シャイニング・ブレイブ 最終章 出会い、別れ、そして旅立ち(1) 別れはあっさりと。 少しでも躊躇ったり迷ったりしたら、すぐに寂しさと不安と悲しさに引き込まれそうになる。 だから……別れる時は笑顔でいようって決めていた。 互いの船出と、幸せな未来を願って。 「ん〜っ……」 最新型パソコンの画面を食い入るように見やり、アカツキは眉根など寄せながら小さく唸った。 「…………そんなに大切なことが書かれているわけではないようだが、どうかしたのか?」 傍らで同じようにパソコンの画面を見ていたアーサーが、チラリと彼に視線を向けながら問いかけてくる。 一時期人間と共に暮らしていたこともあり、アーサーは画面に表示されていた文字の意味を理解することができた。 だからこそ、どうかしたのかと問いかけた。 画面には、特に大切なことが表示されているわけではないからだ。 アカツキは五秒ほど画面を見つめていたが、やがてため息などつきながら、顔をアーサーに向けた。 「そろそろ調べるのも終わりにしようかと思ってさ〜。 知りたいことは大体調べられたし、そろそろまた旅に出ようかなって。ちょっと考えてたんだ」 「そうか……だが、焦ることはない。 おまえのやろうとしていることは、立派なことだ。 拙速であるに越したことはないが、足元を固めていないうちに遠くへ向かおうとしても、足をすくわれるだけだ」 「ん〜、でももう大丈夫。 行き先も決めてるし、やることだって決まってるから」 アカツキはマウスを操作して画面を消すと、パソコンをシャットダウンした。 用もないのに長々とつけていては、省エネの精神に反する……と、尤もらしい理屈を胸の内で付け加えた後で。 先ほどまで画面に映っていたのは、ネイゼル地方から北に位置する別の地方に多く棲息するグレッグル、ドクロッグというポケモンだった。 見た目はお世辞にも可愛いとかカッコいいとは言える類ではないのだが、アカツキが調べていたのはそんなことではない。 ネイゼルカップが終わって早十日―― アカツキは死力を尽くして戦い抜いてくれたポケモンたちに休養を与えつつ、 自身はアーサーと共にキサラギ研究所のパソコンを借りて、いろいろと調べていた。 グレッグル、ドクロッグなど、別の地方で謂れもない迫害を受けているポケモンたちのことだった。 アカツキは初対面のポケモンとでもすぐに仲良くなれると思っているし、ポケモンの気持ちが手に取るように理解できる不思議な能力を持っている。 旅に出る前はそんなの当たり前だと思って、あまり気にかけたこともなかったのだが…… いろいろと辛い出来事も経験してきて、考えが変わった。 ――いや、自分が思い違いをしていたことに気付いただけだった。 ポケモンの気持ちを直接理解できるこの能力は、人とポケモンの両方にとって有益なものになる。 人とポケモンの間に立って、両者が仲良く暮らしていけるよう、橋渡しをしようと思い始めたのだ。 それも、フォレスタウンで人とドラピオンの間に横たわる深い溝を垣間見たからこそ思い立ったことであり、 もしその出来事に遭遇していなかったら、今のような考えは抱いていなかっただろう。 アカツキはこの十日間、他の地方でいろいろな理由により迫害されているポケモンたちのことを調べ上げた。 どこの地方でも分け隔てなく迫害されている(あるいは嫌われている)ポケモンがいれば、特定の地方に限って迫害されているポケモンもいた。 グレッグルとドクロッグは、後者だった。 キサラギ博士の研究所にもグレッグルが三体いるが、 困っているポケモンがいたら「仕方ねぇなぁ……」と言いたげな視線を向けつつも助けてくれるし、 一昔前のヤンキーのような雰囲気はあるが、愛嬌があって憎めない。 だから、どうしてそんなグレッグルたちが迫害を受けているのか、正直なところ理解できなかったのだ。 しかし、いろいろと調べていくうちに、その理由も分かってきた。 アカツキは椅子に深々ともたれかかり、ため息をついた。 「そんなの、ポケモンたちが望んだことじゃないのにさ〜、なんでそんなことも分かんないかな……?」 「おまえは人とポケモンの両方を理解できるからこそ、そう思うのだろう。 人の側からだけで見てみれば、そうではない。 真実は一つだが、角度によっては見え方も異なる。風景と同じようなものだ」 「そういうモンかなあ……?」 アカツキの言葉に、アーサーが淡々と返す。 彼の言葉が正しいことは理解できる。 