキは思っていたことを素直に話した。 「あの、サラさん……言っときたいことがあるんだけど」 「なに?」 「アズサさんとカナタ兄ちゃんをつけてくれてありがと。 オレたちだけで、ホントにドラップを守れるのかなって、ちょっと心配だったんだ」 「いいんだよ、それくらい。 前途有望なポケモントレーナーと、そのポケモンを守るのはぼくたちの使命のようなものだから。 それに、ぼくの方こそ、キミに負担を押し付けてばかりで申し訳ないと思っているよ」 「……負担なんて、そんなこと考えたことないんだけどな……」 サラが寂しげな笑みを浮かべているのを見て、アカツキは首を傾げた。 正直なところ、ドラップを守るのは当然のことだと思っているし、それを負担と感じたことは一度もない。 サラにも、アカツキの胸中は理解できているのだろう。 しかし……いや、理解しているからこそ、自分がその程度のことしかできないという申し訳ない気持ちが芽生えるのだ。 責任感がないのも困りモノだが、逆に責任感に燃えまくっているというのも問題だろう。 もっとも、サラにそんな問題意識はまるでなかったが。 「フォース団は脅威にならないからいいけど、味方というわけでもなさそうだから、気をつけなきゃいけないね。 それより、ソフィア団の連中は危険だよ。 キミも、身に沁みて分かっていると思う」 サラが小さくつぶやくと、アカツキは真剣な面持ちで頷いた。 ドラップを守るため、何度もソフィア団のエージェントと戦ってきたから、彼らが危険な存在であることは身に沁みて承知している。 ソウタ、ヨウヤ……今のところはこの二人しか出会っていないが、二人とも普通のトレーナーとは頭一つ分以上は飛び抜けた実力の持ち主だ。 普通に戦うだけでも苦戦するというのに、ヨウヤはダークポケモンまで操るのだ。 まともに戦っていては埒が明かない。 どうにかしなければならないと思っているところだが、今のところはドラップを守りながら旅を続けることしか思い浮かばない。 「だけど、いつもピリピリしまくったってしょうがないと思うなあ。 カナタ兄ちゃんやトウヤがいつまでもいてくれるワケじゃないってことは分かるけど、オレはリーグバッジを集めなきゃいけないし。 どうせなら、毎日ニコニコしながら楽しみたいな」 「そうだよね……それが普通の考え方だよね」 アカツキらしい陽気な言葉に、サラの表情が和らぐ。 「でも、あいつらがまたやってくるってんだったら、オレは何がなんでもドラップを渡さない。 絶対に守り抜いてやる」 「…………」 陽気な表情を見せたかと思えば、次に飛び出したのは、子供と呼ぶことを躊躇わせるような強い決意。 トウヤから、アカツキが陽気な男の子であると聞いていたが、どうやらそれだけではないらしい。 今までドラップを守りながら旅を続けてきたのだから、それくらいの気概はなければやってこられなかっただろう。 なるほど、道理でヒビキが入れ込むワケだ…… サラは正直、ソフィア団の実験施設から逃げ出したドラピオンのトレーナーになったのがアカツキで良かったと思っていた。 家族だから、守るのに理由なんて要らない。 恥ずかしがることも、躊躇うこともなくその言葉が言えるのだから、決意の固さは相応なのだろう。 「うん。キミの決意の強さは見せてもらったよ。 キミのようなトレーナーになら、ドラップを任せてもいいかな。 もし違ってたら……嫌な思いしてもらうけど、ドラップをこっちで預かるってことになってたかもしれないね」 「そんなことになったら、オレは絶対に嫌だな。殴ったりしそう」 「その時はその時かな。これからもアズサやカナタはキミにつけるし、必要があれば他にもいろいろと情報をあげるよ。 幸い、トウヤはぼくの携帯の番号知ってるし」 アカツキはサラの言葉に少し気を悪くしたようだったが、これからもちゃんと力を貸すと言われて、ホッとしたようだった。 