シャイニング・ブレイブ 第23章 兄弟の約束 -Finish the promise-(4) Side 7 「レックス、飛び上がって火炎放射!!」 先手を取ったのはカイトだ。 炎タイプのレックスは、地面タイプのライオットと相性が悪い。 また、攻撃面でも主戦力たる炎タイプの技は、ドラゴンタイプのライオットには効果が薄い。 しかし、それはあくまでも基本の相性論で見た場合の話だ。 相性など、せいぜいがバトルを左右するための一つの要素に過ぎない。もっと肝心なのは…… 「…………」 アカツキはレックスが空に飛び上がるのを黙って見ていた。 本来ならここで一気に攻勢に出るべきだろうが、カイトが何を考えているか分からない状態で飛び込むことはできない。 レックスは十メートルほどの高さまで飛び上がると、口から紅蓮の炎を吐き出した。 「やっぱ、威力が上がってやがるな……!!」 リザードの時と比べて、明らかに炎の威力が上がっている。 進化して、能力が全体的に底上げされたのだから、それは当然だろう。だが、アカツキが思っていた以上の威力だ。 これをまともに食らったら、タイプの防御があっても大きなダメージを被るだろう。 無論、まともに食らうつもりなど、小指の爪の先ほどもなかったが。 「ライオット、飛び上がって避けるんだ!!」 アカツキの指示に、ライオットはさっと翼を広げて飛び立った。 直後、レックスの炎がライオットの立っていた場所を瞬く間に焼き尽くす。 炎は草を舐め、徐々にフィールドに広がっていく。 言うまでもなく、草は燃えやすい。 背丈の低い草は、炎の威力を引き上げるのには役立たないが、しばらくはフィールドを炎に包むための燃料にはなりうる。 「そーゆーことか……でも、それなら……」 アカツキはカイトの狙いを察した。 フィールドを焼くことで、しばらくライオットを地面に降り立てられないようにするつもりだろう。 それなら、空中戦で応じるのが一番だが…… 「ライオット、砂嵐!!」 炎に舐められたフィールドが、荒野と化す。 焼け焦げた土がむき出しになっている状態なら、砂嵐を発動させるのも簡単だ。 砂漠で生きていたライオットにとって、砂嵐の中は庭も同然。 レックスは思うように戦えないはずだ。 だが、さすがにそう簡単には行かなかった。 「レックス、竜の波動!!」 「……!?」 ライオットが砂嵐を発動させようとしたところに、楔を打ち込むようにしてカイトの指示が飛ぶ。 「竜の波動……!! そんなモンまで覚えさせてたのか……!?」 アカツキはギョッとしたが、すぐに指示を切り替える。 「ライオット、砂嵐を取り止めてドラゴンクロー!!」 砂嵐を発動するのを待っていては、竜の波動を食らってしまう。 レックスでライオットの相手をしようと考えるからには、何らかの理由があると踏んでいたのだが…… こちらの弱点を突ける技を覚えさせていたようだ。 なるほど、カイトらしいやり方だ。 ライオットは指示の切り替えに迅速に応えた。 すぐさま垂直に飛び上がり、レックスの上を取る。 ライオットの真下を、レックスが放った猛烈な奔流が通り過ぎ、フィールドに突き刺さる。 「連発!!」 カイトの指示に、レックスは竜の波動を連続で放ってきた。 ライオットは当たれば効果抜群となる技を最小限の動きで避けながら、徐々にレックスに迫る。 いきなり迫っては狙い撃ちにされるだけだ。 少しずつ、外堀を埋めるようにしていかなければ。 横に回り込み、またある時は距離を取りながら、少しずつ……しかし確実に距離を詰めている。 「焦っちゃダメだ。ここはゆっくり行かないと……」 カイトなら、こちらが一気に飛び込んだ瞬間に、何らかのアクションを起こすはず。 互いに、どこまで相手の手の内を読んでいるか…… それは直に接してみなければ分からないが、何も考えずに飛び込むよりは、一考した方がマシというものだ。 「…………ふーん」 アカツキが一気に攻め込んでこないのを見て、カイトは「賢いな」と素直に感心した。 旅立つ前のアカツキは、何があろうと一気に攻め込んできた。攻撃が最大の防御であると盲信していたかのようだ。 だが、トレーナーとしての経験を積むうちに、それだけではダメだと気づくようになったのだろう。 「ま、それならそれで、こっちも助かるんだけど……」 飛び込んできてくれれば、デカイ一撃をお見舞いできるのだが、もし一気に飛び込まなければ……正直、どうしようかと思っていたところだ。 竜の波動を放ち続けていては、先にレックスの体力が尽きてしまうだろう。 「長々と時間はかけられないなあ……よ〜し、こうすっか」 いい策を思いついた。 「まずは、引っかかってくれるかどうか、だな……」 カイトはライオットの動きを目で追いながら、適切と思えるタイミングでレックスに指示を出す。 「レックス、地面に降り立て!!」 レックスは即座に反応し、竜の波動を取り止めて地面に降り立った。 「よし……!! ライオット、ドラゴンクロー!!」 地面に降り立った今、すぐに飛び上がることはできないはずだ。 フィールドを炎がチロチロと舐めているが、炎に耐性のあるライオットなら、それほど大きなダメージを受けることはない。 今が、最大のチャンスだ。 ライオットは翼を畳み、落ちるようにしてレックスに迫る!! レックスは何をするでもなく、落下してくるライオットに視線を向け―― 「こっちもドラゴンクローで迎え撃て!!」 「……!!」 目には目を、ドラゴンクローにはドラゴンクローを。 ハンムラビ法典よろしく、カイトは同じ技で迎え撃つことにしたらしい。 「……何考えてやがる……?」 アカツキは目を細めた。 カイトが何を考えているのか読めない。 ライオットを地面に近づけて何かするつもりなのだろうが……ドラゴンクローで迎え撃つとは。 レックスは前々からドラゴンクローを使えるようだが、本家ドラゴンタイプであるライオットの方が扱いは慣れている。 威力だってライオットの方が高いだろう。 