シャイニング・ブレイブ 第22章 その笑顔のために -Just it Smile!!-(2) Side 3 ――アカツキが故郷を旅立って76日目。 山を越えて、アカツキたちは『忘れられた森』にたどり着いた。 山越えでは然したるトラブルもなく、平穏な道中だった。 たまに野生のポケモンに襲われたりする程度で、アカツキのポケモンたちの敵ではなかった。 結局、刺激らしい刺激も、波乱らしい波乱もなく、逆につまらないという気持ちにもなるのだが、 今に限っては、そんなことを悠長には考えていられなかった。 「来た……」 アカツキは、鬱蒼と生い茂っている深緑の森を見やり、唾を飲み下した。 この森のどこかに、ドラップの家族が暮らしている。 普通に練り歩くだけでも、向こうから見つけてくれるだろう。それだけは確かだ。 「…………」 アカツキが森をまっすぐに見つめたまま、無言でなにやら考えをめぐらせていることを認めながらも、ポケモンたちは声をかけなかった。 普段は陽気で明るくて人懐っこくても、考え事をする時くらいあるものなのだ。 邪魔をしてはいけない。 そんなポケモンたちの配慮もあって、アカツキはその場に立ち尽くしたまま、納得ゆくまで思案することができた。 「まずは、ドラップが家族と会ってからだよな。よし、行こう」 納得ゆくまで考えてはみたが、時間にしてみれば、一分もなかった。 たとえどちらに転ぶにしても、ドラップと家族が再会を果たしてからでなければ、話は始まらないのだ。 景気付けに、アカツキはグッと拳を握りしめた。 「みんな、行こうぜ。ドラップの家族を捜さなきゃな」 「ブイっ♪」 「そうだな……」 振り返りながら言葉をかけると、ポケモンたちは揃って首肯した。 ドラップの家族を捜す……もとい、ドラップと家族を再会させる。 今までにいろんなことがあったから、その分、ドラップは家族との再会を強く希望しているはずだ。 誰も、その後のことなんて考えてはいない。 アカツキは一同の顔を順に見やり、思った。 先のことであれこれ考えて悩むなんて自分らしくないと思っていたが、 だからこそ、何よりも自分一人が先走った考えを抱いているのだと……それこそが何よりも自分らしからぬ行動なのだと思わずにはいられなかった。 「ドラップも、奥さんや子供に会えるんでウキウキしてっからな。さっさと見つけるとすっか」 ともあれ、ドラップは興奮しているようだ。 久しぶりに一家団欒の一時を過ごせるのだから、うれしくならない方がおかしい。 このまま立ち止まっていたら、ドラップが一人で突っ込んで行きそうなので、アカツキはポケモンたちと共に、森に足を踏み入れた。 途端に、視界が暗く、そして狭く感じられるようになった。 頭上に生い茂る木の葉の絨毯……その色が黒ずんだ緑であり、陽光から森の大地を隠すかのように版図を広げているためだろう。 幸い、ジメジメと肌にまとわりつくような湿気っぽい気味の悪さは感じられず、普通に歩く分なら、特に困ることもない。 「あの時と大して変わんないなあ……ソフィア団の連中はもういなくなっちまってるけど……」 鬱蒼とした森の、暗く淀んだ空気。 ソフィア団のアジトに乗り込むため降り立った時は、この森に住むポケモンたちが放っている雰囲気が、 空気を暗く淀んでいるように感じさせていたのかと思っていたのだが……どうやら、そうではなかったらしい。 元から、この場所はこういった空気に覆われているらしい。 ソフィア団のアジト以外、人の手がまったく加わっていない。 古来の姿を今に残しているからこそ、人には理解しがたい空気に覆われているのかもしれない。 「でも、ドラップにとっては、ここが大事なホームなんだよな。ちょっと、気味悪いけど……」 チラリと肩越しにポケモンたちを見やると、誰も気味悪がってはいなかった。 どうやら、人間であるアカツキだけが、この森を覆う微妙な空気を気味悪がっているらしい。 人外の地ゆえ、人間のアカツキだけが理解できないものなのかもしれない。 「まあ、歩けば慣れるよな」 ちょっと気味が悪いが、気にしなければそれほどでもない。 大地にしっかりと根付いた木々の合間を縫うように、しかしどこへ行く宛てもなくただ歩いていく。 ドラップなら、どの辺りで暮らしていたのか分かるのだろうが、何も言ってこない。 アカツキの足に任せるのと、向こうから捜してもらうこと……この二点を考えているのだろう。 陽の光がほとんど差さず、少しジメジメした森。 「……ドラップは、この森で家族と暮らしてたんだよな……」 六体のポケモンと一緒に歩いているのだから、野生のポケモンに襲われることもないだろう。 それに、この森で暮らしていたドラップを知らないポケモンがいるとも思えない。 アカツキは気を楽にして、周囲に目を向けながら歩いていた。 「……もしかして、この森で生まれたのかな……?」 今さらという気がして仕方ないが、ソフィア団に捕らえられる前のドラップのことを、アカツキは知らなかった。 不意に思い浮かんだのだが、さすがにこの場でそれを訊ねるわけにもいかないだろう。 せっかく、家族に会えると喜びでウキウキしている気持ちに、水を差したくない。 いつか、機会があったら聞いてみよう。 ドラップが話したがらないのなら、無理をして聞きだすつもりはないが。 仲間のことは、できるだけ知っておきたい。 だけど、知らないことが多い。 「なんか、よく分かんないや」 今までは考えたことのない分野だ。 それだけは、認めなければならないだろう。 自分と仲間たちの関係……その在り方。 どこで距離を保ち、どこまで相手のことを知っておけばいいのだろう。 すべてを知りたいなんて思わないけれど、だからといって隠し事をされているのではと思うのも、なんか嫌だ。 モヤモヤしたものを抱えながらも、アカツキは歩みを止めなかった。 