シャイニング・ブレイブ 第21章 予期せぬ転機 -Needing and Holding-(1) Side 1 ――アカツキが故郷を旅立って73日目。 フォレスの森の空気は、以前と変わらず澄み切っていて、それでいてひんやりと冷たかった。 薄着のアカツキには肌寒いかと思いきや、身体を鍛えている彼にとっては、ひんやり冷たい程度の空気は涼しいのと同レベルだ。 レイクタウンを経って三日目。 まずはフォレスタウンに行って、ミライとヒビキに会うついでにアリウスをエイパムたちと会わせてあげよう。 思い立ったが吉日と言わんばかりに息巻いて旅立ったのだが、 今の今までトレーナーと出くわすこともなければ、野生のポケモンが飛び出してくることもない。 あまりに刺激のなさ過ぎる道中だが、それはそれでアカツキはみんなと楽しんでいた。 もちろん、久しぶりにポケモンバトルをやってみたいと思っていたし、新しい仲間を増やすのもいいと考えていた。 「でもま、こういうのもいいんだよな〜」 平穏も、悪くはない。 アカツキは両手を頭の後ろで組むと、大きく息を吸い込んだ。 レイクタウンの空気も澄んでいるが、森に生い茂る木の葉の光合成によって生み出されたばかりの、出来立てホヤホヤの新鮮な空気が一番だ。 みんなと一緒に、ノンビリと旅ができる。 そう思うと、今までは無意味に急ぎすぎていたのかもしれない。 ソフィア団の魔の手からドラップを守らなければならず、そのためにはトレーナーとしてアカツキが強くならなければならない。 ……そんな風に、底の知れない何かに追いかけられていたように、ただただ急いでばかりいた。 だが、今は違う。 ソフィア団も解体され、ドラップを狙う輩もいなくなった。 誰かに尾けられているかもしれないとか、いつドラップを奪われるかもしれないといった不安を感じずに済む。 しかし、ネイゼルカップは待ってくれない。 七ヶ月…… 七ヵ月後には、レイクタウンに戻って、ネイゼルカップに出場しなければならないのだ。 やるべきことはたくさんあるのだから、本当はノンビリなどしていられるはずもないのだが、 その気になれば一日で大きくレベルアップもできるだろうと気楽に考えているアカツキには、焦りはない。 あるいは、切羽詰まって焦ってドジを踏むよりは、大らかな気持ちでいられる分、まだマシかもしれない。 課題山積にもかかわらず、気楽に構えていられるのも、みんななら大丈夫という強い信頼があるからだ。 アカツキはなんとなくそんなことを考えて、頭上に広がる木の葉の絨毯を見上げた。 風に小さくそよぐ絨毯の隙間から、優しく柔らかい陽光が降り注いでくる。 初めてフォレスの森に来た時と同じ感覚だった。 空気の気持ちよさと、木漏れ日の暖かさ。 もっとも、仲間が増えた分、背中に感じる暖かさは当時とは比べ物にならないが。 一昨日からフォレスの森に入り、一昨日は野宿、昨日はポケモンセンターで宿泊した。 久々の野宿では、焚き火を囲んでみんなで談笑に耽った。 和気藹々とした雰囲気に引きつけられてか、野生のコラッタやキャタピーが茂みから顔を覗かせたりもした。 ポケモンセンターでは、アーサーが思いのほか大食らいだと分かって驚いた。 しなやかな身体つきから、あまり食べないのだろうと思っていたが、アーサーの食欲はアカツキの想像を遥かに超えていた。 一度に恐ろしい量の料理を平らげてしまうアーサーの食欲には、アカツキだけでなく、ポケモンたちも驚愕を禁じ得なかった。 ネイトまで、目を丸くしていたほどだ。 旅に出て初めて、分かることもある……だから、じっとしてなんていられない。 「ベイ、ベイっ♪」 「キキキッ」 「ごぉん……」 背後で、リータたちがなにやら騒いでいる。 鳴き声だけでも何を話しているのかは想像がつく。 どうやら、旅に出られてうれしい……といったような話をしているようである。 リータが『外の空気は気持ちいい。やっぱり、生まれ育った場所の空気はたまらない』と言うと、 アリウスが『やっぱそうだよな♪』と乗り、ライオットが『砂漠しか知らないが、こういう空気も悪くはない』と返した。 アーサーは聞き役に徹しているのか、相変わらず硬い表情を浮かべている。 一方、ネイトは落ち着きなく周囲を見回している。新鮮な空気を満喫しながら、久々に見る森の緑に心を奪われているようだ。 そして、最後に…… アカツキは肩越しにドラップを見やった。 「…………」 アーサーほどではないが、なにやら思いつめたような顔をしている。 落ち着いているように装っているが、内心ソワソワしているのが分かる。 恐らく、アカツキに心配をかけまいと努めているのだろうが、その時点ですでにバレバレだった。 所帯持ちの割には、意外と不器用な性格らしい。 それでも、アカツキはドラップがソワソワしている理由を理解していた。 「オレと出会った場所の近くを通ったし……やっぱ、奥さんとか子供のこととか考えてんだろうな……」 フォレスタウンの後に『忘れられた森』へ行くことを話したわけではないが、薄々感づいているのかもしれない。 ドラップは家族をとても大切に思っている。 ソフィア団のアジトに乗り込むため『忘れられた森』に降り立った後で、偶然、ドラップは家族と再会を果たした。 そこで見せたドラップの表情は、屈強なドラピオンとではなく、子煩悩な父親としての表情だった。 それに、ソフィア団のアジトではダークポケモンと化した奥さんを見て、怒りに我を忘れた。 そんな様子を見れば、ドラップが誰よりも家族を大事に思っていることは嫌でも分かる。 ソフィア団のアジトから逃げ出し、家族のいる場所に戻らなかったのも、家族に迷惑をかけるまいと、断腸の思いで決断したことだった。 だからこそ、アカツキはドラップを家族と会わせてやりたい……一時的であっても、一家団欒の時間を過ごしてもらいたいと思っているのだ。 もしかしたら、そう思っているのが知らず知らずに伝わってしまったのかもしれないが、それならそれで構わない。 「……どーしよっかな……」 いろいろと抱えている問題はあるが、一つ一つゆっくり紐解いていけばいいだろう。 慌てたところで、できることが急に増えるわけでもないのだ。 