シャイニング・ブレイブ 第14章 それぞれの答え -What you hope really-(後編) Side 5 その頃、アカツキは町の南端にある格闘道場にたどり着いた。 格闘ポケモンを象った門柱の先には、木造の道場がポツンと建っている。 「久しぶりだなあ……」 中から聴こえてくる威勢のいい掛け声に、アカツキの表情が綻ぶ。 三ヶ月ほど前、トレーナーとして旅立つ日が近づいてきたから、いろいろと勉強をしなければならないという理由で道場を辞めた。 だが、吹き抜ける風に混じるピリピリした雰囲気が、アカツキの闘争心をこれでもかとばかりに掻き立てる。 まるで、あの頃に戻ったような気分になるが、それは単なる思い過ごしではないのだろう。 敷地には青々とした草が生い茂り、鮮やかな緑の海の真ん中に、ポツンと浮島のように道場が佇んでいる。 敷地の入り口から一直線に続く砂利道が、海に沈みこむのを繋ぎとめているかのようだ。 「…………みんな、元気にしてるみたいだし。 オレも負けてらんないっ!!」 聞き覚えのある声が乱れ飛び、道場の中は活気に満ちている。 なんてことない古びた建屋から立ち昇るオーラのような雰囲気に打たれ、アカツキは持ち前の負けず嫌いな気持ちを爆発させた。 胴着を抱え、一直線に駆け出す。 砂利道を踏みしめる足裏の感覚が、心をくすぐった。 よく、アラタと二人で競争したものだ。どちらが先に道場にたどり着くか。 ……もちろん、年上で身体能力にも恵まれている兄には勝てなかったが、それでも良かった。 尊敬する彼と二人でいろいろ頑張れれば、それで良かったのだ。 だが、悲しいかな。それはもはや過去のこと。 競争などするのではなく、今は自分自身と戦わなければならない。 言い訳をして逃げようとする自分自身の弱い心を強く鍛え上げなければならないのだ。 競争なんて生温い気持ちでどうにかなるほど甘いものではないと、理解はしている。 ここはポリシーであるポジティブシンキングで頑張っていくしかあるまい。 歩幅を大きくしながら走る。 道場の階段を一段飛ばしで駆け上がり、固く閉ざされた扉の前で立ち止まる。 今の時間は朝稽古が行われている。 途中で茶々を入れるようなマネはしたくなかったが、心配するまでもなく、タイミングを計ったように稽古が終わった。 「よし、今日の朝稽古はこれでオシマイだよ。お疲れさま〜」 掛け声が止み、ドタバタした物音が消えたと思ったら、代わりに響いてくる間の伸びた声。 「……こ、この声は……」 もちろん、間の伸びた声――若い男のものだった――には聞き覚えがある。 アカツキが道場で誰よりも尊敬している師範代の声だ。 思うところがあってレイクタウンを旅立ったが、知らない間に戻っていたらしい。 「戻ってたんだ……」 グッと拳を握りしめる。 まさかここで会えるとは思わなかったが、うれしいに決まっている。 稽古も終わったようだし、扉に手をかけて押し開こうとした矢先―― 「……外で立っている人、入っておいで」 「げ……バレてるし」 人畜無害な声音が、紛れもなくアカツキに向けられた。 階段を駆け上がった時には確かに音を立てたが、それくらいなら稽古で生じる大きな音でかき消されるだろう。 それからも物音を立てていなかったが、どうやら気配を感じ取ったようだ。 「やっぱ、敵わないな……よし、行くか!!」 普段は穏やかで、いかにも人畜無害な人だ。 笑みを絶やさず、道場に通う少年少女からは実の兄のように慕われている、優しさの中に凛とした強さを秘めた青年。 アカツキは扉を押し開き、道場の中に踏み込んだ。 「あっ!!」 「アカツキだ!! 戻ってたのか!?」 「うわー、来たーっ!!」 「またボコボコにされちまうって!!」 倣え右をしているように、アカツキから見て右側に向かって正座していた胴着姿の少年少女が、アカツキの姿を認めて素っ頓狂な声を上げた。 瞬く間に蜂の巣を突付いた状態になったが、アカツキはむしろみんなが元気にしていたと分かったのがうれしかった。 正座している少年少女全員と面識がある。 同じ町の子供なのだから、知らないはずなどないのだが、久しぶりとなると、やはり元気にしているか気になってしまうものだ。 ああでもない、こうでもないと言いながら、懐かしい顔を見てパッと表情を輝かせたり、おびえるようにうっすらと目に涙を浮かべていたり。 それぞれの異なった反応に、アカツキはみんなが元気にしていたのだとすぐに分かった。 年下から年上まで、三十人近い少年少女が先ほどまで向いていた先……道場の右手奥には、正座で彼らに向き合っている青年。 黒髪を短く刈り揃え、ニコニコ笑顔を浮かべている。 歳は確か二十一歳と言っていたか。 スラリと引き締まった体格で、真剣な面持ちでもしていたら、黒帯をギュッと締めた胴着姿がとても似合っているのだろうが…… 何もかも台無しにしているのが、場の雰囲気を弁えないようなニコニコ笑顔だ。 もっとも、それが彼の良いところであり強さでもある。 「やあ、アカツキ。久しぶり。元気してた?」 「あ、はい。師範代こそお元気そうで……」 「うん、まあね」 穏やかな口調で話しかけられ、アカツキは深々と頭を下げ、丁寧な言葉遣いで返した。 ……普段の彼らしくないとは言うなかれ。 敬意を抱ける人(特に大人)には、敬語を使って話すのだ。 普段がタメ口だけに、信じられない反応だろうが、これもまた道場に通っていた影響である。 「旅に出たって聞いたけど、まああまり広くもない地方だし、戻ってくることもあるよね」 正座のまま、世間話でもするような口調で続けてくる。 とはいえ、彼は師範代を任せられているほどの実力者。十人くらい同時にかかっても、簡単に叩き伏せてしまうくらいの腕っ節の持ち主なのだ。 人は見た目によらない(特に表情が……)という代名詞的な存在でもある。 「それで……どうしたの?」 「え……あ、はい。 オレ、もっと強くなんなきゃいけなくて……それで、稽古しに来ました」 「ええっ、これ以上強くなられても困るよ〜」 師範代の問いに頷いたアカツキに、少年の一人が信じがたいと言わんばかりの声音で叫ぶ。 道場に通う少年少女の中ではトップクラスの実力の持ち主であるアカツキに、 これ以上強くなられては立つ瀬がないと言いたげだったが、それはそれで仕方のない話だった。 ここにいる少年少女のうち、一対一の組み手でアカツキに勝てる者など一人か二人しかいない。 年上の少年でさえ、アカツキ相手に三本に一本取れればいい方という有様だ。 アカツキはじっと師範代――タツキの目を見据えた。 笑みをたたえながらも、彼の瞳には真剣な雰囲気が宿っていた。 底光りするような黒い瞳に、アカツキは飲み込まれないようにするのに精一杯だった。 旅に出て、強さにさらに磨きがかかったのがよく分かる。 「なるほど……」 見つめ合っただけで何か分かったのか、タツキは小さく頷くと立ち上がり、稽古を終えた少年少女たちに解散を告げた。 「みんな、昼の稽古はいつも通りの時間になるから。 それまでゆっくり休むなり勉強するなりして、午後に備えてね。それじゃ、解散」 『ありがとうございました!!』 正座のまま頭を下げ、大きな声で礼を言うと、彼らは更衣室に駆け込んでいった。 道場の裏手には男女別々の更衣室があり、そこで着替えを行うのだ。 あっという間に、広い道場の中にはアカツキとタツキの二人だけが残された。 タツキはアカツキの前までゆっくりと歩いてくると、笑みを深めた。 「何かあったのかい?」 「え……何がですか?」 他愛ないその一言に、アカツキは心の内側まで見透かされたような気がして、驚いた。 普段から得体の知れないところはあるが、今日はいつにも増して際立っているように思えてならなかった。 笑みなど浮かべているが、心の奥底では何を考えているのか…… なんとなく不安になったのは、まさか彼が戻っているとは思わなかったからだ。 もちろん、道場の先輩として、一人の人間としてタツキを尊敬している気持ちはホンモノだし、 彼のようになりたいという想いで頑張ってきたのも、間違いのないことだ。 しかし、時々彼のことを怖いと思うこともある。 本音を隠しているような気がして。 驚くアカツキを尻目に、タツキは言葉を続けてきた。 「ほら、旅立った後だっていうのに、トレーナーの勉強はしなくていいのかい? それをほっぽり出してまで、君はここにやってきたんだ。何かあったって考えるのが自然だよね」 周囲に誰の気配もないことを確認しているからこそ、いきなり核心に迫る一言を切り出してきた。 「…………」 アカツキは素直に話していいものか迷った。 彼のことは純粋に尊敬しているし、話したとしても胸の中に閉まっておいてくれるだろう。 誰彼かまわず人の事情を言いふらしたりしないのだ。 