シャイニング・ブレイブ 第18章 決着、そして…… -Holding as your own-(4) Side 7 アカツキがネイトに想いを伝える少し前。 サラが加勢したことで、アグニートはルカリオを抑えつけることができた。 ルカリオは馬乗りになるアグニートを退かそうと足掻いているが、激しい戦いで消耗しきった体力では、無理だった。 ダークポケモンとなって力を手に入れたと言っても、元はアグニートの方が強いのだから。 「女。礼は言わぬぞ」 アグニートはルカリオの虚ろな目をじっと見やったまま、振り返りもせずサラに言った。 「いいよ、別に。 礼を言われたくてキミに加勢したワケじゃないから。 現実的にこっちの方がいいって思っただけ。お礼を言われることでもないよ」 「フン……」 サラはメタグロスをモンスターボールに戻し、肩をすくめた。 とりあえず、こちらは片付いた。 あとはハツネとシンラの方だが……そちらの方も、そろそろ決着がつきそうだった。 「アグニート。ルカリオはどうするの? このままだと、やがて体力を取り戻して攻撃を仕掛けてくるよ?」 「心配される謂れはない。無用な長物だ」 気になるのは、アグニートがルカリオをどうするのか、だった。 サラが興味深げな口調で訊ねると、アグニートは荒い鼻息をついた。 ルカリオの目をまっすぐに見やり、身体の周囲に浮かんだ紋様に炎を灯す。 サラはアグニートがルカリオと戦っている最中に気づいたのだが、その紋様はアグニートの力の一部だ。 紋様という形を取ってはいるものの、その気になれば紐のように、またあるいは格子状に構成することができる。 「ルカリオ……そのような力、我が振り払ってくれよう」 アグニートは炎の紋様を槍の形状に変えて、ルカリオの周囲に複雑な模様を描き始めた。 槍がなぞった跡には、ちろちろと小さく音を立てて燃える炎。 続いて、後頭部に生えた角から電撃を放ち、炎で結ばれた模様をなぞる。 ルカリオの身体から立ち昇る、黒い力。 このようなもので人間ごときに縛られるとは、長い眠りの中で力が弱まった影響だろう。 目覚めたばかりでは思うように波導の力を発揮できず、呆気なく取り込まれてしまったといったところか。 昔のルカリオなら自慢の波導弾で振り払えただろうが、目覚めたばかりの状況でそれができなかったことを責めるのは酷だろう。 アグニートとルカリオを中心に描かれたのは、俗に言う魔法陣のようなものだった。 少しはオカルトに興味のあるサラだが、アグニートが描いた模様に見覚えはなかった。 炎がちろちろと燃えている上で、電撃が音を立てて爆ぜている。 あからさまに無害とは思えないシロモノだが、アグニートは角から電撃を放つのを取り止めると、ゆっくりと後ろに下がった。 ほんのわずかとはいえ、ルカリオは体力を取り戻しているだろう。 アグニートの体重によって戒められていたルカリオが自由を取り戻せば、どうなるか…… ダークポケモンという状態から脱け出していないのだから、確実に襲いかかってくる。 念のため、サラはルカリオの頭上にメタグロスを待機させていたが、その必要もなくなった。 静電気が弾けるような音を立てて電撃がルカリオを包み込んだかと思うと、その身体を金色の光に染め上げた。 それは、アグニートの後頭部から生えた角と同じ色だった。 「これって……」 サラは驚きに、口をポカンと開けたまま呆然と立ち尽くしていた。 ネイゼルリーグのチャンピオンでも、未知なるモノには驚きを禁じ得ないものだ。 増してや、目の前にいるのはかつてネイゼル地方を一夜にして壊滅寸前に陥れた伝説上の存在。 その行為自体、伝説級の価値がある。 無形文化財と言っても差し支えないだろう。 「目覚めよ、我が友よ……」 アグニートは、電撃に包まれたまま動かないルカリオに、そっと呼びかけた。 地面に描いた模様から柔らかな光が立ち昇り、ゆっくりとルカリオに吸い込まれていく。 やがて模様からは電撃と炎が消え、地面には炎がなぞった形跡だけが残された。 ルカリオは横たわったまま、神々しい金色の光に包まれていた。 「もしかして、これでダークポケモンの戒めを解き放つってことなのかな……?」 サラはごくりと唾を飲み下し、推測を浮かべた。 アグニートがハツネに付き従っているのは、シンラに利用されるであろう(当時はそう思われていた)ルカリオを助け出すため。 その際に、ハツネからダークポケモンがどういった存在であるか、聞かされていたのだろう。 ダークポケモンを製造する過程は謎に包まれているが、一つ分かっていることがある。 ポケモンの心に鍵をかけ、自我や意識を鍵のかかった扉の中に閉じこめるのだ。 サラがハツネから聞いている限り、ポケモンの心に鍵をかけるというのはあくまでも『たとえ』であり、 実際には正体もよく分からない不可思議な力で強引に押さえ込んでしまうことを指す。 だからこそ、アグニートは『そのような力を振り払ってやる』という表現を用いたのだ。 ポケモンの心を閉ざしてしまう力の正体は気になるが、それを詮索したところで何の意味もない。 世の中には、触れてはならないものがある、ということだろう。 「…………リライブホールは、アグニートのやり方とは違うけれど、力を取り外すメカニズムが似てるってことなのかな? この件が落ち着いたら、キサラギ博士やクレイン博士にご教授願おうか……」 それでも、気になるものは気になる。 ダークポケモンを元通りに戻す手段『リライブホール』。 オーレ地方でシャドーがダークポケモンを作り出したことを受けて開発された手段だが、 その開発者であるクレイン博士とは、キサラギ博士を介して話をつけてある。 ソフィア団で製造されたダークポケモンは後にクレイン博士の施設に輸送され、『リライブホール』によって元のポケモンに戻された後、 里親となるトレーナーに引き取られるか、あるいは野生に帰されることになっている。 一連の後始末が終わったら、後学のために原理でもじっくりご教授いただこうか……サラが何気にそんなことを考えていると…… バリンッ!! 乾いた音がして、ルカリオの身体を覆っていた光が粉々に砕け散った。 砕けた光は虚空にしばし留まると、ゆっくりと消えていった。 「ぬぅ……」 と、そこでアグニートが呻き声を上げてへたり込んだ。 「……!? アグニート、大丈夫?」 サラはすぐさま駆け寄り、アグニートに声をかけたが、大丈夫だと事も無げに言い返された。 「少しばかり疲れただけだ。 さすがに、昔ほどの力は残っておらぬのでな」 「まあ、それならいいんだけど……」 などと言いつつ、サラはアグニートの背中をそっと撫でた。 ディザースシティの執務室で初めて出会った時は、赤い紋様に邪魔されて触れなかったが、今は違う。 力を使ったためか、紋様は消えていた。 改めて背中を撫でてみると、フカフカした毛並みがとても気持ちよく、程よい温もりでウットリしそうになる。 もし、この毛でクッションなど作ったら、どんな時でも癒されるに違いない…… なんて、冗談めいたことを脳裏に浮かべていると、 「おい、キサマ。その頭の中で何を考えていた?」 アグニートは立ち上がり、サラから離れた。 鋭い視線で睨みつけながら、どこか怯えを含んだような声で問いかけた。 