「ま、今はドラップとアリウスのことを考えりゃいっか」 ネイゼルカップが始まるまでは、この地方を気の向くままに巡ってみるつもりだ。 その合間に、特訓などいくらでもできるし、ポケモンだってゲットしようと思えば可能だ。 何も、焦る必要はない。 「ネイトには、早く元に戻ってほしいんだけどな〜。 それくらいかな、今の心配事って……」 アカツキは相変わらず忙しないネイトに視線を向けた。 せめて、ネイゼルカップが始まるまでには元通りになってほしいものだ。 フローゼルへの進化を控え、実力的にも未知数の部分が否めないが、アカツキのポケモンたちは皆、ネイトをリーダーだと認識しているのだ。 やはり、リーダーがしっかりしてもらわないことには、話にならない。 そのためにも、いろいろと見て回らなければならないだろう。 ネイトだけでなく、アカツキ自身のためにもなる。 まさに一石二鳥だ。 まだはしゃいでいるリータたちの声を聞きながら歩いていくうち、道の向こうにゲートが見えてきた。 くり貫いた木を三つか四つつなぎ合わせてアーチ状にしたゲートは、手作り感が溢れていた。 「やっと、フォレスタウンに着いたな♪」 ゲートから先が、フォレスタウンだ。 初めて旅立った時も、フォレスタウンのゲートを見て、何気に心を躍らせたものだ。 見渡す限りの緑は森に入った時からだが、町に入っても変わらない。 「さて、そろそろみんなにはボールに戻っててもらおうかな」 アカツキはゲートの前で立ち止まると、みんなをモンスターボールに戻すことにした。 町中でポケモンをゾロゾロ連れて歩くのも、目立って仕方ない。 レイクタウンならいざ知らず、他の町では目立つだけでなく、いろいろと厄介ごとを運んでくる結果にもなりかねない。 「ベイっ……」 ――やだ〜。もっと一緒に歩きたい〜。 リータが小声で抗議してきたが、アカツキは口の端に笑みを覗かせながら頭を振った。 「ポケモンセンターだったら大丈夫だからさ。少し休んでてくれよ。な?」 どうやら、町中ではあまり外に出ない方がいいらしい…… アカツキの言葉からそういったニュアンスを感じ取り、リータはそれ以上のワガママは言わなかった。 リータ、ドラップ、ライオット、アリウスの四体を戻し、アカツキはボールを腰に差した。 「外も、なかなか悪くはないな。 それより、ここから先がフォレスタウンという町か」 「うん。森の中にあるなんて信じられないような町なんだぜ」 「なるほど……それは楽しみだな。 それで……ここでは知り合いに会うとのことだったが?」 「うん。世話になった人がいるんだ。あと、アリウスの大事な家族とか」 アカツキの言葉に、アーサーは眉根を寄せた。 世話になった人……それと、アリウスの大事な家族。 どんな連中なのか楽しみだ。 そんな風に思いつつ、アーサーは肩をすくめた。 「そうか……では、私はおとなしくしているとしよう」 「悪いな」 「心にもないことを言うな。おまえが悪いと思う必要はないだろう」 「へへ……」 どこか厳しい口調だったが、アカツキはおどけて笑った。 確かに、本当に悪いとは思っていないが、アーサーには隠し事はできないようだ。 「そんじゃ、行こうぜ」 「ああ」 ネイトとアーサーを伴い、アカツキはゲートをくぐった。 フォレスタウンに来るのは三度目だが、何度来ても、緑あふれる町並みには心が癒される。 町を東西に貫くメインストリートを歩いていくと、次第に民家が増えてきた。 「ほう、これが民家か。驚いたな……」 フォレスタウンは可能な限り開発などにより自然環境に悪影響を与えないよう、地下空間に住居スペースなどを設けてきた。 もちろん、それだけでは限度があるため、木造建築の民家も中には見受けられる。 点在する程度の民家の中でも、太い木の内部をくり貫いて作られたツリーハウスは圧巻だろう。 アーサーはツリーハウスを見て、感嘆のため息をついた。 木をくり貫いた中に居住スペースを設けているのだが、当然それだけでは面積が足りない。足りない分は地面の下で補う。 森の自然を可能な限り破壊しないように工夫を凝らして作られたツリーハウスは、アーサーにとってとても斬新なものだったようだ。 ツリーハウス同士を、丸太と綱で作られた簡易な吊り橋が結んでいる。 アーロンと旅をしていた頃には見られなかった光景に、アーサーは人知れず胸を弾ませていた。 なぜだか分からないが、なんだか面白い。 勇者の従者という立場なら絶対に許されないと思うような気持ちを、今は自然と抱けるのだから不思議だ。 時代の変化というのは、意識まで変えてしまうものらしい。 普段とは打って変わって落ち着かない様子のアーサーを横目で見やり、アカツキは口の端に笑みを浮かべた。 堅物でもこんな表情を見せることもあるのか…… そう思うと、面白くて笑いたくなってくるが、さすがに声を立てて笑ったなら、波導弾がたんまり飛んでくるだろう。 ここはガマン、ガマンだ。 ツリーハウスが建ち並ぶ一画を抜け、左手にポケモンセンターが見えてきた。 町を東西に貫くメインストリートと、フォレスタウンの隠れた名物の一つであるサークルラインが交差する交差点のすぐ傍だ。 この辺りまで来ると、それなりに人手も増えてくる。 レイクタウンよりも人口は少ないが、町の規模も小さいから、人口密度で言うなら大差ない。 「じゃ、まずはポケモンセンターで宿を取らなきゃな」 アカツキはアーサーとネイトを引き連れて、ポケモンセンターに入った。 フォレスタウンは自然が色濃く残った町だが、それゆえにレイクタウンやディザースシティのように町を挙げたイベントなどもない。 立ち寄るのは、フォレスジムでリーフバッジをゲットしようと考えているトレーナーか、各地を点々とする旅人くらいしかいない。 大自然の息吹を満喫しながらポケモンセンターのロビーに足を踏み入れる。 相変わらず、閑散としたロビー。 ポケモンセンターの規模は大きくないが、それ以上にロビーでゆっくりしているトレーナーやブリーダーが少ない。 この分なら、余裕で部屋を確保できるだろう…… 閑散とした状態に感謝しつつ、アカツキはカウンターまで歩いていった。 「ジョーイさん。