Dear my friend -太陽の笑顔- 僕は君のことを忘れない。 僕の手の中で生まれてきたこと。 僕たちの傍にいてくれたこと。 ポケモンバトルで活躍してくれたこと。 僕の目の前でいなくなったことも。 全部ひっくるめて。 あまりに突然で、まだ気持ちの整理はついてない。 ただ、悲しくて、辛くて。 忘れたい気持ちはあるけれど…… それでも、ずっと覚えているよ。 だから、僕たちのことをずっと見てて欲しいんだ。 君が見せてくれた太陽のような笑顔を胸に 君の分まで、みんなと一緒に頑張っていくから。 その日もまた、エンジュシティは穏やかに流れる時間の中にあった。 ジョウト地方の北部に位置する、古風な街並みが色濃く残っているその街が、僕の生まれ故郷。 人生の節目を迎えてきた場所でもあるけれど、今となってはそれがなんとなく嬉しく思える。 近代的な他の街とは違って、萱葺き屋根や木造建築の建屋が多く残っていることから、 文化的な価値は非常に高いって聞いたことがあるけれど、この街に生きる人にとって、そういった外からの評価は何の意味もなさない。 どこからか琴の音が流れ、あまり整備されていない砂利道を行く着物姿の芸者も相まって、時代劇でよく見られるワンシーンの出来上がり。 だけど、これはエンジュシティでは生活の一部。和のこだわりを感じさせる街並みは、僕にとって心の安らぎそのものでもあった。 心落ち着く風景が広がるエンジュシティの北側に、本殿の他に別棟も設けられた、旅館を思わせる佇まいの建物がある。 エンジュジム。 ポケモンリーグから公式に認められた、リーグバッジを管理するポケモンジムである。 僕は今日も、ジムのバトルフィールドでいつものように仕事をこなしている。 ……というより、たった今終わった。 ポケモンがいくら暴れても壊れない丈夫なバトルフィールドに立ち、 ファントムバッジを賭けて挑戦者とのバトルを繰り広げたんだけど、たった今決着がついた。 僕のゲンガー……ミコトが放った10万ボルトが、相手のポケモンをノックアウトしたんだ。 審判が旗を振り上げ、僕の勝利を告げる。 「アリゲイツ、戦闘不能!! よって、ジムリーダーの勝利です」 「そんなぁ……」 ファントムバッジをゲットしようと意気揚々とやってきただけあって、なかなかの実力の持ち主だったけど、 負けが確定するや否や、深々とため息なんて漏らしながらがくりと肩を落とした。 最後のポケモンがまずかったんだろうな……僕はミコトをモンスターボールに戻しながら、そんなことを考えていた。 もしこれがメガニウムだったりしたら、話はもう少し変わってきていたんだろうけど……まあ、今さら詮無い話だけど。 いつまでもガックリしてもらっても困るんで、 「もう少し頑張れば、いいところまで行ってたと思うよ。次を期待してるからね」 僕なりに気を遣ってみた。 全力でバトルしただけあって、後悔はしていなかったんだろう。相手のトレーナーは顔を上げると、ニコッと笑ってくれた。 「次は負けないから!! また来るよ!!」 「ああ、待ってるよ」 声を大にリベンジを誓い、相手が踵を返してフィールドを飛び出していったのを見届けてから。 僕は審判に向き直った。 「これで僕の分は終わりだよ、姉さん」 「そうね。しばらくはゆっくりと羽根でも伸ばしてらっしゃい」 僕の言葉に、審判――姉さんは満足げに微笑んだ。 ジムリーダーとしての働きぶりが板についてきたと、満足してくれているんだろう。 そう。僕はジムリーダー。エンジュジムのジムリーダーなんだ。 だけど、僕と姉さんが交代でジムリーダーを務めている。 僕がジムリーダーを務めている間は姉さんが審判を、姉さんがジムリーダーの時は僕が審判というように、 ジムリーダーと審判を交代で務めているんだ。 ジムリーダーの試験に合格し、新人研修が終わって早一月。 ジョウトリーグ出場を目指す挑戦者(トレーナー)が、ポケモンリーグから預かっているリーグバッジを渡す相手に相応しいかどうか、 日々ジムリーダーとして挑戦を受けているんだ。 時々、運が悪くて負けることがあるけれど、その運の悪さも僕の実力の至らないところ。 決して、不運で負けたなんて思わない。 つまらない言い訳をしたって何の意味も無いし、むしろ逆効果でミジメ。 自分の欠点を素直に認めて、次も同じことにならないよう、頑張っていかなきゃいけない。 それが、新人研修で耳にタコができるほど、教官に言われたことだった。 まあ、それを言われようが言われまいが、ジムリーダーとしての方針に変わりはない。 つまり、挑戦者がどんな相手でも全力でぶつかっていくってことさ。 初心に帰ってそんなことを思っていると、姉さんが肩を軽く叩いてきた。 「みんな、あなたがジムリーダーの仕事終わるの待ってるわよ。早く行ってあげなさい」 「ああ、そうするよ」 僕はその言葉に素直に甘えることにした。 とりあえず、僕の分は終わった。次からは姉さんがジムリーダーとして挑戦者を迎え撃つんだ。 ミコトのモンスターボールを腰に差し、バトルフィールドを出る。 ジムの本殿がバトルフィールドで、廊下で東西に繋がってる別棟が、僕たちの住居。 ポケモンジムは例外なく、バトルフィールドと、ジムリーダーやその家族の住居がセットになっている。 でも、僕はバトルでいい汗流した後でも、東の別棟にあるシャワーを浴びに行ったりはしない。 熱いシャワーで汗を流すって言うのも悪くないんだけど、それよりも楽しみなことがあるから。 バトルフィールドを出て、青々と芝生が生い茂る庭に繰り出す。 その時だった。 「キェェェェェェェェェェェェッ!!」 けたたましい鳴き声が空に響いた。 おや……もうお出ましか。僕が出てくるの、待ってたかな? そう思いながら顔を上げると、青空に浮かぶ翼ある影を見つけた。 矢のような勢いで急降下してくるそれは、プテラっていうれっきとしたポケモンだ。 岩のような質感を持つ灰色の身体と、目いっぱい広げれば、左右合わせて二メートル近くなる翼。 口の中にズラリ生え揃った、ノコギリのような鋭い牙が特徴のポケモンなんだ。 プテラ……僕の家族の一員で、名前はプッチー。 他のポケモンも庭に放しているけれど、ジムリーダーの仕事が終わって一息つくために外に出る時、 毎回真っ先に僕のところに飛んでくるのがプッチーなんだよ。 急降下するプッチーだけど、地上に激突するほどマヌケじゃないから、寸前に勢いを落とし、翼をたたんで僕の目前に降り立った。 「キェッ!!」 「元気そうだね、プッチー」 元気いっぱいなプッチーの頭を、そっと撫でると、とっても嬉しそうな顔を見せてくれた。 翼を広げて空を翔ける姿は、近くで見ればそれ相応の威圧感を放つんだけど、 こうして僕の前でニコニコしている顔を見ていると、そんなことさえ忘れてしまう。 プテラは一応、恐竜時代に生きていたポケモンで、非常に獰猛とされていて、恐竜時代の終焉と共に絶滅したって言われてる。 だけど、現代科学の粋を結集させ、琥珀に残っていた遺伝子から蘇ったのがプッチーなんだ。 でも、それがどういうわけかタマゴから産まれて、僕はその瞬間に立ち会っていた。プッチーが最初に見たのが僕だったんだ。 タマゴの世話は僕がやっていたから、プッチーのことは他のポケモンと違って、本当の意味で家族だって思える。 見方にもよるけど、息子って感じもしないわけじゃない。 もちろん、結婚なんてしちゃいないけどさ。 でも、なんていうか…… 本当に、恐竜時代に生きてたとは思えないくらい、プッチーは人懐っこいんだ。 恐竜時代と現代の環境が明らかに違うから、ということもあるんだろうけど、僕がいろいろと面倒を看てきたからだろう。 産まれたての頃は、手のひらに乗るくらい小さくて、かわいい声で鳴いては僕に食べ物をねだってた。 スーパーで売ってる肉を、飲み込みやすい大きさに切ったりして与えていたんだ。 反面、小さな身体からは想像もできないほど食欲旺盛で、時には僕の一日の食事量を一食で平らげてしまうこともあった。 もっとも、それだけの食欲があったからこそ、空の王者と呼ばれるに相応しい体格に育ったわけだけど。 「キエッ!!」 プッチーが一声嘶く。 本当に恐竜時代に生きていたら、こんな陽気な性格じゃいられなかったんだろうなあ…… そう思うと、なんだかほのぼのと思えてくるよ。 「やっぱり君が一番だ。他のみんなは離れた場所でゆっくりしてるみたいだな……」 周囲を見渡すけれど、ポケモンの姿はない。 一番乗りの皆勤賞を続けるプッチーにも、ご褒美をあげなきゃいけないだろうか。 「よし、あの場所に行こうか。あそこに行けば、みんなもやってくるだろうし」 「キェッ!!」 僕の言葉の意味を完全な形で理解しているとは思えないけど、僕の気持ちに反応してるんだろう。 プッチーは大きく嘶くと、翼を広げた。 広げた翼を打ち振って、ゆっくりと飛び立つ。 僕の目線と同じ高さでピタリと止まった。 さすがはプテラ、細かいところは器用なんだ。恐竜時代で生きていた頃の名残っていうんだろうか。 感心しつつも、僕はプッチーを伴って、庭を歩き出した。 時折吹き付ける涼風が心地良い。 西のアサギシティや南のコガネシティじゃ、こんな風に、草の匂いのする風なんて吹かないだろう。 むしろ埃臭くアスファルトのきつい臭いがもれなくついてきそうだ。 そもそも、都市の喧騒もエンジュシティにとっては無縁のシロモノ。 「姉さんのことだから、また飽きないわねって言うんだろうけど……それでもいいんだ」 エンジュジムの敷地は広いけれど、僕が休みの間に行く場所はだいたい決まってる。 だから、姉さんは呆れたような顔で、飽きないわねって言ってくる。 悪気はないんだろうけど、善意もないんだろう。物好きな……と思ってるだけだ。 まあ、僕は好きで行くんだから、何を言われたってそんなに気にならないよ。 敷地に建つのは、本殿と別棟の住居だけじゃない。 ちょうど真ん前に、高くそびえている塔がある。 敷地の東端に位置するその場所に建つ塔は、数百年前に建てられたもので、名を『鈴の塔』と言う。 ポケモンを眠りにつかせるための塔と言われていて、いろいろと伝説にもなっているらしいんだ。 