シャイニング・ブレイブ 最終章 出会い、別れ、そして旅立ち(4) 「…………」 「我慢しなくていいんだぞ」 「我慢なんてしてないよ。ちょっと、寂しいって思っただけ」 『忘れられた森』へ向かって歩き出してから程なく、無言のまま足を動かすアカツキに向かって、アーサーが素っ気ない口調で言った。 素っ気ない口調と言っても、それはあくまでも性格上のもの。実際は彼のことを心配しているようだったが。 アカツキはいつの間にやら傍らに陣取っていたアーサーに笑みを向けた。 我慢しているつもりはない。 ただ、アリウスと別れて、少し寂しいと思っただけだ。 アリウスと出会ったのは、アイシアタウンだった。 旅に出て一ヶ月と経っていない頃だっただろうか。 アイシアジムに挑戦するためジムを訪れたアカツキの帽子を、アリウスがいたずらで盗んでいったのがきっかけだった。 それから一悶着あったものの、なんとかゲットすることに成功した。 持ち前のいたずら好きな性格には何度となく手を焼いたものの、それがかえって可愛いかった。 だけど、アリウスとエイパムたちは血こそつながっていないものの、共に暮らしてきた家族。 だから、自分たちと別れて、家族を大事にしながら楽しく暮らすのがアリウスの幸せになる。 そう思って、別れることを決めた。 アリウスにちゃんと話をして、納得もしてもらえた。 憂うべきことなど何も……一つだけ、ミライを困らせたりするのではないかという心配はないわけではなかったが、 それも愛嬌だと、彼女なら笑って許してくれるだろう、たぶん。 寂しい気持ちはあったが、ただそれだけだ。 アリウスはエイパムたちと暮らしていくことで幸せになれる。 幸せになってくれるなら、別れることも必要だ。 ポケモンが幸せになるためなら、別れだって考える。 ただ、それだけのこと。 寂しい気持ちは消せない。 当たり前である。 一年近く、共に苦難を乗り越えてきた仲間なのだ。 自分たちで決めたこととはいえ、仲間と別れて寂しくないポケモントレーナーなど、どこにだっているはずがない。 草を踏みしめて歩く足音がいつもより小さく聞こえて、ネイトはどことなく不安を感じてアカツキに声をかけた。 「ぶりゅぅぅ……?」 ……と。 アカツキはネイトが不安げに声をかけてきたことに気づいて、さっと振り返った。 ネイトだけでなく、ドラップやリータまで、同じような表情を見せている。 そんなつもりはなかったが、どうやら不安にさせてしまっているのは他ならぬ自分自身だったらしい。 (オレがしっかりしなきゃいけないんだよな〜。 ……しっかりしてるつもりだけど、やっぱりみんなは不安に思ってるんだ。困ったなあ……どうしよう) 寂しい気持ちは消せない。 当分は蟠り続けるだろう。 ただ、今、この現状をどうにかしなければならない。 アーサーは問題ないだろうが、感受性豊かなネイト、ドラップ、リータはそうもいかない。 ……残る一体、エンジはナミと話せたことで安心してしまったのか、フォレスジムを出てからすぐに眠ってしまった。 眠っている時まで外に出す必要はないと思って、モンスターボールに戻してある。 そして、それは幸いと言うべきだろう。 エンジは周囲の状況をよく見ている。子供なりに、勉強しようとしているのだろう。 そんな彼(エンジは男の子である)に、この状況を見せるわけにはいかない。 それが、アカツキなりの意地のようなものだった。 (……オレたちが決めたことだし、クヨクヨしててもしょうがないんだよな。よ〜し) あと数日も経てば、今度はドラップとも別れることになるのだ。 今から落ち込んでいては話にならないし、また旅に出ることができた以上は、精一杯楽しむしかない。 だから、アカツキは今だけ、アリウスのことを忘れていつも通り、陽気な気持ちに切り換えた。 「ネイト〜、せっかく進化して立派な身体になったんだから、そんな顔してちゃダメだって。 ドラップもパパなんだし、もっとちゃんとしてなきゃ。 リータ、女の子がそんな顔してちゃ、可愛い顔台無しじゃん。 ほら、もっと笑って笑って♪ な、アーサー?」 「あ……ああ、そうだな。おまえたち、もっとシャキッとしたらどうだ。 アカツキにできることが皆にできないわけがない。