Memories ―ヤサシイウタ― ――時は流れ、変わりゆく。       信じても、いいのだろうか…――                    [1] 「人間には決して近づくな」  親から言われつづけた言葉。  俺は、それを一度たりとも忘れた事はない。 「我々は、災いなのだ。彼らは、何も分かってくれようとはしない」  そう。  人間は勝手だ。  こちらを知ろうとも、わかろうともしない。 「でも、恨むな。あれは、可哀相な命なのだから」  そう言って、死んだ父。  俺は未だに、あの日の事を、夢に見る。  俺たちは、災いを連れてくるのではない。  それを知らせに行くだけなのに。  “アブソルが現れると、災害がやってくる”  …何故、通じないのだろう。                    [2] 「イプシロンさーん」  自分を呼ぶ声。  俺は振り返る。 「わーい、イプシロンさーん!」  やってくるのは、マリルの少年。  名は確か… 「……リーヤ?」 「そーですよ! 覚えてくれたですか。嬉しいですッ」  ニッコリと、本当に嬉しそうに笑うリーヤを見て、思う。  そりゃ。この岩場まで毎日毎日やって来れば。  …いやでも記憶に残る。 「そんなこと言わないでくださいですよ。まるでボクが変みたいじゃないですか」 「…十分珍しいと思うぞ。岩場にいるマリルなんて」  加えて、ここから水辺までは結構遠く離れている。  通常ならありえない事だろう。  まあ、ここに来るものは、今は彼だけなのだが。  俺は溜め息をついてリーヤを見た。  そんな俺の視線に気付いたリーヤは、ぷうと顔を膨らませて反論する。 「ふーんです! いーですか、ボクは絶対あきらめないですからねっ。イプシロンさんの気が 変わるまで! ずっと!」 「…その言葉は、何度も聞いてる」  俺は再び、小さく溜め息をついた。 「大体。…俺はお前に、逃げろと言っただろう」  向こうにある筈の河を見やり、俺は言う。  風が、それが近い事を教えてくれる。 「洪水が起こる。…俺たち、アブソルの予知能力を、知らないわけではないだろう」                    [3] 「当然ですよっ! アブソル一族には、ボクたち、何時も助けてもらってるですから!」  俺の言葉を受け、何故か力説するリーヤ。 「ボクは知らないですけど、何年か前にもあったですよね、大洪水が。父さん母さん、あの 時のこと、よく話してくれるですよ。アブソル一族が前もって伝えてくれたから、あんな凄 い洪水から、ここらのものが生き残る事が出来たんだって。ボクらは皆、大助かりです!」 「…そうか」  リーヤの言葉で、俺は思い出す。  大洪水。  今でも忘れない、あの時のことは。 「アブソル一族は、皆優しいです。確か、その事を人間にも伝えにいったですよね。で、確 か………人間……に…………」  リーヤの声が段々弱まっていく。  思い出したらしい。  その人間のもとへ行ったアブソルが、どうなったのかを。 「………死んじゃった…でした」 「そうだ」  人間は、そのアブソルを殺した。  その姿を目にした途端、問答無用で猟銃を構え。  俺たちに怯え、怒り。そして俺たちを憎み。  結局、人間たちは災いを恐れて村を逃げ出したから、無事だった。  でも、やはり、人間はこうとしか思ってないのだろう。 “アブソルが災いを連れてきた”                    [4]  その殺されたアブソルは、  俺の父だった。 「うえっ!? そ、そうだったですか!?」  俺の言葉を聞いたリーヤが、慌てふためく。 「ごめんなさいです! ボク、そうとは知らないで、イプシロンさんに…」 「気にするな。父のことは、もう整理が出来ている」  そう。  それに、父の行動は、間違ってなかった。  父が行かなければ、人間は皆死んだだろう。  あの村の命は、すべて激流に流され、水の下で暮らすことになっただろう。 「父は、多くの命を救ったんだ。そのことに、俺は誇りを持っている」  そう。  たとえそれが、自らの死と引き換えになってしまった事であっても。 “人間に近付くな”  俺の父は、何時もそう言っていた。 “人間は、わかってくれない。理解しようとすらしない。でも、それは彼らが弱いからだ。 弱さを恨んではならない。憎んではならない”  人間に近付くな、と言った父。  人間を許せ、と言った父。  父は矛盾を俺に教え、その矛盾の中で、自らの命を散らせた。  …父は、答えを見つけたのだろうか。                    [5] 「…それで、お父さんが死んだところに、今度はイプシロンさんが行くですか」  ふと見れば、リーヤが俺を見つめていた。  怒り。そして、悲しみ。  両極端の感情が、彼の顔の上で複雑に絡み合っていた。  …理解できないのだろう。  