シャイニング・ブレイブ 第23章 兄弟の約束 -Finish the promise-(5) Side 9 「うーん……」 心の火照りが身体にも伝染したのか。 扇風機をガンガンにかけても眠れなくて、アカツキは身を起こした。 カーテンを閉めきった部屋はとても暗く、闇に身を置いているかのような……闇に飲み込まれてしまったかのような錯覚に陥る。 「今、何時だ〜?」 身体と心がミョーに熱くて、このままでは寝付けないだろう。 それが分かっているから、なんとなく辛い。 手近なところに置いてある時計を手探りで探し当て、ボタンを押してLEDライトで文字盤を明るくする。 「……なんだ、まだ十時か〜。まだまだ先じゃん」 少しは寝たような覚えはあるのだが、デジタル時計は午後十時を少し回ったばかりであることを示していた。 明日はキョウコと戦うことになる。 彼女は一回戦を余裕で制し、優勝へ向けて好発進したことを周囲に強烈に印象付けた。 ネイゼルカップは今までに幾度となく開催されてきたのだが、実のところ、レイクタウン出身の優勝者はここ十年ほど出ていない。 フォレスタウン、ウィンシティ、ディザースシティ、アイシアタウン出身の優勝者はいるのだが、 ここ十年を振り返った時、レイクタウン出身者の最高順位は二位。 開催地出身の優勝者がいないのでは、さすがにレイクタウンの名折れなのだが、勝てないのだから仕方がない。 しかし、キョウコはそんな空白の十年に風穴を空けるつもりでいるらしい。 勢いづく彼女のペースを少しでも狂わせなければ、勝利は有り得ない。 アニーやミント、ケレス、ラチェといった強力なポケモンを制するには、まず自分のペースで戦わなければならない。 「ん〜、今のままじゃ無理だよなあ……屋上でも行こうっと」 このままでは寝付けない。 火照った身体と心を冷やすという意味も含めて、アカツキはポケモンセンターの屋上へ行くことにした。 特に誰と出会う予定もないが、念のため、モンスターボールは六つ、ちゃんと腰に差す。 ……と、アーサーの声が小さく響く。 「出かけるのか?」 「うん」 アーサーはゼレイドに倒された時こそおとなしくモンスターボールに入っていたが、サロンで回復してもらった後、すぐに自力で外に飛び出してきた。 今までもこれからも、アーサーがモンスターボールに入るのは傷ついた時だけになるだろう。 まあ、それはどうでも良くて。 「ちょっと眠れなくて。アーサーも似たようなモンだろ?」 アカツキは近づいてくるアーサーの気配を頼りに、声をかけた。 アーサーはマジメな性格だが、それゆえに思い悩むことも多い。恐らく、明日のバトルに関してはアカツキ以上に神経質になっているはずだ。 「うむ……」 周囲に広がるのは薄暗い闇。 アカツキの顔も、至近距離まで近づかなければはっきりと認識できないが、心の奥底まで見抜かれてしまっているようだ。 アーサーは素直に「眠れない」と認めていた。 少なくともアカツキよりは大人だという自覚があるのだ。ここで認めなければ、彼より子供であると自白するも同然。 さすがに、それだけは受け入れがたかったのかもしれない。 「じゃ、屋上に行こうぜ。夜風に当たりたいんだ」 「分かった。一緒に行こう」 話はあっさりまとまって、アカツキはアーサーを伴って屋上へ向かった。 まだ夜遅い時間帯というわけでもなく、廊下から吹き抜けを通して見下ろせるロビーにはトレーナーの姿がチラホラ。 「やっぱ、明日は大変だよな〜」 足音を殺して廊下を歩きながら、アカツキが小声でつぶやく。 「相手がキョウコだからか?」 「うん。それ以外の理由ってないよーな気がするんだけどな〜」 すかさず返してくるアーサーに頷きかける。 相手がどこの誰かも分からないトレーナーなら、こんなに興奮することもない。 子供の頃から知っている相手だからこそ、嫌でも意識してしまう。 廊下を通り抜け、階段を一段飛ばしで駆け上がり、屋上に出る。 「うーん、やっぱ外の空気はいいな〜」 屋上の中央でゴロンと寝転がり、アカツキは新鮮な空気を満喫した。 アーサーは「そんなところで寝転がるな」とでも言いたげな視線を向けていたが、 そんなことをしても無駄だとすぐに悟って、アカツキの傍に腰を下ろした。 「なら、ここで寝るか?」 「冗談だって。ここで寝たら風邪引いちゃうじゃん」 「それもそうだな」 アーサーのジョークのセンスにはイマイチついていけないのだが、 興奮に火照り、固くなりつつある心を解してくれようとしている気持ちは伝わってくる。 アカツキは満天の星空を見上げたまま、小さくため息をついた。 「カイトのヤツ、どうしたかな〜。あれから、見てないけど……」 本選一回戦でカイトを打ち負かして、二回戦に進出できたのはいいのだが、アカツキの胸中は晴れやかではなかった。 サロンでポケモンを回復させてからネイゼルスタジアムを後にしたのだとは思うのだが、あちこちを捜しても、彼の姿は見当たらなかった。 それに、他の選手がどのようなポケモンを用い、 どのような戦術を駆使しているのかもちゃんと見ておかなければならないから、カイトを捜すのにも限度がある。 ……というわけで、彼を見つけることはできなかった。 カイトの性格なら、どこで何をしているのだとか分かりそうなものだが、それはあくまでも想像であり、推測の域を出たものではない。 真実100%でないのなら、考えるだけ無駄と割り切って、アカツキはあまり考えないようにしていたのだが…… ここに来て、無理がたたってきたようである。 明日のことを最優先に考えなければならないが、それでもやはり親友のことは気になってしまう。 「…………」 アーサーはアカツキが淋しげな表情をしていることに気づいて、鼻を鳴らした。 「おまえが心配するようなことではないだろう。 それに……カイトならおまえが心配などしていると分かったら、屈辱と受け止めるかもしれん。 おまえはカイトに勝った。ならば、勝者は勝者の責任を果たさなければならない。 ……分かるだろう?」 「うん、分かってる。なんとしてもキョウコ姉ちゃんをぶっ倒して先進まなきゃいけねえってことだろ?」 「なら、カイトのことは放っておけ。おまえには辛い選択肢かもしれんがな」 「うん……」 アーサーの言いたいことは分かっているつもりだ。 時には傷口に塩を塗りたくるようなことも言うが、間違ったことは絶対に言わない。 人生(ポケモン生?)経験の差というヤツだろう。 「そうだよな〜。オレが心配したって、カイトが喜ぶワケじゃねえし……お節介なのかなあ」 それでもやはり、考えずにはいられない。 四体中、三体が相打ちという、前代未聞のバトル展開だったのだ。 どちらが勝ってもおかしくなかった……差らしい差などほとんどなかった接戦ゆえ、負けた方はとても悔しがるだろう。 カイトが今どんな気持ちでいるのかなんて、確かにアカツキには分からない。 分からないのなら、他人がとやかく考えて想像膨らませて勝手な行動をする必要もないし、そんなことをする権利もない。 アーサーの言うように、勝者は勝者の責任を果たさなければならないのだ。 次の戦いも、精一杯戦いぬくことだ。 もちろん、勝利するのが一番だが、それ以上に精一杯戦いぬくこと。 全身全霊を賭してぶつかっていって、それで負けてしまったのなら仕方がない。自分が弱かっただけだ。 「…………」 カイトのことだ。 人前で涙なんか見せない。 自分の家に帰って、部屋に閉じこもって泣いているだろう。 実際にその現場を見たことはないが、カイトだって男の子だ。 「…………」 「いい加減、気持ちを切り替えろ。 私は、おまえにできないようなことは言わない。 ……今のおまえなら、キョウコにも勝てるかもしれん。 私自身、キョウコの仲間と実際に戦ったことはないが、それでも分かる。今の私たちは、以前の私たちとは違う」 「分かってる。やるからには勝たなきゃな。気張ってガンバってみるって」 「うむ」 アカツキは首をゴロンと横に動かして、アーサーに微笑みかけた。 自分とキョウコとのキャリアの差は如何ともしがたいものがある。 ポケモンの知識も、キサラギ博士の愛娘だけあって、並大抵のトレーナーでは及びもつかない域にまで達している。 しかし、レイクタウンの感謝祭で一度戦った際、圧倒的な力の差というのは感じなかった。 ガンバれば勝てる……それくらいには力量の差が縮まっている。 「キョウコ姉ちゃんのポケモンは確かに強いし、キョウコ姉ちゃんもバトルにはすごく慣れてる。 でも、出し抜くことはできるって思ってるぜ」 「うむ、その意気だ」 「当然だって。戦う前から負けてちゃ話にならないだろ?」 「まあ、道理だな」 戦うからには勝つ。 それくらいの覇気がなければ、ポケモントレーナー失格である。 「うん、今のオレたちなら、なんとか勝てる」 勝ち目のない戦いなど、滅多に起こるものではない。 ポケモンには弱点となるタイプがあるのだ。 弱点さえ突ければ、勝率は少なくともゼロにはならない。それがポケモンバトルのセオリーだ。 「アーサー、もしかしたら、明日が一番大変かもしれねえけどさ。 オレもガンバるから、アーサーもガンバってくれよ」 「当たり前だ。戦うなら、おまえには勝利を捧げよう」 「うん。楽しみにしてるぜ。一緒にガンバろっ♪」 「うむ……」 アカツキの屈託のない笑顔は、興奮のビートを刻むアーサーの心を心地よく冷やしていった。 「しかし、不思議なものだな」 寝転がるなと言いたかったはずなのに、アーサーもアカツキに倣ってその場に寝転がった。 こんなところをキョウコにでも見られようものなら、数日……いや、数ヶ月単位でからかわれることになるだろうが、 そんなことが気にならないほど、アーサーは平穏を噛みしめていた。 明日の激しい戦いを前に、どうしてこんなに落ち着いていられるのだろう……? 昔は、戦いと言えばそれこそ生死を賭したものであり、敬愛するアーロンが常に傍にいてくれても、不安が消えることはなかった。 時代が違う……と割り切ってしまえばそれまでだろう。 だが、ポケモンバトルも戦いであることに変わりはない。 「温い……しかし、今の私はこうして平穏の中に身を置いている。それは認めなければならない……か」 アーサーは目を閉じた。 聴こえるのは小さな虫たちの声。 目をつぶっていても、周囲の『波導』が立体映像のように頭に浮かぶ。景色は心でも見られるものだ。 アーサーが平穏に身も心も任せていると、アカツキは上体を起こした。 「……明日は、ガンバんなきゃな。 カイトの分までガンバって戦わなきゃ……でも、そんなことは言えないよな〜」 明日、きっとカイトは自分のバトルを観に来るだろう。 彼を倒して先に進んだ以上、誰にも恥じないようなバトルをしなければ……せめて、悔いが残らないよう、全力で戦わなければならない。 「オレはオレにできることをするっきゃない!!」 水を打ったように落ち着いた気持ちに、闘志の炎が灯る。 誰が相手だろうと、精一杯戦い、そして勝つ。 それ以上でも、それ以下でもない。 ……ただ、それだけのことだ。 「ネイトや他のみんなもいてくれるんだ。 キョウコ姉ちゃんのポケモンが強くったって、大丈夫。みんながいてくれるからさ」 アカツキは腰のモンスターボールにそっと手を触れた。 本当はみんなを外に出して、一緒にいたい。 だが、周囲の環境を考えれば、外に出すわけにはいかないだろう。 それに、ネイトたちは今頃モンスターボールの中でゆっくり休んでいるはずだ。 明日、キョウコと戦うまでゆっくり休んでもらわなければならない。万全の状態で戦えるように。 「明日は全力で戦わなきゃ。早く寝よう」 ポケモンたちはもう休んでいる。 そろそろ、自分も休まなければならない。 全力で戦えるようにしなければならないのは、ポケモンだけではない。 トレーナー自身の体調も万全に整えておかなければならない。 幸い、ここに来る前と比べて、気持ちはかなり落ち着いている。 今なら眠れるだろう。 