シャイニング・ブレイブ 第23章 兄弟の約束 -Finish the promise-(2) Side 3 居ても立ってもいられなくなって、アカツキはサロンを飛び出した。 背後でカイトとキョウコが引きとめようと何やら言葉を発していたが、聴こえなかった。 「兄ちゃん……」 サロンを飛び出し、選手用の通用口へ向けて全力疾走。 負けたトレーナーはサロンに入れない。 となれば、選手用の通用口からエントランスホールに向かったはずだ。 予選がすべて終了したため、今日はバトルが行われない。 三つあるサブスタジアムから、激しいバトルを満喫した観客が波のように押し寄せてくる。 出口へ殺到する観客を押し分けながら、アカツキはアラタの姿を探した。 今、彼はきっと落ち込んでいる。 こんな時くらい、そっとしてやるべきなのも分かっている。 だけど、放っておくことはできなかった。 背丈の高い人込みに紛れながらも、アカツキは時々ジャンプして、アラタの姿を探した。 人込みに流されてエントランスホールに入りかけた時、スタジアムを出ていくアラタの背中を見つけた。 「あ、いた……!!」 アラタが外に出るなら、行く場所は決まっている。 アカツキは人込みを掻き分けて、ネイゼルスタジアムを出た。 町へ続く橋には行列ができており、順番待ちの状態が続いている。こればかりは立ち止まるしかなかった。 「…………」 少しずつ進んでいく行列に加わりながら、アカツキはアラタがフィールドで呆然と佇んでいた時の表情を思い返していた。 憔悴しきったような、十四歳には不似合いな表情だった。 それだけ、ネイゼルカップにトレーナーとしてのすべてを賭けてきたのだろう。それが音もなく崩れ落ちたのだから、落ち込まない方が変だ。 しかし、いつまでも落ち込んでいたって仕方がない。 おこがましいことかもしれないが、アラタが立ち止まろうとしているなら、背中を押してやらなければならない。 「兄ちゃんは何度もオレを助けてくれたんだ。今度は、オレの番だ!!」 ネイトを失って、途方に暮れていた自分を現実に引き戻すキッカケを与えてくれたのが兄だった。 その時と同じことをすることになっても、アラタの力になりたい。 アカツキはアーサーがついてきていないことに途中で気づいたが、いちいち呼びに戻る気にはならなかった。 アーサーのことだ、自分が行っても仕方がないと思ってサロンに残ったのだろう。 それなら、呼びに戻るだけ時間の無駄だし、戻ったところで厳しい言葉をかけられるだけだ。 アカツキは橋を渡りきって町に出ると、見えない糸に手繰り寄せられるように、とある場所を目指して通りを全力疾走した。 まるで疾風か竜巻でもやってきたかと言わんばかりの勢いに、 すれ違った住人たちは呆然とした顔を向けてきたが、当然、アカツキがそんなことを意に介すはずもない。 町を東西に貫くメインストリートを疾走し、途中で右折して階段坂に差し掛かる。 一度も立ち止まることなく走り続けられるのも、格闘道場で日々身体を鍛えていた賜物だろう。 階段坂をあっという間に上り切った先には、セントラルレイクを背に威風堂々とした姿を象ったラグラージの像。 その向こう――像と背を合わせるように、アラタがセントラルレイクを一望していた。 「兄ちゃん……」 アカツキは像の前で足を止め、小さな声でつぶやいた。 届かないと思っていた声は、しかしちゃんと届いていた。 アラタがわずかに顔を上げて、ゆっくり振り返ってくる。 その顔には、困ったような、どこか観念したような……そんな笑みがあった。 しかし、複雑な感情が入り混じっているようにしか見えなくて、アカツキには彼が今何を考えているのか、慮ることができなかった。 予選で敗退したアラタより、アカツキの方が落ち込んでいるように見えるのも、気のせいではない。 「やれやれ……見つかっちまったな」 アラタは頭を振ると、アカツキの前に歩み出た。 「来るとしたら、おまえだろうとは思ってたけど……やっぱりなあ」 ――来なくていいのにさ。 暗にそう言われていることに気がついて、アカツキは顔を強張らせた。 傷ついている時くらい、放っておいてくれればいいのに。 ネイトを失ってヤケクソになっていたアカツキは、励ましに来てくれたアラタに対してそんなことを思っていた。 今のアラタは、以前の自分に似ている…… もちろん、自分よりも救いがたい状況にあるとは思えないが。 「…………」 どんな言葉をかけてやればいいのか分からず、アカツキはアラタの爪先あたりに視線を据えたまま、黙りこくってしまった。 月並みな言葉も、ちょっとキツイ言葉も、傷ついている人間には塩を塗りたぐるようなものになるのだ。 励ましに来たつもりが、逆に励まされることになるかもしれない。 なぜだか、どこか他人事のように思えてきた中で、アラタがポツリと言葉をかけてきた。 「正直、ショックなんだよな〜。 まさか、予選で負けちまうなんて思わなかったからさ…… でも、だからっておまえまでそんな顔することないんだから。 おまえは本選に行った。 だったら、精一杯戦うっきゃねえだろ?」 「……そりゃ、そうだけどさ……でも……」 アラタは思いのほか吹っ切っているのかもしれない。 言葉だけを見てみれば、敗北の痛手を糧にして、次へ進もうとする力強さを感じる。 しかし、違う。 理由などないが、違うと断言できる。 それは…… 「兄ちゃん、辛いことがあっても笑ってたよね。 スクールの試験とかで、キョウコ姉ちゃんに負けても、笑ってただろ?」 「ま、そんなこともあったな」 「……でも、オレ知ってるよ? 兄ちゃん、オレの見てないところで泣いてた。 母さんから聞かされたけど……でも、兄ちゃんは絶対にそんなこと認めないって」 「…………」 アカツキの言葉に、アラタは息を飲んだ。 