シャイニング・ブレイブ 第21章 予期せぬ転機 -Needing and Holding-(3) Side 4 「ばっきゃろー!!」 ありったけの怒りを込めて、アカツキは叫んだ。 同時に、鋤でドラピオンに襲いかかろうとしていた先頭の住人をアッパーで吹っ飛ばす。 ……鼻差で戦闘だったのが、何よりの不幸だったのかもしれない。 いや、まさか男の子に攻撃されるなどとは夢にも思っていなかったに違いない。 「ぐげふぅ……!?」 顎に渾身のアッパーを食らい、住人は仰向けに倒れると、泡を吹いた。 両者の勢いが乗ったアッパーは、すごい威力を発揮したようだ。 「……なっ……何をするんだ!!」 アカツキに攻撃されるとは露ほども思っていなかった住人たちは、困惑に立ち尽くすしかなかった。 町の疫病神であるドラピオンを追い払おうとしているだけなのに、どうして攻撃されなくてはならないのか。 信じられない気持ちでいっぱいだったのだ。 町のために、ドラピオンには消えてもらわなければならない。 心からそう思っている住人たちには、アカツキの行動はまるで理解できなかった。 なぜなら、住人たちが叩きのめそうとしているドラピオンの一体は、アカツキのドラップなのだ。 それを知らないのだから、無理もないのだが…… 「なんでこいつらの言い分も聞かないで追い払おうとするんだよ!! ピストルなんて持ち出すなっ!!」 アカツキは怒りに顔を染め、声を荒げた。 単なる子供……と思うのを躊躇わせるような迫力に、住人たちは思わず一歩、後ずさりしてしまう。 「…………」 アカツキが何をしようとしているのか、ミライには分かっていた。 今の自分が何をすべきなのかも分かっているのに、声が出ない。なぜか、息が詰まりそうなほどに、胸が苦しい。 「傷つけなくたっていいじゃんか!! 昔、エラい目に遭わされたって聞いたけどさ!! 昔は昔で、今は今じゃん!! 危害を加えられたわけでもないのに、なんでそうやって暴力で追い払おうとするんだよ!!」 昔は昔で、今は今。 確かにその通りだが、一度植えつけられた恐怖心や敵愾心は、ちょっとやそっとのキッカケでは払拭できない。 住人のほとんどは、アカツキのことを何も知らないくせに口が達者なガキだと思った。 ドラピオンによってこの町がどれほどの打撃を受けたか……それを知らないから、軽々しく正義感に駆られた言葉を口にできる。 暴力はいけないことだと分かっていても、町のためだという大義名分をくっつけるだけで、容易く容認できてしまう。 「坊主、そこをどけ!! おまえがポケモンを大事に思う気持ちは分かる!! でもな、こいつらは別なんだよ!!」 ラピッドファイアを手にした住人が、声高に叫ぶ。 その銃口が、ドラップに向けられる。 彼らからすれば、ドラップもドラピオンも同じ。どちらも排斥すべき相手なのだ。 「……っ!!」 いくらドラップでも、銃で撃たれればただでは済まない。 アカツキはとっさにドラップの前に立ちはだかった。 小柄なアカツキの身体では、ドラップを銃の脅威から完全に守ってやることはできないが、それでも弾除けにはなる。 「おい……!!」 「ごおぉぉぉっ……」 アーサーはアカツキが身を挺してドラップを守ろうとしているのを見て、目を剥いた。 ドラップは痛々しげな声を上げて、アカツキにそこを退くように言った。 なぜこんなことになったのか……それは分からないが、危険な状態にあるのは間違いない。 「こいつらが三十年前、この町にしたことを知っているか!? 町の子供を殺したんだよ!! そんな連中に土足で踏み込まれて、黙っていられるものか!! 坊主、もう一度言うぞ!! そこをどけ!!」 「ふざけんなよ!! 誰がどくか!!」 アカツキは強気に返した。 銃で脅されようが、構うものか。 どうせ、撃てはしない。 ドラップを撃とうとして、誤って人間の子供を撃ってしまったとなれば、大問題だ。 ドラピオンが元凶だと分かれば、ポケモンリーグだって介入してくるだろう。 さすがにそこまでは分かっていないようだが、住人は引き金にかけた人差し指を一ミリも動かせなかった。 住人の一人が先ほど鮮やかなアッパーを食らったのを見て、そしてドラピオンたちが敵意を膨らませているのを感じてか、 住人たちは縫い止められたようにその場から動かなかった。 「こいつらは……オレのドラピオン――ドラップに会いに来ただけなんだ!! そりゃ、食料を探して、あちこち荒らしたかもしんないけど!! でも、誰も傷つけちゃいないんだ!! それなのに、なんでそんな物騒なモン持ち出して、傷つけようとするんだよ!!」 「そのドラピオン、坊主のポケモンか……!! なら、そいつは見逃してやる。 だけど、そっちはダメだ!!」 ラピッドファイアの銃口が、ドラピオンに向けられる。 足元のスコルピに向かないのは、スコルピはまだ別だと思っているためか……それは分からなかったが。 トレーナーがついているドラピオンなら、悪さをしないから問題ない。 だけど、野生のドラピオンは悪さをするから許さない。 そんなの、アカツキにとっては言い訳以外の何者でもなかった。 「バカっ!! ポケモンに野生もトレーナーがついてるのもあるかっ!! オレたちにやる気なんてなかったけど、原因作っちまったのはオレたちなんだからさ!! 追い出すんだったらオレたちだけでいいだろ!?」 「…………っ!! そ、それは本当なのか!?」 「ホントだって!! こいつがそう言ってたんだから!!」 アカツキが感情を剥き出しにして怒鳴ると、住人たちは思わず怯んだ。 今がチャンスだと思ってさらに言い募ったが、さすがにこの言い方はまずかった。 「なにっ!? ポケモンの言葉が分かるはずあるまい!!」 人間とポケモンは違う言葉を用いている。 中にはアーサーのように、人の言葉とポケモンの言葉、その両方を操れる者もいるが、 それは圧倒的少数であり、世間一般にはほとんど認識されていない。 だから、ラピッドファイアを構える住人の一言は言い訳でも何でもない――純然たる『真実』だった。 まさか、アカツキがポケモンと完全な形で意思疎通を図れて、言葉もある程度分かるなどという想像が働くはずもない。 「嘘だ、嘘に決まってる!!」 「ドラピオンをかばうなんて、何考えてんだ!!」 口々に、住人たちはアカツキを罵った。 「……あっ…………」 普段は気の優しいおじさんなのに、ドラピオンが絡むと、こうまで変わってしまうものか。 大人の醜い一面を突きつけられ、ミライは足腰が砕け、その場に座りこんでしまった。 「あ、アカツキは悪くないのに……」 アカツキは悪くない。 むしろ、ドラピオンたちを安全な場所に避難させようとしていた。 それなのに、どうして口汚く罵られなければならないのか。 大人たちが、アカツキの言葉を頭ごなしに信じられないのは分かる。 しかし、だからといって町の外からやってきた男の子に「さっさと出て行け」だの、 「そいつらを差し出せば許してやる」だの、好き勝手な言葉を並べ立てている。 「わ、わたし、どうしたら……」 分かってはいるのだ。 何を言われても反論せず、じっと上目遣いで大人たちを睨みつけているアカツキの毅然たる表情。 本当なら、ここでアカツキの弁護をすべきなのだ。 ミライの口から話せば、きっと分かってくれる。 すぐには無理でも、父でありジムリーダーでもあるヒビキを通せば、必ず分かってくれる。 それなのに…… 「怖いんだ、わたし……」 気づかないうちに、膝が笑っている。 震えが、膝から背中を通じて全身に広がっていく。 今まで、優しいと信じていた大人たちが、手のひらを返したように、アカツキを罵っている。 ――ドラピオンたちがやってきた原因を作った。 ――とんでもないガキだ。さっさと叩き出そう。 「やだ……」 こんなの、見たくない。 いっそ、目の前の光景を忘れられたら、今すぐ逃げ出せたら。 逃げたい気持ちでいっぱいだった。 見たくないものを見て。何もできない自分に苛立って。 ミライは固く目を閉じた。 