シャイニング・ブレイブ 第13章 黄昏とともに -Fang of malice-(後編) Side 5 レイクタウンで騒ぎが起こったらしい…… サラがその一報を受け取ったのは、陽が沈んで少し経った頃だった。 一日中執務室に閉じこもっているのも味気なく、そろそろ夕食でも……と思っていた時だ。 ズボンのポケットにしまっていた携帯電話がブルブルと震えたのに驚いて電話に出てみたら、 ギランの声で「レイクタウンで騒ぎが起こったらしいと」告げられた。 「そう……」 今はディザースシティを離れ、独自の調査を進めている四天王のセリフは、サラの胸に重くのしかかった。 誰彼構わず話したがるという困ったクセの持ち主だが、実務能力はとても高い。 そんな彼の言葉には、常に重みがあった。 ……まあ、今回に限っては要らない重みまで宿っていたが。 主にどういったことが起こったのかという事実経過を淡々と告げられる。 『ソフィア団の総帥シンラが自ら出てきたらしい。カナタから連絡が行ってないか?』 「まだ……でも、何があったのかは想像がつくよ。 恐らく、この街でもすぐに騒ぎが起こる。 アイシアでも、フォレスでも、ウィンでも……今、キミはどこに?」 『レイクタウンだ。カナタとアズサには接触してないが、あいつらなら必要だと思えばサラに連絡を寄越すだろうと思ってね。 とりあえず、フォレスタウンに向かおう。あそこはジムリーダーが不在で手薄だからな。何かあると、一大事だ』 「うん、分かった。それじゃあ……また何かあったら教えて」 『ああ……』 ため息なのか、それとも頷き返している声音なのか。 区別のつきにくい声を最後に、会話は途切れた。 サラには、この短い会話で何が起こり、どうなったのか……手に取るように分かった。 可能な限り手を打ってきたつもりだが、それでも止めることはできなかった。 取りも直さずそれは、ソフィア団の思い描いたとおりに事が進んでいる状況を示していた。 「シンラが出てきては…… しかも、ロータスが力を十分に発揮できず、四天王が離れていたとなると……笑えない状況だね、まったく」 携帯をズボンのポケットにすべり込ませ、サラは深々とため息をついた。 今まで裏方に徹して、あれこれと準備を進めてきた。可能な限り、策を弄してきた。 それでも相手は目的を達した。 「でも、これからいくらだって挽回できる。そう、たとえば……」 今は相手のペースで物事が進んでいても、いつかはその進行に楔を打ち込む。 嫌な結果ではあるが、サラはこのケースも予測していた。 まだ、打つ手は残されている。 最後の最後に間違えなければ、勝利者は自分になる。 サラは振り返り、窓の外に煌めくネオンライトに目を向けた。 ちょうどその時、激しい爆音が聴こえた。 「……!? 始まったね……!!」 奇抜な音響にも聴こえる爆音。 サラは即座に執務室を飛び出すと、廊下の窓を開いた。 腰のモンスターボールを引っつかみ、外に向かって放り投げる。 「メタグロス、出番だよ」 放物線を描いて地上へ落下してゆくボールに声をかけると、ボールが口を開き、メタグロスが姿を現した。 サラの言わんとしていることを的確に察し、メタグロスは四本の脚を折りたたむと素早く浮上し、彼女の元へ戻った。 「ごぉぉん」 「よし、行こう」 サラはメタグロスの背に飛び乗り、爆音の発信源へ向かうよう指示を出した。 夜の帳が降りた空は、真っ暗なカーテンが敷き詰められている。 そこに星が見えないのは、地上で発せられる輝きが星からの光を遮っているからだ。 煌びやかなネオンライトに照らし出された砂漠のオアシス。見る者が見れば、地上の楽園と評すかもしれない。 だが、鳴り響く爆音と場違いなトランスミュージックが往来する人々の混乱を増している。 耳を劈く爆音と共に、街の南部と北部から同時に煙が上がった。 同時多発的に騒ぎが起きているらしい。 そして、この手口は……考えられるのは一つだった。 「ソフィアの連中も、思い切った手に出てきたね。 この分だと、他の街も同じことになってるかな……? まあ、そっちはそっちでジムリーダーに任せとけば何とかなるけど……今はこの街の騒ぎを沈静化しなきゃ。 そうじゃなきゃ、ぼくも動けない」 恐らく――いや、間違いなくソフィア団が一枚噛んでいる。 