「なるほど……」 サラは考えを読み取られたと気づき、即座に脳裏の想像をかき消した。 伝説上の存在である。 他人の思念を読み取ることができたとしても不思議はない。 そうなると、迂闊なことは考えられないか…… サラはアグニートに気取られぬよう、さり気なさを装ってニコニコ微笑んでみせた。 仮にもネイゼルリーグのチャンピオンである。 それくらいのことは朝飯前だ。 「別に、変なこと考えてないよ。 キミの毛、すごく気持ちいいって思っただけ」 「…………『くっしょん』とは何だ?」 「お尻に敷いて座るんだよ。昔で言う座布団ってヤツ」 「…………我の毛を刈ってそれを作ろうと考えていたな?」 「考えてたけど、無理だって。そんなの、少し頭ヒネれば分かりそうなものだけど」 「むう……」 鋭い指摘を受けつつも、サラは笑みを崩さなかった。 ニコニコ微笑んだままアグニートを論破してみせた。 ティッシュでも口の中に詰め込まれたように押し黙るアグニートに、サラはここぞとばかりに言い募った。 「それより、ルカリオはどうなったの?」 話を変え、倒れたままのルカリオに視線を向ける。 緊急避難的な要素が強い話のすり替えだったが、アグニートはサラにその気がないのを悟ってか、彼女の視線を追い、 「ヤツの心を縛りつけていた力は、我が消去した。 ダークポケモンなどという下らぬ呼び名で呼ばれることは、もうないだろう」 「そう……それなら、いいんだけど」 とりあえず、こちらの方は終わった。 サラはホッと胸を撫で下ろしたが、まだ解決していない問題が二つ。 「キミの目的は果たされたんだね?」 「そうだ」 アグニートはルカリオを元に戻せた。 ハツネに付き従う理由はなくなったから、 これから彼(立ち居振る舞いからして、性別的には男と思われる)がどこへ行こうと、知ったことではない。 「そうか。じゃあ、後は……」 サラは祭壇で激しい攻防を繰り広げているハツネとシンラを見やった。 ブラストバーンとハイドロカノン。 炎と水の最強技が激突し、洞窟を大きく揺らす。 威力は互角……常識的に考えれば、水タイプのハイドロカノンに分があるはずだが、ハツネはどういうわけか威力を互角にまで高めている。 そこのメカニズムも気になるところだが、彼女からいろいろ聞く時間はたっぷりと取ってある。 余計な手出しはしたくないが、それでも備えておかなければならない。 サラは頭上に音もなく浮遊しているメタグロスに、小声で指示を出した。 「ベルルーンが負けそうになったら、その時はキミがグリューニルを倒しておくれ」 メタグロスは返事の代わりに、小さく頷いた。 「とはいえ、一進一退だね……」 改めて祭壇に視線を戻すと、いち早く最強技の反動から回復したベルルーンが、負った傷をモノともしない動きでグリューニルに迫っていた。 とりあえず、そちらを注視することにしよう。 アカツキとネイトは、任せておいて大丈夫。 なぜだか分からないが、そんな風に思えるから不思議だ。 アグニートがルカリオをダークポケモンの戒めから解放したことなど知る由もなく、ハツネはシンラとの戦いに全神経を傾けていた。 序盤はベルルーンの自慢のスピードを活かしてヒット・アンド・アウェイで戦っていたが、中盤以降はダメージ覚悟でガチンコ勝負。 お互い、手詰まりになりつつあると感じたところで、最強威力の技で勝負。 ブラストバーンとハイドロカノン。 普通なら相性によって確実に打ち負けるところだが、 直前にブレイジングクロー(前脚の爪に炎の力を凝縮して相手をなぎ払う技)で膨大な熱量を眼前の空間に一時的に放出しておいたことにより、 ブラストバーンの威力を引き上げることができた。 おかげで、ハイドロカノンを見事に相殺できた。 「そういうことか……さすがに、やるな……」 シンラはハツネがベルルーンに使わせた手を理解した。 相性の不利を覆す手段を容易く用いる実力には感服するが、どれだけ言葉を尽くしても平行線を辿る相手であることに変わりはない。 今は、ベルルーンを倒すことだ。 ベルルーンさえ倒せば、アグニートを倒すこともできる。 しかし、ルカリオはすでに普通のポケモンに戻っており、 仮にベルルーンを倒せたとしても、頭上に控えているサラのメタグロスがグリューニルを見逃しはしない。 すでに敗北が確定していることにも気づかず、シンラはただハツネを打ち負かすことのみを考えていた。 「しかし……グリューニルの反動が解けていない……!!」 シンラは手負いとは思えぬ勢いで迫るベルルーンと、硬直が続くグリューニルを交互に見やった。 この状態で草タイプの目覚めるパワーなど放たれたら、グリューニルは確実に倒されてしまう。 ダメージはベルルーンの方が累積されているはずだが、グリューニルもそれなりにダメージを受けているのだ。 「ベルルーン、トドメだよ!! 目覚めるパワーをぶっ放してやりなっ!!」 ハツネの指示に、ベルルーンは目覚めるパワーを放った。 グリューニルとはまだ距離があるが、相手が動けないなら距離など関係ないと言わんばかりだった。 ……が、そこでグリューニルの反動が解ける。 わずかな雰囲気の差で回復を悟り、シンラはすぐさま指示を出した。 「グリューニル、冷凍ビームで迎え撃て!!」 迫る光の球体目がけ、グリューニルが冷凍ビームを放つ!! これなら確実に防げる……シンラの確信は、しかし脆くも崩れ去る。 「……!? ベルルーンは……!! しまった!!」 光の球の向こうに、ベルルーンの姿がないことに気づくが、遅かった。 一瞬の油断……判断ミスが、際どい均衡を破る。 グリューニルが冷凍ビームで目覚めるパワーを防いでいる間に、ベルルーンは自慢の脚力を存分に発揮し、背後に回り込んでいた。 「……ラグ!?」 やっとの思いで目覚めるパワーを相殺し、ホッとする間もなかった。 グリューニルは背後にものすごい熱を感じて、振り返った。 そこには、熱線を凝縮した爪を突きつけてくるベルルーンの姿があった。 ブレイジングクローという技がある。 ハツネがベルルーンと二人三脚で生み出した技で、自身の持つ炎の力を熱線として爪に凝縮させ、相手を引き裂く。 威力だけならブラストバーン以上だが、攻撃範囲の狭さがネック。 しかし、距離が限りなく詰まっている今なら、ネックはメリットに変わる。 「…………」 「…………」 グリューニルはその場を一歩も動けなかった。 ハイドロポンプで返り討ちにすればいいのだろうが、それよりも先に、ベルルーンがブレイジングクローを決めてくる。 体力をすり減らしている状態では、ベルルーンは特性『猛火』を発動させている。 その状態で放ったブレイジングクローの威力は計り知れない。 食らえば、体力が満タンであっても恐らくは耐え切れまい。 「く……」 シンラは驚愕に目を見開いた。 認めたくないことだが、この状態では勝ち目はない。 ベルルーンの素早さが尋常なものでないことは、嫌というほど理解している。 前半はいい感じで圧していたのに、いつの間に形勢が逆転したのか…… その瞬間さえ理解できぬほど、シンラはこの一戦にすべてを賭けていたが、それももうすぐ終わる。 敗北の二文字と共に。 じわり……と、額から頬に、生温い汗が流れ落ちる。 ベルルーンは爪に膨大な熱量を宿し、周囲の空気を灼熱させていた。爪の周囲の空気が熱により屈折状態となり、ゆがんで見える。 