シャイニング・ブレイブ 第17章 忘れられた森へ -Unforgettable Days-(中編) Side 2 「復讐って……確か、恨みを晴らすために相手の最も嫌がることをするヤツのこと?」 「そうだよ。勉強の方じゃないからね」 確かめるようにカイトがつぶやくと、ハツネは当然だと言わんばかりに首肯した。 「でも、なんで復讐なんて……それとダークポケモンと、どんな関係があるってんだ?」 釈然としない。 ハツネが嘘をついているとは思えないが、脈絡がなさ過ぎる。 復讐と、ダークポケモン。 その二つを繋ぐ糸とは……? 凍りついたように固まる雰囲気。 ソフィア団と敵対してきたカナタたちでさえ、シンラの目的は知らなかったらしい。 彼らもまた、信じられないと言った表情を浮かべていた。 ソフィア団は法と秩序によってネイゼル地方を支配しようと目論んでいる……というのが一般的な認識だ。 復讐という単語が飛び出すとは夢にも思っていなかっただろう。 戸惑う一同を余所に、キサラギ博士は辛そうな顔で俯いた。 ハツネ以外に、彼女の変化に気づいた者はいなかった。 「……アツ姉、ごめんね。 でも、ちゃんと話してやんなきゃ進まないんだよ、きっと……」 ハツネは、彼女の事情を知るキサラギ博士が見せた沈痛な面持ちを見やり、胸中で小さく詫びた。 自分たちの都合のいいように引っ張り回してきたことを認識しているだけに、罪悪感は拭えない。 「十年前、あたしたちの両親が何者かに殺されてね。 シンラはそいつを見つけ出して裁くつもりでいるんだよ。 そのために、ダークポケモンが必要だったんだ。 あたしからすれば、バカとしか言いようがないけれど……それでも、あいつはあいつなりに考えた末に動き出したんだろうね」 「えっ……?」 両親が殺された……その復讐? そのために、シンラはダークポケモンという力を欲したのか……? アカツキは一瞬、思考回路が麻痺したのを知覚した。 「ね、ねえ…… あたしたちってことは……あんたとシンラってヤツは、もしかして……」 その合間を縫って、キョウコが問いかける。 ハツネは事も無げに頷いてみせた。 「そうだよ。シンラはあたしの兄貴さ。 十年前までは、本当に優しくて、あたしの自慢の兄貴だったさ。 でも、両親が殺されちまってから、あいつは変わったよ。 犯人を捜し出して復讐するんだって口癖のように言って、いつの間にやら家を飛び出しちまった」 「…………もしかして、それってウィンシティで発生したウヅキ博士夫妻殺害事件のこと?」 「ああ、そうだよ」 「なんてこった……」 仰天するカナタたち。 ハツネやシンラの素性は知っていたが、まさか復讐のためにシンラが動いているなどとは予想もしなかった。 サラならあるいは知っていたのかもしれないが…… 確証がなければ、話すだけ無駄だと思って黙っていたのだろう。 「……なに、それ?」 アカツキたち子供世代には事件の中身が分からないらしく、復讐という言葉に驚きつつも、揃って首を傾げていた。 十年前というと、アカツキとカイトは二歳、アラタとキョウコでさえ四歳なのだ。 世間で日々起こっている事件や事故を記憶しているはずがない。 増してや、身近で起こった出来事でないのなら、なおのこと。 全員に真実を理解させるように、ハツネは穏やかな口調で淡々と言った。 「あたしたちの両親は、ポケモンの研究者だった。 いろいろと新しい論文を発表して、それなりに名前も知られてた。 あたしもシンラも、両親のことを誰よりも尊敬してたんだ。大人になったら、あんな風になりたいって思ってた。 でも、十年前……あたしとシンラがポケモントレーナーとして旅をしてた頃さ。 たまには家に戻ろうかと思って、ウィンシティに立ち寄ったその日だったよ。 パパとママが殺されたのはさ……」 言い終え、目を閉じる。 瞼の裏に、優しくも強かった両親の笑顔が蘇る。 殺されたというのに、どうして笑っていられるのだろう……? やりたいことだってたくさんあったはずなのに、それを奪われたのに…… 両親の笑顔が脳裏に浮かぶたび、ハツネは言い知れない悲しみに襲われてきた。 きっと、シンラも同じだっただろう。 ……いや、彼は両親のような博士になることを夢見ていた。 ハツネはトレーナー志望だったし、彼ほど両親を敬愛していたわけではない。 それでも…… 両親が死んだと聞かされた時には、足元が崩れるような気持ちだった。 悲しくて、涙が止まらなかった。 物言わぬ姿になった両親と、警察の霊安室で再会した時には、気が狂うほど泣き叫んだ。 一体誰が愛するパパとママをこんな目に遭わせたのか…… その相手に復讐してやりたい……死んだ方がマシだと思うくらいに苦しめて、その後に命を奪ってやりたいとさえ思ったものだ。 彼女が裡に抱える悲しみを、アカツキたちは言葉を通じて知った。 強がっていても、常に両親が無念の死を遂げたことを引きずっていたのだから。 「…………そんなことがあったなんて……」 「知らなかったわ……」 アカツキは目を伏せた。 シンラがダークポケモンに執着するのは、両親を殺した相手を捜し出して復讐するため。 誰よりも両親を愛していたからこその、狂気に満ちた行動だったのだろう。 ハツネからそのことを聞くまでは、シンラのことが憎くてたまらなかった。 アカツキにとって彼は、誰よりも大切な家族を……ネイトを奪い去った憎むべき敵だったからだ。 だけど…… 「…………」 シンラもまた、何者かによって愛する家族を奪われてしまった被害者だったのだ。 もちろん、どんな理由があっても他人の家族を奪ってはならないのだから、彼に対する憎しみが消えることはない。 それでも、彼に対する見方は変わっていた。 なぜだか、かわいそうだと思えてならなかった。 もっとも、安っぽい同情をするつもりはないが、シンラも悲しみを背負って生きてきたのだ。 大切な人を奪われる悲しみを知りながら、どうして他人の家族を奪うのか…… どこか矛盾するものを見出しながらも、アカツキは彼のしたことを認めるわけにはいかなかった。 アカツキにとっては、ネイトを奪われた時点で彼の行動を正当化する理由などなくなっていたからだ。 「それからはどうしたん?」 しばらく黙っていたトウヤが、話を先に進めるよう促す。 アカツキは顔を上げた。 まだ、話は途中なのだ。ハツネとシンラの過去と、今、この現実……十年の時を結ぶ点と点が、線になろうとしている。 自分から振った話でもあるのだから、最後まで聞かずしてどうするのか。 気を取り直し、ハツネの言葉に耳を傾ける。 