シャイニング・ブレイブ 第15章 心、ひとつに…… -Be as one-(前編) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って46日目。 アカツキはポケモンセンターの前で足を止めると、胸に手を当て、深呼吸した。 道場からここまで一度も走らなかったが、心臓がばくんばくんと大きな音を立てているのはなぜか……? そんなことは分かりきっていた。 この数日間、頑張ってきた成果を試すためだ。 失敗が許されない、一発勝負。 「オレの気持ち、ちゃんとみんなに伝えなきゃ。失敗なんて考えてたら、何もできやしない」 何度か深呼吸を繰り返しながら、気持ちを落ち着けようと努める。 やる前から失敗した時のことを考えるなど、論外である。 できるだけのことはしてきたのだ。 当たって砕けても、それはそれで仕方がない。仕方がないと思うようなことをしてきたのだから。 目を閉じると、瞼の裏に蘇ってくる情景。 夢にも見て、真夜中に目を覚ましたこともあったが、それは他ならぬアカツキ自身が招いた現実だった。 心を傷つけられたリータが、泣きながら走り去っていく…… 心配してやってきた彼女の気持ちを顧みることなく、自分勝手で一方的な都合で彼女を追い返してしまった。 本当はそんなことしたくなかったのに……しかし、それは言い訳に過ぎない。 やってしまった後でどんなに論じても、現実は何も変わりはしない。 だけど、これからのことなら変えられる。 自分たちの力で変えていかなければならない。 アカツキはその一心で、ひたすらに自身を鍛え続けた。 身体はもちろん、大切な仲間を傷つけてしまった弱い心も。 一生懸命やってきたことが功を奏して、それなりにいろんなものが見えてきたような気がする。 今なら、リータたちと正面から向き合える。 向き合っても大丈夫だと思えるようになったからには、善は急げ、である。 目を閉じていると、通りを往来する人の靴音が普段以上に耳につく。 どこにでも転がっている雑音の類でも、アカツキには気持ちを落ち着かせる鎮静剤のようなものだった。 やがて目を見開き、アカツキは歩き出した。 立ち止まっていても、何も始まらない。 自分の言葉で、自分の気持ちを伝えよう。 その結果、拒絶されたとしても、それはそれで真摯に受け止めていこう。 ポケモンセンターの自動ドアが、音もなく左右に開かれていく。 旅立つ前からここに何度も足を運んでいたから、ロビーの風景も見慣れている。 それでも新鮮に感じるのは、決意を新たにしたからだろうか。 朝食を摂るには遅く、昼食を摂るには早いという中途半端な時間帯だけあって、ロビーは閑散としていた。 もっとも、ネイゼルカップの前後くらいしか、ここが人とポケモンで溢れかえるようなことはない。 視線を這わせるが、当然と言えば当然か、リータたちの姿はなかった。 部屋にこもっているのか、それともどこかに出かけているのか……どちらにしても、ジョーイに訊いた方が早そうだ。 アカツキはカウンターに歩み寄り、カルテに目を通している彼女に声をかけた。 「ジョーイさん、こんにちは」 「こんにちは。ここ数日見てなかったけど……どこか行っていたの?」 「うん。家と道場を往復してばかりだったよ」 「そう……でも、なんだか見違えたわね。特に、表情なんて数日前とはずいぶん違うわ」 ジョーイはカルテの束をそっとテーブルに置くと、アカツキに微笑みかけてきた。 人によっては、彼女がいつも見せるその笑顔を『職業病』などというミもフタもない一言で片付けることもあるというが、 今のアカツキにとっては天使のようにさえ感じられた。 オーバーかもしれないが、数日前とは明らかに考え方が異なっているということだ。 旅に出る前からお世話になっていて、このポケモンセンターのジョーイはアカツキにとって気のいい姉のような存在だった。 とはいえ、さすがに詳しい事情を話すわけには行かなかったが。 経緯は端折って、単刀直入に訊ねる。 「オレのポケモンたち……リータたち、どこにいるか知らない?」 「知らない? ……って、キミのポケモンでしょう? キミが知らないでどうするの」 「あ、それは、その……」 アカツキの問いに、ジョーイの表情が変わった。 笑顔が消え、眉間にシワなど寄せながら険しい表情になる。 せっかくの美貌が台無しだと、年頃の男の一人や二人でもいれば、そう言って彼女を諌めるのかもしれない。 「……困ったなあ」 アカツキに返す言葉などあるはずもなかった。 この数日、リータたちを半ば放っておいたようなものなのだ。 自分のポケモンのことくらい、知らなくてどうする。 ジョーイの言葉は遠回しな非難でもあった。 だからこそ何も言い返せない。 どう答えようかと思案するアカツキだったが、ジョーイはニコッと笑みを戻しながら言った。 「なんてね。事情は、カナタさんから聞いているわ」 「え……それじゃあ……」 「ええ。キミが来たら、部屋を教えるようにって言われているの。二階の一番奥の部屋にいるわ」 どうやら、彼女はアカツキを試していたらしい。 ある程度はカナタから事情を聞いていたから、彼が今どんな状態に置かれているのか、察しはついている。 その上で試すような言葉を発したのだから、趣味が悪いと言えば悪いのだろう。 だが、アカツキはとりわけ気にするでもなく、ジョーイに礼を言った。 「ありがとう、ジョーイさん」 「うん。行ってらっしゃい」 事情を知らない別のジョーイだったら、先ほどの言葉を発してくるのだろう。 そう思えば、彼女の反応は極端なものではない。むしろ、ポケモンの医療に携わる者としては至極当然のものだった。 自分はそれだけのことをしたのだと、改めて肝に銘じ、アカツキはジョーイに言われた部屋へと向かった。 ここまで来た以上、引き返すつもりはないし、一刻も早く思っていることを伝えたい。 階段を駆け上がる足は自然と速くなり、一直線に奥へと続く廊下も疾風のごとき速さで駆け抜ける。 あっという間に二階の一番奥にある部屋の前にたどり着き、アカツキはなんてことのない扉をじっと見やった。 この奥に、リータたちがいる。 耳を欹ててみても、聴こえてくるのは開け放たれた窓から吹き込む風の音、外で自由を謳歌している鳥のさえずり。 部屋の中は静まり返っているように思えたが、確かに人の気配がある。 もしかしたら、中で待ち構えているのかもしれない。 「オレはリータに謝んなきゃいけないんだ。ここで引き返したら、今までやってきたことが無駄になっちまう。 だから、行くんだ……」 グッと拳を握りしめる。 力を入れた拍子に親指の関節がゴキッと鳴る音がしたが、それがかえってアカツキの気持ちを奮い立たせた。 