それなのに、同じ技で迎え撃つとは……何を考えている? だが、相手が何を考えているかも分からないうちから下手に動くことはできない。 カイトは迂闊に飛び込んだ相手を決して逃さない性分だ。 ライオットの脚に、すべてを焼き尽くさんばかりの真っ赤なオーラが宿る。 この様相から、炎タイプと間違われやすいのだが、れっきとしたドラゴンタイプの大技である。 対するレックスの前脚にも、似た色のオーラが生まれる。 「レックスが地面に近い場所にいるんだったら、好都合だぜ。このまま行ってやるっ!!」 何をするつもりかは知らないが、自分の策を止める理由にはならない。 アカツキの強気の想いを受け取ったように、ライオットは大きく前脚を振りかざす!! レックスも、空を割るような勢いで前脚を振り上げて―― ごんっ!! 鈍い音と共に、フィールドを衝撃が駆け抜けた!! 「くっ……」 「うおっ……?」 突然身体を打った衝撃に、カイトは思わずよろけてしまったが、アカツキは少し驚いただけで、特に体勢を崩したりはしなかった。 そこのところは身体的な能力差といったところだろう。 トレーナーが、ドラゴンクローが激突した勢いによって生じた衝撃波でちょっとだけ痛い思いをしているとは露知らず、 地面に降り立ったライオットとレックスは必死の形相で組み合っていた。 もっとも、赤いオーラを宿した爪を絡ませ合い、一進一退の鍔迫り合いを繰り広げている。 ここで相手を圧し切れば、確実に優位に立てる。 互いにダメージを受けていない状況だ。実力が伯仲している以上、わずかなミスも命取りになりかねない。 それが辛いところだ。 「…………」 「…………」 アカツキとカイトは、ポケモンを挟んで睨み合っている。 ……何を考えてる? 互いに考えていることは読めないが、自身の策を実行に移すことだけは共通した考えである。 先に動いたのはアカツキだった。 長期戦を望まないのは、こちらも同じと言わんばかりに。 「ライオット、大地の力!!」 「なるほどね……そういうことかい」 アカツキの指示がフィールドに響いた瞬間、カイトは彼が何をするつもりなのか悟った。 大地の力は、地面から強大な力を噴き上げて攻撃する技だ。もちろん、タイプは地面タイプ。 レックスが飛行タイプの持ち主と言えど、地面に脚をつけている状態では、無効化することはできない。 アカツキはそれを狙っていたのだ。 だからこそ、地面に降り立ったレックスを見逃さなかった。 「でも、それはオレも同じなんだよね♪」 カイトの口元に笑みが浮かぶ。 ライオットはドラゴンクローを維持したまま、翼をピンと広げた。 刹那―― どごぉぉぉぉんっ!! レックスの足元で爆発が起こり、大量の土砂に紛れて赤茶色の蜉蝣が噴き出した!! これが大地の力による攻撃だ。 レックスは蜉蝣に押し上げられる形で、呆気なく宙に投げ出された!! 「ちょっと痛いけど、これなら……」 大技の直後には、必ず隙ができる。 ドラゴンクローを維持した状態で大地の力を使えば、普段よりも力の消耗が大きくなるはずだ。 それなら…… カイトは宙に投げ出されたレックスに指示を出した。 「今だ、ドラゴンダイブっ!!」 レックスは翼を畳み、器用に身体の向きを変えると、すぐさまライオット目がけて突進した!! 先ほどと立場が逆転した形になるが…… 「ドラゴンダイブ……!! 反撃を狙ってやがったのか!?」 アカツキは奥歯を噛みしめた。 なるほど、道理でまともに大地の力を受けたわけだ。 あの状況で無理に攻撃しようとすれば、ドラゴンクローで確実に押し切られる。 だからこそ先に相手に攻撃させ、それが大技だった場合、放った直後の隙に弱点を突き返す。 「カイトらしいな、こりゃ……」 ドラゴンクローを維持しながら大地の力を放つのは、ライオットでさえかなり疲れることだ。 「ライオット、避けられるなら避けるんだ!!」 アカツキはライオットに指示を出した。 猛烈な勢いで突進してくるレックスの攻撃を受ければ、ライオットでも危ない。 彼女はあまり疲れを表情には出さないタイプ(やせ我慢とは少々違うようではある……)だが、アカツキには分かる。 大技を短時間に連発すれば、それだけ体力への負担も大きくなるのだ。疲れていないはずがない。 それはレックスにも同じことが言えるだろうが、今はドラゴンダイブによる攻撃の最中だ。 ドラゴンダイブは、読んで字のごとくドラゴンタイプの大技。 すさまじい殺気をまとって相手に突撃する技だ。 ライオットの弱点となりうる技を多数覚えさせているところを見ると、カイトはレックスであらゆるタイプのポケモンと戦えるように育ててきたのだろう。 ライオットは頭上を振り仰いだが、大技を放った直後で身体を動かせなかった。 ずどんっ!! レックスの渾身の突進が、ライオットを地面に叩きつける!! 「ライオット、竜の波動!!」 ダメージは受けたが、レックスも無理な体勢でドラゴンダイブを放って、すぐに離脱することはできないはずだ。 アカツキの指示に、ライオットは目を大きく見開いた。 「おっと、そうはいかないよ!? レックス、エアスラッシュ!!」 同時に、カイトの指示も飛ぶ。 ライオットが口から竜の波動を放つと同時に、レックスもまた翼を激しく打ち振って、エアスラッシュを放った!! 細かな策など一切用いず、真正面から戦うことを選んだ。 大地の力を使っては、間違いなくライオットが先にダメージを受けてしまう。 さらに、ライオットを盾にする形となり、レックスにはダメージがほとんど及ばない可能性があるのだ。 その状態では、大地の力は使えない。 一方、カイトの側も、竜の波動やドラゴンクローでは、威力で確実に圧し負けてしまうと分かっている。 互いに、相手に効果抜群となる技を用いることができない事情があるのだ。 だから、自身が得意とするタイプの技で攻撃することを選んだ。 至近距離から放たれた竜の波動と、エアスラッシュ。 当然、逃げる間がなければ、『守る』や『見切り』で防ぐ場所もない。 竜の波動がレックスの姿を飲み込み、ライオットを直撃したエアスラッシュが周囲の空気を掻き混ぜて、大爆発!! 