「あたしもシンラも、パパとママを殺したヤツを捜そうと思って家を飛び出したんだよ。 もっとも、あいつはあいつで単独で行動してたんだけどね……まあ、別々の方が見つかりやすいと思ったのはあたしも同じなんだけどさ。 あいつは情報を集めることから始めようと思い立ったらしくて、どこで勉強したんだか弁護士になってね。 弁護士はいろんな犯罪の情報を手に入れやすい立場だから、そのツテで犯人を探そうと思ったんだろ。 でも、何年経っても見つからないモンだから、業を煮やしてソフィア団なんて組織を立ち上げたのさ」 ハツネはバカらしいと言わんばかりに、ため息をついた。 復讐を思い立ったのは、両親への愛情の裏返し。 それはいいが、復讐のために自らの未来を閉ざしてしまうのは、愚かしいことでしかないと断言した。 「じゃあ、あんたがフォース団なんてのを作ってソフィア団をぶっ潰そうとしてたのって……」 「ああ、そうさ」 アラタの問いかけに半眼で頷き、ハツネは続けた。 「あのバカを止めてやるためさ。 復讐なんて、やったって何にもなんないって、あたしはとっくに分かってたからね」 曰く、彼女はシンラより数日遅れて故郷を飛び出したのだが、その時すでに犯人へ繋がると思われる手がかりを手にしていた。 シンラにそのことを伝えようと思ったものの、携帯の電源を切っているらしく、連絡はつかなかった。 ハツネは止む無く一人で犯人を捜し、故郷を発って約二年が経過した頃、ついに犯人と思われる人物を突き止めた。 その頃にはシンラも弁護士の資格を得て、活動を開始していた。 なにやら忙しそうだったので、ハツネはまず単独で接触して、様子を見ることにした。 ネイゼルカップ優勝者である彼女をどうこうできる相手はいないと思っていたから、特に慎重な対応をすることもなく、真正面から犯人に接触を図ろうとしたのだが…… その当日、犯人が死んだ。 何の前触れもなく、突然。 相当に歳を召していたらしく、後で伝え聞いたところによると、死因は老衰とのことだった。 結局、ハツネは犯人が両親を殺害した理由を知ることはできなかった。 その後、犯人の身辺調査を行って、ある程度の推測は立ったが、それが確証に変わることもない。 復讐すべき相手がこの世を去り、それからはどうしていいのか分からなくなったものだ。 ただ、自分には同じ時を共に生きている仲間がいる。 幼少から一緒だったバクフーンのベルルーンをはじめ、ネイゼルカップを力の限り戦い抜いた、大切な家族。 復讐という否定的な生き方にも、文句一つ言わずついてきてくれた仲間……彼らのために何ができるのか。 そう考えた時に、復讐の無意味さに気づいた。 相手はすでにこの世を去り、復讐に意味など何もない。 仮に相手が生きていて、復讐を成し遂げたとして……結局、両親は戻ってこないのだ。 それに、両親は息子と娘に、その手が血に汚れてでも自分たちの敵討ちを望んでいたのだろうか……? ハツネは一昼夜考え抜いて、ノーという結論を出した。 両親は立派な人だった。 常に明確な目標意識を持ち、毎日を楽しく、それでいて精一杯生きていた。 彼らのように立派な人になりたいと、常日頃からそう思っていた。 では、立派な人になるためにはどうすればいいのか……? 答えは簡単だった。 復讐など棄てて、前向きに生きていくこと。 両親に恥じない立派な人になろう……そう思った彼女が次にやろうと決めたのは、着々と復讐の階段を築き上げていたシンラを止めること。 しかし、シンラはハツネが両親の敵討ちをあきらめたことをどこからか察して、彼女を避けるようになった。 十代にして弁護士として多方面で活躍していたこともあり、ハツネと会うヒマが作れなかったという事情もある。 そうして時が過ぎるうち、シンラは突如弁護士界から姿を消した。 ソフィア団なる非合法組織を立ち上げたためだ。 弁護士として培ってきた法律の知識を最大限に使って、法の網を巧みに潜り抜けて、組織を徐々に拡大していく兄。 ハツネは彼が未だに復讐の二文字に囚われていることを知り、危機感を募らせた。 穏やかな反面、一旦思い詰めると何をしでかすか分からないというところを知っているため、なんとしても止めなければならない。 そこでハツネが思いついたのは、ソフィア団と対立することで、シンラが復讐をあきらめるように仕向けることだった。 フォース団を立ち上げ、力によるネイゼル地方の支配を裏社会に看板として掲げた。 頭が良く、情報分析を怠らないシンラは、すぐにハツネが自分の邪魔をしようと対抗組織を立ち上げたことを知った。 相手が侮れないことを昔から知っていたこともあり、 すぐにソフィア団とフォース団は裏で抗争を勃発させ、互いに敵である組織をつぶすことを第一の目的とする。 「そこからはあんたたちも分かってることだろうさ。 ポケモンリーグや警察を敵に回したってそんな怖くないから、 互いに頭の上のタンコブをどうにかして取り除くことばっか考えてドンパチやってきたってことさ。 ……話が過ぎたね」 ハツネは彼女とシンラが対立するようになったいきさつを一通り話すと、苦笑した。 懇切丁寧に一から十まで説明するつもりはなかったが、誰も異論を挟まないものだから、調子に乗ってベラベラしゃべってしまった。 もしも目の前にいるのがシンラだったら、確実に尻尾を握られていただろう。 「なんか、すごかったんだな……」 「そやな。あそこまでベラベラしゃべれんのは、正直大したモンやけど……」 アカツキとトウヤは顔を見合わせ、嘆息した。 ハツネ自身は気づいていないようだが、シンラのことを話す時、彼女は妙に饒舌になる。 平たく言えば熱がこもっているのだが、それは敵となったとはいえ、相手を思いやっているからだろう。 アカツキでさえ分かることを、他の全員が分からないはずがない。 もっとも、それを素直に口にしたところで、彼女は決して認めまい。敵として実の兄と戦ってきたのだから。 その代わり、まだ釈然としないところがある。 「それとダークポケモンとどんな関係があるの? 単に復讐したいってんだったら、ダークポケモンの力なんて借りなくてもいいはずじゃない」 キョウコが口を尖らせるのは当然だった。 ハツネの話によれば、シンラは彼女の翌年に開催されたネイゼルカップの優勝者。 ダークポケモンの力など借りずとも、何だってできそうではないか。 ドラップを素材として実験をしようとしていたし、あまりの扱いに耐えかねて逃げ出したドラップを奪おうとエージェントをけしかけてきた。 