シャイニング・ブレイブ 第14章 それぞれの答え -What you hope really-(中編) Side 3 「…………兄ちゃんもキョウコ姉ちゃんも、何にも知らないクセに……」 たどり着いた北の高台で。 アカツキは、樹齢百年はくだらない巨木の幹に手をついて唸った。 どんな道を通ってここまで来たのか覚えていないが、恐らくは最短コースで、自分の家の前を通ったのだろう。 誰にも止められなかったのだから、出勤前の母親にも見つかってはいないということだ。 少なくとも肉親や仲間に見られずに済んだだけ、まだマシだった。 朝陽が昇り、レイクタウンはいつも通りの一日を迎えようとしている。 また新しい一日が始まるというのに、アカツキの胸中はモヤモヤで淀んでいた。 誰も分かってくれない。 強がってでも自分がしっかりしなければ、ネイトがいなくなって責任を感じているドラップも救われない。 アラタやキョウコだってそれくらい知っているはずなのに、彼らはアカツキの言葉のことごとくを否定する。 まるで自分の存在まで否定されたような気がして(もちろんそれは単なる思い込みに過ぎなかったが……)、居たたまれなくなった。 逃げるようにその場を立ち去ったが、実際は逃げているのと変わらない。 悪いことなど、後ろめたいことなどないのに、逃げている。 それが分かっているから、アカツキはなおさら機嫌を悪くしていた。 本気で兄と殴り合い、思いの丈をぶつけても変わらなかった。 それどころか、両者の間に埋めがたい溝が広がっていることが浮き彫りになるだけで、事態は悪化していると言っても良かった。 「…………」 派手に殴り合って、全身がズキズキ痛むが、先ほどに比べれば幾分かマシになった。 すぐ傍では、巨大な風車が穏やかな風を受けてゆっくりと回っている。機構の軋む音だけが、アカツキに時の流れを告げていた。 「……オレが、しっかりしなきゃ」 こんな時くらい、弱音を吐いても怒られないだろう。 むしろ、アラタやキョウコのように、心配してくれる。 だが、それに甘えていてはいけない。 自分がしっかりしなければ、ポケモンたちだって立ち直れない。ネイトを失って悲しいのは、自分だけではないのだから。 それなのに、アラタたちは分かってくれない。 落ち込むわけでなければ、悩みを相談するわけでもない。立ち直ろうとする自分の姿勢に、理解を示してくれない。 広い世界に一人放り出されたような気がして、本当にたまらなくなる。 「…………」 アカツキは深々と……お世辞にも十二歳の男の子がするとは思えないような深いため息をつき、木の幹に背をもたれて座り込んだ。 ゴツゴツした表皮が、心なしか気持ちよかった。 「立ち直らなきゃ……ネイトだって、オレが助けに来るの待ってんだから……」 一人になったことで、少しは重荷から解放されて。 アカツキは空を見上げ、小さくつぶやいた。 いつまでも落ち込んではいられない。ネイトを助けるのは自分でなければならないのだから。 そう思えば思うほど、周囲のことが目に入らなくなるという悪循環に、一人だからこそ気づかない。 アラタ相手に派手に暴れたこともあって、今さら彼にも会いづらい。 譲れない想いがあった以上、悪いことをしたとは思っていないが、それでもやっぱりいい気分はしないものだ。 ポケモンセンターに戻っても、トウヤたちに余計な心配をかけるだけ。 ポケモンたちを待たせていることは分かっていても、戻りづらい。 着衣が乱れているのを見れば、敏感な彼らは何があったのかたちどころに看破してしまうだろう。 そう分かっていて、戻る気にもなれなかった。 戻らなければならない……理解はしていても。 即断&即行動のアカツキらしからぬ状況だったが、それは無理もないことだ。 簡単に割り切れないものがあるのなら、なおのこと。 やらなければならないことがあり、そのために戻らなければならないことが分かっていても、煮え切らない気持ちのせいで動けずにいる。 俯きながら矛盾した気持ちを胸に抱えていると、すぐ前に気配が現れた。 完全に不意を突くようなタイミングに、アカツキは驚いて顔を上げた。 「ベイっ♪」 「リータ……なんでここに?」 突然現れたのはリータだった。 大方、アカツキがいつまで経っても戻らないから心配になって捜していたのだろう。 ネイトがいなくなって悲しい想いをしているのに、それを感じさせないような無邪気な笑みを浮かべている。 ……もっとも、アカツキには丸分かりだったが。 リータはアカツキの頬に頭上の葉っぱを擦り付ける。 「ベイ、ベイっ……」 ――ねえ、早く戻ろうよ。みんな、待ってるよ。 「分かってるけどさ……今は帰りたくない。 みんなに伝えといてくれよ。先にメシ食ってていいって」 リータには悪いが、今はまだポケモンセンターに戻る気にはなれない。 情けないことだが、踏ん切りがつかないのだ。 リータの無邪気な笑顔が、今のアカツキにはあまりに眩しすぎた。 口には出せないが、今はそっとしておいてほしい。 リータだって、それくらい分かっているはずなのだ。 なのに…… 「ベイ、ベイベイっ♪」 構うことなく、蔓の鞭を腕に巻きつけてきて、一緒に帰ろうとせがんでくる。 おねだりをする子供のような仕草と声音。 アカツキは青と白が鮮やかなグラデーションを描く空を、遠い眼差しでじっと眺めていた。 「ベイ……ベイベイ!!」 リータはアカツキが反応を示さないものだから、語気を強めた。 ――みんな、心配してるよ? ――早く帰ろうよ。みんな待ってるんだよ、アカツキが帰ってくるの。。 ネイトを失って悲しい想いをしているのは同じだ。 だから、一緒に頑張っていこう。 リータの言いたいことは痛いほど分かるが、アカツキにだって言い分はある。 アラタと殴り合ってでも曲げようとしなかった想いがある。 リータがしつこく蔓の鞭や頭上の葉っぱでアプローチを仕掛けてくるものだから、アカツキはプツリと切れた。 「うるさいなあ!! あっち行けっ!!」 とっさに、すぐ傍に転がっていた石を投げた。 近すぎてリータには当たらなかったが、彼女を傷つけたのは石などではなかった。 「ベイ……」 ハッキリと、リータは傷ついた表情を浮かべた。 心配して捜しに来たのに、あっちに行けと怒鳴られ、あまつさえ石を投げられるとは予想していなかった。 ――人は、失って初めて、当たり前のように存在するものの大切さを知ると云う。 リータは目に涙を溜めると、蔓の鞭を解いた。 アカツキに背中を向け、大きな声で泣きながら走り去ってしまった。 「あっ……」 さすがに、これにはアカツキも衝撃を受けた。 今となっては言い訳にしかならないが、リータを傷つけるつもりなどなかった。 ただ、そっとしておいてほしいという気持ちが募ったのと、リータがしつこく帰ろうとせがむから、つい…… 「…………最低だな、オレ」 アカツキは口の端に笑みを浮かべた。 第三者がその顔を見れば、悲痛だと言うのだろう。 リータを傷つけるつもりなどなかったのに、深く傷つけてしまった。 今になって、やっと分かった。 ……遅すぎるかもしれないけれど。 どうしてこんなことになったのかと、今のこの状況を呪わずにはいられない。 呼び止めようにも、リータの背中は声の届かないところにまで遠ざかっていた。 「……ごめんな、リータ。オレ……やっぱ間違ってたよ」 家族と呼んでも差し支えない大切な仲間を傷つけて初めて、アカツキは理解した。 自分が間違った考えを抱いていたのだということを。 自分が他人に心配をかけているのを恥じるのではなく、心配してくれる人やポケモンがいることを、一人ではないことを誇るべきなのだと。 こんなことになってから理解するなんて、なんて愚かしいのだろう。 アカツキはおもむろに立ち上がると、巨木と向かい合い、握りしめた拳を何度も何度もその幹に叩きつけた。 「ちくしょう……こんちくしょうッ!!」 どうして、自分はこんなにバカなのだろう。 大切な存在を傷つけてしまうのだろう。 そんなつもりがなかった……なんて、傷つけた後では言い訳以上の何にもならないし、むしろ惨めで情けなくて絞め殺したくなる。 指の皮が激しい摩擦で剥けることも、指が内側から痛むことも構わず、 アカツキは大粒の涙を流しながら、ただただ自身の愚かさに泣き喚くしかなかった。 しっかりしなければならない。 その気持ちに偽りはないし、今も変わってはいない。 だけど、その方法が間違っていた。 誰の手も借りず、自分自身の力で立ち直ろうと考えるのは、自分は一人なのだと周囲に宣言することと同じだ。 心配してくれる存在がすぐ傍にたくさんいるのに、どうして頼ろうとしなかったのか。 言い訳ばかりだが、それは自分がちゃんとしなければ……と思っていたからだ。 トレーナーとして、ポケモンを率いなければならない。 そのためにも、強くあらねばならない。 強いトレーナーなら、ポケモンは安心してついてきてくれる。 自分のせいで……と自身を責めるドラップのためにも、自分が真っ先に立ち直り、強くあらねばならない。 そう思っていたからこそ、アカツキは誰の手も借りようとせず、一人で抱え込んでしまった。 「ホントは辛いのに……苦しいのにッ……!! でも、そんな弱いトコ、みんなの前で見せたくない!! ドラップの元気な顔が見たかっただけなのに……」 何十発木の幹にパンチをくれたか。 アカツキは息を切らし、その場に崩れ落ちた。 頬を伝う涙を拭うこともなく、ただただ俯いて自分自身を責めるばかりだ。 「オレがこんなだから、兄ちゃんだって怒るんだよな…… もっと早く気づいてれば、リータを傷つけずに済んだのに……」 リータはあの時、何を思っただろう。 ハッキリと傷ついた表情を見せ、何も言わずに立ち去ってしまった純粋な気持ちのベイリーフは何を思っただろう。 本当は、アカツキはこう言いたかった。 「オレだって辛いし、苦しい。 だけど、オレがちゃんとしなければ、みんなも立ち直れない。 どうしても無理だったら、力を貸してほしい」 だけど、意地を張るあまり、ドラップを立ち直らせようと焦るあまり、普段の素直さを前面に出して言葉を発することができなかった。 もちろん、それを他人のせいにするつもりなどこれっぽっちもない。 悪いのは他ならぬ自分自身なのだから。 「…………」 後悔の念と共に涙がこぼれ落ち、木の根元に染み込んでいく。 ネイトを奪われて傷ついていたという言い訳は、もう通じない。 心配してくれたアラタやキョウコ、リータまで傷つけてしまった以上は、何らかの形で責任を取らねばならない。 どんなに辛くて落ち込んだって、アカツキはただただ悲嘆に暮れるだけの弱々しい男の子ではなかった。 立ち直ろうと考えるからこそ、こんな結果を招くこともある。 それでも……やるべきことがある以上、立ち止まることは許されない。 「変わらなきゃ、オレ……もっと強くならなきゃ……!!」 一頻り涙を流して、アカツキは顔を上げた。 涙は後悔をも押し流したらしく、男の子の目には強い決意が宿っていた。 「もう、言い訳して誰かを傷つけるなんて嫌だ……こんなんじゃ、ネイトを助けらんない」 そっとしておいてほしいという理由でリータを傷つけてしまったことが、アカツキの心を根幹から揺さぶった。 後悔ほど、人を大きく突き動かすものはないのかもしれない。 もう二度とあんな思いはしたくない、させたくない。 だから、強くなる……!! 木の幹を殴って痛めつけた拳を見やる。 「こんなの……リータやネイトの痛みと比べたら……屁でもねえ」 リータは深く傷ついたはずだ。 今頃……きっと、ポケモンセンターに戻って落ち込んでいるだろう。 ドラップたちは何も訊かないだろうが、何があったのかすぐに理解してしまうに違いない。 そう考えると、今さらポケモンセンターに戻ることはできそうになかった。 アラタやキョウコはもちろん、リータにも会わせる顔がない。 傷つけておいて、すぐ謝るだけではアカツキの気が治まらない。 リータのことだから、ちゃんと謝れば許してはくれるだろう。 だけど、それではダメなのだ。 言い訳をしたくない。 少しでも強くなって、言い訳しなくても済むくらいになって、ちゃんと正面から向き合おう。 『しっかりする』とは、ちゃんと立ち直るということだけではない。 皆の想いを受け止められるように……強くなることだ。 独りで頑張らなければと想いを胸に秘めたままでは、逃げ場を失った時、誰にも助けを求められなくなってしまう。 だから、人は独りでは生きていけないのだ。 「…………今のオレじゃ、ネイトだって受け入れてくれないよな。 