僕はこれでもポケモンの伝説とかにはいろいろと興味があって、旅をしていた頃にはいろいろと調べていたりもしたんだけど、 ジョウト地方にはホウオウと呼ばれるポケモンが伝説として残っている。 一回だけ会ったことがあるけど、すごく神々しくて、まさに『鳳凰』と謳われるだけのことはあると思った。 一年以上前のことだけど、それっきり会えなくなった。 伝説とされているポケモンと、そう容易く出会えるはずはないんだけど、 まあその時はいろいろとあったから、結果的に運良く出会えたってことなんだけど…… それはともかく、虹色に輝く神々しい姿は、一度見たら絶対に忘れられない。 敷地の西端にも、かつては鈴の塔と同じくらいの高さの塔が建っていたんだけど、二百年くらい前に雷に打たれて、 一階部分だけを残して完全に焼け落ちてしまっている。 そっちは鐘の塔と言われていて、ポケモンを目覚めさせる塔だとされてるんだ。 鈴と鐘という、一対を思わせるものの名を冠する二つの塔。 僕が知ってる限りだと、二つの塔は、ポケモンと人間の友好を願って建てられたと言われてる。 それぞれの塔の頂には、ポケモンが棲んでいたんだ。 僕がこれから向かう鈴の塔にはホウオウ。 いまや焼け落ちて見る影もなくなってしまった鐘の塔に棲んでいたポケモンは分からない。 記録にも残っていないから、こればかりはどうしようもないけれど、 ホウオウと肩を並べるほどのポケモンだったのは間違いないと思う。僕の仮説だけどさ。 そのポケモンとホウオウは、二百年ほど前、塔からいなくなってしまったんだ。 ホウオウの方は原因が分からないんだけど、もう片方は、鐘の塔が落雷によって火に包まれた時にどこかへ飛んでいってしまったらしく、 それ以降の消息は不明になっている。 伝説として残っているポケモンは、その二体だけじゃない。 鐘の塔が火に包まれたその時、名もない三体のポケモンが生き絶えたと言われているんだ。 スイクン、エンテイ、ライコウというポケモン。 でも、そのポケモンたちを、空から舞い降りたホウオウが蘇らせたと、文献に残されているんだ。 そのような伝説が残っている鐘の塔、鈴の塔が好きなんだ。 鈴の塔は完全な形で残っていて、僕はヒマがあれば入り浸ってる。 安らかな気持ちになれるのと、伝説の一端に触れてみたいという好奇心から。 今回も同じ。 「みんな、あっちにいるのかな?」 家族として暮らしている他のポケモンたちは、思い思いの場所でのんびりしていることだろう。 もしかしたら、プッチーの鳴き声を合図に、鈴の塔に集合していたりして…… そんなことを考えて、僕は思わず苦笑した。 もしそうだったとしても、そうじゃなかったとしても。 「プッチー、ちょっと急ごうか」 「キェェッ!!」 僕は言葉で合図を出すと、駆け出した。 耳元から、プッチーの翼の音が消える――けれど、それも一瞬だった。 スピードアップした僕に合わせて、プッチーも滑らかに翼を空に滑らせてくれたから。 青々とした草を踏みしめながら、颯爽と行く。 ほとんど毎日のことだけど、それがとても嬉しいんだ。 風を感じながら走っていくうち、僕たちは鈴の塔の前にたどり着いた。 漆喰の壁と慎ましい佇まいが印象的な鈴の塔。 重機や鉄筋やコンクリートのない時代に建てられたとは思えないくらい、つくりはしっかりしていた。 木造でも、適切に柱や梁を組み合わせれば、鉄筋の建物に勝るとも劣らないだけの強度を備えることができる。 現に、建てられて数百年が経つけれど、ちょっとした補修をしたくらいで、大規模な建て替えや基礎の造り替えはただの一度も発生していない。 昔の建築家の技量の高さが垣間見えるよ。 「やっぱり、いつ見てもいいなあ……」 ため息混じりに塔を振り仰ぐ。 一直線に天へと向かってそびえる塔は、ホウオウがかつて棲み家としていたことを窺わせるように、荘厳な雰囲気に満ちていた。 扉の前の石段に腰を下ろし、そんな雰囲気を満喫するように深呼吸する。 あー、落ち着く。 傍らに降り立ったプッチーも、僕の様子を見て、マネをしてくる。 翼を広げ、目いっぱい大きく息を吸い込んでるんだろう。 でも、端から見ると、単に息巻きながら翼を広げて踏ん張ってるようにしか見えないんだけど…… まあ、本人は僕のマネをしているつもりらしい。 やっぱり、僕のことを親だと思ってるんだろうか? いろいろと僕のマネをしたり、チョコチョコついてきたり、甘えてきたり。 本当に恐竜時代に生きていたのかとさえ疑いたくなってくるほど、プッチーはとにかく人懐っこい。 反面、ポケモンバトルでは、恐竜時代に生きていたと証明するかのような、激しい攻撃で相手をノックアウトする。 キレのある動きと、力強い攻撃。スピードとパワーは備えているけれど、持久力や防御力はちょっと弱め。 恐竜を相手に、悠長に長期戦を構えていられるほど身体的に強くなかったものだから、その分攻撃力と素早さが鍛えられていたんだろう。 プッチーは何度も何度も僕のマネをしているけれど、足元がぴくぴくと小刻みに震えている。 「プッチー、無理するなよ。怪我しても、知らないよ?」 「キエッ!? キェェッ……」 さり気なく言葉をかけると、プッチーは翼を広げた体勢のままで、凝り固まってしまった。 ふぅむ……どうやら、注意されたと思ってしまったらしい。 別にそんなつもりはなかったんだけどな。 いや、本当に怪我されると困るから、母親が子供にさり気なく言うつもりで言葉をかけたんだけども。 まずいことをしてしまっただろうか? プッチーはそんなに表情を変えたりしているわけじゃない。 でも、なんていうか、何か訴えかけるような上目遣いの眼差しが、妙に胸にぐさっとナイフのように突き刺さるんだ。 子を持つ親の大変さや苦労する気持ちがなんとなく理解できたような、理解できなかったような…… 「…………」 無言で見上げてくるプッチー。 僕からの言葉を待っているのか、それとも…… 判断に迷っていた、その時だった。 ドドドド…… 地平から重く響き渡るような音が、かすかに身体に這い上がってくる振動と共に聞こえてきた。 これは、もしかすると……いや、もしかしなくても……耳を澄まし、音の聞こえてきた方に顔を向ける。 「やっぱり……」 西の方角から、土煙が迫ってくる。 もちろんそれは、ただの土煙なんかじゃない。 「エンディのヤツ、毎日飽きもせずによく走ってるなあ。 でも、それ言ったらプッチーも同じか……」 僕は迫り来る土煙……じゃなかった、土煙をバックに引き連れながら駆けて来るポケモンを見やりながら、小さくため息を漏らした。 プッチーが毎日空を悠々と飛びまわっているように、凄まじいスピードで土煙など上げながらやってくるポケモン――ウインディのエンディも、 毎日ジムの敷地やら街中やら街の外やら、飽きることなく駆け回ってるんだ。 ジム戦じゃあ、ジムが専門とするゴーストタイプ以外のポケモンを使えないから、ミコト以外のポケモンは必然的に出番はなくなってしまう。 だから、ヒマを持て余してしまうのも分かるんだ。 僕としてもそういうのがストレスにならないよう、それなりに気を配ってるつもりなんだけど、 エンディやプッチーは自分で考えて、ストレスを発散している。 まあ、動き回らなくてもストレス発散をできるポケモンだっているから、それはそれって感じもしないわけじゃないけど…… 「よし、出ておいで、ミコト!!」 僕はミコトのモンスターボールを引っつかみ、軽く頭上に放り投げた。 青空に吸い込まれそうになるボールが、一番高いところで口を開くと、中からミコトがパッと飛び出してきた。 「ゲンガーっ……」 黒い影を思わせる、ずんぐりむっくりした身体。 シャドーポケモンと呼ばれるゲンガーはみんなそんなものだけど、ミコトが浮かべた笑みは、 ゴーストポケモンとは思えないほど明るく(?)輝いて見える。 エンジュジムで育った僕が、ゴーストポケモンの扱いに一番慣れているのは当然だとして、 もしかするとそういった贔屓目があるのかもしれない。 なんて思いつつ、 「ミコト。さっきはありがとう。おかげで勝てたよ」 さっきのバトルで頑張ってくれたことを素直に労った。 ダメージは少し受けてるけど、かすり傷に毛が生えたようなシロモノ。 ミコトからすれば、ダメージらしいダメージでもないんだろう。 「バウっ!!」 僕の考えがミコトに行っていることに気づいてか――僕はそうじゃないことを祈っているけれど――、 土煙をバックに、文字通りの神速でやってくるエンディが咆えた。 ポケモンって人間の数倍……いや、数十倍は鋭いから、意識しなければ気づかないようなちょっとした表情の変化とかでも、 相手の心情がどういった状態なのか、分かってしまうのかもしれない。 隠し事なんてそうそうできないってことだろうかと思っていると、エンディが急ブレーキをかけ、僕の眼前で止まった。 絶妙なブレーキ加減……さすがに慣れた様子で、得意気な笑みを浮かべていたりするけれど、僕にとっての問題はそれからだった。 ぶおっ!! 猛烈な土煙が一気に吹きつけてきた。 「キェッ!?」 「ゲゲッ!!」 僕は心の準備ができてたから、軽く目を閉じて息を止めていればよかったけれど、プッチーとミコトはそうも行かなかった。 突然やってきた土煙を思い切り吸い込んだのか、驚いている。 パチパチと頬を叩く感覚が止んだのを見計らい、小さく息を吸う。 問題ないことを確認してから、ゆっくりと目を開いた。 「バウっ!!」 ――さっすが〜♪ 目の前で、エンディが屈託のない笑顔を振り撒いている。 「エンディ。走り回るのはいいし、僕だけなら別に何も言わないけど、プッチーやミコトが咳き込んじゃってるよ。 できればこういうことはしないように」 悪気はなさそうなので、僕の方から釘を刺しておいた。 僕よりも身体大きいけど、無邪気というか、恐れを知らないというか……とにかくヒマがあればあっちこっち走り回ってるんだ。 ウインディは一日に一万キロ走ることもあると言われてるから、たかだか数百キロなら造作もないんだろうけど。 むしろ、ジムの敷地が狭いのを申し訳なく思うよ。 