立ち止まってしまったら、嫌でも何かを考えなければならないような気がして。 後ろから音もなく追いかけてくる『思案』という名の触手に身体のみならず、心までも絡め取られてしまいそうな気がして。 「……オレ、不安なのかな?」 胸にそっと、手を触れてみる。 いつもより、鼓動が早い。 ドラップが家族と再会できるのだから、それをうれしく思っているし、その時が来るのを今か今かと待ち侘びているのは事実だ。 しかし、それだけではないような気がする。 昨日感じた、漠然とした不安。 それが現実のものとなってしまうかもしれないという不安だろう……アカツキは一頻り考えた後で、結論付けた。 「分かってることなんだからさ。不安になることなんてないんだ。 ……そうだろ、アカツキ?」 避けては通れない問題だと、昨日の時点で分かっていたはずだ。 今になってじたばたするなんて、らしくない。 ドラップの希望を尊重する……自分の中で、そう確認したはずだ。 結論が出ても、考えはまとまらない。 まとまらない考えが、心の枠からはみ出した。 一人で考えていてもしょうがないと分かっていても、 ドラップが家族との再会を果たすというおめでたいイベントを前に、みんなの気持ちにも水を差したくない。 限りなく広がっていきそうな考えを手で掻き集めながら歩くうち、どこからか声が聴こえてきた。 『ごぉっ……』 森に、何度か反響したその声は、ポケモンの鳴き声だった。 「これって、ドラピオンの声だ。 ……どのドラピオンかまでは分かんないけど……」 森に入ること三十分。 それほど奥地に入り込んだわけではないが、もしかしたら、ドラピオンたちはこの森に散らばって暮らしているのかもしれない。 アカツキたちは足を止めた。 もしかしたら、ドラピオンたちが自分たちを見つけてくれたのかもしれない。 だったら、むやみに動き回っても仕方がない。 「ドラップ、今のって仲間のドラピオンの声?」 念のために確認しておくと、ドラップは大きく頷き、忙しなく周囲を見渡した。 森に響いた声は幾重にも反響し、どこから発せられたものなのか、すぐには特定できない。 しかし、そういった分析を得意とするポケモンが、アカツキの傍にいた。 「こっちだ」 アーサーは、進行方向から見て斜め左を指し示した。 「そっか。じゃ、こっち行こうぜ」 アーサーが言うのだから間違いないだろう。 アカツキはいたって気楽に考えて、彼が指し示した方へと歩き出した。 すると、一分ほど歩いたところで前方から数体のドラピオンが姿を現した。 「ごぉっ!?」 「ごぉぉぉ……!!」 ドラピオンたちはドラップの姿を認めると、一様に歓声を上げた。 やはり、ドラップのことを知っているようだ。 「仲間のドラピオン?」 「ごぉぉっ!!」 アカツキが問いかけると、ドラップは頷いた。 そして、頷くが早いか、ドラピオンたちの傍へ歩いていった。 「……どうやら、仲間の方が捜し当ててくれたらしいな。手間が省けた」 アーサーが小声で言ってくる。 「うん。ドラップもうれしそうだ」 ドラップは背中を見せているが、喜びで活き活きしている。仲間との再会にこれ以上ないほどの喜びを感じているのは間違いない。 「ブイっ……ブイブイ」 ――良かった。 ネイトはドラップがうれしそうに仲間と会話しているのを見て、我がことのように喜んでいた。 ドラップはバトルでゲットしたが、直接戦ったネイトだからこそ、ドラップの気持ちを誰よりも汲んでやれるのかもしれない。 改めて見回すまでもなかったが、他のポケモンたちも、ドラップが仲間と再会を果たしたのを見て、一様に安堵の表情を見せていた。 暖かな目で見守られている中、ドラップは弾んだ声で仲間たちと話していた。 やがて話に区切りがついたのか、アカツキの傍に戻ってきた。 「なんだって?」 話している内容は概ね理解していたが、アカツキは知らないフリで訊ねた。 「ごぉ、ごぉぉぉ」 ドラップは、それはもううれしそうに声を弾ませていた。 身振り手振りを交えて、仲間と語り合ったことを打ち明けてくれた。 「そっか。この近くにいるって言ってたんだ」 「ごぉっ」 アカツキはニッコリ微笑み、少し離れたところでこちらを見ているドラピオンたちに視線を向けた。 ドラップの仲間ということで、特に警戒している様子はない。 出会ったばかりでも、それなりに信頼されているようだ。 「元気にしてるって?」 「ごぉぉっ♪」 曰く、ドラップの奥さんは子供たちと元気に暮らしているそうだ。 リライブホールでダークポケモンの戒めから解放された後、すぐにこの森に帰されたらしい。 ドラップが戻ってくるのを心待ちにしている……仲間の口からそう伝えられて、ドラップは今にも昇天せんばかりの喜びに浸っていた。 もうすぐ愛しい家族に会える…… ドラップが抱く喜びは皆に伝播していた。 暗く淀んだ空気を、わずかばかりだが押し退けている。 「それじゃ、早く帰ってやんなきゃいけないよな」 「ごごっ」 アカツキの言葉に頷き、ドラップは仲間のドラピオンと共に歩き出した。 言い知れない喜びに忘我しつつあるドラップの背中をじっと見やり、アカツキはいつになったら切り出せばいいのか、考えていた。 しかし、考えがまとまる前に、アーサーの言葉が思考にヒビを入れた。 「何か考えているようだが、今はドラップの家族と会うのが先だ。早く追いかけよう」 「あ、ああ……そうだよな」 考えがこれ以上続かず、アカツキはポケモンたちを連れてドラップの後を追った。 近くと言われたとおり、歩き出して五分ほどで、ドラップは家族との再会を果たした。 洞窟……否、洞穴の前で、どこかで見たドラピオン――ドラップの奥さんと、子供たち(スコルピ)が待っていた。 洞穴――ここが住処らしい――の周囲は岩盤質の地面がむき出しになっており、十メートルほど離れなければ木が茂っていない。 