シャイニング・ブレイブ 第19章 兆し -So warm, so shine-(1) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って50日目。 程よく伸びて、青々と茂る草むらを、そよ風がそっと吹きぬける。 レイクタウンの中南部を占める小高い丘の南……サウスゲートに程近い場所に、アカツキは入院することになった。 もっとも、病院と言っても診療所に毛が生えた程度のシロモノで、そこいらの町医者とほとんど変わらない。 当然と言えば当然だが、最新鋭の設備や優秀な医者を揃えているのは、ディザースシティやアイシアタウン、ウィンシティなどの都市にある病院だ。 ……で、どうしてアカツキが入院することになったかというと…… 「レントゲン、見てもらえば分かると思いますけど……」 ベッドで横になっているアカツキの眼前に、若い女性の看護士がレントゲン写真を差し出した。 横手から差し込んでくる柔らかな陽光に透かしてみると、アカツキの全身骨格がハッキリと映ったのだが…… 「げ……」 小さく呻いたのは他でもない。 レントゲン写真に写った本人だった。 「骨は折れてませんけど、あちこちにヒビが入っちゃってます。 何をしたらそんな風になるのかは敢えて聞きませんけど……治るまでは、基本的に運動も禁止です。 一ヶ月か二ヶ月か……それくらいはかかると思いますから、治るまではちゃんとおとなしくしていてください」 言い終えるが早いか、看護士は驚きのあまり放心状態のアカツキの視界からレントゲン写真を取り上げた。 「お腹空いてると思いますけど、準備にもうちょっと時間かかりますから、それまではゆっくり休んでいてください。 いろいろと、検査で疲れたと思いますから。 それじゃあ……」 それから早口で捲くし立てると、アカツキに反論の余地を与えず、病室をそそくさと出て行った。 「…………」 アカツキが我を取り戻したのは、看護士が少し乱暴にドアを閉めた音が耳に届いた時だった。 「……無茶したもんなあ……しょうがねぇか」 小さくため息をついて、窓の外の景色をぼんやり眺める。 とはいえ、やるべきこともやったわけだし、無茶のツケを長期入院という形で支払わされるだけだ。 考え事より身体を動かす方が大好きなアカツキにとって、一ヶ月も二ヶ月もおとなしくしているのは死ぬほど辛いことだが、 今は仕方ないとあきらめの境地に入っている。 そのおかげで、それほど悲観することもなく、今は休もう……という気持ちになれる。 「ネイトのヤツ、今頃何してんだろうなあ……?」 西向きの部屋から外を眺めると、燦々と降り注ぐ陽光を照り受けた水面が、風に揺れて煌いている。 水面に反射する太陽の輝きに、一瞬、ネイトの屈託のない笑顔が重なって、アカツキは脳裏に同じ笑顔を思い浮かべた。 「…………」 いちいち口に出さなくても、ネイトが今何をしているのかなんて、すぐに分かることだった。 一昨日、アカツキはアラタやキョウコ、トウヤたちと共にソフィア団のアジトに乗り込んだ。 もっとも、乗り込んだと言っても、ソフィア団解体作戦に乗せてもらっただけだが。 いろいろと複雑な事情はあったが、アカツキはダークポケモンと化してしまったネイトをシンラから取り戻すことができた。 その時にあれこれ痛い思いをしたために、こうしてレイクタウンに戻るなり強制入院という形になってしまったのだ。 疲れ果てて眠ってしまったアカツキが目覚めたのは、つい一時間前のこと。 丸一日以上眠っていたことになるが、ダークポケモンの攻撃を生身で食らってしまい、運動とは比べ物にならない体力を消耗してしまった。 消耗しきった体力を取り戻すのに、普通の睡眠で足りるはずがなく、延々と寝入っていたわけだが…… 目が覚めたアカツキの傍には、アラタとカイトの姿があった。 交代でずっと看てくれていたらしく、アカツキが目を覚ますと、二人してパッと表情を輝かせていた。 そこで、ネイトのことを聞かされたのだ。 ネイトは今、キサラギ博士の知人という博士の元に送られ、ダークポケモンを元のポケモンに戻せる技術『リライブホール』を施されているのだとか。 細かな場所を聞くと、どうやらホウエン地方の研究室で行われているらしい。 ネイトだけでなく、ソフィア団の手によってダークポケモンと化した他のポケモンたちも同じように『リライブホール』を施される。 数日かかると言われたが、アカツキは自分でも驚くほど冷静に受け止めていた。 一刻も早くネイトを元のブイゼルに戻したい……という気持ちは確かに強いが、 こればかりは自分がどんなに頑張ってもどうしようもないのだと分かっていたからだろうか。 どちらにしても、今の自分がやらなければならないのは、あちこちが不調なこの身体をちゃんと回復させることだった。 ドラップをはじめとするポケモンたちはキサラギ博士の研究所で面倒を見てくれているそうなので、治療に専念できるというわけだ。 「オレもマジでガンバんなきゃな。じっとしてるの、嫌だけど……」 ネイトが普通のブイゼルとして戻ってきたら、思いっきり走り回って遊ぼう。 それまでに……というと無理に決まっているが、一日でも早くヒビだらけの骨がちゃんと元通りになるよう、治療に専念しなければならない。 看護士の話だと、骨折はないもののあちらこちらにヒビが入りまくっており、下手に身体を動かすと、それだけでポッキリ折れてしまうのだとか。 そうなると、普通に歩き回ることさえできやしない。 どこまで身体を動かして大丈夫なのか、ちゃんと聞けば良かった……と思ったが、 先ほどの口振りだと、次にこの部屋に足を運ぶのは昼食の時らしい。 