「シュウが、負けた――?」  ハルカは思わず耳を疑った。ここはどこかのポケモンコンテスト会場。 ギラギラと輝く太陽の下で、ポケモンのもつ個性を競い合う。 正面には舞台。その舞台の横には、審査員の席がいくつか。 観客席でじっと試合を見守ってきたハルカは、その結果に驚かずにはいられなかった。 しゅるる……――ぎゅっと、握っていた赤いバンダナが舞い落ちる。 それを慌てて拾い上げ、そのまま祈るように目を閉じた。 どうか、嘘でありますように。 シュウが予選で落ちるなんて、信じられないもの。 「予選通過者は――」  とうとうシュウの名前は出なかった。 一位は見ず知らずのポケモンコーディネーター。 二位はハルカ、そして三位はツキコだった。 このコンテストでは、上位三人が決勝へと進むことが出来る。 勝ち残るのは一人だけ。 それはもしかしたらハルカかもしれないし、ツキコかもしれない。 どのみち、その中にシュウが含まれて居ないのは事実。 信じられなくて、信じられなくて、ハルカは涙が出そうになった。 ――遥か彼方へ、そして空へ―― 「シュウ!」  廊下で、呼び止める。シュウはすぐに振り向いた。 シュウと出会うのは、何日ぶりだろうか。 恐らく、ルイボス大会以来だと思われる。 「やあ、ハルカくん。今日はどうしたんだい?」  相変わらず、シュウは何も変わっていなかった。 いつもの嫌味っぽい瞳で、じっとハルカを見つめてる。 廊下にはしんと静寂が訪れ、二人の間に奇異な空気が漂い始めた。 「……あの、さ」  ドキドキする。シュウの瞳を見ていると、何も言えなくなる。 (言わなくちゃ)ハルカは唇をかみしめる。言わなければならない。 (きっとシュウのやつ、いつもと同じ姿をしてるけど……  けど、きっと違う。予選敗退なんて、絶対嬉しくないもの) ――ライバルとして。 「シュウ、予選で……」 「ハルカくん」  うっすらと、小さく開かれる口。言って、肩をすくめる。 「僕は確かに負けた。予選で負けるなんて、初めてのことだ。  でも、それは誰が悪いわけでもない。いや、自分のせいだ。 自分の実力不足。たったそれだけのこと」 「でも……っ」 「用はそれだけかい? なら、失礼するよ」  きびすを返し、引き返そうとする。 ハルカは何か言いかけるが、上手く言葉が出なかった。 (何なのよ)  イライラと、貧乏揺すりする。 (こっちは心配して、慰めてあげようとしたのに――)  どうして。  シュウの言動を受けるたび、ハルカは思うことがあった。  それは。 (――どうして、素直にならないの……?) ・・ ・・・・・ ・・ 「あーもうっ! イライラするっ」  決勝は昼食を挟んで午後に行われる予定だ。 楽屋は白い綺麗な壁に覆われた、小さな個室だった。 化粧用の机、鏡がいくつか並んでおり、白いカーテンがゆらゆらと風に揺れている。 ドンと机に腰掛、腕を組んだ。 「あ……」  バタン! ――一瞬ドアが開かれ、すぐに閉じられた。 ハルカは慌てて立ち上がる。 何とかドアを開き直そうとするが、外から強く閉め直される。 しばらく、ドア合戦が続いた。 「ハァ、ハァ、ハァ……もう降参。一体誰なのよ。一瞬入ろうとしてすぐ帰ろうとしたのは」  その場に倒れこんで、咳き込む。 額には、わずかに小さな汗が滲んでいた。 「ご、ごめん……僕」  マサトだった。ハルカの弟であり、他のサトシ、タケシ同様、旅仲間でもある。 「マサト!」  えへへ……どこか申し訳なさそうに苦笑いして、マサトは楽屋に入ってきた。 一人専用の楽屋なので、他には誰も居ない。 弟とふたりきりになった。 「で。どうして、すぐ出て行こうとしたの? 何か用があるんでしょう?」 「……だって、お姉ちゃんすごく怒ってたんだもん。  僕、怒られるの怖くて……それで――あ、これ。お弁当、買ってきたから」 「……ありがとう」  はぁ、とため息をつき、弁当を受け取る。マサトを怖がらせちゃった。 本当は、シュウを怒っていたのに。 「ねえ、お姉ちゃん」マサトが言う。 「僕、信じられなかった。シュウが負けるなんて……それも、予選で」  やっぱり。 マサトも自分と同じように感じていたんだ。 そりゃそうだよ。 シュウが予選敗退なんて、そんな馬鹿な話があってはいけない。 「さっきシュウに会ったんだけど」 「何処で?」「廊下」 「廊下なら、さっき僕もシュウとすれ違ったんだ」 「……」 「多分、お姉ちゃんと会った帰りだと思う。  