シャイニング・ブレイブ 第15章 心、ひとつに…… -Be as one-(後編) Side 5 ポケモンセンターに到着したアカツキは、リータとフライゴンのボールをジョーイに預け、 トウヤと共にロビーの隅っこの方にある長椅子に腰を下ろした。 「ふう……」 やるべきことを一つ成し遂げたという安心感からか、座り込むなりアカツキが深々とため息をつく。 「疲れたんか?」 「うん、まあね」 トウヤがさり気なく気を遣うと、アカツキはニコッと微笑を返した。 炎天下の砂漠を歩き回り、あまつさえフライゴンと激しいバトルを繰り広げたのだ。 普通の大人よりは体力のあるアカツキでさえ疲れたと言うのだから、トウヤなど言葉にできないほどの疲労感に蝕まれているに違いない。 それでも、精一杯頑張った男の子を労うだけの心の余裕は残っていたようだ。 「せやけど、おまえはホンマ良う頑張った思うで」 「そうかなあ? オレはやんなきゃいけないことをやるだけだし、ガンバるとかガンバらないとか、そういう問題じゃないと思うんだけどな」 「ん……そーいうトコを『頑張った』言うんや」 ロビーを満たす涼風に、トウヤの顔にも笑みが浮かぶ。 とはいえ、アカツキの反応は予想以上に乏しかった。 褒められれば素直に喜ぶと思ったのに、どこか悲しげな笑みを浮かべて頭を振っていた。 本当に傍にいて欲しい存在が傍にいないからこそ、十二歳の男の子であるにもかかわらず、そんな翳りを見せているのだろう。 痛々しいと言ってしまえばそれまでだが…… それでも、アカツキは前向きに頑張っていこうとしているのだ。無粋な言葉で彼の道を妨げるべきではない。 その代わり、リータとフライゴンの回復が終わるまでの間、いろいろと聞かせてもらうとしよう。 すぐ後ろの窓越しに砂漠の殺風景な景色に目を向けるアカツキの視線を追いかけながら、訊ねてみた。 「なあ、アカツキ。 ちっと気になることがあるんやけど、聞いてええか?」 「なに? 別にいいよ。どんなことでもジャンジャン聞いちゃって」 「ほな、言葉に甘えさせてもらうで。 おまえ、今日まで何日もリータや他のみんなに会わへんかったやろ? おまえのことやから、あいつらのこと、気にしとったはずや。 いつだって、会いに行こう思うたら、行けたんやないか? それやのに、なんで会いに行ってやらんかったん?」 「んー……」 鋭い指摘に、アカツキは渋面になりながらも、彼に視線を向けようとはしなかった。 今は外の景色を見て、フライゴンとのバトルで火照った気持ちを落ち着けたいと思っているのだろうか。 それならそれでいいと、トウヤも特に「こっちを見ぃ!!」とは言わなかった。 アカツキもアカツキで、聞かれて困るようなことなどないと思っていたが…… トウヤが思いのほか鋭い指摘をしてくるものだから、どう答えようかと戸惑ってしまった。 いつもの彼なら、それくらいの指摘はするだろうが、何日か離れていたせいか。 その上、自分自身の弱さを克服するという明確な目的意識で頭の中が占領されていたせいで、 他人のことなどいつの間にやら完全に思考の外にはみ出ていたらしい。 笑うに笑えないジョークのようなものだったが、アカツキは真剣に答えを導き出していた。 「だってさあ……」 言い訳じみた一節から始まりながらも、男の子の答えはとても力強いものだった。 「みんなだってガンバってるのに、オレが先に会いに行くわけには行かないじゃん。 だいたい、リータを傷つけちまったんだから合わせる顔だってなかったし。 でも、だからオレがもっと強くなって、 みんなと一緒にこれからもガンバっていいって言ってもらえるくらいになってからじゃなきゃ、行っちゃいけないような気がしたんだ。 つまんない言い訳で、大事な仲間を傷つけちゃってさ……そんなの、もう嫌だから。 みんなでネイトを助けるんだから、誰よりもオレがまず強くなんなきゃいけないって思ったんだよ。 ……なんか、みんなをほったらかしにしちゃったみたいだけど」 「そっか……」 やはり、アカツキにはアカツキなりの想いがあったのだ。 そんなことは聞かなくても分かっていたことだが、改めてその口から、 彼なりの言葉として耳に入れることで、本当に強くなろうと……弱い自分を脱ぎ捨てようとする気持ちの強さを垣間見た。 それに……いつの間にか、こんなにも頼もしくなっていた。 「まだ、出会って一ヶ月とちょびっとしか経っとらへんのにな…… ホンマ、いろんなことがあったモンな……」 出会った頃は、ちょっと勇敢なところはあったけど、陽気でかしましい男の子だとばかり思っていた。 だが、様々な出来事を乗り越えて、強さを身につけていた。 一ヵ月半だというのに、昔から知り合いだったような気持ちさえ覚えているのは、 それだけ彼と共に過ごした時間をかけがえのないものだと思っているからだ。 今までトウヤは深い人付き合いを避けながら旅を続けてきた。 親しくなっても、どうせすぐに別れてしまうのだからと、半ば無意識に人付き合いを避けるようになっていた。 しかし、今はどうだろう? 一つ一つの出会いを、出会った人と過ごす時間を大事に大事にしようと思える自分がいる。 アカツキと出会うまでは考えたことさえなかっただけに、驚きも一入だった。 「もし、こいつと出会えへんかったら……」 どうなっていただろうかと、トウヤは人知れず空想に耽った。 もし、フォレスタウンに立ち寄っていなかったら…… サラに会うため、ネイゼル地方に入ってまっすぐディザースシティを目指していたら、恐らく今のトウヤはいなかったに違いない。 