そうだろう」 突然話を振られると思っていなかったらしく、アーサーはしどろもどろになりながらも彼の言葉を継いだ。 仲間と別れて何とも思わないのは当然困るのだが、あまりに引きずりすぎて、将来に目を向けられなくなるのはもっと困る。 しかし、全員が前を向いて将来を見据えているのである。 あとは、誤解を解くだけである。 ここからはアカツキの仕事。彼が全員のまとめ役として、やらなければならない。 一同の顔を順番に眺めた後で、アカツキに向けて頷きかける。 視線の意味を理解したらしく、彼は小さく頷き返してきた。 「寂しいけど、大丈夫。アリウスだって納得してくれたんだから。 オレたちはオレたちにしかできないことをやらなきゃ。そうだろ? だから、大丈夫♪」 寂しいことは寂しいが、いつまでも引きずったりはしない。 陽気な口調で紡がれた言葉に、ネイトたちは納得したようだった。 下手に強がるわけではなく、かといって不安だらけでどうしようもないと弱音にまみれているわけでもない。 正直な気持ちを聞いて、安心したらしかった。 しかし、ただ一人だけ。 彼の言葉に内心、動揺を隠せないポケモンがいた。 ――考えるまでもない。 数日後には別れることになる、ドラップだった。 彼が巧みに内心を隠していたこともあって、アーサーでさえ、その胸中を窺い知ることはできなかった。 一家の大黒柱としてのプライドが為せるワザだったのか……毅然とした態度は、強がりとさえ映らなかったのである。 フォレスタウンを発って二日後、アカツキたちは『忘れられた森』にたどり着いた。 その間、一同はドラップと一緒にいられる残り少ない時間を大事に過ごした。 誰も何も言わず、ただ普通にいることが当たり前であり、それが何よりも尊いことであると噛みしめるように。 しかし、別れの時は容赦なく訪れた。 ドラップが戻ってきたことを察してか、仲間のドラピオンがやってきたのである。 「おっ、久しぶり〜」 アカツキは早足でやってきたドラピオンに笑顔で手を振った。 基本的に、見た目でオス・メスの判断がつくポケモン以外は外観での区別がきわめて難しいのだが、アカツキにとっては関係ないようだった。 見た目ではなく、雰囲気で個体を識別しているようなものだったからだ。 そのせいか、以前に会ったことのあるドラピオンだということもすぐに理解できた。 一方、相手のドラピオンも、アカツキのことを覚えていたらしく、ハサミをガチャガチャ鳴らして応えてくれた。 こうして人とポケモンがコミュニケーションを図り、仲良く暮らしていけるようになればいい……そう思って、アカツキは再び旅に出たのだ。 その助けになれるなら、少しくらいの苦労は厭わない。 改めてやる気に燃えていると、ドラピオンが眼前で足を止めた。 「ごぉぉぉ……」 「ごぉ、ごぉぉぉぉ……」 ドラップがすかさず話しかけ、ドラピオンが言葉を返す。 イントネーションは微妙に違うものの、基本的にポケモンの言葉はポケモンにしか通じない。 それでも、アカツキは言葉に含まれている『空気』のようなもので、彼らの会話が手に取るように理解できた。 どうやら、ドラピオンはドラップの『におい』がこちら側に流れていることを察して、一足先に迎えにきたらしい。 「迎えに来たって?」 「ごぉぉっ」 アカツキの言葉に、ドラップは大きく頷いた。 ドラップの奥さん(実は夫より強い)は子供たちの世話で忙しいらしく、代わりにこのドラピオンがドラップを迎えに来たのだそうだ。 ポケモンは人間とは比べ物にならない感覚を持ち合わせているため、遠くからでも分かるとか。 捜し出すのに時間がかかるかと思っていたのだが、これは予想外の展開だった。 (でも、もうすぐお別れだし、対して変わらないよな……) アカツキは小さく息をつくと、ドラップの傍に佇むドラピオンに声をかけた。 「久しぶり〜。オレのこと、覚えてる?」 「ごぉっ、ごごごっ」 「ありがとな。オレもキミのこと覚えてるんだ。友達の友達だもんな♪」 アカツキがドラピオンのことを覚えていたように、ドラピオンもアカツキのことを覚えてくれていたらしい。 曰く、珍しいタイプの人間だから、忘れたくても忘れられないのだそうだ。 それに、仲間内では気難しいことで知られるドラップがこれほど心を許せる人間が、悪い人間であるはずがない、とも言っていた。 