シャイニング・ブレイブ 第17章 忘れられた森へ -Unforgettable Days-(後編) Side 4 程なく、アカツキはハツネたちに追いつくことができた。 彼女らも全速力で走っていたようなのだが、アカツキの脚力に対抗できるのはアラタだけだったため、追いつくこと自体はそんなに難しくもなかった。 森に降り立って十数分が経過したが、敵襲の気配は見られない。 鳥や虫の声も聴こえず、不気味なまでに静まり返っている。 それこそ、嵐の前の静けさという言葉がピッタリと似合う。 土を蹴る足音しか耳に入らない状況に嫌気が差したのか、キョウコはため息混じりにこんなことを言った。 「ホントに静かすぎるわねえ…… あたしはてっきり、黒スーツの戦闘員がビッシリ待ち構えてて『キシャァァァァッ!!』なんて叫びながら戦いを挑んでくる…… ……ってシチュエーションを予想してたけれど、なんか、期待して損したわ」 「そんなのを期待してたのか、おまえは」 「キョウコさんらしくないね、そういうのって」 キョウコの発言に、アラタとカイトがあからさまに呆れ顔を見せた。 彼女が戦隊モノに興味があるという話は聞いたことがなかったのだが、隠れてDVDでも観ているのかもしれない。 「なによーっ!! あたしだってそういうヤツに興味くらいあるんだから!! バカにしないでよっ!!」 完全にバカにされている…… 二人の素っ気ない反応にキョウコはカチンと来て、大声で言い返した。 そんな彼女こそ、今この状況を誰よりも理解していなかったのかもしれない。 何もこんな時に戦隊モノの話などしなくてもいいだろうに……堅物のアズサが強い口調で釘を刺してきた。 「まったく……そんなのは家に帰ればいつでも観られるでしょう? 今は戦うことだけを考えなさい」 「むう……分かったわよ」 さすがに、場の雰囲気を考えていなかったかもしれない。 キョウコはむくれながらも、渋々彼女の言葉に従った。 ともあれ、キョウコが何の前触れもなく戦隊モノでは定番の敵地遠征シーンについて口走ったのも、敵襲がないことを怪訝に思っていたからだろう。 ある意味、皆の心情を代弁したとも言える。 微妙に白けた雰囲気を引き連れながら走る一同。 走り始めて十数分が経った頃、突如視界が拓けた。 「……!? これって……?」 目の前に広がるのは、ポッカリと口を開いた洞窟だった。 岩盤質の地面を削り取ったような跡などは見られず、人の手が加わっていない、天然の洞窟のようだが、奥にはうっすらと明かりが灯っている。 アカツキたちは洞窟の前で足を止めた。 「ここか? カナタの旦那」 トウヤが肩越しに振り向きながら言うと、カナタは頷いた。 「ああ、この先がソフィア団のアジトだ。 見た目こそ普通の洞窟だけど、中は迷路のようになっているらしい。 俺のネイティオがミラクルアイでスキャンしてくれたから、内部は大体把握してる。 さて、それより……中からなんか聴こえるだろ?」 「えっ?」 この先がソフィア団のアジト……そこにネイトがいる。 一刻も早く突入したい気持ちに駆られながらも、アカツキはカナタの言葉どおり、耳を澄ました。 確かに、奥から断続的に衝撃音が聴こえてくる。 足を止めるまでは、洞窟の奥から響いてくる衝撃音も自分たちの足音でかき消していたから、気づかなかった。 「もしかして、もう始まってんの? 予定よりずいぶん早いけど」 全員の配置が済み次第、サラから連絡が入る手筈になっている。 訝しげに眉根を寄せながら、チナツがカナタを見やるが、返答は分かりきっていた。 「相手も、敵が突入してくるのを指くわえたまま見てるわけにも行かないだろう。 たぶん、ポケモンリーグに別の情報網を作って、突入の日時をある程度割り出してるはずだ」 「そうだね。あいつは打てる手を打ってから行動するタイプさ。 カナタの言うとおりさね。 ま、そういうわけだからちゃっちゃと片付けるよ!!」 ハツネは言い終えるが早いか、ベルルーンをモンスターボールから出し、彼女と共に洞窟に突入した。 事実、シンラはチナツとは別ルートでポケモンリーグにパイプを繋いでおり、事前に情報を得ていた。 だからこそ、配置完了の前に戦闘が始まってしまったのだ。 想定外と言えば確かにそうだが、サラのことだ……きっと、想定外の事態さえ織り込んで作戦を練り上げたに違いない。 「ハツネの後を追うぞ。 各自、できれば素早いポケモンを出して、一緒に行動するように。 途中までは一本道だから、みんなで協力して敵を倒すんだ。 ただし、人間相手にはやりすぎないように」 カナタは反論するヒマを与えないように早口で捲くし立てると、ネイティオを連れてハツネの後を追った。 なんだか釈然としないところはあったが、アカツキたちの目的はソフィア団の解体ではないのだから、それは当然だった。 むしろ、不確定要素である自分たちを、うまく取り込んでくれているのだ。 目的はただ一つ。 ネイトを取り戻すこと。それだけだ。 「よっしゃ!! オレたちも派手にやらかすか!!」 「そうね。最近、暴れ足りなくてムカムカしてんのよ。ここでストレス発散と行くわ!!」 アラタもキョウコも、憎きソフィア団に鉄槌を下せると張り切っているようだが、アカツキは二人には構わず、自分のペースを作り出した。 「オレが助け出さなきゃいけないんだから……」 ネイトを守れなかったのは、他の誰でもなく自分たち。 あの時、ネイトをはじめ、ポケモンたちをモンスターボールに戻していたなら、シンラの『クローズドボール』に捕らえられることもなかっただろう。 だが、いくらそのことを責めたところで、現実が変わってくれるはずもない。 だったら、何がなんでもネイトを取り戻す……それだけでいい。 アカツキは腰のモンスターボールを手に取ると、頭上に掲げて思い切り叫んだ。 「ラシール、行くぜっ!!」 トレーナーの強い意思に反応し、ボールからラシールが飛び出してきた。 「キシシシ……」 ラシールは指示を受けずとも、今自分が何を為すべきなのか、察していた。 アカツキの傍にいて、彼が何を考えているのか手に取るように分かっていたのだろう。 彼が、自分たちの気持ちを本当に理解してくれているように。 ラシールは退化した前脚でアカツキの肩をガッチリつかむと、トレーナーをぶら下げたまま、洞窟に突入した。 その後を、トウヤたちが追いかけてくる。 彼らの気配を背後に感じながら、アカツキは前だけを見据えていた。 うっすらと灯る明かり。 吹き付けてくる風はひんやりしていて、少しでも気を抜くと肌寒さに鳥肌が立ってしまいそうになる。 しかし、アカツキの胸中はどんな吹雪にも負けないほどに熱く燃え上がっていた。 やっとネイトを取り戻せる……そう思うと、どんな障害も一足飛びに乗り越えられるような気がしてならなかった。 ラシールが運んでくれる中で、アカツキは眼下で人やポケモンが伸びているのを見かけた。 どうやら、先に突入したらしい味方が戦闘の末に蹴散らした、ソフィア団の構成員と、そのポケモンたちだろう。 しかし、突入を優先したためか、取りこぼしも見受けられた。 ほとんどはラシールのスピードについていけず、攻撃する前にさっさと通過してしまったが、目のいいポケモンを持つ相手はそうも行かなかった。 「ロズレイド、毒の鞭(ポイゾニックウィップ)!!」 斜め前方に、ソフィア団の構成員の姿。 