しかし、それではあまりに淋しすぎる。 見る角度によっては同じものも違って見えるのは当然だが、だからといって否定的な考え方に行き着くのは納得が行かなかった。 グレッグルとドクロッグが迫害を受けているのは、ネイゼル地方から北に位置する、シンオウと呼ばれる地方だ。 陸続きではなく、本州から数十キロほど海を隔てた先にある島国のような地方である。 シンオウ地方では十年ほど前に『ギンガ団』と呼ばれる組織が、時空の神と呼ばれるポケモンを復活させようと暗躍し、 その動きを察したシンオウリーグと激しい争いを繰り広げた……通称『時空変革事件』という出来事があった。 最終的にはシンオウリーグが『ギンガ団』の首領及び幹部を全員逮捕、組織を解散に追いやったことで終息したのだが、 『ギンガ団』が用いていたポケモンの中で、シンオウ地方に棲息するグレッグルやドクロッグが多く含まれていたために、 彼らは悪の尖兵という不名誉な呼び名を与えられ、迫害を受けることになった。 それだけ『時空変革事件』はシンオウ地方に住む人々に大きな衝撃をもたらした…… 事態の大きさの裏返しだが、それでもグレッグルやドクロッグに罪はない。 アカツキが彼らのことを重点的に調べていたのは、彼らに同情すべき点が多くあり、なんとかしたいと強く思ったからだ。 しかし、この現状を変えるのは簡単ではない。 下手をすれば、数万……数十万もの人を敵に回すことにもなりかねないし、グレッグルたちから反感を買うこともあるかもしれない。 十日間、じっくりと時間をかけて、様々なことを調べた。 グレッグルたちの身体的特徴から習性、タイプやバトルでの戦い方…… 学術的考察など、子供であるアカツキには意味が分からないようなことは、 大人思考の持ち主であるアーサーが噛み砕いて説明してくれたので、なんとか頭に入った。 彼らにとってどうするのが最善なのか……ポケモンのことを少しでも多く知らなければ、その答えを導くことさえできないのだ。 おかげで、それなりに分かったとは思っているが、実際に人とグレッグルたちの間を取り持ってみないことには、何とも言えないのが辛いところ。 もっとも、先行きが見えないくらいで言い知れない不安に刈られたりするほど、アカツキは軟弱な精神を持ち合わせていなかった。 むしろ柔軟で、ちょっと大変な状態すら楽しんでしまうような陽気なところが彼の最大の取り柄なのだ。 「でもさ、同じ方向から見れば、同じように見えるってことだろ? だったら、そうなるようにオレたちがガンバってかなきゃ♪」 「そうだな。おまえならそう言うと思っていた」 アカツキの言葉に、アーサーはふっと息をつき、小さく笑った。 人とポケモン、両方を理解できるからこそ、両者にとって最善の道が何なのかも分かっているのだろう。 ある意味、希望という架け橋と言えなくもない。 アーサーがそんなことを考えていると、 「あれ?」 「……?」 少し間の抜けたアカツキの声と、屋外に生まれた動揺の気配を感じ取ったのはほぼ同時だった。 アカツキとアーサーがほぼ同時に振り向くと、窓の外にポケモンの姿があった。 小柄なそのポケモンと、アカツキの目が合う。 ……と、すぐさまポケモンは驚きふためいて、逃げ出してしまった。 「……なんだ、あれ?」 「さあな。先ほどから気配は感じていたが」 脱兎のごとき勢いで逃げていくポケモンを見やりながら、アカツキは首を傾げた。 薄い茶色の身体をした、小柄な猿のようなポケモンだった。尻から火が出ているように見えたのだが……炎タイプのポケモンかもしれない。 「特に危害を加えてくる様子はなかったから、放っておいた。 敷地に住む者が気になって様子を見に来たのだろう」 「そうかなあ……? 違う気がするけど」 アーサーは他愛ないことと言ったが、どこか引っかかった。 幼少から毎日のように研究所の敷地に入り浸っていたが、少なくとも今見たポケモンは記憶になかった。 もしかしたら、キサラギ博士が誰かから預かっているポケモンかもしれない。 温和な性格ということもあって、彼女は特殊な事情を抱えたポケモンをよく研究所で預かっているのだ。 「ま、いいや。それより、そろそろ行くってみんなに伝えなきゃな」 「そうだな。やることが決まったのなら、迅速に行動するべきだろう」 ネイトたちを迎えにいく間に、運が良ければもう一度見かけることもあるだろう。 その時にいろいろと話をすればいいし、見かけなければキサラギ博士に訊ねてみればいい。 