「話の分かる人で良かったぁ。チャンピオンって感じはしないけど……」 思った以上に穏やかで、話の分かる人だというのが、会話をしての印象だった。 トウヤが入れ込む(?)のも頷ける。 「キミにとって、ドラップだけじゃなくて、他のポケモンたちも家族同然なんだよね。 大丈夫だよ、キミならちゃんとやっていける。 話をしてみて、それがよく分かったよ」 「うーん、そうなのかな……? うれしいけど、オレはちょっとよく分かんないなあ」 サラの褒め言葉に、アカツキは思わず顔を赤らめた。 照れ隠しに頬を掻いたりするものの、照れているのが誰の目にも明らかだった。 「キミ自身にはよく分からないことだと思うけど、キミがポケモンを本当に大事にするトレーナーだってことは間違いないんだよ。 ぼくも、そういう人を何人も見てきたから、自信を持って言えるんだ」 「そやな。おまえはポケモンのことを家族やて考えられるんや。 飾り立てたりせえへんで、そのまんま家族やて思えるヤツなんか、そうはおらへん」 サラのみならず、トウヤまで太鼓判を押してくれたものだから、アカツキとしても満更ではなかった。 自分としては当たり前のことだと思っているだけだが、そういった飾り立てない気持ちがないのは誰だって分かることなのだ。 「……あ、あのさ。一つ聞いていい?」 アカツキは頬を朱に染めたまま、サラに質問を投げかけた。 照れ隠しは今も続いているらしい。 「なあに?」 可愛い……なんて思い、ニコリと微笑む。 「サラさんって、どーしてチャンピオンになろうって思ったんだ? トウヤの話じゃ、あんまりヒマもなくて大変だって聞いたけど……」 「そうだねえ……なんでだろうね?」 アカツキの不躾な問いかけに、トウヤとカナタが揃って呆然としたが、当のサラ本人は気にしていないようだった。 子供だから許そうというのか、それとも…… 「ぼくにもよく分からないんだよね。 気がついたらチャンピオンになってたっていうか……理由があるとしたら、誰かのために頑張りたいって思ったからかな。 この地方に来るまで、ぼくはあんまり誰かのために頑張ろうって思ったことがなかったんだ」 サラは笑みを浮かべたまま、他愛もないことと言わんばかりに言ってのけた。 彼女は別の地方の出身で、ポケモントレーナーとして旅をしていた頃に、この地方にフラリと立ち寄ったらしい。 それまでは特に目標などもなく、気の向くまま足の向くまま、それこそ気楽に旅を続けていたそうだ。 しかし、ウィンシティに立ち寄ったところで、彼女の人生を変える出来事に遭遇した。 とある高名なポケモン研究者が何者かに殺害されるという事件が起こったのだ。 突然起こった理不尽な出来事に、遺族は呆然とするばかりだった。 結局犯人は捕まらず、事件は迷宮入りとなった。 サラは遺族が呆然としている光景を見て、今まで自分が何のためにトレーナーとして旅をしてきたのかと、今までの自分を見つめ直した。 その頃の彼女は、すでにジムリーダーはおろか、四天王以上の実力を身につけていたものだから、 何の目的意識もなく、ただ足の流れるままに旅をしているだけで……力を持て余している自分に嫌気が差したそうだ。 誰かのためでも、自分のためでもない。 自分でも自分でない誰かのためでもなく、自分の力をどこに使おうか考えたことがなかったからだ。 そして、サラは決めた。 目の前で呆然としていたり、悲しみから涙に暮れるような人が一人でもいなくなるように、頑張ろうと。 それは今になって思えば唐突な偽善だったのかもしれない。 だが、現実として、彼女はネイゼルリーグのチャンピオンとしてここにいる。 ポケモンリーグは警察とも親密に連携を取り、犯罪の減少に寄与してきた。 もっとも、サラが思うように動けない立場でありながらも、身を粉にして働いてきたからこそだ。 