そこまでしてダークポケモンを求めるのは……? 一同の視線がハツネに集まる。 皆、同じ疑問を抱いているからだ。 ダークポケモンと復讐と、どんな関係があるのか。ハツネなら分かっているだろう。 「ルカリオってポケモンは知ってるかい?」 「ルカリオ? 何、それ?」 「聞いたことないけど……」 「ん……オレもあらへん」 彼女の言葉に、アカツキたち子供組は揃って首を傾げた。 聞いたこともない名前だったからだ。 しかし、大人組は全員が分かっているようだった。 「波導の使い手って言われているポケモンだろ?」 「波導の勇者アーロンの従者で、世界を争いの泥沼から救った英雄だったかしら。 でも、ルカリオはアーロンに封印されたって聞いたけれど……」 カナタとアズサの二人が口々に知っていることを述べると、キサラギ博士とチナツが揃って首を縦に振った。 ルカリオとは、おとぎ話として伝わっているポケモンだ。 かつて、とある国に『世界のはじまりの樹』と呼ばれる巨大な建造物があった。 大いなる自然が作り出した、脅威の芸術……しかし、それは単なる芸術品などではなかった。 世界を統べることを可能とするほどの力を宿していたのだ。 『世界のはじまりの樹』の力をめぐり、大小さまざまな勢力が争いを繰り広げた。 世界は言いようのない悲しみと憎しみ、そして拡大する一方の戦火によって蝕まれていった。 そんな時、勇者アーロンが従者ルカリオと共に、『世界のはじまりの樹』の主であるミュウの力を借りて、世界を包む淀みを争いごと浄化した。 大いなる浄化に伴い、『世界のはじまりの樹』が力を使い果たしたことによって、争いは終わった。 それ以降、世界中を巻き込むほどの戦火が勃発することはなくなったと言われている。 『波導の勇者』という外国のおとぎ話で伝わっているのが、ルカリオなのだ。 今では各国の言葉で翻訳されている、有名な逸話である。 世界から争いを消したアーロンとルカリオは各地をめぐる旅を続けたと言うが、ルカリオはアーロンの手によって封印された。 彼が何を想って、共に生き抜いてきた相棒を封印したのかは分かっていないが、一説によると、 後の世で人が同じ過ちを犯しそうになった時、再び争いを止めるために……未来に希望を与えるために封印したのだと言われている。 もちろん、それは単なる推測でしかなく、実際がどうだったのかは分からない。 「で……」 キサラギ博士からおとぎ話のあらましを聞いても、アカツキには分からなかった。 眉根を寄せ、首を傾げる。 「そのルカリオっていうポケモンがどうかしたのか?」 「シンラはね、ルカリオをダークポケモンにすることで自らの手駒にしようとしてるのさ。 ルカリオには、波導を自在に操る力がある。 波導はそれぞれの生き物が持っている固有の波長……そうだね、存在感のようなモノなんだよ。 ルカリオなら、それを察知することができる。 ……あたしらのパパとママを殺したヤツの波導を辿って見つけ出し、裁こうとしてるんだ。 ダークポケモンなら、命令を拒まれることなんてないし、普通よりもずっと強い」 「……なるほどね」 ハツネの説明に、ようやっと全員が納得した。 シンラはルカリオの力で犯人に復讐しようとしている。 もう死んでしまった犯人に。 「相手が死んじゃったら、復讐なんて無意味だしね。 死んだ人の波導なんて感じられないから、ルカリオを手に入れたところでどうしようもない。 あたしはあいつに、犯人は死んだんだって何度か伝えたけど、信じてもらえなくてね。 どうやら、あきらめさせるための手管だなんだって決め付けてたらしいんだ。 ホント、バカな話さ。 ……あたしがあいつを止めようと思ったのは、妹として兄を止めなければ、なんてゆー泣ける話を作りたかったからじゃない。 相手がいないのに復讐を考えたってしょうがない。 バカバカしくてたまらなかったからさ。 あいつが地獄に堕ちようが、ンなことはどーでもいいけど、バカなことは放っとけない。 それだけさ……」 すべてが繋がった。 ハツネとシンラが立ち上げた組織は、互いの目的を果たすための道具に過ぎなかったのだ。 互いにそれを理解した上で、チェスでもするように部下たちを動かして策を弄してきたのだろう。 「そのために、あいつはドラップを素材なんかにしてたのか……」 シンラの過去、目的を理解して、アカツキは改めて彼に対する怒りが湧き上がってくるのを覚えた。 グッと拳を握りしめ、爪が食い込む痛みで意識が怒りに飲み込まれそうになるのを堪える。 眼差しを尖らせ、表情を強張らせ、アカツキは全身から怒りを滲ませていた。 どんな理由があろうと、ドラップをダークポケモンの研究素材にしていたことは許しがたい事実。 ドラップの代わりに捕らえられたネイトも、今頃は研究素材としての扱いを受けているのかと思うと、沸々と湧き上がる怒りを抑えられない。 「絶対に許せない……!! 復讐なんてどうだっていいけど、オレの大切な仲間をそんな風に扱うなんて……!!」 口を開くことなく、並々ならぬ怒りに打ち震えているアカツキに涼やかな視線を向け、ハツネはため息をついた。 アカツキが怒っていると悟って、誰も彼に声をかけない。 しかし、 「行こう!! ネイトを取り戻すんだっ!!」 アカツキは力の限り叫ぶと、握り拳を解いてモンスターボールを手に取った。 「ライオット、出てこい!!」 流れるような動きでボールを頭上に放り投げ、ライオットを外に出す。 「…………」 ボールの口が開き、外に飛び出してきたライオットは、アカツキが真剣な面持ちをしているのを見て、静かに舞い降りてきた。 相当に怒っている…… 感受性豊かな男の子ゆえ、一旦火がつくと消すのが難しいと思っているのかもしれない。 皆、シンラに対する怒りに突き動かされているアカツキがやる気になっているのを見て、いよいよ敵地に乗り込むのだと思った。 「そんじゃ、そろそろ行くかい? 後でサラが合流することになってるけど、どうせならその前にシンラのヤツを縛り上げて、盛大に笑ってやりたいからね」 「ま、あんたの都合はさておいて、先発隊も配置についてるだろうからな。 そろそろ行くか」 ハツネが負けじとやる気に満ちあふれた笑顔で言うものだから、カナタは不吉な予感を覚えずにはいられなかった。 ポケモンリーグとフォース団が一時的に共闘するとはいえ、彼女は油断できる相手ではない。 表では手を組むと笑っていても、後ろ手に何を隠し持っているのか分かったものではないのだ。 カナタでさえそう思うほどだから、互いに相手を利用して、出し抜くことを考えているのだろう。 