シャイニング・ブレイブ 第14章 それぞれの答え -What you hope really-(前編) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って41日目。 サラは眼前でふんぞり返っている赤髪の女性をじっと見据えた。 フォース団の頭領・ハツネ。 昨日までは不倶戴天とまでは行かなくとも、敵対的な関係だった相手である。 そんな相手が、どうして敵地とも言えるポケモンリーグ・ネイゼル支部にあるサラの執務室でふんぞり返っているのか…… 答えは進行している事態よりも今一つ単純だった。 過去の遺恨を一時でも忘れて協調しなければならないからだ。 敵と手を組むなど、今までは考えられなかったし、ポケモンリーグの中ではタブー視されていた。 ソフィア団と対立しているからと言っても、フォース団もまた、ネイゼル地方の治安を乱してきた一味である。 状況が変わったとはいえ、いくらチャンピオンの考えがあるとはいえ、それを素直に受け入れられる役員がどれだけ存在するか。 考えるだけ馬鹿げているような人数だろう…… そう思い、サラは小さくため息をついた。 敵地にいるにもかかわらず、ハツネはソファーに深々と腰掛け、脚を組み、髪と同じで真っ赤な携帯電話をいじっている。 このふてぶてしさ……しかし、裏を返せばそれが彼女の度量の大きさをも示していた。 それはサラの隣に腰を下ろしているアズサも理解しているようで、 苦渋に満ちた表情を浮かべながらも、喉元まで出かけた言葉をグッと抑えていた。 先ほどまでディザースシティは騒動に巻き込まれていたが、ヴァイスがキッチリ鎮圧してくれたおかげで、目立った混乱は見られなかった。 今ではほとんどのホテルやカジノ、シアターが営業状態に戻り、何もなかったような夜を迎えている。 先ほどギランから報告を受けた限りでは、アイシアタウン、フォレスタウン、ウィンシティでも同様の騒動が起こったそうだが、 ジムリーダーの獅子奮迅の活躍もあって、見事に鎮圧したそうだ。 重要な立場にいる者が己の役目を果たしている。 ……ならば、今、自分は立ち止まらずに、事態を収拾するための策を弄さなければならない。 蟠りがないと言えばウソになるが、どうやらハツネには何らかの策があるらしい。 隠そうともしないのだから、それなりに自信があるのだろう。 ただ、それでもここにやってきたということは、その策を実行に移すためにポケモンリーグの力を必要としているから。 ……結局、互いに考えてることは似たり寄ったりだったのだ。 事態を収拾するため、互いが互いの力を欲している。利害が一致しているからこそ同じ方向を向いて歩き出せる。 なるほど、後腐れのない考え方だ。 考えに一区切りつくのを待つように、ハツネが口火を切った。 「シンラのヤツは、作戦を最終段階に移行したよ。 そろそろ、あたしらも動かなきゃいけないワケだよ。 納得はできないだろうけど、ここは一つ、手を組もうじゃないか」 「ああ、そうだね。それしか方法がなさそうだ」 「やっぱ、チャンピオンだけあって物分りが良いね。助かるよ」 本心からか、ハツネの顔に笑みが浮かぶ。 だが、サラはそれが本心からだと解釈した。 何度か顔を合わせているから、相手のことはそれなりに理解している。 ハツネは言葉でこそ相手に誤解を与えることがあるものの、自身には絶対にウソをつかないのだ。 「具体的には? ソフィア団のアジトが割れてなきゃ、話にならないけど」 「大体の目星はついてるよ。 ただ、問題はあたしらとあんたらが組まなきゃ戦力的にあいつらを圧倒できないってトコだけさ。 ま、あんたの顔を見る限り、心配要らないみたいだけどね」 「……シンラを逮捕して、ソフィア団を解体させる。 その目的のためだけにぼくたちは手を組むんだ。余計なことは考えない方がいい」 「分かってるよ。 あたしもね、あいつのバカげた野望とやらをつぶしてやんないと気が済まないんだ。 そこんとこは、調べがついてるんなら分かるだろ?」 「……まあ、それはそうだね」 軽く腹の探り合い。 互いに相手の考えを読んでいる。 サラもハツネも、短い会話のやり取りでそれを理解していた。 同時に、互いに腹の底に蛇を飼っていることも。 まあ、それはそんなに重要にはならないだろう。 利害の一致がある限り、敵に回ることはない。たとえ一時であっても、心強いことだ。 ハツネとシンラの関係。 確かに彼女の言うとおり、調べはついていた。 だから、その言葉にウソがないことも理解している。 ちゃんと信じてもらえるだけの情報が集まっていることを察しなければ、ここまでやってきたりはしないだろう。 そういった意味では、互いにある程度の準備はできているということだ。 余計な下地を作らなくて済む分、やりやすいと言えるのかもしれない。 「まずは、キミが考えてる策とやらを聞かせてもらおうかな」 サラはコップの水を飲み干すと、ハツネに彼女が考えている策を訊いた。 隣でアズサがどこか居心地悪そうにしているが、今は我慢してもらおう。 なにしろ、ハツネ相手に立ち回った回数では、彼女がダントツのトップなのだ。 苦手意識があったとしても不思議はないし、その割にはよくここまで一緒に来られたものだ。 ある種の感動さえ覚えていると、ハツネが言葉を返してきた。 「簡単さ。アジトに乗り込んでぶっ潰すだけさ。 細かい算段は考えっこなしだ。予測と違うアクシデントなんていくらでも起きるだろうからね。 どうせなら、大ざっぱな協力体制だけ敷いといて、あとはあたしらとあんたらで互いに不干渉ってことだけ決めとけばいい」 「なるほど……」 一時的な協力体制なのだから、情が移るほど親しくする必要はない、と言っているのだ。 サラもその意見には賛成だったが、懸案事項が二つ。 相手がどう考えているのか、探りを入れてみた。 「でも、ソフィア団はダークポケモンを大量に揃えてる可能性があるね。そこはどう考えてる?」 「一体ずつチビチビ戻すなんてことは考えないさ。 とりあえずは行動できないくらいにダメージ与えといて、モンスターボールに戻せば問題ないだろ。 ダークポケモンが厄介なのは、モンスターボールの外に出てる時なんだから」 「じゃあ、ネイトは?」 「……そこまであたしの知ったこっちゃないけど、このポケモンを見てもらえば分かると思うよ」 懸案事項の一つはクリアしているとしても、残りの一つに関してはどう考えているのか……? サラはハツネが手にしたモンスターボールを興味深げに見やった。 見れば分かると豪語しているからには、彼女の方でも準備を周到に整えていたということ。 それがどんなものか、見せてもらうではないか。 「ほら、出ておいで」 ハツネが言葉と共にモンスターボールを軽く頭上に放り投げると、ボールの口が開き、中からポケモンが飛び出してきた。 「……これは……!!」 ハツネの脇に飛び出してきたポケモンを見て、アズサの顔色が変わった。 「なるほど……このポケモンを用意していたなんて驚いた」 対照的に、サラは表情こそまったく変えていなかったが、表面上とは裏腹に、内心驚きを隠しきれなかった。 確かにハツネが準備しておいただけのことはある。サラをも唸らせるポケモンだ。 一般的な成人男性よりも大きな体格の犬で、全身の毛は黄色を帯びた赤。光の加減によっては金色に見えないこともないか。 