彼女がチャンピオンになって、ネイゼル地方の犯罪はかなり減少した。 これが自分のやるべきことなのだと気づいたのは、データとして、犯罪の件数が減ったと見せられた時だった。 彼女はさも当然と言わんばかりに、滑らかな語り口で話してくれたが、アカツキからしてみれば、立派としか思えなかった。 「やっぱり、この人はチャンピオンなんだ……」 話の中にショッキングな出来事も含まれていたが、逆にそれが彼女の立派な生き方を引き立てていた。 アカツキは、自分と自分の大事な人やポケモン以外のために何かをしようなどと思ったことはない。 世のため人のためなど、考えたこともない。 大人の世界を知らない子供なのだから、それは当然だろう。 しかし、それでもサラが立派なチャンピオンとして輝いているのが分かる。 表情こそにこやかなものだったが、話す時の彼女の目は真剣だった。 チャンピオンとして為すべきことを理解し、実践しているからこその眼差しだった。 「ぼくは、この生き方を選んで後悔なんてしたことはないよ。 ぼくたちのしたことで、誰かが笑ってくれるなら、それ以上にうれしいことはないんだから」 「…………」 サラの言葉を、トウヤもカナタもじっと聞き入っていた。 アカツキは言うまでもなく、トウヤとカナタも知らなかったサラの過去だったからだ。 彼女はあまり昔のことを語りたがらない。 それを敢えてこの場で……チャンピオンの立場として語ったのには、何らかの意味があったのだろう。 あるいは、それはもしかしたら…… トウヤが、とある想像に及んだ時だった。 「オレは、誰かのために頑張ろうなんて思ったことないけど…… やっぱり、そうじゃなきゃダメなのかなあ?」 アカツキがため息などつきながら、そんなことを口走った。 「そうでもないよ。 少なくとも、自分のために頑張ることができたら、それで十分さ。 今のキミはまだそこまで考えたことがないだけで、恥じるべきことじゃない。 これからゆっくり考えていけばいいんだよ。 そういえば、キミの夢って、何なんだい?」 「オレの夢? そりゃ、ポケモンマスターになることだよ」 サラに訊ね返され、アカツキは一瞬固まったが、すぐに言葉を返した。 ポケモンマスターとは、あらゆるポケモンに精通し、心を通い合わせられるトレーナーを指す。 突拍子もない夢ではあるが、何の目標も持たないよりはずっとマシである。 すべてのポケモンと……となると、目標としてもかなり曖昧な部分は否めないが、要するにそれ相応のトレーナーになりたいということなのだ。 「なれそう?」 「もちろん!! なれるんじゃなくて、なるんだ!!」 「それは頼もしいね。キミがいれば、ドラップも安心するね」 アカツキが瞳を輝かせながら、臆することなく堂々と主張するものだから、これにはサラの方が励まされた。 世間の厳しさを知らない子供だから、そんな風に純粋な気持ちを持てる。 どこかで皮肉めいたアナウンスが流れることなど気にも留めず、サラは思った。 誰だってそんな純粋さを持っている。 世間の厳しさを知って、それが曇るか曇らないかの違いに過ぎない。 「なれるんじゃなくて、なる……か。 なるほど、サラが俺とアズサをつけるのも頷けるな」 トウヤは苦笑していたが、カナタは素直に感心していた。 初めて会った時は、本当にこんな子供に任せて大丈夫なのかと心配したものだが、今となっては異論などあろうはずもない。 むしろ、アカツキで良かったとさえ思っているほどだ。 普段は陽気で明るくて、それこそどこにでもいるようなやんちゃ坊主。 だけど、やる時は誰よりも一生懸命に事を成しとげようとする気概を持つ。 カナタの安堵にヒビを入れるように、サラが珍しく厳しい口調でこんなことを言った。 「でも、分かってるでしょ? 今のキミじゃ、ドラップを守ることなんてできっこない。 