両者とも大きなダメージを受けている……これでどちらかが戦闘不能になることも十分にあり得る。 「まさかと思うけど、三体連続で相打ちなんてバカなことはねえよな……」 荒野と化したフィールドに土煙が立ち込め、ライオットとレックスの姿が確認できない中、アカツキは嫌な予感を抱かずにはいられなかった。 ネイトVSクロー。 アーサーVSゼレイド。 今までの二体は相打ちで戦闘不能となった。 三度目の正直(言葉の使い方がまったく違うが、当人はそんなニュアンスで思っていたらしい)ということはないだろう、いくらなんでも。 「……カイトのヤツ、いつの間にこんな真正面から戦うなんてこと考えるようになったんだ……?」 今なら、存分に脇道に逸れた考えをしていられる。 これ幸いとばかりに、アカツキはカイトのバトルスタイルの変化に疑問符を浮かべていた。 今までのように、緻密な策を弄して攻めてくるとばかり思っていたのだが、旅を通じて、いろいろと吸収してきたのだろう。 策を弄するだけではどうにもならないような状況も経験してきたに違いない。 だからこそ、真正面からガチンコ勝負を挑むことも必要だと理解した……そして、アカツキとの一戦で思い切った手に出てきたのだ。 無論、アカツキも猪突猛進型のバトルスタイルを改めている。 互いに、今までになかったものを存分にさらけ出している…… 「なるほどね……変わったのはお互い様ってワケだ」 濛々と立ち昇る土煙の向こう側で、カイトも似たようなことを考えていた。 「でも、そうじゃなきゃ面白くないよな。 何がなんでも、オレはアカツキにだけは負けたくねえからな……」 カイトはグッと拳を握りしめた。 旅に出る前は、連戦連勝だった。 旅に出てからも当然、それが続くものだとばかり思っていた。 勉強が苦手なアカツキに、ポケモンバトルで負ける道理などないのだと思っていた。 しかし、それが単なる思い上がりに過ぎなかったと思い知らされたのは、いつのことだったか。 「一個目のバッジをゲットしてレイクタウンに戻った時だっけ」 キサラギ博士の研究所で、久々にバトルをして……負けた。 それからもう一度、レイクタウンの感謝祭でバトルすることになったが、その時も負けた。 単純な勝敗数で言えば、カイトの方がダブルスコアで勝っているが、旅に出てからは勝ち星なしと、散々な結果になっている。 旅に出てから一気に追い抜かされたような気がして、焦った。 「でも、それくらいじゃなきゃ、ライバルじゃないんだよね……」 反面、追い抜かれたと思ったからこそ分かることもあった。 アカツキにだけは負けたくない……という気持ちに気づいたのだ。連戦連勝では、それが当然だとばかり思うものだ。 「さ〜て、どうなるかな……?」 勝敗はもちろん大切だ。 負けるよりは勝った方がいいに決まっている。 ……が、アカツキもカイトも、それ以上にフィールドを挟んで対峙するライバルと全身全霊を賭して戦っていることに満足していた。 それこそ、子供の絵空事と思われることかもしれないが、プロセスと結果……どちらが大切なのかは、TPOによって変わってくるものだ。 「……どうなるかなあ……?」 ライオットとレックスなら、ライオットの方が相性的には有利だ。 だが、レックスはドラゴンタイプの技を使える。弱点を突くことができるという意味では、互角の戦いと言ってもいい。 濛々と立ち込める土煙。 やがて、少しずつ薄くなり、土煙が晴れた時―― 『あっ!! 三体連続ってマジかよっ!?』 アカツキとカイトの声が見事にハモった。 いくらなんでもこれはありえないだろうと思っていたが、よもや三体立て続けに相打ちになるとは…… バトルしている当の二人だけでなく、これには審判や観客も目を丸くして、開け放った口を閉じることさえ忘れていた。 三体連続で相打ち……同時に戦闘不能となることなど、前代未聞だ。 今までも、そしてこれからも、そういったことは滅多に起こらないはずである。 「ライオットもレックスも倒れてる……立ち上がるのは無理っぽいな」 アカツキはライオットとレックスが折り重なって倒れているのを見て、悟った。 三体連続で相打ち。 こうなってしまっては、互いに最後の一体で決着をつけなくてはならない。 「でも、それがオレたちに一番相応しい決着のつけ方かもしれねえな」 最後の最後まで、勝負は分からないものだ。 この場合、どちらから最後のポケモンを出すことになるのか分からないが、相手が誰だって関係ない。 勝つためにここに立っている以上は。 「……!! フライゴン、リザードン。と、共に戦闘不能!!」 審判は慌てて宣言したが、声が震えていた。 前代未聞の珍事に、冷静さを失ってしまっているようだ。 ざわざわざわざわ…… 観客のどよめきも大きくなる。 予選第一戦からこんな大番狂わせが起こるなど、誰が予想していただろう? 「戻れ、ライオット」 「レックスも戻って」 アカツキとカイトは周囲の戸惑いなどどこ吹く風と言わんばかりに、すぐさまポケモンをモンスターボールに戻した。 「ライオット、お疲れさん。ゆっくり休んでてくれよ」 労いの言葉をかけて、ボールを腰に戻す。 「さーて……マジで最後のポケモンになっちまったなあ。 ま、カイトも同じなんだけど……」 カイトも同じように、ポケモンを心の底から労い、ボールを腰に戻していた。 どちらともなく顔を上げて―― にやりっ。 互いに、口の端に笑みを浮かべる。 ――やるじゃないか。さすがはオレのライバルだぜ。 ――当然。おまえにゃ負けたくないからな。 見えない火花が散る中で、二人は互いの健闘を讃え合っていた。 こんなことになるとは思わなかったが、だからこそ心底この戦いを楽しもうと考えられるのだ。 「泣いても笑っても次で最後だ。誰で行くか……?」 アカツキは腰のモンスターボールにそっと手を触れた。 ネイト、アーサー、ライオット。 この三体がすでに戦闘不能だ。 タイプの防御が有利なアーサーを倒されてしまったのは痛いが、 カイトの側は一番厄介なレックスが倒れ、最後の一体になればグレイスのノーザンレイドは使われない。 