大人たちの言葉はエスカレートし、アカツキを強引に押し退けてでもドラピオンたちに危害を加えるのも、時間の問題だ。 アカツキは何も言い返さず、ただ静かに佇んでいる。 敵意と侮蔑を込めた眼差しで……十二歳の男の子とは思えない、歳を取った眼差しで、大人たちを冷ややかに見ている。 正直、アカツキの心の中はカラッポの状態だった。 こんなバカな大人たちのために、ドラピオンは今まで傷つけられ、虐げられてきたのか。 三十年前……本当は何があったのか。 そんなのは知らないし、今さら詮索しようとも思わない。 ……が、目の前の大人たちは対話という手段を捨てて、最も手っ取り早く、最も相手を傷つける方法しか見ていない。 カラッポの心に、怒りと虚しさが入り混じった液体が注がれる。 言うまでもなく、その液体は沸々と煮えたぎり、蒸気が立ち昇っている。 「ポケモンを連れてるけど、一人っきゃいねえんだ!! みんな、やっちまえ!!」 ラピッドファイアの銃口をドラピオンに据えたまま動かない住人の言葉に、周囲が一斉に動いた。 アーサーとネイトは頭数に入っていないらしく、彼らが何をするかも考えずに、ただ目的を果たすという理由だけで動いていた。 「このクズどもが……」 アーサーは胸中で忌々しげに吐き捨てた。 昔にも似たような人種はいたが、当時の連中に比べれば、まだ可愛い方だ。数の暴力を味方につけなければ何もできないような臆病者。 そんな連中に、アカツキを傷つけさせはしない。 アーサーは気を集中させ、最大パワーの波導弾を放とうとしたが、視界が捉えた前方より、後方から襲ってくる住人たちの方が早かった。 「……!?」 気づいた時には、アカツキがドラピオンの背後に回り込み、鋤を振り上げた住人の前に立ちはだかった。 本当は……人間に対して暴力など振るいたくない。 増してや、格闘道場で培った力を人間に向けるなど、本当はもってのほかだ。理由の如何を問われることなく、破門を言い渡されてもおかしくない。 しかし、今のアカツキには守るべきものがあった。 ドラップの大切な仲間である、ドラピオンとスコルピたち。 彼らは確かに、町に侵入した。農場の農作物を食い荒らし、被害を与えた。 しかし、それ以上のことはしていない。人間に危害など加えていない。 それなのに、三十年前のことを持ち出して、傷つける理由を強引にでっち上げて、当時のウサを晴らそうとしているかのような身勝手な住人たち…… そんな相手に、遠慮など無用だった。 アカツキはアカツキの信じる『正義』のために、普段は決して表に出さない力を惜しげもなく披露した。 武器など持っていても、所詮は素人。 鋤を振り上げる腕の角度は甘く、足捌きも成っていない。腹はがら空き。 隙でない場所を探す方が難しいような有様だが、そんなことはどうでもいい。 アカツキは群がってくる住人たちを片っ端から殴り倒した。 あっという間に乱戦になったが、前方はアーサーが手際よく片付けている。 パァンッ!! ラピッドファイアが火を噴いた。 アーサーの獅子奮迅の勢いに怖気付いて、とっさに引き金を引いてしまったようだが、銃口から放たれた弾がアーサーに命中することはなかった。 寸前で、アーサーがサイコキネシスを放ったからだ。 宙に縫いとめられた弾丸は突然その方向を変えて、近くの木の幹に突き刺さった。 「なっ……!?」 サイコキネシスの恐ろしさは分かっているのだろう。 銃を構えた住人の顔が見る間に蒼ざめていく。 アーサーが繰り出したサイコキネシスに戦いて、前方は総崩れになった。 いくら優れた武器を手にしようと、人間が生身でポケモンに勝てるはずがない。 サイコキネシスで武器をその場に縫い止められてしまえば、残りは自らの身体を武器にして戦うしかないのだ。 「ふん、他愛のない…… 私に傷を負わせたいなら、もう少しマシな腕を持って来い!!」 言葉にこそ出さなかったものの、アーサーは気合と共に波導弾を放ち、住人たちを吹き飛ばした。 もちろん、直撃はさせていない。 生身の人間に直撃させれば、骨折などでは済まない。 だから、眼前の地面に炸裂させ、衝撃波で吹き飛ばしただけだ。 「さて、残りは……」 アカツキのリクエスト通り、傷つけずに戦意を喪失させた。 残りは後方だが…… アーサーが振り向いた時だった。 「……!?」 何人目かの住人を拳で黙らせたが、崩れ落ちる仲間の後にピッタリくっついていた別の住人への対応が遅れてしまった。 その住人が振り下ろした三つ又の農具の先端が、アカツキの右肩に食い込んだ。 「いてぇっ!!」 骨まで響くような鋭い痛みに、アカツキは悲鳴を上げた。 いくら格闘道場で鍛えられていると言っても、まだまだ身体は未完成なのだ。 痛いものは痛い。 「ごぉぉっ!!」 アカツキがバランスを崩して転倒しそうになるのを見て、ドラップが悲鳴を上げる。 ここで自分たちが手を出したら、アカツキとアーサーの立場がなくなってしまう。 本当は共に住人たちを叩きのめしてやりたい気持ちでいたが、グッと堪えるしかなかった。 しかし…… アカツキが左手で抑えた右肩から、血がにじみ出ているのを見て、ドラップは怒りに猛った。 大事なトレーナーに危害を加えるとは……許すまじ!! だが、ドラップが動くよりも早く、アカツキに傷を負わせた住人が吹き飛んだ。 強烈な攻撃を受け、近くの木の幹に背中から叩きつけられて、白目を剥いた。 「……!?」 住人を吹っ飛ばした者を見て驚いたのは、アカツキだけではなかった。 アーサーも、ドラップも同じだった。 金槌で頭を殴られたように、思考が麻痺する。思わず何も考えられなくなっているところに、 「ブイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」 怒声が響き渡った。 住人を吹き飛ばしたのは、ネイトだったからだ。 怒りを露わに、腰が引けている住人たちを睨みつけている。 「ね、ネイト……!?」 ダークポケモンにされ、自己表現ができなくなっていたはずのネイトが、怒りを露わにしているではないか。 突然の変化に、アカツキは傷を負った右肩を押さえながら、ただ呆気に取られるしかなかった。 「ブイっ!!」 ネイトは再び嘶くと、跳躍した。 そして二股の尻尾を高速回転させ、ソニックブームを放った。 次々と襲いかかる無色の衝撃波を避けられるはずもなく、住人たちは片っ端から吹き飛んだ。 まるで、木の葉が風に吹かれて飛んでいくかのように。 一昔前に流行った映画で『見ろ、人がゴミのようだ!!』と、偉い人が笑いながら語るシーンを髣髴とさせる。 「……!!」 轟音と共に吹き飛ぶ住人たちを見て、アカツキはハッと我に返った。 「ネイト、やめろっ!!」 手出しはされたが、不必要に相手を傷つけることは望んでいない。 ネイトはひたすらソニックブームを放って、一度のみならず、三度も四度も住人たちをふっ飛ばしている。 正当防衛の範疇を明らかに越えていた。 「もういい、やめるんだ!!」 アカツキはズキズキと痛む肩に顔をしかめながらも、ネイトに向かって叫んだ。 「……!!」 トレーナーの声が届いてか、ネイトは攻撃を止めた。 「うぅ……」 「い、痛い……」 軽やかに着地すると、ソニックブームを連打で食らって立ち上がれない住人たちの呻き声が小さく響いた。 「ブイっ……」 ネイトは彼らを一瞥し、小さく嘶いた。 いい気味だと言わんばかりの口調だ。 前方はアーサーが、後方はネイトがそれぞれ住人たちを無力化してくれた。結局は傷つけてしまったが、これでドラピオンたちを逃がしてやれる。 「今のうちに逃げるんだ。早く!!」 先ほどから、派手な音を響かせてきた。 ヒビキがこの騒ぎを聞きつけてやってこないとも限らない。 早いうちに逃げてもらわなければ…… アカツキに続き、ドラップが口添えをしたおかげで、ドラピオンはスコルピたちを連れて、横手の茂みへ入っていった。 「ふぅ……」 これで、ドラピオンたちは無事に住処に戻れるだろう。 アカツキは肩を傷つけられたことも忘れて、胸を撫で下ろした。 