「…………」 「……シンラ、終わりにしよう。 ベルルーン、ブレイジングクロー!!」 打つ手のないシンラ。 ハツネはベルルーンに最後の一撃を指示したが、ベルルーンは熱線を凝縮した爪でグリューニルを――薙ぎ払わなかった。 「…………」 いくら敵とはいえ、かつては同じ家で仲睦まじく暮らしていた相手を、完膚なきまでに叩き伏せることなどできはしなかった。 「そうだったね……あんたにはできっこないよね」 ハツネは、ベルルーンがグリューニルに想いを寄せているのを、今頃になって思い出した。 ベルルーンにとって、グリューニルはお兄さん代わりだったからだ。 旅に出る前は弱虫だったベルルーンの傍に、グリューニルはいつも寄り添っていた。 あの頃はヒノアラシとミズゴロウだったが、当時からとても仲良しだった。 ベルルーンが何もせず、じっと見つめてくる。 先ほどまで尖らせていた眼差しも、今では親しい間柄の者に向ける優しさに満ちていた。 「…………」 グリューニルはベルルーンから敵意が消えたのを悟り、これ以上の戦いは無意味だと理解した。 シンラのためならどんなことだってできると思っていたが、隙だらけのベルルーンを倒すことさえできない。 「終わりだよ……」 ハツネは倦み疲れた口調で、ため息混じりに言った。 「ベルルーンとグリューニルは、昔のように互いを慈しみ合ってる。 いい加減、あたしたちも襟を正す時が来たってことさ。 あんたも現実をちゃんと見るんだよ。 こんなことしたって、立派な人間にはなれやしないんだ。 パパとママが言ったのは、そういうことじゃないんだよ」 「…………」 「もう、終わりにしよう。 グリューニルも、戦う気をなくしてる。これ以上は続けられない……あんたが一番理解してんだろ?」 「…………」 ハツネの言葉に、シンラは押し黙った。 グリューニルは戦意を喪失し、ベルルーンを見つめたまま立ち尽くしている。 この状態でいくら指示を出そうとも、グリューニルは従わないだろう。 それに……戦いに区切りがついたところで周囲を見渡してみれば、状況は一変していた。 ルカリオは仰向けに倒れ、アグニートがすぐ傍に寄り添っている。 反対側では、アカツキが全身に傷を負いながらも、ネイトをギュッと抱きしめたまま気を失っている。 ハツネとの戦いに夢中になっている間に、勝敗は決していたのだ。 これは、いくら事前に手を打とうとも、どうしようもない。 ハツネが予期せぬところから刃を突き刺してきた……アグニート然り、アカツキ然り。 「僕は……」 もはや、これまでか。 シンラは目を閉じた。 瞼の裏に浮かぶのは、十年前に志半ばでこの世を去った両親の暖かな笑顔。 一日たりとも、忘れたことはなかった。 彼らの笑顔を取り戻せるわけではないと知りつつも、シンラは両親の復讐に手を染めた。 結局、失敗という形で終わることになるが、それでも自分のしてきたことを間違いだとは思わなかった。 ここで……こんな土壇場になって間違いだなんて認めてしまったら、今までの人生を否定することになるからだ。 両親を奪った相手に罪の重さを思い知らせ、復讐を遂げる。 その方法まで手に入れたと言うのに、最後の最後で……それを実行に移す直前で潰えてしまうとは。 この十年、人には言えないようなことにまで手を染めてきたというのに。 弁護士になったのも、幅広いパイプを持つためだ。別に、裁判で勝とうが負けようが、そんなことはどうでも良かった。 時には裁判長や検事、証人や被告人まで利用して、あらゆる場所にパイプを通らせた。 情報網さえ出来上がれば、あとは舞台を整えればいい。 ネイゼル地方を法と秩序で支配するなどと謳ったのは、あくまでも団員を集めるためのものだ。 自分一人でできることには限度がある。 だからこそ、手足となる者を確保する必要があった。そのために立ち上げたのが、ソフィア団なのだ。 そこまでしても、悲願は成就されないままに砕け散った。 「……結局は、僕が至らなかったということか」 ハツネが上手だったと認めれば、それはそれで間違いではないのだろう。 しかし、自分が最後の最後で策を読み違えたということだけは認めねばなるまい。 アグニートの存在、そしてダークポケモンと化したネイトをギュッと抱きしめているアカツキ。 だが、シンラにとって最大のアキレス腱は、ネイゼルリーグを統べるサラの存在だった。 彼女は指揮者としてこの場に赴いたのだろうが、彼女が一体何をしたのか……? それが読めなかった。 どこで敗北が決定したのかは分からないが、目の前に突きつけられた現実を認めないわけにはいかなかった。 いや……それは違う。 すべてにおいて計算外だったのは……サラでも、ハツネでもない。取るに足らないと思っていたあの男の子だ。 目を閉じたまま物思いに耽るシンラを静かな眼差しで見やり、ハツネはポツリ言った。 「あんたのしたことが間違ってたかなんて、そんなのは、あたしには分かんない。 分かんないけどさ、あんたのしようとしてることは、ただのバカげた妄想の延長線上でしかないんだ。 他人に迷惑をかけずにできることだったら……あたしはあんたと共に行っても良かった。 でも、無理だって分かってたんだよ。 あんたほど、パパとママを愛したヤツはいないんだからさ」 「ハツネ……」 彼女の言葉に、ゆっくりと目を開く。 彼女の目に、昔と同じ……無邪気で人懐っこかった少女の面影を見たような気がした。 「そうか……」 そこで初めて、シンラは気づいた。 ハツネも、ベルルーンも、グリューニルも……みんな、昔とまったく変わってなどいなかった。 変わってしまったのは……他ならぬ自分自身なのだと。 「パパとママがよく言ってただろ? 『立派な人間になりなさい』ってさ。 それって、自分の生き方に誇りを持てってことなんだよ。復讐したって、パパとママが喜んでくれるワケじゃないしさ。 あんたがあんたなりの信念を持って、だけどごく普通に生きててくれたら、それだけで良かったんだと思うよ。 結局、復讐を遂げたところで虚しくなるだけさ。 そんなあんたを見て、パパとママは喜ぶと思う? 仮に、復讐してくれたと喜んでくれたとしても……あんたが生きる意味や目的を見出せなくなったら、それはそれで悲しむよ」 「……そうかもしれないな」 ハツネの言葉に、シンラは深く頷いた。 自分のしてきたことを間違いだと思うつもりはない。 しかし、夢は終わったのだ。 長く、永い夢は、もう…… どれだけ願っても、もはや見ることは叶うまい。 だが、それでいい。 シンラは、グリューニルが向けてくる笑顔を見て、思い知った。 グリューニルは、自分が復讐に手を染めることを望んでいたのだろうか……と。 家族として二十年近く共に暮らしてきたが、その間、彼(グリューニル)はシンラに文句一つ言わず、 反抗的な態度も見せず、恭順もいいところだった。 だがそれは、復讐を選び、その過程でどんな風に変わろうとも、ありのままの自分をずっと見ていてくれたことに他ならない。 「果たして、僕はグリューニルに何かをしてやることができたのか……? グリューニルは常に僕と一緒にいてくれた。 だが、僕は一体何をしてあげられた……?」 無性に恥ずかしくなった。 どうでもいい気持ちが湧き上がり、張り詰めていた心が紐解けていく。 力が抜けて、膝が笑い出す。 