見た目こそ巨大な犬だが、犬と呼ぶことを躊躇わせるのは、 獅子のごとき彫りの深い顔立ちと、後頭部から左右に生えた水晶のような金色の角。 最後に、身体の一部なのか、それともポケモンの力が具現化したものなのか、身体から少し離れたところに深紅の紋様が浮かんでいる。 その場に佇んでいるだけで、圧倒されるような雰囲気を放つポケモン……いや、ポケモンと呼ぶべき存在なのかと躊躇ってしまうほどだ。 女性三人の視線を浴びても、そのポケモンは身動ぎひとつせず、サラの顔をじっと見つめていた。 金色の双眸は、彫りの深い顔立ちが与える威圧感とは裏腹に、包み込むような優しさを秘めていた。 博識なアズサはもちろん、サラもこのポケモンのことは知っている。 「アグニート……ネイゼル地方を一夜にして壊滅に追いやったっていう伝説のポケモンだね」 ハツネがモンスターボールから出したポケモンの名はアグニート。 誰が名付けたか分からないが、少なくとも当人がそう名乗っているわけではないだろう。 一般的に、ポケモンの種族名は人間がつけたものだ。 「しかし、キミがアグニートをゲットしているとは思わなかったよ。 どこかで眠りについてるって聞いたことはあるんだけどね……」 サラが肩をすくめながら言うと、ハツネは困ったように笑いながら言葉を返した。 「でも、こいつ、つまんないんだよ。 笑いのセンスはゼロだし、冗談だって通じやしない。これじゃああたしの方が窒息しそう」 彼女の言葉に幾許かの皮肉が混じっているのを感じ取ってか、アグニートは横目でハツネを睨みつけた。 「キサマに良く思われたいなどと思ったことは一度もない。 人間のセンスとやらも興味はない。 それと……我をポケモンなどと呼ぶのは止めてもらおうか。人間どもが勝手に作った言葉で呼ばれるのは、虫唾が走る」 「しゃ、しゃべった……!?」 「まあ、伝説のポケモン……伝説の存在だし。言葉を操る術を持っていたとしても不思議じゃないよ」 アズサは、まさかポケモンがしゃべるとは夢にも思わなかったらしく、あからさまに驚いていた。 サラも驚いていないわけではないが、伝説と謳われる存在である。 言葉くらい発しても不思議はないだろう。 テレパシーなどではなく、人間のそれとはまったく異なるであろう喉を震わせて発した肉声。 あまりに砕けすぎたハツネの性格を毛嫌いしているところを見る分に、アグニート自身はとても硬い性格の持ち主なのだろう。 仮にも、大昔に神とさえ呼ばれたのだから、当然と言えば当然か。 みちびきポケモン・アグニート。 一説には天雷の聖者と呼ばれ、従えた者を常に正しき方向へ導くと云われており、天下統一の象徴とされていたこともあったらしい。 そのせいで過去にネイゼル地方が二分するような大きな戦が起きた。 結果的にアグニートが人間の愚かさに嫌気が差してネイゼル地方を焼き払おうとしたところに、 とあるポケモンを従えた青年が現れてその怒りを鎮めたという件(くだり)を、サラはどこかで目にした覚えがあった。 伝説の類は、実物するかも分からない眉唾物も少なくないが、目の前にいるポケモンはかつて目にした古文書に描かれた姿と寸分違わなかった。 どんなタイプと能力の持ち主なのか……興味はあったが、 ポケモン呼ばわりされるのを嫌っているのだから、トレーナーとして首を突っ込んでも仕方ないだろう。 人知れず残念に思っていると、アグニートはサラに視線を戻して、 「そなた、名は何と言う?」 一言目に問われ、一瞬呆然としたものの、サラはすぐに言葉を返した。 「ぼく?」 「そうだ」 「サラだよ。はじめまして、アグニート。 ……あ、キミはそういう呼び方嫌いなんだっけ。どう呼べばいいのかな?」 「アグニートで構わん。 ポケモンなどと道具のように呼ばれるのは嫌だが、その名前は我がかつて友と呼んだ者がつけたものだ」 「そうなんだ……で、どうしてアグニートをキミがゲットしたの?」 言葉の途中で顔をハツネに向ける。 かつてネイゼル地方を壊滅にまで追い込んだ伝説のポケモンである。 人目につくような場所に眠っていたわけではないだろうし、ハツネに好意的でない様子を見ても、どうしてゲットできたのか不思議だった。 もっとも、アグニートからすれば、恐らくは仕方なくついてきたというところだろう。 今までの言動から、そう結論付けるのも難しいことではなかった。 あるいは、ハツネが何をしようとしているのか……ソフィア団を解体するという大義名分の裏に隠された本当の目的も見えてくるかもしれない。 素直に話してもらえるかどうかは分からないが、それでも必要なら教えてくれるだろう。 そんな期待を抱きながら待っていると、ハツネは深々とため息など漏らしながら答えてくれた。 「必要だったからだよ。 そうじゃなきゃ、あたしもこんな爺むさいのと一緒になんていないって」 「じ……!?」 「ほら、ムキになって突っかかってくるトコなんてそうだろ。 そのくせ妙に威張ってさ、扱いに苦慮するよ、ホント」 「…………」 ハツネがあっけらかんと言うと、アグニートは絶句した。 表情による感情表現は得意でないらしく、顔つきはまったく変わらなかったが、顔など見なくとも、アグニートが狼狽しているのが分かる。 ある意味分かりやすい反応に、ハツネが笑みを深めた。 「なるほど……」 伝説の存在として語り継がれている割には、妙に人間っぽいところがある。 ハツネがからかっているのも、そこだろう。 サラもアズサも、目の前にいるのがかつてネイゼル地方を壊滅させようとしたポケモンだなどとは思えなくなっていた。 性格的には水と油だろうが、そのデコボコぶりが板についている。 もし二人で漫才をするのなら、応援したくなるような組み合わせだ。 ……もちろん、そんなことを面と向かって言うだけの度胸はなかったが。 「まあ、冗談はそれくらいにしといて……」 「冗談だったのか。キサマ、これ以上我を謀ると、どうなるか分かっているな……?」 「あたしに手を出したら、あんたの望みが叶わなくなるよ?」 「む……」 「まあ、キミたちすごく似合ってるよ。で……アグニートがキミに付き従っている経緯は?」 ハツネに任せていては埒が明かないと判断し、サラは回答を促した。 このままだと、本当にボケとツッコミの世界に入りそうだ。今はそんなことをしている場合ではない。 ソフィア団の思惑通りに事が進んでいる今、この現状に歯止めをかけなければならない。そのための、建設的な対話の場なのだ。 「簡単さ。あたしの目的と、アグニートの願いが一致しているから。 あたしとあんたの利害が一致してるのと大差ない」 「なるほど……それじゃあ、アグニートの願いって?」 ハツネの言葉に、サラは相槌を打った。 付き従うという表現が正しいかはともかく、傍目から見ればそんなものだ。 次の疑問は、アグニートが何を願ってハツネと共に行くことを選んだのか。 人間を快く思っていないようだから、よほどの理由があるのだろう。 「それは当人に答えてもらおうかな?」 「……ヤツを助けるためだ。我がただ一人、友と呼べる者……ルカリオを助けるためだ」 ハツネに促され、アグニートは躊躇うことなく言い切った。 自分の目的なのだから、隠す必要はないし、ここで隠し立てするようなことでもない。 アグニートの言葉に、サラは小さく眉根を寄せ――はたと気づく。 