それなりの成果はこの時点で示されていても、アカツキの知らないポケモンがまだ控えているのだ。安心はできない。 互いに、残り三体。 カイトが手持ちにグレイスを入れているとしたら、ここで出してくることはないだろう。 考えるだけ詮無いことだが、少しでも優位に立つためには、相手が打って来そうな手をあらかじめ予測するしかない。 「……って、審判の人、何も言わないな。どうしたんだ?」 いつまで経ってもポケモンを出すように促してこないことを不審に思い、アカツキは審判に視線向けた。 「……ん?」 審判は慌てた様子で、A6判のノートと睨めっこしていた。 角度の関係で表紙の文字が見えないが、普通のノートとは違うようだ。 実際のところ、審判はネイゼルカップの規定集(ポケットサイズ)を見て、どちらからポケモンを出させるべきか調べているのだ。 まあ、三体連続で相打ちとなり、最後のポケモンをどちらから出させればいいのか分からない状況に立ち会う機会も、そう多くはあるまい。 審判を優柔不断だとか、無知だと責めるのも酷であろう。 「なにか調べてんのかな? ま、いいけど……」 アカツキもカイトも、審判の行動に疑念も何も抱いていなかったが、 審判は急いで調べ物をした甲斐あってか、十秒ほど経ったところでノートを閉じた。 ズボンのポケットにノートを滑り込ませてから、背筋をピンと伸ばす。 「両者、最後のポケモンを同時に出してください。 三体目のポケモンが同時に戦闘不能となった場合…… そして、どちらが先に戦闘不能となったか判断できない場合に限り、両者が同時に最後のポケモンを出すルールとなっております」 審判の堂々とした声に、観客たちのどよめきも止んだ。 ルールの説明を受けて、納得したらしかった。 「へえ、そんな風になってんだ。ま、いいけど……」 両者が同時にポケモンを出す。 どちらが先に戦闘不能になったか判断できない場合というのは、ネイトとアーサーのケースのように、 どちらが先に戦闘不能にさせる技を放ったか判断できない場合を指すのだろう。 なるほど、公平を期すという意味では一番確実な方法と言えよう。 「じゃ、誰で行こうかなあ……」 両者が同時にポケモンを出すのだから、これ以上に公平な方法はあるまい。 とはいえ、出すからには相手の弱点を突ける可能性が高く、それでいて弱点を突かれる可能性が低ければ低い方がいい。 そんな理想的なポケモンはそう多くない。 たとえば、悪・ゴーストタイプを持つミカルゲやヤミラミであれば、ノーマル、格闘、エスパーの三タイプを無効にできる。 攻撃面では思いのほか期待できないところだが、防御を重視するのであれば、これらのポケモンを用いない手はない。 ……が、言うまでもなくアカツキの手持ちにそんな都合のいいポケモンはいない。 「ドラップとリータとラシールじゃなあ…… 万が一グレイスが出てきたら、リータとラシールじゃかなりキツイし。 じゃ、ドラップかな? 地面タイプ以外は弱点じゃないし、攻撃も結構イケるし。よし、決まりっ♪」 一頻り考えた後、アカツキは最後のポケモンを決めた。 ほぼ同時に、カイトも腹を括ったらしい。 「両者、準備できましたね? それでは、ボールをフィールドへ投げ入れてください」 『行けーっ!!』 審判の言葉に、二人は同時にモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 両者の最後のポケモンは…… Side 8 「あいつは……見たことないポケモンだなあ」 アカツキはフィールドに飛び出したカイトのポケモンを見やり、眉根を寄せた。 カイトが最後のポケモンとして送り出したのは、レントラーという種族のポケモンである。 鮮やかな水色の身体の半分以上が漆黒の体毛に覆われているが、前脚は黄色と水色の縞模様が描かれている。 パッと見た目は大型の犬のような外見だが、一番の特徴は鋭い眼光である。 「…………」 何も言わずとも、目の奥から強い光でも放っているように、すさまじい威圧感が押し寄せてくる。 「こいつ、強敵だ……!!」 どんなポケモンかは知らないが、カイトが最後に出してきたポケモンだ。 強敵に決まっている。 レントラーは電気タイプのポケモンで、弱点は地面タイプのみ。 攻撃面ではたくさんのタイプの弱点を突けるわけではないが、堅実な戦い方ができるポケモンだ。 「素早そうだけど、パワーならドラップの方が上に決まってる。 普通に戦えばいいんだ。普通に……うん、オッケー♪」 普通に戦えばいい。 相手がカイトだからといって、気負う必要などない。 今までの延長線上――一つでも勝ち星を奪ってやればいいのだ。 「最後のポケモンはドラップか……」 アカツキが気楽に構えているのとは対照的に、カイトは表情を険しくした。 旅立って数日後にゲットしたポケモンと聞くが、それゆえアカツキとの絆もかなり深まっているはずだ。 様々な技を覚えられるテクニシャンだし、動きの遅さはテクニックである程度カバーできる。 「でも、ドラップの技は分かってる。よっぽどミスらなきゃ、問題ない……」 厄介な相手だが、勝てないことはない。 二人が準備万端なのを見て取って、審判は旗を振り上げた。 「ドラピオン対レントラー。バトルスタート!!」 宣言に、ドラップとレントラー――リンクの間で緊張感が一気に高まる。 直後、二人のトレーナーの指示が飛ぶ。 「リンク、チャージビーム!!」 「ドラップ、毒針!!」 先に動いたのはリンクだった。 尻尾と耳を逆立てると、口を大きく開いた。 びーーーーーーーーーーーーーっ!! けたたましい音と共に、口からビームを吐き出した。 チャージビームという、電気タイプの技だ。 体内で発生させた電気をビームとして放出する技で、威力は低いが、残った電気を吸収することで一時的に特殊攻撃力を増強させる効果がある。 直後、ドラップも毒針で応戦する。 毒針とチャージビームがセンターラインの真上でぶつかり合い、激しい音を立てた。 