「え〜? ドラップって、そんなに気難しくないってば。な?」 「ごぉぉ……」 アカツキの問いに頷くと、ドラップは「気難しくしていたつもりはない」とドラピオンにケチをつけた。 もちろん、アカツキたちはドラップを気難しいドラピオンだと思ったことはない。 むしろ、面倒見が良く、頼りになるドラピオンだと思っている。 ドラップがドラピオンに何気にしつこくケチをつけているのを笑顔で見ながら、アカツキは言葉をかけた。 「それじゃあ、ドラップ。ここでお別れだ」 『……!!』 あまりに唐突な言葉に。 ドラップだけでなく、ネイトたちまで唖然とした表情を隠せなかった。 なぜ今、そんなことを言うのか……? そう言いたげな視線をアカツキに集中させるが、彼は木漏れ日のような優しく明るい笑みを浮かべて、ドラップを見ていた。 「な、なぜそこで言う!! 家族に会っていくのではなかったのか!?」 真っ先に言葉を返したのはアーサーだった。 彼の言葉に触発されてか、ネイトたちも次々にきつい口調で声をかけてくる。 「ぶりゅ、ぶりゅぶりゅ〜っ!!」 「ベイベイっ!!」 「ヒコ〜っ……」 エンジは「どうして?」という意味ではなく、むしろ「もうなの?」という意味で、不安で寂しげな面持ちを隠そうともしなかった。 ……隠そうとしなかったのではなく、隠せなかっただけだろう。 「ごぉ、ごぉぉぉぉぉ……?」 「うん。もう決めたんだ。ドラップ、ここでお別れだって」 ドラップが辛そうな表情を向けてくる。 アカツキは――毅然とした表情で頷きかけた。 本当は辛い。 泣きたいくらいに胸が張り裂けそうだったし、できればまだ一緒にいたいとも思っている。 それなら、どうしてここでお別れと言ったのか……? 事前に話し合って、双方が納得した上で別れることになったのだが……それでも、やはりいざその時になってみると、本当に辛い。 しかし、いつまでも一緒にいたら、ずるずると中途半端な形で続けてしまいそうだった。 別れる時は笑顔で、スパッと別れたい。 それぞれの新たな船出を、笑顔で迎えたい。 ……だから、アカツキは先ほど、笑顔を見せながら「ここでお別れ」と言った。 だけど…… (ここでオレがしっかりしなきゃ、ドラップだって安心して別れられない) 笑顔のままでいたら泣きそうだった。 自分がしっかりと、毅然とした態度で別れを告げて、背中を向けて歩き出さなければ。 ドラップたちも、安心して元の生活には戻れないし、自分たちもちゃんと歩き出せないかもしれない。 「ネイト、リータ、エンジ。ドラップにはドラップの生活があるんだ。 奥さんとか子供とか、大事に思ってる家族がいるんだよ。 ……だから、オレたちの都合で一緒に来てもらうわけにはいかないんだよ。それは分かってるだろ?」 「ぶりゅ、ぶりゅぶりゅぅ!!」 「それならば、どうしておまえの都合で今、別れようと言うのか。ネイトはそう言っている」 諭すような口調で言ったが、ネイトは声を荒げた。 アーサーが通訳するものの、通訳などされるまでもなく理解できている。 「分かってる。でも、このままじゃいつまで経っても別れられない」 「……そうだな」 アカツキの言いたいことは、アーサーも承知している。 だから、ネイトたちと違って、声を荒げることもない。 いずれ別れるのだから、後腐れも引きずることもないように、すっぱり別れたい。そう思うのが普通だ。 だから、アカツキの言葉を変だとは思わない。 (私は別れに慣れているだけかもしれないな。 アーロン様、リーン姫……多くの別れを経験してきて、少し慣れているだけだな) アーサーは頭を振った。 自分が粘り強く言えば、ネイトたちなら納得するだろう。 しかし、ここはアカツキが自分の言葉で言わなければならない。 それが、今までドラップと共に歩んできたトレーナーとしての最後の責任だろう。 ……もっとも、言われるまでもなく、アカツキは自分に課せられたトレーナーとしての責任を果たした。 「ネイト、リータ、エンジ。 このまま一緒に行ったら……キミたちなら、すっぱり別れられる? ドラップだって、家族のいる前でオレたちと別れるの、本当に辛いと思うんだ。 オレたちも、家族のことも、両方大事に思ってくれてるんだからさ……両方いる場所で別れるなんて言ったら、ドラップは本当に苦しむよ。 ……オレはそれが嫌だから、ここで別れるって決めたんだ。 不満だって言うんだったら、家族のところまで行ってから別れりゃいいよ。オレは……止めないから」 「…………」 「…………」 そこまで言われて初めて、ネイトたちはアカツキの真意に気づいた。 同時に、ドラップの微妙な立場も。 今までネイトたちにそれを伝えなかったアカツキにも責任はあるだろうが、ネイトたちも気づいていなかったのだ。 ドラップのことを気にかけていながらも、ちゃんと見ていなかった。 家族も仲間も、両方が大事という微妙な……一番苦しい立場を理解しきれていなかった。 ネイトもリータもエンジも、アカツキは仲間であり家族でもある。 ドラップだけは……違っていたのだ。 彼は、妻子を持つ身で仲間に加わったポケモンだったのだ。 成り行きであったとはいえ、妻子を持つ以上は、いずれ家族のもとに帰らなければならない。 「ごぉぉぉ……」 そこまで考えてくれていたのか……ドラップはネイトたちに毅然とした表情を見せるアカツキの顔を眺めて、小さく息をついた。 確かに、家族のいる前で別れを切り出すのは辛い。 家族も仲間も大事に思っているのだから。 「…………」 何がなんだかイマイチ理解しきれていないドラピオンだったが、とりあえず早く戻ろうかとドラップに声をかけた。 「ごぉ、ごぉぉ……」 ドラップは、ドラピオンに「すぐに戻るから、先に行っててくれ」と言い、人払いをかけた。 ドラップが言うならと、ドラピオンは異議を申し立てることなく、森の奥へと姿を消した。 ドラピオンの足音と気配が森の奥へ遠ざかってから、アカツキはドラップに微笑みかけた。 「ドラップ。オレの都合を押しつけちまうみたいで悪いけど……でも、ここでお別れだよ。 一年もなかったけど、一緒にいられて楽しかった。 ドラップ、今までオレたちと一緒にいてくれてありがとう」 「ごぉ、ごぉぉぉぉぉぉ……」 いよいよその時が来た。 仲間のドラピオンがいなくなって、誰に遠慮する必要もなくなったのだろう。 アカツキの言葉に、ドラップは大粒の涙をボロボロと流し始めた。 トレーナーの傍に歩み寄り、長い腕で彼をがっちり抱きしめる。 ゴツゴツした感触はあったが、ドラップの身体はとても暖かかった。 アカツキはドラップの目から流れ落ちる涙を手でそっと拭ってから、子供をなだめる母親のようにその背中を優しく撫でた。 実際は逆になるべきなのだろうが、ドラップにとってアカツキは親に似た存在と言っても良かった。 まるで母親の温もりに抱かれたような気持ちになる。 別れるのは辛いが、アカツキが毅然とした態度で別れを切り出した以上、自分もそれと同じだけの気持ちでいなければならない。 ドラップも、自分がちゃんと家族と一緒に暮らしていくことで、アカツキが安心して旅を続けられると思っていたからだ。 別れたくはない……しかし、両方を選べば、必ず破綻が訪れる。 アカツキはいち早くそのことに気づいて、家族と暮らせるようにと道を拓いてくれた。 彼の気持ちを無駄にするようなことがあってはならない。 ただ、今だけは……今だけは一緒にいたい。 家族のいる前で別れを切り出されたなら、父親として絶対に家族には見せられない醜態をさらすことになっていただろう。 だから、今だけは……気兼ねする必要のない今だけは、自分の気持ちに正直でいたかった。 「ごぉぉぉぉぉぉぉぉ……」 「うん。ドラップ、奥さんとスコルピたちを大事にしてあげるんだよ。 お父さんだし、今まで一緒にいられなかった時間も長いから、しっかり育てて、みんなで幸せになってくれよな」 「ごぉぉぉぉぉ……」 ドラップは、父親とは思えないほど泣きまくっていた。 アカツキは――泣きたい気持ちを必死に抑え込みながら、穏やかな笑顔でドラップの背中を撫でていた。 (ドラップと出会ったのって……フォレスの森だったっけ) 出会ってから今までの記憶が、ふと脳裏を過ぎった。 トレーナーとして最初に旅立ってすぐのことだった。 ネイゼルカップ出場を目指し、リーグバッジをゲットするためフォレスの森に立ち寄ったところで、ドラップと出会った。 ……もっとも、それまでの過程は偶然が重なったものだったが、それでも今となっては出会うべくして出会えた……という他ない。 