奇しくも、すぐ隣で外の景色を見ている男の子との出会いが、彼を変えていたのだ。 縁とは異なものと思わずにはいられない。 実は、アカツキも似たようなことを考えていた。 共に過ごすうち、考え方に似通ったものが出てきたのかもしれない。 「もし、ドラップと出会ってなかったら……」 「うん?」 アカツキが小さくつぶやいた一言に、トウヤは知らず知らず落としていた視線を上げた。 昔を懐かしむようでいて、これからの出来事に期待を馳せているようなアカツキの横顔。 トウヤが視線を向けていることに気づいてか、言葉を続けた。 「ドラップと出会ってなかったら、ラシールとアリウスとフライゴンには出会えなかったかもしれないんだよな……」 「……そっか、そやな」 アカツキの言葉に、トウヤは小さく頷いた。 言われてみれば、確かにその通りだった。 アカツキのポケモンは成り行きでついて来ることになったポケモンが多い。 ドラップはアカツキが自力でゲットしたポケモンだから除くとしても、リータ、ラシール、アリウス、そしてフライゴン…… その四体は、ドラップと出会ったからこそ生まれた奇妙な縁によって行動を共にしているのだ。 今にして思えば、不思議だがどこか運命めいたものを感じずにはいられない。 「せやけど、ドラップと出会って一緒に行くことになったから、いろんなことがあったやろ。 ネイトやて……いなくなってしもうたし」 「うん、そうだな……」 「…………どう思うん? ドラップと出会えて良かったって、そう思っとる?」 「当たり前だろ。そんなこといちいち聞かなくたっていいじゃん」 「……すまん」 言い過ぎたか……トウヤは素直に反省した。 いくらなんでも、アカツキに対して言っていい一言ではなかった。 ドラップと出会ったからこそ、ソフィア団から付け狙われるハメになり、シンラによってネイトを奪い去られてしまったのだ。 喜べることもあれば、悲しいこともある。 無神経なことを言ってしまった自分自身を、トウヤは恥じた。 今までは、人付き合いだって上辺だけの社交儀礼で済ませてきたが、そんなことを言ってしまうのも、深く付き合っているからこそだ。 さすがに、トウヤもそこまで恥じるつもりはなかった。 アカツキが、どこか怒りを含ませた口調で返してきたのは、当然だ。 ドラップと出会えたから、他のポケモンとも出会えたのだ。 ネイトを奪われてしまったのは、彼にとっては痛恨の極みに違いない。 だが、辛く悲しい現実を受け止めて、前に進もうとしている男の子に対して、言っていい言葉ではない。 トウヤが反省していると、雰囲気を肌で感じてか、アカツキはフォローするように言った。 「トウヤもオレのこと心配してくれてるんだもんな。 でも、オレはドラップと出会えて良かったと思ってるよ。 ネイトがいなくなっちまったのは悔しいし悲しいけど、 だからってみんなと出会わなけりゃ良かったなんて言っちまったら、何のためにガンバってきたのか分かんなくなっちまうよ。 だから、それだけは考えたくない」 「うん……そやな」 悔しいが、励まされてしまった。 それに…… 「オレ、ネイトがいなくなって初めて分かったんだ。 いつだって傍にいてくれるって思ってたから、いなくなってみると、ホントに寂しいんだなって…… でも、オレにはみんながいる。 みんなと一緒なら、オレはガンバれる。みんなのためにも、絶対ネイトを助け出してやるんだって気持ちになるんだ」 熱のこもった口調。 陽気で人懐っこい男の子なのに、一方では目標のためにまっすぐに突き進んでいこうという強さを持っている。 人は見かけによらないものだと、改めてそう思ってしまう。 しかし、だからこそトウヤは彼と一緒に旅ができて良かったと思っている。 アカツキと、ミライと、トウヤ。 奇妙な縁で出会った三人だが、共に旅を続ける中で、それぞれが刺激し合い、少しずつ変わっていった。 もちろん、いい方向へ。 いつまで一緒に旅ができるのかは分からない。 ただ、そう長くはないのだろう。そう遠い未来ではないのだろう……別れが訪れるのも。 少し寂しく思った。 なぜか、胸がチクリ痛い。 それだけ、共に過ごしてきた日々が輝いていたのだろう。 大切な日々も、いつかは思い出になり、色褪せる。 人が生きる上で、それは避けようのない必然。 それでも…… 「大事にしたい思うんや。俺も、こいつも……せやから……」 今は共通した目的があるから一緒の道を進んでも、やがては別々の道を歩いていくことになる。 いつか話してくれたが、アカツキの夢はポケモンマスターになることだそうだ。 歴史上、ほんの数人しかポケモンマスターと称される存在は認められていない。 長く険しい道のりの中で、100%に近い若人が超えようのない現実という名の壁に直面し、夢をあきらめる。 そうして平凡に生きてゆく者の方が圧倒的に多いが、なぜだろう? 彼なら、本当になれるんじゃないかと思ってしまう。 そう思わせるのはなぜだろう? ……柄にもないことを考えていると、ボールを収めたトレイを手に、ジョーイがやってきた。 「ポケモンの回復が終わりましたよ」 「ありがとう、ジョーイさん!!」 差し出されたトレイからボールを取って、アカツキは元気な声でジョーイに礼を言った。 ハキハキした口調に満足してか、ジョーイはいつもの笑みを少し深めると、カウンターへと戻っていった。 