シャイニング・ブレイブ 第22章 その笑顔のために -Just it Smile!!-(3) Side 5 ――アカツキが故郷を旅立って77日目。 昨日はドラップの家族や仲間たちと親睦を深め、夜半までドンチャン騒ぎをしていただけあって、アカツキはあっという間に疲れ果てて眠ってしまった。 目が覚めて、軽く腹ごしらえをしてから、アカツキたちはレイクタウンに戻ることになった。 ここから歩いて戻るのも面倒なので、ライオットの背中に乗って一息に戻ることにした。 ただ、ドラップはしばらく家族と共に暮らすことになったので、ここでお別れだ。 森の中でも比較的木々の少ない場所に案内されたが、ここから空へ飛び立つことになる。 ライオットを傷つけるわけにはいかないし、手付かずの自然を一部ぶち壊してまで空へ飛び立とうとは思わなかったからだ。 ライオットの負担にならないよう、背中に乗るのはアカツキだけ。ネイトたちはモンスターボールに入ってもらった。 アーサーはボールに入りたくないとゴネていたが、ライオットの負担になるからということで納得し、渋々ボールの中で休んでいる。 案外、そういった手合いほど、ボールの居心地の良さにすっかりハマりこんで、外に出てこようとしないのかもしれないが…… アーサーには、期待するだけ無駄かもしれない。 まあ、それはともかく。 「それじゃあ、ドラップ。 奥さんと子供のこと、大事にしてやれよ。 オレたち、しばらくいろんなところ旅して、また迎えに来るから」 「ごぉぉっ」 アカツキはライオットの背にまたがると、どこか名残惜しそうな顔を向けてくるドラップに微笑みかけた。 納得して選んだ答えのはずだが、今までずっと傍にいてくれた仲間がしばらくいなくなってしまうという不安はあるのだろう。 家族がその穴を埋めてくれるにしても、完璧でもない。 だが、またいつか一緒に旅ができるのだから、ウジウジもしていられない。 仮にもドラップは一家の大黒柱である。 弱いところなど不必要に見せるわけにはいかない。子供の情操教育にも悪影響を与えるだろう。 「ゆっくり過ごすんだぞ」 「ごぉっ」 「それじゃ、ライオット。行こうぜ」 アカツキの言葉が終わるが早いか、ライオットは翼を広げ、飛び立った。 「奥さん、スコルピ〜。ドラップと頑張れよ〜」 「スピスピスピ……」 飛び立つアカツキに、スコルピたちがガチャガチャとハサミを鳴らして応える。 いい遊び相手だと思っているので、『また来てね〜』と言っているのだ。 ドラップたちの見送りを受けて、アカツキたちは森を抜けて、空へ飛び立った。 ほんの一日と経っていないのに、空の青さは新鮮で、それでいてとても明るく気持ちよかった。 ライオットはレイクタウンの方角を理解しているらしく、迷うことなく南西へと進路を取った。 アカツキは背後に『忘れられた森』が遠ざかるのを、じっと肩越しに見つめていた。 「ドラップ、また迎えに行くからな」 このまま放っておくのが、もしかしたらドラップのためになるかもしれない…… 正直、そう思わなかったと言ったらウソになる。 ドラップには、家族と一緒に幸せになってほしい。 しかし、ドラップは両方を選んだ。 それがどういった結果をもたらすのか……今は分からなくても、たとえどんな結果になろうと、ドラップはすでに覚悟を決めているはずだ。 だから、何も言わない。 両方選んだからには、いつか迎えに行った時、心変わりしていたとしても首に縄つけてでも連れていくつもりだ。 もっとも、そうなる心配はないだろうが。 ドラップが決めたことなら、アカツキはその選択を尊重しなければならない。 それが、トレーナーとしてポケモンのことを『真に思いやる』ということなのだ。 「でも、今はゆっくりしててほしいな」 ソフィア団との戦いは、ドラップにとって心身ともにきつかったはずだ。 増してや、ネイトがダークポケモンになってしまったのも、自分がトロトロしていたせいだと責任も感じていた。 あれから一月近く経つが、ドラップの心が完全に癒えたとは思えない。 人もポケモンも、心は繊細なものなのだ。 家族と久しぶりにノンビリ過ごして、羽根を伸ばしてもらう。 いつかまた一緒に旅に出た時に、心の底から旅を楽しんでもらうために、気持ちを切り替えてもらうのだ。 「さ〜て、オレたちはレイクタウンに戻って、次はどこ行こうかな♪」 まずはレイクタウンに戻り、ラシールを迎えに行かなければならない。 ドラップが外れたことで、手持ちに枠が一つ空いたのだ。 いつまでもラシールをキサラギ博士の研究所に預けっぱなしにするわけにもいかないので、迎えに行かなければならない。 もしかしたら、レイクタウンから旅立ってからまた新しい仲間が加わるかもしれないが、 その時はその時で、他のポケモンをキサラギ博士の研究所に預ければいい。 「ま、とりあえずレイクタウンに着いてから考えるかな」 今は、アカツキたちとドラップ、両者は別々の道を行く。 いつか迎えに行く時までに、今より少しでも強く優しくなれればいい。 アカツキは視線を前方に戻した。 透き通るような青い空、雲と同じ目線に立っている。 ネイゼル地方北東部にそびえる山に負けないくらい、ライオットが高度を上げたのだ。 アカツキは落ちないようにしっかりつかまりながら、前方を指差して叫んだ。 「ライオット、ビュンビュン飛ばしていいぜ!!」 「ごぉぉんっ」 翼を広げたライオットは、まるで一筋の矢のように、空を一直線に駆け抜けた。 全速力でかっ飛ばしていったことが幸いしてか、『忘れられた森』を飛び立ってから三時間と経たずにレイクタウンに舞い戻ることができた。 キサラギ博士の研究所の敷地に舞い降り、アカツキはライオットを労った。 「ライオット、お疲れさん。 疲れただろ? ゆっくり休んでてくれよ」 「ごぉぉぉんっ♪」 全力で飛び続けるのは思いのほか疲れたが、ガンガンかっ飛ばしてみるのも、なかなか面白いものだ。 ライオットが笑顔で頷くと、アカツキはモンスターボールに引き戻した。 