食えない女だが、実力は確かだ。 どこまで思い通りに動いてくれるのか……怪しいところだが、とりあえず敵に回る心配はないというのがせめてもの救いだろう。 話もまとまったことだし、そろそろ敵地に乗り込むとしよう。 「出てこい、ネイティオ」 カナタがネイティオを出すと、残りのトレーナーも競うように空を飛べるポケモンを繰り出した。 ハツネは獰猛な性格で知られるムクホークを。 チナツはリザードンで、カイトはウィンジムのジムリーダーも使ってきたチルタリス。 アラタとアズサは残念ながら空を飛べるポケモンを持っていないため、アラタはトウヤのロータスに、 アズサはチナツのリザードンにそれぞれ乗ることとなり、最後にキョウコが暴れん坊で知られるボーマンダを繰り出した。 皆がそれぞれのポケモンに乗るなり肩を鷲づかみにしてもらったりして、飛び立つ準備を完了する。 「そんじゃ、行くかね」 「ああ。俺が先導する」 「頼むよ」 ハツネの言葉を背に受けて、真っ先に飛び立ったのはカナタだった。 ネイティオがお世辞にも強そうとは思えない脚で彼の肩をガッチリ鷲づかみにして、空へと舞い上がる。 「ライオット、飛んでくれ!!」 ライオットが、リザードンが、チルタリスが…… 次々とポケモンたちが空へと飛び上がり、最後に残ったのはハツネだった。 ネイゼル地方北東部に広がる『忘れられた森』を目指して空を駆ける仲間たち(一時的な)を背に、彼女はキサラギ博士に笑みを向けた。 獰猛な性格で、自分よりも大型のポケモンにも臆することなく突っ込んでいくムクホークも、キサラギ博士には穏やかな雰囲気を向けていた。 トレーナーのみならず、ムクホーク自身もキサラギ博士には世話になっていたからだろう。 「……アツ姉。あたしも、そろそろ行くわ。 シンラのバカをふん縛って、バカなことしたねって高笑いしてやるんだ」 「ハツネちゃん……」 ハツネが明るい調子で言うものの、キサラギ博士は今にも泣き出しそうなほどに表情をゆがめた。 どんな時にでも笑みを絶やさない、普段の彼女なら絶対に見せないような表情。 ハツネが飛び立ったトレーナーたちに遅れて、この場に少し残ることを選んだ理由を、察していたからだ。 ダークポケモンという禁忌を持ち出してまで目的を成し遂げようとする危険なソフィア団を摘発するためにポケモンリーグと手を結んだとはいえ、 フォース団とてネイゼル地方の治安を乱してきた。 今回の騒動、その責任の一端を担っていることは、もはや疑う余地もない。 「……アツ姉がそんな顔することはないよ。 これはあたしが選んだ道だし、シンラのバカもきっと同じさ。 アツ姉が責任を感じることなんてないんだからさ……そんな顔、しないでおくれよ。 やる気が鈍っちまうじゃないか」 「そう言われたって、すぐに気持ちを切り替えるのは無理よ。 いくらなんでも……当分は顔を見せられなくなるんでしょう?」 「しょうがないよ。 今まであたしらがしてきたことを考えれば、それはしょうがない。 最初からこうなるって、分かってたからね」 「そう……」 フォース団を立ち上げた時点で、先行きに栄光などというモノはどこにもなくなっていた。 ハツネはとうの昔にそれを知っていたから、今さら嘆いたりジタバタしたりしないのだろう。 むしろ、今になって心を揺れ動かされているのはキサラギ博士の方だった。 ハツネの気持ちは分かっている。 幼なじみというほど年齢が近いわけではないが、何年も同じ街で過ごし、家族ぐるみの付き合いがあったのだから。 本人は悪びれて、絶対に認めようとはしないが、誰よりも兄シンラの身を案じているのだ。 そうでもなければ、わざわざ対抗組織を作り上げてまでどうにかしようとは思わないだろう。 思っていることとは裏腹の言動で、他人に誤解を与えることが多い彼女だが、実は誰よりも……もしかしたらアカツキよりも純粋なのかもしれない。 黙って見つめ合う二人。 互いに何を言えばいいのか分からなかったのかもしれないが、いつまでも引き止めるわけにはいかないと、キサラギ博士が口を開いた。 「ハツネちゃん。シンラちゃんによろしくね」 「ああ、任せといて。ギャフンと言わせてやるわ」 「……そういう意味じゃないんだけどねぇ」 「分かってるよ。 アツ姉も、元気でね」 「ええ……」 「ホント、立派な子に育ったね。 昔のあたしにそっくりだけど……あたしはあの子ほど可愛くはなかったかな」 ハツネは笑みを深めると、手でムクホークに合図を出した。 ムクホークがハツネの頭上に飛び上がり、鋭い脚で彼女の肩をガッチリと鷲づかみにする。 羽ばたき、少しずつ空へと舞い上がっていく。 「そうかもしれないわね。キョウコは昔のハツネちゃんに似てる。 でも、やっぱりハツネちゃんほどじゃないわ。あの子、元気すぎて困るもの」 「言えてるね。それじゃあ……」 「またね」 短い会話を交わし、ハツネはムクホークに速度を上げるよう指示を出した。 トレーナーよりも小さな身体ではあるが、ムクホークは力強い羽ばたきで速度を上げると、あっという間に遠ざかっていった。 キサラギ博士は何も言わず、遠ざかっていく友達の背中をじっと見つめていた。 やがて彼女の姿が豆粒ほどの大きさになった時、ポツリと、ため息混じりにつぶやいた。 「私に言わせたらね、ハツネちゃんもシンラちゃんも似た者同士なのよ。 本当にバカだって思うけど……二人が選んだ道なんだもんね。 でも……ミツハルさんも、レイナさんも。 きっと、あなたたちのこと、誇りに思ってるわ。 やり方は間違っているかもしれないけれど……ね」 決して正しいとは言えない方法。 しかし、考え抜いた末に導き出された答えなら、後悔はしないのだろう。 ハツネの姿が空の向こうに消えてからも、キサラギ博士は身動ぎ一つせず、物思いに耽っていた。 乾いた風が吹き、研究所敷地内の青々とした草を優しく揺らす。 妙に生温く、まとわりつくようだった。 Side 3 忘れられた森とは、ネイゼル地方北東部の山間部に広がる森を指すが、地図などには特に地名として記載されてはいない。 四方を小高い山に囲まれ、カップに満ちた水のように隙間なく生い茂る木々。 人里から遠く離れ、特に見るべきものもないような、隔絶された場所。 その場所をどうして『忘れられた森』と呼ぶのかと言えば、そこにルカリオが封印されているからだと、カナタはアカツキに話した。 勇者アーロンと共に世界をめぐったルカリオは、主の手によって『忘れられた森』のどこかに封印された。 ルカリオもまた、アーロンと同様に波導の勇者と呼ばれていた。 