まさか、知られていたとは……母親の口の軽さを恨みたくなったが、今さらそんなことをしたところで、過去は変えられない。 ビデオやDVDのように、何度でも再生されるだけだ。 「おまえが来る前に思い切り泣いたよ」 アラタは頭を振った。 それは本当のことだった。 負けたショックは大きい。 最後の最後……本選進出まであと一勝というところで、予期せぬ強敵に打ち負かされたのだから、そのショックは並大抵のものではない。 だが、泣くだけ泣いて、吹っ切った。 これでも、過去のことにはこだわらない性質だ。 「……キョウコやカイトはどうだった?」 アラタは敢えて、サロンに残った二人の反応はどうだったのかと訊ねた。 ここに来るとすればアカツキしかいない。 それ以外の二人……少なくともアラタがライバルと認識している他の二人はどんな顔をしていたのか? なんとなく、気になった。 アカツキは素直に答えるべきか迷ったが、隠すほどのことでもないと判断して、口を開いた。 「やっぱり、ショック受けてた。 キョウコ姉ちゃんなんて、兄ちゃんと本選で戦うことばっかり考えてたみたいでさ……顔、真っ青だった。 カイトも似たようなモンだけど、キョウコ姉ちゃんと比べたらずいぶん軽いって感じ」 「そっか……」 キョウコ。 彼女の名前を聞いて、アラタは視線を逸らした。 アカツキやカイトもライバルとして認識していたが、やはり一番戦いたい相手…… 勝ち負けの数が同じで、いい加減そろそろ決着をつけたいと思っていたが、それは先延ばしとなった。 互いにネイゼルカップでの決着を強く望んでいただけに、叶わないと理解した瞬間、キョウコはどれだけ打ちのめされただろう。 予選で負けるはずがない……そう強く信じていた……縋りつくような気持ちでいたのだから、彼女のショックこそが計り知れない。 「まあ、あいつはあいつでそれでもやるさ。 ……オレは負けちまったから、ここでオシマイ。それだけだな」 アラタは淡々と言い切った。 負けは負け。 それを認めないほど子供でいるつもりはないし、上には上がいる。 自分の実力が足りなかったから負けた。 それだけのことだ。 人はただそれだけのことでも認められずに、時に怒り狂い、またある時には卑屈にもなる。 素直に思えば、必要以上に自分を惨めだと思わずに済むし、どこかで区切りをつけなければ、先へ向かって歩いてゆくことなどできはしない。 「兄ちゃんは吹っ切っちゃってるんだな…… オレが心配なんてしなくても良かったんだ」 やっぱり、アラタは強い。 負けたことにショックを受けながらも、アッサリと吹っ切ってしまっている。 先ほどは違うと思ったが、それこそ勘違いだったようだ。 「でもさ、おまえはまだまだガンバんなきゃ。 おまえはオレを励ましに来てくれたみたいだけどさ…… ありがと。 おまえの気持ちはありがたく受け取っとく。 でも……」 アラタはニコッと微笑んで、アカツキの肩に手を置いた。 手からじわり伝わってくる温もりに、アカツキは俯き加減だった顔を上げた。 「負けてもいないおまえがそんな風な顔を見せちゃダメだろ。 それじゃ、勝てるバトルも勝てなくなっちまうぜ? だいたい、おまえには笑顔が似合ってるっての。 それが分からないワケじゃねえだろ?」 「……うん」 ミイラ取りがミイラに……じゃなかった。 励ますつもりで来たのに、励まされることになるなんて。 アカツキは自分があまりに情けなくて、穴があったら入りたい気持ちになった。 頭隠して尻隠さずになってもいいから、こんな顔を見られずに済むのならどこへでも行きたかった。 「……………………」 しかし、気持ちとは裏腹に、足はまったく動かなかった。 見えない影に射竦められたように、まるで動かない。 「…………」 「なあ、アカツキ」 「……?」 「謝んなきゃいけないのは、オレの方なんだけどさ」 「え?」 謝らなければならないこと。 それは一つしかない。 答えは分かっているが、この場で言われるとは思わなくて、アカツキは驚きに瞳を震わせた。 「おまえと、ネイゼルカップの舞台で戦おうって約束したのに、守れなくなっちまった。 ……ホントにゴメンな」 「兄ちゃん……」 そこで初めて、アラタは目に涙を浮かべた。 負けてしまったことは確かにショックだった。 しかし、それ以上にショックなのは、弟との約束……ネイゼルカップで戦うという約束を果たせなくなってしまったことだ。 来年以降に実現すればいいと言われてしまえばそれまでだが、 この兄弟にとっては、今年のネイゼルカップに実現してこそ価値があることだったのだ。 アラタは涙を拭うことなく、頬を濡らしながら言葉を継ぎ足してきた。 「……でも、おまえのことは誰よりも応援してっからさ。 このままカイトとかキョウコとか蹴散らして、優勝しちまえよ。 おまえにならできるって、オレはマジでそう思ってっからさ」 「うん……」 アラタが涙を見せるのは、これが初めてだった。 強いところしか知らないアカツキにとって、今のこの光景は実に衝撃的だった。 よくよく考えてみれば、アラタだって人間だ。 弱いところだってあるし、涙を見せることだってある。 ――兄ちゃんは強いから。 アカツキはそんな一方的な理由をでっち上げて、当たり前なことさえどこか彼方へ追いやっていたのだ。 なんだか、恥ずかしくてたまらない。 「兄ちゃん」 「ん?」 言いたいことを言って、満足したのだろう。 アラタがそっと涙を拭っていると、 「ネイゼルカップで戦うことはできないけど…… ネイゼルカップが終わったら……オレが優勝するか、負けるか…… ま、どっちにしてもオレのネイゼルカップが終わったらさ、その時はバトルしようよ。 約束なんて関係ない。 兄弟だって関係ない。 オレ、兄ちゃんとバトルしたいんだ。 