「ルカリオって確か、波導の勇者アーロンの従者……だったよね」 「ああ、そうさ」 「……なるほどね。話が読めてきたよ」 数百年前にとある地方で活躍した勇者につき従っていたとされるポケモン……それがルカリオ。 サラはポケモンが絡む昔話に詳しく、ルカリオの名前を聞いただけでピンと来た。 彼女の洞察力の鋭さと知識の豊富さに満足するように、ハツネは得意気な表情を浮かべて口の端を吊り上げた。 「シンラはルカリオを使って何かをやろうとしているんだね。 ハツネ、キミはシンラを止めるのが目的。 アグニートはルカリオをシンラから助け出すことが願い。 ……そういうことでいいのかな?」 「ビンゴ。大当たり」 「……なんだか、とんでもない話になってきたわね」 サラの推測にハツネが大きく頷くものの、アズサは思わず天を仰いだ。 話がどんどん大事になっているように感じられてならなかった。 伝説級のポケモンが、これで二体。 一体はアグニート。ネイゼル地方を壊滅させようとしたこともある、強大な力の持ち主。 もう一体はルカリオ。かつて波導の勇者と称えられたアーロンの従者。 どう考えても接点はなさそうだったが、サラの推測は当たっているのだろう。 そうなると、二体のどこに接点があるのかだが……そこまで考える必要はないだろう。 アズサは任務に失敗している身である。余計な詮索は、すべきでない。僭越な行為もいいところだった。 「今までの状況から考えられるのは、ルカリオをダークポケモンにすることで完全な形で従えて、何かをしようとしてるということ。 それを、キミが止めようとしていること。キミがそこまで考えるほどなんだから、よっぽどのことをしようとしてるんだね」 「やるだけバカげたことだよ。ルカリオなんて関係ないんだから、おとなしく眠らせてあげてれば良かったのに」 推測と言うのが憚られるほど、サラの言葉は見事に当たっていた。 ハツネの考えともほとんど合致しているようだし、これなら互いに余計な事を考えずに手を組めそうだ。 レイクタウンで、ネイトをダークポケモンにしたことから考えても、ルカリオを同じように完全な形で従えようとするのだろう。 恐らくは、ネイトはその実験台(モルモット)に過ぎない。本当はドラップを狙っていたのだが、横槍が入ったというところか。 もし、サラがシンラの立場に立ったとするなら、同じことをするだろう。 完全な形で効果を実証しなければ、ここ一番という局面で投入など出来はしない。 「サラ、あんたを信じて、シンラが何をしようとしてるのか、教えてあげるよ。 止めるんだったら、あいつが何しようとしてるのかくらい知っといた方がいいだろ」 「……話してくれるんだ」 「一時とはいえ、手を組むんだ。 あたしとしても、あんたたちが信じてくれなきゃ動くに動けない。それはお互い様だろ?」 「……そうだね。じゃあ、聞かせてもらおうかな」 サラは頷き、背もたれに背中を預けた。 これで、核心に近づける……相手のことを知れば、止める手立ても見つかるかもしれない。 仮に見つからなくても、思案することで見出せるかもしれない。 ハツネは傍らのアグニートを一瞥すると、深呼吸した。 案外、ネオンライト煌めくディザースシティの華やかな夜景が性に合わないのかもしれない。 てっきり、彼女はゲームセンターやカジノが好きなタイプだと思っていたので、意外な発見だった。 呼吸を整え、ハツネはサラの目をまっすぐに見据えた。 いつの間にか笑みが陰を潜め、代わりに浮かんできたのは真剣な表情。あるいはそれが、フォース団頭領としての表情なのかもしれない。 「それだけの決意が必要だってことか……」 シンラとハツネの関係を考えれば、それは無理もないことだ。 サラはそう結論付けて、姿勢を整えた。 一方、アグニートはルカリオを助ける――シンラの手に落ちているにせよ、落ちていないにせよ、 彼がルカリオを従えようとしていることは間違いなかった――ことしか興味がないらしく、そっぽを向いている。 「シンラはね、十年前の復讐をしようとしてるんだよ。 十年前に殺された、あたしらの両親の敵討ちなんて、馬鹿げたことをね。 そのためにルカリオの力が必要なんだってさ。あらゆる生物の波導を識別するルカリオの力がね」 「…………」 ハツネが語ったシンラの目的は、想像に余りあるほどの衝撃をサラとアズサにもたらした。 アグニートは相変わらず人間の行いに興味がないようで、パチパチと瞬きを繰り返すだけで、身動ぎ一つしない。 ――復讐―― ポケモンからすれば、生きる上で必要のない行為だろう。 もちろん、それは人間も同じだが、時に必要のない行為が自らの生きる証となり、目的となりうる場合もある。 皆まで聞いて、サラはようやくすべてが紐解けたような気がしていた。 どうして、ダークポケモンなどという禁忌に手を出したのか……ソフィア団などという組織を立ち上げたのか。 そして、彼に対抗するようにハツネがフォース団を立ち上げたのも。 サラは胸に手を当て、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。 まさか復讐などという目的があったとは思わなかったが、だからこそ驚きも一入だった。 気持ちを落ち着け、ハツネに訊ねる。 「キミはどうしてシンラを止めるの? ……キミと彼の関係は分かってるつもりだけど」 「肉親として間違ったことは止めさせなきゃいけない……なんてキレイゴト言うつもりはないよ。 バカバカしいから止める。それだけさ」 サラの問いに、ハツネは頭を振った。 言葉尻だけ捕らえれば、彼女が何とも思っていないように見える。 だが、サラにもアズサも気づいていた。 ハツネの表情がどこか物悲しく、悲痛とも取れるような決意に満ちている……ということに。 ……どうやら、彼女の心に夜明けが訪れるのは今しばらく先のことになりそうだった。 Side 2 ――アカツキが故郷を旅立って42日目。 その日の明け方、アカツキは目を覚ました。 「…………?」 目に飛び込んできたのは、白。 焦点の合わない視界に映るのは輪郭も定かでない漠然とした色。 だが…… 「ベイっ!!」 「ごぉぉ……」 「キシシシ……!?」 「キキッ!!」 アカツキの耳に、聴き慣れた声が一斉に飛び込んできた。 直後、眠りから覚めたばかりのボケた意識が覚醒し、途端に視界がハッキリしてきた。 漠然と白に見えたのは、ポケモンセンターの天井。 聴こえた声に背中を押されるように上体を起こすと、目の前にはポケモンたちの姿。 皆、一様に喜びに満ちた表情をアカツキに向けていた。 「…………オレ、どうしたんだっけ……?」 斜め前の窓から差し込む柔らかな朝日を浴びて、アカツキは首を傾げた。 「…………」 起きたばかりと言っても、意識は冴え渡っている。 身体は鈍っているらしく、どうにも窮屈な感じがしているが、そんなのは取るに足らないものだった。 ポケモンセンターのベッドに寝かされていると理解して――どうしてここにいるのだろうと考えてみたが、すぐにどうでもいいことだと振り払う。 目の前で安堵しているポケモンたちに、言うべき言葉があると思ったからだ。 「リータ、ドラップ、ラシール、アリウス……ずっと、オレのこと見てくれてたのか?」 「ベイっ!!」 アカツキの問いに、リータが真っ先に頷くと、ベッドの横に歩いてきて、頭上のスパイシーな香り漂う葉っぱを擦り付けてきた。 ――本当に心配したんだよ? 甘えるような仕草を見せるのは、それだけアカツキのことが心配だったからだろう。 ポケモンの気持ちを汲み取る能力に長けている男の子には、リータだけでなく、皆が何を思っているのかも十分に理解できていた。 「…………」 リータの頭をそっと撫でながら、アカツキは周囲を見渡した。 なんてことはない、ポケモンセンターの一室。 家具類の配置から見ても、寝泊りすることになった部屋とは別の部屋だろう。自分のために、もう一部屋取ってくれた。 悪い言い方をすれば、隔離されたということだろうか。 視線を室内に這わせ、足りないものがあることに気づく。 「…………」 少なくとも、普通に寝泊りするには十分すぎる家具がある。ベッドもフカフカだし、シーツは洗い立ての香りが漂っている。 何が足りないのか、一通り考えるまでもなく分かってはいたが、 それでも一通り、テレビから椅子から……家具類にまで考えの手を伸ばしたのは、単純だった。 「そっか、ネイト……いないんだっけ……」 いつも傍にいてくれるはずのネイトがいない。 ……ネイトだけが、いない。 目を覚ましたら、胸に飛び込んでじゃれ付いてくる。 アカツキにとっては家族と呼ぶ方が正しい間柄のポケモンだ。 ネイトがどうしていないのか……理由もハッキリしている。 眠りから覚めたことで、頭が働き出した。 目が覚める前のことも、思い出した。 「……ダークポケモンに、なっちまったんだっけ……」 ソフィア団のボスとか名乗る男のボールに入り、ネイトはダークポケモンとなってしまった。 それだけでなく、アカツキたちに躊躇うことなく攻撃してきた。 その攻撃で湖に叩き落とされ、そのまま気を失ったのだ。 記憶の糸がつながっても、アカツキは何とも思わなかった。 いつも傍にいてくれるはずの家族がいない。 心に風穴を穿たれたように、何か考えようとしてもその穴から外に飛び出していってしまう。 アカツキが惚けた顔をして、虚ろな視線を虚空に留めているのを見て、ポケモンたちの表情が曇った。 特にドラップなど罪悪感に耐えかねたように項垂れている。 そんなことが目に入らないほど、アカツキは何も考えられなくなっていた。 ネイトがいない。 ただそれだけのことなのに、とても重たい。 「……今頃、何してんだろ……」 ダークポケモンは、心のない存在。 考えたりすることはないし、迷ったり躊躇ったり、泣いたり怒ったり笑ったりすることもない。 一体何のために生まれたのかも分からない、虚ろな存在。 ネイトがその存在に成り果ててしまった。 今頃何をしているのかなど、考えたところで理解できるはずなどないのに。それでも考えてしまうのは、なぜか……? 同じところを見ているのにも飽きて、アカツキが視線を落とすと、ポケモンたちの曇った表情が目に入った。 どうして彼らまで落ち込んでいるのか、それこそ考えなくても理解できる。 みんなまで引きずられる必要はない……そう思って、アカツキは笑みを作って話しかけた。 「大丈夫だって、ネイトのヤツ、きっと元気にしてる。 みんなで早く迎えに行って、頭ぶん殴って、何やってんだって叱ってやらなきゃいけないよな」 落ち込んでいると分かっているけれど、思いのほか明るい声音で話せたのは、アカツキ自身にとっても幸運と呼ぶべきことだった。 トレーナーが少しでも元気になったと悟り、ポケモンたちは顔を上げた。 最後に、恐る恐るドラップがアカツキを見やる。 「大丈夫。少し混乱してたけど……」 ドラップは、自分のせいでネイトがシンラに連れて行かれたと責任を感じている。 彼が何を思っているのか理解できるから、アカツキは笑みをそのままに、言葉をかけてやった。 「ドラップ。キミのせいじゃないって。オレたちの力が足りなかったんだ。 だけど、絶対に取り戻す。ネイトはオレの大事な仲間なんだからさ」 「……ごぉ」 ――分かってる。分かってるけど…… 今はどんな言葉をかけても、ドラップの心に光を差してやることはできそうにない。 こればかりは、ドラップ自身が考えて答えを出すしかないのだろう。 アカツキはそう思い、それ以上は言葉をかけなかった。過度の言葉は、ドラップには負担にしかならないのだ。 「さて、と……」 アカツキはベッドを降りた。 身にまとっているのはパジャマではなく、旅立った時の服とズボン。 帽子は机にポツンと置いてあったから、手に取ってかぶる。 くたびれたように、椅子にもたれかかっているリュックには手を伸ばさない。 特に外出するわけではないのだから、わざわざ持ち出す必要もないだろう。 「みんな、メシ食いに行こうぜ。 いや〜なことは、メシ食って忘れるに限るって。な?」 「ベイっ♪」 必要最低限の身支度だけ整えると、アカツキはポケモンたちと共に部屋を飛び出した。 朝方のポケモンセンターは澄んだ空気で満たされていた。 廊下から一望できるセントラルレイクはとても穏やかだった。飛び交うポッポの群れが、一斉に嘶いて朝の訪れを告げている。 レイクタウンはいつもと変わらない朝を迎えていた。 昨日、あれだけ派手に騒動が起こったというのに、それすらなかったことにするように静まり返っている。 非日常はあっという間に終わりを告げ、日常へと摩り替わっている。 それに、変わっているものがあるとしたら、それは自分たちの立場だろう。 アカツキは知覚しながらも、無理に考えないように努めていた。 今は、残ったポケモンたちに負担をかけないようにしなければならない。 道化を演じるのは初めてだが、やらなければならないのだから、四の五の言っていられない。 エレベーターを使ってロビーに降りると、ジョーイがいつものようにカウンターの奥で計器のチェックを行っていた。 基本的にポケモンセンターは24時間体制だが、人の出入りが少ない時間帯に、計器のチェックなどのメンテナンスを行うのだ。 必要な時に、必要なサービスを提供できるように。 いつかジョーイが笑顔で話してくれたのを思い出しながら、アカツキは挨拶した。 「ジョーイさん、おはよう」 「……? おはよう。良かった、目が覚めたのね」 聴き慣れた声に振り返ったジョーイの表情は、いつも通りだった。 職業病と陰口を叩かれることはあるが、彼女の笑顔はポケモンだけでなく、人の気持ちも和ませる不思議な力がある。 アカツキも、アカツキのポケモンたちも、彼女の笑顔に少し救われたような気分になっていた。 「ほら、男の子なんだからもっとシャキッとしなさい」 ジョーイは計器のチェックを中断するとカウンターを飛び越えて、相変わらずの笑顔でアカツキの頬を軽く叩いてきた。 彼女はアカツキが置かれている立場を理解した上で、何も言わず、旅立つ前に世話になった時と同じ態度で接していた。 それがとてもありがたく、アカツキは自然と笑顔を浮かべていた。 心に空いた穴はすぐには修復できないが、それでも他人に心配をかけまいという気持ちが働いた。 「じゃ、メシ食ってくるよ」 「用意はできてるわよ。行ってらっしゃい」 「うん!! みんな、行こう!!」 ジョーイの笑顔に見送られ、アカツキたちは食堂に駆け込んだ。 食堂には誰の姿もなかったが、ジョーイの言葉どおり、準備はできていた。 バイキング形式の料理は出来たてのように湯気が立ち昇り、食堂は芳ばしい香りに満ちている。 思わず表情と気持ちが綻び、アカツキは大皿に思い切り装った。 