ここを住処にすると決めた時に伐採したのか、細切れになった木片が転がっているが、特に気にはならなかった。 「ごぉぉっ!!」 「ごごぉぉぉぉ……」 ドラップは愛しい妻の姿を認めるなり足を速めた。 何もかも包み込まんばかりに腕を広げる。 奥さんも久しぶりに会う夫の姿を見て、喜びを爆発させていた。 ドラップがソフィア団に捕まり、アジトに連行された日から、会っていなかったのだ。ダークポケモンにされた頃の記憶は恐らく残っていないだろう。 だとすると、もう何十日になるだろう……? 「オレと旅するよりも前だから……三ヶ月以上にはなるんだろうなあ」 アカツキは離れたところで家族の感動の再会を見守りながら、小さく思った。 今まで、そんなに長く離れたことはなかったのだろう。 だからこそ、ドラップと奥さんはこれでもかと言わんばかりにガッチリ抱き合って、涙まで流していた。 獰猛と言われている種族とは思えないような光景だが、アカツキに言わせれば、そんなことは関係ない。 どんなポケモンだって、大切な仲間や家族と再会できてうれしく思う気持ちは尊いし、当たり前に存在しているものだ。 「でも、良かったな。ドラップ、家族に会えてさ……」 ドラピオン同士がガッチリ抱き合う姿など正直想像もできなかったのだが…… すぐにスコルピたちがドラップの傍にやってきて、ドラップの身体にハサミを触れた。 バトルになれば凛々しいドラップも、家族に囲まれている状態では子煩悩なパパでしかない。 腕のハサミで子供を一人ずつ順番に持ち上げて、あやしている。 「ドラップって、家族に愛されてるんだなあ。同じくらい、愛してるんだと思うけど」 「……そうだな。見ていて、とても微笑ましい気持ちになる」 アカツキの思っていることを読み取ってか、アーサーが柔らかな口調で言った。 少し気になって振り向いてみると、彼の顔には珍しく笑みが浮かんでいた。家族の微笑ましい光景に、心が洗われているのかもしれない。 「ブイブイ♪」 ネイトも、ドラップが家族と無事再会を果たしたことを喜んでいる。 ネイトやアーサーだけでなく、他のポケモンたちも、一様に明るい表情でドラップたちを見ていた。 薄暗い森の中にいるとは思えないくらい、気持ちが晴れている。 「…………」 ドラップは愛しい家族に囲まれて、心の底からの笑顔を見せている。 「ドラップがこんな風に笑うのって、初めてだよな。 やっぱり、家族が一番大事だってことなんだろうなぁ……」 もちろん、アカツキだってドラップが家族と再会を果たしたことを喜んでいる。 仲間の幸せは、自分の幸せと同じなのだ。うれしくないはずがない。 余計なことなど何も考えず、ただ家族と触れ合っている時間を喜んでいる。 ドラップだけでなく、奥さんや子供たちも、一家団欒の一時を何よりも喜んでいるのだ。 「…………」 「……いろいろと考えているようだな」 「……うん、まあ」 アーサーは小声でアカツキにささやきかけた。 ネイトたちはドラップをじっと見ているだけで、特に反応を示さない。 聞こえていないのかもしれないが、今回は好都合だった。 「一人で抱え込むなど、おまえらしくもないぞ。 とりあえず、私が聞いてやる。少し離れたところへ行こう」 「……分かったよ」 アーサーにはバレていたらしい。 もしかしたら、ネイトたちも分かっているのかもしれないが……今はそんなことなどどうでも良かった。 「ネイト、オレはアーサーとちょっと話があるから。すぐ戻ってくるぜ」 「ブイっ」 ネイトに断りを入れてから、アカツキはアーサーと百メートルほど離れた場所へ移動した。 これくらい離れていれば、素っ頓狂な声でも上げない限りは気づかれない。 「さて、おまえは昨日から何か抱え込んでいるようだな。 気づいているのは、私だけのようだが……それだけ、おまえが巧妙に隠しているということだ。 ……どうせ、その時になるまでは話せない、というパターンなのだろう」 足を止めるなり切り出したアーサーの言葉は、アカツキの胸を抉るようなものだった。 見事に言い当てられ、反論の余地もない。 「うん、そうなんだ」 ごまかしたところで、無駄だろう。 アカツキは大仰に肩をすくめ、観念した。 気づいているのは私だけ……恐らく、アーサー以外のポケモンは気づいていない。 だから、アーサーは二人きりで離れたところで話そうと持ちかけてきたのだ。 さすがに、細やかな心配りでも敵わない。 肩の力を抜いて笑うアカツキに、アーサーが言う。 「まあ、それはそれで構わない。おまえが何を考えようと自由だ。 しかし、その時まで黙っていれば、皆から反感を買うことになる。せめて、私にだけは話してみないか?」 「……分かった」 ネイトたちでも、やはり反感を持つのだろうか? アカツキはアーサーの一言に懐疑的だったが、二人きりなら話しても問題ないだろう。 そう思って、考えていることを素直に打ち明けた。 「ドラップのことなんだ」 「ドラップ……家族と仲睦まじくしていたな。とても幸せそうだった。 見ている方も、なぜだかうれしくなってくるほどだ」 「うん。オレもそう思うよ」 堅物のアーサーでさえうれしくなってくると言うのだから、ドラップは今、幸せの絶頂にいる。 ドラップが本当に心の底から幸せを噛みしめているのだと分かっているから、アカツキは逆に悩んでいる。考えている。 「……なるほどな。おまえが考えていることは大体読めた」 「……もう分かっちまったのか?」 「当然だ。おまえは隠し事をするのが下手だからな」 「ちぇっ……」 アーサーは短いやり取りの間に、アカツキの考えていることを読み取ってしまったらしい。 ハッタリでそんなことを言うとは思えず、アカツキは舌打ちした。 「だが、皆に隠し通しているだけ、おまえにしては上出来だろう」 「なんか、素直に喜べないんだけどなあ……」 「そういうものだろう? おまえの考えていることは」 「うん、まあね」 アカツキはその場に腰を下ろした。 