シャイニング・ブレイブ 第13章 黄昏とともに -Fang of malice-(中編) Side 3 一方、その頃…… 街で騒ぎが起きていると聞きつけたトウヤたちは、騒ぎが起きている現場へと駆けつけていた。 さすがに、トレーナーではないミライは連れて来れなかったが、それが幸いした。 以前に感謝祭を開催した小高い丘、ショッピングモールのど真ん中、風車の高台の三箇所で同時に騒ぎが起きた。 これは何かある……そう思ったが、まずはこの騒ぎを沈静化することだ。 それがトウヤたちの共通認識ではあった。 ショッピングモールのど真ん中でいきなりポケモンが暴れ出したものだから、買い物客や住人が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。 人の流れを掻き分けながら進んでいくと、トウヤは見覚えのある顔を見つけた。 「ソウタ……!?」 「おや、どこかで見た生意気なヤツだと思ったら……なるほど、おまえがここに来るとはね」 ハガネールやビブラーバ、アリゲイツといった血の気の多いポケモンを暴れさせ、 周囲の建物に被害を及ぼしているのは、ソフィア団のエージェントであるソウタだった。 最初にアカツキのドラップを奪おうとした者であり、トウヤとしてもそれなりに因縁のある相手だ。 「あの時は決着がつかなかったが、ここで雌雄を決するというのも、悪くない……」 ソウタはポケモンたちに暴れるのを止めるように言うと、トウヤに攻撃するよう指示を出した。 「……どういうことや? ソウタがここにおるっちゅーことは……」 トウヤは血の気の多いポケモンたちが襲い掛かってくるのを目にしても、その場を一歩も動かなかった。 何もせずにやられる気かと、これにはカナタとアズサが黙っていなかった。 「カモン、マイフレンズ!!」 「出てきなさい!!」 それぞれのポケモンを繰り出して、ソウタのポケモンを相手に大立ち回りを始めた。 鍛え抜かれた四天王のポケモンを目の当たりにして、ソウタの顔色が変わった。 さすがに、四天王を二人も相手にするのは分が悪いと判断したのだろう。 攻撃命令を取り下げる代わりに、ポケモンたちをモンスターボールに手早く戻し、脱兎のごとく西側へと逃げ出していくではないか。 「あっ!! 逃げるのか!!」 すかさず、ポケモンたちと共にソウタを追いかけるカナタ。 何がなんだかよく分からないが、放置しておける相手ではない。 四天王はネイゼル地方の治安を守るという重要な役目も担っているのだ。治安を乱す相手は誰であろうと野放しにはできない。 「……トウヤ君。何か思い当たるところがあるのね?」 アズサはソウタを追いかけたカナタに目をやることもなく、トウヤに顔を向けた。 先ほどのやり取りから、ソウタがソフィア団の一員であることは疑いようもなかったし、この騒ぎもソフィア団が起こしたものだろう。 だとすると…… 「あかん!! アカツキがヤバイ!!」 トウヤは突然大声を上げると、いつかアカツキから教わったキサラギ博士の研究所を目指して駆け出した。 その方角には、煙は上がっていない。 「あ、ちょっと!!」 これにはアズサも驚いて引きとめようとするが、トウヤは振り返りもせず、大声で叫んだ。 「これは陽動や!! ソウタが逃げおったのも、四天王を引き離すためや!! アズサはんは、他のトコの騒ぎを鎮めとくれ!!」 「…………」 アズサが困惑しているのを背後に感じながら、トウヤは全速力で北上した。 どう考えても、これは陽動だ。 同時多発的に騒ぎを起こすことで、いかにもカモフラージュしたように思えるが、トウヤの目は誤魔化せない。 以前、フォレスタウンでも同じことがあったのだ。 今、アカツキは四天王の手を離れ、サラから預かったロータスでも手の届かない場所にいる。 それを狙っていたのだとしたら……タイミングを見透かした上で騒ぎを起こしていたのだとしたら…… 相手は相応の準備を整えて襲撃を仕掛けてきたということ。 「アカツキ……無茶すんな!!」 大事なのは、ドラップを守ることだ。 相手を無理に倒す必要はない。 空はいつの間にか朱色に染まり、太陽が西の地平線に沈みかけようとしていた。 「アッシュ、瓦割り!!」 「ラチェ、原始の力!!」 「ネイトはアクアジェット!! ラシールはエアスラッシュで、アリウスはスピードスター!!」 次々と指示が乱れ飛ぶ。 指示を受けたポケモンたちが一斉にシンラのポケモンたちに技を繰り出すが、 彼のポケモン――ラグラージ、プテラ、ゴウカザルの三体は予想以上の強さだった。 技を食らいながらも、まったく勢いを落とすことなく攻撃を仕掛けてくる。 その気迫たるや、格闘道場で海千山千の相手と渡り合ってきたアラタでさえ思わず怯んでしまうほどだ。 それに、シンラは一切ポケモンたちに指示を出していない。 ラグラージたちは、それぞれの考えで戦っているのだ。 だからこそ、シンラが浮かべる笑みが何を物語っているのか……それさえも分からない有様だった。 攻撃力の高さが自慢のアッシュとラチェが攻撃を加えても、ダメージを負った様子すら見せずに迫ってくる。 これは脅威以外の何者でもなかった。 「ラァァァジ!!」 ラグラージが裂帛の叫びを上げ、長く伸びたアッシュの角を前脚でガッチリ掴んだ。 「ヘラクロっ……!?」 必殺のメガホーンを食らわせようとした矢先、角を抑えられては突進できない。 ラグラージの膂力は、アッシュでさえ撥ね退けられぬほどの強靭さだった。 そうしてラグラージに気を取られている間に、プテラが上空から攻撃を仕掛けてくる。 かといって、プテラを警戒していては、ゴウカザルが素早い動きでトリッキーな攻撃を仕掛けてくる。 シンラのポケモンたちは独自の考えで戦っていると言っても、ちゃんと連携を取っていた。 ラグラージは強大なパワーで荒々しい波濤のごとき攻撃を。 プテラは威力こそラグラージに劣るものの、的確に狙い済ました攻撃を。 ゴウカザルはラグラージの合間を縫うように、素早い動きで相手を惑わせながら、トリッキーに攻めてくる。 それぞれの弱点を補うような三位一体の攻撃に、アカツキたちはジリ貧を強いられていた。 一体に気を取られていては、他の二体が攻撃を仕掛けてくる…… 見事なまでの連係プレーに、リータ、ラシール、アリウスの三体が早くも戦闘不能に陥ってしまった。 「戻れ!!」 戦闘不能のポケモンをボールから出したままにしておけば、周囲のことなどお構いナシに攻めてくるラグラージの餌食になるだけだ。 アカツキは潔く三体をモンスターボールに戻し、ネイトとドラップに指示を出した。 「ネイト、アクアジェット連発!! ドラップはアイアンテールからシザークロスだ!!」 相手の攻撃はいよいよ激しさを増し、防戦では簡単に負けてしまう。 認めたくはないが、シンラのポケモンはジムリーダーのポケモンをも上回る強さを秘めている。 怒涛の勢いで、アカツキたちの防衛線をガリガリと削り取っていく。 力には力で対抗しなければ、瞬く間に全滅してしまうだろう。 アカツキでさえ分かることを、アラタとキョウコが理解できていないはずがなかった。 「アッシュ、振り解け!! ジオライトは吹雪でアシスト!!」 「ラチェ、攻めて攻めて攻めまくるのよ!!」 二人して鬼気迫る表情でポケモンに指示を出すが、 ゴウカザルがジオライトの攻撃を邪魔し、アッシュを抑えつけるラグラージに有効打を与えられない。 また、ラチェが原始の力を連発するも、プテラは素早い動きでそれらの攻撃を易々と避わし、 弱点となる鋼タイプの技・鋼の翼でラチェに大ダメージを与える。 とてもではないが、まともに戦っていたのでは勝ち目はない。 「やべ……」 アラタは、シンラが一人で乗り込んできた理由を理解した。 こんな時に……ではなく、こんな時だからこそ、嫌でも理解できてしまうものなのだ。 シンラはジムリーダーのポケモンをも上回る強さを持つポケモンを引き連れている。 だからこそ、多少の障害が立ち塞がろうと、力ずくで目的を達成できる。 笑みの裏に潜む、自身に対する絶対の自信。 それが、彼が単身、乗り込んできた理由なのだろう。 他の場所で騒ぎを起こせば……その分、こちらに回せる戦力も削れる。 考えてみれば簡単な作戦だが、シンプル・イズ・ベストなる言葉が示すとおり、簡単なほど、相手に警戒心を与えないものだ。 「だったら、なんで今までやってこなかったんだ……?」 それだけの力があるのなら、最初から乗り込んでくれば良かったのだ。 やれなかったのではない、やらなかったのだ。 それも、癪だが理解している。 「こんなヤツの相手をまともにしてたら、絶対勝てねえっての……」 ネイゼル地方で最強のジムリーダーと目される、ウィンジムのジムリーダー。 