シャイニング・ブレイブ 第16章 最後のジム戦 -Fly high!!- Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って46日目。 陽が傾きかけた頃、アカツキたちは砂漠のポケモンセンターを後にした。 ロータスの背に乗って、一路ウィンシティを目指す。 ロータスが全力でかっ飛ばしている間、アカツキはずっとネイトのことを考えていた。 「ネイトはドラップを守ったんだもんな……守ろうとして、自分から飛び込んでったんだもんな」 ドラップを守るため、自分から飛び込んでいったネイト。 まさか、その後でダークポケモンになってしまうなどとは思いもしなかっただろうが。 「でも、オレにはネイトを責められないや。 ホントは、バカヤローって言いたいけど……」 ダークポケモンとは、心に鍵をかけられた存在。 ネイトはドラップを守ろうとして、自らの身を挺した。 自己犠牲の精神云々といった話はそもそも嫌いだが、それでもネイトの気持ちは尊重してやりたいと思っている。 アカツキも、フォレスタウンでソフィア団のエージェントが襲撃してきた時、ドラップを守ろうとして相手に打ちかかったことがある。 その時は、ドラップを守りたい一心だった。 きっと、ネイトがシンラの投げ放ったボールとドラップの間に割って入った時も同じだっただろう。 だから、アカツキにはネイトを責めることができなかった。 その代わり、ネイトを助け出せた時は、みんなで喜びを分かち合いたい。 人間もポケモンも、誰かを思いやる気持ちに違いはないのだから、ドラップを守ろうと思ったネイトの気持ちを尊重してやりたい。 「ネイトはネイトなんだもんな。 何がなんでも、ちゃんと助け出さなきゃいけないよな」 ネイトを助け出すのは自分たちの使命。 大切な仲間を救えずして、これから先何をやっていけるというのか。 そう考えると、ここ数日は今まで過ごしてきた中でもっとも長い数日になりそうだ。 アカツキが思案している間、トウヤもトウヤであれこれと考えていた。 互いに思うところがあり、不干渉。 そうこうしているうちに五時間近くが過ぎ、暗く染まった空には無数の星が瞬いている。 周囲の景色は、地方の一割近くを占める砂漠から緑豊かな草原へと変わっていた。 吹き付ける風は心なしか冷たい。 風が冷たいのはきっと、夜になって気温が下がったから、というだけの理由ではないのだろう。 「明日……ちゃんとジム戦に勝とう。 やり直すだけの時間なんてないし……絶対、一発で勝ってやるんだ」 何がなんでもやらなければならない理由がある。 知らず知らずに身体が火照って、相対的に周囲との温度差ができているからだろうか。 どうでもいいことを考えていると、前方に無数の灯りが見えてきた。 南のカントー地方とネイゼル地方を隔てる山脈の麓に位置する、ウィンシティの灯りだった。 「あそこに、最後のジムがあるんだな……よし、ガンバろう!!」 山脈に抱かれているようにも見える無数の灯りを眺めながら、アカツキは改めて決意を固めた。 それから程なく、アカツキたちはウィンシティにたどり着いた。 レイクタウンやフォレスタウンよりも規模が大きい街だが、ディザースシティほど派手に煌いているわけではなく、 灯っているのもほとんどが家庭やオフィスの照明だった。 歓楽街や観光名所があるわけでもなく、夜の街はひっそりと静まり返っていた。 街とサウスロードの境界となるゲートの前に降り立ち、アカツキは傍らに掲げられている電子タウンマップを見やった。 北以外の三方を山脈に囲まれており、自然を守るためにもそれほど広くは街の敷地が取れなかったそうだが、 マップ上では、そうとは感じさせないくらいに整った印象を受けた。 「えっと、ポケモンセンターは……あったあった」 おぼろげに照らし出されたマップの上を指でなぞりながら、ポケモンセンターを探す。 名所らしい名所もないシンプルな造りの街だけに、すぐに見つかった。 街の中央で、南北と東西に伸びるメインストリートが交わり、 そこにポケモンセンターやフレンドリィショップといったポケモンに関する施設が密集している。 面積を多く取れないという立地条件ではあるが、だからこそ無駄がないように計算ずくで築かれているのだろう。 街のあちこちに巨大な電柱が建てられているが、夜の闇に紛れてそれが何の役目を果たしているのかは分からない。 アカツキが一通りマップを確認したのを待って、トウヤが声をかけた。 「ほな、行こか」 「うん。今日はゆっくり休まなきゃな。ふわぁ……あー、眠い……」 頷き、アカツキは欠伸を欠いた。 砂漠のポケモンセンターで一休みしたとはいえ、疲れが完全に払拭できるわけではない。 寝るにはまだ早い時間帯ではあるが、ポケモンセンターに到着したらすぐにでも休もう。 ゲートをくぐって街中に入ったトウヤの後を追い、アカツキも歩き出した。 アスファルトで舗装された真新しい道を行く。 メインストリート沿いの商店はいずれもシャッターを下ろし、営業しているのは24時間営業のコンビニだけだ。 息を殺して嵐が過ぎ去るのを待っているかのような静けさ。 その静寂が無言の圧力に感じられて、アカツキは小さく声を発した。 「やっぱ、夜は静かなんだな……」 「まあ、ディザースシティとかアイシアタウンは観光客とか仰山来るからな。 そういう街でもなかったら、夜はこれくらい静かなモンやろ」 当然と言わんばかりに、トウヤが閑静な街並みを見渡しながら言葉を返す。 「……でも、なんかお巡りさんとか多くね?」 「ん。言われてみると、確かに……」 と、アカツキに言われて初めて気づいた。 夜という理由にしては、周囲に目を光らせている警察官の姿が多いような気がする。 ほとんどの店が営業を終了しているとはいえ、寝静まるには早い時間帯。 通りを行き交う人もそれなりにいるが、その人数に合わないほど、警察官が多い。 なんだか見張られているようで、妙な気分がするが、トウヤはレイクタウンを発つ前にカナタから聞いた言葉を思い出した。 「ああ、そっか……カナタの旦那が言っとったな」 警察官が多いのは、恐らくウィンシティだけではないだろう。 話に聞いたところだと、ディザースシティやアイシアタウンも同様に警察官が増員されたそうだ。 アカツキはどうやら伝え聞いていないようだが、ちょうどいい機会だと思い、トウヤはカナタから聞いたことをそのまま話した。 「シンラとかいうヤツが乗り込んできおった時にな、他の街でも同時多発的に騒ぎが起こったらしいんや。 おまえのポケモン奪うっちゅー目的をカムフラージュするためと、ポケモンリーグの連携を乱すために各地で騒ぎを起こしとったんや。 せやから、ポケモンリーグも警察もこれ以上治安乱されおったらたまらへん言うて、警察官を追加派遣したんやて」 「そうなんだ……そんなことがあったなんて知らなかったな」 トウヤの説明に、アカツキは嘆息した。 初耳だった。 