だが、それでも…… タツキは急かすことも、言わなくていいと引き下がることもしなかった。 アカツキ自身の口から、本当のことを話してほしいと思っているからだ。 得体の知れなさは相変わらずだが、彼の優しさはそれ以上にアカツキの心に沁みた。 やっぱり、何をとってもこの人には敵いそうにない…… ふっと小さく息をついて、観念したように口の端を吊り上げる。 本当のことをちゃんと話そう。 タツキなら笑ったりしないし、もしかしたら一緒になって考えてくれる。 彼の人柄を信じて、アカツキは素直に現状を打ち明けた。 「オレ、トレーナーとしてじゃなくて、人間としてもっと強くなんなきゃって思ってるんです。 ネイトが悪人にさらわれちまって、どうすればいいか分からなくて一人で抱え込んでたんですけど、心配してくれた大切な仲間を傷つけちゃって……」 「そうなんだ。君も、辛かったね」 「はい…… でも、どんな理由があったってそんなことしちゃいけないって分かるから、みんなに顔向けできるように強くならなきゃって思ったんです。 オレ、頭悪いから、どうすればいいかよく分からなくて。 どうせなら身体を動かして、モヤモヤしてるの吹っ切っちゃった方が早いかなって思ってここに来たんです」 「そっか……それが君の決めたことなら、僕は嫌だとは言わないよ」 「はい。だから、お願いします。ここで稽古させてください!!」 アカツキは深々と頭を下げた。 道場を辞めた今、アカツキの名札はすでにない。 捨てられているようなことはないだろうが、壁にかけられてはいない。 ただ、強くなりたい。 言い訳をしなくて済むように。みんなに顔向けできるような男になるために。 アカツキの純真な想いを、タツキは確かに受け取った。 細かな事情は聞かなかったが、それでも何があったのかは大体想像がついた。 無論、ダークポケモンなどという域にまで想像の腕が達したわけではなかったが、アカツキの気持ちがまっすぐなのは確かなようだった。 自分自身のため、大切な仲間のために、敢えてここにやってきた男の子の気持ちを尊重してやりたい。 だから、タツキは快く彼を受け入れた。 「いいよ。君が納得できるまで、存分に汗を流すといい」 「ありがとうございます!!」 「でもね」 頭を上げたアカツキに、タツキがいつもの笑顔でこう言った。 「君は君自身を納得させなきゃいけないけど、その分厳しい稽古になるよ? 今までと同じような気持ちでいちゃダメだよ」 「分かってます。 オレ、どんな辛い稽古だって乗り越えてみせる。 そうじゃなきゃ、ネイトを助けられない!!」 厳しい言葉をかけても、アカツキのやる気は削がれるどころか、逆にその強さを増している。 決意に満ちた男の子の表情に、タツキはいい仲間に恵まれたのだなと素直に思った。 自分のためでなく、大切なポケモンのためにここまで一途になれるトレーナーを初めて見たからだ。 以前会った時は、頼りなさが前面に出ていたが、あれから何ヶ月も経ったのだ。 それなりに経験を積んで、一回りも二回りも成長したに違いない。 「うん、いい声だね。それじゃあ、着替えておいで。ここで待ってるから」 「はい、分かりました!!」 アカツキは頷くや否や、すごい勢いで道場を飛び出し、離れにある更衣室に向かった。 更衣室の扉の前で足を止めていなければ、そのまま扉をぶち破っていきそうな勢いだったが、本人はそんな些細なことには構わなかった。 扉を力いっぱい押し開いて中に入ったが、すでに蛻の殻だった。 「あれ……?」 アカツキは入るなり、呆然と立ち尽くした。 タツキと話をしたのだってほんの一分か二分くらいのはずだ。そんな短時間に、十数人の少年がさっさと着替えて家に帰ってしまったのだ。 普段なら五分や十分、いろいろ話しながらゆっくりと着替えているのだが、 アカツキの気配を感じて、蜘蛛の子を散らすように家路についたらしい。 「なんだよ、みんなして……」 アカツキは口を尖らせたが、それも顔見知りのみんなの気遣いだろうと思った。 道場に顔を出した時は、半ば露骨とも言える反応を見せつけられたが、道場に通う少年少女は皆気さくでいい人ばかりだ。 事情を少しでも話したわけではないが、もしかしたらある程度は感じ取ってくれたのかもしれない。 そう思うと、自然と、彼らの気遣いを無駄にしてはならないという気持ちになる。 「そうだよな……」 誰もいない更衣室を見渡し、肩をすくめた。 ロッカーやタンスはないが、その代わりに壁と壁の間に何本もの竿が渡されている。 服をそこにかけて着替えるという趣向(?)だが、それも以前とまるで変わってはいない。 開け放たれた窓から吹き込むそよ風が、励ますようにアカツキの頬を撫でた。 優しく、力強く背中を押された気分で、アカツキは着替えを始めた。 「みんなのためにも、オレがガンバんなきゃ!!」 先ほどまでは、こんな気持ちになるとは思いもしなかった。 ネイトがいなくなり、ポケモンたちもどこか精彩を欠いていた。 どうにかしなければという焦りが募り、自分一人が必死にもがくことで事態の打開を図ろうとした。 でも、同じ間違いは二度と繰り返さない。 自分には、共に笑い、共に泣くことのできる大切な存在がいるのだから。 一人でないことが分かれば、それで十分だ。 脱いだ服とズボンを竿にかけ、胴着に着替える。 先ほどはサイズが合うかどうか試着する程度だったから特に感じることもなかったが、茶色い帯をギュッと締めると、いつになく気持ちが引き締まった。 年齢制限の壁に阻まれて、初段(黒帯)への昇段はならなかったが、実力だけなら並大抵の有段者よりも上である。 胴着に久しぶりに袖を通し、大きく深呼吸する。 今までも、それなりに大変なことだってあったが、むしろ大変なのはこれからだ。 正念場がいくつも立て続けに待ち受けている。 だが、今のアカツキにはやる前からあきらめるつもりも、途中でリタイアするつもりもなかった。 景気付けに軽く頬を叩き、 「よしっ、行くぜっ!!」 声を張り上げ、更衣室を後にする。 裸足で踏みしめる砂利道は、思いのほか硬くてゴツゴツしていた。 ここに通っていた頃は、ひんやりしていて気持ちいいとさえ思っていたが、何ヶ月も離れていると、やはり違う風に感じてしまうものらしい。 短い砂利道を抜けて道場に戻ると、タツキは中央で正座していた。 精神を研ぎ澄ますためか、目を閉じて、肩の力を抜いていたが、アカツキの足音に目を見開き、ニコッと微笑みかけてきた。 「準備万端って感じだね」 「もちろんです」 アカツキの清々しさに満ちた表情を見やり、笑みが深くなる。 道場に通っていた頃から、やる気になったらトコトンまでやりぬくという気概の持ち主だったが、それは今も変わってはいない。 いや……それどころか、さらに強くなっているようにさえ思える。 だとすると、生半可な気持ちで相手をするのでは失礼だろう。 「それじゃあ、始めようかな」 「はい!!」 「僕が相手をするから、どこからでもかかってきていいよ」 「ええっ!? 師範代と組み手するんですか!?」 「そうだけど。何か問題でも?」 「いや、ない……けど……」 さも当然と言わんばかりに笑みをたたえたまま、タツキはこれ見よがしに首を傾げた。 他に誰が君の相手をするの? 暗にそう物語る彼の視線に、アカツキはいきなり震え上がった。 さっきまでやる気満々でいたが、あっという間に熱が冷めて、代わりに氷点下の風が心に吹き込む。 というのも、タツキの強さを骨身に沁みるほど理解しているからだ。 まともに組み合ったのでは、あっという間にコテンパンにされるだろう。 プロの格闘家顔負けの実力の持ち主であり、幾度となくK-1やDynamite!!など、プロの格闘集団から声をかけられているのだ。 いくら普通の有段者よりも強いと言っても、アカツキがそう容易く勝てる相手ではない。 てっきり、彼の格闘ポケモン相手に存分に……と思っていたのだが、アテは外れてしまった。 先ほど「その分厳しい稽古になるよ?」と言っていたが、その通りになってしまった。 呆然と立ち尽くすアカツキに、タツキは珍しく神妙な面持ちで目を細めた。 「ねえ、君は僕に勝ちに来たの? 違うでしょ。今よりも強くなりたいって思って、ここにやってきたんだよね。 だったら、勝ち負けなんかにこだわってる場合じゃないと思うよ」 「あ……はい」 「だったら、早くやろうよ。気持ちが冷めてしまう前に」 「分かりました。よろしくお願いします」 少し遠回りをしてしまったが、確かにその通りだった。 タツキに勝つのが目的ではない。強くなるために、避けては通れない関門なのだ。 勝つ、負けるという次元の話ではない。 タツキが立ち上がると、アカツキは二メートルの距離を開け、腰を低く構えた。 数ヶ月前に辞めたとはいえ、何年か通ってきたせいか、構えが身体に染み付いているのだ。 