レイクタウンで騒ぎを起こしたのと連動させることで、ポケモンリーグとアカツキたちとの連携を断つのが目的だろう。 となれば、一刻も早く騒ぎを沈静化させること。 それが事態の終息へとつながる第一歩となる。 サラはメタグロスの背に乗って、街の南部を目指した。 南北で騒ぎが起こっているが、今の時間ならヴァイスもジムをたたんで、健康ランドにでも繰り出しているだろう。 その健康ランドは街の北部にあり、ヴァイスなら騒ぎを聞きつけてそちらに向かうはず。 それなら、サラは南部の方をどうにかしよう。 そう思って、メタグロスにスピードを上げるよう指示を出した。 前方から強く吹きつける風に身体を持っていかれないよう、力を込めてしがみつく。 メタグロスは指示の通りスピードを上げて、ビル群の合間を縫うように飛んでいくうち、視界が拓けた。 街の緑化公園から煙が上がっている。あそこでロクでもない騒ぎを起こしてくれているのだろう。 ポケモンリーグのお膝元の街で騒ぎを起こすなど、いい度胸をしている。 コテンパンに伸されても構わないというだけの覚悟がなければ、チャンピオンがいると分かっている街で騒ぎなど起こさないだろう。 よし、それなら容赦する必要もない。 公園の真上に差し掛かったところで、メタグロスがゆっくりと高度を下げる。 今まですっ飛ばしてきた分、サラの身体に負担がかかっているだろうと考えているのだ。 地上に降り立った時、サラは不意に疑念が首をもたげていることに気づいた。 「……おかしい」 ここに向かってくる間は立て続けに爆音が轟き、煙がもくもくと上がっていたのに、たどり着いてみれば、すっかり落ち着いている。 周囲に無数の穴が穿たれているが、ポケモンの技でもぶっ放してできたものだろう。 しかし…… 「ぼくがここに来るのを知っていたような……誘いをかけられたか?」 街の南北で騒ぎを起こし、サラがどちらに向かうのかなど、確定はできないだろう。 その時の気分でヴァイスが街の南に繰り出していたかもしれないし、サラが北へ向かうと決めたかもしれない。 それにもかかわらず、彼女がこの場に着いた途端、ここでの騒ぎは沈静化した。 相変わらず北部では煙が立ち昇っているが、サラに見せ付けているかのようだ。 ――おまえを誘い出したんだよ、と。 「…………」 サラは周囲に視線を這わせた。 街灯がところどころに設けられている公園は、ネオンライト煌めく街中と比べると暗い感じがするが、 それでも歩く分には不自由しない程度の照度は確保できている。 緑地公園ゆえ遊具はなく、人が身を隠せるような場所はそう多くない。 それに、メタグロスは何の反応も示していない。 近くに人の気配があれば……少なくとも危険と判断するような存在があれば、確実に察知して、サラに知らせるだろう。 そういった状況を考えると…… 「ハメられたかな……? ま、それはそれで分かりやすくていいんだけど」 サラの行動をある程度予測できる人間が、罠を張ったということだろう。 もっとも、罠と呼ぶにはあまりに稚拙だ。 誘い出すためだけに騒ぎを起こしたのだとしたら、お粗末としか言いようがないだろう。 しかし、そのことに意味があるのだとしたら……? 今まで各方面に探りの手を入れてきたが、今のこの状況と併せて考えれば、自ずと結論は導かれる。 「ぼくを誘い出して時間を稼げって言われたんだね?」 サラは思っていたことをそのまま口に出すと、公園の入り口に身体を向けた。 「もう、調べはついているんだよ。隠れたって無駄だから、出ておいでよ、チナツ」 「……っ!?」 吐息が夜の空気に溶け出すかすかな音が、確かに聴こえた。 風など吹いていないのに、入り口の近くに生えている熱帯原産の木から葉っぱが数枚、はらりと落ちた。 ……と、人影が木の傍に舞い降り、サラの方へと足を踏み出す。 公園を柔らかく包む街灯に照らし出された姿は、彼女が見知った相手だった。 「…………」 いつもの強気な表情はどこへ消えたのか。 サラの前に姿を現した四天王の一人……チナツは申し訳なさそうな表情を浮かべ、目を伏せた。 普段の彼女からは想像もできないような顔つきだったが、その理由を理解している以上、何を訊ねる気にもならなかった。 