だが、それはその事実を知らなければ無利もないことだった。 それでも、自分だけ置いてきぼりにされていたような気がして仕方ない。 構っていられるような状況ではなかったと言っても、何も知らなかったというのは恥ずかしかった。 レイクタウンだけでなく、各地で騒ぎを起こしていたとは…… それは取りも直さず、ソフィア団にはそれだけの戦力があることを意味している。 今さら考えるまでもないことだが、敵は強大だ。 ポケモンリーグの全面的なバックアップがあると言っても、厳しい戦いは避けられそうにない。 「でもさ……」 直立不動で周囲に眼光を光らせている警察官の脇を通り過ぎ、アカツキはつぶやいた。 「シンラってヤツ、ダークポケモンなんか使って何企んでんだろ……? ドラップをあんなにしつこく狙ってたのはなんでだろうって……今になって疑問に思うのって、おかしいとは思うんだけどさ。 なんか、気になるんだよな」 「確かにそやな。 今まではドラップを守ることばっか考えとったから、そこまで気を回せる余裕なんてあらへんかったけど……」 トウヤも前から気になっていたことだ。 ソフィア団が何をしようとしているのか。 一般的な認識としては、法と秩序でネイゼル地方を支配しようと企んでいるらしいのだが、それが必ずしも正しいとは限らない。 むしろ、ダークポケモンという禁忌の技術まで用いているのだから、そういったものはお題目に過ぎないのだろう。 ならば、何をしようとしているのか。その目的は? 一方的に襲撃してくる相手を撃退することしか考えられなかった頃と、守ろうとした対象が奪われてしまった今は違う。 考えを傾ける方向が異なったとしても不思議はないし、今までどうしてそういう風に考えてこなかったのか。 本当に今さらという感じだが、今だからこそ考えなければならないことだろう。 「オレなんかが考えても分かりっこないんだけどさ。 サラさんとか、ハツネさんだったら分かるかな?」 「そうやな。あの二人やったら、何か知っとるかもしれへん。 明日、レイクタウンに戻ったら訊いてみよか」 「うん。そのためにも、明日はキッチリガンバんなきゃな」 「おう、その意気や。 おまえならできるって信じとるからな。今日はゆっくり休めや」 数年前からソフィア団と敵対しているフォース団の頭領ハツネや、 二つの組織を常に監視していたポケモンリーグ・ネイゼル支部のチャンピオンを務めるサラなら、何か知っているだろう。 気にはなるが、考えたところで答えは出そうにない。 今は明日に備えてゆっくり休むことを考えよう。 二人して食えない人物だが、大事な存在を奪われ、取り戻そうとするアカツキが訊ねれば、知っていることならちゃんと答えてくれるはずだ。 どんな目的があろうと、ネイトを奪い去ったことは許せない。 あくまでも途中経過という意味合いで聞くのがいいだろう。 話しながら歩くうち、ポケモンセンターが見えてきた。 円筒形の建屋からは明るい光が漏れ、24時間いつでもトレーナーやポケモンを受け入れることを示している。 他の街に比べて敷地を取り囲む塀が高いのは、周囲の民家への配慮からだろう。 民家の灯りが寄り集まっても勝てないような明るさが、アカツキの気持ちを落ち着けてくれた。 ポケモンセンターの自動ドアを抜けて、ロビーに入る。 外から見るよりも、灯りは穏やかで優しいものだった。 街を訪れているトレーナーが多くないせいか、円状に配置された椅子のほとんどは空気が座っているような状態だ。 先日の騒動で、客足が遠のいているのだろうかと、ふと思った。 何の目的で活動しているのかは分からないが、ソフィア団が引き起こした騒動によって迷惑を被っている人がいるのは確かだ。 アカツキ以外にも、泣かされたトレーナーがいるだろう。 これ以上、誰かが困ったりするのは嫌だ……なんて正義感に満ちたことを考えているわけではない。 奪われた大切な家族を取り戻す。 アカツキがソフィア団と対決する理由など、それで十分だった。 閑散としているロビーを縦断し、アカツキとトウヤはカウンターの奥でカルテを整理しているジョーイに話しかけた。 「ジョーイさん、今晩泊まりたいんですけど」 「お二人様ですね? 分かりました。 ルームキーを発行しますので、少々お待ちください」 騒動のせいで客足が遠のいているはずなのに、彼女は相変わらずの笑顔で出迎えてくれた。 こんな時だからこそ、いつも通りの笑みでも浮かべていなければやっていられないのだろう。 なんとなく不憫な気もするが、彼女は彼女であまり気にしていないのかもしれない。 「しっかし……」 ジョーイがルームキーを発行している間、トウヤは改めて静まり返っているロビーを見渡した。 人があまり練り歩いていないおかげか、磨き抜かれた床面で天井の照明が反射しているのが際立って見える。 「なんや、あんま人おらへんな……」 思わず漏らした一言に、ジョーイがパソコンの画面を見やりながら苦笑した。 「ええ、五日ほど前にソフィア団とかいう変な組織が街の中で騒ぎを起こしたんですよ。 ジムリーダーが超ハッスル状態で連中を撃退してくれたんですけど…… ずいぶんと派手に騒いで、建物にも被害が出たりしたから、そのせいで客足が遠いんです。 困ったものですよね、まったく」 「そうやな。他人の迷惑を顧みないヤツほど始末に負えへんモンはあらへんからな」 愚痴にしか聴こえない言葉を軽く往なすトウヤ。 笑みこそ浮かべていても、胸中ではソフィア団の目に余る行動に苛立っているようである。 勤務地で余計な騒ぎを起こされれば、誰だって嫌だと思うだろうが、ポケモンを使っての騒動である。 ポケモンの看護士であるジョーイにしてみれば、ポケモンを悪用するのは許しがたい所業に違いない。 明らかに一般人よりも怒っているのが口調からよく分かる。 だが、それ以上にアカツキには気になったことがあった。 「ジムリーダーがガンバってやっつけてくれたんだ……」 ウィンジムのジムリーダー……明日戦うことになる相手が、ソフィア団を撃退してくれたということだ。 話に聞く限り、ウィンジムのジムリーダーはネイゼル地方最強のジムリーダーと謳われているそうだ。 どんなポケモンを使ってくるのか……? 「兄ちゃんが一回負けたって言ってたもんな……気を引き締めてかなきゃな」 アラタがウィンジムのジムリーダーに一度負けたという話を聞いていただけに、嫌でも緊張してくる。 スクールを優秀な成績で卒業した彼でさえ敗北を喫してしまうほどの相手である。 気を引き締めてかからなければ、一瞬で負けてしまうことにもなりかねない。 今日はゆっくり休んで、明日、全力でぶつかっていけるようにしなければ。 未だ見ぬ相手に闘志を燃やすアカツキを余所に、ジョーイはルームキーを発行し、トウヤに手渡した。 「部屋は三階になります。 食堂と学習室は地下になります。学習室はいつでも利用可能ですので、どうぞご利用ください」 「おおきに、ジョーイはん」 円柱形の建屋だけあって、一階は天井の高いロビー。