不本意だが、じっとしているより他はない。 ……とはいえ、さすがに一昨日は無茶をしすぎた。 全身の擦り傷はいずれも浅く、薬をちゃんと塗っておけば、自然に消えてなくなる程度だった。 だが、成長期真っ盛りの身体に、ダークポケモンの黒い攻撃は思いのほか多大な負荷をかけていたようだ。 目が覚めてそれほど時間が経っていないせいもあるのだろうが、どうにも身体がダルい。 疲れが取れていないのか、それとも身体にかかった負荷が完全に取り払われていないせいか。 気持ちの方がエネルギッシュな分、身体が疲れているのをより強く実感できる。 こんな状態では、車椅子を使ってでも外を出歩く気にはなれまい。 「んー、ヒマだなあ……」 窓の外の景色も五分で飽きて、アカツキは深いため息と共に天井を見上げた。 白い。 とにかく白い。 染みらしい染みも見当たらず、どうでもいい想像を膨らませる要素すら皆無。 清潔感があっていいのだろうが、身体を動かせない分、頭であれこれ考えてヒマをつぶすしかない。 「兄ちゃんかカイトがいてくれればよかったのにな〜」 キレイだが殺風景な天井を見ているのもあっという間に辛くなり、改めて室内を見渡す。 病人が変に興奮すると困る……と思っているのか、テレビやパソコンといった情報機器は一切置かれていない。 ベッドと椅子、机、棚……棚の上には白い花瓶が置かれていて、色とりどりの花が活けられている。 床は木目調で、壁と天井が真っ白に塗りつぶされている。 特に見るべきものもない、質素な病室だった。 こんな何もない場所で一ヶ月、二ヶ月と過ごさなければならないのかと思うと、本当に気が滅入ってくる。 さすがに、ネイトを奪われた直後ほどではないものの、自分でも取り柄だと分かっている『運動』を取り上げられてしまうと、参ってしまうものだ。 だったらせめて、アラタやカイトといった話し相手がいてくれればいいのに。 あいにくと、二人してキサラギ博士の研究所に呼び出されてしまった。 キョウコが呼びに来たのだが、その時にこんな言葉をかけられた。 「あんたはバカがつくくらい元気なのが取り柄なんだから、さっさと元気になりなさいよ。 まあ、それまでは大変だと思うけど。ガンバってね♪」 なんて、アカツキの胸中を知っているのかいないのか(恐らく前者と思われる)、妙に棘のある言葉をかけられた。 心配しているのかバカにしているのかよく分からないが、 それが彼女なりの心遣いだと分かっていたから、アカツキは素直に首を縦に振るしかなかった。 「…………」 やることがない。 やりたいことはいっぱいあるのに、今は何もできない。 腕を上げるだけでも、なぜだかすぐに疲れてしまう。 こんな状態ではどこへ行くこともできないだろう。 仕方がないと分かってはいるけれど、だからこそ遣る瀬無くなる。 思うように動かない身体。 いつになったら動いてくれるのだろう……? 疲れが取れていないと理由をつけるのは簡単だが、理由なんて言い訳と大差ない。 「あ〜、ヒマ!! ヒマったらヒマだっ!! 窓の外でポケモンバトルでもやっててくれりゃいいのに!!」 いざ何か考えてみると、普段のアカツキからは想像もつかない後ろ向きな発想ばかりが浮かんで、すぐ嫌になってぶち壊した。 一日目にしてこの有様である。 こんな調子で一ヶ月も二ヶ月も過ごしていくなんて、考えられない。 気が狂ってしまいそうだ……!! ヤキモキする気持ちと同調するように、高鳴る胸の鼓動。 本当に、いっそ窓の外でポケモンバトルでもやっててくれたら、モヤモヤ気分もかっ飛ばせるかもしれない。 どうにかならないものかと思っていると、部屋の扉をノックする音が聴こえてきた。 「ん……?」 昼食だろうか? アカツキは期待を馳せながら振り向いた。 丸一日寝ていたという実感はなかったが、寝ている間にもエネルギーは消費されるわけで、消費した分を取り戻そうと腹の虫が食事を求めている。 空腹はそれなりに感じているものの、食事は黙っていても出てくるから問題ない。 問題は、どうしようもないほどの退屈な時間だ。 「でも、退屈が紛れるんだったら、なんだっていいや」 そんなことを思いながら、アカツキは扉を軽く叩いた誰かに向かって声を発した。 「は〜い、ど〜ぞ〜」 この際、誰でもいい。 看護士でも、ヒマがあるなら話し相手になってもらおう……そんなことを考えながら訪問者が部屋に入ってくるのを待つ。 「入るで〜」 「お邪魔しま〜す」 扉を開けて入ってきたのは、トウヤとミライだった。 見舞いに来てくれたのだろうか、二人して明るい表情を向けてきた。 「トウヤ、ミライ。見舞いに来てくれたんだ」 アカツキはニコッと笑みを返して、歩いてきた二人に声をかけた。 ミライの手に色とりどりの花束が握られていることからしても、見舞いに来てくれたのは間違いないだろう。 「うん。アカツキが目を覚ましたって聞いたから」 「そっか……心配かけてごめんな」 ミライは花束をベッドの傍に備え付けられている机に置くと、顔を赤らめた。 どこか余所余所しく視線を泳がせているが、アカツキが気になるよりも早く、トウヤが言葉をかけてきた。 「おまえがそうやって素直に謝るなんて、明日は雪でも降るんとちゃうか?」 「なんでそ〜なるんだよっ!! レイクタウンは雪なんて降らないっての!!」 「けけけ……」 ある意味、自称保護者としては無責任な一言に、アカツキは額に青筋など浮かべながら声を荒げて反論した。 ちょっとくすぐるだけで、ムキになって反論してくる。 だから、からかうのをやめられない。 純真な男の子の気持ちを弄んでいるような気はするが、後ろめたさなど小指の爪の先ほどもない。 ……が。 「いてっ……!!」 腹の底から声を振り絞ったのがまずかったのか、アカツキは突き上げる痛みに顔をしかめた。 「だ、大丈夫……!?」 思わず身体を「く」の字に折りそうになるアカツキに、ミライが慌てて手を差し伸べる。 無理はしなくていい……ということだろうか。 「す、すまん……悪かった」 まさか、声を荒げただけで身体が痛むとは思わず、トウヤは素直に詫びた。 普通にからかうだけなら罪悪感などこれっぽっちもないが、あからさまに痛がっている姿を見ると、悪いと思ってしまう。 トウヤはすぐさまアカツキを無理のない体勢にさせると、詫びた。 「ったく……」 小さく毒づきながらも、彼がそうやってからかってくるのも、心配の裏返しだろうと分かっているから、それ以上は何も言えなかった。 「落ち着いたか……?」 「うん、まあ……」 少し痛みが落ち着いた頃合を見計らってトウヤが訊ねると、アカツキは小さく頷いた。 常に身体が痛むわけではなく、さっきみたいに声を荒げたり、身体を大きく動かしたりすると痛む。 痛いと言っても我慢できないほどではないし、その気になれば歩くくらいならできないこともないのだろうが…… カイトが置き土産代わりにこんな言葉を残していくから、そうする気も起こらなくなる。 「アカツキの身体は、アカツキだけのものじゃないんだから。 他のみんなにとっても大事なものなんだからね。 これ以上心配と面倒をかけさせないでくれよ。本気で見捨てたくなっちゃうからさ〜」 嘘か本当か分からないような尾びれをつけて、ニッコリ微笑みながら病室を出て行った親友。 アラタは何気に表情を引きつらせていたが…… ほんの数十分前のことを思い返していると、トウヤの口から予期せぬ言葉が飛び出してきた。 「レイクタウンを出る前に、おまえの顔を見ときたくてな……」 「えっ?」 これにはアカツキも驚いた。 レイクタウンを出る前に……というのは伊達ではなく、トウヤとミライはレイクタウンを離れる……アカツキの元から去ろうとしているのだ。 何の前触れもなくそんなことを言われて、頭の上に小鳥がピヨピヨと鳴いているアカツキに、トウヤは優しく微笑みかけた。 「そろそろ、俺らもちゃんと自分の道歩かなあかん思うてな。 ほれ、ソフィア団やてつぶれたやろ?」 「うん、そりゃそうだけど……何もいきなりそんなこと言わなくてもいいじゃん」 「んー、そう言われると、痛いねんな……」 真顔で返され、トウヤは困った顔を見せた。 どうしたものかと苦笑しつつ、言葉を探す――が、その必要はなかった。 「そうだよね。困るよね。 でも……わたしたちも、そろそろ頑張らなきゃって思ったの」 「ん……?」 ミライも、アカツキに負けじと真剣な面持ちになって、自分の抱いている気持ちを素直に打ち明けたからだ。 「アカツキは頑張ってネイトを助け出したでしょ? わたし、どれだけのことができたか分からないけど……ソフィア団もなくなって、ネイトやドラップが狙われることはなくなったって思うの。 わたしやトウヤがアカツキと一緒に行くことになったのも、ソフィア団がドラップを狙ってたからでしょ? その……こんな言い方、良くないとは思うんだけどね、一緒に行く理由がなくなっちゃったの。 でも、ホントは……わたし、ブリーダーの修行を本格的に始めようと思ってる。 そのためにも、一度家に帰ろうって。 いろいろと準備して、それからじゃなきゃ始められないから。 それで、トウヤに一緒にフォレスタウンまで行ってもらうことにしたの。 トウヤも、サラさんに会えたし、アカツキのこと、いろいろと面倒看てくれたし……」 「そっか……そういや、そうだよな」 彼女の言葉に、アカツキは改めて思い出した。 二人が自分に同行するようになったのは、ソフィア団がドラップを狙っているからだった。 だが、シンラが逮捕されたことでソフィア団は解体され、主だったエージェントはネイゼル地方から追放処分を受けた。 もう、ドラップを狙う輩はいない…… 裏を返せば、トウヤとミライがアカツキについていく理由がなくなったということだ。 なぜだかとても淋しい気持ちになったが、それは認めなければならない。 一緒にいた時間は、一月と半分くらい。 だけど、彼らと一緒に歩いてきた月日は、アカツキにとって満ち足りたものだった。 「ミライは立派なブリーダーになるのが夢なんだったよな」 「うん」 一緒に行くことになった日を思い返しながら言うアカツキに、ミライはニッコリ微笑みかけてみせた。 「じゃ、ガンバんなきゃな。 オレのために時間使ってくれて、ありがとな」 「うん…… ゴメンね、本当はアカツキが元気になってから言わなきゃって思ってたんだけど…… 一応、アリウスとエイパムたちも納得してくれたし……最初はね、アリウスはすごく嫌がってた。 ずっと一緒に暮らしてきた家族だし、離れるのは嫌だって、わたしの帽子を取って抵抗もしていたわ」 ミライは困ったような表情を見せた。 ここに来る前に、アリウスたちと話をつけてくれたようだ。 彼らとは……アイシアタウンで出会った。 イタズラが過ぎて困っていたが、アリウスはアカツキにゲットされ、アリウスにつき従っていたエイパムたちはミライが面倒を見ることになった。 だが、アカツキとミライはいつか別れる身。 今でなくとも、必ず別々の道を歩き出すことになる。 それはすなわち、アリウスとエイパムたちの別れをも意味している。 長いこと一緒に暮らしてきた彼らが、そう簡単に納得してくれるはずがない。 それでも、アカツキが手を煩わせなくて済むようにと、ミライが話をつけてくれたのだ。 「ミライ、ありがとう。 