草の絨毯は空気を含み、フカフカして気持ちよかった。 薄暗く、淀んだ空気に覆われているとは思えないような心地良さに、思わず表情が綻ぶ。 アーサーはその場に突っ立ったままだが、座るよりは立っている方が落ち着くのかもしれない。 「ドラップには家族がいる。 家族と共に暮らすのが幸せなのだと、おまえはそう思っている。 しかし、それを言い出すことはできない。 ドラップがどちらを選ぶか……それを見極めようとしている。そんなところだろう?」 「うん」 これまた見事に言い当てられた。 人やポケモンの心をすぐに読み取れるくらいでなければ、勇者の従者など務まらなかったのだろう。 元々、波導を読み取るのに優れたポケモンである。その延長線上だと考えれば、それくらいは当然か。 「ドラップには家族がいるからな〜。 みんな、ホントにうれしそうだった。 オレはスコルピたちに会ったことがあるけど、ホントにドラップのことを尊敬してるようだった。 ドラップも、スコルピたちを本当に大事にしてた。 奥さんとガッチリ抱き合ってただろ? その時も、ホントにうれしそうだった。 だから、オレはドラップが望むんだったら、ここで家族と暮らして欲しいって思ってるんだ」 アカツキは風にさざめく木の葉の合間から覗くわずかばかりの空を見上げながら、小さくつぶやいた。 もっとも、木漏れ日が降り注ぎ、空など一片たりとも見えなかったが、アカツキは木漏れ日の先に、ドラップの幸せそうな笑顔を見ていた。 「みんなも、たぶん同じことを考えるんだろうなあ…… そんな風に思うけど、そんなこと言ったら、なんだか強制しちゃってるみたいでさ。 どう言い出したらいいのか分からないんだ」 「そうか……」 アカツキはアカツキなりに真剣に考えているのだろう。 だからこそ、他のポケモンたちに悟られぬよう、必死に隠している。 いずれは言い出さなければならないことだと分かっているが、いつ、どのように言い出せばいいのか分からない。 ……アーサーの見立てでは、単純にタイミングの問題だ。 「明日になれば、レイクタウンに戻るのだろう?」 「うん。そうするつもりなんだ。その前には言い出さなきゃって思ってる」 「ならば、心配は要らないな。おまえが思った時に言えばいい」 「……うん、ありがと。アーサー」 「世話が焼けるな、本当に……だが、それくらいがちょうどいい。完璧すぎては、おまえらしくもないからな」 「はは、アーサーってやっぱり厳しいな」 「当然だ。これくらいでなければ、戦乱の世を渡り歩くことはできなかったからな」 アーサーは得意気な表情で鼻を鳴らした。 アカツキは必要なものを持っている。 ならば、それをいつ表に出すか……それだけのことだ。 明快な答えを所持しているのはドラップであり、アカツキはどちらを選ぶのか訊ねるだけ。 ある意味、酷な問いかけと言えるだろうが、それはアカツキでなければ言い出せないことだし、彼が言い出すべきことだ。 余計な口出しをするつもりはないが、アカツキが迷っているのなら、背中を押すくらいの手助けはしてやりたい。 言ったとおり、完璧すぎては彼らしくない。 一人で悩むこともあるだろうが、どうせならその悩みを皆で共有したい。そうでなければ、人がどうしてこの世界で生きてなどゆけるものか。 だが、もう心配は要らない。 話を聞いてやるだけで、軽く背中を押してやるだけで、あとは坂道を転がる岩のように勢いよく突き進んでいけるはずだ。 「それじゃ、戻ろっか」 「ああ」 アカツキは立ち上がり、アーサーに微笑みかけた。 Side 4 戻ってきたアカツキとアーサーを、ネイトたちは不思議な顔をして出迎えた。 なぜかと言えば、アカツキが少し凛々しい顔を見せていたからだ。 もっとも、当人にそんな自覚はなかったが。 ドラップは奥さんと子供たちと一通り戯れて満足したのか、輝かんばかりの笑顔はそのままに、すぐさまアカツキに家族と紹介してきた。 「ごぉ、ごごぉぉぉ……」 「ごぉぉぉ……」 ――オレの奥さん。かわいいだろ? ――嫌だわ、もう〜。初めまして〜。ウチのダンナが世話になってるわね〜。 人間の言葉に直すなら、こんな感じだろうか。 ドラップも奥さんも、完全にノロけている。 尻に敷かれていると言っていたが、普段は誰もが羨むほど仲睦まじい夫妻なのだ。 「世話になってるわけじゃないって。オレの方が世話になってるよ。 でも、あれから何もなかったみたいだな。良かったよ」 アカツキは笑顔で、差し出されたドラップの奥さんのハサミに触れた。 戦いの時には、車をスクラップにしてしまうほどの破壊力を発揮する凶器だが、普段はちょっと硬いけどほのかに暖かい手と同じようなものだ。 「オレ、アカツキってんだ。 ドラップとはさ、フォレスの森で会ったんだぜ」 アカツキはいつの間にやら周囲をぐるりと取り囲んでいたスコルピたちにも笑顔を向けた。 「スピスピ……」 「スピスピスピ……」 成長すれば泣く子も黙るドラピオンに進化できるのだろうが、今はまだ可愛い盛りと言ったところか。 興味深げにアカツキを見上げながら、ハサミをガチャガチャ鳴らしている。 ――どこでパパと会ったの? ――どんな旅をしてきたの? 興味津々と言った様子のスコルピたちに、アカツキはその場に腰を下ろして、ドラップと出会ってから今までのことを聞かせた。 童話の絵本を話して聞かせる母親のような気分になったが、まさかスコルピたちにそんな話をすることになろうとは、さすがに夢にも思わなかった。 「ドラップとネイトが戦ったんだぜ? 最初は勝ち目ないかなって思ったけどさ、やっぱあきらめるのって嫌だから、ガンバってみたんだ。 なんとか勝てて、それでドラップと一緒に行くことになったんだ」 ドラップをバトルで征し、共に行くことになった。 