二階から四階が宿泊室で、地下に食堂と学習室があるという構造だ。 「ほな、行くで。今日はゆっくり休まなあかん」 「……あ、うん」 肩を叩きながら言われ、アカツキはハッと我に返った。 知らず知らずに、心が明日のジム戦に飛んでいたらしい。 興奮して眠れなくなったらどうしよう…… 冷静になって初めて、そんな考えが胸を占める。 明日のジム戦は、これからのトレーナー生活を左右すると言っても過言ではない、大切な一戦なのだ。 気が昂らない方がどうかしているから、アカツキの胸中はごくごく一般的なものだった。 「うん、明日はガンバんなきゃな……みんなの気持ち、絶対無駄にできねえもん」 自分が立ち直ることを信じ、激しい特訓に身を投じていたポケモンたちの気持ちを無駄にするわけにはいかない。 ここが正念場……乗り越えなければならない高いハードルだ。 ロビー脇に設けられたエレベーターへと歩き出した時、背後から声をかけられた。 「アカツキ!!」 「……? この声……」 アカツキは聞き覚えのある声に、さっと振り返った。 地下へと続く階段を駆け上がり、手を振りながら駆けてくる親友――カイトの姿があった。 「カイト? なんでここにカイトがいるんだ?」 眼前で立ち止まり、ニコニコ笑顔のカイトに、アカツキは懐疑的な視線を向けた。 そういえば、レイクタウンで催された感謝祭以来の再会だが、彼は彼で元気に過ごしていたらしい。 まさか、こんなところで出くわすとは思いもしなかったが。 「久しぶりだな〜。元気そうで良かったぜ」 カイトはアカツキの視線など気にするでもなく、気さくな口調で話しかけてきた。 「トウヤさんも元気そうで何よりだよ。感謝祭の時以来だもんね」 「そやな。カイトは訊くまでもなく元気そうやな」 同じく笑顔で応じるトウヤだが、手早く話を切り上げようと言う腹積もりだった。 明日はアカツキにとって将来を左右しかねない大事なジム戦が待ち受けている。 相手が彼の親友とは言え、大局を見失ってはならない。 保護者を自任している以上、やるべきことはすべてやらなければならないのだ。 しかし、トウヤの胸中を知ってか知らずか、カイトの表情が曇った。 「アカツキ、大変だったな。 アラタさんから聞いたよ。ネイトが……ダークポケモンになっちまったんだってな」 「うん……」 知っていたのか…… トウヤは驚いたように目を見開いたが、対照的にアカツキは特に驚いていなかった。 アラタやキョウコから、カイトにその話が行っていたとしても不思議はないと思っていたからだ。 「兄ちゃんも、わざわざカイトに話さなくても良かったのに。でも……」 余計なことを、と言ってやりたい気持ちはある。 だが、アラタは彼なりに考えて、カイトに事実を伝えたのだろう。 アカツキの支えになって欲しいという、兄としての純粋な願いを込めて。 そんな彼の気持ちがなまじ理解できるからこそ、アカツキは何も言うことができなかった。 「カイトにも心配かけないようにしなきゃな」 その代わり、心配してくれている親友のためにも、明日は頑張らなければという気持ちが湧き上がる。 前向きな考えがトレードマークのアカツキらしい発想だ。 「……まあ、オレが言うのもなんだけど、おまえなら絶対助けられるって。自信持てよ」 カイトは口の端に笑みを作り、言った。 彼にとってネイトは親友同然の間柄だ。 心のないダークポケモンになってしまったと聞いた時には卒倒しかけたが、すぐにアカツキを支えなければ、という気持ちになった。 誰よりも落ち込んでいるのは、ネイトと何年も共に過ごしてきたアカツキだから。 しかし、自分が心配するまでもなく、アカツキはちゃんと立ち直ってやるべきことをやろうとしている。 それが分かっただけでも、救いだった。 「分かってる。オレもみんなも、ネイトを助けようって張り切ってんだからさ」 「そっか……」 アカツキが浮かべた笑みを見やり、カイトは自分の方が落ち込んでいたのだと再認識した。 昔からそうだったっけ……? 道場での稽古がきつかった時でも、アカツキは最後まであきらめようとしなかった。 疲れたなら疲れたなりに、自分にできることを探して一つ一つ実践していた。 きっと今も…… いや、今はその時以上に磨きがかかっているのだろう。 「だったら、何も言わないけどさ……」 「明後日、ネイトを連れてったヤツんトコに乗り込むんだ。 でも、ネイゼルカップに出場できるだけの実力がなきゃダメだって言われてさ。 明日、ここでジム戦して勝てばバッジが四つ揃うんだ。 そうしたら連れてってやるって言われたから、明日は何がなんでもガンバんなきゃいけないんだ」 「……ま、そういうワケやから、今日はゆっくり休ませてやってくれへんか?」 言葉を継いだトウヤは、ここぞとばかりに話を打ち切ろうとした。 砂漠の行軍、炎天下の中でのバトル。 ただでさえ強行軍だと言うのに、苛酷な環境での行動も伴っている。体力の消耗は、並大抵の大人なら参ってしまうほどのものだ。 アカツキだって、疲れていることを表に出してはいないが、相当にきついはずだ。 今はゆっくり休ませなければ…… トウヤの気持ちを察してか、カイトは最後に、アカツキにエールを贈った。 「じゃあ、明日のジム戦、ガンバれよ。 オレ、もう四つバッジを持ってるからさ」 「なにーっ!? おまえもう四つゲットしたのか!?」 「ま〜ね。悔しいって思うんだったら明日、絶対バッジをゲットしろよ。 そうじゃなきゃ、オレの勝ちになっちまうからな〜」 「言われなくたってゲットしてやるぜ。それじゃあな!!」 すでにバッジを四つ揃えたと言われ、アカツキは一瞬呆然としたが、 目の前にいるのが親友でありライバルでもあると思い出した途端に闘志をむき出しにする。 実に微笑ましい光景。 ライバルというのは、そういうものだろう。 トウヤはそう思いながら、エレベーターに駆け出したアカツキの背中を見送った。 エレベーターが音もなく天井に吸い込まれるのを確認してから、カイトに向き直る。 「すまんな、カイト」 「ううん、気にしなくていいよ」 困ったような顔を見せるトウヤに、満面の笑みで返すカイト。 アカツキが誰よりも辛く厳しい立場に置かれていると理解しているから、気にしてはいない。 「まあ、なんや。 あいつをゆっくり休ませてやりたいからな……」 「いいって。トウヤさんが謝んなきゃいけないようなことじゃないでしょ。 だったら、そんなこと言う必要ないって」 「…………」 理路整然と言われ、トウヤは沈黙した。 カイトはアカツキと違って、意外とドライなところがある。悪く言えば計算高いとでも表現すればいいだろうか。 ちゃんと物事を考えた上で言葉を発しているのだから、余計始末に負えない気もするが。 とはいえ、ある程度の事情はちゃんと話しておいた方がいいだろう。 アラタが、ネイトがソフィア団によって連れ去られ、ダークポケモンと化したことを話しているのであれば。 