「さ〜て、と」 六日ぶりに戻ってきたが、やっぱり生まれ育った街の空気が一番肌に馴染んでいる。 思いきり背伸びして、深呼吸する。 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、心の底からリフレッシュ。 「それじゃ、ラシールを迎えに行くかな」 アカツキは心身ともにリフレッシュすると、ラシールが根城にしている林へと向かった。 シンラのポケモンもいるはずだが、久々に彼らと話をしてみるのも悪くない。 相変わらず、研究所の敷地にはノンビリした時間が流れていた。 旅立つ前に何度も……何十回も何百回も見てきた光景だが、不思議なことに何度見ても飽きが来ない。 もしかしたら、少しずつ何かが違っているのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。 歩きながら、ネイトたちをボールの外に出してやる。 特に、アーサーはライオットの負担になるまいと、あんなに嫌がっていたボールに入ってくれたのだ。 用件が済んだら、すぐに出てきてもらわなければ……マジメな者ほど、機嫌を損ねたり怒らせたりすると怖いものだ。 「ブイっ♪」 何年も過ごしてきた町に戻ってきて、ネイトは心底うれしそうだった。 ダークポケモンの状態では喜ぶに喜べなかったので、今になって喜びが爆発したらしい。 「狭い……」 一方、アーサーはやっと出られたと言わんばかりに嘆息した。 ボールの中は、あまり居心地が良くなかったらしく、窮屈そうに身体を伸ばしている。 「アーサー、ごめんな。ガマンさせちまって……」 あれだけボールに入ることを嫌がっていたのだ。 ご機嫌斜めに違いないと思って声をかけたが、アーサーは思いのほか紳士的な対応をしてくれた。 「仕方あるまい。 私が空を飛べれば良いのだが、出たままではライオットに負担をかけることになるからな。 それはそうと、ライオットはどうした?」 「うん。疲れてるから、ボールに戻したよ」 「そうか……」 「それより、ラシールを迎えに行くんだ。みんな、行こうぜ」 久々の新鮮な空気を堪能しているポケモンたちを引き連れて、アカツキは再び歩き出した。 水辺を迂回してしばらく歩いていくと、林に入る。 アカツキが仲間を引き連れて敷地内を歩いているのは、嫌でも目に付く。 ラシールは林に入った途端、飛んできた。 「キシシシシ……」 「ラシール、お待たせ〜♪」 喜びに満ちた表情で飛んでくるラシールを、アカツキは両手で受け止めた。 ――待ち侘びたぜ〜。 六日とはいえ、アカツキたちと離れて一人過ごさなければならなかったのだ。 淋しかったに違いない。 今浮かべている笑顔も、淋しさの裏返し。 そう思って、アカツキはラシールを存分に甘えさせてやった。 皆もラシールの気持ちを理解して、とやかく口を出さないでいる。 「ラシール。これからは一緒に出かけられるからな。安心していいぜ」 「キシシシシシっ♪」 久々にアカツキの笑顔と温もりに触れて、ラシールも満足したらしい。 すぐに彼の腕から飛び立って、忙しなく四枚の羽を羽ばたかせて飛び回る。 「そうだ、ラシール。グリューニルたちは元気にしてる?」 ラシールを迎えに来たのもそうだが、グリューニルたちにも会いに来たのだ。 「シシッ」 ラシール曰く、グリューニルたちは少しずつ、敷地のポケモンたち交流を持ち始めたのだそうだ。 アカツキのポケモンであるラシールを介して、少しずつではあるが、周囲に心を開き始めたという。 「そっか、そりゃいいこった」 歓迎すべき変化だと、アカツキは素直に喜んだ。 グリューニルたちは強くて優しいポケモンだ。 当人たちは悪ぶっているようだが、ちゃんと付き合えば、友人も多くできるのだが…… 以前、キョウコから『マミーにしか懐かない』と言われたのを思い出す。 しかし、変わろうと思えば変わるのだ。 その時は、シンラがいなくなってしまって、何も考えられなくなっていただけだ。 余計なことを考えるのが嫌だからと、何もかも遠ざけていた……それだけのことだ。 「ブイ……ブイブイ?」 ――グリューニルって、シンラのポケモン? あまり聴きたくない名前を耳にして、ネイトが眉間にシワなど寄せながら訊ねた。 「うん。そうだよ。 ソフィア団を敵に回して戦った時はすっごく強くて嫌なヤツだって思ってたけど、話してみたら、結構気さくでいいヤツなんだ。 ネイトも、きっと仲良くなれると思うぜ」 「…………」 本当に? ネイトはアカツキの言葉に懐疑的な表情を見せた。 正直、アカツキがグリューニルと話していた時のことは覚えていない。 見聞きしたことは覚えているのだが、無意識にその時の記憶だけ封印してしまったのかもしれない。 人もポケモンも、嫌なことは忘れようとするものだ。 しかし、アカツキがそう言うのだから、頭ごなしに否定的な考えを持つのは止めにしよう。 せっかく懐かしい場所に戻ってきたのだから、そんなつまらないことで気に病むなんてバカらしい。 「それじゃ、行こうぜ」 リータたちも、どこか割り切れないところはあるようだが、ネイトも元に戻ったことだし、 アカツキも彼らに好意的な感情を抱いているようなので、敵対したところで無意味だと分かっていた。 思いのほか軽い足取りで、アカツキたちは林の奥へと向かった。 やがて虫の音が聴こえなくなったところで、切り株の上でゆったりと腰を下ろしているグリューニルの姿を認めた。 「お〜い、グリューニル〜」 「…………!?」 アカツキが大きな声をかけると、グリューニルは肩をピクリと震わせ、振り向いてきた。 「ラージ……」 懐かしいヤツが来た。 グリューニルは小さく嘶くと、重い腰を上げた。 ……と、どこに潜んでいたのか、近くの木の枝から、ローウェンとラグリアが姿を現した。 「…………!? 気配が読めなかった……さすがと言うべきか」 アーサーは驚きを禁じ得なかった。 姿を見るまで、ローウェンとラグリアの気配に気づかなかったのだ。 昔ほどの力が残っていれば、どんな相手だろうと、どんなに気配を殺していようと確実に気づいていた。 