ホントはオレがアリウスに話つけなきゃいけなかったんだろうけど……」 「いいのよ。 アカツキは大変なんだから……これくらい、わたしがやったって罰は当たらないわ」 アカツキが小さく詫びると、ミライは手をパタパタと振った。 今まで世話になったのだからこれくらいは当然だと言いたげだったから、アカツキは彼女の厚意を素直に受け取ることにした。 「まあ、立ち止まっとったってしょうがあらへんからな。 おまえには悪いんやけど、俺らも、おまえにゃ負けてられへんから」 「そっか……」 トウヤとミライは、自分の夢や目標へ向かって歩いていけるはずの時間を、アカツキのために割いてくれたのだ。 時間はかけがえのないものだって分かっているけれど、だからこそ、アカツキは思う。 「オレ、みんなに何か一つでもしてやれたのかな……?」 かけがえのない時間を費やしてまで、一緒に来てくれたトウヤとミライ。 彼らをこれ以上、自分の都合で引き止めることはできない。 ……いや、その気になれば、トウヤならいつだってアカツキの元を発つことはできた。 そうしなかったのは、彼なりにアカツキの力になりたいという想いが強かったからだろう。 それをどうこう言うつもりはないし、一緒に歩いてくれた人に、そんなことは言えない。 世話になりっぱなしで、何か一つでも、自分は彼らに恩返しができただろうか……? どう考えても、答えは否だった。 本当に、世話になりっぱなしだった。 トウヤもミライも、分かっているはずだ。 アカツキが彼らに何一つとして特別なことをしていない……と。 分かってて言わないなんて卑怯だ……なんて、口が裂けても言えないような気持ちが沸々と湧き上がってくるが、それは筋違いだった。 アカツキは確かに、特別なことなど何もしていない。 ……そう、特別なことは。 だけど、トウヤもミライも、アカツキと共に歩いた月日の中に、大事なものを見つけ、手にしていた。 だから、アカツキが何もしていないのは間違いだ。 本人に自覚がなくとも、二人の意識を変えたのだから。 「だったら、ガンバってもらわなきゃな。 オレのために、足止め食らわしちゃったみたいだからさ」 「んー、そう言われるとそうなんやけど、俺からしたら、そんな風でもあらへんねん。 おまえとガンバった月日は、俺にとっても大事なモンやさかい」 「うん、そうだよ」 アカツキが申し訳なさそうに言うと、二人して笑顔で頭を振った。 確かに足止めは食らったが、迷惑などではなかったからだ。アカツキと共に旅をした一月半は、本当に楽しかった。 いろいろと大変なこともあったけれど、一緒になって乗り越えてきたから、力を合わせること、相手を信じることの大切さが身に沁みる。 これからの日々に、なくてはならないもの。 ソフィア団との激しい戦闘に巻き込まれたり、サラのポケモン(性格には彼女の旦那のポケモン)を借りることになったり…… 今まで生きてきた中で最大の波乱を味わったが、まあ悪いものではなかった。 トウヤがしみじみと振り返っていると、 「なあ、トウヤ……」 「ん? どしたん?」 「オレ、トウヤに何かしてやれたかな……?」 「……おまえ、変やで。何か悪いモンでも食ったんか?」 アカツキはいつになく歯切れの悪そうな口調で問いかけた。 「違うよ。 オレ、トウヤやみんなに世話になりっぱなしでさ……みんなのために、何かしてあげられたかなって。 今になって、そんなこと考えちまうんだ。 トウヤもミライも、行っちまうんだろ? だから……」 ずっと一緒にいてくれる……なんてことはない。 それくらいはアカツキにだって分かるが、もう少し……せめて元気になるまでは一緒にいてくれるだろうと思っていた。 思い込んでいたし、そう思いたかった。 一時期、アカツキもトウヤの世話になりっぱなしではいられないと、自立しようと奮闘していた。 もちろん、今だってそれは変わらない。 いつまでも彼らが傍にいてくれるわけではないのだから。 ただ…… いきなり別れを告げられて、心の準備などできているはずもなかった。 余計に、トウヤたちに何かしてあげられただろうかと思ってしまう。 気が急いて、知らず知らずに呼吸が荒くなっているアカツキを落ち着かせようと、トウヤは彼の肩を軽く叩いた。 「おまえ自身は何もしてないって思うとるかもしれへんけど……そうでもあらへん」 「うん、そうだよ。 アカツキ、すごく一生懸命だったから。 それだけでね、わたしたちも負けてられないって思っちゃうの。 アカツキがガンバってるから、わたしたちもガンバらなきゃって。 アカツキってすごく優しいから、何もしてないって思っちゃうのかもしれないけど……でも、違うよ。 アカツキはわたしたちにたくさんのものをくれたの。 だから、そんなこと言っちゃダメだよ」 「……そうなのかな?」 「うん、そうだよ」 いつになく明るいミライの表情。 アカツキは半分呆気に取られていたが、彼女がそこまで言うのだから、たぶんそうなのだろう。 特に何かをしたつもりはない。 だけど、二人して『アカツキからたくさんのものをもらった』と口を揃えている。 何かしたという自覚があるのだとしたら、特別なことをしたという気持ちがあるのなら、それは与えるべくして与えたものではない。 本当の意味で大事なものは、相手が受け取って初めて気づくもの。与えた側に特別な気持ちなどなくても、ちゃんと伝わっているものだ。 「オレにはよく分かんないけど……トウヤとミライがそう言ってくれるんだったら……」 「ん、それでええ」 心なしかアカツキの表情が上向いて、トウヤはホッと胸を撫で下ろした。 せっかくネイトを助け出せたのに、こんなことで躓いてほしくはない。 