彼が何を考えて、アカツキの最高の親友に想いを託したのか……これでも、少しは理解しているつもりだったから。 二人はロビーの隅に移動して、長椅子に腰を下ろした。 「なんだか、大変だったみたいだね」 「ん、まあな……せやけど、大変なのはむしろこれからや。 ネイトを助け出せたとして……ダークポケモンから普通のポケモンに戻されへんかったら、意味あらへんからな」 「……そっか」 現実的な言葉に、カイトは深々とため息をつき、肩をすくめた。 さすがに保護者を気取っているだけあって、常に現実を直視し、現実的な考え方で物事を分析している。 「そうだよな…… ネイトを助け出せても、元の状態に戻してやれなかったら意味ないもんな……」 アカツキはネイトを助け出すことばかり考えている。 もちろんそれは大切なことだし、彼の純粋な気持ちに対してどうこう言うつもりはない。 しかし、助け出したから『めでたしめでたし』とはいかない。 そうしてやりたい、そうなって欲しいという気持ちはあっても、そればかりはどうしようもないだろう。 かつて、ソフィア団のエージェントが暴走させたクロバットを思い出し、カイトは背筋を震わせた。 ポケモンもトレーナーも、見境なく攻撃を仕掛けてきたあの時のクロバットには何の感情もなかった。 感情がないからこそ、何をしても感じるものがないのだ。 愛情も優しさも、何も感じない。 人懐っこくて、じゃれ付くつもりで電光石火を食らわしてきたこともあったが、あのネイトがダークポケモンになってしまうなんて。 信じられない気持ちを抱いていると、出し抜けにトウヤから声をかけられた。 「なあ、カイト。 おまえさっき、バッジを四つゲットした言うてたな」 「うん、それがどうかした?」 「おまえさえ良かったら、あいつのこと助けてやってくれへんか。 ネイゼルカップに出場できるだけの実力があるんやったら、誰も文句言わへんやろうし。 俺の勝手な判断やけど、アカツキと一緒にネイトを助けたって欲しいんや」 トウヤはいつもの軽薄な調子と違い、真剣な表情と真剣な口調で、カイトに頼みごとをしてきたのだ。 「…………」 いつになく真剣な表情に、トウヤは丸めた新聞紙を口の中に詰め込まれたように黙り込むしかなかった。 それだけ、彼はアカツキのことを心配しているのだ。 保護者だけあって、誰よりも心配しているに違いない。 もっとも、彼がどれだけアカツキのことを心配していようと、そんなことは関係なかった。 頼まれなくても、そうするつもりでいたからだ。 「トウヤさんって、案外そういうこと、気にするんだね」 「……ん?」 カイトはわざとらしくため息などつくと、お手上げのポーズで笑みを浮かべた。 「そんなこと、言われなくったってそうするつもりだったって。 断られてもついてくつもりでいたんだよ? オレ、これでもあいつの親友なんだからさ〜」 「そっか……すまんな、カイト」 「いいってば。あの場にいられなかったのが、ちょっと悔しかったから。 でも、オレでもできることがあるんだったら、なんだってするよ。 明日、あいつにちゃんと話してみるから。 ジム戦が終わるまでは、そういう雰囲気でもなさそうだしね」 「まあな……」 なんだ、話すまでもなかったか。 わざわざ頼みごとなどしたのがバカみたいではないか。 カイトは何でもないようにニコニコしているが、トウヤが苦汁にも似たものを味わっているのを楽しんでいるかのようだ。 本当に、趣味が悪い…… アカツキよりもタチの悪い大人になるのではないかと思ったが、正直、心強いと感じた。 単純な勢いだけなら、アカツキには到底敵うまい。 だが、カイトは物事を筋道立てて考えていく能力に長けている。 一長一短、互いの短所を補い合える最高の組み合わせだろう。 伊達に、親友など名乗ってはいない。 トウヤはカイトの計算高さ(少なくともトウヤはそう思っているようだった)に舌を巻きつつも、 協力を名乗り出た彼に状況を簡単に説明しておこうと思った。 力を貸してくれるのなら、状況を理解しておいてもらった方が、都合がいい。 アカツキの親友とは思えないずる賢さも、チャーミングに思えてくるから不思議だ。 泉のごとく滾々と笑いの衝動が湧き上がってくるのを噛みしめながら、トウヤは口を開いた。 「今、戦力ができるだけ欲しいトコなんや。 その目安っちゅーのが、さっきアカツキも言いはった、ネイゼルカップに出場できるだけの実力を持っとるヤツや。 まあ、言い方を変えれば、リーグバッジを四つゲットせいっちゅーことなんやけど……」 「そうなんだ。 なんかあいつ、バッジを四つゲットすることにこだわってたみたいだけど、そういう理由があったんだ」 カイトは合点が行ったように手を軽く叩きながら、頷いた。 先ほどアカツキが見せた対抗心は、そういう理由があったからか。 恐らくは、戦力として数えられなければ連れて行ってもらえないというところだろう。 「ポケモンリーグと、あとソフィア団と敵対しとるフォース団が組むことになって、明後日にソフィア団のアジトに乗り込むんや。 ソフィア団のボスが、アカツキのネイトを奪ったヤツやさかい」 「……ソフィア団のボスか。なんか、強そうだな」 「アラタやキョウコのポケモンでも勝てへんかった言うとった」 「うへぇ……」 端的な表現だったが、身近な人間を使った方が効果覿面だったようだ。 だけど、それは事実。 ネイトを奪い去ったシンラのポケモンは、並大抵のポケモンがいくら束になろうと勝てないだけの強さを秘めている。 アラタ、キョウコ、アカツキの三人が組んでも、彼のポケモン――ラグラージ、プテラ、ゴウカザルの三体のうち一体も倒せなかったのだ。 アラタが苦々しげに、敗戦の苦痛を思い返すような口調で言っていたのとおなじことを、トウヤはカイトに話した。 相手はそれほどに強力なポケモンを擁している。 それでも戦わずに済ませることはできない。 ――抜けるなら、今のうちだぞ。 トウヤは暗にそう言ったのだが、カイトは鼻を鳴らした。 「それでもさ、オレはあいつと一緒に行くぜ。 オレにとっても、ネイトは大切なヤツだからな」 「……まあ、そう言うと思っとった」 自分から力を貸してくれと言い出しておいて、抜けるなら今のうちだぞ……とは、なんと都合のいいことか。 トウヤはご都合主義の今の自分に嫌な気持ちを覚えつつも、こればかりは苦笑するしかなかった。 今までは、そう考えたことさえなかった。 いつからこんなご都合主義に目覚めたのか…… しかし、それが今の自分の姿なら、受け入れないわけにはいかない。 アカツキと出会って、本当に変わったものだ。優しくなったし、ほんのちょっとだけ、弱くなった気がする。 刺々しく生きていた、それほど遠くもない過去を思い返しながら、トウヤは感傷に耽っていた。 それこそ自分らしくないと分かっていながらも、一度芽生えた感情を踏みにじることはできなかった。 思いのほか、彼もまた不器用な少年なのだ。 「トウヤさん……?」 