手持ちのポケモンはロズレイドのようだが、すぐ傍にある大きな岩柱がジャマで、シルエットでしか確認できない。 だが、ロズレイドと思しきシルエットからは、並々ならぬ敵意がにじみ出ていた。 アカツキは戦うべき相手と判断しながらも、こんなところで時間を食うわけにも行かず、すかさず指示を出した。 「ラシール、ヘドロ爆弾で蹴散らせっ!!」 「キシッ!!」 言われなくてもそのつもりだった。 ラシールはアカツキの指示が飛ぶ前に、ヘドロ爆弾を発射していた。 アカツキをつかんで空を飛んでいる状態では、使える技も限られてくる。 エアカッターは四枚の翼があってこそ放てる技であるため、手っ取り早く離れた場所にいる相手を仕留めるには、ヘドロ爆弾が最適だった。 ロズレイドはラシール目がけて、腕のブーケから毒々しい紫色をしたイバラの鞭を繰り出してきた。 ポイゾニックウィップという、毒タイプの物理技である。 威力が高く、相手の急所に当たりやすいという厄介な技だが、ヘドロ爆弾の方が圧倒的に早かった。 二本の鞭をすり抜け、剛速球のごとき勢いで突き進むヘドロ爆弾を顔面に食らい、ロズレイドはたまらず倒れ伏す。 「ああっ、ロズレイドぉっ!!」 一撃で倒れてしまったロズレイドに駆け寄り、慌てて抱き起こすソフィア団の構成員。 アカツキは彼を無視して、さっさと奥に進んだ。 ハツネやカナタに先んじて露払いをしてくれたはずだが、こうして取りこぼしがいる以上は安心できなかった。 早く先に進んで、ネイトを助け出さなければ…… 奥に進むにつれ、断続的に聴こえてくる衝撃音も、その度合いと頻度を増していく。 参道のように続く洞窟を一分ほど進むと、拓けた場所に出た。 この辺りから、人の手が加わった跡が随所に見受けられた。 鍾乳石や石筍(鍾乳石から滴り落ちた石灰水が固まって、地面からタケノコ状に伸びたもの)も、あちこち削り取られている。 それに、壁も垂直に切り出され、人工物が配置されている。計算ずくかは分からないが、ここからが本当にソフィア団のアジトなのだろう。 一番乗りのハツネとカナタが、奥から迫ってくるソフィア団の構成員相手に豪腕を振るっている。 「あっははは!! ヌルい、ヌルいねえ!! こんなんであたしの勢いを止められるとでも本気で思ってんのかい!?」 響くハツネの哄笑を声援代わりに、ベルルーンは苦手とする岩や水タイプのポケモンでさえ、持ち前の火力でガンガン焼き尽くしていく。 背中から立ち昇った炎は、天井を焦がさんばかりの勢いだ。 「うわ、すげえ……」 アカツキは地面に降り立つなり、ベルルーンの『蝶のように舞い、蜂のように刺す』華麗な戦いぶりに目を奪われていた。 どんなに苦手な攻撃でも、当たらなければ痛くはないということか。 ベルルーンは無傷で、十数体のポケモンを圧倒してのけた。 ネイゼルカップ優勝者のポケモンは、さすがに一般のポケモンと比べるとケタが違う。 「そ、総員、作戦B-#3に移行する!! この場は退却せよ!!」 あっという間に手持ちのポケモンが全滅し、ソフィア団構成員の士気はガタ落ちだった。 リーダー格の指示に、蜘蛛の子を散らすように、方々に退却していく。 ポケモンさえいなければ構成員など怖くはないということか、ハツネとカナタは敢えて彼らの後を追わなかった。 それよりも、後続の味方の到着を待つことを優先した。 「ふん、ホントにザコい連中だね。ベルルーンを出して損したよ」 「まったくだ」 ハツネが鼻息を荒くして言うと、カナタはため息混じりに言葉を返した。 「この程度の実力でポケモンリーグを敵に回そうなどと、シンラやエージェントはともかく、末端は腐っているな。 長いものに巻かれろ的な考えがミエミエだぜ」 さすがに、ネイゼルカップの優勝者とネイゼルリーグ四天王が相手では、並のトレーナーでは束になっても蹴散らされてしまう。 カナタが言いたかったのは、悪役になるのなら中途半端ではなく、 髪型から仕草から、手持ちポケモンのカスタマイズに至るまで、徹底的に悪役を貫けということだろう。 一時のつまらない感情に流され、確たる信念も抱けぬような相手など、束になろうと敵ではない。 それからさほど時間をかけずに、後続が合流してきた。 当然と言えば当然だが、欠員は一名も出ていない。 「取りこぼしがいるみたいだから、時間はかけられない。先に説明しとくけど」 ハツネは先ほど哄笑を響かせていたとは思えないような真剣な面持ちで、ピシャリと言った。 思わず、アカツキの背筋がピンと伸びる。 「この先は三つに分かれてる。 まずはルカリオが封印されていた神殿に続く道。 次に、ダークポケモンの研究・製造プラント。 最後に、非常脱出口に繋がっている団員の生活棟。 ここで戦力を三つに分けて同時に攻め込むよ。 先に入ってる連中と合流できりゃ、かなりいい感じになるはずだ」 「でも、どんな風に分けるんだ? 戦力なんて分けない方がいいと思うけど」 「うん。敵地に乗り込むのに戦力を分けるのは下策だって、本で見た覚えがあるよ」 アラタとカイトが、ハツネの言葉に疑問を差し挟んだ。 だが、彼女は返す刃で二人をキッチリ黙らせる。 「ダークポケモンやら残った連中が大挙して押し寄せて挟み撃ちになるよりはマシだろ。 そうならないように、バランスよく戦力を分けるのさ」 「だったら、俺とトウヤ、アズサとチナツ、ガキどもはハツネと一緒っていうのがベターだな」 カナタが軽い調子で言うと、キョウコは眉を尖らせた。 「……って、ガキどもって何よ!! あたしたちだってネイゼルカップ出場権を手にしてるんだから!! だいたい、戦力になるってことで連れてきてもらったんだもの!! そういう表現はなしにしてちょうだいよ!!」 「わ、悪かった。 でも、これが一番バランス取れてるはずなんだ。そこんトコは分かってくれ」 「分かればよろしい」 猛烈な勢いで噛みつかれ、さすがのカナタもたじろいだが、何とか彼女を宥めすかすと、 「そういうワケだ。 俺とトウヤはダークポケモンの研究・製造プラントを、アズサとチナツは生活棟、おまえたちはルカリオが封印されてた神殿だ。 時間をかけりゃ、向こうも本腰入れるだろうからな。トウヤ、行くぞ」 「おう!! 任せとき!!」 トウヤを連れて駆け出した。 通路の先を左折し、ボルグを使ってダークポケモンの研究を行っていたプラントへ向かう。 サラからロータスを借りたトウヤであれば、ダークポケモンが相手でも問題なく戦えるという判断で、カナタは彼を連れて行くことを選んだ。 「それじゃあ、あたしたちも行くか。 腰抜けをぶちのめすのも気が進まないけど、仕事はキッチリやんなきゃね」 「ええ、そうね。行きましょう、チナツ」 「オッケー♪」 アズサとチナツも、ソフィア団の構成員が生活をしている生活棟へと向かった。通路を右折し、遠ざかっていく足音。 残ったのはハツネと子供四人。 「……あたしは子守じゃないっての。 まったく……ここぞとばかりにやってくれたね。しょうがないか」 ハツネは振り返ると、きょとんとしている四人の顔を見て小さくため息をついた。 ナンダカンダ言って、カナタたちは上手いこと子守から逃げたのだ。 出遅れてしまった自分が悪いのだから、今さら何を言っても負け惜しみでしかない。 少し前は敵対していたポケモンリーグの四天王に負け惜しみを述べるのも、なんだかいけ好かない。 「まあ、いいや。あたしたちも行くよ。あのバカをとっちめてやるっ!!」 