リータを傷つけといて、何しに来たんだって怒るよな……」 ネイトはダークポケモンとなり、心を失ってしまった。 それでも、アカツキの中のネイトは、今の彼を決して受け入れようとはしないだろう。 陽気で明るくかしましい性格だが、いざと言う時は本当に頼りになるのだ。 その気はなかったとはいえ、仲間を傷つけた自分を、受け入れてはくれない。 「強くならなきゃ……」 アカツキは痛んだ拳をそっと擦りながら、振り返った。 朝陽を燦々と受けて、新しい一日のスタートを切った故郷の町並み。 旅に出る前、このくらいの時間に家を飛び出して、高台からなだらかに広がる町と、 その向こうに横たわるセントラルレイクを眺めて感動したことがある。 だけど、その時とは比べ物にならない何かが、アカツキの胸にはあった。 落ちるところまで落ちたような気がするが、まだ終わったわけではない。 希望は失われていないし、自分にはやらなければならないこと、やりたいことが残っている。 だから、今は立ち止まっていてはいけないのだ。 「こういう時は……あそこっきゃないよな」 アカツキは即決し、高台を駆け下りた。 緩やかな坂を下り、たどり着いたのは高台の麓に佇む自分の家だった。 四つのリーグバッジをゲットし、ネイゼルカップの出場権を得るまでは帰らないと決めていたが、今はそんなことに構っていられる場合でもない。 旅に出て一月あまり。 天変地異に見舞われたわけではないのだから当然、家の外観など変わっているはずもない。 窓際にかかるカーテンの色が少し薄かったり、庭に咲いている花の種類が少し違っているくらいの変化は見られたが、せいぜいがそんなところ。 やはり、ここが自分の帰る場所なのだと分かってうれしくなる。 だけど、ネイトはいない。 共に暮らしてきた家族は今、離れた場所にいる。 アカツキは玄関の前で立ち止まると、今までのことに想いを馳せた。 ネイトと過ごした数年間がギュッと詰まった場所。 本当はネイトと一緒に帰ってきたかったが、今さらそんなことを言っても仕方がない。 「でも、次に帰ってくる時はネイトも一緒だ。もちろん、みんなだって」 今は一人でも、次はみんなで一緒に帰ってくればいい。 気持ちを切り替え、アカツキは家の中に入った。 今の時間なら、両親とも仕事に行く前の一時をノンビリと過ごしているだろう。 本当は誰にも見られたくないところだが、今に限っては誰かいてくれた方が都合が良かった。 靴を脱いで上がると、甘いジャムの香りが鼻についた。 どうやら、トーストのトッピングに酸味の強いイチゴのジャムを使っているらしい。 母親の実験癖に困ったものだと小さく笑いながら、アカツキはリビングに足を踏み入れた。 エプロン姿でシステムキッチンと向き合っている母親と、椅子に深くもたれかかりながら新聞を読んでいる父親の姿が目に入った。 両親とも仕事があるため、家族が一緒に過ごせるのは朝と夜だけ。 昼間は基本的にアカツキとアラタの二人だが、二人して退屈を紛らわすべく外に出ることが多いので、家は箱物といった印象が拭いきれない。 「父さん、母さん、ただいま」 アカツキが声をかけると、二人して弾かれたように振り返ってきた。 旅に出ているはずの息子が戻ってきたことに、一様に驚きの表情を見せたかと思いきや、 父親――ハヤトなど手にした新聞を放り出して駆け寄ってきたではないか。 「戻ってたのか〜、驚いたぞ〜?」 駆け寄ってくるなり、アカツキの頭を乱暴な手つきで撫で回し(当人には乱暴なつもりはなさそうだが……)、笑顔で話しかけてくる。 「あ、うん……まあ」 これにはアカツキも驚きのあまり、歯切れの悪い返事をするしかなかったが、 ハヤトは久しぶりに見た息子の成長(?)に満足してか、満面の笑みを浮かべている。 アカツキとアラタの父親だけあって、顔つきは二人に似ているが、 やはり大人だけあって彫りの深い顔立ちで真剣な表情をされると、それなりに威圧感も出てくる。 ……もっとも、今はどこにでもいる気のいいおじさんのような表情だったが。 母親――ユウナも似たようなもので、あっという間に料理を作り終え、テーブルに皿を置くなりエプロンを脱いで駆け寄ってきた。 彼女もアカツキが元気そうにやっているのを見て(先ほどまで落ち込んでいたとは露ほども思っていなかったようだが)、ニコニコ笑顔だ。 「……やっぱ、父さんや母さんにも心配かけちまうよな。ホントのことは言わないようにしよっと」 旅先で何かあったらどうしよう……? そんな風に心配してくれているのが痛いくらいに分かるから、アカツキは本当のことを打ち明けないと決めた。 すべてが終わってから、思い切って打ち明けよう。 怒られるかもしれないが、何も知らない両親に話すこともない。 二人とも、ネイトを実の家族のように思っているのだ。 ダークポケモンという存在にされて、連れ去られたなんてことは、とてもではないが言い出せなかった。 アカツキが苦笑していると、ユウナは笑顔のままで言葉を続けた。 「戻ってくるなら、ちゃんと電話くれれば良かったのに。 でも、戻ってきたってことは、バッジを四つ集めたってことなのかな?」 「ほー、そりゃすげえ。 おまえ、旅に出るまでバトルなんてあんまやったことないのに、そこまでやるようになったんだなあ」 確かに、アカツキは四つバッジを集めるまでは家に戻らないと公言していたから、二人がそう思ってしまうのも当然だった。 しかし、アカツキはキッパリ否定した。 「ううん、違うんだ。ちょっとやることができて、戻ってきたんだよ」 「なんだ、そうなのか。ガッカリだな……」 ネイゼルカップで息子二人の勇姿を見られると、密かに期待を膨らませていたハヤトはがくりと肩を落としたが、 開催までまだまだ時間があると気付くや、すぐ笑顔に戻った。 「それはそうと、ネイトはどうしたの? 一緒じゃないの?」 「……あ、うん。今はちょっと事情があって、離れたトコにいるんだ。 でも、いつだってオレたちは一緒なんだぜ」 「そう……元気にしてるんだったらそれでいいわ」 「うん」 ユウナの鋭い質問を、アカツキは何とか避わした。 真正面から覗き込んだ母親の瞳は、すべてを知り尽くしたように妖しく輝いていたように思えたが、 見た限り、事情まで悟られるようなことはないだろう。 