そう思って、アカツキはアーサーの肩を軽く叩いた。 「アーサー、そろそろ帰ろうぜ。早く休まなきゃな」 「……ああ、そうしよう」 アーサーも、気持ちを落ち着かせていた。 アカツキだけが眠れても、アーサーだけが眠れても意味がない。両方がちゃんと休めなければ意味がない。 二人は立ち上がり、屋上の入り口へ向かって歩いていったのだが…… 「あ……」 「むっ……?」 入れ違いになる形で、キョウコで屋上にやってきたのである。 まさか、このタイミングで出会うとは思っていなかったのは彼女もまた同じだったらしく、アカツキとアーサーの姿を認めるや、目を丸くしていた。 「ジャリガキ……眠れないのは、あんたも同じってことね」 キョウコはすぐさま何食わぬ顔で、アカツキの脇を通り抜けた。 三メートルほど行き過ぎたところで、足を止める。 「キョウコ姉ちゃんも?」 「まあね。次に戦うのがあんたかと思うと、嫌でも心が昂っちゃうのよ。 アニーやみんなは、とっくに休んだってのにね。あたしだけ、眠れないワケよ」 「そうなんだ……」 キョウコほど気性が荒ければ、眠れなくなるのも当然だろう。 そんな風に言ってやりたかったが、ここでそんなセリフを口にしようものなら、火に油を注ぐなどという生温い状態では済まない。 「まあ、いいわ。 あんたはこれから部屋に戻るみたいだし、長々と引き止めるのもバカみたいだからね」 キョウコはふっ、と小さく息をつくと、振り向いてきたアカツキの目をまっすぐ見やり、小さく笑った。 「勝つのはあたしよ。もちろん、優勝はあたしがいただくわ。 あたしに勝ちたいんだったら、死ぬ気でかかってらっしゃい」 「当たり前じゃん。全力出さなきゃ、あっという間に負けちゃうよ」 「分かってんじゃん。殊勝な心がけねっ!!」 分かりきっていることだ。 いちいち確認など求める必要もない。 ただ…… 「オレだって、負ける気はねえけどな。 キョウコ姉ちゃんが相手だって、勝たなきゃ先に進めないからさ。 オレ、カイトに勝ったから、ガンバんなきゃいけないんだ」 「あんたでもカイトでも同じだよ。 あたしがコテンパンに叩き潰すってことに変わりはないんだから。 ……まあ、いくら論じても変わらないわね。さっさと帰って寝なさい」 アカツキはあからさまに子ども扱いしてくるキョウコに向けて頬を膨らませた。 ここで食ってかかったところで、火に油を注ぐようなものだ。 二歳しか違わないのに、そんなに子ども扱いされるとは思わなかった……だから、少しは落ち着いているというところを見せなければ。 アカツキが背伸びしているのを見て、アーサーはあからさまに呆れていた。 キョウコはそれに気づいていたが、あえて触れなかった。 「それじゃ、キョウコ姉ちゃん。また明日♪」 「ええ、全力で戦いましょ」 アカツキはアーサーとキョウコがあれこれ考えていることなど露知らず、屋上を後にした。 階段を一段飛ばして駆け下りながら、アーサーが問いかけてくる。 「何も背伸びする必要はないだろう。キョウコはすぐに見抜いていたようだが……」 言わなければいいことなのに、お節介な性格はそうせざるを得ないのかもしれない。 「むーっ。アーサーも意地悪だよなあ。 分かってるんだったら言わなくてもいいのに」 「……今のままのおまえでいいと言っているんだ。 自分の足元もちゃんと固められないで背伸びなどしたところで、手が届くよりもむしろ危険だ。 ……分かっているとは思うがな」 アーサーがお節介で粘着質な性格なのは分かっているが、だからこそ。 アカツキは階段を下りきったところでアーサーにニッコリ微笑みかけて、こんなことを言った。 「…………じゃ、明日アーサーを一番手に出そう」 「…………!!」 不意討ちでしかない一言に、鼻白むアーサー。 これ見よがしに、アカツキは笑みを深めた。 一番手を任されるのはうれしいのだが、作戦の説明もなしにそんなことを言われると、さすがに驚いてしまう。 だが、任されたからには精一杯戦うつもりだ。 どちらにしろ、明日が正念場。 キョウコに勝利できるか否かが、ネイゼルカップの今後を占う一つのキーポイントとなる。 部屋に戻ると、アカツキはさっさと布団に包まった。 「…………」 変わり身の早さ……もとい、気持ちの切り替えの早さは健在か。 アーサーは壁に身をもたれ、ベッドの上でうつ伏せになって寝息を立て始めたアカツキをじっと見やった。 「無邪気な笑顔だな。まったく……」 明日は激戦が予想されるというのに、どうしてそんな穏やかな寝顔を見せられるのか。 気持ちの切り替えが終わって、胸に痞えたものもすべて取れたのだろう。 「……ならば、私も休まぬわけにはいかないな」 アーサーは目を閉じた。 遠くから潮騒が聴こえてきたような気がして、安らかな気持ちのうちに、意識は室内に立ち込める闇に溶け込んだ。 Side 10 ――ネイゼルカップ、七日目。 ネイゼルカップ本選・二回戦、第一試合。 アカツキとキョウコのバトルは激戦に次ぐ激戦を経て、終局を迎えつつあった。 「…………!!」 フィールドに悠然と佇むギャロップ――キョウコの最高のパートナーであるアニーを睨みつけ、アカツキは奥歯を噛みしめた。 「次で最後の一体か……やっぱ、キョウコ姉ちゃんは強いなあ」 ふぅ…… 気がつけば深く深いため息。 状況はかなり悪い。 それは認めなければならないだろう。 アカツキは最後の一体。 対するキョウコはアニーを含め二体のポケモンが残っている。 これでも善戦した方だと言わざるを得ないが、フィールドに立ったからには、結果は「勝利」と「敗北」の二つしか存在しない。 「思ったよりはガンバれた気はするんだけど……やっぱ、ヤバイ」 一番手のアーサーは、キョウコのミント(ソーナンス)を倒したものの、二番手のラチェのパワーファイトに押し負けた。 二番手のリータはラチェを倒せたものの、アニーの強力な炎技の前に倒れた。 三番手のドラップも、アニーに大きなダメージを与えたものの、防御をかなぐり捨てて全力投球したフレアドライブの前に崩れ落ちた。 ……というわけで、アカツキにはあと一体のポケモンしか残っていない。 ここでアニーを倒せたとして……キョウコが最後に残すポケモンは? 確実に、アカツキの最後のポケモンに対して有利に戦えるポケモンを出してくる。そうなると、どう考えても不利は否めない。 「ノーダメージでアニーを倒せりゃいいんだけど……さすがにキツイな〜」 アニーはリータ、ドラップの相手をしてかなり疲弊しているが、それでも闘志はまったく揺るがない。 「でも、それだったら……」 ここはアニーを確実に倒すことだ。 最後のポケモンでこちらが不利になるのは分かっているのだから、ここは確実にアニーを倒すこと。 アカツキはモンスターボールを持ち替えると、フィールドに投げ込んだ。 「ネイト、出番だっ!!」 やはり、アニーを倒すにはネイトしかいない。 アカツキの強い意思を感じ取ったように、放物線を描いて投げ入れられたボールからネイトが飛び出した。 「ブイっ!!」 相手はアニーか……相手にとって不足はないっ!! ……と言わんばかりに、ネイトは肩幅に脚を広げると、アニーを睨みつけた。 「ネイト。やっぱり出してきたわね……」 弱点を突こうとするなら、ライオットかネイトを出してくると思っていた。 案の定、出てきたのは水タイプのネイトだ。 キョウコは口の端に笑みを浮かべた。 「ま、どっちを出しても同じだけどね。ウフフフフ……」 アニーは疲弊しているが、それでもネイトを倒せるだけの力は残っている。 一方、アカツキは水タイプの技で早々にアニーを倒すことだけを考えていた。 「早く倒しとかないと、何してくるか分かんないからなあ……」 水鉄砲、アクアジェット、アクアスクリュー……水タイプの技ならいくつか覚えているが、岩のフィールドでは威力を最大限に引き上げることはできない。 増してや、アクアスクリューは大量の水がある場所でなければ使えないから、威力的には物足りないが、 水鉄砲やアクアジェットを連発し、手数で圧倒していくしかないだろう。 アカツキとキョウコが腹の奥底であれこれ考えているのを余所に、両者のポケモンが揃ったため、審判は旗を振り上げた。 「ブイゼル対ギャロップ、バトルスタート!!」 虚空に審判の旗が翻ると同時に、アカツキとキョウコは指示を出した。 「ネイト、アクアジェット!!」 「ミエミエよ!! 日本晴れ!!」 ネイトがアクアジェットを発動させた直後、フィールドに強烈な日差しが降り注ぐ。 「やっぱり、簡単には食らわないってことか……」 アカツキは舌打ちした。 日本晴れでネイトの水技の威力を削り、アニーの炎技の威力を高めた。 タイプの防御でダメージが減らされても、その分を日本晴れで取り戻せばいい……キョウコらしい攻撃的な戦術だ。 「でも、それなら手数で勝負してやるぜ」 水しぶきを撒き散らしながらアニーに迫るネイトの背中を見やり、アカツキが次の技を指示するタイミングを探っていると、 「アニー、飛び跳ねて!!」 キョウコの指示に、アニーは新幹線と互角に競争できるほどの脚力を存分に活かし、真上へ大きく跳躍した。 しかし、その程度で逃げられると思ったら甘い。 ネイトはアニーの真下に回り込むと、そのまま垂直に上昇した。 真下なら、炎で迎撃するのは難しい。 ネイトがそこまで読んでいるのかは分からないが、これはキョウコにとって痛手となるポジション。 「よし、このまま……」 アクアジェットの一発でも食らえば、いくらアニーでも倒れるだろう。 リータ、ドラップと二体のポケモンを相手にして、大きなダメージを受けているのだから。 「アクアジェットの次は水鉄砲で吹っ飛ばしてダメ押ししとこう……」 アニーは真下からぐんぐん迫ってくるネイトをじっと見下ろすが、その表情には一ピコグラムの動揺もない。 キョウコが必ずベストな指示をしてくれると信じているからだろう。 トレーナーもポケモンも強気で勝気な性格をしているのだから、それはそれで仕方のないことかもしれない。 まあ、それはともかく。 「アニー、ソーラービーム!!」 「なっ……!!」 キョウコの指示した技の名前は、アカツキにとってあまりに意外なものだった。 ソーラービーム…… 草タイプの技で、威力は最強クラス。 しかし、光を吸収するまでのチャージ時間が必要となるため、日本晴れで光の吸収速度を上昇させなければ実戦では使いにくい…… 「……!! げっ、そういうことか……」 そこに来て、アカツキはキョウコが日本晴れを最初に使わせた意味を理解した。 てっきり、ネイトの攻撃力を低下させ、なおかつアニーの攻撃力を上昇させるのが目的だと思っていたが、それだけではなかった。 ネイトの弱点となる草タイプのソーラービームを素早く放つための布石だったのだ。 「キョウコ姉ちゃん、やっぱ抜かりねぇや」 一歩先を常に読んでいる。 ……しかし、考えていては間に合わない。 スクールで、あらゆる状況を想定した上で戦いに臨むことを学んできた賜物だろう。 「でも、ソーラービーム一発で倒れやしないぜ、ネイトは!!」 弱点だろうと、一撃で倒されるほどネイトはヤワじゃない。 アニーは額の角に太陽光を吸収すると、四本の細くしなやかな脚を曲げて身体の向きを変え、口を大きく開いた。 口の中に、強烈な輝きが灯る。 「ここを凌げばアニーを倒せるんだ。逃げるわけにはいかないぜ!!」 アカツキはグッと拳を握りしめた。 アニーを倒すチャンスは今しかない。 空中で態勢を変えることができても、移動することまではできない。 その点、ネイトはアクアジェットを器用に使いこなすことで急制動や急加速、方向転換さえ思いのままだ。 陸上での機動力はアニーに分があっても、空中や水中ではネイトの方が戦い慣れている。 「ブイ〜っ!!」 ネイトが裂帛の声を上げると同時に、アニーがソーラービームを発射!! 放たれた強烈な攻撃はネイトを瞬く間に飲み込んだ――が、ソーラービームを突き破り、アクアジェットがアニーの無防備な腹を直撃する!! 