「…………」 「…………」 目を合わせようとしないチナツに、じっと視線を注ぐサラ。 ギランとは別行動ではありながらも、各地の視察へ出していた彼女がなぜ、騒ぎの発生源にいたのか。 ちょうどディザースシティに戻ってきたところに……という言い訳を期待していたわけではないが、 黙して語らないところを見ると、サラの予想は的中しているということだろう。 予想というより、確信だった。 「分かってるよ。何も言わなくたって……」 サラが優しい口調で言うと、チナツは弾かれたように顔を上げた。 信じられないものでも見ているように、瞳を震わせながら、まっすぐに見つめ返してくる。 「良かった……」 ちゃんと目を見てくれた。 それだけで、チナツが何を思っているのか、手に取るように分かる。 部下の気持ちを察せないようでは、上司など務まらない。 増してや、信頼関係が何よりも大事なネイゼルリーグ四天王とチャンピオンの間では、なおさら。 だから、チナツが何も言わなくて分かるのだ。 サラはホッと安堵のため息をつきながら、チナツに話しかけた。 いきなり逃げ出さなかっただけでも、まだ救いはある……そう思いながら。 「今まで、誰にも事情を話せなくて、きっと辛かったよね。 でも、一人で背負い込まなくていいよ。 チナツの心配事は、ぼくたちが取り除いてあげたから。 キミの家族は……ちゃんと、ぼくたちが助けだしたから」 「えっ……」 チナツは呆然としていたが、わずかに見開いた目が、サラの言葉の信憑性を確かなものにしていた。 「今まで、家族を人質に取られて、ソフィア団に情報を与えたりしていたんでしょ? 本当はずっと前に調べはついていたけれど、あまり目立つような動きをすると、気づかれると思って知らぬフリをしたんだ。 ……キミが苦しいって思ってるのは分かってたけど、時が来るまで、 キミの大切なお母さんと妹さんを助けるまでは何も言わないようにしようって思ってたから。 でも、もう苦しい想いをしなくていいよ。 今からでも大丈夫だから、四天王として、ぼくと一緒にできることをしよう」 「サラ……あたし……」 サラが差し伸べた手を、チナツはそっと握りしめた。その手を、サラの左手が優しく包み込む。 彼女の温もりが、チナツの心の氷を溶かしていく。 「……あたし、本当にダメね。 家族を人質に取られて……それであなたたちを裏切ってしまったんだもの。使命感のカケラもないわね……」 「そんなことないよ」 自虐めいた笑みを浮かべながらポツリとこぼすチナツに、サラは頭を振った。 「家族を大事にできない人に、仲間を大事にするなんてできっこない。 キミが家族を取るのは当然のことだし、キミ自身がその選択を悔いていないのなら、それでいいんだよ。 キミが、ぼくたちに本当のことを話せなかったのも、家族を人質に取られたから……それだけなんだから」 「…………」 サラの言葉は真実だった。 チナツは母親と妹を人質に取られ、ソフィア団の総帥シンラのいいように使われていたのだ。 四天王という立場を利用すれば、あらゆる情報を集めることができる。 ネイゼルリーグの動向から、ソフィア団が狙っているドラップのトレーナー……アカツキのことまで。 シンラが協力者としてチナツを選んだのは他でもない。 四天王の中で、もっとも弱味に付け込みやすかったからだ。 今はアカツキと共に行動しているカナタとアズサ、それからギランに関しては人質に取られるような家族がいない。 増してや、サラの家族はバトルフロンティアという施設でタワータイクーンの称号を持つ凄腕のトレーナーである姉と、 カントー地方でブリーダーとして働いている夫だけ。 最も、その夫もかつてはトレーナーをしていたこともあって、四天王に匹敵する実力の持ち主だ。 その上頭の回転も速いから、そう易々と敵の手中に墜ちることはない。 消去法で考えれば、すぐに分かる。 肉親を人質に取られたチナツは、シンラに言われるがまま、ネイゼルリーグの動向を彼に伝えていた。 言うことさえちゃんと聞いてくれれば、悪いようにはしない……涼やかな声音で言われても、 家族を人質に取るという卑劣な方法を採る相手の言葉など素直には信じられなかったが、それでも従うしかなかった。 チナツにとって、家族は何にも代えがたい存在だったからだ。 