そうでなければ、こんな波乱万丈な時間は過ごせなかった。 辛かったけど、楽しかった。 それに、自分の傍にいてくれる仲間は、誰一人欠けても、今の自分はいなかっただろう。 運命などという言葉を信じているわけではない。 それでも、運命めいたものを感じずにはいられなかった。 (ドラップはソフィア団の施設から逃げ出してきたんだっけ……あの頃は、あんまり懐いてくれなくて大変だったなあ……) ドラップ――ドラピオンというポケモンがカッコイイと思って、 アカツキはドラップが切羽詰まった状況であると知らず、ゲットしようとネイトでバトルを挑んだものだ。 バトルに慣れていなかった頃だけに苦戦を強いられたが、居合わせたミライの手助けもあって、なんとかゲットすることができた。 ゲットしてからは、フォレスタウンでソフィア団のエージェントに襲われるまで、全然言うことを聞いてくれなかった。 その頃のアカツキは、ドラップにとって『言うことを聞くに値する人間』でなかったからだ。 ソフィア団のエージェントとの戦いで、アカツキが身を挺して自分を守ろうとしたのを見て、 こいつならついていっても大丈夫と思って、以後は彼の言うことをちゃんと聞くようになった。 それから、楽しいこともあったし、辛いこともあった。 いろいろあったけど、一緒に笑ったり泣いたりして乗り越えてこられて良かった。 心からそう思うから、ドラップには幸せになってほしい。 彼の幸せは……自分にとっても幸せだ。 ドラップが家族と平穏に、慎ましやかに暮らしていくことで幸せになれるなら、別れることだって考える。 それが最善の方法だと思うから、別れを選んだ。 だけど、ドラップが幸せになるなら、自分たちも幸せにならなければなるまい。 自分たちの幸せとは何か……? 決まっている。 (やりたいことをやって、ポケモンたちが笑ってくれることかな) 今、自分たちがやろうとしていることで、ポケモンたちが笑ってくれること。 ポケモンと人が手に手を取り合って一緒に仲良く暮らしていけることだ。 「ドラップがオレと一緒にいてくれて、ホントに良かった。 オレたちもガンバるからさ。ドラップはみんなと幸せになってくれよ。 ……ま、時々は会いに来るからさ」 「ぶりゅぅ!!」 「ベイベイっ」 「ヒコ〜っ……」 「……ふむ」 アカツキは朗らかな笑みを浮かべていたが、ネイトたちがいよいよ耐えられなくなった。 一斉にドラップに抱きついて、涙を流し始めたのだ。 勇者の従者として各地を旅してきたアーサーは、寂しいという気持ちこそあるものの、泣くことまではしなかった。 (今のうちに泣いて気持ちを晴らしておくのが良かろう……) 泣いていられるのは今のうちだけかもしれない。 いざシンオウ地方に到着したら、それからはやるべきことが山積している。 そのうち、泣きたいことも忘れてしまうかもしれないが、気持ちの整理は今のうちにつけておくに越したことはない。 「…………」 アカツキはしばらく、そのままドラップの背中に手を回し、包み込むように触れていたが……離れたのはドラップの方だった。 アカツキから視線を外すと、ネイト、リータ、エンジ、そしてアーサー…… 今まで苦楽を共にしてきた仲間たち、一体一体に言葉をかけ、熱い抱擁を交わした。 アカツキは、ドラップが仲間たちに最後の挨拶をするのを黙って見つめていた。 ああ、本当にお別れなんだな…… ネイトたちと交わす言葉に、別れの辛さが込み上げてきた。 先ほどまではさほど意識もしていなかったが、今は違う。少しでも意識してしまえば、どんどん膨れ上がってくる。 別れることを決めていたと言っても、本当は別れたくないに決まっている。 しかし、それでもドラップには幸せになってもらいたい。家族を大事にしてもらいたい。 だから別れを選んだのだ。 今さら引き返す気はない。引き返せるはずがないではないか。ドラップに家族がいる以上は。 一通り挨拶が済んだところで、ドラップは再びアカツキに顔を向けた。 ネイトやリータは寂しさを堪えている様子だったが、エンジなどわんわん泣きじゃくっている。 付き合いが一番浅いと言っても、ドラップには父親のようにあやしてもらっていたから、かなり懐いていたのだ。 エンジには悪いが、ドラップとはここでお別れだ。 ……もっとも、またいつか会いに来るつもりでいるから、そのことをちゃんと話しておこう。 アカツキとドラップはしばらく相手の目をじっと見据えていたが、 「ドラップ、元気でね」 「ごぉぉぉ……」 アカツキの言葉に応じて、ドラップが小さく頷く。 そして、踵を返して、森の奥へと向かって歩いていった。 ……たった一人で。 家族の元へ、父親が戻る。それだけのこと。 アカツキはじっと、ドラップの背中を見つめていた。 (またな、ドラップ……絶対、会いに来るから。だから、さよならなんて言わない) 離れていても、忘れはしない。 別れを選んでも、今まで共に過ごしてきた時間が消えてなくなるわけではないのだから。 ドラップは一度も立ち止まらず、振り返らず――森の奥へと、姿を消した。 アカツキだけでなく、ネイトたちもドラップの背中をずっと見つめていた。 「…………」 森の奥――木漏れ日の射さない奥地にドラップの背中が消えても、じっと見つめ続ける。 どれくらいの時間が経ったか、突然吹いた風が、頭上に広がる木の葉の絨毯を揺らし、木漏れ日の場所を変えた。 「…………じゃ、行こっか」 小さく息をついて、最初に言葉を発したのはアカツキだった。 ドラップは帰るべき場所へ帰った。 次は自分たちの番。 行くべき場所へ行って、するべきことをする。 それが、ドラップとの別れを選んだ自分の責任。 分かってはいる。 分かってはいるのだが……不意に込み上げた気持ちに気づいて、アカツキはネイトたちから顔をそらした。 自分が強くあらねばならない。分かっているから、泣きだしそうな今の自分の表情を見られたくなかった。 自分から別れを切り出しておきながら、別れた後で盛大に泣きじゃくるのは身勝手だろう。 しかし、ネイトたちはアカツキが今まで感情を強引に抑えていたことに気づいていた。 彼の顔を立てて、今までは何も言わなかったが……ドラップも戻って行ったし、今なら何を言ってもいいだろう。 「ぶりゅー、ぶりゅぶりゅっ……!!」 ネイトは前脚でアカツキの肩を軽く叩いた。 「そうだな。ドラップは戻っていった。今のうちに気持ちを晴らしておけ。 ……後で、泣いている暇はないぞ?」 ネイトの言っていることを、人間の言葉でアーサーが言い直す。 ポケモンと完璧な意思疎通が図れるアカツキに対しては何の意味もないように思える行為だったが、むしろ逆だった。 二度、同じことを立て続けに言われれば、ポケモンの言葉を理解できる彼にとっては強制も同然だったからだ。 胸に込み上げてくる想いは別れの悲しみか、それとも…… 込み上げる想いに突き動かされるように、身体は素直に反応した。 「別に……泣いてなんてないやい」 アカツキはそっぽを向くと、小さく肩を震わせた。 誰からも見られまいと努めてはいるが、やはりモノには限度がある。 「…………」 居合わせた誰もが、彼が涙を見せないようにやせ我慢しているのは承知していても、それをどうこうととやかくは言わなかった。 (別に、誰かに見られたって恥ずかしくないけどさ……でも、やっぱ泣いてるトコなんか見られたくない) アカツキはやせ我慢だと分かってはいたが、そうせずにはいられなかった。 どうあっても、泣いているところを見られるなんて恥ずかしかった。 涙がこぼれ落ち、顎に溜まって一滴、また一滴と地面に落ちていく。 さすがにそれまでは隠しきれなかったが、ネイトたちもアカツキと同じ気持ちでいたから、何も言えるはずがない。 (悲しいのは私も同じ……か) 半年も共に過ごしてはいなかったが、アリウス、ドラップと立て続けに自分たちの元を去った。 ……否、それぞれの未来のために、それぞれの道を歩き出した。 ただそれだけのことなのに、胸に込み上げてくる悲しみは思いのほか大きなものだった。少なくとも、アーサーにはそう思えた。 (アリウスもドラップも、これから大事な人と一緒に生きてくんだし……オレたちが悲しんでたってしょうがない。 ……頑張らなきゃな!!) 数分、誰とも顔を合わせないように、声も上げないように泣いて……アカツキは手の甲で涙を拭って、立ち上がった。 頬を伝った涙の筋は残っているが、そのうち乾いて、消えてなくなるだろう。泣いたことさえ、なかったかのように。 