しかし、威力はチャージビームに分がある。 毒針が幾分かチャージビームを相殺するものの、残りがドラップ目がけて突き進んでいく!! 「今の、威力は大したことねえな。それだったら……」 威力は大したことないが、食らったら痛いだろう。 互いにもう後がないのだ。少しでもダメージは受けたくない。 「ドラップ、投げつける!!」 「……!?」 アカツキの指示に、ドラップはすぐに動いた。 「って、なに投げるんだ?」 カイトは怪訝な表情を見せたが、ドラップが地面を思い切り殴りつけたのを見て、すぐに何をするのか悟ったようだった。 地面を強引に切り取ると、ドラップはそれをチャージビーム目がけて放り投げた。 本来、投げつけるという技は持っている道具を相手に投げつけて攻撃する技だが、 何も持っていない時でも、即席で道具(?)を作り出すことで代用できるのだ。 「なるほどねえ。上手くやるモンだ」 カイトは感心したが、すぐに次の行動を開始した。 「リンク、接近してアイアンテール!!」 チャージビームではドラップにダメージを与えられないと判断し、すぐさま次の手を打った。 案の定、チャージビームはドラップが投げつけた地面にぶつかって、四散した。 毒針で威力を削られていなければ、多少は残ったかもしれないが……どちらにしても、詮無いことだ。 「ドラップ、動かずに迎え撃てっ!!」 アカツキはリンクが大きく円を描きながら接近してくるのを認め、ドラップに待機を指示した。 リンクのスピードはかなりのものだ。 無理に対抗しようとしても、引っ張り回されてしまうだけだ。 ならば、余計なことはせず、しっぺ返しを食らわせるつもりで攻撃を加えるのが一番だろう。 「どんな技を使ってくるんだ? アイアンテールだけじゃないはずだ」 カイトのことだ、アイアンテールを皮切りに、スピードで撹乱しつつ、何らかの攻撃を加えてくるはずだ。 アカツキはそう考えて、何か対抗策はないものかと思案をめぐらせた。 「近くに来るんだったら、クロスポイズンとかで攻撃すりゃいいよな。来るなら来やがれってんだ」 レントラーは接近戦、遠距離戦、どちらもこなせるだろう。 身のこなしから見ても、それくらいのことは容易に推測できる。 とりあえず、相手がどんな手に打って出るか、それを見てからでも遅くはないはずだ。 リンクはドラップの周囲を走り回りながら、徐々に距離を詰めてくる。 だが、ドラップの頭部は360度回転するため、どの方角から攻撃されても、即座に対応することができるのだ。 カイトがそんな基礎的な特徴を失念しているとは考えにくいが…… リンクが攻撃に移ったのは、ドラップの周囲を十周走った頃だった。 「ががーっ!!」 並のポケモンなら容易く退散させられるような、激しい咆哮と共に、ドラップに飛びかかる!! 「ドラップ!! クロスポイズン!!」 ドラップの防御力は高い。 いくらリンクの攻撃力が高くとも、一発で倒されることはない。増してや、弱点を突かれなければ。 それでも、ダメージは受けないに越したことはない。 リンクは跳躍すると、ピンと尻尾を立てて、身を翻した!! ひゅっ!! 白銀の輝きを帯びた鋼鉄の尻尾が、空間を抉り取る!! 鋭い攻撃はドラップの首筋にクリーンヒット!! しかし、ドラップも負けてはいない。 両腕のハサミが毒素を蓄え込み、毒々しい紫の輝きを帯びる。 空中にいるリンクに、クロスポイズンを避ける術はない。 ……が、ドラップが渾身の一撃を繰り出そうとした瞬間、リンクはドラップに叩きつけた尻尾を支点にして、クロスポイズンの攻撃範囲を脱する!! 「ええっ!?」 アイアンテールを移動手段に用いるリンクに、アカツキは驚愕するばかりだった。 直後、ドラップのクロスポイズンが先ほどまでリンクのいた空間を薙ぎ払う!! 紫の筋が交わり、毒素が周囲に飛び散る。 「リンク、着地してから雷!!」 「ドラップ、穴を掘る!!」 避けられた以上、次の手を打たなければならない。 着地までは、どんな攻撃も避けられない……が、アイアンテールで移動するのはアカツキも使っていた方法だ。 それなら、相手の視界から消えて攻撃する方が当てやすい。 ドラップは攻撃の不発に驚きつつも、すぐさまアカツキの指示に従って、猛烈な勢いで地面に穴を掘り始めた。 「リンク、急げっ!!」 地面の下に潜られたら、厄介なことになる。 レックスの炎で熱せられた地面は、思いのほか柔らかくなっているのだ。 ドラップは普段以上のスピードで穴を掘り、徐々に地面の下に潜っていく。 しかし、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに、リンクは着地した次の瞬間に雷を放った!! 着地までの間に電気を蓄えていたのだろう、発動は早かった。 近距離から放たれた雷は、そのほとんどのエネルギーがドラップに突き刺さる!! ばりばりばりばりばりばりっ……!! 空を引き裂かんばかりの轟音が、フィールドを駆け抜ける。 強烈な雷をまともに食らい、ドラップの動きが止まる。 「よし、今のうちにチャージビームから雷だ!!」 地面の下にさえ潜られなければ、身軽さではこちらに分がある。 今のうちに決めるが吉と、カイトは拳をグッと握りしめながらリンクに指示を出す。 だが、アカツキも負けてはいない。 「ドラップ、気張れーっ!!」 腹の底から搾り出した本心の叫びに、ドラップの闘争本能がこれ以上ないほど燃え上がる。 雷を食らって動きを止めたかと思いきや、すぐさま穴を掘る作業を再開する。 リンクがすぐさまチャージビームを放つが、間一髪のところでドラップが地面の下に潜った。 頭上スレスレの位置をチャージビームが行き過ぎる。 チャージビームの効果で、リンクは残った電気を体内に取り込んで特殊攻撃力が上昇する。 仮に外したとしても、その効果を発現させるために使うだけの価値はある。 「ちぇっ、簡単に行くと思ったのに……」 ドラップが姿を消した穴を見やり、カイトが小さく舌打ちする。 チャージビームから雷のコンボは、相手が地面タイプでない限りは大きなダメージを与えられる。 