握りしめた拳で、ドアを軽く叩いた。 もし嫌われていたなら、その時はその時で、もっともっと強くなろう。 ノックの音が消えて少し経ってから、中から返事があった。 「はい、ど〜ぞ」 カナタの声だった。 どこか間延びしているように聴こえるが、気のせいだろう。 アカツキはノブを握り、ドアを押し開いた。 三人用の部屋には、役者が勢ぞろいしていた。 「…………」 まさか雁首揃えてお出迎えとは思ってもいなかったので、アカツキはドアを開けたままの体勢で呆然とするしかなかった。 アラタ、キョウコ、ミライ、トウヤ、カナタ、それから見知らぬ赤髪の女性……どこかハツネに似た雰囲気の持ち主。 それから、アカツキのポケモンたち。 リータ、ドラップ、ラシール、アリウス。 六人と四体が、じっと自分を見ている。それも、全員笑顔で。 どうやら歓迎してくれているらしいが、笑顔で統一されているのはどこか不気味ですらあった。 アカツキは戸惑いを隠しきれなかったが、呆然として固まったままの方がよほどみっともなく思えてきた。 後ろ手にドアを閉めて、ゆっくりと部屋の真ん中へ歩いていく。 ズラリ並んだ六人と四体が裁判官で、まるで部屋の中央には被告人席が設けられているかのよう…… アカツキが足を止めるのを待つように、カナタがニコッと微笑みかけてきた。 「久しぶりだな……数日ぶりだけど。元気していたようだな」 「うん、まあ……」 「おまえが来るのは分かってたからさ。準備万端って感じで悪いけど、待たせてもらった」 「うん」 本当にこの時間に来るのが分かっていたのだろう。 そうでなければ、わざわざ雁首揃えて待ち構えているはずもないのだが……実は、タツキがカナタにこっそり連絡を入れていただけだった。 もちろん、そんなことはいくらカナタでも、口が裂けても言えないことだったが。 「でも、みんな一緒にいてくれてる方が、一発で済んでいいかもしんない」 改めて一同の顔を見渡しながら、アカツキは小さく息をついた。 皆、元気そうである。 自分が格闘道場で汗を流している間、元気に過ごしていたらしい。 てっきり、リータたちは落ち込んでいるのではと思っていたが、元気そうで何よりだ。 今見せている笑顔なら……きっと、嫌われるようなことはないだろう。 「……!! ダメだ、そんな考え方しちゃ」 アカツキは打算的な考えが胸を占めているのに気づき、慌ててその考えを打ち消した。 そんな利害関係のようなことを考えていてはならない。 本心で向き合わなければならないのだから。 いつまでも相手からの言葉を待つわけにもいかず、アカツキは勇気を持って話しかけた。 「あのさ……オレがここに来たのは、みんなに謝らなきゃいけないからなんだ」 その一言で、場の雰囲気が変わった。 アカツキが発する真剣な雰囲気が伝播したかのようだが、構うことはない。 アカツキはリータに向き直り、頭を下げた。 「リータ、キミはオレのこと心配して来てくれたのに、傷つけちゃってごめんな。 謝って済む問題じゃないって分かるんだけど、それでもちゃんと謝らなきゃいけないって思ってさ。 ホントにごめん……」 「ベイ……」 「みんなにも心配かけちまったよな。 みんなのことだから、リータを傷つけたのはオレだって分かってると思う。 軽蔑したいならしてくれてもいい。 でも、オレにはみんなの力が必要なんだ。 オレ一人じゃ、ネイトを助けには行けないし……それに、ネイトを迎えに行くのは、オレたちみんなの役目だからさ」 アカツキは大切なポケモンたちの目をまっすぐに見つめながら、本心を打ち明けた。 追い詰められたとはいえ、自分の勝手な都合でみんなを傷つけ、数日ほったらかしにしてしまったこと。 自分がしっかりしなければと思うあまり、みんなの気持ちを理解していなかったこと。 それらすべてを他人のせいにせず、自分自身の心の弱さだと言った。 普段のアカツキからは考えられないような神妙な面持ちと口調に、ポケモンたちは真剣な表情で聞き入っていた。 最後に、アカツキはこう締めくくった。 「オレ、もう言い訳なんて口にしない。 自分の弱さを言い訳にして、逃げたりしないよ。 だから、オレについてきてくれ。オレと一緒に行こう!!」 傷つけてしまったけれど、許してくれるなら、また手に手を取り合って一緒に頑張って行こう。 アカツキはそんな想いを込めて、手を差し出した。 リータたちの視線が、その手に集まる。 道場での稽古で、小さな肉刺が指にいくつかできていて、結構ゴツゴツしてそうだったが、リータは迷うことなく、その手に頭上の葉っぱを重ねた。 彼女の意志に従うように、ドラップたちも同じようにそれぞれの想いと共に手や尻尾、翼をアカツキの手に重ねた。 「みんな、ありがと……」 ちゃんと、仲直りできた。 リータの葉っぱ、ドラップの手、ラシールの翼、アリウスの尻尾。 形や大きさは違っても、みんなが重ねてくれた想いはとても暖かくて力強い。 アカツキは思わず涙ぐみそうになったが、嬉し涙でも周囲には見せたくなかった。 アカツキがいろいろと思ってきたように、リータたちもこの数日、それぞれの想いの中で生きてきたのだ。 迷い、苦悩したのはアカツキだけではない。 ポケモンたちもまた、ネイトを守れなかった責任を感じ、またトレーナーを励ませない不甲斐なさに涙していた。 重ねた手の温もりが、ポケモンたちの想いをアカツキに伝える。 言葉にしなくても分かることがあるのだと、改めて思った。 「オレ、これからもっともっと強くなる。 辛いこととか、またあると思うけど……一緒に乗り越えていこうぜ。オレ、もう一人でクヨクヨしたりしないからさ。 みんなにも、辛い時は辛いって、ちゃんと言うから」 「ベイっ♪」 「ごぉぉ……」 「シシシ……」 「キキッ!!」 アカツキの言葉に、ポケモンたちは笑顔で一斉に嘶いた。 競い合うように、声高らかに。 初めて解り合えた頃のような気持ちが芽生え、アカツキは彼らの仲間であることを心から誇りに思った。 一度はバラバラになりかけた絆も、ちゃんと結びなおせたのだ。 心を閉ざされ、ダークポケモンになったネイトを元に戻すことだってできるはず。 これからのことに想いを馳せるアカツキだったが、リータたちと仲直りしたからと言って、ここで終わりではない。 じゃれついてくるポケモンたちの身体を一通り撫でながら、アカツキはアラタとキョウコに向き直った。 「兄ちゃん、キョウコ姉ちゃん……本当にごめん。 オレのこと、本当に心配してくれてたのに、気づいてあげられなくて」 「まあ、次からはそんな世話焼かせるなよ。オレも、痛い思いするの嫌だからな」 「うん」 アラタは手を上げてきたアカツキを責めるでもなく、淡々と言葉を返した。 