「キェッ!! キェェッ!!」 「ゲンガーっ……」 僕はちょっとくらい土煙浴びたっていいけど、プッチーやミコトはそうもいかない。 プッチーは翼を打ち振りながらけたたましく鳴き声をあげ、ミコトはミコトで、元から意地悪げに見える目をさらに尖らせて抗議している。 いくらエンディが家族同然の付き合いでも『笑って許して♪』とは行かないんだろう。 まあ、当然だと思うけど。 だけど、そんな二人の抗議は、エンディの背中にちょこんと座っているポケモンの金切り声(……だと思う)にかき消された。 「フィーッ、フィフィーッ!!」 ロデオよろしくエンディの背中にまたがって、彼と一緒にやってきた、エーフィのフィーネだ。 トレードでゲットしたポケモンで、箱入り娘のお嬢さまといった印象が強い。 今でもそうだけど。 フィーネはエンディのことが好きで、たぶん異性として認識しているんだろう。 だから、エンディが責められているのを見て、放っておけなかったんだ。 単に、プッチーとミコトのことを非難しているようにしか見えないんだけど、それはそれで仕方がない。 好きな人のためなら何とやら……ってヤツだ。 そんなフィーネの気持ちを理解しているのか、プッチーもミコトもそれ以上は何も言い返せなかった。 とりあえず、これでエンディの土煙騒動は終わった。 あー、無意味なまでに長かったぁ。 この程度の衝突は日常茶飯事……とまではいかないけど、時々はある。 僕がいない時は、本気で果し合い直前まで行くこともあるらしいけど、ジムの敷地でそんなことをすれば、 僕はともかく姉さんから大目玉を食らう。 一応、庭の管理は姉さんがやってるから。 僕より姉さんの方が据えるお灸はキツイからね。 それはさておいて。 集まったのはミコト、プッチー、エンディ、フィーネだ。 「ギラースとアンクとクレアは? 別のところでノンビリしてるのかい?」 僕はエンディに訊ねた。 エンディはとても賢く、僕の言葉をちゃんと理解できるんだ。 所狭しとジムの敷地を駆け回っていれば、ここにいないポケモンのことだって目にする機会が多いと思って訊いたんだけども…… 「バウっ、バウっ」 エンディは大きく頷いた。 プッチーの召集令状(?)に応じず、マイペースに時間を過ごしているポケモンがいても、それはそれでいいんだけどさ。 何も、みんなに会わなければ死にそう……と思ってるわけじゃないし。 決まった時間にはちゃんとご飯を食べに来るから。 でも、いないのはちょっと残念だな。 今から呼びに行くのも気が引けるし、ここはそっとしといてあげよう。 ちなみに、ギラースは力自慢だけどどこか照れ屋なバンギラス。 アンクは樹液さえあれば何でもオッケーのヘラクロス。 クレアは控えめで、日向ぼっこならぬ日陰ぼっこが大好きなペルシアンだ。 「さて……エンディもフィーネも元気みたいだから、何よりだよ。 元気が有り余ってて困るくらいかな?」 僕はエンディとフィーネの頭を順に撫でながら言葉をかけた。 エンディは元からだけど、ミコトとプッチーの二人を相手に一歩も退くことなく睨み合っていたフィーネも、快い表情で応じてくれた。 どうやら僕にも好意を寄せてるみたいだけど、やっぱり本命はエンディなんだろう。 何かとエンディについて歩いている。恋人気分を満喫しているのは間違いない。 そういう感情を抜きにすれば、僕にいろいろおねだりしてくるプッチーと似てるけど。 さて、人数もそこそこ揃ったことだし、いろいろと話そう。 せっかくプッチーが召集をかけてくれたんだから、いろいろとやらないことには始まらない。 「エンディもフィーネも、僕がジムリーダーやるようになってから、結構退屈してるだろう? ごめんね。本当はみんなもジム戦に出してあげたいんだけど……」 ミコト以外のみんなは、ヒマを持て余してるんだって思う。 旅をしていた頃は、みんな分け隔てなくバトルに出して、あれこれ活躍させてあげていたんだけど、ジム戦となるとそうもいかない。 ジムの専門とするタイプを、そう易々と変えるわけにはいかない。 姉さんやポケモンリーグ・ジョウト支部に掛け合ってみるのもいいんだろうけど、十中八九却下される。 とはいえ、このままじゃいけない。 ミコトだけ贔屓するようで、他のみんなに申し訳ないんだ。 「バウゥっ……」 「フィーっ……」 僕が本当に申し訳ないと思っていることを察してくれたんだろう。エンディとフィーネが声を揃えてきた。 「キェェッ!!」 対照的に、プッチーは元気に嘶くと、翼を広げて飛び立った。 気にしてないよ、そんなこと。 優雅に飛び立つその背中が、そう言いたげに見えたのは気のせいだろうか? まあ、プッチーはバトル自体、あんまり好きでも嫌いでもないだろうし、エンジュジムのバトルフィールドはそもそも、 エンディやプッチーといったスピードに優れる大型のポケモンが自在に動き回れるようにできていない。 気にしない方がいいんだろうけど…… あーあ、いっそ休みでももらって、またしばらく旅に出ようかな…… 海を隔てた南方――ホウエン地方には、僕の知らないポケモンがたくさんいるって話だし、そこにはさらなるポケモン伝説があるんだろう。 何気に興味をそそられるところなんだよな。 旅に出れば、他のみんなをバトルで活躍させることができるけど、それが簡単に行かないってことも分かってるんだ。 ちょっと前までは、ジムリーダーになろうなんて露ほども思ってなかったけど、まあいろいろとあって、 僕の方から頼み込む形でジムリーダーにしてもらったんだ。 だから、そうした手前、今さら旅に出たいと言うわけにもいかない。 自分で撒いたタネだって言われちゃえば、その通りなんだけど。 とはいえ…… けたたましく鳴き声を上げながら優雅に空を飛びまわるプッチーの姿を見ていると、なんだかつまらないことを考えているなあ、 っていう気になる。 何も、今の生活に不満を感じているわけじゃあない。 物足りないところはあるけれど、それでもそれなりに充実感は抱いてる。 「まあ、みんなの分までミコトが活躍してくれてるからね。それ以上は言わないことにするよ」 「ゲンガーっ……」 その通りだ、と言わんばかりに頷くミコト。 ずんぐりむっくりしたシルエットではあるけれど、基本的には人の形と酷似しているから、妙に人間臭い仕草に見えてくる。 僕が子供の頃からずっと一緒に過ごしてきたわけだし――もちろん、最初はゴースだったけど――、 僕の何気ない仕草をずっと見てきたわけだから、そこのところで何らかの影響を受けたとしても不思議じゃないんだけどさ。 ジム戦ではミコトに任せるわけしかないんで、みんなの分まで頑張ってるっていう気になってるんだろう。 まあ、事実その通りなんだけど。 「キェェッ、キェェッ!!」 我関せず。 という言葉がよく似合いそうだ。 僕はプッチーを見上げながら、そんなことを思った。 まあ、プッチーは空を自由に飛びまわればそれでいいんだって表情してるけど、それもまたその通りなんだろう。 「ゲンガー、ゲンガーっ……!!」 プッチーの陽気さに何気に癒されていると、ミコトが服の袖を引っ張ってきた。 「ん。なんだい、ミコト?」 「ゲンガーっ……」 ミコトは鈴の塔のてっぺんを指差した。 傘のような屋根を見上げながら、問いかける。 「もしかして、登りたいの?」 「ゲンガー……」 そうだと言わんばかりに、ミコトがはしゃぎ出す。 そういえば、登ったことなんてなかったんだよな……ほら、僕やこのジムの人間にとっては、この塔は神聖だっていうイメージがあるから。 中に入ったことはあるけれど、それはあくまでも一階部分。階段を登ったりしたことはないんだ。 どうやらミコトは、ほとんど毎日ここに来るのにどうして登らないのか、と疑問に思っていたらしい。 まあ、分からなくもないんだけど。 「ちょうどいい機会だし、登ってみようか」 この塔を棲み家にしていたホウオウはどこかに飛んでってしまったし、登ったとしても誰の怒りを買うこともない。 みんなも、この塔のてっぺんから見る景色を満喫したいのかもしれない。 他のポケモンも呼んでこなきゃいけないのかとも思ったけど、みんなでゾロゾロっていうのも、なんだかマヌケだ。 どうせだから、エンディとフィーネとミコトを連れて登ってみることにしよう。 「よし、登ろう!! 一度くらい登ったって罰は当たらないし、どうせヒマだからね」 「ゲンガーっ!!」 「バウっ!!」 「フィ〜っ♪」 僕の言葉に、みんなして目を輝かせ、諸手を挙げての大賛成(?)。 プッチーが目いっぱい翼を広げて飛ぶほどのスペースはないだろうから、プッチーには外から飛んできてもらうしかないけれど、 わざわざ話さなくても僕の気配を追いかけてくれるだろう。 石段から立ち上がり、僕は塔の扉を開いた。 エンディや他のみんなを放してあるジムの敷地に不法侵入してくるような度胸のあるヤツはいないだろうから、鍵はかけていない。 昔使っていたような錠前が倉庫にあったような気がするけれど、 それをいちいちつけなければならないほど大切なものを隠しているわけじゃないからね。 観音開きの扉を開け、木目調の床が敷き詰められた塔の内部へと踏み込む。 「重要な建物だから、体当たりとか火炎放射とかぶっ放さないように。いいね?」 一旦立ち止まり、振り返ってからみんなに注意をする。 みんなそれなりに分別を持ち合わせてるから、たぶん大丈夫だとは思うんだけど、それでも念のため。 みんな僕の気持ちを察してくれているんだろう、小さく頷き返してくれた。 よし、一安心!! どうでもいい確認のような気がしないわけじゃないけど、一応僕もエンジュジムの人間だ。最低限のことはしておく必要がある。 それこそこじ付けがましいんだけどね。 まあ、それはともかく。 中に入るのはずいぶんと久しぶりだ。いつもは外の石段でノンビリ佇んでるんだけど、今日はジム戦で快勝したこともあって、気分がいい。 塔を支える支柱を迂回するように奥に進んでいくと、木でできた階段が見えてきた。 ずいぶんと年季が入っているらしく、茶色に染まっているけれど、それでも艶があって、どことなく上品で洗練されたように見えてくる。 