「ごめん、母さん……」 ウソをついてしまったことを申し訳なく思うが、それは仕方がなかった。 心配をかける必要のない相手に本当のことを話さなくても、それはそれで仕方のないことだ。 それに、離れていても、いつでも一緒だ。 少なくとも、アカツキの胸の中で、ネイトはいつものようにニコニコ笑顔でいてくれるのだ。 その笑顔を取り戻すためにも、今は自分にできることをやっていかなければならない。 家に戻ってきた目的を思い返し、アカツキは切り出した。 「なあ、母さん。オレ、久しぶりに道場に行こうって思ってんだけどさ」 「道場に? なんで?」 「まあ、今の時間なら朝稽古もやってるだろうけど……」 身体を動かすのが好きだと分かっているから、ハヤトはアカツキの言葉に理解を示したが、 ユウナは「せっかく戻ってきたんだから、少しはゆっくりしていけばいいじゃない……」と言いたげな表情でため息をついた。 それでも、アカツキには立ち止まる暇はなかった。 ここにいれば少しは気も落ち着くし、久しぶりに両親といろいろ話をするのもいい。 しかし…… アカツキはリータを傷つけてしまったのだ。 ノンビリしていることなど、許されるはずがない。 一刻も早く、彼女に顔向けできるように。頑張っていかなければならない。 アカツキは真剣な表情で言葉を続けた。 「なんかさ、頭ん中がモヤモヤしてんだ。 このままじゃ何にもできそうになくて嫌だから、ガンガン身体動かしてそーゆーの吹っ飛ばすんだよ」 「まあ、そういうのも悪くないよな」 「だろ? そういうわけだからさ、母さん。胴着ある?」 父親と話を弾ませるのも程々に、今すぐにでも通い慣れた格闘道場に行く気を見せ付けるようにせがんだ。 「…………」 ユウナはじっとアカツキの目を見据えていたが、すぐに言葉を返してきた。 「探してくるわね。 でも、あなた少しは大きくなったんだから、サイズ合うかしら?」 「着てみなきゃ分かんないって」 「はいはい、分かりました」 暗に「サイズが合ってなかったら道場なんて行けないわよ」と言われても気にすることなく、アカツキはサラッとした答弁で難なく切り抜けた。 困ったように微笑みながら、ユウナはリビングを出ていった。 この前掃除をした時に、どこかの押入れかクローゼットに入れておいた覚えがある。探せばすぐに見つかるだろう。 母親が戻ってくるまでの間、アカツキはハヤトと話をしていた。 他愛のないことから、父親の仕事の話まで。 久しぶりに話に興じて、やっぱり変わってないなと、アカツキは素直に思った。 そして、そんな父親のためにも、自分が頑張っていかなければならないのだと再確認する。 今さら後戻りするつもりはないし、自分が頑張ることで……変わることで新しい何かが始まると信じているのだ。 話に興じていると、やがて、ユウナが笑いに満ちたリビングに戻ってきた。 「あったわよ。 とりあえず、一回着てみて。サイズ合わなかったら、すぐに仕立て直してみるから。上手く行くか分かんないけど……」 「うん、分かった」 アカツキは彼女から胴着を受け取ると、すぐさま脱衣所に駆け込んだ。 格闘道場に通っていた頃は毎日これを着て、汗を流したものだ。 打ち身や痣なんて毎日のようにこさえていたが、それがとても楽しかった。 あの頃の思い出が湧き上がってきて、アカツキは笑みを深めた。 本当は笑ってなどいられない状況だが、そんなことさえ気にならない。 辛いと思うようなことに臨むわけではないのだから。 上衣とズボンを履いてみるが、サイズはピッタリだった。 あの頃と体格が変わっていないというわけではなく、少し大きくなってもゆとりが持てるよう、少し大きめのサイズのものを買っておいたのだ。 旅に出たら、当分は道場に顔を出すこともないと思っていただけに、サイズがピッタリというのは意外で、なぜだかそんな小さなことでも喜べた。 柔道衣や空手衣と同じ仕様の胴着の帯をギュッと締めると、気持ちまで引き締まる。 洗面台の前にある鏡に映った表情は、自分でも分かるほど凛としたものだった。 強い決意に満ちた表情で、自分自身と向かい合う。 「……そうさ。オレ、これからガンバんなきゃいけないんだから」 どうして道場に行こうと思ったのか……それは単純な理由だった。 アカツキは自分で頭があまり良くないと思っているから、あれこれ考えるよりも身体を動かした方が気分もスッキリするだろうし、 いろんな物事が見えてくるような気がしたからだ。 根拠も何もあったものではないが、直感に根拠なんて必要ない。 とりあえず、胴着のサイズがピッタリだと分かったところで普段着に着替えなおし、リビングに戻った。 「どうだった?」 「うん、ピッタリだった。これならガンバれるよ」 「そう。それならいいわ」 アカツキの笑顔に釣られるように、ユウナとハヤトの笑みが深くなる。 それから、ユウナは息子の方にそっと手を置いた。 「……何があったのか、あえて聞かないわ」 「えっ……?」 突然の言葉に、アカツキは呆然としたが、 「おまえ、隠し事下手だからな。 リビングに入ってきた時の顔見て、な〜んか辛いことがあったんだなってすぐにピンと来たぞ」 ハヤトが意地悪な笑みなど浮かべながら言った。 両親はアカツキが何か隠しているとすぐに分かったらしい。 隠し事が下手という理由だけではなく、表情や仕草の細かいところまで見ていれば、それくらいのことはすぐに分かってしまうものなのだ。 このままだと、隠していることまでバレてしまったのではないかと、アカツキは人知れず焦っていたが、 そんなところも見透かしているように、二人は何があったのか訊いてこなかった。 アカツキ自身が解決する問題だと思っているからだろう。 今になって、アカツキは両親の懐の深さに感謝した。 今までだって、育ててくれてありがとうという気持ちは持っていたが、何も言わず、そっと送り出してくれる姿勢が何よりもありがたかった。 「そうね。でも、あなたはそれでも頑張らなきゃいけないって思ってるから、何も聞かないわ。 行ってらっしゃい」 「……うん、ありがとう。行ってきます!!」 アカツキは満面の笑みを浮かべると、胴着を脇に抱え、家を飛び出した。 勢いよく開いたドアがバタンと閉まると、ユウナとハヤトは顔を見合わせて小さく笑った。 「あの子、いい顔するようになったわね」 「そうだな。