とりあえず、目的は果たせた。 他のドラピオンたちがどうなったかは分からないが、一体でも逃がせたのは成果と言えよう。 ドラピオンたちの気配が遠のいたのを確認してから、アカツキはネイトに向き直った。 「ネイト……」 怒りに満ちた声を上げ、容赦なく住人に攻撃を加えたネイト。 とても、自己表現のできない状態で放った攻撃とは思えなかった。 投げかけられた声に、ネイトはゆっくりと振り返った。 「ブイっ……ブイブイっ」 ――大丈夫? 心配そうに見上げてくる表情には、憂いの色がありありと浮かんでいる。 「ネイト、おまえ……」 アカツキはハッとした。 これで気づかなかったら、単なるバカだ。 「おまえ、元に戻ったんだな……?」 膝を折ると、ネイトはすぐにやってきた。 間違いない。 目の前にいるのは、いつものネイトだ。ダークポケモンにされる前と変わらない、アカツキが何年も一緒に過ぎてきたネイトだ。 それが分からないほど、耄碌したつもりはないし、疲れているつもりもない。 「そっか、良かった……」 アカツキは傍にやってきたネイトをギュッと抱きしめた。 温もりも、以前と変わらない。 「ブイブイっ、ブイっ……」 「うん……オレも。 やっと、前と同じようにガンバれるな」 「ブイっ」 その温もりに心を埋めながら、アカツキはネイトと会話を交わした。 ずっと一緒にいるのが当たり前だと思っていた。 まさか、こんな風に「久しぶりの再会を果たした友人」のように抱きしめてやるなんて思わなかった。 だから、喜びも一入だった。 いつになったら心の扉を開いて、元に戻るのか分からなかった。 漠然とした不安が根底にあった分、反動も大きいのだろう。 ネイトも、不安で仕方なかったようだ。 言いたいことはあるのに、身体が気持ちに反応してくれない。 表情にも、言葉にも出せず、アカツキに気持ちが伝わらないもどかしさ。 うれしいことも不安なことも、みんなひっくるめて共有したいのに、それができなかった期間、退屈で退屈でたまらなかった。 「ブイっ……」 新しい仲間――アーサーとも、満足にコミュニケーションを図れなかった。 小さな足音を立ててやってきたアーサーを見やり、ネイトは左の前脚を挙げてみせた。 「うむ……」 アーサーも、ネイトの雰囲気が明らかに変わったことに気づいていた。 ネイトからのアクションに、小さく頷く。 「なるほど、これが普段のネイトか……トレーナーと同じではないか」 今は再会の喜びで曇っているが、アカツキと同じように明るく人懐っこく陽気な人柄なのは間違いない。 「でもさ……なんでいきなり元に戻れたんだ?」 アカツキはネイトを抱きしめるのも程々に、アーサーに訊ねた。 ポケモンのことはポケモンに聞いた方が早い。 それに、アーサーならポケモンの心理状態を『波導』という形で窺い知ることができるのだ。 これでも、ルカリオというポケモンのことは調べてきたつもりだ。 アカツキの言わんとしていることを察してか、アーサーが口を開いた。 「おまえが傷ついたのを見て、怒りを爆発させたのだろう。 その勢いを利用して、心の扉を強引に開け放ったようだが……ふむ、特に異常らしい異常も見当たらない」 「そっか……オレのために怒ってくれたんだ……」 「ブイっ」 ――当然だろ? ネイトは腰に前脚を宛がい、得意気な表情で鼻を鳴らした。 「ありがとな、ネイト」 肩はズキズキ痛むし、血は出ているし……端から見るとかなり大きなケガに見えるが、実際は、大したケガではない。 大切な人を傷つけられた怒りで、ネイトは心の扉を内側から強引に開いたのだ。 痛いことは痛いが、その代わりにネイトが戻ってきてくれた。 割に合いすぎている気がしないでもないが、やっぱりうれしかった。 「……アカツキ、大丈夫?」 あらかた片付いたところで、先ほどまで動けずにいたミライがやってきた。 「うん。ミライも無事で良かったよ。 アーサーの攻撃の巻き添えを食らってないかと思って心配したけど」 「わたしは大丈夫。 ……言い方は悪いけど、みんなが盾になってくれてたから」 ミライは申し訳なさそうな表情で、アーサーに吹き飛ばされて、いつの間にやら気を失っている住人たちを見やった。 結果論で言えば、彼らが盾になってくれたおかげで(もっとも、当人たちにその気はなかっただろうが)、かすり傷一つ負わずに済んだ。 「…………それより、肩のケガ、大丈夫?」 白目を剥いて失神している住人たちを見ているのも辛くなり、ミライは改めてアカツキの肩を見やった。 先の尖った鋤で肩を突かれたため、白いシャツの肩口は真っ赤に染まっていた。 「うん。これくらい平気平気♪ ネイトが戻ってきてくれたから、そんなに気になんないや」 アカツキは肩口に視線を少し向けたが、すぐにニッコリ微笑んだ。 ネイトが自分から心の扉を開いて、戻ってきてくれたことが本当にうれしくてたまらないのだろう。 「ダメだよ。ちゃんと、手当てくらいしとかなきゃ……」 「え……?」 ミライは強い口調で言うと、肩から提げているバッグから何やら取り出した。 彼女の手に握られているのは、スカーフと傷薬と、なぜだか脱脂綿。 「ほら、傷を見せて」 「あ、うん……」 アカツキはなにやら楽しそうな雰囲気をプンプン漂わせながら詰め寄ってくるミライに困惑しつつも、言われたとおり、シャツの肩口を捲った。 傷口はそれほど大きくなかったが、やはり見ていると痛々しい。 「ちゃんと処置しないと、後でバイ菌が入ったら大変なんだから」 ミライは血で汚れている傷口を見ても眉一つ動かすことなく、平然とした表情で脱脂綿に傷薬を染み込ませると、傷口に宛がった。 「うげっ……!!」 薬が傷に沁みて、アカツキは目を大きく見開いた。 普通に転んで擦りむくのは平気だが、消毒液やら傷薬が傷に沁みる痛みと言うのはどうにも苦手だ。 だが、ミライの言うとおり、早いうちに傷の手当てをしておかなければ、後々厄介なことになりかねない。 ここは彼女に任せるしかない。 一通り薬を塗ったところで、ミライはスカーフを傷口と周囲に巻きつけた。 「はい、おしまい」 「ありがと、ミライ」 「どういたしまして」 ニッコリと微笑みながら、薬と血に汚れた脱脂綿をバッグに仕舞いこむ。 「……良かったね。 ネイトも、戻ってきてくれたみたいで」 「ブイっ」 「当然なんて言ってるよ。でも、そうだよな……ネイトが帰ってきてくれて、ホントに良かった」 アカツキとミライは笑い合った。 こんな風に心の底から笑うのは久しぶりだと思いつつ、ミライの表情はすぐに翳りを帯びた。 「あの、アカツキ……」 「ん、なに?」 辛そうな顔を見せる彼女に、アカツキは訝しげな目を向けた。 ドラピオンを守りながらあれこれやっている間に、ミライが何もできなかったこと…… 彼女が何を考えていたのか分からなかったのだから、怪訝に思うのも無理はなかった。 「ごめんなさい。 わたし、本当はみんなのこと止めなきゃいけなかったのに……何もできなくて……」 言い終えるが早いか、ミライは目を伏せた。 言葉の後半はモゴモゴと、何を言っているかもよく分からないような有様だったが、アカツキはちゃんと聞き取っていた。 どうやら、彼女は「もっと早く止めていれば、アカツキが傷つかずに済んだのではないか……」と、責任を感じているようだ。 だが、そんなのはアカツキに言わせればつまらないことでしかない。 「別に、ミライが悪いわけじゃないじゃん」 努めて明るい口調で、ニッコリ微笑みながら言葉をかける。 ミライが悪いなどと言うつもりはこれっぽっちもない。 彼女は、いつもと違う大人たちの態度に驚いていただけだ。 妙な迫力を漂わせた大人を前に、何もできなかったとしても、それは責められるべきことではない。 「オレがやるって決めたことなんだ。 で、その結果、オレがちょっと痛い思いをした……そんだけだって。 ミライが気にする必要なんて、どこにもないんだけどな〜」 「でも……」 「ネイトだって戻ってきてくれたし、ドラップも傷つかずに済んだ。 