彼が駆るドラゴンポケモンですら、シンラのポケモンを相手に勝利を収められるとは思えない。 アラタにそこまで考えさせるほどの相手である。 まともに打ち合っていては、いずれ負けてしまう。 今でこそ全力で相手の攻撃を防いでいる状態だが、少しでも均衡が崩れれば、一気に破滅へ向かって突き進んでしまうだろう。 いつ、そうならないという保証もない。 こうなったら……アラタはポケモンに指示を出しながら、キョウコに目をやった。 同時に、彼女もアラタに視線を向けてきた。 これもまた認めたくないことだが、互いに同じことを考えているらしい。 キョウコが小さく頷く。 「……?」 シンラは訝しげに目を細めたが、すぐに答えが示された。 「アカツキ!! おまえはネイトとドラップ連れて早く逃げろ!! トウヤが一緒なら、少しは違うだろ!! あいつは頭も切れるし、頼りになる!!」 「そうね!!」 「兄ちゃん……」 アラタの言葉に、アカツキは従おうと思った。 確かに、今はシンラに勝つことではなく、ドラップを守ることが最優先だ。 アラタとキョウコが全力で抑えている間に、できるだけ遠くに逃げること。 二人は知らないが、今のアカツキにはネイゼルリーグ四天王もついている。 彼らと合流できれば、シンラのポケモンを蹴散らすこともできるだろう。 裏を返せば、今のままではどう足掻いても勝ち目は少ないということだ。 「そうは行かないよ。僕がその気になればね……」 アカツキがネイトとドラップをモンスターボールに戻そうとした時だった。 突然、シンラのポケモンの勢いが増した。 あまりに唐突な変化に、アラタとキョウコのポケモンはついていくことができず、一瞬、たじろいだ。 しかし、ラグラージたちにはその一瞬で事足りた。 際どい均衡を容易く打ち崩し、瞬く間にアラタとキョウコのポケモンを蹴散らしてしまった。 「なっ……!!」 ゴウカザルのフレアドライブとシャドークローによって、アッシュとジオライトが瞬く間に倒され、ラグラージの冷凍パンチがジェスを撃墜する。 プテラのアイアンヘッドと鋼の翼の連撃でラチェが倒され、 アッシュとジオライトを倒したゴウカザルが間髪入れずにインファイトを発動させてケレスを地に這わせた。 残るキリアも、ラグラージのギガインパクトで倒され、アラタとキョウコのポケモンは全滅した。 今から他のポケモンを出しても間に合わない……それは誰もが理解していることだった。 二人はすぐにモンスターボールに傷ついたポケモンたちを戻したが、残りのポケモンを出すことはできなかった。 屈強なポケモンたちの視線が、腰に伸ばした手の動きを封じ込めている。 「こんなものだ。まあ、さすがに無傷の勝利とは行かないけどね……」 シンラは笑みを深め、アラタとキョウコのポケモンを蹴散らした頼もしい仲間を見やった。 数で上回る相手と戦いながらも、一体も倒れていない。 さすがに、シンラの言うとおり、無傷の勝利とは行かなかったが、それでも息を切らしている程度で済んでいるのは驚嘆に値する。 その気になれば、いつでも倒せる相手だ。 シンラにとって、アラタとキョウコのポケモンなどその程度の相手に過ぎなかった。 メインディッシュに繋ぐための前菜……そんなところだろう。 「……さて、そろそろ連中も気づくだろう。そうなる前に終わらせるよ」 言い終えるが早いか、シンラが動いた。 アカツキはアラタたちのポケモンが倒されたことに衝撃を受け、 ポケモンをモンスターボールに戻すことさえ忘れていたが、シンラの動きを見て、素早くモンスターボールを掲げた。 「ネイト、ドラップ、戻……!!」 だが、シンラはラグラージを踏み台に――ラグラージ自身がそれを望んでいるようでもあったが――し、 アラタとキョウコの頭上を飛び越えながら、ドラップ目がけて懐から取り出したモンスターボールを投げつけた。 完全に虚を突かれ、ドラップは逃げられなかった。 アカツキは捕獲光線を発射したが、シンラが投げたモンスターボールは剛速球のような勢いでドラップに迫る。 「ダメだ、間に合わないっ!!」 自分のモンスターボールに入った以上、他人のボールにドラップは入らない。 しかし、アカツキには見えていた。 シンラが投げたボールから、ダークポケモンが立ち昇らせていたのと同じ、禍々しく染まる黒いオーラがにじみ出ているのが。 「まさか、あれは……!!」 普通にやっては間に合わない。 ドラップの動きに期待することができない以上は―― アカツキは地を蹴り、ボールがドラップと接するまでのわずかな時間を引き延ばそうと賭けに出たが、 もう一人、同じことを考えている者がいた。 「ブイっ!!」 ネイトだった。 ネイトは声を上げると、アクアジェットを発動し、ドラップとボールの間に割って入った。 「ネイト!?」 アラタとキョウコもまた、驚愕の声を上げた。 ラグラージたちに凄まれ、身動きが取れなくなっていたのだが、まさかネイトまで行動を起こすとは思っていなかったからだ。 「ごぉっ……!?」 ドラップには、自身目がけて飛んでくるボールがどういったものなのか、理解できていた。 ソフィア団の実験施設にいた頃、何度となくボールが放つ雰囲気に飲み込まれそうになったことがあったからだ。 逃げられない……それは分かっていたが、まさかネイトが割って入るとは。 「ごぉぉぉ!!」 ――ダメだ。 ドラップの叫びは、ネイトには届かなかった。 ネイトはドラップを守るために、自ら身を挺したからだ。 シンラが投げたボールはネイトの頭に当たると口を開き、強引にネイトをボールの中に引きずり込んだ。 「なっ!? ネイト!?」 トレーナーにゲットされたポケモン――正確には、一度でもモンスターボールに入ったポケモンは、他のモンスターボールには入らない。 それは、ボール一つ一つに割り当てられた固有番号(ナンバー)がポケモンの身体に、目に見えない微小な符号として刻みつけられるからだ。 だが、ネイトはシンラの投げたボールに入ったまま、出てこなかった。 「ネイト!? ど、どうなってんだ……?」 まさか、他人のボールに入るなんて…… アカツキは何をすべきなのかも忘れ、呆然と立ち尽くすしかなかった。 ネイトが入ったボールからは、どす黒いオーラが漏れている。 見ているだけで背筋が凍りそうな、嫌な雰囲気を漂わせている。 「…………」 「どうなって……るの?」 アラタは絶句し、キョウコは驚愕に目を見開いて。 彼らの視線は、一様にそのモンスターボールに注がれていた。 改めて目をやると、黒と紫のまだら模様に彩られた、見るからに不気味なボールではないか。 ピクリとも動かないその様が、不気味さを際立たせているようにさえ思えてくるのは、果たして気のせいか。 「思わぬ邪魔が入ったか……」 着地したシンラは、そこで初めて笑みを崩した。 横槍が入るとは思っていなかったのだろう。 ボールを掻っ攫うように拾い上げ、訝しげな視線を向ける。 「なるほど……」 何やら一人で勝手に納得しながら、ボールとドラップを交互に見やる。 「そのブイゼル……ネイトとやらは、君がドラップと言っているドラピオンを守るために自ら飛び込んできたようだな。 正直、小物に邪魔をされたような気がして癪だが……まあいい」 「ゴチャゴチャうるせえ!! ネイトはどうなったんだ!?」 一人で勝手に話を進めているのに納得できず、アカツキは声を荒げた。 お世辞にも武術が得意とは思えないような体格である。 飛びかかってボールを奪おうかとさえ思ったが、アカツキの敵意に反応したのか、ラグラージとゴウカザルがシンラを守るように躍り出た。 「なに、簡単だよ」 シンラはボールを手のひらで転がしながら、事も無げに言ってのけた。 「このボールは、普通のポケモンをダークポケモンに作り変えることができるんだ。 君には、ダークポケモンが発する微弱なダークオーラが見えるらしいね。 なら、このボールからそれが発せられているのも分かるだろう? 君がネイトと呼んだブイゼルは、このボールの中でダークポケモンになる…… いいや、入った瞬間に心に重い鍵をつけられ、もうダークポケモンになってしまったかな」 「ウソだっ!! ネイトがダークポケモンなんかになるもんか!!」 あらん限りの声を振り絞り、アカツキは叩きつけるように叫んだ。 握りしめた拳が小刻みに震えているのは、シンラの言葉を信じたくない一心だったからだ。 しかし、アカツキには分かる。 シンラの言うとおり、彼が手にしたボールからは、不気味で禍々しい黒いオーラがにじみ出ている。 ネイトがそのボールの中にいるなら……彼の言葉も、あながちウソではない、ということも。 ……だからこそ、認めたくはなかった。 