今晩、泊まりたいんですけど〜」 他の町のポケモンセンターと違い、あまり忙しそうではないジョーイに、声をかける。 アシスタントのラッキーも、他のポケモンセンターと比べると数が少ない。 一大事など滅多に起こらない土地柄ゆえ、それもまたやむを得ないのだろう。 笑顔で話しかけてきたアカツキに顔を向け、ジョーイはいつもの笑みを浮かべて応じた。 「ちょっと待っててくださいね」 壁にかけられている鍵を手に取ると、そっと渡してくれた。 「廊下の突き当たりになります。どうぞ、ごゆっくり」 「ありがとう、ジョーイさん」 アカツキはペコリと頭を下げて、鍵を片手に部屋へ向かおうとしたのだが、ジョーイに言葉をかけられ、動きかけた足を止めた。 「もしかしてキミ、ヒビキさんが関わったドラピオンのトレーナー? どこかで見たような気がするんだけど……」 「……? ドラップのこと?」 なにやらよく分からない言い方だったので、アカツキは振り返りながら、首を傾げた。 そう言われてみると、そんな感じもしないわけではないのだが…… 怪訝な面持ちを見せるアカツキに、ジョーイはさらに言葉を付け足した。 「気を失ってたのかしら。キミ、ドラピオンの背中で寝てたわ。 ……そうね、もう二ヶ月くらい前のことなんだけど。人違いだったら、ごめんなさいね」 「あー、たぶんそれオレ」 二ヶ月前と言われれば、間違いない。 アカツキは小さく頷いた。 フォース団のエージェント・ソウタの襲撃を辛うじて切り抜けた直後、アカツキは安堵のあまり気を失ってしまったのだ。 目が覚めた後で、ドラップの背中に乗って、ヒビキに連れられてポケモンセンターにやってきたのだと聞かされた。 でも、一体それがどうしたというのか? 懐かしいと言えば懐かしいが、取り立てて騒ぐようなことでもない。 「何を言いたいのだ、この女は」 アーサーはそう言いたげな雰囲気を放っていたが、アカツキがそっと手で制した。 会ったことのある男の子が来て、もしかしたら……と思って声をかけただけだろうと思っていたからだ。 「…………あまり大きい声じゃ言えないんだけどね。一応、言っておきたいことがあるの」 しかし、ジョーイの表情が変わった。 いつもの笑みはどこへやら、周囲の様子をしきりに気にして、神妙な表情で、押し殺した声で囁くように言葉をかけてくる。 「この町の中でドラピオンを外に出すのは、やめておいた方がいいわ。 以前はまだ良かったんだけど……今は、ドラピオンを出さない方がいいの。それだけを言いたくて」 「え、なんで?」 アカツキは疑問符を浮かべずにはいられなかった。 ジョーイの様子から察するに、この町の住人にとって、ドラピオンは歓迎すべきポケモンではないのだろう。 それはなんとなく察せたが、今は出さない方がいい……その言い方が妙に引っかかる。 何かあったのだろうかと思ったが、何も言わないことにした。 「うん、分かった。ありがとう」 「それじゃあね……」 アカツキが小さく頷くと、ジョーイは満足したようにホッと胸を撫で下ろし、仕事へと戻っていった。 「…………? 一体、なんだったんだろ」 「よく分からんが……ドラップを外に出さない方が良いということだろう。 アカツキ、ここはあの女の言葉に従った方が良さそうだな。癪だが、止むを得まい」 いそいそと忙しく働き出すジョーイの背中を見やり、アカツキは釈然としない何かを感じていた。 しかし、アーサーも同じことを考えていたようで、アカツキとネイト以外の耳には届かないような小声で付け足してきた。 「そうみたいだな……何がどーなってんだか……」 よく分からないが、ジョーイの言葉に従うのが得策だろう。 彼女は恐らく、善意で言葉をかけてきたのだ。ドラップと関係があるのかと訊ねてきたのも、忠告をするためだろう。 でも、何がなんだかよく分からない。 ヒビキやミライに訊ねれば、分かるだろうか……? フォレスタウンで三十年ほど前に起きた事件を知らないアカツキには、この町の住人にとってドラピオンが疫病神でしかないなどとは考えられなかった。 三十年ほど前、北の方からやってきたドラピオンの群れが、町の農作物を食い荒らすといった出来事が頻発していたそうだ。 一番近い町はレイクタウンであり、住人は基本的に自給自足の生活を営んでいたため、農作物を食い荒らされれば、それだけで死活問題になりかねない。 住人は一致団結してドラピオンを追い払おうとしたが、ドラピオンは獰猛な種族であり、イタチゴッコが長く続いた。 そんなある日、町の子供が一人、姿をくらましてしまった。 数日後、その子供は森の中で変わり果てた姿となって発見されたが、 状況から見ればドラピオンがエサ代わりにさらって殺したとしか思えなかったため、今までは追い払うだけで良しとしていた住人たちの怒りが爆発した。 ……否、怒りなどという生温いシロモノではなかっただろう。親しい人間を奪われた憎しみと言った方が正しい。 そんな事件があったものだから、住人たちは町を挙げてドラピオンの駆逐に乗り出した。 子供をさらってエサにするような悪魔には何をしてもいいのだと言わんばかりに、いろんな方法を用いて、ドラピオンを北の山脈へと追い返した。 ポケモンで対抗するなどまだ可愛い方で、爆弾や銃器まで登場した。 尻尾を巻いて逃げ出すドラピオンはまだ幸せだった。 抵抗するドラピオンなど爆弾や銃器の餌食になり、命を奪われたドラピオンは三十体近くに上ったという。 それ以来、フォレスタウンの住人にとって、ドラピオンは恐怖の象徴となっている。 その時の恐怖を引きずった子供が大人になり、子供におとぎ話を聞かせるように、ドラピオンの恐怖を話すのだ。 この町の出身であるミライもまた、アカツキと旅をするまではドラピオンに対していい印象を抱いていなかった。 期せずして親から植え付けられた先入観は、そう容易く取り払えるものではない。 増してや、考え方を改めるのが難しい大人なら、なおさらだ。 そんな経緯があったことさえ、アカツキは知らない。 もし仮に知ったとしても、ドラピオンという種族に対する考え方は変えないだろうが。 そんな町の事情など露知らず、アカツキはアーサーとネイトを連れて部屋へと向かった。 とりあえず、宿も確保できたことだし、荷物を置いて、ヒビキに会いに行ってみよう。 