Memories ―りすたーと― ――あたしは、戦いたくなんかない。     それって……許されないことなのかな――                     [1]  捕まって。  戦う。  傷ついて、傷つけられて。  勝敗を決めて。  そしてまた、戦う。  こんな事の、繰り返し。  あたしたちは、何時も、黙って戦う。  ねえ。  戦うって、そんなに楽しいこと?  戦うって、そんなに嬉しいこと?  あたしには、わからない。  わかりたくもない。  ねえ。  こんなあたしは、ポケモン失格?  こんなあたしは、存在しちゃいけない?  ああ、また声が聞こえる。  あたしを呼んでる。  あの声が…あたしを………。                     [2] 「行けッ、キリンリキ!」 「頑張って、ギル!」  見なれた場所に、あたしは突如放り出される。  …また、なの?  そう思いつつ、顔をしかめて前を見れば。  目の前には、あたしを睨みつける、一匹のニドリーノがいた。  ………あんたも、戦うの? 「キリンリキっ、ふみつけろ!」  あたしの主人が、あたしに命令した。  あたしは嫌だったから、動かなかった。  だって、戦うことなんて、嫌いだ。  痛い。  辛い。  苦しい。  哀しい。  なんで、そんなことをわざわざするの?  あたしは…嫌だよ。  後ろで、主人が怒鳴ってる。  ニドリーノが戸惑いつつも、あたしに攻撃をしかけてくる。  あたしは、避ける。  なんで、あたしはこんなことしてるの?  なんで、あたしは………。                     [3] 「この、やくたたず! お前のせいで、今日も負けそうになったじゃねーかっ。ええ?このクソポケモンがッッ!!」  結局、バトルはあたしの勝ちで終わった。  いやいやながら出したサイケこうせん。  相性抜群で、それで勝負は決まった。 「このっ! 今度逆らってみろ、ただじゃおかねえからなっ!!」  殴る。蹴る。  痛いけど、いいよ別に。  たいしたことじゃないし、それに。  あたしが本気で抵抗したら、この人間は死んじゃうよ、きっと。 「お前等ポケモンは、おとなしく人間様の道具として生きてりゃいいんだよ!」  ……あたしは、道具なんかじゃない。  あんたのためになんか、戦いたくなんかない。  他のみんなは、あんたを怖がっていうことを聞いてるけど。  あたしは、絶対に屈しない。あんたなんかに。 「ああ? なんだ、その目は。…うぜぇんだよっ、お前は!」  なら、捨てればいい。  あたしが嫌いなら、とっとと捨てちゃえばいいのに。  でも、こいつは…主人はそんなことしない。  あたしが、強いから。  こいつの捕まえたポケモンの中で、実質一番強いのは。  エスパータイプの、このあたし、キリンリキだけだから。  戦いは、嫌いだ。  しかも、この主人のために戦うなんて。  そんなの、まっぴらだ。                     [4]  あたしは、もう嫌だった。  またしても、あたしは主人に呼び出された。  今度は何なんだ。  そう思いつつも見た、あたしの視線の先。  そこには…。  あたしと同じ、キリンリキがいた。  でも、そのキリンリキはあたしよりも幼くて、  弱そうで、  傷だらけで、  もう瀕死に近くて。  待ってよ。  まさか、…あたしの主人は……。  あたしに………。 「キリンリキ! あのキリンリキにとどめを刺すんだ!」  後ろから聞こえた主人の声は、楽しそうだった。 「さあ、あいつのとどめを刺せ! そうしたら、さっきのことは水に流してやる。ほらっ、キリンリキ! 何やってんだよ! 早くしやがれ!!」  何かが、……吹っ切れた。  イヤだイヤだと言いながらも、この人間の指示に最終的には従っていたのは。  一応、このあたしの主人だったからで。  …でも、こんなことをする奴が、あたしの主人だなんて。  ………………もう、いやだ。 「あ? おい、キリンリキ? ……! ちょっ、どういうつもりだ? お、おいっ、てめっ、まさか……! やっ、やめっ…………う、うわぁぁあぁあぁああ?!!!!」                     [5]  さぁぁあぁ……。  雨が降る。  小さな小さな雫が、幾つも幾つも、降ってくる。  冷たい水は、熱いあたしの身体を冷やし。  たくさんの傷に、ちょっとしみて痛かった。  あたしは一人で歩いてた。  何処を? そんなのわからない。  いっぱい走って、気付けばここにいたから。  と、あたしは足もとの小さな石に躓いた。  何時もなら、すぐに体勢を立て直せたんだけど。  今日はそう言うわけにもいかなかった。  もうヘトヘトでボロボロだったあたしは、そのまま倒れた。  雨が降る。  いっぱい、いっぱい。  