この俺の、為そうとする事が。 「理解なんて、出来ないです! なんで殺されに行くですか! なんで知らせに行くですか! なんで…なんで馬鹿な人間たちを、自分の命と引き換えに助けたいだなんて思えるですか!」  それは、  俺が、アブソルだから。  人間に蔑まれ、憎まれ、虐げられてなお。  人間に受け入れられたいと思う、この一族の血。  一方的な、片思いとでも言うのか。  報われない。  報われる事のない。 「………命は、皆平等だ。人間も何も、関係ないさ」  俺は微笑む。  キッと唇を噛み締めるリーヤに、そっと言う。 「…一つの犠牲の上に成り立つ、多くの幸せがあるなら。俺の命で救える、多くの命があるの なら。……俺は、この命を捧げても、構わない」  それが、一つの。  思いの遂げ方。                    [6]  リーヤがぶんぶんと首を振る。 「…優しすぎるです! なんでアブソル一族はそうなんですか!? 人間なんて…人間なんて 見捨ててしまえばいいです! あんな人間たちなんて、死んでしまえば…!!」 「リーヤ!!!!」  俺の一喝に、リーヤがビクンと体を震わせた。  怯えた泣き顔が、俺を見上げる。  …いや、悪くない。  リーヤは、悪くなんかない。  俺のためを思って………。 「…リーヤ。そう言う事を言ってはいけない」  けれど、俺は静かに口を開く。  彼を静かに諭す、宥める。 「人間も、一つの命だ。俺たちと変わらない。一つの命。なんで見捨てられる? 助けられる なら、助けたい。そう思わないか? 自分に出来る事があるのに、何もしないで、死なせられ るか?」 「で、でも…」 「幸せは。誰かの…何かの犠牲無しでは、決して得られない。そういうものだ」 「じゃあなんで! なんでその幸せを得るのが人間なんですか、なんでイプシロンさんじゃダ メですか! 人間を犠牲にして、なんで自分の幸せを得ようとはしないですか!!」  必死に訴えてくるリーヤ。  その様子は、あまりに懸命で。  でも。 「今まで、一族が皆してきたことだ。…問題ない」 「でもっっ!」  ふと、一陣の風が吹いた。  いつもより多く湿り気を含んだ、風。  ……………近い。                    [7] 「!! ア、アブソルだ! みんなっ、災いだ! 災いが来たぞー!!」 「なにっ…。!! くそっ、この悪魔め!」  村。小さな村。  そこを見下ろす、切り立った崖。  人間は、そこに立つ俺を、すぐに見つけた。 「くそっ、悪魔! 悪魔ッッ!!」  俺を罵る言葉。  けれど、どうも思わない。  浮かぶのは、哀れみのみ。  そうこうしているうちに、人々が集まり始める。 「災いが起こる…。お前がッ、お前が連れてくるんだ!」 「村を逃げ出さなきゃ…お前のせいだ…お前の……」 「くそぉっ! また、あの時の洪水みたいに……」  誤解は、解けぬまま。  黒光りする筒が、いくつも、こちらに向けられる。  あれが何かは知っている。  あの時、父の命を奪ったもの。  こっそり父についていった俺は、あの岩陰で。  …全てを、見ていたのだから。  あれが火を吹けば、俺は、死ぬ。  リーヤ。  ちゃんと、逃げただろうな………。                    [8] 「やめろっ!!!」  鋭い声が、響き渡った。 「撃つなっ! 銃を下ろせ!!」  ざわめきが広がり、人垣が割れる。  上から見ていた俺は、誰が叫んだか、もう気付いていた。 「…誰だ、お前は?」  村の男が、人垣が割れて出来た道を、悠々と歩いてやって来た者に尋ねる。  少女だ。  年の頃は12。  赤いバンダナをつけた、まだ幼さの残る少女。  傍らに、たくましいバシャーモをつれてやってきた。  ポケモントレーナーだ、そんな声がひそひそと上がる。  彼女は崖の前に行くと、くるりと銃を持つ男どもの前に立ちはだかった。 「撃ってはいけない」  凛と告げる。  少女のものとは思えない威圧感、それが辺りに広がる。  それにたじろいだ男どもだったが、すぐに一人が怒鳴った。 「お前には関係ないだろ! こいつは悪魔だ!災いを連れてくる悪魔なんだ!!」  悲鳴混じりにそう叫ぶ。 「何年も前にだって、この村は酷い洪水に襲われた。一匹のアブソルが現れた後でな! 悪魔 だ、こいつは!! おれたちに災害をもたらす、悪魔なんだよ!!!!」  そう言って彼は、佇む俺に、銃口を向け…………。                    [9]  バンッッッッ!! 「…………くぅっ! な、なにしやがっ…!!」  火を吹くかと思われたそれは、次の瞬間、地面に落ちていた。  そして、それを叩き落し、新たに彼女の側に現れたのは。 「!!? ア、アブソル!!?」  白い毛並み。  血のように赤い瞳。  見紛うわけがない。俺と同じ、アブソルだった。 