自分の分が終わると、ポケモンたちの分も確保して、窓際のテーブルに移動した。 「さ、食べよう!!」 嫌なことを忘れるには――少しでも薄めるには、食事が一番だ。 美味しいものを口に含めば、少しは気持ちが安らぐだろう。 そう思って箸を手にした時だった。 「よう、目が覚めたな」 「……!?」 入り口から声をかけられ、アカツキは白いご飯に伸びた箸を止めた。 振り向くと、ニコニコ笑顔のアラタとキョウコが歩いてくるのが見えた。 「兄ちゃんにキョウコ姉ちゃん……二人揃ってどうしたんだ?」 テーブルの脇で足を止めた二人に、アカツキは心底不思議そうな顔で問いかけた。 二人揃って、しかも笑顔でなんて、どう考えても普通ではなかった。 少なくとも、アカツキの記憶には、彼らが揃って笑顔でいる光景など存在していなかったからだ。 「どうなるかと思ったけど、ちゃんと目を覚ましてくれて良かったわ」 「そうだぞ。心配したんだからな」 「……うん、心配かけてごめん。でも、大丈夫だよ。ほら」 二人して、アカツキのことを心から心配していたのだ。 だから、目を覚まして食事しようとしているのを見て、安心した。彼らの笑顔は、安心した気持ちを如実に表していた。 「まあ、少しは元気そうでよかった。 ネイトがいなくなって、パニクるんじゃないかって心配したけどな」 アラタはアカツキの頭を乱暴に撫で回すと、肩に手を置いた。 「食事に入るトコ悪いんだけどさ、ちょっと付き合ってくれないか?」 「えーっ、後でいいじゃん。ご飯、冷めちゃう」 唐突な提案にアカツキは驚いたが、すぐに食事に戻ろうとした。せっかくジョーイが準備してくれた料理を冷ましては悪いだろう。 だが、アラタはこれでもかとばかりに言葉でゴリ押しした。 「今じゃなきゃダメなんだよ」 「……分かった。兄ちゃんがそこまで言うなら」 何をするつもりなのか知らないが、今じゃなきゃダメと言われては、従わないわけにはいかない。 「後でジョーイさんに謝っとこう……」 せっかくの料理を無駄にしてしまうようで悪い気がするが、今じゃなきゃダメの一言には勝てなかった。 そこは兄と弟の間柄といったところか。 「みんな、行こうか」 「あー、悪いんだけどおまえだけな。ポケモンたちはここでゆっくり食事してもらうってことで」 「えーっ、なんで!?」 「四の五の言わないの。ほら、来なさい」 ポケモンたちも連れていこうと考えたアカツキだったが、キョウコに手首をつかまれ、 そのまま引きずられるようにして歩き出した。 すぐ後ろをアラタがついていく。 ポケモンたちは呆然と、食堂を出ていくアカツキたちを見ているしかなかった。 「あ、あのさ、一体何?」 キョウコの手を振り払うわけにも行かず、アカツキは渋々彼女の後について歩きながら、不満を滲ませた。 「ラグラージの像のトコに行くわ。 そこで、ちょっとやんなきゃいけないことがあるのよ。今のあんたに必要なことだよ」 「……やんなきゃいけないこと?」 どこか重苦しい響きに、アカツキは彼女の真意を理解することができなかった。 やがてポケモンセンターを出て、いつかカイトとバトルを繰り広げたラグラージの像が祭られている高台へとたどり着く。 朝のレイクタウンはとても静かで、ゴーストタウンか何かと間違えそうなほどだった。 当然、店など一軒も開いていないし、通りを行く人もまばら。せいぜいが犬の散歩かジョギングだ。 高台にたどり着くと、キョウコはアカツキの手を離し、周囲を見渡した。 「うん、誰もいないわね」 「誰もいないって……いるはずないじゃん。今の時間帯に」 「まあ、そりゃそうなんだけどな」 棘の生えた言葉を返すアカツキに苦笑を向け、アラタは肩をすくめた。 確かに、今の時間帯ならここに来る人はいない。 ようやく東の稜線から太陽が顔を覗かせ、新しい一日を祝福するように空が蒼さを見せ始めた。 ラグラージの像は、ただの石像とは思えないような迫力を放っていたが、それは作成した職人の腕が確かだということだろう。 今さらどうになることでもないのだが、それでもそんなつまらないことにまで考えをめぐらせるのは、心が乱れているからだろう。 他人事のように思ってしまうのも、どこかで何かが狂っているせいだ。 アカツキは、ラグラージの像の奥に広がるセントラルレイクの清らかな水面に視線を向けていた。 ここからだと右手に位置する場所に、ネイゼルスタジアムがポツンと佇んでいる。 浮島にしては大きすぎるサイズだが、逆にその目立つ外観が目に入らなくなる。 「…………」 キョウコはどこか覇気のないアカツキの表情を見て、眉根を寄せた。 普段の彼女なら、 「元気ないね。どしたの?」 「元気だけが取り得のジャリガキらしくないじゃん。ほら、もっとスマイルスマイル♪」 などと、励ましているのかイチャモンをつけているのか分からないような言葉を発するところだが、 さすがに元気のない様子を見せつけられると、そんな言葉も出てこない。 落ち込むことがない……とまでは思っていないが、ここまであからさまに見せつけられるのは初めてだった。戸惑いは隠せない。 自分たちが連れてきておいて、かける言葉が見当たらないというのも身勝手だが、本当に何を言ってやればいいのかが分からなかった。 大切なものを何一つとして失ったことがない自分に、大切なものを失ったアカツキの心の痛みは理解できないし、 その幾許かでも肩代わりしてやれるはずもない。 キョウコが戸惑っていると、アラタがアカツキに言葉をかけた。 実の兄だけあって、彼女よりも理解していることが多いのだろう。 「ごめんな、アカツキ」 「え……?」 一言目に謝られ、アカツキは驚きの表情を見せた。 励まされるのだろうとばかり思っていたから、予想外の言葉にただただ驚愕するばかりだった。 自分が落ち込んでいるという自覚はあまりなかったが、元気がないことだけは嫌でも分かる。 だから、励まされるのだろうとばかり思っていた。 驚いたのは何も、予想が外れたからというだけの理由ではない。 なぜ謝られたのか、分からなかったからだ。彼の、次の言葉を聞くまでは。 「オレたちがもっとちゃんとしてたら…… あいつのポケモンを倒して追い払えたかもしれないし、おまえが逃げるだけの時間を稼げたかもしれない。 ……ネイトがダークポケモンなんかになっちまったのも、オレたちが至らなかったからだよ。 本当にごめんな。 頼りにならない兄貴でさ……」 「兄ちゃん……」 アラタは悲しげな表情で微笑んだ。 横から差し込む朝陽が、彼の表情を際立たせる。悲痛と言っても差し支えないような、そんな風に見えてならない。 「……そうね」 アカツキが戸惑っている間に、キョウコが言葉を継ぎ足した。 「あいつのポケモンに太刀打ちできなかったのは、あたしたちにそれだけの実力がなかったからよ。 あんたのポケモンさえ守れないで、スクールを卒業したってイキがってもしょうがないものね。 ……今さら、何を言っても仕方ないけど。やっぱり、あんたには悪いと思ってる」 「キョウコ姉ちゃんまで……」 どうして、彼らは謝るのだろう。 頭こそ下げないが、二人して悲しげな表情を向けてくる。 そんなの、今さら考えるまでもなく分かることだ。 ネイトを守ってやれなかったこと……それが二人の心に暗い影を落としている。 それくらいは、今のアカツキにも十分すぎるほど理解できた。 