フォレスタウンに戻っているなら、ジムにいるはずだ。 ジョーイに言われたとおり、廊下の突き当たりの部屋に入り、ベッドに腰を落ち着けた。 「…………」 リュックを枕元に置いて、アカツキは仰向けに横たわった。 木目調の天井をじっと見上げながら、ジョーイに言われた言葉の意味を考えてみた。 「…………」 「……気になるのか?」 アカツキの気持ちを瞬時に察したアーサーが、声をかけてくる。 「うん。あんな言い方されちまったら、気になっちゃうよ」 「まあ、そうだな」 当然と言わんばかりに口を尖らせるトレーナーに、アーサーは目を伏して頷いた。 ジョーイは何を言おうとしていたのか……? 一度はどうでもいいことだと思ったが、ドラピオンという種族のことを話すジョーイの表情は、今まで見たことのないものだった。 ドラピオンが招かれざる客であることを知っていれば話は早いのだろうが、ドラピオンはこの町においてタブー視されている。 誰も、話などしない。 「だが、おまえが気にしたところで仕方あるまい。ドラップには窮屈な思いをさせるだろうが、余計な騒ぎは起こさない方がいい」 「そうなんだよな……それっきゃないんだよな」 アーサーの言うとおりだった。 人生経験が豊富なだけあって、こういう時は的を射た意見を述べてくれる。 本当は違うような気はするが、アカツキは敢えて反論しなかった。 ドラピオンがあまり好まれていないのだとしても、ドラップが悪いことをしたわけではない。 それなのに、窮屈を強いると言うのは筋が違うような気がしてならなかった。 ……無論、それを論じたところでどうになるわけではないと分かってはいるのだが。 「……ま、いいや」 考えなければ答えなど出ないが、今はいくら考えても答えは出そうにない。 ネイトが真上から覗き込んできていることに気づいて、アカツキは考えをさっと振り払った。 「ネイト、退屈してんだろ? そんじゃ、ミライたちに会いに行こうぜ」 ネイトの頭を笑顔で撫でてやり、そっと身体を起こす。 ドラップには悪いが、フォレスタウンにいる間はモンスターボールの中で過ごしてもらおう。 後で謝るしかないが、それはやむを得ないことだった。 恐らくは、アーサーの言うとおり……ドラップを出せば、騒ぎになる。 なぜ、どんな騒ぎになるのかまでは分からないが、余計なトラブルまで背負い込むつもりはないのだから、考えるだけ詮無いことだ。 だったら、さっさとやることをやって、『忘れられた森』へ行こう。 その方が、ドラップも退屈しなくて済むはずだ。 アカツキは早々に部屋を出ると、ちゃんと鍵をかけてから、ポケモンセンターを後にした。 目指すはフォレスジムだ。 二度行ったことがあるから、道に迷うことはない。 自然豊かな町に標識や看板はほとんどないが、 それでも木の立て札にはフォレスタウンの全景が大まかに描かれているから、普通に歩けば迷うこともない。 フォレスタウンが誇る環状の道……サークルラインからフォレスジムへ向かうことにした。 サークルラインはいわば環状線で、町の中央『森の広場』で交差する東西・南北の道の迂回路として設けられたのが原型だと言われている。 今ではサークルと言う呼び名の通り、完全な環状の道として町の重要な道路になっている。 迂回路としての用途が多かったせいか、今まで歩いてきた道と比べると、周囲に民家が少ない。 「静かだな……」 周囲に人の姿がないのを確認してから、アーサーがポツリ漏らした。 「うん。前も似たような感じだったけど……なんか、空気が違う」 アカツキは頷いたが、以前と比べて、張り詰めたような空気を感じていた。 森の空気は新鮮で、思い切り吸い込みたくなる。 だが、それとは明らかに質が違う。 空気の味は変わらないが、含まれている雰囲気が違う……とでも言うべきか。 本当なら「気持ちいい〜♪」と、大自然の息吹を心行くまで満喫するところだが、どこからともなく突き刺すような雰囲気を感じてしまう。 何かと思って周囲を見渡してみたが、傍目には変化らしい変化も見られず、結局は分からずじまい。 「ヒビキさんに聞いたら、分かるかなあ?」 フォレスジムのジムリーダーにして、ミライの父親でもあるヒビキ。 彼は朗らかで人当たりも良い人格者だ。 以前とは違うこの町の『空気』についても、訊ねれば教えてもらえるだろう。 今は、久々に訪れたフォレスタウンの景色を堪能することにしよう。 ネイトはアカツキやアーサーと違って、緑あふれる景色に忙しなく視線を向け、好奇心をむき出しにしていた。 「ま、ネイトくらい大らかに考えればいいんだよな。うん、きっとそうだ」 今考えても分からないことなら、後で考えればいい。 ただそれだけのことを理解するのに、いやに時間がかかる。 きっと、ジョーイから言われた言葉が気になっているだけだろう。 人通りのないサークルラインを歩く。 緩やかな右カーブの先……サークルラインと別の道が交差するすぐ傍に、フォレスジムが鎮座していた。 保護色に塗りたくられた二階建てだが、傾斜のついた屋根には葉っぱの絨毯が敷き詰められている。 森のない場所だったら、建物を覆う木の葉が断熱材として作用し、夏場でも屋内はクーラー要らずという話を聞くが、 この場合は森の中にあるジムであることを強調する意味合いでしかないのだろう。 「やっぱ、変わってねえや」 ジムがそう簡単に変わってもらっても困るが、アカツキは以前と変わらない佇まいのジムを見やり、目を細めた。 外から見る分には、ジム戦を行っている様子はない。 それでも、ヒビキはいつ挑戦者がジムの門を叩いても大丈夫なように、ジム戦で使用するストライクとメガニウムの鍛錬に余念がないのだろう。 しっかり者のジムリーダーの顔が脳裏に浮かび、アカツキは小さく笑みを浮かべた。 「元気にしてるといいんだけどな〜」 何も知らずに――そう、ドラップがアカツキをどう思っているのかさえ知らずにジム戦に挑み、 敗北を喫したことが、ずいぶんと昔のことのように感じられる。 それだけ、あれからいろんなことがあったのだ。 一連の騒動に終止符が打たれ、生まれ故郷に戻ってきたジムリーダーは、以前と変わらぬ暮らしを営んでいるはずである。 