これもまた気分がいいおかげだろうと思いながら、階段を登る。 二階は一階と同じ構造で、一階から天辺までぶち抜かれた支柱の向こう……一階からすれば入り口側に、次の階への階段がある。 エンディたちが急がなくて済むように、僕自身がゆっくりとした足取りで歩いていく。 物理攻撃に長けていないフィーネやミコトはともかく、神速なんて技まで使えるエンディがまともに走れば、この塔は簡単に壊れてしまうだろう。 さすがにそれだけはまずかったんで、やむを得ない。 三階、四階と階段を登っていくと、格子状の窓の向こうで、プッチーが優雅に羽ばたいているのが見えた。 僕の気配を追って、外から登っているんだ。 気持ちって通じるんだなあ……って思ったよ。 ポケモンが人間の数十倍から数百倍も敏感であることを考えれば、それは当然のことかもしれないんだけど、それでもすごいって思った。 「バウぅ?」 七階に差し掛かったところで、エンディが不意に声をあげた。 僕は立ち止まって振り返った。 何もない時は基本的に何も言わないんだけど、だからこそ一言の重みでも感じられる。 「どうしたんだい、エンディ?」 「バウっ、バウっ」 訊ねると、エンディは窓の向こうに目を向けたまま、小さく何度か咆えた。 窓の外……? 気になって視線を追ってみるけれど、プッチーが悠々自適に空を飛んでいるばかり。 他に変わったところは見当たらないけど。 「エンディ、何にもないよ?」 「バウぅ……」 少なくとも僕には何も感じ取れなかった。 それくらいの些細な何かでも、エンディなら感じ取れるのかもしれないけど……僕が感じ取れないのなら、些細なことかもしれない。 エンディは別に僕を困らせようと声をあげたわけじゃないんだ。 それは僕がよく分かってる。 エンディは「なんで信じてくれないの?」って言いたげな顔を見せてたけど、すぐにいつもどおりの得意気な表情に戻った。 気のせいかもしれないと思ったんだろうか。 フィーネとミコトは何も感じてなかったみたいだし、気のせいだったのかもしれない。 気を取り直し、再び塔を登る。 十階建ての塔の頂上は、櫓のようになっていた。 十階の階段は今までと違って螺旋状に設けられていて、天蓋を開くと、そこが頂上。 「わーっ……」 長年風雨にさらされながらも、その傷みを感じさせない重厚なつくりに、僕は思わず感嘆してしまった。 磨き抜かれたように艶を放つ床と、縁から斜めに垂れ下がった屋根。 屋根の上にいるわけだけど、やっぱり地上数十メートルから見る外の景色は格別だ。 エンジュシティを一望でき、さらに南の道路や、コガネシティの高層ビルまで見渡せる。 東と北はジョウト地方を囲む山脈の一部が、西にはアサギシティへと繋がる道と、その両脇に広がる広大な森。 地上にいたのでは絶対に見ることのできない、素晴らしい自然に彩られた景色。 それが眼下に広がっているんだ。感動しないわけがない。 「さすがにこれはキレイだねえ……」 「ゲンガー……」 僕が思わず漏らした一言に、ミコトが応えた。 ポケモンの目に、この景色はどう映っているんだろう。 こればかりは僕にも理解しようがないけれど、きっとキレイに映ってるんだって思いたい。 そういえば、僕が以前旅に出た時は、エンジュシティの南側……コガネシティへと続く道から外に出たんだ。 ずいぶん前のことなのに、昨日のことのように思い出せるよ。 旅を通じて、僕は僕のことを知り、そしてみんなのことも知った。 姉さんや、先代のジムリーダーだったマツバ曾じいちゃんのこととかも。 今の自分があるのも、旅を通じて一回りも二回りも成長したからだって思える。 旅先で出会った大切な仲間たち。 みんな、元気にしてるんだろうな……なにせ、僕よりも元気いっぱいな人たちばかりだったから。 そうやって旅をしていた頃に想いを馳せていると、プッチーが塔の周囲を飛び回っているのが見えた。 「キェェッ!!」 鳴き声を上げながら、気持ち良さそうに飛び回っている。 プッチーが生まれたのは、一度旅から戻ってきてからのことだった。 一時帰宅という形で、まあいろいろとあったんだけど、それなりに落ち着いていた時期だった。 タマゴの世話は誰の手も借りず、僕と僕のポケモンたちだけで行った。 炎タイプのエンディの身体は暖かいから、僕が用事で手放せない時には、エンディに暖めてもらっていた。 固い殻を自分で少しずつ割って外に出てきてくれた時の、円らな瞳と、プテラとは思えない小さな身体。 今でもくっきりまぶたの裏に焼きついてるんだ。 恐竜時代じゃ、無邪気な笑顔なんてとてもじゃないけど浮かべていられるだけの余裕なんてなかったはずだ。 現代と環境が思いっきり違って、恐竜と戦っていかなくてもなんとかなるからこその余裕なんだろうけど……それでもまぶしかったよ。 「キェェェェェェッ!!」 なんて微笑ましい気持ちで見ていると、プッチーがけたたましい鳴き声と共に口を大きく開き、口から破壊光線をぶっ放した!! って…… 「プッチー、いくらなんでもちょっと……!!」 声を上げて抗議したけれど、破壊光線が発射された際の轟音にかき消されてしまった。 あー、なんていうか…… 無邪気なのはいいとして、あんまり外でそういった技をぶっ放してもらいたくないんだよな。 プッチーのことはみんな知ってるから、あんまりいい気分はしないんだよね。 破壊光線は空へと向かって一直線に伸び、突き進むうちに徐々に細くなって、やがて糸が切れるようにプツリと消えてなくなった。 何もないところに放つなら、まだいい方か。 どこかのリザードンみたく、じゃれあうつもりで火炎放射をトレーナーにぶっ放すなんて類じゃないだけマシか。 「困ったなあ……」 プッチーはエネルギーチャージが終わると、またしても破壊光線をぶっ放した。 ジム戦を勝利で飾った僕と同じで、気分がいいんだろうか。 むやみに技をぶっ放すなんて、本当は叱るべきところなんだろうけど、被害が出てないということもあるから、大目に見よう。 親の贔屓目なんだろうなあ……って思って苦笑した。 「プッチー、あんまり無理しないでよ」 破壊光線は体力の消費が激しい技だから、そうそう連発できるものじゃない。 今のプッチーなら十発くらいならなんとか放てるんだろうけど、あんまり無茶はして欲しくない。 そう思って言葉をかけたんだけども…… ――直後、信じられないことが起きた。 普段なら、プッチーは僕の方を向いて大きく嘶くところなんだけど、今回は違った。 羽ばたくのを止めたかと思うと、がくりと頭を垂れて、そのまま一直線に急降下を始めたんだ。 下になった頭。顔が一瞬のぞく。どこか苦しそうに見えた。 「……!?」 普通じゃない……!! 全身が粟立つような感覚に、僕はエンディに向き直った。 あれは急降下というより、急激な落下……恐らく、プッチー自身の意志で行われたことじゃない。 「エンディ、僕を乗せて飛び降りて!! フィーネ、地面に近くなったらサイコキネシスで緩やかに着地させてくれ!!」 「バウっ!!」 「フィーっ!!」 「ミコトとフィーネもエンディの背中に乗って!!」 僕は三体のポケモンに矢継ぎ早に指示を出すと、腰を低くしたエンディにまたがった。 フィーネとミコトが背に乗ったことを確認すると、エンディは一気に跳躍した。 背の低い柵を一気に飛び越え、斜め下に伸びる屋根に一度も脚をつけることなく、僕らを乗せたエンディがエンジュシティの上空に躍り出る。 躍り出たかと思ったら、今度は急激な落下が待っている。 ぐんぐん地面が迫る。 落下してゆくまま、ピクリとも動かないプッチーとの距離が詰まる。 地面に激突するかと思われた瞬間、落下が止まった。 フィーネがサイコキネシスでエンディの動きを一時的に制約し、急激な落下による勢いを殺す。 直後、何事もなかったように、ほんの数十センチのところから飛び降りたような、軽い衝撃と共に着地。 フィーネが気を利かせてくれたのか、プッチーにもサイコキネシスを放ち、地面への激突は避けられた。 地面に降り立つと、僕はすかさずプッチーに駆け寄った。 「プッチー、どうした!?」 地面にゆっくりと降り立った後、プッチーはそのままの状態で、バタバタと羽ばたいている…… というよりも、ひたすらもがいているようにしか見えなかった。 一体何がどうなっているんだ……? ワケも分からないまま、僕は翼をバタつかせてもがいているプッチーに駆け寄った。 羽ばたいているのに飛べない…… 僕にはそんな風に見えて仕方なかった。 とにかく、気を落ち着かせないことには、どうしようもない。 そう思って手を触れようとしたけど、思いのほか激しくもがいているものだから、それもままならない。 かといって、エンディやフィーネに任せるわけにもいかない。 どうやら、プッチーはまともに理性を働かせていないみたいなんだ。 僕だって分かれば、絶対に暴れるのをやめるんだけど、何らかの理由で理性を欠いている。 こういう時は…… モンスターボールに戻そうと、僕は少し離れたところでボールを手に、捕獲光線を発射しようとした。 刹那、プッチーが飛び上がり、けたたましい声で鳴き始めた。 「キェェェッ、キェッ、キェェェェェッ!!」 狂ったように、首を左右に振りながら、歪な飛び方をする。 何も目に入っていないかのようだった。 「プッチー、戻れ!! 戻るんだ!!」 僕はプッチーに向かって叫びながら、捕獲光線を発射した。 けれど、規則性のない飛行ルートを事前に予測するのは難しく、掠めてばかりだった。 それに、プッチーには僕の声が聞こえていないようだ。 くそっ、一体どうなってるんだ……!! 思うようにいかない苛立ちと、プッチーの身に起こった尋常ではない何かが、不安を掻き立てる。 こんな時にこそ冷静でいなければならないって分かってるのに、冷静さが掬った傍から指の隙間を縫ってこぼれ落ちていく。 「プッチー、僕の言うことを聞け!! 聞こえてるのか!?」 と、そこではじめて反応らしい反応が返ってきた。 プッチーは急旋回して僕の方を向くと、口を大きく開いて、破壊光線を放ってきた!! なっ……!! 何の前触れもなく破壊光線をぶっ放されて驚いてしまったけれど、とっさに身を避わす。 