カイトは、どこか惚けたような表情を見せるトウヤに驚き、恐る恐る声をかけた。 「…………? ん……なんでもあらへん」 トウヤは何でもないと頭を振った。 感傷に耽っていたのだと、賢いカイトなら分かってしまうだろう。 別に今さら隠す必要もないし、なんでもないと適当にあしらうくらいでちょうどいい。 ……なんてことを思いつつ、話を先に進める。 「あと、ダークポケモンも出てくるかもしれへん。 いつやったか、キサラギ博士の研究所の敷地に来おったやろ」 「うん、ヨウヤとかいう根性クサレ野郎だよね」 「そいつはまだダークポケモン隠し持っとるらしいからな……こっちも総力戦なんや。 ネイゼルリーグのチャンピオンと四天王がついとるとは言っても、決して楽な戦いにはならへん言うてた」 「…………」 ネイゼルリーグのチャンピオン。 そして四天王。 ネイゼル地方のトレーナーなら誰もが憧れる、雲の上の存在だ。 彼らが集ってもなお、楽な戦いにはならないとは……トウヤの言う総力戦とは、想像を絶する激しい戦いなのだろう。 ソフィア団は今まで各地で暗躍してきた組織。 警察やポケモンリーグを敵に回しても数年間永らえてきたのは、組織を維持するだけの人員や潤沢な資金があったからだ。 そんな組織が金にモノを言わせたらどうなるか…… しかし、カイトは今さらアカツキ一人にすべてを背負わせようなどとは思えるはずもなかった。 「でもまあ、その方が戦い甲斐があっていいかもね。 オレもアカツキも、ネイゼルカップで戦うにはまだまだレベル低いから」 ニコリと笑い、強気な一言。 本当に敵わない……トウヤは肩をすくめた。 「まあ、どっちにしたって……」 この分なら、自分が心配などするまでもなく、カイトは最後の最後までアカツキを支え続けてくれるだろう。 親友の絆というのは、大振りの斧でさえ断ち切れるものではない。 「明日、あいつがジム戦を制するかどうかや」 「心配要らないって。 あいつ、やる時はどんなことだって平気でやっちゃうヤツだからさ。オレたちが、信じなきゃ始まんない」 「ん、そやな」 すべては、明日のジム戦にかかっている。 ネイゼルカップに出場できるだけの実力がある……それをハツネとサラに認めさせなければ、アカツキは自身の手でネイトを助け出せなくなる。 それは彼だけでなく、彼のポケモンたちにとってもこれ以上ない屈辱となるだろう。 せめて、そうならずに済むように…… トウヤもカイトも、アカツキが明日のジム戦をクリアしてくれることを願わずにはいられなかった。 Side 2 ――アカツキが故郷を旅立って47日目。 アカツキは朝食を済ませると、すぐさま部屋に取って返した。 爆撃でも始まるのではないか……? そう思わせる足音に驚いて飛び起きたトウヤが最初に見たのは、鼻歌など交えながら支度を整えるアカツキの姿だった。 昨日、トウヤはカイトとあれこれ話に花を咲かせすぎたせいで、ベッドに入ったのが日を跨いだ時間帯になってしまった。 おかげで、アカツキが起きたことにも気づかなかった。 まあ、今日は彼がジム戦を終えるまで何もすることがない。 ゆっくり休んでいても罰は当たらないだろうが、ある意味今日はアカツキにとって運命の一日となる。 そうゆっくりもしていられまい。 保護者という立場を考えるなら、笑顔で見送ってやるべきところだろう。 「なんや、上機嫌やな、アカツキ」 寝ぼけ眼を擦り、欠伸をして眠気を吹き飛ばした後、トウヤはアカツキに声をかけた。 「うん、昨日はよく眠れたからね」 アカツキは笑顔で振り返ってきた。 昨日は部屋に入ってベッドに倒れ込むなり、すぐに寝息を立てたのだろう。 よく眠ったのだから、元気なワケだ。 すっかりいつもの調子を取り戻している。 トウヤが安心していると、アカツキはリュックを背負い、トレードマークの帽子をかぶってバッチリ決めた。 一度アリウスに取られたことのある帽子だが、それを取り返すのにどれだけ大変だったか。 不意に、その時のことがトウヤの脳裏を過ぎった。 「じゃあトウヤ、行ってくるよ!! 絶対、バッジをゲットして帰ってくるから!!」 「ん。ガンバれや〜」 「おう!!」 アカツキは近所迷惑さえ顧みない大きな声で言うと、部屋を飛び出していった。 まるで風のようだった。 自由気ままに世界を流れ、決して立ち止まることのない風…… もちろん、そんなことはあるはずもないのだが、そう感じさせる何かがアカツキにあるというのは確かだろう。 本当に不思議だが、アカツキが元気な口調で言うと、本当にやってくれるのではないかと期待してしまう。 バタン!! 乱暴に閉められた扉。 扉の動きによって掻き混ぜられた空気が部屋の中に入り込み、カーテンをフワリと大きく揺らす。 「ま、ここが正念場や。気張れや、アカツキ」 トウヤは困ったものだと思いつつも、心の中ではアカツキの背中を力強く押していた。 一方、トウヤがしみじみ思っていることなど露知らず、 アカツキはポケモンセンターをあっという間に飛び出し、ウィンジムを目指して朝の通りを駆け抜けていた。 東の山脈の稜線から顔を覗かせた太陽は、山間の静かな街に優しくも暖かな光を射す。 昨晩は夜の帳が降りていたこともあってよく見えなかったが、ウィンシティの街並みはシックに見えて芸術性にあふれていた。 街のところどころに巨大な電柱が立っているのが見えたが、それは風力発電のプロペラを支える、丈夫なコンクリート柱だ。 ウィンシティは風力発電で有名な街である。 西、南、東を標高の高い山に囲まれ、南のカントー地方から吹いてくる山風を受けて、街の至るところに建植されたプロペラが回転し、電気を作る。 止むことのない風によって作り出された電気は、ネイゼル地方の重要な資源となっている。 街の景観を考えてか、上空に電線はないが、地下に縦横無尽に走っている。 地中深くに設けられた大ケーブル網によって、ネイゼル地方の各地に送電を行っているのだ。 そういった地下の開発と同時に、地上でも大規模な区画整備が行われた。 アカツキが生まれる十年以上も前の話ゆえ、この街がそんな歴史を刻んでいることなど知る由もなかった。 増してや、碁盤の目のように東西南北に整然と作られた道や、たくさんあるせいであまりそう見えないが、 風力発電のプロペラが一定の間隔を置いて建てられていることに気づくはずもない。 区画整理を終えて程なく、とある高名な画家が街を訪れて、芸術性に乏しい街の景色を一変させたという話もある。 何でも、落書きが大好きなドーブルを何体も連れた高齢な画家で、旅から旅の暮らしをしていたそうだ。 「なんか、他の街とも違うよな……」 アカツキは街の南端に位置するウィンジムへ向かいながら、街の景色を見渡していた。 ジム戦の前に、目の保養。 嫌でも昂る気持ちをクールダウンさせるにはちょうどいい。 フォレスタウンほどではないが、街には緑があふれている。 碁盤の目のような整然とした通り(イミテーション)の上に並べられた多くの人工物。 