ハツネはなにやらあっさりと自己完結すると、駆け出した。 子守などしたくはないのだが……そもそも、ネイゼルカップに出場できるだけのトレーナーなら、わざわざ自分が守ってやらなくても問題ないだろう。 進路がさっさと決められて、アカツキたちは口を挟む間もなく呆然と立ち尽くしていたが、すぐに立ち直った。 「オレたちも行こう!!」 「おう!!」 背後から、人やポケモンの気配が近づいてくる。 暴風雨のごとくガンガン相手を薙ぎ払ったとはいえ、取りこぼしもそれなりに多いのだろう。 こんなところで立ち止まっていては、余計な時間をかけさせられてしまう。 アカツキたちはハツネの後を追って駆け出した。 すぐ十字路に出るが、迷うことなく正面へと進む。 左にはカナタとトウヤが、右にはアズサとカナタが行っている。 ネイトがいるとしたら、ダークポケモンの製造プラントではなく、ルカリオが封印されている神殿だろう。 ルカリオがすでにシンラの手に落ちているのかは分からないが、それでもやるべきことに変わりはない。 アカツキは改めて気持ちを奮い立たせ、全力で走った。 通路は床から天井まで、鉄のような物質でできているらしく、響く足音はどこか甲高い。 岩盤ではいつ崩れ落ちるかも分からないから、人工物でアジト全体を補強しているのだろう。 この先に、ネイトがいる…… アカツキの目には、先が明るくなっている通路しか映っていなかった。 しかし、それから程なく、 「おい、アカツキ。ちょっと止まれ」 「……!?」 アラタに声をかけられて立ち止まった。 振り返りざまに、言葉を返す。 「どうしたんだよ、兄ちゃん。早く行かなきゃ!!」 立ち止まっている場合ではないはずだ。 それはアラタにも理解できるはずなのに、どうして立ち止まらなければならないのか……カイトとキョウコも、訝しげな視線をアラタに向けた。 彼はしかし動じることなく、後方を親指で指し示しながら言った。 「後ろから挟み撃ちにされちゃたまんねえからな。 オレとキョウコがここで残って、後ろからやってくるヤツを止めといてやる」 「えっ?」 意外な言葉に、アカツキは驚きを隠せなかった。 カイトも同じように驚いていたが、キョウコは口の端を吊り上げた。 「ははぁ、な〜るほどね。 さっきからなんか後ろばっか気にしてたの、そういうことだったんだ」 「ああ。挟み撃ちにされないって保証はないからな。 誰かがここに残って憂いを断ち切っとくってのも大事なことだって思うんだ」 「兄ちゃんの言いたいことは分かるけど……」 アラタは自ら殿を買って出てくれたのだ。 確かに、入口付近で取りこぼした連中が追いすがってくるなら、挟み撃ちの危険は常に付きまとう。 後ろから襲われなくなる分、安心して戦えるというものだ。 「でも、それならオレが残った方がいいじゃん!! アラタさんにとっても、ネイトは大事な家族なんだろ?」 アカツキに続き、カイトが口を挟んだ。 アカツキがネイトを家族と思っているように、アラタにとってもネイトは大切な存在のはずだ。 だったら、ここはカイトとキョウコが残るべき。 そう主張したのだが、呆気なく避わされた。 「確かにそりゃそうなんだけどな。 でも、カイト。おまえの方がアカツキのサポートは慣れてんだろ? こいつ、無茶して突っ走りそうでヤバイからさ。おまえがちゃ〜んと面倒見てやってくれよ。 オレも、こいつが暴走しないようにちゃんと見てなきゃいけないからさ」 「あんたねえ……言うに事欠いて、あたしをダシにするなんて……!!」 なにやら傍でキョウコが髪を逆立てて激昂しているが、アラタは構わずに続けた。 戸惑うアカツキとカイトに言い聞かせるように、場には不似合いな優しい口調で。 「アカツキ。おまえの手でネイトを助け出してこいよ。そうじゃなかったら、許さないからな。 カイト、こいつが無茶しないようにちゃんと見ててくれよ。 オレが一緒だと、こいつと一緒に突っ走っちまいそうで怖いからさ」 「…………」 自分自身をダシにしながら、ニッコリと微笑みかける。 これもまた、兄として精一杯の、弟への愛情なのだろう。 アラタは自分が損をしてでも、思っていることを貫き通そうとする。 昔から、そうだった。 傷つくと分かっていても、弱いものイジメをしていたガキ大将にケンカを売ったりしていた。 「兄ちゃんらしいな……」 アカツキはため息をついた。 そこまで言い張るのなら、ここで四の五の並べても仕方がない。 兄の気持ちを汲んで、先へ進もう。 「分かったよ、兄ちゃん。 ネイトはオレがちゃんと助け出してくるからさ、兄ちゃんはキョウコ姉ちゃんの面倒ちゃんと見ててくれ」 「あんたまで〜っ!! 戻ったらラチェでボコボコにしてやるから覚悟しなさいよ、もぉっ!!」 アカツキまでキョウコをダシに使うものだから、彼女の怒りは限界点を突破しようとしていた。 だが、その怒りを向けるべき相手は似た者同士の兄弟ではない。 「いたぞっ!!」 「……!!」 出し抜けに、鋭い声が通路にこだまする。 背後から、数人のソフィア団構成員が駆けてくるのが見えた。 どうやら、取りこぼした連中が一丸になって突っ込んでくるようだ。 「こ〜なったらこいつらでウサ晴らしさせてもらうわっ!! アニー、やっちゃうわよっ!!」 「くぅぅぅっ……!!」 アニーはトレーナーと同じように、熱く燃えていた。 炎の鬣が、大きく強く燃え上がる。彼女はやる気になると、そうやって炎を強くするのだ。 「そんじゃ、オレはアッシュだ!!」 アラタはジェノを引っ込めると、アッシュを出した。 アニーとアッシュのデコボココンビは、どんな相手をも叩き伏せるデタラメなインパクトを生み出すことで有名なのだ。 「そういうワケだから、さっさと行けっ!!」 「うん、分かった!! 行こう、カイト!!」 「おうっ!!」 アカツキはアラタとキョウコにこの場を任せ、カイトと共に奥へと突き進んだ。 二人なら、ナンダカンダ言いながらも敵を蹴散らしてくれるだろう。 背後から襲われるという憂いを完璧に断ち切れたせいか、アカツキとカイトの胸中は思いのほか穏やかで、足取りも軽やかだった。 時折背後から衝撃音が立て続けに聴こえてきたが、奥へと進むにつれて、耳に入ってくるのは自分たちが立てる足音だけになった。 緩やかにカーブしたり、あるいは勾配のついている通路を進んでいく。 思いのほかこの洞窟は広いらしく、五分ほど走っても先は一向に見えてこない。 「なあ、ホントに、この道で……合ってんのかなあ……?」 アカツキの全速力に合わせるとなると相当疲れるらしく、息も絶え絶えにカイトが訊ねてきた。 「ハツネさんとだって、合流できてないし。隠し通路とか、あるんじゃ……」 さすがに自力でこれ以上走り続けるのは無理らしく、チルタリスの背中に飛び乗った。 「だって、この奥には神殿があるんだろ? だったら、ハツネさんやネイトはそこにいるんだよ!! 四の五の言わず、さっさと行くっ!!」 「…………分かったよ」 アカツキは、カイトがポケモンの力を借りていることには触れず、強い口調で彼を黙らせた。 確かに、もしかしたら隠し通路か何かがあるのかもしれない。 侵入者がいつかやってくると分かっているなら、そういった仕掛けがあって然るべきだ。 それなのに、ここに来るまでに落とし穴やら催涙ガスといったトラップが一切仕掛けられていない。 味方が引っかかる恐れがあるから敢えて作らなかったのかは定かでないが、静寂ほど不気味なものはない。 