朝陽が水面に反射して、湖は光の楽園のように輝きを放つ。 吹き付けるそよ風が妙に生温いのは、気持ちが定まらないせいか。 頼りにならなくてごめん。 あんたには悪いと思ってる。 そんなことを言われたって、慰めにもならない。 それでも、一言謝っておきたかったのだろう。年長者として、ネイトを守ってやることができなかった結果に対して。 「…………」 「…………」 アカツキは悲痛な二人になんて言葉を返したらいいか分からなかったが、 「兄ちゃんと姉ちゃんは悪くない。 悪いのは……あのシンラってヤツだ!! あいつさえ来なけりゃ、ネイトがダークポケモンになんてならなかったんだ!!」 アラタとキョウコが悪いわけではないというつもりで発した一言。 だが、途中から言いようのない想いが胸の奥底から噴火するように突き上げて、知らず知らずに口調は荒くなり、表情も険しくなった。 突然のことに、アラタもキョウコも呆気に取られていたが、アカツキは構うことなく続けた。 「……それに、一番悪いのはオレだよ。 ネイトのこと、守ってやれなかった。 家族なのに……誰よりもオレが守ってやらなきゃいけないのに」 胸に秘めた熱い想いが、風に吹かれてその熱を失い。 語尾は今にも消え入りそうなほど弱々しかった。 「…………」 感情の変化がいつもよりも数段激しいのを見て取って、二人はアカツキが予想以上に精神的な打撃を受けていると判断した。 もっとも、判断するまでもなく、誰が見ても分かるくらいだったが。 「兄ちゃんが謝ることなんてないよ…… ネイトを守れなかったオレが一番悪いんだからさ……」 「アカツキ……」 無理に微笑んでみせるその胸中は、どんなものだろう……? 大切な家族を目の前で奪われ、計り知れない打撃を受けた、その胸中に去来するものは何なのだろう……? 考えたところでそのすべてを理解できるはずがなければ、一緒に背負ってやることができるはずもない。 無駄な悪あがきをしてしまうのは、やはり肉親として支えてやりたいと思っているからだ。 アラタもキョウコも、こんなアカツキを見たくなかった。 いつもなら、少しくらい落ち込んでも何でもないように笑って、恥ずかしがることもなく大きな声を上げる。 でも、今は違う。 ――強がっている。 心に負った傷を見られまいと、笑顔の絆創膏(ばんごうこう)で隠している。 もっとも、その絆創膏でさえ今にも擦り切れんばかりで、傷口が合間から覗いている。 笑顔で強がっていても、分かる。 自分のせいだと言い張って、他人に心配をかけまいと振る舞っていることが、強がり以外の何だというのか。 十二歳にしてこんな風に強がらなければならないなんて、そんなのは理不尽としか言いようがなかった。 アラタが複雑な自身の胸中に一石を投じる手段を模索していると、 「オレがちゃんと逃げてれば、もっともっと強ければ、こんなことにはならなかったんだ……」 今さら仮定の話を並べても、過去が変えられるわけではない。 もし、神か悪魔がいて、対価を支払えば過去を変えてやると言われたら……アカツキは躊躇うことなく、どんな対価でも払うだろう。 そこまでしてでも、過去を……ネイトがダークポケモンとなり、シンラの元へ行ってしまったという事実を変えようとするだろう。 アカツキの、あまりに痛々しい強がりが、アラタとキョウコの心にまで小さな傷をつけていく。 まさかこんなに思いつめているとは思わず、キョウコにはかけるべき言葉がなかった。 今はどんな言葉をかけても、慰めどころか傷口に塩を塗りたくるようなものだと分かっているからだ。 押し黙り、この場から逃げ出したいとさえ思っているキョウコの顔を横目で見やり、アラタは一つの決意を固めた。 「オレは……悪役になったっていい。 こいつがいつもの笑顔を取り戻せるなら、悪魔にでもなってやる……」 弟から笑顔を奪ったシンラが憎くてたまらない。 だが、今はその想いを別の方に向けるべきなのだ。そう、今だからこそ。 今の自分にできることは何か……? 考えれば、自然と気持ちがそちらに向く。 できること。しなければならないこと。 それは…… 「こいつの笑顔を取り戻してやることだ」 思い至り、アラタは思い切って言葉を発した。 「なあ、アカツキ」 「……なに?」 案の定、反応は乏しかった。 いつもなら、興味深げに瞳を輝かせて詰め寄ってくるのに。 いつものこと……当たり前にあったものが大切だと思えるのは、それが失われてから。 人のサガと言ってしまえばそれまでだが、あまりに悲しすぎる。 「おまえさ、旅立つ前に何度か落ち込んだことあったよな。 カイトとのバトルで何度も負けてさ。家で泣くこともあったよな」 「…………どしたの?」 突然、旅立つ前の話を持ち出され、アカツキはきょとんとした表情で首を傾げた。 どうして今になってそんな話をするのか、兄の真意が理解できなかったからだ。 「でもさ、そんな時も、おまえは弱いトコ誰にも見られたくなくて、笑ってたよな。今みたいにさ……」 アラタは弟の反応に構うことなく、言葉を続けた。 「強がってるよな。 そんなの、オレじゃなくても、誰が見ても分かるけどさ」 「別に強がってなんか……」 「強がってるって」 慌てて否定するアカツキの言葉と、否定をさらに否定するアラタの言葉が重なる。 機先を制されたように、押し黙るアカツキ。 「今のおまえは、そんな顔してる。 オレたちに心配かけないようにって……そう考えてるのが分かるんだ。 なあ、オレたち、そんなに頼りになんないか? オレたちに相談しても解決しないんだって思って、一人で抱え込んでたりしないか?」 「そんなこと……ない」 「…………」 どうあっても、アカツキは認めようとしない。 心配をかけていると分かってはいても、認めたくはなかったのだ。 ネイトがいなくなった……奪われた現実は海のように横たわっている。それは変えようがない。 だけど、一人で抱え込んでいるつもりはない。 別に、アラタたちのことを恨んでいたりしないし、頼りにならないなんて思わない。 これくらい、自分一人で解決できると思っているだけのことだ。 いや、自分一人で解決しなければならない問題だと思っている。 諸悪の根源がシンラであるにしても、悪いヤツの中に自分が含まれているのだから、自分の力で解決できるところまで解決しなければならない。 「…………?」 キョウコは訝しげな視線をアラタに向けた。 一体何がしたいのかと、目で話しかける。 問題を遠回しにしようとしているとさえ思えてくるが、アラタには彼なりの考えがあった。 チラリとキョウコを見やる。 視線が物語るのは…… 「オレに任せてくれないか?」 どうにかして、アカツキを立ち直らせようとしている……ということ。 何をすればいいのかもよく分からないキョウコが口を出せる筋合いなどない。 小さくため息をつく。 「勝手にすれば……」 アラタは彼女のため息をその言葉として受け止めていた。 だったら、好きにやらせてもらう。 兄として、もっとも確実で手っ取り早い、だけどちょっと手荒い方法で。 下向きの視線を向ける弟と向き合い、アラタはグッと握り拳を固めた。指の骨が鳴ったが、そんなものに構ってはいられない。 「おまえは一人じゃねえよ。 それなのに、なんで一人で抱え込んじまうんだ? 辛いなら辛いって言ってくれよ。 助けてほしいって、そうやって言うことは、そんなに勇気の要ることか? 