トレーナーとしてさ。兄弟の情とか抜きにして」 アカツキは胸に秘めていた想いを口にした。 アラタとの約束は果たせなくなったが、だからといって、 ポケモントレーナーとしてアラタと戦いたいという願いまで消えてしまったわけではない。 確かにネイゼルカップの舞台で戦うことは重要だが、それ以上に、兄弟の情など抜きにして、一ポケモントレーナーとして戦いたい。 まっすぐに視線を向けてくるアカツキの気持ちを、アラタは真正面から受け止めた。 「そっか……そうだな」 約束は約束。 それ以上でなければ、それ以下でもない。 大事なのは、約束を果たせなくなっても、別の形で願いをかなえることだ。 「結局、オレはおまえと戦いたかっただけなんだよな……」 アラタは深々とため息をつき、空を見上げた。 吸い込まれるほどに青い空は、腕を広げて何もかもを受け入れようとしてくれているかのようだ。 アカツキが十二歳の誕生日を迎える二日前。 電話で改めて『約束』を確認し合った日のことを、日記のページをめくるような気楽な感覚で思い返した。 「…………」 あの頃と今とでは、何もかも違いすぎる。 アカツキは思った以上に強くたくましくなっていたし、いろんな人とも知り合った。 いろいろとありすぎたような気もするが、これが自分の選んだ道なら、受け入れるしかない。 もし受け入れられなかったら……今までやってきたことがすべて水泡と帰してしまう。 それだけは、嫌だった。 だから…… 「おまえのネイゼルカップが終わるまで、オレがずっと見ててやる。 バトルするのは、それからだな」 アラタの言葉に、アカツキの表情がパッと輝いた。 分かりやすいヤツだ……少し呆れつつも、これが彼らしさなのだと理解して、苦笑が漏れる。 「オレ、マジでガンバるから。 できりゃ優勝したいけど、兄ちゃんに勝ったヤツもいるし、ちょっと難しいかな。 でも、最後の最後までガンバるから、見ててよ」 「おう、目ん玉かっ開いて見ててやるよ」 二人して微笑む。 アラタは頬を伝う涙を拭った。 「おまえがこの九ヶ月間に培ってきたものを、オレがちゃんと見ててやる」 その表情と口調に、迷いや悲しみは微塵も感じさせなかった。 Side 4 一人サロンに戻ったアカツキを、心配そうな面持ちのキョウコとカイトが出迎えた。 アーサーは相変わらずと言うべきか、淡々とした表情で、椅子に腰を落ち着けて腕を組んでいる。 何があったのか悟ったように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。 アカツキはアーサーを一瞥すると、駆け寄ってきた二人を手で制した。 「ど、どうなった?」 「アラタのヤツ、結構落ち込んでたでしょ……?」 ここを飛び出してから一時間近く経過したが、キョウコもカイトもまだ引きずっているようだった。 ただじっとしていただけなのだから、それは当然と言えば当然かもしれない。 このまま引きずっていたら、明日以降の戦いに支障が出てしまうかもしれないと思って、 アカツキはアラタと話したことのすべてを素直に打ち明けた。 「落ち込んでたけど、オレが行かなくても吹っ切ってたと思うな。 兄ちゃん、人前じゃ弱いトコ、見せないから」 「…………」 「…………」 二人の表情が強張る。 アカツキが来るまで、誰かに見られるまで、セントラルレイクの畔で……ラグラージの像を背に、涙を流していた。 「あたしと同じで、自分の実力に自信があったあいつだもん……落ち込むわよね、そりゃ」 キョウコはアカツキの口調から、アラタの様子を想像することしかできなかった。 しかし、何もしないよりはずっとマシだった。 キョウコがあれこれ想像を働かせる間にも、アカツキは言葉を続けた。 「兄ちゃん、オレたちのこと見てるって。 『おまえたちにできることをやってくれればいい。楽しみにしてっから♪』って言ってたよ」 「なによ、それ……」 あまりに月並みなセリフ。 それでいて、アカツキの持ち前の陽気さを如何なく発揮するような口調で言われたものだから、キョウコは思わず吹き出した。 不意に笑いの衝動が込み上げてきて、半ば無意識に腹を抱えて笑ってしまった。 「あいつらしいわね、まったく……」 「まあ、なんていうか……ちょっと、安心したよ」 笑うキョウコとは対称的に、カイトは安堵に胸を撫で下ろしていた。 アカツキが飛び出していった時には、どうなることかと思ったが……やはり、兄弟だと速く円満に解決するものらしい。 まあ、どちらにせよ…… アラタのネイゼルカップは終わった。 しかし、終わったのはあくまでも『今年の』ネイゼルカップであり、来年以降も再びバッジを集めて挑戦すればいい。 今年のネイゼルカップに賭けていたものを、来年以降も持ち続けていられるのかというモチベーションの問題もあるのだろうが、 アラタに限って言えば、そんなモノは屁でもないだろう。 アラタの戦いは終わっても、アカツキ、カイト、キョウコはまだ先へ進むことができる。 それは権利であり、同時に義務でもある。 最後の最後まであきらめずに戦い抜くこと。 それが、ポケモンを過酷なバトルに送り出すトレーナーとして最低限持つべき心構えというものだ。 アラタはなんとか敗北の痛手を乗り越えた。 ならば、自分たちが心配することは何もない。 先ほどまで気が気でなかったとは思えないほど、カイトとキョウコはあっという間に平静さを取り戻した。 変わり身(?)の速さにアカツキは少しばかり戸惑ったが、 「それはそうと、そろそろ本選トーナメントの組み合わせが発表されるわよ。 もうちょっと遅かったら、遅刻決定ね」 キョウコは言うなり、人差し指でサロンの奥を指し示した。 