「……!! アニーっ!!」 ソーラービームならネイトを倒せると踏んでいたキョウコの顔色が変わる。 あと一体控えていると言っても、アニーは彼女にとって最高のパートナーだ。 「よし、次に水鉄砲!!」 アカツキは明後日の方に弾き飛ばされるアニーを指差して、ネイトに指示を出した。 キョウコは狼狽している。 ……攻めるなら今しかない!! ソーラービームを正面からまともに食らったが、アクアジェットのため身体にまとった水のベールが、ダメージを軽減してくれたはずだ。 ネイトはソーラービームを食らって痛む身体をおして、アニー目がけて水鉄砲を放った。 ぶしゅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! バランスを崩して防御もままならないアニーの横っ腹に、水鉄砲が突き刺さる!! 「…………っ!!」 アニーは悲鳴を上げることもできないまま地面に叩きつけられ、そのままグッタリしてしまった。 「アニー、戻りなさい!!」 審判の言葉を受けるまでもなく、キョウコは傷ついたアニーをモンスターボールに戻した。 少し遅れて、審判がアニーの戦闘不能を宣言したが、どことなくぎこちなかった。 もしかしたら、キョウコがさっさとモンスターボールに戻してしまうとは思っていなかったのかもしれない。 「……ちぇっ、思った以上にやるのね。 ソーラービームを食らってもアニーにアクアジェットを食らわすほどのパワーが残ってるなんて、過小評価しすぎたかな……?」 審判が戸惑いの視線を向けてくることなど気にするでもなく、キョウコはため息混じりにアニーのモンスターボールを腰に差した。 「さて、それじゃ、さっさと決めてあげましょーかね。 ネイトも、立ってるのがやっとって感じだし……」 キョウコにとっても最後のポケモンではあるが、ネイトに対して有利なポケモンを出せば、それで勝負は決する。 ネイトはソーラービームで大きなダメージを受けながらも、キチンと着地してみせる。 ……しかし、キョウコの見立てどおり、立っているのがやっとの状態だ。 一般的にブイゼルという種のポケモンは、防御力がかなり弱い。 素早さと攻撃に重点を置いた能力ゆえ、防御に関しては紙の鎧とまでは言わないが、それに準ずるほどの低さなのだ。 「ネイト、大丈夫かな……?」 アカツキは肩で荒い息を繰り返すネイトの背中を見やり、眉根を寄せた。 大丈夫かと口にしたところで、大丈夫そうには見えない。 アニーのソーラービームは強烈だった。 並大抵の水、地面、岩タイプのポケモンなら一撃で倒せてしまうほど強力だが、さすがにネイトを一撃で倒すことはできなかった。 だが、あと一撃……弱点でない攻撃でも受けてしまえば、戦闘不能になってしまう。 それはアカツキが誰よりもよく理解していた。 この時点で勝ち目はかなり低いが、それでもゼロではない。 無論、やる前から負けることなど考えていては、ポケモントレーナー失格だが。 「それじゃ、行くわよ!! ベルン、決めちゃって〜♪」 キョウコはモンスターボールを持ち替えると、すぐさまフィールドに投げ入れた。 放物線を描いて着弾したボールから飛び出してきたのは、エレキブルだった。 「げ……」 相性は最悪だ。 エレキブルは名前の通り、電気タイプのポケモン。 水タイプのネイトとは相性が最悪となる。 しかし、ネイトは立つのがやっとの状態でも、エレキブル――ベルンを睨みつけたまま一歩も引かなかった。 「まだ勝ち目はあるからな。オレがあきらめちゃったら、ヤバイんだよな〜」 相性は最悪だが、だからといって勝ち目がないと決まったワケではない。 スピードならネイトの方が上なのだ。 相手を撹乱しつつ、少しずつ攻撃を加えていけば、まだ勝ち目はある。 一方、キョウコはすでに勝利を確信していた。 「まあ、一撃で決めちゃえばいいんだけどね……」 ネイトは侮れないが、攻撃さえさせなければいい。 攻撃するヒマを与えなければ。 両者のポケモンが出揃ったところで、審判が朗々と声を張り上げた。 「ブイゼル対エレキブル、バトルスタート!!」 「ネイト、アクアジェット!!」 「させないわよ? ベルン、電撃波!!」 「…………!!」 バトルが始まって――数秒と経たずに終わる。 文字通り、一瞬の出来事だった。 アクアジェットを発動したネイトに対して、ベルンが電撃の矢を放ち、命中。 ネイトは一瞬で飛来してきた電撃の矢を受けて、うつ伏せに倒れてしまった。そして倒れると、ピクリとも動かなくなってしまった。 審判がネイトを横から覗き込み―― 「ブイゼル、戦闘不能!! よって、キョウコ選手の勝利です!!」 あっさりと勝敗がついてしまった。 「…………電撃波なんか使われたら、どーしようもないよな〜」 勝ち目があるなどと思った時点で、すでに終わっていたのだろう。 アカツキは深々とため息をついて、ネイトをモンスターボールに戻した。 電撃波は電気タイプの技で、威力こそ高い部類には入らないが、 すさまじい電気量で空気絶縁を一気に切り裂いて、相手に瞬時に攻撃を加えることができる。 扱いは難しいが、必中の技ゆえ、扱いこなせれば戦闘不能寸前の相手を倒すことは造作もない。 ……そう、ネイトのように。 「ネイト、お疲れさん。 ……ごめんな、勝てなかった。キョウコ姉ちゃん、やっぱ強いや」 アカツキはネイトのボールに視線を向け、再度ため息をついた。 電撃波など使われてしまえば、攻撃する前に倒されてしまうに決まっている。 キョウコは基本的に圧倒的なパワーで相手を圧倒する戦術を基本としているが、さすがにそれだけではなかった。 臨機応変に、相手やシチュエーションに応じて、電撃波など、確実に命中する技を使わせるのだろう。 最後の一体……ベルンまで引きずり出すことはできたが、相性が不利になってしまうのは否めない。 「ベルン、よくやったわね」 キョウコの声に顔を上げると、ベルンがうれしさ余って彼女に抱きついているところだった。 