何か隠してるけど、俺たちに心配かけないようにってガンバってたもんな。 そっか……あいつもそういうことするまでになったんだ。 俺たちも、ウカウカしちゃいられないな」 「そうね」 しばらく見ない間に、アカツキは人間として大きく成長していたようだ。 息子が一回り大きくなって戻ってきたのは、親としてうれしい限りだったのだが……あいにくと、喜びに浸っているだけの時間はなかった。 ユウナは真正面にかけられた壁時計に目をやり、仰天した。 「……って、ノンビリしてられないわ!! 仕事よ仕事!! あなた、早く食べちゃって!!」 「おう、任せとけっ!! うおりゃああああああああっ!!」 アカツキが戻ってきたこともあって、これから仕事だということを忘れていたのだが…… そのせいで、急がなければ遅刻という事態になっていた。 ユウナもハヤトも時の流れに追い立てられて、すさまじい勢いで朝食を平らげ始めた。 ……子が子なら、親も親ということだろうか。 もっとも、これもまた、この家の中では平凡なひとコマに過ぎなかった。 Side 4 ポケモンセンターの一室は、差し込む陽の光が届かぬ海の深淵のように、暗い雰囲気に包まれていた。 先ほどまでアカツキが寝ていた部屋だ。 アラタとキョウコは彼を先ほどまで捜していたが、立ち寄りそうな場所をいくら捜しても見当たらず、結局ここに戻ってくることになった。 もしかしたら戻っているかも……と思ったが、残念ながら戻ってはいなかった。 結局分かったのは、リータが深く傷ついて帰ってきたということだけ。 彼女は部屋の隅でへたり込んで、何をするでもなく俯いている。 何もかも上の空といった空虚な表情が、暖まってきた空気の温度を何度も引き下げている。 一同の視線は、元気のないリータに注がれていた。嫌でも彼女に視線が向いてしまうのである。 アラタ、キョウコ、ミライ、トウヤ、カナタ、そしてアズサの代わりにやってきた四天王のチナツ。 ドラップ、ラシール、アリウスの三体は、リータをどうにか励まそうとしていたが、何をしても落ち込むだけだと思ってか、躊躇しているようだった。 だが、それも無理のない話だった。 リータは泣きながらポケモンセンターに戻ってきたのだ。 入り口の自動ドアを体当たりでぶち破って。 一体何事かと、ロビーに居合わせたミライとトウヤは驚いたが、どうにか彼女を宥めすかしてこの部屋に連れてきた。 幸い、暴れるなと、言うことは聞いてくれたが、いくら宥めでも彼女が泣き止むことはなく、涙が枯れてようやく泣き止んだところだ。 一体、何があったのか? ポケモンの言葉が分からないアラタたちには理解しきれないことがあったものの、 アカツキが何らかの形でかかわっているのは間違いない、という認識は共通していた。 一方、ポケモンたちはリータが激しく落ち込んでいるのを見て、おおよそ何があったのか正確に察していた。 恐らく、アカツキを一瞬でも怒らせるようなことをしてしまったのだろう。 ……もちろん、リータが悪いのだと一概に決め付けるようなことはしなかったが、 目の前でどん底のように落ち込まれていると、どんな言葉もかけられない。 「……えっと、どうすればいいのかしら」 気まずい沈黙が満ちる中、真っ先に音を上げたのはキョウコだった。 ただでさえ快活な彼女だけに、こういった暗い雰囲気は精神的に圧迫感しか与えなかったのだろう。 だが、彼女のその一言が、暗い雰囲気を切り裂く刃となった。 「アカツキのヤツ、どこに行っちまったんだか……たぶん、この町から出ちゃいないと思うんだが」 「…………」 続いてアラタが口を開いたが、誰も答えられなかった。 ちょっと言い過ぎたかと思って捜し回ったが、見つからなかった。 リータに聞けば分かるかもしれないと思ったが、さすがに今の状況でアカツキのことを訊くわけにはいかなかった。 どうしたものかと思っていると、チナツがいい加減な口調で、飽き飽きしたように言った。 「待ってれば戻ってくるかもしんないよ?」 「……かもな」 自分たちがウジウジしていても仕方がない。 そういったメッセージがこもっていた皮肉な言葉に、トウヤがため息混じりに頷いた。 確かに、ここでリータに引きずられて自分たちまで落ち込んでは本末転倒だ。 アラタの言うとおり、アカツキはこの町を出てはいないはずだ。 ならば、果報は寝て待てと言わんばかりにここで彼の帰りを待つのもまた方法の一つではある。釈然とはしないが。 「…………」 でも、本当にそれでいいのだろうか? ミライはリータに視線を据えた。 同姓(?)ということもあってか、リータの落ち込んでいる表情はミライを不安にさせた。 リータとは、フォレスの森で出会って以来の付き合いだが、それゆえに彼女のことは相応に理解しているつもりだった。 アカツキと何かトラブルに見舞われたのだろう。そのせいで落ち込んでいる。 とはいえ、ポケモンの言葉を理解できない身では、一体何があったのか知ることは不可能だった。 「…………」 皆が心配そうにリータを見つめる中、カナタは一人、窓の外に視線を向けていた。 彼のカンが間違いでなかったら、そろそろ遣いに出していたネイティオが戻ってくる頃だ。 そういった類のものは滅多に外れることがないらしく、開け放たれた窓から、室内にネイティオが飛び込んできた。 「ティオっ……」 つぶらな瞳をパチパチさせながら、部屋の中央に降り立つネイティオ。 突然の乱入にカナタ以外の全員が驚いていたが、飛び込んできたのがネイティオということで、ある程度の理解は示していた。 「ネイティオ、分かったか?」 カナタが歩み寄って声をかけると、ネイティオは当然だと言わんばかりに頷いて、翼をバッと広げた。 過去と未来を見通す力を持つというネイティオは、エスパータイプのポケモン。 本当にそんな力があるのかは分からないが、エスパータイプの力は伊達ではなく、 他者の考えていることや、そこで起きた出来事を残留思念から読み取るのは容易いことだった。 「大変だったとは思うけど、あと一息だ。おまえが見てきたものを、俺に伝えてくれ……」 「ティオっ♪」 カナタはネイティオを労ったが、もう一働き残っている。 それさえ終われば、ゆっくり休ませてやれる。 彼の気遣いを受け取ったネイティオはうれしそうに嘶くと、目を閉じた。