シャイニング・ブレイブ 第20章 キミの心に光を -We are with you-(2) Side 3 散歩は、気の向くまま足の向くままに進んでいた。 小高い丘を降りたアカツキたちは、町の南部を東西に結んでいる緩やかな坂道を登っている。 特に行く宛てなどないが、だからこそ立ち止まることなく適当に進んでゆけるものだ。 「キキっ♪ キキキキっ♪」 気持ちが弾んでいるのはアカツキも同じだったが、誰よりも明るく陽気にはしゃいでいるのはアリウスだった。 何の前触れもなく走り出しては遠くに行ってみたり、すぐに戻ってきてみたり。 気の向くまま足の向くままを本気で楽しんでいる。 だが、アーサーの目を気にしてか、やんちゃなマネはしなかった。アリウスなりに、アーサーに気を遣っているようだ。 慣れないことはしない方がいいと言いたいところだが、それを言っても、効果はなさそうだった。 代わりに、アカツキはカイトと話していた。 「なあ、アカツキ。 おまえの身体が治るまで、あとどれくらいかかるんだ? この前は一ヶ月とか二ヶ月とか、マジでシャレになんないくらいかかるって言われた覚えがあるんだけどさ」 「ん〜、分かんねえ」 「……マジかよ」 自分の身体のことだろ? アカツキが呆気なく言うものだから、カイトはあんぐりと開いた口が塞がらなかった。 「でもさ、ガンバったっていきなり治るワケじゃないし。 焦るだけ無駄っていうか、無駄にカルシウム消費するんじゃね? 先生も言ってたし」 「まあ、そりゃそうだな……」 無理に頑張ったって、逆に治癒が遅れてしまうだけだ。 ある意味、なるようにしかならないということなのだが、こればかりは仕方がない。 身体の作用は、本人の意志でどうにかなるシロモノではないのだから。 「ま、それはそれでいいとして……」 アカツキのペースに引き込まれそうになっている自分自身に気がついて、カイトは頭を振った。 延々とアカツキの身体について話していても仕方がない。 散歩に同行することにしたのは、いろいろと話したいことがあったからだ。 周囲に人の姿がないのを確認してから、カイトは切り出した。 「アカツキ、ネイゼルカップに出るんだよな?」 「当たり前じゃん。なに今さらそんなこと聞いてくるんだよ」 何を今さら…… 当たり前すぎて、それ以上は言い返せなかった。 聞くまでもないことだ。 リーグバッジだって四つ集めたのだから、ネイゼルカップの出場資格は得ている。 実際のところ、リーグバッジに有効期限は設定されておらず、四つ集めて十年経ってからネイゼルカップに出場することもできるのだ。 しかし、アカツキは今年の大会に出場するつもりでいる。 アラタとの約束を果たしたいのもあるし、せっかくリーグバッジを集めたのだから、さっさと出てみたい。 なんだかいい加減な理由も混じっているが、アカツキはアカツキなりに真剣に考えているのだ。 それなのに、水を差すようなことを言われた。 アカツキは怪訝な表情をカイトに向けた。 彼の真意を知りたかったからだ。 真剣な眼差しを向けられ、カイトは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに何事もなかったように表情を繕った。 そんなことをしても驚きは消えないが、それでも繕わずにはいられなかった。 「おまえ、今は自分の身体治すことと、ネイトを元に戻すことばっかり考えてるだろ?」 「当たり前じゃん」 「そんなんで、アラタさんやキョウコさんに勝てるなんて本気で思ってる? オレなら、まあ倒せないこともないと思うけど」 「……そういうことかよ」 カイトが口を尖らせて吐いた言葉に、アカツキは苦笑した。 なるほど、道理で『ネイゼルカップに出るのか』なんて聞いてくるわけだ。 何が言いたいのかも、大体分かった。 もっとも、分かったからと言って、今さら自分の考えを曲げるつもりなど小指の爪の先ほどもないが。 「おまえが心配することじゃないだろ? おまえだって優勝狙ってんだったら、他人の心配なんかしてねーで、自分の心配した方がいいって」 「うぎゅ……!!」 アカツキが他愛なく返した言葉に、カイトは絶句した。 人が親切に心配してやっていると言うのに、そういう風に返してくるとは……しかし、当たっているだけに正面きって言い返せないのが辛い。 顔を引きつらせているカイトに、アカツキはさらに言い募る。 「心配してくれてうれしいけど、オレは平気だって。 ガンバんなきゃいけないから、余計やる気になるんだよ。 まー、なんていうか、ハンデは確かにきついかな〜って思うけどさ。でも、やる前からあきらめられるほど頭いいワケじゃねえし」 言い終えて、ニコッと微笑む。 カイトに言われずとも、彼よりも多大なハンデを背負っていることくらい分かっている。 ケガで思うように動けない身体だからこそ、それを誰よりも強く実感しているのだ。改めて言われるまでもない。 「……ま、そりゃそっか」 カイトは一思案した後、深々とため息をついた。 人前でため息なんてらしくないのは分かっていたが、傍にいる親友に隠し事などしたところで見抜かれるに決まっている。 だったら、最初から包み隠さず話しておいた方がいい。 そう思って、考えていることを口にしたのだが、見事に避わされた。 「ちょっとは引っかかってくれるかな〜なんて思ったけど、さすがにそこまでバカじゃなかったな」 「へへ〜っ、驚いたか〜♪」 「ちょっとな」 もしアカツキが出ないと言ったら……半分はありえないと思っていたが、その時はその時で『引っかかってくれた』と思うところだ。 カイトが心配してくれているのは、アカツキも重々承知していることだ。 