サラは彼女が家族を人質に取られていると知ったから、敢えて相手の都合のいいように泳がせていた。 もし、サラが嗅ぎつけていることを知ったら、シンラは何をするか分からない。 ソフィア団という組織を立ち上げ、各地で暗躍しているのだから、何をしてもおかしくない。 しかし、サラはギランや腕の立つ知り合いのトレーナーを使って、チナツの家族が囚われている場所を突き止め、強襲をかけた。 そこにはエージェントのヨウヤがいて、ダークポケモンを相手に激しく交戦したが、これを退け人質を救出することに成功した。 恐らくシンラはそれを察した上で、チナツを巧みな言葉で騙して、サラをおびき出すよう指示を出したのだろう。 もちろん、これで彼女も用済みになるから、どうなってもいいという考えのもとに。 「あの、サラ……本当にごめんなさい。あたし……」 チナツは家族が無事であるということを聞き、安堵した。 そして同時に、今まで自分がしてきたことを思い返し、涙を流した。 嗚咽に阻まれて、言葉にならない声。 身体を震わせながら涙に暮れる彼女を、サラは何も言わずにそっと抱きしめた。 無理に言わなくてもいい……ただ喜んでくれれば、これから一緒に肩を並べて戦ってくれるなら、それだけでいい。 止むに止まれぬ事情があったのだ。 敵に情報を流していたという事実は確かに存在し、賞罰の対象になることは避けられないだろう。 すべてをオープンにしていかなければ、話は一向に進まない。 頭の固いお偉方――恐らく彼らの中にも、ソフィア団の内通者は含まれているのだろうが――を説得するためにも、 チナツがソフィア団に家族を人質に取られてしまい、言うことを聞かざるを得なかったということを説明しなければならない。 そうなった時、まず確実に賞罰対象の件名として槍玉に上がるだろう。 だが、サラはチナツを全面的に擁護するつもりでいる。 家族と仲間を天秤にかけられ、迷わない者がいるはずがない。苦悩に苛まれぬ者がいるはずがない。 もし、サラが夫を人質に取られたら、相手の言うことを聞くだろう。 もっとも、そんな心配はないに等しいが、同じ立場だったら……と考えると、チナツの気持ちは痛いほど理解できる。 世間的に道理の通らないことだとしても、構うものか。 大切な仲間のためだったら、クビくらいかけてやる。 「あたし……きっとクビよね。 理由があったからといっても、四天王の職務を遂行できなかった。 大切な仲間にさえ、ちゃんと伝えることができなかったんだもの」 「そんなことはないよ。 チナツはチナツできっとすごく悩んだだろうし、苦しんだんだと思う。 それでも家族が大事だから、ぼくたちに何も言えなかっただけ。 理事たちはキミをクビにしようって考えるかもしれないけど、ぼくがそんなことはさせない。 ぼくだけじゃないよ。 カナタも、アズサも、ギランも。 みんな、キミのことが大好きだから。ちょっと危なっかしいトコはあるけど、明るいキミのことが大好きなんだ。 だから、クビになんてさせない。 これからも一緒に戦っていきたいからね」 「サラ……」 サラの笑顔に、チナツは苦悩の鎖から解き放たれた。 自由を取り戻した心が、喜びの涙を流させる。 自分にはどんな時でも支えてくれる仲間がいる。 理由があって一度は裏切ってしまったけれど、サラはそんな自分でも快く迎え入れてくれた。 そんな彼女に、今自分は何をすべきなのか……? 考えるまでもなかった。 彼女の言葉に従い、共に戦うこと。 この身が朽ち果てるまで、彼女と共にネイゼルリーグ四天王の職務を全うしよう。 それが彼女に対するせめてもの償いであり、恩返しでもある。 自分の使命……ネイゼル地方に巣食う巨悪を打ち倒し、秩序を取り戻すことだ。 そのためならば、命の一つや二つはかけてやる。 「チナツ。先に言っておくけど、キミの家族はソフィア団との戦いが決着するまでネイゼルリーグが預かるから。 そうじゃないと、また人質に取られてキミが苦しい想いをするだけだから……ね?」 「ええ、ありがとう…… サラ、あたし、何でもするわ。特攻だって何だって、あたしにできることがあったら、何でも言って」 「うん。早速こき使ってあげるから期待しててね」 涙を拭いて、チナツが決意を述べると、サラは口の端に笑みを作ってそんなことを言った。 