予選を勝ち抜いた十三人のトレーナー(アカツキとカイト、キョウコを除いた全員)がポッカリと空いた別室に入っていくのが見えた。 その中には、アラタを下した赤髪の少年――レオンの姿もあった。 「……あいつ……」 アカツキはレオンに声をかけようかと思ったが、彼の背中から立ち昇る緊張感が、それを躊躇わせる。 すでに戦いは始まっている…… そう思わせる刺々しい緊張感。隠そうともしないのだから、大したものだ。 アカツキの視線が向けられた先に気づいたキョウコが、小さく息をつく。 「あいつは、あたしがキッチリ倒してあげるわ。 あいつの戦い方は大体分かったしね……あとは、あたしが優勝するだけよ」 レオンは強いトレーナーだ。 それは、アラタを倒したことも含めて認めなければならない。 ポケモンも強く育てられているし、技も威力の高いものを重点的に覚えさせているようだ。 しかも、下手な小細工など一切せずに、真っ向勝負を挑んでくる。 ごまかしの効かない戦い方が、フィールドに立つ相手にとって脅威以外の何者でもないことを知っているかのような戦い方だ。 しかし、キョウコには勝算があった。 勝率がゼロでないのなら、それだけで十分に勝算はある。 エントリーしたポケモンの技と特性を駆使すれば、勝つことは十分に可能である……という結論に至った。 「ま、勝ち続ければいつかはあいつと戦うこともあるよ。オレたちも行こう」 「おう、そうだな」 カイトに促され、アカツキたちは別室へ向かった。 本選に進出したトレーナーたちの表情は、いずれも強張っていた。 ここで、次に戦う相手が判明するのだ。次だけでなく、その次、また次……戦うことになるであろう相手が分かる。 予選を勝ち抜いたトレーナーが侮れないと理解しているからこそ、この段階ですでに緊張を強いられている。 アカツキは無言でレオンの隣に並んだ。 真横からさり気なく顔を覗き込んでみたが、彼は気にするでもなく、部屋の中央に設置された巨大モニターを食い入るように見つめていた。 そこには、トーナメントの図が描かれ、一番下にある縦長の長方形の枠は空欄となっている。 これからコンピューターがランダムにシャッフルして、一人ずつ枠に当てはめていくのだ。 「さあ、どうなるかなあ……?」 十六人の顔ぶれを見やる。 アカツキと同年代の少年もいれば、明らかにママさんと思えるような妙齢の女性もいる。 ただ分かっていることは、いずれも強敵であるということだ。 もちろん、アカツキの中ではカイト、キョウコ、そしてアラタを打ち負かしたレオン……この三人が要注意人物。 他のトレーナーは見ず知らずの相手なので、正直、どうでもいいと思っていた。 レオンはアカツキがキョロキョロと忙しなく周囲を見渡していることなど、まるで目に入っていなかった。 目に入れないように努めているだけかもしれないが…… 「こいつがヤバイんだよな……カイリューとかリザードンとか、強いポケモンを使ってる」 アカツキは改めて、レオンを見やった。 失礼に当たるかもしれないとは思いつつ、もしかしたら戦うことになるかもしれない相手だ。 相手のことを少しでも知っておいた方がいいに決まっている。 改めて見てみると、モニター越しに見るよりも大人びた顔つきだった。 年の頃はアラタとキョウコと同じか……あるいはもう少し年上かもしれない。恐らくは二十歳に届いていないだろう。 燃えるような鮮やかな赤い髪は、今は刑務所で服役しているフォース団の団長・ハツネを思わせるが、彼女と違って勝手な方向に跳ねている。 ニンジンが頭に刺さっているように見えなくもないが、刃物のようにも思える鋭い眼差しがそんな表現を許さない。 「……ネイゼル地方のトレーナーなのかなあ?」 いつか機会があったら、聞いてみよう。 そう思ったところで、室内に朗々と声が響き渡った。 「予選を勝ちあがったトレーナーの皆さん、これより本選トーナメントの組み合わせを発表いたします」 いつの間にやってきたのか、モニターの傍に、ポケモンリーグの制服をまとった職員が立っていた。 アカツキはピンと背筋を伸ばし、トーナメントの線と枠だけが描かれたモニターに目を向けた。 「コンピューターがランダムに当てはめていきます。 それでは、シャッフル・スタート!!」 役員がマイクを手に言うが早いか、左から一つずつ、枠にトレーナーの顔写真がはめ込まれていった。 数秒の間を置いて、一人ずつ。 一分ほどで、別室に集まったトレーナー全員の写真が、トーナメント表に貼り出される。 周囲がざわつく。 戦うことになる相手を見やるトレーナーもいれば、ため息をついて淡々と受け入れているトレーナーもいる。 そんな中、アカツキはじっと、トーナメント表を見やっていた。 「一回戦は……」 アカツキの隣、一回戦で戦うことになるのは…… 『おまえかよ』 アカツキとカイトは互いに顔を見合わせた。 確率的にゼロではなかったと言っても、いきなりこういう展開になるとは……予期せぬ事態に、アカツキもカイトも苦笑するしかなかった。 しかし、所詮は他人事と言わんばかりに、キョウコは嫌らしい笑みを浮かべていた。 「あら。いきなり潰し合いなんて大変ね。ま、ガンバってね」 彼女が声を立てて笑うのには、理由があった。 アカツキとカイト……どちらが勝つにしろ、二回戦で戦うのがキョウコだったからだ。 無論、彼女が一回戦を無事に勝ち上がれば、の話だが。 「なんか、いきなりとんでもねえことになっちまったなあ……」 これでは、レオンなど構っていられない。 悔しいが、それだけの余裕などなかった。 カイトとキョウコ。 この二人をどうにかしない限りは、レオンにたどり着くのは不可能。 それに、 「あたしは最後……か」 キョウコはため息を漏らした。 レオンと戦うことがあるとすれば、それは決勝。 二人の顔写真は、トーナメントの両端にあった。 