考えを簡単にまとめると、アカツキはアーサーを連れて研究所の敷地へ繰り出した。 一方、その頃。 研究所の二階――自室でキサラギ博士は窓から入ってきたポケモンを胸に抱き、優しくその背を撫でてやった。 「あらあらあら……いきなり逃げちゃダメよ〜。 誰もキミに危害加えようなんて思ってないんだから……」 「ヒ、ヒコ……」 母親に甘えているような気持ちでいるのだろう、そのポケモンは不安げな声を上げながら、キサラギ博士の胸に顔を埋めていた。 種族こそ違えど、愛情に差異はないとでも言いたげだった。 「しょうがないわよねぇ。キミの育ってきた環境を考えたらねぇ……」 キサラギ博士はベッドに腰を下ろすと、小さくため息をついた。 彼女が抱いているのは、先ほどアカツキとアーサーの様子を外から覗いていたポケモンだった。 脱兎のごとき勢いで逃げ出したと思ったら穴を掘って地中に姿を隠し、研究所の裏手からこの部屋に駆け込んできたのだ。 そこまでやるくらいなら最初から逃げるなと言いたいのだが、さすがにそれは言えなかった。 「でも、気になってるんだったら声くらいかけなきゃダメよぉ? ヒコザルちゃん」 「ヒコ〜っ……」 ヒコザルと呼ばれたポケモンは、キサラギ博士の服の袖をぎゅっと握ったまま離さなかった。 この場所で素直に甘えられるのは彼女と、彼女の娘であるキョウコだけ。 しかし、キョウコはネイゼルカップが終わった翌日に、来年こそは優勝するという目標を掲げ、南西に位置するジョウト地方へ向かった。 ゆえに、ヒコザルは過剰なまでにキサラギ博士に甘えるしかなかった。 知っている者が誰もいない場所で過ごすのは不安で恐ろしいことだったからだ。 増してや、元来の控えめな性格を考えれば、知らない場所に独り放り出されて途方に暮れない方が無理である。 ……しかし、だからといっていつまでもこのままでいてもらっても困る、というのがキサラギ博士の本音だった。 さすがにそれを口に出して言うのは無理だが、どうにかして研究所のポケモンたちと触れ合って仲良くしてもらいたい。 研究所のポケモンたちは穏やかな性格の者が多く、どんなポケモンでもすんなり受け入れてくれると思うのだが。 「そうねえ、どうしようか……あ、そうだ。こうしましょう♪」 キサラギ博士はあれこれ思案した末、ヒコザルを抱いて部屋を出た。 ヒコザルは彼女の胸に抱かれて、いつの間にか深い眠りに落ちていた。 アカツキは見晴らしのいい場所に立つと、腹の底から声を振り絞って叫んだ。 「ネイトーっ、みんなーっ、そろそろ帰るぞ〜っ!!」 なだらかな坂の先には、水場と小さな森がある。 ネイトをはじめ、ポケモンたちはネイゼルカップでの激戦で疲労した身体と心を休めているのだが、 それ以前にフォース団やソフィア団との戦いがあったため、本格的な休養は今回が初めてである。 アカツキの声が彼方まで響き、やがて余韻を棚引かせながら消えた時、水場と森の近くで動きがあった。 湖ほどの大きさはある池に潜って楽しんでいたネイトが勢いよく飛び出してきたかと思うと、文字通り電光石火のスピードでやってきた。 森より近いこともあって、ダントツの一番乗りだった。 それから程なく、森から飛び出してきたラシールとライオットが優雅に宙を駆けてきた。 リータ、アリウス、ドラップの三体は急ぐことなく、一番脚の遅いドラップに合わせてやってきた。 六体のポケモンが集まるのに三分はかからなかった。 「ぶりゅ〜♪」 全員集合完了♪ ネイトの声に、一同が大きく嘶く。 リーダーぶりが板についてきたのも、ブイゼルからフローゼルへの進化を果たし、リーダーに相応しい実力を伴っているからだろう。 「みんな、ゆっくり休んだ?」 「ベイっ♪」 「キキキキッ」 自分で訊いておきながら、十日は休みすぎなのかと思ったのだが、長すぎるわけではなかったらしい。 アリウスもリータも他のポケモンたちも、充実した日々を過ごしていると言いたげに輝いた表情を見せていた。 本格的な休養が初めてということもあって、多少長くてもゆっくり羽を伸ばせるならそれに越したことはないと考えているのだろう。 アカツキは笑顔でポケモンたちの頭を順に撫でて、軽くスキンシップを図った。 この十日間、キサラギ博士の研究所に入り浸っていたこともあって、実際にみんなと触れ合うのは久しぶりという感覚があった。 「やっぱ、こういう風にみんな仲良くするのが一番だよなぁ……」 屈託のない笑みを向けられて、アカツキは心の底からそう思った。 