しかし、地面の下に逃げられては、むやみに雷を放つことはできない。 何体ものポケモンをチャージビームから雷のコンボで仕留めてきただけに、必殺コンボが通用しないとなると、厄介だ。 リンクは忙しなく周囲を見回している。 どこから攻撃を仕掛けてくるのか、必死に読もうとしているようだ。 「よし、ここから反撃だ……!!」 カイトはともかく、リンクはかなり慌てている。 眼差しは鋭くとも、雰囲気で慌てているのが分かる。 レックスやクロー、ゼレイドだったらこうは行かないだろう。相手がリンクで助かったというのが本音だ。 リンクは電気タイプ。 地面タイプの攻撃なら、大ダメージを与えられる。 『威嚇』で攻撃力が下がっていても、弱点の攻撃を食らって痛くないはずがない。 だが、まずはタイミングだ。 「……焦らしてからの方がいいな。 カイトだから、間違っても飛び込んでこないと思うけど……」 相手に心理的な負担を押し付けることだ。 ドラップの後を追いかけたところで、思うように動けない地中では攻撃も回避もままならない。 カイトがそんなことをするとは思えない。 「……飛び出した瞬間が勝負だな。 一撃を食らうのを覚悟で反撃するっきゃねえな」 タイミングはアカツキが任意に決められる。 なら、慌てるだけ相手の思う壺。 カイトはアカツキの策をいち早く見抜き、平静を装うのに全力を傾けた。 互いに腹を探り合い、時間が刻一刻と過ぎていく。 フィールドに立ち込めるのは、沈黙。 風が吹いても、なびく草はない。 「…………」 「…………」 ドラップは地面の下で、アカツキの指示を待っている。 あるいは、指示を出されなくても勝手に攻撃するかもしれない。 どちらにしても、今の状態ではカイトに打つ手はない。 三十秒、一分と時間が過ぎていき―― と、一際強い風がフィールドに吹き込んできた。 一人佇むリンクの黒い体毛が風に揺れ―― 「ドラップ!! レッツゴ〜っ!!」 アカツキが攻撃を指示した。 彼の口が動くのを見て、すぐさまカイトもリンクに指示を出す。 「リンク、サンダーテール!!」 カイトの指示が届くが早いか、地面が割れた。 ドラップはリンクの真下から勢いよく飛び出し、相手を易々と宙に放り出した!! 「毒針!!」 アイアンテールが使えなければ、回避もできまい。 アカツキの指示に、ドラップが口を開いた時だ。 リンクの尻尾がピンと伸びて、ドラップの首筋に突き刺さった!! 「……!?」 直後、すさまじい電撃が尻尾を通じてドラップに襲いかかる!! 身体の『内側』に直接電気を流されて、ドラップの身体が激しく痙攣する!! 「ど、ドラップ!?」 突然の展開に、アカツキは呆然と立ち尽くすしかなかった。 サンダーテールなどという技は聞いたこともない。 ……が、サンダーテールはポケモンの技の一種である。ただし、電気タイプのポケモンしか扱えない大技だ。 尻尾を通じて相手に直接電気を流し込む技で、尻尾による攻撃と電撃で、威力は10万ボルトを上回る。 表面上の防御力が高くとも、身体の内側に関しては、大概のポケモンは防御力など無いに等しい。 よって、電撃は防御力を完全に無視できるという、凶悪極まりない電気技だ。 「リンク、今のうちにチャージビームから雷っ!!」 電撃を流し込めば、大概のポケモンは戦闘不能となる。 それくらいの威力はあるのだ。 「ドラップ、こんなトコで負けんなっ!! ドラップなら勝てるって!! オレももちろん信じて欲しいし、キミ自身の強さを信じて、ガンバれっ!!」 痙攣するドラップに、アカツキはありったけの声を振り絞って叫んだ。 声は届いていないかもしれないが、離れていても気持ちはつながっている。心で通じ合うモノがあれば、何を恐れる必要があると言うのか。 リンクは尻尾を引き抜くと、ドラップの身体を踏み台に後方に飛び退き、口を大きく開いた。 その口の中に煌々とした輝きが灯り、チャージビームが放たれる!! チャージビーム自体の威力は大したことがないが、問題は残った電気を吸収して、特殊攻撃力が上がってしまうことだ。 その状態で雷など放たれれば、大ダメージは免れない。 そうなる前に決着をつけなければ……負ける。 「やべえ……カイトのヤツ、なんか企んでるってワケでもねえな。 さっさと決着つけようとしてるんだ……こりゃヤバイ」 アカツキは手の甲で額に浮かんだ大粒の汗を拭い、チャージビームを発射したリンクを睨み付けた。 電気タイプの技が主体だが、地面タイプ以外のポケモンが相手なら、リンクは一対一で相手に競り負けるようなことはないだろう。 サンダーテールなどという、一般にはあまり知られていない技を使うなど、カイトは相変わらずトリッキーな技を覚えさせている。 トリッキーな戦略を正面から叩きつけてくる相手ほど、ややこしいものはないのだ。 ……と、チャージビームが放たれた直後、体内から電気が抜けてか、ドラップの痙攣が止まった。 「……!! ドラップ、悪の波動!!」 仕掛けるなら、今しかない。 ここでカイトの裏を掻かなければ……チャージビームの効果でより威力を増した雷には対抗できない。 対抗できないなら……? ドラップはすぐさま両腕を眼前で交差させ、漆黒の波動を放った!! 悪の波動という、読んで字のごとく悪タイプの技だ。 チャージビームと悪の波動は真正面からぶつかり合い、ド派手な音を立てて爆発した。 威力はほぼ互角だが、それはチャージビームが元から強化されているためだろう。 チャージビームだけを連発しても、相手が地面タイプ以外のポケモンならかなりの脅威になる。 「何を出そうったって無駄だぜ!! リンク、雷でどか〜んと決めちゃえ!!」 ドラップはサンダーテールで大きなダメージを受けている。 防御力がいくら高くとも、体内に直接電気を流し込まれれば、表面上の鎧など何の意味も為さないのだ。 戦闘不能寸前とまでは行かなくとも、このまま普通に戦っていれば勝てる。 特に気負うこともなく、カイトはリンクに指示を出した。 