砂漠の中にあるポケモンセンターだけあって、それほど混雑していない。彼女も忙しいと言うほど忙しいわけではないのだろう。 まあ、それはさておき…… 「さ〜て、と」 アカツキはリータのボールだけを腰に差すと、フライゴンのボールを手に持ったまま、席を立った。 「フライゴンと話してみよっかな♪」 「ん、それがええな」 せっかくゲットしたポケモンだ。 新しい仲間のことを少しでも多く知りたいと思うのは当然。 アカツキは期待に輝いた表情で、ポケモンセンターの中庭へと向かった。 トウヤも、フライゴンがどんな性格の持ち主なのか気になっているようで、小走りに彼の後を追いかけた。 カウンターの脇から伸びる短い通路を抜けると、ガラス張りの中庭が広がっている。 砂漠の中にありながらも、様々な植物が生い茂り、池や小川まで備わっている。 まさに砂漠の楽園……オアシスと呼ぶに相応しい景色が広がる。 ロビーや自室で漫然と過ごすよりは、こういった場所でポケモンと触れ合う方がいいと思っているのか、 中庭には数十人のトレーナーがそれぞれのポケモンと共に思い思いの時を過ごしていた。 思いっきり暴れても大丈夫そうな広い場所を探し、アカツキはそこでフライゴンのモンスターボールを思い切り頭上に放り投げた。 「さ、フライゴン、出てこいっ!!」 ドキドキと共に放り投げたボールは頂点で口を開き、中から閃光と共にフライゴンが飛び出してきた。 「ごぉぉん……」 地面に降り立ったフライゴン。 翼を広げた勇姿と見比べると、竜というよりも優雅な鳥のようにさえ見えてくる。 それもまた、フライゴンという種族の魅力なのだろう。 そんなことを思いながら、アカツキは今しがたゲットした新しい仲間に声をかけた。 もちろん、ニコニコ笑顔で。 「よっ、フライゴン。モンスターボールの居心地はどうだ?」 「ごぉん」 フライゴンは彼(あるいは彼女?)にできる限りの笑みを浮かべながら、首肯した。 どうやら、アカツキをトレーナーとして認めているようである。 アカツキがポケモンと心を通わせる天才だと知っているトウヤは、二人のやり取りを見てもさして驚かなかった。 「そっか。キミってモンスターボールの中に一度も入ったことないんだよな。 でも、居心地がいいんだったら、それでいいんだ。 まあ、これからよろしく頼むぜ」 先ほどまでは死力を尽くして戦った相手も、今は大切な仲間だ。 アカツキは言うまでもなく、フライゴンも先ほどのバトルでアカツキのことを認めているようである。 トウヤが聞く限りだと、フライゴンは砂漠の精霊と呼ばれているだけあって、かなり気位の高い性格だそうだ。 それでも、アカツキと仲睦まじげにしているのを見ると、すぐにリータたちとも打ち解け合えるだろう。 「オレのこと、ちゃんと待っててくれたんだよな。 ホント、ありがとな。待っててくれなかったらどーしよーかと思ってたからさ。 でも、これからよろしくな。 オレ、まだ頼りないトコ多いけど、できるだけガンバるからさ」 「ごぉん」 フライゴンはアカツキの目をまっすぐに見据え、妙に人間っぽい仕草で頷いた。 賢いポケモンだからだろうか、人の仕草を見て覚え、マネをすることがあるらしい。 アカツキが伸ばした手を、フライゴンは前脚でそっと包み込む。 ドラゴンクローさえ放てる鋭い爪も、リラックスしている時はほのかに暖かい。 リフレクターで防御しても、リータを吹き飛ばすだけの威力があるのだ。 それだけの力を秘めた仲間が加わったのだから、心強いに決まっている。 「そういや、フライゴンって……」 アカツキは何かを言いかけ――ふと、口をつぐんだ。 「……?」 何を言おうとしていたのか気になって、トウヤは小さく首を傾げた。 いきなりいろいろと訊ねるのは失礼だと思ったのだろうか? だが、あいにくとアカツキはそんなことは考えていなかった。 「フライゴンフライゴン呼ぶのもな〜んか悪いからさ、キミにも名前つけてあげなきゃな」 「……あ、そっか」 彼のポケモンにはいずれもニックネームが与えられている。 変なことを期待してしまったものだと、今さらになってどうしてため息が出てくるのやら。 微笑ましい気持ちさえ抱きながら、トウヤはアカツキとフライゴンのやり取りをじっと見守っていた。 「ちょうどいい名前、考えついたよ」 アカツキは満面の笑みをまったく崩すことなく、フライゴンのニックネームをつけた。 「ライオットってのはどう? なんか力強そうでいい響きじゃね?」 そんなに深く考えたモノでもないのだが、響きよりもアカツキが愛情に似た気持ちを抱いていることがうれしいのか、 フライゴン――ライオットは何度も頷き返した。 「ライオットねえ……」 確かに力強い感じはするが…… まあ、当人がイエスと返している以上、外野がとやかく口出しすることもないだろう。 センスがないというわけでもないのだ。 トウヤが少々呆れているような目を向けていることなど気づく由もなく、アカツキは嬉々とした口調で言った。 「よし、これからキミはライオットだ。 そんじゃ、みんなにも紹介しなきゃな♪」 いつまでも一人でライオットと接するわけにも行かないと、腰に差した四つのモンスターボールを手に取り、 「みんな、出てこいっ!!」 軽く頭上に放り投げ、陽気な声で呼びかける。 トレーナーの意志に応え、ポケモンたちがボールを内側から開き、飛び出してきた。 「ベイっ♪」 「ごぉぉ……」 「シシシ?」 「ウキッキっ♪」 モンスターボールの中は居心地がいいが、リータ以外の三体は出番も少なく退屈していたらしい。 