それこそ、嵐の前の静けさと言わんばかりだ。 しかし、静けさはすぐに終わりを迎えた。 緩やかな左カーブを抜けた先は、再び洞窟が広がっていたからだ。 ホールのような広大の空間には、天井から無数の鍾乳石が垂れ下がり、人工物は一切存在していない。 自然にできた空間を、アジトの一部として利用しているのだろう。 広間の中央には、アカツキにとって嫌でも見知った顔が二つあった。 その前で足を止めているハツネ。 どうやら、彼らに足止めを食らっているらしい。 「ソウタとヨウヤ……!! あいつら、ここにいたのか……」 ハツネと対峙しているのは、ソフィア団のエージェント・ソウタとヨウヤの二人だった。 いくらネイゼルカップの優勝者でも、ジムリーダー級のトレーナーを二人相手にするのは辛いのか…… そう思ったが、彼らは特に戦っている様子もない。 「…………? どうしたんだろ?」 怪訝に思いながらも、アカツキはハツネの傍まで駆けていった。 「お待たせっ!!」 「あんたたち、思ったより遅かったね」 ハツネは振り返りもせず、淡々とした口調で返してきた。 「まあ、いいや。それより、問題はこいつらをどのようにして退かすかさ」 「戦ってたんじゃなかったの?」 「ちょっと交渉してたんだ。こいつら、心底シンラにホレてソフィア団に入ったわけじゃなさそうだしね。 でもまあ、あっさり決裂。なんかつまんない」 「…………」 いけしゃあしゃあと言ってのけるハツネは無視して、アカツキは嫌らしい笑みを浮かべながらこちらを見ているヨウヤを睨み付けた。 ソウタは無表情だったが、瞳の奥に宿るのは強い闘志。 ここは何があっても通さないと言わんばかりの気迫を滲ませている。 ハツネはどうやら、彼らと戦わずに済むように――それも、彼女だけは――交渉していたらしい。 シンラが並外れた実力のトレーナーだと知っているのだから、その前座だとしても、 ソウタとヨウヤのバトルでベルルーンを傷つけるわけにはいかないと思ったのだろう。 だが案外、彼女はアカツキたちにこの場を任せるつもりでいるのかもしれない。 もちろん、イエスだったが。 「じゃ、そういうわけであんたたちにこの場は任せるから。あたしは先に行ってるよ」 ハツネはベルルーンを傍に寄せると、前傾姿勢になった彼女の背にまたがった。 「させるか……!!」 ソウタが腰のモンスターボールからオーダイルを出したが、ハツネを乗せたベルルーンは目にも留まらぬ動きで彼らの脇を通り抜け、奥へと進んでいった。 「ちっ……」 今からではハイドロポンプを放っても間に合うまい。 広間の奥には、荒れ果てた神殿跡があり、シンラはそこにいる。 ルカリオをゲットできたのかどうかは分からないが、自分たちはここで侵入者の掃除を任されたのだ。 ハツネには出し抜かれてしまったが、シンラならそれくらいは想定しているかもしれない。 ……というわけで。 「久しぶりだな〜、アカツキ」 ヨウヤが嫌らしい笑みなど浮かべながら、人を見下すような目つきで言葉をかけてきた。 「…………」 アカツキとカイトは眼差しを尖らせ、睨み返す。 確かに久しぶりだが、馴れ馴れしくするような間柄ではない。 実際に戦ったのは一度だけだが、ダークポケモンを自らの手足のごとく使いこなすほどの実力者だ。 もっとも、ポケモンを大切なパートナーなどと思っているわけではなく、戦いのための武器だと断じるなど、人格的には最低なトレーナーである。 「ネイトって言ったっけ。 あのブイゼルを取られて泣いてるだけかと思ったけど、そうでもなかったみたいだな。 でもまあ、その方が僕としてはありがたいね……今日こそ、おまえを泣かせてやるよッ!! 僕たちに楯突いたことを、死んだ方がマシってくらい後悔させてやる!! そこの役立たずと一緒にな!!」 「ラシールは役立たずなんかじゃねえ!! おまえなんかにそんなくだらないことを言われる筋合いはねえ!! すっこんでろ!!」 いきなりヒートアップするヨウヤに釣られるような形で、アカツキも声を荒げた。 ラシールがすぐ傍にいることを知りながら、ヨウヤはダークポケモンとして使っていた頃のことを指して役立たずと言ってのけたのだ。 ポケモンを大切なパートナーと思っているアカツキには、看過できない暴言である。 「なんだとぉっ!? 僕にそんな口を利いて、ただで済むと思う……」 プライドの高いヨウヤは、年下の男の子に睨まれた上に言い返されたことにガマンがならないらしく、 いよいよ眉を十字十分よりも鋭く尖らせながら反論しようとしたが、ソウタに手で制された。 「残念だがそうは行かない。あの女は取り逃がしたが、総帥が倒してくれるだろう。 おまえたちの相手は俺達が務めよう!!」 「先に進みたかったらバトルで勝てってことか?」 「そういうことだ。 俺達とおまえたち。ちょうどいい、マルチバトルで勝負と行こう」 「ふん……おまえが仕切るなよ。 ……まあいい。 それじゃあ、今日こそ泣かせてやる。覚悟はできたか、クソガキどもっ!?」 言い放ち、ヨウヤは腰のモンスターボールを軽く頭上に放り投げた。 空中でボールの口が開き、中から現れたのはドラピオンだった。 「ダークポケモンか……!!」 アカツキは飛び出してきたドラピオンの全身から、黒ずんだオーラが放出されているのを認めた。 他の三人には見えていないが、彼らもまたドラピオンが放つ雰囲気がただならぬものであることを肌で感じていた。 ダークポケモンの研究・製造プラントがあるからには、それ相応にダークポケモンを量産していたのだろう。 かつて、オーレ地方でシャドーが世界征服を企んだ時のように、兵器として保有するために。 「俺はオーダイルで行かせてもらおう。おまえたちは入れ替えないのか?」 ソウタの声に、オーダイルが彼の前へと躍り出た。 どうやら、アイシア山脈の麓の森で見たアリゲイツが進化したようである。 たくましく威厳のある体躯は、ドラピオンと並べると、高い壁のように見えてくる。 事実、彼らが最後の砦と言ってもいい。 ハツネは上手く彼らの脇をすり抜けて奥へ進んでいったが、アカツキたちにとっては、この二人がネイトの元にたどり着くための最後の関門。 しかし…… 「ドラピオン……? もしかして、あれって……」 アカツキはヨウヤが繰り出してきたドラピオンを見て、もしかしたらと思った。 確認するために、ドラップをモンスターボールから出す。 「ドラップ、あのドラピオン、キミの奥さんだったりしないよな!?」 本当にそうだったら困ると思って、訊ねてみた。 忘れられた森にはドラピオンやスコルピが棲息している。 だから、ドラップの奥さんでない可能性の方が高いのかもしれないが、万が一そうだったら、倒してしまうのはマズイ。 だが、ドラップはヨウヤが繰り出したドラピオンを見て驚愕した。 「ごぉぉっ!! ごおぉぉぉぉぉぉぉっ!?」 激しく狼狽し、声を荒げる。 ヨウヤに向かって呪詛めいた言葉を並び立てているが、人間には何を言っているのかよく分からない。 もっとも、彼の憎しみに似た敵意は誰もが敏感に感じ取っていたが。 「へえ……」 愉快そうに、ヨウヤが口の端を吊り上げる。 「このドラピオン、おまえの知り合いかい? ははっ、そりゃいいや!!」 「ドラップの奥さん……!! そんな……」 ヨウヤの高笑いが響く中、アカツキは絶句した。 間違いない。 あのドラピオンはドラップの奥さんだ。 