やはり、昔と比べると力が衰えている。 長い間眠り続けていたためか、それとも封印を強引に解除された影響か……どちらにしろ、昔ほど大胆に戦うことはできそうにない。 それだけは認めなければならないだろう。 アーサーが胸中でブツブツつぶやいていると、グリューニルたちがやってきた。 「ラージ、ラグラージ……」 「うん、久しぶり。みんな元気そうだな♪」 「ラージ……」 ――おまえたちは相変わらず元気そうだな。 ――当然だ。シンラが戻ってくるまで、オレたちが先にくたばるわけにはいかないだろう。 軽く挨拶を交わすと、グリューニルは上機嫌と言わんばかりに笑みを浮かべた。 ローウェンもラグリアも、ここの暮らしに慣れてきたのだろう、以前と比べれば気持ちの余裕が出てきたような面持ちを見せている。 以前は敵対していたとはいえ、今は気のいい友達。 ネイトを除き、すっかりグリューニルたちに気を許していた。 コテンパンに叩きのめされたという経験は苦いものだが、過去にばかり目を向けていても仕方がないと思っているのだろう。 しかし、ネイトだけは違った。 「…………」 鋭い眼差しで――あるいはそれは嫉妬とも取れるものだったが――、グリューニルを睨みつけている。 自分をダークポケモンなどというシロモノに作り変えたヤツの仲間ともなると、さすがに気安く話しかけようという気が起こらないのだろう。 一人だけささくれ立った雰囲気を放出しているネイトを余所に、アカツキはグリューニルだけでなく、ローウェンやラグリアとも会話を交わしていた。 ローウェンは気難しそうだと思っていたが、そうでもない。グリューニルほどではないものの、思慮深く、それでいて気さくだ。 ラグリアは恐竜時代に生きていたと言われるプテラの所以か、最近は暴れたりないと言っている。 一通り会話をしたところで、グリューニルがアカツキに切り出した。 「ラージ、ラグ、ラグラージ……ラージ?」 ――ドラップとかいうヤツはどうした? 一緒じゃないのか? 一人足りないと、疑問を呈してきたのだ。 気のいい友達という間柄だ、少しくらいのことなら遠慮なく聞いてくるものらしい。 「ああ、ドラップは今、家族水入らずの時間を過ごしてるんだ。 ほら、ドラップは『忘れられた森』で暮らしてたからさ」 アカツキはあっさりと、ドラップと別行動していることを打ち明けた。 少しはくぐもった言い方をするだろうと思っていたアーサーは、アカツキのストレートな言葉に目を剥いた。 「……少しくらいは脚色すればいいものを。 まあ、隠し事が下手なのは、グリューニルたちも理解しているようだな……」 隠し立てするようなことではないが、何も真実100%のジュースを提供する必要はないだろう。 言い終えてからでは如何ともしがたいが、まあよしとしよう。 ただ、さすがにアカツキもこんなことまでは言わなかった。 ――ドラップが、シンラによってダークポケモンの実験の素材にされていた。 シンラがしてきたことは、今でも許せない。 グリューニルたちも、良心の呵責があるのだろう。 いつかはシンラと共に正面から向き合っていかなければならないことだが、何も今、傷口に塩を塗りたくるようなことをする必要もない。 ポケモンの気持ちを理解できるからこそ、アカツキは細やかな気配りも忘れなかった。 仲間や友達への気配りを忘れない。 それは大人でもなかなかできることではないが、逆に子供だからできることもあるのだろう。 感心しつつも、アーサーは先ほどからずっと気になっていることを訊ねてみた。 「……アカツキ。一つ聞きたいことがある」 「なに、アーサー?」 振り返ってきたアカツキに、アーサーは真剣な眼差しを向けた。 「ドラップのことだ。 ……あのまま、あの森に置いてきた方がいいと思ったことはないか?」 「あるわけないじゃん」 何をバカなことを……と言わんばかりに、アカツキは即答した。 しかし、次に彼の口から飛び出した言葉は、即答を否定するようなものだった。 「でも、普通に考えりゃ、ドラップはずっと家族と暮らしたかったと思うから。 アーサーの言うとおり、ホントはその方がドラップにとっては幸せかもしれないけどな」 「ならばなぜ、迎えに行くと言った?」 「ドラップがそれを望んでるからさ。 大体、オレたちが何を考えたって、ドラップが何を幸せだって思ってるのかなんて分かんないんだよ。 だから、ドラップが選んだ答えに従う。 それが違うモノだとしてもさ、オレたちが支えてあげりゃいいんだ。違う?」 ……無責任かもしれないけどな♪ 最後に小さく舌を出しながら、おどけるような表情と声音で締めくくる。 アカツキのポケモンたちのみならず、グリューニルたちまで唖然としている。 ――そんな簡単に考えていたのか……? そんな風に言いたげな表情だったが、本当のところはその逆なのだと、全員が理解していた。 ドラップの幸せは、ドラップにしか分からないもの。 他人があれこれ考えたところで、それは押し付けがましいものに過ぎない。 だからこそ、ドラップが決めた答えに従う。 ただそれだけのことだ。 「ま、そういうわけだから。 ちゃんと、ドラップは迎えに行くよ」 「うむ……」 あまりに軽い調子で言うものだから、現実味がついてこない。 「それよりさ……」 アカツキはグリューニルたちを避けようとしているネイトの手を引っ張った。 「……!?」 いきなり手を引っ張られて、ネイトはビックリしていたが、アカツキは構わなかった。 「ネイト、グリューニルたちのこと避けちゃダメだって。 そりゃ、嫌いな気持ちも分からなくないけどさ。 でも、オレはネイトがちゃんと戻ってきてくれりゃ、それでいいんだから」 「ブイ、ブイブイっ!!」 心を尽くして言葉を紡いだが、ネイトはすべてを納得して聞き入れたわけではなかった。 アカツキの言いたいことは理解しているものの、やはり、シコリが残っているのだろう。 「まあ、いきなりは無理だよな。 でも、仲良くしてやってくれよ。一応、友達なんだからさ」 「ブイっ……」 ――分かったよ、アカツキがそう言うなら。 