最初は言うことを聞いてくれなかったが、ソフィア団の襲撃があってから、アカツキとドラップは心を通わせ合うことができた。 それからは旅の話を掻い摘んで聞かせてやった。 さすがに、ドラップの奥さんがダークポケモンになっただの、ドラップが奥さんを取り戻そうとしただのといったことは話せなかったが、 自分でもよくコレだけ話せたものだと思う内容でも、スコルピたちは時に相槌など打ちながら、ちゃんと聞いてくれていた。 尊敬する父親のことだから、一言一句聞き逃すまいとしているのがよく分かった。 思いのほか早く話し終えて、アカツキは一息ついた。 ドラップと旅をしていたことを話しただけなのに、なぜだか気持ちがスッキリしていた。 「ドラップからも何か話してやってくれよ。 ……パパの話、聞きたいよな?」 本当はドラップが話してやる方がいいのだろうが、スコルピたちはアカツキのことも気に入っているようである。 そう思ったので、アカツキがドラップに話を振ると、スコルピたちは一斉に嘶いた。 ――話して。パパの話、聴きたい!! ねだるような口調で言われ、期待度100%の視線で見つめられては、さすがのドラップもタジタジだ。 今までに見たことのない狼狽ぶりに、アカツキは思わず笑ってしまった。 ネイトたちも笑いを堪えるのに必死だったらしく、トレーナーが声を立てて笑ったのに触発されて、一斉に笑った。 「ごごぉぉ……」 ――わ、笑うなよぉ…… ドラップはにじり寄ってくる子供たちに悪戦苦闘しながらも、しっかりアカツキたちに釘を差していた。 もっとも、そんな程度で笑いが収まるはずはなく、奥さんにまでクスクスと小さく笑われて、ドラップの顔は瞬く間に赤くなった。 それでも、ドラップは気持ちを紛らわすためか、子供たちにあれこれ話し始めた。 潮が引くように、真っ赤な顔色も普段と変わらなくなる。 ドラップも、差しさわりのない範囲で――子供たちを傷つけない範囲で話しているのだろう。 ポケモンたちだけでなく、アカツキもドラップがどんなことを子供たちに話して聞かせているのか分かっているが、触れなかった。 父親の口から話すからこそ、子供にとっては価値あるものなのだ。 「でも、ドラップは楽しそう……」 何気ない仕草。 何気ない笑顔。 しかし、アカツキの目には、今のドラップが本当のドラップ……一番幸せだと思っているように映ってならなかった。 チラリと奥さんに視線を向けてみる。 ちょうど彼女もアカツキに視線を向けてきたところで、目と目が合った。 なんとなく気まずい気持ちになったが、奥さんが明るい雰囲気を放っていることに気づいて、ホッと一息。 少しだけ向けられた視線が、暖かく優しい謝意だとすぐに分かった。 ――大事な夫を助けてくれてありがとう。 ドラップの奥さんは、ドラップを心から愛している。 だからこそ、ポケモンと人間という種族の差こそあれど、ドラップが心から信頼を寄せているアカツキに好意的なのだ。 ドラップの奥さんは、暖かく優しい眼差しを、ドラップと子供たちに向けていた。 惜しげもない愛情で、そっと家族を包み込んでいる。 「人とポケモンっていろいろ違うけど、家族を大事にする気持ちとか、そういうのって同じなんだよな。 ……そんな当たり前なことでも知らない人がいるってことなんだよな」 家族の絆に、人間もポケモンもありはしない。 姿形は違えども、家族を思いやる気持ちは変わらないのだ。 そんな当たり前なことでも、知らない人間は多い。 ポケモンはパートナーであると国が定義しているためか、今でこそポケモンの虐待は一時期に比べて大幅に減少しているが、 昔はポケモンを使い捨ての道具と考えていた人間も少なくはなかったという。 そんな昔のことは知らない。 しかし、今でも人とポケモンの間には如何ともしがたい隔たりがあるのだと、アカツキは知ってしまった。 三十年前、本当は何があったのか……? 今となっては確かめる術はないが、フォレスタウンの人たちにとってドラピオンは排斥すべき相手であり、パートナーなどではありえない。 ドラップが子供たちと戯れる姿を見ながら、アカツキは一人、考えをめぐらせていた。 「ちゃんとこういうのを見たら、きっとみんな分かってくれるんじゃないかなぁ。 ま、それが大変なんだけどな〜」 家族を大事にする姿を見れば、きっと分かるはずだ。 人もポケモンも、違うのは姿形だけで、根本に横たわるモノ……大切な誰かを思いやる気持ちは同じものだと。 そして、アカツキはドラップが心の底から笑っているのを見て、思った。 「やっぱり、笑ってるのが一番だよな♪」 ドラップだけじゃない。 誰かが笑っているのを見ていると、こちらまで気分が良くなるものだ。 「オレは、ドラップだけじゃなくて、みんなや他のポケモンが笑ってる顔を見たいんだ……やっと、分かったよ」 どうして、人とポケモンの橋渡しをしようと思ったのか。 単純に、人とポケモンが諍い、傷つけ合うのが嫌だと思っただけではない。 幸せな笑顔を見たいと思ったからだ。 自分たちのしたことで、誰かがただ笑ってくれるなら、笑顔を見せてくれるなら、それだけでいい…… それが、答えだった。 なぜだか昨日あたりから胸がモヤモヤしていたのだが、痞えが取れたようで、気分がスッキリする。 「よし……今なら大丈夫♪ アーサーに言われたこともあるけど……」 アーサーと話して少し楽になったが、それでも心配の根っこまですべて抜けたわけではない。 だが、今なら言える。 今の自分がドラップに言うべきことは、ただ一つ。 あとは、その時が来るのを、心静かに待つだけだ。 ドラップが家族と戯れているのに、横槍を入れるわけにはいかない。 ……しかし、ドラップは子供や奥さんにねだられるがままに、とにかくいろんなことを話していた。 これには見ている方が飽きてしまう。 「ブイ、ブイブイ?」 ――いくらなんでも長くね? ネイトが尻尾で地面を軽く叩きながら言ってくる。 