ドラップがあそこまで取り乱すからには、単なる同胞というだけではあるまい。 それに…… アカツキにはドラップがヨウヤに何を言ったのか、理解していた。 ――貴様、よくもオレの妻を……殺してやるっ!! 自分自身がダークポケモンの素材にされたことより、愛するものが自分と同じような目に遭わされたことが許せないのだろう。 ドラップは溢れる憎しみに突き動かされ、ヨウヤへと向かって突進していく!! 「あ、ドラップ!! よすんだっ!!」 アカツキが慌てて止めたが、遅かった。 「フン……おまえ、そんな風に必死になるんだ。 だったら、奥さんとやらの手で倒してやるよ!!」 ヨウヤは恍惚の表情を浮かべ、ドラピオンに指示を出した。 心を閉ざされた存在ゆえ、ドラップが目の前にいても、愛する夫だとは気づかない。 それもまた、ヨウヤにとっては愉快な見世物の一つに過ぎなかった。 クズどもがクズらしく、不様にみっともなく足掻いているのを見ると、腹を抱えてしまうほどに滑稽で笑えてくるのだ。 本当に歪んだ性格だが、そんな性格の持ち主だからこそ、普通の人には扱えないダークポケモンを狂気で扱ってしまうのだろう。 「ドラピオン、ダークレイヴ!!」 ヨウヤの指示に、ドラピオンは闇の力を凝縮させたハサミを地面に叩きつける!! ごぅんっ!! 轟音と共に、ドラップ目がけて闇の衝撃波が突き進む!! 愛する妻の心を閉ざした憎きヨウヤしか見えていないドラップには、 愛する妻からの攻撃など目に入るはずもなく、真正面からまともに食らって吹き飛ばされた。 「ドラップ!! 戻れっ!!」 地面に叩きつけられ、ぐったりするドラップを、アカツキはモンスターボールに戻した。 「ごめん……オレのせいで……」 モンスターボールの中で休んでいるドラップに、アカツキは小さく詫びた。 もし、目の前にいるのが奥さんなら、ドラップが怒り狂ってヨウヤに向かっていくことは予想できた。 それにもかかわらず、無責任にもドラップに確認させてしまった……こればかりは、アカツキ自身のミスだった。 「ドラップじゃ、ダメだよな。奥さんを倒せないよな……? でも、オレがなんとかすっから。ドラップはゆっくり休んでてくれ」 今の一撃……ダークレイヴとか言ったか。 闇の衝撃波の威力はすさまじかった。肌がピリピリと粟立つ感覚が収まらない。 「フン、他愛もない……もしかしたらと思って捕まえてみたけど、なかなかの素養の持ち主だね。 これなら、おまえたちをギッタンギッタンにしてやれる」 「てめえ……よくもやりやがったな……!? ドラップにとって、奥さんがどんだけ大切か知ってるくせに……!!」 ヨウヤの冷酷な言葉に、アカツキは怒りを爆発させた。 こんな身勝手なトレーナーがいるなんて、本当に信じられない。 同じトレーナーとして恥ずかしくなるが、だからといって野放しにはできない。 ここはちゃんとバトルで決着をつけて、二度と悪さができないようにしなければ。 「なら、どうする?」 アカツキの怒りをせせら笑い、ヨウヤは続ける。 「ドラップとかってヤツができないから、代わりにオレたちがやるってか? フン、バカバカしい。できるものならやってもらおうじゃないか」 ドラップの奥さんだと分かれば、アカツキたちはまともに戦えない。そう高を括っていたが、甘かった。 「やってやるよ」 アカツキはグッと拳を握りしめ、強い口調で言葉を返した。 ヨウヤの目を、まっすぐに睨み返して。 込み上げる怒りを、必死に押し殺しながら。 「今は傷つけちゃうけど、ネイトと一緒に…… ドラップの奥さんもダークポケモンから元のポケモンに戻してやる!! さあ、勝負だっ!!」 アカツキはラシールで戦うことに決めた。 ヨウヤにコケにされたまま引き下がってたまるか……そう思っていた。 ポケモンは武器なんかじゃない。 大切なパートナーだということを、ラシールで思い知らせてやるのだ。 とはいえ、ラシールでは相手の弱点を突くことはできないが、相手の布陣を見る限り、逆に弱点を突かれることもなさそうだ。 ただ、ダークポケモンが使う黒い色のついた技には要注意。 気の毒だが、最優先でドラップの奥さんを倒さなければならない。 ここで立ち止まっていては、ネイトはおろか、ドラップの奥さんまで助け出すことはできないのだから。 「だったらオレはゼレイドだ!!」 カイトはチルタリスを戻し、ゼレイドを繰り出した。 頼れる相棒……レックスは最後まで温存しておきたいのだろうが、オーダイルの弱点を突くにはゼレイドしかいないと考えたのだ。 ポケモントレーナーである以上は、雌雄を決する手段としてポケモンバトルを選ぶのは至極当然のこと。 ソフィア団のエージェントだろうと、それは変わらないのだ。 それぞれのポケモンが出揃ったところで、ソウタが口を開いた。 「勝負だ、いざっ!!」 その一言が、激しい戦いの幕開けとなった。 Side 5 カナタとトウヤは十字路を左折し、ダークポケモンの研究・製造プラントを目指して突き進んでいた。 螺旋状の通路を下りながら、わらわらと群がってくるソフィア団構成員と彼らのポケモンをビシバシなぎ倒していく。 いくらカナタが強くとも、トウヤと二人だけでは敵に情けなどかけていられるだけの余裕はない。 最初はネイティオだけで相手をしていたが、それだけでは辛くなったと感じて、途中からチャーレムを投入した。 特性『ヨガパワー』を持つチャーレムは物理攻撃力がとにかく高いため、 冷凍パンチやら飛び膝蹴りやら威力の高い技を連発して、敵をガンガン倒していった。 ――今頃出しやがって……でも、その分暴れてやるっ♪ 真剣な面持ちで拳や蹴りを繰り出しながらも、チャーレムがなにやら楽しそうにしているのがトウヤにまで伝わってくる。 「…………」 カナタがチャーレムを手持ちに加えていることは聞いていたが、まさかこんな風にガチンコファイトを得意としているとは思わなかった。 トウヤが驚きの視線をチャーレムに向ける中、サラから拝借したロータスは四天王のポケモンに負けじと目覚しい働きを見せている。 暴君のごとく突き進むカナタたちの勢いは、ソフィア団構成員(特に階級もない下っ端)にはとても止められるようなシロモノではなかった。 入り口付近の取りこぼした連中はアラタとキョウコが相手をしているため、こちらに流れ込んでくる心配もない。 群がってきた構成員及びそのポケモンたちを易々と蹴散らしながら進むうち、通路の奥で戦況を見守っていたリーダー格が声を高らかに言った。 「防衛線を縮小する!! プラントを死守せよ!! この場は退却だッ!!」 敗走寸前のガタガタした戦列はその言葉にやる気を取り戻したのか、一糸乱れぬ動きでプラントへと退却していく。 「逃がさへんで〜!!」 敵に背を向けて逃げ出すなどいい度胸だ。 破壊光線の一発でもぶちかませば、まとめてなぎ倒せる。 そう思ってロータスに破壊光線を指示しようとした矢先、リーダー格が懐から飛び出した筒を床に叩きつけた。 刹那、まばゆいばかりの光が通路に満ちあふれた。 「ちぃっ……」 「うわっ!!」 二人はとっさに目をつぶり、腕で視界を覆った。 閃光のような強い光は、腕と顔の隙間を縫って、目に侵入しようとするが、すぐに消えた。 それでも目に食い込んでくる光はしばし瞼の裏に焼きつき、二人は一分ほど目を開けられない状態だった。 幸い、ポケモンたちはとっさにガードしていたようで、それほどの影響は受けなかったようだ。 