勇者が封印された森……しかし、時の流れと共にその事実は風化し、今やそのことを語り継ぐものはない。 封印されて五十年ほどは、勇者を崇めるために神殿が築かれたり、 多くの人が参拝に訪れたりしていたそうだが、やがて人々の知識や記憶から忘れられていった。 ゆえに、ルカリオが封印された場所を総称して『忘れられた森』と呼ばれるようになったと言う。 カナタから与えられた予備知識を胸に、アカツキは眼下に広がる森を眺めていた。 フォレスの森は新緑という言葉が似合うほど鮮やかな色を呈しているが、真下に広がる森は鬱蒼とした深緑だった。 この森のどこかに、ソフィア団のアジトがある。 シンラと共に、ネイトはそこにいる。 手の届く場所まで来たのだと、アカツキは改めて思った。 一同は森の上空に一分ほど留まっていたが、ハツネが指示した場所へ揃って降り立った。 森の北部……生い茂る木々もは、周囲よりは疎らだがそれなりに濃密な緑を映し出している。 陽の光はそれほど多く差し込まず、昼間だというのに夜のような暗さだ。 しかし、目が慣れてくると、降り注ぐ木漏れ日がそれほどまぶしくは思えなくなる。 「なんか、嫌な雰囲気の場所だね……」 「ああ。ジメジメして、嫌な気分だ……」 カイトの言葉に、アカツキは小さく頷いた。 深い森のジメジメした空気や雰囲気が、大地にしっかりと根付いた木の根をドククラゲの触手と思わせる。 シンラはこんな鬱蒼とした場所にアジトを構えているらしい。 人里から離れ、なおかつ不気味な雰囲気すら漂っている場所なら、アジトに相応しいのだろう。 それでいて、ルカリオが封印された場所の近くと来れば、彼にとってはこれ以上ないほど都合のいい場所だったに違いない。 「でも、こんな場所のどこにソフィア団のアジトがあるってんだ?」 「そやな……なんや、ホンマ嫌らしい場所やんか」 アラタとトウヤも、訝しげに周囲を見渡している。 アジトと言うからには建物なのだろうが、周囲にこんな鬱蒼とした森があって、嫌な気分にはならないものだろうか? アラタからすれば、冗談ではないと言いたいところだが。 「だけど、あるんでしょ?」 「ああ、そうだ」 キョウコの問いに、カナタは半眼で頷いた。 信じられない気持ちは分かるが、それでも事実は事実。 ネイティオのミラクルアイによって、この森にソフィア団のアジトがあることを突き止めた。 ここから少し南に進んだところで、ルカリオを奉るために作られた神殿の跡地……今や朽ちた洞窟となっている場所である。 その地下に、ソフィア団はアジトを構えている。 先日の騒動で団員が十数名逮捕されているものの、騒動の中核を担った幹部は包囲の網を逃れているため、まだ多くの戦力を保持しているはずだ。 ポケモンリーグとフォース団が手を組んでいると言っても、油断はできない。 「ダークポケモンを何体保有しているのかも分からない……そこが唯一の不安材料か」 カナタはアカツキたちがハツネにあれこれ質問するのを耳に挟みながら、思案をめぐらせていた。 ダークポケモンは危険な存在。 ポケモン自身に罪はないが、作戦を成功させるには、立ち塞がる相手はたとえ誰であろうと倒さなければならない。 それが、大人としての責任だ。 「あいつらが自由に動けるように相手を抑えつけておくことが、俺たちの仕事だな」 アカツキと彼の仲間には、やるべきことがある。 大人の都合とは関係ない、彼らの事情がある。 目的こそ違えど、向いている方向は同じ。可能な限りサポートをしたいと考えている。 この場に留まるのも程々に、ハツネはソフィア団のアジトのある方角に身体を向けた。 「んじゃ、行くよ。 もう、サラのヤツが乗り込んじまってるかもしれないからね。 楽しみを取られちゃたまんない」 「そうね。あたしも存分に暴れたいわ」 真っ先に反応したのはチナツだった。 四天王とサラしか知らないことだが、彼女はシンラによって家族を人質に取られ、ソフィア団に情報を流していた。 サラの手によって家族は救出され、安全な場所で保護されていることから、 チナツは今こそ卑怯な手段を採ってきたソフィア団相手に暴れまくってやろうと思っている。 やられる前にやれ、というのが一番だろうが、今はやられたらやり返せという気持ちでいっぱいなのだ。 できればシンラに家族を人質にされた仕返しをしてやりたいところ、なのだが…… 残念ながら、今の彼女に与えられた役割は、相手を引っ掻き回す遊撃者。 ソフィア団の一般団員が相手になるが、彼らではとても物足りない。 せめてもの救いは、思い切り暴れてもいいとサラに言われたことだ。 「戻りな、リオライカ」 ハツネは頭上で羽ばたいているムクホーク(名前はリオライカという)をモンスターボールに戻すと、そそくさと歩き出した。 今は立ち止まっている場合じゃない…… どこか生き急いでいるようにも見える素っ気ない背中に、皆もそれぞれのポケモンをモンスターボールに戻し、ハツネの後を追った。 差し込む木漏れ日は場所によってその明度を変じ、時には目を凝らして、足元に視線を落としながら歩かなければならないほどだ。 競り出した太い木の根にカイトが危うく躓きそうになるなど、普通に歩くのにも苦労する。 本来ならこんなところで気を遣っている場合ではないが、目的地にたどり着く前にケガなどしては、それこそ本末転倒。 全員、何も言わず黙々と歩みを進める。 ただでさえ鬱蒼としている森で、これから起こる戦いを考えれば、誰も陽気に騒ごうなどとは思うまい。 アカツキでさえ、緊張に凝り固まった表情で、拳をグッと握りしめながら前を見据えている。 少しでも気を抜けば、膝が笑い出しそうになる。 普段は陽気なアカツキがこんな調子である。アラタやキョウコなどは、スクールの卒業試験を受けるような面持ちだ。 少し湿った土と、ところにより堆積している落ち葉を踏みしめる足音が重なる。 この森に人の気配を感じてか、それともこれから訪れる激しい戦いの予兆を感じ取ってか。虫や鳥の声は聴こえない。 嵐が通り過ぎるまで、息を潜めて待つかのようだ。 フォレスの森と違って、生気が感じられない。 同じネイゼル地方にも、こんな場所があるだなんて、訪れてみなければ分からなかっただろう。 アカツキたちは、先頭を行くハツネの背中を追いかけているが、彼女の目に、前方の景色はどのように見えているのだろうか。 一時たりとも足を止めず、何かに導かれるように、黙々と歩いていく。 木立が周囲をぐるりと取り囲み、降り注ぐ木漏れ日だけでは方向も定まらないはずだ。 