やる気があるのはいいことだし、それをどうこう言うつもりもないんだけどね。 ソフィア団が本腰を入れてきたら、今のキミじゃ、太刀打ちできない」 「…………」 氷のような冷たさと鋭さを秘めた視線を向けられ、アカツキは真っ向から言い返すことができなかった。 ――そんなのやってみなくちゃ分からない!!   みんなで力を合わせたら、できないことなんてない!! 本当は、そう言いたかった。 だけど、サラの言葉には悔しいが真実が含まれていた。 言い返せるはずもない、厳然たる事実は、小手先の努力や口先ではどうしようもないのだから。 暗に『今のおまえじゃ本当の窮地に陥った時に為す術がない』と言われ、アカツキは悔しかった。 彼女にそういった意図がないにせよ、言われていることが事実だと分かっているから、なおのこと。 テーブルの下に隠した拳をきつく握りしめる。 爪が皮膚に食い込んだって、構うものか。 事実は事実として受け止めなければならない。それは分かっている。 分かってはいるが……だからこそ、すごく悔しい。 アカツキが握り拳を小さく震わせながら俯いているのを見て、トウヤはチラリとサラに視線をやったが、すぐに戻した。 「あのなあ、今になってそんなこと気にしとっても、始まらへんやろ。 おまえはまだトレーナーになったばっかなんや。悔しい思う気持ちは分かるけど、焦ったところで何も変わらへんよ」 トウヤは最後に、おまえらしくもないと付け足した。 軽く肩を突くような言葉に、アカツキはハッとして顔を上げた。 視線に入ってきたのは、暖かな笑顔だった。 「トウヤ……」 「サラはな、おまえにもっともっと強くなれ言うとるんや。 ちゃ〜んと、ドラップを守ってやれるくらいにな」 「分かってるけどさ、やっぱり悔しい。 オレ、まだトレーナーになりたてで弱いけど……そりゃ、どうしようもないかもしれないけどさ。 それを言い訳にしたくねえ。 トレーナーの経験が足りなくて弱いから、ドラップを守れなかったなんて言い訳、絶対にしたくねえんだ!!」 アカツキは語気を荒げて反論した。 サラの言葉は厳しいものだったから言い返せなかったが、トウヤは違う。 優しいから、つい言い返してしまう。 言い終えてから、単なる八つ当たりだと気づいたが、トウヤは笑みを崩さなかった。 アカツキの覇気に、むしろ感心したように笑みを深めていた。 「そうそう、それでええんや。 ちゃんと言うこと言わへんおまえはアカツキやあらへんからな。 今、できることを一個一個やってけばええ」 「そうだね……試すような物言いをして悪かったね。 でも、キミは事実を事実としてちゃんと受け止めている。 その上で、やらなくちゃいけないことも分かってるんだから、もっと自分に自信を持っていいよ。 自信のないトレーナーに、ポケモンはいつまでもついて行ったりはしないものだから」 「分かってる……ガンバるよ」 アカツキは改めて一同の顔を見渡した。 三人とも、揃いも揃って笑みを浮かべているではないか。 サラが言うように、見事に担がれたのではないだろうか? そう思うと、悔しさがあっという間に恥ずかしさに取って代わり、アカツキは顔を赤くした。 「でも、キミがぼくの思った通りのトレーナーで良かった。安心して任せられる」 「うん。オレにできることはなんでもやる」 「頼んだよ」 「それで……」 サラが安堵したように言うと、アカツキはトウヤに顔を向けた。 「そういや、トウヤはオレが来る前からここにいたんだろ?」 「まあな。いろいろ積もる話もあったんや」 久しぶりの再会ということで、それなりに話が弾んだことを打ち明けると、アカツキはさらに突っ込んできた。 「どんな話してたんだ?」 「それはな……秘密や」 「えーっ、なんだよそれ〜」 トウヤはサラのことを恩人と称していた。 