「くー、やるなあ……」 「さすがに、下っ端とはいえ無能な連中ばかりじゃないってことだろ。 厄介なことになりやがったぜ……」 トウヤの言葉に、カナタは大仰に肩をすくめた。 一分なら、構成員とポケモンたちが奥に逃げるのには十分な時間である。 防衛線を縮小するならば、その分布陣の厚みが増すということだ。勢いだけで突破するのも難しくなる。 厄介なことをしてくれたと思うのは、防衛線の縮小による布陣の増強ということだけではない。 プラントには恐らく、今まで製造されたダークポケモンたちがいるだろう。 もっとも、ダークポケモンが放つ黒いオーラはアカツキにしか見えないらしく、トウヤとカナタが普通のポケモンとダークポケモンを見分けるのは難しい。 混ざって攻撃を仕掛けられると、かなりややこしいことになるだろう。 もっとも、その時はその時で、まとめて倒してしまえばいい。後でサラが合流するはずだから、彼女が来るまで持ち堪えればいいのだ。 それはともかく…… トウヤはリーダー格が床に叩きつけた筒に目をやった。 どこにでも売っているような、鉄製の小さな筒。 その中に何らかの化学物質を詰め込んで、衝撃を与えれば化学反応が起きて光を発生するように仕込んでおいたのだろう。 さすがに、シンラが指揮しているだけあって、下っ端とはいえ油断はできない。 「ティオっ……?」 ネイティオはカナタの眼前に舞い降りると、翼をバタバタと振りながら声をかけてきた。 ――どうするの? さっさと行くよ。 そう言いたげな(?)瞳に見つめられ、カナタは小さくため息をついた。 「そうだな。さっさと決着をつけてやる。トウヤ、かっ飛ばすぜ!!」 「任せとき!!」 互いに示し合わせたように頷いて、プラントへ続く通路を突き進む。 それから三分ほど経って、通路は終わった。 目の前に広がるのは、ドーム型をした施設。 天井から見慣れない機材がぶら下がり、ガラスの巨大シリンダーがいくつも並んでいる。 なにやら低い駆動音を上げている機械を結ぶ太いケーブル。 ここでダークポケモンの研究が行われ、素材となるポケモンの心を閉ざすことで、ダークポケモンを作り出していたのだろう。 どんな方法でダークポケモンと化すのか……興味はあるが、今はそんなことに現を抜かしている場合ではない。 ソフィア団構成員とポケモンたち、その奥には目つきが鋭く異様な雰囲気を放つポケモンたちが十数体。 さらにその奥には、立派な毛並みをしたゴウカザル――シンラの手持ちポケモンの一体、ローウェンである。 この布陣を見ただけで、カナタとトウヤは理解した。 ダークポケモンに指示を出すのは、挑発的な視線を向けてくるローウェンである、と。 「ほな、決戦と行きまっか」 「そうだな。 さっさとぶち倒してあいつの加勢をしてやらなきゃな」 敵意を存分に向けてくる敵を睨み返し、カナタとトウヤはそれぞれのポケモンに指示を出した。 「ネイティオ、サイコウェーブ!! チャーレムは敵陣に飛び込んで各種パンチと飛び膝蹴りを連発!!」 「ロータス、バレットパンチからコメットパンチ!! 電磁浮遊からのしかかりや!!」 臆することなく敵陣へ突っ込むロータスとチャーレムを睨みつけ、敵も動き出した。 「怯むなっ!! 我らが力、見せてやれ!!」 「ウキャーッ!! キギーッ!!」 先ほどのリーダー格と思しき声と、ローウェンのけたたましい鳴き声が響く。 何らかの指示なのだろうが、向かってくるヤツを片っ端からぶち倒していけばそれでいい。 あっという間にプラントは戦場と化した。 一方、十字路を右折した先では、すでに戦いが始まっていた……が、アズサとチナツがたどり着く前に終わってしまった。 生活棟とは言いながらも、そこは通路の両脇に無数の部屋が設けられている集合住宅のようなもの。 戦いの跡をうかがわせるように、扉は壊れ、毒や爪痕で無残に荒れ果ててしまっている。 ところどころにソフィア団の構成員と彼らのポケモンたちが力なく横たわっているが、気を失っているだけらしい。 いくらソフィア団を解体させると言っても、相手を殺してしまっては意味がない。 ただ、彼女らの出番はなかった。 「あんたたちは……フォース団の……」 アズサとチナツの前には、フォース団のエージェント・リィとマスミが立っていた。 なんてことはない、彼らがソフィア団の構成員たちを蹴散らしていたのだ。 「うんっ♪ リィと、マスミだよ。 あんたたちが来るの遅いから、僕たちがいただいちゃったよ。ごちそ〜さまっ♪」 「ふん……」 年頃の女の子とは思えないボサボサ頭の少女と、なにやら異臭を放っている黒服の青年。 美女と野獣……とは言えそうにない組み合わせだが、フォース団の中では上位に位置する使い手である。 彼らなら、エージェントでもない一般の構成員が束になろうと蹴散らしてしまうのだろう。 楽ができたと言えば聴こえはいいが、アズサたちにしてみれば、出番を取られたような気がして癪だった。 「あのねえ……あたしたちの出番くらい残しときなさいよ。 まったく、つまんないじゃないの」 不機嫌に頬を膨らませ、チナツは口を尖らせたが、リィは素知らぬフリで言葉を返した。 「だってぇ、しょうがないじゃ〜ん。 女史に先回りしろって言われたんだから。 それに、僕たちはダークポケモンの製造プラントには誰も向かわせてないから〜。応援、してあげた方がいいんじゃない?」 「…………ムカつく」 「まったくだわ……」 こちらの状況を理解した上で、いけしゃあしゃあと言ってのける年下の少女に、チナツもアズサも額に青筋を浮かべた。 それでも、年上の威厳を保ちたいのか、声を荒げることもなく、代わりに拳を握りしめるところで止めておいた。 ハツネはカナタたちが戦力を分けることを最初から読んでいたのだろう。 経過はどうあれ、彼女の思い通りに事が進んでいることに間違いない。 表向きは協力体制を取っていても、結局、腹の探り合い。 互いに相手をどう出し抜くかを考えていたに過ぎなかった。 ともあれ、リィの言うとおりだった。 すでにこの区画は制圧されている。ダークポケモンの製造プラントに応援をやっていないのだとすると、これは厄介なことになる。 二人で簡単に制圧できてしまうほど、ここには重きを置いていない。 よく考えてみれば、ソフィア団にとっては構成員よりもダークポケモンの方が戦力になるだろう。 心を閉ざされ、余計なことを一切考えずに命令に従って戦うことのできる『兵器』の方が、 何を考えるかも分からない人間より、ある意味信頼できるのだから。 「戦力はダークポケモンのプラントに集中してるんだったら、あの二人でも危ないかもしれないわね」 「……嫌だわね、まったく……」 アズサの言葉に、チナツはげんなりしつつも頷くしかなかった。 すでに制圧されている場所に居続けるのは時間の無駄。 今までコケにしてくれた分……いや、それ以上にソフィア団にはお返しをしてやらなければならないのだ。 これ見よがしにニコニコしているリィと、何もかもつまらないと言いたげにソッポを向いているマスミ。 対照的な表情を見せ付けられ、加速度的にここに留まることが嫌になる。 「癪だけど、あんたたちにこの場は任せてあげるわ。 こんな状態じゃ、とても抵抗されるとも思えないけど……」 チナツは肩をすくめ、周囲を見渡しながらリィに言った。 マスミは聞いているのか分からないし、そもそもポケモンリーグに苦渋なるモノを与えた『死神』と馴れ合うつもりなど毛頭ない。 