本当に南へ向かって歩いているのかも分からなくなるが、誰も異議を唱えない。 フォース団の頭領というレッテルを貼りながらも、皆、彼女の強さを認め、信じているからだろう。 「ネイト、もうちょっとだから……ガンバっててくれよ」 全方位から押し寄せんばかりの濃淡な緑に圧迫感を覚えつつ、アカツキはネイトに胸中で語りかけた。 この声は届かなくても、ちゃんと助け出す。 ダークポケモンになって心を閉ざされても、どこかで何かを感じているはずだ。 本当に心がなくなってしまったなら、どうして生きてゆくことができるのだろう。 強い決意にヒビを入れるように、不意にハツネが足を止めた。 降り注ぐ木漏れ日が少し多く、押し寄せんばかりの濃淡な緑が少し薄くなってきたところで。 彼女に続き、アカツキたちも足を止めた。 「ん……?」 空気がザワついている。 ピリピリと、肌を刺すような感覚。 誰かに見られているような、不気味な雰囲気。 「……誰かいるみたいだ」 「ああ、そうだな」 アカツキが周囲に視線を這わせながら言うと、アラタが小さく頷いた。 格闘道場で心身共に鍛えていた兄弟は、微弱な気配でも敏感に感じ取ってしまうのだ。 人間よりも優れた五感を宿すポケモンの、かすかに漏れ出る程度の気配でも、手に取るように感じ取れる。 「……もしかして、待ち伏せ?」 キョウコが不安げな表情でアラタを見やった。 この森は敵地だ。 待ち伏せがあったとしても不思議はないし、むしろ無事に森に降り立つことができただけでもどこか解せない。 「いや、そうでもなさそうだ」 「敵襲にしては時間をかけすぎてるからね。 むしろ、こっちの方が厄介かもしれない」 カナタが人差し指を近くの茂みに向けた。 ちょうど、アカツキとアラタが視線を留めている場所だ。 全員の視線がそちらに向いた時だった。 ピリピリと肌を刺す感覚が増して、視線を強く感じる。 直後、茂みを揺らして巨大な影が歩み出てきた。 無数の瞳が、アカツキたちを捉える。 「ごぉぉぉぉ……」 「しぃぃぃぃ……」 不気味な声が重なり合う。 巨大な影と思われたものは、複数のポケモンだった。 五体のドラピオンと、進化前のスコルピが十数体。 いずれもアカツキたちを威嚇するように眼差しを尖らせ、腕の先端に生えたハサミをガチャつかせている。 アカツキはスコルピの数を数えようとしたが、ドラピオンたちが放つ敵意に思考が中断してしまった。 「ドラピオンにスコルピ……? 厄介な相手に出会いおったな……」 「うん……」 トウヤとカイトがモンスターボールを手に取る。 こんなところで足を止めている場合ではないというのに…… こうなったら、戦って切り抜けるしかない。 ドラピオンたちは二人の闘志に反応するように、にじり寄ってきた。 住処に足を踏み入れてきた不法侵入者とでも思っているのか、敵意を滲ませた視線を向けてくる。 「…………」 ハツネは何も言わず、じっとドラピオンを睨みつけるだけ。 ここで戦って叩き伏せるのは簡単だが、それだと敵に自分たちの位置を知らせるだけ。 もしかしたら、すでに知られているのかもしれないが、それでも必要以上に派手な動きは避けるべきだ。 しかし、そうなると…… ハツネをはじめ、大人たちがあれこれと思案をめぐらせている中、アカツキはドラピオンたちの敵意と真正面から向かい合っていた。 「こいつら、オレたちに敵意を向けてるワケじゃなさそうだ……」 なんとなく、ドラピオンたちが『人間』そのものに強い敵意を抱いているように思えてならない。 ここは本来、人が踏み込むことのない領域。 ソフィア団によって住処を追われ、人間に強い敵意を抱いていたとしても、何の不思議もない。 「言葉じゃ分かり合えそうにないし……」 恨んでいるようにすら思えるほどの敵意。 とてもではないが、言葉でどうにかできるとも思えない。ポケモンと心を通わせる天才と言えど、それが可能かどうかは分かるものだ。 もしも彼らが人間に対して敵意を抱いているのだとしたら、ポケモン同士の会話ならどうにかなるだろうか。 アカツキも自身のポケモンの言いたいことなら完全に理解できる。 通訳してもらうのも悪くない。 「あんまり気は進まないけど、ちゃっちゃと倒して先に進むっきゃないわね」 「あ、ああ……」 キョウコとアラタまで、ドラピオンたちに抗するべくモンスターボールを手に取った。 戦いは避けられないか…… ハツネたちはそう思ったが、 「ちょっと待った!!」 アカツキがドラピオンたちの間に割って入った。 無謀にも、敵意を向けてくる相手に背中を向けている。 これはいくらなんでも普通じゃないと、アラタはアカツキの腕を引っ張りながら声を荒げた。 「おい、背中なんて向けるな!! 危ないだろ!?」 「分かってるけど!! でも、戦う前にできることってあるじゃん!! オレたちの敵はこいつらじゃなくて、ソフィア団だろ?」 「……!! そ、そりゃそうだが……」 アカツキの正論に言葉を返すことができず、アラタはたじろいだ。 兄の力が弱まった一瞬を逃さず、アカツキはその手を振り払い、ドラピオンたちに向き直った。 ――こんな時に何をやってるんだ……? 目の前でなにやら騒いでいる人間に、より敵意を増すドラピオンたち。 だが、アカツキは彼らと敵対するつもりなどなかった。 先ほど宣言したように、自分たちが戦うべき相手はドラピオンたちではなく、ソフィア団なのだ。 「だったらどうするっての? 戦わずに切り抜けるなんて……いくらなんでも無理よ」 キョウコが現実的な意見を述べるが、アカツキは頭を振った。 「どうしても無理ならそうするけど、まだできることってあるじゃん。 とりあえず、見ててくれよ」 言い終えるが早いか、腰のモンスターボールを手に取り、軽く目前に投げ放つ。 「……何するつもりだ?」 訝しげな表情で、アカツキの行動を見やるカナタ。 チナツとアズサも似たようなものだったが、ハツネに限っては彼が何をするつもりなのかすぐに読めた。 「なるほどね……」 不必要な戦いはしない、ということらしい。 地面に落ちたボールが口を開き、中から飛び出してきたのはドラップだった。 相手はドラピオンと、その進化前のスコルピ。同じ種族のポケモン同士であれば話が通じやすいはずだ。 好戦的ではあるが、アカツキは無駄な戦いは好まない。 急がなければならないのは事実だが、だからといって自分たちの都合にドラピオンたちを巻き込むわけにはいかないのだ。 「甘いけど、それがあの子のイイトコなんだよね……」 ハツネに言わせれば甘いことこの上ないが、やむを得ない。 