飛び出してくるなり、凝り固まった身体を解すような仕草を見せていた。 だが、アカツキの傍に別のポケモンがいるのを認めると、すぐさま視線を向ける。 リータは先ほど戦った相手だと分かっていたが、特に警戒心は抱いていないようだった。 アカツキの笑顔を見れば、ライオットが仲間になったと理解できるからだ。 ドラップたちも、ライオットが以前自分たちを助けてくれたフライゴンだと分かって、警戒心を取り払っていた。 「…………」 一斉に見つめられるといった経験がないのか、ライオットはどこか躊躇いがちな表情を見せていたが、 「みんな、新しい仲間のライオットだ。仲良くしてあげてくれよ」 アカツキの言葉に歓声が上がった。 みんな、新しい仲間の誕生を心から喜んでいた。 ネイトがいなくなって寂しくなった分、新しい仲間が加わることに大変な力強さを感じているのかもしれない。 ライオットがアカツキたちの置かれた状況を理解できるはずもなかったが、歓迎されていると分かると、躊躇いがちだった表情もすぐに緩んだ。 みんなして喜び合っているのを見て、これならすぐに仲良くなれるだろうと、アカツキは安堵の息をついた。 「ライオット、みんなの紹介をするよ」 頃合を見計らい、アカツキはライオットに自分の大切な仲間たちを紹介した。 「さっき戦ったのがリータ。 ドラップに、ラシール、アリウスだ。みんないいヤツばかりだから、すぐに仲良くなれると思う」 それぞれを手で差し示しながら、名前だけ紹介する。 どんなポケモンなのかは、実際に接してみれば分かるだろう。ここでは多くは言わなかった。 言葉で語るより、直にスキンシップを図ってもらった方がより深く相手のことを理解できると思ったからだ。 ライオットが一通り仲間の顔を見回したのを待って、アカツキは言葉を続ける。 「あと、ネイトってヤツがいるんだけどさ……ほら、ライオットも見覚えあるだろ? 小っちゃいけど結構強いブイゼルなんだ」 「…………」 この場にはいない、大切な仲間。 ネイトに話が及ぶと、リータたちの表情が強張った。 変化らしい変化を見せなかったのは、アカツキとライオットだけだ。 トウヤでさえ、まさかここでネイトの話をするのかと言わんばかりの視線を向けてきている。 だが、アカツキにしてみれば、躊躇うほどのことではなかった。 ネイトがいなくなってしまったのは事実だし、新参者とはいえ仲間であるライオットに隠し立てするようなことではない。 仲間に隠し事などしていては、到底、信頼関係など築けないのだ。 リータたちの表情が強張ったことなど見て見ぬフリで、アカツキは言った。 「今は悪いヤツに連れ去られちまったけど、オレたちの手で助け出してやるんだ。 ライオットにはいきなりのことでよく分かんないだろうけど、オレに力を貸してくれ」 「ごぉぉ……」 隠し立てせず、ありのままを打ち明けた男の子の姿勢に感銘を受けたのか、ライオットはアカツキをトレーナーとして完全に認めた。 口調こそどこか明るめだったが、声音には押し殺した悲しさや寂しさを含んでいるのを見抜いていた。 しかし、だからこそライオットはアカツキの潔さや素直さを感じ取り、彼なら一緒に行動しても大丈夫だと改めて思った。 ライオットがアカツキに向ける眼差しが優しく、暖かなものになったのを見て、 リータたちは彼が何を思ってライオットにネイトのことを言ったのか察した。 「ベイ……」 何も、いきなりネイトのことを言わなくてもいいのに…… そう思っていたリータは、自分の視野の狭さを人知れず恥じた。 いずれは知ることになるのだから、今のうちに言っておいた方がいい。 隠していては、キミのことを信じていないと受け取られても仕方がないからだ。 陽気で明るい子供だと思いきや、実は誰よりも仲間のことを思いやり、信頼関係を大事に思っているのだ。 一旦は落ちかけた雰囲気が上向いたのを察して、アカツキはライオットの背中をそっと押した。 一体何を……? そう言いたげなライオットに微笑みかけ、 「ライオット。 前に見たことあるヤツばっかだから、すぐ仲良くなれるよ。 オレ、ここでちょっと休んでくから、その間みんなといろいろ話をしてみなよ」 「…………」 言われている意味が理解できなかったのか、ライオットは微動だにせず、じっとアカツキの目を見ていた。 アカツキは表情一つ変えず、理解させるように言い募った。 「大丈夫だって。ライオットならみんなと仲良くなれる。 せっかく一緒に旅できるんだから、ちゃんと仲良くならなきゃダメだぞ」 「ごぉ……」 本当に大丈夫と念を押され、ライオットは観念したようにゆっくりとリータたちに歩み寄った。 「ベイっ♪」 「シシシ……」 すぐさまリータとラシールがライオットに話しかける。 ラシールは元々何にでも興味を持つ性格だが、リータは先ほどまでの敵対心をすっかり消し去り、 仲良くなろうと人懐っこい笑みを浮かべている。 いや…… むしろ、戦った相手だからこそ仲良くなりたいと思ったのだろう。 「ベイ、ベイっ♪」 「ウキキ? ウキッキっ」 「ごぉぉ、ごぉぉぉ……」 ドラップやアリウスも会話に加わり、あっという間に和気藹々とした雰囲気に包まれる。 気さくなポケモンたちに囲まれて、ライオットもすっかり心を許したのだろう、明るい表情で会話を始めた。 「ほお、久しぶりに見るけど、なかなかええ感じなや」 「うん。みんな、ホントに気さくでいいヤツばっかりだからさ」 「ま、それはええねん。