アラタやキョウコも、もしかしたら彼と同じことを言ってくるかもしれない。 だが、答えは決まっている。 「オレは今年のネイゼルカップに出る!! ハンデなんてさっさと跳ね除けてやるんだ!!」 出ると決めた以上は、何がなんでも出てやる。 「だってさ、兄ちゃんと約束したんだ。 旅立つ前にさ……ネイゼルカップで戦おうって。オレが約束破るワケには行かねーじゃん」 「そういや、そうだったな」 アカツキには、ネイゼルカップに出なければならない理由がある。 皆まで言われて、カイトは思い出した。 ……そういえば、そうだった。 旅立つ前、アカツキが言っていたのを。 アラタとネイゼルカップで戦うことを約束した……と。 似た者同士の兄を純粋に尊敬しているアカツキなら、何があろうと彼と交わした約束を守り通そうとするだろう。 自分の気持ちに正直で、傷つくことさえ厭わない性根の持ち主だ。 多少の無理はしてでもネイゼルカップに出ようとするだろう。 危なっかしくてたまらないが、そんな力強さがカイトにはまぶしく、それでいて頼りになる。 「じゃあ、オレもおまえに合わせてやるよ」 「なにが?」 アカツキが聞き返すと、カイトは立ち止まった。 半歩行き過ぎて、アーサーも立ち止まる。 ちょうど、アカツキとカイトが横に並んだ。 一軒の民家の目と鼻の先。 カイトの家の前で、一行は立ち止まっていた。 「おまえが元気になるまでは、おまえのポケモンの面倒を見るって言ってるんだ」 「えーっ、そんなことしなくていいって。 おまえだってヒマじゃないんだろ?」 「まあ、オレだってガンバんなきゃいけないから、そんなに長くはやってらんねえけど……」 啖呵を切ったまでは良かったものの、上手い言葉が見当たらなくて、カイトは口ごもった。 アカツキを心配する気持ちはホンモノだが、合わせるだなんて無理があったのだろうか。 気まずそうな表情で目を泳がすカイトに笑みを向け、アカツキは言葉をかけた。 「ありがと。気持ちだけで十分だよ」 「…………!?」 「いや〜、やっぱ友達って持つモンだよな〜。 でもさ、これはオレたちの問題なんだよ。オレたちだけの力で解決する。 それが無理だったら、遠慮なく手を借りるってことで。オッケー?」 「…………」 呆気なく、いかにも楽しげに言うものだから、カイトは喉元まで出かけた言葉を飲み下すしかなかった。 明らかに不利なこの状況を、楽しんでいる。 逆境にもめげず、前向きに物事を見ているからこその発想だろうか。 だが…… 「でも、だからこそアカツキはアカツキなんだよな。 このバカっぷりは死んでも治らないんだよなあ……」 バカは死ななきゃ治らないとは言うが、こいつに限っては死んでも治らない。 そう思うと、なんだかつまらないことでウジウジしていたのが自分の方だったのだと思い知らされる。 底抜けに明るいヤツを励まそうとするなんて、やはりどうかしていた。 「あっはははははははっ!!」 「…………!?」 カイトは突然、声を立てて笑い出した。 「あはははっ、あはははははっ、あはぐぎゅっ……あ、あはははは……」 途中で咳き込みそうになりながらも、声が続く限り笑う。 一瞬、アカツキは頭でも打たれたのかと思ってビックリしたが、 「ま、それならそれで、オレはガンガン突っ走らしてもらうぜ。 モタモタしてたら、ネイゼルカップで楽に叩き潰しちまうかもしれないけどな」 「望むところだ!! ネイゼルカップでも勝てば、今までのだってチャラだかんな!!」 「ま、今のうちに咆えてろよ。ケケケケ……」 安っぽい挑発だが、アカツキは真剣な表情でムキになって反論してきた。 単純と言うか、何と言うか…… カイトは意地悪な言葉を発しながらも、こうでなければつまらないと思った。 どんな逆境にもめげない強い精神力は、素直に尊敬するところだ。 「でもまあ、おまえの戦力がバレバレなんだけどな」 カイトはアカツキと共にいるポケモンたちを見回した。 ネイト、リータ、ドラップ、ラシール、アリウス、ライオット、アーサー。 タイプのバランスは悪くないし、進化形のポケモンが多いから、戦力的にも悪くない。 付け加えるとしたなら、ネイトとリータが進化すれば、より戦力に厚みが出てくるといったところか。 未完成なのは否めないが、それはカイトのチームにとっても同じことが言えた。 「んー、そりゃしょうがないって。 旅とかしてるわけじゃないんだから、みんなをモンスターボールに入れとくわけには行かないし」 「その方がありがたいんだけどな」 カイトは無邪気に微笑んだ。 アカツキの戦力が目で分かるのはありがたいことだ。 ズルい気もしなくはないが、カイトはもしこの場でチームを見せろと言われたら、惜しみなく公開するつもりでいる。 そうでなければ、アンフェアだから。 「で……どうすんだ? オレのチーム、見てみる?」 フェアプレーが好きなカイトは、すぐにアカツキに話を振った。 もっとも、今ここで見せたところで、七ヶ月先には新しいポケモンだってゲットしているだろうから、果たして意味のあることなのか。 言うまでもなく、アカツキも同じことが言えるわけだ。 一概に不利とも言い切れないか。 しかし、アカツキは頭を振った。 「カイトのチームは分かってるつもりだし。 ……でも、そうだなあ。感謝祭で戦ってから、新しいポケモンってゲットした?」 「当たり前じゃん」 「そっか。じゃ、オレの知らないポケモンもいるんだな。 レックスやクローも、進化しちまってるかもしれないし……」 「…………」 「ま、いいや。楽しみはネイゼルカップまで取っとくよ」 呆気ないほど簡単な終わり方だった。 