今まで一緒に過ごしてきた、苦難を分かち合ってきたネイトが、ダークポケモンという心のない存在に成り果ててしまったなどということを。 アカツキが激しく動揺しているのを見て取って、アラタがそっと肩に手を置いた。 今ここでいきり立ったら、シンラの思う壺だ……無言で語りかけるが、声に出したところでその想いは届くまい。 「そんなこと、できるわけないわ」 キョウコが不意に、頭を振った。 ポケモンをそんな簡単にダークポケモンにすることなどできない。 少なくとも、彼女はキサラギ博士からそのように聞いていたからだ。 アカツキの心を手折るために、彼がウソをついているという可能性が高いと判断した。 「専用の施設があって、長い時間をかけなければダークポケモンは作れない…… あたしのマミーは、オーレ地方のシャドー事件のことを調べてたけど、だからこそ分かるのよ。 ポケモンがモンスターボールに入った程度で、ダークポケモンになんてできない」 「さて、それはどうかな?」 だが、シンラはキョウコの言葉に間を置かずに反論した。 「確かにそれは間違ってはいない。 だけど、その事件でダークポケモンを研究していた者が、僕のために知識と技術を貸してくれたとしたら? ダークポケモン製造のノウハウに精通し、大がかりな設備を使って、このボールを作り出したとしたら……? 僕が言っていることも、あながち不可能じゃあない。そういうことだよ」 「…………」 子供の戯言など踏み消すのは容易いと言わんばかりに、滑らかな口調でサラサラと話す。 これにはキョウコも沈黙せざるを得なかった。 今の言葉がウソであると言い切れれば良かったのだが、相手の言葉を否定するだけの根拠も何もなければ、詮無いことだ。 「本当は、そのドラピオンをボールに入れて、ダークポケモンにしたかったんだけどね…… 残念ながら、邪魔が入ったというわけだ」 「なんなんだよ……ダークポケモンなんか使って何がしたいんだ!! ネイトを返せっ!!」 「おい、やめろっ!!」 シンラの言葉に逆上し、アカツキはラグラージとゴウカザルがいることさえ目に入らずに飛びかかろうとしたが、 アラタが背後から羽交い絞めにして止めた。 「なんでダークポケモンなんか作るんだ……!! なんでドラップを傷つけようとするんだ……!! なんで、誰かを傷つけようとするんだよ!! そうしなきゃ生きてけないなんて言うんじゃないだろうな!?」 アカツキはアラタを振り払おうとするが、体格的に恵まれた兄の方がまだ腕力は強く、ジタバタもがくしかなかった。 今シンラに手を出そうとしても、ラグラージとゴウカザルに返り討ちにされてしまうだろう。 トレーナーに手を出すようなヤツには、容赦しない…… 二体が向けてくる鋭い眼差しは、非情にすら似た感情を宿していた。 こんな状態で、今にもシンラを殴り倒そうと考えているアカツキを止めずにはいられなかった。 アカツキが憎悪の眼差しを向けても、シンラは涼やかな表情をまったく変えなかった。 「簡単だ。それが必要だからだよ。僕にとっては、ね」 「てめえっ!!」 「なんだったら、見せてあげようか? ネイトがダークポケモンになった証拠を」 「…………!!」 その一言で、アカツキの動きがピタリと止まる。 まるで、魔法にかかったかのようだった。 シンラは口の端に笑みを浮かべると、ボールを軽く頭上に投げ放った。 「出てこい、ネイト」 彼の言葉に応えるようにボールが口を開き、中からネイトが飛び出してきた。 ラグラージとゴウカザルの間に挟まれるようにして飛び出してきたが…… 「ウソだ……こ、こんなの……」 ネイトの表情には生気がなく、目は死んだ魚のように虚ろだった。 決定的だったのは、ネイトの身体から、ダークポケモンがその身から放つ黒いオーラが立ち昇っているのが見えたことだ。 アカツキの鋭すぎる感性は、ネイトがダークポケモンになってしまったのだと誰よりも先に感じ取っていた。 「ネイト……」 いつもなら、じゃれ付いてきたり、水鉄砲をぶっ放してきたり、屈託のない笑顔で心を和ませてくれる。 そのはずなのに…… 無表情で、アカツキをその目に映しても、何の反応も示さない。 当然だ。 ダークポケモンは、心に鍵をかけられた存在。 喜びも、哀しみも、怒りも、恐怖も感じない。 まさに戦うためだけに生み出された兵器そのもの。 「なあ……いつものように笑ってくれよ。 なんで、ダークポケモンなんかになっちまうんだよ……おまえ、ドラップを守ろうとしたんだろ!? だったら、もっと胸張って得意気に笑ってくれよ!! ネイト、聞いてんのかよ!!」 「…………」 「…………」 アカツキの叫びに応えるものはいなかった。 ……いるはずもない。 敵であるシンラたちはもちろん、アラタもキョウコも、何を言っていいのか分からないからだ。 ネイトは……反応を示さない。 心のないダークポケモンになってしまったからこそ、何も感じないのだ。 周囲のポケモンはすでに遠くに逃げ出し、吹き抜ける風が草を撫でる小さな音しか聴こえない。 張り詰める沈黙が、アカツキに最悪の答えを突きつけていた。 「……ウソだ……こんなのウソだ、ネイトがダークポケモンになるなんて……」 アカツキはその場に膝を突いた。 あまりに衝撃的で、まともに立っていられない。 シンラはアカツキが顔面蒼白になっているのを、笑みを浮かべたままの表情で見つめていた。 ネイトであれ、ドラップであれ、奪えば同じような反応を示していたのだろう。 そうなると分かっていて、ポケモンをダークポケモンに変えてしまうボールを投げたのだ。一抹の後悔も罪悪感も、望めはしない。 「でも、ダークポケモンなら、キャプチャで心の扉を開けば、戻してあげられるわ。 落ち込むのはまだ早いって言ってんの!!」 相手を問いつめても、どうにもなるまい。 ここは自分たちがしっかりしなければならないのだ。 キョウコはそう思い、アカツキにきつい言葉をかけた。 「カヅキと連絡を取れれば、すぐにでも……」 以前、ヨウヤがダークポケモンを引き連れて襲撃を仕掛けてきたことがあった。 戻るべきボールを失って暴走したクロバットを、アカツキがカヅキのキャプチャ・スタイラーを使って普通のポケモンに戻したのだ。 今ではラシール……アカツキの大切な仲間の一員として共に生きているポケモンである。 だから、ダークポケモンと言えど、心に直接働きかけて助力を要請するキャプチャであれば、閉ざされた扉を開いて元に戻すことができる。 「そうだな……おい、あきらめんのはまだ早いぜ!!」 カヅキは当分、この地方を旅すると言っていた。 連絡を取ろうと思えばいつでも取れるのだ。 なんとか、ネイトだけでもこの場に留まらせれば、元に戻すことも不可能ではない。 アラタもアカツキを励ましたが、二人の言葉は彼に届くことはなかった。 ネイトが変わってしまったことに衝撃を受け、立ち上がれなくなってしまった、純粋すぎる男の子には。 「残念だが、ポケモンレンジャーのキャプチャでも、ネイトを戻すことはできないよ。 完全型のダークポケモンは、キャプチャディスクが発する助力のシグナルは届かない…… 弱点を、そのままにしておくと思ったのかい……? ヨウヤのポケモンなど、完全型のための布石でしかないんだ」 「完全型……? ネイトのこと?」 「そうだよ。ボールを使って、何人たりとも元通りにはできないダークポケモン。それが完全型だ。 そのための素材として、そこのドラピオンを使おうとしたんだ。 それなのに、逃げ出してしまってね。 他に素質のあるポケモンはいなかったから、僕たちは今までしつこく追いかけてたってワケだよ。 でも、もうそうする必要もないね。 パッと見た目でも、ネイトが素質のあるポケモンだと分かる。 ダークポケモンとして、僕の良き手足となって働いてくれるだろう……」 「て、てめ……」 「なんてこと考えてんのよ、あんた……」 シンラは、アラタとキョウコの希望さえ易々と打ち砕いてみせた。 ヨウヤのダークポケモンのように、キャプチャで元に戻るようでは完全なダークポケモンとは言えない……確かにそのとおりだ。 だからこそ言葉を返せない。 「…………」 アラタとキョウコの言葉でさえ届かないアカツキにとって、シンラの言葉など遠い世界の言語のようだった。 何を言われているのかも分からない。 分かろうともしないのだから、当然だった。 「そんなことして、ポケモンが喜ぶわけないじゃないのよ!! ポケモンだってね、心を持ってるの!! 一緒になって笑って、泣いて、怒って!! そうして頑張ってこうって思うものなの!! あんただってトレーナーなら、それくらいは分かってるはずでしょ!? なのに、どうしてそんなマネできんのよ!!」 