その最たるものは、数十本は打ち立てられているであろう風力発電のプロペラ。 人工物の多さをカムフラージュするように、緑があふれていた。 レイクタウンやアイシアタウンもそれなりに自然の多い町だが、ウィンシティほどではないだろう。 「でも、オレはこれからジム戦なんだ。ガンバんなきゃな……!!」 まだ朝早い時間帯ゆえ、街を南北に貫くメインストリートの人通りはまばらだった。 新聞や牛乳を配達するバイクや、朝の新鮮な空気を浴びてジョギングする人しかいない。 アカツキは短距離走者のように、通りの中央を堂々と駆け抜けた。 少し、陽が高くなったかなと影の伸びる方向から感じ取ったところで、緩やかな坂道に差し掛かる。 街の南部はカントー地方から吹き降りる山風の通り道らしく、民家も点在する程度で、その代わりに風力発電のプロペラが目立つ。 ちょっと冷たい山風を受けて、プロペラが回転する。 激しい回転ではなく、むしろ風車を思わせる速度で。 のどかな時を刻む街。 穏やかで優しい空気に包まれながらも、アカツキは足を止めず、一気に坂を駆け上がった。 街の南端はその他の区画と異なり、高台に位置している。 坂を登りきって少し進んだところで、アカツキはウィンジムの姿を認めた。 「あれがウィンジムだな……? なんか、ディザースジムと似てるけど……」 古代ローマのコロッセウム(現在ではコロシアムという呼び方が一般的らしい)さながらに、 中央の底部に広がるバトルフィールドを取り囲むように観客席が幾重にも配されている。 高台をその形に切り抜いて、そこにコロッセウムがすっぽり填まり込んでいるような感じだった。 全体的に塗り固めた土が乾燥したような薄い土色で、それが天然のものなのか、 あるいは人工的に古代の建造物を再現したものなのかは、見ただけでは何とも言えない。 ただ、ディザースジムと似通っている部分があるのは確かだった。 ディザースジムは古代エジプト文明の象徴とも言えるピラミッドの形をしていた。 ジムリーダーの性格を考えてみればそれも当然かと頷けるところはあったが、 もしかしたらここのジムリーダーもそれなりに変わっている人なのかもしれない。 地面に建屋が埋まっているような形ゆえ、どこから入ればいいものかと思ったが、心配は要らなかった。 高台から観客席を貫通して、中央の底部へと続く階段が設けられている。 「ここが最後のジムだ……」 アカツキは階段の先にある戦いの舞台――とは言っても特にステージが設けられているわけではなかったが――を眺めながら、拳を握りしめた。 ゴキッ、と関節が鳴る。 手の中に広がっていく軽い衝撃に、気持ちが昂る。 今日、なんとしてもこのジムを制さなければならない。失敗したら、明日には間に合わない。 「失敗なんてしやしないさ。 オレたちならできる。うん、きっとできるんだ!!」 アカツキは想いを口にした。 失敗した時のことなんて、やる前から考えていてはいけない。 失敗してしまったら、ポケモンの体力が回復しても、ジムリーダーに勝つための戦略をもう一度抜本的に見直さなければならなくなる。 どう考えても時間が足りなくなるから、一発でクリアしなければならないのだ。 自分よりも数段強い兄アラタでさえ敗北を喫した相手を、一発で倒してしまわなければならない。 だが、アカツキにとってそれは重荷になるものではなかった。 このジムでの勝利で弾みをつけて、明日からはその勢いのまま突っ走っていきたい。ネイトだって助け出したい。 そう思うと、不安や心配なんて一気に吹き飛んでいく。 「よし、行くぜっ、みんな!!」 戦うのは自分だけではない。 ポケモンバトルはトレーナーとポケモンが共に戦う場だ。 闘志にやる気の油を注いで、激しく燃え上がらせる。 アカツキは階段を一段ずつ降り始めた。 中央のバトルフィールドにたどり着くまでの間に、人っ子一人いない観客席に目をやる。 もしかしたら、ここで何かイベントが催されることがあるのかもしれない。 後でジムリーダーに訊いてみようかと思いながら歩を進め、一分と経たずにバトルフィールドにたどり着いたのだが…… 「あれ、誰もいない?」 周囲を見渡してみるが、ジムリーダーの姿はない。 代わりに、円形のバトルフィールドの左右(入ってきた方角から見て)には、鉄格子。 両方とも降りきっていて、奥に人の気配はない。 どうやら、その鉄格子の向こうに医務室やジムリーダーの居住スペースがあるようだ。 「ジムリーダー、いないのかなあ……?」 アカツキは訝しげに眉根など寄せながら、鉄格子の向こう側を見やった。 まさか、ジムリーダーもこんな朝早くから挑戦者が来るとは思っていないのだろう。 見た目からしてオープンにされているとはいえ、ジムにも営業時間というものがあるのだ。 「あのーっ、ジム戦に来たんですけど〜っ!! ジムリーダーいらっさりますか〜!?」 アカツキは朗々と声を張り上げた。 この辺りには民家もないから、どんなに大声を出しても近所迷惑にはなるまい。 なんとなくそう思って声を張り上げてみたが、青々と広がる空に虚しく吸い込まれる。 「えっと……」 一分近く待っても反応がない。 無反応だと、大声で叫んだことが無性に恥ずかしくなってくるのだが…… 「いないのか……? なんか、拍子抜け……ん?」 ジムリーダーはジョギングでもして不在なのだろうかと思ったが、アカツキは視界を影が横切っていくのを認め、空を仰いだ。 「なんだ、あれ?」 なにやら立派なドラゴンポケモンが我が物顔で空を飛び回っている。 まあ、それはいいとして、アカツキはそのポケモンの背に青年がまたがっているのを認めた。 普通なら振り落とされてもおかしくないスピードで飛んでいながらも、青年は平然としている。 降り注ぐ朝陽が逆光となって、顔まではよく分からなかったが、青年はアカツキに気づいたらしい。 ポケモンに下に降りるように指で指示を出して、一直線に降下してくる。 やがて地面に降り立ったポケモンの背から、青年が飛び降りた。 「うわ……」 アカツキは青年が従えているポケモンを見て、思わず感嘆のつぶやきを漏らした。 鮮やかなブルーの身体に、真っ赤な一対の翼。 腹から股にかけては灰色に近い白の模様が描かれている。 見るからに立派な体格で、長い首まで含めれば身長は二メートル以上になるだろうか。 バトルになれば凶悪な刃物のごとく鋭い眼光を放つ眼差しも、今はバトルではないためか、どこか穏やかで優しささえ湛えている。 初めて見るポケモンだが、強いと素直に理解できる。 アカツキがドラゴンポケモン――ボーマンダに見入っていると、青年はゆっくりと彼の前に歩いてきた。 「そろそろ、来る頃だと思ってた。 レイクタウンのアカツキ……キミ、ジム戦に来たんだろ」 「え、あ……そうですけど」 ポツリポツリ、言葉にするのも億劫に思えるような口調で話しかけてくる青年に、アカツキは戸惑いながらも小さく頷いた。 どうやら、ここに来ることが分かっていたらしい。 