程なく、カナタも同じようにそっと目を閉じた。 「……何が始まるの?」 ネイティオというポケモンのことは知っていても、これから何をするつもりなのかまるで分からないキョウコはチナツに向き直り、訊ねた。 チナツは半眼でネイティオを見やったまま、事も無げに答えた。 「ネイティオが見てきたことを、カナタに伝えるんだよ。テレパシーってヤツだね」 「そんなこと、できるの?」 「できるみたいだよ。今までに何度か同じようなことしてたし」 「へえ……」 感嘆のため息を漏らす一同。 チナツによれば、カナタのネイティオは見てきたことや読み取った他者の考えなどを、直接カナタの頭の中に送り込んで伝えることができるらしい。 いつだったか、カナタに「あたしにもやって」と頼んだことがあったが、素気無く断られた。 なんでも、ネイティオはカナタ以外の人間にそれをすると精神的な負担が大きくなって、すぐに寝込んでしまうのだそうだ。 いくらエスパータイプのポケモンでも、本当に心の通った人間以外に自分の見てきたことを伝えることはできないらしい。 さすがに四天王のネイティオだけあって、便利な能力も備えている。 ネイティオがカナタに見てきたことをありのままに伝えている間、アラタたちはじっとその光景を見ているしかなかった。 もっとも、特に見た目に変化が現れるでもなく、二人して目を閉じてじっとしているだけだったので、 何をやっているのか、傍目には判断のしようがなかった。 だが、すぐに終わった。 心の通じ合った間柄であるカナタとネイティオゆえ、理解も早かったのだ。 カナタは目を開くと、俯いたまま無言を貫いているリータに目をやった。 釣られるように、全員の視線も後を追いかける。 彼の口から何が語られるのか……ネイティオが見てきたものとは一体なんだったのか。一同が固唾を呑んでいると、 「リータはアカツキとケンカして……いや、実際にはアカツキが邪険に追い払ったせいで泣いて帰ってきたらしい」 『はぁ!?』 カナタの言葉に、チナツを除いた四人が素っ頓狂な声を上げた。 一斉に上がった大声にも、リータはまったく反応を見せなかった。 アカツキに言われたことが心に楔を打ち込んでいるのだ。 「ちょっと、それどーゆーこと!?」 「リータを追い払ったってのか!?」 この場の誰よりもアカツキのことをよく知っているアラタとキョウコがカナタに詰め寄るが、 彼は困った顔で、ネイティオがその場の残留思念を読み取った結果を伝えるしかなかった。 「リータはアカツキを心配して、一人でポケモンセンターを飛び出してったんだ。 あちこち探し回ってやっと見つけたは良かったが、心配して声をかけている間にぶち切れて、あっち行けって言って石を投げたそうだ。 それに耐えかねて、リータは泣いて帰ってきた」 「……!!」 「う、うそ……」 アラタたちはカナタの言葉に計り知れない衝撃を受けた。 雷に打たれたように、口を開け放ったまま動きを止めた。 チナツはそんな彼らに冷めた視線を向けていたが、見ていることにも飽きたのか、すぐに窓の外に目をやった。 だが、アカツキを知る四人だからこそ、カナタの言葉が素直に信じられなかったのだ。 どんな時でも明るく前向きで、ポケモンのこともよく考えているアカツキだけに、 心配してくれたリータに向かって「あっち行け」と言って石を投げたということを聞かされては、ぐうの音も出なかった。 増してや、アカツキはポケモンの気持ちを理解し、言葉と言葉で心を通じ合わせることができる稀有なトレーナーなのだ。 リータの気持ちだって分からないわけではなかっただろう。 それゆえ、信じられない気持ちを払拭することはできなかった。 「でも……」 アラタは目を伏せた。 「あいつは、そうせざるを得ないくらい追い込まれてたってことだよな……」 「そうよね」 裏を返せば、アカツキは心配して来てくれたポケモンに対してそこまでしてしまうほど、追い込まれていたのだ。 そこまで追い込んだ一端を担ったアラタとしては、居たたまれない気持ちになってくる。 「……どうしてやればいいんだ、オレたちは。 あいつを追い込んじまったのはオレだ。 あいつが辛いって分かってたのに、立ち直るって勝手に信じて、オレの独りよがりを押し付けちまった」 「アラタ……」 居たたまれないのはアラタだけではない。 その場に居合わせたキョウコもまた、行き場のない想いを抱えて苦しそうな表情を見せていた。 経緯はどうあれ、結果的にアカツキが逃げ出してしまった事実を作り出してしまったのは、紛れもないことだったから。 シンラの手によってネイトはダークポケモンとなり、アカツキの元から去った。 一番辛いのはアカツキだろうし、ドラップも責任を感じている。リータまで傷ついた。 傷口がどんどん広がっていく。 歯止めをかけるには、どうすればいい? アラタは兄として……一人の人間として、どうすればいいのか真剣に悩んだ。 悩めば悩むほど焦りが生まれ、考えがまとまらなくなる。 どうにかしなければ……という気持ちとは裏腹に、試行錯誤も支離滅裂な様相を呈している。 眉間にシワを寄せて唸っているアラタを尻目に、ミライとトウヤも似たようなことを考えていた。 ここで歯止めをかけなければ、比較的冷静なラシールやアリウスにも悪影響が生じるだろう。 そうなってからでは遅い。 一度バラバラになった絆をもう一度結びなおすには、想像以上の労力と時間と忍耐が必要となるからだ。 真剣に悩んでいる十代の四人を見やり、カナタは小さく微笑んだ。 「……?」 どうして微笑んだのか、たまたま視線のやり場に困って彼を見ていたチナツには理解できなかった。 だが、理解するのはそれからすぐのことだった。 「でもな、アカツキはリータを傷つけてしまったことで気づいたんだよ。 一人で抱え込んでいても、何も解決しないって」 「えっ……!?」 カナタの言葉は救いの神が発するもののように、四人の心に光明を差した。 弾かれたように振り向く少年少女に、ニコッと微笑みかけながら、カナタは続ける。 ネイティオが見てきたこと……残留思念を読み取った最後の光景。 アカツキが抱いた覚悟と決意を。 「最後の最後で、落ちるところまで落ちて、やっと気づいたんだ。 とんでもない思い違いをしてたって。 本当なら、すぐに謝れば許してもらえる。 