ネイトは渋々納得した。 アカツキをこれ以上困らせたくないと思ったのだろう。 二人のやり取りを、グリューニルたちは黙って眺めていた。 自分たちがしてきたことは分かっているつもりだ。 他者にばかり犠牲を強いることが、正しいこととは思わない。 ……あるいは、ネイトこそが最大の被害者であることも理解しているつもりだ。 だから、ネイトが自分たちに敵対心を抱いているかもしれないということも、ちゃんと受け止めるつもりでいる。 しかし、ここで予期せぬ方へと動き出す。 「ブイ、ブイブイっ、ブイっ!!」 ネイトが突然、グリューニルを指差し、激しい声を上げたのだ。 「ネイト……マジ?」 「ブイっ!! ブイブイっ!!」 「……まあ、いいけど……」 アカツキはため息混じりに言い、肩をすくめた。 ネイトは何も、グリューニルたちを敵視しているわけではない。 友達だと言うのなら、自分でそれを確かめてから認める……そう言っているのだ。 つまるところ、ネイトはグリューニルにバトルを挑んだわけである。 かつて、研究所の水辺でシンラが襲撃した時に戦ったのだが、その時は手も足も出なかった。 一度も勝つことができないまま、友達という関係になるのは許せない。 もしかしたら、今回も負けるかもしれない。 しかし、これがネイトなりのケジメのつけ方なのだ。 本気で戦うつもりがあることを、アカツキはグリューニルを睨みつけるまっすぐな眼差しから嫌でも悟らざるを得なかった。 「分かったよ、ネイト。 それでネイトの気が済むんだったら、付き合うよ」 「ブイっ」 ――当然だ。 ネイトは得意気な表情で胸を張った。 すっかりやる気になっているネイトを横目に、アカツキはグリューニルに頼み込んだ。 「……そういうわけだからさ、ちょっとだけ付き合ってくんない? ネイト、こう見えてもガンコでさ。一度言い出すと、なかなか取り消してくれないんだよ」 「ラージ……」 ――分かった、オレで良ければ相手になろう。しかし、おまえの仲間とはいえ、手加減はしないぞ。 グリューニルも、戦うことは嫌いではない。 ちょっと気が進まないのは事実だが、それでもあからさまに戦う意思を見せ付けられている以上、尻尾を巻いて逃げ出すのはもっと気に入らない。 「それじゃ、林の外に出ようぜ。ここじゃ、思うように動けないからさ」 アカツキの提案により、一同は場所を移すことになった。 林を出てすぐの地点で、ポケモンがあまり寄り付かない場所だった。 Side 6 場所を移し、すっかりネイトは意気込んでいた。 林の近くにある岩場で、グリューニルと対峙する。 グリューニルの背後にはローウェンとラグリアが陣取り、「さて、どうなることやら……」と言わんばかりの表情を浮かべていた。 一方、ネイトの背後には誰もいない。 アカツキが「オレがちゃんと指示出すから」と言ったのだが、ネイトはあっさりと突っぱねた。 ――自分だけの力で戦う。余計な口出しはするな。 珍しく、意固地になっている。 アカツキの力を借りなければ勝てないと思われるのが……いや、自身でそう思うことを嫌がっているのだろう。 そういうわけで、アカツキたちは少し離れたところでネイトとグリューニルの戦いを見届けることになった。 「今日はずいぶんと意地を張っているな。普段は違うのだろう?」 トレーナーに似ていると定評のある(?)ネイトが、今日はアカツキに反発しているのだ。 グリューニルたちを前に、冷静でいられないだけかもしれないが、それにしては意固地になっている。 アーサーに訊ねられ、アカツキは苦笑した。 「うん。 いつもは明るくて陽気なんだけどさ……なんていうか、グリューニルに負けたこと、根に持ってるみたいなんだ。 ……しょうがないとは思うんだけど」 「なるほど……」 負けたままでいるのが許せない。 負けたまま、友達になることなどありえない。 ネイトにはネイトのプライドがあるのだろう。 誰の役に立つとも思えないちっぽけなものだが、それでもネイトにとっては大事なものなのだ。 ならば、それを尊重してやるべきだろう。 傷つくことを承知で、格の違う相手に戦いを挑もうとしているのだから。 アカツキの指示を受けた方が、効率的に戦えることも分かっているはずだ。 それでも自分だけの力で戦うことにこだわっているのは…… 「相手と同じ目線に立ちたい、ということか」 グリューニルに指示を出すトレーナーはいない。 それなら、自分もトレーナーの指示を受けずに戦う。 正々堂々、同じ土俵で戦うという意思表示なのだ。 なかなかどうして、天晴れな心がけ。 アーサーは黙って、この勝負の行方を見届けることにした。 「…………」 「…………」 睨み合うネイトとグリューニル。 「どうなるのかなあ……」 アカツキは笑顔だったが、内心、心配でたまらなかった。 グリューニルの実力を知っているだけに、今のネイトではとても勝ち目がないと思っているのだ。 しかし、意地になったネイトを止めることは、アカツキでも不可能だ。 その逆もまた然り。 ……というわけで、黙って見ているしかない。 心静かに構えているアーサーを余所に、リータたちは心配そうな表情をネイトに向けていた。 無茶もいいところだが、その気になったネイトを止めることはできそうにない。 できるとカケラほどでも思っているのなら、アカツキが止めている。 それがないということは……そういうことなのだ。 緊迫した空気が、岩場を満たす。 ダークポケモンになったことで特段、強さが増したことはないが、それでもネイトは、今の自分なら十分に勝ち目があると思っていた。 根拠など何もない。 ただ、漠然とそんな風に思えるだけだ。 自惚れと後ろ指を差されようが、そんなのは知ったことじゃない。 一分、二分…… ネイトとグリューニルは睨み合ったまま動かない。 互いに攻め込む隙を窺っている。 「ネイトがグリューニルに勝てるのはスピードだけなんだよなぁ……」 アカツキは、ネイトとグリューニルの間に横たわる実力差を冷静に分析していた。 