それだけでOKってことさ」 「…………」 バカみたいに底抜けに明るく陽気に振る舞えるアカツキの性格を、今ほど羨ましく思ったことはなかった。 アカツキは、ミライが気に病む必要などないと思っている。 無事だったし、弁当箱も今、ネイトが拾って返した。 中身はなくなってしまったが、容器が無事なら、洗ってもう一度中身を詰めればいい。 「……うん、ありがとう」 アカツキが気にする必要はないと言ってくれたのだから、いつまでも引きずっているわけにもいかない。 少しぎこちなかったが、ミライはニッコリ微笑んだ。 問題が一つ解決したところで、すかさずアーサーが話を振ってきた。 「さて、これからどうする? ヒビキというヤツに会いに行くか?」 「うーん、そうだな。そうしよっか」 ……と、アーサーが先ほどなにやら話していたのを思い返し、ミライは躊躇いがちに訊ねた。 「…………あの、アーサーって、しゃべれるの?」 「当たり前ではないか。何を言っている」 「…………」 勇者の従者として世界を回っていたのだ。人の言葉が理解できないようでは何もできないではないか。 アーサーにとっては至極当然のことだったが、ミライにとっては驚愕すべき事態でしかない。 人前ではなるべく話さないようにと言われていたが、ミライが相手なら特に問題ない。 そう思ったから、口を開いたに過ぎない。 「……驚くよな、普通」 「え、ええ……」 アカツキは苦笑した。 ポケモンがしゃべるなんて、普通は考えられない。 アカツキだって、アーサーがしゃべれると分かった時には飛び上がらんばかりに驚いたものだ。 それに比べれば、ミライの反応はまだ穏やかで可愛い方だ。 「まあ、堅苦しいけどいいヤツだからさ。仲良くしてやってくれよ」 「分かったわ」 驚きも程々に、ミライは小さく頷いた。 確かに、険しい表情をしている。 堅苦しいのは見た目だけでなく、雰囲気もそうだろう。ミライでさえ肌で感じるほど、堅苦しいオーラを放っている。 だが、性格を考えればアカツキとアーサーは水と油だ。一緒にいるということは、互いに相手のことを気に入っているからだろう。 「ドラップ、ちょっと戻っててくれよ」 アカツキはドラップをモンスターボールに戻した。 町に入り込んでいた仲間のドラピオンと話をさせるために外に出していたが、 余計な混乱を生まないためにも、当分はモンスターボールの中でおとなしくしてもらうしかない。 「そんじゃ、行こうぜ」 「ええ」 ヒビキに会って、事情を話そう。 何があったのか、報告も兼ねて。 道端には、アーサーの波導弾の余波を受けて吹っ飛ばされた住人たちと、 ネイトの容赦ないソニックブームをまともに受けて吹っ飛ばされた住人が例外なく気絶している。 こんな状況でまともに話などするのは無理だろうし、ヒビキが間に立ってくれれば、ややこしいことにならずに済むはずだ。 アカツキなりに考えて、ヒビキの元へ行くことに決めた。 ただ、それだけのことだった。 Side 5 「そうか、それは大変だったね……すまない。 彼らも悪気があったわけじゃないんだが……君を傷つけてしまったことに変わりはないから……謝るよ」 ヒビキはアカツキから話を聞くなり、頭を下げてきた。 「え、いいよ。別に。 ヒビキさんが悪いわけじゃないし、ケガも大したことないし」 まさかいきなり謝られるとは思わず、アカツキは驚きを隠しきれなかった。 目の前にいるのが並々ならぬ人格者であることは重々承知しているが、いくらなんでもそんなことまで謝らなくてもいいだろうに。 まるで、住人の失態は自分の失態と思っているかのような態度である。 アカツキは肩口を見やった。 先ほど、住人に襲われて鋤の先端が突き刺さってしまった。 痛かったし、それなりに血も流れた。 今は痛みもほとんど気にならないし、ミライがスカーフで止血をしてくれたので、まさか傷を負っているとはパッと見、思われないだろう。 ちょっとシャレたアクセサリにしか見えないのだから、ミライのセンスは際立っているのかもしれない。 アカツキはヒビキと町の中央……森の広場で合流を果たし、そこで自分たちが経験した出来事を簡潔に話した。 ドラピオンたちを町から追い出せたこともあり、落ち着ける場所で話をした方がいいだろうと、場所をフォレスジムに移したのである。 「彼らには、なるべくドラピオンたちを刺激しないように前もって言ってあったんだけど…… やっぱり、三十年前の出来事は、そう簡単に切り捨てられないものなんだよ」 「……そうみたいだね。あの人たちを見てたら、それがよく分かる」 ヒビキが困った顔で、ため息混じりに言うと、アカツキは小さく頷き返した。 フォレスタウンの住人にとって、ドラピオンは悪夢と恐怖の象徴。 得体の知れない相手だからこそ、やられる前にやるという思考が生まれるのだ。やられる前にやってしまえば、以後は恐怖に戦くこともない。 先ほど対峙した住人が見せた『ドラピオン』への憎しみや敵愾心は、並々ならぬものがあった。 三十年前の出来事が、彼らの心に楔を打ち込んでいる。 しかも、三十年という時を経ても、楔は抜かれることなく、打ち込まれたことで生じたひび割れも、修復されていない。 「…………」 アカツキが妙に大人びた表情をしているのを見て、ミライは目を伏せた。 自分よりも子供だとばかり思っていたが、そうでもないのだろう。 感受性豊かな子供は、時折大人をも凌ぐ鋭い洞察力を見せることがあるのだ。 この一件で、きっとアカツキは傷ついただろう。 フォレスジムに向かう道すがら、アカツキはずっと何かを考えているような硬い表情を浮かべていた。 間違いなく何かを考えていたのだろうから、声はかけられなかった。 何があっても明るく陽気……とばかり思っていたから、落差に戸惑いを隠せなかった。 「……ヒビキさんも、みんな追い払ったんだろ?」 「……?」 唐突に投げかけられた質問に、ヒビキは一瞬眉根を寄せたが、アカツキの言葉の意味するところを理解した。 「まあ、追い払ったと言えば、追い払った。 農場の被害は、正直バカにならなくてね。今のところ、収穫量の一割ほどがやられてしまっている。 今はまだいいが、本格的な収穫期に入れば、その程度では済まなくなる。 自給自足が根付いているこの町にとって、農作物の被害というのは、本当に無視できないものなんだ」 後付けの言い訳に聴こえたが、アカツキはヒビキの言葉に脈を探っていた。 「メガニウムとか、ストライクとか……やっぱり、ドラピオンたちを傷つけた?」 「なるべく傷つけないよう、善処はした」 アカツキの鋭い一言にも表情一つ変えず、ヒビキは淡々と返した。 やはり、彼はジムリーダーだ。 普通に切り込んだだけでは、とてもその牙城を打ち崩せない。 だが、同時にアカツキは安心した。 やはり、彼はジムリーダーだ……と。 「君が、ドラピオンたちを傷つけないよう努めるのを知りながら、僕だけガンガン傷つけて追い払おうなんて気には、ならなかったからね」 言い終えると、ヒビキは口の端に笑みを浮かべた。 腕を組み、どこか得意気な表情だ。 「そっか……」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 農場を荒らしていたドラピオンたちも、少なくともヒビキが相手をした分は、不必要に傷つけられずに済んだようだ。 ミライのエイパムたちに移った(と思われる)ドラップの『におい』を辿ってやってきたドラピオンたちに、罪はない。 確かに農作物を食い荒らしたが、それと三十年前の出来事は別なのだ。 それを混同して考えるから、余計にややこしいことになる。 ヒビキはそれを理解していた……アカツキは今までの会話から、ヒビキがこれからどうするつもりなのか悟っていた。 「ニードルブレスとかで驚いて逃げてくれたドラピオンやスコルピは傷つけていない。 それでも臆せず向かってきたドラピオンたちは、ちょっと傷つけてしまったけれど……それだけだよ」 「ありがとう、ヒビキさん」 「君が礼を言うことじゃない。 ……正直、僕が君に礼を言わなければならないところなんだよ」 「えっ?」 驚くアカツキに、ヒビキは「やれやれ……」と言わんばかりに笑みを深めた。 「君は、相手が誰であっても、なるべく傷つけないように済まそうと思った。 君がドラピオン……ドラップを仲間にしていなかったとしても、それは同じだっただろう。 相手のことを何も知らず、闇雲に傷つけるだけでは解決しない。 本当は、僕もこの町のみんなも分かってはいることなんだ。 だけど、三十年前の出来事は、まだ終わっていない……長い夢の中に、みんなは彷徨っているんだよ」 もちろん言い訳だけど…… ヒビキは最後にそう付け足した。 三十年前、ドラピオンがなぜこの町にやってきたのか……誰も、その原因を突き止めようとはしなかったようだ。 農作物を食い荒らされたという結果だけを見て、ドラピオンを害悪であると決め付けた。 そして、決定的な事件を引き金に、ドラピオンたちを駆逐した。 今となってはどうしようもないことだが、町の住人の全員が全員、これでいいと思っているわけではない。 ヒビキは、そう断言した。 「それに、君はミライを助けてくれたみたいだからね。 まあ、引き際は心得ていると思うけれど……」 「パパの弁当箱だもん……わたし、なんとしても取り戻したかったの」 「気持ちはうれしいけどね」 ヒビキはミライの頭を優しく撫でた。 ジム戦になれば、挑戦者を返り討ちにするジムリーダーでも、今は単なる子煩悩な父親だ。 弁当などよりも、娘が無事だった方がうれしい。 「アカツキ君。 今回のことで、みんなもたぶん分かったはずだ。 だけど今すぐに、ドラピオンに対する考え方を変えることは難しいと思う」 ヒビキは優しい眼差しを娘に注ぎながら、その頭をそっと撫でていたが、やがて手を止めて、アカツキに向き直った。 「それでも、このままじゃいけないってことは分かってると思う。 少しずつでも意識を変えていけるよう、尽力するよ」 「……オレも、できることはやってみる。 なんだか、このままじゃドラップがかわいそうだからさ……」 アカツキは小さく頷いた。 ドラップにとっては、謂れなき罪状を突きつけられたようなものだ。アカツキやミライよりも、大きなショックを受けているはずだ。 何もしていないのに、人間に敵意を持たれる…… ドラピオンという種族に生まれたがために、ただそれだけの理由で憎まれなければならないなど、あんまりではないか。 この出来事は、アカツキにいろんなことを考えさせる契機となった。 それが良きものであるか、悪しきものであるか……今の時点では何とも言えないが、少なくとも契機にはなったはずだ。 アカツキはドラップのモンスターボールを手に取り、じっと眺めた。 ボールの中で、ドラップは休んでいる。 今、彼が何を思うのか……きっと、アカツキよりも深く悩んでいるはずだ。 そんな彼に、今、自分に何ができるのか? 考えずとも分かりそうなものだった。 「まあ、今回の事件で、ドラピオンはもう来ないだろう。 君やドラップが、仲間のドラピオンにいろいろと話してくれたようだからね」 「うん。二度と、こんなのはゴメンだよ」 ヒビキの表情は思いのほか明るかった。 三十年前、そして今日。 この町は二度もドラピオンに襲われることになったが、今回で終わりだ。 二度の出来事を契機に、この町の住人の意識が少しでもいい方に変わっていってくれれば、それ以上に喜ばしいことはない。 「それはそれとして…… 君は僕に会いに、フォレスタウンまで来たわけじゃないんだろう?」 「あ、そうだった。ドラップのことばっかり考えて、忘れてたよ」 ヒビキに言われて、アカツキはハッとした。 ドラピオンの事件のことばかり考えて、この町にやってきた本来の目的を忘れてしまっていた。 「ミライ。エイパムたち、いる?」 「エイパム……?」 突然訊ねられ、ミライは困惑したようだったが、すぐに窓の外を指差した。 「わたし、ポケモンはモンスターボールに入れてないの。 エイパムたちは朝から晩まで外で遊ぶのが大好きみたいだから。 三度の食事と、夜寝る時だけは家に戻ってくるんだけど……」 「そうなんだ……」 自由を満喫しているエイパムたちの姿が脳裏に浮かんで、アカツキはちょっとだけ羨ましいと思った。 アイシアタウンにいた頃のように、他の人たちに迷惑もかけていないようだし、ヒビキも大目に見てくれているのだろう。 そうでなければ、そんな奔放な生活が許されるはずもない。 子供に甘いのか、それとも単にメガニウムやストライクを使えばすぐにでも鎮圧できると考えたのか…… 恐らくは両方だろうと思いつつ、アカツキはミライに言った。 「アリウスとエイパムたちってさ、家族みたいに暮らしてたじゃん。 だから、アリウスもエイパムたちと離れて淋しがってるんじゃないかと思って、会いに来たんだ」 「そうなの……ありがとう。エイパムたち、きっと喜ぶよ。 でも、どこに行っちゃったのかな……? さっきの騒ぎでも戻ってこなかったし。この町の中にはいると思うんだけど……」 エイパムたちも、アリウスと離れて淋しい思いをしている。 それはミライにも分かっていたし、エイパムたちだって彼女を困らせたくないからと、あまり表立ってそんなことを伝えようとはしなかった。 だから、アカツキがアリウスをエイパムたちに会わせに来てくれたと知って、本当にうれしかった。 ただ、エイパムたちは先述の通り、食事と睡眠の時間以外は外をほっつき歩いているのだ。 「みんな子供だからね。遊びたい年頃なんだよ。 存分に遊ばせてあげるのがいいって僕が教えたのが悪かったかもしれないね。 あっはははは……」 せっかく会いに来てくれたのに、今どこにいるのかも分からない。 神妙な面持ちをする娘を尻目に、ヒビキは声を立てて笑った。 「なんか、ヒビキさんにとってもエイパムって子供みたいなんだね」 「まあね。手は焼けるけど、だからこそ可愛いものだよ」 アカツキの言葉にも、満面の笑みで頷く。 エイパムはアリウスと比べると子供……いや、アリウスも同じくらい子供だが、 進化形のエテボースだけあって、彼らを束ねるリーダーとして、少しは大人と言ってもいい。 もちろん、イタズラ好きな大人の方が、子供より手が焼けるのは言うまでもないが。 「じゃ、エイパムたちを捜しに行こうかな。アリウス、出てこい!!」 アカツキはドラップのボールとアリウスのボールを持ち替えて、軽く放り投げた。 空中でボールは口を開くと、中からアリウスが飛び出してきた。 「キキッ」 中は退屈だったぜ……と言わんばかりに、アリウスは外に出てくるなり身体を目いっぱい伸ばした。 先ほどの事件では、ドラピオンを極力刺激しないよう、ネイト、アーサー、ドラップ以外のポケモンはモンスターボールから出さなかった。 「アリウス、エイパムたちに会いに行こうぜ」 アカツキが言葉をかけると、アリウスは喜びを爆発させた。 「キキッキ〜ッ♪」 ぴょんぴょん跳び回り、尻尾の手を叩き合わせたり、それはもううれしくてたまらないと言わんばかりだった。 やはり、言葉や態度に出さなくとも、胸中ではとても淋しかったのだろう。 その気になれば会いに行ける距離でも、家族と同等なのだ。離れていれば淋しいと感じるものだ。 「ヒビキさん、オレ、エイパムたちを捜しに行くよ」 「あ、わたしも行く。 そろそろ、エイパムたちのご飯を作らなきゃいけないし」 「そっか。じゃ、一緒に行こう」 「うん。パパ、行ってくるね」 アカツキとミライは席を立った。 しかし…… 「いや、その必要はないみたいだよ」 ヒビキは朗らかな笑みで言うと、窓の外を指差した。 二人が釣られるように視線を向けると、いつの間にやら窓にエイパムたちが張り付いているではないか。 アリウスの気配を感じて、やってきたのだろう。 一様にうれしそうな表情を浮かべているが、窓にべったり張り付いている様子は、せっかくの再会の喜びを半減させるような光景だった。 アリウスも、どこか表情を引きつらせている。 