困ったような顔とは裏腹に、突きつけられた一言は刃のように鋭く、鉛のように重かった。アカツキは真摯に彼の言葉を受け止めるしかなかった。 続いて、キョウコも口を開く。 「まったくよ。 兄弟揃って野蛮人なんだから……でも、そうじゃなきゃ分かり合えないんだから、あんたたちも損な性格よね。 まあ、ちゃんとあたしの前に顔見せたんだから、チャラにしてあげるわ。 あたしは別に、この脳ミソミジンコと違って、痛い思いなんてしてないから」 「おい、脳ミソミジンコって何だよ。オレだってこれでもスクールをそこそこの成……」 「もう大丈夫だよ。 前と同じこと繰り返したら、今度こそアニーやラチェにお仕置きされちまう」 「分かってるなら、いいわ。あんたは独りなんかじゃないんだから」 なにやら不満げに表情を引きつらせるアラタの言葉を遮り、アカツキとキョウコは短い会話を交わした。 「……ったく、聞いてんのかよ、この頭でっかち」 脳ミソミジンコ……つまりバカ呼ばわりされて、アラタは頭に来ているのだろう。 負けじと言い返すが…… 「なんですって、もう一度言ってみなさいよ野蛮人」 悪口にはとても敏感らしく、キョウコは首がねじれるのではないかと思えるようなスピードで振り返ると、アラタを睨みつけた。 だが、そんな反応を見せつけられると予想していたアラタは特に慌てるでもなく、 「おまえ、ずっと前から頭『だけは』良かったからな。 オレだけじゃなくて、みんなおまえのズル賢いトコに何度泣かされてきたと思ってんだ」 「何言ってんのよ。あんたがあまりに鈍いから、あたしが先にあれこれやってあげただけじゃない」 「よく言うぜ。そのクセ行き詰った時真っ先に逃げたの誰だよ」 「きーっ!! 野蛮人のクセに言ったわね? 後悔させたげるわ!! 表出なさい!! ポケモンバトルよっ!!」 「望むところだ!! これで絶対に勝ち越してやる!!」 「それはあたしのセリフよ!! 今回こそ絶対に泣かせたげる!!」 「ふん、吠え面かくなよ!!」 「お、おい……」 一同が思わず引いてしまうほどにヒートアップした二人は、カナタの制止など無視して外に飛び出していった。 バタン、と乱暴に扉が閉ざされる。 「…………」 「…………」 今日はいつにも増してライバルっぷりを見せ付けてくれたが、それもアカツキが元気になって安心したからだろう。 「兄ちゃんたちらしいや。これなら、オレも……」 アカツキはアラタとキョウコのマジな雰囲気を肌で感じ取り、思わず笑みが漏れた。 きっと、二人とも自分のことを心底心配してくれていたのだ。その心配から解放されて、タガが外れてしまったのだろう。 止める間もなく飛び出していったが、それからほとんど間を置かずに、立て続けに爆音が轟く。 どうやら、二人のバトル(……の名を借りた果し合い)が始まったらしい。 本気になると二人して見境なく暴れる性分らしく、 キサラギ博士の研究所の敷地の一部がそのせいで草一本生えない荒野に成り果てたことさえあった。 「今回は騒ぎすぎなきゃいいけど……」 困った兄を持ったものだが、それはアラタにも同じことが言えるだろうから、口に出せた義理でもない。 アラタとキョウコを安心させてあげられたことだし、最後に…… 「…………」 アカツキはミライ、トウヤ、カナタを見やった。 カナタの隣に佇む赤髪の女性は、恐らくカナタの知り合いだろう。後でじっくり話でも聞けばいい。 「ミライたちも、心配させちゃったよな。ホントにごめん」 「そうだよ、もう……」 アカツキの言葉に、ミライは困ったように微笑んだ。 「ホントに心配したんだから。 リータは泣いて帰ってくるし、そしたらみんなヘコんじゃうし……わたしたちだって心配したんだから。 お願いだから、もうあんな心配はかけさせないで。 わたしたちはいいけど、ポケモンたちはホントに辛そうだったから」 「うん。そうならないように努力する」 「ま、ちょっと前よりもなんや面構え良ぅなってきたし、今日んトコはそれに免じて許したるわ。 せやけど、次はないでぇ?」 ミライとトウヤに口々に釘を刺され、アカツキは深く頷いた。 心配をかけたのは事実だし、本当なら強い口調で責め立てられるべきだ。 だが、それをしないのは、これからのアカツキに期待しているからだ。 彼らの想いを裏切るわけにはいかない……アカツキは改めて固く誓った。 誰にも心配させないで済むように強くなる。 もし心配させるようなことに出会ったら、その時は独りで抱え込まず、みんなに相談する。 心が弱っている時に弱音を吐いたって、誰も責めたりはしないのだから。 それに、傍にいてくれる人やポケモンがいる。 彼らに頼ってはならないなどというルールがあるわけでもないのだ。 「カナタ兄ちゃんも、心配かけてごめんなさい。 オレのせいで……結構、変なことになっちまってるよな?」 「おまえは精一杯やったと思うさ。 でもまあ、これ以上はみんなに心配かけるなよ。これでも、おまえには結構期待してんだからさ」 「うん、分かった」 カナタの笑みに釣られるように、アカツキもニコッと微笑んだ。 彼はタツキを通じて、アカツキが本当に頑張ったことを聞いていた。 元々、人をよく褒める青年だが、彼があそこまで饒舌に誰かを褒めるのは初めてだった。 それだけ、アカツキが死ぬ気で頑張ったのだろうと思った。 きっと、同じ間違いは二度と繰り返すまい……だったら、それだけで良かった。 人は誰しも間違いを犯すものだ。 それを責めていては、何も変わらない。その原因を断ち切らない限り、叱りつけるだけでは根本的な解決は望めない。 なんとかみんなに謝って、許してもらえたことだし……ここからが本番だ。 ネイトを助けに行かなければならない。 だが、シンラのポケモンのパワーはあまりに強大すぎる。 ジムリーダーが育て上げたポケモンでさえ、そう易々とは勝利を収めることはできないだろう。 悔しいが、今の自分ではとても勝ち目はない。 やる前からあきらめているようでシャクだが、直面した事実から目を逸らすのは愚かでしかない。 それを認めた上で、やるべきことをやらなければならない。 グッと拳を握りしめ、決意を固める。 今すぐにでもネイトを助けに行きたいところだが、今はその時ではないのだろう。 カナタが何も言ってこないところを見ると、間違いなさそうだ。 ヤキモキするが、一人で突っ走ったところで何にもならない。 「さて、アカツキ。おまえは初対面だと思うから、紹介しとこう」 「…………!!」 不意に、カナタが傍に控える女性を手で指し示した。 燃える炎のような赤い髪を短く切り揃え、ラフな服装をしている。 美人と呼んでも差し支えないほどに鼻筋は通っているが、全体的に野性味に溢れた雰囲気をまとっている。 