ラグラージは一般的に、素早さに優れているとは言いがたいポケモンだ。 身軽なネイトの方が、スピードでは上回っている。 しかし、相手は並のラグラージではない。ネイゼルカップ優勝者のラグラージだ。 セントラルレイクの湖畔に住んでいるラグラージが束になっても勝てるかどうか…… と、考えを頭の中で転がしていると、ネイトが動いた。 自慢の脚力を活かして、電光石火でグリューニルに迫る。 グリューニルは腰を低く構え、迎え撃つ体勢を取った。 真正面からぶつかっても、パワーで負けてしまう。 以前の戦いでそれを痛感させられたためか、ネイトはグリューニルの周囲をひたすら走り回っていた。 いきなり攻めるのではなく、相手の虚を突く……それが勝利に不可欠であると理解しているのだろう。 「ネイト、どんな風に戦うんだろ……? なんか、気になるな〜」 アカツキは固唾を呑んで、ネイトの戦いを見守っていた。 今までは常にアカツキが指示を出してきた。 トレーナーがポケモンに指示を出すことで成り立つのが『ポケモンバトル』だ。 しかし、ポケモン同士の戦いとなると、そこにトレーナーの指示が挟まる余地はない。 自分で、相手を叩きのめす方法を考えなければならないのだ。 ネイトは自分の能力を理解しているはずだ。 何が得意で、何が不得意なのか…… ネイトが本当はどんな風に戦いたいのか、ここで見極めてみるのもいいだろう。 ポケモンとトレーナーの呼吸が一致している時こそ、真の実力を発揮できるのだ。 周囲をぐるぐると駆け回っているネイトを、しかしグリューニルはまったく見ていなかった。 目で動きを追おうとすれば、それは自ら死角を生み出すことになる……シンラがいつか言っていたことを実践しているだけだ。 目で動きを追うのではない。 相手の気配を読み、心で追うのだ。 グリューニルは腰を低く構えたまま、いつでも攻撃できるように精神を研ぎ澄ましていた。 やがて、ネイトが斜め後ろから流線型の軌道を描きながら突っ込んでくる。 「……!!」 グリューニルはさっと振り向くが、その時すでにネイトがアクアジェットを発動させ、鼻先に迫っていた。 今から避けたのでは間に合わず、かといって攻撃を先に食らうことは間違いない。 しかし、出し抜かれたのではない。 相手の力量を確かめてから、戦い方を決めようと思っていただけのことだ。 グリューニルに代表されるラグラージは、水・地面タイプのポケモン。 弱点となるのは草タイプだけであり、それ以外のタイプのポケモンとは互角以上に戦えるという強みから、バトルでの需要も高い。 グリューニルは丸太のように太い腕で、ネイトのアクアジェットを受け止めた。 「…………」 戦いを挑むだけあって、なかなかの威力。 スピードも、申し分ない。 しかし、シンラと共に幼少より苦楽を共にしてきたのだ。それだけで易々と勝利を明け渡すほど、弱いつもりはない。 グリューニルはアクアジェットを受けて痛む腕をおして、ネイトを勢いよく弾き飛ばした。 「……!?」 ネイトは弾かれたものの、すぐに着地する。 ……と、そこへグリューニルのマッドショットが襲いかかる!! 「ネイト!!」 着地したばかりのネイトに、マッドショットは避けられない。 アカツキは思わず叫んでしまったが、心配は不要だった。 ネイトは尻尾を高速回転させると、ソニックブームを発射して、マッドショットを撃墜したのだ。 威力はマッドショットの方が上だが、ソニックブームは連射が可能なため、結果的には相殺することに成功している。 「へえ、やるなあ……」 実力的には天と地ほどの差があるが、それでもマッドショットを相殺しているのはすごいことだ。 アカツキは素直に感心していたが、すぐにネイトが圧され始めた。 いよいよグリューニルが本気も本気、100%の力を出し始めたのだ。 ネイトが侮れない相手だと、ソニックブームによるマッドショットの相殺を見て、そう思ったらしい。 マッドショットの数が増し、ソニックブームで相殺する傍からガンガン迫ってくる。 「……ブイっ」 このままではたんまり弾丸を食らうことになるといち早く気づき、ネイトはソニックブームを取り止め、電光石火でグリューニルの横に回り込んだ。 どどどどどんっ!! マッドショットが、ネイトの足跡をなぞるように次々と地面に着弾し、派手な音を立てる。 「ブイっ!!」 ネイトは電光石火を取り止めると、急制動をものともせずにアクアジェットを発動した。 得意とする水タイプの技でなら、それなりにダメージを与えられると思っているのかもしれない。 水をまとったネイトが、一直線にグリューニルに迫る!! 「…………」 グリューニルはマッドショットを取り止めた。 一直線に迫ってくるネイトなら、狙い撃ちできるのだが、マッドショットでもこれほどの勢いを殺すことは難しい。 それなら…… グリューニルは腰を低く屈め、ネイトの攻撃を受け止める体勢に入った。 ……最初に戻っただけ。 傍目にはそう見える。 だが、そうではないと、アカツキは気づいた。 「攻撃を受け止めてから反撃する気だな……」 これでも、ラグラージは見慣れている。セントラルレイクの畔に住んでいるのだから、それは嫌でも分かる。 ちょっとした仕草でも、何をするつもりなのか、想像がつくのだ。 ラグラージは素早さが少し低い以外、非の打ち所のない能力バランスの持ち主だ。 相手の攻撃を受け止めてから反撃するという戦法を、何の不安もなく執れるポケモンでもある。 だから、ネイトの一撃を受けてから、手痛い反撃を食らわせるつもりだということも、容易に想像がつくのだ。 「ブイぃぃぃぃぃっ!!」 渾身の力でアクアジェットを食らわすネイト。 ごんっ!! アクアジェットはグリューニルの腹にまともに入った。 ……いや、誘い込んだだけだ。 それはネイトも理解していた。だからこそ、すぐさまアクアジェットを解除して、ソニックブームを至近距離から連打する。 ここで決まれば、いかにグリューニルでも大ダメージは免れまい。 しかし、グリューニルの反撃の方がわずかに早かった。 