身近なトコにはさ、おまえを心配してるヤツがいっぱいいるんだ。 オレやキョウコだけじゃない。 ミライやトウヤ、カナタさんにアズサさん、ジョーイさんだってそうだし、顔は見せねえけどアツコおばさんだってそうだ。 頼れる人がいるって分かってて、それでも一人で抱え込むなんて、バカのすることだろうが!! おまえ、いつから一人で何でも解決できるって思うようになったんだ!! そんなのただの傲慢だろうが!! キョウコじゃねえんだから、おまえがそんな風になる必要はねえ!!」 「って……あたしをダシに使ってんじゃないわよ!!」 アラタが眉を吊り上げ、声を荒げると、真っ先に反応したのはキョウコだった。 彼に任せるとはいえ、自分をダシに使われるとは思っていなかったらしい。 思わずツッコミを入れてしまったが、当然、アラタは構いはしなかった。 それどころか、突然大声を出した兄に驚きの表情を向けているアカツキの胸倉をつかみ、思い切り引き寄せた。 「てっ……!!」 思い切り引き寄せられて身体を捻ったらしく、アカツキは痛みに顔をしかめた。 そんなこともお構いなしに、アラタは語気を荒げたまま言葉を続けた。 「ドラップや他のみんなだっておまえのこと心配してんだ!! おまえが強がってるだけなんだって、誰だって分かってんだよ!! おまえだって分かってんだろ!? だったら強がるなよ!! 辛いなら辛いって、ちゃんと言え!! そうじゃなきゃ、おまえの気持ちが分からなきゃ、何にもしてやれないじゃないか!!」 強がっているくせに、心の中ではいつも泣いている。 そんな弟に何かしてあげたいけれど、彼がどう思っているのか分からなければ、効果的な言葉はかけてあげられない。 アラタはそれを知りたかった。 アカツキが今、何をどう思っているのか。 ただ、それだけだった。 彼の気持ちが伝わったのか、それとも逆なのか。 アカツキは負けじと眉を吊り上げ、アラタの手を力いっぱい振り払った。 「兄ちゃんにオレの何が分かるってんだよッ!!」 憤怒の仮面を顔に貼り付け、力の限り叫んだ。 「みんなが心配してるのなんて知ってるよ!! でも、だからオレがちゃんとしなきゃいけないんじゃないか!!」 そんなこと、言われなくても分かっている。 アカツキは叩きつけるように言った。 リータたちはもちろん、アラタやキョウコや……身の回りの人が自分のことを心配してくれているのは分かる。 心配をかけるような事態になったのだから、それは当然だ。 だが、それとこれとは話が同じようでまったくの別物。少なくとも、アカツキ自身はそう思っていた。 「ドラップなんて、自分のせいでネイトがいなくなっちまったって、責任感じちまってんだ!! オレがしっかりしなきゃ、ドラップだって元気になれねえだろ!?」 叫ぶアカツキの脳裏に、ドラップが力なく項垂れている様子が浮かんだ。 凶暴なことで知られるドラピオン。 フォレスの森で出会った頃のような荒々しさは、旅を続ける中で次第に陰を潜めていったが、それでもある程度は種族的な雰囲気を残していた。 それなのに、目覚めた時に見たドラップはどうだ? ネイトがダークポケモンになり、シンラに連れ去られてしまったことに責任を感じていたのだ。 アカツキはあらん限りの笑顔で励ましたが、恐らくは焼け石に水だろう。 リータたちもそれなりに責任を感じているようだったが、ドラップほど深刻ではなかったから、特に気にはしていない。 ポケモンたちだって落ち込んでいる。 だけど、こういう時だからこそ、トレーナーがしっかりしなければならないのだ。 ネイトがいなくなってしまったことは確かに悲しいし、そんな結果を招いたシンラを許すことなどできない。 いつかネイトをこの手で奪還すべく、アカツキ自身がいつまでも落ち込んではいられない。 ポケモンたちに強いところを見せて、励ましてやらなければならない。 それが、トレーナーとしての責任だからだ。 ……確かにそれは間違っていない。 しかし、自分がやらなければと強く思うあまり、プロセスが歪んでいることに気づけずにいた。 アラタがそこを指摘しているのだと、気づくこともない。 尤もらしい言葉を並び立て、自分を大きく見せようとする。虚勢だと分かっていても、意地を張らずにいられない状況。 アラタはアカツキが身勝手なことを言っていると思うあまり、さらに声を荒げて反論した。 早くも兄弟ゲンカの様相を呈し始め、キョウコは一歩下がった。 このままだと殴り合いにさえなりかねない……一触即発の雰囲気を肌で感じ取っていた。 「おまえ、バカじゃねぇ!? 強がって、自分を大きく見せて、それでポケモンが少しは元気になれるんだって本気で信じてんのか!? ポケモンはそんなバカじゃねえよ。 少なくともおまえのポケモンたちは、おまえなんかよりずっと頭が良くて、おまえが強がってることだって分かってんだ!!」 「ネイトをオレたちの手で取り返さなきゃいけないんだよ!! いちいち落ち込んでばかりもいられないだろ!? 強がりでもなんでも、オレがしっかりしなきゃ……兄ちゃんだって分かってるクセにッ!!」 「しっかりするってことの意味を履き違えてんじゃねえぞ、このバカ野郎!!」 自分がしっかりしなければと思いつめるあまり、周囲に目を向ける余裕さえ失っているアカツキを一喝し、アラタは弟の頬を殴り飛ばした。 頼ってくれと、辛いなら辛いと言ってくれと諭したのに、救いの手を振り払ってまで、自分自身の力だけで立ち直ることに執着する弟。 これにはさすがのアラタも堪忍袋の緒が切れてしまった。 突然殴られて、アカツキはその場に倒れこんでしまったが、すぐに立ち上がり、鋭い眼差しでアラタを睨みつけた。 「あー、始まった……」 いくら相手が兄とはいえ、殴られて黙っているアカツキではないだろう。 そう思い、キョウコは青ざめた。 彼女がすぐ傍にいることに構うことなく、アカツキもグーで固めた拳でアラタの顔を殴りつけた。 「兄ちゃんに何が分かるってんだ!! ネイトがいなくなって……オレがどんだけ悲しくて辛くて……その何が分かるってんだよ!!」 「あー分かんねえよ!! 自分で抱え込んで、誰にもホントのこと明かさないヤツの気持ちなんて、誰に理解できるってんだ!! 自惚れてんじゃねーぞ!!」 「うるせえっ!!」 激しい言葉の応酬は、瞬く間に殴り合いに変わった。 拳打が乱れ飛び、次々に相手にヒットしてはボルテージが上がっていく。 「…………あぁぁぁ」 もはや、止めることもできない。 キョウコは「もうダメだ」と思った。 止めに入れば、何発かはパンチを食らうことになるだろう。 そんな危険を冒してまで、二人の殴り合いを止めようなどという気は起こらなかった。 ――否、殴り合いなどという次元の話ではなくなっていた。 格闘道場に通っていた兄弟の打ち合いはすさまじく、拳だけでなく脚まで使って、まるでプロボクサーの試合を観ているようだった。 互いに譲れぬものがあるからこそ、相手が実の兄弟であっても全力で打ち合っている。 合間に言葉のやり取りがあるあたり、止めようと思うつもりはないのだろう。 「兄ちゃんはポケモンが奪われた経験なんてないクセに、偉そうに言いやがって!! チョームカつく!!」 「そりゃこっちのセリフだ、このバカっ!! おまえがそんなヤツだなんてこれっぽっちも思わなかったぜ!!」 頬を、腹を、肩を、膝を。 