身体で覚えたことは、そう容易く忘れるものではないと言うが、まさにその通り。 「さ、どこからでもかかっておいで」 タツキがゆったりと構えながら言うが、そんな簡単に飛び込めれば苦労はしない。 何しろ、彼はアカツキの動きのクセをすべて理解しているのだ。 メキメキと頭角を現し、同年代の少年では相手が務まらなくなると、タツキが相手をするようになった。 当然、相手の手の内は読めているわけで…… アカツキにとっては最悪な相手としか言いようがなかったが、彼に勝つのが目的ではないのだから、萎縮する必要はない。 一呼吸置いてから、アカツキは大きく踏み込んだ。 まともにやってはとても勝てる相手ではないが、やるからには、どうせなら勝ってみたい。 そんな気持ちに駆られるように、雄叫びにも似た声を上げて、タツキに飛びかかる。 防御をまるで考えない攻撃的な構え方は、あの頃と何一つ変わってはいない。 いや、心が強く頑丈になった分、むしろあの頃よりも攻撃的と言えるだろう。 「はあっ!!」 下段からの伸び上がるような拳の一撃を、タツキはさっと後ろに下がって避わしたが、 アカツキはあらかじめ彼の回避を考慮していたらしく、すぐさま軸足に体重を預け、後ろに置いていた足で鋭い蹴りを見舞う。 「おっと……」 金属製のバットさえ一撃で叩き折るほどの威力を宿した蹴りを、タツキは間一髪のところで避わした。 「……!?」 渾身の一撃を避けられ、アカツキの表情に驚愕の色が浮かぶ。 良くも悪くも感情が表に出やすいために、格上の相手にはそれが致命的な隙となる。 タツキは考えるよりも早く身体を動かしていた。 右手を伸ばしてアカツキの上衣の襟をつかむと、左手で袖口をつかみ、足をかけて投げ飛ばした。 「うわっ!!」 受け身を取る間もなく、アカツキは地面に叩きつけられたが、休んでいる暇はなかった。 投げ飛ばしたからといって、タツキの猛攻が終息したわけではない。 背骨が軋み、息が詰まる。 苦痛を表情に出しながらも、相手が襟と袖口から手を離したわずかな間を縫って床を転がり、その勢いでさっと立ち上がる。 刹那、タツキの蹴りが真正面から飛んできた。 立ち上がったばかりのアカツキに避ける間などあるはずもなく、腕を盾のように掲げて受け止めるしかなかった。 「ぐぅっ……」 さほど大きく踏み込んできたわけでもないのに、骨が砕けてしまいそうな衝撃がのしかかってくる。 歯を食いしばり、足腰に力を込めてその場に踏ん張らなければ、蹴りの勢いに押されて、倒されていただろう。 防戦に回れば、相手がさらに攻勢を強めてくることは分かっていたが、防がなければ確実に倒されていた。 ……そうやってさり気なく相手に防御させて、攻撃しやすくするという戦術を、タツキはそんなに深く考えずとも容易く実行に移していたのだ。 これはある意味才能だろうが、当然、アカツキに感心しているヒマなどない。 タツキは蹴りを繰り出した足をそのまま真下に落とすと、滑らかな動きで身体を前面に押し出して、右の拳を突き出した。 流れる水のような、無駄のない動きに、アカツキは反撃もままならなかった。 元々実力が違いすぎていると分かっていても、どうしようもない。 痛む腕で防ぐくらいなら、いっそ防御を捨てて攻撃した方がいい。相手の勢いに押されたままでは、何にもならない。 勝てる見込みはないが、だからといってベストを尽くさない理由はない。 やるからには勝てるように頑張るのだ。 「たあっ!!」 眼前に迫るタツキの拳目がけ、アカツキもグーで固めた拳を繰り出した。 「……!?」 まさかガチンコ勝負に出てくるとは思わなかったらしく、タツキは珍しく驚いた表情を見せたが…… さすがに、経験の差は如何ともしがたかった。 ここで引いてはアカツキに絶好のチャンスを与えることになると悟り、とっさに握り拳を開いて、彼の一撃をその場で受け止めた。 「えっ!?」 まさかここで受け止められるとは…… 驚きが思考力を奪い、アカツキは次への動作に移ることを忘れていた。 途端に、タツキは右手でアカツキの拳を受け止めたまま身体を捻り、左腕で彼の腕を取り、その場に捻り倒した。 「うあっ!!」 再び地面に叩きつけられ、アカツキは見上げた視界にタツキの拳が迫るのを認め―― と、その拳の動きが眼前で止まった。 「…………」 「はい、いっちょあがり♪」 何事もなかったように、ニコッと微笑むタツキ。 僕にかかればこんなものだと言いたげで、アカツキは悔しかったが、 悔しがったところでこの実力差がどうになるわけでもないから、抑えるしかなかった。 「前よりもいい動きするようになったね。僕も、もう少しで攻撃を食らうところだったよ」 タツキは微笑みながらアカツキを離した。 「あいたたた……」 地面に叩きつけられた衝撃で、タツキの蹴りを受けた腕がズキズキと痛んだ。 さすがに骨折まではしていないだろうが、下手をすれば骨にヒビくらいは入っているかもしれない。 後で医者にでも診せた方がいいだろうか。 凄腕の師範代の手から解放されたアカツキは手足をだらりと投げ出した。 「はあ……やっぱり師範代は強いっすね。オレじゃ、勝てないや……あははは」 「まあ、旅先でもワンリキーやゴーリキー相手に鍛えてたからね。日々、鍛錬は怠らなかったから」 アカツキの言葉を褒めの一句と受け取ったらしく、タツキは笑みを深めた。 旅をしていた間も、毎日手持ちの格闘ポケモンと組み手をしていたそうだ。 実力をつければつけるほど、少しでも怠ければガクンと力が落ちてしまうものらしい。 実力を維持しているのは、旅に出る前と同じくらいの練習量をこなしている証拠だ。 「はあ……」 床に寝そべったまま、アカツキはため息をついた。 ほんの数分のやり取りだったが、今までにない緊張感を感じていたせいか、一時間は経ったのではないかという錯覚に陥った。 木目調の天井が、今に限ってなんだか遠く見えてくる。 どっと疲れが押し寄せてくるのは、タツキ相手に加減などしていられなかったからだ。 普段は絶対に出さないような真の全力を出し切り、全身に汗を欠いていた。 でも…… 「すごく気持ちいい……」 アカツキは這い寄る疲労感を拭い去る心地良さを覚えずにはいられなかった。 全身に欠いた汗が胴着に吸い込まれ、ベタつくような感覚も消えていく。 開け放たれていた窓から吹き込むそよ風が、よく頑張ったねと褒めてくれているかのようだ。 全力を尽くし、為すべきことを為した充実感が、アカツキを遍く包み込んでいたのだが、 「いつまで休んでいるつもりかな? まだお昼ご飯までは時間があるから、さっさと続きをやろうよ。 それとも、もう参っちゃった?」 「違う!! ……ち、違います!!」 タツキがからかうような口調で言ってくるものだから、アカツキの負けず嫌いな気持ちが爆発した。 さっと立ち上がり、構えを取る。 投げられて、蹴りを受け止めて……身体のあちこちが痛むが、そんなことで寝そべってはいられない。 こんなの、ネイトやリータたちの痛みに比べれば、大したことはない。 「行きます!!」 「うん。おいで」 宣言を軽い口調で受け止めるタツキに、アカツキは再び飛びかかった。 「うおおおおおおおおおおおおっ!!」 思いの丈をぶつけるように、自分のすべてを出し切るような咆哮と共に。 Side 6 道場の敷地を前に、カナタたちは足を止めていた。 町の南端……ウィンシティへ続くサウスロードのすぐ傍に、その道場はあった。 敷地の入り口から道場を繋ぐ砂利道の始まりに、格闘ポケモンを象った門柱が左右にでんとそびえている。 特に塀が設けられているわけではなく、どこからが道場の敷地なのか分からなくなるが、 道場が草原の海にポツリ佇む浮島のように見えるのだけは間違えようもなかった。 「ここにアカツキがいるんだ……」 ミライは敷地を舐め回すように見やった。 何の変哲もない、木造の道場。 人の気配などほとんど感じられないが、中からなにやらぶつかり合う激しい音が聴こえてくる。 こういった場所に来るのは初めてらしく、リータをはじめとするアカツキのポケモンたちは落ち着きを忘れていた。 人間よりもずっと、道場から放たれている雰囲気を敏感に感じ取っているようだ。 「そうだな。こういう場所の方が、気持ちが落ち着くんだろ。 人目も気にしないで暴れられるし。あーあ、羨ましいな〜」 カナタはいたって気楽な口調で言い、肩などすくめてみせた。 人目を気にせず存分に暴れられるなど、ゲームセンターのもぐら叩きやダンスゲームくらいなものだ。 「……まあ、ここで立ち止まってるのもなんだ。 声かけない程度に、近くで見てみよう。そもそも、そのために遠出してきたんだしな」 「うん」 ショッピングモールから離れ、民家もまばらなこの辺りでは行き交う人もそれほど多くないが、だからこそ突っ立っていると何かと目立つ。 