腰にモンスターボールを下げているところからして、ポケモントレーナーだろう。 それも、腕の立つ……ただ立っているだけに見えても、構えに隙がない。 格闘道場に通い詰めていたアカツキだからこそ、彼女の立ち居振る舞いで力量をおおよそ察することができる。 彼女は無表情で、アカツキにじっと視線を向けてきた。 特に何を言うわけでもないが、むしろ無言の圧力をかけてきているようにさえ感じられる。 アカツキが彼女に何を感じているのかなど知ったことではないと言わんばかりに、カナタが紹介してきた。 「彼女はチナツ。俺やアズサと同じでネイゼルリーグ四天王の一人だ。 今まではあちこち飛び回ってたけど、表立って行動してもらうことになった」 「チナツよ。キミのことはカナタやサラから聞いてるわ。 まあ、彼女が褒めてた割には、ずいぶん脆いトコもあるみたいだけどね……まあ、足手まといにならないように頑張ってちょうだいね」 女性――チナツは棘の生えた言葉を吐くと、おもむろに手など差し出してきた。 アカツキはじっと彼女の細い手を見ていたが、ゆっくりとその手を握りしめた。 「あ、はい……よろしく」 初対面の割にはずいぶんと容赦のない物言いだが、それも彼女がアカツキに期待しているからだろう。 口では悪ぶっていても、本心は優しい人に違いない。 アカツキはそう思い、喉元まで込み上げていた言葉を飲み下した。 「まあ、普段はこんなヤツじゃないからさ。あんまり構えないでやってくれ」 「うん」 カナタがさり気なくフォローを入れたが、チナツはまったく意に介していなかった。 確かに、普段の彼女はそんなに棘の生えた言葉を吐いたりはしない。 彼女なりに、アカツキが立ち直るのに時間がかかりすぎていると、今までヤキモキしていたのだ。 その不満が少し表に出たとしても、それはそれで仕方がないことだろう。 アカツキもなんとなくそう思っていたから、何も言わなかった。事実であるがゆえに、認めることしかできなかったからだ。 「さて……アカツキも立ち直ってくれたことだし、これで次のステップに進められる」 「次のステップって? ネイトを助けるってことか?」 「まあな」 カナタは口の端を吊り上げながらも、アカツキの肩をそっと叩いた。 一刻も早くネイトを助けたいと思う気持ちは分かるが、焦ったところで解決する問題ではない……と暗に言っているのだ。 「まあ、おまえが立ち直ろうと立ち直るまいと、時期が来れば次のステップに移ろうと思ってたんだよ。 俺たちからすりゃ結果オーライってトコで助かるんだけどな」 「……むー、なんか複雑……」 「ま、そう言うな。立ち直ってくれた方がいいに決まってんだから」 結果論で話をするのはあまり好きではないが、彼が戦線に復帰したことは素直に喜ばしい事だと思っている。 眉根を寄せ、不満げに頬を膨らませるアカツキを慰め、カナタは続けた。 「今、サラがソフィア団を追い込むために準備をしているところだ。 あいつの話だと、その準備は明日に終わるらしい。 俺たちがあいつらのアジトに乗り込むのは明後日を予定している」 「明後日……」 彼の言葉に、アカツキの顔から表情が消えた。 自分の知らないところで、事態は着々と進行していたのだ。 今まで散々置いてきぼりを食らってしまったが、また事態の渦中に飛び込まなければならない。 中心にソフィア団が……ネイトを連れ去ったシンラがいるのだから、嫌でも飛び込まざるを得ないところだ。 カナタの話では、サラを頂点とするネイゼルリーグ四天王とフォース団が手を組んで、ソフィア団の掃討作戦に打って出るらしい。 敵の敵は味方……というわけではないが、サラはハツネ率いるフォース団を共闘の相手(パートナー)に選んだ。 彼女なりに思うところがあったのだろうと、アカツキは素直に納得した。 ハツネは歯に衣着せぬ物言いが特徴の大人の女性で、何を考えているのか分からない恐ろしさもまた秘めていた。 だが、アカツキが見た限り、彼女は素直に信じて良さそうだった。 腹の中に蛇でも飼っていそうだが、それを他人への威嚇には使わない。 力でこの地方を支配しようと目論んでいると言われる組織の頭領にしては、ずいぶんとおとなしい。 サラが彼女と組んだのはいいとしよう。 それよりもアカツキが気にしていたのは、明後日にはソフィア団のアジトに攻め込むということだった。 すでに賽は投げられた。 明後日になれば、ネイトを助けに行ける。 思いのほか早いと喜べる半面、明後日までにソフィア団のエージェントと渡り合えるだけの実力をつけなければならないという焦りもあった。 シンラには勝てないにしても、ソウタとヨウヤのようなエージェント相手にまともに戦えないようでは、 それこそただの足手まといになってしまうだろう。 それでは、自分たちの手でネイトを助け出すことなんでてきるはずもない。 「明後日か……ガンバんなきゃな。今よりもっと強くなってなきゃ」 今すぐに強くなれるわけではないが、何もしないわけにはいかない。 でも、やるべきことは山のように積みあがっている。 どれからやるなんてのは言いっこなしだ。 一つ一つやっていくしかない。 そう思い、アカツキはピタリと寄り添うポケモンたちを振り仰いだ。 「よし、みんな、特訓だ!! オレたちの手でネイトを助け出すために、強くなろうっ!!」 言い出そうとした矢先、カナタが先に言葉をかけてきた。 「おまえも作戦には参加してもらうよ。 ネイトを助けたいんだろ? だったら、おまえが行かなきゃな」 「うん、もちろんさ!!」 「俺が特訓に付き合ってやるよ。おまえのポケモンをみっちり鍛え上げてやる」 「うわー、ありがとう!!」 カナタはアカツキがネイトを助けたいと強く想っていることを察し、自ら特訓の相手を買って出てくれた。 準備の方はサラやハツネが着々と進めているだろうし、ソフィア団のアジトの位置も分かっている。 ネイティオを忘れられた森に偵察に出し、アジトを割り出していた。 すでにその位置をサラに伝えているし、作戦決行の当日までは、特にやることもない。 ゆっくり休むのもいいが、それよりは前途有望なトレーナーのために時間を費やそう。 これでも、カナタはアカツキのことを気に入っているのだ。 「さて、そうと決まれば……」 特訓すると決まったからには、一刻も惜しい。 カナタがアカツキと彼のポケモンたちを引き連れて外に出ようとした時、扉が開いた。 思わずぶつかりそうになり、二人して足を止め――部屋に入ってきた女性を見て、揃って驚愕の表情を浮かべる。 「お!? ハツネじゃないか。どうしたんだよ、いきなり。 ここに来るんだったら前もって連絡くらい入れてくれよな。