「ベルンかぁ、知らなかったな〜。エレキブルをゲットしてたなんて……」 キョウコは最初から手札を全部見せるような親切な少女ではない。 だが、ベルンはキサラギ博士の研究所の敷地でも見かけなかったポケモンだ。 秘蔵っ子として、誰の目にも触れないように研究所の中にいさせたのかもしれない。 どちらにせよ、今さらそれを詮索したところで仕方がないのは言うまでもないが。 「さ〜て、早くみんなを回復させてやんなきゃな」 ネイトのボールを腰に戻し、アカツキは思い切り背伸びをすると、拍手喝采が鳴り響くメインスタジアムを後にした。 負けた悔しさはあるが、それ以上に満足感が胸を満たしていた。 メインスタジアムの地下――ネイゼルカップ出場者の憩いの場であるサロンに戻ったアカツキは、 すぐさまキョウコとの激戦で傷ついたポケモンたちをジョーイに預けた。 壁際のモニターでは、早くも次の試合の様子が映し出されているが、わざわざ見ようという気にもならない。 長椅子に腰を下ろし、アカツキは本日三度目のため息をついた。 「負けちゃったな〜」 激戦に次ぐ激戦の末、カイトに勝って本選二回戦にコマを進めることができたが、キョウコの前に敗北。 相手が誰であろうと、負けるのは悔しいものだ。 負けたことは悔しいが、ポケモンと一体となって精一杯戦うことができた。 結果こそ揮わなかったものの、アカツキに言わせれば満足の行くバトルだった。 「やっぱ、キョウコ姉ちゃんは強いけど……でも、オレだってもうちょっとで勝てたんだ。 ……そう考えりゃ、旅に出た頃と比べて強くなったってことかな〜」 バトルの緊張から解放されて、アカツキは身も心も軽くなったような心地だった。 壁に背をもたれて、身体の力を抜く。 旅に出た頃と比べて強くなったのは当然だろう。 ドラップをはじめとした仲間との出会い、ソフィア団との戦い、ダークポケモンとなってしまったネイトを元に戻すためにいろんなことをしてきた。 この九ヶ月間、本当にいろんなことがあった。 旅に出た頃のアカツキだったら、キョウコ相手に一分と戦うことはできなかっただろう。無論、アラタが相手であっても同じだったはずだ。 実際にネイゼルカップという舞台で戦ってみて初めて、キョウコとの力量の差が明らかに縮まっていることを認識できる。 「でも、次は……」 負けたのは悔しいが、それ以上に、負けたままで終わらせる方がやっぱり悔しい。 次こそはぐうの音も出ないほどに完璧な勝利を叩きつけてやる。 アカツキのネイゼルカップは終わったが、悔いはない。 旅立った年に本選に進出できただけでも、新米トレーナーにとっては光栄なことなのだ。 「来年も出ようかな……うーん、でも、やりたいこととかあるもんな。どうしよ〜……」 負けたままでは終われないし、どうせなら優勝くらい掻っ攫いたい。 来年も出ようかと思ったが、今のアカツキにはやりたいこと……やらなければならないことがある。 「無理だな。やめとこう」 考えたところで、やらなければならないことが退いてくれるわけではない。 ならば、考えるだけ無駄。 今後の身の振り方をあっさりと決めたところに、キョウコがサロンに入ってきた。 「あら、ジャリガキ……」 ――まだいたの? そう言いたげな眼差しが何気にキツかったが、アカツキは特に気にするでもなく、彼女がゆっくり歩いてくるのを出迎えた。 「キョウコ姉ちゃん、オレの負けだよね。やっぱ、強いよ」 「ふふん、当たり前じゃない」 敗北を申告すると、キョウコは満足げに鼻を鳴らした。 それが当然と言わんばかりの傲慢さだが、傲慢とも取れる自信は、並々ならぬ努力がもたらしたものだ。 キョウコは口にしたことをすべて実践してきた。 それが分かるからこそ、アカツキにはその態度が傲慢と映らないだけかもしれない。 「でもまあ、あんたもやるようになったわね。 さすがに、あの野蛮人の弟だけのことはあるわ」 「えへへ、それほどでも……」 「いや、褒めてないってば……」 褒めているつもりはないが、心底陽気な子供にはちょっとスパイスの効いた小言も、褒め言葉に聴こえるのかもしれない。 うれしそうな顔をするアカツキを見て、皮肉の通じないヤツだとキョウコはため息をついたが、すぐに気を取り直して、 「まあ、いいわ。これであたしの優勝も近づいたってワケよ。 ……それで、あんたはこれからどうするつもり?」 「オレ? んー、とりあえず、キョウコ姉ちゃんが優勝するの見せてもらおっかな」 「ふーん、殊勝な心がけね。しっかり見てなさいよ」 とりあえず、ネイゼルカップが終わるまでは、何をするつもりもない。 強いて言えば、自分を打ち負かして三回戦――準決勝にコマを進めたキョウコが優勝するのを見せてもらおう。 「ま、あたしが優勝できるトコを見られるんだから、あんたも幸せだわ」 キョウコはアカツキがこれからの戦いを観させてもらうと言われても気負うことなく、それどころか逆に鼻息を荒くした。 知っている人が大勢見ている前で、無様な戦いはできない……使命感にも似た気持ちが、逆にキョウコを奮い立たせる原動力になっているからだ。 「それじゃ、あたしはアニーたちを回復させるから」 「うん」 キョウコは中央のカウンターに歩いていくと、ジョーイにアニーたちを預けた。 ジョーイが彼女に背を向けて、四つのボールを機械にセットする間に、ボソリとつぶやく。 「まあ、そう簡単に行けばいいんだけどね…… もちろん、負けるつもりはないわ。レオンとか言うヤツにもね」 ――ネイゼルカップ十日目。 決勝戦も佳境に入り、メインスタジアムに立ち込める緊張感、そして熱気は前日までの比ではなかった。 決勝にコマを進めたのは…… 「キョウコ姉ちゃんと、兄ちゃんを負かしちゃったレオンってヤツだもんな……」 観客席の最前列で、アカツキはだらしなく足を伸ばしながらつぶやいた。 「ま、ある意味すげえんじゃないか?」 「うん」 隣に座っているアラタとカイトが、笑顔で頷く。 アラタは予選でレオンに負け、カイトは本選一回戦でアカツキに負けた。 