今の時点で何の行動も起こしていない自分が、アカツキを非難する理由などないのだ。 さて、一刻も早く先へ進みたいこの状況。 本当は立ち塞がる相手など容赦なく叩きつぶして先に進むべきだろうが、アカツキが何をするつもりなのか、見てみるのも悪くはない。 もちろん、無駄に時間をかけていると思ったら、その時点でハツネは一人で先に進むつもりでいるが。 アカツキはドラピオンたちの前に現れたドラップに言葉をかけた。 「ドラップ、このドラピオンたちと話つけてくれない? オレたち、別にキミたちに危害加えるつもりなんてないから、通してほしいって話してくれないかな」 「ごぉぉ……」 ドラップは容易いことだと言わんばかりに頷いた。 「ああ、なるほど……」 「そういうことか……」 今になって、ハツネ以外の全員がアカツキのやろうとしていることに気づいた。 無駄な戦いを避けるために、同じ種族のポケモンで話をつけようと言うのだ。 アカツキはドラップと完全な意思疎通ができるため、ドラピオンたちとの会話もドラップを通じて理解できる。 いきなり戦うのでは、それこそ野蛮な行為。 時間をかけられないから、さっさと倒してしまうなんて、そんなのはポケモンを傷つけるだけの、人間のエゴでしかない。 だから、アカツキはそうなる前に、先に話し合いで通してもらおうと考えていたのだ。 こんな時に……いや、こんな時だからこそ必要となる方法だろう。 ここで少しでもポケモンたちの体力を使うようなことがあれば、後々に支障が出る可能性が高くなる。 やるなあ……と言いたげな一同の賞賛の視線がアカツキに贈られる。 ドラップはドラピオンたちに向き直り、言葉をかけた。 「ごぉぉ、ごぉ……ごっ?」 どうやら、アカツキに言われたことをそのまま相手に伝えようとしたらしいが、その矢先、一体のスコルピがそそくさとドラップに歩み寄ってきた。 「…………?」 「スピスピ……」 スコルピは腕のハサミを閉じ、ドラップの身体を撫で始めた。 心なしか、その一体だけは敵意を完全に失い、ドラップに親愛の感情を抱いているように思えるのだが…… 「ごぉっ!? ごぉぉっ!!」 ドラップは擦り寄ってきたスコルピを見て、驚愕の声を上げた。 「ど、どうしたんだ、ドラップ!?」 いきなり大声を出すものだから、アカツキは心配になってドラップに駆け寄った。 問答無用でスコルピに攻撃されるかと思いきや、スコルピの目には、ドラップしか映っていないようだった。 ドラップは妙に人懐っこい(ポケモン懐っこい?)スコルピを見下ろしていたが、不意に気づいた。 「ごぉぉぉっ、ごぉぉぉっ……」 穏やかな声を上げて、スコルピの頭を優しく撫で始めたではないか。 「ど、ドラップ……?」 一体何がどうなっているのか……アカツキでさえ分からないものを、アラタたちが理解できるはずもなく。 揃いも揃って、首を傾げていた。 どんな反応をすればいいのか、分からないようでもあった。 ……と、その時。 「スピスピ……っ!!」 スコルピはドラップに背を向けて、仲間たちの元へ戻っていった。 今のうちなら話を聞くことができると踏んで、アカツキはドラップに言葉をかけた。 「なあ、ドラップ、どうしたんだ?」 「ごぉっ、ごぉぉぉっ!!」 アカツキの問いかけに、ドラップは今までに見せたこともないようなニコニコ笑顔で返してきた。 「ごぉ、ごごぉっ」 「あのドラピオンたちと、知り合いなんだ?」 「ごぉぉっ、ごごぉぉっ」 「へえ、そうなんだ……って、あのスコルピが子供!? ドラップってパパだったの!?」 端から見れば、完全に成立しているとは言いがたい会話。 しかし、この場に居合わせた全員が、アカツキとドラップの間に会話が成り立っていることを疑いはしなかった。 とはいえ、アカツキがドラップの言葉に頷きかけ――なぜかいきなり素っ頓狂な声を上げた時には、驚きを隠せなかった。 「おい、声大きいって!!」 「そうよ!! 時と場所を考えなさいっ!!」 アラタとキョウコがすかさず鋭い声で注意するが、アカツキはドラップからの衝撃告白にヒートアップしていた。 「だって!! ドラップってあのドラピオンたちの家族なんだって言うんだよ!?」 「なにっ!? ホンマかそれ!?」 「全然そうは見えないけどなあ……」 トウヤは口を大きく開き、カイトは訝しげな視線をドラピオンたちに向ける。 だが、いつの間にやらドラピオンたちの敵意は消えていた。 アカツキの言葉が真実だったからだ。 正直、信じられないのは山々だが、こんな短時間に話がついてしまうのは、相手が同じ種族というだけでなく、家族というつながりがあったからだ。 「なんか、信じられないんだが……」 「あ、あたしも……」 「でもまあ、結果オーライってことでいいんじゃないかしら?」 「そうだね。そう思おう。無駄な戦いが避けられたというアドバンテージはゼロじゃないからね」 大人四人も、ナンダカンダ言って、この状況に満足しているようだった。 「ドラップ、お父さんだったんだ……」 「なんつーか、マジで意外……」 「うん……」 アラタたちが呆然としているのを余所に、アカツキは歩み寄ってきたドラピオンたちを笑顔で出迎えていた。 ドラピオンたちも、目の前にいる同族が親しい間柄の相手ということもあって、警戒するだけ無意味だと悟ったらしかった。 「ごぉぉ……」 「へえ、ドラップの兄ちゃんに姉ちゃんに甥っ子に叔父さんに息子に娘がこんなに…… うっわー、ドラップってすっげぇ大人だったんだなあ」 ドラップが、近くにやってきたドラピオンたちを紹介すると(もっとも、アカツキにしか理解できていなかったが……)、アカツキは仰天した。 親類縁者、勢ぞろいではないか。 ドラピオンたちがドラップの兄や姉、叔父など、彼よりも年上の間柄で、スコルピたちが息子に娘に、甥っ子姪っ子とのこと。 「ごぉっ」 驚くアカツキにこれ見よがしに微笑みかけ、ドラップは胸を張った。 どうだ、オレの家族は。みんなたくましいだろう? そんな風に強調しているように見えても、ドラップは家族と再会することができて心の底から喜んでいた。 ソフィア団のアジトから逃げ出してからは、家族に危害が及ぶことを恐れて、この森からすぐに離れたのだ。 だから、無事でいるかどうか分からなかった。 アカツキと一緒に旅をしていた時も、家族のことを忘れる日はなかった。いつも心配でたまらなかった。 だけど、元気に過ごしていると分かって、本当に安心した。 もし、ゲットされたトレーナーがアカツキでなければ、ここに戻ってくることもなかったかもしれない。 