本当にこき使いそうで怖かったが、それでも抱いた決意には微塵の揺るぎもなかった。 「シンラ……あたしの家族を人質に取ったこと、後悔させてあげるわ……!!」 ソフィア団の総帥は、ポケモンバトルの実力も優れていると言うが、関係ない。 今まで謀ってくれた分の礼はさせてもらわねばなるまい。 「さて、早速北の騒ぎを収めて……って言いたいトコだけど、その必要もないみたいだね」 サラは街の北に顔を向けた。 先ほどまで、ビルの合間を縫って煙が立ち昇っていたが、見えなくなった。 恐らく、ヴァイスが暴れまくって鎮圧したのだろう。 彼は暴れすぎるきらいがあるが、実力は大したものだ。 得意とするのはシングルバトルよりダブルバトルやマルチバトルで、複数のポケモンを使いこなす達人である。 そんな彼なら、一人でも騒ぎを鎮圧することくらい造作もないはずだ。 もし苦戦しているようだったら、チナツを派遣しようかと思っていたが、その心配もなさそうだ。 そうなると、優先順位を一つ、繰り上げられる。 「チナツ、シンラはキミに何か言ってたかな?」 サラが、先ほどまで煙が上がっていた辺りを眺めながら訊ねると、チナツは首を縦に振った。 「特には……でも、各地で騒ぎが起きるとは言っていたわ。 たぶん、アイシアタウンやフォレスタウン、ウィンシティ、レイクタウンでも」 「そうだね。ぼくもそう思っていたんだ。彼らがどんな手に出てくるかも予想はしてた」 「……あたしのせいよね。もうちょっと早く、みんなに打ち明けてたら……」 「そんなことないよ。 むしろ、ぼくたちがもうちょっと早くキミの家族を助けていれば、少しは事態がマシになってたかもしれない。 悔やまれるのは、そっちの方さ」 止むに止まれぬ事情がある者を、責めることなどできはしない。 仮定の話をしたところで起こってしまった出来事が変わらないのだから、未来を変えるように努力してゆけばいい。 人というのは、そうやって明日へと向かって生きてゆくものだ。 「他の町でも騒ぎが起きるってのは、ぼくも予想していたことだよ。 少なくともこの街で騒ぎが起きたということは、他の町でも同じことが起こってるってことだ」 サラの言葉は正しかった。 推測ではなく、確信。 先ほどはギランからレイクタウンで騒ぎが起きたことを聞かされたし、疑いようもない。 アイシアタウンとウィンシティにはジムリーダーがいるから、よほどの相手が出てこない限りは大丈夫だろう。 フォレスタウンも、ヒビキの代わりにサラの知り合いがジムリーダーを務めているが、そちらも心配ない。 問題があるとしたら…… 「チナツ、レイクタウンに飛んでくれる? アズサとカナタがいるはずだけど、予想以上に深刻な事態になってると思うんだ。 もうすぐ連絡が来ると思うけど、二人に合流してくれないかな?」 「分かったわ。出てきて、リザードン」 チナツはサラの言葉に頷くと、腰のモンスターボールからリザードンを出した。 「がおぉぉっ……!!」 立派な体躯のリザードンは飛び出すなり夜空に咆哮を響かせた。 俺は何をすればいい……? そんな眼差しでチナツを見やり、はたと動きを止める。 彼女の表情に迷いや躊躇いがないのを見て取って、リザードンも悟った。 シンラの呪縛から解き放たれ、普段の彼女に戻っているのだと。 これなら、いつものように安心して彼女の言葉に従うことができる。 「リザードン、行くわよ!!」 「がーっ!!」 威勢のいいトレーナーの声に応え、リザードンは翼を広げた。 チナツはその背にまたがると、サラに顔を向けた。 「サラ、あたしの母さんと妹を助けてくれてありがとう。これであたしも、心置きなく戦えるわ」 「うん。今までの分を取り返すように……ううん、キミのことだから、それ以上に荒れ狂おうって思ってるんだよね。 いいよ、キミの思うとおりに頑張ってごらん」 「言われなくても、そのつもりよ」 サラの笑みに、チナツはガッツポーズを取ってみせた。 「リザードン、レイクタウンへ向かうわよ!! 飛んで!!」 この分なら大丈夫だろう。 彼女の笑顔を受け取るように、チナツを乗せたリザードンが勢いよく飛び上がると、 星のない夜空に、リザードンの尻尾の先に灯る赤い炎が眩しく映えた。 炎が夜気を焦がし、小さな火の粉を空に散らす。 