それより……」 トウヤはアカツキの傍まで歩いていくと、そっと耳打ちした。 「ここで少し休んでくんか?」 「うん。そうするよ。結構くたくたなんだ」 「せやけど、夕食摂ったら、すぐ出るで。 ここからウィンシティは少し遠いからな。今日中に到着して、明日は朝イチでジム戦せなあかんやろ?」 「分かってる。オレが休んでる間に、みんなで仲良くなってもらえばいいかな〜、って思ってるから」 「ん、それならええんや」 アカツキは思いのほか先のことまで考えているらしい。 ネイトを助けるという目的があるからこそ、ちゃんと筋道立てて物事を考えているのだろう。 普段は物事をちゃんと考えているのかいないのかよく分からないが、ネイトがいなくなってこそ得たものもあるということだろう。 無論、そんなことは口が裂けても言えないが。 ともあれ、明日中にウィンジムを制覇してレイクタウンに戻らなければならない。 強行軍になるのは百も承知だが、だからこそ休めるうちにちゃんと休まなければならない。 「せやったら……」 トウヤは仲睦まじげにしているアカツキのポケモンたちを見やり、腰のモンスターボールを手に取った。 どうせ仲良くするなら、仲間は多い方が良いだろう。 ルナたちも、アカツキのポケモンとは仲良くしているから、混ぜてやっても問題はないはずだ。 そう思い、ボールからポケモンを出した。 「ブラっ……」 ルナはリータたちをチラリと見やると、トウヤを見上げた。 ――一緒に遊べってことなんでしょ? 「そういうこっちゃ。ガストとニルドも、ちゃんと仲良くなっとくんやで?」 トウヤはルナだけでなく、ガストやニルドにもちゃんと仲良くするように言った。ガストはともかく、気紛れなニルドは心配だ。 ちゃんと従うか心配だったが、ニルドは上機嫌だった。 ルナたちが会話の輪に加わると、さらに賑やかになった。 これなら、心配する必要もなかっただろう。 トウヤは人懐っこい声を上げながらライオットにじゃれ付くルナとガストに笑みを向けると、 「ほな、行こか。今のうちにゆっくり休むで」 「うん」 アカツキと連れ立って、ロビーへと向かった。 ここで一泊する予定はないが、ジョーイに頼んで部屋を取ってもらい、夕方まではゆっくり休むとしよう。 ポケモンと違って、人間は少し休んだだけで体力を完全には回復できないのだ。 「こういう時に、ポケモンみたく体力回復装置でもあったらええねんけど……ないモノねだりしたって、しょうがあらへんもんな」 便利なようで不便な世の中だ…… トウヤはそう思い、ため息をついた。 「どうかした?」 人前でため息を隠そうともしない姿勢が気になってか、アカツキはトウヤの横顔を覗きこみながら声をかけたが、素直に答えるはずもなかった。 「ん、なんでもあらへん。 ちょっと、先のこと考えとっただけや」 「そっか……これから、大変だもんな」 確かに、大変なのはこれからだ。 明日はウィンジムでリーグバッジをゲットしなければならない。 もし負けてしまっても、再戦するだけの時間はないと考えるべきだ。 一発勝負というのはどうにも気乗りしないが、今は好む好まざるの問題ではない。やるしかないのだ。 「でも、明日は絶対ウィンジムでジムリーダーに勝つ。今のオレたちにだったらできるはずさ」 アカツキはグッと拳を握りしめ、力強く言った。 明後日になれば、嫌でもソフィア団を追い込む作戦が始まるのだ。 それまでに、戦列に加われる条件を満たさなければ、ネイトを自分たちの手で助け出すことはできない。 ライオットをゲットするために、ずいぶんと体力を使ってしまった。 今のうちにゆっくり休んで、明日のジム戦に備えよう。 それからは無言で部屋まで歩き、部屋の隅っこに申し訳なさそうに佇むベッドに、倒れこむ。 本当は砂や汗にまみれた身体を洗うべきなのだろうが、 ふんわり柔らかく、真新しい匂いがするシーツに身体を半ば埋めていると、そんな気も起こらなくなる。 緊張の糸がプツリと切れたせいか、ベッドに倒れこむなり、疲れがどっと押し寄せてきた。 目を閉じると、睡魔が寄せては返す波のように穏やかな足取りでやってきた。 潮騒の心地良さにさえ似た睡魔に身も心も預け、アカツキはしばしの眠りについた。 「ゆっくり休むんやで。明日からも、ガンバれるように……」 トウヤはすやすやと寝息を立て始めた男の子の頭をそっと撫で、笑みを深めた。 休んでいられるのは今のうちだけだ。 誰よりも苦しい立場にいるからこそ、明後日になれば激動の中心で荒波と戦っていかなければならない。 だから、休めるうちに存分に休んでほしい。 トウヤは隣のベッドに腰を下ろし、無言でアカツキの寝顔を見つめ続けた。 Side 6 アカツキが砂漠のポケモンセンターで休息を取っている頃、ハツネはレイクタウンのメインストリートから一本外れた道を歩いていた。 フォース団の頭領として君臨している割には護衛もつけず、一人で何事もないような足取りで、とある場所へ向かっていた。 元々、集団生活などというものは苦手だったし、フォース団の団員と時間を共有していたのも、目的を果たすための手段に過ぎない。 もし、今頃は新しいアジトでパソコンいじりに興じている部下がこの場にいたら、護衛の一人や二人はつけろと喚くのだろう。 だが、護衛など堅苦しいだけで気分転換の妨げでしかない。 一人で道を歩き、吹き付けてくるそよ風に表情を綻ばせる……そんな何気ないものを大切にする。それがハツネという女性だった。 