そう考えると、ドラップはアカツキと出会えて良かったと本心から思えた。 ドラップが久々に家族との再会を果たし、ハグハグし合っているのを横目に、アカツキはいつになく彼が活き活きして見えた。 「ドラップも、ホントは会いたかったんだよな…… オレには家族がいるなんて、全然言わなかったけど……でも、ホントに良かった」 出会った頃から妙に堂々としていると思ったが、それはドラピオンという種族だから……というだけの理由ではなかったのだろう。 子供がいるのだから、結婚はしていないとしても奥さんがいるということだ。 人間もポケモンも、家族を想う気持ちに変わりはない。 通じ合う心があるのだから、種族という名目で分けるのは間違っている。 まあ、それはともかく…… 「どうなってんだい?」 いつの間にやら移動していたハツネが、アカツキに問いかける。 さすがの彼女も、ドラップたちの会話は理解できていなかったのだろう。 アカツキはハツネが傍にやってきたことに驚くでもなく、平然と言葉を返した。 「みんな、家族や親戚なんだって。 なんていうか、ドラップのこと捜し回ってたらしいけど、見つからなくて途方に暮れてたって言ってた」 「ふーん……」 ドラピオンたちの喜びようを見れば、彼らが本当にドラップを心配していたことがうかがえる。 妙に人間っぽいけれど、ベルルーンがトレーナーであるハツネを心配するのと変わらない。 「でも、会えて良かったわね。 いきなり敵意向けられた時にはどうなることかと思ったけど」 「そうだな。戦わなくて済んでホントに良かったぜ」 アラタたちも、アカツキが割って入ってくれて良かったと思っていた。 ドラップの家族や親類を力ずくで倒すなど、寝覚めが悪いことこの上ない。 もっとも、それを知らなければ詮無いことだっただろうが。 決戦を前に足踏み状態に突入していると分かっていても、せっかくの『感動の再会ムード』をぶち壊そうと考えているのはハツネくらいなものだった。 「ハッピーエンドってことで、そろそろ先を急ぐかね……」 舌の上で先ほどから転がしていた言葉を口にしようとした矢先、 「ごぉっ!?」 ドラップの驚愕の声が響いた。 「……!? ドラップ、どうした?」 先ほど擦り寄ってきたスコルピ(ドラップ曰く一番上の息子だとか)に対して上げた声音とは明らかに違っている。 ドラップはすぐさま声をかけてきたアカツキに振り向いて、説明を始めた。 先ほどまでの和気藹々とした『感動の再会ムード』は呆気なくぶち壊れた。 雰囲気の切り替わりを敏感に感じ取って、一同の表情が引き締まる。 「ごぉぉ……ごぉ!? ごぉっ!?」 「えっ!? ドラップの奥さんがいない!?」 「ごぉぉ……」 「スピスピ……スピィィ……」 「ちょっと前から行方不明だって? いろいろ捜したけど見つからないって……ちょっと、それヤバイんじゃないのか?」 先ほどまでの喜びはどこへやら。 ドラピオンたちは揃いも揃ってガクリと肩を落とし、項垂れている。 どうやら、ドラップの奥さんに当たるドラピオンが数日前から行方不明になっているのだそうだ。 『奥さんのドラピオンって……』 緊迫した雰囲気が張り詰める中、アラタたちの脳裏には、尻に敷かれているドラップの姿が浮かんでいた。 ほとんどのポケモンは外見から性別を判断するのが難しいため、ゴツい印象のあるドラピオンの♀(女性)もなかなか想像しがたいものがある。 見えもしない空を仰ぎ、惚けたような表情を見せる兄たちに、アカツキは怒鳴り声を上げた。 「ソフィア団に捕まっちまったかもしれない!! 早く行こうぜ!!」 「お、おう、そうかもしれないな……」 「そうなると厄介だね。 とりあえず、事情説明はやってくれたんだろ? だったらさっさと行くよ!!」 あっという間に現実に引き戻され、アラタたちはつまらないと言いたげな表情を見せたが、すぐにハツネの後を追いかけた。 今は立ち止まっている場合ではないはずだ。 アラタたちの背中が鬱蒼とした森の向こうに吸い込まれるのを見てから、アカツキはドラップの背中に手を添えた。 「ドラップ、気持ちは分かるけど、今は落ち込んでる場合じゃないって!! 捕まってんだったら、早く取り戻そう!! ネイトと一緒に取り戻すんだよ!!」 ポケモンにも愛情はある。 だから、奥さんに対する愛情はアカツキ以上に深いものがあるのだろう。 ドラップは落ち込んでいたが、アカツキの言葉に引き上げられ、すぐさま凛とした表情を取り戻した。 父親として、あるいは屈強なドラピオンとしての凛と引き締まった表情だ。 もしかしたら、ドラップの奥さんはソフィア団に捕まったのかもしれない。確証はないが、もしそうだとしたらかなり危険だ。 ダークポケモンの恐ろしさを肌で知るアカツキだけに、一刻も早く見つけ出さなければ……という強い使命感に燃えていた。 「ドラップ、戻って」 アカツキは素早く動けないドラップをモンスターボールに戻すと、項垂れているドラピオンたちに言い放った。 「オレたちがどうにかするから!! だから、ちょっと遠く離れたトコで待ってて!! そんじゃなっ!!」 反論する暇も与えずに言い放ち、アカツキは踵を返した。 一人出遅れた形になるが、全力で走ればすぐに追いつけるだろう。 遠ざかるドラピオンたちの気配を背中に感じながら、アカツキはネイトと共に、ドラップの奥さんも助けなければと固く誓った。 まさか、こんなところでドラップに縁のある人物(ポケモン)と出会うことになるとは思わなかったが…… だけど、仲間の家族なら、アカツキにとっては身内も同然だった。 ポケモンの懸案事項を取り除くのも、トレーナーの重要な役目の一つだ。 ネイト共に、ドラップの奥さんも助け出そう。 もちろん、ソフィア団に捕まっていなければ、それに越したことはない。 「ごぉ……」 「スピィィ……」 ドラピオンたち――もといドラップの家族及び親類は、初対面の人間の男の子の姿が鬱蒼とした森の奥に消えていくのを、じっと眺めていた。 一家の大黒柱(もちろんドラップのこと)を連れてきてくれた恩人だし、ドラップが気さくに話をしていたのなら、信じても良いのだろう。 ソフィア団に捕らえられてしまった時はどうしたものかと思ったが、今となっては心配する必要すらない。 いつかまた家族水入らずの時間を過ごせるようになったら、今まで甘えられなかった分、存分に甘えてみよう…… スコルピたちはハサミをガチャガチャ言わせながら、そんなことを思っていた。 To Be Continued...