アカツキは、カイトのポケモンを少なくとも五体知っている。 多少増えたところで、中にはタイプの関係上、絶対に外せないポケモンもいるはずだ。 たとえば、レックス。 リザードンに進化を果たしたなら、これ以上ないほどの戦力になる。カイトと育まれた絆は、多少はムチャなことでも平気にしてしまうのだ。 「そっか……じゃ、お預けな」 やんわりと断られ、カイトは少々ガッカリしながらも、納得した。 楽しみは後で取っておくなんて、よく言ったものだ。 「それよりさ、カイト」 「なに?」 「ソフィア団と戦った時にさ、一緒に戦ってくれてありがとな。 お礼、言うの遅くなっちまったけど……」 「いいって。親友のために戦うのに理由なんて要らないだろ? 増してや、オレがやりたいって思ったことなんだからさ」 カイトはアカツキの言葉を笑い飛ばした。 別に、見返りなんて求めてはいない。 助けたいと思ったから、手を貸しただけだ。 親友とはそういうものだと、カイトはニッコリ笑いながら付け足した。 「んー、でも、ちゃんと礼だけは言っときたくてさ」 アカツキはためらいながらも、思っていることを素直に口にした。 正直、カイトがいなかったら、ネイトを助け出せたかどうか分からないのだ。 一人ではソウタ&ヨウヤと戦うことなどままならなかった。彼らなら、一対二でも平気で襲ってきそうだが。 だから、余計に思う。 親友って、いいな……って。 「やれやれ……」 礼だけは言っておきたい。 その言葉に胸がじんと熱くなったが、そんな素振りを微塵でも見せようものなら、後々までからかわれそうな気がして、カイトは無表情を繕った。 「ま、おまえがそう言うんだったら、その気持ちだけはありがたく受け取っといてやるよ」 自分では無表情だと思っていたが、アカツキだけでなく、彼のポケモンたちにも筒抜けだった。 表情を繕っても、顔色までは繕えないからだ。 でも、ここで何か言ったら、せっかくの謝意が無駄になってしまいそうだから、何も言わない。 「んじゃ、またな。何かあったら遠慮なく呼んでいいからな」 「うん、そうさせてもらう」 互いに笑みを向け合うと、カイトは手を振って自宅へと入っていった。 「……なんだかよく分からんが、カイトとはいい仲だな。親友ということだが」 「うん、まあね」 アーサーの言葉に頷くと、アカツキは先に進むよう促した。 カタカタと、車輪から伝わる揺れがなぜだか心地良い。 アカツキとカイトのやり取りを、アーサーはどんな気分で聞いていたのだろう? なんとなく気になるが、どうせなら本人の口から聞きたいものだ。突付いてみても、藪から蛇が出てきては意味がない。 さて、どうしたものかと思っていると、アカツキの脳裏に、とあるポケモンの姿が不意に過ぎった。 「あ、そうだ。アーサー」 「なんだ?」 「おばさんの研究所に行きたいんだけど、いいかな」 「……アツコとかいう女のところか?」 「うん」 「分かった。おまえが行きたいのなら、連れて行こう」 理由など聞かなくても、アカツキが行きたいと思うなら、連れて行こう。 自分の足で歩きたいのに、歩けない……明るく振舞っていても、気にならないはずがないのだ。 不憫に思うが、安っぽい同情などアカツキには侮辱と同じだろう。 だったら、何も言わずに連れて行ってやることだ。 「ベイ?」 ――なんで? カイトがいなくなって遠慮する必要がなくなったのだろう。 リータが人懐っこい声で訊ねてきた。 「なんでって?」 アカツキはリータの頭上の葉っぱをそっと撫でながら、ニッコリと微笑んだ。 そこで方向転換し、来た道を戻る。 ここからだと、一旦ネイゼルスタジアムの方向へ戻ってから北上した方が早い。 アーサーならアカツキを車椅子ごと持ち上げて『神速』で突っ走ってもいいのだろうが、それだとラシール以外のポケモンがついてこられない。 みんなで一緒にいることに意義があるのだ。 それくらいはアーサーも十二分に心得ている。 「ちょっと気になることがあってさ。気になったままじゃ、眠れないかもしれないからな〜」 「気になること……?」 「うん。行けば分かるって」 「そうか……」 『行けば分かる』の一言に、リータもそれ以上は迫ってこなかった。 それからは他愛ない会話をしながら、研究所に到着するまでのヒマをつぶした。 思いのほか早く到着したが、アーサーがアカツキに代わってインターホンのボタンを押そうとした矢先、先に扉が開いて、中からキョウコが出てきた。 「おや、どうしたの?」 アカツキがポケモンたちを引き連れて外を出歩いているのが珍しいと思ったのか、キョウコは眉根を寄せながら問いかけてきた。 いつもの意地悪さが見られないが、いつもいつでもテンションが高いわけではないのだろう。 拍子抜けした感が否めなかったが、アカツキは素直にキョウコに話した。 「うん、シンラってヤツのポケモンが研究所の敷地にいるって聞いたからさ。ちょっと会って話をしてみたくなって」 「ああ、あいつの……困ったポケモンたちなのよね。どういうわけか、マミーにしか懐かないし……」 キョウコはお手上げのポーズなどしてみせると、深々とため息などつきながら頭を振った。 なるほど…… 道理でテンションが高い状態を維持できないワケだ。 シンラのポケモンはいずれもレベルが高く、易々と他人には懐かないのだろう。 キョウコも恐らく、様子を見に行った時にさっさと追い払われたか、素気無い反応をされたか。 どちらにしろ、まともに相手をされなかったのだろう。 彼女がこんな風に言うからには、それくらいしか理由が思いつかなかった。 「……大丈夫なのか?」 キョウコですらそんな状態だ。