無論、アカツキはキョウコに負けて、三人のネイゼルカップはすでに終わっているのだが、それでも誰が優勝するのか、ちゃんと見ておきたかった。 「あいつはマジで強ぇトレーナーだからな……どっちに転んでもおかしくねえ」 アラタは頭の後ろで手を組み、激しいバトルで荒れ果ててしまった岩のフィールドに目を向けた。 決勝戦に相応しく、序盤からすさまじい攻防が繰り広げられていた。 フィールドチェンジすら無駄になってしまうほど、高い威力の技が乱れ飛んだ。 そして今、互いに最後のポケモンがフィールドに立っている。 キョウコはアニー、レオンはカイリューだ。 ポケモンを挟んで、トレーナーも睨み合い、激しい火花を散らしている。 形勢はどちらが有利と言えるような状態ではなかったが、だからこそ予断を許さない展開だ。 審判の目には、レオンの方がやや有利に映っているようだが、アカツキをはじめとする一般観客はほぼ互角の戦いという認識だ。 キョウコはアニーに電光石火から強力な技をつなげることで衝撃力(インパクト)を増強しながらカイリューを攻め立てる。 しかし、レオンはカイリューの飛行能力を存分に活かし、アニーの攻撃を紙一重で避けながら、反撃を繰り出す。 ……その反撃も、キョウコの的確な指示で命中しない。 これではまるで何も進展していないように見えるが、確実に二体のポケモンは疲弊している。 「ま、どっちが勝ってもおかしくねえけど、どーせならキョウコに勝ってもらいたいよな〜」 アラタは激しい攻防を見やりながら、小さくため息をついた。 キョウコに勝ってほしいと思うのは、ライバルであり親友でもあるからだが、 それ以上に自分を打ち負かしたレオンに勝利してこそ、真の意味での優勝だと考えているからだ。 だが、さすがにそう簡単に勝たせてはくれまい。 カイリューは空を飛ぶことができるのだ。いざとなれば、アニーの攻撃が届かないような上空まで逃げてしまえばいい。 そして、上空から雷や冷凍ビーム、竜の波動といった強力な技で攻撃するという方法も採れる。 ……はずなのだが、レオンはそれを潔しとしないのか、カイリューに低空飛行での戦いを指示している。 カイリューは十六時間で地球を一周できるほどの速さで空を飛ぶことができるのだが、二百キロ近くはあるために、急制動をかけるのが苦手なのだろう。 だからこそ、激しく動かないように、紙一重でアニーの攻撃を避けているのだ。 「やっぱ、決勝だけあってすごいな」 「うん。どっちも必死なのが伝わってくるぜ」 カイトがごくりと唾を飲み下すと、アカツキは真剣な面持ちをフィールドに向けながら小さく頷いた。 フィールドを挟んで対峙している相手を倒せば、優勝の栄冠を手にできるのだ。 何がなんでも負けたくないと思うのが、トレーナーとして当然の気持ちだろう。 観客が何を思ってバトルを観ているのかなど、戦っている当人たちにとってはどうでもいいことだった。 「さすがに、そう簡単には行かないわね……」 キョウコは何度目かになるアニーのフレアドライブをカイリューに避わされてから、小さく舌打ちした。 ドラゴンタイプのカイリューに、炎タイプのフレアドライブは効果が薄い。 しかし、元の威力が絶大なだけに、反動ダメージは痛いが、当てれば大きなダメージを期待できる。 日本晴れで威力を増強しているため、タイプの防御はほとんど考えなくても良さそうだが…… 「カイリュー、空へ飛び上がってから竜の舞!! 一気に押すぜ!!」 「逃がさないわよ、飛び跳ねてからメガホーン!!」 レオンの指示が終わるが早いか、キョウコが叫ぶ。 上昇気流を的確に捉えてフワリと舞い上がるカイリューだが、アニーが自慢の脚力で跳躍し、額の角を突き立てる!! ずっ!! 「ぐりゅぅ……!!」 メガホーンが無防備な腹に決まり、カイリューは苦悶の表情を浮かべたが、それでもさらに上昇し、アニーと距離を取った。 フィールドに落下するアニーに追撃するなら今がチャンスなのだが、強烈なメガホーンを食らった直後に反撃するのは危険だ。 それに、アニーが着地するまでの時間を有効に使うには、竜の舞で攻撃力とスピードを上昇させるのが一番だろう。 カイリューはスタジアムよりも高くまで舞い上がると、神秘的で力強さが漂う舞を見せた。 竜の舞……ドラゴンタイプの技で、神秘的かつ力強い舞によって内に秘めた闘争本能を刺激し、一時的に攻撃力とスピードを上昇させる。 効果はそれほど長く持続しないが、スピードを上昇させることで、攻撃力の上昇に相乗効果を持たせることができるのが強みだ。 カイリューはアニーが着地するまで竜の舞を披露し続け、攻撃力とスピードを上昇させる。 「アニー、大文字!!」 キョウコはアニーが着地すると、すかさず大技を指示した。 竜の舞の使用を許してしまったのは明らかに失策だが、逆に言えば、カイリューはこれから接近戦を挑んでくる。 それなら、瞬発力ではアニーの方が優れている。 よほど下手を打たない限りは問題ないはずだ。 アニーはスタジアムの真上に佇むカイリュー目がけ、渾身の大文字を放つ!! しかし、距離がありすぎたため、当然命中しない。 「オッケー、当たらない方がありがたいわ……」 大技を捨て攻撃として繰り出したのは、確実にカイリューを誘い込むためだ。 案の定、レオンはカイリューに接近戦を指示した。 「カイリュー、ドラゴンダイブ!!」 竜の舞によって高まるのは、物理攻撃力。 冷凍ビームや雷といった特殊攻撃に関しては威力がまったく変わらないため、接近戦を挑んだ方がより効率的なのだ。 キョウコが誘いをかけていることは重々承知していたが、竜の舞を活かすためには接近戦しかない。 多少のダメージは覚悟しなければ、キョウコには勝てない。 カイリューは翼を広げると、大文字を易々と回避し、アニー目がけて急降下!! ここで避けられたらフィールドに激突するのではないかと思わせるほどの勢いだ。 「アニー、避けてからフレアドライブ!!」 