きっと、いろいろとためになる話でもしていたのだろう。 そう思っていただけに、アカツキはトウヤが口元に人差し指を宛がいながら明言を避けたことに不満げな表情を浮かべた。 「まー、後で話せることがあったら話したるわ。 それより、おまえはサラといろいろと話せたやろ。他に話したいこととかあるか?」 アカツキの不満を逸らすために、敢えてそんなことを口にする。 「……?」 一瞬、何を言われているのか分からなかったが、トウヤの視線が『サラもヒマやあらへん』と語りかけてきていることに気づく。 「今はないよ。でも、また会えるんだよね?」 「うん。ソフィア団と戦うことになるから、きっとキミに会いに行くことになると思う」 「そっか……だったらいいや」 「ん。決まりやな」 今は特に、これ以上話したいと思うようなことはない。 それでも、彼女がチャンピオンとして、一人の人間として信じるに足る人物であることは分かった。 十分な収穫だったと言えるだろうし、改めてドラップを守らなければ……という気概も高まった。 またいつか会えるのだから、その時までに言葉をまとめておこう。 アカツキがそう思っていると、トウヤとカナタが席を立った。 「そーゆーワケで、サラ。そろそろ俺ら、帰るわ。忙しいんやろ?」 「そう……だね」 トウヤの言葉に、サラは少し寂しげな表情を見せたものの、何事もなかったように言葉を返した。 「…………」 名残惜しいと思っているのは彼女も同じか。 トウヤは敢えてそういったことは言わず、その代わりに、 「何かあったら電話しとくれや」 「うん、そうする。キミたちも、いろいろとやるべきことがあるんだろうからね。 これ以上、ぼくの都合で引き止めるのも悪いからね。 それじゃあ、またいつか……」 サラはトウヤの気遣いに思わず涙ぐみそうになったが、何年か前に泣かした相手に泣かされるというのは、やはり面白くない。 「じゃあ、サラさん。また来るよ」 「うん。キミたちならいつでも歓迎するよ。また遊びにおいで」 アカツキはトウヤに腕を引っ張られて席を立つと、サラに小さく一礼した。 道場&家庭で礼儀については叩き込まれているため、そういった方面には無縁なトウヤやカナタよりはよっぽどできるのだ。 サラは微笑ましいものでも見るような眼差しを向け、退出する三人を見送った。 アカツキとトウヤが廊下に出て、最後にカナタが部屋の扉を閉めようとした時、おもむろに振り返ってきた。 「? どうしたの?」 「何かあったら連絡する。それまでは、あんまり無茶するなよ。 サラって、時々無茶することがあるんだからな」 「分かってるよ。そういうのは自重してるから」 「それならいい。またな」 「うん」 短い会話を交わし、カナタも部屋を出て行った。 アカツキとトウヤが顔を覗かせなかったのは、カナタとサラに対する配慮か、それとも…… バタン、と扉が閉ざされた今となっては、どうでもいいことだった。 一人残された執務室で、サラは深々とため息をつき、ソファーに深くもたれかかった。 チャンピオンにあるまじき、みっともない姿。 普段なら誰にも見せないところだが、誰も見ていないところでなら構わないだろう。 「…………」 これでまた一つ、事が進んだ。 サラは目を閉じ、これからどのように事態が進んでいくのか考えてみた。 今までの情報から考えられることとしては…… 「やっぱり、アカツキ……キミで良かった。 そうじゃなかったら、きっと乗り切ってはいけないだろうから」 面白くもない想像。 あまりに下らな過ぎて笑いが込み上げてくる。 懸念すべき事項が一つ減ったのだから、それで良しとすべきなのだろう。 「あとは……ポケモンリーグ内部での動きがまとまれば、ケリがつく」 サラのつぶやきは誰の耳に入ることもなく、静まり返った執務室の空気に程なく溶け込んだ。 To Be Continued...