リータたちがアカツキのポケモンであることは住人にもある程度知られているし、知らない人間が傍にいると余計に目立つ。 歩き出したカナタの後を追い、小走りにミライやポケモンたちが続く。 じゃり、じゃり、じゃり…… 砂利道を踏みしめる足音が和音となって、静かに響く。 「アカツキ、頑張ってるんだろうな……」 道場に近づくにつれて、中から聴こえてくる物音の大きさと激しさが増す。 今頃、他の門下生と一緒になって汗を流しているのだろう。 閉めきられた扉の向こう……その様子は窺えないが、なんとなく想像できた。 砂利道が終わり、扉の前で足を止める。 扉一枚隔てた向こう側では、激しいやり取り(攻防)が行われているのだろう。 カナタの話では、この格闘道場では柔道、空手、合気道など、複数の格闘技のエッセンスを取り入れているとのこと。 それゆえ総合的な身体能力の向上が図れると、ポケモンセンターからここまでの道中、知った口振りで話していたのを思い出す。 どうしてそこまで詳しく知っているのか疑問に思いつつも、それが四天王の人脈だろう……ミライはそう思い、特に聞かなかった。 「さて、行くか」 「…………」 カナタの言葉に無言で頷くミライ。 肩越しに振り返らずとも、雰囲気で彼女の動作を悟ったようで、彼は音を立てないよう、ゆっくり扉を開いた。 そこには…… 「やあっ!!」 途端に飛び込んでくる、アカツキの勇ましい掛け声。 その声が衝撃となって叩きつけられ、ミライは呆然と立ち尽くすしかなかった。 というのも、道場の中央で、アカツキと黒帯の青年が激しく打ち合っていたからだ。 ミライたちの存在には気づいていないらしく――気づくだけの余裕がなかっただけだが――、 真剣な面持ちとまっすぐな眼差しを相手に向けていた。 「す、すごい……」 「ほー、こりゃすげえ」 瞬時に攻守が入れ替わったかと思えば、青年の中段突きがアカツキの腹にめり込んだ。 「あっ!!」 感心する暇もなく、決着がついた。 腹に拳を突きこまれ、アカツキはがくりと膝を突いたが、すぐに立ち上がった。 よほど痛かったらしく、苦行に耐えるような渋面を浮かべているものの、闘志は一カケラもこぼれ落ちてはいなかった。 「はあっ!!」 先ほどと変わらぬ動きで、青年に打ちかかっていく。 他のことなど目に入らず、気にもしていない。相手を倒すことにすべてを賭けているようにさえ思えるのは気のせいだろうか……? アカツキと青年は激しく打ち合っていたが、何度やっても地べたを這うハメになるのは決まってアカツキの方だった。 蹴りを脇腹に食らっても、投げられて肩から床に叩きつけられても、その度に立ち上がり、青年に向かっていく。 そのひたむきさが、ミライにはまぶしかった。 今までにも、アカツキは真剣な表情を見せていたが、今この時ほど真剣な表情は見たことがなかった。 真にやる気になった男の子が見せる気迫に、カナタも感服していた。 「ほー、やるなあ……タツキ相手にあそこまでできるヤツって滅多にいないんだけどな」 彼の言葉は誰の耳にも入らなかった。 ミライは言うに及ばず、リータたちもアカツキに釘付けになっていたからだ。 こんな真剣なトレーナーを見たことはなかった。 もちろん、ポケモンバトルではいつでも真剣そのものだったが、その時の表情とは明らかに違う。 見た目も、内面も、今までにない気迫を漂わせ、まるで鬼神か何かを思わせる。 「ベイ……」 「ごぉっ……」 本当に変わろうという気持ちの表れだと、ポケモンたちはアカツキのやる気を的確に察していた。 ネイトがさらわれたことで傷つき、俯いて泣いていた時の面影は微塵もない。 高台で落ち込んでいるのを見ていたリータだからこそ、彼の変わろうという気持ちを誰よりも強く感じていた。 「…………」 彼を奮い立たせているのは、リータを傷つけてしまった後悔と、自分自身の不甲斐なさを払拭したいという気持ちだけではないのだろう。 誰にも恥じることなく、言い訳することなく前を向いて頑張っていけるように。 言葉にこそしなくても、分かる想いがある。 ポケモンと心を通わせるアカツキだから、彼のポケモンたちも、トレーナーの気持ちをダイレクトに受け止めることができるのだ。 リータだけでなく、ドラップも、ラシールも、アリウスも。 みんな、アカツキのひたむきな気持ちを受け取って、いつになくやる気に満ちていた。 トレーナーが一生懸命、変わろうとしている。 ……自分たちも、そんな彼についていけるように、一緒に歩いていけるように変わらなければならない。 いつしか、彼らの胸には使命感にも似た想いが芽生えていた。 トレーナーを想い、連れ去られた仲間を想うからこそだ。 「…………」 ポケモンたちが真剣な眼差しをアカツキにだけ向けていることに気づき、カナタは満足げに微笑んだ。 そう……そんな真剣な顔が見たかった。 アカツキが変わろうとするなら、きっとポケモンたちも感化されるだろう。 だからこそ、トレーナーとポケモンが一体になり、さらなる高みへと向かうことができる。 『変わる』とは、そういうことなのだ。 トレーナーだけでも、ポケモンだけでもダメ。両者が変わろうとすることで、壊れかけた絆も結び直せる。 「これなら、俺らが心配するようなこともねえな……」 変わろうとする気持ちは、今のアカツキを見てみれば、そう容易く消えてしまうようなものではないだろう。 ならば、自分が心配などしなくてもいい。 心配する代わりに、自分もやるべきことをやらなければならない。 「ミライ、帰るぞ」 アカツキとタツキが周囲のことなどお構いなしに激しく打ち合っているのも、見納めだ。 カナタは足音を立てないよう、道場に背を向けて来た道を引き返した。 「あ……ちょっと……!!」 もうちょっと見て行ってもいいのに…… ミライはそう思ったが、カナタの背中が『アカツキの邪魔をするのは良くない』と物語っていることに気づき、すぐに後を追った。 彼らの足音が遠ざかるまで、リータたちはじっとトレーナーに視線を注いでいた。 今、ここで立ち止まっている場合でないことは理解していたが、釘付けになってしまうほどの何かがあった。 でも、やがてリータは踵を返し、他のポケモンたちを引き連れてカナタとミライの後を追いかけた。 ポケモンセンターにたどり着いたカナタは、ミライにリータたちを任せ、寝泊りしている部屋へと向かった。 今、自分が為すべきことは…… アカツキたちが苦労せずに済むよう、事態を解決するために動くことだ。 部屋には先着がいた。 鍵は閉めておいたのに、どこから入ってきたのか、四天王のチナツが長椅子にゆったりと腰かけていた。 「チナツか……よく入ってこれたな」 彼女は四天王随一の神出鬼没さを誇る。どこに現れたって不思議ではないし、恐らくはすごい移動手段を隠しているのだろう。 そんな彼女だから、サラに信頼されて各地を飛び回る任務を請け負ってきたのだ。 もっとも、無断で部屋に入られたところで構いはしない。 見られて困るものなどそうそう持ち合わせてはいないし、むしろ彼女を探す手間が省けたというものだ。 「……どうだった?」 カナタが部屋の扉を閉めるのを待って、チナツは訊ねた。 先ほどまではバカらしくて興味などないと言いたげだったが、どういった風の吹き回しか。 ……実は、彼女が誰よりもアカツキに興味を示していたのを、カナタは承知していた。 カナタは彼女の隣に腰を下ろすと、大仰に肩などすくめながら答えた。 アラタたちに当て付けた分のツケを、少しでも払ってもらうにはちょうどいいだろうと思って。 「俺たちが心配することは何もない。とりあえず、やるべきことをやるだけだ」 「そ。それならいいけど。で、具体的には?」 飄々と訊ね返してくるチナツに目を向けることもなく、窓の外に広がる草原を見据える。 やるべきことなど決まっている。 ――具体的には? なんて、わざとらしく問いかけてくるが、そんなのはチナツにだって分かっているはずだ。 直情的だとばかり思っていたが、いつからそんな風に飄々とするようになったのか…… 取るに足らない些細なことであるとは分かっていても、逆にこういった状況だからこそ、そういったものが目に付く。 カナタは彼女から視線を逸らしたまま、携帯電話を取り出すと、ある場所にかけた。 「おう、サラ。そっちの方はどうだ?」 相手は、ディザースシティのポケモンリーグ・ネイゼル支部に詰めているサラだった。 彼女は今、フォース団の頭領ハツネと今後の策について話し合っているところだ。 『だいたい煮詰まってきたよ。 キミが電話をかけてくるってことは、心配の種が減ったってことでいいのかな?』 チナツは顔を近づけ、耳を欹てながら通話に聞き入っていた。 離れていても、部下が何を考えて電話をかけているのか察しているようだ。 さすがに、彼女には敵わない……カナタもチナツも、直属の上司の鋭すぎる勘に脱帽した。