シャイニング・ブレイブ 第16章 最後のジム戦 -Fly high!!-(後編) Side 4 「ライオット、カイリューに近づいてドラゴンクローだ!!」 アカツキの指示に応え、ライオットは滑らかに宙を滑ってカイリューに迫る。 途中で炎が燃える音がして、前脚に赤いオーラが宿る。ドラゴンポケモンが得意とする技、ドラゴンクローだ。 「先手、確かに譲った」 ツバサはライオットを睨みながら、カイリューに指示を出した。 「カイリュー、冷凍ビーム!!」 「冷凍ビームが使えるんだ……」 カイリューが口から冷凍ビームを撃ち出したのを見て、アカツキはギョッとした。 得意とするドラゴンタイプの技で仕掛けてくるのかと思ったが、そうでもなかったらしい。 触れたものを凍てつかせる光線が虚空を突き進み、ライオットに迫る!! ドラゴン・地面タイプのライオットには、冷凍ビームに代表される氷タイプの技が最大の弱点だ。 普通にドラゴンタイプの技で弱点を突くよりも大きなダメージを与えられると期待して、氷タイプの技を繰り出してきたのだろう。 だが、それなら…… 「火炎放射!!」 氷には炎。 アカツキの指示にライオットはカイリューに迫りながら火炎放射を放つ!! 冷凍ビームと火炎放射が激突し、周囲に水蒸気が濛々と立ち込めた。 「竜巻!!」 刹那、ツバサの指示が飛ぶ。 どこに竜巻を発生させようと、今からライオットの動きを封じることは不可能だ。 アカツキはライオットに回避を指示することなく、そのまま突っ込ませた。 攻撃するからには、移動はしないはず。 ライオットならカイリューの気配を頼りに攻撃を放ってくれるはずだ。 立ち込める水蒸気を突き破り、ライオットは眼前に現れたカイリューの腹に必殺のドラゴンクローを食らわせた!! 脚を振りかざした時にすさまじい風圧が生まれ、水蒸気が引きちぎられる。 カイリューは腹に弱点の一撃を受け、大きく仰け反った――が、一歩も後ずさりすることはなかった。 「……!? ヤバっ!!」 普通なら攻撃から逃れようと後ずさりするのだろうが、その場に踏ん張ったということは…… 「ライオット、カイリューから離れて!!」 「遅いよ!!」 竜巻を発動させるために、その場に踏ん張って力を溜めていたのだ。 カイリューは翼を激しく打ち振ると、自身を中心に、極小範囲に竜巻を巻き起こした!! 下手に動こうとすれば、竜巻に引き込まれてダメージを受けてしまうという仕組みだ。 ライオットは慌てて離れようとしたが、周囲を竜巻に囲まれて、それどころではなくなってしまった。 逃げるには真上から飛び出すしかないが、カイリューがそれを黙って見逃すとも思えない。 「カイリュー、竜巻の流れに乗ってドラゴンダイブ!!」 どうしようかと思った矢先、ツバサの指示が飛んだ。 カイリューは生み出した竜巻の流れに乗ると、あっという間にライオットの真上に回り込み、強烈な体当たりを繰り出してきた!! ドラゴンダイブは殺気をまとって相手に強烈な体当たりを食らわせる、ドラゴンタイプの大技だ。 「やべえ、下手に動いたら……」 アカツキは焦った。 カイリューがドラゴンクローを受けたのは、反撃でライオットにより大きなダメージを与えるための布石。 肉を斬らせて骨を断つ、とはよく言ったものだ。 ここで下手に動いたら、竜巻に巻き込まれてしまう。自由を奪われ、カイリューのいいように弄ばれてしまうだろう。 それなら、ドラゴンダイブに抗して、攻撃を繰り出すしかない。 「竜の息吹だっ!!」 動かずに攻撃できる手段で、ドラゴンタイプの技はそれだけだ。 ライオットは押しつぶさんばかりに迫ってくるカイリューを振り仰ぎ、緑のブレスを放った!! 「無駄無駄ッ!! その程度でカイリューの勢いは止められないっ!!」 ツバサの言葉を証明するように、カイリューはまともに竜の息吹を食らいながらも勢いを落とすことなく、 ライオットにドラゴンダイブを食らわした!! ずどんっ!! 体当たりを食らうだけでなく、そのまま地面に叩きつけられる!! カイリューの体重は一般的に二百キロ前後と言われており、重力加速度まで加えれば、衝撃力は計り知れない。 ライオットを押しつぶしたカイリューは反撃を恐れてか、竜巻を解除してすぐさま距離を取った。 「ライオット!! しっかりしろ!!」 アカツキはぐったりしているライオットに檄を飛ばした。 ドラゴンダイブの威力は想像を遥かに超えていた。 ライオットを地面に叩きつけた衝撃で、周囲の地面にまで細かなひび割れが走っている。 ファンシーな外見からは想像もできないパワーで押しつぶされ、ライオットはぐったりしていたが…… 「…………」 無言で、ゆっくりと立ち上がる。 弱点となるドラゴンタイプの一撃で大きなダメージを受けたらしく、足元はどこか覚束ない。 竜巻を解除したカイリューが、ツバサの眼前に舞い降りる。 ライオットに強烈な攻撃を加えたことなど忘れ去ったみたいに、ケロッとした表情を見せる。 「ライオット、大丈夫か?」 これくらいで戦闘不能になるとは思えないが、アカツキは気遣って声をかけた。 灼熱と極寒が同居する砂漠で生きてきた底力、ここで見せてやらなくてどうする。 ライオットはアカツキの言葉に小さく頷き、カイリューを睨み付けた。 プリンのようにとろっ、とした円らな瞳がなぜか戦意をかすかに削いでしまうが、そんなことに意識を向けている場合ではない。 これもきっと、相手の策略だ。 「……ライオットは大丈夫そうだけど、カイリューって近距離でも遠距離でも平気で戦えるんだなあ。 どうやって攻めよう……?」 アカツキはライオットと同じようにカイリューを睨みつけながら、策をめぐらせた。 ファンシーな外見とは裏腹に、カイリューは陸海空、どこででも戦えるたくましいポケモンなのだ。 