アカツキが放心状態になっているのを見て、キョウコは怒りを爆発させた。 ポケモンは彼女にとって大切なパートナーだ。 アカツキでなくても、ダークポケモンなどという存在は到底看過できるものではなかった。 落ち込むアカツキと、彼を励ましているアラタ。 二人の分まで、怒りを爆発させなければならなかった。 しかし、キョウコの怒声に動じることなく、シンラはふっと小さく息をついた。 「言っただろう? 必要だからだ……と」 「自分のポケモンには同じことできないくせに!!」 「ダークポケモンにする必要がないほど強いんだからね。それは当然だ」 ああ言えばこう言う。 まさに馬耳東風。 シンラはキョウコの言葉を易々と避わしてのけた。 どんな言葉をぶつけられても、すぐに切り返してしまう。 子供と大人の違いを見せ付けるかのような態度だった。 「てめえ、何企んでやがる……ドラップはダークポケモンにするための素材だぁ? 完全型だ? ンなの知ったこっちゃねえが、ネイトをさっさと戻しやがれ!!」 キョウコが沈黙したのも束の間、次はアラタが怒りの導火線に火をつけた。 アカツキは虚空に目を留めたままだった。 ネイトさえ戻ってくれば、こんな抜け殻の状態からはすぐに脱け出せる。 兄として、放ってはおけなかったが、現実は残酷だった。 「そんなことまで君たちに教える必要はないよ。 認めたくない気持ちは、分からなくもないけどね。 でも、そろそろ終わりにしよう。騒ぎを聞きつけて、一人やってきたようだからね」 「えっ?」 シンラが顎で指し示した方向に目をやると、青いUFOのようなポケモン……メタグロスに乗ったトウヤがすっ飛んでくるのが見えた。 「ネイト、おまえのトレーナーはこの僕だ。それを教えてやれ」 「……っ!?」 アカツキはシンラの言葉に、弾かれたように顔を上げた。 ネイトは虚ろな目をアカツキに向けると、ダークオーラを活性化させた。 密度が濃くなったダークオーラはアカツキでなくとも視認できた。 オーラは巨大な手の形となり、ネイトの背中から天に向かって伸びていく。 悪魔の手さながらのオーラを、無言で眼前に叩きつける!! 刹那、衝撃波が周囲を駆け抜けた。 「きゃっ!!」 「危ねえ!!」 真っ先にバランスを崩したキョウコに駆け寄り、アラタはその身体をグッと引き寄せた。 衝撃波がパチパチと身体を叩く。 直撃を受けていないというのに、骨を砕かんばかりの痛みが襲いかかってくる。 「ちっ、マジでやべえな……」 アラタは痛みに顔をしかめながらもキョウコをその場に横たえ、次はアカツキを助けようとしたが、アカツキは水場に叩き落されてしまった。 ネイトがダークポケモンになってしまったというショックで、衝撃波に一瞬でも抗うことはできなかった。 「ネイト……いやだ……」 衝撃が、全身を容赦なく叩く。 痛みもどこか遠い世界の出来事のように感じられた。 水場の水が視界を覆う直前、アカツキが見たネイトの表情は虚ろで、作り物のようだった。 どくんっ…… 一際大きな心音が聞こえたかと思うと、アカツキの意識は途切れた。 派手な水音を上げて湖に落ちた男の子を見やり、シンラはネイトをボールに戻した。 「ラグリア。戻るぞ」 頭上に控えているプテラ――ラグリアに言葉をかけ、ラグラージとゴウカザルもボールに戻す。 アラタとキョウコは反撃などできないだろうが、問題は前方から勢いを上げて突っ込んでくるメタグロスだ。 予想が正しいとすると……あのメタグロスは敵に回したくない相手。 シンラが三体のポケモンが入ったボールを腰に差すと同時に、ラグリアが脚で彼の肩をガッチリとつかみ、そのまま空へ舞い上がった。 メタグロスは自身の磁気と地磁気を反発させることで空を飛ぶことができるが、鳥のように自由に飛べるわけではない。 一旦空に逃げてしまえば、追いかけてくることなどできはしない。 遠ざかる研究所の敷地を眺めながらも、シンラは吹き付ける風に目を細めたりはしなかった。 これが結果だと、再確認する。 はじめから自分が出てきていれば、部下が失敗を重ねることもなかったのだろうが…… 「準備が必要だった……それだけさ」 ラグリアは特に指示を受けなくても、ソフィア団のアジトがある方角へと飛んでいく。 Side 4 「何があったんや……? さっきの、あのヤバそうなのは……」 トウヤはアラタとキョウコの傍に降り立つと、ロータスにアカツキを助けるよう指示を出し、自身は二人に説明を求めた。 一体、ここで何があったと言うのか…… 最後の方だけなら、わずかに見えた。 小型のポケモンの背中から伸びた、神をも縊り殺せそうな禍々しさを放つオーラの腕。一振りするだけで衝撃波を撒き散らしてみせた。 どんなポケモンかまでは確認できなかったが、あれは危険な存在だ。放置などできるはずもない。 すぐにでもサラと連絡を取りたいところだが、それよりも今は…… アラタはキョウコを抱えて立ち上がると、トウヤに視線を向けた。 「トウヤか……助かった。おまえが来てくれなかったら、どうなってたか……」 普段の彼からは想像もできないような、弱々しい声音。 アカツキの兄なのだから、もう少し元気かと思っていたが、今それを求めるのは酷というものだろう。 とんでもないことが起こってしまったようだから。 「…………夢だったらいいなって、あたしがそう思うようなことよ」 キョウコが、深いため息を漏らしながらポツリと言った。 強気な彼女が、ため息を隠そうとしないとは、思っていたよりも深刻な事態が起こっているのかもしれない。 トウヤは改めて周囲を見渡した。 少し離れたところで、ドラップが項垂れている。 堂々とした態度や、全身からにじみ出る覇気はどこへやら、凶暴なポケモンが聞いて呆れるほど落ち込んでいるではないか。 アカツキのほかのポケモンは見当たらないが、モンスターボールに戻したのだろうか? ネイトがドラップを守るために自らの身を挺し、ダークポケモンになってしまったなどという想像が働くはずもなかった。 「ネイトが……」 キョウコの言葉を受け、アラタが悔しそうに歯を噛みしめながら言った。 「ネイトがダークポケモンになっちまった……ドラップを守るために」 「な、なんやて……!?」 これにはトウヤも仰天した。 嫌な予感ほどよく当たるとは言うが、町に入ってすぐに感じた不安……虫の知らせが本当に的中してしまったのだ。 慌ててドラップを振り仰ぐが、トウヤの視線など意識していないらしく、アカツキが落っこちた湖に視線を向けて項垂れているばかり。 なるほど…… ドラップはネイトが自分のせいでダークポケモンになってしまったのだと、憎い相手にさらわれてしまったのだと責任を感じているようだ。 程なく、アカツキはロータスの背に乗って湖から浮上した。 全身びしょ濡れになっているが、それよりもトウヤが驚いたのは、アカツキの表情が不安と悲しみに歪んで見えたことだった。 悪夢にでもうなされているらしく、時折悲痛な呻き声を上げている。 「…………」 普段のアカツキからは想像もできないような表情に、トウヤは直視することができなかった。 緊急避難的にアラタとキョウコに視線を向ける。 現実から目を逸らしているのだと分かっていても、そうせざるを得なかった。 「…………」 もし、自分がもう少し早く到着していたら、こんな結果にならずに済んだか? 不意にそんなことを考えてしまうのは、ドラップではなくても、ネイトが奪われてしまったという事実が横たわっているからだろう。 同時多発的に町の各部で起きた騒ぎは、ここでソフィア団の一員がアカツキたちを襲撃するのをカムフラージュするためのもの。 早期に気づいたとはいえ、まんまと相手の張った罠に落ちたことになる。 今はカナタとアズサの活躍によって各地から上がっていた煙も消え、事態は終息したが、 現場から四天王を引き離すという目的は、完全に達せられた。 悔しいが、完敗である。 「……せやけど、結果を言い訳にしたらアカン。 まだ、終わったワケやないんやから……」 それでも、まだ終わってはいない。 ダークポケモンだって元に戻す手段があるのだから。 トウヤは起こってしまった悲劇に沈み込みそうになっている気持ちを拾い上げると、凛とした表情で口を開いた。 「最初から話してくれへんか? 一体、何がどうなってこんな結果になったんや?」 ネイトがドラップを守って、ダークポケモンになってしまった。 先ほど見た悪魔の腕は、アカツキだけが見えたというダークポケモンのオーラが濃密になったものだろう。 だとすると、ネイトがアカツキを躊躇いもなく攻撃したということになる。 そんなことは考えたくないが、すでに考えたくない出来事が起こっているのだ。非常時に常識が役に立たないのと大差ない。 