東へと向かって一直線に飛んでいくリザードンの背中を眺めながら、サラは笑みを深めた。 チナツも、心配事さえなくなればいつものように激しく暴れるだろう。 彼女のそういった前向きな(あるいは前向きすぎる)姿勢は大好きだし、励みになるところだった。 「さて……」 リザードンの姿が豆粒ほどの大きさになったところで、サラは再び携帯電話を取り出した。 画面を見てみるが、着信はない。 どうやら、向こうは向こうで立て込んでいるらしい…… そんなことを思っていると、サラの気持ちを読み取ったように携帯電話が震え出した。 少し遅れて陽気な着信音が鳴り響く。 一人残された公園で聞くには、ちょっと虚しくなるような明るい曲だったが、サラはすぐ電話に出た。 「カナタ? やっと連絡くれたんだね」 『ああ……サラ、もっと早くに連絡したかったが、こっちもいろいろと警察の事情聴取に付き合わされてな。 ……それより、悪い知らせがある』 努めて明るく話すサラとは対照的に、電話口の相手の口調は風前の灯火のような弱々しさ。 いつもの彼からは想像もできない口調だったが、逆にそれが悪い知らせという件をより一層際立たせる。 「だいたい、予想はつくよ」 どう話せばいいかと思案しているであろう相手に、先に言葉をかける。 「ドラップが奪われたんだね?」 嫌でも返事を出さざるを得ない状況を作り出したが、彼からの言葉はサラにとっても衝撃的だった。 『……確かにソフィア団のシンラに奪われた。ドラップではなく、ネイトが』 「…………!!」 思わず、背筋が震えた。 温暖な地方でありながらも、砂漠の夜は冷え込む。 鳥肌が立ったのは、そのせいだけではないだろう。 潤っていた喉が渇き、ほんの少しの息苦しさを覚える。 さすがのサラも、数秒は言葉を失っていた。 予想だにしなかった事態である。 ソフィア団が狙っていたのはドラップだ……という事実が根底にあったからこそ、予想がシュールに片付けられた衝撃は計り知れない。 それでも、サラは何事もなかったように装った。無理はあったが、カナタもそこのところは重々承知してくれていた。 「ネイトが……そう……詳しい状況、話してくれる?」 『ああ……』 重いため息が、スピーカーから漏れる。 どんな表情か窺い知れずとも、彼が今やるせなさを抱えながら電話口に立っているであろうことは想像に難くない。 カナタがゆっくりと、その時の状況を語り始める。 サラは相槌を打ちながら、静かに聞いていた。 いろいろと策をめぐらせては来たが、考えていた中では最悪のパターンと言っても良かった。 もちろん、最良なのはシンラを捕らえることだ。 それができなければ、最良でなくても最悪と同じ扱いになるだろう。 要は結果である。1か0か。大人の社会というのはその二つしか存在しないものだ。 カナタが無念さを滲ませながら話した中身を要約すると、こんな感じになる。 レイクタウンの各地で騒ぎが発生したため、カナタとアズサは騒ぎの鎮圧に乗り出したが、 その騒ぎをカムフラージュに、キサラギ研究所でソフィア団総帥シンラがドラップを奪うべく強襲を仕掛けていた。 アカツキと彼の兄アラタ、キサラギ博士の娘キョウコの三人がシンラのポケモンと戦ったが敗北し、 ポケモンを強制的にダークポケモンへ変えてしまうボールがドラップに迫った時、ネイトが飛び出した。 割って入った形になったネイトが、代わりにそのボールに入ってしまい、結果、ネイトはダークポケモンになってしまった。 シンラの指示を受けたネイトはなんの躊躇いもなくアカツキたちを攻撃した。 あまりの衝撃に彼らが何もできないうちに、シンラはネイトを連れて何処かへと姿を消した。 一方、カナタはソフィア団のエージェント・ソウタを追いかけていたが、結局彼を捕まえることはできなかった。 アズサと二人で各地の騒ぎを鎮圧して回る中、 ソフィア団の団員がシンラのカムフラージュのために騒動を引き起こしたことが判明したが、 彼が目的を達成したとなっては、何の意味も無かった。 シンラがドラップを狙ったのは、完全型ダークポケモンの素材として優れた素質を持っていたからだが、 ネイトはそれ以上の素質を持ち合わせていた。 よって、ネイトをダークポケモンに変えて手持ちに加えた以上、目的を達成したも同然だったのだ。 