アカツキが泣きやむのを待っていたように、ネイト、リータ、エンジも立ち上がった。 エンジに限ってはアカツキに抱きついてきたが、子供ゆえの愛嬌だ。 リータがあからさまに不満げだったが、子供相手にムキになるのも大人げないと思ってか、特に何もしなかった。 「ベイベイ?」 その代わり、アカツキに大丈夫かと訊ねる。 彼は口元に笑みを浮かべると、頷いてみせた。 「大丈夫。リータ、ありがとな。 ネイトもエンジも、アーサーも……待っててくれたんだよな。 だけどさ、もう大丈夫だから。んじゃま、行くかっ♪」 無理はしていない。 泣くだけ泣いて、気持ちが晴れた。 ドラップとの別れは寂しいし、初めて自分の力でゲットしたポケモンだけに、それは顕著だった。 それでも、立ち止まってはいられない。 自分にしかできないことがあって、それをやると決めた以上は。 ――だから、行く。 「アリウスもドラップも、幸せになってくれる。オレたちも、ガンバんなきゃな。 ……それじゃあ、行くかっ♪」 「ああ、そうだな」 「ぶりゅ〜♪」 辛い別れは、あっという間に終わった。 終わって、新しい船出を迎える。 「向かう場所は……確か、北の方角だったな。歩いていくのか?」 「そうしようかと思ったんだけど、その必要はないみたい」 「ほう……気づいていたか」 アーサーの問いに答えると、アカツキは風にそよぐ木の葉の絨毯を見上げた。 木漏れ日が射し込んでいるが、特に変わった様子はない。 しかし…… 「ライオット、ラシール。降りてこいよ!!」 「……!?」 アカツキの言葉に、驚いたのはむしろネイトたちだった。 アーサーはすでに気づいていたらしく、眉根を少し上下させるだけだった。 刹那、一際強い風が真上から吹き付け、木の葉の絨毯を左右に退かせる。 空から二つの影が降ってきて、地面に舞い降りた。 アカツキの言ったとおり、ライオットとラシールだった。 「ぶりゅぶりゅっ!?」 「ベイっ……」 ネイトとリータはあからさまに「どうしておまえたちがここにいる!?」と驚いていた。 エンジも、意味不明な展開に目をパチパチ瞬かせているだけだった。 「キシシシシ……」 「ごぉん。ごぉん♪」 ライオットとラシールは顔を見合わせ、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべた。 なんてことはない。 二人はアカツキたちの後をこっそり尾行していただけなのだ。 アカツキとアーサー以外はまったく気付いていなかったようだが。 「やっぱりついてきちまったんだなあ……まあ、待ってろって言われて待ってるワケないと思ってたけど」 アカツキは困った顔で頬を掻きながらも、すぐにニコッと微笑んだ。 まさかネイトたちが気づいていなかったとは思わなかったが、ドッキリとしては成功だから良しとしよう。 「やはりな。建前だと思った」 「アーサーには分かっちまったか」 「当たり前だ。私は常に周囲の状況を確認しているのだ。最初から分かっていた。 おまえに何か考えがあるだろうと思って言わなかっただけだ」 「…………」 憮然とするアーサー。 アカツキは朗らかな声で笑った。 ネイトたちは、ライオットとラシールの存在に気付けなかったことに呆然としていたが、それでも仲間が来てくれたことに喜びを隠さなかった。 「まあ、早く来てくれてありがとな。おかげで楽できるぜ」 「ごぉん……」 アカツキが礼を言うと、ライオットは「これくらい当然だ」と言わんばかりに首を縦に大きく振った。 アカツキは「ポケモントレーナーはポケモンを六体しか連れて行けない」と言って、 ライオットとラシールに待機を指示していたのだが、それはあくまでも建前だった。 いくら待っていろと言っても、この二人ならたぶん後を追いかけてくるだろうと思っていたからだ。 それでも、トレーナーが七体以上のポケモンを連れているところを見られてしまったら、大問題になる。 ゆえに、アカツキはわざとそう言うことで、ライオットとラシールに「少し遅れてついてきていいよ」と選択肢を示していたのだ。 ネイトたちにはその意図が正確に伝わっていないようだったが、二人がこうして駆けつけてくれたのだから、それはそれで良しとするべきだろう。 