「…………分かった」 アラタはしばらく躊躇っていたが、やがて首を縦に振った。 こうなった以上、どうにかしなければならない。 トウヤはアカツキが心を許している相手だ。何を話しても、ちゃんと受け止めてくれるだろう。 だが、それよりも今は…… 「それより、アカツキのことが心配だ。 あいつを落ち着ける場所に運んでからにしよう。その方が……いいだろ?」 「ああ、そうやな」 三人揃って、ロータスの上でぐったりと横たわっているアカツキに視線を注ぐ。 水を飲み込んでしまっているようだが、ロータスが介抱してくれたらしく、特に危険な状態というわけでもなさそうである。 アラタとキョウコでさえ、夢であってくれれば……とさえ思うような出来事。 無論、家族のように共に時を過ごしてきたアカツキの方が、傷は大きいだろう。 まずは、少しでも落ち着ける場所に移すことだ。 トウヤはロータスにアラタとキョウコを乗せると、自身も乗り込んでポケモンセンターに向かうよう指示を出した。 ロータスも非常事態であることを理解しているのか、人間が四人上に乗っても気にすることなく、 手足をたたんで宙に浮かび、ポケモンセンターへと向かった。 ポケモンセンターの一室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。 窓の外には、暮れなずむ茜空。 これから訪れる夜を前に、皆、一様に暗い表情をしている。 特に悲痛な面持ちを見せているのは、ミライだった。 少し落ち着いたのか、ベッドの上で安らかな寝息を立てているアカツキに向ける眼差しは、今にも消え入りそうな儚さを孕んでいた。 一番歳が近く、誰よりもアカツキの深い悲しみを理解しているからだろう。 ポケモンセンターの入り口で、トウヤたちは騒ぎを収めて戻ってきたカナタとアズサの二人と合流した。 ロータスに四人も乗っているのを見て、ただならぬ事態が発生したのだと理解したのだろうが、 まずはアカツキを落ち着けてからということで、部屋に入るまでは何も聞かなかった。 部屋に入り、アカツキをベッドに寝かせてから、本題に入った。 まずはアラタとキョウコに四天王であるカナタとアズサを紹介し、今までの事情を大まかに話した。 それから、アラタとキョウコが代わる代わる、キサラギ研究所の敷地で起こった出来事を話した。 ソフィア団の総帥シンラが襲撃を仕掛けてきたため、アラタとキョウコ、アカツキが応戦したが、 彼のポケモンはとても強く、あっという間に三人のポケモンは全滅。 反撃できなくなったところで、シンラがドラップを奪うべくまだら模様のモンスターボールを投げたが、 ネイトはドラップを守るために自らの身を挺した。 結果、ネイトはダークポケモンとなり、シンラと共に飛び去ってしまった。 それを聞いた直後は、誰もが言葉を口にできなかったが、少し時間が経って気持ちの整理がついらのか、カナタが口を開いた。 「そうか……すまなかった。俺たちが居合わせていたら、そうならなかったかもしれない」 町の各地で同時多発的に起こった騒ぎは、シンラが作戦を成功させるためのカムフラージュ。 敵の策略にまんまとに引っかかってしまったが、目の前で起きている騒ぎを無視することはできなかった。 カナタはソウタを追いかけたが、見失ってしまった。 恐らく、シンラが目的を達したのを確認し、引いたのだろう。 頭を下げるカナタに、アラタは驚きの目を向けた。 まさか、四天王ともあろう者が頭を下げてくるなど、予想もしていなかったからだ。 「別に、あんたのせいじゃないんだ……悪いのはあのシンラとかいうふざけたヤツなんだから」 「でも、私たちは本来の任務を達成できなかった。 アカツキ君のポケモンを守るという、チャンピオンから拝命した任務を全うできなかったの。 私たちの責任の方が、きっと大きいでしょうね」 アラタは慌てて言葉を返すが、アズサが真剣な表情でピシャリと言い放つものだから、それ以上は言い返せなかった。 カナタとアズサが、アカツキのポケモンをソフィア団から守るために派遣されたのだから、 奪われたのがネイトであろうとドラップであろうと、任務失敗であることに変わりはない。 それに、カナタはアカツキを気にかけていた。 任務対象だからという理由だけでなく、ちょっとやんちゃで手のかかる弟だけど、だからこそ可愛いと思っていたのだ。 そんな弟が、かけがえのない時を過ごしてきたポケモンを奪われてしまった。 目が覚めた時、どんな表情を見せるのだろう……そう思うだけで胸が痛い。 「でも、まさかソフィア団の総帥自らが陣頭指揮を執るなんて……」 アズサは頭を振った。 今となってはもはや言い訳以上の意味など持たないだろうが、四天王の二人も、まさかソフィア団の総帥が矢面に立つなどとは考えていなかった。 外回りをエージェントに任せているのかと思ったが、見通しが甘かったのは言うまでもない。 サラの話では、ソフィア団の総帥はかつて弁護士として豪腕を振るっていたほどの人物らしく、 その頭脳から繰り出される策略は、並の予想や見通しなど軽く無効にしてしまう。 そういうことかと、今さらだが思い知らされる。 カナタはかつてないほどに打ちのめされていた。 四天王になってから、いろいろと失敗を重ねてきたが、今回ほど気分的に滅入ってしまうのは初めてだった。 アズサも同じような気持ちだったし、現場に居合わせながらも相手を逃してしまったアラタとキョウコなど居たたまれないだろう。 誰もが鬱蒼とするような気持ちを持て余していると、 「…………ネイト、ちゃんと戻ってきてくれるのかな?」 ミライがポツリと漏らした。 彼女の言葉に、俯きがちだったトウヤたちの視線がわずかに上向いた。 それを待つように、言葉をこぼす。 「このままじゃ……かわいそすぎるよ。 アカツキはどうなるの? ネイトだって……」 考えたくはないが、もしネイトが戻ってこなかったら……元に戻らなかったら…… 考えるだけで背筋が震える。 どうしてこんなことになったのだろう……? 時間が戻ってくれるなら、自分にできることならなんだってする。 だから……アカツキが目を覚ました時、笑っていられるように。 「戻ってくるさ」 「えっ……?」 もしかしたら、アカツキより落ち込んでいるかもしれない。 アラタにはなんとなくそんな風に思えて、見ていられなかった。 ニッコリと、強がりにしか見えないけれど、それでもミライに微笑みかけて言う。 「きっと、戻ってくる。 ……そうでも思わなきゃ、やってられないだろ。 それに、オレはこいつがこれくらいでへこたれたりはしないって信じてる。それだけさ」 「……うん」 ちょっと乱暴だったけど、それがアラタなりの励ましだと理解して、ミライは大きく頷いた。 ほんの少しだけ、気持ちが落ち着いた。 慰め程度でも、ないよりはずっとマシだ。 今、誰よりも辛いのはアカツキだ。 そう思えば、いつまでも自分たちが下を向いてはいられない。 それ以上の言葉はなかったが、まだやり直せる……取り戻せるものがあるうちにあきらめるのは早すぎる。 「あたしたちのポケモンでも勝てないなんて……あいつ、一体何者なの?」 「ソフィア団のボスだとか言ってたよな?」 「俺も詳しい話は聞いてない。 ずっと前に、弁護士をやってたヤツだとは言ってたけどな……そうだな、後でチャンピオンに事情を説明しよう。 もう、俺たちだけの手に負えるヤマじゃねえな」 必要な情報はできるだけ早く集めておく必要がある。 アラタとキョウコの疑問はもっともだが、今はそれを解決するよりも先にやるべきことがある。 その意見には賛成だと、トウヤは小さく息をついて、口の端を吊り上げた。 「そやな。 相手がどこに逃げたのか分からへん以上、こっちから手ぇ出すことはできへんからな。 旦那には情報集めてもらって、俺らは……」 情報を集めるのはカナタたちの仕事。 自分たちがやらなければならないのは…… いくらやっかまれたって構わない。今、やるべきことはただ一つ。 トウヤが胸中で決意を固めていると、部屋の扉を叩く音が聴こえた。 「あれ、マミーかな……?」 敷地で騒ぎがあったものだから、気になってやってきたのだろうか? キョウコはキサラギ博士が来たのかと思い、扉を開けたのだが、そこに立っていたのは彼女の母親ではなかった。 「げ……」 赤髪の女性の顔を見て、トウヤが顔を引きつらせる。 そこに立っていたのは、ソフィア団と敵対し、各地で騒動を起こしているフォース団の頭領ハツネだった。 「えっと……どちら様?」 見覚えのない顔に、キョウコが訝しげな視線を向けたが、ハツネは気にするでもなく、ベッドで眠っているアカツキに目をやった。 「あの、どこのどなた〜?」 重ねて声をかけるも、完全に無視された。 