どうせ、いつかは別れることになるのだ。 別れが少し早まったと思えばいい。 実際、トウヤもミライも、ここに来てアカツキに別れを告げることをすんなり決められたわけではないのだから。 昨日一日、じっくりと話し合った。 当事者である二人はもちろん、アラタやキョウコ、それからディザースシティに戻って事後処理に明け暮れているカナタにも相談したりした。 話し合って、考え抜いて、それで出した結論だ。 今さら撤回しようなんて思わないし、アカツキならちゃんと受け止めてくれるはずだ。 「…………でも、いきなりはヒドイな」 「なに、おまえなら大丈夫やろ。ネイトやてすぐに戻ってくるやろうし。他のポケモンもおる。 俺らがついとらんでも、ちゃんとやってける。 そう思わへんかったら、さすがに踏み出せへんで」 「……でも、トウヤらしい」 「ふふん♪」 ニコッと、アカツキは小さく笑った。 トウヤとミライは、それぞれの道へ歩き出そうとしている。 そんな彼らを引き止めることなんてできるはずがない。 今日まで一緒に歩いてくれた……恩人なのだから。 彼らにだって夢や目標がある。 これ以上、自分のために時間を費やしてもらうのは、申し訳ない。 だから……今日からは別々(それぞれ)の道を行く。 トウヤはサラに会えたし、またどこか別の場所へ行くのだろう。 どこに行くのか訊いてみようかと思ったが、彼のことだ……適当なことを言ってはぐらかされそうだ。 だけど、それがトウヤらしくて、なんだか憎めない。 それに、ミライはかねてからの夢だったポケモンブリーダーを目指して、本格的に勉強を始める。 いろいろと厄介事に巻き込んでしまったが、この一月半の経験がブリーダーでも活かせたなら、それ以上にうれしいことはない。 そんな彼らと、どうせここで別れることになるのなら…… 笑顔で「じゃあね」と言って、別れたい。 だけど…… 「ホントは……ちゃんとした形で見送りたいけど、ゴメン。 立ち上がることもできなくて……」 アカツキは謝った。 別れの時だというのに、ベッドの上で見送ることしかできないのが歯がゆい。 身体が気だるくなかったら、骨にあちこちヒビが入っていなかったら、 フォレスタウンまでミライを送って、そこでトウヤと別れようと思っていたのに。 ケガなんて言い訳をしたくなかった。 それがアカツキの素直な気持ちだった。 自分の支えになってくれた人たちと、ちゃんとした形で別れたかった。 それが叶わないのは、本当に悔しいものだ。 「気にしないでよ。アカツキはケガしてるんだから、しょうがないよ。 でも、どうせなら笑って。 アカツキの笑顔は、不安だったわたしの気持ちを暖かくしてくれた。 いつソフィア団が襲ってくるか分からなくて、ホントはすごく不安だったの。 でも、アカツキが笑ってくれると、大丈夫かもしれないって……根拠のない思い込みだけど、安心できたんだ。 アカツキだって、これからネイゼルカップに出るんでしょ? だったら、ニコニコしてなきゃダメだよ。 そうじゃなきゃ、みんな不安がるじゃない」 「そやな。そんな顔、おまえには似合わへん」 「むー……」 ミライの言葉に「からかう機会到来!!」と思ったらしく、トウヤがこれ見よがしに白い歯を見せつける。 「笑って……か。そうだよな。ずっと会えなくなるわけじゃないんだし」 アカツキはため息をついた。 本当にどうかしている。 ケガをして、気弱になっていたのだろうか。 だけど、永遠の別れではないのだから、笑って手を振ろう。 彼らが安心して、それぞれの道へ踏み出せるように、笑顔で別れよう。 それが、自分を支えてくれた大切な人たちへの、小さな小さな恩返し。 もちろん、一番の恩返しは、早く元気になって、ポケモンたちと一緒に頑張っていくことだ。 どうしようもなく矮小な蟠りを捨て、アカツキは屈託のない笑みを浮かべた。 いつものアカツキだと分かって、トウヤとミライは安心した。 これなら大丈夫だ……と。 「トウヤ、ミライ。今までありがとう」 アカツキは背筋をピンと伸ばし、笑顔で二人に感謝の気持ちを伝えた。 「二人がいなかったら、オレ、とっくにダメになってたかもしれない。 オレたちのこと、支えてくれてありがとう。 これからは別々の道を歩いてくことになるけど……時々、どっかで会って話でもしようぜ」 「おう、そやな。早う用事終わらせて、戻って来なあかんな」 「そうだね。わたしも、負けていられないわ」 会えなくなるわけではないのだから、何も悲観することはない。 アカツキが差し出した手を、トウヤとミライは交互に握りしめた。 あらゆる不安が吹き飛ぶほどに、二人の手はとても暖かかった。 この温もりに支えられていたのかと思うと、本当に、感謝してもしきれないくらいだった。 「……ホンマ、おまえは強いヤツや」 ニッコリ微笑むアカツキに向ける目を細めて、トウヤはポツリ言った。 「サラが気に入るのも分かるわな……アカツキって名前だけや無うて、ホンマ、旦那はんにそっくりや言うてたからな」 「えっ……?」 一体何を言っているのか? アカツキは怪訝な顔で首を傾げたが、 「何でもあらへん。 ミライ、そろそろ行くで。ヒビキの旦那に、連絡したんやから。早く戻ってやらなあかん」 「そう……だね。行こうか」 トウヤがミライを急かし、さっさと行くことになった。 くるりと背を向けたトウヤに、アカツキは言葉をぶつけた。 「ちょっと待てよ、トウヤ。一体何言ってんだ? オレとサラさんの旦那さんと、一体どんな関係が……」 「気になるんやったら、サラに直接聞けばええ。俺やて、細かいことまで知っとるワケやあらへんからな」 「ぜってぇウソだ!!」 