「こ、こいつ、もう一匹…!!!」 「触るなっ!!!!」  銃を取り直そうとする男を、少女が怒鳴りつけた。 「彼は私の仲間だ!! 傷つけることは許さない!!!」  俺は、少女の言葉に、呆然とした。  ……………仲間?  アブソルが……この、アブソルが…………  仲間、だと? 「彼は私の大事な仲間だ! いいか、アブソルは災いを連れてくるのではない!! 私たちに 警告しに来てくれているのだ! 何故分からない!!」  …頭を、何か強く硬いもので殴られたようだった。  少女の言葉の内容は、思いがけないもので。  すぐには、信じ難いことで。  ………彼女は、俺たちを理解している…?                    [10]  彼女の言葉に驚いたのは、俺だけではなかったらしい。  村の人間たちも呆然と、彼女と、彼女の連れているアブソルを見つめていた。 「彼らは心優しい生き物だ。生まれ持つ、その災害を察知する能力で、私たち人間のもとへと 警告をしに山を下りてくる。昔は、そうとは知れず、彼らが災害を引き起こすと思われていた が。…そんな力が、彼らにあるはずもない。彼らはただ優しいだけだ。私たちを、助けようと してくれているだけなんだ!」  よく通る、彼女の声。  俺は、自分の体が震えるのを感じた。 「で、でも…!」  一人の村人が、意を決して口を開く。  しかし、彼女が睨み付けると、すぐにシュンと黙り込んでしまった。  彼女の真っ直ぐな視線。  怒りに満ちた瞳。  あれをまともに見返す事は、この村の連中には無理だろう。  それだけ、彼女の瞳には、強い意志の力が宿っていた。 「……最近、山火事があったでしょう」  静かに彼女は語り出す。 「燃えた山は、もうダムの役割はしない。地中にためていた水を留める力などないわ。そして この風。大分湿っている。…このところ雨は降らなかったから、きっと大雨だわ。………大洪 水が起こるわよ。早く逃げた方が良いわ」  人々はざわめく。  確かに…、とそんな声も上がり始める。 「だ、だけど…」 「ねえ、おねーちゃん」  まだ戸惑う村人達。  その声に混ざって、小さな声がした。  小さいけれど、澄んだ張りのある声。  何時の間にか、幼い少女が、彼女の前に来ていた。  彼女の連れるアブソルを指差し、尋ねる。 「このこ、いーこなの?」 「…うん。優しい、いい子だよ」  彼女が答えると、今度は俺のほうを指差す。 「あのこも? あのこもいーこ?」  俺は、黙って見下ろしていた。  彼女がそんな俺を見上げ、微笑む。  そして、幼い少女に向かって、言った。 「うん。とっても、優しい子」  その答えを聞き、幼い少女は無邪気に微笑んだ。 「よかったぁ。あんなきれーなこが、わるいこじゃなくて」  彼女は、無邪気に笑う少女に尋ねた。 「あの子が、好き?」 「うんっ」  大人は、皆銃を落とした。                    [11] 「さて。よかったわ、ほんとに」  村人が荷物をまとめていそいそと逃げ始めるのを見て、彼女は呟いた。  側のバシャーモにもたれ、自分を見る彼を見返してニッコリ微笑む。 「良かったよね、レイ」  俺は、まだその場にいて、そんな彼女を見つめていた。  頭の中で、グルグルと言葉が回りつづける。  ……わかりあえるのか?  人間と、俺たちが。  わかりあえるのか…………? 『この辺りくらいだよ、まだそんなこと信じているのは』  唐突に声が聞こえる。  見れば、自分のすぐ隣に、彼女の仲間のアブソルがいた。 『もう最近はそんな事はない。研究が色々進んでいるらしいし。…だから、おれはルゥの仲間 になれたんだしな』 『……わかりあえるのか? 人間と』  俺の問いに、彼は肩を竦めた。 『完全に、とはいかないけどな。でも、わかりあえなくても、おれは』 「ディー!! 行こうッ」  彼女の声。  ディーと呼ばれたアブソルは、それに答えて頷く。  そうして去りかけて、足を止めて俺に笑いかけてきた。 『おれはルゥのこと、信じてる』                    [12]  あの何時もの岩場へと向かって、俺は歩いていた。  …ほどなくして、雨が降り出す。  彼女の言った通り。大雨。 「……イプシロン…さん?」  岩場。雨音に紛れて、自分を呼ぶ声がした。  ハッとして俺が顔を上げると、そこには 「………リーヤ」  呆然とこちらを見る、幼いマリルの少年。  …逃げなかったな。アイツ。  俺は笑って、言った。 「…死ななかった」  リーヤは、イプシロンさんのバカーッ、と怒鳴って。  俺の方へと、駆けて来た。 ――時は流れ、変わりゆく。  確かに変わったようだ。  俺の知らないところで、世界は確かに動いていた。 ――信じても、いいのだろうか…  さあ。  でも、村のあの子供は、…………信じてみてもいいかもしれない。