あたしの上に降ってくる。  …死ぬのかな?  ふと思った。  あたしは、このまま、ここで、死ぬ?  …死にたくないなって、すぐ思った。  でも、仕方ないのかな。  主人に逆らったポケモンが辿る末路としては、これがピッタリなのかもしれない。 「……どうした?」  何故か、雨が止んだ気がした。                     [6] 「気付いたか?」  あたしは、何時の間にか気を失っていたらしい。  人間の声を聞いたきがして、あたしは目を開けた。 「…無理はするな。まだ、大丈夫じゃないから」  と、あたしの目の前に、ぬっと顔が突き出た。  びっくりして、思わず飛び起きた。 「駄目。動いたら体に悪い」  静かな声が、あたしを宥めるように囁いた。  あたしの目の前の、この人間の声だったらしい。  あたしは警戒したまま、その人間の様子を伺った。  …それは、水色の髪と水色の目をした、人間の少女だった。  やけに静かな目、その目はまるで、あたしの心まで見通しているようだった。  だんだん、あたしは怖くなってきた。  人間。  この人間も、あたしの主人だった人間と同じなんだろう?  あたしを捕まえて、戦わせる気なんだろう?  …いやだ。  もういやだ、戦いたくなんかない。  人間も………嫌いだっっ!! 「身体起こすよ? まだ手当ての途中だから…」  そう言って、手を伸ばした彼女。  っ、触るなっっ!  あたしはその場を飛び退いて離れ、反射的に、サイケこうせんを……                     [7]  反射的に放っていた、サイケこうせん。  でも、それは。 「……助かった、ササライ」  彼女の前に突如として現れた、一匹のガラガラによって受け止められていた。  サイケこうせんを受け止めた骨棍棒を降ろし、ガラガラは静かにあたしを見つめた。 「でもササライ。助かったけど、僕は平気」  だから、後ろにいて。  そう言う彼女の言葉に、そのガラガラは無言で従った。  あたしは…ただ、自分のしたことが恐ろしくて、怖くて。  ガタガタ震える身体に、じっと耐えていた。  ……あたしは、今、何をした?  この人間に向かって…助けてくれた人間に向かって、攻撃を…?  …………怖い。  人間が、怖い………自分が、怖い……………。  いやだ…いやだ……!!!! 「怖くない。大丈夫だ」  透明で涼やかなその声に、あたしは恐る恐る、伏せた目を開けた。  優しく微笑む、人間。  あたしに向かって、その手を伸ばした。 「僕は、君の害にならない。…手当てをしなければ。さあ、おいで」  その彼女の後ろでは、ガラガラが無言でこちらを見ていた。  …構えていない。  あれでは、もし彼女に何かあっても、彼はすぐに飛び出せない。  ……それは、信頼?  あたしが何もしないって、本当にそう思ってるの?  彼女の言葉を、信じて守ってるの?  あたしは、答えを出そうとして………そのまま気を失った。                     [8]  それから、あたしは彼女の看病を受けた。  気付いたら、受けてしまっていたという方が、きっと正しい。  …一度触らせてしまったのだから、今更言っても仕方ない。  あたしはそう判断し、おとなしく彼女の看病を受けつづけた。  その結果、傷はほぼ完治。  あたしは、ほとんどもとの元気を取り戻していた。 『気分はどうだ?』 『…おかげさまで』  いつもと同じ様に、横になっていたあたしに話しかけてきたのは、あのガラガラ。  ササライという名の彼であった。 『そうか、それはよかった』  あたしと彼は、良く話すようになっていた。  生真面目で少し頭の堅い彼とは、不思議と話が合った。 『ササライ。ササライも昔、人間嫌いだった時があったんだよね?』  それは、すっかり人間不信に陥っていたあたしに、ササライが話してくれた身の上話。  ササライが、あの少女のポケモンになる前の話であった。 『お母さんを殺した、人間っていうのを、ササライは憎んでいたんでしょ? なのに、どうして? どうして人間を守るために戦おうと思ったの? どうして、戦うの?』  これは、何度も聞いた質問だ。  あたしはササライに何度もそれを尋ね、何度も同じ答えを貰っている。  ササライの答えが、変わる事はない。  あたしは、それをもう一度聞きたくて、ササライに尋ねる。  そしてそんなあたしの我侭に、ササライは何度も生真面目に付き合ってくれる。 『それは、彼女が好きだからだ。彼女がおれにとって大切で、何にかえても守りたいもので。 だからおれは彼女の害になるものに敵対し、彼女を守るために戦う。 …そして彼女は、決しておれを裏切らないだろう。おれが、彼女を裏切らない限りは』  外が、騒がしく聞こえた。  