会いたいと思ってくれている気持ちはうれしいのだが、何も窓にへばり付かなくても…… 「……なんか、手間省けたな」 「うん。そうだね」 突然の光景に何と言えばいいのか分からず、アカツキとミライは棒読み口調でそんなことを言った。 一同がどんな反応を示せばいいのか分からないまま呆然としていると、エイパムたちは窓を開けて部屋になだれ込んできた。 「キキッ♪」 「キキッキ〜ッ♪」 ――わーい!! ――会いに来てくれた〜♪ エイパムたちはアリウスを取り囲んで、なにやら踊っている。 喜びに溢れて忘我しているようだが、すぐにアリウスも彼らと同じ顔になった。 「キキーッ!!」 ――当然だ、おまえらのことを忘れるとでも思ってんのか〜? 室内はあっという間にアリウスたちのステージと化した。 騒々しいと言わんばかりにヒビキは顔をしかめているが、アリウスたちが喜びに浸っていると分かって、アカツキとミライは笑みを浮かべていた。 「アリウス、みんなといっぱい遊んでこいよ」 「ブイブ〜イっ♪」 アカツキとネイトは、口を揃えて「エイパムたちと遊んで来い」と言った。 アリウスも久しぶりにエイパムたちと会えて、本当にうれしいのだろう。 「キキっ♪」 アリウスはエイパムたちと楽しそうにじゃれ合っていたが、すぐに彼らを引き連れて窓から外に出て行った。 「……一体、なんだったんだ?」 あっという間にアリウスたちが外に出たのを見て、ヒビキはハトが豆鉄砲食らったような顔でポツリつぶやいた。 エイパムたちだけなら、ちょっとやんちゃでも可愛げがあるが、アリウスが加わると、ちょっと騒がしい。 リーダーとなるポケモンがいると、雰囲気も違ってくるのだろう。 「まあ、いいや」 ヒビキは一人だけ雰囲気に取り残されていると理解したらしく、わざとらしく咳払いをして、話を変えた。 「それより、君はこれからどこへ行くのかな? ネイゼルカップには出るんだろうから、そんな遠くには出歩けないと思うけど」 「あ、そういえばそうだよね」 気になっているのはミライも同じらしく、父親に倣って訊ねてきた。 「また旅に出たの?」 「うん、まあね」 アカツキは笑みを浮かべたまま、頷いた。 隠すほどのことでもないし、素直に打ち明けた。 ネイトが「どう話す?」と言わんばかりの表情で見上げてきたが、特に気にすることもない。 「ドラップを、家族に会わせてあげようかと思ってさ。 なんてったっけ……『忘れられた森』って言ったっけ? あそこに仲間とか家族がいるんだって。 この町にやってきたドラピオンも、元はドラップを捜しに来ただけみたいだからさ。 みんな淋しいんじゃないかな〜。ドラップも、顔には出さないけど、すごく淋しがってるから」 「そうか……それは大変だな」 「うん……」 アカツキが抱えていた事情を知っているだけに、ヒビキとミライは怪訝に表情をゆがめた。 ドラップはソフィア団がダークポケモンを完全な形で制御するための実験素材だった。 家族や仲間に危害が及ばないよう、ソフィア団のアジトを逃げ出してからは、『忘れられた森』から離れ、フォレスの森にやってきたのだ。 その頃からずっと、家族や仲間のことを恋しく思っていたはずだ。 アカツキの仲間になって、各地を旅している時も、一時たりとも忘れたことはなかったはずだ。 だから、ドラップを家族と会わせてあげたい。 ずっと一緒にいさせてやることはできないかもしれないが、ドラップが願うなら、できるだけ彼の希望に沿う形で取り計らいたい。 アカツキは笑顔で胸を張り、堂々と言った。 「ドラップはオレの大事な仲間だから。 この町の人が、ドラピオンをどんな風に思ったって、それは変わんないからさ」 誰がどう思おうと、何と言おうと、ドラップは仲間だ。 この町でドラピオンがどう思われているのか……それを知ってもなお、アカツキの考えは寸分たりとも揺るがないようだった。 「な、ネイト?」 「ブイっ♪」 ネイトも反り返らんばかりに胸を張り、腰に前脚を宛がって、得意気に頷いた。 元に戻ったこともあって、感情豊かになり、自己主張もちゃんとできている。 むしろ、今まで思うようにモノを言えなかった分を取り戻そうとしているようにさえ思える。 その様子が微笑ましくて、ヒビキもミライも表情を和らげた。 「…………」 アカツキとネイトは得意気な表情でなにやら顔を突き合わせていたが、ヒビキは微笑ましいその様子の裏に、何かを感じていた。 アカツキは、陽気で明るいだけの男の子ではない。 格闘道場で培った精神力の賜物か、芯の強さは並大抵の大人では太刀打ちできないレベルだ。 だから、楽しそうに笑っている裏で、あれこれとシリアスなことも考えているに違いない。 「まあ、何を考えていても、僕がとやかく言うことではないけれど……」 進む道は、それぞれが決めればいい。 ヒビキは、本当はミライにトレーナーになって欲しいと思っていたが、彼女はブリーダーを目指している。 残念に思う気持ちはあるが、自分で決めた道なら、トコトンまで突き進んで欲しい。 従順なパチリスだけでなく、やんちゃで手の焼けるエイパムたちを相手に悪戦苦闘している娘を見ていると、心の底から応援したくなる。 それが、子を持つ親としての自然な気持ちだろう。 「だけど……」 しかし、アカツキは今、何か迷っているように見えて仕方ない。 一見すると、何をするのか決めているように思える。 危なっかしいところなどないように見えるが、ヒビキに言わせれば逆だった。 「…………」 この事件が、恐らくは転機となるだろう。 彼の人生を変えてしまうような、大きな転機に。 山勘ではあるが、案外そういった類の勘は当たるものだ。 「試してみるか……」 ヒビキは思い立ち、ミライに言葉をかけた。 「ミライ、なんでもいいからもう一度お弁当を作ってもらえるように頼んでもらえないか?」 一緒に家に帰って食べればいいじゃない、と言われてしまえばそれまでだったが、ミライはヒビキの胸中を知らないようで、無邪気な笑顔で頷いた。 「うん、分かったわ。 それじゃ、アカツキ。またね」 「あ、うん……」 ミライはウキウキ気分で席を立ち、すぐに部屋を出て行った。 アカツキは一体何がどうなっているのかと、ネイト共々怪訝な面持ちで首を傾げていた。 部屋の扉が閉じられてすぐに、ヒビキが口を開いた。 「さて、アカツキ君。君に聞きたいことがある」 「……? なに?」 ミライを遠ざけたのは、そのためか。 アカツキはすぐに察した。 かすかな表情の変化から、こちらの意図に気づいたのだろう……ヒビキはそう判断したが、口に出そうと思った言葉を取り消しはしなかった。 「君は、世間一般で嫌われているポケモンでも、仲良くできるかい?」 「当たり前じゃん。 コイキングだろーとヒンバスだろーと、構いやしないさ」 愚問だった。 改めて訊くまでもなかったが、アカツキの気持ちが相当強いものであると理解するには十分だった。 まったくの無駄にはならなかったと思って、次の質問を投げかけた。 「君は今日の事件で、いろんなことを考えたと思う。 ドラピオンという種族のこと、人とポケモンがどのように付き合っていくべきか……」 「ヒビキさん、何が言いたいんだ?」 深く土を掘り返すような言葉に、アカツキは上目遣いで、睨みつけるような鋭い眼差しでヒビキを見上げた。 「ブイーっ……」 ネイトも、おまえ何言ってんだと言わんばかりに唸る。 苛々しげに、二股に分かれた尻尾で忙しなく地面を叩いている。 一人と一体に睨みつけられても、ヒビキは平然とした表情を崩さなかった。そんな反応をされるだろうと、分かっていたからだ。 「君は今、迷っている。 違っていたら申し訳ないんだけど……僕には、そう見えて仕方がないんだよ」 「…………」 「…………」 穏やかな一言に、アカツキとネイトは揃って黙り込んだ。 「ここで答えを急かしてはいけない。 じっくりと考えてから出した答えにこそ、価値がある……」 思っている方へ誘導するでもなく、無理に聞き出すわけでもなく。 