ハツネは彼女の脇をすり抜けて部屋に入ると、カナタとアズサに会釈した。 ソフィア団の抗争ではハツネが自ら陣頭指揮を執ることが多く、 ポケモンリーグが派遣した部隊(四天王統率)と鉢合わせすることが何度かあった。 その時に顔を合わせており、見知った間柄である。もちろん、互いに好ましい感情は抱いていないが。 「フォース団のボスが登場とはな、恐れ入ったよ。 まさか、こんなトコで鉢合わせとは思わなかった」 「……それはあたしも同じさ。 四天王の『陽気な狂犬』と『石頭電気女』が揃い踏みだなんてね。 どうせなら『笑い上戸』と『怒鳴り散らし女』の方が良かったんだけど、 贅沢言ってられる状況でもなさそうだから、お互いそれは言いっこなしだ」 「……まあ、いいだろ」 互いに一口ずつ皮肉を言い合うが、さすがに大人同士、潔く決着。 カナタとハツネは笑みこそ浮かべているものの、頬がピクピクと引きつっている。 アズサなど眉を吊り上げ、犬歯をむき出しにしているではないか。 お世辞にも仲が良さげには思えないが、 「陽気な狂犬?」 「石頭……電気女?」 「笑い上戸に……」 「怒鳴り散らし女? 一体なんなんだ?」 トウヤたちはハツネが口にした敬称(と思われるモノ)に一様に首を傾げていたが、 彼女は何も事態を引っ掻き回すためにやってきたわけではなかった。 子供は置いてきぼりにして、話に入る。 「シンラのヤツが来たんだろ? 話は聞かせてもらったけど、とんでもないことになったね。あの女にしちゃ手際が悪いかな」 「否定はしないわ。 でも、悪いのはサラじゃなく、私たち。簡単な陽動に引っかかって……ね」 「あ、そう」 「で、何しに来たんだ?」 カナタは半眼で問いかけた。 フォース団の頭領が一人で乗り込んでくるとはいい度胸だが、何の理由もなくやってきたわけでもないだろう。 それに、今ここで彼女を逮捕したところでどうしようもない。 対抗馬を失ったソフィア団が自由になるだけで、今となっては二つの組織の争いなどどうでもいいことだ。 「まずはキサラギ博士んトコの娘の疑問を解決してやんなきゃね」 「え……? あたし?」 突然話を振られ、キョウコは困惑したが、ハツネは構わずに続けた。 「ソフィア団のボス……シンラのことさ。 あいつのポケモンは強かっただろ? そりゃそうだ。十一年前のネイゼルカップ優勝者なんだからね。 かくいうあたしは、十二年前の優勝者。とりあえずはそんなトコさ」 「うわ、マジ……?」 「道理で強いと思ったわ……」 ネイゼルカップの優勝者と聞かされ、アラタとキョウコは揃って仰天した。 なるほど、そんな経歴の持ち主なら、あれだけポケモンを強く育てても不思議はない。 道理で勝てなかったはずだ。 「なるほどな……ルナを一発で戦闘不能にしたんも、あのベルルーンっちゅーバクフーンがやたら鍛えられてんのも、そういうことか」 「自慢するほどじゃないけどね」 苦笑混じりにトウヤが言うと、ハツネは涼やかな表情で頭を振った。 もちろん、血の滲むような努力を続けた結果として、ネイゼルカップ制覇という栄冠をつかんだのだが、 だからといってそれを他人にひけらかしたところで何の意味も無い。 以前、トウヤのブラッキー――ルナはハツネのベルルーンに一撃で戦闘不能にされたことがあった。 先ほど町中で騒ぎを起こしていたソフィア団のエージェント……ソウタのポケモンもろとも一撃の下に沈められてしまった。 あの時から、ただのトレーナーではないと思っていたが…… 地方大会の優勝者ともなれば、それなりに育てられた二体のポケモンをも一撃で倒すことも可能なのだろう。 食えない女だ…… トウヤはハツネが澄ましているのを見て、胸中でつぶやいた。 煮ても焼いても、口には合うまい。 「さて、疑問も解決したみたいだし、本題に入ろうかねえ……」 アラタとキョウコ、それからトウヤも黙ったことだし、そろそろ本題に入るとしよう。 アカツキに付き添っているミライが何やら言いたげに見つめてくるが、そんなのにいちいち構ってはいられない。 フォレスジムのジムリーダー・ヒビキの娘だけあって、なかなか意思の強そうな目をしている。 ハツネは改めて四天王の二人に向き直ると、一呼吸置いて、口を開いた。 「シンラのヤツがわざわざ出てきたのは、最終段階に入ったからさ。 あいつは用意周到なヤツだからね、自分でできる限りの準備を進めてから外に出るんだ」 「つまり……ネイゼル地方の支配に一歩近づいたということか?」 何やら含むところがあるらしく、カナタは上目遣いに見やったが、彼女は頭を振った。 「あいつはそんなの考えちゃいないよ。 あくまでもそれは組織を運営する上での建て前でしかない。 そう、あたしが力で支配すると言ってるのもね」 「…………サラはそのことを知っているのかしら?」 「さあ。あたしの知ったことじゃないけどね。 ま、どっちにしたってあの女からすりゃ同じだろ」 「なるほど……」 短い会話だが、大人同士では通じているらしい。 建て前だの、支配だの…… 子供には無縁な会話だったが、何も知らないからと言って、はいそうですかと知らん振りはできない。 「なあ、どういうことなんだ?」 「あぁ?」 横から口を挟んできたアラタに顔を向け、ハツネは眉を吊り上げた。 あんたなんかお呼びじゃないんだよ……そう物語る視線にも屈することなく、アラタは眼差しを尖らせた。 「あんた、あのシンラとかいうヤツのこと、よく知ってるみてえだけど。 一体何がどうなってんだ? なんで、あいつはダークポケモンなんか使おうとしてんだ?」 ネイトをダークポケモンに作り変えた張本人は逃げ去った。 だが、ハツネなら何か知っているかもしれない。 いかにも詳しそうな口調で話していたし、ソフィア団とフォース団という不倶戴天の間柄だからこそ、 相手のことを知っていても不思議はない。 「あたしはあいつのことをよく知ってる。そんな関係さ。 んで、あいつがダークポケモンを使って何をしようとしてるのかも分かってる」 「何なんだよ、それって……? 他人のポケモンを奪ってまでするようなことなのか?」 アラタは食い入るように目を見開き、ハツネに詰め寄った。 彼女の涼やかな表情と声音が、シンラに対する怒りを掻き立てるかのようだ。 「あいつにとってみりゃ、そこまでしてでも成しとげたいことなんだろうさ。 こればかりは、あたしにもとやかく言えた問題じゃないね」 「でも、知ってるんでしょ?」 「まあね……ただ一つ言えるのは、無意味でバカげてるってことだけさ」 キョウコの問いもさっと跳ね除けて、ハツネは続けた。 「で、話ってのは他でもない。ちょっと脱線しちまったね。 『陽気な狂犬』さんに『石頭電気女』さん、あたしがここに出向いたのは、互いのためになる話があるからさ」 「へえ、互いのためになる話、ねえ……?」 「でもその前に、訂正してもらえる?」 皮肉めいた口調に、カナタは額に青筋を浮かべたが、アズサは視線で彼を制すると、会話の矢面に立った。 「私はアズサで、彼はカナタ。一応、名前があるわけよ。 人に話を持ちかけるなら、最低限の礼儀くらいは心得てもらわないと、こちらとしても素直に聞けないでしょう? あなた、ポケモンリーグでは何と呼ばれてるかご存知? 野獣女なんて言われてるのよ」 「なるほど……分かった。訂正するよ、アズサさん、カナタさん」 互いに、相手を軽蔑するような呼び方はされたくないらしい。 ハツネは即座に訂正したが、彼女にとってポケモンリーグは邪魔な存在でもあるため、 今まで積み上がってきた痛手まで忘れるのは無理だろう。 とりあえず、今は相手の言うとおりにしておくのが正しい判断。 「なに、話は簡単さ。シンラのヤツをとっちめてソフィア団を解散させるまで、あたしたちと手を組まないかってことなんだ」 「冗談じゃないわね」 「…………」 即座にアズサに却下され、さすがのハツネも言葉を失った。 今の状況を考えれば、自分たちと組む方が正しいとまでは言わなくても、互いのためにはなることだ。 まさか、それを理解した上であっさりと却下してくるとは……さすがはサラの部下だけのことはあると、胸中で苦々しい想いをめぐらせる。 しかし、数秒の間を置いて、アズサは気まずくなりかけた雰囲気を打破した。 「……と言いたいところだけど、サラなら恐らくここで首を縦に振るでしょう。 とりあえず、検討させてもらうわ。 どうせなら、チャンピオンのお墨付きをもらった方が、あなたたちとしてもやりやすいでしょうから」 「ありがとさん」 「で、どんな話なんだ?」 「あたしはシンラのヤツが何をしようとしているのかも、どこにアジトがあるのかも分かってる。 ……って言っても、アジトをつかんだのは最近のことだけどね」 「……なるほど。