女のカンとはよく言ったものだ。 苦笑しつつも、カナタは今の状況をサラに伝えた。 彼女には一日に何通かメールを送っており、こちらの状況もある程度は把握しているはずだ。 逆に、彼女の方が今どうなっているのかは情報が入ってこない。 ゆえに、電話をかけるのは、互いの最新状況を共有するという意味合いが大きかった。 「ああ、一時はどうなることかと思ったが、最悪の事態は免れた。 あとはあいつら自身に任せても大丈夫だろう」 『そう……それならいいんだ。こっちは、着々と準備を進めているよ。 各地で騒動を起こしていたソフィア団の幹部は取り逃がしてしまったからね……』 「だったら、向こうの戦力はまだまだ侮れないってことだな?」 『ああ、そういうこと。 でも、打破する手段は考えてあるよ。 準備が整うのにあと五日くらいかかってしまうけど、その間にキミに頼んでおきたいことがあるんだ』 「何でも言ってくれ」 改めて、頼んでおきたいことがあると言ってきた。 かなり面倒なことだろうが、ここで引くわけにはいかない。 できることがあるなら、下回りでも裏方でも、何でもやらせてもらうつもりだ。 『キミのネイティオの念視能力を使って、忘れられた森の上空からソフィア団のアジトを探ってほしいんだ。 目に見えないように偽装されてる可能性が高いから、エスパータイプの『ミラクルアイ』が必要になる』 「なるほどな……分かった、やらせてもらう」 『ありがとう。危険な役目だと思うけど、チナツが一緒なら大丈夫だと思う』 「ああ、やってやるさ。俺も、あいつには負けてられないからな。 ただ、行動を開始するのは明日にする。今日はいろいろ、考えさせられることがあって疲れたからな」 『オッケー。それじゃあ、また電話をちょうだい』 「おう。じゃあな」 互いに早口で捲くし立てるように会話を交わし、電話を切った。 カナタもチナツも、現状を理解していたのだから、長々と会話するだけ無意味だ。 「ま、そーゆーワケだ」 「危険だけど、やるっきゃないわね」 「ああ」 サラがカナタとチナツに依頼したのは、ネイゼル地方北東部に広がる『忘れられた森』にあると思われるソフィア団のアジトの捜索。 人の手がまったく加わっていない一帯ゆえ、普通に探し出すのでは骨が折れるだろう。 だからこそ、ネイティオの能力が役に立つのだ。 『ミラクルアイ』という技がある。 エスパータイプが得意とする技で、バトルでは相手の回避率を無効にすることができるのだが、 物理的に偽装されたものを透過するという隠れた特性を持つのだ。 仮に岩などの自然物で表面を偽装したとしても、この技なら確実に見抜ける。 アジトを探し出すことが可能となる。 しかし、ソフィア団もポケモンリーグに見つかるのは一番良くないと考えているはずである。 何の手も打っていないとは思えない。 危険だが、やるしかないだろう。大人には、大人の責任がある。やるべきことがあるのだ。 「でも、あんたにしては苦しい言い訳だったね。明日だなんてさ」 「まあ、それ言っちまったらオシマイだろ。今回くらいは目、つぶってくれ」 「分かってるよ」 チナツはニコッと微笑んだ。 後でちゃんとサラに言いつけますと言わんばかりの、小悪魔のような雰囲気を漂わせる瞳。 はあ…… 隣にいるのがアズサだったら、何も言わず、黙っていてくれるだろうに……カナタは今まで生きてきた中でもっとも深く、ため息をついた。 こんな時ほど、双子の姉の存在が妙にありがたく思えるのだった。 Side 7 昼前になって、やっと道場は静まり返った。 「はあ、はあ……くーっ、疲れたあ……」 道場の床に仰向けに寝そべりながら、アカツキは上衣の袖で額の汗を拭った。 何時間も休まずに身体を動かしていれば――それも、加減などせずに打ちかかり続ければ、疲れるに決まっている。 身体が火照るように熱いのは、運動によって不足した酸素を供給すべく、血管が広がったからだ。 血の巡りが良くなれば、自然と身体が熱を帯びる。 何も考えず、ただひたすらに身体を動かす。 ちょっとやりすぎたかなと思うくらい疲れてはいるが、なぜだか気持ちはスッキリしている。 外に広がる青空に負けないくらい、澄んだ気持ちになっているのは、自分にできることを精一杯やり抜いたからだ。 あまりに気持ち良くて、どうしたものかと爽快感を持て余していると、真上からタツキが笑顔で覗き込んできた。 「お疲れさま。よく頑張ったね」 「師範代……ありがと。オレ、なんかいろんなことが見えてきた気がする……します」 せっかく声をかけてくれたのだ。寝そべったままでは失礼だろう。 アカツキはゆっくりと上体を起こした。 「それだけ、君が一生懸命頑張ったからだよ」 見上げたタツキの顔にも、大粒の汗が浮かんでいた。 間違いなく、アカツキと同様全身汗まみれだろう。 時間が経つのも忘れるくらい、ひたすらにアカツキの稽古に付き合ってくれたのだ。 とはいえ、アカツキが彼に一撃でも浴びせられたかと言えば、答えはノーだったが。 いくら周囲の少年少女より強いと言っても、まだ十二歳。 身体が完全に出来上がっていないアカツキが、心身ともに成熟しきったタツキに勝つことは不可能に近い。 それでもあきらめず、ひたむきに頑張ったからこそ、スッキリした気持ちになれるのだ。 「うん、さっきよりもいい顔するようになったね。本当に見違えるよ」 「ありがとうございました、師範代」 アカツキは正座し、深々とタツキに頭を下げた。 何時間も身体を動かして疲労困憊だが、文句の一つも言わずに付き合ってくれた彼に礼を言わなければならない。 「いいよ。僕が好きで付き合っただけだから」 などと、ニコニコ笑顔で丁寧に辞するも、タツキはアカツキの気持ちを汲み取ってくれた。 数時間だというのに、ここに来た時と今とでは、明らかに顔つきが違っている。 いろいろとあって辛かっただろうが、だいぶ吹っ切れてきた様子だ。 この調子で何日か面倒でも見てやれば、きっともっと強くなる。 もし、アカツキがそれを望むのなら、トコトンまで付き合ってやろう。 利害などまったく考えず、純粋にそう思ったが、 「あの、それでお願いがあるんですけど」 「なんだい?」 素知らぬフリでアカツキのお願いとやらに耳を傾ける。 「オレ、今のままじゃまだまだみんなに顔向けできないから、もっとガンバりたいって思うんです。 何日かかるか分かんないけど、オレ自身が納得するまでガンバんなきゃいけないって」 「そうだね。自分自身が納得するっていうのは、とても大切なことだよ」 タツキは頷くと、アカツキの前で正座した。 こうして向かい合ってみると、目の前の男の子に強く心惹かれている自分自身に気づく……不思議でたまらない。 傷つくことも、痛い想いをすることも厭わずに、目指すもののために一直線に突き進んでいく心の強さがまぶしいからだろう。 人は古来、計り知れない恩恵をもたらしてきた太陽に憧れ、尊敬の意識を抱いてきたとは言うが、その通りかもしれない。 そんなことを思いながら胸中で苦笑していると、 「はい。だから、昼過ぎからの練習にも混ぜてください。 どんなヤツとだって相手するし、掃除だって何だってやりますから」 アカツキが真剣な表情で懇願してきた。 昼食時を過ぎれば、朝方稽古にやってきていた少年少女のほとんどがここに戻ってくるだろう。 そうなると、今みたいにつきっきりで稽古するのは無理だが、それでも立ち止まるわけにはいかない。 雑用だって何だってやってもいい。 だから、思い切り身体を動かして、余計なモヤモヤを完全に削ぎ落としたい。 タツキは相変わらずの笑みを浮かべたまま、強くなろうと一途な男の子の願いを素直に聞き入れた。 もっとも、断るつもりは毛頭なかったが。 「いいよ。君の気が済むまで、いつまでだってここで頑張ってくれて構わない。 幸い、師範は金婚式のお祝いでオレンジ諸島に旅行に行ってるからね。 すぐに戻ってくることはないと思うから、何とか誤魔化しとくよ」 「はい!! ありがとうございます!!」 パッと表情を輝かせ、アカツキは床に額をぶつけんばかりの勢いで、頭を下げた。 何もそこまでしなくてもいいのに…… タツキは苦笑したが、その実直さもまた、アカツキの強さだろうと思い、何も言わなかった。 とはいえ、そこまでやる気になっているのだから、こちらも相当に覚悟を決めねばならないだろう。 どんなに投げ飛ばされても、アカツキは怯むことも立ち止まることもせず、一心不乱に打ちかかってきた。 手負いの獣を思わせるすさまじい気迫を滲ませながら迫り来るその表情には、タツキも心を揺さぶられていたからだ。 数ヶ月のブランクがあるとはいえ、アカツキの腕はまったく鈍っていなかった。 いや、それどころか打ち合いを続けるうちに、繰り出す攻撃はより強く、鋭いものへと変化していった。 