少し離れてついてきてもらえれば、トレーナーがついているポケモンだと分かっても、それがアカツキのポケモンかどうかは分からないという寸法だ。 結果オーライということで、ここに六体のポケモンが揃った。 「……さて、そろそろ行くのだろう」 「うん、そうだな。ライオットの背中に乗って、一気にシンオウ地方まで飛んでっちゃおうかって考えてる」 「うむ。善は急げと言うからな。いい案だ」 「ライオットにみんな乗るの無理だから、ちょっとだけ戻っててくれよな」 アーサーに促され、アカツキはネイトとリータをモンスターボールに戻した。 アーサーはバトルで傷ついた時にしかボールに入らないと約束しているので、 ここでボールに戻してしまった日には、後で波動弾をたんまり食らうことになる。 エンジに関しては、体重がそれほどではないため、ライオットにとっては負担らしい負担にならないという理由で戻さなかった。 ともあれ、準備は整った。 アカツキとアーサーが背中にまたがったことを確認し、ライオットは翼を広げて飛び上がった。 少し遅れて、ラシールも飛び立つ。 木の葉の絨毯を突き抜けて、青々と広がる空に出る。 吹きつけてくる風と降り注ぐ陽光に思わず目を閉じて――少し経ってから開く。 「…………」 アカツキは真下に目をやった。 眼下に広がる森のどこかで、ドラップは家族と幸せに暮らすだろう。 (ドラップ、アリウス。幸せになるんだよ。また、会いに行くからさ) 心の中で、それぞれの未来のために別れた仲間に語りかけた後で、視線を前方に据える。 ネイゼル地方北東部の山岳地帯は、高度こそ大したことはないが、起伏が激しい。 徒歩で踏破するには、距離以上の時間を要するだろう。 しかし、空を駆けてしまえば、距離などほとんど関係ない。 このまま一気にシンオウ地方まで飛んで行ければいい。 完全には拭いきれていない悲しみも涙も何もかも突き抜けて、自分たちのやるべきことを成し遂げるために。 「…………」 ライオットが、首を動かして振り向いてくる。 どうする……? 無言の問いかけに、アカツキは大きく頷いて、前方――これから向かうシンオウ地方のある方角を指差した。 「よし、ライオット。スピード全開で行くぜ。 オレたち、ここからまた始まるんだ!!」 「ごぉん!!」 待ってましたと言わんばかりに頷くと、ライオットは飛翔を開始した。 スピード全開と言われても、さすがにアカツキが振り落とされてはたまらないので、それなりにスピードを抑えてはあるが…… それでも、眼下の森がぐんぐん背後へ遠ざかっていく。 アカツキは振り返らなかった。 ドラップもアリウスも、自分たちの未来のために歩き出した。自分が振り返っては、彼らへの背徳になる。 だから、ずっと前だけを見ていた。 (オレたち、ポケモンと人がちゃんと仲良く暮らせる手伝いをするんだよな…… 大変なことだって分かってるけど、オレだからできることだって思ってる。 そうじゃなきゃ、やろうなんて考えないもんなっ) ポケモンと人は、基本的に言語構造が異なっている。 もちろん、スキンシップの方法も異なっている。 だから、解り合えないことも多い。 それを否定的に捉えるのではなく、解り合えないなら解り合えないで、その他の方法で理解し合えて、仲良く暮らしていける方法を探ってゆくべきだ。 人もポケモンも、両方が努力しなければ為し得ないこと。 人とポケモン。 両方の言葉を理解できるアカツキだから、自分が懸け橋となって、人とポケモンが仲良く暮らしていけるように手伝っていければいいと思っている。 下手をすれば両方を敵に回しかねない危険な行為ではあるが、それでも誰かがやらなければならない。 フォレスタウンのケースを見て、その『誰か』が『自分じゃない誰か』じゃなくて『自分』であると強く認識したからこそ、また旅に出た。 出会いと別れを乗り越えて、自分の為すべきことを成し遂げる。 泣くだけ泣いて気持ちを整理した今が、新しい旅立ちの時だ。 熱い気持ちを胸に、アカツキは声高らかに叫んだ。 「よっしゃ!! 行くぜみんな!! みんな仲良く暮らせるようにガンバるぞーっ、おーっ!!」 明るく陽気で、それでいて強い決意を窺わせる声が、空に響き渡った。 彼らの未来はここから始まり――今、その行方は誰も知らない。 シャイニング・ブレイブ Fin