アカツキはジムの前で足を止め、扉の傍らに設置されているインターホンのボタンを押した。 お決まりの呼び出し音が周囲に反響しながら、徐々に小さくなっていく。 そんな中、回線を接続する短い音が聴こえ、インターホン越しに返答があった。 「ジムの挑戦者の方ですか?」 初めてこのジムを訪れた時と同じ応対だった。 どうやら、この文言がヒビキなりの流儀らしい。 アカツキは相変わらずだな、と苦笑しながら、インターホンに顔を近づけた。 「ヒビキさん、レイクタウンのアカツキです〜。 今日はジム戦に来たんじゃないけど、入っていいっすか〜?」 声の調子からしても、元気に過ごしているらしい。 一連の騒動では、ジムリーダーを辞して、一人のトレーナーとして裏方に徹してくれていた。 単独行動が可能なのだから、元気に決まっている。 アカツキが言い終えると、ハッと息を飲む音がかすかにインターホンから漏れてきた。 まさか、アカツキが訊ねてくるとは思わず、驚いているようだった。 それでも、ジムリーダーたるもの、狼狽しては示しがつかないと思っているのか、次の瞬間には平然とした声音が返ってきた。 「アカツキ君か。 インターホン越しで話すのもなんだな……今はジム戦をしていないから、入ってきたまえ。 中でいろいろと話をしようじゃないか」 「お邪魔しま〜す」 「今、扉を開けるから。 バトルフィールドの手前、左手の控え室で待っているよ」 言葉が終わるが早いか、扉が左右に開いた。 「んじゃ、行こっか」 「ああ……」 アカツキは淡い緑の照明に照らし出された廊下へ向けて、足を踏み出した。 ヒビキから衝撃的な言葉を聞かされるなどと、その時のアカツキには分かるはずもなかった。 Side 2 単純なつくりのジムで道に迷うことなどあるはずもなく、アカツキはすぐに控え室にたどり着いた。 開け放たれた扉の向こうで、ジムリーダーのヒビキが椅子にもたれかかって、ノンビリしていた。 「ヒビキさん、久しぶりです」 「やあ、元気そうだね」 久々に元気な顔が見られてうれしいのだろう、ヒビキはアカツキを満面の笑みで出迎えた。 アーサーやネイトの姿を見ても表情一つ変えていない。 アカツキのポケモンだから大丈夫だろうと思っているのかもしれない。 かれこれ二ヶ月ぶりになるが、少し面持ちが細くなったというか、やつれた印象を受ける。 ソフィア団との戦いで裏方に徹していたのだと一口に言っても、為すべきことは山ほどあったはずだ。 嫌な顔一つ見せず、それらを処理してきたのだろうから、やつれない方がどうかしている。 それでも、アカツキには彼が元気にしていたのだと分かった。故郷には妻と娘がいるのだ。 「まあ、立ち話もなんだね。座りなよ」 「それじゃ、遠慮なく……」 アカツキは小さく会釈すると、長椅子に腰を下ろすよう促された。 「…………」 アーサーはこういった場所が初めてらしく、しきりに周囲を見回している。しっかり者の割には落ち着きがない。 もっとも、誰だって初めての場所で落ち着いていられるはずもないが。 「おーい、アーサー。早くこっち来いよ〜」 「…………!!」 出し抜けに聴こえた声に、アーサーはアカツキとネイトが長椅子に腰かけているのを認め、慌てて隣に腰を下ろした。 「醜態をさらしてしまった……」 潔癖ではないが、それに近い性根のアーサーは、見ず知らずの他人の前で醜態をさらしてしまったと、後ろめたさ全開の気分だった。 そんなことなど露知らず、ヒビキは朗らかな笑みを浮かべて口を開いた。 「しかし、久しぶりだね。 ノースロード……いや、フォース団のアジトで何日か一緒に過ごして以来かな?」 「うん」 「まあ、あれからいろいろあったって、サラさんから聞いているよ。 大変だったと思うけど、よく乗り越えたね。ミライも、君のことを自慢げに話していたから」 「そうでもないよ。オレだけだったら、絶対乗り越えられなかったもん」 べた褒めだが、アカツキは頭を振った。 端から見れば、確かに大変な出来事が続いて、それを乗り越えたと映るのだろう。 しかし、アカツキ一人の力では、絶対に乗り越えることはできなかった。 当事者が、それを一番、誰よりも理解しているものだ。 ヒビキは、目の前の男の子が一瞬だけ見せた、十二歳という年齢には相応しくないような翳りを帯びた表情に眉根を寄せた。 やはり、言葉にするにはあまりに重たいことがあったのだろう。 大まかなことはミライを送り届けてくれたトウヤから聞いているが、核心部分については曖昧な表現で統一されていた。 それだけでも、十二分にややこしく、言葉にしがたいことがあった……ということになるのだろう。 そんな出来事を、目の前の男の子は仲間たちの力を借りて、見事に乗り越えた。 二ヶ月前とはまるで別人のようだが、当人は恐らく、それを自覚していないだろう。 自分の姿は鏡でしか見られない。 ゆえに、自分自身がどんな風に成長したのか、というのは自分が一番理解できないものなのだ。 ミライが自慢げに話してくれるのも頷けるほどに、アカツキは成長している。 自分の子供でもないのに、なぜだか妙にうれしい気分になる。 ジムリーダーを辞してまで裏方に徹するほどに、彼に肩入れしていたのを今さらのように思い返し、思わず苦笑した。 「それに……」 ネイトの様子が以前と違う。 これもトウヤから話を受けている。 ダークポケモンのくびきから解き放たれても、いきなり元通りというわけにはいかなかった。 無理にリライブを推し進めようとすれば、心に負担がかかる。 最悪の場合は心が砕けてしまうため、無理をさせないよう、アカツキの傍にいることで自然な形でリライブを進行させようとしているのだ。 「まだ、元通りというわけではなさそうだ。 その代わりと言ってはなんだけど……ルカリオか。シンラがダークポケモンにしていたと言うが、まさか一緒にいるなんてね」 以前と違うのは、ネイトだけではない。 ヒビキはルカリオというポケモンを初めて見た。 写真や映像でなら見たことはあるが、実物は初めてだった。 聞いた話だと、波導の勇者アーロンの従者だったルカリオらしいが、シンラがダークポケモンにしてしまった。 