なるほど、楽しみは最後まで取っておけということか。 アカツキかカイト……どちらか勝利した方と、二回戦で戦うことになるが、レオンと戦う前の肩慣らしにはちょうどいい。 キョウコは不敵な笑みを浮かべていたが、アカツキとカイトは互いに鋭い視線を突き合わせているばかりで、 彼女の笑みに気づいたのはアーサーだけだった。 「…………」 何やら不穏な『波導』を彼女から感じ取り、アーサーは顔をしかめた。 平たく言えば野心のようなもの……だろうか。 どちらにせよ、アカツキはカイトに勝てば、彼女と戦うことになる。 「ま、相手がカイトだろうと、倒して先に進むだけだけどな」 予想はしていなかったが、互いに勝ち続けていれば、いずれは戦うことになる。 だから、そんなに慌てる必要もないだろう。 良くも悪くも、相手の戦い方は分かっているのだから。 下手な小細工は通用しないのも、お互い様。 持てる力のすべてを出し切るしかない……それだけのことだ。 周囲がざわつく中、役員が一方的に告げた。 「これにて、組み合わせの発表を終わりにします。 本選は明日から開始となりますが、試合の時間については、後ほど各人にお伝えしますので、この場はこれにて解散といたします」 言い終えるが早いか、逃げるような足取りで別室を出て行った。 スピーカーを通した声が棚引きながらやがて消えても、室内のざわつきは止まなかった。 「…………」 アカツキは、無言で退出するレオンの背中をじっと見つめていた。 「とりあえず、明日はカイトとのバトルに全力を尽くすだけだぜ」 レイクタウンのポケモンセンターに割り当てられた部屋で、アカツキは夜空に浮かぶ月を見上げて力強く言い放った。 グッと拳を握ると、親指の関節がボキリと音を立てる。 その衝撃が、気持ちを昂らせる。 月明かりが差し込む薄暗い室内には、アカツキのポケモンたち――ネイゼルカップ出場にエントリーした六体が勢揃いしていた。 ネイト、リータ、ドラップ、ラシール、ライオット、アーサー。 アリウスはノーマルタイプであるため、相手の弱点を突きにくいことを考えてエントリーから外しており、 今はキサラギ博士の研究所でノンビリと羽を伸ばしている。 ネイゼルカップでは受付時にポケモンを六体エントリーし、それ以外のポケモンは基本的に使用できない。 エントリーしたポケモンがバトルできない状態――病気や大怪我――になれば交代させることができるが、基本的にそんな状態になることはない。 あらかじめ、バランスの良いチームを組むことが要求されるのだ。 「相手はカイトだからさ。 マジでやんなきゃ、あっという間に負けちまうかもしれない。みんな、頼むぜ」 アカツキは振り返ると、笑顔で言った。 ポケモンたちが、無言で頷く。 ライオット以外はカイトのバトルの実力を知っているだけに、油断ならない相手であることは重々承知していた。 もっとも、ライオットとて、今まで見てきたカイトの物腰を見て、侮れる相手でないことは分かっていたが。 アカツキとポケモンたちは、無言で見つめ合っていた。 だからどうしたと言われると困るのだが…… とりあえず、互いにやる気になっていることが確認できれば、それで良かった。 ……と、アーサーが顔を上げて、言葉をかけてきた。 「アカツキ。カイトはどのような戦い方を得意とするのだ? 私やライオットは時期的に分かっていないことが多い。教えてもらえると、明日はスムーズに動けると思うのだが」 いかにもアーサーらしい質問だった。 アカツキは口の端を吊り上げて、事も無げに答えた。 旅立つ前は何度も何度も負けてきたのだから、カイトがどんな戦い方を得意としているのかは、考えるまでもない。 「カイトは力でガンガン押してくるヤツじゃないからさ。 いろいろと技の特性とかを理解した上で攻めてくるんだ」 「なるほど……」 「だけど、グレイスは要注意だ。 ノーザンレイドって技を食らったら、アーサーでも一撃で倒されちまうからさ。 でも、アーサーは『波導弾』を遠くから連発するだけでなんとかなる」 アカツキが最も警戒しているのは、グレイスだ。 もちろん、レックスやクロー、ゼレイドも油断ならないが、何よりも一撃必殺の技を持つグレイスが要注意ポケモン。 ノーザンレイドは速攻可能な一撃必殺の技だが、リスクとして自身も戦闘不能となってしまう。 だが、相打ちを前提に使ってくる以上は、戦闘不能寸前まで追い詰められたところで使ってくるに決まっている。 一度追い詰めたら、反撃の暇を与えることなく倒さなければならない。 「とりあえず、グレイスが出たらアーサーに任せてみる」 「分かった。サポートしてくれ」 アーサーなら、グレイスの氷技もダメージを軽減できるし、攻撃面でも『波導弾』で大打撃を与えられる。 「あと、本選は四体のポケモンを使うんだ。 カイトも六体以上ポケモンをゲットしてるけど、グレイスが出てくるかは分かんない。 ……たぶん、出してくると思うけどなあ……」 カイトがどんな布陣で戦いを挑んでくるか…… 無論、今までに幾度となく戦ってきたのだから、アカツキの弱点を突くような布陣を敷いてくるのは間違いないだろう。 その中にグレイスが入っているか…… アカツキはグレイスを入れていると踏んでいた。 相手を確実に道連れにできる技を覚えているのだから、エースのポケモンを道連れにできれば、相手に与える精神的な打撃は計り知れない。 頭を使うカイトなら、それくらいのことは考えているはずだ。 実際に戦うのは明日だが、すでに心理戦は始まっている。 相手が何を考えているか……どんなポケモンで戦いを挑んでくるか……それを読んだ上で、勝利のために作戦を練り上げる。 本選の設定が予選最終日の翌日になっているのも、考える時間を与えるためだろう。 