僕、シュウと目が合っちゃって」 「どんな顔してた?」  ハルカと会った時は、普通の顔してた。 いつもの嫌味な顔。ライバルの顔をしていた。 「泣いてた」 「!」  思わず息を呑む。 シュウが泣いていたなんて、以外だった。 てっきり、また嫌味な顔をして――自分と同じそぶりを見せると思っていたのに。 「それ、本当、なの?」  胸が高鳴る。トクトクと脈を打つ。 それは静かな小さな部屋に、確実に流れ続けた。 「泣いてたんだ、シュウが。僕もビックリした。  それよりも、シュウが予選で負けちゃったことにビックリした」 「私も――私も驚いたわ。でもシュウ、負けたのは自分のせいだって……。  自分の実力が、無いからだって、そう言ったから……」 「きっと悔しいんだよ」  サトシが入ってくる。 いきなりの登場に、ハルカはさらにビックリした。 シュウだと思ったのだ。 そんなことあるはずはないけれど、とっさの勘違いというものである。 「サトシ……」 「ごめん。立ち聞きするつもりはなかったんだ。  たまたま前を通ったら、シュウの話題が聞こえて……」 「ううん。責めるつもりはないわ」  そう言ったので、サトシはほっとする。ついで、自分の意見を述べた。 「俺だって、バトルで負けたら悔しいもの。きっとシュウのやつも、悔しいんだ。  負けたことは分かっている。分かっているからこそ、それを認めるのが嫌なんだ。 表向きは、嫌味なやつのままでいたいのかもしれない。特に――ハルカの前では。 だから、しばらくそっとしておいてやれよ」  それは、意見であり、サトシの主張でもあった。 サトシも、そっとしておいてほしいのだ。バトルで負けたとき、寂しいとき。 人は、ときに一人ぽっちでいたいときがあるもんだ。 そう、彼は言いたかったのだ。 「……きっと、元気になってくれるよね」 「ああ」「もちろんだよ」二人が相槌を打つ。  その眩しい笑顔が、今のハルカにとって、何よりの救いだった。 ・・ ・・・・・・ ・・・  いよいよ決勝の三十分前となる。 ハルカは不安と緊張の中、胸の前で手を合わせた。 ロッカーの並ぶ控え室で、ツキコと久しぶりの挨拶を交わす。 「久しぶりね、ハルカちゃん!」 「ツキコさん!」  笑顔で、かけよってく。二人、椅子に並んで、微笑み合う。 「これから決勝ですね」  最初に口を開いたのはハルカだった。 心の中はシュウのせいでもやもやし続けていたが、 今はせめて笑顔のまま、ツキコと話したかった。 これから決勝なのだ。うじうじ悩んでばかりはいられない。集中できなくなる。 そう何度も何度も打ち消すが、何度も何度もまた悩んだ。 そんなハルカの不可解さは、明らかに顔へと出てしまう。 きっと、心を隠すのが苦手な性格なのだろう。シュウとは違って。 「どうしたの、ハルカちゃん。顔色悪いわよ?」 「……あ、え、えとっ……な、何でもないですっっ」  赤くなり、ぱっと伏せる。 コンテスト前だというのに、ベテランコーディネーター(といってもまだまだ浅いが) がこんなことではいけない。ぶるぶると、激しく首を左右に振る。目をつぶりながら。 「悩み事があるなら、話してみて。どうせなら、すっきりした気持ちでコンテスト、受けたいでしょ?  私でよければ、相談に乗るわよ」 「そ、そんな――な、何でもないんです。本当に――」  ツキコに迷惑をかけたくなかった。と、いうより――。 言うなら、シュウのことを、他人に話したくなかった、かな。 けど。ツキコさんなら――覚悟を決める。同じコーディネーター仲間だもの。 「シュウが、泣いてたんです」 「……え?」  予想通りの反応。目を丸くし、耳を疑っている。 私と同じだ。コンテストで、上位三位にシュウの名前が出なかったときと同じ。 「シュウ、予選で負けちゃって……それで――」 「そう」  ツキコは、ため息をついた。じっと、床を睨みつけている。  そのまましんと、二人は黙り込んだ。 「ハルカちゃんは、どうしたいの?」 「どう、って――?」  てっきり、サトシのように自分の意見を述べると思っていた。 私はこう思う、と。けど、ツキコの場合は逆だった。 自分へと、質問を投げかけているのだ。 「シュウくんのこと、慰めてあげたい?」 「そ、そんな! どうして私があんなやつ――」  心の中ではうなずいているのに、言葉にすると、全く違う答えになってしまう。 けれど、ツキコはそのことをとっくに見抜いていた。 「きっとシュウくん、待ってるわよ。あなたとも長い付き合いみたいだし。  