グリューニルの口から、無数の雪の塊が吐き出されたのだ。 「雪なだれだ……!!」 アカツキは背筋を震わせた。 雪なだれは氷タイプの技。 水タイプのネイトには効果が薄いが、この技は相手の攻撃を受けた後に発動すると、威力が飛躍的に高まるという利点がある。 相手の攻撃の勢いを逆にパワーとして転化して、威力を引き上げるのだ。 至近距離では、ネイトが雪の塊を避けることは不可能。 次々と放たれる雪の塊を全弾浴びて、ネイトは背後の岩場にすさまじい勢いで叩きつけられた。 「ネイトっ!!」 いくら効果が薄いとはいえ、グリューニルほどの攻撃力で放たれた雪なだれの威力は計り知れない。 相性によってダメージが多少和らぐとはいえ、相手が圧倒的に強い以上、そんなものは焼け石に水程度の慰めでしかない。 アカツキは思わず叫び、ネイトに駆け寄ろうとしたが、アーサーに手首を掴まれて、止められた。 「今は行かない方がいい。 ネイトはまだ戦うつもりだ。体力は……ほとんど残っていないがな」 「…………」 冷淡とも取れるアーサーのセリフ。 しかし、それが事実であると、すぐに示された。 ネイトは地面に這いつくばっていたが、よろよろと立ち上がり、肩で荒い息を繰り返しながらグリューニルを睨み付けている。 脚が小刻みに震え、立っているのもやっとだろう。 雪なだれ一発で、戦闘不能寸前のダメージを受けてしまっている。 対するグリューニルはまったく息を切らすことなく、でんと構えている。 アクアジェットのダメージはそれなりに大きいのかもしれないが、まるで効いている様子を見せない。 さすがはネイゼルカップ優勝者のラグラージといったところか。 「ネイト……」 ボロボロになりながらも、ネイトは闘志を棄てていない。 負けっぱなしでは嫌だという気持ちが、彼を奮い立たせている……それが分からないほど、アカツキはバカではない。 ネイトはグリューニルと友達になりたくないわけではない。 その前に、自分なりのケジメをつけることを選んだ……ただ、それだけのことだ。 でも、今は『それだけのこと』がなんだか痛々しく見えて仕方ない。 まるで、昔のことを忘れようとしているかのようだ。 「ブイっ……」 ネイトは少しでも力を抜けば足腰が砕けそうになるのを必死に堪え、力を蓄えていた。 次が最後……負けることは分かりきっているが、それでも最後まで食らいついてやる。 陽気でかしましいポケモンとは思えないほどのファイティングスピリッツだ。 しかし、いくら気持ちを奮い立たせても、身体がついていかなかった。 「…………」 わずかな力の緩みが、ネイトの足腰を音もなく砕いた。 「ブイっ……」 うつ伏せに倒れると、ゆっくりと目を閉じた。 「ネイト!!」 もう勝負はついた。 アカツキはアーサーの手を強引に振り払い、ネイトに駆け寄った。 アカツキだけでなく、アーサー以外のポケモンがネイトに駆け寄った。 「ネイト、無茶すんなよな……まったく」 アカツキはネイトの傍で膝を折ると、気を失っているネイトの身体をそっと抱き上げた。 いくらなんでも、実力が違いすぎる。 それはやる前から分かっていたはずなのに…… 「でもまあ、ネイトにはネイトの意地があるんだよな。 ……ま、これで気が済んだだろ。 次からは無茶すんなよ。見てる方が心配になってくるんだからさ〜」 アカツキは困ったように小さく微笑み、ネイトの頭をそっと撫でた。 いつの間に、こんなたくましくなったのか。 陽気でかしましくて、よく『似た者同士』だと言われる。 それなのに、ネイトは自分の知らない間に、こんなにたくましくなっていた。 「ベイ……?」 リータが、心配そうな顔でネイトを見つめている。 いくらなんでも、無茶しすぎだ。 しかし、ネイトの顔には満足げな笑みが浮かんでいた。 やるだけやったから、後悔はしていないと言わんばかりだ。 「まったく……ゆっくり休んでろよ」 アカツキはネイトをモンスターボールに戻した。 今はゆっくり休んでもらいたい。 グリューニル相手に何分も戦い続けられたのだから、大したものだ。 シンラがネイトを奪ったあの日……アカツキたちはグリューニル、ローウェン、ラグリアの三体相手に、手も足も出なかった。 アラタやキョウコといった、自分よりも強いポケモンを擁するトレーナーと力を合わせても、一体も戦闘不能にできなかったのだ。 あの日と比べれば、雲泥の差と言ってもいいだろう。 「ふう……」 アカツキは小さくため息をつき、立ち上がった。 そこへ、グリューニルたちがやってきた。 「ラージ……」 「うん、大丈夫。ネイトなら問題ないって。 やりたいことやって、満足してるみたいだからさ」 「…………」 少しやり過ぎたかもしれない…… グリューニルはネイト相手に全力で戦ったことを少し悔やんでいるようだが、 「グリューニル。 やりすぎたって思わないでほしいんだよな〜。 ネイトは満足してんだからさ。 ま、当分は勝てないだろうけど、いつかはガンバって勝つから」 「ラージ……」 アカツキの言葉に、胸の痞えが取れたように笑みを浮かべた。 以前は苦もなく叩き潰せる相手だったが、知らない間に、ネイトは実力をつけていた。 本気を出さなかったら、危なかったかもしれない…… そう思ったのは、グリューニルだけではなかったようだ。 「キェェェ……」 「キャーッ……」 ラグリアとローウェンも、本気を出さなければ負けていたかもしれないと、口を揃えた。 グリューニルと違い、二人は水タイプに弱いのだ。弱点の攻撃を受ければ、大ダメージは必至だ。 だから、ネイトがやるようになったものだと、素直に賞賛していた。 グリューニル相手に戦いを挑むだけのことはある。 「ありがとな、グリューニル。ネイトのワガママに付き合ってくれて」 アカツキはネイトのボールを腰に戻し、改めてグリューニルに礼を言った。 ネイトのワガママに有無を言わさず付き合わせてしまったようで、少しだけ申し訳ない気持ちになる。 しかし、グリューニルは頭を振って、言葉を返した。 