「グレイスは出てくるとして、あとはレックスだよな。 ……あーあ、予選を一度でも見られりゃ良かったんだけど……」 痛いのは、カイトの予選を一度も見られなかったことだ。 予選は全試合、モニターで中継されているのだが、アカツキとカイトは四日ともほぼ同時刻に予選を戦っていた。 ゆえに、互いにどんなポケモンと戦術を駆使して予選を戦っていたのか、見る機会はない。 カイトが親に予選の録画を頼んでいて、後でこっそり見返したという可能性もあるのだが、そこまで考えてはキリがない。 「でも、誰が出てきたって勝ってみせるぜ」 バランスよくチームを組み立てれば、大体は対応できる。 「ブイ、ブイブイ?」 ――で、明日は誰で戦うんだ? ネイトがズボンの裾を引っ張りながら、問いかけてくる。 「ん……? 気になる?」 「ブイっ」 ――当然♪ 問い返すと、ネイトはなぜか胸を張って頷いてきた。 まあ、気になっているのはネイトだけではないだろう。 話の流れからして、アーサー以外は誰が出るのか、決まっていないようなものだ。 「んー、そうだなあ……」 アカツキはポケモンたちの顔を一通り見回した。 正直、まだ決めていない。 ただ言えることは、それぞれの弱点を補い合えるようなチームを組むつもりである、ということだけだ。 アーサーの弱点は格闘、炎、地面の三タイプ。弱点を補えるポケモンはネイトが有力だろう。 次に、ネイトの弱点は水、電気タイプ。弱点を補えるとすれば、ライオット。 それから…… 考えが中核に及んだ時、アーサーが静かに言った。 「それはアカツキが決めることだ。 我々が気安く口を出せるものではない……指揮官は、アカツキなんだからな。 我々にできるのは、何があろうとアカツキを信じ、精一杯戦うこと。それだけだ」 「…………」 「…………」 少し意地の悪い言い方ではあるが、それは誰もが分かっていることだ。 ただ、やはり気が急いてしまう。 相手は、ネイトを何度となく地に這わせたカイトなのだ。 アカツキはいつになくネイトが焦っているように見えて仕方なかった。 「ネイト、焦ったってしょうがないって。 カイトは強いヤツだからさ。それは分かってるだろ?」 アカツキは膝を折り、ネイトと同じ視点に立って話した。 上から見るだけでは分からないものもある。 同じ高さで目と目を合わせて、見えてくるものもあるのだ。 「ブイ、ブイブイ、ブイっ」 ネイトは臆することなく言い返してきた。 ――カイトの強さはおまえも分かってるだろ。オレは別に焦ってるわけじゃない。 「んー、それならそれでいいんだけどさ。 ネイト、オレはみんなと一緒にガンバるんだから。 明日になんなきゃ、誰を出すか決められないかもしれないけど、誰を出したって、ガンバることに変わりはないんだからさ。 とりあえず、気楽に構えててくれよ。その方が楽でいいし」 「……ブイっ」 ――分かったよ。 ちょっとふてくされたような声で言い、ネイトは渋々納得した。 ……と同時に、安心した。 アカツキと一緒なら、大概の困難はどうにでもなる。 五年間も一緒に暮らしてきたのだから、彼が何を考えているのかも、大体は理解しているつもりだ。 泣いても笑っても、明日、カイトと戦うことになるのだ。 焦っても仕方がない。 ちょっとお気楽に過ぎる気もしないわけではないが、お堅いアーサーが何も言わないのだから、まあいいとしよう。 アカツキはネイトが納得したのを見て、小さくため息をつき、ベッドに腰を下ろした。 ちょっと固めのマットレスに、身体が少し沈み込む感覚。 妙に心地いいと思えてくるのは、気が昂っているからだろうか? ネイトに対して気楽に構えていてくれと言ったものの、この場の誰よりも、アカツキ自身がすでに熱くなってしまっている。 「そうやって熱くなりまくって、何度カイトに負けちまったんだか……」 常に闘争心むき出しにして戦っていたから、冷静な時ならちょっと考えれば分かることも、分からなかった。 見えているのに、見ていなかったこともある。 あれこれと策をめぐらせるのが得意なカイトに、闘争心をむき出しにするのは厳禁だ。 「でも、なんとかなる。オレたち、今までガンバってきたんだから」 時に戦い、またある時には力を合わせてきた親友。 アラタやキョウコといった、キャリアではかけ離れている相手は例外として、誰よりも一番自分に近い立場であるカイト。 彼が、アカツキにとっては一番の脅威――目の上のたんこぶだ。 逆に、一番近い立場であるからこそ、頑張れば勝てるとも思える。 「そうさ。オレたちなら勝てる。そうと決まれば……」 自信というよりは、確信。 楽な戦いになるとは思っていないが、打つ手さえ間違えなければ勝てる戦いだ。 今は黙して時を待つ。 それだけでいい。 アカツキはポケモンたちに微笑みかけると、モンスターボールを手にした。 「みんな、今日はゆっくり休もう。 明日、全力でカイトと戦えるように。オレも、もう寝るから」 ネイトたちは頷き、アカツキが発した捕獲光線を浴びてモンスターボールに戻っていった。 唯一残ったのは、ボールに入るのを嫌っているアーサーだけ。 当初は、アーサーだけどうしてボールから出しているのかという問いかけもあったのだが、 当人がボールに入るのが嫌だと力説しまくった結果、全員が納得して、今に至っている。 「おまえもゆっくり休むんだな。明日は……総力戦になる」 「分かってる。それじゃ、お休み」 「ああ……」 アカツキはカーテンを閉めると、ベッドに潜り込んだ。 アーサーは相変わらず壁に背中をもたれて座り込み、そのまま目を閉じた。 明日は総力戦…… アーサーの一言は杭のように、アカツキの心に刺さり、残り続けた。 しかし、精神的な疲れが溜まっていたせいか、あっという間に意識は睡魔に飲み込まれた。 