強くなりたいという気持ちが無意識に身体能力を高めているのだとしても、 このペースで何日も続けたら、さすがのタツキも無傷で勝つことはできなくなるだろう。 ある意味で驚異的な存在が目の前にいるが、タツキは動じなかった。 どうせなら、楽しんだ方がいいに決まっている。 あと何年かしたら、アカツキはきっと自分を追い抜くのだろう。 それだけの素質はあるし、努力さえ怠らなければプロの格闘家よりも強く成長できる。 そうなろうとなるまいと、それは本人次第だが、男の子の一直線なところはタツキも認めていた。 「さて、それじゃあ早く昼ごはんを食べておいで」 「はい、分かりました!! それじゃ!!」 やると決まれば、さっさと食事を済ませて戻ってこなければ。 今はまだ、ポケモンセンターには戻れない。不本意ではあるが、家で寝泊りし、食事をすることになるだろう。 アカツキは更衣室へ向かいながら、そんなことを考えていた。 「まだ、リータたちには顔、見せられないからなあ……」 数時間ではあるが、それなりに変われたような気がする。 雲が取り払われたように、ずっと遠くまで見渡せるような気さえしている。 でも、アカツキにとってはまだそれでも不十分だった。 リータを傷つけたのは事実だし、ドラップたちだって、アカツキが彼女を傷つけたことを悟るだろう。 彼女にだけ、顔向けができないわけではない。 大切な仲間たちはもちろん、心配してくれていたアラタやキョウコ、姿こそ見せなかったがミライ、カナタ、トウヤ…… 本当に、いろんな人に迷惑をかけてしまった。 ごめんなさいと謝るのはもちろん大切なことだが、そんなことをする暇があるなら、もっともっと強くならなければならない。 どんな状況にあっても、言い訳をして大切な存在を傷つけなくても済むように。 それが、大切な存在を傷つけてしまった自分にできることであり、見つけ出した答えだ。 アカツキは更衣室に駆け込むなり電光石火の速さで着替え、疾風のように道場の敷地を飛び出した。 なだらかな草原が広がる郊外の景色が、心なしか先ほどよりも違って見えた。 ……具体的に言うなら、美しく、澄み渡っているように見えていた。 気持ちにこびり付いていた余計なものが剥がれ落ちて、本当の意味で素直な心地になれたからだろう。 「よ〜し、ちゃっちゃとメシ食って、昼からもガンバらなきゃなっ!!」 まだまだ、やることはたくさんある。 そう思うと、疲れなんて一気に吹き飛んだ。 アカツキは町の南北を結ぶ道を思い切り駆け抜けた。 「相変わらずだけど、やっぱり前向きでいいね……」 タツキはアカツキが道場を飛び出して行ったのを見届けると、手の甲で額の汗をさっと拭った。 さすがに、何時間も休まずに打ち合いを続けるのは厳しい。 いくらアカツキより強いと言っても、疲れるものは疲れるのだ。 この調子で何日も付き合うとなると、いくら彼でも身体が保たないかもしれないが、それでも言い出した以上は、責任を果たしたい。 アカツキにアカツキの責任があるなら、タツキにだって相応の責任が生まれるものなのだ。 「さて……途中で闖入者がいたみたいだし、声をかけに行くかな」 一生懸命頑張っていた男の子も家に帰ったことだし、少しは身体と心を休めなければならないだろう。 とはいえ、先ほど少しだけアカツキとの打ち合いを見ていた人たちがいた。 アカツキは気づいていないようだったが、タツキは彼らの存在に気づいていた。 そのうちの一人が知り合いだと気づいて、会いに行こうと思ったのだ。 せっかくやってきたのに、すぐに帰ってしまった……何かあるに違いない。 タツキは更衣室に向かうと、タオルで汗ばんだ身体をさっと拭き、エチケットにボディスプレーで汗のにおいを消してから、ラフな服に着替えた。 人に会いに行くのだから、最低限のエチケットは守らなければならないだろう。 特に道場に鍵をかける必要もない。 取られるものなどないに等しいのだから、風通しを良くするという意味も込めて、開けっ放しにしておくのが一番だ。 道場の脇をすり抜け、タツキはポケモンセンターへ向かった。 ゆっくりと歩いたつもりだったが、あっという間にたどり着いた。 ジョーイに事情を適当に説明して、部屋でも教えてもらおうかと思っていたが、その必要もなかった。 会いたいと思っていた相手がちょうど、エレベーターから下りてきたからだ。 「お……?」 「やあ、久しぶり」 タツキは驚いたように眉を上下させる相手に微笑みかけ、歩み寄った。 ロビーの中央付近で、二人は久々の再会を果たした。 「タツキ、元気そうだな。相変わらずヘラヘラしてやがる」 「まあ、それが僕の取り得だし、しょうがないじゃないか。 それよりカナタの方こそ、元気そうで何よりだよ」 「ま、俺がへこたれてるような姿は想像してねえだろ。相変わらず食えねぇヤツだな、ヲイ」 「褒め言葉として受け取っておくよ」 タツキとカナタは顔見知りだった。 単なる知り合いという間柄ではなく、親友とまでは行かなくともそれなりに仲の良い友達程度の付き合いはしている。 だから、カナタもアカツキが格闘道場へ向かったと聞いて、ピンと来たのだ。 軽口を叩き合えるほど心を許した相手なら、アカツキを任せても大丈夫だろう。 もっとも、あの男の子は自分の足で立ち、ちゃんと歩いていけるだけの強さがあるから、任せるという表現が的確かどうかは微妙だが。 「俺に話があって来たんだろ。 ちょうどいい、俺もおまえに用があって、出向こうと思ってたトコだ。こっちで話そう」 「分かった」 カナタの提案で、二人はロビーの端に移動した。 ゆったりとした長椅子に腰を下ろす。 「さっき、おまえの道場にポケモンとジャリガール一人を連れて出かけた」 「うん、知ってる」 タツキは小さく頷いた。 さすがに余所見をしていられるだけの余裕はなかったが、カナタと、彼が言う女の子やポケモンの気配はちゃんと感じていた。 「ま、おまえなら気づいて、俺に会いに来ると思ってたけどな」 飾り立てずに素直に頷く相手を半眼で見やり、カナタは肩をすくめた。 酒を酌み交わしたこともある相手だ。 それなりに互いの事情は理解している。 タツキなら確実に自分たちの存在に気づくだろう。用がなければ道場になど出向かないのだから、後でヒマになった時にでも出向いてくれる。 もっとも、タツキも同じことを考えていたわけだが、手間が省けたのはお互い様といったところか。 「遅くなって悪かったね。 こっちとしても、あの子の相手をちゃんとしなきゃいけなかったから。 ……で、君とあの子の関係は? 道場に来たのは、そのことなんだろう?」 「ああ。あいつは俺にとって、ちょっと手のかかる弟って感じだ。 まあいろいろあって世話することになったんだが、厄介なことになっちまってな。 おまえにも事情を話せなくて申し訳ないと思ってるけど、そこんとこは俺の立場も踏まえて理解してくれ」 「分かってるよ。あの子も、そんなに多くは語らなかったから。 あんまり触れられたくはないことなんだろ?」 「ああ」 思った以上に、タツキはこちらの事情を理解している……短い会話の中に、カナタは脈を探っていた。 「あいつは……どうだった? なんか一生懸命だったけど……」 「うん。あの子なら大丈夫。きっと立ち直れるよ」 「そっか、それならいいんだが……多少、俺やアズサにも責任はあるからな」 「あの子は、他の誰よりも自分自身の責任だと思ってるけどね。 まあ、それはそれで心を奮い立たせる原動力になっているよ」 タツキの穏やかな人柄も相まってか、カナタは長く話を聞かずともホッと一息ついていた。 道場で、アカツキが一心不乱にタツキに打ちかかっていたのを見れば、それくらいは分かる。 ただ、もしかしたら……という一抹の不安がどうにも拭いきれなかった。 タツキの一言で、不安は完全に払拭できた。 こういう時は、友達様々というのだろうか。 「何があったのかは、僕には関係のないことだけど…… あの子は本当に一生懸命だから、僕は僕で、できるだけのことはさせてもらうよ。 カナタ、君は僕にその話をしようと思っていたんじゃないのかい?」 「ああ、その通りだ」 カナタは首肯した。 「おまえに任せるようでシャクなんだけどさ……あいつがやろうと決めたことに、俺が口を挟むのもなんか違う気がしてな。 だから、代わりに頼む。 あいつをいっちょまえにしてやってくれないか」 「言われなくても、そのつもりだから。 あの子のポケモンたち、本当によく見ていたね。トレーナーのことを強く信じようという気持ちが伝わってきたよ」 「ああ、あいつのポケモンも頑張ってるんだ」 カナタたちがポケモンセンターに戻ってきてから、リータたちは彼女らなりにいろいろと考えて、行動を始めたようだ。 何をするつもりなのかは興味があったが、口出しするのは気が引けた。 