それなら、取っ付きやすい方に話すべき。 「おっけ〜♪ それじゃ、任されてあげる」 「よし」 また嫌味でも並べられるのかと思ったが、リィは呆気なく首を縦に振った。 チナツもアズサも一瞬唖然としたが、するべきことは片時も忘れていなかった。 対照的な性格の二人ではあるが、仕事に対する情熱は人一倍。 「そんじゃま、サラが来るまで頑張りましょっか」 「ええ。あの人の手を煩わせるのも、部下としては問題だものね」 チナツとアズサは頷き合うと、リィとマスミに背を向けて、今来た道を引き返した。 自分たちの仕事は、ソフィア団を解体させること。 しかし、サラの手を極力煩わせないことでもある。 彼女は今までに、普通の人なら過労で何度も倒れてしまいそうな仕事量を黙々とこなしてきたのだ。 上司の尋常じゃない仕事振りを見てきたからこそ、この一件で彼女を煩わせたくないと思ったし、 早く終わらせて重荷から解放してやりたいとも思う。 その頃―― ソフィア団アジトの最奥では、ハツネとシンラが対峙していた。 荒れ果て、打ち棄てられた神殿の跡地で。 壮麗な柱は途中からぽっきりと折れ、無数の傷を刻んでいる。 等間隔で敷き詰められた大理石の床板も、時の流れに削り取られ、無残にもひび割れてしまっている。 周囲から一段高くなっている祭壇の間で、二人は十年ぶりの再会を果たした。 ただし……兄妹としてではなく、敵として。 ハツネの傍らにはベルルーン。 対するシンラの傍らにはラグラージのグリューニル。 二人とも、久しぶりの再会を喜びたい気持ちはあっても、トレーナーが敵対していることを知ってか、そんな態度は微塵も見せなかった。 「久しぶりだな、ハツネ。 その様子だと、元気そうで何より」 「ふん、白々しいこと言ってんじゃないよ、バカ兄貴」 「ふむ……」 シンラがニッコリと柔和な笑みを浮かべつつ言葉をかけると、ハツネは痰を吐き捨て、くだらないと言わんばかりに一蹴した。 立場上、敵対していると言っても、相手は実の妹である。 何の感情も抱かずに過ごして来られたほど、この十年間は軽いものではなかった。 それはハツネにとっても同じことだろうが、彼女は変なところで素直でないから、そんな態度は表にも出さない。 それでも、互いに相手を打ち負かすべき相手だと認識していることに変わりはない。 ハツネはバカなことをしようとしている兄を。 シンラは両親の仇を討つことを拒もうとする妹を。 言葉で理解り合えなかったからこそ、こうして犯罪まがいの組織を立ち上げ、敵対する道を選んだ。 二人して不器用で、しかしだからこそ純粋な想いを胸に今まで生きてきた。 それだけは、認めなければならないのだろう。 「やっとこの時が来たね……あんたをコテンパンに打ち負かして、バカなことを止めさせるのさ」 「バカなこと……か。 ハツネ、父さんと母さんの仇を討つというのは……討とうと思うのは、そんなに馬鹿げていることか?」 「討とうと思ったのはあたしも同じさ。 でも、実際に討つのと討たないのとじゃ違うんだよ。 あたしがバカだって言ってるのは、パパとママが戻ってこないと知っていながらも、 自分の気持ちを満たすためだけにそんなことをしようとするあんたの心の弱さだよ」 「…………」 ハツネの厳しい言葉に、シンラは一瞬表情を引きつらせたが、すぐに何事もなかったように口の端に笑みを浮かべる。 互いに笑みなど浮かべていながらも、二人の間に流れる空気は極端に冷えきっていた。 兄弟という間柄を、十年ぶりの再会を感じさせぬほど、冷たく、凍りついている。 「あんたが何を考えてるのかは知ってる。 だから、あたしはあんたを止める。そのために、フォース団なんて道化を演じてきたんだからね」 「ならば……やってみるがいい」 「吠え面かかないでよ? 元々、あたしの方がバトルは強いんだから」 「さて、それはどうかな……?」 話したところで、理解り合えるはずがない。 平行線をたどってきた十年間は、二人の間に溝を作り出した。 飛び越えることも、埋めることもかなわない、深く巨大な溝だ。 敵として対峙している以上、為すべきことは一つ。 ポケモントレーナーとして、ポケモンバトルで雌雄を決すること。 互いにいつか来るその時を睨みながら、鍛錬に余念がなかった。それは分かりきっていること。 「ベルルーン、行って」 「ならば、僕はグリューニル。相性は僕の方が有利だが……」 「分かってるじゃないか」 それぞれのトレーナーに促され、ベルルーンとグリューニルはトレーナーの前に躍り出た。 表情には一片の迷いも躊躇いもなく――ただ、相手を倒すべき敵として認識し、鋭い視線を突き合わせる。 一見すると、ハツネの方が不利に思える相性だが、シンラは知っている。 ベルルーンは水タイプや地面タイプといった苦手なポケモンを返り討ちにするため、草タイプや電気タイプの技を覚えているのだ。 単純な相性だけでは渡り合えない強さを持つバクフーン……それがベルルーンだ。 「あんた、ルカリオをゲットしたんだろ?」 「……僕のやろうとしていることを知っているなら、それくらいは見通しているということだろう。 ならば、リクエスト通りに見せてやろう」 出し抜けに響くハツネの問い。 シンラは一瞬彼女が何を考えているのか読もうとしたが、すぐに何の意味もないことに気づく。 承諾すると、懐からクローズドボールを取り出し、軽く頭上に投げ放った。 黒々とした閃光に包まれて飛び出したのは、紛れもなくルカリオだった。 人型の獣といった風貌が似合うが、鮮やかなブルーの身体はダークオーラの影響か、黒光りして見える。 犬を思わせる凛々しくも愛くるしい顔や目も、虚ろで生気を感じない。 背丈はハツネよりも低く、一メートル三十センチと言ったところだろうか。 「やっぱ、ダークポケモンになっちまってるね。 あんた、せっかく眠ってたヤツを叩き起こしたんだろ」 「必要だからな」 ルカリオはここに封印されていた。 ハツネが知る限り、ルカリオは紫水晶に封印されていた。 アーロンが波導の力で生み出した特殊な水晶に、ルカリオは封印された。 シンラは水晶を力ずくで砕き、ルカリオを強引に甘いまどろみから引きずり出したのだろう。 クローズドボールの力なら、ルカリオをダークポケモンに変えてしまっても不思議はない。 とはいえ、今のルカリオは世界を救った勇者の従者とは思えぬほどに、変わり果てていた。 かつての姿を知らないハツネには何とも言えなかったが、とても勇者の従者とは思えなかった。 「ルカリオの波導の力で、犯人の生体反応を探して居場所を特定しようとしたんだろ?」 「そこまで知っていながら、おまえは対抗策を取れなかった。違うか?」 「誰も、そんなこと言っちゃいないよ」 「ほう?」 「だったら、あたしの対抗手段を見せてあげるよ。出ておいで」 ダークポケモンとしてここにいるルカリオに対抗するのは、ベルルーンでも不可能だ。 シンラがルカリオを使ってしようとしていることが分かっていたからこそ、ハツネは対抗策を用意していた。 モンスターボールを頭上に掲げると、彼女の呼びかけに応えて、アグニートが飛び出してきた。 「ふん……ようやく我が悲願が果たされる時が来たか」 モンスターボールの中は快適だったようだが、いささか退屈気味だったらしい。 アグニートは飛び出すなり、身体をゆっくりと動かしてみせた。 