アカツキがノコノコ足を運んだところで、同じ結果になるのではないか……? アーサーは心配そうな目でアカツキを見やったが、彼の表情には一点の曇りもなかった。 「あんたが行っても同じ気はするけどね……ま、あんたのことだから、あたしに言われたからって尻尾巻いて逃げたりしないんだろうけど」 「ま〜ね」 キョウコが半ば呆れたように言うと、アカツキは笑みを浮かべ、得意気な表情で首を縦に振った。 気になることがある以上、誰に何を言われようと関係ない。 彼女のように素気無い反応をされようと、話し合いくらいならできると思っているからだ。 「そーゆーワケで、敷地に入りたいんだけど」 「いいわよ。あんたなら、別に許可なんて取らなくていいわ。どうぞ、お気の済むまで。 そんじゃね〜♪」 許可なんていちいち取らなくてもいいと言うと、キョウコは道を颯爽と駆け出した。 どこかへ出かけるところだったらしいが、余計な時間を取らせただろうか。 肩越しに、陸上選手ばりのフォームで走っているキョウコの背中を見やると、 「いいのか?」 アーサーが訊ねてきた。 キョウコの言葉が気になっているのだろう。 シンラと言えば、アーサーを封印から強引に解き放った上に、ダークポケモンと化した人物である。 彼にとっては蛇蝎のごとく憎んでも憎みきれない相手だ。 そんなシンラのポケモンに会いに行くなど、一体何を考えているのか……アーサーはアカツキの行動に疑問を覚えずにはいられなかった。 不信感のようなものが身体から立ち昇っているのを感じて、アカツキはすぐさま言葉を返した。 「そりゃ、素っ気なくあしらわれるかもしんないけどさ。 それに、アーサーからすりゃ、ヤな相手のポケモンだし……でもさ、そいつと、ポケモンは違うんだよ。 それだけはさ、勘違いしないで欲しいんだけどなあ……」 「…………」 シンラと、シンラのポケモンたちは違う。 取るに足らない当たり前なことだが、アカツキの一言はアーサーの胸にずしりと重くのしかかった。 「…………」 確かにそう言われればそうだが…… しかし、そう簡単には割り切れない。 アーサーが何とも言えない気分を持て余しているのを見て、アカツキはそれ以上は言わなかった。 こればかりはアーサーが自分で考えて、自分で決着をつけなければならないことだ。 だけど、そうやって考えて悩んで出した答えが、一番の価値を持つ。 「ま、考えるのは後でいいからさ。とにかく、会いに行ってみようぜ」 心なしか心配そうな顔を向けてくるポケモンたちに明るい笑みを向けてから、アカツキはアーサーに進むよう促した。 渋々といった様子で、アーサーは車椅子を押して研究所の敷地に入った。 Side 4 アカツキが会おうと思ったのは、シンラのラグラージ――グリューニルだった。 二度、その姿を見たことがある。 一度目は、ドラップを奪うため研究所の敷地にシンラが乗り込んで来た時。 二度目は、『忘れられた森』にあるソフィア団のアジトの最奥だった。 他にもプテラやゴウカザルといったポケモンを見てきたが、一番話をしやすいと思ったのがグリューニルだった。 昔、セントラルレイクの氾濫からレイクタウンを守ってくれたラグラージ。 同じ種族だからという理由もないわけではなかったが、こればかりは直感としか言いようがなかった。 ラグラージは水辺で暮らすポケモンだ。 しかし、アカツキがポケモンたちと向かったのは、敷地の奥まった一画にある林だった。 ネイトが戻ってくる前に一度、水辺に赴いたのだが、そこで暮らしているポケモンたちは至って気ままに――いつも通り、伸び伸びと過ごしていた。 シンラのポケモンが一体でも混じっていれば、あんな平穏な雰囲気ではなかったはずだ。 だとすると、グリューニルをはじめとするポケモンたちは、人やポケモンの目を避けられる場所にいるのではないか…… 確たる証拠はなかったが、アカツキが漠然と思いついた推測は見事に当たっていた。 水辺を通り過ぎ、林に入ったところで、空気が少し変わった。 陽の光が届きにくいせいか、空気はひんやりと涼しかったが、変わったのはそんなものではない。 「やっぱ、ここにいるみたいだな……」 キョウコやキサラギ博士からは、グリューニルたちがどこにいるのかといった情報を得ていないが、 リータたちの表情が引き締まったのを見て、推測が当たっていたことを認識できる。 「……ずいぶんと殺伐とした空気だ」 林に入ったところで足を止め、アーサーは鮮やかな緑の景色を見渡した。 キサラギ博士の研究所……その敷地内には、穏やかで緩やかな時間が流れている。 しかし、ここは違う。 「でもまあ、行ってみなきゃ分かんないからさ。適当にブラつこうぜ」 「そうだな」 言うだけなら自由だが、行動してみなければ何も変わらない。 改めて、アカツキたちは林の中を回ってみることにした。 地面に落ちた枯葉を踏みしめながら、道なき道を行く。 広さはそれほどでもないが、障害物や洞が多い。 シンラのポケモンなら、その気になれば気配を消してじっと隠れることもできるだろうが、気配を消した程度では、アーサーの感覚からは逃れられない。 生きている限り、『波導』は決して隠せないものだからだ。 「どこにいるのかなあ……」 「私なら分かる。 ……それに、気配を消すつもりもなさそうだ。あちらも、私たちの存在に気づいている。案ずる必要もない」 「そっか……」 周囲を見回しながらアカツキが言うと、アーサーは事も無げに断言してみせた。 グリューニルが自分たちの存在に気づいているのなら、話は早い。じきに姿を見せてくれるだろう。 アカツキは軽い気持ちで視線を前方に戻した。 