ただ、彼の口から答えが返ってくるのを待つ。 これでも、ヒビキはアカツキのことを考えているのだ。 もし彼が迷っているのなら、光を差してあげたいと思っている。滅多に会えないタイプのトレーナーだ。 どうせなら、大成してもらいたい。 「…………ブイっ?」 ……と、ネイトが不安げな表情でアカツキを見上げ、嘶いた。 ――もう、ごまかせないよ。 そう言いたげな、不安な声音だった。 「ネイト……」 迷っている…… そう、確かに迷っている。 ドラピオンたちを逃がしてからここに来るまでの間、いろんなことを考えた。 考えれば考えるほど、何をするべきなのか分からなくなる。 蜘蛛の巣にかかった蝶がもがけばもがくほど、身体にへばり付く糸が絡まって脱け出せなくなるように。 誰にも知られたくなくて、明るい表情を繕ってきたが、ヒビキには見通されていたらしい。 娘の前では子煩悩な父親でも、やはりジムリーダーなのだ。 ミライを遠ざけたのも、アカツキの本音が聞きたかっただろう。 「敵わないな〜……」 アカツキはため息混じりにつぶやいた。 あきらめたような笑みが口元に浮かぶ。 「だったら、話したまえ。 僕にできることなんて高が知れている。 それでも、君の力になってあげることはできる」 「うん」 静かに促され、アカツキは今思っていることを素直に打ち明けた。 「ドラップのために、いろいろとしてやりたいって思ったけど……でも、ホントにそれだけでいいのかなって。 この町の人が悪いとも言えないし……ドラピオンたちも悪いなんて言えない。 だから、分からなくなったんだ」 この町の人たちと、ドラピオンの関係。 憎み、憎まれる関係。 アカツキには、ただ虚しいだけの関係にしか思えなかった。 この町の人たちは、三十年前の事件を契機にドラピオンたちを嫌うようになった。 ドラピオンたちも、三十年前の事件を今も引きずっている。だからこそ、今までこの町に近づこうとしなかったのだ。 人間とポケモンは、ある時は助け合い、またある時は反目し合いながら、同じ星で生きてきた。 切っても切れない関係なのだ。 だから、この町の人とドラピオンとの関係は、アカツキには到底納得できるものではなかった。 どちらが悪いとも言えない状況で、どうしてあそこまでして追い払おうとするのか。 正義だの悪だの、そんなつまらないことを言うつもりはない。 「オレ、ドラップのためにできることをしたい。 でも、それだけでいいのかなって思ったんだ」 ドラップはきっと、今回の一件で深く傷ついたはずだ。 しかし、傷ついたのはドラップだけではないはずだ。 仲間のドラピオンやスコルピ。 それから…… 「オレ、ポケモンマスターになりたいって思ってた。 でも、そこから先のことなんて、考えたことなかったんだ。 オレにできることって、たくさんあると思う。 ドラップのためだけじゃなくてさ……他にも、できることがあるんじゃないかって。 ……だから、どうしたらいいのか分からなくなった」 「そうか……」 アカツキはヒビキの目をまっすぐに見つめ返していた。 先ほどの事件が、やはりアカツキの中の何かを変えていたのだろう。 仲間のためにと思っていたが、今は仲間だけでなく、もっと大きな視点で物事を考えようとしている。 今の自分にできること。 やろうと思っていたこと。 その違いに挟まれて、息苦しさを覚えていたのかもしれない。 「子供と大人の間に立つというのは、そういうことなんだよ」 ヒビキは頭を振った。 陽気で人懐っこい男の子は、大人への階段をまた一段登ったようだ。 「だったら、君が思っていることをすればいい。 ネイトやドラップ……それから、他のみんなも、きっと同じことを思っている。 君が決めたことなら、悪くは言わないだろう。 ……まあ、アーサーは別かもしれないけどね」 「…………」 ヒビキの言葉に、アーサーは渋面になった。 先ほどからずっと黙っていたが、ここで引き合いに出されて、不機嫌になったらしい。 余計な口は挟むまいと気を遣ったというのに…… むっとした表情でヒビキを睨み付けた――その時だった。 『ジムリーダー、挑戦者がやってきました。スタンバイをお願いします』 事務員の声が、スピーカーを通じて室内に響いた。 「おや……こんな時に挑戦してくるトレーナーもいるんだね。 まあ、いいや。挑戦とあれば、受けて立つのがジムリーダーだ」 話は途中だが、ジムに腰を落ち着けている以上は、挑戦者の相手が最優先である。 幸い、ドラピオンたちは追い払えたし、当分は自分の手を煩わせるような事件もないだろう。 ヒビキは席を立ち、控え室を出て行こうとしたが、アカツキに言い残していることがあったのを思い出して、足を止めた。 「ああ、そうだ。君に言っておくことがある」 「……? なに?」 アカツキは『君が思っていることをすればいい』と言われ、考え事をしていた。 いきなり言葉が振ってきて、ビックリした。 「ポケモンセンターに泊まるそうだけど、止めておいた方がいいな。 大丈夫……だとは思うんだけど、今日はこのジムに泊まっていくといい。僕も、宿直で詰めるつもりだから」 「…………」 「それじゃあ、また後でね」 ヒビキは一方的に捲くし立てると、そそくさと控え室を出て行った。 「……どうやら、この町の住人はややこしい事情を抱えているようだな。 私たちが思っている以上に、ややこしく、複雑に絡み合っているようだ」 「うん。オレもそう思う」 「ブイ〜?」 「…………」 アーサーの言葉に頷き、アカツキは俯いた。 普段の彼なら……人前でなら、落ち込んだような表情は絶対に見せないだろう。 だけど、アカツキだって人間である。 落ち込むことや、考えに耽ることだってある。 この町とドラピオンの関係。 今日の事件が、アカツキの心に暗い影を落としていたのだ。 「ポケモンセンターに戻ったら、危ないかもしれないもんな……」 ラピッドファイアなどという物騒なシロモノを持ち出してまで、ドラピオンを追い払おうとしていたのだ。 トレーナーがついているから見逃すなどと言っていたが、正直、銃を持ち出してくるような相手の言葉など信じられない。 トレーナーなら、ポケモンセンターに泊まっていく。 そんなことは誰だって考えつくだろう。 住人がドラピオンという種族に対して抱いている嫌悪感、敵対心は並大抵のものではない。一朝一夕にどうにかできるものでもない。 考えたくはないが、夜襲など仕掛けてくる恐れがあるのだ。 だから、ヒビキはこのジムに泊まっていくといい……自分がついているから大丈夫だと、 不安なアカツキの胸中を見透かして、そんなことを言ったのだ。 「やっぱ、オレって隠し事下手なんだよな〜」 「ブイっ……?」 アカツキは困ったような笑みを浮かべ、ため息をついた。 ネイトが彼の膝に飛び乗り、心配げな眼差しを向けてきた。 元に戻って、いろいろと勝手が違うところはあるが、それでもアカツキが何を考えているのかくらいは分かっているつもりだ。 伊達に、五年も一緒に過ごしてはいない。 「アカツキ、どうするつもりだ?」 ヒビキがいなくなって、いよいよアーサーも饒舌になった。 「この町に長く留まるのは危険だ。ドラップだけでなく、下手をすると私たちまで危険にさらされかねない。 ……ヒビキが止めてくれるとは思うが、余計な騒ぎになる前に、この町を出るべきだと判断する」 アーサーは努めて冷静だった。 人生経験の差が如実に表れているとでも言うべきか、先ほどの事件も淡々と処理していた。 昔はもっと大変な事件がゴロゴロしていたのだ。 人間とポケモンの諍いなど日常茶飯事だったし、問答無用で殺しまくったりしていた時勢に比べれば、まだまだ穏やかで可愛い方だ。 「うーん、そうなんだよな……」 アーサーの言葉は現実的で、安全策という意味では従うべきだろう。 だが、いきなりこの町を出る気にはなれない。 何の考えもなしに飛び出して、ドラップの故郷へ赴いたとしても、何も変わらない……なんとなく、そんな風に思えたからだ。 「ブイ、ブイブイっ」 アカツキの心中を読み解いたネイトが、彼の膝から飛び降りて、アーサーに言った。 