それから程なく、アイシアタウン、フォレスタウン、ウィンシティでも同様の騒動が発生し、それぞれの街のジムリーダーが鎮圧した。 「…………なるほど、分かったよ。 ありがとう、カナタ。キミには辛い役目を押し付けてしまったね」 「面目ない。俺とアズサがついていながら、守ってやることができなかった」 サラの労いの言葉を、カナタは受け取らなかった。 受け取れるはずがないではないか。 四天王という地位に相応しい働きを挙げることができなかったのだから。 それどころか、敵の策にまんまと嵌り、目的を達成されてしまった。 完全な敗北である。 サラは優しいから、精一杯頑張っても目的を達成できなかったカナタとアズサを責めはしないだろう。 だが、今に限っては彼女の優しさがとても痛い。 「今、チナツをそちらに向かわせたよ。 ……もう、何も起きないとは思うけど、念のためにアカツキについてあげてくれないかな」 『ああ……分かった』 カナタの話を聞いたとあっては、チナツを向かわせたことに意味など見出せなかったが、それでも何もしないよりはマシだ。 相手が欲張って、ドラップを狙いに来てくれたら……と思うが、シンラはそんなことをするほどバカではないだろう。 目的を一度達成したら、二度と近づかない。 そんな慎重さがなければ、今まで警察やポケモンリーグの目を掻い潜って活動を続けることなどできまい。 やるせなさに襲われているのは、サラもまた同じだった。 策を尽くしたつもりだったが、相手の方が一枚上手だった。 それは認めなければならないだろう。 その上で、次の策を早急に立てる必要がある。 焦れば焦るほど綻びが大きくなることが分かっていても、予想以上の事態が起きたことにショックは隠しきれない。 今すぐ落ち着くことは無理だったが、それはカナタも承知していることだった。 彼女が落ち着きを取り戻すまでの間を繋ぐように、話しかけてくる。 『俺は今まで四天王なんて気取ってたが、そんなものが何にもならなかったって思い知らされた気分だよ。 ……もっとも、今ここで尻尾巻いて逃げ出すワケにはいかないけどな。 まだ、すべてが終わっちまったワケじゃないんだ』 「うん、そうだね…… ゴメン、みっともないところ見せちゃったね」 『いや、安心したよ。 サラも、驚いたり不安になったりすることがあるんだって思うと、安心する』 「あ、あのねえ……ぼくは機械人形じゃないんだから」 おどけるようなカナタの口調に、サラは思わず頬を赤らめたが、恥ずかしい気持ちに気づいて、ふっと息をつく。 「……ありがとう」 カナタは励ましてくれたのだ。 彼自身も今、辛い状況であるにもかかわらず。 人前では弱さなど見せなかったが、そんなのはただの強がりにしか過ぎないのだと、今さらになって思い知らされる。 「そう……今は落ち込んでるヒマなんてない。 辛いのは……最高のパートナーを奪われたあの子の方……」 チャンピオンたる自分が落ち込んでいる暇などない。 一番辛いのは、ネイトという最高のパートナーを目の前で失ったアカツキの方だ。 何も失っていないサラが、立ち止まってしまうわけにはいかないではないか。 カナタの言うとおり、まだすべてが終わったわけではない。 取り戻そうと思えば取り戻せるのだ。 ここで抵抗をあきらめてしまったら、本当に何も取り戻せなくなってしまう。 それだけは……何としても許せなかった。 拳を握りしめ、心を奮い立たせる。思いのほか、熱い気持ちは心の中に残っていたらしい。 ほんの少しだけ安堵していると、カナタがとんでもない話を持ちかけてきた。 『サラ。俺たちの独断だが、フォース団のハツネと協力することにした。 今、アズサが彼女を連れてそちらに向かっている。 一応、ハツネにはこの状況を打開する方法があるらしいんだが、何を考えてるのか分からない。 サラの方で話をしてもらって、これからどう打って出るか決めてもらいたいんだ』 「……本当に無茶なことをするね」 敵の敵は味方ということか。 ソフィア団と敵対しているとはいえ、フォース団もまたポケモンリーグや警察とは仲がいいと言いがたい間柄である。 決して味方とは言えないが、完全な敵として見定めることもできないだろう。 