ビックリするじゃん」 平静を装いつつも、カナタの声は震えていた。 まさかこのタイミングでハツネがやってくるとは思ってもいなかったのだろう。 だが、当のハツネは無表情で、事も無げに言ってのけた。 「作戦決行に当たって、あんたたちに話しておきたいことがあってね……特に、アカツキ。 あんたに対して、だ」 「え……オレ?」 「そう、あんただよ。これはサラの意向でもある」 「サラさんの……」 開け放たれた扉を脇に、廊下に出すまいと立ちはだかるハツネ。 さすがに彼女を押し退けて外に出て行こうという気はなかったし、何よりもサラの意向というところが引っかかった。 純粋に尊敬できる人が考えているのだから、きっと何か意味のあることなのだろう。 トウヤ、ミライ、チナツの三人は興味深げな表情で耳を欹ててきた。 作戦決行に当たり……という件で、自分たちも対象に入っていると思ったからだ。 アカツキは半ば興味本位で聞き入っている三人のことなど気にせず、ハツネの顔をまっすぐ見やった。 いろいろと準備が大変だったらしく、彼女は以前会った時よりも少しやつれているように思えた。 だが、初めて出会った時に見せた、瞳の奥に潜む鋭さはまるで衰えていなかった。 それだけ真剣にサラと話し合ったということか……そんなことを思いながら、彼女の言葉を待つ。 「とりあえず、あたしらフォース団とネイゼルリーグの四天王が手を組む。 あと、トウヤって言ったっけ。あんたもロータスとかいうポケモンを使いこなせるみたいだから、頭数には入れとくよ」 「……おおきに」 抑揚のない声音だったが、それでもトウヤはグサリと胸に突き刺さるような鋭さを感じ取ったのだろう。 一瞬、渋面になりながらも小さく頷いた。 ハツネが言うところによると、ソフィア団を摘発する作戦のために、ネイゼルリーグ四天王を総動員するらしい。 ソフィア団に属するトレーナー……特に総帥シンラと、彼の部下であるエージェント――ソウタとヨウヤなどは、 並大抵のトレーナーでは歯が立たないほど強力なポケモンを繰り出してくる。 本気でやるのなら、四天王を総動員しなければならないだろう。 それに、ハツネとトウヤ。 トウヤは彼自身の実力もある程度評価されているのだろうが、口調から察するに、ロータスに期待している部分が大きいようだ。 しかし…… アカツキは自分の名前が出てこないことを不審に思い、あえて訊ねた。 「なあ、オレは?」 「あんた? それをこれから話すんだよ」 せっかちだね、と言いたげに鼻を鳴らす。 ハツネにしてみれば、サラの意向を伝えるのだろうから、アカツキがどう思おうと知ったことではないのだろう。 アカツキは頬を膨らませたかったが、からかわれるだけだと思って、代わりに拳をグッと握りしめて感情を抑え込んだ。 そんな男の子をじっと見据えながら、ハツネは言った。 「ネイゼルカップに出場できるだけの実力がないんじゃ論外だよ。 そこんとこが最低ラインさ。 さて……今のあんたはネイゼルカップに出場できるだけの実力を持ってる?」 「それは……」 彼女の言葉は、アカツキの胸中で雷のように轟音を立てて弾けた。 ネイゼルカップに出られるだけの実力がなければ、戦力としては数えない。 直接は言わなくても、ソフィア団が摘発されるところを、指をくわえて見ていろ、ということくらいはアカツキにだって分かった。 ネイトを自分の手で助けることができないのだ。 それはアカツキにとって最大の屈辱だった。 自分たちの手でこそ、ネイトを救い出さなければならないのに、そうすることさえできないのだと、現実を突きつけられた。 せっかく立ち直ったのに、これでは何のために立ち直ったのか分からなくなる。 もっとも、落ち込んだままの方がいいだなんて、冗談でも思えなかったが。 俯き加減になるアカツキの丸まった背中を見て、さすがにミライたちも興味本位というところからは脱した。 「ちょっと!! そんな言い方しなくてもいいじゃない!!」 「ん?」 突然声を荒げたのはミライだった。 眉など十時十分よりも鋭角に吊り上がり、犬歯を剥き出しにしてハツネを睨みつけている。 これで「ぐるるる……」と唸っていれば、本気で犬に見えてくるところだ。 ハツネは表情一つ変えず、肩のみならず気持ちまで本気で怒らせているミライを見やった。 「アカツキだって一生懸命頑張ってきたんだよ!? それなのに、そんな言い方しなくたって……」 「事実だろ? それともなに、何も言わずにほいほい連れてった挙句、足手まといになって見なくてもいいようなモノでも見た方がいいってことかい?」 「……!! でも、アカツキはネイトを助けたいって思ってるんだよ!?」 「それが、何? 気持ちだけでどうにかなるほど、世の中甘くないんだよ。子供にゃ分かんないと思うけどね」 「…………」 事も無げに、見事に切り返されて、ミライは沈黙するしかなかった。 さすがはフォース団の頭領である。 相手の心理状態を的確に読み取り、手早く黙らせる。権謀術数にも優れた策士なのだ。 先ほどまでの勇ましさはどこへやら、ミライはアカツキ以上に俯いてしまった。 彼を援護するつもりが、逆に丸め込まれてしまったのだから、落ち込むのも無理はないのだが…… 逆に、それがかえってアカツキに現実を突きつけることになった。 しかし、一度落ちるところまで落ちた彼は、この程度の現実で奈落の底まで突き落とされるようなことはなかった。 ゆっくりと顔を上げ、まったく表情を変えていないハツネを見据えて言葉を返す。 「オレ、まだネイゼルカップに出られるだけの実力はないからな……そりゃ、しょうがないこととは思うけどさ。 でも、だからって何にもせずに終われるかよ…… ネイトはオレたちが助けるんだって決めたんだ。何もしないまま、指くわえて見てるなんてできっこねえだろ!!」 ありったけの想いを振り絞り、叩きつけるように叫ぶ。 ポケモンたちも「そうだ」と言わんばかりに頷き、ハツネを睨みつける。 どんな形であれ、自分たちのトレーナーをバカにするヤツは許さないと主張しているかのようだ。 優れたポケモントレーナーであるハツネには、ポケモンたちの気持ちがそれなりに理解できた。 だが、それとこれとは話が違う。 ごっちゃにして考えて大局を見失っていては、それこそ目にも当てられない。 そこのところは、さすがに指導者としての考えに基づいていた。 私情を挟まず、現状を見据えた考えという意味では確かに正しい判断だ。 ハツネはしばし、言葉を返さずにアカツキをじっと見つめていたが、やがて観念したのか、ふっと小さく息をついた。 「サラの言った通りだね。そうやって突っかかってくると思ったよ」 「……? どういうことだ?」 