部下は部下で、あれこれ最終作戦に向けて準備を整えているだろう。 自分は、やるべきことはすべてやったし、打つべき手も打っておいた。 あとは、時が来るのを待つだけなのだが、今のうちに会いたい人がいる。 ディザースシティやウィンシティほど発展していないこの町でポケモンの研究を行っている女性だ。 町の東部と北部を結ぶS字の道を歩いていくうち、住居を兼ねた二階建ての研究所が見えてきた。 研究所だと、パッと見た目で分かるものはない。 主が女性だと、無骨な佇まいは好まないのだろう。 「やっぱ、変わってないね……」 研究所を中心に、腕のように左右に伸びる木の柵の向こうには、豊かな草原が広がっている。 敷地の奥には、水辺や小さな森もあると聞く。 豊かな自然に暮らすポケモンたちの姿は見えないが、ほのぼのとした雰囲気がここまで漂っている。 ハツネはその雰囲気だけで、研究所の主が相変わらず元気に過ごしているのだと察した。 特に根拠などなかったが、十年前までは親しい付き合いをしていた間柄である。考えるだけの理由も特になかった。 「さて、行くかね」 涼風で少し乱れた髪を手櫛で軽く整え、研究所の扉を叩こうとした時だった。 彼女の訪問を心待ちにしていたように、扉が押し開かれた。 「お……?」 まさか、自分が来るのを待っていたわけでもないだろうに…… ハツネはそう思ったが、中から出てきた女性の顔を見た途端、そんな野暮な考えは一瞬で吹き飛んだ。 知らず知らずに、表情が綻ぶ。 「あら、ハツネちゃん。久しぶりね。元気そうで何よりだわ」 相手――キサラギ博士もまた、見知った相手が訊ねてきたのだと理解し、ニコニコ笑顔で話しかけてきた。 「アツ姉、久しぶり。アツ姉こそ元気そうじゃないか。 まあ、いろいろとウワサは聞いてたけどさ……まあ、アツ姉が落ち込んでるトコなんか想像もできなかったからね」 「そんな、褒めすぎよ。もう……」 キサラギ博士は、困ったように口の端を吊り上げて笑った。 いくら見知った相手とはいえ、目の前にいる背丈の高い女はネイゼル地方の治安を乱す非合法組織・フォース団の頭領である。 本当なら談笑などできる相手ではないはずなのだが…… 今、ハツネがフォース団の頭領としてではなく、キサラギ博士の知り合いとしてやってきているのだから、それこそ野暮な詮索なのだろう。 「買い物? ジャマしちゃったかな?」 「そうでもないわ。十年ぶりなんだもの」 キサラギ博士は手に提げた買い物鞄をさっと後手に隠した。 気にしていないというポーズか、笑みを深める。 「やっぱ、そういうトコも相変わらずだね」 「ハツネちゃんこそ、どんな人にでも気さくに話しかけるところは変わってないわね」 互いに変わっていないということらしい。 ハツネは小さく笑った。 十年ぶりだというのに、互いに本質的な部分ではまるで変わっていない。 時の流れが人を変えるのだと巷では囁かれているが、それは正しく、ある意味で間違いでもある。 立場や置かれている状況によっても人は変わるが、少なくとも二人の間に流れる空気は変わっていない。 十年前と同じで、穏やかで優しく包み込んでくれるような空気だ。 「……ここで話をするのもなんだから、お茶でも飲みましょうよ」 「それじゃあ、ありがたくお邪魔させてもらおうかな」 「はいはい、どうぞどうぞ」 なんだか脈絡のないやり取りで、ハツネはキサラギ博士の自宅に招かれることになった。 やりたいことができるのも今のうちだけだから、彼女の厚意に甘えるのもいいだろう。 玄関をくぐると、そこは精密機械が所狭しと並んでいる研究室。 二階が居住スペースで、一階が研究所になっているようだ。 敷地も広いのだし、どうせなら自宅と研究所を分けて建てればいいのに…… ハツネは手入れの行き届いている研究室を見回しながら思ったが、キサラギ博士の人柄を考えれば、一緒くたにしてしまうのも頷けた。 ハツネにとって、キサラギ博士は姉のような存在だった。 歳は十以上離れているが、お隣さんだけあって、家族ぐるみの付き合いだった。 若い頃から面倒見がよく、ハツネは一つ年上の兄と一緒によく遊んでもらったものだ。 大らかで優しい性格で、よほどのことがない限りはいつも笑みを絶やさない、明るい人。 今でもそれなりに尊敬はしている。 そうでもなければ、わざわざ会いに来たりはしない。 前を歩くキサラギ博士の背中に視線を戻しながら、ふと思った。 「アツ姉も、あたしがフォース団のボスだってこと知ってるんだろうなあ…… それなのに、なんでもないようなフリしちゃってさ……相変わらずだね。 でも、それがアツ姉らしさなんだけどさ」 いかにも人畜無害な彼女も、洞察力はとても鋭く、将来は研究者として大成すると太鼓判を押されていた。 現に、今はネイゼル地方きってのポケモン研究者として、学会では引っ張りだこと噂を聞くほどだ。 緩やかなカーブを描く階段を登り、リビングに通された。 フローリングの床は傷らしい傷もなく、窓から差し込む光を受けてうっすらと輝いて見えるほどに磨き抜かれている。 薄い色調の壁や天井にマッチするように、家具も控えめな色彩のモノが目立つ。 家のこととポケモンの研究を両立しているのだと思わせるほど、リビングはきれいに片付いていた。 掃除が苦手なハツネには、とても考えられないことだったが。 「じゃあ、座って待っててね」 キサラギ博士は買い物鞄をテーブルに置くと、小躍りするような足取りでシステムキッチンへ向かった。 