嫌味でクールだけど、不器用なのよ、あの子。本当のことを言えない」 「……で、でも――」 「どうして否定するの? 自分の気持ちに素直になれないの?」  あっ――。  思わず立ち上がる。私、シュウに素直になって欲しいって思った。 けど、自分だって素直になれていなかったんだ。 はぁ――……何やってんだろ、私。 「きっと、シュウくんだって、心から伝えれば、答えてくれるはずよ。  頑張って、自分の思いを伝えてあげて。シュウくんのためにも、私たちファンのためにも」  最後の言葉は、余計だと苦笑するハルカ。 確かに、このままずっと落ち込んでいるシュウのままじゃ、嫌だ。きっとそれは、ファンのみんなも同じ。 シュウのことだから、きっとファンの前では、ハルカと同じように嫌味な態度でいるかもしれない。 けど、本当は――。 シュウに、無理をして欲しくない。 ハルカは思った。 「私――」  言って、立ち上がる。 「伝えてみます」  そのまま、走り去っていった。 コンテストまで残り十分しかない。 時間は残りわずかだ。 ・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・  シュウは庭にいた。花壇のレンガに座り込み、ずっとうずくまっている。 そんな彼を、心配そうに眺めるポケモンが二匹――ロゼリアと、アメモース。 (シュウが心配なのは、私だけじゃない)  そう確信して、放っておけなくなる。 ロゼリアと、アメモースも、きっとシュウに元気を出して欲しいはずだ。 「あ、あのっ……シュウっ」  そっと、声をかけてみる。その背中は、ぴくりとも動かない。 止まったままの、紫の上着。それは、風さえも感じさせなかった。 「私、シュウに言いたいことがあって」  黙ったまま、シュウは動かない。 「シュウにね、元気になって欲しくって」  頑張って、自分の思いを伝える。けど、シュウは――。 「シュウ……シュウ、シュウ」  何度も何度も呼びかける。それなのに、全く振り向いてくれない。 だんだんと怒りがみなぎってくる。どうしようもない憤り。寂しさや悲しさ。 無感情な背中に向かって、ハルカは叫んだ。 「シュウッ!」 「――」  無言のまま、シュウは振り返った。 その瞳は、うつろそのものだった。何処を見つめているのか、何を見ているのか。 ……全く分からない。 けれど。 振り向いてくれた。そのことだけでも、ハルカは嬉しかった。 ――一瞬、笑顔になる。 けれど、それもつかの間。 すぐに雲となって消えた。 「シュウ、悔しいんでしょ」  唐突にそう言う。前置きなんて必要なかった。 その声にシュウは反応し、立ち上がる。じっと、ハルカを睨みつけていた。 曇り空の下、雲が勢いよく流れていく。一雨きそうだった。 「悲しいんでしょ。寂しいんでしょ。イライラしてるんでしょ?」  シュウの心を揺さぶる。刺激させ、相手の態度を伺う。 慎重に、言葉を選んで。 「コンテスト、予選で敗退なんて、始めてだもんね。そりゃそうだわ。  私だって信じられなかったし、シュウ自身もっともだと思う。 けど、シュウ言ったよね。負けたのは自分のせいだって。自分が悪いんだって。 自分の、実力不足だって――ねえ、ひとつ教えて。 私と話したくないのなら、うなずくか、うなずかないかだけでいいから。 シュウは、ここまでなの? こんなことで、コンテスト、捨てちゃうの?」  しばらくの沈黙。雨がしとしとと降ってきた。けど、二人はそんなこと気にしない。 きっともう、決勝は始まってしまっているだろう。けど、ハルカは全く気にしていなかった。 だって、シュウのいない決勝なんて決勝じゃないから。 シュウのいないコンテストなんて、出たくないから。それが本音だった。 「捨てはしない!」  殺気だった声。思わず怯え、しりもちをつく。それでも、めげない。 へこたれないで、立ち上がる。もう一度、もう一度まっすぐシュウの瞳を見て。 その、美しい輝きをもった瞳を見て。 「いつ誰がコンテストを捨てるなど言った? 僕はそんなこと、決してしないし、するつもりない。  ただ、始めてのことで――落ち込んだだけだ。だって、今まで予選は全て通ってきたんだぜ? それがいきなり、敗退だ。誰だってショックを受ける。それに僕は今、一人になりたいんだ。 キミの相手をしている暇なんて――キミになんて、会いたく――」  そこまで言って、口をつぐむ。勢いで、余計なことまで言ってしまった。 