震える足腰を支えることもできなくなって、シンラはその場に座り込んでしまった。 「ラグ……!!」 「バクっ!!」 とっさにグリューニルとベルルーンが駆け寄って、心配そうな顔をシンラに向けた。 「グリューニル、ベルルーン……」 手を伸ばすと、グリューニルとベルルーンは何も言わず、そっと手を重ねてくれた。 とても暖かくて、大きな……自分が忘れていたものを備えた、想いに満ちあふれた温もりが肌を伝って心に届く。 「…………」 この十年間、本当に心の休まった日はなかった。 復讐を決意したその日から、復讐を遂げなければ……という使命感に突き動かされ、心安らぐヒマもなかった。 グリューニルが傍にいてくれても、シンラ自身が彼の気持ちに気づいていなかったのだから、そんなのは無理な相談でしかない。 「そうか、これが……僕が本当に望んでいたことか……」 復讐に傾く気持ちをどうにかしたかった。 成し遂げることでしか手放せないと思っていた。 だから……止めたくても止められなかった。止めたいという気持ちを表に出すことなど、できはしなかった。 家を飛び出し、妹と別の道を歩んでしまったのだから。 今さら、自分の都合だけでどうにかなるほど簡単なことではないと分かっていたから。 だが、そうやって意地を張れば張るほどに、グリューニルを巻き込んでしまった。 「もう、いいだろ?」 「ああ。復讐など止めにする……が、僕は僕のしてきたことを間違いだとは思わない。 なぜなら、僕は父さんと母さんを誰よりも尊敬し、愛していたからだ」 「それはそれで誇るべきことさ。 あんたの気持ちを笑えるヤツなんていやしないよ。 ほら、立てるかい?」 ハツネはシンラの傍に歩いてくると、そっと手を差し伸べた。 この数年間、敵として戦ってきた実の兄妹。 しかし今は、以前の仲睦まじい兄妹に戻っていた。 シンラは不思議そうな顔で、差し伸べられた細くしなやかな手を見つめていた。 何も言わずにじっと見つめてくるものだから、ハツネとしても恥ずかしくなってきた。 「あんたねえ……さっさと立ちなさい!! もう、焦らすなんてあんたらしくもないよ」 「ああ……」 普段は絶対に見せないような、ムキになった表情と言葉に、シンラは口の端に笑みを浮かべた。 そうだ…… ちょっと気に入らないことがあると、すぐ癇癪を起こす。 それが、昔のハツネだった。 でも、今は大人の女性として、それなりに恥じらいも身につけている。 なるほど、道理で分からないわけだ…… シンラはハツネの手を取ってゆっくり立ち上がると、彼女の目をまっすぐに見据えた。 「ハツネ、僕の負けだ。好きにするといい……」 負けは負けである。 精一杯戦ったことに、悔いはない。 「そうだね、それじゃあ……」 「ウヅキ・シンラ。ここでキミを逮捕する」 ハツネの言葉を途中で遮り、朗々とした声が祭壇に響いた。 ハツネが振り返った先に、険しい表情でこちらへ向かって歩いてくるサラの姿があった。 今の彼女は、ネイゼルリーグのチャンピオンとしての厳しい表情をまとっていた。 Side 8 「逮捕……ね。分かってたよ」 ゆっくりと歩み寄ってきたサラに、ハツネはため息混じりに言葉を返した。 「協力しようと持ちかけた時、あんたはそんなこと言わなかったけど……野放しにするほど、簡単なことじゃないもんね」 「ハツネ、キミもだ。 今までネイゼル地方の治安を乱してきたことは、今回の協力があったとしても許されるものじゃない。 共に戦いの場に臨んだぼくとしては、戦友として考えているけれど…… あいにくと、今のぼくはネイゼルリーグのチャンピオン。地方の治安を守る一員として、決して見逃すことはできない。 理解してくれ……とは言わないけどね」 「ああ……」 こうなることは分かっていた。 サラなら、この場でシンラとハツネの二人をお縄にかけるだろう……と。 その言葉に驚いたのは、シンラだった。 「ハツネ、まさかおまえ……こうなることが分かっていて、ネイゼルリーグと手を組んだのか?」 「当たり前だろ? あたしだって、自分のやってきたことが一般通念に照らし合わせて、許される行為じゃないってことくらいは分かるさ」 逮捕されると分かっていて、少し前まで敵だった相手と手を組むなど…… てっきり、ハツネならそれなりの対策を用意していたのかと思ったが、彼女は最初からそうなるつもりでいたようだ。 ハツネはベルルーンをモンスターボールに戻すと、困ったような笑みを浮かべ、言った。 「それに、あんただけに辛い想いはさせないよ。 ネイゼル地方の治安を乱してきたのは、あたしだけじゃなくて、あんたも同じなんだから。 どうせ捕まるんだったら、一緒の方がいいだろ? ……サラ、こいつもこういう状態だし、とりあえず逃げ出す心配はない」 「ああ、分かっているよ。ご協力、感謝する」 サラは深々とハツネに頭を下げると、ズボンのポケットから二組の手錠を取り出した。 彼女は警察官ではないが、ネイゼル地方の治安を守る者として、手錠の携帯及び容疑者の逮捕が許されているのだ。 それもまたチャンピオンの特権であるが、それゆえの責任も常に付きまとう。 ここで情けなどかけてはならない。 フォース団とソフィア団の対立の影で泣いていた人たちがいるのを、忘れてはならないのだから。 ハツネとシンラは何も言わず、抵抗もせずに、手錠をかけられた。 その前に、シンラはグリューニルをモンスターボールに戻した。 ――願いを叶えた者と、叶えられなかった者。 だが、二人ともそれで良かったのだと思っていた。 十年ぶりに、普通の兄妹に戻れた……それだけで良かった。 「それじゃあ、行こうか」 サラは踵を返した。 そろそろ応援の部隊も到着する頃だが、フォース団及びソフィア団の団員の処遇はすでに決めてある。 しばらくは事情聴取で身柄を確保することになるが、厳重注意の上、釈放となる。 逮捕するのは、それぞれの組織の頂点に立っていた二人だけ……作戦を実行する前から、サラはそう決めていた。 当然、彼女のその提案を、ネイゼルリーグ及び警察の上層部が簡単に受け入れるはずもない。 『どうせなら全員逮捕して、見せしめ代わりに厳しい罰を与えるべきだ』 という意見が理事会で噴出したが、サラはチャンピオン権限を発動させることなく、 反対した理事たち一人一人と粘り強く交渉し、対立することなく意見を押し通した。 ここまで時間がかかってしまったのも、上層部を説得するためだったのだ。 罰を与えれば、確かに変わるかもしれない。 しかし、そうでなくても変わる可能性があるのなら、そっちに賭けてみたい。 中にはサラへの嫌がらせで反対していた理事もいたが、結局は彼女の誠意ある説得に折れた。 自分の意志を理事会で貫き通した以上は、それ相応の結果を出さねばならない。 それが世間の厳しさだと身に沁みているが、だからこそチャンピオンという厳しい仕事を手放せないものだ。 サラはハツネとシンラを連れて、祭壇を降りた。 と、そこで足を止めてアグニートたちに視線を向けた。 「アグニート、キミはどうするの?」 彼女の言葉に、アグニートはゆっくりと顔を向けてきた。 手錠をかけられたハツネとシンラに、あからさまに侮蔑の視線を向けているが、二人とも大して気にしていなかった。 今までしてきたことを考えれば、恨み言を並べられたところで不思議はないのだから。 