それは分かっていても、今のままじゃみんなに合わせる顔がないって、そう思ったんだ」 「で……あいつはどこ行ったんだ!? オレ、あいつに謝んないと……あいつの気持ち知ってたのに、ひどいこと言っちまって……」 アラタは今すぐにでも飛び出していきそうに、目をギラギラと光らせていた。 弟を傷つけ、追い込んでしまった……リータを傷つけるキッカケを作ってしまったから、すぐに謝りたかった。 謝って、一緒に乗り越えていこうと伝えたかった。 しかし、カナタは息巻く彼の肩にそっと手を置いて、言葉で諌めた。 「今のあいつに、言葉なんてかけない方がいい。 一生懸命頑張ろうと思ってるんだ。今は好きなようにやらせてやる方がいいさ。 あいつはあいつなりに、強くなろうと頑張ってるわけだし…… そうだな。どうせなら、声はかけないで、遠くからちょっと見てみるか」 「あ、ああ……」 本当は今すぐにでも謝りたい。謝って、一緒にこれから何ができるか模索していきたい。 だが、そんな風に言われては、アラタの気持ちも鈍るばかりだった。 アカツキが頑張ろうとしている。 ――何のために? 強くなるために。 何に対して、どう強くなりたいのかは分からないが、自分たちに顔を見せないように行動しているということは、相応の決意があるということだ。 そんな時に声をかけたりしたら、せっかくの決意を鈍らせてしまうことになる。 カナタの言葉は、思いのほかアラタの心に深く突き刺さった。 何もできない歯がゆさがある。 同時に、自分の手を借りずとも頑張ろうとしている決意の強さに、一人の男としての心意気を感じずにはいられなかった。 「あいつも……やっぱ強くなってたんだな……」 自分の知らないところで、努力を重ねてきたのだ。 兄として、弟を守ってやりたい。 進むべき道を見定め、共に行きたい。 そう思うのも、今となってはただの一人よがりに過ぎないのだろうか? 兄としての感情を押し付けるだけの結果に過ぎないのだとしたら、切ない。 「それで、どこに行ったのかは分かるの?」 アラタがなにやら眉間にシワを寄せて考えに耽っているのを横目に見やり、キョウコはカナタに訊ねた。 遠くから見るだけでも、今のアカツキがどんな状態なのかは分かる。 何もしないよりは、期待するだけして見に行くのもいいだろう。 「分かってる。 すぐにでも行こうと言いたいところだけど、その前に……」 カナタは当然と言わんばかりに頷いたが、ネイティオと共に、部屋の隅で俯いたままのリータに歩み寄った。 ドラップとアリウス、ラシールは驚いたような顔を見せ、その瞳には強い期待と信じる気持ちがありありと浮かんでいる。 彼の話が耳に入らなかったのだろう。 上の空の表情で、ただただ俯くばかり。 アカツキが立ち直ろうとしているのに、リータがこれではあまりに悲しい。 たとえ、原因のすべてがアカツキにあったとしても、このままでいいはずがない。 カナタは珍しく真剣な表情を浮かべ、リータの前で腰を屈めた。 膝を曲げ、彼女と同じ視線に立って、話しかける。 「なあ、リータ。 確かにアカツキはキミのことを傷つけた。それは事実だし、どんな理由があっても許されることじゃない。 許そうと許すまいと、それはキミの自由だけど、知っておいてほしいことがある」 彼の優しさと強さを秘めた声音に心動かされてか、リータが恐る恐る顔を上げた。 今にも泣き出しそうな表情を見せているのは、アカツキに石を投げられたショックが大きいからだろう。 今まで信じていた相手にそんなことをされたのだから、落ち込むのは当然だが、いつまでもそのままでいられるはずはない。 リータもそれくらいは分かっていたが、どうしたらいいのか分からなかった。 もう一度アカツキに会った時、同じことになるのではないか……不安な気持ちが、彼女の心と身体を鎖のように縛りつけていたのだ。 カナタの言葉が、その鎖を少しだけ緩めてくれた。 「アカツキは本当にキミをなじり、石を投げたことを後悔してるんだよ。 だから、キミにはネイティオが見てきたことをそのまま見せてあげる。それを見て、これからどうするのか決めてくれないか?」 「ティオっ」 言い終えるのを待っていたように、ネイティオが躍り出る。 吸い込まれそうなほど真っ暗でつぶらな瞳が、リータをじっと見据える。 リータも、ネイティオの目をまっすぐに見つめ返していた。 「…………」 刹那、ネイティオの目が妖しく輝き、リータは目の前が真っ暗になった。 視界を真っ黒に塗りつぶされたのか、それとも一人だけ変な場所に放り出されたのか……? 不安になったが、すぐに景色が変わり、そんな不安は消し飛んだ。 目の前に、巨大なスクリーンが広がる。 そこに映し出されたセピア色の光景を見やり、リータは驚愕した。 「……ごめんな、リータ。 オレ……やっぱ間違ってたよ」 膝を抱え、悲しそうな顔をしてつぶやくアカツキの姿があった。 リータを追い払った後、アカツキが後悔に暮れている時の光景だった。 ネイティオは彼が立ち去った現場に残されていた残留思念を読み取り、映写機の要領で過去にあった出来事を再生し、リータに見せているのだ。 カナタ以外の人間やポケモンにそれを行うと、ネイティオにはかなりの負担がかかるが、それでもカナタはやることを選んだ。 それが必要だから、ネイティオは何も言わず彼の気持ちに従った。 「ベイ……」 自分を追い払った後、彼はこんな表情を見せていたのか…… 今まで一度も見せたことがない、辛そうで寂しそうで、悲しそうな顔。 リータを追い払ってしまい、心の底から後悔していたのだ。 だが、その事実が心に染み渡る前に、アカツキは立ち上がり、木の幹に何度も何度も拳をぶつけ始めた。 「ちくしょう……こんちくしょうッ!!」 泣きながら、何度も拳を木の幹にぶつける。 何かに憑り依かれた(とりつかれた)ように、拳をぶつけ続けるアカツキの姿に、リータは彼が本当に何を思っているのか悟った。 一月と半分という短い間ではあったが、彼と一緒にいて見えてきたものがある。分かったものもある。 ポケモンと心を通わせるトレーナーだからこそ、ポケモンもトレーナーの気持ちをより強く感じていたのだ。 「ベイ……ベイっ!!」 ――もういいよ、やめて!! リータは叫んだが、アカツキは拳を木の幹に打ち続けた。 