先ほどパッと見た感じでは、アラタやキョウコ、トウヤの特訓に混じっていたが…… どちらにせよ、トレーナーはトレーナーで、ポケモンはポケモンで、それぞれで頑張ろうとしている。 本当の意味で生まれ変わるために。 「カナタ。そう遠くないうちに、また一杯やれるかな?」 カナタがしみじみと物思いに耽っていると、タツキが笑みを深めながらそんなことを言った。 物腰穏やかで、あまり酒には縁がないような青年だが、実は大の酒好きで、カナタなど何度つぶされたことか…… あまりいい思い出はないが、酒を飲むこと自体は嫌いではない。 「そうだなあ……」 たまには酒を酌み交わすのもいいだろう。 最近は任務があって、酒など飲んではいられなかったが……サラの話では、そう遠くないうちにソフィア団との決着をつけるつもりでいるらしい。 彼女がそこまで踏み込んだことを言うのだから、それ相応に準備が進んでいるということだろう。 カナタはタツキに釣られるようにニコッと微笑むと、酒の約束を交わした。 「一ヶ月くらい後になるかもしれないけど、いいか?」 「別に構わないよ。君の都合のいい時でいい」 「そっか、悪いな……」 「いや、君は謝るようなことをしてないだろう? だったら謝る必要なんてないさ」 「……まったくだ」 こちらの都合に合わせてもらったのだ。 謝る必要はないと言うが、気にしないとでも思っていたのか。 カナタは苦笑したが、タツキは穏やかに見えて、かなり強情なのだ。 人は見た目と中身が同じとは限らないなどと言われるが、本当にその通りだ。 だが、そんな彼との出会いがあったからこそ、今の自分があるのだと思っている。 カナタとタツキが出会ったのは、ちょうど一年前のこと。 アズサと共に四天王の職務を全うすべく各地を飛び回っていた頃だ。 今にして思えば情けないことこの上ないが、当時のカナタは責任感などそれほど強く持ち合わせていなかった。 とある事件に遭遇し、解決の糸口を探っている時に、ちょうど通りかかったタツキと出会った。 まるでドラマかマンガのような出会い方だった。 事件の解決にばかり目を向けて、周囲のことなど顧みなかったカナタのやり方を、タツキは今と同じニコニコ笑顔で理路整然と批判してきた。 早く解決しなければ……という焦りがあったカナタは、タツキの正論に反論できなかった。 アズサとは別行動で、別々の切り口から解決の糸口を探っていたため、一人であれこれやっていたのが災いした。 突然現れて、こちらの事情も知らないくせに言いたい放題言ってくれる相手に、いけ好かない感情を抱いていたが、 彼が手伝うと申し出てくれた時には、縋るしかなかった。 タツキの力添えもあって、事件は無事、解決した。 大きな被害を出さなかったのは、彼が周囲に気を遣いながら手伝ってくれたからだ。 カナタは自分のやり方を反省し、タツキに助力を感謝した。 その時からの付き合いになる。 時々連絡を取り合って、ヒマな時には二人して夜の街に遊びに出かけた。 もっとも、安い居酒屋で酒をたしなむ程度ではあったが、他愛ない話で夜中まで盛り上がったものだ。 「さて……」 話が終わったと判断して、タツキは席を立った。 「もう帰るのか?」 カナタが彼の動きを目で追って訊ねると、彼はゆっくりと振り返って、頷いた。 「あの子のことだから、ご飯食べたらすぐに戻って来そうでね。 僕もゆっくりはしていられないんだ」 「おまえも少しはメシ食った方がいいだろ。何も、あいつに無理に合わせなくてもいい。 俺もメシまだだからさ、一緒に食おうぜ」 「そうだね……じゃあ、その言葉に甘えようかな」 「最初からそうするつもりじゃなかっただろうな、ヲイ」 「どうだろうね」 「けっ、まあいい。行くぜ」 タツキの態度はどこか白々しかった。 どうせ、そうなると分かった上で自分から席を立ったのだろう。 いけ好かないところは以前と変わらないが、自分の考え方が変わった証だろう……そんな相手だからこそ信じられる。 カナタはゆっくりと立ち上がり、タツキを伴って食堂へ向かった。 「あいつらはとっくに答えを見つけてる……俺も、ちゃんとした答えを出さなきゃな。 四天王としてじゃなくて、カナタってヤツとしての答えをさ……」 アカツキはアカツキで頑張っている。 周囲も、彼に負けじと頑張っている。 裏方というのはいつも地味で目立たないことばかりだが、もちろんそれを承知した上で、カナタはその役割を演じている。 それがこんなにも恨めしいとは、思わなかった。 四天王という表向きの立場ではなく、カナタという一人の人間としての答えを、そろそろ見つけ出さなければならないと思った。 強い決意を抱いたその背中を、タツキは微笑みながらじっと見つめていた。 Side 8 ――アカツキが故郷を旅立って46日目。 その日も朝早くから、アカツキは町外れの格闘道場で同年代の門下生たちと汗を流していた。 もっとも、年齢制限さえなければすぐにでも昇段が許される実力の持ち主であるアカツキと、 まともに組み手の相手ができる者などそうそういるはずもない。 なんでも、師範は金婚式のお祝いで別の地方に旅行に出かけているとかで、その間は師範代のタツキが道場を取り仕切っている。 いくらアカツキの力になると言っても、師範代という立場上、彼だけの相手をするわけにはいかない。 それぞれの理由で強くなろうと思って拳を振るっている少年少女の相手もしなければならないのだ。 そのため、タツキは止む無くアカツキの相手を道場つきの格闘ポケモンに任せることにした。 道場の中央付近で、アカツキと激しく打ち合っているポケモンは、ワンリキーだ。 あらゆる格闘技をマスターしたポケモンだと言われているが…… 「うわ、押されてるよワンリキーが……」 稽古を始めて約一時間。 タツキの鶴の一声で休憩に入っても、アカツキとワンリキーはまだ打ち合っていた。 それなりに汗を欠いて疲れている門下生たちの視線は、言うまでもなくアカツキとワンリキーに釘付けになっていた。 人間とポケモンでは、基本的な身体能力が違う。 中には人間に近い身体構造のポケモンもいるそうだが、それと能力の差を結び付けて考えるのは詮無いこと。 ワンリキーは背丈こそアカツキより低いが、単純な能力だけで言えば彼の数倍は強いのだ。 しかし、一時間が経っても、決着はついていない。 休憩に入った頃から、ワンリキーが徐々に押され始めていた。 もちろんワンリキーが手加減をしているわけではない。 焦りが色濃い表情を見れば、手加減などしていられない状況だというのは明白だ。 「やっぱり、やるねえ……師範のワンリキー相手にあそこまでやるなんて」 タツキは笑顔で腕を組みながら、アカツキとワンリキーの組み手の行方を見守っていた。 修羅でも乗り移ったのではないかと思うほどの真剣な面持ちでワンリキーに打ちかかるアカツキ。 普段は絶対に見せないような迫力に、さすがのワンリキーも怯んでしまったらしい。 アカツキの蹴りを受け止めようとしたが、怯んだことで反応がわずかに遅れた。 そのわずかな時間で、アカツキはワンリキーを思い切り蹴飛ばし、地に這わせた。 「わあ……」 「なんかとんでもないもの見ちまった……」 人間が、手加減などしていない格闘ポケモンに勝ってしまうなど、普通に考えればありえないことだ。 門下生一同が驚愕するのを余所に、アカツキは息を切らしながらも構えを解かず、ワンリキーを睨みつけていた。 さすがに、ポケモンが相手だと同年代の門下生たちとは勝手が違う。 少しでも加減していたら、地を這うハメになったのはアカツキの方だ。 相手が相手だけに、悠長に加減などする余裕などまったくなかったが。 激しい攻防を物語るように、アカツキは全身にビッシリ汗を欠いていた。 汗を吸い込んだ胴着が重く感じられるが、そんなことを気にしていられるだけの余裕もなかった。 ただ、強くなりたい…… その一心で、ワンリキーすら叩き伏せてしまったのだ。 アカツキの渾身の蹴りを受けて倒れたワンリキーはすぐに立ち上がったが、鋭い眼差しで睨まれ、タツキの背後に隠れてしまった。 格闘ポケモンとは思えない仕草だったが、それだけアカツキの想いの強さに恐れを為してしまったのだろう。 ポケモンでも怖がることはあるのだから、それを臆病だの何だのと呼ぶことはできまい。 震える手でズボンをつかむワンリキーの胸中を察し、タツキはすぐにモンスターボールに戻した。 「いや、まさかとは想ったけど、この数日で本当に強くなったねえ……」 ワンリキーを倒してしまうとは驚きだが、アカツキが背負っているものを考えれば、それも無理のないことだと悟る。 「師範代……次、お願いします!!」 アカツキは息を切らしながらも、タツキに次の相手を頼んだ。 ワンリキーとの激しい攻防で、恐らく、身体は悲鳴を上げているはずだ。 それを意志の力で完全に抑え込んでいる。 