思っても無いことを――「会いたくない」。そう、言ってしまっていた。 恐る恐る、ハルカの表情をうかがう。 泣いてはいないだろうか。それとも、怒っているだろうか? 今のは、いつもの嫌味とは、明らかに違う人を傷つける言葉。 それも、大好きな人に――そう、言ってしまった。 「……良かった」  ハルカは、笑っていた。 怒っているわけでもなく、泣いているわけでもなく――ただただ、ひたすら、笑っていたのだ。 思わず反応に困るシュウ。「会いたくない」といって笑われて、どう答えればいい? それとも、ハルカは無理して笑っているのだろうか? そんなこと、笑顔を見ればすぐに分かる。これは、心からの笑顔だ。澄み切った、真っ白な心の。 「私、それだけ訊きたかったの。シュウ、コンテスト、これでもう出るのやめちゃうんじゃないかって……。  私なら、絶対やめてたかも。だって、今まで勝ち進んできたのに、いきなりこんなの――酷いよね」 「……」 「私ね、シュウは素直じゃないままでいいと思う」 「……」 「そのままで、いいと思う。だって今、目の前にいるのがシュウだから。  シュウという存在だから。存在してくれるだけで、私はそれでいい。 コンテストで優勝するシュウ、予選連続突破のシュウ。そんなのどうでもいいシュウ。 私の求めるシュウは、ありのままのシュウなんだからぁっ……」  一生懸命、考えたことを、口に出して伝える。ちょっと疲れてくる。 そのまま泣き崩れ、その場に倒れこむ。地面につく瞬間、シュウはそれを支えた。 大切な人。仲間、いや――ライバル。 ここまで自分のことを想ってくれていたなんて。 やっぱり、片思いなんかじゃなかったんだ。 シュウは微笑んだ。 少し、元気が出た気がした。 もう、いつまでもくよくよするのはよそう。 今回は負けたとしても、次があるじゃないか。 頑張ろう。 ハルカのために。 たった一人の、愛する人のために。 そう、改めて空に誓った。 ・・ ・・・・ ・・・・・・ 「優勝者は、ツキコさんです!」  ワァァァァァッ……と、感性があがる。決勝戦優勝者発表。会場が一番盛り上がるときだ。 ハルカとシュウは、二人並んで舞台を見つめていた。ツキコが手を振っているのが見える。 そのまま二人は見つめあい、ふっと微笑み合う――。  ついに、長い長いコンテストが終わった。 ずっと外で空を眺めていたハルカは、会場から出ようとしたツキコを呼び止めた。 「ツキコさん、おめでとうございます!」 「ハルカちゃん! 今まで何処に行ってたの? 心配してたんだからっ」 「あ、それは……ちょっと――」 「ちょっともそっともないわよ! こんなんで勝てたって嬉しくないわ。  ハルカちゃんと、正々堂々コンテストしたかった。全く、いつまで待っても現れないんだから……」 「ご、ごめんなさい……」  小さくなって、謝る。そんなハルカを観て、シュウは草陰に隠れ、くすくすと笑っていた。 「ちょっと、シュウ! コンテストに遅れたの、シュウのせいかもっ!!」 「さあ、それはどうかな。僕への説得に時間がかかった、キミのせいだろう?」 「〜〜〜」 「キミの顔――相変わらず美しくないね」 「なっ……」 「怒っているからだ。キミの顔が美しくないのは」 「……え――」 「キミの笑顔が美しいって、今日始めて気づかされたよ」  さらに、くすくすと笑うシュウ。ハルカは一瞬、シュウを殴ってやりたい衝動にかられた。 「一体人がどれだけ心配したと思ってるのよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!」 「あの二人は、これがちょうどいいさ」  と、そこへ会場を出てきたタケシが、ぽつりとつぶやくのだった。  サトシとマサトもついで、うなずく。 「美しくないね」  ――シュウの声が、ハルカの叫びが、遥か彼方へ空へと消えていく。 空は、いつしか晴れていた。 THE END♪ ++あとがき はい、はい、お待たせしましたシュウハル小説ですV 一度シュウハルで小説を書いてみたいと思っていたので、とっても満足してますvV 今回は、シュウがコンテストで落ちて、ハルカがそれを慰める……という、 簡単な発想から生まれました。 最初は短くするつもりでしたが、 書いているうちにだんだんと長くなっていってしまい……_| ̄|○ サトシを出したのは、一応先輩様の意見として。 マサト書いてて可愛かった〜vV 最後のタケシもミソ。 ご意見、ご感想などありましたら、お気軽にどうぞ♪