体格の差からして、スピードでならライオットに分があるだろう。 ただ、ライオットには相手の動きを封じられるような技が…… アカツキがあれこれ考え込んでいる間に、ツバサがカイリューに指示を飛ばした。 「カイリュー、竜の波動!!」 バトルはまだ途中、ぼーっとしているヒマはないぞと言わんばかりの声音に、アカツキは現実に引き戻された。 カイリューが大きく口を開き、青い炎を思わせる波動を放ってきた!! ドラゴンタイプの大技、竜の波動。 冷凍ビームでは火炎放射に撃墜されると知って、攻撃のタイプを切り替えてきたのだ。 「ライオット、空に飛んで避けろ!!」 火炎放射や竜の息吹では相殺しきれない。 アカツキの指示に、ライオットは翼を広げて飛び立った。 その直後、カイリューが放った竜の波動がライオットのいた場所を蹂躙する!! 「それで逃げたと思ったら大間違い!! カイリュー、吹雪!!」 竜の波動が消えぬ間に、カイリューは吹雪を放ってきた。 真上に向かって放たれた吹雪は、氷点下の風と氷の飛礫を広範囲に撒き散らす!! 「ふ、吹雪まで使えるなんて……ライオット、火炎放射で焼きながら飛び回れ!!」 氷タイプ最強の技まで使うとは思わなかったが、アカツキはライオットに吹雪に対抗して火炎放射を指示した。 広範囲への攻撃ゆえ避けようはないが、黙って受けるつもりはない。 ライオットは言われたとおり、火炎放射を放ちながら空を飛び回った。 吹雪の威力は、一点あるいは極小範囲にした時のみ最大となる。威力は範囲に反比例するため、広範囲に仕掛けると、威力は低くなる。 ……とはいえ、氷タイプが最大の弱点となるライオットがそれを少しでも受けるのは好ましくない。 他に対抗手段が見つからなかったから、アカツキは火炎放射で凌ぐように指示を出したのだが…… 「ヤバい、本気でヤバい……!!」 心配そうな面持ちでライオットを見上げ、アカツキは焦りを募らせていた。 カイリューは技のバリエーションが豊富だ。 その上、威力の高い技まで使いこなすテクニシャン。 遠距離での戦いでは、とてもではないが勝ち目はないだろう。火炎放射や竜の息吹では、先ほど見せた竜の波動に蹴散らされてしまう。 そうなると、身軽さを活かして接近戦を挑むしかないのだが…… 「なんとかカイリューに近づけないかなあ……?」 冷凍ビーム、吹雪、竜の波動…… ライオットにとっては弱点のオンパレードだ。 そういった強力な遠距離攻撃を掻い潜って迫らなければならないのが、一番のネック。 近づいてしまえば、後はドラゴンダイブを放つ暇も与えずに一気に攻め立てればいい。 ドラゴンクローを連発すれば、さすがのカイリューでもひとたまりもないはずだ。 焦りつつも、少しずつ方向性を見出し始めたところで、ツバサが嘲笑混じりにカイリューに指示を出した。 「近づく方法を探してるみたいだけど、そう容易くは近づけさせないよ!? カイリュー、大文字から水の波動、そして冷凍ビーム!!」 とんでもない技のオンパレードだ。 だが、カイリューは言われたとおり、炎タイプの大文字、水タイプの水の波動、氷タイプの冷凍ビームを立て続けに放ってきた。 同じ口から三つの技を続けて放つのに、何の異常も来さないのは不思議で仕方ないのだが、 それも屈強なポケモンの身体だからこそ為しえるものなのだろう。 「本気で近づかれちゃマズいみたいだな……」 炎、水、氷…… 立て続けに繰り出される多彩な技を避わしながら飛び回っているライオットと、彼を試すような顔で空を見上げるカイリューを、交互に眺める。 「でも、それならなにがなんでも近づいて一発ぶん殴ってやんなきゃな!!」 近づかれたら困るから、遠距離攻撃でどうにかしようとしているのだろう。 もし、それが罠だったら…… などという思考がアカツキの頭にはあるはずもなかった。 遠距離でどうにかできないのなら、接近戦を挑むしかないのだ。 罠があろうとなかろうと、思い切って飛び込んでみなければ始まらない。 ――虎穴に入らずんば、虎児を得ず―― とはよく言ったもの。 相手を倒す手段が接近戦にしかないのなら、罠だろうとなんだろうと飛び込むしかないではないか。 「だったら、やってやる。 どうせこのまま飛び続けてたら、ライオットの体力が保たないや」 ドラゴンダイブのダメージはとても大きい。 こうやって下から加えられる攻撃を避けながら飛び回ることさえ、ライオットには負担が大きいはずだ。 どう見てもカイリューの方がダメージを受けていない。 時間をかければかけるほど不利になるのはこちらの方だ。 やると決めたなら、すぐにやらなければ。 「…………」 ツバサの指示を受け、カイリューが炎、水、氷、ドラゴン……多彩な技でライオットを攻撃する。 そんな中、アカツキは相手の攻撃が途切れる一瞬のタイミングを狙い続けていた。 連続攻撃の合間にそんな一瞬があるのかさえ分からないが、攻撃している時に飛び込んでも口の角度を変えられる恐れがある。 火炎放射、水の波動、冷凍ビーム、竜の息吹…… 様々な攻撃が次々とライオットに追いすがる。 ライオットは必死に避けているが、その動きも少しずつ精彩を欠き始めた。 そう長くは保たない…… そう思った次の瞬間、攻撃が止んだ。 「今だ、ライオット!! カイリューに急降下、ドラゴンクローをありったけ叩き込めーっ!!」 「させないよ!! 竜の波動!!」 アカツキと同時に、ツバサもまた指示を出した。 まともに竜の波動など食らったら、それだけで戦闘不能になりかねないが、ライオットなら寸前で見切って避わしてくれるだろう。 ライオットが急降下を始めると同時に、カイリューが竜の波動を放つ!! ここで近づけるかどうかが、勝敗の鍵となる。 