直後、破壊光線が先ほどまで僕が立っていた場所に突き刺さり、爆発を起こす!! 「プッチー、落ち着くんだ!!」 破壊光線をぶっ放した瞬間に捕獲光線を発射すれば良かったんだと気づくけど、それだけの冷静さを保てない。 「キェェェッ!!」 何かに憑り依かれた(とりつかれた)ような声を振りかざしながら、プッチーは僕目がけて自慢の石頭をぶつけようとしてきた。 なんか、本格的にヤバイんだけど!! プッチーがそうやって、いきなり僕に攻撃を仕掛けてくることなんてなかった。 恐竜時代に生きていたとはいえ、ちゃんとした理性はあった。 それなのに……いきなりこんな風になるなんて、一体何があったんだ!? プッチーの素早い動きについていくのは、人間の僕には難しい。 というより不可能だ。 プッチーが一直線に向かってくるのを見て、タイミングを計って捕獲光線を再び発射!! 「戻れ、プッチー!!」 モンスターボールに戻してしまえば、多少は暴れられてもなんとかなる。 ポケモンにとって居心地よく作られた場所でなら、少しは落ち着くはずだ。 一直線に伸びた捕獲光線はプッチーに触れた瞬間、その姿をモンスターボールに強制的に引き込んだ!! よしっ……!! 何がなんだかよく分からないけど、これは本格的に危険な臭いがする。 今までにない、狂ったようなプッチーの表情。 冷静に見られなかったから、正直あんまり覚えてはいないんだけど……プッチーの目が濁っていたように見えた。 気のせいだと言ってしまえばそれまでだけど、だからといって何事もなかったように思うことなんてできない。 モンスターボールに戻って、プッチーも落ち着いてくれたんだろう。 手にしたボールからかすかに振動が伝ってくるけれど、本当に暴れてるんだったら、振動なんて生温いシロモノでは済まない。 「ポケモンセンターでジョーイさんに看てもらうしか……!!」 こうなった原因は分からない。 ポケモン医療の専門家であるジョーイさんに看てもらうしかない。 「エンディ!!」 僕はエンディの背にまたがり、指示を出した。 「ポケモンセンターに向かって全速力でダッシュ!!」 「バウっ!!」 承知したと言わんばかりの声を上げて、エンディが駆け出す!! 突風が襲ってきたように感じられたけど、それは慣性の法則で僕の身体がその場に置いていかれそうになっただけ。 エンディの背中に乗ることは慣れているから、その程度のことで振り落とされたりはしない。 神速という、ものすごいスピードで動いて敵に攻撃を仕掛ける技を使えるだけあって、エンディの脚力はさすがの一言だった。 瞬く間に敷地を横切り、エンジュシティの街中に飛び出す。 突然大型のウインディが道に飛び出してきたものだから、通行人は驚いていたけれど、そんなことを考えるだけの余裕もない。 「プッチー……」 いきなりこんなことになるなんて思わなかった。 僕はプッチーのボールを握りしめたまま、何とも言えない気持ちを噛みしめるしかなかった。 じゃれ付くことはあっても、いきなり攻撃を仕掛けてきたり。 蚊やハエのようにフラフラと飛んだり、濁ったような目を向けてきたり…… 本当にどうなってるんだ、くそっ!! 苛立ったって仕方ないってことも分かってる!! でも、平常心を保っていられないんだよ!! 大事な家族の一員が、いきなり変なことになって。 もし、プッチーの身に重大な何かが起こっていたら……焦りや苛立ちは容易く心の中に不安を形作る。 「…………」 もし、プッチーが…… 異常な様子を見せ付けられ、あまつさえ攻撃されて……不安はあっという間に増長し、黒々とした花を咲かせた。 摘み取ったりむしり取ったり踏みにじったりしても、決して消えることはない。 不安が胸中を占めていくのを嫌でも感じているうち、エンディはポケモンセンターの前で脚を止めた。 碁盤の目のように東西南北に道が伸びている街の構造を熟知しているからこそ、最短距離でたどり着いたんだ。 「エンディ、戻って!!」 僕はエンディの背から飛び降りると、ポケモンセンターに向かって走りながら、振り返りもせずにエンディをモンスターボールに戻した。 一秒一瞬でも惜しい!! 自動ドアが開くまでその前に立ち止まっていることさえ苛立たしく思える。 ドアが開くと、スタートダッシュを決める短距離走者(ランナー)の如き勢いで駆け込む。 ロビーには何人かこの町出身のトレーナーがいたみたいだけど、一様に驚いた顔で振り向いてきた。 もちろん、僕の目にはそんなものなど入ってこなかったけれど、僕が普段は冷静で思慮深いという印象が定着しているようで、 血相変えて飛び込んできたのを見て唖然としていた。 僕はジョーイさんがいるカウンターに詰め寄ると、声を上げてジョーイさんの名を呼んだ。 「ジョーイさん!!」 奥の医務室に詰めていたジョーイさんも、僕が上げた声から鬼気迫るものを感じてか、真剣な表情で飛び出してきた。 「どうしたんですか?」 「僕のプッチーが……!! 何がなんだかよく分かんないんですけど、見境なく暴れたりしてて……えーっと……なんだかいろいろとにかくヤバイんです!! お願いだから看てください!!」 あまりに冷静さを欠いて、思ったように言葉が出なかった。 それでもジョーイさんはプッチーがなんだかいろいろとにかくヤバイってことを察してくれたようで、 「分かりました。モンスターボールを」 「お願いします!!」 「君も来てください。こっちです」 モンスターボールを受け取ると、僕に医務室に入るように告げて、踵を返した。 カウンターを飛び越えたくなる衝動に刈られるけれど、その方が余計な時間がかかると理解できるだけの理性は残っていたんだろう。 カウンター脇のスペースから滑り込むように入っていく。 医務室に入る頃には、ジョーイさんに看てもらえるという安心感が出てきたんだろう。 少しだけ気持ちが落ち着いてきた。 ジョーイさんは僕の慌てぶりとは裏腹に、淡々とした様子とキビキビした動きで、モンスターボールを机に置いた。 それから、壁際の引き出しから、ちょっと太い筒を取り出す。 どうやら、吹き矢か何かのようだけど…… そう思っていると、吹き矢らしき筒を手に、僕に声をかける。 「プッチーをモンスターボールから出してください」 「ええっ!? ちょっとそれマジでヤバイんですけど!!」 サラリと言うものだから、僕は絶叫に近い悲鳴を上げていた。 ってゆーか、それちょっといくらなんでもマジでヤバイんですけど!! 冗談抜きでっ!! こんなところでプッチーを出そうものなら、その瞬間に破壊光線ぶっ放したり、噛み付いたりしてきそうでホントに怖いんですけど!! 僕が本気でうろたえているのを見ながらも、ジョーイさんは、 「出した瞬間に吹き矢で即効性の麻酔をかけて眠らせます。 大丈夫、自慢じゃありませんが私はこれでも全国吹き矢コンテストで常に上位入賞をしています。信じてください」 「……わ、分かりました!! 出て来いプッチー!!」 なんだか意味不明なコンテストが出てきたけど、こればかりは信じるしかない。 それが必要だと思ったからこそ、ジョーイさんは僕にモンスターボールからプッチーを出すよう指示をしたんだ。 僕が頭上にボールを掲げてプッチーに呼びかけると、口が開いて、飛び出してきた!! その瞬間、ジョーイさんが口に当てた筒から、吹き矢が撃ち出された!! 全国吹き矢コンテストなる意味不明なコンテストで上位入賞していると豪語しているだけあって、プッチーの腹に吹き矢が見事に突き刺さる!! 濁った目で周囲を見渡し、破壊光線をぶっ放そうとしていたプッチーも、即効性の麻酔にやられて床に落ちた。 「これでよし……と」 麻酔の吹き矢が上手く当たったことに、ジョーイさんはむしろ僕よりも安堵していた。 プッチーだけじゃなくて、他のポケモンもジョーイさんには世話になってるからね。 患者のことはよく分かってるんだろう。 「こちらへ運びます。手伝ってください」 「分かりました!!」 指示を受け、僕はジョーイさんと協力して、プッチーの身体をポケモン専用のCTスキャンの台にセットした。 何をするかという説明はなかったけれど、ジョーイさんがやろうとしていることは概ね理解できる。 見境もなく暴れるという、見た目での変化はそれだけだ。だから、スキャニングで身体の内部を探るんだ。 台にセットしたプッチーの身体を、さらにポケモン専用の拘束バンドでしっかりと固定して、スキャン本体のキーボードを手早く叩く。 スキャンまで持ち出すからには、相当ヤバイことなんだろう…… 少しは冷静さを取り戻したとはいえ、不安は一向に拭えない。 プッチーはどうなっているんだろう。 どうなってしまうんだろう……? 不安が勝手な想像を作り出す。泉のごとく滾々と湧き出して来るかのようだ。 ジョーイさんはデスクトップのパソコンを起動すると、スキャンからの写真を受信する準備を整えているようだった。 僕にはコンピューターのあれこれはよく分からないけど、なんとなくは分かる。 一連の準備が整ったということなんだろう。 スキャンと太いコードで結ばれた意味不明な機械が「うぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんっ」と、唸り声にも似た駆動音を立てて動き出す。 そこではじめて、ジョーイさんはこれから何をするのか説明してくれた。 「身体の外に問題が出ているわけじゃないですから、スキャンで身体の内部を探ります。 それから、超微細顕微鏡で脳内をじっくり見てみましょう。 それくらいしておけば、何らかの原因はつかめるはずです」 「そうですか……お願いします」 「はい。お願いされます」 ジョーイさんは僕を安心させるかのように、ニコッと微笑みかけてくれた。 正直、安心なんてできないけれど、だからこそ今僕が心を強く保たなくちゃいけないんだってことが分かった。 一番大変なのはプッチーなんだ。 僕が取り乱してどうする? 冷静になるんだ。僕が取り乱しちゃいけない。 半ば無理やりに、拳を握りしめながら自分自身に強く言い聞かせていると、スキャンの台が動いた。 