人とポケモン。 生まれついた種族の差こそあれど、うれしいことはうれしい、悲しいことは悲しいと感じる心は両者共に持ち合わせているものだ。 同じ気持ちを抱けるのだから、仲良くなって、手に手を取り合って暮らしていくことができるのだ。 ……自分たちのように。 無論、それはアカツキの一方的な主観に基づく見解であり、彼が恵まれた環境にいるからこその考えに過ぎない。 それでも一般的なポケモントレーナーやブリーダーはポケモンとの信頼関係を重視する傾向にある。 中には触れづらかったり、仲良く出来ないかも……と思うポケモンもいる。 だからといって先入観に囚われず、本当にそのポケモンのことを本質的に理解できれば、悲しい誤解も一つ一つ、紐解いてゆけるだろう。 「だから、ガンバんなきゃな……明日から、また旅に出よう!!」 旅に出ることは帰り道にでもさり気なく話せばいいだろう。 今は、どのポケモンを次の旅に連れていくかを考えなければならない。 アカツキが無言で歩き出すと、ネイトたちがぞろぞろとついてきた。 「ネイトとアーサーは絶対に連れてかないと文句出そうだよな……問題は残りを誰にするかなんだけど……」 考えをめぐらせる。 後ろではネイトとアーサーが何やら話をしているが、どうやら立ち入ってはいけない内容らしいので、聴こえていないフリをする。 ……と、甘えん坊のリータが「ベイ、ベイ♪」と声を上げながら擦り寄ってきた。 「リータは甘えん坊だなあ……」 邪険に扱うわけにもいかず、アカツキは微笑みかけながらリータの頭上にある葉っぱに触れた。 それだけでも満足したらしく、リータは駄々を捏ねることもなく、喜びに満ちた表情でゆっくり離れていった。 「……オレ、リータのこと傷つけちゃったことあったもんな」 ふと、ネイトがダークポケモンになってしまった後のことを思い返した。 心配してくれたリータに石を投げて、追い返してしまったのだ。 放っておいてほしかっただけなのだが、彼女があまりにしつこくしてくるから、つい頭に血が昇ってしまった。 リータがアカツキに甘えてくるのは、アカツキと一緒にいられるだけでうれしいと思っているからだ。 元から甘えん坊だったが、ベイリーフに進化してからは輪をかけたようにベタベタ甘えてくるようになった。 しかし、アカツキは彼女の過剰なスキンシップを鬱陶しいと思ったことはなかった。 彼女に悪気があるわけではないし、甘えてくるのは、信頼してくれているからだ。 「…………ドラップは奥さんや子供もいるからなあ。 あまり長くは旅できないかもしれないなあ……」 次はドラップだ。 ハツネやリィ、マスミといったフォース団の面々と知り合ったり、ソフィア団と戦うことになったのも、ドラップをゲットしたのがきっかけだった。 ダークポケモン研究の『素材』として酷い扱いを受け、耐えかねて脱走してきたところに出会って、ゲットした。 よくよく考えてみれば、ドラップと出会わなければ、他のポケモンと出会うことも、もしかしたらなかったかもしれない。 縁は異なものとはよく言ったものだ。 しかし、ドラップには『忘れられた森』で暮らしている家族がいる。 同じドラピオンの妻と、子供のスコルピたち。 妻や甘えたい盛りの年頃(?)の子供たちを置いて、アカツキたちと共に行くことを選んだ覚悟は想像に余りあるほどのものだっただろう。 「家族も大事にして欲しいからなあ……」 アカツキは気になって振り返ってみたが、ドラップは頭にアリウスを乗せて、何やら楽しげだ。 子供を頭の上に乗せて歩く練習でもしているのかもしれない。強面なのがドラピオンという種族のポケモンだが、頬が緩んでいる。 ドラップと妻と子供たち。 とても仲睦まじい家族だった。 今まではドラップも家族も我慢してきたが、これからも我慢させ続けなければならないのか? 「オレも父さんと母さんがいてくれたから、なんとかフツーに育ってこれたわけだし……家族がいないのって、淋しいよな」 ネイトがダークポケモンにされて、連れ去られた時のことを思い出す。 今でも辛いし、できればなかったことにしてほしいと思っているくらいだ。 ドラップの妻子は、数ヶ月も夫あるいは父親なしで過ごしてきた。 家族がいないことほど淋しいことはないのだ。 「ドラップ……連れて行きたいけど、家族を大事にしなきゃダメだ。連れてけない」 ドラップは嫌だと言うだろうが、アカツキたちよりも家族を大事にすべきなのだ。 