ライオットは竜の波動の軌道を見切り、右の翼を軽く畳むことで落下の軌道をわずかにズラした。 風の抵抗を左側だけで受けることで、落下地点を変えることができるのだ。 だが、それではカイリューから遠ざかる方向。 ぶおっ!! ライオットの耳元を、竜の波動が突き抜ける!! まともに食らったらひとたまりもなかっただろうが、これで攻撃が止むとも思えない。 「吹雪!!」 「火炎放射!!」 吹雪で来るなら、火炎放射で対抗する。 そんなのは分かりきっていることだ。 条件反射的に指示を出し、ライオットの火炎放射がカイリューの吹雪を易々と蹴散らす。 「カイリュー、冷凍……」 ツバサが三度目の迎撃を指示する直前、ライオットの脚に赤いオーラが宿る。 「やっちゃえーっ!!」 アカツキの言葉に応えるように、カイリューに肉薄したライオットがオーラの宿った爪を振りかざす!! 「回避!!」 迎撃では間に合わないと、ツバサは短く叫んだ。 「……!!」 迎撃も回避も不可能と思われたタイミングで、しかしカイリューは身体をわずかに後ろに反らすことで、ドラゴンクローの直撃を免れた。 とはいえ、赤いオーラを宿した爪の先端を受けて、苦しそうな顔を見せる。 空振りか……!! 渾身の一撃を避けられ、ライオットの目に動揺が走る。 追い討ちをかけるように、ツバサの指示が飛ぶ。 「冷凍ビーム!!」 カイリューは不安定な体勢ながらも、口をライオットに向けた。冷凍ビームが狙うのは、すれ違いざまに無防備になったその背中!! 「これで終わりだ……」 ツバサは勝利を確信した。 ドラゴンダイブで大きなダメージを受けているライオットが、背後からの冷凍ビームに耐えられるはずがない。 ずいぶんと手こずらせてくれたが、これで終わりだ。 ゼロ距離からの冷凍ビームを避けることは不可能。回避を許すだけの時間はないし、行動だって取れない。 二秒……いや、一秒で冷凍ビームが決まる。 しかし、アカツキの顔に動揺や敗北への恐怖はなかった。 真剣な眼差しを、ドラゴンクローを外して驚愕するライオットに据えて、ありったけの想いをぶつけんばかりに叫ぶ。 「ストーンエッジ!!」 「…………!?」 ライオットはアカツキの指示に、頬を叩かれたような衝撃を受けて、目を見開いた。 一体、何を……? だが、考えているヒマがないのは、明らかだった。 背後で、冷気が収束しているのが分かったからだ。 ライオットはアカツキに言われたとおり、鋭い爪のついた前脚を地面に叩きつけた。 先ほどボーマンダのドラグーンレイによって無数のひび割れが生じた地面から、衝撃と共に無数の岩が真上に射出された!! 「なっ……!!」 ツバサが見込んだ、一秒の間に起こった出来事。 まさか、あの状態から反撃してくるとは……驚きは、それだけに留まらない。 カイリューは真下から衝撃と共に叩きつけてくる岩を食らい、苦痛に表情をゆがめながらも、ライオットの背中目がけて冷凍ビームを発射!! ぱきんっ!! ゼロ距離で発射した冷凍ビームは、そもそも狙いを定める必要がないほどに、限りなく命中率が高かった。 ライオットの背中が凍りつく。 凍えるような寒さが、背中から全身に広がっていく。 身体が震え、思うように動かなくなるのを痛感しながらも、ライオットは残った力を振り絞ってカイリューを見上げた。 カイリューは地面から噴き上がるすさまじい衝撃と岩を受けて、宙に舞い上げられていた。 「よし、効いてる!!」 アカツキは心の中でガッツポーズを取ったが、まだ勝利を決めたわけではない。 引き分け以上に持ち込めばリーグバッジをゲットできるが、どうせやるからには勝利も一緒にゲットしたい。 カイリューはドラゴン・飛行タイプ。 岩タイプのストーンエッジは効果抜群だが、 さすがにディザースジムのジムリーダー・ヴァイスのニドキングが放った同名の技と比べると、さすがに威力は劣る。 長年かけて練り上げられた威力と、小手先の技では大きな開きがあるが、それでもカイリューには手痛い攻撃になっている。 地面から噴き出した衝撃と岩の連打をまともに食らい、身をよじっている。 不安定な体勢でなければ、翼を広げて攻撃範囲から逃れるところだろう。 「まさか、このタイミングでストーンエッジとは…… さては、ドラゴンクローが不発した時のために、あらかじめ仕込んであったか」 ポケモンにさえその戦術を教え込んでいなかったということらしい…… カイリューが手痛い一撃を食らっているのに、ツバサは冷静に考えをめぐらせていた。 アカツキはライオットがストーンエッジを使えることを知っていた。 ドラゴンクローが当たればそれで良し、外れたら外れたで、ストーンエッジを発動させる。 位置的にはカイリューの真下に近い場所。 真下から攻撃するストーンエッジなら、回避はできないだろう。 それに、先にひび割れている場所で発動したら、衝撃波と岩が噴き上がるまでの時間を短縮できる。 ボーマンダのドラグーンレイによって生じたフィールドの変化さえ、アカツキは何食わぬ顔で利用したということだ。 「そんな手で出てくるとは……さすがに、子供ゆえの柔軟さだな」 正直、あの状態からストーンエッジでつなげてくるとは思わなかった。 ツバサはひび割れた地面のことなどまったく気に留めていなかった。 地面から噴き出した衝撃波と岩を食らい、カイリューは怯んでいる。 チャンスは今しかない……!! 「ライオット、火炎放射で背中の氷を溶かしたら、全力でドラゴンクロー!!」 アカツキはグッと拳を握りしめ、ライオットに指示を出した。 ストーンエッジのダメージは予想以上に大きいらしく、カイリューは立ち直るまで時間がかかりそうだ。 今のうちに背中の氷を溶かし、追い討ちをかけなければ反撃のチャンスを与えてしまう。