サラやハツネから知らされていたとしても不思議はないだろうから、特に驚きはしなかったが。 「風が話してくれた。 キミがそろそろ来るんだって。いいバトルをしてくれるんだって」 「……? そうなの?」 「うん、そうなの」 青年の意味不明な一言に、アカツキは首を傾げた。 風が話してくれたと言われても……どう反応したらいいものか分からない。 まさか、風と話ができるとでも言うのだろうか? 断言してのける青年とは、話が噛み合いそうにない……なんとなくそう思ったが、今はジム戦が最優先だ。 改めて青年の顔を見やる。 年頃は二十歳過ぎだろうか。 どこか幼い雰囲気を残しつつも、表情は大人のものだった。 特に背丈が高いわけではないが、身体つきはしっかりしている。 灰色の髪を背中に束ね、あちこちが変な具合に裂けた服を身にまとっている。 今、そういうのが流行りなのだろうか。 服の裂け具合が、翼にも見えてくるのだが……さすがにそれを直に訊ねるわけにもいかない。 それでも、アカツキには彼がジムリーダーであると理解できた。 ボーマンダを見るのは初めてだが、これだけのポケモンを従えているトレーナーなどそうそういるものではない。 穏やかな表情を浮かべる青年に、アカツキは思いきって声をかけた。 「あの、もしかしてジムリーダー?」 どうしてそれだけのことなのに勇気が要るのだろうと思いつつ訊ねると、青年は事も無げに頷いた。 「うん。ツバサ。ジムリーダーをしてるよ。 レイクタウンのアカツキ。それじゃあバトル、始めようか。 ルールは簡単。 三体のポケモンを使ったシングルバトル。入れ替え方式。先に二体のポケモンを倒した側の勝ち」 「入れ替え……うん、分かった」 どこかたどたどしい言い方ではあったが、ルールは飲み込めた。 とはいえ、今まで経験したことのない方式ゆえ、戸惑いは少なからずあったが。 アカツキは戸惑いを振り払うように、ルールを思い返した。 入れ替え方式のバトルとは、どちらかのポケモンが倒れた時点で、両者とも次のポケモンを出して戦うというものだ。 どちらかのポケモンが倒れた時点で次と代わるため、後々のことまで考えて力を温存しておく必要はないが、 それは相手にとっても同じことが言えるため、結局は一長一短だ。 「三体か……」 ここのジムが得意とするタイプは分からないが、できるだけ素早く相手を倒せるポケモンで相手をしなければならないだろう。 アカツキはそっと腰のモンスターボールに手を触れながら、考えをめぐらせた。 「じゃ、ボーマンダ。 キミの出番は先だから。少し戻っててね」 彼が考えている間に、青年――ウィンジムのジムリーダー・ツバサはボーマンダの頭を優しく撫でながら、モンスターボールに戻した。 それから、アカツキが険しい表情で考え込んでいるのを見て、ツバサは事も無げにこんなことを言った。 「ああ、そうそう。 このジムはね、ドラゴンタイプと飛行タイプを得意としてるから。じっくり、作戦を練ってね」 「はぁ?」 まさか相手の方から手の内をさらすようなことをしてくるとは思わず、アカツキは表情を引きつらせ、素っ頓狂な声を上げた。 ……周囲に民家がなかったため、その声が他の人の耳に届くようなことがなかったのがせめてもの救いだろう。 「どーしてそんなこといきなり言うんだろ……? もしかして、ワナとか?」 アカツキはツバサが浮かべた無邪気な笑顔を見やり、そんな風に考えた。 ジムリーダーは普通の人とはワケが違う。 ただの親切心で言ってくれたのだということは、まかり間違っても考えられなかった。 誤解されるようなタイミングでそういった言葉を発したのだから、勘違いされて当然だろう。 ツバサは勝負を始める前に、このジムが扱うタイプを挑戦者に素直に打ち明けている。 相手はタイプを聞いて、対抗策を練ろうとするだろう。 一見、彼が不利になるだけに思えるが、そうでもない。 逆に相手の心をかき乱し、ドラゴンタイプと飛行タイプに有利なポケモンを使わせることで、相手の選択肢を狭めるという狙いがあるのだ。 だが、アカツキは当然そんなことにまで考えが及んでいない。 相手のタイプに対して有利に戦うことに固執してしまったからだ。 そういった意味では、本格的な戦い(メインディッシュ)を前に、前哨戦(オードブル)ではツバサがすでに勝利を収めていると言っていい。 「ドラゴンタイプと飛行タイプってことは、有利なのは氷タイプだよな……? でも、氷タイプのポケモンなんていないしなあ……」 アカツキはツバサの企みなど知る由もなく、どのポケモンで戦い抜くかということばかり考えていた。 手持ちに、氷タイプのポケモンはいない。 ドラゴン、飛行と両方のタイプに有利なのは氷タイプだ。 ドラゴンタイプであれば、同じくドラゴンタイプの技が効果抜群だが、それは相手にとっても同じことが言えるため、実戦的とは言えない。 ここはむしろ、飛行タイプの弱点として挙げられる電気、岩タイプも考えておくべきだろう。 アカツキは一通りポケモンの相性論を思い返しながら、バトルに出すポケモンを決めていった。 「ドラップは『氷の牙』を使えるから決まりだな。 で、ライオットはドラゴンタイプの技が使えるから、決定……と。痛いけどしょうがないな。 あとは……」 しかし、最後のポケモンが決められない。 相手に有利な技を使えるドラップとライオットは決まりだが、残り一体で見えない壁にぶち当たったように考えが頓挫してしまう。 リータ、ラシール、アリウス。 いずれのポケモンも、飛行タイプやドラゴンタイプに対して有効な技は持っていない。 増してや、リータは飛行タイプに弱いため、今回は休んでもらうしかない。 となると…… 「ラシールの素早さで引っ掻き回してやるか……」 頭上に遥か広がる大空が、相手のホームグラウンド。 地上での戦いに持ち込めれば有利だろうが、そうも行かないだろう。 ここは相手の土俵で戦うことになるが、限りなく広がる空を舞台に選んだ方がいい。 「よし、それじゃあラシールだ」 素早さには定評のあるポケモンである。 よほどのことがない限り、背後を取られるようなことはないだろう。 アカツキはドラップ、ラシール、ライオットの三体に決めた。 ライオットの使えそうな技はだいたい把握しているし、普通のポケモンとは段違いのパワーを信頼して戦うしかない。 頃合を見計らって、ツバサが声をかけてきた。 「決まった〜?」 「うん、決まった」 「それじゃあ、始めようね」 アカツキが頷くと、ツバサは懐から小さな鉄の箱を取り出した。 よく見てみれば、それはリモコンだった。 赤と白のボタンがついているだけの、地味なリモコン。 「リモコン?」 「それ。ポチッ、とな」 一体何をするつもりなのかと思っていると、ツバサは赤いボタンを押した。 刹那、地面を振動が駆け抜けた。 「わっ!! な、なにが起こるんだ?」 それほど強くはなかったが、断続的な揺れに、アカツキは周囲を見渡した。 