「でも、なんて言い出そうかな……みんな嫌がるかもしれないし、別れるの、オレも辛い。 でも、家族は大事だよ。 ずっと離れるわけじゃないし、時々はちゃんと会いに行くし……それなら大丈夫だよな?」 まだ完全に固まったわけではないが、ドラップとは別れることになりそうだ。 アカツキの独断で、みんなの意見をちゃんと聞いておく必要があるが、それは後でいい。 今はとりあえず、今後の方針の枠組みだけでも固めておかなければならない。 「アリウスも、エイパムたちのことがすごく気になってるみたいだし……できれば一緒に暮らしていった方がいいよな」 ドラップに続いて、アリウス。 ドラップの頭上で二本の尻尾を忙しなく振り回して遊んでいる。 元から陽気でイタズラが好きな性格だが、家族同然に過ごしてきたエイパムたち(今はミライの元にいる)のことを誰よりも大切に思っているのだ。 普段は表面に出さないが、アカツキから見れば、エイパムたちのことを常に気にかけているのがバレバレだった。 ミライは信用に足る相手だが、やはり一緒に暮らすのが一番だと思っているはずだ。 エイパムたちも同じことを考えているに違いない。 「…………決めるのはアリウスだけど、できればエイパムたちと暮らすのが一番だよな」 ドラップもアリウスも、決めるのは当人だ。 アカツキにできるのは、説得することだけ。 家族と共に何気なく暮らすのは、当然と思うことだが何よりも大切なこと。 だから、そうしてほしい。 トレーナーとして、ポケモンの幸せを第一に考えるのは当然のことだ。 そのために、心を鬼にすることもある。 鬼と罵られても構わないとさえ思っている。 「…………」 アカツキが何か深い考えを抱いていることを雰囲気で察したのだろう、アーサーは少し顔を上げた。 しかし、何も言わない。 今は何を言っても彼の思考にヒビを入れるだけだと弁えているのだ。 一方、アカツキはアカツキで考えを進めていた。 「ラシールとライオットはこのままでも大丈夫かな……」 ラシールはダークポケモンだったのをアカツキがキャプチャで救い出した。 以前にトレーナーがついていたのかは不明だが、今から捜し出すとなると、膨大な時間と労力を費やすこととなるだろう。 これからやるべきことがあるのに、そちらに労力を割くのはかなり難しいところだ。 そして、ライオットは砂漠で普通に暮らしていたのをアカツキがゲットした。 この二体に関しては、それほど深く考える必要もなさそうである。 考えに区切りがついたところで、敷地の境界を示す柵が見えてきた。 「……家に帰ったら、ちゃんと話そう。 いきなりじゃ、戸惑うかもしれないけど……でも、ちゃんと言わなきゃいけないんだよな」 アカツキは拳を強く握りしめた。 少なくとも、ドラップとアリウスに関しては家族の元へ帰ってもらう。他のポケモンについては、追って考える。 できればアカツキだって一緒にいたいと思っているが、家族がいる以上、それはできない。 いつかは別れなければならない。 今か、それとももっと先か。違うのはそれだけだ。 結末が決まっているのなら、必要となるのは決断だけ。 アカツキが握り拳を作っているのを見て、アーサーはネイトとの話を早々に切り上げ、彼の傍にピタリと並んで、小声で問いかけた。 「……何を考えていた? ずいぶんと力んでいたな」 「いろいろ。アーサーにとっては嫌な話だと思うけど」 「そうか。気負いすぎるなよ」 「ありがと」 口調はぶっきらぼうもいいところだったが、目には見えない気遣いが肌に伝わってきた。 アカツキは彼に礼を言って、握り拳を解いた。 明言こそしていないが、アーサーには分かっているのかもしれない。 今話をすべきことではないと分かっているからだろう。 理解者が一人でもいてくれるのは、アカツキにとって精神的な余裕につながる。 気負いすぎるなと簡単に言ってくれるが、この分だと思った以上に気負わずに済みそうだ。 「よし、さっさと帰って支度するかっ!!」 次にやるべきことは決まった。 ならば、すぐに準備して、明日旅立とう。 敷地をぐるりと取り囲む柵を一気に飛び越えて着地すると、待ち構えていたように研究所の扉が開いた。 「アカツキちゃん、ちょうどよかった」 「おばさん、どうかした?」 出てきたのは、相変わらずの笑顔だった。 キサラギ博士の笑顔の前には、考えごとなどあっさり吹き飛んだ。 満面の笑みを向けられると、考えごとなどしていても仕方がないという気になってくる。 