そうなったら、勝ち目がなくなってしまう。 ここで相手より先に立ち直ることが勝利への鍵。 ライオットはアカツキの切羽詰まった声音に、今自分たちが置かれている状況を察したらしく、すぐさま火炎放射を放った。 真下の、地面に。 地面に反射した炎はライオットの全身を包みこむ。 背中の氷を溶かすには、それしか手段がないとはいえ、炎を食らって熱くないはずがない。 ドラゴンタイプの防御で、炎によるダメージはそれほど大きくないが、ノーダメージというわけにもいかないのだ。 全身を襲う、砂漠の炎天下以上の高熱。 しかし、氷でかじかんだ身体をほぐすには十分な熱量だ。 ライオットは羽ばたいて炎を弾き飛ばすと、空中で体勢を立て直そうとしているカイリュー目がけて飛び立った!! ストーンエッジによる攻撃はそこで途切れたが、次で終わらせる。 「カイリュー、回転しながら竜の波動!!」 「ライオット、急げっ!!」 ツバサの指示にギョッとしながらも、アカツキはライオットを急かした。 竜の波動を回転しながら放たれたら、逃げ場がない。 しかし、ライオットがオーラを宿らせた赤い爪を振りかざすより、カイリューが立ち直る方が早い!! 「翼を狙うんだ!!」 「……!?」 カイリューが回転しながら竜の波動を放った瞬間、ライオットの爪がカイリューの翼を薙ぎ払う!! 「ぐりゃぅぅっ!!」 カイリューは悲鳴をあげ、身体を震わせた。 翼を攻撃され、態勢を崩す。 片方の翼を傷めた状態では竜の波動など放ち続けられるはずがなく、増してや片方の翼だけで二百キロ以上の体重を支えきれるはずもない。 カイリューが地面に墜落する。 翼へのダメージが大きいらしく、立ち上がるのにも苦労する様子だ。 「今だっ、ドラゴンクローでキメちまえっ!!」 「ごぉんっ!!」 ライオットは立ち上がろうともがいているカイリューに向かって急降下!! 赤いオーラを棚引かせながら、ギラリと光る爪を無防備な背中に振り下ろす!! 「ぎゃぅっ!!」 真上から加えられた重い一撃に耐え切れず、カイリューが地面に這いつくばった。 「トドメに竜の……」 審判がいない以上、ツバサがカイリューの戦闘不能を認めるまで攻撃を加えなければならない。 カイリューが見せる、痛々しい表情。 気の毒だが、ポケモンバトルはそういうものだ。 アカツキがライオットに最後の指示を出そうとした矢先、ツバサが短く叫んだ。 「もういい!! ストップ!!」 「……いぶ……ええっ!?」 口の中に丸めた新聞紙を詰め込まれたように、アカツキは最後の一文字を発することができなかった。 その代わり、驚きの叫びが飛び出す。 まさか、攻撃を中断させるためだけに、もういいなどと発したわけではあるまい。 「ええっと……」 アカツキの指示が完全に出ていなかったためか、ライオットは開け放った口をカイリューに向けたまま、動きを止めていた。 あと一文字……最後まで指示が出ていたら、確実に竜の息吹を浴びせていただろう。 ツバサがストップと発した手前、問答無用で竜の息吹やらドラゴンクローを放つわけにもいくまい。 どうしたらいいものか…… アカツキが神妙な面持ちで考えていると、ツバサは観念したように深々とため息を漏らし、肩をすくめた。 凪の海を思わせる穏やかな目で、立ち上がろうともがいているカイリューを見つめる。 バトルである以上、戦いを捨てるわけにはいかないと、歯を食いしばりながら立ち上がろうともがく表情が執念を物語っている。 だが、ここでカイリューが立ち上がってライオットに攻撃を仕掛けるより、ライオットがカイリューを攻撃する方が圧倒的に早い。 ストーンエッジとドラゴンクローのダメージが重なって、立ち上がるのも辛そうだ。 「カイリュー、戻れ。これ以上傷つく必要はない」 ツバサは傷を負っても戦おうとしているカイリューを、モンスターボールに戻した。 審判に戦闘不能を宣言されていない状態でジムリーダーがポケモンをボールに戻すのは、ポケモンの戦闘不能を認めるのと同じだ。 増してや、勝敗を決する最後のポケモンを戻すなど…… アカツキとライオットは、カイリューがモンスターボールに引き戻されるのを呆然と見つめていた。 まさか、ここでジムリーダーが自ら負けを認めるとは思わなかったからだ。 先ほどみたく、不利な体勢から竜の波動を放とうとしたように、この状態からでも攻撃を仕掛けてくると思っていた。 しかし…… 「ふう……」 カイリューのボールを腰に戻し、ツバサは再びため息をついた。 しばらく目を閉じていたが、すっと見開き、ニコッと微笑みかける。 「おめでと〜。キミの勝ちだよ、アカツキ」 「えっと……ホントにいいわけ?」 アカツキは困惑した。 カイリューを戻し、勝利を宣言してくれた。 それはいいのだが、本当にそれでいいのか? ツバサの表情を見る限り、後悔などは微塵も感じられなかったが…… やはり、ジム戦は相手のポケモンをすべて倒してこそ勝利を手にするという先入観があるせいだろう。 ディザースジムのジムリーダー・ヴァイスと戦った時も同じような気がしたのだが…… アカツキが戸惑うのを余所に、ツバサは軽い調子でいけしゃあしゃあと言ってのけた。 「僕のドラゴンポケモンをあそこまで追い込んだんだ。 ストレート勝ちしなくったって、キミの実力は十分に把握できたんだよね。 とりあえず、ジム戦っていうのは挑戦相手のレベルを測って、一定以上だって認められればリーグバッジを渡してもいいんだよ。 ……ともあれ、僕はアカツキ、キミを認める。 サラさんが気にかけていただけじゃなくて、キミ自身の力と、ポケモンとの絆。確かに見届けたからね」 「…………?」 そう主張するからには、ここで言葉を挟んでも彼の言葉は変わるまい。 