刃物のように硬く鋭い空気を感じながら進むうち、視界が拓けた。 普通の家なら三軒程度は入ろうかという拓けた空間に、グリューニルたちは固まっていた。 どうやら、アカツキたちの到着を待っていたらしい。 全員揃っていないのかは分からないが、少なくともそこにいたのは三体だ。 ラグラージのグリューニル、ゴウカザルのローウェン、プテラのラグリア。 いずれも、鋭い視線に敵意のような感情を含ませながらこちらを見ている。 十メートル弱の距離を取って、アカツキたちは立ち止まった。 いきなり近寄ったら、問答無用で攻撃されそうな気がしたからだ。 それに、リータたちも相手を警戒して、いつでも攻撃できるような状態になっている。 一触即発寸前の空気を背中に感じ取り、アカツキは左手をゆっくり掲げた。 「あいつらを刺激しないでくれ」 ジェスチャーで気持ちを示すと、リータたちがまとう雰囲気が変わった。 アカツキが言うなら……と、渋々構えを解いたようである。 無論、そんなことをされたからといって、グリューニルたちが向ける警戒の眼差しは変わらない。 両者はしばし視線を突き合わせていたが、やがてグリューニルが一歩前に進み出た。 「ラージ……ラージ……?」 鋭い眼差しはそのままに、低く唸るように声をかけてくる。 ――おまえたち、何をしに来た? 警戒はしているようだが、問答無用で攻撃してくるつもりはないらしい。 こちらの出方をうかがっている、といったところだろう。 「うん。キミたちにいろいろと聞きたいことがあって」 明らかに相手はこちらに好意を抱いていないが、アカツキはしかし、ニッコリと笑みを浮かべて言葉を返した。 初対面のポケモンでも、言いたいことならなんとなくは分かる。 ポケモンと意思疎通を図る天才は、どんな相手でも先入観を抱くことなく、自然な気持ちで接することができる。 そんな繕わない態度が、ポケモンたちの心を開かせるのだと、当人が気づいている様子はないが……まあ、自覚がないからこその長所だろう。 グリューニルはじっと、アカツキの目をまっすぐに見つめていたが、背中を向け、ローウェンやラグリアとなにやら会話を始めた。 「キェェッ、キェッ? キェッ」 「ウキャーっ、ウキッ」 「ラージ、ラグ、ラージ?」 ――なんか、変なのが来たな。どうする、やっちまうか? ――賛成。あんなにいっぱい連れてきてんだ。絶対、怪しい。 ――でもさ、やっちゃったらアツコ姉さんに迷惑かかっちまう。それだけは嫌なんだけどなあ。 グリューニルたちの会話はアカツキに筒抜けだった。 ポケモンたちには聞かれても構わないと思ったのだろう。 しかし、ポケモンと人間が真の意味で意思疎通など図れはしないと、高を括っていたのかもしれない。 「アツコ姉さんって、おばさんのことだよな?」 筒抜けであるとも知らずに話し込んでいるグリューニルたちを見やり、アカツキは首を傾げた。 どうやら、グリューニルたちはキサラギ博士のことを知っているらしいが、そんなことは争点でも何でもない。 世の中、変なところでつながりが深いものだ。 「……癪だな」 「なにが?」 不意に耳元でつぶやかれ、アカツキは振り向いた。 アーサーが、グリューニルたちに訝しげな視線を投げかけている。 「迂闊に手を出せん」 「いや、出してもらっちゃ困るんだけどな。話しに来たんだから」 「…………」 一応、アカツキはアーサーの考えていることを理解していた。 グリューニルたちは、その気になればアカツキのポケモンを倒すことができる。それだけの実力があることは、すでに証明済みだ。 アラタとキョウコの二人と組んでも、目の前にいる三体のポケモンを一体も戦闘不能にできないまま、全滅してしまった。 苦い過去ではあるが、だからこそ分かることもある。 その気になればできるのに、やらないのだから。 グリューニルたちは、本気でアカツキたちをどうこうしようとは思っていない。 結論はすでに提示されているが、だからこそアーサーは煮え切らない気持ちを持て余している。 勇者の従者と言われていた割には雑念を多く抱えているが、むしろ勇者の従者という肩書きでモノを見てきた輩が多かったということだろう。 グリューニルたちはしばらく話し合っていたが、結論が出たらしい。 再びアカツキに向き直ると、のっそのっそと歩いてくる。後ろの二体は、遠くから様子を窺っているだけだった。 「ラージ……」 ――おまえたちが何者なのかはどうでもいい。用件を言え。 とりあえず、衝突は回避されたようだ。 心なしか、グリューニルたちがまとう雰囲気も、鋭い視線も和らいでいるように感じられる。 「オレ、アカツキっていうんだけどさ。 キミの名前は? あと、後ろのゴウカザルとプテラも紹介してくれよ」 真ん前に立たれると、当人にその気はなくとも、相当な迫力があった。 それでもアカツキは笑みを崩すことなく、逆に相手に言葉を投げ返した。 ここにやってきたのは、グリューニルに訊きたいことがあるからだ。相手のことも知らないのに、話なんてできるはずがない。 自己紹介は、会話の第一歩なのだ。 「…………」 「…………」 リータたちも、ローウェンたちも、それぞれの代表のやり取りをじっと見つめていた。 グリューニルは、一片の恐れも抱いていない男の子を、ただ眺めていた。 名前は聞くまで知らなかったし興味もなかったが、以前、彼の仲間たちをコテンパンにしたことは覚えている。 なるほど、その時よりは幾分か強くなっているようだ。 苦い思い出があるにもかかわらず、何事もなかったように接してくる。底知れないモノを感じるが、悪くはない。 過去は過去、現在は現在と割り切っているからこその態度だろう。 