ある意味、それが彼女の最大の魅力と言えないこともない。 しかし、アカツキは彼女の腕に抱かれて眠っている小猿のようなポケモンに釘付けになっていた。 「あ、あのポケモン……」 「うむ。調べ物をしていた時に覗いてきた者だな」 後ろ姿しかほとんど見ていなかったが、間違いない。 どこかで見たことがあるかと思ったら、先ほど研究所の一室を借りて調べ物をしていた時に窓の外から覗きこんできたポケモンだ。 大きさはチコリータだった頃のリータと同じくらいで、 キサラギ博士の胸で眠っている姿は子供というよりもむしろ赤ん坊という表現の方が似合っている。 「おばさん、なんてポケモンなんだ?」 「ヒコザルっていうポケモンなの。ちょっと事情があって、知り合いから預かってるのよ」 「そうなんだ、ヒコザルって言うんだ……」 「火の小猿ということか。先ほど、尻から火が出ていたように見えたが、見間違いではなかったわけだな」 「ええ、炎タイプのポケモンなのよ。 シンオウ地方に棲息してて、ネイゼルとかカントーとかにはほとんどいない珍しいポケモンなの」 「ふーん……」 キサラギ博士の説明を聞いて、アカツキは納得した。 道理で敷地に住んでいるポケモンたちとは違うはずだ。 視線が合うなりすぐに逃げ出してしまうのだ。 預けられているとは言ったが、まだ日が浅くてここでの暮らしに慣れていないだけかもしれない。 アカツキがじっと眺めていることなど意識していないのだろう、ヒコザルはキサラギ博士の白衣の襟をぎゅっと握ったまま眠っている。 「博士、どのような事情で預かっているのだ?」 「そのことでね、アカツキちゃんたちに話があったのよ」 「……? どういうこと?」 アーサーの問いはしかし、アカツキに返された。 アーサーが訝しげな表情を見せるのを余所に、キサラギ博士は相変わらずの笑顔で答えてのけた。 「アカツキちゃんに、この子を育ててほしいのよ」 突然の申し出にアカツキは鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていたが、博士はヒコザルが置かれていた状況を話してくれた。 「この子、すっご〜く強いトレーナーのポケモンなの。 でも、周囲は最終進化形ばっかりで、ヒコザルちゃんはまだ進化を二回控えてるから、実力的には今一つなのね。 それで、この子ったら萎縮しちゃったのね。周囲に気兼ねばっかりして、殻に閉じこもることが多くなったの。 でも、このままじゃいけないからって、私のところに預けられたのよ。 他のポケモンと一緒なら、活動的になるんじゃないかって」 「でも、それって違わない? 周りが強いポケモンばっかりだって言っても、それってトレーナーの責任じゃん。 おばさんのところに預けたからって、どうにかなるとは思わないけどなあ」 「アカツキちゃんならそう言うと思ってたわ」 アカツキが毅然とした口調で言い返すと、キサラギ博士は苦笑した。 言葉を選んで話したつもりだったのだが、人一倍ポケモンのことを気にかけている男の子には腑に落ちないところだらけだっただろう。 アカツキが正しいと言わんばかりに、アーサーは腕を組み、何度も何度も頷いてみせた。 周囲の実力者に気兼ねして萎縮したポケモンが活動的になるようにと思って他人に預けるのは、トレーナーの責任を放棄しているも同然だ。 ただ、キサラギ博士は「そのトレーナーは普通のトレーナーじゃないから」と、ため息などつきながら付け足した。 「カントーリーグ四天王のポケモンなのよ。 いろいろ忙しくて、この子にばかり構っていられないって。 周りはね、リザードンとかブースターとかギャロップとかウインディとか…… 炎タイプの中でも実力の優れたポケモンばかりだけど、四天王って立場があるから、 強いポケモンを手持ちから外すわけにはいかないって、相当悩んでたみたい。 ……で、何日か考えて、私のところに預けるって決めたんだって」 「そうなんだ……」 四天王と言えば、普通のポケモントレーナーとは比べ物にならない実力の持ち主だ。 ネイゼルリーグではカナタ、アズサ、チナツといった四天王がいるが、彼らは日頃から多忙を極めている。 ポケモンに構ってやりたくても、それだけの時間がないのだ。 それでも、アカツキは煮え切らないものを捨てきれなかった。それを言い訳に逃げているように思えてならなかった。 しかし、立場というのは厄介だ。 