目に宿った闘志は折れることも、微塵も揺らぐことなくタツキに向けられていた。 「…………そうだね。じゃあ……」 できるなら直々に相手をしてやりたいが、他の門下生の手前、贔屓するわけにもいかない。 ポケモンに相手をさせている段階ですでに贔屓のような気もするが、こればかりはやむを得ないだろう。 タツキは別のモンスターボールを手に取ると、アカツキの真ん前に投げた。 口を開いたボールから飛び出してきたのは、ゴーリキー。ワンリキーの進化形のポケモンだ。 当然、進化形というからには全体的な能力がワンリキーを上回っている。 腰につけたベルトで、有り余る力を抑えているのだとさえ言われているのだ。 アカツキよりもやや背が高く、身体つきがしっかりしており、筋肉の鎧をまとったような体躯だ。 眼光の鋭さはワンリキーとは比べ物にならないが、 「これくらいじゃなきゃな……相手にとって不足はねえ……!!」 アカツキはゴーリキーを睨みつけた。 ワンリキー相手に派手に打ち合い、かなり疲れているが、ここで立ち止まるわけにはいかない。 何かが……見えかけたような気がしたからだ。 明確に、それが何であるかは分からない。 ただ、なんとなく、大切なもののような気がした。 気のせいであればいいのだろうが、一度気になったものはそう簡単にかき消せない。 身体を動かすことで余計な気持ちを振り払い、まっすぐ前を見て、見えてくるものがある。 もう少しで、それが見えてきそうな気がするのだ。 だから、疲れていたって、休むわけにはいかない。 強くなりたいという純粋な想いが、休息を求める身体を奮い立たせているのだ。 「行くぜ、ゴーリキー!!」 アカツキは宣言すると、何の前触れもなくゴーリキーに打ちかかった。 休む暇があるなら、倒れるまで身体を動かしたい。 考えるよりも身体を動かした方が手っ取り早いと思っているのだから、それはそれで仕方ないのだろうが…… ワンリキーと打ち合っていた頃の鋭さは欠けていた。 本人は趣向を凝らしたと思っている攻撃でも、ゴーリキーには容易く見切られてしまった。 腕をつかまれ、そのまま地面に引き倒される。 「……!?」 あっさりと組み伏せられて、アカツキは呆然とした。 疲れが溜まったせいで動きが鈍っていると気づいたのは、視界に道場の天井を映した時だった。 「はい、そこまで」 タツキが手をパンパン叩きながらやってきた。 相変わらず、笑みを浮かべている。 休憩中だから、気持ちまでリラックスしようと考えているのだろう。 「いくら君でも、ゴーリキー相手じゃ分が悪いよ。 ワンリキーとの組み手で、体力を消耗しちゃってるんだから。全快の時だったら、どうなってたか分からないけど。 さて、ゴーリキー。興醒めで悪いけど、ちょっと休んでてね」 タツキは早口で言い終えるが早いか、ゴーリキーをモンスターボールに戻した。 捻られるような格好で抑え込まれていたアカツキは、ゴーリキーの力から解放されて、その場でぐったりと肢体を投げ出した。 どうやら、ゴーリキーに打ちかかったところで体力が尽きてしまったらしい。 身体を動かそうにも、思うようにいかなかった。 こんなことは生まれて初めてだったが、別に構わなかった。 先ほどうっすらと見えていたものが、今は明確に見えているからだ。 「……疲れたけど、これでいいんだ。やっと、分かった……」 極限まで身体を動かして、こき使って……そこまでしなければ見えないなんて、本当にバカだと思う。 だけど、だからこそ一度目に見えてきたものを容易く見失うことはない。 アカツキは清々しい気持ちで胸を満たしていた。 仰向けに寝転がっている男の子がなにやら悟ったらしいと見て取って、タツキは稽古を再開させた。 いつまでも休んでいては、稽古にならない。 静まり返っていた道場が、あっという間に活気づく。 心なしか、先ほどよりも活気に溢れているように思えるが、気のせいではないだろう。 恐らく、アカツキのひたむきな姿勢が門下生たちに引火したのだ。 「君はよくやったよ。 君自身だけじゃなくて、他のみんなも変えたのかもしれないからね」 タツキは笑みを深めると、門下生たちの指導に当たった。 そんな師範代の気持ちなど知る由もなく、アカツキはゆっくりと身を起こした。 少しでも休んで、体力を取り戻したらしい。 「オレ、今までできることをやってきて、分かった。 オレにできることはなんだろうって考えて……結局、ネイトを助けるってことだけなんだ。 そのために強くなりたいって思ってガンバってきたけど…… 今のオレなら、みんなとちゃんと向き合える!!」 何日か道場で汗を流して、少しは強くなれた気がする。 久しぶりに痛い想いもして、リータたちに与えた痛みの幾許かでも理解できた。 長かったようで短かったけれど、今なら…… きっと、リータたちの目をまっすぐに見つめて、思っていることを素直に打ち明けられる。 根拠なんて何もなかったが、今のアカツキに根拠なんて要らなかった。 自身がそう思えるなら、それで良かったからだ。 周囲が忙しなく組み手を行っているのを見て、アカツキは時の流れを改めて感じた。 まだ完全に体力が戻っていない状態では、全力で突っ走るのは無理そうだが、身体を休める意味も込めて、ゆっくり行こう。 アカツキは立ち上がると、周囲の邪魔にならないよう気を遣いながら、タツキの傍へ行った。 「師範代、オレ、帰ります。 みんなとちゃんと向き合えるって思ったから、早くみんなに会いに行きたいんです。 今までありがとうございました」 深々と頭を下げる。 もし、師範代のタツキでなければ、ここまで頑張れたかどうかは分からない。彼の的確な指導があったのも事実だが、 「君が納得したのなら、それでいいよ。 君自身が頑張ったから、今の君がいるんだ。それだけは忘れないでね」 「はい、それじゃあ」 タツキの言葉は、アカツキの胸に沁みた。 今、みんなと向き合う勇気を手にできたのは、アカツキ自身が頑張ったからだ。 頑張れば、ネイトを助けることだってできると、暗にそう言われているような気がした。 アカツキは改めてタツキに頭を下げると、道場を後にした。 更衣室でさっさと着替え、ポケモンセンターを目指して歩き出した。 「みんな、どうしてっかなあ……?」 砂利道を歩きながら、晴れ渡った青空を見上げてみる。 雲がほとんどない、澄み渡るばかりの空に、ポケモンたちの笑顔が浮かんでは消えていく。 リータ、ドラップ、ラシール、アリウス……そして、ネイト。 彼らは今頃、何をしているだろう? ネイトはシンラに捕らえられ、ダークポケモンになってしまった。 今頃何をしているかは分からないが、一刻も早く助け出さなければならない。 だけど、その前にやらなければならないことがある。 リータたちに、ちゃんと謝らなければ。 自分が至らないばかりに傷つけてしまった。そのことに対する責任は、ちゃんと取らなければならない。 今日までの四日間、リータたちとは一度も会わなかった。 ちゃんと顔向けできるようになるまでは会わないと決めていたし、アカツキは知らなかったが、 タツキがカナタにあれこれ話していたため、初日以降、リータたちも会いに来なかった。 ただ何もしないままでいるとは思わないが、みんなのところに帰ったら…… 「ちゃんと仲直りして、一緒にネイトを助けられるようにガンバんなきゃなっ♪」 ネイトを奪われ、落ち込んでいたアカツキは、もうそこにはいなかった。 いつも通りとまでは行かないが、気持ちも上向き、前向きに考えることができる。それだけで十分だ。 道場の敷地を出て、ポケモンセンターへ向かう。 「でも、まずはごめんなさいって言わなきゃな。リータ、怒ってなきゃいいけど……」 リータたちも、アカツキに負けじと特訓に打ち込んでいるとは知らないのだから、怒っていなければいいが……と考えている。 まあ、怒っていたら、それはそれで仕方がない。 そうされるだけのことをしたのだから。 だが、ちゃんと謝った上で、これからは一緒に頑張っていこう。 伝えるべき言葉は、考え出すとキリがないほど溢れ出てきたが、アカツキにとってはそれくらいなければ足りなかった。 自分の気持ちを伝えるのに、言葉以上に大切なものはない。 それに……アラタにも謝らなければ。 心配してくれたのに、彼も傷つけてしまった。 やるべきことは多いが、やる前から尻込みなんてしていられない。 「よ〜し、行くぞアカツキっ!! ここからがスタートだ〜っ!!」 パシンッ。 両手で頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。 大切な仲間たちと向き合うのに、腑抜けた表情では失望させてしまうだけ。 こういう時こそ、自分がしっかりしなければ。 アカツキはそんな想いを秘めて、駆け出した。 草原を吹き抜ける涼風が、いつになく気持ちよかった。 第15章へと続く……