アカツキはポケモンたちを見回したが、皆同じことを言いたげだった。 ドラップが家族を大事に思っているのは素晴らしいし、 今までちゃんと触れ合えなかった分、スキンシップを図っていることをどうこう言うつもりもない。 ただ…… いくらなんでも、やりすぎではないのか? と、そう言いたいだけなのだ。 それでも横槍を入れることもできず、アカツキに助けを求めてきているのだ。 「しょうがないな〜」 すでに一時間以上経過しているので、宴もたけなわではあるが、そろそろ一次会はお開きにしてもらおう。 アカツキはドラップの傍まで歩いていくと、話が途切れるタイミングを狙って声をかけた。 「ドラップ、そろそろみんなに子供のこと紹介してくれよ。 なんか、みんな退屈しちまってさ」 奥さんのことは分かるので、子供を紹介して欲しい。 ドラップにとっては目に入れても痛くない可愛い可愛い子供たちだ。 みんなが退屈していると言われても、気を悪くする様子など微塵も見せず、それどころかハイテンションのまま、皆を傍に呼び寄せた。 「ごぉ、ごごぉ、ごごぉぉぉっ……」 金銀宝石よりも明るい笑顔で、順々に子供たちを紹介していく。 特に名前はつけていないようだが(それがポケモンの営みでは当たり前なことらしい)、パッと見た目はみんな同じに見えて仕方がない。 それでも、ドラップにはちゃんと見分けがついている(親なのだからそれは当然である)。 ネイトたちでも、誰が誰だとすぐには分からなかったが、アカツキにはすぐに見分けがついた。 もちろん、見た目で識別しているわけではない。 少しハサミが短いとか、目つきが鋭いとか、尻尾が短いとか……そういった違いはミリ単位であり、パッと見た目にはみんな同じにしか見えない。 アカツキがすぐに見分けがついたのは、スコルピたちがそれぞれまとう雰囲気の違いによるものだった。 アカツキがちゃんと識別しているのを悟って、ドラップはさらに気を良くしたようだ。 ――さすがは俺のトレーナー、よく分かってる〜♪ 一通り子供たちの紹介も終わり、話が一区切りついた。 感動の再会から一時間弱、盛り上がったムードもそれなりに落ち着いてきたところで、アカツキは思い切って切り出した。 「ドラップ、話があるんだけど、いいかな? できれば、奥さんや子供は抜きで。オレたちだけで話したいことがあるんだけど……」 さすがに、奥さんや子供が傍にいる時に話すことではない。 なにしろ、ドラップに決断を促さなければならないのだ。 話を聞いていれば、ドラップより、奥さんや子供の方が落ち着かないだろう。 「…………?」 改まった口調に、奥さんや子供たちも『普通の話ではない……』と思ったのだろう、少しだけ表情が強張った。 「…………」 ドラップは大事な家族にチラリと視線を向けたが、すぐアカツキに向き直ると、小さく頷いた。 今、ここでなければできない話なのだと、アカツキが放つ真剣な雰囲気が教えてくれているのだ。 ならば、拒否する理由は何もない。 そもそも、アカツキは自分を守ってくれた、ここまで連れてきてくれた恩人なのだ。 「ごぉ、ごごぉぉぉ……」 ドラップは奥さんに『少し話があるから、離れていろ』と言った。 奥さんは何も言わず、子供を連れて洞穴の中に入っていった。少し遅れて、仲間のドラピオンもこの場を立ち去った。 先ほどまでの明るいムードはどこへやら、すっかり真剣な雰囲気が周囲をあまねく覆っていた。 「……いよいよ、か」 アカツキの横顔を見やりながら、アーサーはいよいよこの時が来たのかと思った。 アカツキの口からドラップに伝え、ドラップが考えて決めなければならない問題だ。 誰かが余計な口出しをしたら、その時は力ずくでも止めなければならない。 「もしや、そこまで考えて私に話したか……? ふん、それもいいだろう」 もしかしたら、アカツキはアーサーがそうすることまで読んで、話してくれたのかもしれない。 まあ、どちらであっても、自分がやるべきことに変わりはないのだから、それはそれで構わなかった。 「ブイ?」 ――何を話すんだ? ネイトはアカツキが何を話すのか興味があるらしく、いたって陽気な口調で問いかけてきた。 しかし、気になっているのはリータたちも同じだった。 一体、何を話すのだろう……? 大きな期待と小さな不安が入り混じった視線を、アカツキに向けている。 向けられる視線をものともせずに、アカツキは口を開いた。 「ドラップ、家族に会えて良かったよな。 ……それで、簡単に聞くんだけどさ。ドラップはこれからどうしたい?」 「ごぉ?」 何を言われているのか分からず、ドラップは首を傾げた。 アカツキの傍にいるうちに影響されたのか、妙に人間くさい仕草だが、実際、ドラピオンは頭部を百八十度回転させることができるのだ。 そちらの方が恐らくは簡単だろう。 「…………ブイ?」 後半は単刀直入。 前半と後半がまるで噛み合わないこともあって、ネイトたちも意味が分からないようだった。 「今までオレたちと一緒にガンバってきたけどさ。 ドラップには大事な家族がいるんだ。 オレたちと一緒に行きたい? それとも、家族と一緒にここで暮らしたい? オレは、ドラップが決めたことなら、尊重してあげたいって思ってるんだけど……」 「ブイっ……!!」 皆まで言われて、ようやっと理解できた。 ネイトたちがアカツキに向ける眼差しが、鋭さを増した。 数本の槍でまとめて刺し貫かれるような気持ちになったが、アカツキはドラップだけを見ていた。 突然、二択を突きつけられて、戸惑っているドラップだけを見ていた。 長い首を垂れて、どうすればいいのか決めかねている。 ドラップが困っているのを見て、ネイトが声を上げた。 いくらトレーナーのことが大好きでも、仲間を困らせるのはいけないことだ……そう思っているからだ。 「ブイ、ブイブイっ、ブイっ!!」 ――せっかくドラップが家族に会えたのに、なんてことを言うんだ!! 荒げた声に、他のポケモンも同調するような雰囲気を放った。 ドラップが家族と再会したおめでたい席で、どうしてそんな辛いことを言わなければならないのか……? 敵意とまでは行かなくても、疑いのこもった眼差しをじっと、アカツキに注いでいる。 「ベイ……ベイベイ?」 ――そうだよ。今言わなきゃいけないことじゃないよ。 リータはネイトとは対照的に、おずおずといった調子で言葉を紡いだが、言いたいことは同じだった。 ネイトたちの厳しい視線がアカツキに突き刺さる中、アーサーだけは淡々と構えていた。 元々そういうヤツだからと、皆、あまり気にしていないのかもしれない。 「みんなの言いたいことは分かるよ。 でも、今じゃなきゃダメなんだ。 明日、オレたちはレイクタウンに戻るから。そうなる前に話さなきゃいけないことなんだ」 アカツキは深く深いため息をつき、淡々と言葉を返した。 やはり、アーサー以外は直面している現実に気づいていないようだ。 「ドラップには家族がいるんだぜ? オレたちの仲間でもあるけど、奥さんや子供にとってみりゃ、大事な大事なパパなんだぜ? ……どっちも選ぶなんて、そんなの無理に決まってんだろ?」 「……ブ、ブイっ……」 穏やかに、しかし柔らかいところをソフトに突かれ、ネイトたちは動揺した。 ――そういえば……そうだった。 揃いも揃って、しまったと言わんばかりの表情を浮かべる。 今になって、分かったのだ。 同時に、今まで気づかなかったのがおかしいと理解する。 アカツキはすでに気づいていた。 だが…… 「ブイ、ブイブイ、ブイっ!!」 ――だったら、どうして言ってくれなかったんだ!! ネイトはそれでもアカツキに噛みついた。 そんな風に考えていたのなら、ちゃんと話して欲しかった。 話してくれたら、みんなでいろいろと考えて、いい知恵も出たかもしれない。 しかし、アカツキはすぐに否定した。 「そんなことしたら、ドラップが家族に会おうって気を失っちまうよ。 そんなの、意味ねえじゃんか」 「ブ、ブイ……」 「ベイ……」 先にそんなことを話してしまえば、ドラップが家族と再会を果たすことを心の底から喜ぶことができなかっただろう。 だから、ネイトたちにも黙っていた。 いや、アーサー以外の誰かに伝われば、必ず伝播する。 それが分かっていたから、アカツキは敢えて黙っていたのだ。 本当に、小さなことしか考えていなかった。 アカツキよりも、自分たちの方がドラップのことを考えていると思っていたが、まるで違っていた。逆だった。 アカツキの方が、ドラップのことを本当に考えていた。 敵わないな…… 悔しい反面、さすがは自分たちのトレーナーだと、ネイトたちは素直に負けを認めていた。 「…………」 皆が黙り込んだところで、アカツキは改めてドラップに訊ねた。 「ドラップは、家族のことを本当に愛してるんだよな。 だからさ……ここで決めてほしいんだ。 どっちを選んだって、オレは……ううん、オレたちはドラップの決めたことを尊重する。 義理だとかなんだとか、そんなことはどうだっていいからさ、ドラップが本当にやりたい方を選んでほしいんだ。 オレたちと一緒に行くか、それとも……ここで家族と一緒に暮らすか」 自分でも、冷たいことを言っているという自覚はある。 しかし、ドラップには家族がいるのだ。 それが分かってしまった以上、そちらを放っておくことはできない。 酷でも、どちらか選んでもらわなければならない。 家族を放り出してでも旅を続けようと言えば、ドラップは迷いながらも従ってくれるだろう。 しかし、それではダメなのだ。 ドラップが考えて、納得した上で選んだ答えでなければならない。 ここで決断を迫られているのは、アカツキでもネイトでもない。他ならぬ、ドラップなのだから。 ドラップはじっと地面の一点を凝視したまま、微動だにしなかった。 胸中では激しく渦巻く気持ちが、しのぎを削っているのあろう。 家族と共に暮らしたい…… だけど、アカツキたちと一緒に広い世界を旅したい…… どちらも大切だから、簡単に片方を斬り捨てることもできない。 辛い立場なのは、アカツキ自身が誰よりも理解している。 それでも…… 「ドラップには家族がいる。 家族のためにも、ドラップが決めなきゃいけないんだ」 アカツキはグッと拳を握りしめ、思った。 先ほど見せた、心の底から幸せを噛みしめているようなドラップの笑顔。 そんな笑顔を見たいから、アカツキは人とポケモンの橋渡しになろうと思ったのだ。 ポケモンとすぐに仲良くなれる特異な能力だが、それを存分に活かせるのだから、もしかしたらそれが天職なのかもしれない。 ドラップが迷い、悩んでいるのは誰もが理解している。 だからこそ、誰も何も言わなかった。 答えを急いたり、誘導したりはしなかった。 「ブイ……」 ネイトはドラップが悩んでいるのを見て、胸が痛んだ。 どうして、ドラップだけがこんな風に悩まなければならないのだろう……? 本当は自分たちも一緒に悩みたい。 そのための仲間だと思っている。 しかし、ここで自分たちが加われば、ドラップは間違いなく『仲間』を取ってしまうだろう。 それでは意味がないのだ。 選ばれなかった方は、もしかしたら一生捨てることになるかもしれないのだから。 もどかしい気持ちを抱えているのは、アカツキをはじめ、全員が同じだった。 だから、みんなで口を出したい気持ちを抑えている。 「…………」 ドラップは何も言わない。 本当はどちらも選びたいのだろう。もしかしたら、どちらも捨てられたら……と思っているのかもしれない。 突然の二択に戸惑っているだけでもなければ、簡単に決められるわけでもない。 「これは、ドラップが決める問題だ…… 私たちがとやかく口を出して良いものではない。 だが、思っているような事態にはならなかったようだな。