動きに反応して、身体の周囲に浮かぶ紋様のような模様が小さく揺れる。 「……!? そのポケモンは……」 初めて見るポケモンに、シンラの笑みが崩れた。 先ほどまで余裕綽々としていただけに、落差は激しかった。 驚く彼に、アグニートは冷ややかな視線を向けた。 この人間が、我が友をこんな風に変えてしまったのか…… 沸々と湧き上がる怒りと、ルカリオに対する哀れみ。 アーロンがルカリオを封印したのは、未来において同じ過ちを繰り返させないため。ルカリオもそれを承知し、封印された。 未来への希望として封じられたことを無残にも打ち砕かれ、さぞ無念だったことだろう。 「ハツネ、おまえは一体何をした……? そのポケモンは何者だ……?」 「あんたなら知ってんじゃないの?」 「くっ……」 焦りを滲ませた声で問うも、ハツネは笑みを深めるだけだった。 シンラの眉が吊り上がる。 まさか、ここで自分の知らないポケモンを出してくるとは思わなかった。 さすがに、何の用意もせずこんなところまで乗り込んでくると思ったこと自体、誤りだったようだ。 ウインディを大きくしたような、炎の犬を思わせるそのポケモンが放つ威圧感。 それはダークポケモンを遥かに凌駕していた。 ただそこにいるだけで、あらゆるものを平伏させるような、威圧感……そして神々しさ。 側頭部から生えた金色の角からは時々、バチバチと火花が散っている。 「ハツネよ。キサマはキサマの為すべきことを為せ。 我はルカリオを元に戻してみせよう」 「ああ、任せたよ。アグニート」 「アグニート……なるほど、そういうことか……おまえは常に僕のジャマをしてきたというわけか……!!」 ハツネとアグニートの短いやり取りを耳にして、シンラは彼女がフォース団を立ち上げる前に何をしていたのか、察した。 「今頃気付いたのかい? あんたらしくもないね」 「…………僕の認識が甘かったことは認める。 だが、ダークポケモンとなってさらなる力を得たルカリオだ。伝説のポケモンでも容易くは敵わない。 アグニートの相手をさせている間に、おまえのポケモンを倒せばそれで僕の勝利は約束される。 何も、慌てることはない……」 「ま、それならそれでいいんだけどね」 冷静さに取り戻したシンラは頭を振った。 ハツネが引き連れているのは、紛れもなくアグニート。 みちびきポケモンと呼ばれ、ポケモンという言葉が生まれるよりもずっとずっと昔、この地方を一夜にして壊滅寸前に至らしめた大いなる道理の主。 天変地異を起こしたというポケモンだが、今はそれほどの力を残しているわけでもなさそうである。 シンラはルカリオを手にすると決めた時、同時に弊害となりうる――厳密にはルカリオに対抗し得る力の主も捜した。 可能ならその力を手に入れ、磐石の態勢を築こうと考えたのだが、結局アグニートを発見するには至らなかった。 ……というのも、ハツネが先手を打って、アグニートに関する書物や文献のことごとくを焼き払っていたからだ。 シンラが弁護士として活動している間、ハツネは特に定職についていたわけでもなかったため、自由に動ける時間は彼女に分があった。 ゆえに、ルカリオやアグニートのことを調べ上げ、シンラのやりそうなことから考えて先手を打つだけの時間は十分過ぎるほどあった。 とはいえ、アグニートの力は強大である。 ハツネの手持ちのポケモンを総動員しても勝てるかどうかさえ分からないほどだ。 だから、どうにかアグニートを手に入れられないかと、思いのほか時間がかかってしまったが…… シンラに取られなかっただけ、まだ上出来だろう。 「確かに、ルカリオも強いんだけどね……」 ルカリオなら、アグニートに任せて大丈夫だろう。 かつての力を失っていると言っても、普通のポケモンとは一線を画す存在だ。 ダークパワーで強化されたルカリオでも、十分に抑えておける。 その間に、彼女はシンラのポケモンを倒してしまえばいい。 「ハツネ、おまえが一番乗りしてくることは、ある程度予想していた。 僕も、それなりに手を打っておいたんだよ。 ……出てこい、ネイト」 「……? なるほど……」 シンラの言葉が終わるが早いか、ハツネの後方にある柱の陰から、虚ろな表情をしたブイゼルが姿を現した。 アカツキから奪い去ったブイゼル……ネイトである。 「バクっ……!?」 突然現れた伏兵に、ベルルーンは思わず驚きの声を上げた。 彼女でさえ気配を察知できないポケモンがいるとは思わなかったのだ。 「驚く必要はないよ、ベルルーン」 驚きに支配されていては、ただでさえ強いグリューニルを倒すことはできない。 身体は熱くても、頭はちゃんと冷やさなければならない。 ハツネは平静な口調でベルルーンをたしなめた。 彼が伏兵としてネイトを繰り出してくることは読めていた。 互いに、手詰まりと思えるほどに相手の打つ手を読んでいる…… ゆえに、拮抗した状態はちょっとした力が加わるだけで脆くも崩れ去ってしまうもの。 シンラもまた、ネイゼルカップの優勝者。 ハツネとの力量の差など、誤差の範囲と言ってもいい。 ハツネは肩越しに、ネイトを見やった。 ルカリオ同様、生気のない表情と、死んだ魚のように濁った瞳を向けてきている。 心を閉ざされた存在ゆえ、敵意すら滲ませていない。 これではベルルーンが気づけなくても無理はない。 「挟み撃ちなんて、いい神経してんじゃない」 対峙するアグニートとルカリオを見やり、ハツネはため息混じりにつぶやいた。 「おまえが相手だ、手を抜くなどできないだろう」 シンラが、さも当然と言わんばかりに返してくる。 「けっ……」 兄の賢さは相変わらず……いや、弁護士として幾多の法廷で無罪を勝ち取ってきたのだ。以前よりも磨きがかかっている。 これは、油断できる相手ではない。 アグニートがいるからと言っても、確実に勝てるような相手ではないのだ。 「そんじゃ、あたしも本気で相手するっきゃないね」 ハツネは吹っ切ったように言うと、腰のモンスターボールから二体のポケモンを背後に放った。 シンラのグリューニルとのバトルに集中していなければならない。 ネイトごとき小物の相手などまともにしていたら、そちらの方が疎かになってしまうだろう。 「アブルルル……」 「ギォォォッ!!」 飛び出してきたのはアブソルとバンギラス。 二体もいれば、簡単に勝てるだろう。 「そいつを片付けときな」 ハツネはシンラをまっすぐに見やったまま、アブソルとバンギラス――アブソルはファルコ、バンギラスはグラベール――に指示を出した。 時間はかかれど、確実にこの場にやってくるアカツキには悪いが、ネイトごときに気を取られている場合ではない。 相手を傷つけずにどうこうするのは不可能だ。 「そんじゃ、始めようか」 「そうだな。時間がかかれば、お互いに不利になりそうだ」 ハツネの言葉に、小さく頷くシンラ。 二人の顔から笑みが消える。緊張に凝り固まった空気がさらに冷えて、二人の間には見えない火花が飛び散っている。 ハツネ対シンラ。 アグニート対ルカリオ。 ファルコ&グラベール対ネイト。 ソフィア団アジトの最奥で、因縁の対決が始まりを告げた。 「ベルルーン、目覚めるパワー!!」 「グリューニル、マッドブラスター!!」 二人の指示が同時に飛ぶ。 かつてないほど緊迫感に満ちたトレーナーの指示に、二体のポケモンは素早く動いた。 目覚めるパワーと、マッドブラスターの激突が、神殿の跡地を激しく揺るがした……!! 第18章へと続く……