ドラップのトレーナーとして、いろいろと厄介なことに巻き込まれてきたアカツキだから、その四天王の気持ちもなまじ理解できてしまうのだ。 「……アカツキちゃんなら、この子をちゃんと育ててくれると思うの。 ここにいても、私がいなきゃ何もできないんじゃ困るし。 キョウコがいてくれればいいんだけど、あの子は来年こそ優勝するんだって意気込んでさっさと旅に出ちゃったでしょ? 私も学会とかに出なきゃいけないけど、その度にこの子だけ連れていくわけにもいかないのよ。 こんな言い方するのもなんだけど、頼りになるの、アカツキちゃんだけなのよ〜。 どう、お願いできないかしら?」 キサラギ博士は困ったように微笑みながら、ヒコザルの背中を軽く叩いた。 あどけない寝顔を見せていたヒコザルは目を覚まし、パチパチと目を瞬かせながら彼女の顔を見上げた。 本当に赤ちゃんのようだった。 もっとも、生まれたてのポケモンでないことは身体の大きさを見れば一目瞭然だが。 ヒコザルはキサラギ博士が見ているものが何か気になったらしく、その視線を追った。 たどり着いたのは、ニコニコ笑顔のアカツキだった。 ……と、目が合うなりキサラギ博士の胸に顔を埋めてしまった。 ずいぶんと人見知りの激しいヒコザルである。 臆病というのとはちょっと違う。 単に、人やポケモンと触れ合うことに慣れていないだけだ。慣れさえすれば、普通に過ごしていくこともできるだろう。 「ん〜……」 アカツキは首を傾げ、頬を掻いた。 目を合わせた途端に逃げられたのでは、対応に困ってしまう。 「おばさんがそう言うんだったら、オレは構わないけど」 「本当にそれでいいのか? 厄介な荷物を抱えることになるぞ」 アカツキがあっさりと答えると、すかさずアーサーが釘を刺してきた。 やるべきことがあるのに、わざわざ荷物を抱える必要はないと言っているのだ。 ネイトたちはアカツキの言葉に従うつもりらしく、アーサーのように口うるさくは言ってこなかった。 ただ、事態の推移を見守っているだけだった。 「そうだなあ……」 アカツキは十秒ほど考え込む様子を見せたが、すぐに答えを出した。 「困ってるみたいだし、ほっとけないじゃん」 荷物だろうと何だろうと、ヒコザルがこのまま人見知りし続けながら過ごしていくのは辛いだろう。 当人にとっても辛いだろうし、キサラギ博士の精神的な負担も大きいはずだ。 幸い、アカツキにはポケモンとの意思疎通が完璧に図れる『能力』がある。 もっとも、能力云々以前に、困っているポケモンがいるなら放ってはおけない。それだけだった。 アカツキがあっけらかんと言い放つと、アーサーは観念したようにため息をついた。 それを承諾と受け取って、アカツキはキサラギ博士に言った。 「分かった。オレが何とかしてみる」 「ありがとう、助かったわぁ。 ……ほら、ヒコザルちゃん、みんなと一緒に行くのよ」 「…………!?」 キサラギ博士はホッと胸を撫で下ろすと、白衣にしがみついているヒコザルの背中を撫でた。 言葉は分からなくても、何を言いたいのか雰囲気で察したらしく、ヒコザルは不安げな表情でキサラギ博士を見上げた。 ――嫌だ、ずっと一緒にいる。 心なしか潤んだ眼差しを向けられて、キサラギ博士は一瞬、辛そうな表情を見せた。 ……が、すぐに何事もなかったように笑みを浮かべる。 「ダメよ〜。いつまでもこんなことを続けてちゃダメ。 ナミちゃんだって、キミにちゃんと明るくなってほしいって思ったから、私に託してくれたの。 本当はガーネットちゃんやラズリーちゃんみたいに強くて立派になりたいって思ってるんでしょ? だったら、自分から動き出さなくちゃ。 キミならできるって、ナミちゃんはちゃんと言ってくれたじゃない。ナミちゃんのこと、大好きでしょ? だったら、頑張ってみなきゃ。 失敗したって誰も怒らないわよ。だから、チャレンジしてみましょ。 この子たちは、すごくいい人たちだから。心配しなくても大丈夫」 言って、ヒコザルの顔を強引にアカツキに向かせる。 「ほら、おいで」 アカツキは笑顔で腕を伸ばした。 ヒコザルは不安げな表情でキサラギ博士とアカツキを交互に見やった。 ――本当に大丈夫なの? ――本当にこの人たちと一緒にいて大丈夫なの? 見ず知らずの人間やポケモンと一緒に行かなければならないのだから、不安になるのも当然だろう。 しかし、二人とも背中を押してくれるような笑顔を見せていた。 「不安なのは分かるけどさ、一緒にガンバっていこうぜ。 