ちょうどその頃、キョウコは外を出歩いていた。 ポケモンセンターには特に門限が設けられていないのと、なんとなく寝づらかったため、夜風に当たろうと思って外に出た。 「…………」 夜空は星のカーテン。 涼しい夜気は、ちょっと強く風が吹くと寒いと思わせる冷たさを宿している。 レイクタウンはネイゼルカップ開催の時期だけ賑わうが、夜はいつでも静まり返っている。 対称的に、ディザースシティは夜こそ本領発揮と言わんばかりに、カジノやらジャズクラブなどが営業活動に本腰を入れているが。 もっとも、レイクタウンで生まれ育ったキョウコには、あの街の騒々しさは我慢ならない騒音でしかない。 いくら高慢ちきで傲慢とも取れる言動の持ち主でも、うるさい場所は苦手なのだ。 まあ、それはともかく…… 特に行くアテもなく、町を一周しようと階段坂へ向かう。 町の南部を回ってポケモンセンターに戻れば、少しは気持ちも落ち着くだろう。 「明日はともかく、明後日は気を抜けないからね…… 今からこんなに熱くなちゃって……あたしも、ウブじゃないのにね」 しかし、残念ながら今は火照った気持ちにいくら水を振り掛けても、無駄になりそうである。 明日の戦いを勝利で飾るのが前提条件だが、明後日はアカツキかカイト……どちらかと戦うことになるのだ。 調子のいいジャリガキ(アカツキ)と、ちょっと頭はいいけど小生意気なジャリガキ(カイト)だ。 正直、二人が旅に出るまでは、取るに足らない相手だと思っていた。 「でも、違うんだよねぇ……うれしいってゆーか、なんてゆーか」 人通りのないメインストリートのど真ん中を歩きながら、空を仰ぐ。 満点の星空は、空気の清浄度が低いディザースシティではまず見られない、神秘の大パノラマ。 「どっちも、侮れないわ。 ……まともにやれば勝てるけど、どこまでもどこまでも……どこまででも食らいついてきそうだもの」 アカツキとカイト。 同い年ということもあるが、似たもの同士だ。 同じ町で生まれ育った間柄だし、それなりに多くのことを理解しているつもりではいる。 だが、旅立ってからの二人の成長は目覚しかった。 アカツキはドラピオンのドラップ、カイトはロズレイドのゼレイドをゲットした。 旅立ったばかりのトレーナーがおいそれと扱えるポケモンではないが、二人とも見事に使いこなしていた。 それだけ、ポケモンとトレーナーの間の信頼が強固に結ばれているということに他ならない。 それからはアカツキとバトルすることがあったが、ラチェに大きなダメージを与えるところまで踏ん張ってきた。 「最後にあんなミスをしなきゃ、もうちょっと危なかったかもしれないけど……」 最後の最後に詰めを誤ったおかげで、キョウコはドラップを倒すことができた。 その時のバトルで、アカツキがトレーナーとして大きく成長したのだと嫌でも実感せざるを得なかった。 あれから七ヶ月以上の時が経った。 キョウコはアカツキとカイトの予選を一度ずつモニター越しに見ていたが、少なくとも『以前ほど楽には勝てない』と確信していた。 「……まあ、それでも勝つのはあたし。 スクールを主席で卒業したんだもの。不様な戦いはできないわ……」 これでも、スクールを主席で卒業したという自負がある。 誰にも負けないくらい努力を重ねてきたとも思っている。 だから、努力の分だけ結果はついてくると信じているのだ。 「……でも、あいつとは戦えないのが残念。 ……まったく、あんなところで負けるなんて……でも」 ゆっくりと町を練り歩いていると、ラグラージの石像がある高台にたどり着いた。 ここへ行こうと思っていたわけではないのだが、自然と足が向いていた。 暗がりの下では、ラグラージの石像はちょっと不気味な影に見えてくるが、 「……こんなところにいるなんてね。偶然って、怖いわ……」 キョウコはラグラージの石像に背を預けて座り込み、セントラルレイクを眺めている少年――アラタの姿を認めた。 偶然だとは思うが、この時間に、この場所にいること……それを考えれば、あながちそうとも言い切れない。 偶然か必然か分からない曖昧さに、キョウコは鳥肌が立つような思いだった。 「…………」 ここで黙って帰っても良かったのだが、それだとこんなところまでノコノコ歩いてきた自分がバカみたいだ。 そう思って、キョウコはゆっくりと前へ進みながら口を開いた。 「あんたもここに来てたんだ」 「……キョウコか」 彼女のそれほど大きいとは言えない声に、アラタは肩を震わせて振り返ってきた。 特に落ち込んでいる様子は見られないが、昼のうちにアカツキといろいろ話して吹っ切れたのかもしれない。 まあ、それならそれでいいことだと思うが。 アラタは立ち上がり、キョウコの前にやってきた。 まだ風呂をしていないのか、パジャマではなく、少しスタイリッシュに見える服に身を包んでいた。 二人して顔を突き合わせたが、何から言い出せばいいのか分からずに口ごもってしまう。 横槍を入れてくるジャリガキも母親もいないのに、何も言えない。 心なしか紅潮する頬も、夜空の暗さが別の色に摩り替えてくれる。 一分ほど沈黙が続いた後、先に口を開いたのはキョウコだった。 「……まあ、なんていうか。今回はあたしの勝ちね」 「ま、そういうこったな」 アラタは意外とあっさり言葉を返してきた。 沈黙を破ってくれるのを待っていたのかもしれないが、キョウコにとってはどうでもいいことだった。 なぜか分からないが、少し話してみたい気持ちになった。 せっかくここで会えたんだから……と、そんな風に思って。 「悪かったな。 おまえのことだから、決勝でオレとフルバトルするの、楽しみにしてると思ったんだけど。 ……ホントに悪ぃ」 「……白々しいわね」 アラタが余所余所しく視線を泳がせながら小さく詫びると、キョウコはため息混じりに返した。 