「我は再び眠りにつく。 無理やり起こされて、迷惑していたのでな……」 不機嫌を隠さずに言うが、アグニートのまとう雰囲気は少しだけ、柔らかくなっていた。 ハツネは「フフフ……」と小さく笑うと、アグニートに意地悪な笑みを向けた。 「その割には、ルカリオのことになると目の色が変わったね。 ホント、あんたといた時間は退屈せずに済んだよ。妙に爺むさいところを見てると、楽しかったからね」 「じっ……!! キサマ、裁きの炎に焼かれたいのか!?」 「ほら……ね。 威張ってても、そうやって人間っぽいところ見せるんだもん。からかいたくもなるじゃない。 言っとくけど、あんたが悪いんだからね。 勝手に突っかかってきてさ……」 「…………」 揚げ足を取られ、アグニートは押し黙った。 ポケモンでありながら、人間らしさを持つ。 そんな相手だから、からかいたくなってくる。 アグニートは決まりの悪そうな顔を見せると、視線をサラに移した。 「サラと言ったな。 この女と出会う前にキサマに出会っていれば良かった……そうすれば、こんな苦労をすることもなかっただろう」 「そうでもないと思うよ?」 サラはニコッと微笑むと、アグニートにとっておきの言葉を突きつけた。 プライドの高い彼(?)を唖然とさせる、刺激の強い一言を。 「ぼくはこれでも、人遣いが荒いって有名だから。 きっと、キミのことをこき使ってたと思うよ。 ハツネの方が甘やかしてくれて、良かったんじゃない?」 「むっ……」 「じゃ、そういうわけだから。またね、アグニート」 サラは鼻白む伝説上の存在に微笑みかけて、 得意気な表情をこれ見よがしに浮かべているハツネと、なぜか顔を引きつらせているシンラを連れて歩き出した。 「…………」 言い返せない自分がなぜだかとても小さく見えて、アグニートは無性にやるせない気持ちに襲われた。 そんな人間くさいポケモンは放っておいて、サラは数十メートルほど歩いたところで、またしても足を止めた。 振り向いた先に、ハツネとシンラが視線を送る。 「あの子は、とても強い子だよ。 あんなになっても……ネイトをちゃんと抱きしめてるんだから」 サラの言葉が、なぜだか胸に痛い。 三人の視線の先には、全身傷だらけという凄惨な姿でありながらも、ネイトをギュッと抱きしめ続けているアカツキの姿があった。 「そうだね……あの子、強いよね」 ハツネはため息混じりに漏らすと、肩越しにシンラに振り向いた。 「なあ、バカ兄貴。 あたしたちにも、あの子と同じことができたら……きっと、別の結果になってたと思うよ。 ……まあ、できるわけないって分かってるけどね」 「……ああ、そうかもしれないな」 シンラは目を細めた。 ピクリとも動いていないところを見ると、アカツキは気を失っているのだろう。 大切な家族に傷つけられてもなお、相手を信じ抜くと決めたのだろう…… そうでなければ、傷だらけになりながらもしっかり抱きしめてやることなどできはしない。 結局、シンラがどんな手を尽くしても、アカツキの強靭な心を叩き折ることはできなかったのだ。 だから、驚きは隠せなかった。 「ダークポケモンなのに……心と心が通じ合っているということか」 ネイトは抵抗らしい抵抗を見せず、じっとしていた。 虚ろな目は相変わらずだが、鍵をかけられた心の奥底で、きっとトレーナーの愛情を感じ取っているのだろう。 不意に、ハツネが投げかけた言葉が脳裏を掠める。 ――あたしたちにも、あの子と同じことができたら…… いや、できるはずがない。 シンラは即座に答えを出した。 もし、自分がアカツキと同じ立場に立ったとして……グリューニルがダークポケモンとして立ちはだかったなら、すぐにあきらめてしまうだろう。 大切な存在がダークポケモンに変わり果ててしまったなら……傷つくのは当然だ。 だが、アカツキは傷つきながらも、辛い現実を認め、乗り越えてきたのだ。 本当に強い子供だと思わずにはいられない。 「すまなかった……謝ったところで許してもらえるとは思っていないが、せめて、君の大切なポケモンが元に戻れますように……」 シンラは胸中で、アカツキに詫びた。 復讐を選んだことに悔いはなかったが、関係ない子供まで巻き込んだことには罪悪感を覚えていたからだ。 「後は放っておいても大丈夫。 ぼくたちは……ディザースシティへ向かおう」 アカツキの傍にはカイトが付き添っている。 傷薬を全身の傷に塗りたくっていて、サラたちのことなどまるで気にしていない。 むしろ、その方が好都合だったが。 サラは二人を連れて、三度歩き出したが、前方からリザードンにまたがったアズサとチナツ、そしてロータスに乗ったトウヤの姿。 それだけではない。 アラタとキョウコまで、一緒になって駆けてくるではないか。 どうやら、ダークポケモンのプラントやその他の場所での戦いも、決着がついたらしい。 五人はサラの前までやってくると、驚愕の視線をハツネとシンラに向けていた。 二人して手錠をつながれているのを見れば、普通は驚くものだ。 「サラ、決着はついたんか?」 ロータスから降りて早々、トウヤはサラに問いかけた。 この状況を見れば、誰でも決着がついたことくらいは分かる。もちろん、勝利という最高の形で終わったことも。 だが、シンラはともかくハツネまで手錠をかけられているというのは…… トウヤは彼女のことを悪く思っていなかったため、驚きは隠しきれなかった。 「彼女もまた、ネイゼル地方の治安を乱していたんだから。こればかりは、譲れないよ」 「まあ、そりゃそうだね」 「その通りです」 サラが事も無げに返すと、チナツとアズサが当然と言わんばかりに大きく頷いた。 特に聞いていたわけではないが、彼女ならそうするだろうと分かっていた。 ハツネが、逮捕されるのを承知の上で協力してくれたのだと聞かされ、アラタとキョウコは揃いも揃って驚愕に目を見開いた。 そんなジャリガキの反応を楽しみながらも、ハツネはどこか晒し者にされている気がして、サラを急かした。 「ほら、あたしたちは見世物じゃないんだ。さっさと行くよ」 「そうだね」 「ちょっと待てよ」 「うん?」 歩き出そうとした矢先、鋭い声を投げかけてきたのはアラタだった。 動かしかけた足を止めて、サラは彼に視線を向けた。 アラタはシンラに敵意むき出しの視線を向けていたが、当のシンラは特に気にしていないようだった。 今までしてきたことを考えれば、アカツキの兄である彼が敵意を抱くのは当然だ。 そのことについて、弁解をするつもりはないし、増してや背中を向けるつもりもない。 「あんたのせいで、あいつがどんだけ苦しんだのか、分かってんだろうな? 分かってるワケねえと思うけど、逮捕されたからってそれで終わるなんて思うなよ。 ホントに悪いって思ってんだったら、いつになるか分からなくても絶対に謝りに来い。 それが、大人としてのケジメのつけ方だろ」 「分かっている。 僕は僕のしたことから逃げるつもりはない。 いつになるかは分からないが、必ず謝りに行くと約束しよう」 「……けっ」 アラタの言葉を、シンラは静かな眼差しを一瞬も揺らがすことなく、真摯に受け止めた。 言い訳も逃げの言葉もなく、なんだか肩透かしを食らった気分になった。 アラタは不機嫌そうに舌打ちしたが、正直、ホッとしていた。 