声を上げて反論するアカツキにチラリと振り返り、トウヤは意地悪な笑みを浮かべた。 「んふふ……じゃあな、アカツキ。ネイゼルカップ、頑張りぃや」 「じゃあね、アカツキ。 わたし、頑張るから。アカツキも頑張って……ね」 「あ、うん……」 ミライにまで強く当たるわけにも行かず、アカツキはトーンを落としたが、これ幸いとトウヤは歩き出した。 程なく彼女も後を追いかけ、狭い病室にはアカツキだけが残された。 ドアが閉まり、遠ざかる足音。 やがて足音が聴こえなくなって、風がカタカタと窓を揺らす音だけが聴こえて…… 「行っちまった……」 トウヤとミライがそれぞれの道へと歩き出した。 いつかは別れると分かっていたのだから、正直なところ、そんなに淋しいとは思っていない。 先ほどは唐突過ぎて、ちょっと混乱していただけだ。 「……ホントに、ありがとう」 アカツキは改めて、小さくつぶやいた。 トウヤと出会わなかったら……そう思うと、少し怖くなる。 最初にドラップを狙って襲撃を仕掛けてきたソウタを追い払ってくれたのが、トウヤだった。 彼と出会わなかったら、ドラップはソフィア団に奪われていただろう。 そう思うと、アカツキだけじゃなくて、ドラップにとっても恩人ということになるだろう。 さらに、ミライと出会わなければ、ドラップに出会うこともなかった。 本当に、偶然の出会いからこんな風に波乱万丈な人生が展開するなんて思いもしなかった。 「でも、そうやってみんなと出会って、みんなとガンバってこれたんだもんな……」 一つ一つの出会いを大切にしていこう。 トウヤとミライとの出会い、そして別れが、アカツキをまた一歩、大人へ近づけた。 「トウヤもミライも、ガンバろうとしてる。オレだって、負けちゃいられない!!」 トウヤとミライは頑張ろうとしている。 ケガをして、しばらくはじっとしていなければならないのは辛いが、だからこそ一日でも早く身体を治そう。 ネイゼルカップに出る以上、目指すは優勝。 アラタやキョウコ、カイトといった強敵がゾロゾロいるのだ。 早くトレーナーとして復帰できるよう、治療に専念しなければならない。 自分のためだけではなく、大切な仲間のため。支えてくれたたくさんの人たちのためだ。 「見てろよ……ネイゼルカップで優勝して、ギャフンと言わせてやるからなっ!!」 今はまだトウヤには敵いそうにない。 だが、彼ならネイゼルカップのテレビ中継を観るはずだ。 「こりゃ敵わん……」 なんて、ギャフンと言わせてやる。 知らず知らずに力んでしまい、身体が少し痛み出したことなど気にするでもなく、アカツキはネイゼルカップへ向けて意気込みを新たにしたのだった。 Side 2 「それで……おまえはどうしたい?」 ディザースシティの中央部にそびえるポケモンリーグ・ネイゼル支部の一室で、カナタは窓際に佇むポケモンに向かって問いかけた。 シンラによって封印を解かれ、ダークポケモンと化したポケモン……ルカリオだ。 アグニートが、ルカリオの心を閉ざしていた力を取り除いたおかげで、普通のポケモンに戻ることができた。 ……それで、ルカリオはかれこれ十分ほど身動ぎ一つせず、窓の外に広がるオアシスの街並みをじっと見下ろしている。 カナタや他の四天王、サラにとっては見慣れた街並みで、特別なことなど何もないが、ルカリオにとっては、初めて見る光景だったに違いない。 何百年も眠り続け、時の流れから完全に隔離された存在である。 時の流れから隔離され、数百年の年月が紡ぎ上げた文明の発展など、想像もできなかったに違いない。 「…………」 声が部屋の空気に溶け込む。 十秒経っても返事はおろか、振り返る素振りさえ見せないポケモン。 二本脚で立ち、人に似たフォルムでありながらも、獣の雰囲気を漂わせている。 ポケモンなのだから、人間とは違う。 そんなことは当たり前だ。彼(?)に限った話ではない。 「嫌われたか……?」 サラから寡黙な性格だとは聞いていたが、まさか無視されるとは思わなかった。 眼科に広がる都会の街並みに目も心も奪われているのならともかく、カナタには「聴こえていて無視した」と、故意に思えてならなかった。 ……疑いすぎだろうか? なんて思って苦笑していると、ルカリオはゆっくりと振り返ってきた。 刺々しい雰囲気こそ発していないものの、表情と目元は笑っていない。 心を許せる存在ではないと思っているからだろうし、そのことについてカナタが気を悪くする理由もなかった。 「……アーロン様がいらっしゃらないのなら、どこへ行ったって同じことだ。 アグニートも、私が目を覚ます前に姿を消してしまった。 一言、礼を言いたかったが……永い眠りについたアグニートに、私の言葉も気持ちも届かないだろう。 ならば、何をしようと、どこへ行こうと同じことだ」 喉を震わせ、肉声として発せられた言葉。 「そういうモンなのかねえ。俺にはよく分からんが」 後ろ向きで抑揚のない口調に、カナタは堂々とため息をついた。 ルカリオが世界を争いから救った勇者アーロンの従者だったことはおとぎ話の類で知っているが、 アーロンがいなければどこへ行っても同じだとまで言うとは思わなかった。 仮にも、勇者の従者を務めたほどのポケモンなのだ。 まさか、こんな後ろ向きな発想の持ち主だとは思うまい。 だが、それは裏を返せば、誰よりもアーロンを尊敬している証だ。 勇者の従者としての誇りを胸に抱いているからこそ、アーロンがいない世界で生きることに後ろ向きになっている。 なんだかバカげた話だが、カナタにそれを口にする権利はなかった。 ルカリオには、ルカリオにしか分からない心の葛藤があるのだろうから。 