何か意図してそんなことを言ったのかと、アカツキは険しい表情のまま、首を傾げた。 どうにもこの女性の真意を読めない。 子供に心の奥底を読まれるようでは、組織の頂点になど立てまい。 トップというのは得てして、そういう存在である。 「別に、あんたを連れてかないなんて、一言も言ってないだろ? 何を勘違いしたのかは知らないけどさ」 「え、それじゃあ……」 「先に言っとくけど、今のあんたなら連れてかないって話だよ。 さっきも話しただろ? ネイゼルカップに出られないようなヤツを連れてったって足手まといにしかなんないんだから」 ハツネに言わせれば、言葉をすべて聞かないうちに勝手に考えて突っかかってきただけだ。 自業自得だが、そのままにしておくのも味気が悪い。 救いの手を差し伸べるなどと気取るつもりは毛頭ないが、それでもサラの名代としてここに来ている以上、彼女の意は伝えねばなるまい。 アカツキとミライは呆気に取られたような表情を見せていたが、残り三人は苦笑していた。 食えない女だと思いつつ、勝手に突っ走って落とし穴にハメられた二人を見るのも一興だった。 殊勝な趣味だが、まあそれはともかく…… 「じゃあ、今よりももっと強くなりゃいいんだな? 明後日までに、ネイゼルカップに出られるくらい……」 「そういうこと。でも、簡単なことじゃないよ?」 「分かってる。 でも、ネイトを助けるのはもっと難しいんだ。それくらい、簡単にやってみせるさ」 「ま、いいけどね……」 アカツキの心に、激しい闘志の炎が宿った。 ネイゼルカップに出られるだけの実力を身につけるよりも、ネイトを助け出す方がずっと難しいに決まっている。 だったら、それくらい簡単にできなくてどうすると言うのか。 トレーナーのホットな気持ちに触発されて、ポケモンたちのトーンもグッとアップする。 アカツキたちがやる気になっているのを見て、カナタが笑顔で言葉をかけた。 「なあ……おまえ、気づいてないと思うから先に言っとくけど。 サラはどっちにしたっておまえを連れてくつもりでいるんだぞ? こいつが意地悪な言葉かけてるだけで」 「でも、オレたちが強くなんなきゃいけないってことは変わんないだろ?」 「まあ、そりゃそうだ。 ネイゼルカップに出られるだけの実力って、何のことを言うと思う? ……簡単だ。リーグバッジを四つゲットしろってことさ。 短期間に少しでもレベルアップするんだったら、ジム戦が一番だからな」 「……最初からそう言ってくれればいいのに」 さすがに、そこまでは気づけなかった。 せっかくやる気に燃えていたのに、冷水をぶっかけられたように熱が冷める。 最初からそう言ってくれれば良かったのに、どうして目の前の食えない女は変な言い回しを好むのか……そういう性分なのだろう。 しかし、ネイゼルカップの出場権を得ればいいのであれば、それほど難しいわけでもない。 少し考えただけで、今、何をすべきなのかが自ずと見えてくる。 「オレ、三つ持ってるから、あと一つゲットすりゃいいんだ。 残ってるのは……ウィンジムか。 でも、今からじゃいくらなんでも間に合わないし……ラシールじゃ、オレを運んでいけないよな……?」 「シシシ……?」 いくらなんでも、ラシールではアカツキをウィンシティまで運ぶのは無理だろう。 レイクタウンからウィンシティまでは、徒歩で四日かかる。 途中に砂漠や森などはないが、その分道のりは長めなのだ。 明後日に作戦を決行するというのに、いくらなんでも普通に行ったのでは間に合わない。 誰か、空を飛べるポケモンを持っていれば、借りていけばいいのだが…… ネイゼルカップの出場権にリーチをかけた状態なのだから、ウィンジムのジムリーダーに勝利するだけでいい。 しかし、ネイゼルカップ出場にはもう一つの条件がある。 ウィンジムを制覇すればいいと思って浮かれているアカツキは気づいていないようだったので、カナタがこっそりと言った。 「あのさ……おまえ、六体ポケモンを持ってないだろ?」 「あーっ、そうだったーっ!!」 ボソリと横槍を入れられ、アカツキは素っ頓狂な声で叫んだ。 そう、すっかり忘れていた。 ネイゼルカップの決勝は六体のポケモンを使ったフルバトルであるため、最低でも六体以上のポケモンをゲットしていなければならないのだ。 もっとも、本気でリーグ制覇を考えているトレーナーは、バランスの良いチームを作るべくポケモンを多くゲットしているので、 そんな条件などほとんど眼中になかったりするのだが…… まあ、アカツキは旅立って二月も経っていないのだから、六体集まっていなかったとしても不思議はない。 「ど、どうしよう……」 アカツキはリータたちを見やった。 ネイトは数に含めてもいいのだろうが、あと一体足りない。 どんなポケモンでもいいというわけではないのだから、なおさら慎重に考えなければならない。 なんだか成り行きで一緒についていくことになったポケモンが多いだけに、 ポケモンをゲットするという感覚が薄れていたのもまた事実だった。 救いを求めるような眼差しで見つめられ、リータたちも困惑していた。 「べ、ベイ……?」 どうしたの、と声をかけてみるが、その声はどうやら届いていないらしい。 「んー、誰をゲットしようかな……?」 できれば、即戦力となるポケモンがいいだろう。 いくら慌てふためいていても、そういったことを考えつくだけの余裕は残っていたのかもしれない。 ジム戦か、新しいポケモンをゲットすることか。 どちらが先でも行きつく場所は同じだが、どうせなら先にポケモンをゲットしておきたいと考えるのが普通だ。 アカツキは頭を抱えて唸っていたが、思わぬところからヒントが転がってきた。 「なんだか楽しそうなトコ悪いんだけどさ」 「楽しくなんてないってば!!」 「まあ、いいじゃないか。見てる方からしたら結構楽しいし」 アカツキが悩んでいるのを見て、ハツネが笑いながら声をかけてきた。 本人にしてみればかなり深刻なのだろうが、周りから見ればコメディータッチで笑えてくる情景だったのだ。 思わず涙目になるアカツキの前で手をパタパタと振って、ハツネは言った。 「だいたい、移動手段なんてのは、どこにでも転がってんだから、そんなんで悩んでんじゃないよ。 それはそうと、ディザースシティに向かう途中には砂漠が広がってるだろ? 実在してるか分かんないけど、あの砂漠にゃフライゴンが棲んでるんだってさ。 ドラゴンと地面タイプを併せ持つ、どっちかといったら強いポケモンだね。 どうせゲットするんだったら、それくらいの大物狙わなきゃいけないよ」 「でも、いるかどうか分からないんだろ? 確かにウワサならいくらでも聞くが、実際に見たヤツの話なんて、聞いたことないぞ」 彼女の言葉に、カナタが懐疑的な意見を述べた。 