相殺したチャージビームなど無視して、リンクは身体を激しく震わせると、特大の雷を発射した!! チャージビームを三発放てば、それだけでリンクの特殊攻撃力は劇的に高まっている。 その状態で雷を放てばどうなるか……? 考えるまでもない。 雷をまともに食らえば、ドラップは間違いなく戦闘不能になる。 「よし、オレの勝ちだっ……!!」 雷は地面を抉り取りながら、ドラップ目がけて一直線に突き進んでいく!! 動きの遅いドラップに避ける方法などあるはずがない。 以前のようにアイアンテールで跳躍したとしても、その時は慌てず騒がず、もう一発雷をぶっ放してやればいい。 負ける要素は何もない。 カイトは完全なる勝利を確信していた。 ……が、勝負は最後まで分からないものだ。増してや、十年来の親友にしてライバルが相手では。 「ドラップ、奥の手行くぜっ!!」 ここで雷を避けるか、防がなければ負ける。 それは分かりきっていることだ。 ……ゆえにこそ、アカツキはここで切り札を出すことにした。 最後の最後まで取っておきたかった技だが、土壇場に最後も何もありゃしない。 「奥の手……? この状況で何ができるってんだ!?」 カイトはヘソで茶を沸かせるぜと言わんばかりに声を立てて笑った。 雷がドラップに到達するまで三秒とかからない。 その間に回避などできるはずがないし、『守る』で防ぐとも思えない。 そんな方法で防げれば、サンダーテールという未知の技をむざむざと食らうことはなかったはずだ。 だから、アカツキのセリフはただのハッタリに過ぎない。 残念ながら、カイトはそう思っていた。 互いにいろんな経験をして強くなったのだという単純な事実すら、見落としてしまうほどに浮ついていた。 ピンと背を伸ばすドラップに、アカツキはありったけの想いを込めて指示を出した。 「ガンガン行くぜっ!! ブラックビート!!」 旅先で出会った、とある悪タイプ使いの四天王から教わった、ドラップの切り札だ。 「ブラック……ビート? なんだそりゃ?」 カイトは訝しげに眉根を寄せたが、すぐさま技は発動した。 ドラップの両腕のハサミが黒々と染まり、ダブルで地面を打つ。 ……刹那。 どごごごごごごごっ!! ドラップを中心に、同心円状に漆黒の波動が迸る!! 「……なっ!! なんだそりゃ!?」 地面を容易く陥没させながら周囲に拡がっていく波動を見やり、カイトは顔を引きつらせた。 これでもポケモンのことはよく知っているつもりだ。 どんなポケモンがどのような技を使うのか、ある程度は勉強だってしてきたし、 アカツキのポケモンに関しては、要注意ということで徹底的に調べ上げてきた。 しかし…… ドラップ――ドラピオンが扱う技の中に、ブラックビートなる技はなかった。 少なくとも、データベースで調べた限りでは。 それでも、目の前で繰り広げられている光景を認めないなどという愚かなことはしないが。 ブラックビートは、同心円状の広範囲に漆黒の波動を放って攻撃する技だ。 ミもフタもない言い方をするなら、悪の波動の攻撃範囲を拡張した技……とでも表せば良いだろうか。 ちなみに、威力は悪の波動より大きいが、発生地点から離れれば離れるほど威力が低下するというデメリットがある。 リンクの放った雷と、ドラップの漆黒の波動が激突!! 強大な力の激突で土煙が上がる。 二つの技はしばらく激しい音を立てて鍔迫り合いを繰り広げていたが、雷が漆黒の波動を打ち破り、ドラップ目がけて土煙を貫いて突き進み―― それだけだった。 「……!? ま、まさか……!!」 手ごたえがないことに気づいて、カイトは顔を真っ青にした。 否、そうと気づいたのはリンクの背中が小さく震えているのを見たからだ。普段はゼレイドにも増して寡黙だが、驚くと背中が小さく震えるクセがある。 土煙が晴れた後、ドラップの姿はそこになかった。 あったのは、大きな穴が一つだけ。 「……や、やられた……!!」 真剣な面持ちのアカツキを睨みつけ、カイトは地団駄を踏んだ。 ブラックビートは、雷を食い止めるための壁だった。 威力は高いようだが、チャージビームで幾重にも強化された雷に勝るはずはない。 アカツキはそれを理解した上で、毒針でもヘドロ爆弾でもなく、それ以上の威力を持つブラックビートで雷を足止めし、その間に地面に潜ったのだ。 いくら雷の威力が高くとも、地面の下にいる相手に命中させるのは困難だ。 しかも、一度出現した時に反撃を受けているから、今回はたやすく反撃させてはくれまい。 「…………どこにそんな考えが残ってたってんだ……?」 予想以上だ。 アカツキが並大抵の苦労人でないことは承知しているが、カイトの予想を大きく上回っていた。 この土壇場で形勢を逆転させる一手を突きつけてきた。 序盤でブラックビートを放っていれば、もっと状況は好転していたはずだ。 何しろ、アカツキは好物をさっさと食べてしまうようなタイプだ。威力の高い技を温存するなどとは思わなかった。 ある意味、それはカイトの慢心とも言えるのだろう。 「……よし、あとは……!!」 サンダーテールを食らった時にはどうなることかと思ったが、ドラップはちゃんと動けるだけの体力を残していた。 だが、残っている体力はわずかだ。 時間をかけすぎれば、それだけでドラップの体力が尽きてしまう。 そうなる前に、確実にリンクを倒さなければならない。 「あと一撃……次で決めてやるぜ!!」 リンクも穴を掘る攻撃で大きなダメージを受けている。 単純なダメージの比率で言えば、ドラップの方がより深刻だが、次で決めてやれば問題ない。 特に策など考える必要はない。 地面の中という、絶対的な安全圏から技を放てばいいのだ。 リンクは落ち着こうとしているようだが、相手の姿が見えないことに言い知れない不安を感じているのか、忙しなく周囲を見渡している。 絶対の自信を以って放った雷で相手を仕留められなかったのだから、狼狽しても不思議はない。 どんなポケモンでも、思い通りにいかなければ、心に隙ができてしまうものだ。 「ドラップ、そっからブラックビートだ!! 全力でぶっ放せーっ!!」 