それは確かに悪い話じゃない。 でも、ここでするような話じゃないな。後で、サラを交えて話してもらえるか?」 「ああ、そうするよ」 ポケモンリーグとフォース団(あるいはソフィア団)は、今まで何度もぶつかり合ってきた間柄である。 いきなり相手の言葉を全面的に信用できないだろうし、とりあえずは首脳同士でじっくり話し合ってもらうのが一番だろう。 ポケモンリーグとフォース団の話がある程度ついたところで、カナタは呆然と佇んでいるアラタたちに視線を移した。 「とりあえず、今後のことは俺たちでどうにかする。 おまえたちには納得できないことも多いだろうが、今はアカツキから目を離さないでほしい」 「って言われてもな……」 「そうよ。大人の横暴よ。子供だからって除け者にするなんて」 「……そやな」 「おかしいよ、そんなの。アカツキが一番辛い時だって言うのに……なんで大人の都合で話が進まなきゃいけないのよ」 当然、四人とも反発してきた。 アラタとキョウコは、ネイトがダークポケモンになって連れ去られた場面に居合わせたからという自負がある。 トウヤとミライには、今までアカツキと一緒に旅をしてきたから、最後まで見届けたいという想いがある。 それぞれの理由を胸に秘め、危険と分かっていても敢えて足を踏み込もうとしているのだ。 それほどまでに、アカツキは彼らにとって大事な人ということなのだろう。 子供ばかりだと思っていたが、とんでもない。 自分なりに強い決意を秘めて、四天王であるカナタに物申しているのだ。 「アカツキ、おまえって幸せなヤツだな。なんとしても立ち直ってもらいたいところだが……」 こればかりは、本人が乗り越えるべき問題。カナタが口を出せるようなシロモノではない。 四人とも、本気だった。 それは目を見れば分かるが、事態が個人の手に負えなくなった以上は、子供を危険にさらすと分かって首を振るわけにはいかない。 カナタにとっては辛いことだったが、それでも四天王としての判断を優先しなければならない。 「おまえたちの気持ちはよく分かった」 カナタは小さく息をつくと、穏やかな物腰で切り出した。 「それじゃあ……」 本気だと分かってくれたと、ミライは期待に弾んだように表情を明るくしたが、次の瞬間、崖下に突き落とされた。 「だが、ダメだ。絶対に認められない。 ソフィア団はダークポケモンなんてシロモノまで持ち出しているんだ。 ポケモンリーグと警察に任せるべきだろう。 さっきも言ったが、今はアカツキについてやってほしい。あいつ、本気になると手がつけられないくらい暴走しそうだからな」 「う……」 真っ先に呻いたのはアラタだった。 遠回しに、オブラートな表現で言ってくれているが、要は『子供だからついてくるな』ということだ。 だが、それ以上に彼には身に覚えのあることを言われた。 事実、アカツキは旅に出る前……一年ほど前のことだが、仲のいい友達にケガをさせたことがあった。 格闘道場で鍛えた拳で、相手にケガを負わせてしまったのだ。 ことの始まりは、友達がからかい半分にアカツキの大事なものを取ったこと。 相手にとってはからかうつもりでも、された当人にしてみれば怒り心頭。 アカツキは早速相手を呼びつけ、ボコボコに殴りつけた。 まさかそこまでやるとは思っていなかったアラタは慌ててアカツキを取り押さえたが、相手は一ヶ月の重傷を負った。 アラタはその時、初めて知った。 大事なものを奪われた時、アカツキは奪った相手に対して容赦しない。本当の意味で暴走するのだ……と。 陽気で明るくかしましいだけかと思ったが、とんでもない。明るい笑顔の裏に、とんでもなく凶暴な獣を飼っている。 以前と今回を同じようにして考えるのは筋違いだろうが、ネイトはアカツキにとってかけがえのない存在だ。 代替の利くものではないから、あの時とは比べ物にならないほど暴走するのではないか……? そんな危惧を、カナタの言葉が呼び覚ましてしまった。 だが、アラタの胸中を知らないキョウコたち三人は猛反発。子供だと言う理由だけで除け者にされるなど、考えられなかったからだ。 「なんでよ〜!? あたしたちだって当事者よ!? 少なくともあたしとアラタとトウヤは、そこいらのトレーナーに負けないだけの実力を持ってるつもりよ。 それでも、子供だからダメだって言うワケ!?」 「当事者やけど、それだけじゃアカンのか? 俺は納得できへん」 キョウコとトウヤが特に声を荒げて反論した。 カナタだって、本当は除け者になどしたくなかったが、情に流されて安易な判断を下した結果、取り返しのつかないことになる恐れもあるのだ。 冷たいと思われても、今は四天王としての判断をしなければならない。 それがひいては、彼らのためになるのだと信じて。 カナタは彼なりの決意を固め、反発する子供に自分の気持ちを伝えようと口を開いたが、ハツネの言葉が先に飛び出していた。 いつも笑みを浮かべている彼女にしては珍しく、不快感を露わにしている。 「イキがってんじゃないよ、このクソガキ。 あんたらがどんな実力者か知らないけどね、決意だけで乗り切れるほど、世の中甘くないんだよ」 「な、なんですって!?」 キョウコは目を白黒させながらも、理不尽で身勝手な彼女の言葉に抗した。 「あんた何様のつもりよ!! 途中からしゃしゃり出て、勝手に話進めてさ!! あたしらからすれば、あんたの方がよっぽどイキがってんじゃない!!」 ぎゃーぎゃー喚くキョウコを、ハツネは鼻でふっと笑い飛ばした。 ぶちっ…… 彼女の額に青筋が浮かぶのを、アズサとカナタは確かに見たが、だからといって口出しはできなかった。 ここで口を出せば……余計な面倒になりかねなかったし、癪だがここはハツネに任せるしかないだろう。 「仮に、あんたがネイゼルカップで優勝できるだけの実力があったとしよう」 「仮じゃなくたってあるわよ!!」 「で、そこの二人とチャンピオンが、あんたたちを連れて行くと決めたとしよう」 「何が言いたいわけ!? 言いたいことがあるんなら、さっさと言いなさいよ!!」 たとえ話が多いハツネの言葉にイライラしているのか、キョウコは眉を十字十分よりも吊り上げて、怒鳴り散らした。 精神的な打撃を受けて寝込んでしまったアカツキのことなど眼中にないと言わんばかりだ。 「シンラとドンパチやるって時、あんたたちはネイトとかいうブイゼル相手に、ちゃんと戦うことができるかい? あいつなら間違いなく、あんたたちを無力化するために、捕らえたダークポケモンを出してくるだろ。 それでもあんたたちはちゃんと戦い抜けるかい? 相手を倒さなければ、やられるのはこっちなんだ。 それができないんだったら、どんなに強い決意があったって無駄なことさ」 「……!! そ、それは……!!」 「さっきの勢いはどうしたんだい? 言いたいことがあるんなら、さっさと言えって言ったのはあんたの方だよ?」 「…………」 言い返せるはずがなかった。 立場というのは上辺だけのものでありながらも、それだけでも取り払いがたいことがあるのだ。 少なくとも、ネイトはシンラの指示に従い、ダークポケモンとして攻撃を仕掛けてきた。 彼の指示があれば、何度でも襲ってくるだろう。 ハツネの言うとおり、相手を倒すつもりで戦わなければ、逆に倒されてしまう。 決意を形にできないのなら、どんなに立派な正義を語ったところで何の意味も無い。 彼女が言いたかったのは、上っ面だけの決意ではなく、本当に、心の底からそうしたいと思っているのか……ということなのだ。 たとえネイトを倒すことになろうと、戦い抜けるのか……と。 ハツネの言葉は、キョウコだけでなく、その場の全員の心に染み渡った。 傷口に塗った薬が沁みるように。 室内に沈黙が張り詰めてからしばらく経って、ハツネはこれ見よがしに言った。 「ほら、言わんこっちゃない。 所詮、あんたらとあたしたちじゃ決意の大きさってモンが違うんだ。 それが分かったんだったら、彼の言いつけをちゃんと守ることだね。 言いつけさえ守れないんじゃ、戦いに出たって足手まといでしかないんだから」 最後まで容赦なく、バッサリと斬り捨てる。 それはハツネがキョウコたちのことを想ったからではなく、単純にバカバカしくて付き合いきれないと思ったからに過ぎない。 「余計なことで時間食っちまったね」 呆然と立ち尽くすキョウコに一瞥をくれると、ハツネはカナタとアズサに向かって言葉を発した。 「あいつは最終的な準備を整えてるけど、実行に移すまでにはまだ少し余裕があるだろ。 その間に、サラと協議をしておきたいからね。場所、移そうか」 「そうね。ジョーイさんに話して、サラと話せる環境を用意しましょう」 「ああ……」 ソフィア団の総帥が自ら出てきたことからしても、ソフィア団の策略は最終段階に入っているだろう。 