「ラージ、ラグ、ラグラージ……」 自分たちがしてきたことと比べれば、こんなのは些細な償いでしかない。 むしろ、できることがあるのなら、何でも言ってほしい。 自分たちがしてきたことに、責任を感じているようだった。 アカツキは結果的に、ネイトが元に戻れたからそれでいいと思っているだけであって、 その間に何があったのかなんてことにはあまり興味を示さなかった。 嫌なことはたくさんあったが、そんなモノにばかり目を向けていては、前を向いて歩いていけないと思っているからだ。 ニッコリと笑うアカツキを見て、グリューニルは思った。 ――まるで、太陽のようだ。 本当は、グリューニルたちのことを悪鬼のごとく憎んで当然だ。 それだけのことをしたのだから。 でも、アカツキは笑っている。 ただ嫌なことを忘れたくて、上辺だけで笑っているわけではない。心の底から、グリューニルたちに微笑みかけている。 それが、痛いほどまぶしかった。 暖かな気持ちを抱いているグリューニルを余所に、アーサーがアカツキに声をかけた。 「ネイトを回復させてやらなくていいのか? ポケモンセンターへ向かうぞ」 「うん、そうだな。ライオット、ちょっと乗っけてくれる?」 アカツキはライオットの背にまたがると、ポケモンたちをモンスターボールに戻した。 「グリューニル。また遊びに来るからさ。それじゃな」 ニコニコ笑顔で手を振ると、ライオットが翼を広げて飛び立った。 あっという間に小さくなるアカツキの背中を見やり、グリューニルは小さくため息をついた。 ――敵わないな。 何と言えばいいのか分からないが、最後の最後で、シンラがアカツキに負けたのも頷ける気がする。 「ウキャーっ……」 「キェェ……」 惚けていると思われたのだろう。 ローウェンとラグリアがからかうような声音で言ってくる。 「ラージ、ラグラージ……」 ――別に、惚けているワケじゃない。   オレたちが、あまりにちっぽけな存在だと思っただけだ。あいつに比べればな。 そうだ。 もし、シンラがもっと早くアカツキに会えていたら…… ネイトがダークポケモンになることもなかったかもしれない。 もっとも、今となっては、仮定は何の意味も為さない。 それが分かっていても、仮定をせずにいられないほど、アカツキの笑顔はグリューニルたちにとってまぶしく、暖かいものだった。 Side 7 その日の晩、アカツキは久しぶりに自宅で過ごすことになった。 ポケモンセンターで一夜を明かそうと考えたが、ネイトがちゃんと元に戻ったことだし、 懐かしい我が家で休んだ方が気持ちも落ち着くだろうと思って、予定を急遽変更したのだ。 夕食と風呂の後、ネイトはアカツキのベッドですぐに寝息を立てた。 ポケモンセンターで体力を回復したとはいえ、グリューニルとの激戦で受けたダメージのすべてが完治したわけではないのだ。 ポケモンセンターの回復促進装置では、心理的な疲労までは癒せない……ということである。 ネイトとアーサーを除くポケモンたちは、ボールの中で休んでもらっている。 本当は一緒に過ごしたいところだが、アカツキの部屋に六体のポケモンが入ると、手狭どころかぎゅうぎゅう詰めになってしまうのだ。 ネイトは疲れていたし、アーサーはボールに入りたがらない。 二人の事情をちゃんと理解してくれたポケモンたちは、特に文句も言わずにボールに戻ってくれた。 アカツキはベッドの端に腰を下ろし、うつ伏せになって眠っているネイトの頭をそっと撫でた。 月明かりが差し込んで蒼白く輝いた部屋で、何をするでもなく佇む。 ここ数日はレイクタウンでゆっくり過ごそうと思っている。 特にするべきことなどないのだが、明日もまたキサラギ博士の研究所の敷地に繰り出そう。 グリューニルたちともっと親睦を深めたいし、旅を始めてから今まで遊べなかった分、今のうちに身も心もリフレッシュしようと考えている。 ナンダカンダ言って、アカツキはまだ十二歳の男の子である。 遊びたい盛りなのに、ソフィア団だのなんだのといった騒ぎに巻き込まれて、すっかり遊ぶことを忘れてしまった。 だから、数日は旅立つまでの充電期間にしよう。 自分も、ポケモンたちも、ベストコンディションで旅に出たい。 「…………」 アーサーは笑顔でネイトの身体を撫でているアカツキに静かな視線を向けた。 「アカツキ。グリューニルは強いヤツだな。私でさえ、勝てるかどうか分からん」 「まあ、シンラのポケモンだからね。 オレとアラタ兄ちゃんと、キョウコ姉ちゃん…… 三人でかかっても、グリューニルとローウェンとラグリア、三体のうち、一体も戦闘不能にできなかったくらいだから。 ……悔しいけど、今のオレたちじゃ勝ち目はないな〜」 「……そうか」 アーサーは目を伏せた。 アカツキは努めて明るく言ってくれるが、いくらなんでも、気にしていないとは思えない。 グリューニルたちとの絶対的な実力差。 それは小手先の努力で埋められるものではないと分かっているからこそ、深刻に考えたところで仕方がないと思っているのだろう。 ある意味、それも真理か…… 硬いだけでは、強い力がかかった時に折れてしまう。 しなやかなだけでも、力が加わった時にすぐ曲がってしまう。 アカツキの心は硬さとしなやかさを併せ持っているのだろう……なんとなく、そんな風に思う。 「それで、ネイトはグリューニルと打ち解けられると思うか? 私や、他の仲間たちは問題ないと思うが」 「大丈夫じゃねえの? ネイトは全力でバトルして満足してたし」 「…………」 アカツキがあっけらかんと言ってのけるものだから、アーサーは何も言い返せなかった。 いい加減で当てずっぽうなセリフも、彼が口にすると本当にそうだと思えるのだから不思議だ。 どこか不安げなアーサーに微笑みかけ、アカツキは続けた。 「ネイトだって、ホントは分かってたんだと思うぜ。 元に戻れたから、シンラのことはそんなに恨んじゃいないだろうし。 ただ、気持ちがムカムカして、素直に触れ合えなかっただけだろうな〜」 「……ならば、いいんだが」 「アーサーってさ、いつも醒めてるように見えて、ホントはみんなのことを一歩引いたところからちゃんと見てくれてるんだよな。 