オレ、アカツキってんだ。こっちはネイト、アーサーにリータ、ドラップにアリウス、ラシールとライオット。 みんないいヤツばっかだから、気兼ねなんかしなくったっていいんだぜ?」 アカツキはヒコザルの眼前に手を差し出した。 ヒコザルはじっと、アカツキが差し出した手を見ていた。 本当に一緒に行って大丈夫なのか? 疑問は尽きなかったが、信頼しているキサラギ博士が太鼓判を押してくれているのだ。 たぶん大丈夫だろうと割り切って、恐る恐る手を伸ばした。 ぺたっ。 手と手が合わさると、アカツキはそっとヒコザルの小さな手を握りしめた。 手を握られた経験がないのだろう、ヒコザルは身体を小さく震わせた。 「よろしくなっ♪」 「お願いね」 アカツキがニコリと微笑みかけると、キサラギ博士はヒコザルを離した。 危うく地面に落ちそうになったが、アカツキがもう片方の手でしっかり受け止めた。 とはいえ、片手だけで支えるのは無理があった。 アカツキはゆっくりとその場に腰を下ろし、ヒコザルを地面に降ろした。 キサラギ博士が足音を殺して数歩後退したが、ヒコザルはじっとアカツキを見上げていた。 先ほどまでは、何があっても彼女から離れようとしなかっただけに、驚くばかりだ。 ただ、少しだけ頼もしく思えてきた。 「さすがはナミちゃんのポケモンかな……芯は強いんだもの」 天真爛漫で、いろいろと制約の多い組織に属するには向いていない性格ではあるが、それでもポケモンへの愛情は誰にも負けていないはずだ。 そんなトレーナーの傍にいたのだから、内に秘めた強さも相当のものに違いない。 柄にもなくそんなことを思って、キサラギ博士はニッコリ微笑んだ。 「ぶりゅぅ♪」 「ベイ、ベイっ♪」 「ウキキキキキっ……」 アカツキとヒコザルがじっと見つめ合う中、ネイトたちが割って入ってきた。 事態の推移を見守っていたが、大勢が判明したことで手を出しても大丈夫と判断したのだろう。 実に強かなポケモンたちである(笑)。 「ヒ、ヒコ……?」 先ほどまでじっと見ているだけだったポケモンたち―― しかもいずれも自分よりも大きくて強そうな彼らが一斉に傍に寄ってきたものだから、昔からのクセがつい表に出た。 ヒコザルは身体を丸めて、その場にうずくまってしまった。 「ぶ、ぶりゅぅ……?」 身体を震わせているヒコザルを見て、ネイトが首を傾げた。 一体こいつはどうしたんだと言いたげな視線をアカツキに向ける。 「ネイトたちがいきなりやってきたから、怖がっちゃったんだ。 でも、大丈夫だからな。 最初は怖いかもしれないけど、ちゃんと話をすればいいヤツだって分かるから。 ほら、目を開けなきゃ」 アカツキはヒコザルの隣に腰を下ろし、肩を軽く叩いてやった。 「大丈夫、キミならできるって。 ……エンジ、みんなと一緒にガンバっていこうな」 エンジというのは、ヒコザルの名前だった。 ネイトたちにはちゃんとしたニックネームがある。これから一緒に頑張っていくのだから、ちゃんと名前をつけてやらなければならない。 名前をつけられたと分かったのだろう、エンジはゆっくりと顔を上げた。 柔らかくて暖かな雰囲気に包まれて、不安が少し消えたようだ。 「一緒に行くんだから、仲良くしなきゃダメだぞ? ほら、話してみよう」 「ヒコっ……」 アカツキが背中を押すと、エンジはゆっくりと立ち上がり、ネイトの傍まで歩いていった。 ブイゼルからフローゼルに進化したことでたくましい身体つきになり、 目つきも幾分か鋭くなったが、穏やかで楽天的な雰囲気はまったく変わっていない。 アカツキは足音を立てないようにゆっくりとエンジたちから離れ、キサラギ博士の傍へ行った。 「アカツキちゃん、さすがにやるわね〜」 「ありがと。でも、エンジがやるって決めたから」 心の底から感心しているらしく、いつになく彼女の声は浮付いていたが、アカツキは頭を振った。 自分は背中を押しただけだ。 控えめな言い方だが、それが真実だった。 「そうやって背中を押してあげることが、アカツキちゃんの最高の能力なんだよね〜」 何気なく、ポケモンを安心させてあげること。 自然と前に進ませること。 気負うことなく、特別に考えることなく、そうさせること。 キサラギ博士は、それがアカツキの授かった天性の能力なのだと思った。 「そんじゃ、帰ろっか」 彼女が感心しているのを余所に、アカツキはエンジを肩に乗せ、帰路に就いた。 To Be Continued...