納得しきれないところはあるが、ジムリーダーが認めてくれたのなら、異議を唱えても仕方がないのだ。 「どっちにしたってさ……」 ツバサは口の端を吊り上げ、お手上げのポーズを取ってみせた。 「あの状況で攻撃なんてできやしない。 立ち上がって反撃するより先に、キミのライオットが一撃を加えただろうから。 翼を狙ってくるとも思わなかったからね……カイリューの立派な体格を考えれば、あの小さな翼を攻撃するのはいい判断だったよ」 どちらにせよ、カイリューがライオットを倒すのは不可能だ……と言いたげだった。 そこまで言われてしまっては、どうしようもない。 「じゃあ……」 「うん。バッジをあげるよ。 キミにとっては、ネイゼルリーグ出場に必要な、最後のバッジ」 「そっか……ライオット、やったな♪」 「ごぉんっ!!」 ともあれ、リーグバッジをゲットできるのなら、ありがたくいただいておこう。 アカツキは喜びの声を上げて飛んできたライオットの頭を優しく撫でた。 ライオットの方が背丈は高いのだが、まるでそんなことが気にならないくらい、アカツキに無邪気に懐いていた。 ゲットして二日目ではあるが、二日目であるとは思わせぬほどの絆を育んでいるということだろう。 アカツキとライオットがジム戦の勝利に喜びをあらわにしていると、ツバサはリモコンのボタンを押して、フィールドを地上に降下させた。 フィールドが地上に降下するまでの間に、アカツキにバッジを手渡す。 「これが僕のジムを制覇した証、スカイバッジだよ。大事にしてね」 「スカイバッジ……これで、オレもネイゼルカップに出られるんだ!!」 アカツキは手のひらの上のバッジを見やり、表情を輝かせた。 鮮やかな青と白で塗り分けられたバッジ。他のリーグバッジと比べると地味に感じられるが、空と雲をイメージしているものと思われる。 やがてフィールドが地上に降下した時、地面が軽く揺れた。地下に到達した柱が止まったために振動が伝わってきたのだろう。 その振動で、アカツキは喜びから現実に引き戻された。 「だけど、これで明日、連れてってもらえる。ネイトを助けに行ける!!」 ハツネから言われた言葉が脳裏を過ぎる。 ――ネイゼルカップに出場できるだけの実力がないんじゃ論外だよ。 そこんとこが最低ラインさ。 ネイゼルカップに出場できるだけの実力があれば連れていってやる。 言い換えれば、四つのバッジをゲットし、ネイゼルカップの出場権を得ることができればいい。 アカツキは今、四つ目のバッジを手に入れた。 これでネイゼルカップ出場の要件を満たしたのだ。ハツネの言葉を満足させることができる。 「でも、連れてってもらえるだけだ。オレたちがマジでガンバんなきゃ!!」 ハツネは最低ラインだと言っていた。 きっと、少しはケチをつけられるのだろう。 それでも自分たちの手でネイトを助けられるのなら、それ以上に喜ばしいことはない。 アカツキはバッジをグッと握りしめ、ツバサに顔を向けた。 どこか満足げに見えるのは、気のせいだろうか……? 「でもさ……オレ、完全には納得してない。 またいつか戦うことがあったら、そん時は全力でやってくれるよな?」 「もちろん。その時が来るのを楽しみにさせてもらうよ」 さも当然と言わんばかりに微笑むツバサ。 アカツキとしても、完全な形で勝利せずにバッジをもらうのには抵抗がある。 いずれ、今よりももっと強くなった時に、もう一度バトルをしよう。 その時はジム戦ではなくなっているだろうが、あの時=今、バッジを渡すのは正しかったのだと認めてもらうためにもう一度戦い、勝とう。 「それじゃあライオット、ゆっくり休んでてくれ」 アカツキはライオットをモンスターボールに戻すと、ツバサに小さく頭を下げた。 実力を認めてくれてはいるのだろうが、それでも多少はこちらの事情を汲み取ってくれたからだろう。 どこかお情けでもらったような気がしてしまうから、素直には喜べない。 とはいえ、バッジを渡してくれたツバサの気持ちを慮れば、何としても明日はネイトを助け出さなければ。 「次は、もっと強くなってるから」 「OK。今は、キミのやるべきことを考えればいい。 僕はいつでもキミの挑戦を受けるからね」 「それじゃあ、また!!」 「うん、バイバイ」 ツバサの笑みに見送られ、アカツキはウィンジムを後にした。 甘いと言われても仕方がないほど優しいジムリーダーに背を向けて、ポケモンセンターへ向かって駆け出した。 とりあえずの方向性は見出せた。 次のステップは……ネイトを助けること。 ジム戦の勝利という喜びを押し殺すほどに、今のアカツキの胸中は穏やかなものではなかった。 Side 5 夕飯を摂った後、アカツキはカイトに連れられて、屋上へと場所を移した。 なにやら、話したいことがあるのだそうだ。 食堂で話してくれればいいのにと思ったが、カイトに真剣な眼差しを向けられ、いつものように軽い調子で言葉を発するのが躊躇われた。 アカツキには珍しく――そう、実に珍しい反応だったが、それは十年来の親友がいつになく真剣な雰囲気を漂わせていたからだろう。 屋上に出ると、カイトはしきりに周囲を見渡した。 屋上で……と言っていたように、人目を気にしているようである。 二人きりでなければ話せないことなのかと思ったが、答えは間もなく示されるだろう。 「で……こんなトコまで連れてきてどーしたんだよ。おまえらしくないじゃん、カイト」 周囲に人の気配がないのを肌で感じ、アカツキは切り出した。 人が近くにいるかどうかくらい、アカツキには手に取るように分かる。 なにしろ、格闘道場でみっちり鍛えられていたのだ。 屋上には人が隠れられそうなスペースはない。 