あたしとササライは顔を見合わせ、様子を伺いに、家のドアを開けた。                     [9] 「だから、返せっつってんだよ! あのキリンリキはオレのだ!」 「…嫌だ。あなたに、あの子は任せられない」  二人の人間の声。  その声を聞いて、あたしはハッとした。  あの声………アイツだ………。 『あれがお前のトレーナーか。…なるほど、お前が逃げ出す気持ちもわかるな』  あたしの隣で、ササライが頷いた。  あたしは……その場に立っていられなかった。 『! おい、大丈夫かっ』  ササライがあたしを支えた。  何とか頷きつつも、あたしの震えは納まらなかった。  ……怖い。  怖い、怖い、怖い。  あの時の事が、鮮明に浮かび上がる。  あいつの嫌らしい顔、あたしに楽しそうに命令する様子。  戦いを好んで、あたしたちを戦わせて。  負けると、その憂さをあたしたちや、野生の力のないポケモンにぶつけて。  そして、逆らったあたしに……あの小さなキリンリキのとどめを刺させようと…………。 『いやぁあぁああ!!』 『大丈夫だっ、落ち着け!』  錯乱するあたしを、ササライは宥める。 『大丈夫だ。彼女はお前を見捨てたりしない。おれも、お前が戻る事を望んでいないのなら、 みすみすあの人間に渡しはしない』  あたしを落ち着かせるように、静かにササライは言った。  しかし、その目はドアの向こうを睨みつけ、あたしはササライが怒っているのを感じた。  ………あたしのために、怒ってくれてるの?  あの人間の少女も、あたしを守ろうと、あたしの主人の前に立っているの?  自分とは無関係のあたしを、守ろうと………? 『お前はここにいろ。絶対に、動くな』  ササライは、外へ飛び出して行った。                     [10] 「ササライ…」 「ああ? なんだ、このガラガラ」  二人の前に飛び出したガラガラに、それぞれが驚いた顔をする。  ササライは無言で、あたしの主人の人間に向かって、骨棍棒を構えた。 「へえ、やろうってのか? おもしれぇや」  あの人間が笑う。  そして、腰から一つのモンスターボールを取り外した。 「丁度いい。こいつの腕試しだ。いけっ!」  出てきたポケモンを見て、あたしは愕然とした。  ……キリンリキだった。  …覚えてる。  あのキリンリキだ。  主人が、あたしにとどめを刺させようとした……。 『……』 「キリンリキ! いけっ、あのガラガラを倒せ!」  主人の命令。  あたしたちの見守る中で、キリンリキが、ためらいがちに一歩踏み出した。  ……ああ。  この子も、そうだ。  戦いたくもないのに、戦わせられる。  この子も、主人が怖くて……。 「サイケこうせん!!!」                     [11] 「?! なにぃ?!!」  サイケこうせんは、ササライ達に届く前に。  一つのエネルギー波によって、打ち消された。  主人は驚き、自分のキリンリキのサイケこうせんを相殺したものを探す。  そして、彼は見つけた。 「キリンリキ! てめぇか!!?」  ササライと彼女のもとに歩み寄る、あたしの姿を。 『……おまえ、動くなと言っただろう』 『だって、…これは、あたしの問題だから』  ササライに、あたしはきっぱりと答えた。  そう、あたしの問題。あたし自身で、解決すべきこと。  逃げちゃ駄目。  それじゃあ、何も変わらない。 『………だめなんだ。あたしが、あたし自身でケリをつけなきゃ』  もう、覚悟は決めた。  もう、いいんだ。  あたしは、ササライ達の前に出る。  ……………さよなら。あたしの、主人だった人。  そして、さよなら。  戦いが嫌いだったあたし………。 「!! ササライ!」  あたしが真っ直ぐ、今度は外さないように、主人に向かってサイケこうせんを放つ直前。  あの人間の少女の声を聞いた、気がした。                     [12]  それは、一瞬の出来事だった。  その一瞬の出来事に呆然としていたあたしは、  気付けば、人間の彼女に、ぎゅっと抱き締められていた。 「…………君は、そんなことしちゃ駄目だ」  震えてる声。  あたしは、どうしてよいのかわからず、途方に暮れた。 「……そんなこと、しちゃいけない。優しい君は、絶対に自分の意に反する事はしちゃいけないんだ。 …ごめんね。僕の力が及ばなくて。君に、こんなことをさせてしまって…こんな決断をさせてしまって……」  ……泣いてるの?  あたしは、そっと彼女の頬を舐めてから、向こうで倒れてる主人の姿を見つめた。  …動かない。  でも、あの人は…… 『死んでない。みねうちだからな、気を失っているだけだ』  ササライがあたしに答えるように言った。  あたしたちから数歩離れたところに、ササライは遠くを見つめながら立っていた。  