プッチーの身体がゆっくりと本体をくぐる。 身体の断面を撮影した写真がパソコンに転送されているんだろう、画面に「ファイル受信中」と表示された。 奥へと向かってスライドしていった台が、先ほどと同じくらいの速度で元の位置に戻る。 「モンスターボールに戻してください」 「はい。戻れプッチー!!」 僕はプッチーをモンスターボールに戻すと、ジョーイさんに手渡した。 パソコンではファイルの受信が完了し、スキャニングエディタのソフトが起動。 断面写真が画面に貼り出される。 ジョーイさんは次々と貼り出される写真を軽く眺めると、プッチーのボールを部屋の奥まったところにあるポケモン専用の顕微鏡にセットした。 画面に貼り出された写真を見てみる。 何がどうなっているのか、医者でもない僕が見ても意味が分からないけれど、これがプッチーの身体なんだと、 どうでもいいようなところで妙に理解する。 どこに何があるのかも分からないけど、医者の目には、異常がくっきりと表れているのかもしれない。 「なるほど……」 「……? どうかしたんですか?」 ジョーイさんが小さくつぶやくのが聞こえ、僕は顔を向けた。 顕微鏡を覗きこんでいたジョーイさんが、顔を上げる。 「どうやら、脳内にタチの悪い細菌が入り込んでいるようです。 原因は分かりませんが、その細菌が神経を深く冒してしまっています。 以前にも暴れるというようなことはありましたか?」 「いえ、なかったですけど……」 「そうですか……」 ふぅ…… ジョーイさんは深々とため息を漏らした。 脳内に細菌が入り込んでいて、神経を深く冒している。 言葉尻だけ捉えてみても、かなり危険な状況だと思えるのは、果たして気のせいだろうか? でも、以前に暴れるということはなかった。 僕の見ていないところで……っていう可能性はないとも言えないんだけど、 それでもエンディやフィーネといった僕のポケモンたちがその兆候を捉えているはずだ。 ポケモンは人間よりもはるかに鋭いんだから。 だとすると…… 浮かんだ想像に、背筋が凍る。 身体の芯まで冷え切っていきそうな、嫌な感覚。 どうしようもない悪寒を振り払おうとするけれど、空回りするばかり。 不安を持て余していると、ジョーイさんが僕にまっすぐ視線を向けてきた。 何やら決意を秘めた表情で。 「…………?」 「心を落ち着けて聞いていただけますか」 「えっ……?」 立ち上がり、プッチーのモンスターボールを僕の手に渡しながら。 表情に浮かべた決意を、僕も抱けと言わんばかりに。 「プッチーの神経はおそらく正常には戻りません。 見境なく暴れるという行動を取ったということは、細菌が神経を焼き切ってしまったということで、いわゆる末期症状です」 「そんな……」 あまりに衝撃的な内容に、僕は雷に打たれたように動けなかった。 まともに物事を考えられない。 神経を焼き切ったって……それじゃあ、プッチーは一生このまま暴れ続けるってことなのか? 僕や大切な仲間たちのことも分からないまま? そんなのって……なんで……? 頭が熱を帯びるのを感じる。 「じゃあ、プッチーはもう……」 「今から細菌を除去したとしても、焼き切れた神経を元通りに繋ぎ直すことはできません。 無理に繋ぎ直そうとしても、完全に元通りにはできない……つまり、どこかに齟齬が生じてしまいます」 「…………」 元通りにはならない。 僕やエンディたちのことを半ば忘れた状態のまま過ごしていかなければならないなんて…… そんなの、酷すぎる。 プッチーが悪いことをしたわけじゃないのに、どうしてこんな仕打ちをするんだ。 僕は神様なんて信じてないけれど、プッチーだけがどうしてこんな目に遭わなければならないのかって、本気で呪ったよ。 喉がカラカラに渇き、動悸もする。息遣いが自分でも急激に荒くなっていることが分かるほどだ。 「じゃあ、どうなるんですか……?」 気づけば、その一言が口を突いて出ていた。 本当は訊いてはいけない一言なのかもしれないけど…… 「そう、ですね……」 ジョーイさんは目を伏せた。 もしかしたら……いや、もしかしなくても…… 「長くは生きられないでしょう。 神経全体が細菌にやられてしまっています。 生命活動を維持することすら危ういほどです。 正直、それ以上のことは私には分かりませんけど…… 敢えてその原因を特定するとしたら、現代環境に適応し切れなかったからこそ、細菌の侵入を許してしまったというところでしょうか」 「…………」 何も言葉が出てこなかった。 さっき、絞り出すように訊ねた一言で、喉を震わし声を出す力を使い尽くしたかのように。 もちろん、そんなことはないけどさ。 「プッチー……」 なぜだか、感情が湧きあがってこなかった。 こういう時は、取り乱したり叫んだり絶望したりするのが普通なんだろうけど…… 感情そのものが欠落してしまったのか、何の感情も湧いてこない。 モンスターボールを見やる。 プッチーはもう、長くは生きられないのか…… ジョーイさんが嘘を言っていると思いたいけれど、少なくともこの街のジョーイさんは、優しい嘘なんてついたりはしない。 僕が茫然自失としているのを見て、ジョーイさんはどこか辛そうな表情を浮かべていたけれど、 「……集中治療室に移しましょう。 モンスターボールに入れたままでは、いつ暴れて外に出てくるか分かりません」 「はい……」 モンスターボールを突き破って外に出てきたら、実力で制さない限り、止める術はない。 でも、それじゃあプッチーを傷つけることになってしまう。 僕はジョーイさんに導かれるまま、隣室……滅多に使われることのない集中治療室に場所を移した。 プッチーをモンスターボールの外に出し、ポケモン用のベッドに寝かせる。 そこから先は医者の仕事だった。 麻酔が切れないうちにと、ジョーイさんは手早く点滴を打ち、拘束バンドで暴れられないようにしっかりと固定する。 点滴のパックには何が入っているのか分からないけど、鎮痛剤か何かだろう。 「プッチー……」 翼を畳み、ベッドの上でうつ伏せに横たわって眠っているプッチーの寝顔を見ていると、とても辛くなる。 胸を刺すこの痛みの正体は、一体なんだろう…… プッチーの寝顔を見つめながら、胸を手で押さえる。 「これで当分は大丈夫だと思いますが、何かあったら呼んでください」 「はい」 ジョーイさんとしても、いつまでもプッチーにだけ構っているわけにはいかないんだろう。 後ろ髪を引かれるような表情を見せながらも、集中治療室を出て行った。 扉が静かな音を立てて閉め切られる。 僕は深々とため息を漏らした。 人前じゃ、絶対に見せられない。 仮にもジムリーダーだし。やっぱり、外面だけでも良く取り繕いたいと思うものなんだよ。 現代環境に適応し切れなかったから、こんなことになったんだろうか……? ジョーイさんが推測の形で話した原因。 何の原因もなく、プッチーがあんな風になったなんて思えない。 どうしてこんなことになったんだか…… 壁際の椅子に倒れこむように腰掛けながら、考えをめぐらせる。 「長く生きられないって、あとどれだけ生きられるんだろう……」 誰だっていつかは死ぬ。 それは人間だってポケモンだって同じ。 頭では分かってる。 それが自然の摂理であり、永久不変の理であるということも。 ニュースでは事故や事件で毎日、人やポケモンが死んだことを報じてる。 結局…… ニュースで観るのと違うのは、『他人』と『自分に近しい立場』か、ってことだけ。 「…………」 昨日までは、こんなこと考えたりはしなかった。 当たり前だ。 明日プッチーがこんな風になるなんて、誰が、いつ、どうやって予測できる? そもそも、僕や僕のポケモンたちでさえ、プッチーがこんなことになるなんて思わなかったし、その兆候すら読み取れなかった。 だけど、いきなり神経が焼き切れて、分別なく暴れ立てるなんてことをするとも思えない。 きっと、ずっと前からプッチーの神経は細菌に蝕まれてたんだ。 少しずつ、少しずつ蝕まれて、たまたま今日、それが表に出てきた。 昨日だったかもしれないし、明日だったかもしれない。 もう二度とプッチーが僕たちのことを思い出すことがないのだとしても、僕たちの中にある記憶まで消えるわけじゃない。 それも、分かってる。 分かってるんだけど…… 現代環境に適応し切れなかったから、という理由で済ませるなんて、やっぱり納得行かない。 どうしようもない憤りだと分かっていても、人間はやっぱり理性で動いてるわけじゃない。 理性すら押し退けてくる感情で動いてるんだよ。 「プッチー……」 恐竜時代に生きているとされたプテラ。 恐竜時代と現代の環境が違うのは当然だ。 そもそも人工物というもの自体が存在していないから、人工物の誕生による自然の変化…… その変化がもたらすイレギュラーな菌や病に、適応し切れなかったとしても不思議はない。 けれど、少なくともこの世に生まれてくることはできた。 僕にプッチーのタマゴを託してくれた人も、まさかこんなことになるとは予期していなかったはずだ。 普段はズボラでだらしなく見えるけど、必要なことは必ず言う人だから。 いつ消えるとも知れないプッチーの命の灯火。 僕は……今まで誰かが死ぬのなんて、今ほど深く考えたことはない。 かつてはポケモンマスター・サトシともジム戦を繰り広げたこともあるマツバ曾じいちゃんは、今でもピンピンしているし、 少なくとも僕の身近に『死』を連想させるものは何一つなかった。 いや、仮にあったとしても、無意識に排除し続けてきたんだろう。 だけど、今。 「プッチー、なんでこんなことになったのかな……?」 答えてくれるはずがないと分かっているのに、口に出さずにはいられない想いがある。 悲しくて辛い気持ちはあるのに、なぜかそれを上手く表情に出せない。 信じがたい事実に直面し、精神の防衛機能が働いて、一時的に感情を封鎖しているのかもしれないけれど…… それにしても、なんでこんなことに……? さっきも思ったけど、プッチーに非なんてないんだ。ただ普通に生きてただけ。 ちょっとやんちゃなところはあるけれど、ただそれだけだ。 