円形のステージを思わせる屋上には洗濯物を干すためのロープが張り巡らされ、 談笑の一時を楽しむためだろうか、小さなテーブルと数脚の椅子があるだけだった。 とりあえず他人がいないことを確認してから、カイトは言葉を返した。 妙に用心深いが、それだけ他人には聞かれたくない話なのだろう。 一体どんな話なのか、気になって仕方ない。 「おまえが置かれてる状況、アラタさんとトウヤさんから聞いた。 明日、ネイトを助けに行くんだよな?」 「うん、そうだけど。 ……それ、兄ちゃんから聞いたんだろ?」 カイトは『アラタとトウヤ』と強調していたが、アカツキに言わせれば、最低限の状況はアラタから聞いたはずなのだ。 彼の口振りから察するに、どうやらトウヤから何か言われたらしい。 屋上に誘い出したのも、彼と話した内容が関わっているのだろう。 なんとなく分かった気がしたが、彼の口から聞かなければ意味がない。アカツキは口をつぐんだ。 「まあ、ねえ。 おまえもバッジを四つ集めて、ネイゼルリーグの出場権を手に入れられたワケだもんな」 「それもさっき話した」 いつになく回りくどく、歯切れの悪い言葉。 黙っていようと思っても、無意識にツッコミを入れてしまう。 間を置かずにツッコミを入れられ、カイトは苦笑いした。 「……おまえ、なんか変わったな。 いつものおまえだったら、そこで笑うところだろ」 「ネイトが辛い時に笑っちゃいられないよ。 いつものオレじゃなくて、悪かったな……でも、明日のこと考えると、余計に笑えない。 オレたちの手で、ネイトを助けてやんなきゃいけないんだからさ。 落ち着けるわけないじゃん」 「そうだなあ……」 ネイトを目の前で奪われてしまったことが、アカツキの心に楔を打ち込んでいる…… 短い言葉のやり取りからも、想像以上に深い傷を負ったのだと察する。 それでも、今話さなければならないことがある以上は、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。 眼差しを尖らせるアカツキをまっすぐに見つめ返し、カイトは言った。 「明日、オレも一緒に連れてってくれよ。 トウヤさんが言ってたけど、なんだか戦力は多い方がいいらしいし。 それなら、オレだってネイゼルカップの出場権はゲットしたから、足手まといにはならないと思うんだ。 それに……ネイトはオレにとっても大事なヤツだからさ」 「カイト……おまえ……」 アカツキは嘆息した。 どうしてこんなところに場所を移したのかと思ったが……なるほど、そういうことか。 人前では確かに話しづらいことだろう。 カイトの真剣な面持ちと、熱い想いがこもった言葉。 どこか冷めていた気持ちがじわりと暖かくなるのを感じずにはいられなかった。 「……ホントにいいのか? 危険なんだぞ?」 アラタやトウヤから事情を聞いたのなら、相手が危険な組織であることは分かっているはずだ。 危険を承知で申し出ているのだろうが、念のために問いを投げかけてみる。 もっとも、カイトはアカツキが考えている以上に深く考えていた。 「おまえだけ行かせるワケにもいかねーだろ。 おまえ、肝心なトコで詰めが甘かったり、感情に任せて暴走しそうだから危なっかしいんだよ。 見てられないって」 「う……よ、余計なお世話だっ!!」 心にグサリと言葉のナイフを突き立てられ、アカツキは声を荒げた。 ぴくぴくと、目元口元が引きつっている。 さすがに、幼い頃からの付き合いだけのことはある。アカツキのことをちゃんと理解していなければ突きつけられない言葉だ。 「ま、そういうわけだから、オレも一緒に行かせてもらうぞ。 オレなんかの言葉でこんな風になっちまうんだから、ホントに心配でたまんねえよ」 「……勝手にしろっ」 これ見よがしに微笑んでみせるカイトから顔を背け、アカツキは苦々しく吐き捨てた。 少しでも隙があるとからかってくるところは、以前よりも巧妙かつ悪質になっている。 それでも、カイトがアカツキのことを心から心配してくれているのと、ネイトを助けたいと強く思っていることだけは真実だ。 「……………………」 冷たい風が、南の山脈から吹き降りる。 いつの間にやら会話も途切れ、山風が街を吹きぬけていく乾いた音だけが虚しく響いていた。 夜の冷たい風に、熱くなった気持ちも少しクールダウン。 ふぅ…… アカツキは小さくため息をつき、ゆっくりとカイトに向き直った。 「でも、ありがと。 ホントにうれしいぜ。おまえが一緒に来てくれるって分かってさ……」 「礼は倍返しな」 「できることならなんだってするさ」 「おいおい、マジかよ」 「マジだって」 カイトが一緒に来てくれると分かって、本当にうれしかった。 持つべきものは親友(トモ)だと、心の底から喜びを噛みしめていた。 力を貸してくれるのだから、無事にネイトを助け出せたら、その後でいくらでも礼をしよう。 自分にできることなら、どんなことでもしようと素直に思った。 アカツキの気持ちを理解したらしく、カイトは口の端を意地悪そうに吊り上げて、こんなことを言った。 「……まあ、いいや。 それじゃあ……ネイゼルカップで戦うことになったら負けてくれる?」 「ちょっと待て待て待て!! なんだってするって言ったけど、そういうのはナシ!!」 アカツキはギョッとして全否定した。 いくらなんでも、それは違うだろう。 礼はするが、ポケモンバトルとなると話は別だ。 誰が相手だろうと、おとなしく負けてやるつもりはない。 増してや、カイトは常にアカツキの一歩先を行くトレーナーなのだ。 全力で戦っても勝てるかどうか分からない相手に加減などできるはずもない。 アカツキがムキになるものだから、カイトは笑いを堪えることができなくなった。 「あっははははは!! 冗談だって冗談。 