それをアグニートという伝説のポケモンが元通りにした……それからはどうなったのか聞いていないが、まさかアカツキと一緒にいるとは思わなかった。 まんまと四天王にいっぱい食わされた気がしてならないが、 ルカリオ――アーサーはアカツキといることを嫌がっていないようだから、こっちの方は解決済みだろう。 となると、やはり…… 何食わぬ顔であれこれ考えていると、アカツキから言葉が飛んできた。 「ミライは元気にしてる? ブリーダーとしてガンバるんだって言ってたけど」 「ああ、元気だよ。 最近はエイパムたちに手を焼いているようだけど……それはそれで楽しんでいるみたいだよ。 妻も、子供が増えたみたいだと言って、エイパムたちに要らぬ世話を焼いている」 「そっか……」 やっと、歳相応の笑みが戻った。 ミライが元気にしていると聞いて、アカツキも安心したようだ。 「ヒビキさんも元気みたいだし、会いに来て良かったよ」 「そういえば、どうしてフォレスタウンに? 僕に会いに来るだけじゃないんだろう?」 「うん、実はね……」 アカツキはフォレスタウンにやってきた目的を簡潔に話した。 ヒビキやミライに顔を会わせるという目的もあるが、一番はミライに引き取られたエイパムたちに、アリウスを会わせようと思ったからだ。 自分の都合もあるが、何よりもポケモンの気持ちを考えた結果であると知って、ヒビキは満足げに微笑んだ。 やはり、この子はポケモンのことをとても大事に考えている…… ミライも旅に出る前と後では別人のように成長していたが、贔屓目を抜きにしても、アカツキの成長度合いは愛娘に輪をかけて高い。 道理で、サラやカナタ、堅物のアズサまでもが肩入れするわけだ。 自分の気持ちを包み隠さず、率直に相手に打ち明ける……それは一見簡単なようで、実はとても難しいことだ。 自分の気持ちを殺してでも実を取らねばならないことが多い大人の世界では、とてもマネできることではない。 「大人になっても、今と同じ気持ちを持ち続けられるかな……? まあ、僕がとやかく言うことじゃないんだけどね」 アカツキは世の中を知らない。 だから、ここまで純粋な気持ちでいられる。 大人の世界は、子供が思っている以上に淀み、汚れ、ドロドロとしているものだ。 今そんなことを話したところで理解できないだろうから、話題にすることもやめておこう。 「ミライには会ったのかい?」 「ううん、まだ。先にヒビキさんに会おうと思って」 「そうか。でも、すぐにここに来るよ。 妻のお手製の弁当を届けてくれるのが日課なんだ。 その時にでも、エイパムたちをアリウスに会わせてあげるといい」 「うん、そうする」 ポケモンブリーダーの勉強を本格的に開始したと言っても、親の手伝いは忘れていない。 ミライも相変わらず元気そうだと分かって、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 思い込んだら……というところがあったから、少しだけ心配していたのだが、その必要もなかったらしい。 ここで待つだけでいいと言うのだから、これ以上に簡単なこともないだろう。 ミライだって、家にエイパムたちを残してやってくるはずもない。 彼女はポケモンをとても大切にする少女だ。風呂やトイレ以外で外出する時には、必ずポケモンたちと共に出歩いているはずである。 一ヶ月と少々、共に旅をしてきたが、それなりに彼女のことは分かっているつもりだ。 「でも、君が元気そうで何よりだ。 そこの、しっかりしたルカリオにお尻を引っ叩かれているのかな?」 「アーサーのこと? んー、しっかり者だけど、融通が利かなくてさ〜」 ――あはははは♪ アカツキとヒビキは声を立てて笑った。 「…………私をネタにするとは。まあ、いい。今回は黙っておいてやろう」 アーサーは正直ムカッとしたが、こんなところで騒ぎを起こすのも気が引ける。 しっかり者と言ってくれたことに免じて、今回は黙っておいてやろう。 融通が利かない……という一言は聞き捨てならなかったが、ここでもし抗議の声を上げようものなら、二人揃って「それ見たことか」と笑うだろう。 さすがに、アーサーとしてもそれだけは勘弁してもらいたいところだった。 勇者の従者をしていた割には、考えていることがチープだが、まあそれは言わない約束だ。 「ま、アーサーはいいヤツだから。 オレよりしっかりしたポケモンだって、いてくれた方が心強いし」 「…………」 アカツキがニッコリ微笑みながら発した一言に、アーサーは思わず込み上げるものを感じずにはいられなかった。 軽薄なだけかと思いきや、本当は常に仲間を大切に思っているのだ。 傍らでなにやら感動しているらしいアーサーの雰囲気を察しつつ、アカツキは寄り掛かってくるネイトの頭を優しく撫でた。 まだリライブは途中段階。 ネイトが元に戻るまではまだ時間がかかり、根気が必要となる。 まあ、それはそれで精一杯頑張るつもりだし、みんなと一緒なら問題らしい問題も見当たらない。 アカツキはネイトがいつの間にやら寝息を立て始めたことに気づき、頭を撫でる手を止めた。 「ネイトのヤツ、疲れてんのかな……」 身体は口ほどにモノを言うのだ。 いくら強がっていても、身体は正直だ。疲れている時は動けないし、休息を求める時は睡魔を揺り起こす。 レイクタウンからここまでの道中、歩き詰めで疲れたのかもしれない。 最近は運動らしい運動もしていないから、以前より体力が落ちているようだ。 それはネイトに限ったことではない。 アカツキ自身も、以前と比べればちょっとしたこと(当人がそう思っているだけで、周囲から見たらかなりの無茶である)でも疲れやすくなっている。 「ま、今のうちに休んでもらった方がいいかもな〜。後で、『忘れられた森』に行かなきゃいけないし」 休める時に休む。 それもまた大事なことだと格闘道場で教わり、アカツキはネイトをそのまま寝かせておくことにした。 少し気持ちが切り替わったところで、思い切って切り出してみた。 先ほど、ジョーイに言われたことを。 「あの、ヒビキさん」 「なんだい?」 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど…… さっき、ポケモンセンターでジョーイさんに言われたんだけどさ。 