ウワサと現実は違うのだ。 少なくとも、彼の知る限りでは蜃気楼のように存在していないのだ。 しかし…… 「ん、待てよ……?」 今まで耳にしてきたウワサなどの情報を頭の中でまとめるうち、カナタはとあることに気づいた。 同時に、アカツキとミライがどちらともなく顔を見合わせる。 「ねえ、アカツキ。フライゴンって、あの時に見たポケモンよね?」 「うん。オレたちのこと、助けてくれたよな」 「そう、それだ!! そいつだ!!」 二人の言葉を受けて、合点が行ったように手をポンと叩くカナタ。 レイクタウンでの感謝祭が終わり、ディザースシティへ向かっている途中、アカツキとミライがフライゴンに遭遇したのだ。 もっとも、遭遇というよりは、ノクタスの群れに襲われていたところを助けられただけだが、確かにフライゴンと出会った。 あれは幻などではない。現実だ。 「へえ、ホントにいたんだ」 アカツキたちの反応を見て、ハツネは眉を上下させた。 まさか実在しているとは思わなかったからだ。 とはいえ、彼女の手持ちは屈強なポケモンで固められている。 種族的に強い方と言われているフライゴンでも、今さら手持ちに加えようなどとは思わない。 「そっか、フライゴンか……」 アカツキは絶体絶命の危機を救ってくれたフライゴンの勇姿を思い返していた。 数で圧倒的に上回るノクタスたちの群れを、砂嵐一発でなぎ倒してしまったのだ。 並大抵の実力でできる芸当ではない。 ハツネが薦めるだけのことはある。 「そういやあいつ、あの時……」 アカツキはフライゴンと話をした。 一言一句まではさすがに思い出せないが、おおよその内容は記憶していた。 一緒に行かないかと誘ったものの、もっと強くなってから来いと言われ、ゲットを断念したのだ。 ミライは覚えていないらしく、アカツキの顔を見て首を傾げていた。 一連の出来事は強く記憶に残っていても、平穏なところや細部までは記憶に焼きつかなかったらしい。 「今のオレなら、あいつをゲットできるかなあ……?」 少なくとも、あの時よりは強くなっているはずだ。自分も、ポケモンたちも。 ノクタスたちを一撃でなぎ倒す、文字通り、暴風を思わせる強さ。 今、砂漠に赴いたところで姿を現してくれるかは分からないが、 強いフライゴンを手持ちに加えることができれば、戦力の大幅なアップが望める。 夜になればノクタスが出てくることもあるため危険だが、ネイトを助けるためには力が要る。四の五の言っていられる状況ではない。 「よし、今のオレたちの力、見せてやる!!」 こうなったら、何がなにでもフライゴンをゲットしてやる。 アカツキはグッと拳を握りしめた。 「ハツネさん、オレ、フライゴンをゲットしてみる」 「まあ、頑張んなよ。やるからにはゲットしてもらった方が、こっちとしてもいろいろ助かるからね」 「せやったら、移動手段は俺が確保したるわ」 二人の言葉を受けて、名乗りを上げたのはトウヤだ。 腰のモンスターボールを一つ手に取って、人差し指の先端でクルクルと器用に回転させてみせる。 「そっか、ロータスがいたんだっけ」 アカツキは今さらながら、ロータス……トウヤがサラから借りたメタグロスがいることに気づいた。 ここ数日、ゴタゴタしすぎてなにがなんだかよく分からなくなっていたが。 メタグロスという種族のポケモンは、進化前のダンバル、メタング同様、 血液の代わりに体内を巡る磁力と地磁気を反発させることで空を飛ぶことができるのだ。 速度もそれなりにあるらしく、鳥ポケモンほどの移動速度は期待できないとしても、徒歩で行くよりはずっと時間を短縮できるはずだ。 「そや。俺もたまにはおまえの役に立たなあかんからな。 サラからロータス借りた意味、あらせえへん」 トウヤは得意気に微笑み、頭上に弾き上げたロータスのボールをさらうようにつかみ取った。 彼がそう思うのには理由があった。 四日前、ソフィア団が各地で一斉に騒ぎを起こした時…… ソフィア団総帥・シンラは部下が引き起こした騒ぎに乗じて、アカツキのネイトを奪い去った。 見え透いた陽動にまんまと引っかかり、サラから借りた最強クラスの実力者であるロータスを活躍させることができなかった。 もちろん、それは相手の策を見抜けなかったカナタたちの責任だが、トウヤとて何の責任も感じていないわけではなかった。 ヒビキに頼まれたのがキッカケとはいえ、アカツキと共に旅を続けるうち、トウヤは自分でも不思議に思うくらい、彼に気を許していた。 時に声を荒げて叱りつけることもあったが、それも深く物事を考えずに行動しようとする無鉄砲な男の子の身を案じてのことだ。 トウヤは、アカツキが目の前で大切な存在を奪われたのを、自分の責任とさえ思っていた。 保護者を気取っていながら、肝心な時にその役目を果たせなかったのだから。 その日から今まで、トウヤはトレーナーとしての力量を高めるためだけに時間を費やしてきた。 歳の近いアラタやキョウコを相手に、三つ巴のバトルロイヤルで、トレーナーの力量と、ポケモンの実力を高めた。 同じような気持ちを抱いている者同士ということもあって、自然と競争心が煽られるらしく、三人の実力はこの数日でグッと上がった。 今こそ、アカツキの役に立とう……保護者としての責任を果たす時だ。 だから、トウヤは自ら名乗りを上げた。 今まで重ねてきた努力を無駄にしないためにも、できることをやっていくしかない。 「…………」 トウヤはいつものように気のいい少年を装っていたが、アカツキは彼が瞳の奥に秘めた強い決意を感じ取っていた。 彼がこの数日間、何をしていたのかは分からないが、きっと、努力を重ねてきたのだろう。 「うん、それじゃあお願い。 でも、バトルはオレがやるから手出しするなよ」 「分かっとるって。俺もそこまで面倒見ぃへんよ」 「よしっ、それじゃあ行こう!!」 「おう、任せとき!!」 移動手段も確保できたということで、アカツキはポケモンたちをモンスターボールに戻した。 ミライがそっと手渡してくれた荷物を手に、トウヤと共に部屋を飛び出していった。 今も断続的に絨毯爆撃にも似た轟音(アラタとキョウコのバトルで生じたミュージックである)が聴こえてくる。 アカツキもトウヤもそんなことは気にすることなく、廊下を颯爽と駆け抜けていた。 「フライゴン、待ってろよ〜。オレが絶対にゲットしてやるぜっ!!」 Side 2 アカツキとトウヤがロータスの背に乗って颯爽と飛び出していくのを見届けると、 ハツネは自身のために取った部屋のベッドに腰を下ろし、電話をかけた。 今、作戦の最終チェックを行っているであろうサラが相手だ。 携帯電話を耳に宛がうと、タイミングを計ったように繋がった。 