十年ぶりに知り合いが訪ねてくれたということで、舞い上がるような心地でいるのかもしれない。 「ふんふふ〜ん、ふ〜ん♪」 鼻歌など交えながら、テキパキとお茶の用意をする。 「ホントに変わってないね……あたしは変わりすぎちゃったかな?」 ハツネは小さくため息をつきながら、椅子に腰を下ろした。 研究者として有名になっても、彼女は十年前と変わっていない。 いや、とある研究者に気に入られて住居と研究室を兼ねたこの建物を敷地つきで贈られ、 レイクタウンに移住することになった十五年前とまったく変わっていない。 その頃、ちょうどキョウコを身ごもったのだが、ハツネが実際にキョウコと出会ったのは数日前。 どんな赤ん坊が生まれるのかと思っていたが、いろいろとあったせいで彼女の子供を見ることはできなかった。 その代わり、数日前に会ったキョウコは、ハツネの期待を裏切らない立派なトレーナーだった。 どちらに似たのか、ずいぶんと活発で、ちょっと強引なところはあるが基本的に悪気はない。 性格はまるで似ていなかったが、本質的にはやはり親子だなと思わせるところがある。 変わっていない相手。 自分はどうだろう? 十年前に嫌なことがあったせいか、それを境にして、思い描いていたものとはずいぶん異なった道を歩いてきた。 もっとも、自分で決めたことだから、今になって取り消したいとも思わないが。 ハツネが人知れずしみじみと物思いに耽っていると、キサラギ博士が二組のティーセットを手に戻ってきた。 「はい、どうぞ」 「ありがと、アツ姉」 嬉々とした表情で、ハツネの向かいの席に腰かける。 十年ぶりの再会ということで、相手が元気にしていたと分かってうれしいのだろう。 彼女の混じり気のない笑みが、ハツネの気持ちを解きほぐした。 少し後ろ向きになりかけた考えを軌道修正する。 「さて、何から話したものか……」 会いに来たのは自分の方だと言うのに、いざ話をする時になって、どうしたものかと迷ってしまう。 どうかしているな……と思いつつ、ハツネはかけるべき言葉を舌の上で転がしていた。 彼女が言いづらそうにしているのに気づいてか、キサラギ博士は紅茶を一口含んでから言葉をかけてきた。 「ハツネちゃん、大きくなったわね。 十年前は、まだ今のキョウコと同じくらいだったもの」 「うん、まあ……あの頃のあたしは、まだガキだったからね」 他愛ない話に、ハツネは苦笑した。 何を言われるかと思えば、まさか自分の愛娘と比べられるとは思わなかった。 もちろん、ハツネは十年前の自分がキョウコに劣っているなどとは露ほども思ってはいない。 口には出せなかったが、胸中ではそんなことを思っていた。 紅茶を一口含んでいると、キサラギ博士が笑みを浮かべたまま、こんなことを言った。 「あれから、いろんなことがあったのね。 ハツネちゃん、フォース団の頭領なんてやってるんだもの。 シンラちゃんは、ソフィア団の総帥だったかしら。 何があるか、世の中分からないものなのよねえ」 「……ああ、まったくだよ」 ハツネは半眼で頷き、カップをソーサーに置いた。 彼女ならそれくらいのことは知っているだろうから、驚きはしなかった。 ポケモンの研究者ともなると、ポケモンリーグは言うに及ばず、各地のポケモンセンターや警察組織とも親密な付き合いが必須なのだ。 密に張り巡らされた情報網を駆使すれば、それくらいのことは容易く調べ出せる。 増してや、キサラギ博士はハツネが幼少から世話になった恩人でもある。 別に知られて困ることではないが、やはり立場と言うのは時に要らぬ柵を作り出してしまうもの。 ハツネが言葉を詰まらせていると、潤滑油代わりにキサラギ博士が言った。 「シンラちゃんは元気にしているかしら? 偉くなっちゃったから、私としても会いづらいのよねえ」 「元気なんじゃない? あたしもあれからあいつには会ってないけどね。 あれこれあたしの可愛い部下にちょっかい出してきてるんだ。元気じゃなきゃそんなことできないだろ? それに……ちょっと前に、アツ姉の研究所の敷地で大暴れしたって話らしいし。 その時に会わなかった?」 「ううん、会っていないわ。 何事かと思って駆けつけたけど、シンラちゃん、もういなくなってたし」 事も無げに言い返され、キサラギ博士は少し寂しげな表情を浮かべた。 ハツネも、シンラも。 彼女にとっては大切な人に含まれているのだ。 本当に、立場というのは人を縛り付けるもの。 ポケモンの研究者などやっていなければ、今すぐにでもハツネと共にシンラに会いに行こうと思うのに。 「アツ姉が心を痛めることじゃないよ。あいつはあいつなりに考えてんだから」 慰めにもならないと分かっていながらも、ハツネはキサラギ博士にそう言葉をかけずにはいられなかった。 彼が仕出かしたことを考えれば、いつも笑っているように見えて責任感の強い彼女が何も思わずにいられるはずもない。 それでも、キサラギ博士に罪はない。 気に病む必要などどこにもないのだ。 ハツネとしても、彼女がそんな風に思うのは望んでいない。悪いのは自分とシンラ。二人だけで十分だから。 「……ありがとうね、ハツネちゃん。 やっぱり、変わっていないわね。今でもこんなに優しいんだもの」 「そうでもないよ」 ハツネは頭を振った。 自分が優しい? とんでもない話だ。 優しい人間が、フォース団などという組織を率いて敵対組織と抗争などするものか。 これ見よがしに言ってやりたいところだが、相手が悪い。 