ただ…… 「でもさ、おまえはアーロンに封印されたんだろ? ずっと遠い未来で同じような過ちが繰り返されたら、その時はおまえが止めてくれって……そう言われたんだろ? 俺がじかにアグニートから聞いたことじゃないけどな」 「…………確かに。その通りだ」 カナタの言葉に、ルカリオは小さく頷き、目を伏せた。 誰よりも尊敬している勇者アーロン。彼はもう、この世にはいない。 数百年の月日を生きられる人間などいないのだから。 だけど、アーロンは未来への希望として、ルカリオを封印することを選んだ。 それはルカリオにも分かっていることだ。 「だったら、おまえはおまえなりに生きていけばいい。 アーロンはいないけど、おまえを縛り付けてるものだってない。どこに行ったっていいし、何をしたっていい。 まあ、他人に迷惑かけることがなければ……ね」 「…………」 簡単に言ってくれる…… ルカリオは淡々と言ってのけるカナタに反感を抱いた。 数百年の月日を一瞬にして飛び越えたルカリオにとって、今の時代そのものが肌に合うものではなかった。 いろいろと勝手も違うだろうし、普通に生きていくだけでも大変なはずだ。 まずはこの時代の空気に馴染まなければならない。 それに、ルカリオはこの地方では異質な存在と言ってもいい。 ルカリオというポケモンは他の地方に行けば出会えるが、人語を操るルカリオなどほとんど皆無と言っていいだろう。 自分は、他人とは明らかに違う。 知り合いと呼べる唯一の存在……アグニートは再び長い眠りについた。 知っている者も、頼れる者もいない異国の地で生きていかなければならない。 他人には想像もできないほど辛いことだということを、カナタは承知しているのだろうか? そう思うと、彼へのやりきれない気持ちが込み上げてくる。 「アーロン様、私はこの時代で生きてゆけるのでしょうか? 誰も知っている者のいない、この時代で……」 ルカリオは俯いたまま、胸中でアーロンに問いかけた。 自分を対等な存在と認めてくれた勇者。 彼のためなら命をかけてもいいと思ったからこそ、未来のために封印されることを選んだ。 だが、蓋を開けてみたらどうだ? 見知らぬ時代、見知らぬ場所…… ルカリオの予想を遥かに超えた環境が、周囲に限りなく広がっているではないか。 そもそも、封印が解かれるのは、未来において戦乱が再び世界を覆う時だ。 異国の地にある『世界の始まりの樹』の力を借りて、世界から戦乱の雲を振り払うこと。 それが、ルカリオがアーロンから託された使命。 ……なのに、目覚めた後もそういった不穏な空気はなく、世界は概ね平和だった。 一体、自分は何のためにこの時代に目覚めたのか? 一通りの事情はサラという女から聞かされたが、だからこそいけ好かない。 目覚めるべき時でない時に目覚め、見知らぬ場所に放り出された。 これでは、アーロンから託された使命を果たせないではないか。 「…………」 押し黙るルカリオをじっと見据え、しかしカナタは何も言わなかった。 数百年の時を一瞬で飛び越えた彼(ルカリオは恐らく男の子)にとって、この時代はアーロンと過ごした時代と違いすぎている。 昔の世界がどんなものだったのかは、今になっては知る術もないが、勇者と謳われる者がいたからには、殺伐とした世界だったのだろう。 あくまでも想像でしかないが、ルカリオを封印した経緯を考えれば、大きくは違わないはずである。 見知らぬ時代、見知らぬ場所に放り出されて不安に思うのは当然だし、その意識を強引に変えさせたところで諍いが起きるだけだ。 それでも、ルカリオに言いたいことがある。 「なあ、ルカリオ。 知り合いがアグニートってヤツから聞いたことなんだけど」 「…………?」 ルカリオは弾かれたように顔を上げた。 驚愕の視線をカナタに向ける。 アグニートから聞いた……その言葉には興味を示しているようだ。 どんなに声をかけても、眠りについたアグニートには届かないと分かっているからだろう。 カナタは口元に小さく笑みを作って、言った。 「おまえの生き方はおまえが決めればいいってさ。 『おまえはおまえの道を行け』……そう言ってたんだとさ。 アーロンはいないし、アグニートってヤツも眠っちまった。 おまえが独りぼっちだって思うのは当然だと思うけどさ……でも、おまえは生きてるだろ? アーロンがどんなヤツだったのかは知らない。 それでも俺には言えることがある。 勇者なんて言われてたくらいだ……きっと、おまえが暗い気持ちでジメジメ湿りながら俯いて生きるのなんて望んじゃいないだろ」 「……おまえに言われなくても分かっている」 すかさずルカリオは言葉を返してきたが、先ほどよりも声音にハリが出ていた。 そんなこと、言われるまでもない。 でも……妙に、心に響いた。 アグニートの言葉だったからではない。カナタはアーロンと同じように、自分を対等な存在と認めてくれている。 この時代では、ルカリオのような存在はポケモンと呼ばれているようだが、それは道具のように聴こえてならない。 ポケモンと呼ばれるのは不愉快だが、カナタの態度は、嫌いではない。 気取るでもなく、媚びるでもなく……ただ普通に接してくれている。それがなんだか心地良い。 「だったらいいさ。おまえは自由なんだ。ここから飛び出して、好きなように生きればいい。 それだけのことさ……」 「…………」 アーロンは時々、ルカリオにこう言っていた。 ――おまえが望むなら、私の従者などやめて、おまえの好きなように生きればいい。 しかし、ルカリオはアーロンの従者であることを誇りに思っていたから、頑として首を縦には振らなかった。 アーロンはルカリオのことを思って、そう言ってくれた。 