一刻も早く、対応を考えなければならない。 気のいい兄貴としてではなく、四天王としての判断を下した以上、情に流されている時間はない。 カナタは穏やかな顔で眠っているアカツキに少し目をやると、何事もなかったようにハツネとアズサを連れて、部屋を出て行った。 人気のない廊下を歩きながら、振り返ることなくハツネに言葉をかける。 「悪かったな、さっきは。本当は俺が言うべきところだったんだろうが……」 「いいよ、別に」 今日までは敵だと思っていた相手とはいえ、嫌な役目を押し付けてしまった。 カナタが申し訳ないと思っていると、ハツネは淡々と言葉を返してきた。 「子供に足引っ張られて、シンラを止められなくなっちまったら……そう思っただけさ。 別に、あのしみったれたジャリガキどもがどうなろうと、知ったことじゃない。 ……勘違いされると困るから、それだけは言っとくよ」 「そっか……それでもいいさ。ありがとう」 「ふん……」 表情は覗けなかったが、悪い気分はしていないだろう。 荒い鼻息を漏らすハツネが照れているとも思えないが、それでもカナタは礼を言わずにはいられなかった。 大人たちがいなくなった部屋は、夕闇に飲み込まれそうなほど沈んだ雰囲気に満ちていた。 「…………」 ハツネの言葉がかなり効いたのだろう。誰も、一言も発しない。 廊下を歩く誰かの足音や、アカツキの穏やかな寝息だけが、音として彼らの耳に届く。 しかし、そんな状況もやがて終わりを告げる。 「……悔しいけど、あのハツネって人の言うとおりだな」 「そやな」 アラタがポツリと漏らした一言に、項垂れるようにトウヤが頷いた。 カナタたちは、自分たちが子供だからという理由で除け者にしたわけではない。 『敵』として立ちはだかるであろうネイトを、本当に倒せるだけの覚悟が自分たちにないと見抜いたからだ。 上っ面の覚悟だと、ちゃんと分かっていたからだ。 悔しいが、今の自分たちでは、とてもではないがネイトを倒すことなどできはしない。 実力だけで言えば、ポケモンを総動員すれば……特にトウヤがサラから借りたロータスがいれば、ネイトを倒すのは造作もないだろう。 しかし、相手に届く刃があっても、その刃を用いる人間が心に迷いを抱えていては、刃は危険なだけのシロモノに成り果てる。 「あたしたち、除け者にされるのが怖かっただけね。 このジャリガキが辛いって分かってはいるけど、それを理由に相手をどうにかすることしか考えてなかった…… ホント、悔しいけどあたしたちの負けだわ」 「うん……」 キョウコもミライも、理解していた。 自分たちが、理由を並べ立てただけの薄っぺらな決意を口にしていただけだということを。 大人からすれば、その程度の決意でついてこられても迷惑だろう。 癪だが、ハツネの言葉は正しかった。 「でも、今のわたしたちには何ができるのかな……? やっぱり、アカツキの傍についててあげることしかできないのかな……?」 ミライは不安に押しつぶされそうだった。 ネイトはアカツキにとってどれほど大きく、大切な存在か……今まで一緒に旅をしてきて、誰よりも理解しているつもりだ。 だからこそ、これからどうなるのか不安で仕方ない。 カナタたち大人でどうにかしてくれるとしても、誰もネイトの代わりになどなれはしないのだ。 アカツキが目を覚ました時、ネイトがいなくなってしまったことを完全に理解したら……きっと、深く傷つくだろう。 ミライはそんなアカツキの姿を見たくなかった。 無理なことだと分かってはいるが、どうしてもそんなことを思ってしまう。 今、一番辛いのはアカツキだ。 誰も彼の苦しみを肩代わりすることなどできはしない。 それが分かるから、なおさら辛い気持ちになる。 自分が何もできないのかもしれないと、そう思うのが恐ろしくてたまらない。 ミライが不安に打ち震えているのを見て、アラタはそっと彼女の肩に手を置いた。 ハツネにあれこれ言われている間も、彼なりに考えていたことを口にする。 それはミライに限らず、キョウコやトウヤ、そしてアラタ自身に対するものでもあった。 「オレたちはアカツキじゃないから、あいつの苦しみや悲しみや寂しさを理解することはできねえけど……でも、支えてやることならできる。 今のオレたちには、その程度のことしかできねえけど、だけど何もできないってワケじゃない。 それに……あの人は、ついてくるなとは言わなかった。 覚悟さえあればいつでも来いって言ってるようにも思えたな……」 「……でも、今すぐは無理でしょ?」 「ああ、そうだ」 四人が四人とも同じだった。 どんな事情があっても、ネイトをポケモンで倒すことなどできはしない。 そんな決意を今すぐ抱けと言われたところで、無理に決まっている。 ネイトは、スクールの試験で思うような成績を残せなかったアラタを、アカツキと一緒になって励ましてくれた。 弟がもう一人できたようで、手が焼けるけどその分可愛いと思えてくる家族の一員だ。 どんな理由があったって、力で征することなどできるはずがない。 ならば、どうすればいいのか……? 答えは一つだった。 悔しいが、厄介なことは大人に任せるしかない。 今は、アカツキを支えるべき時だ。 もし、アカツキがちゃんと立ち直った時は、一緒にネイトを取り戻すことを考えてもいい。 「オレは何があってもアカツキを支える。 それができなけりゃ、ネイトを相手に戦うなんてできるはずがないからな」 アラタの言葉が、全員の総意だった。 今、一番辛いのは、ネイトがいなくなったという事実を理解しているかも分からないアカツキなのだ。 目を覚ました時、あまりの衝撃に取り乱すかもしれない。逆に無気力に陥ってしまうかもしれない。 そうなった時、近くで支えてあげられる人間がいなければ、立ち直ることはできないだろう。 身近な人の力になれずに、どうやって強大な相手と戦うと言うのだろう……? ハツネはアラタたちに世の中の厳しさの一端を突きつけたが、その結果、彼らは少し成長した。 まずは自分にできることから始めるという、生きる上でとても大切なことを教えた。 もっとも、当人にはそんな意思は微塵もなさそうだったが。 「……相手が誰だって、関係ないわよ。 あたしはこのジャリガキが戦うって言うんなら、力になってあげたいと思うもの。 今度は絶対にボコボコにしてやるんだから。 そのためにも、少しは強くならなきゃ……トレーナーとしても、人間としてもね」 「そやな。慌てないで、あいつと一緒に頑張っていけばええ。 何も、焦る必要なんてあらせえへん……俺ら、焦っとっただけなんやな」 キョウコの言葉に頷き、トウヤは考えをめぐらせた。 アカツキの保護者だなどと気取ってはいても、トウヤはアラタとキョウコの二人と同じ、十四歳だ。 無理に大人ぶった考え方をしていても、メッキが剥がされたら、そこに残るのは子供じみた屁理屈だけ。 悔しいが、ハツネはそのことに気づかせてくれた。 必要以上に自分を大人に見せていても、それが通用しない相手と出くわした時に何もできなくなるのだ、ということを。 ふっと息をつき、安らかな表情で寝息を立てているアカツキに目を向けた時、アラタが訊ねてきた。 「トウヤ、こいつが眠ってるうちに聞きたいことがあるんだ。 その……今の状況なんだけどさ。 この前ヨウヤとかいうクサレ野郎に襲われてからも、いろいろとあったんだろ? こいつ、小っこい身体で無理して頑張ってきたと思うんだ。 俺はこいつの力になりたいから、ちゃんと知っておきたい。今まで何があって、こいつがどんな風に考えてたのか」 真剣な面持ちを向けられて、トウヤも思わず表情を強張らせた。 アラタは真剣だ。 本当にアカツキの力になりたいと思っているからこそ、思いの丈を素直に外に出せるのだ。 「……ええよ。俺も、あれこれ話さなあかん思うとったトコやし」 トウヤだって、アカツキの力になりたい。 苦しくて辛くて悲しい気持ちを抱く人がすぐ傍にいるのなら、無理かもしれないけどその荷物を少し分けてもらいたい。 キョウコとミライも、アラタと同じ気持ちを抱いているのだろう、真剣な表情だった。 今まで何があったのか…… それをちゃんと話さないことには、共に旅をしてきたわけではないアラタとキョウコの二人は理解できないだろう。 「そうやな……今までこいつが何を考えて頑張っとったんか……ちゃんと知ってもらわなあかんな」 考えていることは四人が四人、まったく同じらしい。 トウヤは深々とため息をついた後、穏やかな口調で話し始めた。 ヨウヤの一件があってから、今日まで。アカツキたちとどんな風に旅をしてきたのかを。 To Be Continued...