ドラップを町の中で出さない方がいいって。何かあったのか?」 「…………!!」 「……?」 ドラップを町の中で出さない方がいい。 その言葉に反応するように、ヒビキの表情が一瞬、強張った。 すぐに何事もなかったように朗らかな笑みが浮かぶが、アカツキもアーサーも、彼の表情の変化を見逃さなかった。 「やっぱ、何かあるんだ……」 町を包む空気の『質』が以前と異なっているのも、恐らくは共通した『何か』が原因だろう。 アカツキがじっと視線を向けてきていることに今さらのように気がついて、ヒビキは肩をすくめた。 カンのいいこの男の子のことだから、もしかしたら気づくかも……とは思っていたが。 ジョーイにヒントを与えられていたのなら、気づいて当然か。 小さく息をつき、観念したように口を開いた。 「……今、この町はちょっと大変なことになっていてね」 「大変なこと?」 「ああ。最近、ドラピオンが出没するんだよ、町の近くに」 「ドラピオン……?」 ドラピオンが出没する。 ヒビキの言葉は真実だが、アカツキにはよく分からなかった。 それとドラップを出さない方がいいというのは、どう関係しているのか? 疑問符を浮かべているアカツキに、ヒビキは最近この町で起こっている出来事を掻い摘んで話してやった。 「ドラピオンの群れがね、北の山岳地帯からやってくるんだ。 この町は昔、ドラピオンといろいろあってね……ドラピオンという種族に対して、いい感情は持ってないんだよ。 まあ、それはいいとして。 実は、ドラピオンとスコルピの群れが、農作物を食い荒らすようになったんだ」 ポケモンが農作物を食い荒らすことなど、そう珍しいことではない。 野生動物でさえ同じことをするのだから。 しかし、十日ほど前から農作物が被害を受け始めたとのことで、目撃者によると、犯人はドラピオンとスコルピの群れ。 特に人やポケモンに危害を加えることもないが、農作物を食い荒らしては、満足げな足取りで外に出ていくのだそうだ。 「それって、結構大変なことなんじゃねえかな……」 フォレスタウンは、自給自足で成り立っている町と言ってもいい。 それくらいはアカツキにも分かっていたので、農作物を食い荒らされることの意味は十分に理解できた。 ドラピオンという種族に対してあまりいい感情は抱いていないのだろうが…… 「それだけなら、まだいいんだよ」 ヒビキはため息などつきながら、頭を振った。 ジムリーダーらしからぬ弱気な態度に、アカツキはこの問題の根深さを見たような気がした。 農作物だけなら、まだなんとかなる。 余所から仕入れれば、それで済むからだ。 しかし…… 「問題は、ドラピオンたちに対して、町のみんなが過剰に反応するんじゃないかってことなのさ」 ヒビキは頭痛の種を、アカツキに打ち明けた。 ソフィア団の一件もあって、自分の半分も生きていないような男の子でも、信頼に足る人物だと思っているのだろう。 「…………」 「なんか、嫌だなぁ」 ヒビキの言いたいことは、よく分かった。 今はまだ農作物が被害を受けている『だけ』で済んでいる。 それでも、この町の住人からしてみれば、面白いはずがない。 ただ黙って手をこまねいて見ているのにも、限度があるだろう。 そして、限度を越えて噴火したら…… もしそれがもっと先のことだとしても、ちょっとしたことで人は過剰に反応してしまうものだ。 「まあ、君が背負い込む問題じゃないさ。 僕が片付けなければならない問題だからね……ジムリーダーであり、森林保護官の僕が責任を持って処理しなければならない」 「…………」 ヒビキはアカツキが眉間にシワを寄せているのを見て、軽い調子で言った。 この町の住人でもないのに、首を突っ込もうと思っているのがバレバレだったからだ。 「ドラピオンを仲間として連れ歩いているから、なおさらドラピオンが悪く思われるのが嫌なんだろう……」 ドラップが何かをしたわけではない。 だが、人はそんな簡単に割り切れるほど、単純な思考回路を持っていない。 ドラップであろうとなかろうと、『ドラピオン』という種族で一括りに見てしまう。 怒りで正常な判断力が期待できないような現状では、なおさらだ。 「聞いちゃったし、なんにもしないでドラップの家族に会いに行くわけにはいかないよな……」 ドラップを出さない方がいい理由は分かったが、それだけではやはり釈然としない。 ドラピオンが農作物を荒らしている理由も気になるし、何より…… 「なんか、嫌な感じがするんだよなあ……」 住人がドラピオンに対して強硬手段に打って出たとしたら、とんでもないことになる。 三十年前の事件を知らないアカツキでも、このまま行けば面白くない騒動になるであろうことは想像に難くなかった。 そうなると分かっていて、この町の住人ではないからという理由でスタスタ立ち去ってしまうのも、気が引ける。 「……アカツキ」 アーサーはチラリとアカツキの顔を見やった。 関係ないことではあるが、当人は関わる気満々だ。 こうなったら、トコトンまでやりつくさないと気が済まないのだろう。 「長引けば長引くほど感情も悪化するだろうし、ややこしいことになりかねない。 だから……僕は、ポケモンを使って彼らを追い払うことにする」 「…………!!」 出し抜けに、ヒビキの決意に満ちた声が室内に響いた。 声量自体はそれほどではなかったが、それ以上に迫力が満ちあふれていた。 ジムリーダーとして……あるいは、森林保護官としての責任を果たそうとしているのが見て取れる。 「ヒビキさん、町の人がちょっかい出す前に、自分でちょっかい出して追い払おうとしてるんだな……」 端整込めて育てた農作物を食い荒らされ、住人の苛立ちは日々高まっているだろう。 いざ苛立ちと怒りが爆発したなら、歯止めが効かなくなってしまうことも考えられる。 だから、ヒビキは自分が先に手を出すことでドラピオンたちを追い払い、住人が余計な手出しをせずに…… ドラピオンたちを傷つけずに済むように仕向けようとしているのだ。 ジムリーダーなら、ドラピオンたちを『必要以上』に傷つけることなく、彼らを追い払うこともできるだろう。 しかし…… 「なんか違う。 