それは胸が詰まるほどに理解しているが、だからこそ時々淋しいと思うこともある。 従者として不適格なのか……と思うことも一度や二度ではなかったが、 ルカリオにはルカリオの人生があるのだからと、アーロンはルカリオのことを心から大事に思ってくれている。 そうでなければ、あんな穏やかな表情で、優しい声で言ってくれるはずがない。 でも、そんな勇者だからこそ、ルカリオは世界が滅んでも一緒に歩いていきたいと思っていた。 今となっては、アーロンは遠い場所に旅立ってしまったが…… カナタの言葉で、ルカリオは思い出した。 目覚めた世界はあまりに平穏で、誇り高き勇者と過ごした時代とは何もかもが違いすぎて……忘れていた。 アーロンはルカリオが自由に生きることを望んでいた。 「カナタ、と言ったか」 「ああ」 ルカリオはじっとカナタの目を見据えた。 負けじと、カナタも見つめ返す。 なんだかライバルのように思われている……なんとなく、そう感じた。 「正直、この時代のことはよく分からない。何百年も経ったと言うが、実感が湧かない」 「まあ、そりゃ当然だな」 目覚めたのはつい先ほど……封印を解かれ、ダークポケモンになったことなど覚えてはいないのだから。 一瞬で数百年の跳躍を果たしたルカリオにとって、この時代のありとあらゆるものが新鮮に映るはずだ。 何も分からなければこその、無垢なる境地。 「おまえさえ良ければ、いろいろなことを私に教えてほしい。 この時代で……私が生きてゆけるように。 その……恥ずかしい話だが、何もかもが新鮮すぎて、実感が湧かないのが正直なところなのだ」 ルカリオは思っていることを率直に口にした。 アーロンに恥じないよう立派に生きなければ…… それが彼に対する一番の恩返しなのだから。 「…………」 「ダメか?」 何も言わず、じっと瞳を見据えてくるカナタ。 ルカリオは凛々しい顔立ちには似合わぬ、不安げな口調で訊ねた。 本当は不安で仕方ないのだろう。 何もかもが分からないことだらけ。右も左も分からない時代で生きるというのは、思うほど、口にするほど簡単なことではないのだ。 「おまえさえ良ければ、俺はそれでもいいと思ってる。 けどな、俺とは一緒に行かない方がいい」 「……? なぜだ?」 カナタの返答にイマイチ要領を得ていないのか、ルカリオは首を傾げた。 勇者の従者を務めていたとは思えないような怪訝な表情が、疑問の深さを物語っている。 「なに、簡単なことだ」 カナタはニコッと微笑み、白い歯をルカリオに見せながら言葉を続けた。 「自慢じゃないが、俺はこの地方じゃ結構な有名人だからな。 俺と一緒に行くってことは、常に世間の目にさらされるってことだ。 勇者の従者なんて立場だったら、そういうのは日常茶飯事だとは思うんだけどな。 でも、そういうのとは違うんだよ。 むしろ、好奇の視線を向けてくるヤツの方が多いくらいさ。ルカリオってポケモンは、この地方じゃホントに珍しい存在だからな」 「…………」 確かに、人の言葉を操るポケモンは珍しいのだろう。 それも、ルカリオという、かつては勇者の従者を務めたこともある種族なら、なおさらだ。 昔もそうだった。 人々は無責任な期待だけをアーロンたちに馳せ、自分たちは力がないから……と傍観を決め込んでいた。 そういったどうしようもない連中が、この時代にもいるということだろう。 だが、ルカリオは独りこの時代を生きてゆくことなどできないと理解している。 頼りたい。誰かに頼りたい。 だけど、誰でもいいというわけではない。 カナタのように、自分を対等と認めてくれる人でなければ。 頼る側にしてはハードルが高いが、それは仕方のないことだった。 勇者の従者は、誇り高いのだから。 「おまえではダメなのか? 正直に言おう……おまえには、アーロン様に似たものを感じる。 サラという女も悪くはないが……おまえが一番頼れる」 「それじゃ、おまえのためにはならないな」 「私の……ため?」 「そう」 いよいよ意味が分からなくなったらしく、ルカリオは困惑した。 勇者の従者でもこんな表情をすることがあるのかと、カナタは胸中でルカリオの表情を楽しんでいたが、 さすがにそんな意地悪なことを続ける気はなかった。 「俺と一緒に行けば、確かにいろんなものを理解できるかもしれない。 でも、おまえのためにはならないな。 そうだな……俺よりもおまえのことをちゃんと理解してやれて、おまえと一緒にどこまででも歩いていけるってヤツがいるから、 明日にでもそいつのところに連れてってやるよ」 「そんな者がいるのか?」 「ああ」 訝しげな表情で問い返すルカリオに、カナタは自信たっぷりに頷いてみせた。 微塵も躊躇うことなく、堂々とした態度を見せる彼に、ルカリオは「もしかしたら……」と思うようになった。 自分で言うのもなんだが、ルカリオはカナタに、アーロンに似た何かを感じて、すぐに親しい感情を抱いた。 この時代の人間のことなど知らないが、カナタほど頼れる人間は、そうはいないはずである。 そんな彼をして、「おまえと一緒にどこまででも歩いていけるヤツ」と言わしめる人物とは……? 見知らぬ時代で目覚め、不安を抱えていたルカリオも、いつの間にやら不安の代わりに楽しみだと思うようになっていた。 『気持ちの持ちようで、いくらでも可能性を切り拓いてゆけるものさ』 いつだったか…… アーロンがニッコリ微笑みながら言ってくれた言葉が、ルカリオの頭を過ぎった。 「アーロン様…… 私はこの時代で生きることにします。 それが、私などを従者として傍に仕えさせてくれたあなたに対する、最高の恩返しと信じています」 To Be Continued...