もしここで反省も何もないような態度を取られたら、本気でぶん殴ってやろうと考えていたからだ。 「しかし……強い子だな。 どんなトレーナーになるか、見られないのが残念だ」 「見なくても分かりそうなモンだけどね」 「……それも、キミたち次第だよ。 それじゃあアズサ、チナツ。後片付けは頼むよ」 「ああ……」 話も早々に切り上げて、サラはハツネとシンラを連れて祭壇を後にした。 その背中は、容疑者とは思えないほどに堂々としたものだった。 アラタたちは三人の姿が洞窟の奥に消えるまで、ただその背中を見つめていたが、トウヤの声が現実に引き戻した。 「それより、アカツキの方や!!」 「……!! あ、ああ!!」 「そうね!!」 ハッと顔を上げ、アラタとキョウコはアカツキの姿を捜した――が、捜すまでもなかった。 カイトがなにやら慌てた様子でカバンから傷薬を取り出しているのを見れば、すぐに分かった。 「お、おいっ!!」 彼の傍らでピクリとも動かない「何か」の正体に今さらながら気づいて、アラタはギョッとした。 ボロボロに擦り切れた布切れに見えたのは、衣服。 塊に見えたのは、丸めた小さな背中。 考えるまでもなく、それは傷だらけになったアカツキの姿だった。 居ても立ってもいられず、アラタはさっと駆け出した。 少し遅れて、キョウコとトウヤが続く。 「おい、カイト!! アカツキは大丈夫なんだろうな!?」 カイトの傍に駆け寄って、アラタは声を荒げた。 弟のことが心配で心配でたまらなく、すっかり落ち着きをなくしていたが、むしろカイトの方が冷静だった。 「アラタさん。大丈夫だよ。 傷は多いけど、深い傷は負ってないはずだから」 「ほ、本当だろうなっ!? なんか、マジでヤバそうに見えてしょうがねえんだけど……」 傷薬も塗っておいたし、後は病院に連れて行くだけでいい。 結局、ここでできることなどその程度なのだからと、カイトは達観してしまっていたのだ。 「うわ……」 「ひどいな……」 キョウコとトウヤも、アカツキが全身傷だらけにしているのを見て、表情を強張らせた。 しかし、アカツキがギュッと抱きしめているものの正体に気がついて、さらに驚いた。 「ネイト……なの?」 「うん」 震える声でキョウコが問いかけると、カイトは頷いた。 そして、ここであったことを素直に話した。 ハツネのポケモンと戦って傷ついていたネイトだったが、アカツキに容赦なく攻撃を仕掛けて来た。 アカツキは傷つきながらも、ダークポケモンとなったネイトをありのままに受け入れた。 その素直な気持ちが、ネイトの心に届いたということだろう……ギュッと抱きしめてからは攻撃してくることもなく、じっとしている。 思いのほか生々しい描写も飛び出した言葉だったが、アラタたちは真剣な面持ちで耳を傾けていた。 カイトの話を聞き終えた時、三人の顔には笑みが浮かんでいた。 「そっか……アカツキのヤツ、そんな無茶までしおったんか……」 「でも、やっぱりすごいわね」 「ああ。ホントにネイトを助け出しちまったんだからな……よくガンバったな、アカツキ」 トウヤとキョウコが口々にアカツキを褒める中、アラタはアカツキの傷だらけの身体にそっと触れた。 本当にネイトを助け出してしまうとは…… 信じていたとはいえ、やはり驚いてしまう。 「でも、まだダークポケモンから戻ったわけじゃないんだ。リライブホールってヤツにかけないと……」 「そうね。マミーがそんなことを言ってたわね」 「安心するのはまだ早いってことか……」 「そうやな」 しかし、ネイトをシンラの手から取り戻して、それで終わりではない。 無論、奪還するだけでも大きな前進だということに変わりはないが。 ダークポケモンを普通のポケモンに戻すためには、リライブホールが必要となる。 ならば、すぐにでもレイクタウンに戻って、キサラギ博士に事情を説明しなければならないだろう。 「そうと決まったら、さっさと帰ろうぜ。こいつをこのままにできねえからな」 ネイトを元のブイゼルに戻さなければならないのはもちろんだが、傷だらけのアカツキを病院に連れて行かなければならない。 見た目こそ擦り傷や切り傷ばかりだが、中にはタチの悪いものが含まれているかもしれないのだ。 「アズサはん、チナツはん!!」 戻ると決まったら、四天王の二人にはちゃんと話をしておいた方がいいだろう。 そう思って、トウヤは大声でアズサとチナツを呼んだが、彼女らは祭壇を挟んだ反対側で、なにやらブツブツ話し込んでいた。 しかも、傍らには見慣れない犬のようなポケモンがいるではないか。 「……なんだ、あれ?」 アグニートを見たことのないアラタたちにとって、そのポケモンはウインディを大型にして、頭から角を生やしたように映った。 しかし、アズサとチナツはゆっくりと振り向いてきた。 「なあに? そんな大きな声出さなくても聴こえてるわよ」 「アカツキを連れて先にレイクタウンに帰るから!!」 「分かったわ。早くお医者さんに見せてあげて」 「うん!!」 多くを言わなくても、彼女たちはちゃんと分かってくれていた。 後でそのポケモンのことでも教えてもらおう。 トウヤはそんなことを密かに思いながら、アラタと協力してアカツキとネイトをロータスに乗せた。 普通は別々に乗せるところだが、アカツキがネイトを抱く力は思いのほか強く、引き離すよりも一緒にする方が楽だった。 おかげでスペースが少なくなってしまったが、それでもトウヤ一人分は残っていた。 「それじゃ、帰るぞ!!」 アラタとカイトはチルタリスの、キョウコはボーマンダの背中にそれぞれまたがって、トウヤを乗せたロータスに続いて、祭壇を後にした。 「……行ったね」 「ええ、行ったわね」 彼らの姿が遠ざかるのを見届けてから、アズサとチナツは頷き合った。 アカツキを連れて早々に立ち去ってくれたのは、彼女らにとって好都合だった。 アグニートのことを根掘り葉掘り聞かれるのかもしれないと思い、どうしようかと思案していたのだが、その心配もなくなった。 もっとも、当のアグニートはアズサとチナツの存在など空気のように無視して、じっとルカリオに視線を注いでいたりするのだが…… 後処理を任されている以上は、アグニートと未だ目を覚まさないルカリオを放ったまま帰るわけにはいかない。 ある程度、ケリをつけておく必要がある。 それくらいは指示など出されなくても、自分で考えて行動できる。 「アグニート、ルカリオはどうするの?」 「どうする……とは?」 「そのままの意味だよ。 様子を見る限りだと、ダークポケモンから元のルカリオに戻ったようだけど……それから、どうするのかってことだよ」 「ふむ……」 チナツの言葉に訝しげに問い返すが、それでもアグニートの視線はルカリオに釘付けだった。 命に別状があるとは思えないが、それでも心配なものは心配だ。 目覚めた時、ルカリオは何を思うだろう? 封印されてから、すでに数百年の年月が流れている。 当然、ルカリオを封印したアーロンは故人となり、この世界でルカリオが知っているのはアグニートだけとなる。 しかし、アグニートは再び眠りにつくつもりでいる。 長いまどろみの中に、ルカリオも連れて行くのかどうか……アグニートは迷っている。 チナツの問いに即答できないのも、迷いを抱えているからだった。 