当然、これをまともに食らえばアニーは戦闘不能に陥るだろう。 ドラゴンダイブはドラゴンタイプの技でも一、二を争う威力を誇る。 キョウコの指示に、アニーはギリギリまでカイリューを引きつけてから、さっと半歩横に動いて避わした。 直後、カイリューはフィールドにギリギリ激突するかしないかといった微妙なタイミングで身体の向きを変えて、再び上昇。 その背に向かって、アニーがフレアドライブを繰り出す!! 「よし、当たった!!」 このタイミングなら避けようがない。 アラタは思わず叫んでしまったが…… 「…………あいつ、笑ってるけど?」 「は?」 アカツキに指摘され、アラタは口を開け放ったまま硬直した。 ……というのも、レオンの口元には勝利を確信したような笑みが浮かんでいたからだ。 まるで、こうなることを待っていたかのような、アカツキたちにとっては不吉な笑みだ。 刹那、カイリューの姿が掻き消え、代わりに怪獣の人形のような物体が現れた。 「……!! 身代わりっ!?」 アニーは怪獣の人形のような物体にフレアドライブを食らわしたが、強烈な一撃を受けた物体は、煙と化して四散した。 そこに、カイリューの姿はない。 「身代わり……!! このタイミングで使ってくるなんて……!! 焦りすぎたわね、あたし……!!」 キョウコは顔を引きつらせたが、もう遅い。 カイリューはフレアドライブを食らう直前に身代わりを作り出し、 強烈な一撃から難を逃れた――と同時に、アニーの背後を取って、ドラゴンダイブを食らわしたのだ。 身代わりという技がある。 文字通り、身代わりを作り出して、相手の攻撃を受けさせる技だ。 しかし、普通に使ったのでは見切られるため、攻撃を食らう直前などに、緊急避難的な意味合いで用いられることが多い。 ただ、それだけでは今のカイリューのような動きは不可能。 身代わりを使うことに『慣れている』のは明白だ。 「アニー!!」 キョウコは盛大に吹っ飛ばされ、フィールドに叩きつけられたアニーに向かって叫んだが、 全力で戦い続けていたアニーの体力は限界をとうに超えていた。 一方、ドラゴンダイブを決めて着地したカイリューも激しく息を切らしている。 少しでも攻撃を受けたら、そのまま倒れてしまいそうなほどに、足元が小刻みに震えているのが遠目にも見て取れる。 アニーは立ち上がろうともがいているが、脚はもつれるばかりで、一向に立ち上がれる気配がない。 審判が注意深く観察する中、やがてアニーは完全に体力を使い果たし、その場に崩れ落ちた。 「ギャロップ、戦闘不能!! よって、今年度のネイゼルカップ優勝者は、フィオレ地方・サマランド出身のレオン選手です!!」 審判の旗が翻り、今年のネイゼルカップの終焉が高らかに告げられたのだった。 優勝者の名前がメインスタジアムを駆け巡った瞬間、スタジアムは怒涛の拍手と歓声、それからちょっとした口笛で満たされた。 「……アニー、お疲れさま」 キョウコは十秒ほど呆然とアニーを見つめていたが、やがて観念したようにため息をつき、アニーをモンスターボールに戻した。 「よく頑張ってくれたわね。ありがと……」 アニーのボールを胸に押し当てて、小さく礼を言う。 目を閉じて、アニーの体温をボール越しに感じ取る。 かすかにキラリと光るものがあったが、アカツキたちからは死角となっていて見えなかった。 「…………」 「キョウコのヤツが負けちまうなんて……」 「…………」 アカツキたちは揃いも揃って絶句していた。 あのタイミングで『身代わり』を使わせたのは、切り札にするためだったのだろう。 あそこでもし決められなかったら、負けていたのはレオンの方だった。 身代わりは分身に攻撃を受けさせ、本体に一切の被害を与えないための技だが、分身を作り出すために体力を消耗してしまう。 それ以前に激戦を繰り広げていれば、分身を作り出すだけでもかなりの負担となる。 使い方が難しい技ゆえ、使いこなせればこれ以上ないほどの武器となるのだ。 「でも、キョウコ姉ちゃんは精一杯戦ったんだよね。オレには何も言えないけどさ」 「まあ、そりゃそーだ。オレたちが戦ったワケじゃないんだからな」 「うん」 激しい攻防は、決勝戦と冠するに相応しいものだったし、キョウコとレオンの間に、実力差などほとんどなかったと言っていい。 最後の最後で、レオンが読み勝った……優勝と準優勝を別ったのは、本当に微々たる差でしかない。 だからこそ、アカツキたちは素直にキョウコの健闘を讃え、惜しみない拍手を贈った。 「カイリュー、よくやった!! オレたちの勝ちだぜっ!!」 レオンはカイリューに駆け寄ると、思い切り抱きついた。 先ほどまで見せていた真剣な表情はどこへ消えたのか、心の底から喜んでいるのが分かるような、満面の笑みだ。 カイリューは飛び込んできたレオンを受け止めると、熱い抱擁を交わした。 トレーナーとポケモンの心が一つになったのを、まざまざと見せ付けられているようだ…… それでも、キョウコはレオンが本当に強いトレーナーだと認めていたから、困ったような笑みを向けて、拍手するしかなかった。 「あたしの完敗ね。あーあ、まだまだってことね」 本当は地団駄を何度踏んでも飽き足らないほど悔しいが、レオンの優勝をスタジアム全体で讃えている中でそんなことをしたって、惨めなだけ。 それに、負けたのは自分自身が未熟だったからだ。 負けを他人のせいにして、原因に目を向けないような愚かなマネをするほど落ちぶれてはいない。 ……少なくとも、そのつもりではいる。 だから、キョウコは素直にレオンの強さを賞賛した。 それから、決勝戦の模様をずっと見ていたアカツキたちに向き直る。 スタンディング・オベーションをし続ける三人にニッコリ微笑みかけ、キョウコは歓声と拍手が渦巻くフィールドを後にした。 アカツキたちはキョウコの背中が選手の入場口の奥に消えて見えなくなるまで、ずっと拍手を贈り続けた。 ――こうして、今年のネイゼルカップは大盛況のうちに幕を閉じた。 To Be Continued...