いくらなんでもそんなことしたら、アラタさんに締め上げられちまうよ」 「冗談に聞こえねえんだよ!!」 青筋を立てながら猛反発するアカツキにゲラゲラ笑うカイト。 「……ったく!! 趣味悪いっての!!」 「悪い悪い。なんだってするって言われたら、試したくなるだろ、普通?」 「そうかあ? オレは試そうなんて思わないけどな」 本当に、カイトは趣味が悪い。 筋金入りとまでは言わないが、磨きがかかっている。 ……だけど、そんな他愛ない言葉のやり取りも、ずいぶんと久しぶりだ。 本当はカイトの頭をぶん殴ってやりたい気持ちではあるが、なぜだか心が和む。 こういう風に、冗談交じりに談笑(?)するのを、いつから忘れていたのだろう……? アカツキは星空のカーテンにかかる三日月を見上げながら、ため息をついた。 ネイトがダークポケモンと化し、シンラに連れ去られた時から、きっとこんな風に他愛ない会話のやり取りを忘れていたのだろう。 ネイトはきっと辛い想いをしているのだから、自分が先に笑うわけにはいかない。 ……意識していなくても、心の中ではきっとそう思ってきたのだろう。 今だから、そんな風に考えられる。 「もしかしてカイトのヤツ、トウヤに言われてオレを励ましてくれたのかなあ……?」 トウヤのことだ、自分では恥ずかしがって口にはしないだろう。 カイトに押し付けているような気もするが、トウヤもまたアカツキを心配しているのだ。 彼の気持ちも、汲み取ってあげたい。 「オレだけじゃなくって…… ネイトも、みんなと一緒に笑えるようにガンバんなきゃなっ!!」 そのためにも、明日は絶対にネイトを助け出す。 以前と同じように、みんなで一緒に笑えるように。 それが、今まで支えてくれた人たちへの恩返しになると、アカツキは考えていた。 ミライ、トウヤ、カイト、アラタ、キョウコ…… 身近な人から、ネイゼルリーグの四天王やチャンピオン、各地のジムリーダーまで。 知らず知らずに、たくさんの人たちが自分を支えてくれていた。 ネイトがいなくなって辛かった時も、時に荒ぶる滝のようにぶつかり、時に母親のように優しく暖かく見守ってくれたり…… 今の自分にできることなんて、本当は取るに足らないほど些細なものかもしれない。 それでも、支えてくれた人に恩を返したい。 「あー、そうだ」 「……?」 不意に、カイトが口を開く。 アカツキはゆっくりと視線を下ろし、相手に顔を向けた。 「オレは、おまえを助けたいって思ったから申し出ただけだからな。 そりゃあ、トウヤさんに言われたこともあるけど、言われなくてもそうするつもりだったぜ。 おまえに断られても、何度だってしつこく頼み込んで、折れてもらおうって考えてたんだ」 「そうだと思った。 おまえだったら、そうするだろうな……って」 「な〜んだ、お見通しかよ」 「何年友達やってると思ってんだよ」 大げさと思うほど肩をすくめてみせるカイトに、アカツキはニッコリと微笑んだ。 カイトがアカツキのことを分かっているように、アカツキもカイトのことをちゃんと分かっている。 そうでなければ良好な関係を続けてゆけるはずがない。 単にそれだけのことだったのだが、顔を突き合わせ、じっと視線を向け合ううち、どちらともなく「ぷっ」と噴き出した。 なんだかバカバカしくなって、二人して大声で笑った。 今、置かれている状況さえ忘れてしまうくらい、声を立てて笑った。 静まり返った街に、二人の笑い声が高らかに響く。 近所迷惑になっているのかもしれないが、それさえ二人の思考からは欠落していた。 腹を抱えて笑い、手を叩いて笑い…… 腹が痛くなってきたところで、笑うのをやめる。 「はーはー……」 先に息を切らしたのは当然、カイトだった。 「ま、オレが心配するほどのことじゃなかったな」 「当たり前だろ? オレがしっかりしなきゃ、みんなだって安心できねえからな」 「それでこそオレのダチのアカツキだ」 「おまえも、そうやって軽口叩くのがカイトだよな」 今この時ほど、親友というのがありがたい存在と思えたことはなかった。 他愛ない冗談で笑い合える。 華やかでも特別なことでもないけれど、ごくありふれた日常のひとコマが、なんだかとてもうれしい。 自然と、明るい気持ちで笑みが浮かぶ。 こんなありふれた日常を取り戻すために、明日、負けられない一戦を挑むのだ。 「カイト、明日はよろしくな。 オレ、できるだけ冷静にするように努力するけど、無理だったら助けてくれ」 「ああ、言われなくてもやってやるよ。 おまえやネイトを泣かすヤツは、オレが許さないからな。 さて、そろそろ休もうぜ。明日は早いんだろ? 休める時に休まなきゃな」 「うん、そうだな。戻ろうか」 「おう」 アカツキとカイトは何度目になるか分からない握手を交わすと、それぞれの部屋に戻った。 明朝は早い。 レイクタウンに集合するのは朝の十時なのである。遅くとも七時には出発しないと間に合わない。 それまでに身体を休めておかなければならないのだから、一刻も早く眠りにつくべきだ。 風呂と歯磨きを済ませ、アカツキはベッドで横になった。 明日は大事な一日だ……眠れるかどうかは分からないが、休めるうちに休んでおかなければ。 トウヤが口を酸っぱくして言っていたのを思い出しながら、照明のスイッチを切る。 締め切られたカーテンの隙間から、月明かりがそっと差し込む。 アカツキはゆっくりと目を閉じた。 「ネイト。ゼッタイ、明日は助けてやるからな……」 想いの強さが災いしてか、当分は寝付けなかった。 何時間か、アカツキ自身にも分からなかったが、それでもいつかは張り詰めていた気持ちも糸のように切れて、眠りへと堕ちていった。 Side 6 夜も更けた頃、ソフィア団アジトの研究室には総帥シンラの姿があった。 