アカツキがはちきれんばかりの声で叫ぶと同時に、リンクを中心とした半径一メートル圏内の地面から、漆黒の波動が噴き上がった!! 「しまったーっ!!」 地面の中から放たれれば、避けられるはずがない。 カイトは顔面蒼白で叫んだが、遅かった。 真下から加えられた強烈な波動を食らい、リンクは高々と宙を舞った。 それだけなら、まだ反撃さえすれば…… 「リンク、かみな……うっ」 カイトは慌ててリンクに指示を出そうとしたが、次々と噴き上がる漆黒の波動が、リンクを次々と打ち据えていく!! 地面を吹き飛ばしてリンクを直撃したのだから、言い換えれば発生源目がけて攻撃を放てば、確実に当たる。 だが、その暇すら与えられなかったら? ……どうしようもなくなってしまうのだ。 「『威嚇』も効果ないし……」 ブラックビートは特殊系に属する技のため、リンクの『威嚇』は効果を発揮しない。 物理攻撃力に負荷をかけるだけの『威嚇』は、特殊系の攻撃を得意とするポケモンにはほとんどと言っていいほど効果を発揮しないのだ。 アカツキはそれを理解した上で、ブラックビートを至近距離から浴びせてリンクを攻撃することを選んだのだろう。 漆黒の波動に打たれたリンクは地面に激突すると、そのままピクリとも動かなかった。 なんとも呆気ない結末ではあったが、決着はついた。 「…………」 「…………」 もしかしたら、リンクが立ち上がるかもしれない。 アカツキは姿を現したドラップに、目で『油断するな』と語りかけ、リンクに視線を移した。 カイトのポケモンは最終進化形で、いずれも鍛え上げられている。 単純な基礎能力で言えば、アカツキのポケモンを易々と上回っているのだ。 地面に崩れ落ちたとしても、油断はできない。 しかし、審判はリンクをじっと見やり、状態を判断した。 リンクがピクリとも動かない状態が十五秒ほど続いたところで、審判の旗が翻った。 「レントラー、戦闘不能!! よって、アカツキ選手の勝利です!!」 「……やりぃっ♪」 審判の宣言に、アカツキはぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを爆発させた。 三体連続相打ちという未だかつてない異常事態(?)が起こったバトルゆえ、観客のボルテージも最高潮に達していた。 勝利の宣言と同時に、割れんばかりの拍手と歓声がフィールドで渦を巻いた。 「オレの勝ちだぜ、カイトっ!!」 「……やれやれ」 フィールドを挟んだ反対側のスポットで喜びまくっている親友に困ったような笑みを向け、カイトはため息をついた。 「勝てると思ったんだけどな〜。 さすがに、簡単にゃ勝てないよな。 でも……ま、いいや。思った以上に楽しめたし」 負けたことは悔しいが、悔いのないバトルをしたとは思っている。 一生懸命戦ってくれたクロー、ゼレイド、レックス、リンクには申し訳ないが、満足行く戦いだった。 「リンク、戻って」 カイトは負けた悔しさを滲ませるどころか、清々しい笑みを浮かべて、リンクをモンスターボールに戻した。 「お疲れさん。来年は優勝目指して、ガンバろうな」 今回は勝てなかった。 しかし、これで終わらせるつもりは毛頭ない。 次は必ず、この雪辱を果たしてみせる。 カイトは清々しい笑みを浮かべたまま、アカツキに背を向けて歩き出した。 カイトがフィールドを立ち去ることなど気にすることなく、 アカツキは大急ぎでやってきたドラップとガッチリ抱き合って、勝利の喜びに酔いしれていた。 「ドラップ、お疲れ!! やっぱキミならやってくれると思ってたぜ!!」 「ごぉぉぉぉぉ……」 ――当然っ。 ドラップはサンダーテールや雷で大きなダメージを受けていたが、持ち前のタフさでこの戦いをどうにか乗り切った。 アカツキが心の底から喜んでくれているのだと分かって、死力を尽くして戦い抜いたことを心の底から誇りに思える。 トレーナーが自分たちを本当に信じてくれているから、自分たちもその信頼に応えようと最大限の力を発揮できるのだ。 そんなことは言葉にしなくても分かること。 「ドラップ、疲れただろ? 今はゆっくり休んでくれよな。明日も、またバトルすることになるからさ」 アカツキはニッコリ微笑みかけると、ドラップをモンスターボールに戻した。 「ふう……」 さすがに、今回のバトルは危なかった…… アカツキは反対側のスポットを見やったが、すでにカイトは選手用の通用門を抜けて、地下のサロンに入っていた。 「……カイトのヤツ、マジで強くなってたな。 レックスもリザードンに進化してたし……マジで危なかったなあ」 もしかしたら、今頃カイトは悔し涙を流しているかもしれない。 清々しい笑顔でフィールドを立ち去ったところは、ドラップと抱き合っていたため見られなかったのだが、カイトなら人前で涙など見せないだろう。 彼のことを考えると、いつまでも喜びを爆発させていてはならない。 本選は一日で一回戦が進むようになっている。 よって、明日は二回戦(準々決勝)が行われる。 今日の疲れを明日に少しでも引きずっていては、勝てる戦いも勝てなくなってしまうのだ。だから、今日はおとなしくしよう。 カイトに勝てた喜びはあったが、いつまでもそれを爆発させていたところで仕方がない。 「でも、もっと上を目指すんだ。 カイトに勝ったくらいで、浮かれちゃいられねえや」 目指すは優勝。 相手がたとえ親友でも、フィールドで対峙した以上は、倒すべき相手なのだ。 それに、明日戦うことになるのは、キョウコ。 彼女なら一回戦で負けるようなことはないだろう。アラタが予選敗退したのをいいことに、一気に勝ち上がってくるはずだ。 彼女の性格を考えれば、一回戦からガンガン突っ走ってくる。 彼女の勢いを少しでも止められなければ、明日の戦い、勝ち目はない。 「キョウコ姉ちゃんにも勝たなきゃ、優勝はできねえからな。 よし、みんなを回復させなきゃ!! そんで、今日はゆっくり休もう!!」 アカツキは拍手と歓声を背に、フィールドを後にした。 To Be Continued...