それなのに…… 無慈悲な神様の喉に刃でも突きたてたくなるような、どうしようもない気持ちが沸々と湧き上がってくる。 「…………」 突き上げる気持ちを抱いている僕とは裏腹に、プッチーの寝顔は思いのほか安らかだった。 細菌に神経を焼き切られ、正気を保てなくなっているとは思えないほどに。 プッチーは、自分の身体に何が起きたのか分からないまま、もしかしたら死んじゃうのかもしれない。 生前の記憶をどこか別の場所に持ち運べるのだとしたら、きっと驚くのだろうけど……それさえも望めない。 「…………」 プッチーが死ぬ。 もしかしたら、僕の目の前で。 生まれてきた瞬間を見た。 僕のことを親のように慕ってくれた。 どんな風に育つんだろうって、生まれた時の身体の小ささを見て心配したことだって、一度や二度なんかじゃない。 そう考えて、寝付けない夜もあった。 プッチーと共に生きてきた一年間。 僕の中で今までの十数年分に匹敵するように思えるのはどうしてだろう。 「……もう、帰ろうかな……」 エンディを待たせている。 エンディはすごくマジメで律儀な性格だから、僕が出てくるまで、ポケモンセンターの軒先でじっと待っているだろう。 本当は他のみんなや、プッチーのタマゴを託してくれた人に連絡を取るべきだと思う。そうしたい気持ちはある。 でも、立ち上がれない。 立ち上がるだけの気力がなくなったのかと思ったけれど、よくよく考えてみると、それは違っていた。 すぐに分かったよ。 プッチーが死んでしまうのは辛い。 そんな姿は見たくない。 だけど、僕だから逃げるわけにはいかないんだって気づいたんだよ。 少なくとも……プッチーが僕のことを親だと思っているから。 どんなに辛くても、悲しくても。 僕は見届けなきゃいけないんだ。 プッチーのことを。 「…………」 知らないうちに、目から涙がこぼれた。 泣きたいと思ったわけじゃないのにさ…… 何事もないような表情して眠ってるプッチーを見ていると、なぜだか涙が止まらなかった。 それから三日後、プッチーは僕の目の前で、静かに息を引き取った。 一度でも目を覚ますことも、自分の身に何が起こったのか……理解することもなく。 プッチーの亡骸を引き取り、鈴の塔の傍に小さな墓を立てて。 僕はその前で膝を抱え、座り込んでいた。 傍らには、大切な仲間たちが静かにたたずんでいる。 ミコト、エンディ、フィーネ、クレア、アンク、ギラース。 みんな、プッチーに何が起こったのか理解して――あるいは僕の深い悲しみを感じ取って、何も言わない。 いつもは陽気に樹液を吸ってるアンクですら、一言も発さない。 僕は彼らに背を向けているから、表情は分からないけれど……きっと、考えていることは僕と同じなんだと思う。 「…………プッチー」 プッチーが死んでしまった。 先日までは何事もなく、空の王者という二つ名の通り、自由気ままに空を飛び回っていたのに。 ポケモンセンターに運んでから、ジョーイさんが専門家を呼んで原因の調査を依頼したんだけど、 ジョーイさんが考えていたのと概ね同じという結論になった。 現代環境に適応し切れなかったがゆえの細菌の侵入。それによって神経を冒された。 恐竜時代では棲息していなかった細菌だから、その時代の免疫力でもって生まれてきたプッチーにとっては、 対応のしようがなかったのかもしれない。 「……なんでこんなことになったのかな。僕たちは、プッチーがいなくなるなんて、そんなの夢にも思ってなかったのにさ……」 プッチーは安らかな表情で息を引き取った。 こんなことになるなんて、分かるはずがない。 なんだか、突然すぎて卑怯だ。 心の準備だってできてるわけないし…… 「…………」 どうして……っていう気持ちしかない。 どうしようもなく悲しくて、何をする気も起きないんだ。 僕はプッチーが生まれた瞬間と、死んだ瞬間に立ち会った。 だからこそ、とても悲しい。 親不孝だよ、本当に……!! 「プッチー、みんなだって悲しんでるんだ。 どうして君がひとりで逝っちゃわなきゃいけなかったのか、ってさ……」 みんなだって悲しんでる。 どうしてプッチーが死ななきゃいけなかったのかって思ってる。 それくらい、僕にだって分かるんだ。 「バウゥっ……」 エンディが小さく声を上げる。 いつもの元気がない。 みんなの気持ちを代弁しているかのようだった。 「ほら、みんな悲しいんだよ。 君の笑顔をもう見られないんだ。君が空を自由気ままに飛ぶところだって……」 明るい笑顔も、優雅に空を飛ぶ姿も、もう見られない。 そう思うと、言いようのない悲しみが心を突き破りそうになる。 「…………」 涙が、こぼれた。 プッチーが息を引き取った時にはこぼれなかったのに。なんで今になって…… 後になって思えば、僕に『死』という現実を教えてくれたのがプッチーだったんだ。 だけど、その時には僕もずいぶんと大人になっていたから、思いのほかすんなり受け入れられたんだけど…… 少なくとも、今の僕には無理だ。 「プッチー、僕を置いていくなんてひどいよ。あんなに元気いっぱいにしてたじゃないか……」 吐き出した言葉はそれだけだったけど、だけどそれだけで十分すぎるほど重かったような気がした。 いつまでだってこの場にいたい気持ちが募る中、背後から声をかけられた。 「やっぱりそこにいたんだ。戻って来ないから、やっぱりって思ったけど……」 振り返ると、悲しげな顔をした姉さんが立っていた。 みんな、姉さんが来ていることを知っていながら、僕に教えなかったらしい。 それだけ僕のことを気遣ってくれてるってことなんだろうけど……なんだか、その気遣いさえ今の僕にはとても痛い。 「姉さん、何の用?」 プッチーが死んで悲しいのは姉さんも同じだ。 ちょっとやんちゃな弟ができたみたいと、生まれたばかりのプッチーを見て、はしゃいでいたのをよく覚えている。 僕の質問に、姉さんは困ったように口の端を吊り上げると、 「あなたが悲しんでるのは当然だと思うけど……でも、いつまでそうしているつもり? あなたはあなたであって、プッチーじゃないの。 プッチーの苦しみだって考えるだけで、理解してあげることはできないわ」 「それは分かってる。分かってるよ、でも……」 「今のあなたには辛いと思うけど、いつまでもそうやってクヨクヨしてても、何も変わらないのよ? プッチーが生き返るわけじゃない」 姉さんは理路整然と、僕がナヨナヨしているのを非難してきた。 起こってしまった、どうしようもない現実を武器に。 それが分かった時、僕の頭の中で何かが音を立てて切れた。 感情の洪水を外に出さないようにしていた堰が壊れて、一気になだれ出してきたのを感じると同時に、僕は声を張り上げていた。 「分かってるよ、そんなこと!! でも、悲しいんだよ!! どうしようもなく悲しいんだ!! なんでプッチーがこんな目に遭わなきゃいけないんだって思うんだよ!!」 自分でも分かるほど迫力があったけれど、姉さんは一歩も引くどころか、むしろ逆に食ってかかってきた。 こういうところは本当に姉弟でよく似てる。 「悲しいのはあなただけじゃないの!! あなたは、自分が一番悲しんでて、だから他のみんなには何も言う資格がないんだって思ってるわ!! でも、みんな何も言わないのはなんでだと思う? ミコトやエンディや……他のみんなだって、身を斬られるような悲しい気持ちを抱いているはずなのよ!? あなただけそうやって被害者ヅラして、無気力に陥ってるってことになんで気づかないの? あなた、そうやってずっと悲嘆に暮れているのを、プッチーが本当に望んでいるとでも思っているの?」 「……っ!!」 この時ばかりは。 僕は、姉さんの理路整然とした容赦ない追及をありがたく思った。 だって……そうじゃないか。 ――そうやってずっと悲嘆に暮れているのを   プッチーが本当に望んでいるとでも思っているの?―― その問いかけに対して、僕はノーと答える。 「…………そう、だよな……」 つまらない意地を張って、つまらない気持ちになって、つまらない無気力に陥っていた。 プッチーが死んだのがあまりに悲しくて、ただそれを言い訳にして、殻に閉じこもろうとしていただけだった。 姉さんの言葉は、力士の張り手よりも力強く、僕の心を打ったよ。 「姉さんの言うとおりだよ」 ため息混じりに漏らすと、姉さんは分かってくれたかと言わんばかりに肩をすくめた。 「本当に、世話の焼ける弟ね。みんなの方が、よっぽど大人よ。 まあ、エンディが一番大人なんだろうけどね……」 「ああ……」 単なる皮肉というわけでもなかった。 エンディは実年齢で言えば僕よりよっぽど大人で、パパと呼ばれても不思議はない。 それに、精神的にも、僕が一番子供だった。 みんなだって悲しいのに、何も言わない。僕だけが、現実を上手く受け入れられずに彷徨っていたんだ。 なんだか、恥ずかしい。 僕は立ち上がり、墓の下で安らかに眠っているプッチーに向き直った。 「プッチー、ごめん。 君がいなくなったのがあまりに悲しくてさ……でも、もうそれを言い訳にはしたりしない。 君がこんな僕を見たら、きっと破壊光線でもぶっ放したくなるだろうから」 きっと、どこかでこんな僕の不甲斐なさを見て、憤慨しているはずだ。 誰よりも明るく振る舞っていたからこそ、僕がこんな風に落ち込んでいるのを見れば、怒るに違いない。 「…………」 姉さんは何も言わず、ジムに戻っていった。 何をしに来たのかと思ったけど、僕のことが心配でたまらなかったからだろう。 プッチーへの愛情を誰よりもよく知っているのが姉さんだったから。 愛情、か…… 愛が深ければ、悲しみも大きくなるとはよく言うけれど、その通りだって思い知らされた。 心にポッカリ穴が空いたように、なんだかとても虚しく、やるせない。 それでもさ…… 悲しいっていうのを言い訳にして、立ち止まってはいられないんだ。 「プッチー、君が見られなくなってしまった景色を、僕たちが代わりに見ていくよ。 それと……感じることのできなくなった気持ちも、みんなと一緒に感じていく。 それでいいんだよな?」 たった一年しか生きられなかったけれど、だからこそプッチーはいつだって前向きだった。 