「ねえ、ハツネちゃん」 「なんだい?」 問い返し、ハツネはキサラギ博士の瞳の奥に宿る光に気づいた。 強い意志の輝きが見て取れる。 これから彼女が何を話すのか、話そうとしているのか……手に取るように分かる。 ついに、この時が来たか…… もっとも、ハツネはその話をするために、ここに来たのだ。 彼女にだけは知っておいて欲しいことがある。 自由に動ける今のうちに、知っておいて欲しいことがあるから。 「シンラちゃん、何をしようとしているのかしら? ダークポケモンなんて、昔のあの子からは考えられないようなものを使ってまで、何をしようとしているのかな? やっぱり……リュウジさんとヨウコさんの敵討ち?」 「ほかの理由で、あいつがあんな風になるわけないよ。 それはアツ姉が一番分かってるんじゃないの?」 「……そうね」 「だけど、それはあたしが止めるよ。 バカ兄貴の尻拭いってのは気に入らないけどね。 でも、あたしが止めなきゃいけないことだからさ。 ホント、関係ないヤツにまで迷惑かけてやるようなことじゃないのにね」 「…………リュウジさんもヨウコさんも、きっとハツネちゃんのこと、誇りに思っているわ」 「……だと、いいね」 誇りに思われるようなことでもない。 シンラとハツネは実の兄妹だ。 兄がバカなことをしようとしているのを止めるだけ。 自分が止めなければ……兄を止めるのが自分の使命だ、なんて大層なお題目を掲げているわけではない。 ただ、馬鹿げているから止めさせる。それだけのことだ。 「十年前……」 「……うん?」 キサラギ博士は悲しげな笑みを浮かべ、カップをじっと見やった。 半分ほど入った紅茶の水面には、彼女にしか見えない過去の景色が映っている。 幸せだったあの頃。 もちろん、キョウコが生まれ落ち、元気な産声を上げた時ほどの幸せはないが、それでも昔は昔なりに幸せだった頃があった。 それが一変したのは、十年前…… 今まで、周囲の誰にも話したことのない出来事。 心の奥底に鍵をかけて閉じ込めた出来事。 それはハツネにとっても辛いものだった。 「リュウジさんとヨウコさんが誰かに殺されちゃって……犯人は今も逮捕されてないのよね。 シンラちゃんは、本当にお二人のことを誰よりも愛していたから、 ソフィア団なんて立ち上げて、ダークポケモンまで使って、犯人に復讐しようとしているのね……」 「それをバカだって言うのさ」 居たたまれない感情を含んだキサラギ博士の言葉を、ハツネは一笑に付した。 そう言われるのが分かっていたのか、キサラギ博士は特に気にするでもなく続けた。 「でも、やり方は間違っているわね。 アカツキちゃんのネイトちゃんを奪ってまでやるようなことじゃないわ。 誰かを不幸にしてまでやらなければならないことに、正義なんてありはしないもの」 「まあ、そりゃそうさ。あたしも人のこと言えた義理じゃないんだけどね」 たとえ、自分の両親を殺した名も顔も知らぬ犯人に復讐する権利があったとして…… 他人の幸せや大切なものを奪ってまで正当化するのは間違いでしかないし、増してやそれを正義と騙るのは滑稽に過ぎる。 シンラはアカツキの……純粋な男の子の大切な家族を奪った。 自身が、かつて両親を手にかけた犯人と同じようなことをしているのだと、恐らくは考えていないのだろう。 自分に与えられた権利だけを主張し、権利につきまとう義務を圧殺し、自分の都合のいいように解釈している。 もし誰かがそれを正義だと賞賛したとしても、ハツネはそんなものを認めたりはしない。 「ねえ、ハツネちゃん。 あなたはどうして、シンラちゃんを止めようと思ったの? 正義がないから……そんなことしても意味がないからって分かってたから……というだけの理由じゃ、ないんでしょ?」 「やっぱ、鋭いね。アツ姉は……」 やはり、この人には敵いそうにない。 研究者をしていた両親が太鼓判を押して、学会の大物に推薦しただけのことはある。 鋭い洞察力と、深い知識に裏打ちされた論説は、常に正しいものとして学会に浸透していたと聞く。 あどけない顔をして、心の奥底まで見抜かれた幼き日のことを思い出し、ハツネは苦笑した。 本当に、お手上げである。 彼女をフォース団の顧問にでも迎えていたら、今頃はシンラも考えを改めていたかもしれない。 ありえないことだと思いつつ……そう考えてしまうほどに、キサラギ博士は魅力的な人物だった。 互いのことをよく知っているからこその発想だろうか。 まっすぐに視線を向けてくるキサラギ博士を見つめ返し、ハツネは微笑んだ。 「簡単さ。 そんなことしたって、あたしたちの両親が生き返るわけでもないし…… それに、もう、そんなことをしても何にもならないからさ。 ……あたしは知ってしまった。 だから、あいつを止める。それだけなんだよ。 ホント、馬鹿げた兄妹だろ。話し合いよりも先に戦うこと選ぶんだから、とんだ野蛮人さ」 「…………」 どこか哀愁を漂わせる口調と表情に、キサラギ博士は何も言い返せなかった。 胸に秘めた悲しみは、今もまだ彼女を縛り付けているのだと理解するのに、十分すぎるものだったから。 しかし、明日になれば終わるのだろうか? 十年前の妄執から、二人とも解き放たれて、新しい気持ちを胸に生きてゆくことができるだろうか? 今、彼女にそれを訊ねたとしても、明確な答えは望めないだろう。 だけど…… いや、だからこそ、早いうちにすべてが終わって、皆が平穏を取り戻せるようにと願わずにはいられなかった。 第16章へと続く……