護衛もつけず、総帥ともあろう者がこんな夜遅くにどうして研究室にいるのか……? もっとも、護衛などつける必要がなかった。 なにしろ彼は、十一年前のネイゼルカップ優勝者。 手持ちのポケモンは強力無比な力の持ち主ばかりだし、すぐ傍には『完全型ダークポケモン』が控えているのだ。 ……言うまでもなく、レイクタウンの少年アカツキから奪い取った、ブイゼルのネイトである。 虚ろな表情で、惚けているように見えるが、心に鍵をかけられ、何も考えてはいない。 ネイトは研究室の中央に設置されたガラスの筒のような装置に入っていた。 装置の上部には太いケーブルがいくつもつながれ、ケーブルはシンラが向き合っているパソコンの傍にある別の装置と結ばれている。 シンラは特に周囲を警戒する素振りも見せず、パソコンの画面と睨めっこしていた。 慣れた手つきでキーボードを叩き、画面に表示される無数のデータと格闘中。 「…………なるほど」 かれこれ一時間ほどそんな状態が続いていたが、やがて彼はキーボードから手を離し、小さくつぶやいた。 「臨床実験は成功といったところか。 時折波はあるが、心理錠破壊(キーブレイク)のレベルには到底及ばない。心配は要らないな」 画面の中央からやや左に表示された数値を見て、とりあえずは安心したようだった。 完全型のダークポケモンと言っても、シンラは『絶対』という言葉を信じてはいない。 弁護士という職業に就いていた時期もあったが、それはあくまでも最終目的を達成するための手管の一つでしかない。 まずは疑うこと……それがシンラの処世術と言っても良かった。 だから、顧問研究者としてダークポケモンの研究をしてもらったボルグが残したボール…… クローズドボールの性能を、ネイトを使って確かめたのだ。 彼が真にそのボールで捕らえたいと思ったポケモンを、意のままに操るために。 新薬の開発過程において、臨床実験が行われるのと同じような要領だった。 本当に実戦投入して大丈夫なものか、確かめる。 恐ろしいほどの用心深さだが、慎重すぎるくらいでなければ、警察やポケモンリーグを敵に回して数年間組織を永らえることなどできなかっただろう。 それは敵対組織であるフォース団の頭領、ハツネにも同じことが言えるわけだが。 ともあれ、ネイトのデータを確かめたことで、シンラはすべての準備が完了したことを悟った。 ボルグが去り際に言い残した唯一の心配事も、当面は考えなくても済みそうだ。 目的さえ達してしまえば、心配事が現実になろうと構わない。目的達成のための時間さえ稼げれば、それで良かった。 「戻れ、ネイト」 データを取ったからには、ネイトを外に出しておく必要もない。 シンラはパソコンをシャットダウンすると、黒と紫のまだら模様が不気味なモンスターボールに戻した。 ネイトは捕獲光線に包まれてボールに引き戻されるまで、ずっと無表情だった。 心に鍵をかけられ、何も感じないし考えもしないからだ。 「準備は整った……」 ボールを腰に差し、席を立つ。 そう、これですべての準備が整った。 ダークポケモンになってからの数日間、ネイトには変化らしい変化はなかった。心理的なデータを見ても、特に問題となる数値は検出されなかった。 「明日、すべてが決する……」 数日前から、忘れられた森の上空をネイティオやリザードンが飛び回っているのを見かける。 部下から報告を受けた時は、どこかで見たポケモンだと思ったが、何てことはない。 ネイゼルリーグ四天王のカナタ、チナツのポケモンである。 偵察が目的といったところだろうが、コソコソ隠れているわけでもなく、むしろ森の上空を堂々と飛び回っている。 相手も、隠すつもりはないらしい。 すでにソフィア団のアジトを突き止めているだろうし、 互いに『そこまで策を進めている』というのを見せなければ先には進めないと理解しているからだろう。 決して手詰まりというわけではなく、決着をつけるために準備を整えなければならないところだ。 それに明日、ポケモンリーグとフォース団がアジトに急襲をかけてくるということも分かっている。 ネイトを奪った日まで間者として手駒にしていたチナツの代わりに、別のポケモンリーグ役員を買収しておいたのだ。 必要な情報を得て、相手に抗する策も取ってきた。 準備万端……それは相手も同じことか。 「ハツネ、おまえの採ってくる策は分かっている。 だが、勝つのは僕だ……目的を達するのも、僕の方が圧倒的に早い」 目の上のタンコブとして認識している敵対組織を率いる女の顔を脳裏に浮かべながら、シンラは研究室を後にした。 明日は最終作戦を実行する。 寝不足は思考力を損なうから、明日に備えてそろそろ休むとしよう。 必要な指示は部下にすべて与えておいたし、準備状況も問題ない。 当面の問題があるとしたら、ポケモンリーグのチャンピオン……サラが後ろ手に何を隠し持っているのかが分からないということくらいか。 考えられる可能性については、無力化するための措置を講じておいた。 どちらが上を行くか……負けた方がアウトというスリリングなところだが、そういった恐怖感を抱えながら策を弄するのも悪くはない。 短い廊下を渡り、自室に戻る。 椅子に深く腰かけ、天井から燦々と降り注ぐ照明を見上げた。 その先に、彼にしか見えない何かを見つめながら、 「もうすぐだよ、父さん、母さん。 明日、すべてが終わる……いや、始まるんだ。もうすぐ、仇を取るからね……僕を見守っていてくれ」 つぶやく声は、アカツキからネイトを奪い取った冷酷な簒奪者とは思えないほど優しく、慈愛に満ちあふれていた。 明日、すべての決着がつく。 果たして、最後に笑うのは、一体誰か。 ……賽は、投げられた。 第17章へと続く……