どことなく不機嫌そうに頬を膨らませ、眼差しも尖らせていたが、 それは『アカツキだって困ってるんだ。急かすんじゃない』と言っているかのようだった。 しかし、アーサーにだってそれくらいは分かっている。 だからこそ、迅速な決断が必要だと思って、急かしたのだ。 アカツキもネイトも、やはりまだまだ子供。重大な局面を前にして、即決するのは難しいのだろう。 「アーロン様でさえ迷われたことがあったのだから……それをこの子供に求めるのも酷だな。 しかし……」 アーサーはネイトの言い分を受け入れたが、淡々と切り返した。 「ここで悩み続けていても、先へは進めない。 それだけは、忠告しておこう」 「ブイぃぃぃ……ブイブイっ!!」 穏やかな声音に神経を逆撫でされたらしく、ネイトは怒りを露わにした。 悩むだけの時間も与えないのか、本当にアカツキのことを考えているのか…… 唸り声など上げながら食ってかかられても、アーサーはじっとネイトの目を見つめ返すだけだった。表情はまったく変えていない。 ルカリオというポケモンは、一般的に動じにくい性格の種族であると知られている。 アーサーも例に漏れず、普段はよほどのことがない限り、淡々としたままだ。 たまに、どうでもいいようなことでうろたえることはあるが、それは守備範囲の外だから仕方ない(当人はそう思っているようだ)。 「ネイト、いいって。 アーサーの言うとおりなんだからさ」 アカツキはネイトが本気で怒っているのを見て、言葉をかけた。 自分のために怒ってくれているのはうれしいのだが、アーサーの言葉も正しいと理解できる以上、ケンカなどして欲しくはなかった。 「ブイ……」 アカツキに言われては、ネイトも立つ瀬がなかった。 先ほどまでの勢いはどこへやら、すっかりしょげてしまっている。 対照的に、平然と佇むアーサーを見やり、アカツキは口を開いた。 「アーサー、ヒビキさんがここに泊まってけって言ったのはさ、今日一日ゆっくり考えて、明日から行動に移せばいいってことなんだと思うんだ。 それは、アーサーだって分かるだろ?」 「無論だ。誰も、悩むだけの時間も与えないなどとは言っていない。 なるべく早くこの町を出た方がいい……そう言っただけだ」 「うん。それはネイトも分かってるんだ。 だけど、ネイトにはオレを責めてるように見えたんだよ。 どっちが悪いなんて言う気はねえんだけど、できればネイトを刺激しないでやってくれよ。 元に戻ったばっかで、いろいろ大変だからさ」 「……分かった。気をつける」 「ありがと、アーサー」 アカツキが言いたいことは承知しているし、何も今からこの町を出るぞと言ったわけではない。 不承不承ではあるが、新しい主の言葉には従わねばなるまい。 「ネイトも、オレのこと考えてくれるのは分かるけど、アーサーだってオレのこと、考えてくれてんだよ。 いきなりケンカ腰で食ってかかっちゃダメだぞ」 「ブイっ……」 アカツキは、アーサーだけでなく、ネイトにも言葉をかけた。 どちらが悪いと決め付けるわけではないが、だからこそ両方に同じだけのことを言わなければならない。 そんなささやかな心遣いが功を奏してか、二人とも「どうして自分だけが……」と僻むような気持ちは覚えなかった。 ネイトが気を落ち着かせたのを確認してから、アカツキは窓の外に目をやった。 「今日はここに泊まらせてもらうとして……明日は早いうちに外に出た方がいいなぁ」 アリウスが戻ってきたら、みんなにちゃんと説明しなければならないだろう。 ここまで騒ぎが大きくなった以上、ネイトとアーサーの胸に留めておくのは無理だ。どうせなら、みんなに知ってもらった方がいい。 「……ドラップだけじゃないんだ。 他の地方じゃ、別のポケモンが同じような目に遭ってるんだろうな……」 名前や見た目や性格といったところから、人から嫌われているポケモンは多い。 これでも人並にニュースは見るから、そういったポケモンが存在していることも分かっている。 今日、ドラピオンとこの町の住人の対立を見て、アカツキは心の根底に横たわっていた『何か』を揺り起こされたような気がしてならなかった。 謂れなき理由で迫害されたり、力で追い払われたりするポケモンたち。 そんな現実が、手の届く場所にあり、自分たちは思いきり関わってしまった……そうなってしまった以上、知らん振りはできない。 良くも悪くも、アカツキは実直すぎた。 一度目にしてしまったものを、すぐに忘れることはできなかった。 「…………」 他にも、ドラピオンのような目に遭っているポケモンがいるかもしれない。 ……現実には存在しているのだが、そう思うと、なんだか胸がムカムカしてくる。 火照った気持ちを落ち着かせるのに、思った以上に時間がかかってしまった。 きっと、一度転がり出した気持ちは、歯止めが効かないのだろう。 少しクールダウンしたところで、アカツキはネイトとアーサーを呼んだ。 「どうした?」 「ブイ?」 しばらく考え込んでいたかと思ったら、いきなり名前を呼ぶなんて…… アーサーもネイトも、怪訝な面持ちを向けてきたが、アカツキは気にするでもなく、言葉を発した。 「オレ、考えたんだけどさ…… ドラップたちのように、なんにも悪いことしてないのに無理やり追い払われたりするポケモンが他の地方とかにもいるんじゃないかって思ってるんだ。 ……なんていうか、ほっとけないんだよ。 オレたちの仲間がそんな目に遭って、知らん振りなんてできないんだ」 「……安っぽい正義感で、おまえだけでなく、おまえの仲間たちまで危険にさらすことになるかもしれんぞ。 それでも、なんとかしたいと思うのか? 下手をすれば、同じ人間からも憎まれることになる。 幼いおまえが、その重責に耐えられるとはとても思えない。 ……おまえが弱いと言っているわけではない。むしろ、強い男の子だとさえ思っている。 だが、蟻でも群れになれば、象をも倒すのだ」 すかさず切り返してきたアーサーに、アカツキはさらに間を置かずに返した。 「正義って言葉、オレ、好きじゃねえんだ」 「…………」 正義だの悪だの、そんなものは一方的な主観でしかない。 アカツキはただ純粋に、ドラップたちのように、 人との関係が悪化したりして傷ついているポケモンたちを助けてやりたいと思っているに過ぎない。 そこに利益など求めないし、増してや見返りなど欲してはいない。 確かに、アーサーの言うとおり、自分だけでなく、仲間たちまで危険にさらすことになるかもしれない。 正直、そこから先は考えていなかったが、アーサーは自身の経験談から、より現実的な話をしているのだろう。 「別に、誰にもケンカを売るわけじゃないしさ。 どっちかをぶちのめして、はい解決♪なんてことするつもりもねえよ。 ただ、オレにもできることがあるんだったら、やってみたい……そう思っただけさ」 「……一晩かけて、ゆっくりと考えることだ。 性急な決断は、かえって後々の禍根になりかねない」 「うん。そうする。 だから、今日はここに泊まってくよ」 「そうだな……」 「…………」 アカツキとアーサーの会話を小耳に挟み、ネイトはなぜだかやりきれない気持ちになった。 アーサーの方が頼りになるのは分かる。 人生経験も豊富だし、常に冷静沈着で、情に流されることなく物事を判断できる。 ただ……淋しいと思った。 ネイトだけではない。 今は外に出ているアリウスや、リータ、ライオットもいるのだ。 頼りにされていないような気がして、仕方がない。 無論、そんなのはただの僻みでしかなく、ネイトもそれは分かっていた。 それでも、そんな感情を覚えてしまう。一時の感情でも、その時に溢れた気持ちはどうしようもないのだ。 「ブイ……」 今日のアカツキは、何か変だ。 一人で抱え込んでいる。 ……今日一日、本当の意味でじっくりと考え直す必要があるかもしれない。 ネイトは窓の外で風にそよぐ緑の枝葉を見やりながら、そんなことを思った。 To Be Continued...