この状況を考えれば、カナタとアズサが思い切った手を打ってくれたことに感謝したいほどだ。 サラは困ったように笑っていたが、その表情が真剣なものに変わるのに、さほど時間はかからなかった。 「どんな見返りを求められるかは分からないけど、ソフィア団の思い通りに事が進んでいる以上、 遺恨がどうのこうのと言ってられる状況じゃないってことだね」 正直、ハツネが何を考えているのかは分からない。 彼女とシンラの間柄を考えれば、彼女が良からぬことを考えていたとしてもおかしくはないのだ。 だが、ここはカナタの顔を立てる意味も込めて、話に乗るべきだろう。 「分かった。でも、彼女は一応指名手配犯だし、入る場所は選んだ方がいいね」 『ああ。それについてもアズサに話をしてあるから。心配せずに待っていてくれ』 「うん。それじゃあ、また……手は考えておくから」 『ああ。何かあったら知らせてくれ』 プツリ、という音を境に、会話は途切れた。 サラは夜空を見上げ、深々とため息をついた。 携帯電話を持った手をだらりと下げて、思いにふける。 「ぼくに立ち止まっている時間はない……ってことか。 ロータスも、そんなには役に立てなかったみたいだし……このままじゃ、キミに申し訳立たないよね。 事情を説明して、大事なポケモンを借りておいて、上手く行きませんでした……じゃあ、ね……」 今は各地を飛び回っている夫。 彼は、自分を信じてポケモンを貸してくれたのだ。 予想外の結果を突きつけられたくらいで立ち止まっていては、申し訳が立たない。 一体、何のためにポケモンを借りたのか。 それさえ分からなくなってしまう。 「でも、ここからが正念場なんだ」 夜空には一粒の星さえ見えない。 今、自分たちが置かれている状況を暗に示しているかのような、平坦な夜の空。 だが、逆に考えてみたらどうだろう……? 平坦で同じ色ばかりが続く空に、脳裏に思い描いた未来予想図を書き込んでみれば……? どんな風にでも変わってゆける。 途中経過はどうあれ、結末は自分の気持ち一つで変えてゆけるのだ。 「…………戻ろう。策を考えなきゃ始まらないもんね。 そのためにも、今は……」 サラはメタグロスに乗って、ネイゼルリーグの執務室へと戻った。 「ハツネ……か」 フォース団の首領を務める女はいけ好かないが、今は好む好まざるを論議していられる状況でもない。 それは彼女にとっても同じはずだ。 あれこれと互いの腹を探り合う展開にはなるだろうが、表面上でも結束できれば、それ以上に心強いことはない。 だが、そうするためにもまず、話し合うことだ。 上辺だけであれ、相手が何を考えているのか……そこから糸口をつかんでいかなければならない。 ゴールは果てしなく遠く感じられたが、歩き出さなければ始まらない。 サラはその一心を胸に、そう遠くない首脳会談に想いをめぐらせていた。 Side 6 「ネイト……行くな、ネイト!!」 闇の中に浮かび上がる、大切な仲間の……何年も苦楽を共にした大切な家族。 いくら手を伸ばしても、全速力で走っても、二人の距離は縮まるどころか、逆に広がっていく。 背を向けて遠ざかっていく大切な家族の傍には、虫も殺さぬ笑顔を見せ付ける青年。 ――おまえなんか、怖くもなんともない。 ――おまえの大切なものも、僕にかかれば簡単に奪える。他愛もない。 ――おまえにとって大切なものなんて、所詮その程度のものでしかなかったんだよ。 そう物語る笑みも、大切な家族と共に遠ざかっていく。 追いすがる彼の脳裏にだけ残って。 「冗談じゃない……なんでおまえがあんな目に遭わなきゃいけないんだ……」 これ以上ないほどに手を伸ばすが、その拍子にバランスを崩し、転倒する。 擦りむいたらしく、膝が痛むが、構わずに立ち上がろうと全身に力を込めて――はたと気づく。 少しずつ遠ざかっていく大切な家族が足を止め、振り返ってきた。 寂しげな表情に、双眸を潤ませながら。 「ブイっ……」 ――助けて…… 彼には、そう聴こえてならなかった。 胸が張り裂けそうなほどの切なさが、辛さが、悲しさが、やるせなさが、憎しみが。 あらゆる感情が小さな胸を突き破って、ありったけの想いが言葉として吐き出される。 「ネイト、行くなっ……!! ネイトーーーーーーーっ!!」 第14章へと続く……