映像ゆえ、彼女の声が彼に届くことはない。 大切な家族を傷つけてしまったことで、心得違いに気づいたアカツキ。 リータにとって、それが分かっただけでも十分だった。 彼はあの時、気が立っていた。それはあの時から分かっていることだ。 言い訳にされたって構わない。 ただ、戻ってきてゴメンと謝って、ギュッとしてくれれば良かったのだ。 いくら後悔していたと言っても、自身を傷つける必要まではなかった。 どうしてこんなことになったんだろう……? リータがそんなことを思っていると、アカツキは息を切らしてその場に倒れ込んだ。 「変わらなきゃ、オレ……もっと強くならなきゃ……!! もう、言い訳して誰かを傷つけるなんて嫌だ……こんなんじゃ、ネイトを助けらんない」 やがて顔を上げた時、アカツキの顔から涙は消えていた。 後悔に染まった瞳には、未来へと向けられた強い決意が宿っていた。 「…………!!」 リータは、アカツキが本当に変わろうと、強くなろうと思っているのだと肌で感じた。 見ているのが映像であっても、彼の強い決意が心に直接響いてくる。 そうだ……これが本当のアカツキ。 リータが一緒についていきたいと思うトレーナーの姿だった。 「ベイ……」 ――キミが変わるなら、あたしも変わらないと…… いつまでもこのままではいられない。 アカツキは変わろうとしている。 自分たちはどうだろう? リータ自身も、ドラップも、アリウスも、ラシールも。 みんな、本当に心から変わろうと、強くなろうと思っていただろうか? ネイトがいなくなった悲しみに飲まれ、守れなかったことを悔やみ、為すべきことを見失ってはいなかったか……? 自分たちも変わらなければならないのだ。 アカツキの気持ちを、決意を垣間見たリータだから、同じように強い決意を抱いた。 ……と、そこで映像が終わり、彼女の視界が元に戻った。 「ティオ……」 ネイティオはリータに映像を見せることで体力をかなり消耗したらしく、その場にへたり込んでしまった。 「ネイティオ、ご苦労だったな。ありがとう、ゆっくり休んでくれ」 カナタはネイティオの頭を撫でながら優しく言うと、モンスターボールに戻してやった。 彼の手持ちのエスパーポケモンの中でも、念視能力を駆使できるのはネイティオだけだ。 ゆえに、ネイティオに負担が集中することも少なくないが、必要な時以外は基本的にやらせてはいない。 「さて……」 必要なことはした。 あとは、リータがどんな気持ちを抱いて、どう行動するかだが…… カナタはリータに視線を戻し――驚愕した。 「ベイ、ベイベイっ!!」 リータは何を思ってか、真剣な面持ちでドラップたちに話しかけていた。 普段の彼女とは明らかに異なる強い口調と決意に満ちた表情に、ドラップたちも驚きを隠しきれなかった。 リータがなにやらいろいろと話しているうちに、傍から見ても分かるほどに、ドラップたちの雰囲気が変わっていた。 どこか陰のある雰囲気が、彼女に触発されたように明るくなり、顔つきも何か決意したようにキリリと引き締まっている。 「……ど、どうなってんの?」 「さあ……」 リータが何かしたのか……? でも、だとしたら一体何を? 突然の変化に驚くキョウコだったが、彼女もすぐに理解した。 リータがアカツキの決意に応えて、変わろうと思っていること。 ドラップたちにその気持ちを伝え、共に変わろうと、トレーナーに顔向けできるように頑張ろうと。 その場の全員が、リータたちにもアカツキの決意が伝播したことを悟る。 「これなら、心配要らないかもな……」 「そやな」 アラタの言葉に、トウヤは笑みを浮かべながら力強く頷き返した。 これなら……自分たちが心配する必要もないだろう。 一緒に悩めないのを歯がゆく思ったが、それが必要ないほどに、アカツキと彼のポケモンたちの結束力は強いのだ。 場の雰囲気全体が先ほどまでと打って変わったことに気づき、カナタは立ち上がった。 「それじゃあ、行こうか。アカツキがいるのは、町外れの格闘道場だよ」 「そこは探さなかったな……もう、止めてこれっきりだとばっかり思ってたからな」 これにはアラタもキョウコも嘆息した。 どこを捜しても見当たらないと思ったら、まさか格闘道場へ向かったとは。 旅立ちが近くなって、アカツキは格闘道場を辞めている。 だから、そこに顔を出すなど予想もできなかった。 まんまと裏を掻かれたが、そのことが逆に、アカツキの行動力の速さを示す結果となった。 「場所も分かったことだし、ちょっとだけ見に行こう」 カナタは身を翻し、部屋の外へと向かったが、彼の後に続いたのはアカツキのポケモンたちとミライだけだった。 「あ、あれ……?」 部屋を出る直前、ミライはついてくる足音の数が少ないことに気づいて振り返った。 「みんなは行かないの?」 アカツキが頑張っているところを見ないのかと訊ねたが、 あまり興味を示していないチナツはともかく、アラタもキョウコもトウヤも、揃って頭を振った。 「あいつが頑張ってるなら、オレも負けちゃいられない」 「そうね。あのジャリガキに負けるのはシャクだわ」 「俺らには俺らのやるべきことがあるんや。じっとしとるヒマはあらせえへん」 口々に、アカツキに触発されたような発言をする。 ミライはなんだか寂しく思ったが、それは一瞬だった。すぐに、同い年の男の子の明るい笑顔が脳裏に浮かぶ。 「……アカツキって、やっぱりすごいね。 みんなを、こんな風に変えちゃうんだもん。 そうだよね……わたしも、わたしのできることをやらなきゃ。でも、その前に……」 アラタたちは、彼らにできることをやろうとしている。 自分だって、何もしないわけにはいかないではないか。 トレーナーでない以上、共に肩を並べて戦うことはできないだろうが、それでもできることはいくらだってある。 後方支援だっていいし、帰りを待つこともいい。 やるべきことは明確。 だけど、その前に少し、彼の頑張りを見てみるのも悪くない。 「せやったら、派手に特訓せえへんか? シンラとかゆー大バカをぶっ倒さなあかんからな」 「そうね。大賛成♪」 「よし、やろうぜ!!」 アラタたちは、トレーナーとしての力量を高めることを選んだらしい。 それなら…… ミライは笑顔でふっと息をつき、カナタの後を追いかけた。 To Be Continued...