今まで生きてきた中で、今ほど迷いを抱いたことはない。 人間とは違うと自負しているが、それでも心がある以上は迷ったり悩んだりするものだ。 「……ルカリオが決めれば良かろう。 我の都合に付き合ってもらう必要もあるまい」 「そっか。それなら、別にいいんだけどね」 アグニートは一分ほど考え込んだ後、結論を出した。 アズサとチナツは多くを言わず、その結論を尊重してくれた。 「人というのも、悪いものでもないか……」 ハツネといい、サラといい…… なんだかとんでもない人種と付き合っている気分だが、悪いものではない。 ポケモンの中にも悪いヤツがいるように、人の中にもいいヤツと悪いヤツがいる。 「……我は、そろそろ行こう」 とりあえず、為すべきことは為した。 ルカリオの生きる道は、ルカリオが決めればいい。 望まぬ形で封印から解き放たれても、生きていることに変わりはないのだから。 ここからはルカリオが自分で決めて、自分の足で歩いていかなければならない。 アグニートはそう思い、ゆっくりと立ち上がった。 「ルカリオが目覚めたなら、伝えてほしい。『おまえはおまえの道を行け』と」 「ああ、分かったよ」 「伝えておきますわ」 ルカリオが目を覚ますのを待たずに去るのは、自分勝手なことだ……理解してはいたが、いつまでも自分が寄り添っているわけにはいかない。 ルカリオは人と共に生きて行くことができる存在だ。 かつて、アーロンと共に世界をめぐったように。 時代は違っても、共に生きることができる存在はいるはずだ。 そう、たとえば…… 傷を負うことを厭わず、かけがえのない家族のために前へと踏み出した男の子のように。 短い間ではあったが、共に過ごしたアーロンと、どこか似た雰囲気の持ち主。 もっとも、それはルカリオが決めること。 ルカリオがどのように生きようと、自分が口出しする謂れはない。もちろん、その逆のことも。 「では、サラという女によろしく伝えておいてくれ。さらばだ」 アグニートは二人に背を向けたまま、胸中でルカリオに別れを告げた。 そして、多くを語らぬまま、そっと姿を消した。 身体が次第に透けていき、やがて透明になる。 「……ホント、人間っぽいね」 「ええ、まったく……」 チナツが素っ気なく言うと、アズサは小さく笑った。 アグニートの気配は完全に消えた。 どうやら、テレポートの要領で別の場所に行ってしまったらしい。 ずいぶんと唐突な別れだったが、その方がかえって、後腐れもなくていいのかもしれない。 それに…… 「でもさ、案外照れ屋なのかもね」 「ええ、私も同じことを思ったわ」 アグニートは古風な口調でしゃべり、居丈高な雰囲気を撒き散らしているが……本当は淋しがりで、照れ屋なのかもしれない。 そんなところを見抜かれたくないから、いかにも誇り高く気難しがりなところを見せたがる。 ハツネに突っかかるような態度を見せていたのも、彼女に自分の本当のところを見られるのが嫌だったからかもしれない。 ……もちろん、それはチナツとアズサの勝手な推測でしかないし、実際に訊ねたところで、とても首を縦に振るとは思えない。 「まあ、また出会うことがあったら、その時にでも聞いてみようかしら」 「それがいいかもしれないわね。 それじゃあ……ルカリオを回収しましょう」 無理だと思いつつも、アズサは頷いた。 それから、腰に差した空のモンスターボールを手に取り、倒れているルカリオに軽く放り投げた。 サラから、空のモンスターボールを一つ持ってくるよう指示を受けていたのだ。 理由は教えてくれなかったが、こんなことではないかと分かっていた。 ダークポケモンでなくなったなら、クローズドボールの影響を受けずに済む。普通のモンスターボールに入るはずだ。 放物線を描きながら落ちていくモンスターボール。 ルカリオの腕に当たると口を開き、その姿を閃光に変えてボールの中に引き込んだ。 ごちそうさま♪と言わんばかりに口を閉ざしたボールが地面に落ちて、乾いた音を立てる。 数秒、小刻みに揺れると、ボールは動かなくなった。 気を失っているとはいえ、捕獲されてしまったとすぐに気づいたのだろう。 それでも、抵抗するだけの力を残していなかったようだ。 アグニートと激しい戦いを繰り広げていたのだから、無理もない。 アズサはルカリオが入ったボールを拾い上げると、何事もなかったように腰に差した。 アグニートがダークポケモンという戒めから解放してくれたということが確認できれば、それで良い。 一度ディザースシティに連れて行き、サラと話をさせた上で、ルカリオが望むようにしてやるつもりでいる。 そのつもりで、サラは空のモンスターボールを持っていくように指示を出したのだろうから。 ルカリオの望むように歩いていけばいい…… アグニートも、もしかしたら分かっていたのかもしれない。 いくら並べ立てても推測の域を出ない考えを振り払い、アズサは肩越しにチナツを見やった。 「さて……とりあえず、回収もできたし。 私たちも、ディザースシティに戻りましょうか」 「そうね。さっさと戻ってシャワー浴びたいよ。リザードン、帰るよ」 チナツは服のにおいを嗅ぐと渋面になった。 思い切り暴れまくったせいか、すっかり汗を欠いてしまっている。汗を吸い込んだ服は、やっぱり汗臭い。 顔をしかめながらも、傍らにリザードンを呼び寄せて、アズサ共々その背中にまたがる。 リザードンは二人が乗ったのを確認してから翼を広げ、音もなく飛び立った。 誰もいなくなった祭壇はひっそりと静まり返り、再び悠久の時を刻む。 すべてがなくなってしまっても、変わらない時の流れを刻むために。 「そういえば、気になったんだけど」 「なあに?」 サラのメタグロスの背中に乗って飛び立った直後、ハツネはサラに言葉を投げかけた。 下手に動けば振り落とされてしまうと分かっているためか、ハツネもシンラもおとなしくしていたのだが…… 「あたしたち、ポケモンを持ってるんだけど。 その気になれば、二人で結託して逃げ出しちゃうかもよ?」 「それも一興だな」 ハツネの言葉に、シンラが得意気な表情で口の端を吊り上げた。 とはいえ、名案とは思いつつも、それを実行する気にはなれなかった。それはハツネも同じだったが、サラを試しているのだろう。 もちろん、言われた本人も二人にその気がないのは百も承知だった。 あっという間に忘れられた森の上空に出て、一路ディザースシティを目指して進路を西に執ったが、すぐにたどり着けるわけではない。 せいぜい、退屈しのぎの意味合いでしかないのだろう…… そんなことを考えながら、サラはニコニコ笑顔で振り向いた。 「やりたかったらご自由にどうぞ。 ただ、そうすると他の地方のチャンピオンまで敵に回すことになっちゃうからね。 特にカントーとホウエンのチャンピオンは、ぼくとは比べ物にならないくらい怖いからねぇ…… 敵に回してもいいって覚悟があれば、話は別だけど。 ハツネ、キミならホウエンのチャンピオンを敵に回すことの恐ろしさは分かってるんじゃない?」 「…………」 容赦なく迎撃ミサイルを撃ち込まれ、ハツネは沈黙を余儀なくされた。 げんなりとした表情で、言うんじゃなかったと後悔が滲んでいる。 彼女ほどでないにしろ、シンラも表情をしかめた。 