あの時、彼女の声に答えてササライは飛び出し、  あたしのサイケこうせんが主人に届く寸前に、その骨棍棒で空へと弾き返した。  そしてすぐさま主人の懐に飛びこみ、十分に手加減をしたであろう一撃を食らわせたのだった。  全て、一瞬の出来事。  あたしは、ササライと彼女の絆の深さを知った。 『…おれは、彼女が…人間が好きだからな。確かにお前の主人みたいな人間もいるが、全部が全部、 あんな性格なわけではない。……まだ、彼女みたいな人間がいる。だからおれは、彼女と共に、戦うことが出来るんだ』                     [13] 「このボールだ。……」  気絶したまんまの彼。  彼女は彼のもとにスタスタと近付くと、空のボールを見つけ出した。  あたしの、ボール。 「………いいんだよね?」  あたしは、彼女に頷いた。  すると彼女は、ササライの棍棒を自ら手にし、おもいっきり  ガンッ!  ボールを殴りつけた。  二、三度殴りつけると、ボールはひびが入って、使い物にならなくなった。  …これでもう、あたしがこの人間に呼ばれることはない。  もう、この人間に従うことも。  見れば彼女は、他のボールからも全てのポケモンを出して、一匹一匹に同じことを繰り返していた。  そして、戸惑う彼らに告げる。 「もう自由だ。好きにすればいい。この人間のもとにいたいのなら、ここに残ればいいし、嫌だというなら、 何処へでも好きな場所へ行きな。僕はコレ以上、何も干渉しないよ。君達が自分で決めればいいんだ」  顔を見合わせる、あたしの元仲間。  しかし、一匹、また一匹と、草むらの中へと姿を消して行った。  残ったのは、あたしと、あのキリンリキ。 『どうするんだ、お前は』  ササライがあたしに聞いた。 『行かないのか?』  あたしはもう決めてた。  だから、笑って言った。 『行くよ。…ササライ達と一緒にね』 『………本気か?』 『…彼女が、それを許してくれるんだったらね』  人間は、嫌いだった。  でも、ササライの言う通りだと思った。  人間にだって、色々いる。  少なくともあたしが見た限りじゃ、この人間の少女は、信じられる。  …もう一回、信じたい。  彼女と一緒に、進んでみたい。  大丈夫。  きっと彼女のためだったら、あたしは戦える。  だって彼女は、あたしたちだけに戦わせたりしないから。  きっとあたしたちと一緒に、戦ってくれる人間だから。  あたしはゆっくり、彼女の元へと歩いて行った。  彼女はあたしを見ると驚き、そして笑って尋ねた。 「いいの? 僕なんかと一緒にきて?」  あたしは黙って、顔を摺り寄せた。 「……わかった。じゃあ、一緒に行こうか」  そして彼女はボールを取りだし、そしてふと、あたしの向こうを見やった。 「…君はどうするの?」  あたしもそっちを見ると、幼いあのキリンリキが、そこで立ち尽くしていた。  どうすればいいのか、わからないようだった。 『…………おいでよ』  思わず、あたしは声をかけていた。  あたしの声に、キリンリキがビクッと見る。 『…あの……』 『この人間は大丈夫だよ。ね? …あたしと一緒に行こう?』  おずおずと、キリンリキが彼女の顔を伺った。  彼女は優しく微笑んで、そのキリンリキにも問い掛けた。 「君も来る?」  その声に押されるようにして、キリンリキが少しずつ近付いてきた。  あたしとササライと彼女で、その子を迎えた。 『……………いい…の…?』  けれど、最後の一歩が踏み出せず、キリンリキが不安げに尋ねた。 『ボクも……いいの?』 『いいよ。ね?ササライ?』 『来るものは拒まない。歓迎する』  あたしとササライが答えると、キリンリキは心を決めた様子で、彼女を見つめた。  あたしも、そのキリンリキの隣へ行って、彼女を見つめる。 「…嬉しいな。仲間が、二人もできた」  彼女は微笑んで、自ら一歩分の距離を埋め、あたしとキリンリキの少年を抱き締めた。  優しい優しい抱擁。  …大丈夫。あたしは、間違ってなんかなかった。  この人間は……きっと……………。 「じゃあ、名前をつけよう。うーん。そうだな」  キリンリキの男の子の目を見つめて、彼女は口を開いた。 「君はイリアス」  次にあたしの目を見つめる。  澄んだ水色の瞳。  あたしが、その中で揺れている。 「君は、イシス」  初めて、人間から貰った名前。  それは、とても、優しい響きの名前だった。 「僕はグラス。こっちは、ササライ。…これからよろしく。イリアス、イシス」 ――あたしは、戦いたくなんかない。  でも、戦わなきゃ変わらないことも、確かにあったんだ。 ――それって……許されないことなのかな。  そんなことはない。  …自分で決めること。それが一番大事。  それが一番、いいんだよ……