「サラ。あんたの言ったとおりになったよ。 あんた、あたしがどう言おうと、最初からあの子を連れてくつもりだったんだろ?」 名乗りもせず、ズケズケと意見を述べるが、サラはそれほど気に留めていなかったようだ。 当たり前だと言わんばかりの口調で返してくる。 『そうだよ。 ネイトはあの子自身の手で助け出してほしいから。 ポケモントレーナーとしての責任だよ。ハツネ、キミのことだから結構きつく言ったんじゃないの? でも、ぼくの言うとおりになったって言うんだったら、あの子はぼくが思っている以上に強いってことだよ』 「まあ、そうかもね」 受け答えをしながら、ベッドに仰向けに倒れこむ。 シーツの柔らかさと、少し冷たい感触がなんだかクセになってしまいそうだ。 「もっとも、そんなのあたしの知ったことじゃないけどね。 どうせなら戦力は一人でも多いに越したことはないよ。子供だろうと大人だろうと、戦う意欲のあるヤツは欲しいところさ」 『そんなことを言って……でも、キミだって本当はうれしいんじゃないのかい?』 「さあ、どうだろうね」 サラが苦笑しながら言うと、ハツネも小さく笑った。 確かにその通りだと思うところはあるが、そんなに気にするほどのことでもない。 自分で選んだ道だ。誰がちょっかいを出してこようと、目的は必ず果たす。それだけのこと。 ハツネの口調に意志の強さを感じ取ったのか、サラは本題に入った。 『こっちは順調だよ。 ソフィア団の妨害がないところを見ると、今頃は全力でアジトを防衛しながら、ルカリオを手に入れようとしてるんだろうね』 「もうゲットしちゃってるかもしれないけどね。まあ、その時はその時で、アグニートに相手をさせればいい。 元は、そのための布石としてゲットしたんだから」 『アカツキは間に合いそうかい?』 「あんたがロータスってポケモンを貸したんだろ? だったら心配することでもないと思うけどね」 どこか心配するような声音に、ハツネは意地悪な言葉を突きつけた。 「それとも、あんたはあんたの旦那が託してくれたポケモン……いや、旦那を信じてやれないとか?」 『冗談。あの人はぼくの最高の伴侶だよ』 「……ま、そうだろうね」 自分でも意地悪だと思うのだから、相当にスパイスを塗したきつい言葉だったらしい。 しかし、サラは動じなかった。 あれこれ忙しい割には、平常心を保ち続けている。 さすがは、百の役人にも勝る実務能力の持ち主といったところか。 素直に賞賛したいところだが、おべっか使いだと思われるのも癪である。 さて、どうしたものか…… ハツネは舌の上で次に出すべき言葉を転がしていた。 何を言っても、答えは決まっていそうな気がするが、 「あんたの方は間に合いそうかい? 四天王の召集はできたみたいだけど」 『まあね。アズサとギランを明日中にそちらに向かわせるよ。 あと、あの人とも接触できたからね。一緒に向かわせる』 「……? もしかして、それって……」 サラが発した『あの人』という単語に、ハツネは思わず飛び起きた。 ちょっとのことでは驚かない図太さが自慢の彼女でさえ、驚きを隠しきれなかった。 見開いた目や、引きつった表情。 誰にもそれを見られなかったのが不幸中の幸いだっただろうが、サラには動揺の雰囲気が伝わってしまっただろう。 隠そうと繕うのもバカバカしく思えて、ハツネは観念した。 そんなことでさえ気にしてしまうのは、相手が一筋縄では行かないと分かっているからだろうか。 「……でも、大丈夫なのかねえ? 四天王がいるとはいえ、修羅場になりそうな気がするけど…… どこで接触したのかは、あえて聞かないことにするよ。 あたしだって総力上げて捜したのに、見つからなかったんだ。方法が分かったら、なんか悔しいからね」 サラが捜し出した人物は、確かに事態の打開に必要な情報を握っている。 どういう理由で野に下ったのかは分からないが、またとない好機であることに変わりはない。 ただ、懸念があるとしたら…… ハツネと同じことを考えているのか、サラは彼女が切り出す前に先に言葉をかけてきた。 『修羅場になっても、それが必要だから向かわせるだけだよ。 もっとも、キミの話を聞いた限りじゃあ、その心配もなさそうだけどね。 さて、キミが懸念として考えていることは確かにあるんだけど、それは相手が用済みと判断したから放っているだけ。 高を括っているだなんて余裕があるワケじゃないんだよ。 ただ、こちらとしても使えるものがあるなら使う。適材適所ってヤツさ。 ……自分でも、苦しい弁明だってことは分かってるんだけど』 「そうかい…… あんたがそこまで言うんだったら、それでいいんじゃないのかい?」 なるほど、こちらがそう考えているのもお見通しということか。 苦しい弁明ではあるが、事態の打開に必要だと言うなら、それはそれで仕方がない。 サラも、特に隠す気はない。 ハツネを味方として信頼している、ということだろう。 先にカードを突きつけられたような気分だが、それも仕方がない。 目的が共通している以上は、互いに隠し事をしていても意味がない。 ……とはいえ、思っている以上に準備は整っていると見るべきだろう。 これなら、あるいは…… ハツネが腹の奥底で打算を働かせていると、出し抜けにサラの声が耳に響いた。 『キミにはつまらないことばかりで申し訳ないけど、ぼくと同じことをさせるわけにはいかないから、 そこのところの事情は分かってもらえるとありがたいんだけど』 「そりゃあ、そうさ。 あたしがポケモンリーグなんて堅ッ苦しい組織に合わないことくらい分かりきってるだろ。 あんたじゃなきゃできないことを、あんたは今やってんだ。 そんなつまんないこと、今言うことじゃないだろ」 『まあ、確かに』 「……あたしからかけといて言うのもなんだけど、そろそろ休むから切るよ。 慣れないことはやるモンじゃないね。疲れるよ」 『ぼくの方も、そろそろ詰めの段階だからね。 お互い、納得の行くように時間を過ごそうか。それじゃあ……』 「ああ、それじゃあね」 互いに、これ以上の会話に脈を探るのは無理だと判断したということか。 ハツネは電話を切ると、携帯を握りしめたまま再び仰向けに倒れ込んだ。 「でもまあ、もうちょっとでこんなバカげたことも終わるんだ…… 少しくらいガマンしてやんなきゃいけないか。 まったく、慣れないことなんて、これから先はゴメンだね」 愚痴以上の意味はなさそうな言葉を口にして、目を閉じた。 最近は、ソフィア団と抗争を繰り広げていた頃以上に動き回っているせいか、なんだか疲れた。 ドクン、ドクンという心音が十回聞こえる前に、彼女の意識は音もなく滲み寄ってきた睡魔に飲み込まれた。 To Be Continued...