さすが、とでも言うべきか」 静まり返った場の雰囲気に、アーサーは胸中で小さくつぶやいた。 もしも場が荒れたら、その時はアカツキに代わって力ずくでもネイトたちを止めようと思っていたのだが、そうする必要もなさそうだ。 陽気で明るくてバカっぽくても、アカツキには仲間の気持ちが理解できているのだ。心配も必要なかったかもしれない。 普段の子供っぽさと、こういう時の大人っぽさとのギャップはなんとかしてもらいたいが、それがアカツキの魅力でもあるのだろうと結論づける。 アカツキも仲間たちも、何も言わず、ドラップが答えを出すその時をじっと待っている。 まるでガマン比べ。 一時間が過ぎ、二時間が過ぎ…… 木漏れ日が角度を変える中、元から薄暗かった森はさらにその闇を増してゆく。 ドラップの家族は洞穴で息を潜めている。 こちらのことを気にしているようだが、それでも口出しをしてこない。 「…………」 「…………」 すぐに決められるはずがない。 それは分かりきっていることだ。 だから、気長に待つつもりでいる。 それが今の自分にできる精一杯のことだと、そう思っているから。 しかし、ドラップは長いこと悩んで、迷って……そしていつしか、一つの結論を出した。 「ごぉ、ごごぉぉぉ……」 感情を押し殺したような声音に、アカツキをはじめ、全員が弾かれたように顔を上げた。 視線を合わせれば、きっと迷わせてしまう。 そう思って、目を伏せていたのだ。 何時間かぶりに見るドラップの目には、決意が宿っているように思えた。 「ごぉ、ごぉぉぉ、ごごごぉ……」 「うん。それで?」 「ごぉぉぉぉ……ごごごごっ」 「そっか……」 相槌を打ちながら、ドラップの言葉を聞く。 悩んで迷って……そうやって決めた言葉には、一言一言、何とも言えない重みがあった。 こういった言葉にこそ、答えにこそ価値がある。 納得した上で選んだことならば、それが何よりも自分自身のためになるのだ。 「ドラップは……どっちも捨てられないんだよな」 「ごぉ……」 アカツキの問いに、ドラップは深く頷いた。 ドラップが選んだのは、両方だった。 どちらか選べと言われて両方選ぶのは反則で失格になるところだが、ドラップの選んだ答えなら、アカツキは尊重するつもりだ。 それがたとえ、あらかじめ定まっていた二択から外れたものであっても。 家族は言うまでもなく大切。 血のつながりのある子供たちと、直接の血のつながりはなくても、溢れる愛情でつながっている妻。 しかし、ドラップにとっては今まで生きてきた中のほんの一部分でしかない『アカツキたちと過ごした時間』も大切なのだ。 どちらも捨てられないなら、どちらもギュッと抱きしめてやりたい。 本当に贅沢な答えだが、アカツキもネイトたちも、そんな風には思っていなかった。 ドラップが選んだ答えなら、それでいい。 どちらに転ぼうと、ありのままに受け入れるつもりでいたからだ。 「でもさ、当分は家族と一緒に過ごしてやれよ。 今まで、奥さんともちゃんと話とかできなかっただろ? スコルピたちも、パパがいなくてすっごく淋しかったと思うからさ。たくさん甘えさせてやって、遊んであげなきゃいけないぜ?」 「ごごっ」 アカツキの言葉に、ドラップは首肯した。 どちらも選ぶと言うのなら、それもいい。 しかし、今まで家族を気にかけられなかった分、しばらくは一緒にいてやらなければならない。 「何日になるか分かんないけど、オレたちは一度レイクタウンに戻って、またいろんな場所に行くつもりなんだ。 途中で、またここに来るから。 その時は……一緒に来てくれるか?」 「ごぉっ!!」 ドラップはアカツキの気遣いに感謝感激雨霰(カンシャカンゲキアメアラレ)状態だった。 自分の選択を一笑に付すことなく、文句を言うこともなく、ただありのままに受け入れてくれた。 ただそれだけのことなのに、本当にうれしい。 喜びあまって、ドラップは長い腕でアカツキの身体をギュッと抱きしめた。 「わっ、ドラップ……!! くすぐったいってば!!」 いきなり抱きつかれるとは思わなかったが、アカツキは戸惑うよりもむしろ笑っていた。 ドラップの身体は思ったよりもゴツゴツしていたが、微妙な突起がくすぐったく感じられる。 「…………ブイっ、ブイブイっ♪」 何はともあれ、丸く収まって良かった。 ネイトは景気付けと言わんばかりにはしゃぎ立てると、尻尾をクルクル回して頭上に水鉄砲を打ち上げた。 他のポケモンたちも、ドラップが自分たちも選んでくれたことにホッと安堵していた。 どちらを選んでも受け入れるつもりでいたが、やはり『家族を選んだら……』という不安は付きまとっていたのだ。 自分たちを選んでくれるのが一番だが、それでも、家族も一緒に選ぶ。 ドラップの器の大きさを見せ付けられたような気がしても、むしろそれがとてもうれしかった。 ネイトに倣って、イタズラ好きなアリウスがここぞとばかりにドラップにちょっかいを出した。 尻尾でくすぐったり、目隠しをしたり。 「ごぉっ!? ごごごごっ!?」 いきなり目をふさがれて、ドラップは驚いてアカツキを放り投げてしまった。 「わわっ、と……あぶねえ……」 危うく地面に叩きつけられるところだったが、受け身が身体に染み付いていたせいか、あっさりと着地。 「こら、アリウス!! やる時はやるって言ってくれなきゃダメだって!!」 悪気はないのだろうが、善意もないのだから始末に負えない。 それでも、アリウスはうれしさが祟ってこういう行動に走っているだけだ。 ネイトとアリウスの明るい雰囲気に触発されて、リータたちまで声を上げてはしゃぎ始めた。 それから程なく、明るい雰囲気を察知したドラップの家族たちも登場して、てんやわんやの大騒ぎになった。 陽が傾き、暗く淀んだ森の中にいるとは思えないほど、誰も彼も、明るい気持ちを満喫していた。 To Be Continued...