弁護士として各方面に情報網を構築したからこそ、各地方のポケモンリーグ・チャンピオンのことも把握している。 サラの言うとおり、カントーとホウエンのチャンピオンほど敵に回して恐ろしい存在はない。 特に、ハツネはホウエンのチャンピオンで嫌というほど身に沁みているのだ。 「あいつだけは敵に回したくないね……」 かつて、共にポケモントレーナーとしての腕を磨いた仲間だったのだが、彼は穏やかな人柄とは裏腹に、怒ると本気で手がつけられなくなる。 仲間として数年を共に過ごしてきたからこそ、彼の強さやポケモンのレベルの高さは理解している。 確かに、サラなど彼に比べれば可愛い方だろう。 冗談で口にした言葉とはいえ、しっぺ返しは思いのほか強烈だった。 「……まあ、キミたちのことだから、そんなことはしないと思うけどね」 サラは虫も殺さぬ笑顔で淡々と言ってのけるが、やはりポケモンリーグのチャンピオンは恐ろしい存在だと、二人して改めて認識したのだった。 「それはそうと……」 どうでもいいことは忘れたいと言わんばかりに、シンラが話を変えた。 「僕やハツネのポケモンたちはどうなる?」 「そういやそうだね。 ファルコとグラベールは、あのネイトとかいうブイゼルに倒されちまったようだし……」 話を変えられても、ハツネにとって喜ばしいものではなかったが。 祭壇から離れた場所で、ファルコとグラベールはネイトと戦っていたのだが…… ネイトが戻ってきたのを見ると、二体とも倒されてしまったのだろう。 彼らを置き去りにしてしまったが、どうしたものか。 シンラも、アジトの各地に、ローウェンをはじめとする自慢のポケモンを配置していた。 敗北した以上、彼らも無事では済まないはずだ。 自分自身はともかく、ポケモンたちの方が心配だった。 だが、サラはちゃんと手を打っていた。 「それなら心配ないよ。 キサラギ博士に頼んであるから。あの人なら、キミたちも安心して任せられるでしょ?」 「……恩に着るよ。アツ姉なら、ちゃんと面倒見てくれる。 あたしたちが出てくるまで……ね」 「ああ……」 敵であるにも関わらず、ちゃんと救済措置を用意してくれていた。 ハツネもシンラも、サラに感謝しきりだった。 だが、サラにしてみれば、逮捕するのはハツネとシンラの二人だけで、彼らのポケモンまで一蓮托生にするつもりはなかった。 これくらいの処置は当然とさえ思っている。ポケモンには……罪などないのだから。 「そういうわけだからさ、安心していいよ。 キミたちがちゃんと、今までしたことを見直して、反省して……その下地を作るのも、ぼくの仕事の一つだからね」 「ありがと。やっぱあんたと手を組んで良かったよ」 「褒めたって、何も出ないからね」 「ちぇっ……」 「ふふ……」 ボケとツッコミが見事に決まり、シンラは思わず笑みをこぼした。 こういうのも悪くない…… なんとなくそう思って、気分は晴れやかなものだった。 敗北の苦々しい味を感じさせないくらいに。 アカツキは夢を見た。 陽の光が燦々と降り注ぐ、レイクタウンの高台でネイトといつものように遊んでいる夢だった。 立派なラグラージの像が、はしゃいでいるアカツキたちを暖かく見守っている。 「やっぱ、みんな一緒が一番だなっ♪」 「ブイっ!!」 アカツキが立ち止まって言うと、ネイトは大きく嘶き、トレーナーの胸に飛び込んできた。 「おわ……っと!!」 いきなり飛び込まれ、アカツキは踏ん張ったが支えきれずに仰向けに倒れてしまったが、悪い気はしなかった。 背中に、ひんやりとした冷たい感触。 草のベッドは思いのほか心地良かった。 いつになく積極的にじゃれついてくるネイトを優しく受け止めながら、アカツキは笑った。 すぐ傍に、リータたちがやってくる。 彼女たちも、満面の笑顔だった。 リータ、ドラップ、ラシール、アリウス、ライオット。 みんな一緒。 それが普段の姿。 当たり前な日常がそこにある。 たったそれだけのことだけど、なぜだか無性にうれしい。 仰向けになってネイトとじゃれ合っていると、イタズラ好きなアリウスが、すかさず尻尾の手でアカツキの帽子を摘み上げた。 「あっ!! こら、アリウス!! 帽子返せーっ!!」 アカツキはすかさず声を上げると、ネイトを離して立ち上がり、すばしっこい動きでチョロチョロ走り回るアリウスを追いかけた。 「キキーッ!! キキッキ〜ッ!!」 ――取れるモンなら取ってみろ。けけけっ!! アカツキの帽子をつかんだ尻尾をこれ見よがしに大きく振りながら、逃げ回るアリウス。 ポケモンと意思疎通を図れるゆえに、アカツキはアリウスが言いたいことが理解できた。 だから…… 「こらーっ、待てーっ!!」 怒鳴りながら追いかけるけれど、アカツキの顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。 トレーナーの後を追って、他のポケモンたちも動き出す。 一緒になってアリウスを追いかけるが、本気で捕まえるつもりはないらしく、イタチゴッコが続く。 「でも、すっごくイイ感じ〜♪」 みんなと一緒にこうやって遊ぶことができる日常。 かけがえのないモノを取り戻せたのだと、実感できるから。 「みんな、ず〜っと一緒だっ!!」 とても、気分が良かった。 いつまでもこんな気持ちが続けばいいと思わずにはいられない。 やがて、アリウスが疲れ果て、脚がもつれて転んだところで、イタチゴッコは終わった。 アカツキはアリウスから帽子を取り返し、仕返しとばかりに耳を引っ張ったり尻尾の手を振り回したりした。 アリウスも負けじとアカツキの腕を引っ張ったり髪をつかんだりしたが、楽しい時間だった。 しかし、いつか夢は終わる。 楽しい気持ちに塗れて、夢が途切れる瞬間に気づかなかった。 「なんだか、楽しそうね」 「ああ……」 キョウコの言葉に、アラタは小さく頷いた。 二人の顔には、笑みが浮かんでいる。 ……というのも、ロータスの上で横たわり眠っているアカツキの表情が、とても明るかったからだ。 何か楽しい夢でも見ているのだろう……傷ついたことなどなかったかのように、笑みを浮かべている。 ネイトを奪還して満足したのか、それとも夢の中でみんなと一緒に遊んでいるのか。 どちらにしても、アカツキの顔に笑みが戻ったことが、アラタには何よりもうれしかった。 やっぱり、アカツキには笑っていてほしい。 陽気な性格が一番の取り得なのだから。 これからも、弟の笑顔に励まされることもあるのだろう。そう思うと、心の底からうれしくなる。 「そうだよな……おまえにゃ笑顔が似合ってるよ」 大切な存在を取り戻したアカツキには、きっといい明日が待っているはずだ。 仲間との絆を最後まで信じ抜いたからこそ、ダークポケモンに成り果ててしまったネイトも、奥底に閉じ込められた心を揺り動かしたのだ。 仲間を信じる気持ちを忘れなければ、きっとどこまででも歩いてゆける。 なんとなくそんなことを思って、アラタまで気分が晴れやかになってきた。 やがて、前方にレイクタウンの町並みがうっすらと見えてきた。 たった数時間だというのに、まるで数年戻っていなかったように感じてしまう。 それだけ激しい戦いを繰り広げ、心身共に疲れを感じているからだろう。 だけど……だからこそ、やっと帰ってきたと思って、疲れも一気に吹き飛びそうな気がしていた。 第19章へと続く……