拳や脚で強く打たれても、二人して歯を食いしばって激しい打ち合いを続けている。 普通に戦えば、身体が出来上がっているアラタが勝つのだろうが、 迷いを抱くほどの余裕もないであろうアカツキの方が現役には近いから、この勝負は完全に互角だった。 打ち身や痣ができても構うことなく打ち合う。 言葉を尽くしても分かり合えないから、拳と拳を突き合わせて理解し合おうとしているのか……? キョウコはなんとなくそんな風に考えたが、目の前で繰り広げられているのは、どう考えてもそんな類のシロモノではなかった。 理解し合おうとするよりも、むしろ自分の主張を力ずくで押し通そうとしているようにしか見えない。 互いに自分勝手な感じだったが、不器用な兄弟にはそれ以外の方法が見つからなかったのだろう。 「まったく……ホント、野蛮なんだから」 気の済むまで殴り合ってもらうしかない。 殴り合いが止まったら、少しは気が晴れているはずだ。 その時に冷静になって話し合いができるなら、それはそれでいい。結果オーライというヤツだ。 しかし、キョウコの期待は呆気なく裏切られた。 ばんっ!! 景気のいい音と共に、頬に強烈な拳打を受けたアカツキがその場に尻餅をついた。 頬を手で押さえ、潤んだ瞳で兄を見上げる。 理性を失っているようにさえ見えるその表情は、シンラに負けないほどの壁に思えてならなかった。 そこで打ち合いは止まり、アカツキは全身が痛むことに気づいた。 相手を攻撃する時はそれで精一杯で、他のことになど気が回らない。 殴られた痛みに気づいてからは、もう相手を殴ろうとは思わなかった。 「…………」 「…………」 無言で睨み合う兄弟。 決着がついたように見えたが…… 「兄ちゃんに……兄ちゃんにオレの何が分かるってんだよぉッ!! 兄ちゃんのバカヤローッ!! 大っ嫌いだああああッ!!」 アカツキは大声で叫ぶなり立ち上がり、涙をボロボロ流しながら走り去っていった。 「あっ、ちょっと……!!」 キョウコは引きとめようと腕を伸ばしたが、あっという間にアカツキは街の方へ姿を消してしまった。 あれだけ殴り合った後だと言うのに、全速力で走れるだけの力を残していたことに、キョウコは驚きを感じずにはいられなかった。 「って、そっちかい……あたしも焼きが回ったわね……」 ピントのズレた考えを抱いたことに気づいて、深々とため息をつく。 殴り合っていた兄弟に感化されてか、どうにも考えていることがピンボケだ。 ……なんて思っていると、 「あいててて……」 「……!?」 アラタがその場に膝を突き、小さく呻いた。 キョウコは我を取り戻し、その場に屈み込んだ。どこか変なところでも殴られたのだろうか……? 心配になって、呻くアラタの顔を覗き込む。 彼は渋面で顎を押さえていた。 そういえば、途中でアカツキのアッパーがアラタの顎を強かに打ち据えていたが……それでもアラタは怯むことなく打ち返した。 てっきり、そんなに効いていないのかと思ったのだが、そうでもなかったらしい。 「……大丈夫?」 言葉をかけるより先に、アラタがため息まじりに言葉を漏らした。 「ちょっとくらい手加減してくれても良かったのによ……ったく、困ったヤツだぜ」 彼の一言に、キョウコの気が変わった。 心配するだけ損だと思ったからだ。 「……それはこっちのセリフよ。あんたたち兄弟はホントに野蛮ね。 力ずくで思ってることを通そうとしてるだけじゃない。 傍で見てる人の気にもなってほしいわよ」 「……悪かったな、野蛮人で。 でもな、ああするっきゃなかったんだよ」 言われていることはもっともだ。 アラタには自覚があったから、キョウコの言葉を素直に受け入れられた。 本当は言葉を尽くすべきだっただろう。 もう少し言葉を選んで話していたら、殴り合いにまで発展することはなかったはずだ。 殴り合いになると分かっていても、アラタにはそれしか方法がなかった。 「あいつ、口じゃ認めようとしやがらねえ。 自分がしっかりしなきゃって思う気持ちは大したモンだけど、だからって何でもかんでも一人でってのは間違ってる。 あいつの本音を引き出すには、ああするっきゃなかったんだよ。 ……あいててて」 「…………」 どうせ、そんなことだと思った。 何の考えもなく殴りかかるほどバカではない。 キョウコはアラタが自分より頭の悪いヤツだと思っていたが、少なくともそこまでバカではないと思っていた。 アラタの気持ちは分からなくもないが、だからこそ返す言葉がなかった。 兄が弟を想っている気持ちに偽りはないのだと、肌で感じていたからだ。 「言葉じゃ素直じゃねえけど、拳はやけに素直だった。 骨折はしてねえけど、これじゃ痣がたくさんできちまうな……」 アラタは小さく微笑んだ。 どこか困ったように見えるのは、逃げるように走り去ったアカツキのことを手の焼けるヤツだと思っているからだ。 だけど、手の焼ける弟ほど可愛く、愛しく思えるもの。 全力で打ちかかってきたアカツキの攻撃はすさまじく、アラタも全身に痛みを覚えていた。 そんなに痛むなら、はじめから殴り合わなければいいのに。 キョウコは口を尖らせた。 「あたしは知らないわよ」 「別にいいさ。 ……あいつは真剣に頑張らなきゃいけないって思ってた。 そんな気持ちが、拳から伝わってきたんだよ」 「あっ……」 拳は素直。 思っていることが一途であればあるほど、手加減など一切なく、ありったけの力を込めて相手を打つのだ。 キョウコはアラタとアカツキを単なる野蛮人の兄弟かと思っていたが……思い違いをしていることに、今になって気づいた。気づかされた。 言葉で偽っていても、全力で殴り合う時、拳からは本音がにじみ出るのだ。 殴り合いにウソはつけない。 ……なんだか嫌な格言に思えるが、それはある意味真理だった。 キョウコが驚いているのを尻目に、アラタは続ける。 「あいつ、助けてくれって叫んでるように思えたよ。 一人でなんとかしなきゃいけないって思って、苦しいんだって。 ……オレは、あいつに嫌われることになっても、あいつが立ち直れるように何度だって殴ってやるつもりさ。 素直になれるまで……いつものように戻れるまで」 「……付き合いきれないわね。 でも、そうでもしなきゃ無理なのよね。 だったら、しょうがない。付き合ってあげるわよ。ここで逃げ出すのも、シャクだしね」 キョウコは呆れつつも、アラタの言葉に頷いた。 「悪いな」 「悪いなんてカケラほども思ってないくせに、そんなこと言わないでよ。 それとも何、あんたはあたしに悪いと思うようなこと、したの?」 「いいや、別に」 「だったら、そんなこと言うよりも先に、やんなきゃいけないことがあるでしょ」 「ああ。あいつを捜して、もう一回殴る」 「……はいはい」 本当に野蛮人か。 とはいえ、アカツキを探し出して、思いの丈を打ち明けてもらわないことには話にならない。 支えたいと思っているからこそ、ウソをつかないでほしい。ありのままに受け止めた上で、支えたいと思っているのだ。 「立てる?」 「当たりめぇだ。あいつに負けるほど、オレは落ちぶれちゃいねえよ」 「そ。だったらいいわ。行きましょ」 「おう」 短く会話を交わし、アラタは立ち上がった。 アカツキに負けるつもりなどこれっぽっちもない。 痛むことは痛むが、全速力で走れるくらいの体力は残っている。 二人は視線を交わし、階段坂を下った。 To Be Continued...