「ラージ、ラグ、ラージ……ラージ」 笑みを向けてくる人懐っこい男の子の視線に根負けする形で、グリューニルは言の葉を紡いだ。 「そっか、グリューニルって言うんだ。ゴウカザルローウェンで、プテラがラグリアって言うんだ。よろしくな〜」 アカツキはグリューニルの背後で様子を窺っているローウェンとラグリアに手を振った。 「…………」 「…………」 以前、コテンパンにした相手から、笑顔で手を振られるとは思わなかった。 互いに信じられないといった表情を突き合わせていたが、アカツキはそんな二体には構わず、 「なあ、グリューニル。キミに聞きたいことがあるんだよ。 辛いことかもしれないけどさ……シンラのこと」 「…………」 実にあっさりと言ってくれる。 絶句するグリューニルを余所に、アカツキは続けた。 「キミは、あいつのことどんな風に思ってたんだ? オレは別に、今さらあいつのことどうこうしようなんて言うつもりはないんだけどさ。ほら、ネイトだってちゃんと戻ってきたし。 ダークポケモンなんてモンを使ってまでやろうとしたことも分かったんだけど、グリューニルは、そんなあいつのことをどう思ってたのかなって」 「……いきなりそんなことを訊くのか」 ある意味ストレートな質問に、アーサーは唖然とした。 グリューニルにとってシンラは大切な存在だ。 それを知った上で話をするからには、グリューニルがシンラのことをどう思っていたのか……アカツキはとても気になっているのだろう。 すべてが決着し、終わった今だからこそ聞けることもある。 「…………」 グリューニルはアカツキの言葉を受けて、一瞬不快そうな表情を見せたが、すぐに無表情に戻った。 物怖じせず、堂々と質問を投げかけてくる男の子。 初対面でもないし、以前は敵だったと言っても、今はシンラに敵などいないのだから、自分たちにも敵はいない。 ちょっと(どころか、かなり)物好きなヤツがやってきたと思えばいい。 ローウェンやラグリアも拒否反応を示していないし、隠し立てすることもない。 アカツキは自分たちがしてきたことを受け止めた上で、わざわざここまで出向いてきたのだ。 『客人』を手ぶらで帰すのも、いかがなものか。 ……そんな風に思って、グリューニルは口を開いた。アカツキになら話してもいいという判断を伴って。 「ラージ……ラグ、ラージ」 ――大好きだ。それは今でも変わらない。 ――やってきたことは間違っていたが、それはシンラなりの考えに基づいていたからだ。   彼が両親を心の底から尊敬していたことを、オレたちは誇りに思っている。 「そっか。そうじゃなきゃ、ついてったりはしないもんな……」 「ラージ……」 ――その通りだ。 アカツキとグリューニルのやり取りは、この場の全員が理解できた。 当然と言えば当然だが、アカツキのポケモンはともかく、ローウェンとラグリアにとっては別物だった。 ポケモンと人間が平然と言葉のやり取りをしているのを見ても違和感を覚えないのは、単にアカツキの人柄だろう。 気のせいか、シンラに近しいものを感じる。 「あいつのこと、気になるよな……?」 「ラージ……ラグ、ラグラージ」 ――当然だ。だが、やってきたことを考えれば、今は離れ離れになるのもやむを得ない。 「そっか……」 短いやり取りの中で、アカツキはグリューニルたちがシンラをとても大切に思っていることを感じていた。 やっていたことは間違いだと認めた上で、シンラの気持ちを誰よりも理解していたからこそ、間違いだと分かっていても共に歩いてきた。 「とっても大事に思ってるんだよな……」 グリューニルたちは、純粋にシンラを尊敬し、共に歩いてきたのだ。 もし、自分が同じこと――同じ過ちを犯したなら、その時ネイトたちはグリューニルのように、最後まで一緒に歩いてくれるだろうか? なんとなく考えてしまうほど、グリューニルたちとシンラの絆が深いものだと思い知らされる。 アカツキがしみじみと思っていると、今度はグリューニルから質問が飛んできた。 「ラグ、ラグラージ? ラージ……」 ――おまえはシンラのことをどう思っているんだ? ――おまえの膝の上にいるヤツ、シンラが変えてしまったんだろう? 「…………」 アカツキは膝の上でじっとしているネイトに視線を落とした。 何をするでもなく、虚空の一点を凝視している。 規則的に上下している背中と、瞬きする双眸。その二つだけが、変化らしい変化だった。 「んー、許せないっつったら許せないんだけどさ」 アカツキはネイトの背中をそっと撫でながら、トーンを落とした声音で言った。 話す相手の目を見ないのは失礼だと思うが、今はネイトだけを見ていたかった。 なぜだか、自分でも分からなかったが。 「ベイっ、ベイベイっ!!」 アカツキが許せないと言ったものだから、リータが声を荒げた。 グリューニルたちが敵対する姿勢を取らなかったこともあって、強気に打って出たようだ。 ――許せるワケないじゃん!! ネイトをこんな風に変えといて…… リータの言葉は、アカツキのポケモンたちの総意だった。 アカツキはシンラがダークポケモンを求めた理由を知っているし、 ネイトが戻ってきてくれればそれでいいと思っているから、今さらシンラに恨みなどあろうはずもない。 しかし、リータたちは違う。 ネイトが戻ってきても、それが元のネイトでなければならないと思っているからだ。 珍しく怒りを露わにしているリータを見やり、アカツキは胸が痛んだ。 彼女が怒っているのは、それだけネイトのことを想っているからだ。ネイトのために、真剣に怒っている。 自分が先にシンラを許してしまったのは、間違いだったのだろうか……なぜか、そんな風に思えてしまったが、 「ラージ、ラグ……ラグ、ラグラージ……」 ――そうだな。