バトルをするというのに、どうしてわざわざリモコンなど使うのか、意味が分からない。 そうこうしているうちに、バトルフィールドが持ち上がった。 「ええっ!?」 古代のコロッセウムに似せた場所で戦うのではなかったのか。 アカツキが驚くのを尻目に、バトルフィールドは緩やかに上昇を続け、やがて高台よりも高い位置にまで持ち上がったところで止まった。 高台からなら見えるのだろうが、実際、バトルフィールドの真下から太い柱が地面の下にまで伸びている。 「うわーっ、すごいフィールドだなあ……」 アカツキは周囲を見渡した。 いつの間にか、フィールドの周囲を背丈の高い柵が取り囲んでいる。 これがウィンジムのバトルフィールド……宙に浮かぶ箱庭。 飛行タイプのポケモンが得意とする空を間近に感じられる場所だ。 ジムの真下に大がかりな機構が設けられており、ツバサがリモコンを操作すると、バトルフィールドが上下するようにできているのだ。 眼下に広がる街並みに、アカツキは感嘆の声を上げた。 改めて見渡してみると、碁盤の目のごとく整然と伸びる道と、計算されたように配置された緑と風力発電のプロペラがマッチして、 一種の芸術品にさえ見えてくるのだから不思議だ。 たまにはそうやって高い場所から街の景色を見てみるのも悪くない。 ……が、残念ながら、これからジム戦が始まる。 そんな時でなければ、飽きるまで存分に眺めているところだ。 「それじゃあ、始めようね」 「……あ、うん」 景色を眺めるのも程々に、アカツキはツバサに向き直った。 ジム戦が始まるというのに、どうしてニコニコ笑顔など浮かべていられるのか。 それだけ余裕があるということか……アカツキはツバサの笑みに不吉なものを感じつつも、彼に倣ってスポットについた。 「ドラゴンポケモンか……さっきのボーマンダってポケモンも出てくるのかな……?」 アカツキは真剣な面持ちでツバサを睨みつけながら、先ほど彼がまたがっていた屈強なドラゴンポケモンの姿を脳裏に浮かべた。 ボーマンダはネイゼル地方には棲息していないポケモンで、その戦闘力はドラゴンタイプの中でもピカイチだ。 最後のジムの相手には相応しいだろう。 とはいえ、ここでは空を飛べるポケモンが圧倒的に有利だ。地面に潜ることはできないし、地上では逃げ場も限られている。 ラシールとライオットは空を飛べるから、まあいいとして…… 「さて……と」 「……?」 ツバサの声のトーンが変わったのを察し、アカツキは改めて彼の目を見やった。 先ほどまで満面の笑みを浮かべていたのに、仮面でも貼り付けたように真剣な面持ちに変わっていた。 これが、彼のジム戦に対する想いなのだろう。 真剣な面持ちが、何よりも雄弁に物語っている。 「それじゃあ、僕のポケモンをお見せしよう……」 口調までキッチリ変わっている。 一体どうなってんだ……? 普段のアカツキなら間違いなく訊ねているところだが、ツバサの真剣な雰囲気に何も言えなかった。 「まずはチルタリス、キミからだ!!」 ツバサはアカツキの視線など意に介するでもなく、広がる空にモンスターボールを投げ放った。 「チルタリス……?」 聞いたことのないポケモンの名前に、アカツキは吸い込まれるように投げ上げられたボールに視線を向けた。 ツバサとアカツキの視線を受けて、ボールが口を開く。 中から飛び出してきたポケモンは、優雅に宙を舞った。 「あれがチルタリス? 初めて見るけど……鳥ポケモンだよな?」 シルエットは確かに鳥ポケモンのものだった。 淡いブルーの身体を包むように、一対の翼は綿雲のように真っ白に透き通っている。 見た目こそ可愛くも優雅な鳥ポケモンだが、チルタリスは飛行タイプと同時にドラゴンタイプも持ち合わせているのだ。 ポケモンは見かけによらないものである。 「チルル〜♪」 チルタリスは美しいソプラノで嘶くと、ツバサの眼前に音もなく舞い降りた。 真っ白に透き通った翼を畳むと、綿雲に巣っ子リ隠れてしまったように見えてくる。 その状態で宙に浮かんでいたら、雲と見間違ってしまうだろう。 「……な、なんかカワイイけど、強いんだろうな。油断はできないや」 チルタリスのつぶらな瞳を見ていると、なんだか吸い込まれそうになるが、アカツキは気を取り直し、頭を振った。 ジムリーダーが使うポケモンだ。 ただカワイイだけのポケモンではないだろう。 空を飛べるポケモンは、彼方まで広がる大空を武器にすることができる。 「……オレは……」 アカツキは腰のモンスターボールをつかんだ。 「よし、決めた!!」 誰を出そうか迷ったが、結局はチルタリスさえ倒してしまえばアドバンテージを握れるのだ。 「ラシール!! 行くぞ〜っ!!」 手にしたモンスターボールを頭上に掲げると、彼の意志に応えてボールが口を開き、ラシールが飛び出してきた。 「キシシシ……」 ラシールは飛び出すなり、すごい速さで四枚の翼を打ち振って、頭上に広がる雄大な空を存分に飛び回った。 久しぶりに暴れられると、上機嫌のようだ。 「ほう、なかなか強そうなクロバットだ」 上機嫌なのは、ラシールだけではなかった。 ツバサも、縦横無尽に飛び回るラシールを見て笑みを浮かべた。 「でも、分かってるか? 空は僕のホームグラウンド……僕の土俵で戦おうとする度胸は買おう。 だけど、勝つのは僕だ」 自分の得意とする舞台に敢えて飛び込んできたアカツキの勇敢さ(あるいは無謀さ)を評価しつつも、自信は崩さない。 「いいや、勝つのはオレさ」 自信を崩さないのは、アカツキもまた同じだった。 何がなんでも勝たなければならない……という気負いを捨てて、 今の自分たちにできることを精一杯成し遂げようという強い気持ちが口調から滲んでいた。 「なるほど……」 闘志をみなぎらせたアカツキを見やり、ツバサは上司に当たるサラが彼のことをいたく気に入っている理由を察した。 バカがいくつもつくくらいに純粋なのだ。 もちろん、それは侮蔑の意味ではなく、まぶしいばかりの純粋さに感心しているのだ。 目の前の男の子が今、どんな状況に置かれているのかは知っている。 できるなら勝たせてやりたいところだが、ジム戦に私情を挟むなどもってのほか。 公私混同は、ジムリーダーにとってルール違反の最たるものだ。 「それじゃあ、始めようか……」 ツバサがパチンと指を鳴らすと、チルタリスは羽休めも程々に、翼を広げてフワリ舞い上がった。 上昇気流を的確に捉えることのできる綿雲の翼は、羽ばたかなくてもその身体を空へと押し上げる。 「先手は譲る。どこからでもどうぞ」 余裕のつもりか、それともアカツキの初手を見極めてから反撃に転じるつもりか。 どちらにしても、アカツキは先制攻撃を仕掛けようと思っていた。 「そんじゃ、お言葉に甘えて……」 アカツキはいつの間にやらチルタリスと対峙していたラシールを振り仰ぎ、早速、指示を出した。 「ラシール、エアカッター!!」 最後のジム戦……戦いの火蓋は今、切って落とされた。 To Be Continued...