ホント、頼もしいよ」 「そんなつもりはない……が、おまえが言うのだから、そうなのだろう」 ピシャリと言い当てられ、アーサーはため息をついた。 普段はどうしようもない子供だが、だからこそ見るべきところをちゃんと見てくれている。 正直、一歩引いたところから全体を見るというつもりはないのだが、それでも今までやってきたことを考えれば、それは正解だと認めざるを得ない。 「ネイトのことは心配要らないな。ドラップは……」 「ちゃんと迎えに行くって。 ドラップが決めたことだし、先のことなんて誰にも分かんないんだからさ。 そんなに考えたってしょうがないと思うぜ」 「……そうだな」 くどい。 アカツキはそんな言葉を微塵も感じさせないような明るい声音で言ってのけたが、アーサーにはそう聴こえて仕方なかった。 ドラップはちゃんと迎えに行く。 家族と触れ合っている時のドラップの笑顔は、とても輝いて見えた。 本当は、家族と暮らすことがドラップにとって最高の幸せかもしれない。 それでも、アカツキはドラップが決めたことなら……と、迎えに行くと約束した。 どちらが正解なのか、それはアーサーにも分からない。 もちろん、アカツキやドラップにも分からないだろう。 「……何が正解なのか分からないからこそ、選んだ答えが最善であることを示そうとするのかもしれんな」 アーサーは窓枠を乗り越えて宙に浮かんだ満月を見やり、胸中で小さくつぶやいた。 正解が分からないからこそ、自分たちが選んだ答えが最善であることを示そうと、頑張っていくのかもしれない。 この道を選んで正解だった……幸せだったと思えるように、アカツキもドラップも努力しているのだ。 アカツキはネイトの身体から手を離し、アーサーを見やった。 どこか淋しげに見える彼に、そっと声をかける。 「アーサーってさ、心配性なんだな。 でも、オレたちがバカみたいに笑ってるだけかもしれないけどな」 「そうでもない。 おまえのように笑っていられるのが羨ましいと思っているだけだ。 それに、私の気持ちを明るくしてくれる者が傍にいてくれる……これほどうれしいこともない」 「そっか……だったら、これからも明るくいなきゃな」 「ああ、そうだ。陽気に笑っているおまえが、一番おまえらしい」 アーサーは小さく笑った。 普段は仏頂面で、笑顔などこれっぽっちも見せてくれない。 だが、本当は明るくて社交性に富んでいるのだ。 普段は自分がしっかりしなければ……と思っているからマジメで融通が利かなくなっているだけだ。 そうやって意地を張っているところが、アカツキにはとても面白かった。 もちろん、そんなことを口にしようものなら、問答無用で『波導弾』を連打されるハメになるだろうが。 「……あ、そういえば」 アカツキは胸中で笑いを噛み殺しながら、アーサーへの質問を思いついた。 「そういや、アーサーがバトルしてるところとか、見たことないんだよな。 やっぱり、世界中を旅してたんだから、それなりに強いんだろ?」 「どうだろうな。 昔ほどの力は残っていないだろう。グリューニルの仲間……ローウェンとラグリアとか言ったか。 あいつらの気配が読めなかった。 昔なら、どんな相手でも、どんなに気配を消していても、すぐに分かったものだが……」 アカツキの問いに、アーサーは頭を振った。 昔ほどの力が残っていないことは、当人が一番理解している。 平和な世界に、それほどの力が必要ない、ということかもしれない。 昔なら、グリューニルとローウェンとラグリアが同時にかかってきても返り討ちにできただろう。 しかし、今は気配さえ読めない有様だ。 悔しいが、それだけは認めなければなるまい。 「アーサーはガンガン殴り合う方が得意? それとも『波導弾』みたいに離れたトコから叩き込む方が得意?」 「……どちらもできるとは思っている。 とりあえず、実戦の勘を取り戻さないことには何とも言えないが」 「そっか……じゃ、明日にでもグリューニルたちと戦ってみる?」 「やってみるのも悪くない」 「じゃ、もう休もうぜ。明日も明後日も、みんなしてリフレッシュしなきゃいけないからな」 「ああ……」 アカツキは笑顔を残し、ネイトの邪魔にならないような場所で横になった。 それから、すぐに寝息を立て始める。 「似た者同士だな……まったく」 トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンだ。 五年も一緒に過ごしてきたのだから、嫌でも似るものだろう。 「ドラップをいつ迎えに行くかなど、聞くだけ野暮だな」 アカツキが迎えに行くと言うのだから、必ずあの森へ行くことになる。 それなら、時期がいつだの、どうでもいいことを聞いて煩わせる必要もないだろう。 「…………私も寝るとしようか」 一人だけ起きていても仕方がないので、アーサーも寝ることにした。 アーロンと旅をしていた頃のクセは、今も健在だ。 どんな場所、どんな時でも休めるような身体になってしまったのだ。 アーサーは壁に背をもたれた状態で座り、目を閉じた。 意識が徐々に冴え渡っていき――やがて、音もなく弾ける。そこで眠りに落ちた。 ドラップの笑顔だけでなく、他のポケモンの笑顔を見たい。 どうでもいい理由で虐げられているポケモンもいれば、ポケモンのせいで泣いている人もいるかもしれない。 アカツキが人間とポケモンの橋渡しになろうと思ったのは、誰かが喜ぶ顔を見たいと思ったからだ。 ドラップだけじゃない。 名前も顔も知らないポケモンたちの笑顔も、同じくらいの価値があると思ったからだ。 それから三ヵ月後、アカツキはネイゼル地方の隅から隅まで旅した後で、再び『忘れられた森』へ赴き、ドラップを迎えに行った。 家族と共に充実した時間を過ごしたのだろう、ドラップは以前よりも明るく、それでいて父親らしい顔を見せてくれた。 迎えに来ることを知っていたように、すぐに家族と話をつけて、アカツキと共に広い世界へ再び足を踏み出した。 第23章へと続く……