自分の寿命を知っていたとは思えないけれど、そんなことはどうでもいいと思えるほど、一瞬一瞬を精一杯生きていた。 僕はそれを見ても、何にも思わなかった。 それが当たり前だって、傲慢としか思えない態度だったって……今になって思うんだよ。 「みんな、もう大丈夫だよ。立ち止まったりしない。プッチーの分までちゃんと前を向いて頑張る」 僕は振り返らず、みんなに向かって言った。 宣言したつもりだ。 振り返らない。立ち止まらない。 だから…… 「旅に出よう!!」 ここでじっとしていることはできない。 僕があっさりとそう決めると、みんな歓迎すると言わんばかりに声を上げた。 プッチーを失った悲しみは確かに大きいけれど、だからといって何もしないままではプッチーに対して申し訳が立たないと思っているのは、 僕もみんなも、さほど変わらなかったから。 「気持ちの整理、まだ完璧にはついてないでしょう? もう行くの?」 呆れたように姉さんが言う。 「ああ、もう決めたんだ」 東の別棟の玄関口で、靴紐をギュッと結ぶ僕の背中に、姉さんが言う。 「プッチーが見れない景色を、僕たちが代わりに見ていくんだ。 プッチーだって、それを望んでいると思ってね」 「そう……だったら止めないわ」 止めるだけ無駄だと思ったんだろう。 まあ、もう旅支度を整えて、着替えまでバッチリ済ませてしまっていたから、今さら旅に出ない、なんて言うわけにもいかない。 気持ちはもう固まったんだ。 プッチーの分まで、僕たちが頑張ること。 ジム戦を一生懸命続けていくって言う選択肢もあった。順当に考えるならそれが一番なんだろうけど、 プッチーがいつも大空を飛び回っていたのは、きっといろんな景色を見てみたかったからなんだ。 そう思うと、一箇所に留まることはできない。 プッチーが生まれ、そして死んだ街にいるのが嫌だからって、そう受け取ることもできるかもしれないけど、そうじゃない。 広い世界をプッチーの分まで見て行きたいんだ。 何もしないままじゃ、プッチーが浮かばれない。 まだ一日も経っていないけれど、それでも旅に出ると決めた以上、じっとしていることはできないよ。 「これでよし、と……」 靴紐を結び終え、立ち上がる。 「本当にその服装でいいの? もう、卒業したとばかり思っていたんだけど……」 「いいんだ」 姉さんが訊ねてきたのは、僕の服装だった。 どうも気になってたまらないんだろう。 僕はあんまり気にならなかったけど。 というのも…… 「ちょっと大人になったけれど、あなたが以前旅に出た時と同じに見えるわ。 なんだか、初々しい感じがする」 「そうかな? ありがとう」 姉さんの言うとおり、僕が以前旅に出た時の服装だったから。 まあ、服装はともかく、初々しいと言ってくれたことについては素直に認めたよ。 「でも、初心に帰って、いろいろと頑張ってみたいんだ。 姉さんには迷惑をかけてしまうけれど……」 「いいのよ。元々私一人でジムリーダーをやってたわけだし……今できることなら、悔いが残らないうちにやっておきなさい。 私としても、あなたがそうしてくれる方がうれしいもの」 「そっか……またしばらく戻って来れなくなるけど」 「いいの。もう決めたんでしょう?」 「ああ」 僕は頷いた。 プッチーは僕にいろんなものを与えてくれた。 殻を破って外に出てきた時に見せてくれた、屈託のない表情。 親になったような暖かな気持ち。 そして、太陽のように輝く笑顔。 僕は知らず知らずに、プッチーの笑顔に勇気をもらっていたんだって、今なら分かるんだよ。 「別の地方に行こうと思ってるんだ。 カントー地方には行ったことがあるから……シンオウ地方に」 「シンオウ地方……? 聞いたことだけならあるわ。とても遠い場所だって」 「うん」 僕はシンオウ地方に行こうと思ってるんだ。 カントー、ホウエン、ネイゼル……ジョウト地方から比較的近い地方と比べると、ずいぶんと離れている。 同じ国の地方だけど、すっごく遠い場所なんだ。 「そうね……プッチーに見せてあげられるといいわね」 「うん。それで姉さん、お願いがあるんだけど」 「なに? 何でも言って」 「実は……」 僕は懐から一通の封筒を取り出し、姉さんに手渡した。 「これは?」 淡いブルーの封筒には封がされ、中には一通の手紙が入っている。 宛名も差出人も書かれていない封筒の表と裏を何度か見比べながら、姉さんは首をかしげた。 姉さんは頼みたいことがある。 「この手紙をプッチーに届けてくれないかな……?」 手紙はプッチーに宛てたもの。 本当なら僕が届けるべきだけど、そんな時間さえ惜しい。 もう一度向き合うのが辛いからって、都合がいいかもしれない。 でも…… 僕の気持ちに理解を示してくれたのか、姉さんは特に何を訊ねてくるでもなく、小さく頷いてくれた。 「分かったわ」 「ありがとう。それじゃあ、もう行くよ」 「行ってらっしゃい」 「行ってきます!!」 僕は踵を返し、玄関を出た。 姉さんがじっと見送ってくれているのを背中に感じながら、だけど僕は振り返らなかった。 振り返った先には、鈴の塔がある。そして、その傍にはプッチーが眠っている。 だから、振り返ってしまえば、プッチーの気持ちを無駄にするような気がして、どことなく躊躇われたんだ。 「僕たちはみんな、いつだってプッチーの傍にいる。 だから、安心していいよ」 腰に差した六つのモンスターボール。 ミコト、エンディ、フィーネ、アンク、クレア、ギラース。 大切なみんなと一緒に、遠い場所へ行く。 旅を通じて、プッチーが僕たちと一緒に生きていた証をどこかで見つけられたらいい。 目指す場所はとても遠いけど、それでもいい。 悲しいことや辛いことはこれからだってたくさんあるけど、それでもプッチーにもらった笑顔を胸に抱いて、 そういった出来事を乗り越えていきたい。 石畳の道を歩き、街へと出る。 碁盤の目のように整然としている道を、西へと向けて歩き出す。 アサギシティから船に乗って行く予定なんだ。 それまではゆっくりと歩いていくことにするさ。 降り注ぐ日差しが眩しくて、思わず顔を上げた。 仰いだ空はただ青く、プッチーが翼を広げて気ままに飛んでいる姿がまぶたに浮かんだ。 「プッチー、頑張るから。僕たちみんなで」 悲しみからの始まりだけど、それは僕たちにとって何か大切なものを残してくれたような気がするんだ。 それが何か、今はまだ分からないけれど……いつかは必ず見つけられるように、頑張っていきたい。 僕が姉さんに託した手紙は、プッチーに対する誓いだ。 決して立ち止まらない。 何があっても、前を見続けていく。 旅支度を済ませ、部屋を出る前に一筆認めたんだ。 真っ昼間ということもあって、通りを行く人は少ない。 誰も聞いていないだろうと思って、僕はその誓いを改めて口にした。 僕は君のことを忘れない。 僕の手の中で生まれてきたこと。 僕たちの傍にいてくれたこと。 ポケモンバトルで活躍してくれたこと。 僕の目の前でいなくなったことも。 全部ひっくるめて。 あまりに突然で、まだ気持ちの整理はついてない。 ただ、悲しくて、辛くて。 忘れたい気持ちはあるけれど…… それでも、ずっと覚えているよ。 だから、僕たちのことをずっと見てて欲しいんだ。 君が見せてくれた太陽のような笑顔を胸に 君の分まで、みんなと一緒に頑張っていくから。 -FIN- Dear my friend -太陽の笑顔- 登場人物紹介 ダイチ 性別:男 年齢:15歳 出身:エンジュシティ エンジュジムの家系に生まれた少年で、この物語(短ッ!!)の主人公。 心優しく正義感の強い性格だが、どこか控えめなところがある。 ジムリーダーを務めているだけあって、ゴーストタイプのポケモンの扱いが一番得意。 サキ 性別:女 年齢:16歳 出身:エンジュシティ エンジュジムの家系に生まれた少女で、ダイチの姉。 弟と同じく優しい性格だが、強気な一面もある。 ミコト 種別:ゲンガー 性別:♂ 年齢:?歳 出身:エンジュシティ ダイチのパートナーで、一番付き合いが長い。 出会った当初はゴースだったが、彼と長く過ごすうち、ゲンガーに進化した。 多彩な技を覚えており、ジム戦では獅子奮迅の活躍を見せる。 プッチー 種別:プテラ 性別:♂ 年齢:1歳(享年) 出身:エンジュシティ ダイチがタマゴの頃から世話をしていたプテラ。 やんちゃな性格で、時々ダイチを困らせることもあるが、基本的には明るく陽気。 今作では命を落としてしまうが、プッチーの笑顔は彼に大切な何かを残した。 エンディ 種別:ウインディ 性別:♂ 年齢:?歳 出身:マサラタウン ダイチがとあるトレーナーから託されたウインディ。 実力はミコトをも上回り、ダイチのチームのエース的存在。 走り回ることが大好きで、ところ構わず走り回っている。 年長者ということもあってか、周囲への気配りを忘れない優しいナイスガイ。 フィーネ 種別:エーフィ 性別:♀ 年齢:?歳 出身:アサギシティ ダイチがアサギジムのジムリーダーとトレードでゲットしたエーフィ。 典型的な箱入り娘で、好き嫌いの傾向をしっかりと周囲に示しているところから、かなり気が強いが、エンディにはベタ惚れ。 彼について歩いている。 アンク 種別:ヘラクロス 性別:♂ 年齢:?歳 出身:? ダイチが旅に出て初めて、自力でゲットしたヘラクロス。 大好物の樹液さえあれば何でもオッケーという大らかすぎる性格。 和み系キャラとして重宝されているが、バトルでは自慢の怪力で相手をなぎ倒す。 クレア 種別:ペルシアン 性別:♀ 年齢:?歳 出身:? アサギシティに新設されたバトルタワーで、優れた成績を残したトレーナーに与えられたポケモンで、ダイチがゲットした。 当初はニャースだったが、様々なバトルを経て進化した。 控えめな性格で、日向ぼっこならぬ、日陰ぼっこが大好き。 ギラース 種別:バンギラス 性別:♂ 年齢:?歳 出身:? とあるトレーナーが引き連れていたが、訳あってダイチが引き取ることになったバンギラス。 力自慢だが感情をあまり外に出さない性格で、行動的なポケモンが多いダイチのチームの中ではやや浮いた存在。