本当に悪いなどとは思っていまい。 少なくとも、キョウコに対しては。 「あんたが約束したのは、アカツキでしょーが。 あたしと約束したわけじゃないんだから、あんたがそんな風に思う必要はないわ。 ……まあ、ネイゼルカップで決着つけられないのは残念だけど、今回はあたしの不戦勝。 勝ち星が一つ増えたと思えば、そう悪いことでもないわね」 だから、キョウコは相変わらずの強気姿勢を鮮明にした。 アラタの言葉は間違っていないが、明確な形で約束を交わしたわけではないのだ。謝られても困る。 静かな夜でも、相変わらずの高慢ちきな態度を崩さないのは、さすがと言うべきか。 アラタは苦笑混じりに言った。 「ま、おまえらしいな。 今回はおまえの勝ちってことにしてやるよ。 でも、すぐに負けた分は取り返す」 「できるモンならやってみなさいよ。 言っとくけど、あたしだって、そう簡単に負けてやるつもりはないんだから」 「ああ、やってやるよ」 「…………ふふ」 キョウコは小さく笑った。 ちょっと突付くと、すぐに返してくる。 そうやって、何度戦ってきただろう。 昔からそうだった。 互いにちょっと突付かれただけで、本格的な戦争に発展した。 いつからか、それが悪くないと思うようになって…… 気づけば、二人してニコニコしていた。 互いに、何をしにここに来たのか、頭の中からスッポリ抜け落ちてしまったように。 アラタはアラタで、吹っ切ったところにいい起爆剤を手にした気分だろう。 キョウコはキョウコで、アラタが思ったほど落ち込んでいないと分かって、少し安心できた。 互いに収穫があったわけだから、笑顔にならないはずがない。 「それより、アカツキに足元すくわれんなよ」 「……あら? あんた、あのジャリガキを応援してんじゃないの? あいつにとって、あたしは敵よ? 敵に塩送るなんて、あんたらしくないわね」 アラタの一言に、キョウコは眉根を寄せた。 てっきり、アカツキの応援団になったとばかり思っていたのだが、そうでもなかったらしい。 これは意外だった。 上目遣いに『あんた、なに考えてんの?』と問いを投げかけてきているキョウコに小さく嘆息し、アラタは答えた。 「それはあいつにとって、だろ? オレにとっておまえは別に敵でもなんでもねえよ」 「へぇ〜」 「ま、オレはおまえよりアカツキの方を応援するに決まってるけどさ。 でも、どうせならおまえにもちっとは頑張ってほしいって思ってるわけだ」 「……素直に受け取っとくわ」 要するに、好敵手として頑張ってほしいと思っているのだ……と。 キョウコは率直に彼の好意を受け取り、背を向けた。 「せいぜい、ジャリガキがあたしを倒すのを願ってなさいよ。 ま、それは無理な相談だけどね」 「なんでそう言い切れるんだ?」 キョウコの背に、アラタの鋭い声がぶつかる。 別に、弟を揶揄されたことを怒っているわけでもなさそうだ。なんとなく、といったところか。 冷静に分析していると、アラタは声の調子を少し落とし、言葉を続けてきた。 「あいつが旅に出てから大きく成長したのは、オレはもちろんだけど、おまえにだって分かってることだろ。 なんつーか、単純な度合いだけで言えば、あいつの方がオレたちなんかよりよっぽど上だぜ?」 「それはあんたの尺度で物事を見た場合の話。 あたしは、誰にも負けないだけの努力をしてきたつもりよ。 それに、誰にも負けないだけのチームを組んできた。技だって研究してきたわ。 ポケモンの特性を最大限に活かせるオーダーだって組んだ。 ……そのあたしが、負けるわけないでしょ?」 「…………」 鼻高々としたセリフに、アラタは一瞬、口ごもった。 ここまでの自信を見せるからには、本気で優勝できると思っている……いや、確信しているのだろう。 彼女は、負けるつもりで戦いに臨むような『敗残者』とは違う。 戦うからには勝利を手に入れる。 トレーナーだけでなく、人間にとって根本的に必要なものが備わっている。 それゆえの揺るぎなき自信。 いささか自信過剰な気もしないわけではないが、それが彼女らしさというものだろう……アラタは嘆息した。 「ま、明後日は楽しみに観させてもらうさ。 おまえの泣きっ面を拝むのも、なかなか面白そうだし」 「言ってなさいよ。ジャリガキの泣きっ面を突きつけてあげるわ」 軽口の応酬。 互いに慣れた様子だったが、キョウコはそこで疑問符を浮かべた。 「でも、カイトに勝てたら……の話じゃない?」 「勝つさ。あいつなら」 「あ、そ……ま、それならそれでいいわ。 首を洗って、長〜くして待ってなさい。あたしの勇姿を忘れられないってくらい見せ付けてあげる」 「ま、楽しみにさせてもらうぜ」 「……じゃ、あたしは帰るから」 キョウコは一度も振り返ることなく、ラグラージの像が安置された高台を後にした。 アラタ相手に言いたいことを存分に言えたせいか、かなり気持ちがスッキリしている。 今なら、普通に戻ってもちゃんと眠れそうだ。 「睡眠不足は敵だもんね。これからが大変なんだもん」 ポケモンセンターへと向かうキョウコの足取りは、思いのほか軽かった。 それを見送るアラタの表情は、どこか楽しげだった。 「明日と明後日がオレにとっては一番楽しみなんだよな。 さて、オレも帰るか。試合の途中で居眠りぶっこいたら、シャレにならねえからな。 キョウコのヤツの泣きっ面なんて、そう何度も見られるモンじゃないからな……ふふっ」 キョウコが階段坂の途中で左折したのを確かめてから、アラタはスキップなどしながら一気に階段坂を駆け下りた。 ネイゼルカップの優勝を目指して頑張ってきたが、負けた後にも楽しみが残っているのなら、それも悪くはない。 なんとなくそんなことを思いながら、アラタは家路についた。 To Be Continued...