素直に許せるはずもないな。 ――心を閉ざすことの意味は、オレたちも知っている。シンラも、そうだったからな。 グリューニルは真正面から、怒りに満ちたリータの言葉と、アカツキのポケモンたちの鋭い視線を受け止めた。 すべてを認めた上で受け止めようと言うのだから、グリューニルが抱くシンラへの気持ちも相当に強いものだ。 「…………」 「…………」 普段の彼女からは考えられないほど、リータの視線は鋭く尖っていた。 もし、視線に殺傷能力があったとしたら、今頃グリューニルは串刺しにされているだろう。 ただ、過ぎたことをいつまでも悔やんでいたところで、先には進めない。 いい機会だと思い、アカツキはリータたちに言葉をかけた。 「なあ、みんなが怒るのも当然だと思うけどさ……オレ、シンラのこと特に恨んじゃいないよ。 そりゃ、ダークポケモンなんかに手を出さなきゃ、ネイトがこんな風になることもなかったし。 だけど、ネイトはオレたちがちゃんと元に戻せばいい。まだやり直せるんだからさ。 忘れろなんて言う気はないよ。 でも、そろそろ前を向いて歩いてかなきゃいけないんだ。 そうじゃなきゃ、ネイトが戻ってきた時に、ホントに『お帰り』って言ってあげられなくなっちまうよ。 ……そうだろ?」 「…………」 「…………」 「……そうだな」 押し黙る一同。 真っ先に反応を示したのはアーサーだった。 場数の違いからか、物の道理を誰よりも心得ている。 「忘れられなくても、いつまでも過去の体験に心を縛られていては、本当の意味で未来に向けて歩いていくことはできない。 ……おまえたちがネイトを大切に想っているのは分かるが、そのことのみに心を縛られ、未来を閉ざしてしまっては意味がない。 言い方を変えるなら、ネイトがそれを望んでいるかどうか……さて、どう考える?」 リータたちの気持ちは分からないでもないが、新参者のアーサーならではの視点で物事を見た場合、アカツキと同じ意見にたどり着く。 「…………」 アーサーの落ち着き払った波のような言葉が効いたのか、リータたちは押し黙ってしまった。 重ねて言われ、考えずにはいられなくなったようだ。 アカツキは無意識に俯いたリータに、言葉をかけなかった。 今、彼女は真剣に考えている。横槍を入れるようなマネは、してはならない。自分で考えた答えが、何よりも価値を持つのだから。 「でも、ネイトだったら、絶対に昔のこと悔やんで前に進まないのは許せないよなあ……」 ネイトはダークポケモンに変えられてしまった。 今でこそ、リライブによってダークポケモンの状態からは脱しているが、完全な形で以前のように戻すには時間がかかる。 結果論で言えば、元の状態に戻せるのだから、恨みっこなしだ。 それに、ネイトは…… 「ネイトは自分から飛び込んでったんだ。ドラップを守ろうって思って……」 アカツキは頭上を仰いだ。 青々と生い茂る木の葉が風にそよぎ、木の葉の合間から差し込むかすかな陽光は暖かく、それでいて柔らかい。 ネイトが先ほどからまったく動かないのは、風の心地良さと、陽光の暖かさを感じていたいと思っていたからかもしれない。 まあ、それはいいとして。 「ラージ……」 ――おまえは強いな。 グリューニルの言葉に、アカツキは視線を前方に戻した。 感心しているのか呆れているのか……どちらとも取れる表情で、じっとこちらを見つめている。 「そうでもないよ」 アカツキは微笑んで、言葉を返した。 「ネイトだったら……きっと、ウジウジしてるのなんて望んじゃいない。 ネイトが、シンラの投げたボールに自分から突っ込んでったのは、ドラップを守るためだったからさ。 だから、オレたちはガンバんなきゃいけないんだ。 ネイトに、胸張って『お帰り』って言えるようにさ」 「……!!」 答えになるようなことは言うまいと思っていたが、意識しないうちに口にしていた。 言葉という救いの手を握ったように、ネイトたちの表情が上向く。 当たり前のことに、今になって気づいた……そんな感じだった。 「まあ、すぐには許せないけどさ。やったことは悪いことだし。 でも、だからあいつを見返したいんだよ。ネイトが元通りになったら、 『これがオレたちの実力だ!! 思い知ったか!!』って、思い切り言ってみたいんだよね〜」 あははははっ♪ アカツキは言い終えるが早いか、声を立てて笑った。 底抜けに明るくて前向きな考え方の持ち主だ……アーサーは改めてそう思った。 「こいつは、本当にどうしようもない子供だ。大人になってもこのままだ。絶対そうだ、間違いない」 言い方から考え方から、何から何まで子供の発想だ。 綺麗すぎる絵空事。 でも、本気でそう思っているのだから、美しい。 「しかし、だからこそ皆、ついていこうと思うのだ。私も……だが」 遺恨のある相手でも、すぐに打ち解けようとする。 警戒感ゼロで危なっかしいが、そんなトレーナーを選んだからには、選んだなりの責任も果たしていかなければならないだろう。 バカらしいと思うが、自分の選択に後悔はない。 それどころか、アカツキでなければダメだと思っているのだから、まったくもって不思議なことだ。 どうしようもない子供の、どうしようもない絵空事。 その絵空事に心惹かれ、共に歩いて行こうと思う者がいる。それこそ、どうしようもない事実だった。 リータたちから敵意が消えて、代わりに決意のような強い意志が周囲にひしひしと伝わっていく。 アカツキの言葉が、彼らの考えをあっさりと変えてしまったのだろう。 なにやらコロコロと変わるアカツキたちを見て、グリューニルは過去に囚われることがバカバカしく思えて仕方なかった。 