どっちにしたって、ドラピオンたちが傷ついちまう」 思っていたことが口に出てしまったらしい。 言い終えてからはたと気づいて、アカツキは慌てて口を塞いだが、後の祭りだった。 「まあ、そうなるね……」 ヒビキが口元に淋しげな笑みを浮かべながら言った。 「でも、丸く収めるのは無理だよ。ここまで来てしまった以上はね。 ……君はポケモンと心を通わせる天才だと、ミライから聞いた。 だけど、君でも無理なことだよ、今回ばかりは」 ヒビキは断言した。 ドラピオンに対する住民感情の悪化は、もはや歯止めが効かないところまで来てしまっている。 蓄えられた怒りが爆発し、ドラピオンに要らぬ傷を与えないためにも、ヒビキが先頭に立って彼らを追い払わなければならない。 大きな傷をつけられる前に、それより小さな傷をつけて相手を追い払う。 毒を以って毒を制す……に近い考えだが、今回ばかりはそれ以外に手段がない。 この町の住人でもないアカツキに、どうしてそこまで話したのか。 答えは決まっている。 ……信頼できるからだ。 「君は、どんなポケモンとでもすぐに心を通わせられる。 その素質は、嫌でも認めなければならないだろう……だけど、それだけでどうにかできるほど、単純なことじゃない。 三十年前に起きた出来事を考えれば……」 三十年前の出来事は、ヒビキの心にも傷跡として今も残っている。 変わり果てた姿で発見された子供は、彼の友達だったからだ。 住人のドラピオンに対する敵愾心、恐怖心は、三十年前と大差ない。 当時の大人が子供に、成長した彼らが次の世代である子供に、ドラピオンを童話の悪魔のように伝えているのだから。 だから、今回は失敗するわけにはいかないのだ。 もし、住人の怒りが爆発してしまったら……三十年前よりも強烈な敵愾心、恐怖心を煽り立てかねない。 ヒビキはジムリーダーだが――否、ジムリーダーだからこそ、ポケモンに対して偏見は抱いていない。 ドラピオンと一括りに考えることが間違いだとも、分かっている。 人間にだって悪人がいるように、ドラピオンの中には、ドラップのように他者に危害を加えない者もいるのだ。 怒りに駆られた住人たちに口でそれを説明したところで、納得させられるはずもない。 だから…… 「オレ、この町の人じゃないから、こんなこと言っていいのか分かんないけどさ」 「……うん?」 アカツキはしばし考えた後、顔を上げた。 ヒビキが見ていないところで、俯いていたらしい。 「――間違ってる」 キッパリと言い放つ。 ヒビキの目を、まっすぐに見据えて。 「……何が間違ってるんだい?」 まっすぐに……剣のような鋭さを宿した視線をまっすぐに突きつけられ、ヒビキは内心、たじろいでいた。 それを表に出さないよう努めながら、小さく問い返す。 アカツキの言いたいことは分かっているつもりだ。 しかし、今の自分には為さねばならないことがある。 小さなことには目をつぶってでも、実を取らねばならない。 それが、責任ある立場の者が取るべき行動だ。 誰に間違っていると言われようと、今さら取り止めるわけにはいかない。 三十年前の惨劇を繰り返さないためにも。 「結局、ヒビキさんだってドラピオンを傷つけようとしてる。 それしかないのかもしれないけど……でも、話し合う努力もしないでいきなりなんて、オレは考えられない」 「君の言うことは正しいかもしれない。 だけど、それだけじゃ無理だよ。 それとも、君は僕がやろうとしている方法以外で……本当に、言葉だけで彼らを説得し、追い返せるとでも?」 「……分かんない」 理路整然と言葉を突き返され、アカツキは視線を逸らした。 正しい、間違っている――そんな次元で話をすること自体がおかしいのだ。 ヒビキが言いたいのは…… ――関わるのは勝手だが、状況を悪化させるような行動だけは慎め。それができないなら、手を出すな。 当然、そんなことを面と向かって言うような男ではあるまい。 肝心なところで、子供には優しいのだ。 「……ヒビキさん」 「なんだい?」 アカツキはしばらく何か考えていたようだが、不意に顔を向けてきた。 「ヒビキさんがそこまでしてドラピオンを追い返すんだったら、何かあったってことなんだろ? ドラピオンを町中で出すなって…… 農作物食い荒らしてるだけだってんなら、トレーナーがついてりゃ大丈夫って言い張るだけでいいじゃんか。 でも、それでもダメってことは、前にいろいろややこしいことがあったからだと思うんだけど」 鋭い…… 陽気だけど、少し大人びているところがある。 ……しかし、贔屓目を差し引いても、アカツキはそこらの男の子と比べて数倍鋭い感性の持ち主のようだった。 考え込んでいるように見えたのも、今まで集めた情報を分析していたのだろう。 「…………」 ヒビキは黙り込んだ。 アカツキが単なる興味本位でそんな質問をぶつけてきたわけではないことは承知している。 だからこそ、素直に三十年前の事件について話していいものかどうか、迷った。 純粋な男の子に、昔のドロドロした事件を話したら、どうなるか。 だが、ここで適当な言葉を返したところで、納得はしないだろう。 「首を突っ込む気でいる人間に、中途半端なことは言えないな……」 ネイゼルカップに出場できるだけの実力があるなら、手伝ってもらうのもいいかもしれない。 「君にとって、あまり気分のいい話にはならない。 君のことだ……話を聞けば、引き返そうなんて思わないんだろう。 今ならまだ引き返せる。どうする?」 「引き返すつもりなんてないって。 ドラピオンたちを傷つけないで済む方法なんて、あるかどうか分かんないけどさ……でも、傷つけるのは嫌だな。 オレ、頭悪いから……何もしないで逃げるってこと、考えられねえんだよ」 「そうか……」 要らぬ世話だったらしい。 照れ隠しに小さく微笑みながら言う男の子の決意は、ホンモノだろう。 だったら、話さないわけにもいかないか。 「ならば、心して聞いてもらいたい」 ヒビキの凛とした声音に、アカツキは背筋を伸ばした。 「三十年前、この町でとある事件が起こった。 それを、君に話そう」 その事件で友達を亡くした彼の口から、重苦しい内容の事件が語られた。 To Be Continued...