シンラが何をしようと、彼には彼の正義がある。 彼が後悔しないように、どこまでもついていこうと、ローウェンやラグリアたちと話し合って決めたのは、いつのことだったか…… 思い出せないくらい昔のことだろう。 それでも、目の前にいる人間の子供と、彼の仲間たちは……過去は過去として、未来へ向かって歩き出そうとしている。 その姿勢がとてもまぶしく、何だか羨ましくなった。 もし、シンラが彼と同じことをしていたら……きっと、結末は違っていただろう。 ネイトがダークポケモンになることも、ドラップが素材としてソフィア団に囚われることもなかったはずだ。 「それでさあ、グリューニルたちは、シンラを待つのか?」 「ラージ……」 ――当たり前だ。いつになろうと、オレたちはシンラの帰りを待ち続ける。 ――それが、一緒に歩いていくことを選んだオレたちの責任の取り方だからな。 「そっか……」 自分たちも、シンラたちも、何も変わりはしない。 互いに慈しみ合い、大切に思っていることも同じだった。 違いがあるとしたら、それはトレーナーの考え方だろう。 暗く重たい過去を引きずって、下を向いて歩くか。それとも、明るい光に満ちた未来を信じて、上を向いて歩くか。 きっと、シンラにはそれができなかった。殺害された両親への想いがあまりに強かったから、忘れることなんてできなかったのだろう。 「あいつはきっと、父さんや母さんのことを忘れたくなくて、無理に復讐なんて考えちまったのかもしれないなあ……」 アカツキは胸中でそっとつぶやいた。 根拠はないが、なぜだかそんな風に思えて仕方ない。 シンラだって、一度はちゃんとした道を歩こうと考えたはずだ。 しかし、それを『両親のことを忘れて生きていく』と思ってしまったのかもしれない。 だから、無理に復讐なんて動機をでっち上げてしまった。 ……もっとも、今となっては根拠も何もない、想像の産物でしかないが。 「じゃ、お互いにガンバんなきゃいけないな」 アカツキは笑顔で言うと、グリューニルに向かって手を差し出した。 「……?」 訝しげな表情で、差し出された小さな手を見やるグリューニル。 話らしい話もしていないが、どうやらこの子供は自分たちに好意を抱いているらしい。 ……辛い目に遭わせたことは忘れられなくても、仲直りしようと言っているのだ。 「キェェ……」 「ギュゥゥゥ……」 背後で、ローウェンとラグリアがなにやら言っている。 ――仲直りだって。 ――いいんじゃないか。オレたちも変わらなきゃいけないかもしれないし。 どうやら、後ろの二人もアカツキたちに――正確にはアカツキに好感触を抱いているようである。 自分の気持ちを包み隠さず、相手に伝える。 言葉は違えど、気持ちはちゃんと通じ合っている。 そんな相手なら、信じてもいいと思っているのかもしれない。 「シンラちゃんが戻ってくるまでは、ここにいた方がいいと思うよ」 キサラギ博士がそう言ってくれたのを思い出す。 シンラも、見知った相手のところで世話になるなら安心だと思っているだろう。 しかし、ちゃんと話ができる相手がキサラギ博士だけというのも、何かあった時に辛いかもしれない。 そう考えると、目の前でニッコリ微笑んでいる男の子と何かしらのコネクションを結んでおいた方がいいのだろう。 そこまで複雑なことは考えていないが、グリューニルたちにとってアカツキは信用できる相手だった。 「ん? どーしたんだ?」 「ラージ……」 ――いや、なんでもない。 眉根を寄せ、首を傾げるアカツキに言葉を返し、グリューニルは前脚をアカツキの手のひらに重ねた。 「んじゃ、よろしく。グリューニル」 アカツキはグリューニルの前脚をギュッと握りしめた。 「何か悩みとかあったら、遠慮しないで言ってくれよ。 オレで良かったら、いくらでも相談に乗るからさ」 トレーナーが相手と仲良くする気満々であるのを見て、リータたちは思い切って、今までの蟠りを捨て去った。 誰よりもネイトのことを考えているからこそ、前向きに物事を考えているのだ。 一緒に歩いていくと決めたのなら、相手に合わせることだって必要だ。 「しかし……」 アーサーはアカツキの傍にやってきたローウェンとラグリアを見やった。 出会った時とは、明らかに表情が違っている。 リータたちと同じように、蟠りを捨て去って、友達として接しているのが分かる。 まだまだぎこちないところはあるが、少なくとも敵意は存在しない。 「アーロン様と共に生きていた頃、こんな風に手に手を取り合うことができていたなら……きっと、私たちの力など必要なかったのかもしれないな」 アカツキの笑顔に触発される形で表情を和らげるポケモンたちを見て、アーサーは胸中で小さくつぶやいた。 紫水晶に封印された時代のことを、不意に思い出した。 あの頃は、大小さまざまな国が入り乱れ、群雄割拠の時代だった。 手に手を取り合って……なんて、そんなものは子供の絵空事どころか、馬の糞ほどの価値もないと断じられていた。 だが、今になって思えば、アカツキたちのように、多少の蟠りは抱えていようと、相手を理解し、自分と違う価値観を受け入れる心が人々の中にあったなら…… きっと、勇者など必要なかったのだろう。 勇者という名の看板で、バラバラになりかけていた人々の心を一時的に繋ぎ止めていたに過ぎなかったのだから。 だけど、現代…… 少なくとも目の前には、剣や斧でぶった切っても簡単には千切れない絆がある。 なぜだか知らないが、アーサーは暖かな気持ちで胸が満たされているのを感じずにはいられなかった。 To Be Continued...